No.00181 RAMS HEAD |
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『RAMS HEAD』 イタリア or イギリス 1870年頃 |
エトラスカンスタイルのジュエリー
古代エトルリアの墳墓 " Etruscan Tombs at Orvieto (III) (4911116296) " ©Institute for the Study of the Ancient World from New York, United States of Amerika(20 February 1998 ,00:00)/Adapted/CC BY 2.0 |
ヨーロッパでは18世紀から19世紀にかけて、古代の遺跡からの発掘品にインスピレーションを受け、新しいスタイルのジュエリーが作られるようになりました。それらのジュエリーは「考古学風ジュエリー」という1つのジャンルを確立します。 |
当時の王侯貴族は芸術文化やマナーなどに加え、考古学も必須の教養の1つでした。 若い貴族の子弟たちは学業の最後の仕上げとしてグランドツアーに出かけ、学んだ知識とセンスを元に目利きし、訪れた地の優れた古美術品を購入して持ち帰るのも大きな役割でした。 |
Regolini-Galassiの墓の広間(紀元前7世紀)のスケッチ | このような背景もあり、考古学風ジュエリーは知的かつ古代のロマンあふれるジュエリーとして、知識階層などから特に人気を得たのです。 |
『シレヌスの顔のついたネックレス』(エトルリア 紀元前6-紀元前5世紀)国立博物館(ナポリ) 【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.54 |
発掘された遺跡は古代ローマやエジプト、ヘレニズム、エトルリアなど様々あり、それぞれの特徴を生かした考古学風ジュエリーが制作されています。古代エトルリアのジュエリーの最大の魅力は、ゴールドを使った人間業とは到底思えない繊細精緻な細工にあります。 |
雄羊のモチーフ
エトラスカンスタイルジュエリーのモチーフとして、雄羊は特に人気がありました。威厳があって、何だか賢そうな雰囲気がありますよね♪ イギリス人のディーラーから「ラムズヘッド」と聞いて、「ラム?子羊?角があるのに??」と思ったのですが、日本人には紛らわしいことに子羊はlamb、雄羊はramなんですね。理系英語は論文が書ける程度にできますが、アンティークジュエリーで必要な単語はまだまだです(笑) |
雄羊の角
この雄羊の角は渦巻き状です。 実は羊の角も多様性があり、品種によって全く角を持たないもの、雄雌両方にあるもの、雄だけが角を持つものがあります。 角の種類や本数にもバリエーションがあります。 |
ハンガリーのラツカ羊 "Zackelschafe Tiergarten Bernburg 06-03-2008" ©Tragopan(6 march 2008, 16:55:52)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
螺旋を巻きながら真っ直ぐに伸びた、ラツカ羊のような角をラセン角と言います。こういう角だったら、ジュエリーも全く違う雰囲気になっていそうですね。渦巻き状の角と違い、外に向かって伸びる角は威厳があるというよりは、威嚇や攻撃性という要素が強くなるでしょうか。この羊さんたちは顔が可愛らしいので、あまり攻撃性は感じませんが・・。 |
南アジアの野生種ウリアル | |
このように渦巻き状に丸く成長する角をアモン角と言います。羊と人間の関係は古く、新石器時代から野生の羊の狩猟が行われていた形跡が存在します。家畜化が始まったのは古代メソポタミア、紀元前7000-6000年頃で、家畜化された羊の祖先はウリアル、ヨーロッパムフロン、アジアムフロン、アルガリの4種とされています。 |
アルガリ "Argali Stuffed specimen" ©Momotarou2012(19 May 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | アルガリ(Ovis ammon)の種小名ammonは、古代エジプトの神アメンに由来します。 |
古代エジプトの神々とファラオ
アメン神 "Amun" ©Jeff Dahi(27 December 2007, 19:12)/Adapted/CC BY 4.0 |
アメン(アモン、アムン)は古代エジプト神話の神です。 その名は日本人でもきっと誰もが聞いたことがあるくらい有名ですね。 |
太陽神の天空の創造の瞬間に、原初の混沌の海から船を持ち上げる原始の神ヌン(紀元前1050年頃) | 古代エジプトの神話はキリスト教とイスラム教が広まる以前に、古代エジプトの人々によって信仰されていました。 エジプト神話は特定の開祖が存在しない多神教で、神々は自然現象などを神格化した自然神です。 信仰はおおよそ3000年に渡る長い期間続き、何度も変容を繰り返してきたため、古い神は他の神に役割を奪われたり、習合して1つの神になったり、神話から姿を消すこともありました。 |
