No.00126 PRO PATRIA

第一時世界大戦中に作られたプロパトリアのフランスのプリカジュールエナメル・ペンダント(メダイ)

プリカジュール・エナメル ペンダント
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
『PRO PATRIA(祖国のために)』
プリカジュール・エナメル ペンダント

フランス 1914〜1915年
18ctゴールド(刻印:イーグルヘッド)
直径 2,6cm
重量5,9g
SOLD
プリカジュール・エナメルは教会の壮麗なステンドグラスのイメージで作られた特別なエナメルで、聖母マリアがよくモチーフに用いられますが、このペンダントは美しい模様と年号がメインの珍しいタイプです。
年号と国、ラテン語の文字から作られた背景が類推できる、知的好奇心からも非常に面白いペンダントです。エナメル技術が高く、通常のプリカジュール・エナメルより発色が鮮やかなため、ジュエリーとしても美しいのが魅力です♪
文字拡大 十字架を囲む輪に「PRO PATRIA」とあります。ラテン語で「祖国のために」を意味します。

 

フランスと第一次世界大戦

第一次世界大戦下のヨーロッパの情勢(1915年) 1914年、フランス、祖国のために。

第一次世界大戦は日本では印象が薄い戦争ですが、それでもこれらのキーワードでピンと来た方も多いのではないでしょうか。それまでの世界情勢が大きく変わることになった、人類最初の世界戦争がこのメダイの背景にはあります。
オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻 第一次世界大戦は、1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビアの首都サラエボでセルビア人青年に暗殺されたことがきっかけで始まりました。

19世紀末から推し進められていた帝国主義諸国による複雑な同盟関係を背景に、西欧の列強諸国がこぞって参戦し、飛行機、潜水艦、毒ガスなどの新しい兵器を使った国を挙げての総力戦となりました。イギリス、フランス、ロシアを中心とした協商国と、ドイツ・オーストリアを中心とした同盟国の二陣営による構図となっており、最終的には1917年にアメリカが参戦したことで協商国側の勝利に終わった4年3ヶ月にも渡る酷い大戦です。この大戦を経て、それまでのイギリスを中心とした19世紀の成熟した西欧社会は崩れ、世界の中心がアメリカに移っていくのです。
13万人以上の身元不明のフランス人兵士が眠るドゥオモン墓地
"VERDUN-OSSUAIRE DE DOUAUMONT5" ©Ketounette(Feburary 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

さて、この大戦で進撃してきたドイツ軍と、フランス・イギリス同盟軍の最前線となり、4年を超える長期の消耗戦の舞台となってしまったのが北部フランス地方です。
国土が戦場になると凄惨です。フランス全体としての犠牲者は、軍人の戦死者兵士が140万人、民間犠牲者が30万人、負傷者は430万人に達しています。当時の人口は4000万人弱なので、人口の15%が戦死あるいは負傷という酷い状況です。独仏の戦闘は終始北フランスで行われたため、爆弾による北部都市の破壊も激しいものでした。

当時の焼け野原となった戦場 PD現代に撮られた戦場跡地。激しい爆撃により地形が変わった痕跡が、今なお残っています。
フランスのレッドゾーン(立入禁止区域) "Red Zone Map-fr" ©Tinodela, Lamiot(16 September 2008, 15:35)/Adapted/CC BY-SA 2.5

近代的な化学兵器が登場し、大量に使用されたのもこの大戦です。途方もない数の不発弾や人間、動物の遺骸の回収は今もって為し得ず、地図上から抹消された村もいくつか存在します。
実は今でも左の地図の通りフランスにはZone Rouge、所謂レッドゾーン、立入禁止区域というものが存在します。パリとほぼ同じ広さの100平方キロ近くのエリアが、一般立入や農地利用を厳しく制限されているのです。左下にパリがありますが、いかにパリから近い距離にそういう場所があるのか感じていただけるでしょうか。

PD第一次世界大戦で戦場の1つとなったフランスのシャテル=シェエリー付近の谷(2010年8月)

のどかな田舎しかなさそうなパリ北東部に、今なお残る戦争の跡・・。

フランスのソンムに放置された第一次世界大戦時の弾薬第一次世界大戦ではそれまでの戦争とは比較にならないほどの大量の弾薬が消費された
(フランスのソンム 1916年)

イエローやブルーの比較的危険の少ない地域においても、農民たちは不発弾でトラクターを破壊されたり、死にかけたりしています。毎年農地から回収される不発弾は900トン近くにもなり、「鉄の収穫」とも言われています。

東部戦線のガス攻撃。右側は後続攻撃を準備している歩兵(1916年)
"Bundesarvhiv Bild 183-F0313-0208-007, Gaskrieg (Luftbild)" ©Bundesarchiv, Bild 183-F0313-0208-007 /Adapted/CC-BY-SA 3.0

最近の調査で、土壌から17%という極端に危険なレベルのヒ素が見つかった森もあります。水からは生物許容量の300倍ものヒ素が検出され、付近の猪の肝臓からは異常な量の鉛が見つかっています。

