No.00267 湖の畔で

18世紀のイギリス貴族の男女を描いた貴重なミニアチュール(細密画)のブローチ

 

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー 『湖の畔で』
ミニアチュール(細密画)ブローチ

イギリス 1780年頃
細密画、ハイキャラットゴールド(15〜18ctゴールド)、ロッククリスタル
3,8cm×2,6cm
重量 8,8g
SOLD

手前には女性と木立。その奥には男性と木漏れ日、そして湖。さらには奥にそびえる山や大空が描かれた、細密画としては非常に珍しい構図の、ドラマティックで奥行を感じる作品です。表面には特別な細密画に相応しい、八角形の厚みあるロッククリスタルの風防が付いており、身に着けられる芸術というに相応しいミニアチュール・ブローチです。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 

この宝物のポイント

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー 1. ポートレートではなく、まるで風景画のような珍しい構図の18世紀の細密画


2. ロッククリスタルを使った最高級の風防
<もくじ>
1. 18世紀の風景画のような細密画
 1-1. ミニアチュールの始まり
 1-2. ミニアチュールが描かれる装飾写本の主な担い手
 1-3. ミニアチュールの縮小化
 1-4. 印刷技術の発展と細密画
 1-5. 細密画の発達
 1-6. 細密画の衰退
 1-7. 細密画の主なモチーフ
 1-8. これまでにお取り扱いした魅力あるモチーフの細密画
 1-9. この細密画のモチーフの珍しさ

2. ロッククリスタルを使った最高級の風防
 2-1. 風防の役割
 2-2. 風防の最高級素材ロッククリスタル
 2-3. 面積と厚みのある特別な風防
 2-4. 風防に込められたイギリス紳士らしい愛のメッセージ

 

1. 風景画のような細密画

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

湖の畔の木陰で戯れる男女の姿。

これまでの44年間でいくつか素晴らしい細密画の作品をお取り扱いしてきましたが、これはとても珍しい構図の作品です。

1-1. ミニアチュールの始まり

アンブロジオのイーリアスの一部

現存する最古のミニアチュールは、5世紀にベラムへ記された装飾写本アンブロジオのイーリアスの中に描かれたものです。

左のように、絵付き写本の挿絵がミニアチュールと呼ばれていました。

アンブロジオのイーリアスの一部(5世紀後期〜6世紀初期)
アンブロジオのイーリアスの一部 現存する世界最古のミニアチュールアンブロジオのイーリアスの一部(5世紀)

古い時代の書物に使われるベラムや羊皮紙は、動物の皮を使った高級な素材でした。写本はこの高級素材に、1つ1つ手描きで作るのです。お金も手間もかかるのが書物であり、昔の書物が非常に貴重かつ高価なものだった所以です。

1-2. ミニアチュールが描かれる装飾写本の主な担い手

PD吟遊詩人ホメロス(紀元前8世紀末)肖像は紀元前5世紀の古代ギリシャのオリジナルを古代ローマが複製したもの

『イーリアス』は紀元前8世紀末の吟遊詩人ホメロスが作ったとされる長編叙情詩で、最古期の古代ギリシャ詩作品です。

古代ギリシャにおいて『イーリアス』は教育学の基礎と位置づけられるほど非常に重要な作品であり、ヘレニズム時代からビザンチン時代を通して同様の地位がありました。

だからこそ古くから写本が作られ、残されて来たわけですが、ミニアチュールが描かれる装飾写本の最もメジャーな題材はキリスト教です。

東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483-565年)

古代からの西洋の歴史とキリスト教の関係については『ディアナ』で詳しくご説明しました。

もともとローマ神話は多神教でしたが、古代ローマで生まれた一神教であるキリスト教を統治の理念とすることで専制君主としての地位を盤石なものとしたい、当時のローマ皇帝によってキリスト教が国教とされ、それ以外は異端として極端に迫害されるようになっていきました。

アレクサンドリア図書館の内部アレクサンドリア図書館の内部(想像図)

根拠を重要視する学術的思想と、根拠は無くとも無条件に奇跡などを信じる宗教は相性が悪く、古代世界の学問の中心地として栄えたアレキサンドリアの図書館も、たびたびキリスト教のテロによって攻撃を受けていました。

最終的には391年に時のローマ皇帝がキリスト教司教の求めに応じて、非キリスト教の宗教施設や神殿を破壊する許可を与えたため、キリスト教の暴徒によってアレキサンドリア図書館も破壊されるようになってしまいました。

古代ローマの女性科学者ヒュパティア 

衝撃的だったのは、415年に発生したヒュパティア惨殺事件です。

アレクサンドリア図書館の最後の所長テオンの娘ヒュパティアが、キリスト教徒に惨殺されたのです。

偉大なる数学者であり、博学で美しい女性哲学者とも言われ、新プラトン主義哲学校の校長でもあったヒュパティアは非常に科学的な女性でした。

神秘主義を廃して絶対に妥協しないなどの点からキリスト教徒からは異端とされ、かなり邪魔な存在に思われていました。

ヒュパティア(350〜370年頃-415年)
キリスト教徒に惨殺されるヒュパティア
『惨殺されるヒュパティア』(作者不明 1865年)

総司教キュリロス配下の修道士たちは、馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずり下ろして教会に連れ込んだ後、むごい方法で惨殺したのでした。教会も司教、修道士も人々の幸せのために存在するイメージですが、これは想像するだけでも恐怖です。

ヒュパティアの無惨な死は、エジプトにいた多くの学者たちが亡命するきっかけにもなりました。キリスト教徒は図書館だけでなく学術研究所ムセイオンも破壊し、古代の学問の中心地であったアレクサンドリアは凋落、ピタゴラスの誕生から脈々と続いてきた古代ギリシャの数学・科学・哲学の歴史は終焉することとなりました。

プラトン時代のアカデミアを描いた古代ローマのモザイクプラトン時代のアカデミアを描いたモザイク(古代ローマ 1世紀)

529年には916年間もの長い歴史を誇ったアテネの教育機関、アカデミアも閉鎖されてしまいました。

賢人をもてなす宴会を開くホスロー1世

その結果、失業した学者たちはアレクサンドリアから亡命した学者たち同様、学術を手厚く保護するササン朝ペルシャに移住してしまいました。

時のペルシャ帝国君主ホスロー1世は教養に秀でた文化人であり、プラトンの哲学にも興味を持ち、『哲人王』とも呼ばれた人物でした。

賢人をもてなす宴会を開くペルシャ帝国君主ホスロー1世
太陽の使い「鶏」モチーフのササン朝 ペルシャのニコロ・インタリオ・リング『太陽の使い』
ニコロ リング
インタリオ:ササン朝ペルシャ 7世紀頃
シャンク:フランス 1830年頃
¥1,880,000-(税込10%)

 

このような背景があり、古代からの偉大なる知の財産が移動した先、ササン朝ペルシャで様々な芸術文化が花開くことになるのです。

ウィーン写本の一部『7人の医者』のミニアチュール

このように、新興勢力キリスト教によって学術が極端に排除された古代末期(3〜8世紀頃)のヨーロッパにおいて、文字文化の担い手は修道士たちでした。

修道院で修道士たちによって写本が主に作られたのです。

古代末期の修道士たちがいなければ、古代ギリシャ・ローマのほとんどの文学は滅びていただろうと言われています。

ウィーン写本の一部『7人の医者』(6世紀初期)
ウィーン写本の一部『鳥』のミニアチュール

左のウィーン写本も古代末期の写本で、西ローマ帝国の皇女だったアニキア・ユリアナに献呈されたものです。

ウィーン写本の一部『鳥』(6世紀初期)
古代ギリシャの医者、薬理学者、植物学者ペダニウス・ディオスコリデス

ウィーン写本の原本は『薬物誌(ギリシャ本草)』です。

古代ギリシャ(古代ローマの属州)の医者、薬理学者、植物学者であり薬理学と薬草学の父と言われるペダニウス・ディオスコリデスの著書です。

ペダニウス・ディオスコリデス(40年頃-90年)
ウィーン写本の一部『ウーリーブラックベリー』のミニアチュール

東ローマ帝国の名門出身の政治家アレオビンドゥスと結婚したアニキア・ユリアナは、西ローマ帝国滅亡後も裕福な女性パトロンとしてビザンチン美術やビザンチン建築の歴史に名を遺した女性です。

