アンティークジュエリー・ヘリテイジについて


HERITAGEについて

約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドと天然真珠を使ったグリフィンのアンティークのブローチ

今では「アンティークジュエリー」という1つのジャンルが確立されていますが、今から40年以上も前の1970年代、日本で一番最初にアンティークジュエリーを専門で扱い始めたのは誰かご存じですか?

70代になった今でもHERITAGEで現役で活躍するアンティークジュエリー・ディーラー、片桐元一です。

HERITAGEは日本最古かつ最長のアンティークジュエリーのお取り扱い経験を誇る、高級アンティークジュエリー専門店です。

古の王侯貴族が特別にオーダーし愛用してきたハイクラスのアンティークジュエリーは、同じアンティークでも成金富裕層のオーダー品や、中産階級向けの量産品とは全く異なります。

特別なアンティークジュエリーは当時の時代背景や、持ち主の教養と感性を反映して作られています。

それらを読み解き、現代の日本人の感覚でも分かりやすくご説明することで、皆様に優れたアンティークジュエリーの真の価値をご理解いただき、外見的オシャレだけでなく心の豊かさまでも楽しんでいただければと思っております。

イギリスのジョージアンのカンティーユとオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドのクラスプが付いたロング・ゴールドチェーン

 

沿革

1977年 当時29歳の片桐がヨーロッパ視察旅行でアンティークジュエリーに出逢い、地元の米沢でアンティークジュエリーの販売を始める。
1979年 赤坂にできた当時最先端のファッションビル、ベルビー赤坂の開業と同時にAtelier Katagiri出店。華やかな時代の赤坂に集う様々な人達から注目を集め、日本で初めてアンティークジュエリーの店として雑誌にも大々的に取り上げられる。TV出演なども通して、国内でのアンティークジュエリーの知名度向上と地位の確立に取り組む。
1988年 Atelier Katagiri閉店。外商スタイルでアンティークジュエリーの販売を始める。大手セミナー会社からだけでなく、ホテルオークラや東京ガスなど各種企業からも講師を依頼され、その顧客を対象とした日本で初めてのアンティークジュエリー・セミナーも定期・不定期で開催。
1992年 神楽坂の早稲田通りにSong of Russia出店。インターネット黎明期に誰よりも先駆けてHPを開設し、メールマガジンによる情報発信やインターネット経由での販売も始める。
2005年 Song of Russiaを市ヶ谷の現在の場所に移転。インターネットに特化し、路面店舗を持たない現在のアトリエ・スタイルに移行。
2009年 店名をルネサンスにし、新たにHPを作り直す。
2017年 以前から罹患していた難病指定の病気による重度の貧血などが悪化し、70歳を超えた年齢もあって24時間365日の働き方は困難となる。
ルネサンスから300m程度の距離にある大企業で研究職として働き、以前から片桐がその感性で集めたアンティークジュエリーが好きで頻繁に出入りしていた石田が、「サラリーマンを辞めて貯金や退職金などの自己資金で店を立ち上げ、経営などの心配はしないで済むようにするから、死ぬまでやりたいと語っていたアンティークジュエリーの仕事を身体の負担にならない範囲で良いから続けてほしい。」と申し出る。
2018年 ルネサンスを閉店。1月に片桐の仕入れルート、知識とスピリッツだけを継承した石田の新たな店ヘリテイジを開店。セミリタイアした片桐は、片桐だけしか持ち得ない長年の知識と経験を生かしたアドバイスや接客などを主に行い、今に至る。

ベルビー赤坂のアトリエ片桐の店舗

←ベルビー赤坂時代の店内の様子

奥の壁に展示してあるのはステッキと扇です。当時より、ジュエリーだけでなくヨーロッパの優れたアンティークの小物もご紹介していました。

 

HERITAGEメンバー

酒好きで藍染めの着物姿の女性代表 石田和歌子
福岡県出身
元大企業の理系サラリーマン
アンティークジュエリー・ディーラー片桐元一片桐元一
山形県出身
元古美術商3代目、米沢箪笥の企画・製造プロデューサー
  シルバーのトイプードル小元太トイプードルの小元太
熊本県出身
元ルネサンスのマスコット犬

 

HERITAGE代表紹介

某旧帝大で化学(物理化学)の修士号を取得後、某大手印刷会社に研究職で12年間勤務。

研究開発分野では特許を取得したり、社内での業績表彰も数回受けるなど実績を重ねる。本格的な研究開発活動以外に、技術関連のマーケティングやロードマップ作成などの戦略的な職務にも携わる。異例の2度の社内留学も経験。地域活性化などのエリアマネジメント系コンサルタントや、ルーブル美術館を始め世界の名だたる美術館と仕事する関連部署と連携し、企画・プロモーションも経験。営業と共に新規開拓した鉄道事業者へのプロモーション企画が採用され、主担当した初案件ながらもプロジェクトマネージャーとして実施に至るまでのマネジメントを行い、新聞などのメディアにも掲載される。

アンティークジュエリー・ヘリテイジ代表の石田和歌子

木蓮を描いた昭和初期の黒いアンティークの帯

一方で社内留学先の工場で福利厚生の一環として存在した茶道部で、着物にも出逢う。 着物に興味を持つ中でアンティーク着物に出逢い、骨董市巡りなども始める。

骨董市でアンティークジュエリーも見ることがあったが、汚らしくて稚拙な作りなのに異様に高く、アンティークジュエリーは古いだけが価値の技術が低い時代のものと思っていた。ある時、趣味のネットサーフィン中に偶然ルネサンスのHPを見て衝撃を受ける。アトリエは会社から驚くほど近く、遊びに行ってみると実物の放つ深い魅力に取り付かれる。

美術館で「個人蔵」と書かれた素晴らしい宝物を見るたびに羨ましく思いつつ、そのクラスの宝物は当代が入手したわけではなく、手に入る時代に個人が入手し、代々家に伝わるから所有できているわけで、現代でコネクションのない個人では入手不可能と考えていた。

アトリエでミュージアムピースのピエトラュラのバングルとピアスに出逢い、「着けて出かけることはないかもしれないけれど、夜な夜なこれを見てお酒を飲む個人蔵の楽しみ方ができたら毎日幸せな気分になれるだろうな。」と思い購入。

アンティークジュエリーの魅力に魅了され、片桐とは感性や美的感覚が非常に近く、すぐに意気投合したこともあって頻繁にアトリエに出入りするようになる。情熱のまま、サラリーマン・スキルを生かしてHPをより良くするための構造を提案したり、実際に手を動かして手伝いなども始める。

白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)のアンティーク・バングル
白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)とカンティーユのピアス(アンティークジュエリー)

70歳を超えても一人で全てを背負い、未だ夢半ばにして身体に限界が見える片桐を見て、私が100%アンティークジュエリーに力を注げばもっと早くそれを達成し、さらにもっと深い先の世界をも見ることができると感じ、私自身もそれをやりたいと考える。

新卒から10年以上勤めた大企業を退職し、ヘリテイジを開店して今に至る。