No.00175 REBIRTH

セセッション(ウィーン分離派)の躍動感あふれるゴールド・ネックレス

セセッション(ウィーン分離派)の優れたデザインのジュエリーです♪

 

セセッションは、ドイツ語圏内におけるアールヌーボーと言える芸術運動、ユーゲントシュティール(Jugendstil)に属します。

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ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

『REBIRTH』
セセッション(ウィーン分離派) ネックレス

オーストリア 1905〜1910年頃
天然真珠、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ローズカットダイヤモンド、プラチナ、14ctゴールド
ペンダント:5.0×4.5cm
セミハンドメイド・チェーン:45cm
クラスプ:ボックス型
重量:8.8g
SOLD

イギリスでアーツ&クラフツ運動やエドワーディアン、フランスではアールヌーヴォーだった時代に、オーストリアでセセッションと言う時代を遙かに先取りした芸術会派がありました。
セセッション(ウィーン分離派)のジュエリーは、同時代のフレンチヌーヴォーに比べて作られた数がずっと少なく知名度が低いため、「フレンチ・ヌーヴォー」のように名前で変に値段が高騰しておらず割安感があるのも魅力です。先鋭的なその優れたデザインは、値段を抜きにしても、オシャレなものが好きな方ならば確実に心を射貫かれると思います♪

実物大

 

セセッション(ウィーン分離派)

セセッション(ウィーン分離派)の天然真珠&ダイヤモンドのアンティーク・ゴールドネックレス

このペンダントのデザインを見て、みなさんはどう感じましたか?

作られたのはアールヌーヴォーと同時期ながら、曲線的で退廃的とは違った、アールデコを連想させるようなシャープで先進的な雰囲気と生命の躍動感のような物が感じられます。

セセッションジュエリーは作られた期間が短く、数も少ないためアールヌーヴォーやアールデコの陰に隠れて知名度が低いのですが、デザインの感覚的に優れた方ならば一瞬見ただけでその魅力に取り付かれたのではないでしょうか。

少し歴史的背景も見ていくことにしましょう。

セセッション誕生の背景

『ダナエ』(グスタフ・クリムト 1907-1908年)
グスタフ・クリムト(1862-1918年)1914年、52歳頃

19世紀末のオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンは『世紀末ウィーン』と称されるほど、史上稀にみる文化の爛熟を示しました。

その世紀末ウィーンを代表する画家がクリムトです。その独特の作風は特に若い女性に人気で、来年2019年も日本でクリムト展が予定されているほどです。

当時ウィーンにはクンストラーハウスという芸術家団体が存在しましたが、その保守性に不満を持つ若手芸術家でクリムトを中心に1897年に結成されたのがウィーン分離派、セセッションでした。

ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956年)32歳頃

セセッションには絵画だけでなく、彫刻、工芸、建築など様々な芸術家が参加しました。

建築家、デザイナーとして有名なヨーゼフ・ホフマンもその中心メンバーの1人でした。

私も実はヨーゼフ・ホフマンがデザインしたソファを、研究者としてつくばにいた時代からずっと愛用いています。購入した時は有名デザイナーだからとかそういうことは全く意識していなかったのですが、セセッションのデザインは元々私の好みなのかもしれません。

展示施設セセッション館の建設

セセッション館(分離派会館)(1897-1898年)
"Secession Vienna June 2006 005" ©Gryffindor(June 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0
世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのは保守派のクンストラーハウスだけでした。

左は1898年に、建築家ヨゼフ・マリア・オルブリッヒの設計により建てられた、展示会をするためのセセッション館です。セセッションはその思想を建築に象徴させることで、この運動を広く早く認知させることに成功しました。

白亜で直線基調の建築に、金色を効果的に用いて動植物をモチーフとした彫刻が施されています。正面上部の月桂樹のドームはそのインパクトある姿から『金のキャベツ』と呼ばれています。 この印象的な金の使い方はクリムトの影響かもしれません。

