No.00195 清流 |
日本の美を知るクラフトマンが作ったに違いない、ジャポニズムの傑作!! 限りなくさりげなく美しい・・・ それはさらさらと流れる日本の清流のように軽やかで繊細な美しさ
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『清流』 和を感じる独特の構図はまるで日本人がデザインしたかのようです。人間技とは思えない徹底された細工も、江戸時代の最高の職人の仕事を彷彿とさせるもので、これをオーダーした人物と職人がいかに別格の人たちだったかが伝わってきます。 |
アールデコ・ジャポニズムの傑作が生まれた背景
日本の美術芸術は、他のどの国とも違う魅力で古くよりヨーロッパで上流階級、その中でも特に知的階層から高い人気がありました。 ジャポニズムも一過性の流行にとどまらず長い間繰り返し人気があったのですが、アールデコ期にこのような傑作が生み出された背景を、少し時代を追って見てみることにしましょう。 |
ルネサンス期から鎖国まで
南蛮屏風の一部(狩野内膳 16-17世紀)リスボン国立古美術館 | 16世紀に入り南蛮貿易が始まると、ヨーロッパへ日本の様々な美術品が多数輸出されました。 |
『紳士と淑女』 扇 フランス 1870年頃 レース(シルク)、マザーオブパール ¥ 387,000-(税込10%) |
『紳士と淑女』でもご紹介した通り、南蛮貿易でヨーロッパにもたらされた日本の扇が、ヨーロッパの貴婦人の必需品として花開いたりもしています。 |
南蛮屏風の一部(17世紀) | 南蛮屏風に描かれている通り、この時代には日本国内にも南蛮人も渡来しています。 しかしながら、この時は交易が盛んになっていくことはありませんでした。 南蛮人のキリスト教布教による植民地化推進に危機感を抱いた幕府により、日本は徐々に鎖国に向かいます。 |
1571年:日本初のキリシタン大名、大村純忠が長崎港周辺をイエズス会に教会領として寄進 こうして1854年の日米和親条約締結までの200年ちょっとの間、ヨーロッパとの交易は幕府の直轄地である長崎口に限定され、一時期を除いて管理貿易のみとなります。 |
ファン・ディーメン箱(日本 1636-1639年) 【引用】V&A museum © Victoria and Albert Museum, London | |
これはヴィクトリア&アルバート美術館が保有するマザラン・チェストの1つです。1630年代から1640年代初期にかけて京都で制作された極めて高品質の輸出漆器で、ヨーロッパへの輸出向けなので金銀、螺鈿や他の材料を贅沢に使った、高蒔絵をはじめとする複雑な技法で装飾されています。 |
髪の毛を紡ぐための蒔絵の糸車(フランス 1750-1770年) V&A美術館 | ヴィテルキャビネット(フランス 1640年頃) 【引用】V&A museum © Victoria and Albert Museum, London |
上はいずれも日本の漆器を組み込んで、フランスで制作された作品です。このように日本の美術工芸品をヨーロッパ式に家具などに組み込むことは、特にフランスで盛んに行われました。元々の美術工芸品としてのレベルの高さに加えて、鎖国制作もあって輸入できる数も極端に限られていたため、極めて稀少価値の高い美しい日本の美術工芸品はヨーロッパの上流階級の中でも特別なステータスだったのです。ヨーロッパの美術館に行くと予想以上に日本の古い美術工芸品が多く、別格の地位があったことがよく分かります。 余談ですが、マザラン・チェストは本当に貴重で、現代でも非常に高く評価されています。V&A美術館が世界中を探しても見つからなかったという左のチェストは、2013年のフランス中部シュベルニー城のオークションにて、オランダのアムステルダム国立美術館に9億6千万円の高値で落札されています。 1789年のフランス革命で、フランスの貴族は多くの美術品を手放しました。オークションに出品される前にこの櫃を保有していたのはフランス人技師でしたが、現在の貨幣価値に換算すると約18万7千円で購入し、テレビ台やシェリー酒などのお酒の貯蔵用に使っていたそうです。美術の世界ではよくある話ですね〜(笑) |
ルネサンス様式の箱(日本 1630年代) 【引用】V&A Museum © Victoria and Albert Museum, London |
鎖国中も数少ないながら輸出され、ヨーロッパの上流階級の憧れの対象だったのが日本の優れた美術工芸品だったのです。 |
