No.00162 紳士と淑女 |
『紳士と淑女』 フランス 1870年頃 |
「わたしと踊ってくださいませんか?」 「ええ、よろこんで。」 麗しい当時の紳士と淑女をそのまま扇の中の世界に閉じ込めてしまったような、絵画としても素晴らし過ぎるハンドペイント♪さらに上質なシルクが作り出す半透明の美しさと、アンティークレースとマザーオブパールの幻想的な骨組の輝きがエレガントの極致を作り出す、美し過ぎる扇です。 |
使う仕草が優雅な扇は、ヨーロッパの貴婦人のエレガントな小物のイメージがあります。 しかしこの折りたたみ式の扇は、実は日本が発祥なのです。 |
折りたたみ式の扇の発祥
平城宮跡 "140531 Heio-kyo Nara Japan01bs" ©663highland(31 May 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 平城京都市の概要 |
閉じることができない団扇のような物は古く紀元前まで時代が遡りますが、現在確認されている世界最古の折りたたみ式の扇は日本の奈良時代の檜扇です。平城京(710-784年)の跡地で、東方官衙(かんが=役所)のゴミ捨て穴から、檜の薄板を組んだ檜扇が12点見つかりました。 |
平城宮跡東方官衙地区出土の檜扇 【引用】奈良文化財研究所HP / © 奈良文化財研究所 |
奈良文化財研究所により分かった檜扇の綴じ方 【引用】奈良文化財研究所HP / © 奈良文化財研究所 |
薄板に通した糸も残っており、復元につながる貴重な資料です。木簡を束ねた物で、この当時は開いて扇ぐ用途ではなくメモ帳だったとみられます。発掘された檜扇にも筆書きの文字が見えますね。 |
平安時代の扇
蝙蝠扇 "Japanese Kawahori-ogi Fan 2013-07" ©猫猫的日記本(2013年7月20日, 12:38:14)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 檜扇は冬の扇として発展することになりました。 一方で平安時代中期までに、5〜6本の細い骨を紙に貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れます。 |
紫式部(生没年不詳:生誕970-978年、1019年までは存命) | 平安時代には扇は扇ぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられました。 平安貴族の扇を使った雅なコミュニケーションは、平安時代中期の女性作家・歌人である紫式部の『源氏物語』にも見ることができます。 |
源氏物語屏風の一部『夕顔』(江戸時代前期) 岡山城 【引用】源氏物語屏風紙本金地著色(山城蔵)/岡山シティミュージアム デジタルアーカイブ |
全五十四帖の『源氏物語』の第四帖『夕顔』はご存じでしょうか。 夕顔が亡くなった後も、光源氏が「最も愛した女」として後年まで引きずり、元々愛人だった頭中将も何十年も「常夏の女」と呼び思い続けるという、モテモテ男性達を虜にした薄幸の女性です。元々夕顔は光源氏の親友、頭中将の愛人でした。しかし正妻からのいじめに耐えかね、父も亡く後ろ盾が弱かったため、頭中将の元を逃げ出して市井でひっそりと暮らしていました。 |
『源氏物語五十四帖 夕顔』(歌川広重 1797-1858年) 国立国会図書館 |
ある日、17歳の光源氏が下町で垣根に絡まる綺麗な夕顔の花を眺めていると、「それは夕顔という花ですよ」と話しかけられます。振り向くと下町には相応しくない優雅な物腰の女性で、垣根の家の使用人のようでした。光源氏が花を折り取ろうとすると、「少しお待ちください。」と留められます。 |
『扇面夕顔図』(酒井抱一 1761-1829年) | 扇を使った、何という優雅なコミュニケーションなのでしょう。 現代だと日本女性は慎ましやかにしなくてはならず、自分から男性をお誘いなどするなんてはしたないなんて昭和的価値観が一部あったりしますが、平安時代はこんなにも優雅な恋愛があって、知的な恋愛が是とされていたのです。 |
これは私がこの仕事を始めて、一番最初にGenから手渡された必読書がドナルド・キーン著書の『日本人の美意識』(1990年)です。意外でしょうか。 単にモノとしてアンティークジュエリーを販売するなら宝石学やアンティークジュエリーの様式について一通り知識をインプットしておけばそれでOKなのでしょうけれど、私たちが扱うアンティークジュエリーは単なるジュエリーではなく芸術的・文化的にも価値あるものであり、お客様にもそれを分かっていただいた状態でお求めいただかなくてはなりません。扱うハイクラスのアンティークジュエリーの価値をまずは自分自身がきちんと理解し、分かりやすくみなさまにお伝えするためにはこういう勉強は必須なのです。 |
Genが読み込んだ『日本人の美意識』 | Genがかなり熱心に読み込んでいた痕跡が見えます。リアルな場での経験値も高いですが、Genはかなりの本好きなので知識も誰よりも多いです。 こういう本を読むとよく分かるのですが、もともと日本人の美意識は非常に高く、それが身分の高い人だけでなく一般人にまで広く行き渡っているところが欧米人から見て驚くべき所なのです。 |
