No.00194 紳士の黒い忠犬 |
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『紳士の黒い忠犬』 黒く高貴な雰囲気の、いかにも忠犬といったラブラドール・レトリーバーを描いた鴨猟モチーフのブローチです。 |
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狩猟は古くからお金持ちの貴族のためのスポーツで、社交としても大切な場でした。いつの時代も人間と犬には愛情があり、現代でもペットをモチーフの作品を作る人はたくさんいます。もちろん愛情に甲乙つけることは不可能ですが、作品として見ると、やはり昔の貴族のオーダー品は別格です。作りの良さだけでなく優れたセンスを感じるこの作品は、この犬を知らなくても、ジュエリーとしてとても魅力を感じる作品です。 |
「ご主人さま、捕って参りましたー!!」 この犬の目に映るのは大好きなご主人さまだけ、大好きなご主人さまに早く喜んで褒めてもらいたい、そんな犬の意識や感情がひしひしと伝わってくる見事な作品です。 |
すぐ気づいた方も多いと思いますが、この作品は狩猟にまつわるスポーティングジュエリーの1つです。 あらゆるスポーツの発祥の国イギリスならではの物で、これまでにもいくつか扱っています。 作品についての理解を深めるために、少し具体的にイギリスの狩猟について見てみることにしましょう。 |
ヨーロッパにおける狩猟
ヨーロッパにおいては、生活の糧としての庶民の狩猟と、貴族の娯楽という2つの面がありました。 娯楽とは言っても、同時に戦いの練習でもあり、狩りの最中の死亡事故も多数ある死と隣り合わせのスポーツでもあります。 古くは東ローマ帝国の皇帝バシレイオス1世が鹿狩りでの事故で亡くなったという記録も残っています(暗殺説もあり)。 |
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東ローマ帝国マケドニア王朝の初代皇帝バシレイオス1世(811年頃-886年) |
戦いの練習
『蒙古襲来絵詞』(鎌倉時代後期 作者不明)宮内庁 |
上は元寇にて、蒙古軍を追いやる勇ましい鎌倉時代の武士たちです。神の国『日本』は神風に守られているという第二次世界大戦のプロパガンダ戦略や、当時の武士たちが恩賞欲しさでいかに蒙古軍が強く自分たちが命を張って頑張ったかPRするために、苦戦しながらも何とか神風のお陰で勝ったことになっていましたが、実際の鎌倉武士は蒙古軍が「意味不明、理解できない」と恐れるほど勇敢で相当強かったそうです。 |
『男衾三郎絵詞』笠懸の練習風景(1250年)東京博物館 | 平安時代〜鎌倉時代にかけて、高位の武者の戦いの練習として『騎射三物』が成立します。 笠懸、流鏑馬、犬追物の3つです。 |
流鏑馬の演武(鎌倉 2007年) "Yabusame 01" ©Jmills74 at the English Wikipedia(2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
武士の中でも騎乗が許されるのは一部の武士のみで、『騎射』は武芸の中でも最高位のものとされ、中世の武士たちは様々な練習を行っていたのです。 流鏑馬は現代でも神事として各地で演武されることがあるため、今でも見ることができますね。 全力疾走する馬に跨がって両手を離すだけでも驚くべきことなのに、そこから遠い的を正確に射るなんてまさに神業ですよね。 |
『千代田之御表』犬追物の様子(豊原周延 1896年) |
でも、騎射三物で一番難しいのは犬追物なのだそうです。 |
『犬追物図屏風』(江戸時代)東京国立博物館 【引用】Tokyo National Museum Image Search / 犬追物図屏風/Adapted 東京国立博物館 研究情報アーカイブズ |
止まっている的を狙うのと違い、すばしっこい犬が命懸けで逃げるのですから難易度が格段に高いのは当然ですね。他の武者たちとの連携も必要で、実践練習としてはこれが一番適していたことでしょう(TT) 犬や馬、審判者や会場など開催だけでも手間やコストもかかる上、普段の稽古だけでも多大な費用がかかり、現代では動物愛護の観点もあって実演はされていません。 |
グランドツアーで日本を訪れた際のロシア皇太子ニコライ2世(1891年) 長崎にて人力車に乗車 |
