No.00151 ライア(竪琴) |
古代ギリシャの音楽の神アポロンが奏でる音色が聞こえてくるような、美しいライア(竪琴)のブローチです。 |
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『ライア(竪琴)』 |
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ジョージアンらしい作りの良さ、極上の照り艶を持つ天然真珠。ヘリテイジでご紹介するに相応しい自慢の逸品です。細工的な見所もたくさんありますが、モチーフを読み解いていくとこれほどまでに愛を感じるアンティークジュエリーもそうあるものではありません。 メインのモチーフはライアという竪琴の一種で、そこにパドルロック(錠前)と鍵がゆらゆらと綺麗に揺れるよう下げられています。 1つ1つ、愛のモチーフを読み解いて参りましょう♪ |
音楽の神アポロンのライア
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ライアを持つアポロン(古代ギリシャ 紀元前480-470年)デルフィ考古学博物館 "Greece-0895 - Wide-bowled Drinking Cup" ©Dennis Jarvis(October 5, 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
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竪琴にはいくつかバリエーションがあります。 このブローチのモチーフは、手に持って奏でるライアという竪琴です。ライアの歴史は古く、ギリシャ神話の神アポロンのシンボルでもあります。 上の古代ギリシャのお皿にも、ライアを持つアポロンが"使い鳥"の鴉と共に描かれています。 |
![]() シモン・ヴーエ(1590-1649年) |
左の絵は、イタリアのバロック絵画をフランスに伝えた人物として知られるフランスの画家、シモン・ヴーエによるアポロンです。 『永遠の愛』でもご紹介した通り、月桂樹になってしまった美しい妖精ダフネの元で、3日3晩泣き続けたというシーンを描いた物です。愛おしそうな表情でライアを奏でるアポロンの姿からは、ダフネへの永遠の深い愛が伝わってきますね。 竪琴を美しく奏でるのが得意だったという音楽の神アポロンの愛の音色。想像するだけでも楽しいですね。 |
太陽神アポロンとケルトの渦巻き文様
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さらに注目すべきは、ライアの弦の下にある渦巻き文様です。 ヘリテイジのカタログを網羅されている方ならすぐにピンと来られたでしょうか。そう、ケルトの渦巻きです。 |
『ケルトの聖火』でもご説明した通り、ケルトの渦巻き模様(スパイラル)は約5000年前の遺跡でも見られるくらい古くから存在します。 スパイラルが組み合わさった模様は神聖な意味を持ち、太陽エネルギーの象徴とも言われています。 アポロンはギリシャ神話では他には類を見ないほど多芸多才な神です。身体だけでなく着衣、持ち物すべてから黄金の光りを放つ「光明の神」として生まれてきました。 アポロンとは別に、ギリシャ神話には元々ヘリオスという太陽神がいました。実はこの神が紀元前4世紀頃からアポロンと習合され、ローマ神話あたりからはアポロンが太陽神としても崇められるようになりました。アポロンは毎朝二輪の日輪馬車に乗って天駆ける、これが「太陽」であるという神話は見たことがある方も多いのではないでしょうか。 神仏習合は世界各所で見られる現象なので違和感はありませんし、厳密に分離しようとする試みも無意味です。日本だと七福神で唯一の女性、弁天様が有名ですね。弁才天はヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが仏教に取り込まれた神様で水辺や河、蛇などの共通点があり、こちらも調べてみると面白かったりします。 |
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さて話を戻して、太陽エネルギーを象徴するケルトの渦巻きがあしらわれていることからも、このブローチのモチーフは唯のライアではなくアポロンのライアと考えて間違いないと思います。 |
パドルロックと鍵の意味
![]() キャッツアイ パドルロック ペンダント イギリス 19世紀中期 SOLD |
パドルロックと言えば『愛の錠前』でもご紹介した通り、見ただけですぐに分かる愛のモチーフですね。 「私の心はあなたのものです。あなた以外には絶対に渡すことはありません。その鍵は、あなた以外には絶対に開かぬよう閉じられているのです・・。」 |
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パドルロックは魅力と教養に溢れセンス抜群だったジョージ4世の時代に、貴族の間で特に流行したモチーフです。このジョージアンのブローチは、パドルロックそのものが主役ではない所に際立ったセンスの良さを感じます。パドルロック、鍵ともに小さなものですが、その作りの良さはさすがジョージアンの貴族階級が作らせたものだと感じます。大きさ、色、照りに至るまで細部まで計算されて揃えられた天然真珠然り、鍵の差し込み口の再現然り。見ていてこれほど楽しいものはありません♪ |
