No.00203 財宝の守り神 |
19世紀に於けるダイヤモンド・ジュエリーの傑作!!
『財宝の守り神』 |
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アンティークジュエリーの中でも稀にしか見ない、約2カラットのダイヤモンドが使われた作品です。 これまでの44年間でロンドンのアンティークジュエリー市場に出てきたダイヤモンドジュエリーを振り返ってみると、2カラット以上大きさがある石は質が本作品より落ちる上、石の大きさだけをメインとした、デザインの魅力のないつまらないものばかりです。 |
この偉大なる作品の3つの特徴
この作品はアンティークジュエリー市場でも過去に見たことのない、圧巻の作品です! 3つの特徴的な魅力があります。 1.アンティークジュエリー市場でも滅多に見ない約2ctの上質なダイヤモンド 2.大きなダイヤモンドをだだのダイヤモンドで終わらせない劇的なデザイン 3.いくつもの神技的な細工技術で具現化された造形美 |
ジュエリーを扱うHPなのに、これまでダイヤモンドについてはあまり詳しくご説明していませんでした。 ダイヤモンドも情報を1つのカタログ上でご説明しきるのは無理なほど、膨大な量の様々な情報があります。 この作品の偉大さを理解するために、まずはダイヤモンドについて、必要な部分を集中して見てみることにしましょう。 |
ダイヤモンドの世界最大の産地の変遷
<〜18世紀前半 インド産ダイヤモンド>
インドの有名なダイヤモンド産地だったゴルコンダ©google map | 18世紀前半まではダイヤモンドと言えばインドが産地でした。 南インドのゴルコンダ、現在のハイデラバードが有名です。 ピークは17世紀末でした。 |
古代ローマの博物学者プリニウス(23-79年) | ダイヤモンドは紀元前からインドよりヨーロッパへ送られてきましたが、はっきりと文献に現れるのは古代ローマのプリニウスによる『博物誌』です。 |
あまりにも硬すぎて意図して壊すのは不可能とあったようです。 叩きまくって、たまたま劈開性(へきかいせい)の方向に沿った力が加わった時に偶然割れたりはしていたようです。 |
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1669年版『博物誌』表紙 | 1938年版『博物誌』 |
コ・イ・ヌール、英国王室蔵(ロンドン塔に展示) | 13世紀からの歴代所有者リストが存在し、世界最古のダイヤモンドとも呼ばれるコ・イ・ヌールもインド産です。 1849年にインドで東インド会社が入手し、ヴィクトリア女王に献上されたのですが、1851年にロンドン万博のクリスタルパレス(水晶宮)で目玉商品として展示されたインド式のムガルカットのコ・イ・ヌールを見て女王始め見物客も皆がっかりしたそうです。 どうやら輝きが期待と違っていたようで、結局ブリリアンカットにリカットされることになりました。 1304年当時は600カラットを超えていたそうですが、何度かのリカットにより現在は105カラットです。 |
ロシア皇帝の笏にセットされたオルロフ、クレムリン美術館に展示 |
グレゴリー・オルロフ伯爵(1734-1783年) | オルロフもインド産です。 これを手に入れたのはロシアの女帝エカチェリーナ2世の愛人だったオルロフ伯爵でした。 別の若い男性に寵愛が移ったことを知ったオルロフ伯爵が、女帝の愛を取り戻そうとして1774年に世界最大級のこのダイヤモンドを献上したのです。 |
ロシア皇帝エカチェリーナ2世(1729-1796年) | 結果は・・ 世界最大級の素晴らしいダイヤモンドを女帝は大変気に入り、『オルロフ』と名付けてくれました。 しかしながら結局寵愛を取り戻すことは叶わず、オルロフ伯爵は宮殿からは遠ざかり、外国に渡ることになりました。切ないっ(TT)
ダイヤモンド『オルロフ』は多面体のローズカットになっており、189.6カラットあります。 |
ホープダイヤモンド、スミソニアン博物館 "HopeDiamondwithLighting2(cropped)" ©350z33(12 Jyly 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
45.52カラットの有名なブルー・ダイヤモンド、ホープダイヤモンドもインド産です。 数々の歴史的なダイヤモンドを産出し、世界の王侯貴族にダイヤモンドを供給してきたインド鉱山でしたが、18世紀前半には枯渇してしまうのです。 |
<1730年代後半〜1860年代 ブラジル産ダイヤモンド>
ダイヤモンドラッシュの中心地の1つだったシャパーダ・ジアマンチーナ鉱山 "Chapada diamantina" ©Kennedy Silva(19 de abril de 2014, 04:40:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ちょうどゴルコンダ鉱床が取り尽くされていた頃の1725年、ポルトガルの植民地ブラジルでダイヤモンドが発見されました。1730年代後半から急速に発展し、1860年代までは世界最大の産地となり、1725〜1860年はダイヤモンドラッシュと呼ばれています。この期間はポルトガル王室が全てのブラジルのダイヤモンド鉱山を独占すると宣言しています。 |
『南の星』の複製、ミュンヘン・クリスタルの世界博物館 "Star of the South copy" ©Chris 73 / Wikimedia commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1853年には261.88カラットのダイヤモンドも産出されています。 カットされて128.48カラットになっており、『南の星』として世界でも有名です。 130年ほどは世界最大の産出地だったブラジルの鉱山ですが、早くも1860年代にはすっかり枯渇し、ヨーロッパのダイヤモンド産業は倒産や縮小に追い詰められます。 ジョージアンからヴィクトリアン半ばくらいまではブラジル産が多いということですね。 |
<19世紀末〜20世紀半ば 南アフリカ産ダイヤモンド>
オレンジ川(南アフリカ) "OraneRiverUpington" ©paffy(23 August 200, 07:072011)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
【参考】南アフリカ最初のダイヤモンド『ユーレカ』 ©fair use | ヨーロッパのダイヤモンド産業に危機の足音が聞こえ始めた頃の1866年、南アフリカ最大最長のオレンジ川で、たまたま農夫の息子が21.5カラットのダイヤモンドの原石を拾いました。 しばらく子供のオモチャになっていた原石でしたが、1867年に地質学者の分析によりダイヤモンドと判明しました。 知人の農夫ニカルクによって売却されたこの石は、『ユーレカ』と名付けられて10.73カラットにカットされています。 |
オレンジ川(南アフリカ) "Orange River Panorama" ©Self(6 April 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
それから3年後の1869年3月に2番目の発見があります。今度は羊飼いがやはりオレンジ川で原石を拾いました。以前の経験からそれがダイヤモンドであることを確信したニカルクは、なんと全財産をはたいて羊飼いからこの石を買い取ります。 |