18世紀後半から19世紀中頃にかけてロシア帝国、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などの艦船が日本に来航し交渉していましたが、その多くは拒否されました。 いよいよ1854年に日米和親条約が締結され、遂に鎖国が終わり、欧米との交易が一挙に増えていきます。 |
開国後
『静寂の葉』 アールヌーヴォー プリカジュールエナメル ペンダント オーストリア or フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
開国後の政府をあげての日本の輸出政策と、アールヌーヴォーへの日本美術えの影響、ジャポニズムについては『静寂の葉』でもご説明した通りです。 1862年のロンドン万博で、駐日英国公使だったラザフォード・オールコックのコレクションは、美術品から日常で使うような工芸品まで高く評価されました。 |
『日本の屏風を眺める若い貴婦人たち』(ジェームズ・ティソ 1869-1870年) | 入国が許されてこなかった謎に満ちた憧れの国『日本』の美術はやっぱり素晴らしい!! ヨーロッパでも著名な芸術家を含めて、多数の資産家が日本の美術を収集するようになります。 |
トーマス・クックの団体旅行のポスター(1890年頃) | 美術品を見るだけでなく、日本に行ってみたいとも思いますよね。 19世紀後期には世界をつなぐ各種航路が整備されたことで、商業的な世界一周旅行が始まりました。 長く西洋にベールを閉ざしていた日本が開国したばかりだったこともあり、19世紀末には欧米の冒険家や裕福な観光客の新しい旅先として日本が人気となったのです。 開国直後は駐在大使などの特殊な人物しか来ることができませんでした。それが、1872年のトーマス・クックによる世界初の世界1周団体旅行の観光で、船で横浜に寄港し、東京周辺観光の後に船で大阪、長崎を堪能することまでできるようになりました。 |
SFの父ジュール・ベルヌ(フランス 1828-1905年) | 『八十日間世界一周』(ジュール・ベルヌ 1872年刊行、1873年版) |
トーマス・クックによる世界初の世界一周旅行開催と時期を同じくして、1872年にSFの父ジュール・ベルヌによる『八十日間世界一周』が刊行されます。この本は1878年に川島忠之助が翻訳したものを日本で刊行しており、日本における最初のフランス語原典からの翻訳書としても有名ですね。このような時代背景もあり、さらに観光地としても日本の人気が高まります。 |
小泉八雲、ラフカディオ・ハーン(1850-1904年) | 19世紀後期に日本に来た欧米人と言えばラフカディオ・ハーンが有名ですね。 日本人女性と結婚して4人の子供をもうけ、東京の自宅で逝去して東京の雑司ヶ谷霊園に眠っている人物です。 一時期島根県の松江市に在住していたことから、旧国名だった出雲国にかかる枕詞「八雲立つ」にちなんで、日本国籍取得の際の名前が小泉八雲となったそうです。 神戸や熊本、市ヶ谷にも住んでいたことがあったそうで、日本のいろいろな街並みや文化を経験したことでしょう。 |
エリザベス・ビスランド(1861-1929年) | この小泉八雲の来日のきっかけとなったのがアメリカ人ジャーナリストの友人だったエリザベス・ビスランドでした。 1890年にアメリカ人ジャーナリストの女性同士、ビスランドはネリー・ブライと無理矢理、世界一周旅行の世界最短記録を競わされたのですが、小泉がその帰国報告を受けた際、いかに日本は清潔で美しく人々も文明社会に汚染されていない夢のような国であったかを聞いたそうです。 ビスランドは小泉が生涯を通して憧れ続けた美女でした。且つ、年下ながら優秀なジャーナリストとして尊敬していた女性でもありました。そのため、ビスランドの発言に激しく心を動かされて急遽日本に行くことを決意したのだそうです。 |
日本の魅力は当時発達していた写真技術でも伝えられました。美しく清潔な街並み、人々の礼儀正しさは欧米の人々にとって衝撃だったようです。『美しきお守り』でもご紹介した通り、19世紀のイギリスではテムズ川で大悪臭が発生して定期的に1万人規模で死者が出ていますし、現代でもフランスのパリは今でも街中が犬の○○○だらけだったとGenが呆れてフォト日記に書いていたくらいです(2005年「フランス人とイギリス人の違い」)。 身分によって貧富や教養に著しく差がある欧米人にとって、庶民ですらも身綺麗で礼儀正しい様も驚きでした。貴族階級が使う道具ならいざ知らず、庶民であっても使うための道具である工芸品に至るまで、欧米人から見れば美術品のように美しいのです。 |