ラー神 "Sun god Ra" ©fi:Käyttäjä:kompak; improving by User:Perhelion(10 March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 古代エジプトの神話で外せないのが太陽神ラーです。 ハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多いこの神は、古代エジプトの創造神話の中心地として有名な古代エジプトの「太陽の町」へリオポリスで最も重要な神とされていました。 古代エジプトでファラオは神々の子孫とされ、「ラーの息子」と捉えられていたのです。 |
中王国時代第11王朝のメンチュヘテプ2世の壁画(紀元前2010-紀元前2000年頃) |
さて、アメンは元々ナイル川東岸のテーベの大気の守護神、豊穣神に過ぎませんでした。しかしながら古代エジプト第11王朝の第4代ファラオだったメンチュヘテプ2世(在位:紀元前2060-紀元前2010年)がテーベを首都としてエジプトを再統一して以来、末期王朝時代の第30王朝(紀元前380-紀元前343年)までの1700年余りにわたりラー神と習合し、「ラー=アメン」としてエジプトの歴史、文明の中心に位置し、エジプトの神々の主とされるようになったのです。 |
ツタンカーメンの黄金マスク(紀元前1324年頃) "Tutanchamun Maske" ©MykReeve(26 December 2002)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
当然ファラオも太陽神となったアメンの子と捉えられるようになります。 第12王朝のファラオ、アメン・エム・ハト(紀元前1991-1962年)など、歴代ファラオの名にも含まれることになります。 黄金マスクのツタンカーメンで有名な、新王国時代第18王朝のファラオであるトゥト・アンク・アメン(紀元前1342年-紀元前1324年頃)の名にもアメンが含まれています。 |
アレキサンダー大王(紀元前336-紀元前323年) | 実はアレキサンダー大王もエジプト入りを果たした紀元前332年、古代エジプトの偉大な文明にいたく感動し、自らを「アモンの息子」と称しています。 『太陽の使い』でササン朝ペルシャと東方遠征についても触れた通り、当時アレキサンダー大王のマケドニアは武力以外に何も誇れるものがないようなレベルでした。 ササン朝ペルシャのレベルの高さと自分たちのレベルの低さに愕然として滅ぼすのではなく取り込む道を選び、ヘレニズム文化が花開くことになるのですが、東方遠征は歴史において文化の面からも非常に大きい出来事だったのです。 |
アメンと雄羊
タハルカ王を守護するアメン(紀元前683年頃)大英博物館 | アメンは雄羊の頭を持つとされています。 アメンは肩に雄羊を担いで、動物の流行病を追い払うために町の周りを回って病気を退けたと言われ、ボイオティアの神殿に祭られ、羊を担いだ神としても名高い神様です。 |
古代エジプトと古代エトルリア
エトルリアの領域(濃い草色:紀元前750年、薄い草色:紀元前750-紀元前500年にかけての拡張、二重丸:12の都市国家) "Etruscan civilization map" ©NormanEinstein(26 July 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 古代エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群です。 最盛期は紀元前750-500年で、裕福で高度な文字文化を持つ文明を築いていましたが、文献としては残っていません。 エトルリアを吸収したローマの体制側が意図的に隠滅したというのが通説です。 海から突然現れたとも言われていますが、どこから来たのか、どういう民族だったのかはっきり分からないロマン溢れる存在なのです。 遺跡からの発掘品から類推するしかない謎の超古代文明国家だからこそ、昔から知識階層の好奇心をくすぐり、議論が尽きない対象でもあるというわけです。 |
古代エジプトと古代エトルリアに交流があったことを裏付ける発掘品として、トスカーナのエトルリア遺跡から発掘された貴族の女性のものと思われる化粧箱があります。中には毛抜き、何種類もの櫛、ブロンズの指輪、その他用途が分からないものまで多数ありました。 その中で、アラバスター製の小瓶がエジプトのアレクサンドリアからの輸入品であることが判明しました。小瓶には何と当時の美容クリームまで入っていました。 ピサ大学の分析により、クリームは松ヤニとニュウコウジュ、モリンガの混合物であることが判明しました。この組み合わせはギリシャの哲学者で植物学者のテオフラストス(紀元前371-287年)の著述とピッタリ合致するそうです。 このクリームに配合されていたモリンガはスーダンやエジプトが原産で、イタリア半島には存在しないため、このクリームも舶来品ということになります。モリンガオイルはクレオパトラも愛用していたとも言われており、現代でもエジプトでは美容オイルとして人気だそうです。日本でも海外の化粧品は女性に大人気のアイテムですが、当時のエトルリア貴族の女性も舶来品の高級クリームとして愛用していたのかと思うと面白いですね。 |