羊たち | 【ニカルクの全財産の内訳】 この石は後に『南アフリカの星』として有名になりました。 47.69カラットにカットさたこの石が最後に公開されたのは、2006年のロンドン自然史博物館です。 現在はレプリカが展示されています。 |
『ヴァール川沿いで漂砂ダイヤモンドを探す人たち』雑誌ハーパーズ・ウィークリーに掲載のイラスト(1870.11.19号) | 『南アフリカの星』の発見が引き金となり、南アフリカでダイヤモンドラッシュが始まります。 この地でダイヤモンドが発見されたという噂は世界中に広まり、ヨーロッパのみならずアメリカ、オーストラリアなどからも一攫千金を夢見た人たちが次々と押し寄せました。 |
ヴァール川(南アフリカ) "VaalFromN3" ©Kierano(29 December 2007)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
1870年7月には約800人、10月には5,000人の採掘者が押し寄せ、当初はオレンジ川とヴァール川の川沿いで探索されました。まもなく内陸部の農場で50カラットのダイヤモンドが見つかると、採取の中心地は内陸部に移動します。まあ、川沿いに転がっている物は、上流から流れてきた物に決まっていますからね〜。 |
ヴァール川(南アフリカ) "VaallSunrise" ©Ivan Fourie from South Africa(21 April 2006, 06:53)/Adapted/CC BY 2.0 |
内陸部の農場の所有者は、当初は採掘者たちから手数料を徴収して所有地内のダイヤモンド採取を許可していましたが、あまりにも次々と採掘者が訪れるため手に負えなくなり、農場は鉱山会社に売られていくのです。 |
ここで頭角を表し始めるのがダイヤモンド産業を牛耳るデビアスの創業者でもあり、大英帝国における南アフリカの植民地首相まで上り詰め、『アフリカのナポレオン』とまで呼ばれたセシル・ローズです。 もともとローズは地主出身の牧師の子として誕生しましたが、生まれつきの病弱を心配した父が、季候の良い南アフリカに渡っているセシルの兄の元に当時17歳だったセシルを送ったのでした。 |
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セシル・ローズ(1853-1902年)少年の頃 |
南アフリカの地で健康を取り戻したセシル・ローズは、18歳からダイヤモンド事業に参入し、兄と共にキンバリーで坑夫としてつるはしを振るっていました。 それからたった20年ほどで、ローズは世界のダイヤモンド市場を完全に支配することになります。 |
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キンバリー鉱山(1881年にNYで刊行の『アフリカのダイヤモンド鉱山の概要』より) |
キンバリーの巨大な鉱山跡(南アフリカ) "Downtown Kimberley seen from the west 2015" ©Bjorn Christian Torrissen(3 August 2015, 13:50:41)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ローズはダイヤモンドを掘り当てて作った資金でダイヤモンドの採掘権への投機を行ったり、採掘場への揚水ポンプの貸し出しで儲け、1880年にはロンドンのユダヤ人財閥ロスチャイルドの融資も取り付けて、1881年にデビアス鉱業会社を設立しました。 |
ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(1777-1836年) | N・M・ロスチャイルド&サンズ、1811年にネイサン・メイアー・ロスチャイルドによって設立されたロンドンの名門投資銀行です。 ネイサン・メイアー・ロスチャイルドは『ジョージアンの女王』でも、地金価格や投資の話で出てきましたね。 その後も銀行はどんどん大きくなっており、末代まで一族みな才能があるということなのでしょう。すごいですね〜。 |
セシル・ローズ(1853-1902年)1900年、47歳頃 | 1870年時点ではわずかしか採れていなかったダイヤモンドでしたが、南アフリカの埋蔵量の膨大さはすぐにはっきりと見えてきました。 南アフリカでダイヤモンドラッシュが始まった当初の1876年は、英領ケープ植民地(現在の南アフリカ共和国)のキンバリーで98の小シンジケートが3600もの採掘地を保有していました。 ブラジルの鉱山が枯渇して需要に応えられなかった中での発見は歓迎されるものでしたが、すぐに供給過剰に陥ることは明らかでした。 供給過剰になれば当然ダイヤモンドの高い取引価格は維持できず、暴落して利益なき繁忙へと追いやられてしまいます。 これをいち早く見抜き対応したのがセシル・ローズなのです。融資で得た資金を使い、鉱山を次々と買収していきました。 1887年、英仏ロスチャイルド家はさらにデビアスのダイヤモンド鉱山に出資し、筆頭株主となります。 |
1902年3月に発行済のデビアス社の優先株式 |
1888年、新生デビアスが設立され、最大のライバルであったキンバリー鉱山を合併しました。その後も次々と買収を続け、19世紀末には当時知られていた生産地の9割以上を支配するようになりました。 |
プレミア鉱山(1903年) | しかしながらローズが死去した1902年、新たにプレミア鉱山が発見されました。 この巨大鉱山はデビアス支配下の全鉱山の生産量と同じダイヤモンドを産出しました。 その後も続々と巨大鉱床が発見されるなどし、デビアス社による生産支配は大きく低下して20世紀初頭にはわずか40%まで落ち込んでしまいました。 |
アーネスト・オッペンハイマー(1880-1957年)1957年、77歳頃 | デビアス社が苦戦していた1917年、現在でも世界最大の金生産者である大企業、アングロアメリカン社がドイツ系ユダヤ人のアーネスト・オッペンハイマーにより設立されました。 金生産を生業とする会社でしたが、南西アフリカで漂砂鉱床の鉱山を入手すると弱体していたデビアスの筆頭株主となり、オッペンハイマーはデビアス社の会長に就任しました。 |
今でも採掘が続くカナリン鉱山(開鉱100周年記念で2003年にプレミア鉱山から改名) "South Africa-Cullinan Premier Mine01" ©NJR ZA(12 February 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
会長となったオッペンハイマーは世界のダイヤモンドを掌握するために独創的かつ精緻な流通・支配体制を築き上げ、その地位を現代まで揺るぎないものとしました。プレミア鉱山は史上最大のダイヤモンド原石『カリナン』や、『テーラー・バートン』、『センティナリー・ダイヤモンド』などを産出していますが、この鉱山も現在はデビアスが所有しています。 |
時代別のダイヤモンドの生産量(≒供給量)と市場の関係性
<現代>
南アフリカでダイヤモンドの巨大鉱床が発見されて以降、世界各地で鉱床が見つかっており、需要以上の供給が可能です。でも、生産者は誰も価格を下落させたくはありません。だからこそ、ロシアが台頭した現代であっても取引量と価格が世界全体でコントロールされ、ダイヤモンドは高価なものとして取引されているのです。 一時期ロシア産ダイヤモンド参入による価格低下が騒がれた時代もあり、少しくらいは影響があったはずですが、ロシアはほとんどが国営企業アルロサの生産です(国内シェア95%以上)。国によってコントロールされているので、価格破壊は起こりません。 少し前に投資の世界で騒がれたシェールオイルと同じです。原油価格が高いからシェールオイルを開発したくさん生産して儲けようとしたけれど、市場に供給し過ぎると価格が低下し、開発コストを回収できなくなる。 |