『ウィーン写本』は512年、もしくは513年にコンスタンティンノープルのホノラタエ地区に聖アリア教会を寄進したことで、市民に感謝のしるしとして献呈されました。

ウィーン写本の一部『ウーリーブラックベリー』(6世紀初期)
ウィーン写本の一部『ヨモギ』のミニアチュール

当時は一般に微細な色彩植物図葉に対する関心が高まっており、特に高貴な婦人たちに薬用植物の愛好者が多かったため、この写本が献呈されたようです。

ウィーン写本の一部『ヨモギ』(6世紀初期)
ウィーン写本の一部『鳥』のミニアチュール

こうして1500年も前の見てみると、字の上手さはもちろんのこと、なかなかの絵心がないと、写本は作れないことが伝わってきますね。

しかも高貴な女性であれば、この時代も文字が読めていたことが分かります。

特別な身分の人しか文字が読めなかった時代、口伝で得られる知識には限界があります。

"知識"が、書物を読むことができる限られた身分の人たちだけのものだった時代もあったということですが、その点では現代は幸せですね。

ウィーン写本の一部『鳥』(6世紀初期)

この『ウィーン写本』は現存する貴重な古代末期のギリシャ語の写本なのですが、9世紀に渡って失われており、15世紀前半に表舞台に表れたそうです。

ウィーン写本の一部『珊瑚』(6世紀初期)

その時に、コンスタンティノープルのプロドモス修道院の修道士たちによって製本し直されました。

その古さと素材、度重なる使用から保存状態は良いとは言えず、何度も修復されてはいるものの、貴重なものとして代々大切に伝えられてきたからこそ今でも古代ギリシャの当時の知識をうかがい知ることができるのです。

左は、人型のマンドレイクを持つ女性の絵です。

当時は引っこ抜いた際のマンドレイクの悲鳴を聞くとショック死すると考えられていたため、犬に抜かせていたそうです。

何だか色々と興味深くて面白いです。

ウィーン写本の一部『ディオスコリデス』(6世紀初期)

それはさておき、このように写本の担い手は主に修道士たちだったため、キリスト教関連のものも非常に多いのです。

天使と出会うアブラハムのミニアチュール(5〜6世紀)

1-3. ミニアチュールの縮小化

ワインのテイスティングをする食料保管係の修道士(フランス 13世紀後期)

13世紀になると書籍の需要が高まったのですが、そのためのベラムは貴重で量が限られており、その結果1冊あたりの本の大きさが小さくなっていきました。

書籍のサイズの規格 "Comparison book sizes" ©Cmglee(09:14, 2 April 2017)/Adapted/CC BY-SA 3.0

それまで一般的にはフォリオ(305×483mm)だった書物のサイズがオクターヴォ(153×228mm)、つまり4分の1ほどまでに小さくなりました。

さらに、もっと小さいものも作られるようになっていきました。

時祷書(15世紀頃)
"Getijdenboek Van Reynegon(16e eeuw), KBS-FRB" ©King Baudouin Foundation, photo: Philippe de Formanoir(2007)/Adapted/CC BY-SA 4.0
時祷書(1440年頃)
紙のサイズが小さくなっても、文字や絵が同じ大きさだとベラムの節約ができません。そういうわけで、書物が小さくなったことに合わせて文字が小さくなり、情報が詰め込まれるようになりました。それに伴って挿絵も細密になっていったのです。

現存する写本の大部分は中世に作られたもので、ルネサンス期以降に作られたものは大半が残っています。

一方で古代末期の写本は非常に限られた数しか残っていません。

いずれを見ても、大半は宗教的な性質のものです。

ヨーロッパ美術を知る上で、宗教と美術の関係は切っても切り離せません。

時祷書(1400年頃)

何しろローマ教皇はヨーロッパの長い歴史の中で、一国の王と言えるほどの富と権力を保有していました。

歴代のローマ教皇は名門貴族出身の人物が多く、芸術文化を含めて様々な分野の教養を持つ人たちがたくさんいました。

これらの教皇がパトロンとなり、特に中世からルネサンス期にかけては宗教美術や宗教建築が大いに発展していったのです。

ローマ教皇レオ10世(1475-1521年)37歳頃
ローマ教皇アレクサンデル6世(在位:1492-1503年) ローマ教皇ユリウス2世(在位:1503-1513年) ローマ教皇クレメンス7世(在位:1523-1534年)

『マルティン・ルター』でご紹介したローマ教皇レオ10世は、宗教改革が起こる要因を作るほどお金を使いまくりました。『ディアナ』でもご紹介した通り、このレオ10世をはじめとし、ルネサンス期の何人ものローマ教皇が莫大な富と権力を使って学芸のパトロンとなっています。彼らは"ルネサンス教皇"と呼ばれています。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード(1470年完成)"Santa Maria Novella(Florence)-Facade" ©Suicasmo(11 August 2015, 19:53:17)/Adapted/CC BY-SA 4.0

建築に、彫刻に、絵画に、エナメルに・・。

様々な芸術文化が特にルネサンス期に花開きました。

『ピエタ』(ミケランジェロ 1498-1500年)サン・ピエトロ大聖堂
"Michelangelo's Pietà, St Peter's Basilica (1498–99) " ©Juan M Romero(17 December 2012, 10:53:30/Adapted/CC BY 4.0
『最後の審判』(ミケランジェロ 1536-1541年)システィーナ礼拝堂
ロスチャイルドの城に展示された1600年頃のリモージュの宗教画リモージュ・エナメル画(1600年頃)ワデズドン・マナー

その大半は宗教に関連するものです。

お金を使うにしても神のためということだったら成立しますが、さすがに宗教を名目に、教会で集めたお金を個人の贅沢に使うわけにはいきませんからね。

そんな宗教美術の発展とともに、装飾写本に描かれるミニアチュールも時代とともに精緻を極めていきました。

左も装飾写本の一部も、メインの大きな絵だけ見ると極端に小さなものではありませんが、ページの上下左右に描かれた絵はこれだけ拡大してもかなりの小ささです。

ページ外周の草花の装飾模様も驚くほどの細かさです。

中身とは関係ないのに、そこまでしなくてもと思ってしまいますが、こういう所にまで美意識を行き渡らせ、高い技術による手仕事が施されていたなんて、この時代の人間的な豊かさは想像するだけで羨ましいです。

装飾写本(1450年頃)

1-4. 印刷技術の発明と細密画

ヨハネス・グーテンベルク

そんな細密画ですが、15世紀半ばに活版印刷が発明されると状況が大きく変わります。

活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルクは活版印刷業というビジネスも生み出しているのですが、詳細は『マルティン・ルター』でご説明している通り、印刷物は当時最も需要のあった宗教関連のものです。

ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃-1468年)
グーテンベルク聖書(ドイツ 1455年)アメリカ合衆国議会図書館
"Gutenberg Bible" ©Raul654, Moses, et al.(August 12, 2002)/Adapted/CC BY-SA 3.0

特に要望が高かった聖書は、最初の印刷聖書として1455年に『四十二行聖書』が完成し、180冊印刷されました。現在でも「グーテンベルク聖書」として50冊が現存し、世界各地の美術館や図書館に大切に保管されています。テキストは従来通りのラテン語です。

宗教改革300年を記念して作られたマルティン・ルターのゴールド・リング アンティークジュエリー『マルティン・ルター』
開閉レンズ付き ゴールド リング
ドイツ? 1817年
SOLD

聖書や知識書は大体がラテン語だったため、情報を享受できるのはそれを読むことができる知識階級だけに限られていました。

1517年に宗教改革が始まり、その動きが大きくなり、支持者を得たマルティン・ルターはかねてより必要性を感じていた、聖書のドイツ語翻訳にも取り組みました。

ヴァルトブルク城に残るルターの部屋

それによって1534年、ついに民衆の言葉であるドイツ語に翻訳された聖書が発行されたのです。当時の神聖ローマ帝国の人口はおよそ1500万人で、その大半が読み書きできなかった時代にルターの聖書は100万部も印刷されて大ベストセラーになりました。

ルター訳聖書(ドイツ 1534年)

100万部だなんて印刷技術がなかったら不可能なことですね。こうして一気に民衆でも読める聖書が普及したお陰で宗教改革が神聖ローマ帝国をも超えてヨーロッパ全土に影響を与える大きな動きになったわけですが、それまでの装飾写本業界にも大きく影響を与えることになりました。

机で作業する装飾写本作家(14世紀)

装飾写本は1点1点専門家が手作業で作っており、支配階級が個人的な用途であったり、外交上の特別な贈り物にしたりするためにオーダーして作られるのが主でした。しかしながら印刷技術の発明によって装飾写本の需要は急激に低下しました。引き続き16世紀初頭にも作られはしたものの、非常に裕福な層からのオーダーに限られ、その数は非常に少ないものでした。