『接吻』(クリムト黄金時代の代表作 1907-08年)

クリムトは印象的な金箔の使い方をした作品を多く遺しており、それらを制作していた時代を『黄金時代』と言います。

クリムトは同時代の多くの芸術家同様、日本の文化の影響を強く受けています。日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面などの美術工芸品を含むプライベートコレクションからも明らかです。1900年にセセッション館で開かれたジャポニズム展は、分離派とジャポニズムの接近を象徴するイベントでした。

【国宝】『燕子花図』(尾形光琳 1701-1702年)根津美術館
【国宝】『紅白梅図』(尾形光琳 1658-1716年)MOA美術館

特に琳派や浮世絵の影響は、クリムトの諸作品のベースあるいは細部の随所に顕著に見て取れます。クリムトの作品を見ると先進的な感じがしますが、実は日本にそのインスピレーションの元があったことが、こうして見てみるとよく分かります。

『ユディトI』(グスタフ・クリムト 1901年)

セセッション館ではこのようにジャポニズム展をはじめ、同時代のヨーロッパの新しい芸術を紹介し、建築や装飾、絵画、工芸品などの垣根を越えて芸術全体を統一することを目的としました。雑誌などのメディアもうまく利用して次々活動や作品を紹介していきました。

1898年から1905年のクリムト脱退までの期間に23回の展示会が開催されており、会場デザインはホフマンが手掛けていました。

結局セセッション内でもクリムト、ホフマン、モーザー、オルブリッヒによる国際的な総合芸術、つまり工芸品までも含めた芸術を目指す一派と、純粋芸術を目指す保守派とで商業主義を巡る対立が起き、クリムトらは脱退してしまいます。セセッションとしての美術史上に残る活動期間は1897-1905年までのわずか8年の短命に終わったのでした。

ウィーン工房の設立

ウィーン工房のショールーム
"Wiener Werkstatte Laden" ©ingen uppgift(1920)/Adapted/CC BY-SA 3.0

1903年、セセッションに参加していたホフマンとモーザーがパトロンからの支援を受けてウィーン工房を設立しました。

住宅、インテリア、家具をはじめ、宝飾品からドレス、日用品、本野装幀など生活全般に関わる様々な分野でデザインを行っています。

ウィリアム・モリス(1834-1896年)

このようなトータルデザインを目指したのは、ウィリアム・モリスによるアーツ&クラフツ運動の影響によるものでした。

ウィーン工房自体、アーツ&クラフツ運動でアシュビーが創設した「手工芸ギルド学校」モデルにして組織されたものです。

そうは言ってもアーツ&クラフツ運動のような社会的思想はなく、デザイン面に対する関心が強い組織でした。

ウィーン工房の作品

1.【世界遺産】ストックレー邸

ブリュッセルのストックレー邸(ウィーン工房 1905-1911年)
"20120923 Brussels PalaisStoclet Hoffmann DSD06725 PtrQs" ©PtrQs(23 September 2012, 11:59:25)/Adapted/CC BY-SA 4.0

このストックレー邸はウィーン工房の代表作で、2009年に世界遺産登録されています。ヨーゼフ・ホフマンが設計し、クリムトとフェルナン・クノップフが内装を手がけました。20世紀初頭に発達した内装・外装・家具・日用品・庭園なおを不可分のものとと捉える総合芸術を体現した建物と評価されています。

建物は直線的で、曲線が主体だったアールヌーヴォーの時代にあっては革新的なものでした。キュビズムの到来を告げ、アールデコの時代の20年先取りする衝撃的なものでした。

ベルギー ブリュッセル ストックレー邸 ウィーン工房 アドルフ・ストックレーアドルフ・ストックレー(1871-1949年)

ストックレー邸の建設をウィーン工房に依頼したのはベルギーの金融業者アドルフ・ストックレーです。

1902-1904年に仕事で定期的に訪れていたウィーンでホフマンに出会い、アバンギャルド的な嗜好を共有したそうですが、ホフマンに仕事を依頼した際、計画面で白紙委任しただけでなく予算の上限も設けなかったそうです。