戦国時代に犬追物の作法を保持していた有力大名が次々と滅びていきましたが、薩摩藩は江戸時代まで作法を継承し、世子の元服の時など慶事の折に開催していました。明治維新により薩摩藩という庇護者を失った犬追物は技術保持が困難になります。でも、実はロシア最後の皇帝ニコライ2世もグランドツアーで日本を訪れた際に犬追物を見ています。薩摩の仙巌園で薩摩藩の最後の当主、島津忠義がニコライ2世のために犬追物を開催しています。大津事件はあったものの、各地で歓迎されたニコライ2世はかなり日本が好きだったそうです。ニコライ2世がお気に入りだったファベルジェも、日本の根付をコレクションしてインスピレーションを受けた作品を多数遺していますし、今よりも互いに身近な国だったのかもしれませんね。 |
イギリス貴族による狩猟の歴史
<クマ>
『熊ちゃん♪』 天然真珠&エメラルド ダブルピン・ブローチ イギリス 1880年頃 準備中 |
戦いの練習には、野生動物を相手に戦う狩猟が最適だったことは想像に難くないと思います。 ターゲットは時代によって変遷するのですが、古い時代から人気があったのが熊でした。古代ローマでは捕らえられた熊は闘技場の怪物の1つとして人間と戦わされるなどの歴史があります。 毛皮や豊富な油、食用にできる肉としても人気で、冬眠シーズンを狙うと比較的容易に狩れることが災いし、9〜10世紀にはグレートブリテン島では絶滅しています。 左は狩りの獲物ではなく、おそらくサーカスなどで見る熊ちゃんがモチーフだったからこそ可愛らしく表現されたのでしょうね。 |
<イノシシ>
『猪狩り』 シルバー イブニングバッグ ヨーロッパ 19世紀中期頃 SOLD |
次にターゲットとして好まれたのが猪です。気性が荒く、人間にも頻繁に危害を加えていたため、戦いの練習相手として好都合かつ最適とみなされたためです。 案の定、狩りすぎて絶滅しています。ただし、絶滅のたびにフランスやドイツから輸入し、野生化、絶滅という歴史を繰り返したため、正確な絶滅時期は分かっていません。13世紀頃ではないかと言われています。 |
<オオカミ>
ジョージアン 狼の貴族の紋章シール イギリス 1820年頃 SOLD |
オオカミも狩りや毛皮の対象として非常に人気がありました。毛皮は国への貢物に指定されたこともあるほどです。 案の定、イギリスのオオカミも15世紀後期には絶滅してしまいました。 |
<牡鹿>
『大鹿』 イギリス 1870年 SOLD |
オオカミが絶滅すると、鹿などの草食動物が増えていきます。 15世紀頃からどんどん個体数を増やした鹿は、狩りのターゲットとして人気が出ます。特に牡鹿は『狩りの王様』と呼ばれ、角の分岐が10以上ある牡鹿は狩りの対象として最高とされたそうです。 鹿は絶滅こそしませんでしたが、16世紀にはかなり数が減り、ターゲットは狐に移っていきます。 |
<キツネ>
『狐狩り』 イギリス 1850〜1860年頃 SOLD |
キツネはたくさんいるし、家畜に害をなすからいくらでも狩って良いだろうということで、16世紀頃から狐狩りが貴族の人気のスポーツとなります。 狐は賢くて隠れるのが上手く、冬眠もしません。狐狩りは難しいということで、狐狩り専用犬イングリッシュ・フォックスハウンドが生み出されます。 左の作品もまさに狐狩りですが、狐の狡賢そうな表情が見事に表現された名品ですね♪ |
貴族のスポーツたる所以
イングリッシュ・フォックスハウンド "Chasse a courre" ©Luna04 at French Wikipedia(August 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
