No.00153 太陽の使い

ササン朝ペルシャの太陽の使い「鶏」のニコロ・インタリオ・リング

醸し出されるエキゾチックな雰囲気に思わず魅了されてしまう、古のペルシャのインタリオの傑作です♪♪
でも、この『太陽の使い』はそれだけではないのです・・♪

 

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
極めて貴重な古代ペルシャの第一級のインタリオと、1830年頃のフランスの第一級のエナメルワークのシャンクがコラボレーションした、まさに存在することが奇跡と言える文化・芸術を極めたリングです!!♪

 

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル 『太陽の使い』
ニコロ・インタリオ リング

ササン朝ペルシャ 7世紀頃
ニコロ(天然のままのオニキス)

シャンクはフランス 1830年頃
シャンルベ・エナメル、18ctゴールド

インタリオの大きさ1.2cm× 1cm
サイズ 10(変更可能)

¥1,880,000-(税込10%)
実物大
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
稀少で市場にはあまり出て来ることがないササン朝ペルシャのインタリオですが、実は古代ギリシャや古代ローマの第一級のインタリオにも勝るとも劣らない名品が作られていました。『太陽の使い』に使われている石は、ニコロという天然のオニキスの一種です。黒い層の下地の上に、僅かに青みもしくは灰色み、茶色みがかった白い層が乗っているのが特徴です。
太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

ニコロは独特の雰囲気を持つ石の美しさもあり、古代ローマ時代では最も人気があった石です。古代のインタリオ愛好家にとっても垂涎の的なのですが、ササン朝ペルシャのインタリオにもこのような美しいニコロのインタリオがあったとは驚きです!

ニコロの石としてのクオリティの高さと、その彫りとデザインの良さから間違いなく高貴な身分の人が作らせた特別な物ということは分かりますが、まずはそのモチーフが何なのか、ちょっと考古学者になった気持ちで検証して参りましょう。

ササン朝ペルシャの第一級の作品を見る機会なんて滅多にありませんから・・♪

候補として挙げられる『ペルシャの鳥』3種

PDペルシャ伝説の鳥『シームルグ』の絹織物(ササン朝ペルシャ 6-7世紀) 『ホロホロ鳥』 "Numida meleagris -Serengeti National Park, Tanzania-8(1)" ©Bob(11 February 2007)/Adapted/CC BY 3.0 『ニワトリ』 "Gallus gallus male Kaziranga 1" ©Lip Kee Yap from Singapore, Republic of Singapore(15 April 2008, 19:55)/Adapted/CC BY-SA 2.0
ニコロ インタリオ 鶏 ゾロアスター教

ニコロの鳥には特徴的なトサカと肉ひげが認められます。

伝説の鳥がデフォルメされた物なのか?
それとも当時のペルシャに存在し、トサカと肉ひげという特徴を兼ね備えたホロホロ鳥かニワトリのどちらかなのか?

日本人にとってニワトリ以外は馴染み深い鳥ではないので、詳しく検証する前にまずはどういう鳥なのか見ていきましょう。

ペルシャの伝説の鳥『シームルグ』

『シームルグ』シルバープレート(ササン朝ペルシャ 7-8世紀)"Sassanid silver plate by Nickmard Khoey" ©Nickmard Khoey(18 Sptember 2008)/Adapted/CC BY-SA 2.0

シームルグはペルシャ神話に登場する伝説の鳥で、美しい羽毛を持ち、慈愛に満ちた鳥の王と言われています。象や鯨さえ運べるほど巨大だったそうです。

1700年の寿命を持ち、300歳になると卵を産み、その卵は250年かかって孵化します。やがて雛が成長すると親鳥が火に飛び込んで死ぬとされています。羽毛は美しいだけでなく、癒しの力も持っています。

フェニックスと通ずる所がありますよね。世界各地に類似の不死鳥、伝説の鳥の話がありますが、その原型とも言われています。

”シームルグ”にはペルシャで30という意味もあり、シームルグは30羽の鳥の集まりとも言われています。

ある時、鳥たちが鳥の王を決めようとしましたが該当する鳥はいませんでした。その中で最も賢い鳥フープーが伝説の鳥『シームルグ』に会いに行こうと提案しました。30羽の鳥がシームルグが住むと言われる地に辿り着いた時、湖に映る巨大な鳥を発見しました。シームルグとは、自分たち30羽の鳥の集合体だったという話です。集合の英知ですね。

