No.00270 ゼウス&ヘラ |
『ゼウス&ヘラ』 神々しい神の表現は天才アーティストだからこそなせる技で、滅多に見ないシェルカメオの傑作です。 フレームも作りが良いだけでなく、カメオに合わせた天界の雲のようなデザインが傑出して素晴らしいです。 素晴らしい額装の絵画同様、1つの優れた芸術作品と言えます。それが身につけたりもできるのですから最高ですね♪ |
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この宝物のポイント
1. ギリシャ神話の神々しいモチーフ 2. 彫りの良い芸術的なカメオ 3. 魅力あふれるフレーム |
1. ギリシャ神話の神々しいモチーフ
1-1. 最高神ゼウス
このシェルカメオはギリシャ神話の最高神ゼウスを中心に、各モチーフが描かれています。全知全能の存在であり、全宇宙や天候を支配する天空神に相応しい天界の雲の中の構図。聖樹オークの冠を頭に飾り、横には最高位の女神であり美しい妻ヘラがいます。その下にはゼウスの信頼する伝令神エルメス、さらに聖獣ワシもいます。 |
そうです。 このシェルカメオはロイヤルファミリーならぬ、古代ギリシャの最高神ゼウス御一行様を表現した芸術作品なのです。 |
1-2. 美しい妻ヘラ
ゼウスの隣にたたずむ妻ヘラは、どちらかと言えばヤキモチ焼きの恐ろしい女神というイメージを持っていらっしゃる方の方が多いでしょうか。 |
『英雄ヘラクレス』 エレクトラム インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前5世紀 SOLD |
刺客の蛇を掴む幼いヘラクレス(古代ローマ 2世紀)カピトリーノ美術館 | 嫉妬したヘラが、まだ赤ん坊だったヘラクレスの揺り籠に2匹の蛇を刺客として送るという嫌がらせもしています。 ヘラクレスだったからこそ、蛇を素手で絞め殺して事なきを得ていますが、普通の赤ちゃんだったら死んでいますよね。 ゼウスの浮気相手であるアルクメネは積極的に浮気をしたわけではなく、拒んでいたのにゼウスの計略で騙されてヘラクレスを生んだだけです。 |
「懲らしめるべき相手は夫ゼウスではないのでしょうか?」と言いたくなりますが、男性が不倫すると、どちらが主導したか関係なく叩かれるのは相手女性というのは今も昔も変わらなかったということでしょうか。 本能的に刷り込まれたものなのか、何だか興味深いです。 |
最高位の女神ヘラ(古代ローマ 2世紀頃?)ヘレニズムのオリジナルを複製、ルーブル美術館 Public Domain by Marie-Lan Nguyen |
それはそうと、ゼウスはあまりにも浮気し過ぎです(笑) ギリシャ神話の最高位の女神ヘラは結婚と母性、貞節を司る女神でもありました。 婚姻・女性を守護する女神であり、古代ギリシャでは一夫一婦制が重視されていました。 「浮気はダメよ。」という強いメッセージや教訓を込めるために、ヘラの嫉妬による復讐の話は怖いものが多いのかもしれませんね。 |
掟の女神テミス(古代ギリシャ 紀元前300年頃) "0029MAN-Themis" ©Ricardo André Frantz (User:Tetraktys)(2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | さて、このゼウスの妻ヘラですが、実はゼウスにとって初婚の相手ではありませんでした。 ヘラの美しさに惚れて言い寄った当時、ゼウスにはテミスという妻がいました。 |
『ゼウスとヘラ』(ギャビン・ハミルトン 1770年) | いつも通りというか、ゼウスはカッコウに化けてヘラに近づき犯そうとしたのですが、ヘラは抵抗を続け決してゼウスに身体を許さなかったそうです。 ヘラは交わることの条件として結婚を提示しました。 |
『イデ山のゼウスとヘラ』(ジェームズ・バリー 1790-1799年)シェフィールド美術館 |
ヘラに魅了されていたゼウスは仕方なくテミスと離婚し、ヘラと結婚しました。以後は最高神の夫婦として、ゼウスは相も変わらず浮気を繰り返しながらも安定した夫婦として続いています。ヘラが結婚前に身体を許していたらこうはならず、たくさんいる女性の一人となっていたことでしょう。最高位の女神であり、婚姻を司る女神はやはり只者ではありませんね。 |