狐狩りの猟犬イングリッシュ・フォックスハウンドは嗅覚が強く、足が速く、持久力も抜群な種です。ただのペットではないので、狩りの時はたくさんの猟犬を従えて出かけます。狩猟をするのは野生動物が住んでいる田舎です。田舎の大豪邸の維持費、犬の調教、犬や馬の世話人など維持費、従者、狩りの道具など、狩猟には莫大なコストがかかります。だからこそ莫大な財力を持つ貴族でなければできないスポーツだったのです。イギリスでは現代も文化とスポーツとしての狩猟が人気で、昔の貴族ほどのコストはかけられなくても、産業がない地域の雇用創出に莫大な貢献をしていると言われています。 ジビエが好きな方ならご存じだと思いますが、ジビエは秋口から冬にかけて食べられる野生のお肉料理です。11月頃からが本番ですね。Genがジビエに季節に合わせて食べに行くのがフランス料理の名店ル・マンジュ・トゥーです。 日本のフランス料理のレベルアップのために尽力された故・見田盛夫氏が、プライベートで行くとしたら絶対ココと仰っていたほどのお店です。 実は1979年にGenがベルビー赤坂に『Atlier Katagiri』を出店した時、最初に来てくださったお客様が見田さんでした。それがご縁でよく一緒に食べ歩きをしていたそうです。 ジビエのシーズンになると見田さんも本場フランスに食べに行っていたそうですが、この時期フランスには世界各国からジビエ目当てに観光客が殺到するくらい人気なのだそうです。 もちろんル・マンジュ・トゥーも現地から最高の食材を取り寄せるので、国内でも美味しいジビエをいただくことができます。料理はフランスが発達していますが、食材はイギリスも豊富です。Genは「マンジュ・トゥーで食べたスコットランドの鴫(シギ)が美味しかった」と言っていました。 |
イギリス郊外のWADDESDON MANOR(ロスチャイルドのお城) |
フォト日記でもご紹介した通り、貴族の社交が最も活発になるのは5月から6月にかけての『The SEASON』と言われる時期です。1年でも最も気候に恵まれ、一斉に花が咲き乱れるこの時期にイギリスの田舎の各領地から貴族がロンドンに集まり、毎日明け方まで社交が繰り広げられるのです。 |
様々な貴族の銃のコレクション(ウォレス・コレクション) |
狩猟が本格化する10月半ばは、社交はオフシーズンです。この時期、貴族は狩猟とともに田舎の邸宅で社交を行うのです。上はロンドンの美術館ウォレス・コレクションの展示品です。この美術館は15世紀から19世紀にかけての世界的に有名な美術作品を見ることができます。 5月のロンドン買付で行ってみて、とても気に入った美術館です。武具ではなく、貴重なルネサンス期のエナメルを目的で出かけたのですが、武具も見ておいて役に立ちました。 |
銃のコレクションの一部(ウォレス・コレクション) |
使うための銃に、各種ありったけの趣向を凝らした装飾が施されており、その徹底したお金のかけ方に驚いたのですが、狩猟が貴族のスポーツであり社交の場でもあったことを理解するととても納得です。 銃のコレクションはコテコテで装飾過多なものが多く、私好みの芸術ではなかったのですが、全体としては非常に見る価値があるものが多くてオススメです。美術館めぐりは疲れるのですが、ここはアフタヌーンティーができるカフェも雰囲気が良くてゆったりと過ごすことができます♪ |
鴨猟のためのラブラドール・レトリーバー
犬好きの方ならば、このワンちゃんがラブラドール・レトリーバーであることはすぐに分かったでしょうか。 犬好きでなくともその名は聞いたことがあるくらい有名な犬種ですね。 |
セント・ジョンズ・レトリバーの『ネル』(1856年頃) | ラブラドール・レトリーバーの血統の元となったのは、カナダのニューファンドランド島で飼育されていたセント・ジョンズ・ レトリバーでした。 |
初代マームズベリー伯爵ジェームズ・ハリス(1746-1820年) | 19世紀のイギリスで、初代マルムズベリー伯ジェームズ・ハリスと、第2代のジェームズ・エドワード・ハリスが自身の領地での鴨猟のためにセント・ジョンズ・レトリバー系の猟犬を繁殖させています。 セント・ジョンズ・レトリバーが最初にイギリスに持ち込まれたのは1820年頃と言われていますが、その優れた能力は以前からイギリスでも噂になっていたそうです。 『レトリーバー』は回収する者いう意味があります。最初期のラブラドール・レトリーバーの祖先犬は、その高い知能と水中や水辺でのあらゆるものを回収する能力によってマルムズベリー伯爵に強い印象を与えたそうです。 |