アルボルズ山脈系のダマーヴァンド山(標高5,610m) "Fichier:Damavand(5671)from polur in winter - panoramio" ©Alireza Javaheri(31 janvier 2008)/CC BY 3.0

これはシームルグが住むと言われるアルボルズ山脈の中部に位置するダマーヴァンド山です。イラン最高峰であり、アジア全土で最も高い火山でもあります。神々しく美しい山ですね。今でこそこうやって上空から俯瞰で山を見ることができますが、日本人にとっても昔は山は恐ろしい場所でもありましたね。何が住んでいるのか分からないとか、「神隠し」があったり、山そのものがご神体だったりもしたわけです。これほど大きい山は日本にはありませんから、象も運べる巨大鳥伝説が興っても全く不思議ではありません♪

『シームルグ』ナディール・ディヴァンベギ・メドレセのモザイク(1622年) "Nadir Madrasah Phoenix" ©Alaexis(August 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

世界ではメジャーとは言えないイラン神話の中では、シームルグは抜群の知名度を誇ります。

トロンプ・ルイユで有名なエッシャーの『球面鏡のある静物』(1934年)や『もう1つの世界』(1947年)などの作品にも出てくるので、ご存じの方も多いと思います。

エッシャーの作品では不気味な人面鳥として描かれていますが、実際の所シームルグの姿にきちんとした統一イメージはありません。

長い年月と地域を越えた伝承を経る中で、他の鳥と習合したり変遷を繰り返した結果でしょう。

『ホロホロ鳥』

ホロホロ鳥 ガーネット インタリオ リング ササン朝 ペルシャ ルネサンス アンティークジュエリー 古代

『ホロホロ鳥』
ガーネット インタリオ
ササン朝ペルシャ 3〜6世紀(シャンクはモダン)
SOLD

実はかなり前に、ササン朝の鳥モチーフのインタリオをもう1点扱ったことがあります。ホロホロ鳥がデフォルメされた、現代アートを思わせる素晴らしいデザインでした。使われていた石も、古代の物では滅多に見ることがない透明感ある上質なガーネットでした。

ホロホロ鳥 ガーネット インタリオ リング 古代 ササン朝 ペルシャ エンシェントジュエリー ホロホロ鳥 インタリオ ササン朝 ペルシャ
『ホロホロ鳥』
"Numida meleagris -Serengeti National Park, Tanzania-8(1)" ©Bob(11 February 2007)/Adapted/CC BY 3.0

ホロホロ鳥はアフリカが原産で、エジプト経由でヨーロッパに入って来た鳥です。

鶏よりも早い時期から飼育が始まり、美食家だった古代ローマの皇帝や貴族に珍重されていました。

今でもフレンチの人気食材で、とても美味しい評価が高い鳥です。

『パイナップル』同様、当時は希少価値が高く特別な身分の人しか食せない「高貴な鳥」という位置づけでした。

『ニワトリ』

鶏 アゲート インタリオ リング 古代ローマ アンティークジュエリー エンシェントジュエリー 鶏 古代ローマ インタリオ

古代ローマの鶏のインタリオも扱ったことがあります。

グルメのイメージが強い古代ローマですが、貴重な食材としてだけでなく、軍鶏や占い用にも使われていました。占い用の聖なる鶏を殺してしまい、裁判で追放の判決を受けて死んでしまった執政官もいたくらい特別視された鶏もいたようです。

『鶏』
アゲート インタリオ
古代ローマ 1〜2世紀(シャンクはモダン)
SOLD

?????

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

シームルグはその姿がはっきりして定まっていません。30羽の鳥の話だと頭部はフープーが担っています。頭の上の冠形状はフープーの特徴と一致しますが、嘴の下の肉ひげの様な物はフープーにはない特徴です。

一方で、インタリオの鳥に見られるような華やかな尾羽はホロホロ鳥にはない特徴です。鶏だったとして、ササン朝ペルシャではどういう位置づけだったのでしょうか??

