No.00052 王の富と権力の象徴『パイナップル』 |
エレガントさと、南国のエキゾチックな雰囲気漂うジョージアンのフォブシールです。珍しい南国の動植物は当時の貴族の憧れの的でしたが、その王たる存在がこのフォブシールのモチーフでもある「パイナップル」なのです。 |
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王の富と権力の象徴『パイナップル』 王の富と権力の象徴だったパイナップル。ヨーロッパの歴史と文化がこれほど伝わってくるジュエリーは、そうはありません。ぜひ下の説明をご覧になってみて下さい♪ |
ヨーロッパのパイナップルとの出会い
パイナップル畑 "Ghana pineapple field" ©hiyori13(2005年3月6日)/Adapted/CC BY-SA 2.0 | パイナップルの原産地はブラジルです。 早くから果物として栽培化され、1000年以上前からブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイにかけた地域で栽培されていました。 |
クリストファー・コロンブス(1451頃-1506年) | ヨーロッパにパイナップルがもたらされたのは、1493年のコロンブスの2回目の航海の時です。 |
グアドループ島 ©google map | 西インド諸島のグアドループ島でパイナップルに巡り会いました。 先住民たちにとってもパイナップルは貴重な果物で、「贅沢品」「至高の果物」という意味の名前で崇めていたと伝えられています。 |
カトリック両王 アラゴン王フェルナンド2世(1452-1516年)とカスティーリャ女王イザベル1世(1451-1504年) | コロンブスにより持ち帰られたパイナップルは、金塊や珍しい南国の樹木、オウムなどの動物と共にカトリック両王に献上されました。 その味を口にした王は、他にはない独特の甘酸っぱさ美味しさに驚き賞賛しましたが、それ以上に遙か遠い地の果実を口にすることは特別な喜びがありました。王にとってその地の果実を口にするということは、その地を我が領土としたことも同じことなのです。 この時、パイナップルは『王の果実』として国王の富と権力の象徴となったのです。 |
瞬く間に王侯貴族の憧れの的となったパイナップルですが、遠い南国から船に積み、大海原を横断して持ち帰るしかありませんでした。 カリブ海からの旅路は容易でなく、さらにパイナップルの積み荷は暑さや湿気で腐ってしまうことが多く、完璧な状態で持ち帰ることはほぼ不可能とさえ言われるほどでした。 |
温室栽培されるパイナップル "Azores-Day4-16(33766683744)" ©Ajay Suresh from New York, NY, USA(7 April 2017, 15:02)/Adapted/CC BY 2.0 |
王侯貴族が望んだのは、自分の庭園でこの類い稀なる果物を育てることでした。しかし、ヨーロッパの気候では不可能なことでした。 それを克服したのが、17世紀のチューリップ・バブルで進化したオランダ園芸家たちの高い技術力でした。その後、栽培競争はイギリス、フランスにも広がり白熱化します。王侯貴族のお抱え庭師たちによって、湯水のごとく費用をかけて研究開発されたのです。 |
フランス王とパイナップル
太陽王ルイ14世(1638-1715年)の晩餐会 |
贅を尽くしたことで有名なルイ14世時代のフランス、ヴェルサイユ宮殿での饗宴では、デザートが特に重視されました。貴重な砂糖とフルーツを使ったお菓子は特別でした。その中でも、パイナップルは最も稀少で費用のかさむ『富と権力の象徴』としてデザートコースに組み込まれました。カットしてあしらうだけでなく、アイスクリームにしても提供され、まさに国王に相応しい完璧なデザートとして振る舞われたのです。 |
『宝石のパイナップル』(フランス 18世紀中期) | 1733年のヴェルサイユ宮殿にて、栽培に成功したパイナップルがルイ15世に献上された記録も残っています。
左はイギリスのロスチャイルドの邸宅WADDESDON MANORに展示してあった、ガーネットと翡翠で作られたパイナップルのオブジェです(フォト日記もご参照下さい)。この時代、いかにパイナップルが王侯貴族の羨望の対象であり、富と権力の象徴だったかが伝わってきますね。 |
フランス1の美男と言われたルイ15世(1710-1774年) | 知性と美貌を兼ね備えた公妾ポンパドゥール夫人(1721-1764年) |
実はルイ15世とポンパドゥール夫人の出会いにも、パイナップルが一役買ってたという話があります。1745年の仮面舞踏会で2人は出会うのですが、その時の仮装がパイナップルの形に整えられたイチイの木だったと言われているのです。顔が分からない仮面舞踏会、顔が分からずとも「王のフルーツ」パイナップルの仮装であれば、知性があればすぐにそれが王だと気づくことでしょう。ルイ15世の治世下、フランスは最も洗練された世界一エレガントな憧れの国となったと言われていますから、決してヘンテコな仮装ではなかったと思います。 |
イギリスとパイナップル
