No.00196 ロシアン・アヴァンギャルド

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク


ロシアン・アヴァンギャルド

ロシアン・アバンギャルドの言葉が似合う、時代を先取りした前衛的デザインは革命前夜の不思議なエネルギーに満ちたものなのです。

 

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク
実物大

『ロシアン・アヴァンギャルド』
ルビー&サファイア リング

ロシア 1910年頃
サファイア、ルビー、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、約14ctゴールド
サイズ 10(変更可能)
重量 2,7g
SOLD

←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

日本初のアンティークジュエリー・ディーラーGENとロシア

ロシア ソングオブロシア アンティーク リキュールグラス 革命前 帝政 シルバー

日本ではまだ誰もロシアン・ジュエリーを知らなかった時代、30年以上前の赤坂にお店があった時代から、GENはロシアに不思議なご縁がありました。その独特かつ深い魅力を放つロシアン・アンティークに魅入られたGENは、神楽坂のお店の名前を『ソング・オブ・ロシア』にしたほどです。上のリキュールグラスも、ロマノフ家御用達フレブニコフのものです。

ロシアン・リングの魅力

ロシアン・アールヌーヴォー リング アンティークジュエリー デマントイドガーネットロシアン・アールヌーヴォー リング
ロシア 1900年頃
デマントイド・ガーネット、約14ctゴールド
SOLD

どのアイテムも独特のデザインや素材使いが魅力的なロシアン・アンティークですが、特に他のヨーロッパのアンティークと比べて異彩を放つのがリングです。

デザインの自由度が高いブローチと比べて、リングはデザイン上の制約が多いので通常はあまり面白みが感じられないものが多いのですが、ロシアのリングは魅力溢れるものが多いのです。

左のロシアのリングはフランスのアールヌーヴォーとはひと味違った、寒い国の可憐な花を思い起こすデザインです。
正面から見るとシャンク(腕の部分)の前面中央が細く華奢な作りで、奥に行くに従って太くなるのはこの時代のロシアの指輪らしいデザインです。

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティークジュエリー サファイア 帝政ロシアロシアン・アヴァンギャルド リング
ロシア 1910年頃
サファイヤ、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ローズカット・ダイヤモンド、約14ctゴールド
SOLD

これもロシアのリングですが、指輪が作られた当時の時代を反映したロシアン・アヴァンギャルドを感じさせる前衛的なデザインです。

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティークジュエリー 帝政ロシア エナメルロシアン・アヴァンギャルド リング
ロシア 1910年頃
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、エナメル、約14ctゴールド
SOLD

これは特にロシアン・アヴァンギャルドを感じる、時代を先取りしたモダンなデザインのリングです。

三つの上質のダイヤモンドのセッティングがユニークですし、ブラックエナメルを使ったシャンクのデザインが傑出した作品です。

ロシアン・アヴァンギャルド

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク

この指輪も一目でロシアの指輪と分かるアヴァンギャルド(前衛的)なデザインのロシアン・リングです。

『アヴァンギャルド』はフランス語でもともと『前衛部隊』を指す言葉で、芸術の文脈においては「革新的な試み」や「実験的な試み」、またはそれを行う芸術家を指す語として使われるようになりました。

第一次大戦後にヨーロッパで始まった芸術革新運動に使われ、1960年代が全盛期と言われていますが、それより以前、ロシアではロシアン・アヴァンギャルドと呼ばれる動きがあったのです。

サンクトペテルブルク美術大学 "Imperial Academy of Arts" ©Florstein(WikiPhotoSpace)(1 May 2013)/Adapted/CC BY-SA 4.0
(1764-1789年にロシア人とフランス人の共同デザインにより『ロシア帝国美術アカデミー』として建築)

もともとヨーロッパから見ると田舎で、人が住むには過酷な地であったこともあり、国としての歴史も浅いロシアでした。王族、貴族階級であってもまだまだ文化的に未成熟でしたが、ロシア皇帝エリザヴェータ治世下の1757年に『Academy of the Three Noblest Arts』という名称で、現代のサンクトペテルブルク美術大学の前身となる美術アカデミーが創設されました。