一体このモチーフは何の鳥なのか?さらに検証を深めていく必要がありますが、その前にいまいち日本ではメジャーではないペルシャの文化についても理解しておきましょう。

ペルシャ文化および美術のレベルの高さについて

PD『東方遠征 イッソスの戦い(紀元前333年)』
左:アレキサンダー大王、右:ペルシア王ダレイオス3世 作者不明

欧米の映画の影響もあって、ペルシャは文明レベルが低い野蛮な国というイメージの方もいらっしゃると思いますが、実はそうではありません。ペルシャ帝国と言えば大体アケメネス朝(紀元前550-紀元前330年)もしくはササン朝(226-651年)を指すのですが、とても大事なことなのでアケメネス朝についても少しお話しておきましょう。

【世界遺産】ペルセポリス宮殿群(アケメネス朝ペルシャ 紀元前520年着工)
"Persepolis, Iran, 2016-09-24, DD 64-68 PAN" ©Diego Delso(24 September 2016, 11:25:31)/Adapted/CC BY-SA 4.0

これはアケメネス朝ペルシャのダレイオウス1世が紀元前520年に建築に着手した、ペルセポリス宮殿群です。現在は世界遺産となっています。

【世界遺産】ペルセポリス宮殿群(アケメネス朝ペルシャ 紀元前520年着工)
"Persepolis reliefs 2005a" ©travelling runes(8 June 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.0

所謂宗教都市で、ペルシャ帝国最大の祝祭ノウルーズ(新年の祭り)や即位式など、重要な儀式は全てここで行われたと言われています。天文観測所としての機能もあったようです。

当時のペルシャ文明は、実は世界規模でした。都市の中心「謁見の間」へと続く階段の壁には、東はインドから西はアフリカ諸国まで23の民族がペルシャに貢物を捧げる姿が描かれています。

残念ながらアレキサンダー大王に破壊され、その後復興されることはありませんでした。それでも今なお、当時の凄さが伝わって来る遺跡となっています。

PDアレキサンダー大王(紀元前356-紀元前323年)

『神の如き英雄アレキサンダー大王』の話は歴史浪漫としても英雄伝としても面白いため、どうしても正義のアレキサンダー大王に対して、滅ぼす対象の蛮族ペルシャのイメージが作られがちです。

しかしながら実際は、大王が東方遠征した時代のペルシャは超先進大国だったのです。

一方でアレキサンダー大王のマケドニアは武力以外に何も誇れるものがないようなレベルでした。

実際の構図としては、武力だけしか持たない野蛮な民族マケドニアが、高度な文明大国ペルシャを侵略して征服したというのが本当の所です。

ペルシャ帝国の高度な行政組織や軍制、文化に触れて、アレキサンダー大王は自分たちのレベルの低さに愕然とし、滅ぼすのではなくそのまま残し、取り込んでいくことにしたのです。

上のペルセポリスを見たアレキサンダー大王は、「ギリシャよりも遙かに美しい」と絶賛し、4ヶ月も住んだそうです。その後に火を放って破壊しました・・。

『アレキサンダー大王とスタテイラ、およびヘファイスティオンとドリュペティスの合同結婚式』
(作者不明 19世紀後期)
アレキサンダー大王にとってペルシャは卑下の対象ではなく、こうなりたいという憧れの対象だったことが分かるエピソードは多々あります。大王自らペルシャの慣習に従い、それを部下たちにも強制していました。また、大王自らペルシャ王ダレイオウス3世の娘スタテイラ2世、そして先々代のペルシア王アルタクセルクセス3世の娘パリュサティス2世と結婚しています。部下たちにもペルシャ貴族の女性たちと集団結婚するよう強制しました。卑下の対象だったらこんなことするわけがありませんね。むしろ憧れを抱いていたペルシャ人になりたかったのではと感じてしまう程です。

ササン朝ペルシャの芸術文化

ササン朝ペルシャ(226-651年)の620年頃の最大領土
"Sasanian Empire 621 A.D." ©Keeby101(19 March 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

左はササン朝ペルシャ(226-651年)の620年頃の最大領土です。

4世紀末にローマ帝国が滅亡した後、ヨーロッパは長い暗黒時代に突入します。

この時世界で最も栄えていたのがペルシャだったのです。

アレキサンダー大王に一度滅ぼされた後、ペルシャ文明とギリシャ文明が融合し、世界でも稀にみる高水準の文化『ヘレニズム』が生まれました。さらにローマやアジア圏の文化などとも融合しながら、世界的レベルにまで昇華したのが後のササン朝ペルシャの芸術文化なのです。

