No.00161 天然真珠ネックレス |
色、艶、照りと、大きな珠から小さな珠までの大きさのグラデーションがとても美しい、エドワーディアンの天然真珠ネックレスです。歴史上最も天然真珠の評価が高く、ダイヤモンドより価値があったと言われる当時としてはかなりの高級品ですが、現代の装いにも合わせやすいシンプルなネックレスなのが良いですね♪ 養殖真珠の普及と質の低下の結果、安物に成り果てた現代の真珠のネックレスではあり得ない豪華なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドのクラスプも付いており、真珠のネックレスを1本は持っていたいという方にオススメのお品物です。 |
|
||||
天然真珠 ネックレス |
冠婚葬祭用に1本は持っていなくちゃという業界の宣伝文句などのもと、アンティークジュエリーの天然真珠を知らなかった頃に既に養殖真珠のネックレスを買ってしまったという方も少なくないと思います。天然真珠より養殖真珠が優れていたから天然真珠は駆逐されたのでは?現代の花珠真珠は名前も良いし値段も高いから価値ある優れた製品ではと思われる方もいらっしゃると思います。今回は養殖真珠についても、歴史的背景と交えてご説明して参ります。 |
天然真珠を駆逐した初期の養殖真珠
御木本幸吉(1858-1954年) | 養殖真珠の真の発明者は議論が分かれる所ですが、世界で最初に養殖真珠の産業化に成功したのはご存じの通り御木本真珠店(現在のミキモト)創業者の御木本幸吉です。 1918年に養殖真珠の量産体制が整い、1919年からロンドンの宝石市場に出荷が始まりました。イギリスやフランスで養殖真珠は詐欺だと訴訟にまで発展したのですが、最終的には1924年のパリの裁判で天然真珠と養殖真珠に違いはないとの判決で全面勝訴し、X線分析装置による鑑別がまだなかった1927年に、裁判所から天然と変わらぬものとの鑑定結果が出て世界に認められることになりました。 最終的にはこの安価な養殖真珠によって天然真珠が駆逐されることになるのですが、当時の養殖真珠と現代の養殖真珠が同じと認識するのは実は大きな誤りです。 |
『初期の養殖真珠ネックレス』 1930年代? 養殖真珠:直径8mm 長さ:41cm SOLD |
過去に1点だけ、扱う意義ある貴重な初期の養殖真珠のネックレスを、ルネサンスでお取り扱いしたことがあります。 普通の養殖真珠ならばとっくに変色するくらい時間が経っているのですが、驚くほど美しい状態を保っていました。 |
現代の養殖真珠
花珠という名称を聞いたことことがある方は多いのではないでしょうか。現代の真珠市場では、高品質の養殖真珠だけが『花珠』を名乗ることができるとされています。 養殖真珠の場合、業界一厳しいと言われる某真珠の研究所ですら、花珠認定基準は巻き厚0.4mm以上です。もう1つの"研究所"は0.25mm以上で花珠認定します。これではただの"真珠メッキされた貝殻の玉"でしかない印象です。 花珠ではない養殖真珠は、当然それ以下の品質です。 あり得ない安値で本真珠のネックレスが販売されていることがありますが、穴開けに失敗した珠が平気で使われているようです。 珠を連結させてネックレスの状態にしてしまうと、穴開けに失敗した箇所は殆ど見えなくなります。また、まさかそんな珠が使用されているなんて消費者は思いもしませんからチェックもせずに(もしくは通信販売で都合の良い画像だけ見て)購入し、いざその部分から真珠層が剥がれくると、真珠は長くはもたない駄目な宝石だと思い込むのです。クレームを入れても「訳あり品だから返品不可」だったり、安いからしょうがないと泣き寝入りです。 |
<歴史上の天然真珠の評価>
古代
古代ローマの博物学者プリニウス(23-79年) | 現代では真珠のイメージは蹂躙され尽くして地に落ちていますが、本来はとても貴重な至高の宝物という存在でした。 天然真珠の歴史は太古の時代まで遡ります。 古代ローマの博物学者・政治家・軍人であったガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の著書『博物誌』にもその記述があります。 |