レッドゾーンでの作業は危険を極め、ガス弾から漏れ出る毒素で致命的被害を被ることは、作業者にとって珍しいことではありません。染み出た鉛、水銀、亜鉛は微生物には分解されず、少なくとも1万年は土壌に留まると言われており、不発弾除去を含めレッドゾーンを完全に綺麗にすることは不可能とも言われています。広大なレッドゾーンでは今なお、植物も動物もほとんど生きることができません。

 

プリカジュール・エナメル ペンダント PDストラスブール大聖堂のバラ窓

アールヌーボーのジュエリーでよく見るプリカジュール・エナメルは、教会のステンドグラスの壮麗な美しさをジュエリーで表現しようとして出来たエナメル技法です。

ステンドグラスの技法では、これほど小さな物は作ることができません。ガラスを十分に細かくカットしたり、薄いガラスを作ったりできないのです。故にエナメルで再現した訳ですが、これが簡単ではないのです。

通常のエナメルは金又はその他の金属上に、釉薬をのせて炉で加熱するのですが、このやり方だとガラスの裏側に金属があるため、光が透けるステンドグラスのようにはなりません。ではどうするのかというと、糸鋸で金の板を挽き、縁を磨いてフレームを作り、裏に銅板を付けてガラス釉をのせ、炉で焼成した後に銅板をはぎ取るのです。

プリカジュール・エナメル ペンダント

エナメルは色によって加熱する温度が違うので、このペンダントのように3色の場合は、温度を変えて3回加熱しなければなりません。微妙な温度調整は職人の感に頼る、極めて難しい作業です。温度調整に失敗し、熱膨張率の違いで割れてしまえば全ては終わりです。

《永遠に変わらぬガラス質の芸術、それがエナメル》でエナメルの技法をご覧下さい。

これほどまでに難しく手間もかかる技術なので、戦争直前あるいは戦時中に作られたこと自体が驚きです。

オーストリア・ハンガリー皇太子夫妻が暗殺されたのが1914年の6月末。8月初めにはドイツがフランスに宣戦布告し、侵攻開始。9月の初めにはドイツの先頭部隊がパリ郊外に達し、フランス政府はパリを諦めボルドーに疎開しています。戦禍が激烈になっていけば、美しくても手間がかかるこのような物を作る余裕なんて、もはやないでしょう。戦争の気配がし始め、戦況が悪化していく前の極僅かな期間に作られた、大切な愛する人と祖国を想う、貴重なペンダントなのです。

この時期に作られただけでも貴重なのですが、さらにフランスの激烈な戦禍を生き残り、このペンダントが今ここに存在することが奇跡としか思えません。

裏

裏も奇麗に仕上げてあります。

プリカジュール・エナメルはかざすなどして光を透かさないと色が分かりにくいことが多いのですが、このペンダントはそのまま見ても色が美しく、当時の職人のエナメル技術は目を見張ります。

鷲の刻印 18K 18ct イーグルヘッド フランス アンティークジュエリーペンダントのバチカン部分に、フランスのイーグルヘッド(18ctゴールド)の刻印があります。
実物大
撮影に使っているような、作りが良いアンティークのゴールドチェーンをご希望の方には別売でお付け致します。いくつかご用意がございますので、ご希望の方には価格等をお知らせ致します(チェーンのみの販売はしておりません)。現代の18ctゴールドチェーンをご希望の方には実費でお付け致します。高級シルクコードをご希望の方にはサービスでお付け致します。

フランス北東部の今

イギリスの公式カメラマンが撮影したポジエールの戦場(1916年8月28日)
2014年は開戦100周年だったため、フランスでもマスコミや出版界から大戦に関する様々な特集が組まれました。日本人にとって大きな戦争と言えば第二次世界大戦ですが、フランス人にとっては1914-1918年の仏独戦争を意味し、今でも特別な響きを持っているのです。
負の遺産が今も残るフランス北東部ですが、レッドゾーンのはずれにある村や町では逆境を生かす動きもあります。第一次世界大戦で完全に破壊された町の1つ、ポジエールはその後再建され、犠牲者に捧げたレ・トミーと呼ばれるカフェやレストランが作られました。観光客向けに塹壕が再現されるなどしており、パリからのツアーもあります。
ポジエールの戦場で亡くなった兵士の共同墓地(ウィンドミルの丘 2010年)
"PWindmuhlenhugel" ©Bodoklecksel(19 January 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

フランスとイギリスはお互い仲が良くないイメージがある中で、共に戦い散っていった英霊に、別け隔てなく敬意を表し掲げられた、両国の並んだ国旗が印象的です。

100年経った今でも、誰のものか分からないお墓は綺麗に手入れされているそうです。畏敬の念と共に人の優しさを感じる、とても美しい景色です。

100年前の誰かと共に大戦を生き延び、縁あって日本に来たペンダント。身につけて、この地を旅するのも楽しそうだなあと思います。時空を超えた遙かなる旅は、人を成長させ、人生を豊かに導いてくれる気がするのです・・。