『ヘラの化粧に仕えるカリスたち』(アンドレア・アッピアーニ 1811年)ブレシア市立美術館 |
ゼウスが惚れたその美しさも只者ではありません。毎年春になるとカナトスの聖なる泉で沐浴し、ゼウスの浮気による苛立ちなど全てを洗い流して処女性を取り戻すと、美の女神アフロディーテにも劣らず天界で最も美しくなります。この時期はゼウスも他の女性には目もくれずにヘラと愛し合うそうです。 |
浮気性のゼウスとは反対に貞淑な妻。それでいて、ただの大人しい守られるだけのつまらぬ女性ではなく、真の強さや気の強さも備えた天界一美しい女神。 最高神ゼウスに寄り添うに、これだけ相応しい女神はいませんね。 |
1-3. 腹心の伝令神エルメス
ゼウスの左下にいるのはオリュンポス十二神の一柱、エルメスです。 神々の伝令使であり、旅人、商人の守護神として有名ですね。 |
多面的な性格を持つ神で、幸運と富を司り、狡知に富み詐術に長けた計略の神、早足で駆ける者、牧畜、盗人、賭博、商人、交易、交通、道路、市場、競技、体育などの神であるとともに雄弁と音楽の神であり、竪琴、笛、数、アルファベット、天文学、度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者とされています。多面すぎ(笑) 右手に持った神々の伝令の証である杖『ケーリュイオン』と、頭に被った翼の生えたつば広の丸い旅行帽『ペタソス』という特徴からエルメスと分かります。 |
『エルメス』 シルバー インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前4世紀 SOLD |
このエルメスは、ゼウスがオリュンポス神族の伝令となる神をつくるために天空を支えるアトラス神の娘、マイアとの間にもうけた神です。また浮気(笑) |
戦の神アレス(古代ローマ)紀元前320年頃の古代ギリシャ作品の複製、1622年に一部修復 Public Domain by Marie-Lan Nguyen | いつも通りだとヘラに酷い目に遭わされるところですが、ゼウスが絶対にヘラにはバレないようにマイアとは浮気しました。 また、ゼウスとヘラの息子アレスと入れ替わってエルメスがヘラの母乳を飲んでいたため、そのことが分かった後もヘラはエルメスに対して情が移ってしまい、我が子同然に可愛がったそうです。 |
『天の川の起源』(ティントレット 1575-1580年)ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
ヘラの母乳には不死を与える力があります。ヘラクレスも誕生後、ゼウスが不死の力を与えるために眠っているヘラの乳を吸わせたのですが、ヘラクレスの吸う力が強すぎて痛みに目覚めたヘラは赤ん坊を突き放しました。この時に飛び散った乳が天の川(英語:Milky way 乳の道)となったとされています。こうしてより恨みを買ってしまったヘラクレスは、人生を通してヘラから苦難を受け続けることとなるのですが、エルメスとは大違いの処遇ですね。 |
『パリスの審判』(ルーベンス 1636年)ナショナルギャラリー |
トロイア戦争の発端とされる事件『パリスの審判』でも、ゼウスの伝令神としてパリス王子に伝令を伝えたのがエルメスでした。全ての神々が呼ばれた結婚式に唯一招待されなかった不和の女神エリスが怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れた事件です。 最高位の女神ヘラ、知恵の女神アテナ、愛と美の女神アフロディーテが林檎の権利を主張して譲りませんでした。ゼウスは仲裁のために、イデ山で羊飼い中のパリス王子に判定させることとしました。この絵はエルメスがパリスにゼウスの意向を伝え、三美神を判定させている様子です。 |
『パリスの審判』 |
この古代ローマの素晴らしいインタリオにも、ゼウスや聖獣ワシと共にエルメスが描かれています。 ゼウスにとってエルメスは特に信頼する、腹心の伝令神だったのです。 |