『彩絵檜扇』(平安時代後期 12世紀)厳島神社 |
ドナルド・キーン氏も著書で述べていますが、その日本人の「美への帰依心が殆ど宗教に近いところまで高められたのは、十世紀の宮廷」でした。平安貴族は自分が愛情を捧げる女性の美的趣味の高雅さに関しては断固として譲るところがなかったのです。女から受け取る恋文や歌の筆跡は完璧でなければならず、あるいは女の着物の袖をちらっと見ただけで、彼女の色彩コーディネートのセンスに少しでも欠けるところがると分かれば、もうそれだけで彼の恋情は一度に冷めてしまったりするのです。女の顔を見ることができないからこそ、そのセンスや知性、仕草が最重要視されていたのです。 |
第66代一条天皇后 藤原彰子(988-1074年) | 男女ともに知性と品格、さらにセンスが求められたため、身分の高い人には家庭教師がいました。 紫式部も幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多いですが、外国の書物を読みこなすための外国語の習得はヨーロッパ貴族と共通しますね。 才媛の紫式部は藤原道長の長女であり、一条天皇の后となる藤原彰子の女房兼家庭教師として奉仕しました。 |
日本文学者・日本学者 ドナルド・キーン(1922-2019年)1938年のコロンビア大学入学時、16歳 【引用】nippon.com/ Donald Keene: A life in Japanese Literture |
ドナルド・キーン氏はこの平安時代の美意識の高さについて、ルイ王朝のヴェルサイユ宮廷を連想させるとも記しています。 キーン氏はアメリカNY出身の日本文学と日本文化研究の第一人者ですが、当初コロンビア大学ではフランス文学も研究しており、フランスと比べて日本は研究者が少ないという理由で勧められて日本研究の専門となったので、フランスにもとても詳しいのです。フランス人、日本人ではなく、アメリカという外からの視点で研究できるのが強みだと思います。 飛び級を繰り返して16歳で名門コロンビア大に入るなど、元々かなり頭が良い人物です。アメリカは歴史が浅いので自国文化を研究と言うのはちょっと違ったかもしれませんね。私も努力を重ねて、他国と自国の文化に精通する人間になりたいです。 |
ヨーロッパに渡った扇
南蛮屏風の一部(狩野内膳 16-17世紀)リスボン国立古美術館蔵 | さて、16世紀に入ると南蛮貿易が始まり、日本とポルトガルの交易が始まるとヨーロッパへ日本の扇がもたらされました。 |
フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589年) | フランスでは王妃カトリーヌ・ド・メディシスが宮廷に導入し、その後フランス王アンリ4世(1553-1610年)とマリー・ド・メディシス(1573-1642年)の結婚を期に流行することになります。 ルイ14世(1638-1715年)の治世下の1678年、パリで扇職人の同業者組合が作られると、フランスの扇職人がヨーロッパ市場を席巻するようになります。 18世紀には、パリは『扇の都』と言われるまでになりました。1782年には253もの製造業者が加盟していたそうです。 |
扇の役割1. ポートレート用
いずれの女性も美しいですね〜♪ それぞれの女性の肖像画をご覧いただくと分かる通り、扇の持ち方一つで女性から醸し出される雰囲気ががらりと変わります。エレガントさと自分らしさを表現する淑女の最重要アイテムが扇であることがよく分かります。 |
扇の役割2. 秘密のコミュニケーション『扇言葉』
扇を持つ女性(Eleuterio Pagliani 1876年) | 「私、他に相手がいるの。」 |
『扇言葉』という物を聞いたことはあるでしょうか。扇を使って秘密のメッセージを相手に送るものです。18世紀のフランスの宮廷で大流行しました。舞踏会場などの騒がしい社交の場でも、扇を使った美しい仕草で相手にメッセージを送ることができる、上流階級らしい知的で優雅なコミュニケーション法です。瞬く間に様々な言語に翻訳されてヨーロッパで流行しました。 メッセージを間違えぬよう、紳士も淑女も仕草をきちんと覚えなければなりませんし、女性は仕草は間違っていなくても扇を優雅に扱えなかったら男性から興ざめされてしまいそうなので、とても高度な恋愛模様です。 |
この扇には、非常に薄いシルクが使われています。薄い布は描くときに滲みやすいものですし、滲みにくい顔料を使うとどうしても厚ぼったくなってしまいます。特別なキャンバスに腕の良いアーティストが描い絵画は人物の表情が素晴らしく、背景に至るまで実に美しく表現されています。印刷した紙で作られた一般大衆向けの安物の扇とは比べるのも失礼に感じますし、ハイクラスの扇の中でも比べても別格です! |
黒バックの画像だと、よりシルクや絵の質感が分かりやすいでしょうか。人物は少し顔料が厚めに塗られているので、その部分は扇の骨が透けていませんが、人物以外の部分は背景を描くために色を乗せてある部分であっても骨が透けて見えるくらいシルクが薄いのです。 |