『ロシア帝国美術アカデミーの就任式』(ヴァレリー・ジャコビー 1889年)ルーブル美術館

エリザヴェータの後、半年ほどだけピョートル3世の治世を挟み、エカチェリーナ2世がロシアの皇帝となります。エカチェリーナ2世はもともとドイツ人かつドイツ育ち、知性と教養溢れる優れた頭脳の持ち主だったと言われています。農奴制と派手なお金使いが有名ですが、ヨーロッパの最先端も理解しているが故にロシアの発展のために尽力した人物でもあります。

嫁いできたロシアを文化面でも発展させるため、エリザヴェータの時代に設立された美術アカデミーを『ロシア帝国美術アカデミー』と改名し、現在のサンプトペテルブルク大学の建物を1789年に完成させました。有望な学生はヨーロッパの主要都市に送り込むなど、国を挙げて積極的に優れたヨーロッパの美術芸術を取り入れていきます。

『ポンペイ最期の日』(カール・ブリューロフ 1830-1833年)国立ロシア美術館

その甲斐あって、ロシアの芸術レベルはめきめきと上がっていきます。これは同時代の人たちに『絵画の皇帝』と呼ばれたカール・ブリューロフがイタリア滞在中に創作し、パリの展覧会でグランプリを獲得した作品です。ブリューロフは国際的に活躍したロシア初の画家とみなされています。実物はもっとでしょうけれど、画像で見ても迫力凄まじい作品ですね。

『第九の波濤』もしくは『怒濤』(イヴァン・アイヴァゾフスキー 1850年)国立ロシア美術館

6,000点を超える作品を遺した偉大な海洋画家アイヴァゾフスキーも、アカデミーで金メダルを得て卒業しています。人物の表情などは見えない風景画ながらも、情動を起こすような訴えてくるこの迫力に圧倒されます。

『イワン雷帝と皇子イワン』(イリヤ・レーピン 1885年)トレチャコフ美術館

ロシア芸術で欠かせないのがレーピンです。最も偉大な写実主義画家と言われ、学校の教科書にも作品がいくつも掲載されているので、記憶にある方も多いと思います。私が初めて見たレーピンの作品がこの『イワン雷帝と皇子イワン』でしたが、高校生ながらに絵のあまりの迫力に強い感銘を受けた記憶があります。

『クルスク県の復活大祭の十字行』(イリヤ・レーピン 1880-1883年)トレチャコフ美術館

これは初めて見たとき、写真かと思ってしまいました。レーピンは"心理的洞察を持ち合わせた写実画"で名高いです。依頼を受けて制作する社会的名士をモチーフとして作品を描く一方で、貧困や差別にあえぐ社会の最下層を題材とした作品も数多く残しています。それらの作品は、既存の社会秩序の矛盾や階層間の緊張を露わにしていると評されています。

『ヴォルガの舟曳き』(イリヤ・レーピン 1870-1873年)国立ロシア美術館

レーピンの名声を確立することになったのがこの『ヴォルガの舟曳き』です。上流に大きな舟を移動させるには人間に曳かせるのが一番安上がりだったという、社会の最底辺で働く人たちの過酷な重労働を描いたものです。

『ヴォルガの舟曳き』(イリヤ・レーピン 1870-1873年)国立ロシア美術館
レーピンがまだアカデミーの学生だった頃に描いたこの絵は、一部の批評家には「低い生活層の場面を壮大にしたことは、世界で最も大いなる芸術への冒涜だ」と非難されたそうです。ロシアでは定期的に飢饉が起き、1891-1892年にかけても40万人もの餓死者が出ているなど、最下層の生活は酷いものでした。
『美女』(ボリス・クストーディエフ 1915年)トレチャコフ美術館

これはレーピンと共に学んでいたクストーディエフによる『美女』です。

最下層は痩せ細り餓死する人たちもいる中、『美女』がこれだけふくよななスタイルなのはちょっとやるせない気分ですね。


『商人の妻』(ボリス・クストーディエフ 1918年)トレチャコフ美術館

「パンをよこせ」とのご婦人たちデモから始まったと言われる1917年のロシア革命ですが、その一方で特権階級はこのような贅沢な食事をとり、ふくよかでいられたことを考えると本当に切ないです。革命前のロシアにはこれだけの貧富の差があり、しかも芸術が高い地位持っていたからこそ優れた芸術作品が生み出されたという面もあります。平等が行きすぎると芸術的にはつまらないものだらけだったりして複雑です。