ササン朝の美術工芸はシルクロードを旅して日本にも入ってきています。奈良の正倉院に眠る宝物でも、ササンガラスの『白瑠璃碗』や『瑠璃の杯』は有名ですね。ササンガラスの高い芸術性は、世界からも非常に高く評価されており、類似のササンガラスは世界にいくつも残っています。その中でも正倉院の所蔵品は眠っていただけあって、他には類を見ないほど状態が良く、とても貴重とされています。

検証1.ササン朝におけるシームルグの表現

絹織物(ササン朝ペルシャ 6〜7世紀頃) シルバープレート(ササン朝ペルシャ 7-8世紀)
"Sassanid silver plate by Nickmard Khoey" ©Nickmard Khoey(18 Sptember 2008)/Adapted/CC BY-SA 2.0

「ええと、これは何のページだったっけ?」となりそうですが、そろそろ話を本題に戻しましょう(笑)
ササン朝はガラス以外の工芸についても、その芸術性の高さや技術の高さで、世界史上で非常に高い評価を得ています。ササン錦と呼ばれる絹織物や銀製品、建築物などが有名で、それらにもシームルグの姿が見られます。この時代のシームルグは、頭が犬で表現されています。

検証2.ササン朝におけるホロホロ鳥の表現

PD『ホロホロ鳥』レリーフ(ササン朝ペルシャ 6世紀頃)メトロポリタン美術館 太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

ササン朝ペルシャのレリーフに、ホロホロ鳥が彫刻されたものが存在します。

ガーネット ホロホロ鳥 ササン朝ペルシャ インタリオ リング

ササン朝の『ホロホロ鳥』がモチーフのインタリオも、高価な石と上質な彫りによる高級品だったことから、ホロホロ鳥の位置づけが高かったことは間違いないでしょう。

美味ながら王侯貴族しか口にすることができなかった、ヨーロッパにおける王の富と権力の象徴『パイナップル』と同じような存在だったと推測されます。ただ、ニコロの鳥に見られる尾羽の特徴は、レリーフのホロホロ鳥とは一致しません。

検証3.ササン朝におけるニワトリの位置づけ

【参考】古代ペルシャの宗教

PDゾロアスター教の創始者ザラスシュトラ(紀元前13世紀?〜紀元前7世紀?)の生涯

ササン朝の国教はゾロアスター教でした。

古代ペルシャを起源とし、善悪二元論を基軸とした「世界最古の一神教」と言われています。

世界最古の予言者と言われるザラスシュトラが創始者とされ、ゾロアスターの呼称の由来ともなっていますが、その活動は今なお不明な所が多いです。

『アテナイの学堂』の一部(ラファエロ 1509年)
天空儀を持っている人物がザラスシュトラ(紀元前13世紀?〜紀元前7世紀?)※古代ローマのストラボンの説あり

ゾロアスター教の創始者ザラスシュトラは、『アテナイの学堂』でラファエロが描くような人物でもありました。日本ではあまり有名ではありませんが、ヨーロッパの知識階級から見るとわりと有名人と言えるでしょう。

PDゾロアスター教の経典「アヴェスター」の一部

ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論です。経典によると、アフラ・マズダーが至高の神として存在します。この世はアフラ・マズラーに率いられる善神群と、大魔王アンラ・マンユ率いる悪神群の戦いの場であり、「生命と光」v.s.「死と闇」の闘争が常に存在します。

「拝火教」と言う名前から怪しげなイメージを持たれがちですが、火のみならず水、空気、土も神聖なものとして捉えられています。

「地上の生活の中には神が創造した多くの善きものが存在する。己自身がアフラ・マズダーの被造物であることを感謝し、これら善きものを享受せよ。」と言われており、人は人生を楽しむことを心がけなければならないそうです。「人生は祝祭だ!♪」という考え方の、実はとても明るい宗教なのです。

「鳥葬」もイメージが強くて、日本人にとっては野蛮な印象があるかもしれませんが、死んだら恩返しをするという考えによるものです。生きるために食べていた他の生き物の食料になることで、少しでも恩返しをするのです。生命の循環ですね。死後、鳥に身体を与えることは人生で最後の功徳とされているそうです。

