沿革 |
1977年 | 当時29歳の片桐がヨーロッパ視察旅行でアンティークジュエリーに出逢い、地元の米沢でアンティークジュエリーの販売を始める。 |
1979年 | 赤坂にできた当時最先端のファッションビル、ベルビー赤坂の開業と同時にAtelier Katagiri出店。華やかな時代の赤坂に集う様々な人達から注目を集め、日本で初めてアンティークジュエリーの店として雑誌にも大々的に取り上げられる。TV出演なども通して、国内でのアンティークジュエリーの知名度向上と地位の確立に取り組む。 |
1988年 | Atelier Katagiri閉店。外商スタイルでアンティークジュエリーの販売を始める。大手セミナー会社からだけでなく、ホテルオークラや東京ガスなど各種企業からも講師を依頼され、その顧客を対象とした日本で初めてのアンティークジュエリー・セミナーも定期・不定期で開催。 |
1992年 | 神楽坂の早稲田通りにSong of Russia出店。インターネット黎明期に誰よりも先駆けてHPを開設し、メールマガジンによる情報発信やインターネット経由での販売も始める。 |
2005年 | Song of Russiaを市ヶ谷の現在の場所に移転。インターネットに特化し、路面店舗を持たない現在のアトリエ・スタイルに移行。 |
2009年 | 店名をルネサンスにし、新たにHPを作り直す。 |
2017年 | 以前から罹患していた難病指定の病気による重度の貧血などが悪化し、70歳を超えた年齢もあって24時間365日の働き方は困難となる。 ルネサンスから300m程度の距離にある大企業で研究職として働き、以前から片桐がその感性で集めたアンティークジュエリーが好きで頻繁に出入りしていた石田が、「サラリーマンを辞めて貯金や退職金などの自己資金で店を立ち上げ、経営などの心配はしないで済むようにするから、死ぬまでやりたいと語っていたアンティークジュエリーの仕事を身体の負担にならない範囲で良いから続けてほしい。」と申し出る。 |
2018年 | ルネサンスを閉店。1月に片桐の仕入れルート、知識とスピリッツだけを継承した石田の新たな店ヘリテイジを開店。セミリタイアした片桐は、片桐だけしか持ち得ない長年の知識と経験を生かしたアドバイスや接客などを主に行い、今に至る。 |
←ベルビー赤坂時代の店内の様子 奥の壁に展示してあるのはステッキと扇です。当時より、ジュエリーだけでなくヨーロッパの優れたアンティークの小物もご紹介していました。 |
HERITAGEメンバー |
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代表 石田和歌子 福岡県出身 元大企業の理系サラリーマン |
片桐元一 山形県出身 元古美術商3代目、米沢箪笥の企画・製造プロデューサー |
トイプードルの小元太 熊本県出身 元ルネサンスのマスコット犬 |
HERITAGE代表紹介 |
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某旧帝大で化学(物理化学)の修士号を取得後、某大手印刷会社に研究職で12年間勤務。 |
一方で社内留学先の工場で福利厚生の一環として存在した茶道部で、着物にも出逢う。 着物に興味を持つ中でアンティーク着物に出逢い、骨董市巡りなども始める。 骨董市でアンティークジュエリーも見ることがあったが、汚らしくて稚拙な作りなのに異様に高く、アンティークジュエリーは古いだけが価値の技術が低い時代のものと思っていた。ある時、趣味のネットサーフィン中に偶然ルネサンスのHPを見て衝撃を受ける。アトリエは会社から驚くほど近く、遊びに行ってみると実物の放つ深い魅力に取り付かれる。 |
70歳を超えても一人で全てを背負い、未だ夢半ばにして身体に限界が見える片桐を見て、私が100%アンティークジュエリーに力を注げばもっと早くそれを達成し、さらにもっと深い先の世界をも見ることができると感じ、私自身もそれをやりたいと考える。 新卒から10年以上勤めた大企業を退職し、ヘリテイジを開店して今に至る。 |