アンティークドレス・コレクションのイメージビジュアル
ご挨拶
 40年以上も昔、ヨーロッパでもアンティークジュエリー市場は黎明期でした。そんな時代、1975年に当時28歳だった片桐元一はヨーロッパでアンティークジュエリーに出逢い、日本で初めてのアンティークジュエリー・ディーラーとなりました。
 日本が高度経済成長期を終え安定成長期に入った1979年、華やかなりし赤坂の地に『ベルビー赤坂』がオープンします。不思議なほどの多くの御縁に導かれ、それまで実績がなかったにも関わらず片桐はこの最先端のファッションビル、ベルビー赤坂に出店することになりました。それが『Atelier KATAGIRI』です。今では赤坂の地を離れて30年も経ちますが、片桐の特別な才能や人柄を評価して下さる赤坂時代からのお客様に支持され、普通なら到底考えられない素晴らしいアンティークドレスのコレクションをHERITAGEでご紹介できる運びとなりました。

 

CHIC  Antique Dress Collection
「糸の宝石」総ボビンレースのアンティークのウェディングドレス 「糸の宝石」ボビンレースを使った段々フリルが可愛らしいジゴ袖(レッグ・オブ・マトン・スリーブ)のアンティークのウェディングドレス アーツ&クラフツの影響が見えるS字型ラインのアンティークのウェディングドレス
アールデコのフランス製の総ビーズのアンティークドレス アールデコのフランス製のフレンチ・ジェット・ビーズが見事な漆黒のアンティークドレス(ジン、ベスト) ヴィクトリアンの貴重なマント(ケープ)

 このアンティーク・コレクションは現代で言えば世界でもごく少数の特別な人たちしかオーダーできない、ファッションの最高峰『オートクチュール』の中でも特品クラスに相当するミュージアムピースのコレクションです。
 広い赤坂の店舗ではジュエリーに限らず、アンティークの最高の手仕事が施された美しいヨーロッパのドレスもご紹介していました。現代ではどんなに高価でもほぼ量産の既製品(プレタポルテ)ですが、アンティークの時代の王侯貴族にとっては今で言うオートクチュールが当たり前でした。30年ほど前にはヨーロッパでもそのようなドレスを扱うお店がいくつかありましたが、いつの間にかそのようなお店も全てなくなってしまい、市場から姿を消してしまいました。
 30年ほど前という時代、傑出した感性を持つトレジャーハンターGENだからこそ探し出してこれた、現代では入手不可能な奇跡のコレクションです。

※各ドレスの詳細は後述いたします

 

アンティークジュエリーとアンティークドレス
〜特別なオーダーによる最高の手仕事の世界〜

 貧富の差が極端だった昔のヨーロッパでは、国の大半を占める一般人=貧乏人でした。着るものにも困る時代でした。一方で現代は一般人=中産階級であり、衣服は大量生産の既製品の中から選ぶことができます。
 選択肢が無限に存在すると、はっきりした価値観を持たない人はむしろ「選択」「決断」することができず返って困ってしまいます。ターゲット層にとって無難で受け入れやすい、職業デザイナーがデザインして大量生産でコストを下げて販売する既製品は、ある意味価値観がはっきりしない一般的な人々にとっては都合が良いのです。

ヨーロッパの代々続く由緒正しい王侯貴族でしっかりと教養を身に付けた人物あっても、自分なりの価値観や優れた感性とセンスを持てるのは、持って生まれた才能に恵まれたごく一部の人だけです。

王侯貴族だから、お金持ちだから、教養を身につけているから、それだけで足りるわけではありません。これらは必要条件であって十分条件ではないのです。

『Black Beauty』で日本の貴族、バロン西のお話をしました。

2016年のリオネジャネイロオリンピックまでで、馬術競技においてメダルを獲得した唯一の日本人です。

西竹一(バロン西)と愛馬ウラヌス(どちらも1945年没)

乗馬自体がお金持ちしかできないスポーツですし、金メダルに輝いた大賞典障害飛越競技は馬術競技の中でも最も高度で、かつ最も華やかなものとされ、当時はその名誉に相応しく、オリンピックの掉尾を飾る競技としてメインスタジアムで行われるのが恒例でした。

西は日本の爵位を持つ本物の貴族で、このような世界が注目する大会で素晴らしい形で金メダルを獲っています。

1932年ロサンゼルスオリンピック馬術大賞典障害飛越個人競技

欧米人からイギリス紳士のようだと称され、「バロン西」と呼ばれてロス市長から名誉市民賞まで授与されていますが、それは単に貴族で金メダリストだったからなだけでなありません。

175cmという優れた体格とハンサムな顔立ち、流暢な英語や外国人にも臆さない社交センスと振る舞いももちろんですが、それに加えて持ち物に至るまで、全てに誰もが憧れるような別格のセンスを持つ人物だったのです。

ロサンゼルスタイムスの記事(1932年)

歴代の愛車はアメリカ・リバティー、そしてクライスラー、リンカーンのオープンカーという派手さでした。

左は西が時折披露していた、愛馬による車越えです。

人馬の命かけた危険な荒技ですし、高価なクライスラーが駄目になる可能性もあります。このあたりも貴族の遊び心満点です。

愛馬による車越え

アメリカでも、当時珍しかったラジオ付き12気筒スポーツカー『パッカード・コンバーチブル』を購入し、ゴールドの塗装を施して毎日馬場やパーティ会場まで乗り着けていたのです。

ゴールドのパッカード・コンバーチブル、日本人とは思えない感性ですね。

でも、成金のようなダサいことにはならず、抜群のセンスで乗りこなしていたということなのでしょう。

パーティでのバロン西

スタイルも精神も大変にオシャレな人物だったという、西を良く知る人物の証言も残っています。

馬具も全て特別製で、フランスのエルメスの馬具、エルメスの特注のブーツを履き、拍車もフランスやイギリスの特別製だったそうです。

リヴィエラ・カントリー・クラブでの西(1932年)

やったことがないと実感を持って理解しにくいですが、特別製をオーダーするのは実はとても難しいことです。

ある程度は職人と相談しながらデザインを決めるはずですが、結局はどんなにダサくなりそうでもオーダー主がこうするようにとオーダーすれば、要望に応えてオーダー通り忠実に作るのが職人です。

センスが悪い人がオーダーするとダサいものしかできませんし、オーダー内容があやふやだとつまらない無難なものしかできません。

オーダーでものを作るというのは、実は大変難しいことなのです。西の周囲の人物も、時代や交友関係を考えればオーダーでものを作るのはある程度やっていた人たちのはずですが、難しいのに見事にオーダーメイドでセンスの良いものを作り、皆が憧れるほどカッコ良く使いこなしていたかこそ、このようにエピソードとして語り継がれているのです。