スフィンクスが乗ったピュクシス(古代エトルリア 紀元前650-紀元前625年頃) "Etruscan - Pyxis and lid with sphinx-shaped handle - Walters 71489 - Three Quarter " ©Walters Art Museum(18:24, 23 March 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | さらに古い時代のブルチのエトルリア貴族の遺跡からは、美しいスフィンクスや、エジプト産とみられる紀元前746-525年頃のスカラベのインタリオも見つかっており、古代エジプトと古代エトルリアが文化や物流の面で交流があったのは間違いないようです。 |
古代エトルリアの雄羊
エトラスカンスタイルのラムズヘッドジュエリー
Fortunato Pio Castellani(1794-1865年) | エトラスカンスタイル・ジュエリーの第一人者であるカステラーニも、実際に古代遺跡の発掘チームに加わり、実物を目の当たりにすることで模倣、さらには新しい創作へとつなげています。
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過去にはルネサンスでカステラーニ作とみられる『ラムズヘッドのイタリア考古学風ジュエリー』も販売しています。この作品も一応珊瑚は使われていますが、エトラスカンスタイル・ジュエリーの最大の特徴は緻密な金細工で、その中でも特に縒り線細工にあります。 縒り線は二本の金線をロープ状に縒った物で、古代ギリシャやエトルリアの発掘品の中には到底人間業とは思えない超細い金線を使った作品が存在します。それら古代の金細工に刺激を受けたカステラーニを始めとするジュエリー作家が、イタリア考古学風ジュエリーやエトラスカン・スタイルの作品群を制作したのです。 |
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この作品の大きさを想像すると、いかに緻密な金細工が施されているかが分かると思います。 この何種類もの縒り線は、高度な技術を持った職人でなければ出来ないですし、これほど小さな物にこれだけの手間をかけて作るのは、特別にオーダーされた一点物のジュエリーに違いないのです。 |
モチーフが単なる動物の羊ではなく、太陽神だからこそ威厳ある雰囲気のジュエリーになっているのだと思います。黄金の輝きと円形の形がまさに太陽神という感じですね♪ こういう考古学風ジュエリーは、当時は単純に「羊ちゃん可愛い(はぁと)」なんてコメントはしてはならなかったと思います。教養の1つとして考古学を広く理解し、このペンダント1つをきっかけに様々な知的会話を楽しむのが当時の貴族だったのではないでしょうか。それは今でも謎が解けていない古代エトルリアの話だったり、古代エジプトや古代ギリシャとの交流についての見解の議論だったり・・。 |
センスと教養を持つ人達同士で見て楽しむものですから、当然作りも素晴らしいのです。 雄羊の立体的な造形も見事です♪ |
裏側も美しい作りです。 |
円形のペンダントをそのまま下げるのではなく、チェーンに下がっているデザインなのがおしゃれな雰囲気を惹き立てていますね。 ヴィクトリアンジュエリーはとかく派手でいかにも高そうに見える成金的な物が多いので、小さいのにこれだけ作りが良い知的でセンスの良い物はなかなかありません。 拡大画像は迫力がありますが、実際はとても小さいので雄羊も迫力があるというよりは可愛らしい雰囲気なので、現代でも普段使いしやすいペンダントです♪ |
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一番上の輪っかは直径が小さめですが、細めのシルクコードや革のコードなどを通して楽しんでいただけます。撮影に使用しているような細めの高級シルクコードは、ご希望の場合はサービスでお付け致します。 |
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輪っかが小さいため、殆どのチェーンはそのままでは使うことは難しいです。 一度チェーンの引き輪を外してから輪っかに通し、再度引き輪を付けることも可能ですが、その場合は通したチェーンは専用チェーンになります。 もしくは輪っかをチェーンを通すことができるサイズに取り替えることも可能です。いずれの方法も必要な際はお見積もりをお出ししますので、別途ご相談ください。 |
その他ののエトラスカンスタイルのジュエリー
『エトルリアの知性』 エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス イタリア or オーストリア? 1870年代 SOLD |
エトラスカンスタイルのジュエリーでも類を見ない驚異的な極細の縒り線細工が施された、ハイレベルの作品です。 アクアマリンのような透明な石を使ったエトラスカンスタイルのジュエリー自体も大変稀少で、これまでに見たことがありません。 エトラスカン独特の渋さや格調の高い雰囲気に加えて、華やかさもプラスされた、ジュエリーとしても見たときにも非常に魅力的なネックレスです。 |
『真珠の花』 エトルスカン・スタイル ブローチ イギリス 1870〜1880年頃 SOLD |
紀元前の古代エトルリアの超高度なゴールドジュエリーに刺激を受けて作られた、エトルスカン・スタイルのブローチです。 エトルスカン・スタイルのジュエリーは高い技術によるゴールドの美しく繊細な細工が特徴ですが、このブローチは天然真珠と組み合わせた珍しいデザインとなっています。 他のエトルスカン・スタイルのジュエリーにはないエレガントな雰囲気が魅力です♪ |