だからこそゼウスをメインとしたこのシェルカメオの大作に、ゼウスにとっての重要な神として、ゼウスの伝令を伝える伝令神エルメスも描かれているのです。 |
1-4. 使い鳥ワシ
右下には威風堂々たるゼウスの聖獣ワシが描かれています。 |
『ゼウスとガニュメデス』アテナイの赤絵式陶器の一部(紀元前490-紀元前480年頃) "Ganymedes Zeus MET L.1999.10.14" ©David Liam Moran(13 Eylül 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ワシはゼウスの使い鳥としての聖獣だったり、ゼウス自身の化身だったりします。ゼウスと一緒に描かれている場合は使い鳥です。この古代ギリシャの赤絵式陶器では、ゼウスと使い鳥の鷲と共に、ゼウスが給仕させるために誘拐してきた美しいトロイア王子ガニュメデスが描かれています。 |
『ガニュメデスの誘拐』(ピーテル・パウル・ルーベンス 1611-1612年頃) シュヴァルツェンベルク宮殿 |
ガニュメデス王子の美しさを気に入ったゼウスが、給仕させるために天界にさらってきました。さらったのはワシに化けたゼウス自身とも、ゼウスの使い鳥のワシとも言われています。 |
『幻想のガニュメデス』 インタリオ ルース フランス 18世紀後期 SOLD |
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人間を天界にさらってくるだけあって、かなりの大鷲ですね。 ガニュメデスをさらう大鷲はマニアックながらも人気モチーフの1つなので、ヨーロッパの長い歴史の中で優れた美術作品もいくつか生み出されています。 |
ガニュメデスを誘拐するゼウスの鷲(古代ローマ 1世紀) "Rilievo con ganimede, fine I sec. dc. 01" ©I, Sailko(31 January 2005, 06:03:48)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ゼウス自身なのか使い鳥なのか、どちらにしても大きくて威風堂々たる姿の大鷲です。何しろゼウスは最高神ですからね。 |
このシェルカメオのワシもゼウスの使いとして相応しい、眼光鋭く神々しい、迫力ある姿で表現されています。 |
2. 彫りの良い芸術的なカメオ
2-1. シェルの3層を使った表現
この作品は、厚みはないながらもシェルの3層を使って巧みな表現がなされています。 |
シェルカメオの製作プロセス(イギリス 1850-1890年) 【引用】V&A Museum / Shell used to show the process of cutting a shell cameo © Victoria and Albert Museum, London/Adapted |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』でもご説明した通り、シェルカメオはストーンカメオに比べて低レベルのものと優れた作品のレベルの差が激しいです。 ストーンは材料を手に入れるために一定以上のお金がかかるため、そこまで酷い作品はあまりありません。しかしながら、シェルは品質を考慮しなければ安く手に入れることも可能だからです。あくまでも品質に拘らなければです。 |
【参考】ヴィクトリアン後期の低品質なシェルカメオ | |
カメオブームについては『音楽を奏でるヴィーナスとキューピッド』でご説明していますが、ヴィクトリアンの第二次カメオブームでは特に質の悪いカメオが乱造されています。日本でもアンティークジュエリーが流行した際、ストーンカメオの代用品として作られた安物が大量に出回っています。そのような物は、モチーフに面白みもなく彫りも見るに堪えない代物です。 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 |