ゾロアスター教では長い善と悪の戦いの後、最後の審判で善が勝利することが決まっています。その後の世界は善なるものしか存在しません。

人は生涯において善思、善語、善行の三徳を求められ、その実践に応じて臨終に裁きを受け天国か地獄のいずれかに旅立つとされました。その後、善が勝利した後の理想世界への転生が約束されています。
どこかで聞いたような話ですよね?この終末論的な考え方は、のちの後期ユダヤ教やキリスト教、さらにはイスラームにも引き継がれたのです。現代では決してメジャーではない宗教ですが、その後の世界の多くの宗教に影響を与えているのです。

【参考】アケメネス朝ペルシャの宗教

ペルセポリスに残されたフラワシの彫刻(アケメネス朝) "Persepolis - carved Faravahar" ©Napishtim(January 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

このゾロアスター教は、紀元前6世紀にアケメネス朝が成立した時には既に王家の中枢をなすペルシア人の殆どに信奉されていました。ペルセポリスにもその痕跡を見ることができます。

フラワシはゾロアスター教の善を象徴する守護霊で、この世の森羅万象の宿るとされています。あらゆる自然現象を起こす霊的存在で、善のために働き、助けを求めている人を救うであろう、ゾロアスター教における神の神髄を表す存在です。

【参考】ササン朝ペルシャの宗教

アフラ・マズダー(右)より王権の象徴を授受されるアルダシール1世(左)(ナクシェ・ロスタム 3世紀)
"Naqsh i Rustam. Investiture d'Ardahir 1" ©APhoto Ginolerhino 2002(31 July 2010, 21:55)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ペルシャ帝国の再現、すなわちアケメネス朝ペルシャの復興を目指したササン朝初代君主アルダシール1世は、その正当性を示すために宗教を利用しました。

ササン朝ペルシャの国教をゾロアスター教と定めたのです。軍事的天才であっただけでなく、行政的統治能力にも長けており、宗教的プロパガンダを利用したのです。

【参考】ゾロアスター教におけるニワトリの位置づけ

木の上で鳴く赤色野鶏のオス "Junglefowl on tree" ©Philip Pikart(30 March 2015, 17:21:14)/Adapted/CC BY-SA 4.0

鶏は言わずとしれた、夜明けを知らせてくれる鳥です。

アフラ・マズダーは光明神でもあり、太陽は言わばアフラ・マズダーそのものです。このような性質から、鶏は犬と共に暗黒の悪魔を追い払う神聖な生き物という特別な地位を与えられていました。雄鳥は悪霊と魔術師に対峙させるために創造されたのだそうです。

ちなみに今でこそイメージがあまり良くない『鶏』ですが、現在鶏としてイメージするブロイラーなどが品種改良で登場したのは割と近代になってからです。ササン朝にいたのは赤色野鶏(セキショクヤケイ)と言われる野生種で、極めて用心深く「飼い慣らせないヒョウ」のようだと言われる品種です。その美しい出で立ちは、メソポタミアに人々に「コーネリアンのひげを持つ鳥」と言われたほどです。

赤色野鶏のオスとメスたち "Gallus gallus -Kaziranga National Park, Assam, India-8" ©Lip Kee Yap(15 April 2008, 12:11:11)/Adapted/CC BY-SA 2.0

普通の鳥と同じように雌鳥は地味です。

当時の鶏は肉付きが悪く、卵も毎日産むわけではないので食用にはあまり向いていなかったようです。

このニワトリ信仰も、「ペルシャの鳥」「太陽神の使い」として他の宗教へと伝播しています。

【参考】ササン朝滅亡とゾロアスター教の衰退

天使ジブリールから掲示を受けるイスラム教予言者ムハンマド『天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド』1307年頃、ラシッド・アルディン作、エディンバラ大学所蔵

国教にまで上り詰めたゾロアスター教ですが、7世紀半ばにイスラム教の侵攻によりササン朝が滅亡すると、次第に取って代わられることになります。

強制的な改宗は求められなかったのですが、イスラムの戦略勝ちでした。人頭税の支払いを条件として信仰を認めるという形をとったのです。イスラムの平等な教えや、ゾロアスター教に比べると楽な儀式や行事に魅力を感じたり、税金が無くなることや奴隷から解放されることを目的として改宗が進んだのです。

【参考】ササン朝が滅ぼされる頃のゾロアスター教

レオ10世 ローマ教皇 ラファエロどこかの法王(ローマ教皇レオ10世)