西のエルメスのブーツ

髪型についても帝国軍人らしい丸坊主は頑なに拒み、当時の流行であるヴァレンティノ風に7:3にピッタリとなでつけていました。

何と軍服もヨーロッパで特別誂えの仕立てで、軍帽も自分好みに横に大きく張り出したデザインで『西式軍帽』と言ったそうです。

色だけ変えるとか、ちょっと飾りを付けるくらいならば素人でも可能ですが、デザインにまで新しいスタイルを生み出すことができるのがこのような特別な人たちです。

ところで、バロン西の奥様もかなりの美人です。

バロン西と妻子(1936年)
イギリス王妃アレクサンドラと王エドワード7世

バロン西は「一見何の苦もないようなことだけれど、実は大変難しいことをさりげなくやってしまうという、ダンディズムを体現したような男性だった。」と言われていますが、イギリスのダンディと言えばこの人、エドワード7世との共通点の多さも面白いです。

1875年以降、フランスは第三共和政になって王侯貴族がパトロンになる時代は終わりましたが、世界の王侯貴族や富裕層が特別なものをオーダーする職人の街ではあり続けました。

イギリス王妃アレクサンドラと王エドワード7世
イギリス王はフランス製でダーティ・バーティと揶揄されるエドワード7世の風刺画

エドワード7世も「イギリスの王はメイド・イン・フランス」なんて風刺が書かれるくらい、フランスでジュエリーも洋服もオーダーしていました。

エドワード7世もバロン西も奥様はかなりの美人ですし、職人の国フランスで素晴らしいものをオーダーし使いこなす抜群のセンス、教養の深さ、高いコミュニケーション力(社交)という共通点。

誰もが憧れる、生き方を含めて存在そのものがダンディ。

だからこそバロン西がイギリス紳士のようだと、欧米の上流階級社会でも憧れと尊敬の対象になったのです。

ダーティ・バーティの風刺画
天然真珠とエイグレットの髪飾りが美しいマリー・アントワネット

男性の話ばかりしましたが、女性でこれができていた一人がマリー・アントワネットですね。

フランスが職人大国となったのは、フランス革命前のこのようなセンスの良い王侯貴族の存在が大きかったように感じます。

また、マリー・アントワネットの場合は当時のヨーロッパの大国オーストリアの名家ハプスブルク家出身であったことも大きいかもしれません。

生粋のフランス人ではなく、名家出身のオーストリア人である彼女が外から持ち込んだ習慣が、現代まで続くフランス文化にもたらした影響ははかりしません。

彼女も職人と密に相談しながら、新しいスタイルを生み出すことができた、傑出した才能を持つ数少ない人物です。

フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793年)
宝石言葉による秘密のメッセージが籠もったジョージアンのREGARD(敬愛)ロケット・ペンダント

現代でも宝石の頭文字で秘密のメッセージを伝えるアクロスティック・ジュエリーは人気ですが、この普遍の人気を誇るジュエリーもマリー・アントワネットが発祥です。

フランスのジュエリー・デザイナー、ジャン=バティスト・メレリオ(1765-1850)と共に編み出したと言われています。

傑出したアイデアを出し、意見を言い合うことでアイデアを磨き、さらにパトロンにまでなってくれるセンス抜群の王侯貴族は、デザイナー(職人)にとって最高の存在です。

秘密のメッセージREGARD ロケット・ペンダント
マリー・アントワネットのファッション大臣と言われた平民出身の仕立屋ローズ・ベルタン

このマリー・アントワネットの時代には『ファッション大臣』と言われるほど活躍したのが、平民出身の仕立屋ローズ・ベルタンでした。

トータルで優れたセンスのファッションを提案できる女王の仕立屋ベルタンは、フランスで初めての有名ファッションデザイナーであり、オートクチュールを一般的な存在とした人物として広く知られています。

1770年、ベルタン23歳の時に自身のドレス店をオープンしています。

ローズ・ベルタン(1747-1813年)
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス

マリー・アントワネットが王妃に即位する前の1772年、マリーが17歳の時にベルタンが紹介されます。

マリーにとっては8歳年上、ベルタンはセンスも腕も良い頼れるお姉さんという感じもあったでしょうか。

1774年にルイ16世がフランス王に即位すると、戴冠式直後からベルタンは週2回のペースで最新の作品を女王に提案するようになります。

細部に至るまでの2人の情熱は相当なもので、打ち合わせには毎回何時間も費やしたそうです。

ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス(ロイヤルオンタリオ博物館蔵)
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレスの刺繍

日本でも昭和初期頃は、京都の中心地には通りに1軒は刺繍をする工房があったそうです。

京都に旅行した際、偶然知り合った地元の上品な老婦人から懐しむお話を聞かせてもらったことがあります。

そのような針仕事が身近にあった時代を知る人ならば、その大変さと価値は容易に想像できるかもしれません。

でも、現代ではほとんどの方がもう想像できない時代だと思います。

ファッションの最高峰、オートクチュールは現代でも伝統的な作り方をします。

ドレスの拡大
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレスの刺繍

コルセットなど特別な部分を除いては全て、ミシンを使わずお針子が一刺し一刺し手縫いで完成させます。

刺繍もレースもすべて手編みです。大変な技術が必要な上に、時間もかかります。

数度の仮縫いを経てから最後の本縫いをします。オーダー主もその度に打ち合わせが必要ですし、本人も的確に要望を伝えられないと完璧なものは仕上がりません。

ドレスの拡大
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレスの刺繍

現代は既製品(プレタポルテ)でも十分に選択肢がある時代です。

オートクチュールは、デザインもオーダーした人物だけのためのものです。たった1人のために特別な才能を持つデザイナーがデザインするのです。

素材は最高峰のものを使用しますし、さらにはその製法から、お針子さんの人件費など様々な費用が膨大に膨らむことがご想像できると思います。

ドレスの拡大
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス

世界に一体どれだけオートクチュールをオーダーできる人がいると思いますか?

現在オートクチュールの各メゾンの顧客の合計総数ははっきりしませんが、毎シーズンごとに注文する顧客は世界中で500人くらいと言われています。

多いと思われるでしょうか?