良家の子女の手習いとしてのヘア・ワーク
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アンティークジュエリーには髪の毛が使われているものが結構存在します。日本人にとっては特にインパクトが強い素材ですよね。実はこのライアにも、髪の毛とは思えないほど美しく編まれた淡い金髪がセットされています。 知識不足のまま日本でアンティークジュリーを販売する日本人ディーラーが多いことも問題ですが、そもそもヨーロッパの上流階級文化について、普通のヨーロッパ人もあまり知らない場合が多いです。このため誤解が多いのはしょうがないことかもしれませんが、髪の毛が使われているアンティークジュエリーイコールモーニングジュエリーと考えるのは大いなる間違いです。 |
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髪の毛を糸に紡ぐための糸車(サルディーニャ国王御用達の糸車メーカーPietro Piffeti製 1740-1750年) ヴィクトリア&アルバート美術館 |
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髪の毛を使ったジュエリーは中世から見ることができます。 上と左の機械は、ブローチに入っている髪の毛のように布状に編むためのものではなく、髪の毛を糸のように紡ぐために作られた18世紀の糸車です。 上はサルディーニャ国王御用達メーカーによって、鼈甲にマザーオブパールを象嵌された驚くほど贅沢な作りです。左は日本の蒔絵が施された物です。いずれも道具と言うよりは宝物と言えるレベルですよね。 日本人の黒髪だとおどろおどろしい雰囲気になりそうですが、プラチナブロンドにリボンがあしらわれた髪の毛の束は何とも可愛らしくエレガントです。 |
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左の絵にも見られる通り、裁縫などの手習いは貴族の若い女性の教育における重要な要素の1つでした。クオリティの高い手仕事ができること、イコールエレガントで繊細器用な手を持つことの証明になるのです。いずれデビューする社交界でもてるためにも、身分の高い若い女性たちは懸命に練習したのです。 2人の愛のジュエリーに他人の髪の毛が混じるのは絶対に嫌ですよね。髪の毛は愛する人の一部であり、一番大切な物です。これだけは外注するわけにはいかないのです。それもあって、特別な愛のジュエリーに入れるための髪の毛は自分で編んでいたのです。 もちろん専門の職人も存在し、モーニングジュエリーや誕生日などの祝い事のメモリアルジュエリーの需要に応えてはいたはずで、不器用な女性は愛のジュエリーもこっそり外注していたかもしれませんね。 |
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お裁縫が良家の子女の大切な素養の1つだったことが分かると、以前フォト日記でご紹介したロスチャイルド家の豪華な裁縫箱も納得ですよね。 |
ロスチャイルド家が所蔵していたマザーオブパールと黄金の裁縫箱 WADDESDON MANOR所蔵 |
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モーニングジュエリーやラブジュエリーだけでなく、友好の証として髪の毛のジュエリーが渡されることもありました。 1855年8月にヴィクトリア女王はヴェルサイユ宮殿を訪問した際、自分たちの髪の毛で編んだブレスレットをウジェニー皇后と交換しました。 「私の髪の毛で編んだブレスレットを彼女に渡した時、私は感傷のあまり思わず涙が出てきた」と日記に書き残しています。 2人はその後も定期的に贈り物をするなど、信頼と友情を深めていったようです。 日本人とは感覚が違うのでしょうね。 |
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【参考】ジュエリーの大衆化が進んだ19世紀後期の低レベルなブローチ | ||
髪の毛のジュエリーイコール喪のジュエリーという印象が強くなったのは、1861年に王配アルバートが亡くなってからです。ヴィクトリア女王はその深い悲しみから、亡きアルバートの髪の毛を使ったジュエリーを身につけていました。女王は国民のファッションリーダーであり、台頭してきた中産階級から人気があり模範的存在であったヴィクトリア女王のファッションは徐々に民衆に浸透していきました。 1875年には中産階級の女性向けにヘアワークのハウツー本も出版され、ジュエリーの大衆化と共に、髪の毛が使われた粗悪なモーニングジュエリーやラブジュエリーが多く作られました。上のジュエリーは、いつも上質な物しか扱わない私からすると作りも見るに堪えないレベルですし、髪の毛の封入の仕方も雑ですよね。一応は愛の証だと思うので酷い言い方はしたくありませんし、お金や技術が足りなくてこうなってしまったのかもしれませんが、物そのものを見るだけでも分かる人には持ち主の品性や財力、教養が分かってしまうものなのです。 |
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上は、ライアと同じ頃に作られたジョージアンのブローチです。2色の髪の毛で編まれているので、こちらもラブジュエリーですね。但し並べてみると、いかにライアがデザイン、作り、素材に加えて髪を編む技術レベルの高さが別格なのかは一目瞭然だと思います。 | ||