グランドツアーで日本を訪れた際のロシア皇太子ニコライ2世(1891年) 長崎にて人力車に乗車 |
そして美しい景色と日本人美女たち・・。 グランドツアーでロシア皇太子ニコライ2世も1891年に日本を訪れていますが、フランス海軍士官のピエール・ロティによる小説『お菊さん』や、駐在ロシア人将校たちが日本人妻を娶っている話を聞いて、一時期かなり日本人妻を娶りたがっていたそうです。上の可憐な日本美女たちを見ると納得しちゃいますね〜。 寄港した長崎ではお忍びで街を探索し、その印象を日記に書き記しています。 ・・・。中国では何があったのでしょうか。そのうち時間に余裕ができたら調べてみるつもりです(笑) |
このペンダントはまるで日本人が作ったかのような和の心、そして日本らしい美しさを感じます。笹の葉の透かしの美はまるで日本建築の欄間のように美しく、背景となる笹の葉の隙間にちりばめられた無数のダイヤモンドが煌めく様は、まるで日本の穢れなき清流のようです。 どうやってこのアールデコの傑作が生み出されたのか不思議に思っていました。しかし開国以来の日本の評価の高さ、そして1908年から1913年にかけて2万人前後の訪日外客数がいたという記録から、実際に日本を訪れて魅力を理解していた欧米人がいたことは十分に納得できるのです。 |
日本らしいモチーフ『笹』
日本人にとって笹はとても身近な植物で、お庭や日常生活でも見る機会があります。 |
フォト日記『ロンドンの高級住宅街の庭で感じる和』 | 欧米では『sasa』と呼ばれるように、日本的な植物として認知されているそうです。 5月のロンドン買い付けの際にも、高級住宅街の庭の一角で笹藪を見る機会があったのですが、竹とともに日本らしい和を感じる植物として好まれるようです。 笹の美しい風景は日本各地で見ることができます。寺社仏閣にはもちろん、自然の景色の中でもよく見かけます。 |
この特別なペンダントをオーダーした人物はきっと来日して、実際に当時の美しい日本の原風景や文化に触れたことがある人物なのだと感じます。 |
『名所江戸百景』「市中繁栄七夕祭」(歌川広重 1857年) | 美しく手入れされた寺社仏閣や屋敷の庭で見たのか、それとも自然の中で見たのか・・。 或いは七夕祭りなどで印象的な光景に出逢ったのか・・。 |
『知られぬ日本の面影』(小泉八雲 1894年)"HEARN(1895)Glimpses of unfamiliar Japan" ©Sarah Wyman Whitman, Boston Public Library(27 November 2007)/Adapted/CC BY 2.0 | 笹が独特の強い魅力で欧米の上流階級や知的階層を惹きつけたことは間違いないでしょう。 ギリシャ生まれの小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が欧米に日本文化を紹介した書籍『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』の表紙デザインにも笹、もしくは竹が採用されています。 このような日本独特の美しさに触れ、上流階級らしい特別なジャポニズムのペンダントをオーダーしたのではないでしょうか。 制作した職人は実際に笹を見る機会はあったのかと、率直な疑問が湧き上がりますが、これに関しては次の推測ができます。 |
欧米の日本庭園
1873年のウィーン万国博覧会の会場(705,000坪) |
明治政府として初めて正式参加したウィーン万博にて、日本庭園が欧米に紹介されています。 |
聖路易万国博覧会ニ於ケル日本庭園俯瞰図 国立公文書館アジア歴史資料センター |
新しい日本を世界に向けてPRする、明治政府の威信をかけた万博であり、約1,300坪の敷地には神社と日本庭園が造られました。 |
ウィーン万国博覧会日本庭園写真(1873年)東京国立博物館 © 2012- National Diet Library. |
会期終了後、屋外展示物の建物や庭園設備はイギリスのアレクサンドル・パーク社が購入し、ヨーロッパ各地に広まっていきました。 |
ハマースミス・パークにある日本の門と灯籠(ロンドン) "Japanese Gate at Hammersmith Park" ©alexander williams(27 October 2019, 15:24:50)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