ドレスの側面
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス

顧客は王侯貴族や世界各国のファーストレディ、有名女優たちだと言われています。該当しそうな人を思い浮かべてください。

500人というのはいかに限られた特別な人たちであるかがご想像いただけると思います。

ドレスの側面
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス

オートクチュールは最高の服飾素材を用いた熟練した職人の手仕事によるオーダー品なので、シンプルなスーツ1着でも300万円程度からと言われています。

美しいシルエットのレースやビーズ刺繍の装飾的なドレスなどは数千万円以上はかかります。

しかも仮縫いなどの打ち合わせのために、何度かメゾンに足を運ばなければなりません。海外からオーダーする場合は大変です。

金銭的に余裕はあるか、時間的にも余裕があるのか、これは多少の富裕層程度では無理なハードルです。

ドレスの正面
ローズ・ベルタンによるマリー・アントワネットのドレス

マリー・アントワネットとローズ・ベルタンの功績によって、フランス革命後もパリはファッションの職人の街として発達しました。

20世紀初頭までにパリには多くの高級仕立屋が乱立し、『オートクチュール』の規格も曖昧な状態でした。

ドレスの正面
オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルト

それを現代まで続くパリ・オートクチュール組合(1868年創設)として組織化したのがイギリスからやってきたデザイナー、シャルル・フレデリック・ウォルトです。

オートクチュールの父として有名な人物です。

ウォルトは王室の顧客も複数抱えていましたが、その1人のフランス皇后ウジェニーからは豪華なイブイングドレスや宮廷服、仮面舞踏会の注文を一手に引き受ける立場にあったそうです。

オートクチュールの父シャルル・フレデリック・ウォルト(1825-1895年)
ウォルトのメゾンのドレスを纏ったフランス皇后ウジェニー

1869年のスエズ運河開通までの間に皇后がウォルトに発注を決めた服は250点にも及んだとも言われています。

ウォルトのメゾンは開業時、従業員数は50人ほどでしたが、メゾンの成功と共にどんどん増えて1200人にも達したそうです。

ウォルトが作品に高い完成度を要求したため、細部に対するぬかりない注意力と高い技術、熟練を職人たちにも求めたのですが、特に王族級のオーダーともなれば千人を超える熟練の職人の中からさらに精鋭中の精鋭だけが選ばれて仕事をしたわけです。

現代ではそんなエリート職人を育てる環境自体が無理なので、当時のクオリティで作品を作ることは不可能です。もちろんジュエリーも同じことです。

中途半端に自信のある現代の職人の場合、時間とお金があればできるなど簡単に言うこともあります。でも、当時の環境までも理解できている本当に才能ある職人は、どの分野の職人であっても「絶対に当時と同じものは作れない。」と、敬意と羨ましさを以て断言していました。

ウォルトのメゾンのドレスを纏ったフランス皇后ウジェニー(1826-1920年)
ウォルトのメゾンのドレスを纏ったオーストリア皇后エリーザベト

当時のヨーロッパ宮廷一と言われた美貌、さらに身長172cmでウエスト51cm、体重は生涯43〜47kgという驚異の美女、オーストリア皇后エリーザベトもウォルトの顧客の1人でした。

ウォルトのメゾンのドレスを纏ったオーストリア皇后エリーザベト(1837-1898年)
ウォルトのメゾンのドレスを纏ったイギリス王妃アレクサンドラ

『イングランドのエリーザベト』とも呼ばれた美貌のイギリス王妃アレクサンドラも顧客です。

夫バーティは殊更にパリで買い物しまくっていたように取り上げられがちですが、この時代の王侯貴族はパリでオーダーするのは普通だったのです。

ウォルトのメゾンのドレスを纏ったイギリス王妃アレクサンドラ(1844-1925年)
ウォルトのメゾンによるイギリス王妃アレクサンドラの黄色いドレス

ウォルトはマネキン(生きたモデル)を使ってファッションショーを開催したり、作品にブランドのタグをつけるなど、それまでには無かった現代までつながる革新的経営的戦略をいくつも生み出しました。

それが成功につながったのです。

ウォルトのメゾンによるイギリス王妃アレクサンドラのドレス
ウォルトのメゾンによるドレス

オートクチュールの父と言われる人物がイギリス人だったのもさすが大英帝国と言った感じですが、この功績が後の世代のポール・ポワレやココ・シャネル、クリスチャン・ディオールへとつながっていきます。

それにしても最高峰のドレスは美しさはもちろんのこと、手仕事が凄いですね。

庶民は同じ洋服を洗濯して何度も着ますが、このようなオートクチュールのドレスは一度しか着ることができないような代物です。

洗濯できないほど繊細な作りということもありますが、着回していたら「あの方、あのドレスしか持っていないのかしら。よほどお気に入りなのね」と陰で笑い者になってしまいます。

ウォルトのメゾンによるドレス(1902年頃)前側

1回、多くて数回しか着られないドレスに毎回自身の時間もかけながら数千万円を払える人が、どれだけ存在するでしょうか。

1950年代まではパリコレと言えばオートクチュール・コレクションのことでしたが、1960年代からスタートしたプレタポルテ・コレクションがその後隆盛を極め、1950年以降は顧客が減少し続けている状態です。

現在はごく一部のメゾンを除いて殆どが赤字経営であり、撤退するか、ブランドの「格」を上げるための宣伝効果として続けられているだけになっています。

ウォルトのメゾンによるドレス(1902年頃)後ろ側
ジャポニズム・アールデコの天然真珠&オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの笹の葉モチーフのアンティーク・ペンダント

デザインも含めてたった1人だけのために熟練の職人による手作りのオーダー・ファッション『オートクチュール』は、一応は存続しているものの商業的に成り立っているとは言い難く、いつ終わりが来てもおかしくない時代です。

より財力も熟練の技術も必要とされるジュエリーは、もっと昔にとうに終わってしまいました。

アールデコ・ジャポニズムのペンダント(イギリス 1920年頃)
「糸の宝石」総ボビンレースのアンティークのウェディングドレス

豊かな感性と優れた技術を持つ才能ある職人は、作品を見ただけで背景にある仕事を想像し、価値を理解することができます。

このコレクションを後世に遺そうとしているのも、長年オートクチュールの世界に生き、コレクションの真の価値を理解している人物です。

確実に後世に引き継がなくてはという使命感を持ち、HERITAGEに託して下さったことを心から光栄に思います。

『糸の宝石』総ボビンレース・ドレス

 

ご検討とご購入について
No.1 No.2 NO.3 No.4 No.5 No.6
「糸の宝石」総ボビンレースのアンティークのウェディングドレス 「糸の宝石」ボビンレースを使った段々フリルが可愛らしいジゴ袖(レッグ・オブ・マトン・スリーブ)のアンティークのウェディングドレス アーツ&クラフツの影響が見えるS字型ラインのアンティークのウェディングドレス アールデコのフランス製の総ビーズのアンティークドレス アールデコのフランス製のフレンチ・ジェット・ビーズが見事な漆黒のアンティークドレス(ジン、ベスト) ヴィクトリアンの貴重なマント(ケープ)