ルネサンスを知ってからはルネサンス・ヘリテイジ一筋でご愛顧頂いているお客様に、あるアンティークジュエリーディーラーの話を聞いたことがあります。その方は、髪の毛は気持ち悪いから仕入れたらまず取り出して捨てると言っていたそうです。「客が購入後にリクエストした場合は取り出すべきだけど、ディーラーが自分の価値観で取り出すのはおかしい。判断は客に任せるべき。」と、そのお客様は憤慨されていました。私もその話を聞いてとても驚きました。そういうディーラーは文化的な知識のないまま販売しているのでしょう。ただのアクセサリーとしか思っていないのだと思います。優れたアンティークジュエリーは残していくべき文化遺産の側面もあるのです!!と思ったものの、そういうディーラーは恐らく上に挙げたような低レベルのアンティークジュエリーしか仕入れる能力はないはずなので、あまり害はないかもしれないと考え直しました。観光客や能力不足のディーラーでも仕入れられるようなレベルの物はヘリテイジでは扱いませんし、きちんとしたイギリス人ディーラーとの付き合いもあるので特別な物を仕入れられるのです!♪ |
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私が初めて買付でロンドンを訪れた際、貴族の文化も知らないとダメだと、わざわざロスチャイルドの郊外のお城にイギリス人ディーラーが連れて行ってくれました(詳細はフォト日記をご参照下さい)。その人も実は知識階級の良家出身で、フランス系のお母様がフィニッシングスクールでヘアワークを経験した話を聞いているのだそうです。お母様は各国王族・大使級を美術館に案内する際の説明員も担当していたそうで、その子である知り合いのディーラーも、当然単純な知識だけでなく上流階級しか知らない文化的知識も豊富なのです。頼もしい存在です♪ さて、余談ですが左のジョージ4世は、亡くなった後の遺品から膨大な種類と量の髪の毛が出てきたそうです。さすが愛と贅沢に興じた王様ですね。 |
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天然真珠の照り、輝き、色味や質感などは、画像ではどうしても再現力に限界があるのですが、このブローチの天然真珠の美しさは実に見る人を惹き付ける魅力があります。 約200年も前のジョージアンの時代に作られた物ですが、純粋無垢な色味を持つ天然真珠の雰囲気が良く活かされていると感じます。 ライアの造形自体とても魅力的ですが、よくこんなにセンス良く、美しい大きさのグラデーションを天然の真珠を使ってできたものだと関心します。 使われてる天然真珠の数も多く、これだけ集めるのがどれだけ大変だったか想像するだけでも、いかに資金力のあった貴族に作られたものかが伝わってきます。 |
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![]() カボッション・ガーネット 天然真珠 リング イギリス 19世紀後期 SOLD |
このライアのブローチの作りにはもう一つ大きな特徴があります。それは、縁にまるで小さな粒金を留めてあるように見える珍しい彫金です。 ハーフパールの留め方としては覆輪留めという美しい留め方がありますが、ヤスリで削り出すこの縁のデザインはそれを超える独特の魅力を感じます。 |
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天然真珠は半分にカットしたハーフパールが使われていますが、よく見ると形がまん丸ではなく少し歪だったり楕円だったりしています。天然の素材を使って真円に見えるよう、上手にセットされています。 留め方もジョージアンらしい、とても丁寧な留め方です。 |
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髪を封入したロケットにはガラスのカバーがありますが、これもフラットなガラスではなく、カットした後に表面を丸く磨いたガラスが使われています。こういう細部までの徹底した気遣いが、古い年代のハイクラスのジュエリーの証なのです。 | |
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最上部の金具は、セーフティーチェーンを付ける時の金具と思われます。 |
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オリジナルではありませんが、貴重なアンティークのフィッティングケース付きです。 パドルロックと鍵が揺れる構造なので、きちんとフィットさせて保管できるのも嬉しいですね。アンティークのケースだと、蓋を開ける時のワクワク感も一層大きくなるものです。 |
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髪の毛は入っていますが、このブローチが間違いなくラブジュエリーであることはお解り頂けたと思います。 音楽の神アポロンは音楽家の方にも好まれたので、音楽が得意な女性だったのでしょうか。 モーニングジュエリーにおける髪の毛特有の陰鬱だったり、悲しみの雰囲気は微塵もなく、愛溢れるポジティブなエネルギーだけしか感じませんね。これほどまでに愛された女性の持ち物。胡散臭い現代の幸運ジュエリーなんかよりもよっぽど良い出逢いや幸運をもたらしてくれそうな気がします♪ |