皇太子時代のジョージ4世の細密画(1792年頃)30歳頃

仕事を失った装飾写本のミニアチュール職人たちの新たなる活躍の場となったのが、富裕層のための肖像画ミニアチュール制作でした。

最初期の肖像画ミニアチュール作家ジャン・フーケによる15世紀の自画像最初期の肖像画ミニアチュール作家ジャン・フーケ(1420年頃-1481年)30歳頃

最初期の肖像画ミニアチュール作家は、当時の有名な装飾写本ミニアチュール作家であるジャン・フーケやサイモン・ベニングでした。

肖像画ミニアチュールの発明者とされるジャン・フーケの1450年頃の左の作品は、最古の肖像画ミニアチュールであり、おそらく最も古い正式な自画像と考えられています。

まるで写真のようですね。写真がない時代だったらオーダーする人が間違いなく殺到しただろうと思える、強い魅力があります。

フランス王シャルル7世とその息子である王太子ルイ11世

ジャン・フーケは元々パネル・ペインティング(木材パネルに描く絵画)と装飾写本画家の巨匠で、ゴシック後期からルネサンス初期の時代の最も重要な画家の一人とされています。

1450年代からフランスの宮廷で働き始め、数多くいたパトロンの中にはフランス王シャルル7世やルイ11世親子もいました

フランス王シャルル7世とその息子である王太子ルイ11世(ジャン・フーケ画 1452年頃-1460年頃)
遍在する蜘蛛 フランス王ルイ11世

ルイ11世と聞いて「あ!」と、『神秘なる宇宙』でのお話を思い出された方は素晴らしいです。

所有していた王室のオパールの加工をオーダーし、運悪くオパールを割ってしまった宝石職人の手を切り落とさせた"いやなやつ"でしたね。

王様のくせにケチくさいと言うか、心が狭いと言うか・・。

あだ名はちょっと意味不明な『偏在する蜘蛛』でした。

フーケはキャリアの最後の方ではルイ11世の宮廷画家となっていますが、怒らせたらヤバそうなフランス王、楽しく仕事はできていたのでしょうか・・。

フランス王ルイ11世(1423-1483年)

1-5. 細密画の発達

イングランド女王エリザベス1世 32歳頃(レヴィナ・ティーリンク画 1565年頃)

もう一人の最初期の細密画の巨匠であり有名な装飾写本作家だったサイモン・ベニングの娘、レヴィナ・ティーリンクも非常に有名な細密画家となりました。

1545年に結婚した後イングランドに移住し、1546年にはチューダー朝の宮廷画家となりヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世の歴代イングランド君主に仕えました。

宮廷画家ハンス・ホルバイン 44-46歳頃(1497/1498-1543年)

レヴィナ・ティーリンクの前任者はあのハンス・ホルバインです。

「あ!」と、Genがルネサンスでホルバネイスク・ペンダントとホルバインについてお話していたことを思い出された方は素晴らしいです。

16世紀の最も偉大なる肖像画家の一人とされるハンス・ホルバインは、初期の時代は壁画や宗教画を描いたり、ステンドグラスや印刷本のデザインなどを行っていました。

1535年までにはイギリス王室最高のインテリ、イングランド王ヘンリー8世の宮廷画家になっています。

天才ホルバインはキャリア初期からその作品に賞賛を受けています。

特に肖像画は有名で、類い稀な精度で描かれていたためホルバインの芸術は『リアリスト』とも呼ばれていました。

Genも言及していた通り、人物の身に着けていたジュエリー・デザインすらも詳細が分かるほどです。

イングランド王ヘンリー8世 49歳頃(1491-1547年)
クリソライトと大きなガーネットを使ったホルバネイスク・ペンダントホルバネイスク・ペンダント
イギリス 1860年〜1870年頃
SOLD
ペンダントのデザイン(ハンス・ホルバイン作 1532-1543年)大英博物館 © British Museum/Adapted
昔の偉大なる芸術家たちにはよくある話ですが、ホルバインも非常に多彩な人物でした。余技でやったジュエリーデザインが、19世紀のルネサンス・リバイバルが流行した時期にホルバネイスク・ペンダントとして新た生命を与えられています。
暖炉のデザイン(ハンス・ホルバイン作 1538-1540年)大英博物館 © British Museum/Adapted ハンス・ホルバインによるルネサンスの砂時計のデザイン画砂時計のデザイン(ハンス・ホルバイン作 1543年)大英博物館 © British Museum/Adapted
このように複雑なジュエリーから記念碑的なフレスコ画に至るまで、ホルバインは様々なデザインを制作していました。まさに"天才"ですね。そんな人物なので、キャリア最後まで新しいものへのチャレンジ精神は旺盛です。
ジェーン・スモールの肖像画ミニアチュール

キャリアの最後の10年間には多くの細密画を描いており、細密画の傑作として有名なのがベラムに描かれたこのジェーン・スモールを描いた作品です。

これらの美しく芸術品としても価値の高い細密画は、当時からジュエリーとして身に着けられていました。

ジェーン・スモールの肖像画ミニアチュール(宮廷画家ハンス・ホルバイン作 1540年)V&A美術館
宮廷画家ニコラス・ヒリアードの自画像ミニアチュール

天才ホルバインの後、細密画で有名なレヴィナ・ティーリンクが宮廷画家となり、その後はニコラス・ヒリアードが宮廷画家を務めました。

エリザベス1世とその後のジェームズ1世に仕えています。

宮廷画家ニコラス・ヒリアード(1547-1619年)30歳頃の自画像ミニアチュール
ニコラス・ヒリアードによるイングランド女王エリザベス1世の肖像画「ペリカン」

ヒリアードは宮廷画家として、エリザベス女王のいくつかの有名なパネル肖像画を描いています。

イングランド女王エリザベス1世『ペリカン』 39歳頃(1533-1603年)ニコラス・ヒリアード画
ニコラス・ヒリアードによるイングランド女王エリザベス1世の肖像画「フェニックス」イングランド女王エリザベス1世『フェニックス』 42歳頃(1533-1603年)ニコラス・ヒリアード画 ニコラス・ヒリアードによるイングランド女王エリザベス1世の肖像画イングランド女王エリザベス1世 43-45歳頃(1533-1603年)ニコラス・ヒリアード画
ニコラス・ヒリアードによるエセックス伯爵と考えられている薔薇の中の若い男性の肖像画ミニアチュールエセックス伯爵と考えられている薔薇の中の若い男性の肖像画ミニアチュール(ニコラス・ヒリアード画 1585-1595年頃)

しかしながらヒリアードで最も知られているのは、宮廷人たちの肖像画ミニアチュールです。

もちろんエリザベス女王の肖像画ミニアチュールもいくつも制作しています。

ニコラス・ヒリアードによるエリザベス女王の肖像画ミニアチュール
ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート ニコラス・ヒリアードによるリュートを弾くエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート
エリザベス1世 39歳頃(1572年頃) リュートを弾くエリザベス1世 47歳頃(1580年頃) エリザベス1世 53-54歳頃(1586-1587年頃)
ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート

エリザベス1世 54歳頃(1587年頃)

エリザベス1世 62-67歳頃(1595-1600年頃) エリザベス1世 62-67歳頃(1595-1600年頃)

いくつかの細密画を年代別に並べてみました。ちょっとずつヒリアードの作風自体が違うことも面白いのですが、エリザベス女王の変化が分かるのも興味深いですね。スマートフォンで画像が気軽に撮れ、どうでも良い写真を撮り放題できる現代と違い、この時代は写真のような精密な人物像を残そうとすると腕の良い肖像画家に手描きで描いてもらう以外にありません。

ニコラス・ヒリアードによるエリザベス1世のミニアチュール・ポートレート

まさに王侯貴族だけの贅沢品と言えるのです。

それにしても、左も細密画とは思えないほど細かい作品ですね。

細密画は動物の毛1本で描いたりすると言いますが、まさにそういう仕事です。

素晴らしい芸術作品に、思わずため息が出てしまいます。

イングランド女王エリザベス1世 62-67歳頃(1533-1603年)ニコラス・ヒリアードによる肖像画ミニアチュール
ニコラス・ヒリアードによるイングランド王ジェームズ1世のミニアチュール・ポートレート

そんな細密画はエリザベス1世の次のイングランド王ジェームズ1世もお気に入りで、外交的、あるいは政治的な贈り物として様々な人に与えていたそうです。

イングランド王ジェームズ1世の細密画(ニコラス・ヒリアード画 1603-1609年頃)
ヴィクトリア女王がインド皇帝となった記念に配ったポートレート・ミニアチュール・ブローチ