鴨は水鳥なので、必要あれば水中に臆さず飛び込み、大きな鴨を咥えて泳いで回収して来なければなりません。相当な知性と身体能力の高さが必要とされます。こうして品種改良され、現在のラブラドール・レトリーバーが生み出されました。 優れた猟犬となるためには、品種改良だけでなく躾も必要です。 鴨は素早く回収しなければなりません。打ち落とされた鳥の落下地点に静かに待機します。狩りの最中に吠えたり鼻を鳴らすことは御法度です。回収した鳥を持ち帰る最中に他の鳥を見つけても交換してはいけませんし、強く咬んでダメージを与えたりしてもいけません。他の仲間の犬が咥えた鳥を横取りしたり引っ張ったりするのもNGです。 現代の鴨猟でもハンター1人につき回収犬は4〜10頭ほど連れて行きます。ご主人さまの役に立って、喜んで褒めてもらうには、並み居る他の優秀な仲間の犬たちに先駆けて獲物を回収してこなければならないのです。川の急な流れや深みに足を取られたり、時には完全には息絶えていない鳥の最後の抵抗に会ったり、犬たちも死と隣り合わせでもある中で必死に頑張るのです。 |
抜群の表情の表現
必死の思いで回収した鴨を差し出す愛犬。その姿をそのままクリスタルの中に封じ込めて、色褪せることなく永遠にしたのがこの作品です。 ペットとしては犬と猫が人気で、それぞれ犬派や猫派に分かれたりしますが、犬の愛情は別格との呼び声も高いですよね。胸の温まる忠犬のエピソードは昔からたくさんあります。 |
この作品が制作されたのは1890年頃です。 この作品はアーツ&クラフツの影響もあり、デザイン性を意識した進化したエセックス・クリスタルとも言えると思います。 |
きっと特別な思いを持って、犬のご主人さまだった貴族の男性はこのブローチをオーダーしたのだと思います。 |
エセックスクリスタル全盛期の、繊細な彫りの技術を競って作られたような技術を全面に押し出した作行きでもなく、19世紀後期からの女性向けに作られた、デザインだけで技術が伴っていないものでもなく、とにかく犬とご主人さまの深い愛情を感じるような心を揺さぶるアーティスティックな作品だと感じます。 |
これだけ訴えかけてくる作品である理由は、特に目の彫り方と描き方が素晴らしいからです。 これは技術的なことよりも、作者のセンスが如何に素晴らしいかの問題なのだと思います。 どれだけ他の箇所が素晴らしくても、表情を少しでも失敗すると駄作になってしまいますからね。一方で、心に訴えてくるような傑作はいずれも表情が抜群に素晴らしいものです。 |
黒い体の表現
色彩鮮やかな雄の真鴨と違い、黒一色の犬の表現はとても難しいものです。 普通の絵画でも表現は難しいのに、水晶を彫ったこの小さな空間に、見事に濡れながらも一生懸命に水の中から鴨を回収してきた黒い犬の体を表現しています。 |
平面的な絵画ではなく、透明なクリスタルに立体的な彫りが施された上でのペイントなので、どの角度から見ても水に濡れた、りりしく高貴な黒犬の姿が見えます♪ |
優れたデザインのフレーム
二丁の猟銃と二つの散弾をあしらったフレームのデザインは、43年間で扱ったエセックスクリスタルの作品の中でも最も優れたデザインです。 |
エセックス・クリスタルのような、手間がかかる上に高度な技術を要求されるジュエリーで、しかも一見しただけでは分かりにくい物は、教養と財力がないと使いこなすことは不可能です。 |
虹色に輝くマザーオブパールの背景
水晶の下にマザーオブパールを置いてあるので、シンプルな背景ながらも時折美しい虹色の輝きがあります。 |
裏には14Kの刻印があります。 ブローチのピンは当時としては最先端の形状のストッパーが付いています。 |
これはまさしく知識と愛情を兼ね備えた貴族の男性が特別にオーダーした作品です。真鴨は日本では『青首』とも言われ、GENも青首は一番好きだというくらい美味しいそうです。スポーツとして鴨狩りを楽しんだ後は、社交で狩猟での様々な話をしながら美味しく真鴨のメインディッシュを楽しんだのでしょうか。このジュエリーを皆に自慢しながら、「この子がまたすごく活躍してくれたんだよ」なんて会話もあったかもしれませんね。 ご主人さまの貴族の男性もこのワンちゃんもすでに遠い幸せな所に旅立ち、この世界にはいないのでしょうけれど、このクリスタルに閉じ込められたワンちゃんの目を通じてご主人さまもすぐそこにいるような、温かくて幸せな感覚が自然と湧いてきます・・♪ |
その他のエセックスクリスタルのジュエリー
『ガーデン・パンジー』 エドワーディアン エセックスクリスタル ペンダント イギリス 1900〜1910年頃 ローズカットダイヤモンド、ロッククリスタル(水晶)、マザーオブパール、シャンルベ・エナメル、プラチナ、15ctゴールド 2,5cm×1,6cm 重量 4,1g 英国王室御用達 革のフィッティングケース付(19世紀後期) SOLD |