シェールオイルの採掘方法 | 日本でも2014年に住友商事が米国のシェールオイル開発等で投資回収が見込めなくなり、巨額損失を計上して株価が急落したことがありました。 資源バブルで高値掴みしちゃったやつです。 宝くじや賭博も胴元しか儲からないのは常識です。市場をコントロールし、メディアも掌握している側になれなければ食い物にされるだけなのだから、投機で儲けたいならば情報収集ではなく仕組みづくりに一番力を注いで掌握できていないと駄目なのに、大企業も一般市民であっても日本人はそれが見えていない人の割合が多すぎるんですよね。 シェールオイル関連の株式ブームでは、一定数の一般人投資家も食い物にされました。 |
【参考】現代の2カラット・ダイヤモンドペンダント ¥5,400,000-(税込8%) | |
だから日本市場では特にこんな下らない物が売れるのです。普通は稀少価値があるからこそ高価な宝石になるはずですが、儲けたい人たちがうまくイメージ作りなどをやっており、鵜呑みにした愚かな消費者が価値のない物にお金を払って経済が回っているのが現状なのです。 古のヨーロッパ貴族のような美意識のある人たちならば、デザインも優れた細工もない、こんなつまらない物にお金を出したりはしないでしょう。お金を持っていたとしても、自分の無知をPRするのも同然の物を誇らしげに着けて出歩くのは恥です。少なくともダイヤモンド価格をコントロールする側の人間は、事実を知っているからこそ心の中で失笑しちゃうと思います。 大きくてダイヤモンドであることだけで価値があると信じ込んでいる人ならば、このペンダントに540万円を喜んで払い、誇らしげに身に着けるのでしょうね。通販で買えるノーブランドですら540万円なので、高級宝飾店でこのタイプのジュエリーを買おうとすれば、もっと仰天価格が提案されるはずです。 |
ちなみに左のペンダントも、別のメーカーの2カラットダイヤモンドです。 これはメーカー希望小売価格200万円のところ、100万円で販売とのことです。希望価格が胡散臭い(笑) |
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【参考】別のメーカーの現代の2ctダイヤモンドペンダント | ||
540万円の物との価格差は4Cの基準によるダイヤモンドの質の違いだけだと思いますが、こんなどうでも良い所でこんなに差が付くなんて失笑です。人の心を癒し、女性を美しく見せるために存在するはずのジュエリーにデザイン性が全くないなんて信じられません。 価値ある宝石として資産になるなら価格にも意味があるのですが、調べてみると2カラットオーバーのダイヤモンド・ジュエリーですら質屋に持って行くと、買い取り価格は10分の1前後になるようです。1カラット未満のダイヤモンドや色石にはほとんど価値はないそうです。 現代ジュエリーは資産にはなりません。今後も大量生産で供給できますし、みんな同じような物を持っています。同じような物が新品で買えるのならば、よほど低い価格にならなければ質屋で中古で手に入れようなんて思いませんよね。だから買い取り価格も当然低くなるのです。 |
<インド産の時代>
<ブラジル産の時代>
ミナスの鉱山における労働の様子(1770年代頃) | 大資本は存在せず、殆どが奴隷中心の人海戦術による採鉱でした。 南アフリカでのような巨大資本による大規模採掘は行われず、地表を人力で探す程度ではあったものの、それまでのインドからの細々と流入してきた量と比べれば莫大な量と言えました。 産出量は年に平均十万カラット程度です。 |
これが契機となり欧州各地、特にオランダのアムステルダム、ベルギーのアントワープにダイヤモンド加工工場が初めて設立されました。 家内工業から産業への転換の始まりで、これらの貿易、加工、販売の全てはユダヤ人の手によってなされました。 |
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アムステルダムのダイヤモンドカットの加工場(19世紀) |
『聖ジョージの竜退治』(フランス or 南ドイツ 1550-1575年頃)ワデズドン遺贈品、大英博物館 【引用】Brirish Museum / St George and the Dragon © The Trustees of the British Museum/Adapted |
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上はロスチャイルド家から大英博物館に寄贈された貴重な16世紀の作品です。右の画像だと色彩鮮やかな美しいエナメルは分かりやすいものの、ライトの具合で凹凸感が分かりにくいのですが、左の画像だといかにこの作品が立体的な素晴らしい表現の作品なのかが分かります。 この時代の作品は制作数自体が少ない上、残っていること自体が奇跡のようなものですが、貴重なこの時代の宝石も見て取ることができます。 この作品が制作された16世紀はまだダイヤモンドのカット技術が未熟だったため、ダイヤモンドは三流の宝石扱いでした。最も高価だったルビーと比べると、価格は8分の1に過ぎなかったと言われています。 |
『ヴェニスの商人』(1600年刊行分のタイトルページ) | 『シャイロックとジェシカ』(1876年)マウリツィ・ゴットリープ画 |
16世紀に描かれたユダヤ人と言えば、金貸しのシャイロックは超有名ですね。ルネサンス演劇を代表するイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』にて、ユダヤ人の悪徳金貸しとして表現されている人物です。『ヴェニスの商人』は1594〜1597年の間に書かれたとされています。 当時、ユダヤ人は職業が制限されていました。キリスト教ではお金を貸して利息を得ることは禁じられており、ヨーロッパでは金貸しは蔑まれる職業でした。 この時代はダイヤモンド産業も三流の宝石を扱う、儲けの薄い誰もやりたがらない職業でした。だからユダヤ人が主体を担うようになったのです。こうしてカット技術も集約され、発展していくこととなりました。 |
ダイヤモンド供給の空白期
ここまで見てきて、ダイヤモンドの供給に空白の期間があったことに気づかれた方もいらっしゃると思います。 1860年代に入り、ブラジルの鉱山が急激に枯渇してダイヤモンドが入ってこなくなりました。1867年に南アフリカで『ユーレカ』の存在が明らかになったものの、ダイヤモンドラッシュが起こるのは1869年に『南アフリカの星』が発見されたのがきっかけでした。 |
『ヴァール川沿いで漂砂ダイヤモンドを探す人たち』雑誌ハーパーズ・ウィークリーに掲載のイラスト(1870.11.19号) | ブラジルの鉱山からは、年平均で10万カラットでした。 南アフリカのダイヤモンドラッシュは凄まじいもので、猛烈な勢いで産出量は増えていきました。 |
キンバリー鉱山(1870年代) |
【ブラジル】
1860年代はダイヤモンドが急激に市場に出てこなくなる絶望的な状況でした。ダイヤモンドの原石が入ってこなければ、関連産業も当然成り立たなくなります。ブラジルのダイヤモンドラッシュでせっかく誕生したヨーロッパのダイヤモンド産業も、次々と倒産や縮小に追いやられていきました。 |