公共スペースとしては最古の、国外にある日本庭園は、ロンドンのハマースミス・パークにあります。日本庭園で、真っ直ぐな道を造って両脇に灯籠を整列させるイメージはなく、ヨーロッパ臭が強くて違和感があると言うか、シュールな光景です(笑) 公共の場に造園されたものと違い、通常一般人が見ることはできませんが、当時の欧米の富裕層にはプライベートな場所に日本庭園を造らせて楽しんだ人たちもいたはずです。 |
ホランド・パーク『京都庭園』(ロンドン) "Kyoto Garden Holland Park London 6662 pano 3" ©Henry Kellner(7 August 2014, 12:41:13)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
これはGenもしょっちゅう行っていた、ロンドンのホランド・パークの中に造園された日本庭園です。これは新しくて、1991年にイギリス全土で開催されたジャパン・フェスティバルを記念して造られたものです。 日本の植物も、ロンドンの気候にうまく馴染むものですね。イギリスとは思えないくらい植物も生き生きとしていますし、池には鯉が泳いでいます。 ご紹介のペンダントは、相当なお金をかけて作られた特別なものです。自宅に日本庭園を造園できるクラスの相当なお金持ちが日本の美に心動かされ、実際に日本庭園で職人に本物の生き生きとした笹の葉を見せたり、庭園から日本の美を感じ取らせることで、このアールデコ・ジャポニズムの傑作が作り出されたのではないかと感じています。 |
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それでは具体的にこのペンダントの圧倒的な作り良さを見ていくことにしましょう。 |
これだけ拡大した画像でも、直径1mmにも満たないような極小のローズカット・ダイヤモンドが使われていて、それがこのペンダントの繊細美に於いて如何に重要な役割をしているかは分かりにくいかと思います。普通は拡大すると人間が手で作ってる以上、どうしても不必要に粗が目立ってきてしまうのですが、もっと拡大した画像でご覧になって頂きましょう。 |
・・・。ここまで拡大してもそれらしき物が付いているのが分かるだけで、極小のローズカット・ダイヤモンドならではの繊細な美しい輝きが微塵も感じられないのが残念至極です。結局ダイヤモンドをセットすることで得られる効果は、様々な角度から放たれる煌めきなのでしょうがないですね。気になる方はぜひ実物をご覧いただきたいのですが、できる限り文章でお伝えしてみます。 |
ケンブリッジのカム川(イギリス) "The River Cam from the Green Dragon Bridge" ©FinlayCox143(1 September 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
高低差がある山国日本では、急流の小川は当たり前の川の景色ですが、実はヨーロッパでは違います。典型的なイギリスの川と言えば、高低差があまりないため穏やかに流れるこのような川なのです。 |
ホランド・パーク『京都庭園』の滝(ロンドン) "Waterfall-Holland-Park-? " ©I, Aziz1005(01.07.2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
こだわりの強い上流階級が造らせた本格的な日本庭園なら、きっと日本らしいせせらぎも再現したことでしょう。そこではきっと、日本らしい清流の煌めきを見られるタイミングもあったことでしょう。 |
笹の葉の装飾(細工)をよ〜くご覧下さい。笹の葉1枚1枚の表現方法を微妙に使い分けることで、天然の個性あふれる笹の葉のように生き生きとした様子を表現しています。 溝を彫って、半球状の粒を彫り出してローズカット・ダイヤモンドをセットしてある物、粒だけがならんでいる物、そして溝だけの物と、見事に変化を付けて表現されていることが分かります。だからこそパッと見ただけでも、感覚的に美しいと感じることができるのですが、細部に至る徹底した細工に気づくとさらに感動です。 これほどの細やかな気遣いで徹底して作られたジュエリーは、まるで日本の江戸時代の、世界一の繊細美を誇る小さな工芸品のようにさえ思えるのです。 この時代にはたくさんの美しい美術工芸品が日本から欧米にもたらされ、富裕層が所持していましたから、日本庭園とともに日本びいきのオーダー主にそのような工芸品も見せてもらう機会もあったかもしれませんね。それを見て、優れた職人ならば絶対にこれを超える作品を作りたいと思ったはずです。 |
