No.00168 エトルリアの知性 |
細工物の魅力が特徴のエトラスカンスタイルのジュエリーでは珍しい、知性的な煌めきを放つアクアマリンをふんだんに使った、石の魅力も兼ね備えた考古学風アンティーク・ジュエリーです♪ |
『エトルリアの知性』 エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス イタリア or オーストリア? 1870年代 アクアマリン、ゴールド(12K) チェーンの長さ38cm 重量 8,5g SOLD エトラスカンスタイルのジュエリーでも類を見ない驚異的な極細の縒り線細工が施された、ハイレベルの作品です。アクアマリンのような透明な石を使ったエトラスカンスタイルのジュエリー自体も大変稀少で、これまでに見たことがありません。エトラスカン独特の渋さや格調の高い雰囲気に加えて、華やかさもプラスされた、ジュエリーとしても見たときにも非常に魅力的なネックレスです。 |
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単なる古代エトルリア・ジュエリーの模倣や再現ではなく、19世紀後期の職人によってより素晴らしい芸術作品へと昇華した作品と言えますヨーロッパの歴史の中で、この作品がどのようにして創造されることになったのか、少し歴史を見ていきましょう。 |
エトラスカンスタイル ジュエリー
古代エトルリアの墳墓 " Etruscan Tombs at Orvieto (III) (4911116296) " ©Institute for the Study of the Ancient World from New York, United States of Amerika(20 February 1998 ,00:00)/Adapted/CC BY 2.0 |
ヨーロッパでは18世紀から19世紀にかけて、古代ローマやエジプト、ヘレニズム、エトルリアの遺跡からの発掘品にインスピレーションを受けて、新しいスタイルのジュエリーが作られるようになりました。 エトラスカンスタイルのジュエリーは、謎に包まれた古代の民、エトルリア人による超高度な宝飾品にインスピレーションを受けて作られた物です。 |
Fortunato Pio Castellani(1794-1865年) | エトラスカンスタイル・ジュエリーの第一人者カステラーニは、アンティークジュエリーを好きな方ならご存じの方が多いと思います。 カステラーニはイタリアの宝石商で、1814年にローマで最初の店をオープンしました。 その頃のデザインは、当時のファッションを反映したフランスやイギリスのジュエリーに基づく作品でした。 |
サルモネタ公爵 ミケランジェロ・カエタニ(1804-1882年) | 1826年にカステラーニは生涯の友人かつスポンサーで、彼の人生に大きな影響を与えることになるカエタニに出会います。 後に著名な考古学者でサルモネタ公爵となるカエタニは、ダンテの学者、歴史家でもあり、木工細工や宝飾細工に精通したアーティストでもあり、古代ローマの高等な社会をこよなく愛する人物でもありました。 この出会いが、カステラーニに古代のジュエリーにインスピレーションを求めるきっかけとなります。特に古代ローマ初期のエトルリア文明の影響が強く見られる時代にインスピレーションを受けて、考古学的なスタイルのジュエリーを作るようになりました。 |
Regolini-Galassiの墓の広間(紀元前7世紀)のスケッチ | 1836年に、考古学者が古代エトルリアのRegolini-Galassiの墓を発見しました。この発掘は、特に重要なエトルリア文化の発見となります。墳墓からは良好な保存状態の美しい宝飾品がたくさん見つかりました。 カステラーニはその知見と、カエタニとのコネクションにより、ローマ教皇からの依頼を受けて、発掘隊の顧問として調査に参加することになりました。 皆ワクワクしたでしょうね〜♪ |
『シレヌスの顔のついたネックレス』(エトルリア 紀元前6-紀元前5世紀)国立博物館(ナポリ) 【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.54 |
これは特に優れたエトルリアの金細工のネックレスです。肉眼では分からないほどの極小な粒金をびっしりと無数に蝋付けしてあるのですが、この画像では現代人の常識を越えた古代の粒金の凄さは分からないと思います。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で同時代のエトルリアの黄金の作品を見てきましたが、「粒金」と言うよりも「粉末」という印象で仰天しました。 |
【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.27 |
人面とドングリのカサには、極めて小さな粒金(0,1mm台)がびっしりと付けられています。19世紀の粒金も現代では出来ないハイレベルの細工ですが、紀元前の粒金は現代人の常識を捨ててしまわないと到底理解不能なほど、もの凄い細工なのです。♪ さらに金で編まれた糸の細さも驚異的です!背景の布の繊維と同じくらいの太さしかありません。初めてルネサンスのアトリエに行ったとき、GENから本でこの作品を見せてもらったのですが、相当なショックを受けました。中学校の修学旅行を除いて海外旅行には行ったことがないものの、いつか絶対イタリアに見に行かなくてはと思ったものでした。ある意味、このエトルリアの作品が私がアンティークジュエリーの世界に飛び込むきっかけになったと言えます。 |