本作品が誕生した特殊な時代背景
この特別な作品は、特殊な時代背景があったからこそ生み出されたものと言えます。 ダイヤモンドが枯渇し、憧れが最大限高まっていた時代。 南アフリカで鉱床は発見されたものの、いつまた枯渇するのか分からない不安な時代。 これが見事に重なった時期だからこそ作られた作品です。 それは他に見たことのない特別なデザインや作りに現れているので、具体的に見ていくことにしましょう。 |
アンティークジュエリー市場でも滅多に見ない約2ctダイヤモンド
迫力ある百獣の王のような顔の守り神に守られた大きなダイヤモンド・・。 |
ダイヤモンドの守り神のモチーフ
気になる方も多いと思うので、先にダイヤモンドの守り神のモチーフについて議論しておきましょう。 財宝や黄金の守り神と言えば『グリフォン』なので、グリフォンだと予想される方もいらっしゃると思います。 |
『黄金の守護獣』 アールヌーボー シルバー コインパース フランス 1900年頃 SOLD |
グリフォンと言えばこのコインパースを思い出された方もいらっしゃるとおもいます。 よく見てみると、ちょっと顔の特徴が違うことにお気づきになったでしょうか。 コインパースのグリフォンはくちばしがあり、舌は出ているものの牙はありません。
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グリフォン(1660年) |
グリフォンは鷲の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物です。 鳥の王である『鷲』、百獣の王である『ライオン』から成る生物ということで、王家の紋章のモチーフとしてもよく用いられてきました。 |
このモチーフの顔は、どう見ても鷲ではなくライオンです。 美しい芸術作品を作ろうとした作者が、想像上の生き物を純粋に創造した可能性があります。 もしくはライオンではありますが、冠などで飾り付けて華やかさや格調の高い雰囲気を演出した可能性もあります。 それとも作品にボディは表現しないので、頭部だけでグリフォンを創造した可能性もあります。 いずれにしてもこれは芸術作品として作られたものなので、断定する必要はないと思います。 |
<約2カラットの上質な天然のダイヤモンド>
天然のダイヤモンド
天然のダイヤモンド? しかもどれも完璧に綺麗で当たり前と思っていらっしゃる方も少なくないようです。 |
【参考】天然であることがウリとして販売されていた約2ctダイヤモンドのルース | ||
でも、大きくて綺麗なダイヤモンドは現代でも稀少で、ある程度の高値で取引されます。 大きさだけにしか目が行かない人のために、通常ならば売り物にはならないようなクオリティの大きなダイヤモンドが販売される状況です。この汚い天然ダイヤモンドに数十万円もの価値を感じる人が結構いるようで、販売数は200個を超えているそうです。 販売数をPRして煽る安っぽい売り方はこのダイヤモンドに相応しいですし、顧客も相応の人たちが集まるということでしょう。 |
【参考】約10カラットの天然ダイヤモンド(鑑別証代別途、8%税込600万円) | ||
ちなみに10カラットサイズの天然ダイヤモンドもネット通販されていました。お値段600万円だそうです。『財宝の守り神』様になんだか申し訳なくなってきました(失笑) |
処理石
ダイヤモンドには4C基準に合うよう、各種処理の方法が開発されています。 Genが一生懸命調べてまとめたページがルネサンスにもあるのですが、場所が分かりにくいのでご存じない方も多いかもしれません。 インクリュージョンを除去するために強酸で似る方法はGIAでも認められており、鑑定書への記載義務がありませんので、大半は処理されています。 不自然な方法で作られた『完璧なもの』に慣れた現代人では感覚的には分かりにくいかもしれませんが、ある程度の大きさがある天然の石に内包物が全くない方がおかしいのです。 |
合成ダイヤモンド
CVD法により合成し、宝石カットを施した無色透明のダイヤモンド(サイズ不明) "Apollo synthetic diamond" ©Steve Jurvetson(27 May 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
何より宝石鑑別業界の人たちが危惧しているのがこの合成ダイヤモンドです。これまでは大きなサイズの物は製造コストが販売コストに合わないので市場に出ていなかったのですが、技術開発によって中国では大分出てきており、無視できなくなったデビアスもついに2018年5月29日に合成ダイヤモンドを『Lightbox』というブランドで発売することを発表しました。合成ダイヤモンドは色もコントロールできるそうです。 合成ダイヤモンドが出てきても市場価格はコントロールされるでしょうから、大幅にダイヤモンドが下落することはないはずですが、天然と合成を判別するには人間の能力では不可能なことが危惧されている原因です。数千万円クラスの高額な分析装置を使わないと判別できないそうです。そんな設備投資、小さな規模どころかそこそこ大きな鑑別所でも無理です。だからこそ鑑別業界は戦々恐々としているわけです。 まあ、世界最高クラスに硬い素材であるダイヤモンドの合成技術が確立されれば、生活に便利なテクノロジーも進化するはずなので、私はそこに期待しています。現代ジュエリーには不可能な作りこそが最大の魅力である、アンティークジュエリーには関係ない話ですから(笑) |
【本作品のダイヤモンドの魅力】
<大きさと美しさの両立>
本作品に使われているのは、南アフリカでダイヤモンドラッシュが始まったばかりのダイヤモンドだと推測されます。 それまで枯渇していた時代において、手に入れられたことが奇跡的にとさえ思えたであろう、美しくて大きなダイヤモンドです。 約2カラット(厳密には1.98カラット)あるにも関わらずインクリュージョンはとても少なく(※1)、色も最も良いとされるクラスA(※2)に入ります。 |
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【鑑別について】 (※2)クラスAとはカラーグレードD〜Gまでに入る最も良いクラスです。限りなく無色ということです。 ダイヤモンドは1カラットでも大きいと言われており、2カラットはかなり大きいと言えます。枯渇していた時代においては大きいだけでも価値があったはずなのに、さらに綺麗なのですからいかに奇跡的なダイヤモンドとして扱われたのかは、想像に難くないと思います。 |
<素晴らしいカッティング>
古い時代のカットの難しさ
昔はダイヤモンドの劈開性(へきかいせい)を利用してカットするしかありませんでした。硬いダイヤモンドも特定方向に対して脆弱性があるため、そのポイントを見つけて力を加えると割れるのです。これは結晶が揃った、結晶性の高い上質なダイヤモンドでなければできません。割れるためのポイントを見極めるのも、経験を持った職人の勘頼りです。 |
ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) | 切断されたダイヤモンドは表面を磨いて仕上げます。 硬いダイヤモンドを削ることができるのはダイヤモンドだけです。 ダイヤモンドの粉を敷いた回転盤に押しつけて削るのですが、それには気の遠くなるような時間がかかります。 回転盤を回すのも人力ですから、作業には2人必要です。一定のスピードで回すこと、一定の力で一定方向にダイヤモンドを押しつけることが必要で、熟練の技が必要な難しい作業です。 私はサラリーマン時代に研究所でこういう回転盤で削り出しや整える作業もやった経験があるので、実際にいかに難しいかが分かります。 |
