No.00130 PURE LOVE |
『PURE LOVE』 |
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エドワーディアンらしい洗練されたデザインと、透明感ある淡いピンク色のトルマリンと白い天然真珠が放つ甘い雰囲気とのコラボレーション!!♪ |
ヴィクトリア時代からのファッションの変遷(概要)
1850年代のドレス "1850's Dress" ©Nicole.c.s.y93(22 May 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | いつの時代も、女性らしい細いウエストは女性から人気です。 男性はそこまで望んでいないのでは?というくらい、とにかくウエストが細ければ細いほど良いのです。 男性からなぜなのかと言われても、よく分からないけれどたぶん本能なのです(笑) |
ウエストを細く見せるにも、コルセットで締め上げるにも限界があります。 どうしたら良いかというと、ウエストの下にボリュームを出せば相対的に細く見えます。 女性たちはスカートを膨らませるためにアンダースカートやペティコートを何枚も重ね履きしていました。 19世紀半ばに鯨ひげや針金で骨組みを作った「クリノリン」という画期的な下着が発明され、イギリス人女性に爆発的な人気を得ました。 |
フランス皇后ウジェニー(1826-1920年) | 同時代1856年、フランスでは皇帝ナポレオン三世の妻ウジェニーがナポレオン四世を身ごもっていました。 スペインの貴族出身のウジェニーは、妊娠中も美しくあるためにクリノリンを極端に拡大して使っていました。 女王はファッションリーダーです。 巨大化したクリノリンのファッションは、新しいモードとしてサロンに受け入れられました。 1850年代末には大きさが最大値に達し、1860年代まで続きました。 |
イギリスの風刺雑誌 The Comic Almanack による、巨大なクリノリンのパロディー(1850年) |
全ての女性というわけではありませんが、女性の美への執着はいつの時代も同じです。細ければ細いほど良いということで身体を壊すまでダイエットする人もいますし、日本でも肌色が黒ければ黒いほど良いとガングロが流行ったり、反動で美白が流行って不自然なまでの白が求められることもありました。後から冷静に見てみると変でも、流行中は本気だし夢中なのです。しょうがないのです(笑) クリノリンが巨大化した結果、引っかかって転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火して火傷したりする事故が多発しました。一説には年間3,000人がクリノリンによる事故で死亡し、2万人が事故に遭ったと言われています。工場で働く女性がクリノリンのスカートで製品を壊すなどの問題の指摘もありました。上流階級だけでなく、当時の女性が広く一般的にクリノリンを着用していたことが分かりますね。 |
とにかくスカートにボリュームがあればあるほど良いという、大きさと派手さが求められた時代です。繊細なジュエリーでは迫力負けしてドレスに合いません。その結果、ヴィクトリア中期はとにかく派手で目立てば良い的なジュエリーが量産されたのです。 一番左はこの時代に流行したフリンジ付きのブローチです。GENはフリンジを「タコの足かイカの足みたいで、陳腐で垢抜けしない悪趣味なジュエリーだ!」と嫌がっています(笑)。その他も制作者には申し訳ないですが、いかにも悪趣味なジュエリーですね。日本でもバブル期あたりにアンティークジュエリーが流行ったようですが、当時の成金趣味的な風潮には合ったこともあり、アンティークジュエリーの中でも当時はヴィクトリアン・ジュエリーが持て囃され、百貨店のアンティーク・フェアなどでも高値で売られていたようです。当時は日本人ディーラーがロンドンで悪趣味なアンティークジュエリーばかりを、市場価格が吊り上がるほど買い漁るので、現地のディーラーはその様子を見て笑っていたようです。まあでもしょうがないのです。当時はそういうジュエリーが素敵に見えたのですから。ヴィクトリア中期のヨーロッパの女性も、バブル期の日本人女性も・・。 バリエーションなどが変遷しながらも女性から絶大な支持を得ていたクリノリンですが、1867年になると急激に廃れました。大流行すると、飽きられるのも急なのは今も昔も変わりませんね。 |
バッスル(イギリス 1885年)ロサンゼルス・カウンティ美術館 | 代わりに登場したのが、後ろ側にだけボリュームを持たせた、巨大な尻尾のようなバッスルです。 |
バッスル・ドレス(アメリカ 1870年頃)ロサンゼルス・カウンティ美術館 | 1870年代と1880年代半ばにバリエーションを変えながら流行しました。 下半身にボリュームが出るので、こちらも相対的にウエストが細く見えます。 |