エトルリアの領域(濃い草色:紀元前750年、薄い草色:紀元前750-紀元前500年にかけての拡張、二重丸:12の都市国家) "Etruscan civilization map" ©NormanEinstein(26 July 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 古代エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群です。 エトルリアは非インド・ヨーロッパ語族で、日本語同様に独立した言語を使っていたとみられます。最盛期は紀元前750-500年で、裕福で高度な文字文化を持つ文明を築いていましたが、文献としては残っていません。エトルリアを吸収したローマの体制側が意図的に隠滅したというのが通説です。 どこから来たのか、どういう民族だったのかはっきり分からない謎の超古代文明国家だったからこそ、ロマンや憧れの対象にもなっているのです。 |
金細工の耳飾り(古代エトルリア 紀元前530〜480年)大英博物館 | 左はエトルリアの耳飾りです。大きさは分かりませんが、耳に付けた物のようなので大きな物ではないと思います。 |
アウグスト・カステラーニ(1829-1914年) | 一体どういう技術で作ったのか、当時の常識でも想像もつかなかったことでしょう。まさしく人間が作ったとは思えない神の技を目の当たりにして、才能溢れる人物ならトライしてみたいと思うのは当然です。 エトルリアの技術を再現するべく、カステラーニは様々な研究とジュエリー制作を重ねました。1851年にカステラーニ自身は引退するものの、息子のアレッサンドロとアウグスト・カステラーニが1858年に店を再開します。 パリのシャンゼリゼに店をオープンして古代のジュエリーに関する講演を開き、パリの上流社会と交流し、ナポレオン三世の支援を得て宝飾品コレクションも発表しました。1861年にはフィレンツェ、1862年にはロンドンでの国際展示会にも出展し、考古学の新たな発見や人気の高まりと共に、カステラーニはとても有名になりました。 |
『イタリア考古学風ジュエリー』 Castellani カステラーニ イタリア 1860年頃 SOLD |
左はカステラーニによる作品と推測される、イタリア考古学風ジュエリーです。この作品には、素晴らしい縒り線の技術が見られます。カステラーニの作品が高く評価されたことで、1870年代にエトラスカンスタイルのゴールドジュエリーが作られるようになったのです。 このロマン溢れる考古学風ジュエリーの人気はヨーロッパ中に波及し、1867年のパリの国際展では、ほぼ全ての宝石商がショーケースに考古学風ジュエリーを展示していたそうです。 |
エトラスカンスタイルのジュエリー
エトラスカンスタイル ブローチ スイス 1870年頃 SOLD |
エトラスカン・スタイルのジュエリーでは、紀元前5世紀頃のエトルリアやギリシャで技術的に頂点に達した縒り線と粒金が再現されているのが特徴です。 |
『スカラベ』 エトラスカンスタイル スカーフリング イタリア or イギリス 1870年頃 SOLD |
『黄金のスカラベ』 エトラスカンスタイル ブローチ イタリア or イギリス 1870年頃 SOLD |
エトラスカンスタイル ネックレス イタリア or イギリス 1870年頃 SOLD |
ルネサンスの頃より、作りだけでなくデザイン的にも優れた特徴がある作品しか扱ってはおりませんが、エトラスカンスタイルのジュエリーは基本的にはゴールドのみであったり、石が使われていたとしても珊瑚やコーネリアンなど透明感が無い石が使われていることが特徴です。考古学的な「知性」や「渋さ」、「権威」などの雰囲気を出すには、このような素材使いが適していたからだと考えられます。 |
本作品には、たくさんのアクアマリンが使われています。このような透明な石を使ったエトラスカンスタイルのジュエリーは43年間で見た記憶がありません。 |
透明な石が使われているという珍しさはあるものの、エトラスカンスタイルのジュエリーとして、金細工の技術もかなり高度な作品です。 |
左の画像を見ると何種類もの縒り線が使われているのが分かりますが、小さな多数の輪の部分にご注目ください。 現代の職人では、この最も太い縒り線(1mm以下)でさえも作るのは不可能な筈です。0,5mm以下の金線は通常専門店でも市販されておらず、自分で作るしかありません。実はこの作業が、想像を絶する超難度の高度な技が必要なのです! |
使いたい細さの金線を手作りするには、大きな穴から極小の穴までを、連続して開けた分厚い鋼鉄板を使います。まず適当な太さの穴に、穴の直径より僅かに太い金線を通し、穴の反対側から引っ張って細く延ばしていきます。少しずつ穴の経を小さくしながらこの作業を繰り返すのですが、職人の話によると金線が細くなればなるほど僅かなことで切れやすくなるので、このエトラスカンの一番太い縒り線でも今では絶対に作るのは不可能なのだそうです。 現代の科学技術を使えば原理的には不可能ではないはずですが、機械の技術開発と製造コストを考えると到底コストが合わないので、経済の原則からも無理だと思います。 例え作れたとしても、その極細の二本の金線を均等に奇麗に縒るのがまた至難の業ですから、実質上不可能です。当時としてもかなり手間と時間がかかる物だったからこそ、エトラスカンスタイルのジュエリー自体あまり存在しないのだと思います。 |
