No.00220 天空のオルゴールメリー |
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『天空のオルゴールメリー』 アールデコ 天然真珠&サファイア ネックレス イギリス 1920年頃 天然真珠、 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、サファイア、プラチナ チェーンの長さ39cm ペンダント部分の長さ 5,5cm 重量 5,9g ※ロンドンの天然真珠の鑑別書付き ¥1,230,000-(税込10%) 約100年も前に作られたとは到底思えない、いま見ても時代の先を行くような、時代を超越した素晴らしいデザインに感動するばかりです。でも、それだけに留まらないのが優れたアンティークジュエリーということを再認識させてくれる作品でもあります。本当の一点物ならではの繊細精緻な細工は、アンティークジュエリーの中でも一級品ならではのもので、これぞ最高のラグジュアリーと感じさせてくれます♪ |
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アールデコでも異例と言えるほどモダンなデザイン
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現代ジュエリーで、パーティにも使えるまともなジュエリーを見つけ出すのは無理ですね。 どんなに高額が付いたハイブランドのジュエリーだったとしても、使われている宝石にまともな価値はありません。作りに関しては言うまでもありませんね。 左のハイブランドの悪趣味なネックレスはメインストーンがアクアマリンですが、かなり不自然な色をしています。 アクアマリンが一般的に、当然のように加熱処理されていることは『海の煌めき』でもご説明した通りです |
【参考】現代の"パーティ・ジュエリー(アクセサリー)" | |
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お金を出してもまともなジュエリーが手に入らないのならばアクセサリーの方がマシな気がしますが、イミテーションジュエリーもヴィンテージと比べてかなり質が劣化しているようで、検索したらこのようなジュエリーが出てきてひいてしまいました。 安っぽすぎて、何もつけない方がまだマシですね。アンティークジュエリーを知らなかった頃は、パーティに相応しいジュエリーが手に入らなくて困った覚えがあります。 |
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さて、詳細は後でご説明しますが、この作品は作りをみると、驚くほどの高度な技術と手間をかけて作られています。 さらに素材は当時かなり高かったはずの天然真珠、ダイヤモンド、プラチナ、そしておそらくモンタナサファイアが使用されています。 これだけお金をかけた作品ならば、アンティークジュエリーといえども普通は何かしら分かりやすいメインストーンが使われているはずなのです。 でも、宝石の価値に一切頼ろうとする気配が感じられないこの作品は、アールデコジュエリーの中でも異例中の異例と言えます。 |
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この作品に使用されているのは、その特徴や作られた年代などからモンタナサファイアだと推測されます。この作品の魅力を理解するにあたり、まずはモンタナサファイアの歴史について少し詳しく見てみることにしましょう。 |
モンタナサファイアの発見
![]() アメリカ 1880年頃 SOLD |
アメリカで1848年に始まるゴールドラッシュは、このようなジュエリーになるほど有名です。 実はモンタナ州で発見されるモンタナサファイアも、このゴールドラッシュに伴って発見された宝石です。 |
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ゴールドラッシュが始まると、アメリカ北西部のモンタナ州にも金鉱山採掘者が次々に押し寄せました。 サファイアはその副産物として発見されました。 最初は1865年にミズーリ川の砂利の中から、次いで1889年にドライ・コットンウッド川、1892年にロック川、1895年にヨーゴ渓谷でサファイアが発見されました。 |
そうは言っても、サファイアの全てが美しいわけではありません。ヨーゴ峡谷以外では透明度は高いものの、色が薄く平均5mm程度の小さい結晶しか採れなかったため、当時は誰も注目していませんでした。 |
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転機となったのは、探鉱家ジェイク・フーバーの1つの行動でした。1879年に本格的に金の採掘が始まったヨーゴ峡谷で、2人のパートナーと共に4万ドルの資金を調達して金の夢にかけて1894年から採掘を始めました。 ただ、1年間の鉱業で3人が採掘できたのは僅か40オンスのゴールド(700ドル相当)に過ぎませんでした。 |
ゴールドの他に見つかったのは、欠片ほどの青い石くらいでした。水門の箱で見つけたそれらの小石を、他の鉱夫達は捨てました。しかしフーバーただ1人、シガーボックス一杯に青い小石を集め、ニューヨークのティファニー社に送り鑑別を依頼したのです。 |
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TIFFANY&CO.の創業者は、チャールズ・ルイス・ティファニーです。 1837年にチャールズとジョン・B・ヤングによって、ティファニーの前進となる会社『ティファニー&ヤング』を設立しました。 一番初めの店はNYのブロードウェイ259番地におかれ、高級な文房具や装飾品などを扱っていました。 「各商品に値札をつけ値引き交渉には応じない」というのがポリシーで、当時としては革命的なものだったそうです。 |
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高級小物の店だったティファニー社の躍進に、1848年のフランス二月革命が大きく効いています。革命による混乱に伴い、ティファニー&ヤング社はフランス貴族から高級ジュエリー類を多く買い入れ、宝飾事業に進出しました。この事業が大成功を収め、アメリカのナンバーワンのジュエリー・ブランドという現在の地位に繋がります。 |
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1879年には当時23歳だったジョージ・フレデリック・クンツが入社しました。 クンツ博士は鉱物学と宝石学の権威で、後々ティファニーの副社長までのぼりつめた人物です。 少年時代から鉱物への興味が高かった人物で、本とフィールドワークによる独学でその分野のエキスパートとなりました。 「アメリカにはまだ発見されていない宝石がたくさんある」と魅力的に語るクンツに、費用は気にせず美しい宝石を集めてきなさいとチャールズが言ったからこそ、ティファニーの大きな成功が生まれたのです。 |