世界最高のカット技術を誇るアムステルダムの職人
1852年 コ・イ・ヌールのリカット
ミュンヘン鉱物博物館のコ・イ・ヌールのレプリカ | |
ムガルカット(186.0カラット) "Koh-i-Noor old version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ブリリアンカット(105.6カラット) "Koh-i-Noor new version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
アルバート王配(1819-1861年) | コ・イ・ヌールがリカットされたことは前述しましたが、がっかりしたヴィクトリア女王を見てアルバート王配がアムステルダムからカット職人をロンドンに呼び寄せて実現したものです。 ロンドンにもダイヤモンドのカット職人はいましたが、世界最高の技術を持つ職人と言えばオランダのアムステルダムの職人だったのです。 1852年に職人に8,000ポンドを支払ってカットさせたそうです。 |
コ・イ・ヌール(ロンドン塔に展示)英国王室蔵 | 単純に現在の為替レートで算出しても120万円になりますね(1£=150円で算出)。当時の貨幣価値は現代の40分の1と聞いているので、そうだとすると4,800万円です。 当時の世界最高の職人を呼び寄せて特殊な加工をさせるのですから、数百万円どころじゃ済まないのは当然ですね。 ヘリテイジで扱っているアンティークジュエリーも、当時いかに信じられないほどのお金をかけて作られていたのか少し想像できますね。 すべて人の手で時間をかけて作っていたオーダーの一品物が安いわけがないのです。当時は私たちが到底払えるような価格ではなかったはずですが、それを気にせず支払うことのできる王侯貴族が昔はいたということです。 |
1908年 世界最大の宝飾ダイヤモンド原石カリナンのカット
原石の状態のカリナン(1908年) | 1902年に開山したばかりのプレミア鉱山(現カリナン鉱山)で、1905年に有名なあの『カリナン』が発見されます。 3,106.75カラットもあり、宝石品質のダイヤモンド原石では世界最大のものです。 ロンドンで売りに出されたものの2年間売れ残り、1907年にトランスヴァール植民地政府によって買い上げられ、エドワード7世の66歳の誕生日に献上されました。 でも、こんな物もらってもどうして良いのかちょっと困りますよね(笑) |
イギリス王エドワード7世(在位1901-1910年)1902年、61歳頃 | エドワード7世はこの巨大な原石をカットするために、1854年創業のアムステルダムのアッシャー・ダイヤモンド社のアッシャー兄弟を選びました。 巨大なダイヤモンドは厳重な警備の元、アムステルダムに運ばれました。 これだけでも相当なお金がかかっています。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
エドワード7世がアッシャー兄弟を選んだのはきちんと理由があります。 創業者の息子ジョセフ・アッシャーも卓越した技術を持っており、1902年にはアッシャー・カットを開発して、国際的にも好評を得ていました。 デザインに対する特許も取得しています。 |
さらに1905年には、それまでは世界最大だった約970カラットのダイヤモンドの原石『エクセルシア』のカットにも成功していたからです。 これも巨大すぎてなかなか売れなかったそうです。 内部に気泡や亀裂も多く、大きな宝石に仕上げることはできなかったため、13〜68カラットの10個のダイヤモンドにカットされ、不特定の購入者に販売されています。 ダイヤモンドは大変なのです。 |
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原石の『エクセルシア』 |
カリナンに第一刀を振り下ろすジョセフ・アッシャー | アッシャーの元に運ばれたカリナンを切断する歴史的瞬間を見たがった大勢の著名人の元で、第一刀が打ち下ろされました。 しかし割れたのは金属の刃の方でした。 ある正解の1点を見極め、精確に突かないと割れないのです。 数週間、計画を練った後、観衆を排除した次のトライでようやく最初の切断に成功しました。 |
最も大きな9つのラフカットされたカリナン |
その後、個別の形にラフカットするまでに4日を要しています。これだけ特別な石だち、経験値と才能を併せ持つ最高の職人がやってもこれだけかかるのです。 |
宝石として仕上げられた9粒のカリナン |
ラフカットされた石は3人で1日14時間、8ヶ月作業してようやく宝石の形に磨き上げられました。この時代は電動の機械が既に開発されており、世界トップの技術を誇るアッシャー・ダイヤモンド社はそういう機械は持っていた可能性が高いと思います。それでも、ダイヤモンドをカットするだけでこれだけの時間がかかるのです。ヘリテイジでもいくつも古いダイヤモンドジュエリーを扱っていますが、本当にどれだけの手間と時間をかけて作られたのか、想像するだけで気が遠くなります。 それにしても1日14時間集中するなんてすごいなと思ったのですが、私も毎日それくらいはPCの前に座って休みなしで集中して作業していることに気づきました(朝食・昼食は食べない)。しかも雇われと違って休日がないので休みなしです。サラリーマン時代よりブラックな環境で、でも知的好奇心を満たしながら楽しく仕事しています(笑) |
王笏を持つエリザベス女王(1953年)27歳 " H.M. Queen Elizabeth II wearing her Coronation robes and regalia - S.M. la Reine Elizabeth II portant sa robe de couronnement et les insignes royaux " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(14 May 2012, 09:32)/Adapted/CC BY 2.0 | 一番大きなダイヤモンドは『カリナンT』、別名『偉大なアフリカの星』と呼ばれ、カットされたダイヤモンドとしては当時世界一の大きさでした。 現在では世界で2番目に大きなダイヤモンドとなっていますが、イギリスの王笏でその輝きを放っています。 |
南アフリカのダイヤモンドラッシュで起こったカット技術の革新
ヘンリー・モース | さて、ダイヤモンドの研磨とカットが近代化されるのは、1870年代初めにヘンリー・モースとチャールズ・フィールドに蒸気機関を使った研磨機が発明されてからです。 1874年にイギリス、1876年にアメリカで特許が取得されています。 もともとモースはボストンの銀職人だったのですが、南アフリカからのダイヤモンドに興味を持ち、アメリカ初のダイヤモンドカットの会社を設立しました。 |
前述の通り、ダイヤモンドのカットには熟練した技術が必要です。 |
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モースの会社の加工場 |