1669年版『博物誌』表紙 | 『博物誌(ラテン語:Naturalis Historia)』は、地理学、天文学、動植物学、鉱物など当時のあらゆる知識が記載されています。 様々な言語に翻訳され、ルネサンス期の15世紀に活版印刷で刊行されて以来、ヨーロッパの知識人たちに愛読され引用されてきました。 ヨーロッパの芸術・文化にも広く影響を与えた著書です。 『博物誌』によれば、古代ローマにおいて、天然真珠は至高の存在であり、最も高価で美しい宝石として評価され取引されていました。 |
古代エジプトのファラオ クレオパトラ7世(紀元前69-紀元前30年) | プリニウスの時代より若干前ですが、この時代に天然真珠の高い評価が想像できるエピソードを1つご紹介しましょう。 古代エジプト最後のファラオであり、当時世界最大の真珠の耳飾りを持っていたと言うクレオパトラのお話です。 古代ローマの将軍アントニウスがエジプトに来た際、連日豪華な宴会を開いていました。そのアントニウスに、クレオパトラが「これまでに見たことがない豪華な宴会を開いてみせる」と言う賭を提案しました。 美食に飽きたローマの将軍にとって、ちょっとくらいの豪華な宴会では感動などありません。「何だいつもと変わらないではないか」とコメントすると、クレオパトラは片方の耳から天然真珠を外し、ワインビネガーに入れて溶かし一気に飲み干したのです。 当時この世界最大の天然真珠は小国が1つ買えるくらいの価値があったそうで、賭は誰もが認めるクレオパトラの勝ちとなりました。 |
天然真珠とゴールドの耳飾り(古代ローマ 1世紀) メトロポリタン美術館 | ダイヤモンドを始め、鉱石はカットを施すなど人が手を加えなければ美しくなりません。しかしながら天然真珠はそのままで十分すぎるくらい美しいのです。だからこそ、宝石のカット技術が十分でなかった時代より至高の宝石と言う地位にあったのです。 その地位は養殖真珠に駆逐されてしまうまでの長い間、飽きられることなく続きました。 |
ルネサンス期
ダイヤモンドのカットの技術が未熟だったルネサンス期も、当然天然真珠は至高の宝石でした。これらは全てエリザベス1世の装いです。天然真珠のジュエリーだけでなく、ドレスに縫い付けられた夥しい数に圧倒されてしまいますね。 もしかすると大金持ちの権力者の嫌みな装いに見えるかもしれませんが、政治や外交的に有利に事を運ぶための、優れた頭脳を持っていた女王ならではの装いでもあるのです。 エリザベス1世の父、ヘンリー8世はどうしても女性遍歴にフォーカスされてしまいますが、英国王室最高のインテリと評価される人物でもあります。その頭脳を受け継いだエリザベス1世はラテン語、イタリア語、フランス語、ギリシャ語を理解し、各国の外交官にはその語学力を操り、時には相手が理解できない言葉を使って翻弄して有利に外交を進めていたそうです。言語だけでなく、その装いで自身の美しさや圧倒的存在感を押し出し、相手の思考を鈍らせたりするのも戦略の1つでした。他国の外交官の中には「女王様は自分をお誘いしていると感じた」と述べた人もいたそうです。 |
|
イングランド女王エリザベス1世 (1533-1603年) |
私はイングランドという国と結婚したのだと生涯結婚することなく、子供も産むことなく生涯を国に捧げた偉大なる女王は今でもイギリス国民から敬愛される人物です。恋愛話がなかった訳ではないので、男性に興味がなかった訳ではないはずなのですが、この当時は王配やその実家が色々と政治に口を挟むことができる時代だったため、あえて結婚しなかったのではないかと言われています。凡人が想像できないくらいに、頭が良すぎた女性だったのだろうと感じます。 白く美しい天然真珠は女王の純潔性の象徴でもありました。