チャールズ2世とパイナップル
イングランド王/スコットランド王 チャールズ2世(1630-1685年) | イギリスでは1675年に初めて栽培に成功しています。 王室のお抱え庭師ジョン・ローズがチャールズ2世に、ファースト・パイナップルを献上する絵画も残されています。 |
ヘンドリック・ダンケルツ作 1675年 |
パイナップルと貴族文化の発達
パイナップルの油絵(Theodorus Netscher 1720年) | これはリッチモンドのMatthew Decker卿の庭園で育ったパイナップルの油絵です。 栽培に成功したことを祝って、1720年に描かれました。 |
ダンモア伯爵ジョン・マレーによるダンモア・パイナップル(1761年) |
栽培が何とか可能となったとは言え、18世紀のイギリスでは1個のパイナップルが現在の貨幣価値にして£5,000(1£=150円計算で75万円)くらい価値があったそうです。このため、富の象徴として様々な場所に使われてきました。塔や噴水の頂、トピアリーのモチーフ、家具の装飾や食器、テキスタイル、レース編みのモチーフ、果てはヘアスタイルのアレンジにまで用いられました。 |
パイナップル・ピット
パイナップル・ピット "Pineapple pit heligan" ©Fimb(9 March 2006)/Adapted/CC BY 2.0 |
イギリスは特に園芸好きな国民性もあり、貴族の間でパイナップルの栽培が白熱していきました。1760年代には、貴族のお抱え庭師たちによる専門書まで出版されています。「パイナップル栽培」をきかっけに、温室技術が大きく発達することになるのです。 |
ジョージ3世とパイナップル
イギリス国王ジョージ3世(1738-1820年) | 18世紀後半になると、さらに温室技術が花開きます。 ジョージ3世のウィンザー王室庭園にはパイナップル園『パイナリー』を始め、ぶどう園『ヴァイナリー』、オレンジ園『オランジェリー』などが建設され、そこでの収穫物が宮廷での饗宴に華を添えるようになります。 |
ウィンザー城の俯瞰図(Wenceslas Hollar 1658年) |
フレッシュな果物は美しいだけでなく、間違いなく美味だったでしょうね。 |
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年) "Orangerie du chateau de Versailles le 11 septembre 2015 - 78" ©Lionel Allorge(11 September 2015, 15:46:53)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
庭師を雇ったり、温室の温度を保つための燃料代など、莫大な維持費がかかります。腕の良い庭師がいることもステータスの1つであり、まさに温室は富と権力の象徴でした。それはパイナップルを育てるために進化したのです。 |
ジョージ4世とパイナップル
パイナップルが贅沢の頂点に輝いたのがジョージ4世の時代です。イギリス史上最も豪華だったとされる1821年の戴冠式では、富と権力と科学技術力の象徴としてパイナップルが晩餐会で饗されました。先代ジョージ3世の戴冠式費用は約1万ポンドでしたが、ジョージ4世は約24万3千ポンド(現在の価値で1,997万ポンド、日本円で30億円程度)かかったとされます。さすが、英国王室の財政をズタボロにしたことで有名なだけあります。 |
ジョージ4世(1762-1830年) | イギリス王ジョージ4世の戴冠式(1821年) |
それでも、この戴冠式は国民に大いに歓迎されたそうです。王位に就く前から摂政王太子として君主の仕事をしており、その実績が評価されていたのでしょう。王室が国内に多額のお金を落とすことで、王室は破産しかけても、市場経済は回るので庶民は豊かになります。新しい王様、新しい時代という祝賀気分は国民の気分も高揚させます。ジョージ4世自身、「イングランド1のジェントルマン」と称されるほど魅力と教養に満ち溢れていました。文化・ファッションリーダーとしてのセンスも傑出しており、この時代だけはフランス貴族がイギリスのものを輸入したことで有名なほど、文化を豊かにした王様でもありました。国民は誇りを持つこともできます。国民からは好かれていたのかもしれませんね。 |
ブライトンのロイヤル・パヴィリオン | |
外観 "The Royal Pavillion Brighton UK" ©Fenliokao(2013年9月30日, 04:22:18)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | シノワズリーの宴会室(1826年) |
王の別荘ロイヤル・パヴィリオンの内装にもパイナップルが用いられました。1783年の摂政皇太子時代にブライトンの浜辺を気に入り、1787年に古典様式の外装にバロック様式の内装を持つ離宮を完成させたものです。1815年にピクチャレスクの代表的建築家ジョン・ナッシュに命じ、7年かけて今の形の独特でエキゾチックな雰囲気を持つ建物が完成しています。もともとブライトンは鄙びた小さな村でしたが、これをきっかけに高級リゾート地としての地位を確立しています。 |