バッスルスカートもやはり飽きられ、1890年頃から下半身ではなく上半身にボリュームを持たせたファッションが注目されるようになります。初期は左のように、袖山に少し膨らみを持たせたドレスが登場しました。案の定と言うか、やがてこの袖も巨大化していきます(笑)上半身にボリュームを出すことで、ウエストが相対的に細く見えるからです。 |
ダッキー ヘッセン大公妃・ロシア大公后(1876-1936年) | レッグ・オブ・マトンスリーブ、フランス語風に言うとジゴ袖です。 何でも巨大化する。 ヴィクトリア時代はそういう時代だったのです。 だから、そういうファッションい相応しい、ボリュームや迫力に負けないジュエリーが必要とされ、多く生み出されました。 |
エドワーディアン頃のファッション(1890年頃〜1910年頃)
時代はヴィクトリア女王から、遊び人で有名な息子エドワード7世に移ります。ヴィクトリア女王は身長145cmにも満たないくらい小柄でしたが、体重は結婚前で56kg、1880年には76kgになっていたそうです。女王はファッションリーダーなので、ヴィクトリア時代はふくよかな女性に似合うファッション・ジュエリーということで迫力あるものが流行したという側面もあります。ふくよかな女王の時代が終わり、遊び人でセンスが良いエドワード7世が即位したこと、シフォンやサテンなどの生地の進化、ポール・ポワレによる女性のコルセットからの解放などで、軽やかでエレガントなドレスが受け入れられて作られるようになりました。 |
この新しい、軽やかなで洗練されたファッションに合わせて作られるようになったのが、所謂エドワーディアンらしい、シンプルで洗練されたデザインのジュエリーなのです。 当然、好まれる石にも変化が見られます。19世紀中期はボテッとした重厚感を出しやすい、カボッションガーネットやアメジストなどの濃い色の石が多く使われていますが、19世紀後期から20世紀初頭にはピンク・トルマリンやアクアマリンなどのような、透明感のある淡い色の石が好まれるようになるのです。 |
正面から見ると、存在感ある宝石に対して地金の金属部がほとんど見えない不思議な作りに見えます。 成金御用達ハリー・ウインストンも、「主役は宝石なので、いかに金属部分が見えないようにデザインするかがポイント」なのだそうです。その結果、宝石をギュウギュウに密集させて地金を見えないようにし、ボテッとしたデザインになるのがこのメーカーの正解のようです。石ころをたくさん使う大義名分によって、価格も高く設定しやすいのでしょう。 |
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高い技術がなくても地金を見えなくできるデザインとも言えます。1億円超えのジュエリーをいくつも制作したことがある職人X師曰く、「あんなの簡単。」だそうです。このような現代ジュエリーとは全く異なる"ナイフエッジ"という技法がこのネックレスには使われており、この技法の魅力が存分に発揮されています。 |
正面 | 裏側 | |
ナイフエッジは特に19世紀後期から見られる技法で、文字通り金やプラチナの板をナイフのような形状にします。ジュエリーとしての十分な耐久性を出すため、裏側には厚みを持たせ、正面は細く尖らせます。正面は幅がないため、極限まで地金の存在感を消すことができます。 鍛造した金の板を切り出し、ヤスリで丁寧に磨いて鋭角二等辺三角形に整えます。鋳造で同じ形状を簡単に作ったとしても、鍛えない金属は耐久力が弱いのですぐに壊れます。だから、職人が手間をかけて作ることがない現代ジュエリーでは、ナイフエッジのジュエリーがどんなに美しくて作りたくても、作ることができないのです。 このようなこれ見よがしではない、さりげなく手間をかけた、作りが優れたジュエリーこそアンティークジュエリーの魅力なのです。 |
それほど大きな石でもないのに、これだけの複雑なカットを施しているのも素晴らしいです!♪ |
横から見ると、ナイフエッジが板状の物を縦に使っているのが分かります。正面からだと、壊れやすそうに感じるくらい繊細に見えても、100年以上壊れずに残っている耐久性が出せるのです。 |
オールハンドメイドだからこその、細くても耐久力がある美しいチェーンです。ハンドメイドのボックス型クラスプが付いているのも良いですね〜!♪ |
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ピンクトルマリンは、恋人たちの愛を育む宝石とも言われます。くすみのない透明で淡いピンクと、白い天然真珠の愛らしい組み合わせは、見ているだけで自然と愛に包まれる優しい気分になりますね♪ |