一方で、重たいストーンカメオでは不可能な大型作品であったり、貝の形や色の個性を最大限に生かした芸術性の高いカメオが存在するのもシェルカメオの特徴であり、面白さです。 『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』も、単純な彫りの良さだけでなく、モチーフの構図とシェル自身が持つ色彩との特徴が相まって、実に優れた美術品となっています。 |
シェル自身の特徴を見極め、モチーフをデザインし、優れた彫りを施して最高芸術にまで高められるのは、ごく限られた才能あるシェルカメオ職人だけです。 |
そのような天才肌の職人の御眼鏡に適うシェルは滅多に存在しない、稀少な材料です。どのシェルでも良いわけではありません。 だからこそ手間をかけて1年ほども天日干ししたシェルは、優れた職人から優先的に選んでいくのです。 同じ"シェル"とは言っても、第一級の職人が作る芸術カメオと、ストーンカメオの代用品として作られる低レベルの量産品とでは材料のレベルも値段も全く違うのです。 |
『女神ローマ』 イタリア 1870年頃 フレーム:アルミニウム SOLD |
美しい色彩を持つシェルは稀少なので、一定以上の優れた職人しか手に入れられません。 さらに、1つ1つ違うシェルの個性を生かすのは至難の業です。 だからこそ、美しい色彩を持ち、モチーフも彫りも優れた芸術性の高いシェルカメオは滅多にないのです。 |
『参考』低レベルのシェルカメオ | |
シェルの個性ある色彩を生かすのがいかに難しいかは、上の低レベルのシェルカメオをご覧になればご想像いただけると思います。モチーフと色彩の位置や色彩の入り方がちぐはぐで、見ていて全く感動がありません。左のシェルカメオはそこまで彫りが悪いわけではありませんが、色彩までを全て美しい作品として昇華させることがいかに難しいことかがよく分かる作品となっています。 |
この作品は、見ていて違和感のない部分に美しく色がのっています。白い層の上にのった淡いオレンジ色の色彩は、作者が絶妙に厚みを残した結果です。また、白い層の厚みの制御も見事です。ゼウスの肩、ヘラの柔らかな首元、ワシの奥の翼や右側の雲は下地のオレンジ色が透けるくらい白い層を薄く仕上げてあります。 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』 | 『ゼウス&ヘラ』 |
『黄金馬車を駆る太陽神アポロン』は材料のシェルも非常に特殊で、驚くほど厚みがあり、その特別な厚みを生かした立体感ある彫刻により実現した、躍動感あふれる表現が感動的な作品です。一方で『ゼウス&ヘラ』は斜めから見るとかなり薄いことがお分かりいただけると思います。 |
薄さにも関わらずこれだけ立体感を出せるのは、作者がシェル3層を生かした巧みな彫りをしているからこそです。並の職人では不可能なことで、作者の持つ特別な才能がひしひしと伝わってきます。 |
色の異なる3層の厚みを巧みにコントロールし、美しい色のグラデーションを実現したこのシェルカメオは、単なる立体彫刻のカメオというよりも一枚の素晴らしい絵画という印象さえ感じます。 |
2-2. ダブルフェイスの技巧
ゼウスとヘラの顔は重なったダブルフェイスで表現されています。 ストーンカメオなどでも見ることのある人気の高い構図ですが、ストーンカメオとシェルカメオではダブルフェイスを彫る難易度は全く異なります。 |
ゴンザガ・カメオ(古代ギリシャ 紀元前3世紀頃)エルミタージュ美術館 "Cammeo gonzaga con doppio ritratto di tolomeo II e arsinoe II, III sec. ac. (alessandria), da hermitage " ©Sailko(26 November 2013, 14:15:38)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これは男女のダブルフェイスのストーンカメオです。 ヘレニズムの傑作で、ストーンが持つ天然の色の生かし方も素晴らしいです。 奥の貴婦人は白く美しく上品で、手前の男性は焦げ茶色の武具の効果も相まって雄々しく威厳に満ちた雰囲気になっています。 これは15.7×11.8cmの大作です。この大きさになると、ストーンではブローチやペンダントなどとして身につけるのは重さ的に無理です。結婚した高貴な身分の夫婦の肖像画として、豪邸の居間などに飾るために作られたのでしょう。 斜めや横からの画像がないので分かりにくいですが、軽くする必要もないので、ストーンの厚さを生かすという一番単純でやりやすい方法で奥行きを表現しています。 |
