聖地ハムステッド・ヒース(4) 始まりの地

ハムステッドの郵便局と青いBMW
住宅街を抜けると、突如店舗が建ち並ぶ通りに出ました。いきなり別世界!!♪
郵便局のイメージカラーが赤と白で、日本と共通するのが印象的でした。

ロンドンのハムステッド
観光地ではないので、通りを歩く人も地元の人が大半なのか静かな感じです。

晴天のハムステッド ロンドンの洋服屋のドレスと靴のディスプレイ
街中と違って高い建物もなく、空が広くて気持ち良いです。
ちょっと気になったのが右のディスプレイです。洋服屋さんのようです。「このドレスにはこの靴が合うと思います」と言うご提案なのでしょうけれど、言いたいことは分かるけど、頭があるべき部分に靴が一足だけ乗っかってるのはやっぱりちょっと面白くて笑っちゃいます。お店には入らずウィンドーショッピングしかできませんでしたが、お店ごとにそれぞれのセンスでディスプレイしてあって面白かったです。笑えるお店があったり、センス良いな〜と思わずうなってしまうお店があったり。このエリアは個人のお店が多いせいかもしれません。

1970年代のロンドンに買付に来たアンティークジュエリー・ディーラー片桐元一

ここで突然本題です(笑)
至極お散歩を楽しんでいますが本来の目的が2つあって、1つがこのハムステッドの丘を登り切ったエリアにある商店街です。買い付けではなく、日本のアンティークジュエリー始まりの地として訪れました。

アンティークジュエリーディーラーになる前、Genは米沢の実家で家業の骨董商と米沢箪笥のプロデュースをやっていました。骨董は祖父の代、米沢箪笥は父の代で始めたもので、父の仕事を手伝うという形でした。Genは母親がその命と引き替えに、この世に送り出してもらいました。やり甲斐はあったものの、ただ家業を手伝うだけの自分に母親が命を引き替えにしてくれた価値はあるのかと、絶えず自己肯定感の無さの中であがいていた頃です。43年前、何となく輸入関係の仕事がしたいと思っていたGenはヨーロッパの団体視察旅行に参加してのでした。いろいろと買い付けはしてきたものの、まだ1度目はジュエリーには的を絞っていませんでした。

2回目のヨーロッパ買い付けでは1泊1500円で食事付きという安さにも惹かれ、何となくロンドン市内の音楽家の卵が世界から集まるドミトリーに滞在しました。才能あふれる音楽家の卵たちが練習で奏でる綺麗な音色を聞きながら、いろんな人と交流するのはとても楽しい体験だったそうです。楽しすぎて2週間の滞在予定を1ヶ月に延ばしちゃったほどだそうです。そこで出逢った人に、そういうことでロンドンに来たのなら良い所に連れて行ってあげると紹介してもらったのがハムステッドの丘にあるアンティークジュエリーのお店だったのです。ちなみに上の画像は私ではなく当時のGenで、28歳の頃です。アトリエの奥の古い段ボールを開けてみたら出てきました。

ハムステッドの丘にあったアンティークジュエリーのお店は、あの名優ピーター・オトゥールも近くに住んでいて顧客でもあったそうです。まだヨーロッパでもアンティークジュエリーというジャンルがあまり確立しておらず、店自体少ない時代でしたが素晴らしい品揃えでした。43年前と言えば1975年です。エドワーディアンどころかヴィクトリアン後期ですら100年経っていない時代ですね。今私たちが認識しているアンティークジュエリーは、その頃の人たちにとってはおばあちゃんが持っているありふれた昔の時代の物というイメージでしかなかったようです。現代ジュエリーがここまで劣化しなければ、古い時代のジュエリーの評価はまた少し違ったかもしれません。

まだ1£が800円もした時代。ジャンルとして確立されていないアンティークジュエリーを品定めするのに、当然専門書も無く知識も経験値もありません。そんな中、宝石の価値は分からなくても、米沢の骨董屋の家で日本の古くて良い物を幼い頃から見てきて細工の良さ、絶対的な物の価値は見抜く目があるという自信があったGENは、そのお眼鏡にかなった3つのジュエリーを買い付けて帰国しました。

自信はあったものの、物差しなんて存在しない時代です。自信と不安の中、当時国内でも特に実力があった骨董商に見せに行きました。その骨董商はGENが買い付けたアンティークジュエリーに仰天し、近くにいた同業者に「君、これを見てごらん!この人は初めての海外買い付けでこれほどまでに素晴らしい物を手に入れて来たんだよ!」と興奮しながら賞賛してくれたそうです。素晴らしいアンティークジュエリーはすぐに3点とも売れました。ようやく自信を持ち、自己肯定感を持ち始めたGenはアンティークジュエリー専門で生きていくことを決意するのでした。まさにハムステッドの丘は私たちにとっての始まりの聖地なのです。と言いつつ、『アラビアのロレンス』(英国1962年)が至極好きだった私は、ちょっとピーター・オトゥールが住んでいたという地に行ってみたかっただけというミーハー心が強いです(笑)映画も昔の物の方が上質で好きです。残念ながらお店は今はありません・・。

1人の28歳の男の「自分探し」的なことが始まりとなり、日本のアンティークジュエリー業界が今に至るのです。何を始めるにも遅すぎるということはありませんね。思い立ったが吉日なのです。たとえ今、自分が十分に経験を積み年を重ね老いたように思えても、10年後に今を振り返るとあの頃は若かったなぁなんて思うはずのです。まあ、10年後まで生きていればですが(笑)だから一生私は、十分に経験して何もかも分かっているなんて思う日はありません。死ぬまで進化しようと思うし、進化が止まったときは旅立つときです。

ロンドンの高級住宅街ハムステッドの集合住宅
商店街を抜けると再び住宅街になります。アパートメントも至る所に鉢植えがあって和みます。私も植物を育てるのが好きで実家でいろいろと植えていたのですが、好きなものを好きだからという理由であれやこれや植えると訳が分からない統一感のない光景ができ上がります。建物と調和した美しい光景には尊敬の念を覚えました。イギリス人的には普通にやっているだけなのかもしれませんが、このセンスが羨ましいです。

ハムステッドの集合住宅に咲く花と黒い自転車 こういう、ちょっとした場所にも花が咲き乱れています。羨ましすぎです。どうやったらこんなに美しくできるのでしょう。

水やりはしているのでしょうか。植えたというより勝手に生えてきたのでしょうかね。

建物の構造も面白いし、白壁と黒い鉄柵、そして立てかけられた黒い自転車。紫色の花たちとともに、すべてのバランスがとても印象的でした。

ロンドンの高級住宅街ハムステッドの煉瓦造りの家
なんだか見ているだけで、何もかも楽しいです。

バウハウス&ハムステッド美術館
そろそろ目的地も近いです。バウハウス&ハムステッド美術館もあって気になりますが、今回はスルーです。

ロンドンの原野ハムステッドヒースの入口 かなりヒース(原野)の気配がして来ました。

目的地のハムステッド・ヒースまでもうすぐです。
晴天のロンドン
見上げると広く美しい青い空!
ハムステッド・ヒースには一体どんな景色が広がっているのだろうと、期待で胸一杯なのです♪

次回につづく

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