カメオなどのアンティーク・ジュエリーでは、フレームがとても重要な役目を果たしています。メインのカメオの彫りが素晴らしければ、それに相応しい優れた彫金の金のフレームがあしらわれ、メインのカメオを惹き立てます。扇の場合は、フレームの役割をするのが骨です。フランスでは日本や中国のように竹は手に入らないので、木材や鼈甲、象牙やマザーオブパールが使われます。この特別な扇には、美しい象嵌が施されたマザーオブパールが使われています。 |
マザーオブパールは真珠母の内側の虹色に輝く部分をカットした物で、扇や高級なオペラグラスなどの小物や、アンティーク・ジュエリーにも部分的に使われます。 マザーオブパールにはホワイト・マザーオブパールとグレー・マザーオブパールがありますが、この扇には最上質のホワイト・マザーオブパールが使われています。どうしても画像だと虹色の輝きは伝えきれないのですが、角度を変えるたびにゆらめく虹色の輝きはとても幻想的です。 |
『幻想の畔』 マザーオブパールのサイズは真珠貝の大きさに依存するため、あまり大きな物は手に入れることができません。このため、通常は貼り合わせて使うことになります。 |
『幻想の畔』のように貼り合わせることでマザーオブパールの特徴的な輝きを惹き立てることは、強固な土台に貼って作るカードケースでは可能ですが、扇の骨となると接着するなどして継いで使うことができません。この扇の場合は扇の中でも特に大型で、骨やフレームの長さが27cmもあります。27cmものフラットで長いマザーオブパールを板状にカットするには、相当な巨大貝でなければ不可能なことは容易にご想像いただけると思います。多変驚くべきことです! |
ちなみにアコヤ真珠より大きいと言うことで1950年代から市場に出てきた、南洋真珠(養殖真珠)を作るためのシロチョウガイだと大きな物で30cmほどになるようです。それでも長さは足りていますが、この扇のように27cmもの長いフラットな板状にカットするには30cm程度では不可能です。 |
フレームはもちろん1本のマザーオブパールですが、骨も全て貴重なマザーオブパールです。上の方は象牙のように見えますが、薄いマザーオブパールと象牙という異素材を貼り合わせてこの扇を作るのは不可能です。扇いだ瞬間に接着面から折れてしまうことでしょう。 |
せっかくの虹色の輝きを持つ貴重なマザーオブパールなのに、何らかの塗料を塗って象牙のように見せているのです。 |
何故、わざわざこのようなことをしているかというと、メインの絵画の邪魔になるからです。 これだけ透明感のあるシルクが使われているため、裏側からマザーオブパールが虹色に輝くと淡く美しい色彩の絵の邪魔になってしまいます。 |
ピケ同様、ユグノー戦争によるプロテスタントのフランス国外移住によって、扇の職人と技術がヨーロッパ各地にもたらされましたが、それでも欧米の19世紀のアンティークの扇はほとんどがフランスで作られた物だ思われます。 A.Cottinetのサインがありますが、どういう画家なのかは分かっておりません。Cottinetはフランス人の姓に使われます。 いずれにしても、さすが作家物と言える芸術性の高い作品です。 |
出来が良くない作品だと人物が美しくなかったり、表情の表現力が乏しかったりするのですが、この扇は若い紳士も淑女の2人も何を考えているのか想像できるくらい表情豊かです。 身体の姿勢の表現も素晴らしいですね。ボディランゲージが正確に伝わってくるからこそ、より生き生きとして見えるのです。ちょっとした足の角度、指先に至るまでの表現。どの人物にもそれぞれの個性が見えます。 紳士の服や、淑女たちのドレスも美しく巧みに描かれています。 |
扇の一番上の大切な額縁となるレースも、ハンドメイドならではの繊細で美しいレースが使われています。この扇が如何にハイレベルの物であるかの証です。 |
繊細なレースと、透明感ある情景の人物たちの絵との優美なコラボレーションが、見る人の心をいつまでも捉えて放さないのです。 |
扇は閉じた時にも美しくあらねばならないのです。何故なら肖像画や写真を撮るときには手に持つアクセサリーとして、また階級を表すシンボルとしての役目もあったからです。 この扇の閉じた姿の美しさは格別のものがありますね。普通ではあり得ない大きさの、最上質のマザーオブパールに素晴らしい象嵌を施してあるのですから・・・。 |
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ロシア皇妃アレクサンドラ・フョードロバナ(1894年の戴冠式の正装) |
マザーオブパールの象嵌は、表と裏で若干デザインに違いがある見事な細工です。 |
状態は良いですが、古いものなので仰ぐために使うと言うよりは、額装して優れた芸術作品として絵画のように飾る方が適しているでしょう。上の画像の左から二番目の部分が表裏を逆にしてセットしてあります。おそらく以前に糸替えの補修をした際、間違えて逆にセットしてしまったのだと思います。 |
半径27cmあるので、広げると50cmくらいの優美な絵画とも言えます。使うための小物でこれほどまでに贅沢な物があったなんて、当時の一部の人たちの精神的に豊かで知性あふれる社交を思うと、思わず時を超えて私たちも豊かな気分になりますね。 |