とは言え豪華過ぎやしませんかと思ってしまいそうですが、贅沢に買い漁った物ではありません。宝石類は殆どが自分の一族の遺品であったり、臣下などからの贈り物だったそうです。何着分ものドレス用の天然真珠があったわけでもなく、都度リフォームと使い回しがなされてきました。行幸の際は真珠を縫い付けるだけの使用人も同行していたそうで(当時の人件費はタダみたいなもの)、女王自らは節約に努めていたからこそ当時の国民からも愛される存在だったのです。ちなみに王侯貴族のジュエリーであっても、宝石が稀少すぎてこうして作り替えされてしまうため、大半は現代まで残っていないのです。現在見ることができるアンティークジュエリーがいかに貴重かが分かりますね。 |
エドワーディアン前後
さて、時代を下り・・。 ダイヤモンドのカット技術が進化したら、天然真珠はダイヤモンドに駆逐されるのかと言えばそうではありません。史上最も天然真珠の評価が高く、ダイヤモンド以上に高価だったと言われるのがこのエドワーディアン前後の時代です。 1789年にフランス革命で王という存在が無くなったフランスや、18世紀半ばからの産業革命により台頭してきた中産階級の勢いが増すイギリスと異なり、1917年の革命前のロシアの皇帝は圧倒的な富と権力を独占していました。どれだけ高価で貴重な物でも手に入れることができる立場です。 そのロシア皇帝が戴冠する特別な晴れ舞台で、美しい皇妃アレクサンドラが選んだのがこの天然真珠のジュエリーなのです。 今の安っぽい養殖真珠だけしか見たことがなければ、想像もできないことですね。でもこれが天然真珠の歴史上の評価なのです。 |
|
ロシア皇帝ニコライ二世の皇妃アレクサンドラ・フョードロバナ(1894年の戴冠式の正装) |
生きた貝が作り出す真珠の色
1粒石ならばその個性を生かしたジュエリーを制作すれば良いのですが、たくさん使う場合は色、照り、艶、サイズ全てを揃える必要があります。 真珠ダイバーがたくさんの真珠貝を採取します。その中には偶然と言える確率でしか真珠は入っていません。さらに、その中からジュエリーに使うことができる物だけを選ぶのです。手に入れること自体、大変な手間とお金がかかります。 天然の貝が育むものなのですから、色や形がそれぞれ違うのは当然です。白く美しい天然真珠は想像以上に稀少なのです。 養殖真珠に見慣れている方だと、養殖真珠は最初から白く美しくて丸いものばかりと思っていらっしゃるかもしれません。しかし球形の核から作ったにも関わらず丸くないものもありますし、色はさらに変化に富みます。1つの珠でも色ムラが発生します。母貝の分泌物の異常により発生するこのシミは、取り出した養殖真珠の8割以上に存在するそうです。 |
重要輸出産業としての養殖真珠
御木本幸吉(1858-1954年) | 早くから起業家精神旺盛で、1878(明治11)年に真珠が高値で取引できることを知って以来、真珠に取り付かれた御木本幸吉は1879年から真珠母貝の養殖に本格的に取り組み始めました。 1893年に貝殻内面に付着した半円真珠の養殖に成功し、その後 1904年に見瀬辰平・西川藤吉によって現在の養殖真珠の基礎原理であるピース式という方法が考案され、真円真珠の養殖に成功したのです。 1868年に明治政府が発足以降、新政府が直面したのは極度の貿易赤字でした。殖産興業が唱えられ、外貨を稼ぐことが急務になったのですが、その主要産業の1つとして脚光を浴びたのが養殖真珠だったのです。 |
欧米諸国にとにかく認められたい、追いつきたいという当時の日本人を考えれば、相当な努力と誇りを持った仕事がなされたことは明らかです。 3〜5年の歳月をかけて母貝で育んだ真珠は取り出した後、さらに色を落ち着かせるために2年間自然乾燥させました。さらに選別し、基準に満たない養殖真珠ははじきます。低品質の養殖真珠なんて出荷したら、目の肥えたヨーロッパの人にはすぐにバレて笑い者です。日本の恥です。 |