このように、贈り物として数多くオーダーする支配者も存在しましたが、これは富と権力が集中するヨーロッパ貴族階級でも、最上位に位置する人だからこそ可能なことです。

『ヴィクトリア女王』
エナメル・ミニアチュール ポートレート・ブローチ
イギリス 1876年頃
SOLD
ニコラス・ヒリアードの妻アリスの細密画

通常は特別な人に対する贈り物としてオーダーされていました。

個人的な深い"愛"を感じることができる肖像画ミニアチュールは、ある意味キラキラ・ゴージャスなジュエリーよりも嬉しい贈り物だったに違いありません。

ちなみに左はヒリアードの妻アリスです。

美人の奥様ですね〜♪

肖像画はそんなことが分かるのもちょっと面白かったりします。

ヒリアードの妻アリスの細密画(ニコラス・ヒリアード画 1578年)
ワルシャワ国立美術館の18世紀のミニアチュール・コレクション18世紀のミニアチュール・コレクション(18世紀)ワルシャワ国立美術館

こうしてヨーロッパの王侯貴族文化に根付いた細密画は、意中の女性にプレゼントするために作られたり、家族への贈り物として作られるようになりました。特に家族としての贈り物の場合、夫や息子などが戦争に行ったり、娘が結婚して家を出たり、誰かがどこかに移住していなくなるなどの特別なタイミングなどではなくても、ちょっと長い期間会えない場合には作られたりしていました。

18世紀の美しい女性のミニアチュール・リング『愛しきひと』
ジョージアン ミニアチュール・ポートレート リング
イギリス 18世紀後期
SOLD

だからこそ、ある程度は数が作られており、王侯貴族のためのハイクラスのアンティークジュエリーでたまに見ることができるのです。

現代でも欧米人は当たり前のように家族の写真を持ち歩いていますが、愛する家族、愛する人の肖像を肌身離さず持ち歩きたい想いはずっと変わらないのでしょうね。

1-6. 細密画の衰退

バッグ型可愛いエナメル・ロケット・ペンダント アンティークジュエリー プチ バッグ型 ロケットペンダントバッグ型可愛いエナメル・ロケット・ペンダント アンティークジュエリー

王侯貴族のための現代で言う"写真"の役割をしてきた肖像画ミニアチュールですが、19世紀半ばに写真技術が発明されると衰退することになります。

写真の歴史については『プティ・バッグ』で詳しくご説明しました。

『プティ・バッグ』
両面バッグ型 プチ ロケットペンダント
イギリス 19世紀後期
SOLD

1839年にフランス学士院でダゲールによって、世界初の実用写真撮影法であるダゲレオタイプの写真技術が発表されました。

美しい画像が撮れるダゲレオタイプは世界に衝撃を与えました。

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851年)
ニエプスの使用したカメラ・オブスクラ 『Un cheval et son conducteur』馬を引く男(1825年頃)
写真技術自体はフランス人発明家のニエプスによって、1822年に世界初と言われる写真エッチングが発明されていました。原版が現存する世界最古の写真は、1825年に撮影されたものとされる右の写真です。あまり精緻な描写ではありませんね。
ダゲレオタイプで撮影した1837年のダゲールのアトリエダゲレオタイプで撮影したダゲールのアトリエ(1837年)

これは1839年の研究発表以前に撮影された、ダゲールのアトリエです。かなり精緻な画像ですね。この時代は産業革命によって台頭してきた中産階級からの肖像画需要が激増していましたが、描き手が不足した状況にありました。

バイエルン州で撮影さえたダゲレオタイプによる1840年の集合写真バイエルン州で撮影さえたダゲレオタイプによる集合写真(1840年)

スタジオで1枚写真を撮るのに現在の貨幣価値で1000ドルほど、つまり10万円ちょっとかかることもあった高級品でしたが、この中産階級の肖像画需要に応えるために1840年代のヨーロッパに写真は熱狂的に広まりました。高い技術を持つ有名画家が手描きするよりは遙かに安いでしょうし、安くても下手な画家に描かせるよりは精密に描写できるのですから当然でしょう。

ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(1925年)25歳頃 アールデコ・ファッションのイギリスのエリザベス王妃(イギリス女王エリザベス2世の母)同のエリザベス王妃(1927年)27歳頃
1920年代でも王侯貴族の肖像画が存在する通り、手描きの肖像画が完全に絶滅したわけではありません。でも、持ち歩くことができるという意味で競合する写真の普及に伴って、作製に時間もかかる肖像画は描かれなくなっていきました。
1855年のヴェルサイユ宮殿でのヴィクトリア女王とフランス皇后ウジェニー皇后

全てをただ物質的に写し出すだけの写真と違い、手描きの絵には画家のフィルターを通すことで発生する"芸術性"があります。

大元の顔かたちは崩さず、少しだけ美人に描いてもらったり優しい雰囲気を出してもらったり、少しスタイルを良く書いてもらえることも手描きの絵のメリットです。

これが上手にできると人気作家になれます。

イギリス女王ヴィクトリア(36歳頃)とフランス皇后ウジェニー(29歳頃)1855年
26歳頃のヴィクトリア女王と第一子ヴィクトリア フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョの写真
26歳頃のヴィクトリア女王と第一子ヴィクトリア(1845年頃)おそらくヴィクトリア女王最古の写真 ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 44歳頃
さすがに「実物と違う!詐欺だ!(笑)」なんてことがあると困りますが、手描きの肖像画は写真にはない魅力があります。現代ではスマートフォン1つで撮った画像すらもアプリを使って修正し放題、盛り放題で美女化できますが、この時代はそれはできませんでした。
晩年のヴィクトリア女王

それもあって、肖像画自体が完全に絶滅することはありませんでした。

巨大な写真を印刷することも、まだ技術的に困難でしたしね。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)80歳頃、1899年
ヴィクトリア女王一家
ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション

肖像画は末代の子孫も含めた、多くの人に見てもらう目的で描かれます。自分をどう見せたいかで、どう描くかオーダーが変わってきます。ヴィクトリア女王の場合は産業革命によって力をつけてきた中産階級の手本となるべく、ロイヤルファミリーがそれらの人々から"理想の家族"と見られるように、女王単独ではなく家族との構図で描かせたものが多いです。

美しいフランス貴婦人のエナメル・ミニアチュールのブローチ

一方で細密画の場合はとてもプライベートな目的で作られることが大半です。

実際に会うことができる人を描くので、盛る必要はありません。

会えない時でも手元でその姿を見て、その人を側で感じることができれば事足ります。

これは写真で十分です。

だから大勢に見せてPR的な役割を果たす大きな肖像画と異なり、細密画のジュエリーは写真の普及と共に殆ど作られなくなってしまったのです。

上手な作家に描かせれば写真とは比較にならない、美しい芸術品になります。でも、それはとても高価で庶民には手が出ません。

優れた細密画がどれだけ高価で特別なものだったかは、20世紀に入ってからの貴重な左のエナメル・ミニアチュールのペンダント&ブローチをご覧になればご想像いただけると思います。

細密画は個人で楽しむことができる小さな芸術であり、至極贅沢な宝物なのです。

エナメル・ミニアチュール ペンダント&ブローチ
フランス 1905年〜1920年頃(ホールマーク付き)
SOLD

1-7. 細密画の主なモチーフ

摂政皇太子で知られるイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃

ここまででいくつかの細密画を掲載したので既にお気づきかと思いますが、細密画の主なモチーフは個人の肖像です。

これはジャン・フーケによって細密画が発明された時代からずっと変わりません。

 

イギリス国王ジョージ4世18-20歳頃の細密画(リチャード・コズウェイ画 1780-1782年頃)
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

この細密画のブローチが制作された1780年頃もそうです。

そんな中で、二人の男女の姿と背景が描かれたこの構図は、これまでに見たことのない珍しいものです。

細密画家ナサニエル・プリマーの自画像ミニアチュール

ヘリテイジで扱う細密画には厳格な基準があります。

細密画自体は面白いとは思うのですが、ジュエリーや個人的な宝物として考えた場合、誰だか知らないそこら辺のジェントルマンやレディではちょっと魅力不足なのです(笑)

細密画家ナサニエル・プリマーの自画像ミニアチュール(1757-1822年)
フランスの貴婦人のエナメル・ミニアチュールのペンダント&ブローチ

無名の肖像画ミニアチュールを扱う場合はよほどその人物が普遍的な『美人画』として成立するほど美しく、絵のレベルが高く、ジュエリーとしての作りも最高レベルに揃っているなどしなければ扱いません。