ツァーリ ニコライ2世 ボリス・クストーディエフ
『ツァーリ ニコライ2世』ボリス・クストーディエフ画(1915年)

クストーディエフは革命前のニコライ2世も描いています。革命直前のロシアの空気を肌で感じていたでしょうかね。

ボリシェヴィキ ボリス・クストーディエフ トレチャコフ美術館
『ボリシェヴィキ』ボリス・クストーディエフ画(1920年)トレチャコフ美術館蔵

こちらは革命後の作品です。ボリシェヴィキは、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、レーニン率いる左派の一派です。社会情勢がひしひしと伝わってきますね。

当時ロシアで芸術の地位はとても高く、芸術家たちの中にはその創作活動により社会に貢献するという強い意志を持って活動する人たちも存在しました。そのような中で生まれたのがロシアン・アヴァンギャルドなのです。

赤いくさびで白を叩きのめせ エル・リシツキー ヴァン・アッベ美術館 ロシアン・アヴァンギャルド
『赤いくさびで白を叩きのめせ』エル・リシツキー作(1920年)ヴァン・アッベ美術館蔵

これは20世紀におけるグラフィックデザインの祖と言われる、数多くの革新的なデザインを生み出したリシツキーによるプロパガンダポスターです。革命政府の赤いくさび、帝政ロシアの古い政府の白、シンプルな構図ながら「鑑賞する物に行動を促す」というテーマを生涯持ち続けたリシツキーらしい、強いメッセージが一目で分かります。

冬 カジミール・マレーヴィチ ラドウィグ美術館 ロシアン・アヴァンギャルド
『冬』カジミール・マレーヴィチ画(1909年)ラドウィグ美術館蔵
ロシアン・アヴァンギャルドは19世紀末頃から始まった芸術運動ですが、とりわけ1908年からはっきりとした運動になってきました。この年にモスクワとサンクトペテルブルクで歴史的展示会が開催され、新進気鋭の若き芸術家たちが伝統的な美術の破壊を宣言したのです。時はロシア第一革命と言われる「血の日曜日事件」が1905年に起こり、1907年にストルイピン首相のクーデターで一度終息した直後でした。
ロシアン アヴァンギャルド ピアニスト リューボフ・ポポーワ 国立カナダ美術館
『ピアニスト』リューボフ・ポポーワ画(1914年)国立カナダ美術館

それから1917年のロシア革命に向けて、ロシアン・アヴァンギャルドの運動も急速に進みました。

ロシアン アヴァンギャルド シュプレマティスム カジミール・マレーヴィチ クラスノダール・アート美術館
『シュプレマティスム』カジミール・マレーヴィチ画(1916年-1917年)クラスノダール・アート美術館蔵
ロシアン・アヴァンギャルド 第三インターナショナル記念塔の模型 タトリン設計『第三インターナショナル記念塔の模型』(タトリンの設計 1919年)

もちろんロシアン・アヴァンギャルドは絵画だけではありません。

残念ながら実現はしませんでしたが、タトリンが設計した第三インターナショナル記念塔は、鉄とガラスを使ったロシアン・アヴァンギャルドの象徴的作品と言われています。

『モスクワのラジオ塔』(ウラジーミル・シューホフ設計 1922年)
"Shukhov tower shabolovka moscow 02" ©Lite(10:16, 18 Npvember 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これはラジオ塔です。

ロシアン・アヴァンギャルドは構造的に面白い作品が多数生み出されているのです。

『対称性アート』アレキサンダー・レドチェンコによるチェステーブル・デザイン(1925年)
" Alexandr rodchenko, scacchi da dopolavoro, progettaz. 1925, ricostruito nel 2007, 01 " ©Sailko(12 March 2016, 12:17:466)/Adapted/CC BY-3.0
ロシアの前衛芸術がいかに時代を先取りしていたかが伝わってきますね。黒と赤(朱色)の対決なので、この作品には特に政治的要素は絡んでいないと思います。純粋芸術としても、ロシアン・アヴァンギャルドは非常に魅力的を感じます。

ロシアン・アヴァンギャルドのジュエリーへの影響

19世紀末から1930年代初頭までに定義されるロシアン・アヴァンギャルドの期間の中でも、特に1900年頃から1917年に於いては、革命前夜という何か革新的な変化を求めるエネルギーに満ちた時代でもありました。