モースはアメリカ人の従業員に技術を習得させ、南アフリカからの膨大なダイヤモンドを加工して鍛えさせることで、アメリカにダイヤモンドの加工産業が誕生したのです。 つまり、それまでの時代は、ダイヤモンドは限られたごく一部の王侯貴族のための物だったと考えて差し支えないということです。 |
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モースによる研究のメモ |
ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) | 1900年にはアメリカでベルギー移民によって電動のダイヤモンド・ソウが発明され、劈開の方向すらも無視したカットが可能となったのです。 エドワーディアンのジュエリーから、一挙に綺麗にカットされたダイヤモンド・ジュエリーが増えるのは、このようにダイヤモンドの供給量と加工の技術革新という、以前にはなかった状況の変化があったからなのです。 |
【参考】進化したレーザーによる切断装置 | 現代ではそれすらも古くて、今時はコンピュータソフトを使って最適なカットを計算し、機械で制御しながらカットもやっちゃいます。 手作業を売りにするカッターもいますが、それだけで高い値段になります。4Cの基準に合う範囲内で、職人の勘による手作業で綺麗にカットするのだそうです。 別に身につけてしまえばそんなの五十歩百歩、私には違いが分からないどうでも良いことです。それよりもジュエリーにはアーティスティックなデザインと作りの良さが欲しいのですが・・。 |
特別なダイヤモンド
この作品は電動駆動による研磨機の発明以前の1870年代にフランスで制作されたものです。 蒸気機関を使った研磨機すら、ギリギリ存在しなかった時代かもしれません。 それにも関わらず、驚くほど美しいカットが施されています。 |
フランスは1870年に普仏戦争が勃発し、ナポレオン三世はプロイセン軍の捕虜となり、それがきっかけでフランスの第二帝政は崩壊、混乱の状況に陥っています。 |
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フランス皇帝ナポレオン三世(1808-1873年) |
一方で、フランスでたくさんのジュエリーを買いまくって「宝石王子」なんてあだ名が付いたこともあるエドワード7世、王太子時代のバーティは1870年と言えば29歳、1870年代は遊び盛りの30代です。 しかもイギリスはこの頃、大英帝国として繁栄を極めるお金持ちの時代です。 加えてご説明した通り、ダイヤモンドラッシュが起こった南アフリカのダイヤモンドを牛耳るのはイギリス資本です。 |
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イギリス国王&インド皇帝エドワード7世(1841-1910年)王太子時代 |
この作品はフランス製ですが、イギリスから出てきました。 ベルエポックのオシャレなルビーのリング『グランルー・ド・パリ』も、イギリスから出てきたフランス製の作品でした。 時代背景も合わせると、この作品は特別なルートから素晴らしいダイヤモンドの原石を手に入れたイギリス人貴族が、アムステルダムなりアントワープなりで最高のカットを施し、デザイン性の高いものが得意なフランスの職人に特別にオーダーして作らせたものではないかと考えられます。 |
腐るほどダイヤモンドがあって、その中からいくらでも綺麗な石だけを選ぶことのできる20世紀以降と異なり、この時代はまだ多少インクリュージョンがあってもダイヤモンドであるだけで貴重なので、多少汚くてもジュエリーに使われていた時代です。 大きくてこれだけ美しいのは本当に特別なことで、だからこそ当時の最高の職人にわざわざオーダーして、最高のカットを施したのです。 この頃はまだ、最も簡単なローズカットが多かった時代でもあります。 しかも低品質のローズカットは、めちゃくちゃ汚いカットのものまであるんです。 |
だからダイヤモンドが豊富となる1900年以前の上質で大きなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドほど、石を外してその時代に合ったデザインのダイヤモンド・ジュエリーに作り変えられた割合が高いのです。 |
それなのに現代、アンティークジュエリーイコールローズカット・ダイヤモンドのイメージがあるほどオールドヨーロピアンカットの石が少なく、ローズカットダイヤモンドの割合が多いのは、元の状態で残っている物が少ないからなのです。 この作品も、ダイヤモンドまでよくオリジナルのまま残っていてくれたと思います。 この造形とダイヤモンドの組み合わせがあってこそのパーフェクトな作品なのです。絶対に今後も守っていかねばなりません! |
オールドヨーロピアンカットの魅力
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは現代のブリリアンカットの原型と言われているカットで、基本的には同じカットですが、現代のカットのように数学的に計算された画一的なカットとは根本的な違いがあります。 |
ここからはダイヤモンドのカットについて専門用語も交えてご説明するので、こちらの定義をご参照ください。 |
2つのカットの特徴的な違いの1つが、ダイヤモンドの厚みです。 オールドヨーロピアンカットは厚い贅沢なカットです。クラウンにもパビリオンにも厚みがあります。 |
一番上の平らなテーブルの面積が少なく、斜めの部分のクラウンの全体の面積が多いため、そこから出るファイヤー(虹色の輝き)やシンチレーション(光の動き)が現代のブリリアンカットでは想像できないほどダイナミックなのです。 |
アンティークのダイヤモンドというとローズカットをイメージされがちで、そのためかアンティークのダイヤモンドはあまり輝かないという自称専門家のコメントもあったりします。 でも、アンティークダイヤモンドの真の実力はオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドにこそあるのです。 ぜひ、アンティークのダイヤモンドのその比較にならない美しい輝きを知っていただきたいです。 |
ブリリアンカットの正体
【参考】数千トンの中にあるかどうかクラス | 【参考】低〜中クラス |
ところでダイヤモンドは八面体や六面体など、いくつかの単結晶の構造を持ちます。但しあくまでも理論上の理想的な条件が整った場合の構造なので、自然界で見つかるのは不完全な結晶構造だったり、不定形の場合も多いです。 最高品質クラスは綺麗な八面体の結晶で見つかることもあります。結晶構造が不定形になるほど劈開でのカットが難しくなりますが、ダイヤモンド・ソウが発明されてからは低クラスの結晶性が悪いダイヤモンドでも利用できるようになったことが画期的でした。 |
トルコフスキー考案のアイデアルカット |
ブリリアントカットに適用される、1919年にマルセル・トルコフスキーが発表したアイデアルカットはあまりにも有名ですね。 |
19世紀後期から研磨工場を営むトルコフスキー家の4代目として生まれたマーセル・トルコフスキーは数学者でもあり、ロンドン大学の博士論文の一環としてダイヤモンドのカットについて系統的に研究しました。 |
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マーセル・トルコフスキー(1899-1991年) |