 いずれも今では手に入らない、貴重なアンティークの作品です。さらにはコレクションとしてこれだけ揃っていることに価値があります。このクラスをオーダーできる人物は多くても数回しか着用しない使い方ですし、K氏による保管によってコンディションも良好です。但し気に入った作品だけを買い、気軽に使って駄目になったら捨てる消耗品的な扱いは望んでおりません。
 特別な時にだけ袖を通して実際に使うことは不可能ではありませんが、糸を使った作品には寿命があり、適切に保管していても少しずつ経年劣化することは避けられません。通常は適切に保管管理いただき、その次の世代にもきちんと引き継げる意志がある方に受け継いで欲しいと考えております。素晴らしい文化への貢献としてご検討いただける方は、ぜひお気軽にご連絡いただければ幸いです。

【単品売りについて】
 基本的にはコレクションをそのままの形で引き受けて下さる方を最優先に考えております。

【販売価格】
 お問い合わせください。

【実物のご確認について】
 実物をトルソに飾った状態で、HERITAGEの市ヶ谷のアトリエもしくは大阪市内某所(お問い合わせ下さい)でご覧いただけます。日時を決めた後のご準備になりますので、突然アトリエにお越しいただいてもご覧いただくことはできません。

【連絡先】
 メール(heritage@heritage-aj.com)かお電話(03-6356-0672)でご連絡ください。

 

アンティークドレスの詳細
作品No.1 『糸の宝石』総ボビンレース・ドレス
「糸の宝石」総ボビンレースのアンティークのウェディングドレス

製造国:フランドル地方
年代:19世紀後期

 当時のフランドル地方(フランス、ベルギー、オランダ)は、イタリアと並んで優れたレースの2大産地の1つでした。糸を巻いた小さな糸巻きを数多く一度に操作して作るボビンレースは、その平らな薄い仕上がりという点で群を抜いた存在でした。
 寒い冬の間に冷たい川にさらした麻糸を用い、熟練者でも1日で僅か数センチしか仕上げられないというほどの時間と労力をかけたこのハンドメイドレースは極めて高価なもので、しばしば『糸の宝石』とまで称されました。
宝石にも匹敵する美しさと恒久性を兼ね備えたこの『糸の宝石』はいくつものドレスに替えられ、親から子へと、まさに宝石のように代々伝えられたのです。
 その糸の宝石を全身に使った、信じられないような贅沢で美しいドレスであり、まさにミュージアムピースと言うに相応しい作品です。

ボビンレースを編む女性
ボビンレースを編む女性 ボビンレースを編む様子
ボビンレースの糸巻き

上は現代のボビンレースを編む様子です。

これくらい太い糸でも、完成までには結構な時間を要します。

極細の糸で編まれる繊細で美しい極上のアンティークレースを完成させるには、想像を絶する集中力と時間を要します。

K氏も1つの大作を完成させるのに、職人数十人がかりで4年かかったこともあります。商業的なことを考えると現代では到底不可能なことだそうです。

ボビンレースの糸巻き
「糸の宝石」総ボビンレースのアンティークのウェディングドレス

 

作品No.2 レッグ・オブ・マトンスリーブ ドレス
「糸の宝石」ボビンレースを使った段々フリルが可愛らしいジゴ袖(レッグ・オブ・マトン・スリーブ)のアンティークのウェディングドレス

製造国:フランスもしくはイギリス
年代:1890年代

 中央に『糸の宝石』、ボビンレースが贅沢にあしらわれたレッグオブマトンスリーブのドレスです。
 全体の軽やかな質感の素材もさることながら、スタイルを美しく見せるための計算されたデザインとそれを実現する縫製技術は、さすが当時の上流階級のために特別に制作されたアンティークドレスだと言えます。

ノルウェー国王夫妻(ホーコン7世、モード)とイギリス皇太子夫妻(エドワード7世、アレクサンドラ・オブ・デンマーク)

レッグ・オブ・マトン・スリーブのドレスを纏ったイギリスのアレクサンドラ皇太子妃の写真も残っています。

隣のノルウェーのモード皇太子妃も同じタイプのドレスですね。

左:後のノルウェー国王夫妻、右:後のイギリス国王夫妻(1896年)
1890年代のパリのファッション(ジゴ袖ドレス)

ジゴ袖とも呼ばれるレッグ・オブ・マトン・スリーブは1890年代に流行したデザインです。

ウエストを細く見せる効果があります。

ノルウェー皇太子ホーコン7世と娘であるノルウェー皇太子妃モードの肩に手をかけるイギリス皇太子妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク

中央のアレクサンドラ皇太子妃を見ると、確かにウエストが細く見える効果がありますね。

ところでなぜ後の他国の国王夫妻とこのような和やかな様子の写真が存在するのかと言うと、モード皇太子妃はエドワード7世とアレクサンドラの実の娘だからです。

当時52歳のアレクサンドラ皇太子妃が若々しすぎてそう見えないのですが、母と27歳の娘夫婦の写真なのです。

左:ノルウェー皇太子ホーコン7世、中央:イギリス皇太子妃アレクサンドラ、右:ノルウェー皇太子妃モード(1896年)
ウエストのくびれが驚異的なノルウェー王妃モード

ちなみに上の写真では分かりにくいですが、アレクサンドラ王妃の娘ノルウェー王妃モードも美人な上に相当スタイルが良いです。

信じられない細さのウエストです!

それだけでなく、幼い頃から既に高い知性を見せていたそうです。

派手な行動だけが取り上げられがちな父エドワード7世ですが、相当な知性と教養も持っていたそうです。

これぞ王族らしい、育ちの良さからくる自然とあふれ出る気品と美しさなのでしょうね。

ノルウェー王妃モード(1869-1938年)
「糸の宝石」ボビンレースを使った段々フリルが可愛らしいジゴ袖(レッグ・オブ・マトン・スリーブ)のアンティークのウェディングドレス

 

作品No.3 ローブデコルテ
アーツ&クラフツの影響が見えるS字型ラインのアンティークのウェディングドレス

製造国:イギリス(ロンドン)
年代:1870〜1880年代
メゾン:王室御用達 Bradley社(1870年創業)