エナメル・ミニアチュール ペンダント&ブローチ
フランス 1905年〜1920年頃(ホールマーク付き)
SOLD
18世紀の美しい女性のミニアチュール・リング『愛しきひと』
ジョージアン ミニアチュール・ポートレート リング
イギリス 18世紀後期
SOLD

もしくは古さであったり、ペンダントやブローチではなくリングとして作られているなどの稀少性としての魅力があるかです。

大体ふるいにかけて落とされてしまうため、市場にある大半の細密画は肖像画ミニアチュールなのですが、Genのソングオブロシアやルネサンスの頃を通してご紹介がないのです。

Genや私がご紹介するものは珍しいものばかりとご認識いただければ幸いです。

そして、単に奇をてらっただけの珍しいものではなく、芸術的に真に優れていることが重要です。

1-8. 魅力あるモチーフの細密画

1-8-1. 有名人モチーフ

イギリス女王アンのミニアチュール・ブローチ『アン女王』
ミニアチュール・ブローチ
イギリス 19世紀初期(フレーム裏のゴールドは20世紀初期)
SOLD

これはステュアート朝最後の君主だったアン王女の細密画です。

17世紀後期から18世紀初期にかけての女王ですが、清楚で美しいたたずまいが美人画としても通用しますね。

ダイヤモンドのフレームの形も面白く、女王に相応しい高価で手の込んだ作りになっています。

このような有名人のモチーフは、歴史を感じられる面白さがあります。

1-8-2. ヨーロッパ貴族の教養 古典モチーフ

古代世界を描いたマットエナメル・ミニアチュールのアンティークジュエリー
マットエナメル・ミニアチュール・ブローチ
フランス 1880年頃
SOLD
数は少ないですが、古代ギリシャやローマ世界を感じる古典モチーフもいくつかお取り扱いしました。
ユージン・フォントネー作の「ヒービーと鷲」のモチーフの19世紀のフランス考古学風ジュエリー『ヒービーと鷲』
ユージン・フォントネー作 ミニアチュール・ブローチ
フランス 1870年頃
SOLD

これはユージーン・フォントネーとユージーン・リシェによる考古学様式ジュエリーです。

考古学様式ジュエリーはカステラーニが有名で、カステラーニは古代世界の金細工を始めとする優れたジュエリーを忠実に再現しています。

一方でフォントネーはエナメルの絵師リシェと組んで、古代ローマのフレスコ画のようなエナメル・ミニアチュールを制作したことで。全てのフランスの宝飾家の中で最も偉大な人物と言われています。

『春の花々』で詳しくご説明した通り、18世紀から19世紀にかけては古代の様々な優れた芸術作品にインスピレーションを受け、再現したり新たな技術が生み出されたりしました。

単なる忠実な模倣では片手落ちで、新しい時代に於いては新たなクリエーションに昇華させてこそ意味があります。

カステラーニは有名過ぎて、当時から作風は似せながらも出来の悪い偽物も多く作られており、それが現代でも市場に多く出回っています。それを売りたいディーラーなどがPRするため現代でもカステラーニは有名人なのですが、歴史に埋もれた優れた作家はたくさんいるのです。一度有名になって持て囃されると、投機目的の人が買い漁って異様な価格に値段が跳ね上がります。

目利きができると、こういう世界は滑稽に見えます。知られざる良いものは、あまり知られないままの方が良いのです。金目当ての人は価格を吊り上げたがりますが、魂の芸術はそんな目的で作られたのではありません。

ユージン・フォントネー作の「ヒービーと鷲」のモチーフの19世紀のフランス考古学風ジュエリー『ヒービーと鷲』
ユージン・フォントネー作 ミニアチュール・ブローチ
フランス 1870年頃
SOLD
ジャスパーウェアで美しい春の花々を表現したウェッジウッドのアンティークのパリュール『春の花々』
ウェッジウッド社 ジャスパーウェア パリュール
イギリス 1860〜1870年頃
SOLD

『ヒービーと鷲』はフランス製ですが、『春の花々』と同じくイギリス唯一の温泉保養地であり、ヨーロッパ貴族の社交の中心地の1つであったバースで販売されています。どちらの宝物も、販売されたバースのオリジナルケースに収められています。バースには古代ローマ浴場もあり、ただのスパリゾートではなく古代世界も身近に感じることができる特別な場所です。古代美術からインスピレーションを受けて、新たな試みで誕生したどちらの宝物も、バースはお取り扱いするに相応しい場所と言えるでしょう。バースについては『春の花々』で詳しくご紹介しているので、必要あればご参照ください。

ダンスを踊るエラトとキューピッドのフランスのエナメル・ミニアチュール『ダンスを踊るエラトとキューピッド』
エナメル・ミニアチュール(細密画) ブローチ
フランス 1870年頃 
SOLD

古代世界や芸術文化は王侯貴族にとって必須の教養でした。

だからこそ王侯貴族のための様々なハイクラスの考古学様式ジュエリーが作られているのですが、その表現の1つとして細密画が用いられることもあったというわけです。

1-8-3. 女性好みのモチーフ

『花を持って踊る妖精』がモチーフのアンティークのエナメル・ミニアチュール・ブローチ『花を持って踊る妖精』
エナメル・ミニアチュール(細密画) ブローチ
フランス 1902年から1910年頃
SOLD

このように、ロマンティックな妖精モチーフの細密画のブローチもありました。

このような女性好みのモチーフの細密画もいくつかお取り扱いしています。

キューピッドと女性を描いたフランスのエナメル・ミニアチュールのブローチエナメル・ミニアチュール ブローチ
フランス 1870年頃
SOLD
エンジェルたちの19世紀初期のエナメル・ミニアチュールのブローチエナメル・ミニアチュール ブローチ
ヨーロッパ 19世紀初期(フレームは19世紀後期)
SOLD

キューピッドやエンジェルも、一般的には女性に人気があるモチーフです。可愛い系は安物に通ず、エンジェル系もその例に漏れず安物の作りが多く、人気モチーフといえどもエンジェルだからという理由では扱いません。大半はヘリテイジの基準に合わずふるい落とされます。

ルネサンスの頃から特に優れたものだけを扱っているのですが、そうするとあまり一般的に女性に好まれるような"可愛らしいエンジェルちゃん"というよりは、"芸術作品"ばかりになってしまっているかもしれませんね(笑)

花かごと鳥を描いたエナメル・ミニアチュールのブローチエナメル・ミニアチュール ブローチ
ヨーロッパ 1880年頃
SOLD

愛や平和、幸せが感じられるモチーフも女性好みのモチーフとしていくつか制作されています。

白い鳩と楽譜やタンバリンがモチーフのエナメル・ミニアチュールのブレスレット
エナメル・ミニアチュール ブレスレット
フランス 19世紀後期
SOLD
細密画は身に着ける芸術品です。大きな絵は皆で楽しむものですが、細密画のジュエリーは個人だけで楽しむ、"贅沢のハイエンド"と言える存在なのです。

1-9. この細密画のモチーフの珍しさ

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

定番の肖像画、これまでにお取り扱いした珍しいモチーフを含めて、このような構図の細密画は1つもなかったことがお分かりいただけたと思います。

まず、1つの細密画に実在の人物が2人描かれていることがありません。

しかも背景が描かれており、2人の関係性が見えるようなドラマチックな構図であることも他にはありません。

ミニアチュール(細密画)ブローチ アンティーク・ジュエリー ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

2人の姿が描かれていたとしても、神話世界のモチーフなどで実在の人間ではありません。

ブリストルグラスの細密画のハート型ロケット・ペンダント アンティークジュエリー『物語の少女』
ブリストルグラス ロケットペンダント
フランス 1860年頃
SOLD

背景が描かれた実在の人物の細密画自体が珍しく、過去には『物語の少女』があったくらいです。

全身像の人物画も珍しいですが、この美しい少女も目線の先にいる誰かを見ているような、ドラマティックな構図になった名品です。

それに相応しく、ロケットの作りもバチカンを含めて非常に優れた特別なものになっています。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

この作品は『物語の少女』よりさらに昔、『忘れな草』でもご紹介したあの異例の時代に制作された細密画です。

18世紀後期(1770年頃から1800年頃)はマイクロ彫刻画を始め、マイクロパールなど、HERITAGEが最も高く評価する『繊細美の極致』と言える歴史上最も細密な細工を施した作品が集中して作られた時代で、絵画と細かい細工の美術工芸品の評価が逆転していた異例の年代です。