アーティスティックかつ驚異的なプラチナ・ワーク
二次元の画像にしてしまうと分かりにくいのですが、本体は平面ではなく、笹の葉の形状に合わせて立体的に凹凸が表現されています。 |
笹の葉の内側に彫りだされた粒は、僅かに間隔を開けて大きさがグラデーションになっています。これほど完成度が高い粒状の装飾は、通常ではあり得ない別格の細工です!! |
そしてこのミルの完成度の高い美しさには驚くばかりです。まるでコンピュータを駆使して機械で作ったような、人間らしさを感じるちょっとした粗が微塵も感じられない、整然として美しすぎるミルには驚きを通り越して呆れるほどです。 |
作品に相応しい別格の宝石
ここのジャポニズムのペンダントを見ていると、素晴らしい細工を施す作品には、それに相応しい素晴らしい宝石が付いているのものだと改めて思います。 |
まるビロードのように柔らかな美しい輝きの天然真珠と、それぞれの石に個性が感じられる趣のある最上質のダイヤモンドの輝きも、このジャポニズムのペンダントが只者ではないことの証なのです。 |
2粒の天然真珠、そして5粒の大きなダイヤモンド、それぞれの配置にも抜群のセンスを感じます。 ただ定間隔で配置するのではなく、絶妙な配置感覚、日本的に言うならば『絶妙な間の取り方』には驚きを隠せません。 日本人以上に日本を深く理解している外国の方は現代でもたまにいらっしゃいますが、そういう特別な人物が作ったということなのでしょう。 |
『桜満開』 アールデコ ジャポニズム ブローチ イギリス 1920年頃 SOLD |
それはこのもう1つのアールデコ・ジャポニズムの傑作を見れば理解しやすいと思います。 同じアールデコ・ジャポニズムなのに、醸し出す雰囲気も技術の方向性も全く違うのが面白いところです。この作品の技術的ポイントは、現代では不可能な超難度のカリブレカットを駆使し、カリブレカットをメインにして作品を作り上げているところです。 |
カリブレカットは当時でも難しい技術だったので、ハイレベルのカリブレカットは高級品にしか見られないのですが、それも名脇役としてだったり、主役だったとしても広い面積で使用されている作品は見ることがありません。 カリブレカットより遙かに劣る現代の『ミステリーセッティング』ですら、歩留まりが悪いから高価なのだと言われていますが、このブローチはこれだけ贅沢に宝石を使ってカリブレカットを完成させており、一体どれだけお金をかけて作ったのだろうと圧倒されます。そのことからも、ジャポニズムが欧米でいかに別格で最高級品の扱いだったかが分かると思います。 さて、このブローチのデザインは典型的なジャポニズムです。まさに欧米人から見た『美しい日本の満開の桜』であり、パッと見ただけで分かりやすい、欧米人が作ったものらしい雰囲気ですよね。 |
これほどまでに分かりにくい、でも日本人が見れば、日本の伝統的で密やかな美しさを体現していることが理解できるこのペンダントが、ヨーロッパで作られたことは本当に不思議でなりません。 まさに唯一無二のアールデコ・ジャポニズムの作品と言えるでしょう。 |
このバチカンの細工の丁寧さもぜひよ〜くご覧ください。こういう部分にまで、当然のごとく粒状の装飾を湛然に彫りだしてあります。 ミルワークも完璧で、これほどまでに美しいバチカンも見た記憶がありません。 |
完璧な裏側の仕上げ
優れたアンティーク・ジュエリーほど見えない裏側にまで綺麗に仕上げてあるものですが、このジャポニズムのペンダントに関しては、これまた普通では考えられないような完璧な仕上げが施されていることに驚きます。徹底的に磨き上げられているので、普通のジュエリーの裏側では到底考えられないほど美しい艶があるのです。 |
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撮影に使用しているアンティークのプラチナ・チェーンは非売品です。現代のプラチナチェーンをご希望の場合は実費でご用意できます。シルクコードをご希望の場合はサービスでお付けします。 |
はるかロンドンからやってきたジャポニズムのペンダントです。 ようやく本物の日本の地に来たという感じでしょうか。
これまではヨーロッパの女性を美しく惹きたたせてきたこのペンダントが、これからは日本女性を美しく惹きたたせていくのだと思うと、なんだか感無量というか不思議な嬉しさが込み上げてきます。 こういうのも、歴史を持つアンティークジュエリーならではの魅力ですね。 |