 19世紀後期に始まったアーツ&クラフツ運動(※)の影響を受けた繊細で微妙な色合いと、タックによって美しい線の流れが強調されたS字形シルエットが特徴のドレスです。
 後に英国王室やチャーチル首相、ハリウッドスターも顧客となるロンドンの最も優れたオートクチュールメゾンの1つ、ブラッドリーによるこのドレスはレースや地模様の美しいシルクの素晴らしさもさることながら、オーダーメイドによる体型にピッタリ合わせて作られたシルエットと、ドレープの美しさが見事です。裏地には手仕事による驚くほど豪華なビーズ装飾が施されており、人目に触れることのない細部に至るまでの気遣いはさすがアンティークの極上品と言える作品です。
 前の時代のクリノリンを使ったボリュームあるシルエットとは異なり、清楚ながらも華やさを感じるS字形シルエットのデザインは、小柄で太めだったヴィクトリア女王から、ファッションリーダーが細くスタイル抜群のアレクサンドラ皇太子妃に移っていく時代の流れも感じます。

※アーツ&クラフツ運動についてはこちらもご参照ください

アンティークドレスの裏地のビーズ装飾 アンティークドレスの裏地のレースとビーズ装飾
ビーズ刺繍が見事なローブデコルテの内側 内側の布のレースやビーズの装飾

Bradley社について

ブラッドリー社は1870年に設立されたメーカーです。

ロンドンのチェプストウ・プレイスにクチュールハウスを持っていました。

チェプストウ・プレイス(ロンドン)

高級な婦人用ドレスや帽子の仕立て、毛皮や喪服、カーテンなどの販売によって19世紀後期に大きく成長しました。

ブラッドリー社の高級婦人帽子の広告(1914年)

特にオートクチュールドレスにおいてはロンドンでも有数の仕立屋としての地位を確立し、最も優れたクチュールハウスの1つとされていました。

1920年代から第二次世界大戦まではパリにもオシャレなアウトレットショップを持っていました。

ウェディングドレスはもちろん、時代の最先端をいく様々なスタイルのドレスを制作しています。

ブラッドリー社の広告

チェプストウ・プレイスとウェストボーン・グローブには約6エーカーの作業場と86室もの個別試着室を備え、1Fのマネキン用のレセプションルームは金箔や大理石、ブロンズに彩られたとても豪華なものだったそうです。

『マネキン』はオートクチュールの父ウォルトが考案した、生身の女性がモデルを務める現代のファッションショーと同じ形式のものです。

 

ブラッドリー社の広告

このマネキンたちが、中央の大理石の階段からレセプションルームに降りてきてドレスのデザインを披露するのです。

そのファッションショーを見て、顧客はどのデザインを買うのかを検討します。

オートクチュールハウスには専属マネキンが複数在籍しなければならず、専門のデザイナーや各工程ごとの職人と作業場をかかえ、常駐のアトリエスタッフらを維持するだけでも相当な経費がかかります。

現代ではたった一人の顧客のためにプロのモデルを使った豪華なファッションショーを開催するなんて想像もできませんね。

現代ではオートクチュール部門が維持できず大半のメゾンが閉鎖せざるを得ない、別格の超高級品がオートクチュールドレスなのです。

 

ブラッドリー社の広告

だからこそブラッドリーの顧客にはロイヤルファミリー、歴史上もっとも偉大なイギリス人としても名高いチャーチル首相、ハリウッドスターなどそうそうたるメンバーが名を連ねます。

これはヴィクトリア&アルバート美術館所蔵のブラッドリーのシルクタフタのドレスです。

日中用のデイ・ドレスなのでご紹介のローブデコルテと比べると地味ですね。

ご紹介のローブデコルテはこのドレスより年代が古く、しかも夜用の非常に豪華な作りで、左のドレスより遙かに価値の高い大変貴重なミュージアムピースと言えるのです。

日中用のドレス(ブラッドリー 1917-1920年)V&A美術館

ブラッドリーはアールデコのイブニングドレスも制作しています。

夜用のドレスなので装飾も豪華です。

アールデコ・エジプシャンスタイル・イブニングドレス(ブラッドリー 1923年)

1つ1つ丁寧に縫い留められたビーズ装飾に、職人の手仕事による手間のかけ方の凄さが見えますね。

ご紹介のローブデコルテはこのようなビーズ装飾を、人目に触れない内側にまでやっているから驚きなのです。

ブラッドリーのエジプシャンスタイル・イブニングドレスの拡大(1923年)

エジプシャンスタイル・イブニングドレスにはブラッドリーのラベルが縫い付けてあります。

ブランドのロゴが付いたラベルを作品に付けるのも、ウォルトの考案です。

ブラッドリーのエジプシャンスタイル・イブニングドレスのラベル(1923年)
ブラッドリーのドレスのラベル
ご紹介のローブデコルテのラベル ブラッドリーのロゴ(1914年)
ご紹介のローブデコルテにもラベルがあり、かろうじて"Established 1870 Bradley Chepstow London"と言う文字が読めます。1914年の帽子の広告に掲載されていたブランドロゴと、ラベルのBradleyのロゴの形状が一致しています。アールデコの時代に作られたものよりも古いタイプのラベルと推測します。

これはTHE QUEEN, THE LADY'S NEWSPAPERに掲載されていたブラッドリーの1904年当時の最新コレクションです。

ブラッドリーのドレスが上流階級の女性たち向けの雑誌に掲載されていたということですね。

ロンドンの実力ある有名メゾンとして、まさに王侯貴族や富裕層のためにオートクチュールドレスを制作していたのがブラッドリーだったのです。

第二次世界大戦以降、既存の顧客が高級オートクチュールを求めることができなくなると、ブラッドリーも1950年代初頭には事業継続が困難となり、現在は形を変えてテキスタイルとドライクリーニングの専門業者として細々と残っている状態のようです。

ベイズウォーターでのブラッドリー最新コレクション(1904年)

貴婦人の特別オーダーのローブデコルテ

1870年代のヨーロッパのファッション(バッスルによるS字型ラインの流行)

クリノリンを使った下半身全体にボリュームを出したシルエット(※)も、腰の後方にボリュームを出したS字形シルエットも目的は同じで、ウエストを細く見せるためです。

 

 

※クリノリンやファッションの変遷についてはこちらもご参照ください

1870年代のファッション
1870年代のヨーロッパのファッション(バッスルによるS字型ラインの流行)

上の女性の絵にはどちらも外の風景が描かれているので、外出着のファッションであることが分かります。

左のように室内のドレス用のデザインだと優雅に見えるよう、後方は布を床に引きずる長さにデザインされています。

ご紹介の作品も後方に床を引きずる長さの布があり、室内用にしか使わない特別なドレスをオーダーできる上流階級の女性のための贅沢なドレスとして作られたことが分かります。

このようにして作られた上流階級の女性のためのドレスは贅を尽くした最高級の作りであるにも関わらず、多くて数回しか着用されないためコンディションも抜群なのです。

 