それだけにヨーロッパに先駆けて、時代を先取りしたアヴァンギャルド(前衛的)なデザインのジュエリーが作られていたのです。

ファベルジェの独創的な作品にも、ロシアン・アヴァンギャルドを感じることができます。

左のシガレットケースも、蛇が表裏でつながった大胆な構図で表現されており、時代を先取りしたアヴァンギャルドと言える作品です。

シガレットケース
ダイヤモンド、ギロッシュエナメル
ファベルジェ作
ファベルジェ Iceシリーズ ペンダント
ファベルジェ商会 1913年
ロッククリスタル(水晶)、ローズカット・ダイヤモンド、プラチナ
【引用】『Faberge: Lost and Found』(A Kenneth Snowman著 1990年)Thames and Hudson Ltd, London ©Electa, Milan、p134

この作品はファベルジェのロッククリスタルを使った『Iceシリーズ』のペンダントの1つです。

ファベルジェの名品の中でもアヴァンギャルドという意味では突出した作品で、Genもいつかは扱ってみたいと語っていました。

ロッククリスタルを整った形に奇麗にファセットカットするのではなく、わざわざ不定形にカットしてまるで自然の氷のように表現しています。

見ていると天然の氷らしい輝きまで感じられますが、これを完成させるまでには相当な数の試作を繰り返したに違いありません。何故ならば、こういう不整形のカットの輝きは思い通りになる筈などあり得ないからです。

この作品を作るのは、想像を絶するような困難な作業だったと感じます。

優れたアンティーク・ジュエリーのカラーストーンは、石の裏のカットが驚くほど繊細で美しいものです。でも、それは経験を積んだ技術のあるカッターであれば、それほど難しい作業ではないのです。

それよりも自然の氷の欠片に見えるように不整形にカットする方がどれほど難しいことか。

単に技術的なことだけでなく、センスの問題があるからです。そしてこういうカットの場合は仕上げの磨きが最も難しいのではないかと思えます。

カットしたままだとエッジが鋭くて、とても身につけられる状態で無い筈ですから、自然の氷の欠片に見える範囲で磨いて仕上げるという最も難しい作業があるからです。

そういう観点から、同じIceシリーズでも左の作品と上の作品では全然難易度が違うと思います。左のキンキンに冷えた氷を表現したフロステッド・クリスタルも、これはこれで難しいしデザイン的な魅力もありますが、上の作品は別格です。

参考画像
【引用】『Faberge: Lost and Found』(A Kenneth Snowman著 1990年)Thames and Hudson Ltd, London ©Electa, Milan、p134

永久に溶けることのない美しい氷・・。

上に挙げたファベルジェの作品は、ロシアが世界に先駆けてアヴァンギャルドな作品を作っていたことの好例ですが、スポーツ界でも同じ現象が見られるように、一人の天才が現れて壁を打ち破ることで、それまで超えられなかった壁を皆が超えられるようになるように、ファベルジェに刺激を受けた他のロシアン・ジュエラーも次々に優れた作品を生み出すようになりました。

こうして革命前のロシアの宝飾工芸は、一挙に全体がレベルアップしたのです。

ペンダントもリングも、ロシアン・アヴァンギャルドに共通する革新的なデザインです。

リングに表現されたロシアン・アヴァンギャルド

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ルビー サファイア ダイヤモンド

ロシアのアンティーク・ジュエリーの中でも、特にリングは優れたデザインの物が多く見られる印象ですが、当時のロシアのジュエリー業界全体としてリングに力を入れる風潮があったのかもしれません。

その中でも特にこのリングは、アヴァンギャルドな優れたデザインです。

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク 前衛的なデザインというからには、左右比対称のデザインは当たり前ですが、この指輪のシャンク(腕)の作りをよ〜くご覧下さい。

まるで一筆書きのように、一枚の金の板で出来ているような独特のデザインになっているです。
ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク
シャンクは後部まですべて金の板を横にしたような、表面からは細い線にしか見えないような構造です。普通の指輪とは全く違う構造になっています。
ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク

出来るだけ金属が目立たない、繊細かつシャープなイメージにするための考えられたデザインだと考えられますが、この時代のこういうデザインの指輪はロシア以外では全く作られていません。

