No.00112 知性の雫
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『知性の雫』 |
揺れが美しい、ドロップ型のピアスです。大きすぎず、日常で使いやすいのが良いですね!♪ |
ピケの考案
象牙細密彫入りのピケの小箱 フランス 1780〜1800年頃 SOLD |
ピケは1600年半ば頃にイタリアで考案され、主に教会の祭祀用具として作られていました。それがフランスに伝わり、技術が飛躍的に進化しました。最初に作られていたのは主に小物入れなどの箱です。 |
フランスからイギリスにもたらされたピケの技法
フランス王アンリ4世 |
ナント勅令 |
フランスでは1562〜1598年の40年間近くにわたり、カトリックとプロテスタントが休戦を挟みながらのユグノー戦争と言われる内戦がありました。ユグノーというのは、カトリック側からのプロテスタントの呼称です。 |
フランス王ルイ14世 (1638-1715年) |
「竜騎兵の迫害(1681年)」を描いたプロテスタントの版画 | 1661年にユグノーを敵視するルイ14世がフランス政府の実権を握ると、竜騎兵の迫害政策を始め、ユグノーはカトリックに改宗するか他国へ移住するかを迫られました。最後はナント勅令を正式に取り消すフォンテーヌブロー勅令が発令され、フランスにおけるプロテスタントは非合法化されました。 ユグノーの多くは改宗ではなくフランスを去ることを選び、ほとんどがイングランド、プロイセン、オランダ、スイスへ移住しました。 |
ピケでジュエリーが作られるようになったのは1800年代初期です。べっ甲という素材自体の珍しさと、英国人好みの地味な雰囲気が好まれて流行したのです。1850年代から1880年代にかけて流行はピークに達しました。1870年頃に機械を使った安価な量産品が作られるようになると、一気に魅力がなくなって飽きられ、1885年頃にはほぼ作られなくなってしまいました。技術も途絶え、ハイレベルのピケはもう作ることはできません。 |
ピケでジュエリーが作られるようになったのは1800年代初期です。べっ甲という素材自体の珍しさと、英国人好みの地味な雰囲気が好まれて流行したのです。1850年代から1880年代にかけて流行はピークに達しました。
1870年頃に機械を使った安価な量産品が作られるようになると、一気に魅力がなくなって飽きられ、1885年頃にはほぼ作られなくなってしまいました。技術も途絶え、ハイレベルのピケはもう作ることはできません。 |
ピアスの裏側にももちろん、繊細な模様が象嵌されています。
髪をアップスタイルにした時、後ろに立った人からはピアスの裏側も見えるわけですから、美意識の高い当時の感覚からすれば裏側にも細工をするのは当然のことですね。 |
鼈甲がタイマイという海亀の甲羅でできていることをご存じの方は多いと思いますが。甲羅は最初からジュエリー製作に適した厚みがあるわけではありません。薄い板状の甲羅を、水と熱と圧力だけで融着させて厚い板状にしてから必要な形を作るのです。 膠質を利用して境目なくくっつけることができるのですが、かなり熟練した技が必要な行程です。このピアスも一番厚い箇所は85mm程度あり、甲羅から板を形成した上で球体やドロップなどの形状を作り、象嵌されていることが分かります。一見簡単な作品に見えても、かなり手間がかかっているのです。 日本でもセルロイドが出てくると、櫛や簪が安価な偽物で作られるようになります。しかしながら現代でも、鼈甲は見た目の良さだけでなく、天然素材ならではの肌なじみの良さで根強いファンが存在し、高級な眼鏡のフレームなどにも使われていますね。この独特の質感は何とも言えない良さがあるのです♪♪ |
ピケ独特の黒茶色で半透明の質感は、知性の深淵を覗くような重厚な印象もあります。まさにイギリス人好みのジュエリーという感じですね♪知性ある日本人女性にもとても似合いそうです!♪ ピアスの金具はシルバーですが、別途費用で18Kの手作りの金具にお取り替えできます(¥21,000-程度)。 量産金具はちゃちで壊れやすいので、ヘリテイジではアンティークジュエリーに相応しい、18Kを叩いて作る手作り金具をご用意しております。 |