1870年代のドレス
1870年代に流行したバッスル・ドレス姿のイギリスのアレクサンドラ皇太子妃

1867年になるとクリノリンは急激に廃れ、1870年代からは腰の後ろにボリュームを出すシルエットが大流行しました。

アルバート王配が亡くなったのが1861年です。

夫アルバート王配が亡くなって以降、ヴィクトリア女王は喪に服し引き籠もりのような生活を始めました。

この時代のファッションリーダーは、現代とは違って王侯貴族でした。

時代背景をきちんと考証すれば、ファッションもジュエリーもファッションリーダーたる王侯貴族自身によく連動していることが見えてくるのです。

 

※ヴィクトリア時代のファッションリーダーの変遷については『エレガント・サーベル』『神秘なる宇宙』もご参照ください

イギリスのアレクサンドラ皇太子妃(1877年)
アーツ&クラフツの影響が見えるS字型ラインのアンティークのウェディングドレス

 

作品No.4 アールデコドレスの傑作 ビーズドレス
アールデコのフランス製の総ビーズのアンティークドレス

製造国:フランス?
年代:1920年代

 ビーズはボヘミアングラスビーズと言われ、手吹きで1つ1つ面取りされたものが使われています。それを1つ1つ刺していく非常に細かい仕事です。ビーズの成分の中には銀が入っており、それが酸化して黒く見えるのです。
 現代の量産ビーズの安っぽさとは全く異なり、この独特の美しさはハンドメイドで丁寧に作られた当時の高級ビーズにしか出せないものです。
 後ろも含めて全面に施されたビーズによるドレスは心地よい重量感があります。激しく踊ってもしっかりと身体の動きに追随できる美しいシルエット、動きに合わせて無数に煌めく面取りビーズは、華麗なるギャッツビーの時代の躍動感あふれるダンス会場で一際目立つ憧れの存在となっていたに違いありません。

狂騒の20年代のアールデコ・ドレスのイメージビジュアル
1920年代の有名メゾンによるドレス
1920年代のイブニングドレスのフラッパーの女性たち

アールデコの時代は女性がコルセットから開放され、ドレスもウエストがゆったりしているのが特徴です。

躍動感あふれる時代、パワフルで美しい女性たちが集まる中、別格の存在感を示すのは至難の業です。

1920年代の『狂騒の時代』はパワフルな中産階級の女性フラッパー(現代娘)のイメージも強いですが、もちろん中産階級だけの流行ではありません。

 

イブニングドレスの女性たち(1927年)
アールデコ・ファッションのイギリスのエリザベス王妃(イギリス女王エリザベス2世の母)

イギリスでもBright young thingsと呼ばれる人たちが存在しました。

1920年代のロンドンで、ボヘミアンな若い貴族や社交界の人たちを表す言葉としてタブロイド誌に付けられたニックネームです。

その中には後のエリザベス王妃も入っています。

イギリスのエリザベス王妃(イギリス女王エリザベス2世の母)(1900-2002年)
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃

短い髪型や肌の露出面積が多い服装が明るく若いと称された、アールデコの最先端を行く人物らしいですね。

当時イギリスの王子は伝統的に他国の王女と結婚するのが通例だったのですが、当時のイギリス国王ジョージ5世の次男ヨーク公アルバート王子と恋愛結婚した慣例を打ち破ったイギリス貴族(伯爵家)の女性です。

打ち破ったと言っても、何度もアルバート王子の求婚を断った末だそうです。

ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(1925年)
エリザベス王妃が過ごしていたストラスモア=キングホーン伯爵家のグラームズ城

求婚を断られて傷心のアルバート王子を見て、母であるメアリー王妃がわざわざエリザベスに会いにグラームズ城を訪れ、「アルバート王子を幸福にすることができる唯一の女性」と確信してメアリー王妃も結婚を勧めたのにエリザベスは首を縦に振らなかったそうです。

エリザベス王妃が過ごしていたストラスモア=キングホーン伯爵家のグラームズ城
エリザベスとアルバート王子(後のイギリス国王ジョージ6世

王族の重圧を理解していたからこその辞退だったようですが、数度に渡る熱烈な愛に最後は首を縦に振りました。

次男だったから受け入れたのだと思うのですが、まさか『王冠を賭けた恋』で長男エドワード8世が早々に退位し、国王夫妻になってしまうだなんて想像もしなかったでしょうね。

エリザベスとアルバート王子(後のイギリス国王ジョージ6世)(1923年)
カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン

カリスブルック侯爵婦人アイリーンも、Bright young thingsの1人です。

アイリーンは伯爵家出身で、夫はヴィクトリア女王の孫でありヘッセンのバッテンベルク家のアレクサンダー王子という由緒正しい王侯貴族の女性です。

アイリーンも前の時代と比べると露出度が高い派手な印象ですが、アールデコの時代は上質か否かの違いはあれ、王侯貴族も中産階級の女性もこのような系統のファッションが流行していたということですね。

カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1890-1956年)1930年頃
狂騒の20年代のロンドンでナイトクラブのオーナーとして活躍したケイト・メイリック

そんなBright young thingsに夜の社交場を提供していた1人がケイト・メイリックです。

3人の息子と少なくとも4人の娘をもうけた後の1916年に離婚し、1920年代はロンドンでナイトクラブのオーナーとして活躍しました。

貴族と暗黒街のエリート、両方にサービスを提供していたそうです。

Bright young thingsのメンバーには国際的に活躍する各国の女優なども含まれていました。

ケイトが提供する、こういう場所が新たな社交の場となったのです。

ケイトは父も夫も医者でしたが、娘3人はイギリスの爵位貴族と結婚しています。

ナイトクラブのオーナーとして活躍したケイト・メイリック(1875-1933年)

さて、具体的にアールデコのドレスに話を戻しましょう。

左は狂騒の20年代のアメリカを描いた映画『華麗なるギャッツビー』のヒロインで、ミア・ファロー演じるデイジーです。

並み居るアールデコのパワフルな女性が集まる社交の場で、品良く目立つのは大変です。

そんな時ドレスを羽根やフリル、色使いで派手に見せることは可能ですが、手作業による総ビーズの高価なドレスは並の女性では到底手に入るものではありません。

デイジーは『狂騒の20年代』と称される景気が最高潮のアメリカで大金持ちと結婚した特別な女性だからこそ、このような最高級のドレスを着用することができた設定のです。

華麗なるギャッツビーのヒロイン(1974年制作)

アールデコの女性全員がこのような総ビーズのドレスを着ることができたわけではありません。

最高級のオートクチュールをオーダーできた、超富裕層だけが着ることができたのが手仕事によるアールデコ・総ビーズドレスなのです。

デイジーのドレスは本物のオートクチュール・アンティークドレスではなく再現品だと思いますが、裾までビーズがあるので、ダンスの時もよりデイジーの別格の美しさと存在感を演出できたのです。