実はササン朝が滅ぼされる頃、ゾロアスター教徒は多くの税金や複雑な儀式に苦しんでいました。さらに教徒を導くはずの祭司もお金や権力に目がくらみ、汚職が蔓延している状態でした。だから簡単に教徒の心が離れてしまったのです。

就任に当たり、「現世の享楽を謳歌する」と宣言しちゃったどこかの法王様の時代を彷彿とさせますね(笑)彼の時代も文化は大きく発展しましたが、宗教改革が起きちゃってます。

モチーフの結論

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル "Junglefowl on tree" ©Philip Pikart(30 March 2015, 17:21:14)/Adapted/CC BY-SA 4.0

このインタリオのモチーフは雄鳥の赤色野鶏、聖なる神の使い『ニワトリ』で間違いないでしょう。インタリオの作りの良さと、高価な材料を使っていることからも、持ち主はゾロアスター教が最も富と権力を持っていた時代において、かなり高い地位にいたゾロアスター祭司だと推測されます。

疫病神退治をする安倍晴明(921-1005年)、泣不動縁起より

もちろん怪しげな宗教家をイメージするのは誤りです。政治と宗教が密接な関係にあった時代において、宗教的に高い地位にいることは政治的に高い地位にいることと同等です。

イメージとしては陰陽師の安倍晴明が近いでしょうか。陰陽師は公務員のようなもので、安倍晴明は天皇の側近として政治的に重要な役割を担っていました。ササン朝ペルシャの規模は、日本の平安時代レベルではないので桁違いに凄かったであろうと想像できます。

<インタリオの際だったレベルの高さ>

石自体の魅力

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

このニコロは青みがかった白い層の色合い、黒い層との境目のグラデーションが実に絶妙で、最上級の石です。この石に彫刻を施すからこそ、インタリオ全体として独特の雰囲気を持つ見事な芸術作品となるのです。

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル ニコロの特徴

薄い水色の層と、黒い層の境界が絶妙なグラデーションになっています。

コロコロ スネーク カフリンクス ヴィクトリアン 縞瑪瑙 ルビー『コロコロ スネーク』
チェーン式カフリンクス
イギリス 19世紀後期
SOLD
縞瑪瑙
この石のように、境界がはっきりした物やもっとぼやけたものを使うと、全く違った印象になったことでしょう。石に合わせてデザインや表現技術を駆使するのが優れたアーティストですね。

インタリオの魅力(アーティスティックな表現力/彫りの技術)

古代ローマ ニコロ インタリオ 海馬 ヒッポカンポス『ヒッポカンポス(海馬)』
ニコロ リング
古代ローマ 1世紀頃(シャンクはヴィンテージ)
¥3,000,000-(税込10%)
古代ローマ ニコロ インタリオ 犬『犬』
ニコロ リング
古代ローマ 1世紀頃(シャンクはモダン)
SOLD
古代ローマ ニコロ インタリオ 人と羊『人物と山羊』
ニコロ リング
古代ローマ 2世紀頃(シャンクは19世紀)
SOLD
太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

上の3つは、過去に販売した古代ローマのニコロです。並べて比較すると、同じ様な素材を使っていてもデザインや表現法が全く異なることが分かります。

ニコロは下が黒い層で、その上に薄く青みもしくは茶色みを帯びた白い層が乗っているのが特徴です。
古代ローマの作品は黒い層までしっかり彫り込んで、モチーフをはっきりとシルエット風に彫ってあります。一方ササン朝の『太陽の使い』は、白い層の厚みを巧みに変えて黒い層の透け方をコントロールし、美しいグラデーションを使って鳥を表現しています。

敢えて黒い層が全く透けないように彫刻した部分もあります。その部分はまるでギロッシュエナメルのような地模様にも見え、その繊細な表現により鳥の羽や羽毛の柔らかな質感までもが伝わってきます。

小さな小さな石の中から、作者の天才的な表現力の高さが伝わってきます!♪

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル 粘土に押した画像 鶏 インタリオ ペルシャ文字

他のニコロの作品と比較して白い層が厚いのは、こういう表現をしたかったからに他なりません♪ニコロはアーティスティックな表現に向いており、幻想的な雰囲気も出せることから古代のカーバー(彫り師)に好まれました。その芸術性、ここに極まれりという感じですね。
画像では立体感が伝わりにくいのですが、鳥の頭や胴体は相当彫り込まれているため粘土では目や胴体の模様は追随できていません。外周の文字はペルシャ文字と推測されます。持ち主の名前なのかモットーのようなものか、気になる所ですが解読できませんでした。こんなに小さなスペースにわざわざ愛らしい花まで彫ってあり、音符のように見える文字と相まって楽しそうな雰囲気でいっぱいです♪♪