こうした誇りと真面目な努力によって裏打ちされた、高い品質を持つ養殖真珠だったからこそヨーロッパに受け入れられることになりました。 こうして、国内に次々と養殖真珠産業への新規参入が増えていくことになります。 |
衆議院のHP | 有象無象が取り組み始めると質の低下は必至ですが、1952(昭和27)年に成立した真珠養殖事業法で質の悪い製品を排除し、制度面からも品質と信頼を保ってきました。 残念ながら1998(平成10)年、規制緩和の中でこの法律も撤廃されてしまい、養殖真珠の輸出前検査が無くなってしまいました。 |
以前なら商品になるのは全生産量の3割に過ぎなかったものが、それまでの水準以下の真珠でも販売することが可能となってしまったのです。業界全体で長年守ってきた、世界が認めた基準を失ってしまったのです。 品質が悪くなったから消費者に買ってもらえない、だからコストダウンが必要となりさらに品質が悪くなる。完全に負のスパイラルに陥っており、スパイラルが何度も回ってしまった結果、業界内でも問題視する声が大きくなる一方です。もはや「お天道様が見ているからお天道様に顔向けできないことはできない」という精神が日本人全員の心の中に生きていた時代とは違うのです。業者の良心任せにしても自浄作用は無く全く期待できません。 |
アンティークジュエリーにおける天然真珠の色と評価
【参考】中級の天然真珠ネックレス(色むら) |
【参考】低級の天然真珠ネックレス(ゴールデンパール:黄土色) |
天然真珠は白く色むらがなく照り艶が美しい物が評価されてきました。直感的に美しいと思えるものが評価が高いのは当然です。天然のままでそれが実現するのは本当にすごい確率です。しかしながら中産階級が増えてジュエリーの需要が増した結果、天然真珠と雖も低品質なネックレスが出回るようにもなりました。一応上のネックレスは鑑別証もある天然の物ですが、天然真珠のジュエリーが限られた人たちのためだけの時代だったら弾かれて商品にはされない品質の物です。左のネックレスは色むらが酷いのでどう駄目なのかは直ぐにお解りいただけると思います。右は美しいゴールデンパールなのに何故と思われるかもしれません。実は当時はこのような黄土色の真珠は美しくない低品質品と見なされていました。通常だったら販売しないような質の悪い物まで売るために、「ゴールデン・パール」などと謳い文句が編み出されたのです。これは現代の養殖真珠も同じです。自分で見る目がない人を宣伝文句で誘導し、価値が無い物をさも価値があるように見せて高く売るのは今の時代では常識ですね。 |
上の2つのネックレスが当時安物だったと判断できる理由をもう1つご説明しておきましょう。クラスプをご覧いただければ一目瞭然です。 左の最高級の天然真珠のネックレスは、ジュエリーのメインの石になってもおかしくないくらい上質なダイヤモンドが2石も使われており、その周りにもローズカットダイヤモンドがいくつも使われています。プラチナが出始めてで非常に高価だったエドワーディアンに作られたものですが、素晴らしいミル打ちがなされたプラチナも使われており、相当贅沢な作りです。 安物ネックレスのクラスプは所詮安い作りです。高級な材料も使いませんし、作りも雑です。安い真珠のネックレスには相応のクラスプしか使われないので、見分けるのは容易いのです。真珠が天然か養殖かだけはX線分析による鑑別証がないと分かりませんが・・。信頼できる所から買ったからと自信満々に委託で持って来る方もいらっしゃるのですが、今のところ全てクロでした。ヨーロッパの信頼できるディーラーから仕入れる場合でも養殖真珠が混入することがあるくらいですから当然です。特にネックレスは糸換えの際に混入しやすいのです。ヘリテイジでは返品がきくディーラーしか仕入れませんし、必ずロンドンか日本で分析して鑑別証をお付けするのはこういう理由があるのです。全ては天然真珠の価値をみなさまに理解していただき、安心して気持ちよく楽しんでいただくためです。 |
||