摂政皇太子で知られるイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃イギリス国王ジョージ4世(1780-1782年頃)18-20歳頃 皇太子時代のジョージ4世(1762-1830年)30歳頃同(1792年頃)30歳頃

左の2つのジョージ4世の細密画も同時代に作られています。

高級品であり制作に時間もかかる細密画は、いかに王侯貴族といえどもいくつもはオーダーできません。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

肖像画を描かせるのが当たり前だった時代において、見たこともないこんなロマンティックな構図の細密画をプレゼントされたら、贈られた女性は相手のセンスの良さに驚き心を射止められたに違いありません!♪

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

美しい湖の畔。

その美しい風景の中、木陰で楽しそうに戯れる男女。

メインとなる意中の女性は、一番手前に大きく描かれています。

木立を通して、微笑みながら男性にチラリと魅力的な目線を送り、その軽やかな衣服は優しい自然の風に柔らかにそよいでいます。

男性はその奥で嬉しそうに、楽しそうに女性を見ています。

頭上に見える木の葉の隙間からは、黄色の顔料で木漏れ日まで表現されています。

湖の奥には広〜い草原、さらにその奥には美しい山、そして大空が広がっています。

風景画ならばまだしも、人物を描いた細密画でこれだけ奥行きを感じることができるなんて、それだけでもビックリです。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

まさに身に着けることができる小さな芸術品であり、個人で楽しむためだけに作られた最高に楽しい贅沢品だと私は感じるのです。

芸術品を見せびらかして褒めてもらいたい人にとっては、こういう小さくて見せびらかしにくいものはダメなんでしょうけれどね。優れた芸術品を持てる喜びが理解できず、ただ不特定多数の人達から褒められたいだけ、そのために芸術品を利用したいだけの人種とは至極相性が悪いです(笑)価値観は人それぞれ、それで良いのです。

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2. ロッククリスタルを使った最高級の風防

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー
正面の画像では分かりにくかったと思いますが、実はこの作品は非常に厚みのある風防が使われています。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー
Genも「これほど厚みのある風防は、今までの44年間で一度も見たことがない!」と驚いていました。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー この作品を最初に見た時、細密画をよく見るまでもなく、見た瞬間に18世紀の作品であり、しかも徒者ではないとGenも私も直感的に感じました。

それは八角形のフレームに合わせて特別に作られた、これまで見たことがないほどの非常に厚い風防に目を奪われたからです。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

まさしくあの異例の年代のものだと嬉しくなって、この作品を紹介してくれたイギリス人ディーラーに「これはすごく良いものだよね♪」と褒めたところ、実はこれはとってもお気に入りで個人的にも大好きなんだと教えてくれました。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

詳しく聞いてみたところ、そのディーラーも18世紀後期の細工物にとっての特別の年代のことを把握しており、その年代は特に好きなんだそうです。

こういうものはその価値をきちんと理解しているディーラーしか扱えませんから、ある意味納得なのですが、価値観を共有できる人がいると嬉しいものですね。

この宝物を通じてイギリス人ディーラーもGenも私もニコニコでした。

人種や生きている年代なんて関係ないのです♪

2-1. 風防の役割

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

細密画には風防があるものとないものが存在します。

その違いは何なのでしょうか。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー キューピッドと女性の姿を描いたエナメル・ミニアチュール(細密画)のブローチ アンティーク・ジュエリー
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー アンティークのミニアチュール(細密画)・ブローチのサイド

実は細密画には象牙やマザーオブパールに水彩画などで描いたものと、エナメルで描いたものの大きく分けて2種類が存在します。象牙などに描くタイプは、より繊細な細密画を描くことができます。一方で、エナメルにはほぼ永久に退色しないというメリットがあります。そのままで耐久性もあるため、風防を必要としません。象牙などに描くタイプは汚れや傷が付かぬよう表面を保護する必要があるため、風防が付けられているのです。

2-2. 風防の最高級素材ロッククリスタル

© Victoria and Albert Museum, London/Adapted

『The Heneage Jewel(The Armada Jewel)』
テーブルカット・ダイヤモンド、ビルマ産ルビー、エナメル、ゴールド、ロッククリスタルの風防
イギリス 1595年頃
V&A美術館

19世紀中期以降になると、素材としては安価な吹きガラスの風防も使われるようになります。

しかしながら産業革命によって中産階級が台頭してくる以前の、ジュエリーが本当に限られた王侯貴族のためのものだった時代にはハイクラスのジュエリーの風防にはロッククリスタルが当たり前のように使用されていました。

パラソルを持つ1930年代のアールデコの女性をグラヴィール彫刻で描いたボヘミアンガラスの花瓶『パラソルを持つ女』
ボヘミアン・イングレイヴィング・グラスの花瓶
チェコ 1930年代初期
¥713,000-(税込10%)

ヨーロッパにおけるガラスの歴史については『パラソルを持つ女』で詳細をご説明しました。

当時のヨーロッパのガラス工芸の中心地、ヴェネチアのムラーノ島で酸化鉛と酸化マンガンの添加による透明度の高いクリスタルガラスが完成したのは15世紀のことです。

その後のムラーノ島からの技術流出により、1670年代に入るとドイツ、ボヘミア、イギリスの各地でも同時多発的に無色透明なガラスの製法が完成しています。

ロスチャイルドのロッククリスタルで作られた17世紀のゴブレットロッククリスタルのゴブレット
ドイツ 17世紀
ロッククリスタル、ルビー、ゴールド、エナメル
ワデズドンマナー蔵
クリスタルガラスのラマー
ジョージ・ラヴェンクロフ社 1677-1678年
クリスタルガラス
ポーランド王&リトアニア大公ジョン三世の紋章入り
透明度の高いクリスタルガラス技術が発明された後でも、ロッククリスタルは特別な地位にありました。ガラスを溶融して各種素材を添加して作るクリスタルガラスはいくらでも量産できますが、天然の水晶のロッククリスタルは当然ながら量産不可能な貴重な宝石です。同じ頃の時代に作られた上の2品の作りの違いを見れば、その扱いの違いは明らかだと思います。

これはプラハでクリスタルガラスが発明される以前のソーダガラスによる作品です。

ザクセン選帝候クリスチャン二世の飾り板(カスパル・レーマン 1602 or 1606年)
飾り板の一部(カスパル・レーマン 1608年)

拡大するとその不純物の多さからもお分かりいただける通り、ソーダガラスはどうしても透明度が劣ります。

今回の細密画ブローチと同じ1780年頃に制作された透明度の高いボヘミアンガラスはこのような感じです。

【参考】ボヘミアングラス(1780年頃)
【参考】ボヘミアングラスの拡大(1780年頃)

一見透明そうに見えても、拡大するとこれだけ不純物を含みます。

この程度の拡大でも、これだけ目立ってしまいます。

これをジュエリーの風防に使った場合、ヘリテイジ・クオリティで撮影して拡大すると目立ってしまいますね〜。

『モーニングリング』
イギリス 1792年
エナメル、髪の毛、ゴールド、ロッククリスタルの風防
V&A美術館
© Victoria and Albert Museum, London/Adapted

だからこの時代の特別なジュエリーの風防には、ロッククリスタルが使われているのです。

石英の結晶(ブラジル産)18x15x13cm
" Quartz Brésil " ©Didier Descouens(23 January 2010)/Adapted/CC BY-SA 4.0

天然水晶の価値については『アール・クレール』で詳しくご説明しました。

大地の奥底で長い年月をかけて少しずつ成長してできる天然水晶ロッククリスタルは、2cm以上の大きさになると極端にその存在が少なくなります。

しかもジュエリーとして使用できるのは、結晶先端の不純物の少ないごく一部分だけです。

ハート型ロッククリスタルのデマントイドガーネットとダイヤモンドを使ったロケットペンダント アンティーク・ジュエリー『アール・クレール』
ハートカット・ロッククリスタル ロケット・ペンダント
イギリス 1900年頃
SOLD

本来、大きさのあるロッククリスタルは非常に貴重な宝石です。

だからこそ『アール・クレール』のように、当時最先端のデマントイドガーネットとダイヤモンドを脇石にした、王侯貴族のための特別なハイジュエリーが作られたりもしているのです。

可愛らしいコマドリ・モチーフのエセックス・クリスタルのイヤリング アンティークジュエリー『小鳥たちの囀り』
エセックス・クリスタル イヤリング
イギリス 1860年頃
SOLD