【参考】低レベルのダブルフェイスのストーンカメオ | |
ダブルフェイスは人気モチーフなので、稚拙なアンティークカメオから現代で作られた詐欺まがいの代物まで多数存在します。ゴンザガ・カメオはどちらの人物も肌の色は白で、人物の彫り分けはストーンの色ではなく立体的な彫刻技術で行っています。しかしながら技術の低い彫り師によるこのカメオは、単純に白と茶色の層で彫り分けられています。背景は下地の黒い層、女性は2層目の白い層、男性は一番上の茶色の層という、単なるストーンの厚みによる奥行きでの表現です。 |
これは現代に作られたアンティーク風のリプロダクションです。 『ディアナ』の通史でもご紹介している通り、本当は古代の人々は現代人より遙かに頭脳明晰で文化的にも豊かな生活を送っていました。 しかしながら現代人でも教養のない人の場合、古代人など昔の人々は自分たちよりも愚かで稚拙だったと誤認することが多いようです。 |
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【参考】低レベルのダブルフェイスのストーンカメオ |
【参考】低レベルのダブルフェイスのストーンカメオ | |
そういう人々は、むしろ喜んで稚拙な作品や欠陥がある物を本物で価値ある物と思い込んで買うようです。リプロを本物と思い込ませて高値で買わせようとする詐欺師たちにとっては良いカモです。 何しろ稚拙であれば稚拙なほど喜ぶのですから、これほど楽な商売はありません。作るのが大変だったら割に合わないので、商売にはなりません。だからこそ詐欺師たちにとっては、高貴な身分の人たちが使っていた本物が優れていたことは知られたくない真実なわけです(笑) |
さて、高さの差でダブルフェイスの奥行きを表現できるストーンカメオと異なり、薄いシェルでは単純な段差ではなく、それぞれの神の立体表現を微妙に変化させることで見た人に奥行きを感じさせるしかありません。 |
このカメオはこれだけフラットなのです。 |
【参考】低レベルのリプロのダブルフェイス・ストーンカメオ | |
厚みのある材料が手に入るストーンカメオは、彫り師にそこまで技量がなくても一応ダブルフェイス自体を成立させることは可能です。 |
薄い層しか使えないシェルカメオでダブルフェイスをこれだけ見事に実現できるなんて、当時の第一級のシェルカメオ職人だからこそ実現できたと言えます。 |
2-3. 立体表現の妙と躍動感を出す艶仕上げ
先ほどまでの画像は、純粋に彫りの技術をお伝えするためになるべく艶が出ない方法で撮影しています。 マットに見えるのか、艶めいて見えるかは光の具合によるのですが、白い層はよく磨かれているので、生き生きとした艶を感じることができます。 下地の層はあえてマットに仕上げられているからこそ、ゼウスらがより印象的に浮かび上がって見えます。 |
こうして角度を少し変えたいくつかの画像に見える艶を比べていただくと、いかに僅かな厚さの違いによって巧みに立体感を表現しているのかがお分かりいただけるのではないでしょうか。西洋人らしいゼウスの彫りの深い顔、女性らしいヘラ、迫力ある大鷲、佇むエルメスに、立ちこめる神々しい天界の雲。この立体感は見事という他ありません! |
このシェルカメオは、平坦ではなくシェル自体の形状によって全体にカーブが付いているのもポイントです。こういう特徴も、フラットなストーンカメオとの違いですね。 |
全体についたこのカーブのおかげで、ゼウスたちから放たれる艶が、見るときの僅かな角度の違いダイナミックに変化するのです。 |
主役たるゼウスが特に存在感を放つのも、ブローチ全体で見たときに実際に一番手前にいるからです。 それにしても優れたカメオほど、彫りが優れているだけでなく、丹念に磨き仕上げが施されているものなのですが、まさにそれが伝わってくる見事な作品です! |