ちなみに真珠をたくさん使う天然真珠のネックレスの場合は白く美しい真珠の評価が高いですが、色付きは全部駄目かと言うとそうでもありません。生きた貝が作り出す偶然の色や形は大自然アートであり、私たちが授かることができた貴重な恵みなのです。大自然のアートに、さらに人間が神の業を用いて芸術作品に昇華させたのが上の美しいカラー真珠のジュエリーです。 |
いずれもとてもアーティスティックで美しいです。こういうジュエリーを作りたいから、理想に合うカラー天然真珠を見つけようという順序は確率から言ってもほぼ不可能でしょう。珍しい色の美しい天然真珠が偶然手に入ったから、それを最大に生かすことができるジュエリーを作ろうという発想だったのではないでしょうか。どれも贅沢な材料の使い方ですし、作りも良く、お金をかけて高級な物として作られたのは間違いありません。 |
それにしてもカラー天然真珠のジュエリーは壮観ですよね。ヘリテイジでの買い付けでのポイントは天然真珠のジュエリーが欲しいからという選び方ではなく、王侯貴族やごく限られたセンスあるお金持ちのための上質なジュエリーという選び方をしています。その結果、自然と天然真珠のジュエリーが多く集まったのですが、当時の天然真珠の絶大な評価の高さを鑑みれば当然のことと言えるのです。 当時としては価値が低い天然真珠を使った左の安物のネックレスも、逆に味があって好きという方もいらっしゃると思います。機能性ではなく美しさで判断するジュエリーは、持ち主が好きで心地良いと感じられるのが一番であり、本来あるべき形です。商売文句に惑わされることなく感性でお選びいただければと思います。その時、例えばちょっと評価が分かり難い、ゴールデンパール・ネックレスのような本来安物を不当な高値で買ってしまうことがないよう、知識が助けになると思います。海外で販売されていたこのネックレスも異様な高値で驚きました。ヨーロッパで天然真珠が再評価され始めていると雖も、ヨーロッパのディーラーと直接やりとりしている私としては相場とかけ離れた価格でした。オールノットでもないですし、糸が切れたらそれまでの品物です。真珠自体の価値が低く、ディーラーの意識も低いからオールノットですらないのです。 |
|
産業としての養殖真珠
明治天皇(1852-1912年) | 「世界中の女の首を真珠でしめてご覧に入れます。」 1905年に日露戦争の戦勝御報告で伊勢神宮を訪れた明治天皇に、御木本幸吉が言上した言葉です。産業化に向けて意気揚々としていた頃ではなく、養殖場が赤潮に見舞われて被害を受けた年でした。赤潮の被害を最小限に抑えるため、「戦場では今兵士たちが命がけで戦っている。我々は命がけで貝を助けるのだ。」と必死に頑張りました。兵士は命を賭けて戦場で日本のために戦い、御木本も必死で日本の殖産興業、富国強兵のために尽力していたのです。日本人が一丸となってそれぞれができることを頑張る、そういう時代でした。 当時の日本人にとって、天皇様に言上したことは何が何でも成し遂げなければならいないというものでした。御木本がどういう強い信念で養殖真珠を産業化まで導いたかお解りいただけることでしょう。 |
養殖真珠の色
初期の養殖真珠はご覧いただければ分かる通り、若干色むらがありますよね。 日本人は国民性として画一的なのが大好きだからか、完璧主義だからなのか、単にコストカットが変な方向に突き進んだのか、己の感性が必要な芸術が苦手だからか、ジュエリー文化がなかったせいなのか・・。 |
今では孔開け後の脱色で全ての色を抜いてしまい、さらに抜きすぎた色を均一に着色して無個性の「花珠真珠」というつまらぬ工業製品が生産され高値で売られているのが実情です。 今の人に真珠を選んでもらえないなんて馬鹿な話がありますが、業界が自分で自分の首を絞めているだけなのです。美意識のある人たちに選んでもらえる品質だと思っているのでしょうか。お値段だけはご立派ですねとしか言えません。 |
天然真珠と養殖真珠の外観差
天然真珠 | 初期の養殖真珠 | 現代の花珠養殖真珠 |