 

華麗なるギャッツビーのヒロイン(1974年制作)
フラッパーのアイコンとして有名なアメリカ女優ジョーン・クロフォードが総ビーズドレス姿で1920年代に流行したダンスを踊る様子

こちらは本物のアールデコ・ビーズドレスを着て踊る当時のアメリカ女優です。

カラー写真でないのは残念ですが、華やかだったことでしょう。

空前の好景気に沸くアメリカの超有名女優が着ているのですから、ドレスも最高級品のはずです。

でも、ご紹介のドレスはさらにデザインに優れ、ビーズの密度も濃く、裾も一部だけではなく完璧にビーズが施されています。

これまでの43年間で扱った中でも最高のアールデコ・ドレスです。

 

フラッパーのアイコンとして有名なアメリカ女優ジョーン・クロフォード(1928年)
アールデコのフランス製の総ビーズのアンティークドレス

 

作品No.5 ジン
アールデコのフランス製のフレンチ・ジェット・ビーズが見事な漆黒のアンティークドレス(ジン、ベスト)

製造国:フランス?
年代:1920年代?

 狂騒の20年代とも言われる、1920年代のアールデコの時代。ココ・シャネルによってファッションの黒が革命を起こしたのもこの時代です。
 ジンに使われているのは目映いばかりのフレンチ・ジェット・ビーズです。現代でも技術的に困難な漆黒のビーズを1つ1つ面取りして縫い付けられたモチーフ、そして細い糸によってビーズを組み上げた透ける布の各所から光を放つ面取りビーズの煌めきは見事です。この煌めきを出すために、一体どれだけの作業をこなしたのか、その手間と集中力は想像するだけで気が遠くなりそうです。
 様々なダンスが大流行したこの時代らしい裾のフリンジなど、アールデコの特徴がよく現れたジンと言えます。この時代は中産階級の現代娘フラッパーがまずイメージされますが、桁違いのお金をかけて作られた本作品は、他に類似品すらないのではないかと思うような珍しい作品です。

喪服姿のヴィクトリア女王(1867年)

19世紀後半頃、ヴィクトリア女王が喪に服するため相手を想う気持ちを、黒の物を身に付けることで表しました。

それが後に流行となり、喪服は黒というのが定説となりました。

それが明治の頃に日本にも入り、日本の喪服も黒色となりました。

喪服姿のヴィクトリア女王(1867年)

モノクロ写真だと分かりにくいですが、これが実際にヴィクトリア女王が着用していた喪服です。きちんと黒いですね。

若い頃でも身長152cm、年をとってからは145cmくらいまで縮み、体重は1880年には76kgあったそうで、それが伝わってくるドレスです。
これはこれで可愛らしくて何だか好きです。

憧れるのは同時代だとやはりエリーザベト皇后やアレクサンドラ皇太子妃ですが・・。

ヴィクトリア女王の喪服
ヴィクトリア女王のジェット・ジュエリー

さて、王侯貴族のファッションはドレスだけではダメで、ジュエリーも必須です。

黒い喪服に合わせて喪のジュエリーとして着用されたのが漆黒の木の化石、ジェットを使ったジュエリーでした。

ヴィクトリア女王のジェット・ジュエリー
大型のウィットビー産ジェットの塊

イギリスではウィットビーで良質なジェットが産出していましたが、女王の着用により流行した需要を全て賄えるほどの産出量ではありませんでした。

大型のウィットビー産ジェットの塊
フレンチジェットを使った喪のティアラ(1880-1890年頃)V&A美術館蔵

そこで代用品として出てきたのがボヘミア製のガラスによるフレンチ・ジェットです。

ガラスで漆黒の色を出すのは実はとても難しことで、現代でも紺や茶色を濃くしただけだったり、裏にフィルムを貼るだけの場合が多いです。

左のフレンチ・ジェットは、見事なまでに漆黒を呈しています。

 

フレンチジェットを使った喪のティアラ(1880-1890年頃)V&A美術館蔵
フレンチジェットを使った喪のティアラ(1880-1890年頃)V&A美術館蔵

稀少な天然素材ジェットの代用品なので通常は高価なイメージはありませんが、ティアラが存在するのは少し意外です。

この時代にティアラを着用する機会があるのは、一定以上の上流階級の既婚女性だけだからです。

フレンチジェットを使った喪のティアラ(1880-1890年頃)V&A美術館蔵
ココ・シャネルとリトルブラックドレス

さて、この黒=喪というイメージを打ち破ったのがフランスのファッションデザイナー、ココ・シャネルでした。


ココ・シャネルとリトルブラックドレスのデザイン
リトルブラックドレス(1926年)ボーグ誌

1926年にシャネルが発表したLittle Black Dressは世界に衝撃を与え、ファッションとしての黒が確立しました。

リトルブラックドレス(1926年)ボーグ誌
リトルブラックドレス姿のアメリカの人気女優ジョーン・ベネット(1928年)

『ファッションの黒』はアールデコの時代の女性たちを虜にし、様々な黒のファッションが取り入れられていきます。

リトルブラックドレス姿のアメリカの人気女優ジョーン・ベネット(1928年)
1949年版The Great Gatsbyで社交界でダンスするアールデコ・ビーズドレス姿の女性

1920年の狂騒の時代は様々なダンスが大流行しています。

静止している時に美しい以上に、ファッションはダンスで栄えることが重要です。

1949年版The Great Gatsbyの一幕
激しくダンスするアールデコのフラッパー

誰でも上流階級や富裕層のようにお金をかけてダンス栄えする美しいドレスを仕立てられるわけではありません。

そんな時に役立つのが、腰まであるような長くて派手なネックレスです。

ちょうどシャネルによってコスチュームジュエリー(模造宝飾品)が流行した時代にも重なりますね。

激しくダンスするフラッパー(1920年代)
シャネルのコスチュームジュエリー

本物のジュエリーが高価で持てないのであれば、財産的な価値はなくてもオシャレの観点からデザインに価値を見いだし、オシャレのためだけに楽しめば良いではないかという思想で作られた、まさに大衆向けのものです。

現代は資産価値はないはずなのに、ブランドの名前で異様に高価になっていますね。でも、本物の価値あるジュエリーに比べたら安っぽさやちゃちさは否めません。

コスチュームジュエリーはお金がないけれどオシャレを楽しみたい女性に提案されたものなので、本物の優れたジュエリーを手に入れられる場合は無用の長物です。

HERITAGEが扱う優れたアンティークジュエリー、当時の王侯貴族は一体どれだけのお金をかけて作ったのだろうと恐れおののいてしまいますが、現代では知られざる良いものとなってしまい、普通のサラリーマンだった私でも買えるような価格になっているのですから、コスチュームジュエリーなんて手に入れる必要もありません。