太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル 太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

斜めから見ると、いかに深い彫りか感じ取ることができます。それにしてもこの鳥は、見る角度や光の当たり方で表情が変わるのが不思議です!!♪
古代ローマのインタリオは印鑑としての実用的な役割を兼ねて作られた物が多いのですが、このササン朝ペルシャのインタリオは印鑑としての役目というよりも、アートを意識して作られているからだと考えられます。そこが古代ローマのインタリオとの違いで、興味深いところです。

古代ローマは印鑑として庶民でもインタリオを持っていたため、現代でも遺跡から低レベルの物ならいくらでも出てくるのですが、ササン朝の物は貴重なので市場でもあまり見ることはありません。

シャンクについて

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

オリジナルでないにも関わらず、エキゾチックな魅力溢れるインタリオの雰囲気にシャンクの雰囲気がピッタリと合っています!♪

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

このシャンクは1830年頃のフランスで作られた物です。

ナポレオン遠征の後、古代のインタリオが大流行し持ち帰ったインタリオが19世紀当時のシャンクにセットされることは多くありました。
しかし、こういう特別でしかも素晴らしいシャンクは見たことがありません。

いつの時代、どの国にも考古学的な研究活動があり、専門家が存在します。当時のフランス人もインタリオの正体を分かっていた上で、相応しいシャンクを作らせたに違いありません。

<ペルシャの青>

シャンクのエナメルの色使い

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

ご覧の通り、シャンクには指に付けると見えない所にまでレベルの高いエナメルが驚くほど丁寧に施されています。シャンルベエナメルであったり、曲面部分への細工、多色使い・・。エナメルも凄いですし、このような造形にゴールドを削り出すのも相当な手間がかかっているはずです。これらが相まってエキゾチックな雰囲気を醸し出していますが、そのポイントとなるのが「青」という色です。

ペルシャの色と言えば青であることは有名で、古い建築物の内外装も青を基調としてものが多く残っていますが、その理由ははっきりしていません。美しいターコイズが産出するからとか、砂漠の乾燥地域にオアシス的な存在を作るためなどの説があります。さらには古代ペルシャ人が「世界は巨大なサファイアの上にあり、空が青いのはサファイアの色が反射している」と信じていたからという説まであります。いずれにせよ、ペルシャ・イラン建築物は美しい青の建物が多いです。いくつか代表的な3つの建物を見ていきましょう。

【ペルシャ・イラン建築@】ヤズドのジャーメ・モスク(13〜14世紀)

"Masjed-e Jomeh, Yazd" ©Ivan Mlinaric from Slovenia(11 December 2007, 09:13)/Adapted/CC BY 2.0
"Mezquita del Viernes, Yazd, Iran, 2016-09-21, DD 10" ©Diego Delso(21 September 2016, 10:21:53)/Adapted/CC BY-SA 4.0

Al-e Bouyeh王朝のAla'oddoleh Garshasb治世下に建てられた、現存するイラン最古のモスクです。

1324年から1365年にかけて大規模に改修されました。

イランの14世紀の傑出した建物の1つと言われています。

【ペルシャ・イラン建築】シェイク・ロトフォッラー・モスク(1619年)

"Sheikh Lotfollah Mosque, Isfahan 01" ©Bernard Gagnon(29 October 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ペルシャのシャー・アッバス1世治世下、1603年に建設が始められたイスファハンにあるモスクです。イラン建築の建築的傑作の1つと言われています。

"Sheikh Lotf Allah 3D aa" ©Self(2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0
"Sheikh Lotfollah Mosque, Isfahan,Iran" ©Amirpashaei" (23 September 2020, 15:51:22)/Adapted/CC BY-SA 4.0

【ペルシャ・イラン建築B】イスファハンのイマーム・モスク (1630年)

"Masjed-e Imam (Umam Mosque), Isfahan (5113691065)" ©Fulvio Spada(12 August 2007, 16:56)/Adapted/CC BY-SA 2.0

