No.00103 The Art of Iron -黒い鉄の芸術- |
![]() |
黒の美しいレースのような、素晴らしい透かし細工のブレスレットです♪
|
![]() |
|
『The Art of Iron』 ベルリン アイアンブレスレット ドイツ(プロイセン) 1820年代 鋳鉄 サイズ 17,5cm×6cm SOLD |
||
![]() |
ミュージアムピースと言える、極めて希少価値の高いハイクラスのベルリンアイアン・ブレスレットです♪鉄とは思えないまるでレースのよな繊細な透かしは、驚くべき高度な鋳造技術が当時のプロイセンにあったからこそ出来た物なのです!!ナイフで有名なゾーリンゲンの存在からも解るように、プロイセンは良質の鉄鉱石が採れたので、良質の鉄を使うことが出来たことも大きいと言えます。 同じ黒色でも、マットな質感と繊細な透かしが持ち味のベルリンアイアンは、ジェットのような有機質のまったりしたジュエリーと全く異なる魅力があります。繊細できりっとした完成度の高さは、ゾーリンゲンの名剣の味なのかもと思ってしまいます!!♪使わない時は、額装して飾っておく価値がある素晴らしい宝物!!!♪ |
ベルリンアイアン・ジュエリーの歴史
ベルリンアイアン・ジュエリーが花開いた背景には、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母で、ドイツで今でも慕われ尊敬される美しき「ルイーゼ王妃」の存在があります。
6歳の時に産褥で母を亡くしたルイーゼは、家庭教師によってフランス語で教育された結果、母国語以上にフランス語を使いこなしていました。幼少期に母を無くした経験から、母の無い子供たちを憐れみ、祖母から注意を受けるほど多くの施しを与えるなど、慈悲深い性格でもありました。 |
![]() |
誰が見ても輝くばかりに美しく成長した17歳のルイーゼは、当時王子だったフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の目にとまり、結婚しました。 4年後の1797年、ヴィルヘルム2世の逝去により、ルイーゼの夫3世がプロイセン王として即位しました。 この時彼女は祖母に送った手紙で、これまで以上に慈善活動に勤しめる喜びを綴っていたそうです。従来は国内巡幸時、王妃は王宮に留まるのが慣例でしたが、新国王は東プロイセンの巡幸に王妃を同伴しました。国民は新国王夫妻を歓呼して迎えました。美しき王妃は当然女性たちの憧れの的となり、服装を真似たそうです。王妃個人が広く国民の敬愛の対象となったのは、プロイセン史上初めてのことでした。 |
![]() |
国民だけでなく、宮廷や政治家からも敬愛を勝ち取った王妃ルイーゼは、その優れた知性で夫を補佐しました。 そんな中、プロイセンは当時の世界情勢の中でフランスと開戦することになります。1806年当時は弱小国に過ぎず、壊滅的な敗北を喫してナポレオンに首都ベルリンに入城され、最終的には1億2,000万フランの賠償金を払い終えるまでフランス軍が駐留するという屈辱的な条件を呑まされることになりました。 |
![]() "Koenigin Luise und Napoleon, Eberlein 1899" ©Manfred Bruckels(2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ナポレオンとの交渉にあたり、ヴィルヘルム3世は妃の美貌によって懐柔しようと試みました。 ルイーゼはナポレオンを嫌悪していたにも関わらず、プロイセンを救うため足下に跪くなど、あらゆる方法で交渉を試みました。 結局交渉はうまく行きませんでしたが、彼女の交渉はナポレオンから「美しき敵」「プロイセンの雌豹」と評されるほどだったそうです。 この交渉を知ったプロイセン国民の間では、ルイーゼへの敬愛がそれまで以上に高まることになりました。 |
![]() "Luise Sarkophag Rauch 1 min" ©Manfred Bruckels(2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
王宮を飾る絵画や彫刻はナポレオン軍に略奪され、ルイーゼは失意の内に34歳の若さで亡くなりました。その死を知ったナポレオンは、「プロイセン王は最高の大臣を失った」と語ったそうです。 1810年、彼女の死を聞いて、プロイセン中が悲しみに沈みました。死の際に滞在していた生家メクレンブルク=シュトレリッツ城から、ルイーゼの遺体をベルリンの王宮に移送する3日間、女性たちは黒い鉄製のジュエリーを身に付けたそうです。 |
![]() ドイツ 1815年頃 SOLD |
王妃ルイーゼの死から3年後の1813年、ドイツ解放戦争が起こると、当時国内に駐留していたフランス軍に蜂起する資金に充てるため、プロイセン王が市民に金や銀のジュエリーを供出するよう要請したのでした。これに応じて集まったジュエリーは16万点にも上ると言われています。
そのかわりに市民は鉄のブローチや指輪を与えられました。それまでは「喪」のイメージだった、黒いベルリンアイアンジュエリーが、愛国心や忠誠のシンボルとなったのです。「私は鉄のために金を与えました」のような文字が刻まれ物もあるのです。 |
![]() |
こうしてプロイセンには黒い鉄のジュエリー文化が花開くことになりました。1824年にはアラベスクや植物モチーフの透かし細工による非常に精巧なジュエリーが初めて鋳造され、1830年代、40年代にはプロイセン中の女性が鉄製ジュエリーで身を飾りました。黒い鉄製ジュエリーはヨーロッパ中に広まり、人気が無くなる20世紀前半頃まで製作され続けることになります。
|
【参考】フランスに渡った「ベルリン・アイアン」
![]() |
フランス 1810年頃 |
![]() |
![]() |
1806年に開戦し、プロイセンを占領したナポレオンは、プロイセンの鉄製品の優美さに魅せられ、740台もの鋳型を徴発してパリに運びました。これらの鋳型から製作されたジュエリーや工芸品は、フランス国民に熱狂的に迎えられました。黒い鉄製ジュエリーの人気はフランスだけに留まらず、1840年頃にはイギリスでも大流行したのです。 |
![]() |
このブレスレットの透かし細工は本当に繊細です。大元の形状自体は鋳造で作ったにしても、この繊細な透かしをヤスリで仕上げるのが至難の業なのです!!!! |
![]() |
繊細な透かしを仕上げるには細いヤスリが必要ですが、細いのでちょっとでもミスをすると、ヤスリが折れてリズム感が狂い、作業効率が落ちるらしいのです。もちろんそれができるヤスリ自体売ってあるものではなく、職人自ら、やりたい作業に合わせて制作するのです。 |
![]() |
曲率の大きい立体的な部分まで、美しい透かしが仕上げられています!!♪ |
![]() |
![]() |
![]() |
透かしが美しいブレスレットなので、直接肌に付けるだけでなく、衣服の上から着用して布地の色とのコントラストを楽しむのも良いと思います♪独特のマットな質感があるので、黒い服の上に付けるのも、とってもオシャレな雰囲気になりそうです♪ |