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一つ一つ蝋付けされているパーツ数は膨大なものです。蝋付けは、金より低い融点の合金(金は1000度で金蝋と言われる合金は約700度)を本体とパーツの間に挟み、約700度の熱を加え合金だけを溶かして付ける溶接技術です。古代から存在する金細工の重要な技術ですが、直径1mm前後の粒金を正確な位置に蝋付けするのは一つだけでも難しいことです。ましてやこのネックレスのように沢山の粒金やパーツを付けるのは、想像を絶する高度な技術がなければ不可能です。 蝋付けは金細工の基本で最も重要な技術ですが、益々退化しているのが現状です。20年程前にレーザー溶接機が開発され、簡単に早く蝋付けが出来るようになりました。科学技術の勝利と言うことで一見良さそうですが、レーザー溶接では中まで熱が加わらないため、従来の蝋付けよりも弱く耐久性の面で問題があるのです。 初期の装置は1000万円もしていたので余り普及していなかったのですが、最近では小型の物が100万円以下で買えるようになり、多くの職人が使うようになりました。 こうなるともう元には戻れず、技術は失われる一方です。これまでにも職人による高度な技術は幾度となく失われてきました。金細工の蝋付けも現在進行中で同じことが繰り返されているのです。 HERITAGEで扱っているような、ちゃんとしたアンティークジュエリーは100年以上の使用に耐えて今ここに存在します。丁寧に扱えばさらに100年後も良い状態で残っていることでしょう。 でも、現代のジュエリーで100年後に満足な状態で残っている物はほとんど無いと思います。消費者も「後の世代に継承するつもりはなく、自分が生きている間だけ使えれば良い。後で壊れようが構わない。」という意識の人の方が多いのかもしれません。現代ジュエリーは大衆向けの消耗品に過ぎないから、耐久性よりもコストカットということなのでしょう。 |
金細工は古代エトルリアが頂点です。 便利な機械が全く無かった古代において、最も高度な技術が発達し、最も素晴らしい作品が作られました。遺跡から発掘された物の中には、まるで今作ったような良好な状態で出てくることも少なくないのはその為なのです。 そして、1870年代にエトラスカンスタイルのジュエリーを作ることが出来たのは、まだ優れた蝋付けの技術が残っていたらからなのです。 |
アクアマリンは鮮やかな水色と言うより、淡い色で少しグレーを帯びています。 非加熱の天然の石であるにも関わらず色が揃っており、全ての石が透明度が高く、煌めきが強い上質な石であることから、敢えてこのような色味のアクアマリンを使ったのだと思います。これだけ高度な金細工が施されていることからも、レベルの低い石を使うことは考えられません。 敢えて渋い色味のアクアマリンを使うことで、考古学独特の権威や知性的な雰囲気を表現したのだと思います。 |
このように、あらゆる部分に素晴らしい縒り線が使われているのには感服するばかりです。 デザイン的にもとても気が利いています。花の形をしたパーツは平面的な作りではありません。 |
斜めから見るとお分かりいただける通り、実際の花のように花びらに角度が付けられた作りです。 こういう1つ1つ立体的な作りが、作品により生き生きとした躍動感をプラスするのです。 |
古代を意識したデザインのクラスプも使いやすく、センスの良さを醸し出しています。 |
12Kの刻印があり、イギリスとフランス以外の国で作られたことになります。オーストリアの可能性を考えていますが、断言はできません。 |
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ヘリテイジのお客様は細工が好きな方も多いので、エトラスカン・スタイルのジュエリーに興味はあったものの、華やかさに欠けたり渋過ぎたりでジュエリーとしては使いにくそうと感じていらした方もいらっしゃるるかもしれません。そんな中で、このネックレスはエトラスカンスタイルのジュエリーの中でも超難度の細工と、アクアマリンを使うデザイン性の良さが両立した大変稀少なジュエリーです。垂れ下がったアクアマリンは身につけると強い煌めきが印象的で、着け栄えもするので、作品としてだけでなく身に着けて楽しむジュエリーとしてもとってもオススメです♪ |
その他のエトラスカン・スタイルのジュエリー
『真珠の花』 エトルスカン・スタイル ブローチ イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
紀元前の古代エトルリアの超高度なゴールドジュエリーに刺激を受けて作られた、エトルスカン・スタイルのブローチです。エトルスカン・スタイルのジュエリーは高い技術によるゴールドの美しく繊細な細工が特徴ですが、このブローチは天然真珠と組み合わせた珍しいデザインとなっています。他のエトルスカン・スタイルのジュエリーにはないエレガントな雰囲気が魅力です♪ |
『RAMS HEAD』 イタリア考古学風ジュエリー ラムズヘッド プチ・ペンダント イタリア or イギリス 1870年頃 SOLD |
典型的なモチーフながら、イタリア考古学風(エトラスカンスタイル)のジュエリーでは初めての極小のペンダント(直径1,4cm)です。 これだけ小さいのに18金で、しかも精緻な作りのハイグレードのゴールドジュエリーはアンティークでも滅多に出会うものではありません。 イタリア考古学風の第一人者カステラーニを彷彿させる見事な出来映えです。 小さくて作りが良いものは品の良さも満点で、普段使いしやすいのも良いですね♪ |