イマーム・モスクは、イマーム広場の南側に位置する世界遺産のモスクです。絶頂期を迎えたサファヴィー朝のイスラム建築を代表する壮大で華麗な建物で、創立者シャー・アッバース1世を記念してマスジデ・シャー(王のモスク)と呼ばれていました。

"Mezquita Shah, Isfahan, Iran, 201-09-20, DD 68-70 HDR" ©Diego Delso(20 September 2016, 11:26:02)/Adapted/CC BY-SA 4.0
"Imam Mosque 3Daa" ©Monfie(2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0
フランスの建築家パスカル・コストがペルシャに訪れた際に描いたイマーム・モスク(1841年)

 

いくつかの代表的な建築物をご覧になって、ペルシャ・イラン建築の素晴らしい造形と青を基調としたカラフルな色使いを感じて頂けましたでしょうか?シャンクを作らせた19世紀のフランス人も、ペルシャ=青と分かっていて作らせたことは想像に難くありません。もしかしたら、直接この華麗な建築美術も見たことがあったのかもしれませんね。
太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
もちろんペルシャ由来なだけでなく、芸術文化レベルが最高潮に達したササン朝において身分の高かった人物がお金をかけて作らせた特別なインタリオだったことも分かっていたはずです。でないとここまで手間とお金をかけた素晴らしいシャンクをオーダーするはずがありません。
太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル

シャンクをフランスの優れた職人にオーダーした当時の持ち主も、一体どういう人だったのでしょうね。間違いなく知性と教養に溢れる上流階級だったことでしょう。19世紀初期も、古くから伝わってきた歴史と時代考証があったはずです。それを元にして作られた芸術品・・。ロスチャイルドのお城で見たルネサンス期の名品『Aldobrandini Tazze』を思い出します。

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
ペルシャ風 エナメル リング

360度全てが完璧な芸術作品です!♪本当に素晴らしいです!!

ササン朝ペルシャのインタリオ×フレンチエナメルの美しきコラボレーション♪

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル 粘土に押した画像 鶏 インタリオ ペルシャ文字

このインタリオに描かれた音符のようにも見える、流れるように綺麗な文字はペルシャ文字です。ペルシャには日本の書道に相当する文化もあるくらいです。

ササン朝ペルシャ君主ホスロー1世に援助を求めるラクミドの支配者(1700年以前)

この絵は1700年よりも前に描かれた、ササン朝ペルシャ君主ホスロー1世の姿です。学芸を手厚く保護し、ササン朝ペルシャの文化的発展に寄与しただけでなく、自身も哲人王と呼ばれるほど学芸に秀でた君主です。背景の流れるようなペルシャ文字が綺麗ですね。まさに楽譜を見てるようで、美しいメロディが聞こえてきそうです♪

イランの公用語はペルシャ語なので、今でもその響きを聞くことができます。文字同様にその美しい音の響きも古くから有名で、西洋の人々に「東洋のフランス語」と謳われてきました 。何とペルシャ語で「ありがとう」は「merci(メルシー)」と言うのだそうです。

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
古のペルシャと1830年頃のフランス、いずれも芸術的評価が非常に高い時代です。それぞれの最高の芸術および技術的表現が時空を超えてコラボレーションした、まさに奇跡的な作品なのです!♪西洋のフランスと東洋のフランスと言う相性の良い組み合わせも、『太陽の使い』のリングが全体として絶妙なハーモニーを醸し出している理由だと思います。身に付けてももちろん楽しめますし、眺めて古代ペルシャや1830年代のフランスに思いを馳せるだけでもとても楽しい宝物ですね♪♪普段使いは躊躇される方でも、ちょっと高級なフランス料理店にニワトリやホロホロ鳥を召し上がりに行く際はぜひ付けて行って欲しいです♪

ササン朝の繁栄について

古代ローマのディアナのガーネット・インタリオ・ゴールドリング 『ディアナ』
古代ローマ インタリオ・リング
古代ローマ 1世紀〜2世紀
SOLD

長い歴史の中で、なぜ『太陽の使い』が制作された時代に、なぜペルシャが繁栄したのか詳しく知りたい方はぜひ、『ディアナ』のページに書いた通史もご参照ください。

繁栄を極めた古代ローマから、なぜペルシャに『知』や『芸術文化』が移動したのかがご理解いただけるはずです♪