芸術家にとってはこれ以上ない話ですね。

クリムトらは工房の中でシャンデリアから銀食器に至るまで、内部を飾る多くの要素や家具を製作しました。

食堂は大理石、ガラス、貴石などのモザイク画に覆われていますが、それはクリムトの素描に基づいて構想され、レオポルト・フォルシュトナーによって制作されました。

ストックレー邸の装飾『生命の樹』(グスタフ・クリムト 1905-1909年) Public Domain セセッション館に飾られた植木鉢
"Secession Vienna June 2006 014" ©Gryffindor(June 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0

『生命の樹』にも見られる渦巻き模様は、セセッションン館に置いてある植木鉢の模様にも見られます。

アールヌーヴォーは世紀末の退廃的な印象が強いのですが、同じ世紀末前後の時代の作品でも、セセッションは次の時代に続くような強いエネルギーを感じます。クリムト作品もエロスや死の香りだけでなく、それらの題材から来る生命のエネルギーや躍動感を強く感じます。

ケルト模様もそうでしたが、渦巻き模様は特にそういう、生命や太陽など力強い自然のエネルギーのようなものを感じますね。

セセッション(ウィーン分離派)のサファイア&天然真珠のアンティークの渦巻き型ゴールド・ブローチセセッション(ウィーン分離派)ブローチ
オーストリア(ウィーン)1900〜1910年頃
SOLD

左は以前扱ったセセッションのブローチですが、この美しい渦巻き模様にクリムトの影響が見えますね。

同じセセッション同士で影響しあったのか、それともクリムト自身がデザインした可能性すらありますね。

2. プルカースドルフのサナトリウム

オーストリア プルカースドルフのサナトリウム(ヨーゼフ・ホフマン設計 1904年)
"Sanatoriumpurkersdorf1-2" ©Alberto Fernandez Fernandez, Roman Klementschitz(22 January 2009, 17:26)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これはヨーゼフ・ホフマンが設計したサナトリウムで、ウィーン工房の代表的な作品の1つです。幾何学的な形態による、初期モダニズム建築とされています。

プルカースドルフのサナトリウムの内装(ウィーン工房 1904年)
"Purkersdorf Sanatorium Eingangshalle 3" ©Thomas Ledl(23 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 AT

ウィーン工房のデザインは、グラスゴー派のマッキントッシュや後年のアールデコにも通じる直線的、幾何学的な装飾が特徴とされています。

プルカースドルフのサナトリウムの内装(ウィーン工房 1904年)
"Purkersdorf Sanatorium Gallerie 1" ©Thomas Ledl(23 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 AT

アールデコの時代を20年も先取りしているという表現も納得ですね。イギリスのエドワーディアンや、フランスのアールヌーヴォーと同じくらいの時期だったことを考えると、いかにこの時代にオーストリアがデザインの最先端を走っていたかが分かります。

その他のセセッションの作品

1. 日本のセセッション(ウィーン分離派)の建築

【重要文化財】神戸市風見鶏の館(1904/明治37年)"Kobe City Thomas House" ©KishujiRapid(14 November 2020, 12:07:54)/Adapted/CC BY-SA 4.0

神戸市風見鶏の館は1904年にドイツ人貿易商の住宅として建てられたセセッションの建物で、煉瓦造りの外観と、屋根の上の風見鶏が特徴です。その風見鶏により風見鶏の館と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。

 

セセッションの作品は同時代のフランスのアールヌーボーとは全く異なる、もっと先を行くデザインです。作られた時代を言われないと、もっと新しい時代のものと思われてしまいそうです。

日常の道具にまで気が配られた、心の豊かな暮らし。これこそ本当の豊かさであり、価値ある贅沢だと感じます。Genはヨーゼフ・ホフマンデザインの素晴らしいグラスも扱ったことがあるそうですが、残念ながら写真は残っていませんでした。