シャネルのコスチュームジュエリー
フラッパー用のフレンチ・ジェット・ビーズのロングネックレス

コスチュームジュエリーとファッションの黒が相まって、フラッパーの間ではフレンチ・ジェットのネックレスも流行して数多く作られました。

フレンチ・ジェットのロングネックレス(1920年代)
フラッパー用のフレンチ・ジェット・ビーズのロングネックレス

小さいビーズをつないで束ねたタイプもあります。

ここで注目したいのがビーズの形状です。

フレンチ・ジェットのロングネックレス(1920年代)
フレンチ・ジェット・ビーズの拡大

ちょっと解像度が低いので分かりにくいかもしれませんが、面取りされていないただのツルツルの表面になっています。

ネックレスのビーズ(1920年代)
ビーズの面取り加工のイメージ

ビーズに面取りを施すかはとても重要です。

静止状態では分かりにくいですが、動いている際に、角度によって効果的に煌めくようになるからです。

ビーズの面取り加工イメージ
アールデコのフランス製のフレンチ・ジェット・ビーズが見事な漆黒のアンティークドレス(ジン、ベスト)

本作品に使われているのも面取りのフレンチ・ジェット・ビーズなので、驚くほど煌めきを感じることができます。

下の方はフリンジになっており、やはりこの時代ならではのダンスシーンを意識して作られたものであることが分かります。

1つ1つ面取りされたビーズ、さらにそれを細い糸で組み上げた透ける布地は信じられないような手間がかかったもので、これ以外に他に存在するとは到底考えられないレベルの作品です。

フレンチ・ジェット(ガラス)はジェットの代用品という位置づけなので、安物に使われるのが通常です。本作品のように繊細で明らかに高級品として作られたものは例外的な存在です。有機質のジェットではここまでの細かい細工は不可能ですから、代用品としてではなくフレンチ・ジェットだからこそできる表現のために使われたことは明らかです。

中産階級の女性のためのロングネックレスとはいくつも次元が異なる本作品。ダンスの時には軽やかにフリンジが揺れながら、全体からは漆黒のビーズが無数に光り輝いて見る人たちを虜にしたことでしょう。

アールデコのフランス製のフレンチ・ジェット・ビーズが見事な漆黒のアンティークドレス(ジン、ベスト)

 

作品No.6 マント・ケープ
ヴィクトリアンの貴重なマント(ケープ)

製造国:イギリス?
年代:19世紀後期

 ヴィクトリア時代の貴重なマント・ケープです。線を強調するために付けられたフリンジには、同時代に流行したS字型シルエット・ドレスの影響を見ることができます。
 また裏地の織り柄などは、産業革命が終わり、精巧な機械によって織られた緻密な連続模様が布地に施されています。
 素晴らしい手仕事と、産業革命が始まった大英帝国の当時最先端のテクノロジーで制作された、この時代の上流階級のために作られた作品ならではの特徴が現れた作品です。

ヴィクトリアンの貴重なマント(ケープ)

 

アンティークドレス・オーナー K氏

アンティークジュエリーディーラー 片桐元一
ベルビー赤坂のアトリエ片桐の店舗 ヴィクトリアンの貴重なマント(ケープ)

 これはベルビー赤坂のAtlier KATAGIRIの1889年頃の様子です。中央にディスプレイされているのは、No.6のマント・ケープです。当時、仕事の合間に少しだけ時間があいたK氏は、何かに導かれたかのように建物6FにあったAtlier KATAGIRIの前を通りかかりました。店舗で使っていた扇形のショーケースをK氏が感覚的に気に入り、片桐に声をかけたのが出逢いです。それ以来、感覚的に類似したものを持つ2人は30年以上も親交が続いています。パッションで動く行動力あふれるK氏が早速同じお店にオーダーした扇形ショーケースは、現在でもK氏のショールームで現役なのだそうです。
 写真のマントの向かって右側に展示されているのは扇ですが、左はカーブドアイボリーの杖です。片桐がロンドンでたまたま入った時計専門店で発見したもので、持つのが怖くなるほどに繊細な薔薇が彫刻された至高の作品だったそうです。

19世紀初期にフランスで作られたミュージアムピースと言える初期のハンドバッグ

日本のアンティークジュエリーの祖、片桐はもともとアンティークジュエリー・ディーラーを目指してアンティークジュエリー・ディーラーになったわけではありません。

だからこそジュエリー以外でも、感性に共鳴するアンティークの優れた美術工芸品をヨーロッパから買い付け、日本の皆様にご紹介していました。

現代では世界の中心ロンドンでも、いくつかあったアンティークドレス専門店はすべてなくなり、ご紹介しているようなドレスも入手不可能な時代となってしまいました。

真面目な姿勢で長く続けているからこそ、優れた作品が委託で戻ってくるのだと思うと、誇らしい気持ちと共に感謝の念が湧き起こります。

19世紀初期のフランスの貴重な初期のハンドバッグ
オートクチュールデザイナー加々美佳呼のアルタモーダ出品作品 伝説の名車ルノー・サンクターボU

 今でこそそれぞれの世界で長年情熱を持って取り組み、他の人には真似できない価値ある真の実績を積み重ねた2人ですが、出逢った当時はそんな実績も肩書きなどもまだありませんでした。肩書きなどではなく、感性と情熱で選ぶ2人だからこそ巡り会い、長きに渡って自然と交友関係が続いたのです。そこには、人の手による魂のこもった『優れた作品(モノ)』だけがつなぐことのできるご縁があったとも言えます。

 1987年、K氏がファッションの世界で最も権威とされるイタリアのオートクチュール・ショー『アルタモーダ』にデビューする際、大阪でのパーティに出席するために片桐は当時の愛車ルノー・サンクターボUで東京から向かったそうです。この車は当時、駐車していると人だかりができていたほどの伝説の車で、GENのフォト日記『パッサージュ』にもこの車との想い出が書かれています。K氏は「アルタモーダに参加できたことが、ファッションの世界で仕事をしてきて一番の幸せだと思っている。」と語っていました。私はこの言葉を聞いてとても胸が熱くなりました。この時の感覚は、これから一生忘れないと思います。

 共に40年以上の年月それぞれの業界で最先端を走り続け、今でも誰よりも情熱を持って楽しそうに仕事に取り組む現役の2人。そんな2人が、真に後世に残すべき価値を認める美しいアンティークドレスのコレクション。運命を感じた方は、ぜひお気軽にご連絡ください。いつでもご連絡を心よりお待ちしております。

HERTAGE 石田和歌子

 

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