現在のロイヤルパビリオン "Brighton - Royal Pavillion Panorama" ©flamenc(13 April 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1789年にフランスでは革命が起こり、「王」という存在がいなくなってしまいました。産業革命が起き、経済がどんどん豊かになっていくイギリスの王は圧倒的な存在です。そのイギリス王が、パイナップルを『王の富と権力の象徴』としたことで、パイナップルはヨーロッパにおいてその地位を確固たるものにしたのです。 |
ジョージ4世が権力を握り、パイナップルがヨーロッパにおいて王の果実、王の富と権力の象徴として確固たる地位を築いた時代。 そんな特別な時代に、このフォブシールは作られたのです。いかにこのモチーフが特別だったかは、作りを見れば一目瞭然です。 |
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台座には、南国らしい植物が咲き乱れる様子が、見事なカラーゴールドで描かれています。温室では様々な南国の植物が育てられましたが、その王たる存在がパイナップルなのです。そのことがフォブシール全体で見事に表現されていますね♪ |
シトリンに彫られているのはDianaと言う女性の名前です。 貴重な宝石シトリンを使っていることからも、このフォブシールがいかに高価なものとして作られたかが分かります。シトリンは単純な面取ではなく、縁の部分が宝石のように美しくカットされた形状で、パイナップルの果汁を思わせるような美しい色合いの上質な石が使われています。どこまでも贅沢です♪ |
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ローマ神話の美しき月の女神と同じ名を持つダイアナさんが、パイナップルがお好きだったのかもしれませんね。 |
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360度立体的な作りで、リングの彫金もジョージアンならではの凝ったものです。 |
遠い南国のエキゾチックな雰囲気へのヨーロッパ貴族の憧れが、この小さなフォブシールに実に上手く表現されていますね。200年の時を経ても褪せることない、見事な彫金の美しいスリーカラー・ゴールド。1つのフォブシールから、これだけ色々な歴史・文化、貴族の営みが伝わって来るのも、優れたアンティークジュエリーの魅力の1つですね♪ |
その後のイギリスとパイナップル
ヴィクトリア女王とパイナップルの関係
第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年) | 移設後のクリスタルパレスの全景(1934年) |
ジョージ4世の度を超えた贅沢の結果、王室財政は危機的状態に瀕してしまいました。若き女王ヴィクトリアはそのような財政下でイギリスの王座に就いたのです。莫大な経費がかかるパイナップルは、真面目な女王を虜にすることはできませんでした。しかし、18世紀中期に起きた産業革命により、イギリスは工業化が進み、ガラス技術の発達も手伝い、温室技術はヴィクトリア時代にますます進化しました。貴族向けのガラスの宮殿やパインハウスが建設され、各国は競って冬でも南国の植物を楽しめる庭園を開発したのです。 |
ウィンブルドンとパイナップル
ウィンブルドン選手権の優勝杯を持つロジャー・フェデラー選手(2012年) "Federer Wimbledon 2012 Champion" ©Robbie Dale(8 July 2012, 18:07:04)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
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パイナップルが特別な果物であった名残は、伝統あるウィンブルドンのトロフィーにも見ることができます。何と、トロフィーの頂にあるのが王の象徴パイナップルなのです。歴史を知ると、ウィンブルドン王者に相応しいモチーフであることがすぐに分かりますね♪ ヨーロッパでも、今ではこういう背景を知らない人が多くて、「なぜパイナップル?!」などとネットで話題になることもあるようです。 |
調べてみると、パイナップル1つで馬車1台が買えた時代もあったようです。当時の馬車は1つ1つ手作りなので、現代の車のイメージとは全く価値が違います。ある程度のお金持ちがようやく一番安い馬車を買える程度で、小金持ち程度だとレンタルです。例えるならフェラーリ1台くらいのイメージでしょうか。フェラーリと違って、パイナップルは食べてしまえば消えるただの食べ物です。 想像できないほどの富を持つ貴族がいた時代だからこそ作ることができた、贅沢でエレガントなパイナップルのフォブシール。遠い海を渡り、今ここにあることもとても面白く感じてしまいます。 |