セセッション(ウィーン分離派) ネックレス アンティークジュエリー 実物大
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オーストリアの作品はなかなかご紹介する機会がないので馴染みがない方も多かったと思います。

セセッションによる活動や思想がどのようなもので、どういう作品が生み出されていたのかが分かれば、この作品の傑出したデザインと作りの良さも納得しやすいのではないでしょうか。

フレンチヌーボーの退廃的とも言える曲線とは違い、20年近くも先のアールデコを思わせるシンプルで鋭角なラインはさすがセセッションのデザインです。

プラチナの輪の上方に絡みついた渦巻きの表現は、円形ではなくシャープな楕円形の渦巻きとなっており、とてもスタイリッシュな印象です。

センターのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの台座は若干内側に凸状となった四角形なのも、作者のセンスの良さを感じます。

 

ゴールドの色も良く、さらに高度なつや消しの技術を感じさせる美しいマットゴールドの輝きが素晴らしいです。よく見ると、ヤスリをかけた跡が段階的な地模様となっており、さらに格調の高い雰囲気を醸し出しています。
完全に滑らかに仕上げてしまうのではなく、段階的にヤスリをかけて縦のラインを作ることで美しい地模様を表現するというセンスの良さに感動です!♪



ダイヤモンドのフレームと、月桂樹の輪はプラチナにゴールドバックとなっています。

このセセッションのネックレスが作られたのはイギリスで言えばエドワーディアンであり、プラチナが一般のジュエリー市場に出始めたばかりのとても高価だった時代の証です。イギリスのエドワーディアン同様、プラチナにはとても美しいミルが施されています。

エドワーディアンはルネサンスやヘリテイジのカタログである程度は見慣れた方も多いと思いますが、エドワーディアンの技法でアールデコのような先進的なデザインのジュエリーというのは、全然印象が違って別の面白さがありますね。かなり稀少なジュエリーと言えます。

セセッション(ウィーン分離派) ネックレス アンティークジュエリー

セミハンドメイドのチェーンの先端の金具にはダイヤモンドがあしらわれています。

ペンダント本体と、ダイヤモンドが付いたチェーンの金具を連結するパーツは、イチョウを流線型で描いたような、植物をイメージする独特の形になっています。

この独特の形をしたパーツも自由に動くので、実際に身に着けたときに胸元に自然に沿いますし、デザイン上でも単調には終わらない重要なポイントとなっています。

白く美しい天然真珠も、全体のデザインがより美しく見えるよう、それぞれの大きさを選んで配置してあります。一番したのダイヤモンドと天然真珠のパーツは揺れる構造です。

小さなパーツに至るまで、全てに計算されたデザインを感じます。

セミハンドメイドのチェーンは輪は機械で作っていますが、一つ一つ丹念に職人による手作業で鑞付けしてあるので、細くても100年以上の使用に耐える耐久力があるのです。余りにも手間が掛かるので、今ではすべて機械で作った量産の耐久力のないチェーンしか作れないのです。

ハンドメイドでセーフティーが付いたボックス型のクラスプは、アンティークらしい高級感があって良いですね。ボックス型のクラスプはオーストリアのネックレスらしい特徴です(ボックス型クラスプならば全てオーストリア製というわけではありません)。

 

非常に立体感がある見事な作りです。ゴールドも心地よい重量感を感じる、厚みをもった贅沢な作りで、全体的にとても高級感があります。

 

この裏の作りと仕上げを見れば、如何に丁寧な良い作りかが分かります。


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シンプルな組み合わせながらも計算しつくされたデザインは決して装飾過多になることなく、身に着けた時、華やかさや存在感がありながらも格調高さと気品に満ちあふれています。

定番で使うこともできるのに地味にならない、これぞアンティークジュエリー好きの中でも知られざるセセッションの名品です♪