ダイヤモンドの反射・屈折率といった光学的特性を数学的に考慮して、最も美しく輝く型を理論的に見出し、各ファセットの形状や角度を算出したとされるのがアイデアルカットです。 実はこの「最も美しく輝く」という定義がやっかいなのです。最も美しいとはどういう状態なのか?みなさん疑問に思ったことはありますか? 私も修士論文までは書いた理系なので分かるのですが、いろいろ計算して答えを出す前に、まずは前提条件となる最初の定義が必要なのです。ちなみに私は物理化学の基礎研究でした。応用工学などの分野と違って基礎理論を研究する場合、すべての外的要因は排除して考えます。例えば射撃の弾道計算をする場合、実際の世界では温度や湿度による空気抵抗の違いや、風が吹いたりするなどの要因を計算に入れる必要がありますが、可能性のあるすべての影響をパラメーターに入れると複雑になりすぎます(スパコンを使う場合は別)。だからそれらは考慮にいれない簡単な条件を定義して議論します。 トルコフスキーが定義した最も美しい条件とは、「上部から進入した光が全て内部で全反射して上部から放たれ、ダイヤモンドの輝きを際立たせる」というものです。 気づかれた方もいらっしゃるでしょうか。そうです、テーブルからの反射による美しさは全く考慮に入れない定義なのです。 |
アイデアルカット | 内部に進入した光も全て出てくるので、パビリオンのファセットまではっきり認識することはできますが、なんだかチラチラ細かくて、ダイナミックな煌めきという印象とは真逆ですよね。 数学的にはとてもとても面白いのですが、感覚的に美しいと感じるかと言われれば私の答えはNoです。 現代ジュエリーのブリリアンカット・ダイヤモンドのチラチラとしか輝かない原因はこれなのです。 |
数学的には面白いので一時的に流行ることはあっても、美しさの観点からは面白みのないブリリアンカットがここまで主流になったのはいくつかの理由があります。その全てはダイヤモンドで儲けるために販売者側にとって都合が良いためです。 ダイヤモンドラッシュによりダイヤモンドジュエリーがもはや王侯貴族のためだけのものではなくなった20世紀、選ぶ消費者側も王侯貴族のような知性も感性も持ち合わせず、何を選べば良いのかはよく分からない人ばかりでした。 そんな時、1931年に設立されたGIA(米国宝石学会)がダイヤモンドの価値を表すための基準として4Cを生み出したのです。感性で選べない人でも、権威が良い物と定義しているのならば良い物に違いないと、実際に美しいと感じていなくても安心してお金を出しますよね。いえそれどころか、「権威が美しいと言うならば美しいと感じなければ駄目だ。これは美しい。私も美しいと思う!」なんて、まるで『裸の王様』のようなバイアスまでもかかり得る状況です。 つまりはよく分かっていない小売店側も「4Cのお墨付きがあるから」と言って販売しやすくなりますし、消費者側もお金を出しやすくなるのです。 |
もう1つ、厚みのないブリリアンカットは歩留まりが良いという特徴があります。 |
八面体のダイヤモンド結晶で考えてみましょう。 オールドヨーロピアンカットだと、1つの原石から1つしか取れません。オマケで取るとしたら小さなローズカットです。 ブリリアンカットだと、1つの結晶から小さなブリリアンカットがもう1つ取れます。 しかも正面から見ると、どちらも同じ大きさがあります。 単純な大きさしか気にしない人は、見た目だけで厚みなんて気にしません。 |
『清流』 アールデコ ジャポニズム ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの場合、ローズカット・ダイヤモンドがオマケ的に得られます。 上質な原石は稀少なので、無駄にすることはありません。 それぞれ輝きの異なる全てのダイヤモンドの個性を見事に使いこなすことで、アーティストたちは心揺さぶるジュエリーを作っていたのです。 |
【参考】「心を揺さぶる光"カルティエ ダイヤモンドリング"の魅力」と紹介されていたジュエリー | 現代では大きいものから小さなものまで全部同じカットのもので溢れていますね。 左のカルティエのリングは「心揺さぶる光」と紹介されていましたが、全く心揺さぶられず、それどころかちょっと失笑してしまった私は美的センスがないのでしょうか(笑) |
マーセル・トルコフスキー(1899-1991年) | そんな不届きな輩を言いくるめるのに役立つのが、「論理的、数学的に裏付けられたカットである」というお墨付きなのです。 |
【参考】ブリリアンカット・ダイヤモンド・リング(現代) | でもやっぱり私にはただの貧乏人カットに見えます。 お金はなくとも、知性や感性が貧しい振る舞いだけはしたくありません。 ケチって作られた貧しいジュエリーを誇らしげに着けるなんて恥ですし、お金ではなく人間として貧乏な人になってしまいそうです。 |
理論ではない現実でのジュエリーの輝き
本作品のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド | アイデアルカット |
真上から見ると、確かに内部に侵入した光に関してはパビリオンが多少光を漏らしてしまうのか、全反射するのかで見た目に違いはあります。でも、どちらが美しいかはそれぞれの方の感覚ですし、ジュエリーをいつもこの角度からだけ見るなんてことはあり得ません。 さらにテーブルが広いブリリアンカットは、テーブル面が全反射する瞬間は、見えている大部分が真っ白けに見えて美しくありません。 |
本作品のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは特にクラウンが厚く、テーブルが狭いのでテーブルが全反射しても、大部分が真っ白けになるようなタイミングは皆無です。 |
静止画像を見るカタログと違い、現実では様々な角度からジュエリーを見ますよね。 クラウンから反射による輝きを考慮しない、平たいブリリアンカットは斜めから見たときの美しさがありません。 言い方は良くないですが、薄っぺらさから貧乏臭までも漂ってきます。 |
同じような角度から見ると、先ほどの現代のブリリアンカットとはクラウンの厚みとテーブルの面積が全然違うことがお分かりいただけると思います。 |
オールドヨーロピアンカットの迫力ある煌めき、ダイナミックなシンチレーションはこの厚い贅沢なクラウンがもたらすのです!♪ |
これぞ透明度の高い大きなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの真の実力です!! いえ、実物はもっと凄いです。 お客様にも毎回実物は画像以上に素晴らしいと仰っていただくのですが、画像ですらこれだけ素晴らしいのです♪ |
特別なダイヤモンドに相応しい、見事なセッティングです。
先端の爪だけで丁寧に留めてあるのが分かります。 |
裏側はオープンセッティングなのですが、裏だけでなくこのように横からも光を取り込める構造だからこそ、より魅力的にダイヤモンドが光り輝くのです。 細かい部分の設計・デザインに至るまで、すべて緻密に計算されたものなのです。 |
ダイヤモンドを最高に美しく見せるための『揺れる構造』
ハイクラスのアンティーク・ジュエリーは、下がっているパーツが優雅に揺れるのも特徴であり、大きな魅力です。この作品は特に揺れる構造の作りが素晴らしいです。メインのダイヤモンドと、その下の5連ダイヤモンド、さらにその下の天然真珠が揺れる構造になっているのですが、揺れ方は特筆すべき極上のもので、その構造もよくぞここまでという細部まで拘った特別の作りです。 |
メインのダイヤモンドの揺れる構造