エセックスクリスタルもロッククリスタルを使った芸術品ですよね。

大きなロッククリスタルはジュエリーのメインストーンとして使って当然の、高価で価値ある石なのです。

でも、残念なことに今となってはその価値を真に理解できる現代人は殆どいません。

PDポーランド王&リトアニア大公ジョン三世の紋章入りクリスタルガラス・ラマー(ジョージ・ラヴェンクロフ社 1677-1678年)

"ガラス同然のもの"と考えている人が多いのだと思います。

しかしながら普通のソーダガラスはもちろん、クリスタルガラスや水晶玉などにも使用される溶融石英とも全く異なるものです。

結晶構造を持つロッククリスタルと異なり、溶融石英などのガラスは結晶構造を持たないアモルファスです。

モース硬度 【引用】『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』モース硬度 2021年3月3日(水) 22:12 UTC

これはモース硬度の違いにも現れています。

15段階で旧来より細かく分類分けした修正モース硬度で見てみると、それぞれ以下の通りです。
5 ガラス
7 溶融石英
8 水晶(ロッククリスタル)

ロッククリスタルはガラスや溶融石英、さらには鋼鉄にも傷を付けることができるほどの硬い宝石です。

ロッククリスタルとルビーのヴィクトリアンのロケット・ペンダント『アールクレール(透明な芸術)』
ロッククリスタル ロケットペンダント
イギリス 1870年頃
SOLD

宝石としての必須条件は何より外観が美しいこと、次に稀にしか産しないこと(稀少性)ですが、第三の重要な条件として耐久性、とりわけ硬度が高いことが挙げられます。

大きさのあるロッククリスタルは、その全ての条件をきちんと満たした立派な宝石です。

ロッククリスタルとルビーのヴィクトリアンのロケット・ペンダント

硬い宝石なのでガラスのように簡単に傷が付くことはありません。

不純物も非常に少ないので、経年劣化で曇ったり変色したりもしません。

左のロッククリスタルのロケット・ペンダントも150年ほど前に作られたものとは思えないくらい、傷が感じられません。

エリザベス1世(1533-1603年) ジョン・ディー(1527年-1608または1609年) ジョン・ディーが使用していた水晶玉(1527-1608年) " John Dee's crystal, used for clairvoyance and for curing dis Wellcome L0057562 " ©Sience Museum Group, in the United Kingdom(09:31, 17 October 2014)/Adapted/CC BY- 4.0

エリザベス1世の水晶玉占い好きは『魔法のクリスタル』でもご紹介しました。右の水晶玉は、エリザベス女王が寵愛していた宮廷学者・宮廷占星術師ジョン・ディーが使用していた水晶玉です。水晶の中にインクリュージョンは見えますが、反射面から推測すると、表面には殆ど傷がなさそうです。400年以上の時を経ても、ロッククリスタルであればこれだけの美しさを保つことができるのです。

以前ロッククリスタルのロケットを持っていると見せてくれた人がいたのですが、ヘリテイジで言うようなアールクレール系のものではなく、正面はダイヤモンドとゴールドだけで、見えない裏側が透明ガラスでカバーされただけのものでした。

ダイヤモンドがたくさん使われた高級品だから安価なロッククリスタルは使っていて当たり前と思ったようですが、見えない裏側に意味なく使えるほどロッククリスタルは安い材料でも、たくさん手に入るものでもないのです。

案の定、見せてもらった「ロッククリスタル」なるものは傷だらけでかなり白くなっていました。そのロケットが安物だからガラスが使われていたわけではありません。ある程度のハイジュエリーでもガラスが使われることはあります。

大きさのあるロッククリスタルは主役級の宝石だからこそ、よほど美意識の高い人物がオーダーした特別なものを除いては、見える部分しか気にしない成金ジュエリーの裏側に使われることは絶対にあり得ないのです。

買う時にお店の人にロッククリスタルと言われたのか、勝手に本人が思い込んだのか。どちらにしても、アンティークジュエリー好きでもガラスとロッククリスタルの違いも分からない人が多々存在するということです。その人物がロッククリスタルについて感覚的にも分からないし、知識的なことも分かっていないことがよく分かる出来事でした。

アールデコのヴィーナスとキューピッドがモチーフのロッククリスタルを使ったリバース・インタリオ・ペンダントの傑作『キューピットとヴィーナス』
ロッククリスタル リバース・インタリオペンダント
イギリス 1920年代
SOLD

表現方法は違えど、アンティークジュエリーのあらゆる年代でその特徴を生かしたロッククリスタルのジュエリーが存在します。

最後に優れたロッククリスタルのジュエリーが見られるのはアールデコの時代のリバースインタリオです。

『SUKASHI』でご説明した通り、第一次世界大戦を契機にヨーロッパの王侯貴族を中心とした旧世界は終わりを遂げ、台頭してきた新たな勢力を中心とした新時代が始まりました。

しかしながら力を落としたといえども、アールデコの時代くらいまではまだ教養ある王侯貴族の力は残っていました。

だからこそ、よほどの美的感覚を持っていないと作られない『キューピッドとヴィーナス』のような、心を打つ透明な芸術が生み出されたのです。

アールデコのヴィーナスとキューピッドがモチーフのロッククリスタルを使ったリバース・インタリオ・ペンダントの傑作

この時代はまだ、ロッククリスタルの価値が真に理解できる教養と美的センスに優れた”王侯貴族らしい王侯貴族”が存在していたというわけです。

時代と共にそのような人たちも殆どいなくなってしまいました。

感覚を持っていたとしても、相当なお金がないとこのようなジュエリーはオーダーできません。

もはや富と権力が王侯貴族に集中できない時代に於いては、真に優れたジュエリーにお金を出す人も存在せず、古のようなジュエリー制作の歴史は終わりを迎えたのです。

先に述べたような、ロッククリスタルとガラスの違いも分からないような人だらけになったせいで、アンティークジュエリーは終わってしまったわけです。

古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前469-紀元前399年)

この問題が根深いのは、残念ながらそれらの人々が自分が分かっていないことを認知できないことです。

賢者ほど己の無知を知ることから始まるとも言います。

古代ギリシャの紀元前5世紀のアテネ黄金時代を生きた偉大なる哲学者、ソクラテスの『無知の知』は有名ですね。

「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。」

神託が行われていたデルポイのアポロン神殿跡 "Delfi Apollons tempel" ©Helen Simonsson(11 May 2012, 06:50:15)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これは『英雄ヘラクレス』の持ち主だった可能性があるスパルタ王レオニダスも運命のご託宣を受けたデルポイのアポロン神殿跡です。

ここでソクラテスは、最も知恵のある者というご託宣を受けました。

「黄金馬車を駆る太陽神アポロン」のアンティーク・シェルカメオ『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』
シェルカメオ
イタリア 19世紀後期
¥1,330,000-(税込10%)

ソクラテスはアポロンからのこのご託宣を、

自分だけは「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだ

と解釈したとされています。

18世紀の美しい湖畔とイギリス貴族の男女の風景が描かれた細密画のモノクロ写真 18世紀の美しい湖畔とイギリス貴族の男女の風景が描かれた細密画のブローチ

脳の器質上、白黒の世界しか知覚できない人がいます。実際の世ではマイノリティですが、もし世の中がそういう人たちばかりだった場合、どうカラーの世界が想像できるでしょうか。

私たちは可視光線で世界を見ています。紫外線や赤外線で見る世界は想像できません。その存在すら、例外的な天才の誰かが教えてくれなければ、認識もできないでしょう。自分が認識しているものが世の中の全て。人間はどうしてもそう思いがちです。私たちより遙かにIQアベレージが高かった紀元前の時代ですらそうだったのです。

カラーの世界を知っている者はモノクロの世界を想像することができますが、逆は困難です。機能的に、モノクロの濃淡しか認識できない人にとっては、色の違いはどうやっても認識不可能です。感知する機能が備わっていないのですから・・。優れた美術品を見てもその違いが認識できるかできないかも、実は同じことです。

ただ、他者は「違いがある」と言っているのに、自分には違いが分からないのは恥ずかしいと思ってしまうのも普通の人間には当たり前にある感情でしょう。だから誰にでも認知できる"ブランド"や"権威のお墨付き"が有効となってくるのです。あれはずる賢い人たちが、分からない人たちの弱みに付け込んでチョロい金儲けをやっているだけなのです。

ソクラテスの最期を描いた『ソクラテスの死』ソクラテスの最期を描いた『ソクラテスの死』(ジャック=ルイ・ダヴィッド画 1787年)

分からないならば分からないで良いではありませんかね。それを認知することが人間としてより良くなるための第一歩です。美意識はなくとも、知識や体力で勝負することだってできます。人間の価値は美意識があるかないかだけではありません。