真珠層が厚く巻かれた初期の養殖真珠の内側から滲み出てくるような暖かい輝きと、現代の花珠養殖真珠の薄っぺらい光り方の理由はお分かりいただけたことと思います。花珠真珠の信じられないくらいの巻きの薄さ、さらには脱色と染色という化学処理・・。外観の差には当然理由があるのです。何でも手を加えただけ美しくなるとは限りませんが、手抜きされた品物が美しく高価な宝物になるわけがないのです。 |
さて、話を戻して今回の天然真珠についてしっかりとご説明して参りましょう。実は天然真珠では、このようなネックレスを作るのは一番コストが掛かるのです。何故ならブローチなどの場合は、歪な部分を半分にカットして奇麗な半球状のハーフパールにしてフレームにセット出来るますが、ネックレスの場合は真円真珠を使わなければないからです。 天然真珠を手に入れること自体がいかに大変かは『マーメイドの涙』でもご説明した通りです。だから、天然真珠ではこのぐらいの大きさでも、形、色、照りを揃えるのはもの凄く大変なことなのです。 |
クラスプがプラチナにゴールドバックなので、プラチナジュエリーの一般市場に使われ始めた頃、つまり天然真珠が最も人気があって高価だったエドワーディアンからアールデコ初期に作られた物です。 |
|
大きな珠だけでなく、小さな珠まで全てオールノットにしています。現代の養殖真珠ではあり得ないことです。オールノットは非常に手間がかかる加工です。例えば8cmの長さにするために、8mm珠であれば10珠で済みます。でも、2mmの珠だと40珠分を糸を通してノットにしなければなりません(ノット分の長さは含まずに算出)。人件費は4倍にもなります。それでも天然真珠は貴重だからオールノットにするのです。養殖真珠はタダみたいな物なので、糸が切れてバラバラになってもまた新しい物を用意すれば良いのです。オールノットにする人件費の方が高く付くというわけです。 |
珠の大きさのグラデーションもとても美しいですね。オールノットや糸通しに手間がかかったとしても、やはりこのグラデーションがあるからこそエレガントな雰囲気を放つジュエリーになるのです。 |
最近は養殖真珠の質が更に悪化していること、元々ジュエリー文化があって欧米は目が肥えていることもあり、養殖真珠と天然真珠の違いが分かる人たちが増えて来ているようです。しかし天然真珠産業が壊滅した今、天然真珠を使ったジュエリーはアンティーク・ジュエリー以外では存在し得ず、ようやくそのことが知られるようになってきています。 |
このまま価格は上昇せずに済むのか、市場価格は上がっていくのか分かりませんが、ヨーロッパのディーラーには上質な物ならいくらでも欲しいので集めてきてくれるよう以前から頼んであります。市場には養殖真珠が混入してしまっているもの、質が悪いものもたくさんありますが、このネックレスは真珠の形、色、照りそれにクラスプなどのすべてが満足できる品質です。天然真珠に強いディーラーに専門的に集めてもらっているので、今回たまたまこの価格帯でご紹介できるのですが、現在の相場からすれば相当なお買い得価格だと思います。まあ滅多にないラッキーなことだと思ってください(笑) |
|
|||
ご覧の通り、エレガントな印象でコーディネートしていただけると思います。 既に1本お持ちの方でも、ダブル使いして少しゴージャス感を出すのも楽しそうです。アトリエに来る際、そういう贅沢なコーディネートをして来て下さったお客様もいらしたのですが、予想以上に素晴らしくて嬉しかったのを思い出しました。 定期的に仕入れられるように頑張ってはいるものの、何だかんだ貴重なお品物なので良い物が2つアトリエに揃うことはほぼなく、私自身は残念ながら試してみたことはありません(笑) |
|
|||
このネックレスは糸のコンディションも良い状態ですし、オールノットでもあるので、このままでも3年から5年は安心してお使い頂けます。夏場の汗をかく時期には使うのを控えた方が良いと思います。 |
天然真珠のロンドンの鑑別書
ロンドンの鑑別証をお付けしております。 |