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク
左の画像の角度から見ると、下側のルビーとサファイアのお花は輪の内側から出てきたような立体的なデザインになっています。裏側から見ると、これは的確に設計してパーツを作り、丁寧に蝋付けして実現したデザインであることが分かります。デザインだけでなく、作りも丁寧なのがこの時代の優れたロシアン・ジュエリーなのです。

宝石の魅力

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク この指輪の魅力はアヴァンギャルドな珍しいデザインだけではありません。

ルビーもサファイアも十分な大きさがる上に、透明感のあるとびきり美しい石が使われています。

その美しさに花を添えるように、小さな上質のオールドヨーロピアンカットダイヤモンドを二つづつセットしてあるのもセンスの良さを感じます。

ルビー、サファイア、ダイヤモンドいずれもとても照りが強く、少し角度を変えるだけで華やかに煌めくので、付けて眺めているだけでもとても楽しいと思います。リングは他のジュエリーと違い、身に付けている時に自分自身でも見て楽しめるのが魅力ですよね。
ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク

アンティークでも、豪華で高そうに見えすぎるリングは日常であわせるのが難しかったりします。

このリングは美しい宝石を贅沢に使ってはいても、普段の生活の中で、少しお洒落を楽しむようなシーンにはうってつけだと思います。

ただでさえ人気アイテムであり、扱えるレベルでコンディションが良いリングは少ないものです。

その中でも、誰も持っていないような個性的かつセンスの良いデザインで、しかも石も美しく作りも良いリングなんて滅多にありません。

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク

欧米の知識階級の人たちにとって、今のロシアではなく革命前のロシア(帝政ロシア)のアンティーク・ジュエリーには、ヨーロッパの国とは違う何かエキゾチックな魅力を感じることに加えて、衝撃的な革命があっただけに、ドラマチックなイメージを受けるようなのです。

ロシアン・ジュエリーは独特の個性豊かなデザインが多いのが魅力ですが、その中でも指輪のデザインには何にも代え難い強い魅力を感じます。


ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク
ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク 裏の完璧で美しい仕上げも惚れ惚れするほどです。

ロシアのホールマーク

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ロシア マーク

56という数字はロシア独特の金の純度を表す数字で、約14金に相当します。

リングの構造上、内側でも外側でもなくサイドに刻印があるのが面白いです。

着用イメージ

ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク ロシアン・アヴァンギャルド リング アンティーク

こういう対称ではないデザインのリングは、上下どちらに着けるのか、どの指に着けるかでも印象が変わります。

今回は撮影用に白系のマニキュアを塗ってみたのですが、少しパンチが利いたネイルでも全く指輪が負けないのも凄いところです。

まるで厳寒のロシアに咲く、可憐で力強い花のように美しいリング・・。いろいろ楽しめるのが良いですね♪

ロシアン アヴァンギャルド
【参考】イメージビジュアルに使用したリシツキーの作品『プロウン(Proun)』(1922年)MOMA蔵

 

その他のロシアのジュエリーと小物

ロシアン クロワゾネ・エナメル スモールボウル アンティーク

『ロシアン・ラグジュアリー』
ロシアン クロワゾネ・エナメル スモールボウル

ロシア 19世紀後期
クロワゾネ・エナメル(有線七宝)、シルバー、シルバーギルト、ゴールド
直径5cm  高さ1,8cm
重量50,4g
¥367,000-(税込10%)

驚くほど細工に手をかけるロシアの作品の中でも、別格の手のかけ方と技術が施された特別なロシアンエナメルのスモールボウルです。

 

ロシアン ムーンストーン ブローチ ヴィクトリアン アンティークジュエリー ダイヤモンド 満月
『ロシアン・ルナ』
ロシアン ムーンストーン ブローチ

ロシア? 1880〜1890年頃
ムーンストーン、オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、極小ローズカットダイヤモンド、14ctゴールド、銀合金(銀:67.5%, 金:18.2%, 銅:14.1%)
SOLD

ロシアの天才プロデューサー、ファベルジェも好んで使ったシラーのない独特の雰囲気を放つムーンストーンのブローチです。

脇石のローズカットダイヤモンドも驚くほど細かい留め方で、小さなダイヤモンドの繊細な輝きと、広大な夜空に浮かぶ満月のようなムーンストーンのコラボレーションは一目見て虜になってしまいます♪