ソクラテスは賢者であるという評判が広まる一方で、無知を指摘された人々やその関係者からは憎まれ、数多くの敵を作ることになった結果、最終的には裁判で死刑にされてしまいました。ソクラテスの死後はソクラテスが予言した通り、アテナイの人々は不当な裁判によってあまりにも偉大な人を殺してしまったと後悔し、告訴した人々を裁判抜きで処刑してしまったそうです。

そんなソクラテスは「ねたみは魂の腐敗である。」という名言も残しています。言い得て妙、偉大な古代ギリシャの哲学者たちの凄さは学ぶたびに、私にはその深淵が見えなくなっていきます。

アールデコのヴィーナスとキューピッドがモチーフのロッククリスタルを使ったリバース・インタリオ・ペンダントの傑作

さて、美的感覚がない人々が世の中の大半を占め、二度と新しく真に優れたジュエリーを作れなくなった現代。

今のこの時代に於いても、当時優れたジュエリーをオーダーしていた確かな教養と美的感覚を持つ王侯貴族たちのように、芸術品としての価値を理解できる人がごく少数でもいることに嬉しさも感じます。

価値を理解し、宝物の次の持ち主になってくださるヘリテイジのお客様たち。

真に優れたアンティークジュエリーは、たくさんの人に理解してもらう必要はないのかもしれません。

それぞれの時代にただ一人でも価値を理解してくれる人がいれば、私たちが死んだ後の次の時代にもこの宝物たちは輝き続けることができるのです。

まさにそれは、宝物たちが永遠の命を持つと言えることだと思います。

マイクロパール(極小天然真珠)で羊と柳を表現した1792年のモーニング・リングの傑作

『柳と羊』
マイクロパール リング


フランス 1792年
SOLD

さて、さんざんその価値についてご説明してきた大きさのあるロッククリスタルですが、古い時代の使われ方の1つがこのような風防というわけです。

贅沢過ぎて、にわかには信じがたいほどです。まあでも風防の中のメインの作品の素晴らしさを見れば、至極納得です。

マイクロパール(極小天然真珠)の美しいアンティーク・ペンダントマイクロパール ペンダント
イギリス 1800年頃
SOLD

最高の芸術品に相応しい、最高級の風防がロッククリスタルの風防です。

風防付きのジュエリーは当時の最高級品として作られているからこそ、市場にも滅多に出てきません。

この、風防があるジュエリーは昔から感覚的にとても好きとGenが言っていました。

44年も昔、Genは日本で最初にアンティークジュエリー・ディーラーを始めました。

当然ながら専門書などもなく、最初は知識を元に買い付けることはできません。頼りは自身の目利き力だけです。

その点では、やっぱり優れた感性と目利きの力を持っているな〜と思いました。

『ロシア皇帝エカチェリーナ2世』(パリ 1780-1781年)V&A美術館 【引用】V&A MUSEUM © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

やはり今回の宝物と同時代に作られたロシア皇帝エカチェリーナ2世のエナメルボックスの肖像画も、ロッククリスタルの風防でバッチリ守られています。

2-3. 面積と厚みのある特別な風防

2-3-1. ロッククリスタルの面積

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

この作品に使われているロッククリスタルは、面積と厚みがあることも特徴です。

ジョージアンの美しい女性のミニアチュール・メンズ・リング アンティークジュエリー ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー ジョージアン ミニアチュール リング
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

リングと違って、ブローチはかなりの面積が必要です。

風防として使用できるサイズのロッククリスタルを手に入れるだけでも大変です。

2-3-1. ロッククリスタルの厚み

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

Genがロッククリスタルの風防の厚みにとても驚いていました。

何故かというと、これほど厚みがあるものは今までなかったからです。

18世紀のハイエンドクラスのミニアチュール・リング フランスの18世紀の指輪のシャンク
ミニアチュール リング
フランス 18世紀
SOLD

これは18世紀のハイエンドクラスの細密画のリングです。

今回の作品と同じようにフレームが八角形ですが、ロッククリスタルの風防はこのようにフラットな形状です。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

このように八角形で厚みのあるドーム型に均一に整えるのはかなり難しいことで、わざわざこんな形状にするなんて余程のこだわりがなければやらない細工です。

ダイヤモンドの勿忘草とブルー・ギロッシュエナメルが印象的な18世紀の高級ペンダント 18世紀のアンティークの高級ペンダントに付けられたロッククリスタルの風防

18世紀後期の特別オーダーで作られた超高級なペンダント『忘れな草』も、今回の作品に匹敵するほど厚みのあるロッククリスタルの風防が使われています。

中のダイヤモンドの忘れな草に厚みがあるため、風防にもこれだけの厚さが必要だったと言えます。

『忘れな草』
ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント
フランス? 18世紀後期(1780年〜1800年頃)
¥1,400,000-(税込10%)
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー しかしながらこの作品の中身はフラットな細密画なのです。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー 風防に厚みを持たせる必要はありません。

2-4. 風防に込められたイギリス紳士らしい愛のメッセージ

ミニアチュール(細密画)ブローチ アンティーク・ジュエリー
細密画に描かれているのは、これをオーダーした男性にとって愛しい意中の女性・・。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

「か弱く美しいあなたを、強い私が全力でお守りします。」

細密画を汚れや傷から守るために取り付けられる風防。ロッククリスタルの厚い風防には、そんな男性からの熱い想いのこもった愛のメッセージが込められているような気がしてなりません。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

宮廷に引き籠もり、エスプリを交えながら社交に耽ることを是として楽しんだフランス貴族と違い、イギリス貴族の男性は男らしさを非常に重要視していました。か弱き女性を男らしく守る、それを細密画だけでなくブローチの作り全体で表現したこの作品は、まさにイギリス紳士らしさ満点の宝物なのです♪

そして、この作品を見ただけで贈られた女性もそのメッセージに気づかなければなりません。教養とセンスを必要とする、高度なやりとりによる恋愛。この作品は非常に王侯貴族らしい、愛のジュエリーですね♪

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

ロッククリスタルは厚いですが、不純物が見えない上質な石が使われているため、正面から見たときにはそれを感じさせない透明感があります。

また、高度な技術を持つ職人によって均一な形で整えられているため、レンズ効果で絵が歪んで見えることもありません。

存分に細密画を楽しむことができます。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー 風防が厚いと、斜めから見た時にとても高級感もありますね。
ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

裏側

18世紀の細密画ブローチの裏にセットされた当時のイギリス貴族の男性の細密画

裏側には、何故かちょっとずれていたのですが男性の肖像画ミニアチュールが入っていました。

男性の髪型にご注目ください。

リージェンシー時代のイギリスを代表する細密画家リチャード・コズウェイの1770年頃の自画像細密画家リチャード・コズウェイの28歳頃の自画像ミニアチュール(1770年頃)

これはジョージ4世のイケメンな肖像画ミニアチュールを描いた、リージェンシー時代のイギリスの代表的な細密画家リチャード・コズウェイの1770年頃の自画像ミニアチュールです。

同じような髪型ですね。

この時代は髪粉やウィッグを使ったりして、白などのヘアスタイルにするのがイギリスでも流行していました。

18世紀の細密画ブローチの裏にセットされた当時のイギリス貴族の男性の細密画

従ってこの男性は、ブローチをオーダーしたイギリス貴族の肖像画ミニアチュールと推測します。

オーダーしていた240年ほども前のイギリス貴族の顔が分かるなんて、ビックリかつ貴重な宝物ですね。

ミニアチュール(細密画)
ブローチ アンティーク・ジュエリー

正面の細密画では、木立の奥から女性を見つめる控えめな姿の男性。

裏に肖像画ミニアチュールを入れたのは、「いつでもあなたと共におり、見守っています。私のことも想っていてください。」という贈った女性に対するメッセージでしょうか。

ここまで愛を込めた、センスの良い贈り物をされたらどんなに感動したか想像に難くありません。

18世紀後期のイギリス紳士

このブローチも240年ほども前の愛し合う2人のための本来のお役目は終わり、男らしくも控えめなイギリス紳士も、少し奥にお引きになられたのでしょうか。

イケメンそうな紳士の顔がちょっと気になりつつも、歴史を経たこのチラリズムな感じも何だか愛おしくさえ感じます。

時を超えた小さな宝物。そして芸術作品でもある宝物。
手元で見て心癒されるだけでなく、ブローチとして身に着けて楽しんだりもできるなんて、アンティークジュエリーって価値が分かる人にとっては本当に、最高に贅沢な宝物ですね。