3. 魅力あふれるフレーム
3-1. 天界の雲のようなデザイン
カメオは芸術作品であり、絵画と同じです。 優れた絵画には、それに相応しい優れた額縁が用意されるように、カメオにもその格に相応しいフレームが用意されます。 |
【参考】低品質なシェルカメオ | |
低レベルなカメオに対しては、当然ながら低レベルのフレームしか付きません。 |
『ユリウス・カエサル』 ジュゼッペ・ジロメッティ作 ストーンカメオ ブローチ&ペンダント イタリア 1820年頃 SOLD |
左はバチカンやイギリス王ジョージ4世もオーダーしていた当時の第一級の有名作家であり、19世紀を代表するカメオ作家の一人ジュゼッペ・ジロメッティによる『ユリウス・カエサル』のカメオです。 第一級のカメオに相応しい、格調高い雰囲気の素晴らしい作りのフレームがあしらわれています。 カメオが主役なので、フレームのデザインはあくまでも主張しすぎないエレガントでシンプルなものです。 |
この作品のフレームが最高に面白いのは、カメオのモチーフに合わせてフレームも意匠を凝らしたデザインになっていることです。ゼウスたちは天界の雲の中に佇んでいますが、フレームもまるで天界の雲のようなデザインで作られているのです! |
3-2. 立体感あふれる打出し細工
このフレームを天界の雲のように感じさせるデザイン的な要素としては、立ちこめる雲のような形状の打ち出しの細工と、神々しさを感じさせるための格調高いデザインの彫金細工の2つがあります。 まずは打ち出しについて見ていきましょう。 |
立ちこめる雲のような打ち出し細工は非常に厚みがあり、それぞれのデザインも配置もかなり立体的です。だからこそ強く躍動感を感じるのです。 |
1つ1つの雲が平面的ではなく、少しずつ角度を変えてセットされています。かなり気を遣った作りで、作者の傑出したデザイン的センスの良さも感じます。 |
このフレームは裏側を見ると、その気を遣った高価な作りがより分かります。 打ち出し細工は裏側はそのままにした物も少なくないのですが、この作品ではわざわざ裏が閉じられた中空の作りになっています。 裏側は閉じずにそのままでも問題はないのですが、わざわざお金と手間をかけて閉じた作りにしてあるのは、見えない裏側にまで美しさを求める美意識の高さの表れです。 こういうさりげない優れた仕事を見ると、嬉しくなります♪ |
3-3. 格調の高さを醸し出す彫金細工
エレガントな彫金が施された4つのパーツも見事です。面白い形状でクルリと丸められており、雲のような打ち出し細工と一緒にあって違和感がありません。 |
繊細で美しい彫金も見事です。これだけ拡大すると繊細さが分かりにくいと思いますが、実物を見ると唐草模様のようなダイナミックな模様と、縦の細かい線の部分の輝きのコントラストがとても美しいです。 |
迫力ある打ち出しの雲。 そして繊細な輝きを放つ、格調高い雰囲気の彫金細工。 この双方が相まって、ただの"お空の雲"ではなく"天界の雲"という迫力あるフレームになっているのです。 黄金の格調高い雲のフレームは、まさにゼウスたちの荘厳なカメオに相応しいものです。 |
皇太子妃アレクサンドラと皇太子アルバート(エドワード7世)のポートレートカメオ (トマソ・サウリニ 1870年)大英博物館 【引用】Brirish Museum / cameo © The Trustees of the British Museum/Adapted |
上は皇太子妃アレクサンドラと皇太子アルバート(後のイギリス王エドワード7世)のポートレート・シェルカメオです。肖像画カメオは芸術的要素がないので、そもそも本人たち以外には面白みがないのですが、エドワード7世のフレームはさすがに凝った作りをしています。 でも、今回の宝物はフレームも王族のカメオに勝るとも劣らない素晴らしいデザインと作りであることがお分かりいただけると思います。アレクサンドラ妃のカメオは何があったのでしょうね。ちょっと切ないことになっています(><) |
【余談】 他のカメオとの比較