メインのダイヤモンドは守り神の口から下がった構造ですが、直接連結しているわけではありません。極小ローズカット・ダイヤモンドが二個付いた取っ手のような形のパーツをまず下げ、そこにメインダイヤモンドの爪に取り付けた超極小ローズカット・ダイヤモンドをセットした金具を付けて下げてあります。いずれも自由に揺れるという、驚くべき手の込んだ作りです。 |
これほどまでに手間を掛けた構造は、作者が如何にデザインと揺れ方に拘ってこの作品を制作したかが分かるというものです。 ダイヤモンドという宝石は、煌めくことが最大の魅力です。素晴らしいカットを施したダイヤモンドであれば、少し揺れて角度が変わっただけでもダイナミックに煌めきます。 最高のダイヤモンドに相応しい最高のデザインと細工を施す。こういう細工こそ、超一級品のアンティーク・ジュエリーならではなのです! |
5連ダイヤモンドと天然真珠の揺れる構造
天然真珠が揺れる構造なのは、見てすぐにご想像いただけると思います。 しかしながら上の5連のダイヤモンドも揺れる構造になっています。それぞれのダイヤモンドのシルバーの覆輪のミルも実に見事です。 揺れるパーツにさらに揺れるパーツを下げているので、その複雑な揺れ方は実に魅力があります。 しかしさらに驚くべきことがあります。 |
5連のダイヤモンドの裏側にご注目ください。 通常だと5個が蝋付けされて一体化し、連結した状態で揺れるように作られます。 しかしながらこの作品は何と、一個一個がフレキシブルに動くようにジョイントされているのです。 |
5連のダイヤモンドのそれぞれが、独立したパーツとして可動していることが伝わりますでしょうか。 その下に、ローズカット・ダイヤモンドで飾られた美しい天然真珠が下げられているのです。 |
ローズカット・ダイヤモンドの繊細な輝きとともにゆらゆら揺れる卵型の天然真珠もまた実に魅力的なのです。 吸い込まれてしまいそうな、光沢がありながらもマットな質感の美しい天然真珠は、100数十年のものとは思えない神々しさです。 |
いずれのパーツもスムーズに揺れる構造になっていますが、どれもただ揺れれば良いという作りではありません。 一見、揺れる構造になっているようには見えぬよう、下げるための金具さえも美しいデザインの一部とし、すっきりと見えるのが素晴らしいのです。 さりげない見事なオシャレっぷりです。
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驚くべき技術で具現化させた立体的で見事な造形美
この作品は19世紀のダイヤモンドとしては異例の大きさと、実にクリーンで素晴らしい輝きのダイヤモンドが使われていることが魅力のポイントですが、実は作品としての最も重要なポイントはダイヤモンド以上に、造形美にあるのです。 単純にダイヤモンドが大きいだけのアンティークジュエリーならば他にも存在しますが、普通はダイヤモンドメインのつまらないデザインでつまらない細工の、ヘリテイジで扱うには足らないものです。 この作品はダイヤモンドが枯渇しかけた直後に手に入った約2カラットの最上級のダイヤモンドという、史上でも他にはない超特殊な条件が重なったからこそ生み出された、ジュエリーの域をも超越した奇跡的な芸術作品なのです。それを念頭に置いて、具体的に見て参りましょう。 |
この角度で見ると、絡み合う銀と金の装飾が如何に厚みがあり、立体感を出した素晴らしい造形なのかが良く分かります。 |
側面から見ると、如何に立体感を出した素晴らしい作りであるかが分かります。 あまりにも立体的なので最初は鋳造かとも思ったのですが、ゴールドで作られたパーツ以外は、シルバーにゴールドの板を貼り合わせた構造になっています。これが、鍛造で丁寧にこの造形を作った証拠です。 |
AとBは一体になっており、CとDのパーツは別々に作られているのですが、それぞれに単純に平面的な曲げだけでなく捻りを加えて立体感を出してあります。立体的な方向にも捻った、これまでに見たことのない複雑な構造であり、それらを絡ませたような面白い組み立て方をすることで他にはない躍動感を表現しているのです。 ダイヤモンドを守護する守り神の神々しさと威厳が実によく出ています。 このような複雑な構造で左右対称、かつ美しいと感じるように作るのは、凡人レベルの感覚しか持たない職人には到底不可能です。脳内で立体視が可能な、超高度な感覚と技術を持った職人でなければ作り得ない作品です。 財宝の守り神はダイヤモンドが付いている部分は銀と金を張り合わせて作ってあるのを見ても分かるように、鋳造ではない一点だけ特別に作られた特別注文の品物であることが断言出来ます。 |
鍛造で立体構造を作るのがいかにあり得ないことなのかは、同系統のこの作品を見れば分かります。
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『アイリス』 アールヌーヴォー ブローチ フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
アールヌーヴォーは安物もたくさん作られていますが、この『アイリス』はかなり高価なものとして制作されたハイクラスの作品です。 それは天然真珠やダイヤモンドという高価な材料だけでなく、裏のダイヤモンドの窓の開け方の見事なまでの美しさからも明らかです。 |
鍛造で作って貼り合わせたシルバーとゴールドをこのように立体的な形状に捻り、さらにそこに窓を開けてびっしりとダイヤモンドをオープンセッティングするなんて、当時のハイクラスの職人であっても通常は不可能な、まさに神技レベルの仕事なのです!! |
守り神の顔の表現の素晴らしさ
奇跡のような宝物、約2カラットの最上級のダイヤモンドの守り神に相応しい、この神の表現も素晴らしいものです。 いかにも怖そうな顔だとジュエリーとしては身に着けたくありませんし、弱々しい顔でも財宝を守るには不相応です。 この、何を考えているか分からないながらも威厳と迫力あるこの顔が素晴らしいのです。 何か、アルカイックスマイル的なものを連想させます。 |
「がおーっ!!」
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この見事な造形もさることながら、金細工の細かい部分にもご注目ください。 |
立体感あふれる守り神は、どの角度から見ても迫力と威厳があります。 |
厚みのあるゴールドと、どの角度から見ても完璧という完成度の高さはまさに神技です。 当時としても世界最高の腕を持つ職人が作ったに違いありません。 |
この守り神の表情を生き生きとして見せているのが、ギョロリとした迫力のある目です。 この目もとてもユニークな方法で作られています。 大きめの粒金を、凹みに蝋付けしてギョロリとした目にしてあるのです。 もう、完璧です!! |
裏の作りも仕上げもとても丁寧で美しいです。 ピンにもイーグルヘッドの刻印があります。 |
アンティークのケース付き
完全なオリジナルケースではありませんが、とても上質のアンティーク革ケースに特別にセッティングされたケース付きです。フランス製の本作品に相応しく、リヨンの住所が記載されたケースです。 |
平置きして撮影したのでダイヤモンドや真珠が少しずれていますが、実際に身につけた時は綺麗に下がります。 ジャケットの襟や左右どちらかの胸元に着けても素敵ですが、ホルターネックやハイネックのドレスの中央に着けるのもオススメです。 最高の主役となることでしょう♪ |
守り神が守護する、煌めきの美しいダイヤモンドは誰が見ても一目で特別な宝物であることが分かるはずです。それがこれまでも、そしてこれからも人の心をとらえて放さない、強い魔力のような魅力を持つ永遠の芸術なのですから・・ |