ゼウス、ヘラ、イリス(古代ギリシャ 紀元前500年頃)Public Domain by Bibi Saint-Pol | これはワシがとまった王笏を持つゼウスとその隣にはヘラ、そしてヘラに給仕する女神イリスが描かれた古代ギリシャの赤絵式陶器の壺の一部です。 これが今回のカメオのモチーフのインスピレーションの元になったものと推測します。 右側の人物は、胸の形状から女性です。 給仕をしているので神々の給仕係であるゼウスとヘラの娘ヒービーと考える人も一部いるようですが、背中の翼や足下の翼の生えた靴などの特徴から虹の女神イリスという説が正しいでしょう。 |
『空気の寓意:ヘラとイリス』(アントニオ・パロミノ 1700年)プラド美術館 Public Domain | 虹の女神イリスはヘラにとっての、ゼウスに対するエルメスと同じ存在です。 腹心の部下であり、ヘラの伝令神として絶大な信頼があるのがイリスです。 天地を結ぶ虹として疾速で知られ、遠くの土地や海底でも瞬く間に移動することができます。 美術においては背中に翼や羽を持つ姿で描かれることが多く、エルメス同様に伝令使を示すケーリュイオンの杖を持っています。 |
イリスはエルメスに比べるとマイナーな存在ですし、左の作品はゼウスを主役なので、イリスではなくエルメスにしたのではないかと考えます。古代の作品を単純に模倣しただけではつまらないですしね。『ディアナ』などでも時々触れているイギリスのクラブ『ディレッタンティ協会』の活動のように、古代の優れた作品にインスピレーションを受けて新たなクリエショーンに昇華させてこそ意味があります。 |
『演奏会』(古代ギリシャ 紀元前460-紀元前450年頃)ウォルターズ美術館 "Niobid Painter - Red-Figure Amphora with Musical Scene - Walters 482712 - Side A" ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 | エトルリア工場の最初の作品『初日の壺』(ジョサイア・ウェッジウッド 1769年) 【引用】CHRISTESE'S / ©Christie's |
『春の花々』にて、ジョサイア・ウェッジウッドの例でもご紹介した通り、この時代のアーティストたちは続々と発見される古代の様々な優れた芸術にインスピレーションを受けて、新たなクリエーションにつなげるべく試行錯誤していました。 |
カーブドアイボリー『うたた寝するシレノス』(フランソワ・デュケノイ 1650-1670年)V&A美術館 © Victoria and Albert Museum, London/Adapted |
『シレノスと少年たち』(ジョサイア・ウェッジウッド 1778年)ウェッジウッド美術館 Public Domain by Daderot |
インスピレーションの元となるのは古代の美術作品だけに限りません。あらゆる時代の優れた美術品がインスピレーションの元となったのです。 |
『ライオンに怯える馬』(ジョージ・スタッブス 1763年頃)V&A美術館 © Victoria and Albert Museum, London/Adapted | 『ライオンに怯える馬』(ジョサイア・ウェッジウッド 1780年頃) Public Domain by Yale Center for British Art |
同時代の作家同士でも互いにインスピレーションを与えあったりしていました。莫大な富を持つイギリス貴族たちが貴重な古代の美術品を蒐集しまくり、パトロンとなって研究者による考古学の研究が進み、アーティストたちが活発に交流して高めあい、新たな創作活動が活発に行われる。そのような良い時代があったのです。 |
それもあってか、このモチーフは人気があって、それぞれの作家によっていくつかの作品が作られていたようです。 |
構図が複雑なこともあって、このモチーフで安物として作られたものは見たことがありません。 大体、どれも一定以上の高級品として作られているようです。 しかしながらやっぱりご紹介の作品と比べると、稚拙な彫りは否定できません。 ヘラはふくよかすぎてパッと見て美しいと思えませんし、ゼウスもヘラも表情がありすぎて神らしい神々しさが感じられません。 |
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【参考】同じモチーフのヘリテイジでは扱わないレベルのシェルカメオA |
ワシの最高神の使いらしい鋭い眼光や、胴体や翼の立体感、足の恐ろしい爪に至るまで、下に示した今回の作品のワシとは全く迫力が違うことがお分かりいただけると思います。 天界の雲も左のカメオだと、雲らしいフワフワ感が全く感じられませんね。 はっきり言って、彫り師の腕が悪いからです。 |
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【参考】同じモチーフのヘリテイジでは扱わないレベルのシェルカメオAのワシ |
ご紹介の作品のワシ |
フレーム自体はそこまで悪くなく、ある程度高価なものとして作られてはいるはずなのですが、残念ながらこの程度ということです。 これがそこそこのクラスのものと、ハイクラスからトップクラスにかけての第一級品との違いなのです。 分かる人が見れば、その違いは明らかです。 |
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【参考】同じモチーフのヘリテイジでは扱わないレベルのシェルカメオA |
【参考】同じモチーフのヘリテイジでは扱わないレベルのシェルカメオB | |
もう1つ別のこのシェルカメオなんかは、ヘラの鼻先がオレンジ色になっていて明らかにヘンです。彫り進めたらたまたま貝の模様がこの位置にあったということだと思いますが、これを完成させてしまう美意識の低さが嫌です。妥協するような作家が作ったものは当然彫りのレベルもそれなりでしかありません。 |
フレームがないものは、余程の傑出した魅力がないと扱わないのでそもそもヘリテイジでは扱いませんが、カメオ自体にもやはり魅力を感じません。 それはなぜなのか、一般の方には少し分かりにくいかもしれません。 これは彫り自体はわりと上手です。しかしながら、言うならばお手本通り、秀才が彫ったタイプの作品と言えます。 アーティスティックな、心揺さぶる面白さが感じられない作品です。 一見すると上手な感じすが、ワシや雲にダイナミックな立体感は感じられません。 |
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【参考】同じモチーフのヘリテイジでは扱わないレベルのシェルカメオC |
【参考】秀才のシェルカメオC | ご紹介の天才の作品 |
芸術家としての秀才と天才の違いは、やはり神々の表現に最も如実に現れると言えるでしょう。秀才は緻密に描写しようとする姿勢は分かるのですが、まるで人間のような表現になっています。神々は人智を越えた存在です。人間らしい表情は、とたんに俗っぽさへとつながります。ゼウスの頬に紅がさされたような色の表現もやってはいけないことです。上気した頬は血が通った人間らしさにつながってしまいます。美の神アフロディーテのような生き生きとした美女神ならばまだしも、これでは最高神ゼウスがオカマのようです。 |
人間には何を考えているのか分からない、絶妙な表情を持つゼウス。 シェルカメオによるダブルフェイスであるにも関わらず、奥のヘラに対してはっきりとゼウスが手前に浮き上がって表現されています。ゼウスは男らしく雄々しく、ヘラは女性らしく美しく。緻密な彫りだけではなしえない、天才だけができるこの見事な表現・・。 |
私たちはシェルカメオは単なるジュエリーではなく、身につけられる贅沢な美術品だと考えています。だからこそ、彫りだけが上手な秀才の作品は扱いません。心揺さぶる芸術作品と言えるものでなければ駄目なのです。天才だけが創造することができる、心揺さぶる芸術。見ていて飽きることなく、これほど心豊かになれるものはありません。 |
裏側も美しい、気を遣った丁寧な作りです。 |
ヨーロッパ美術の原点、古代ギリシャの偉大な神々を感じる素晴らしいシェルカメオの芸術。神話が生まれた古代世界、シェルカメオが作られた時代、そしてこの作品が経験してきた160年以上もの時。人間を越えた遙かなる時間を想像させてくれる、最高に楽しい宝物です。 |