![]() アメリカ 1900年頃 SOLD |
![]() アメリカ 1910年頃 SOLD |
クンツ博士がジェイク・フーバーから送られてきた青い小石を分析した結果、素晴らしいサファイアであることが分かりました。広大なアメリカに眠る宝石に夢を見ていた人物にとって、これ以上ワクワクすることはありませんね。インクリュージョンがほとんどない理想の石と評され、サファイアの最上質の色とされるコーンフラワーブルーを呈する石も存在するヨーゴ峡谷のモンタナサファイアは、1900年のパリ万博のティファニーの展示品の主役として出品されました。 |
1900年のパリ万博『アール・ヌーヴォーの祭典』
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19世紀最後の年、世紀末を飾る国際博覧会かつ新世紀の幕開けを祝う1900年のパリ万博は、帝国主義が渦巻く背景もあって各国が総力を挙げたイベントでした。サッカーのワールドカップや、かつてのオリンピックも国同士の代理戦争の側面が言われますね。通常のイベントとは、本気の度合いが違います。 |
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革命や戦争で他国に遅れをとっていたフランスの産業革命がようやく進み、都市の消費文化が繁栄を極めたベルエポックの頂点と言われた万博でした。 |
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同時にアールヌーヴォーが席巻した万博でもありました。 『静寂の葉』でもご紹介したことがあるサミュエル・ビングもこの万博に出品しました。 アールヌーヴォーの発展に大きく寄与したことで有名な美術商です。 ビングによる装飾美術のパビリオンが一躍注目を集めたことで、アール・ヌーヴォーが1900年のパリ万博を象徴する表現にもなったのです。 |
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このパリ万博は、"芸術的かつラグジュアリー"と評される当時の世界のビッグ・スリーのジュエラーが一堂に会した最初で最後の万博でもありました。 ・ロシアの天才プロデューサーのファベルジェ 世界中の注目を集めた1900年のパリ万博は、過去最大の4800万人を動員する大規模なものとなりました。 |
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![]() フランス 1930年頃 SOLD |
![]() アメリカ 1880-1890年頃 SOLD |
<万博とティファニーの歴史>
ティファニーにおけるデザイナー育成の始祖
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アメリカは国家としての歴史が浅く、王侯貴族も存在せず、ヨーロッパから文化的にも低く見られていました。そのアメリカの会社として、ティファニーが世界的に評価される地位を築くためには長い努力の歴史がありました。 |
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1851年にティファニー専属メーカーとなっていたジョン・C・ムーアと息子エドワード・C・ムーア親子の銀細工製造会社ですが、1868年に完全にティファニーに買収されました。 息子エドワードは1851年から、亡くなる1891年までティファニーのジュエリー・デザイナー兼シルバー部門の責任者として活躍しました。 銀細工師だけでなく美術コレクターでもあり、メトロポリタン美術館のパトロンでした。保有した多くのコレクションや図書を寄贈し、アメリカの芸術文化の向上に貢献しました。 ティファニーが初めて万博で受賞したのは1867年のパリ万博で、エドワードがデザインした作品でした。さらに1878年、1889年の万博での金メダル獲得にも大きく貢献しました。 |
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統率するアーティスト達に、世界中の様々な年代のジュエリーや工芸品から勉強するよう指導したそうです。 そんなエドワードの最重要作品として有名なのが、ジャポニズムおよび考古学スタイルの作品です。現代のティファニーのイメージからすると、意外に思われる方もいらっしゃるでしょうか。 左はモチーフも日本らしい作品ですが、シルバー表面も雪平鍋のような質感が施されており、日本らしさ全開ですね。 戦後のプロモーションの影響で、ティファニーはジュエリーの印象が強いです。実は優れた銀器やジャポニズム作品も制作しており、初期はそのような作品で一時代を築いていったのです。 ティファニーの現代ジュエリーは要りませんが、こういう作品ならば私も扱っても良いと感じます。 |
パリ万博(1889年)での金賞受賞
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1885年、ティファニーの19世紀における傑出したデザイナー、ジョージ・パウルディング・ファーナムが26歳でデザイン部門に加わりました。 エドワード・ムーアの元で学んでいたファーナムは、すぐに巧みで革新的なアーティストとしてその地位を確立しました。 1889年のパリ万博に出展するためのジュエリー部門の責任者として、ムーアと共に権限が与えられました。 ファーナムは1885-1908年までの23年間ティファニーに所属するのですが、天才的なジュエリーデザイナーであるだけでなく、彫刻家、冶金学者でもありました。 |
![]() 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
そんなファーナムがデザインしたのは、実物に忠実な大きさと造形の、エナメルと宝石で作った蘭のブローチでした。 ジュエリーで花を作ること自体は目新しいことではありませんでしたが、そのモチーフが『蘭』だったことは世界の人々に非常に驚きを与えました。 日本や東インドのジュエリー、東欧のデザイン、ルイ14世〜16世の時代のファッション、ネイティブアメリカンの陶器など、様々なカラフルな美術工芸品からインスピレーションを受けて作られた作品は実に見事なものでした。 作品の巧妙なデザインに加え、それを完成させたティファニーの技術の高さは異例の賞賛を得ました。 |
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『蘭のブローチ』(1889年パリ万博のティファニー出品作品)ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン |
この1889年のパリ万博で、ティファニーは前例のない1社で6つもの金賞を受賞しました。この快挙に貢献したファーナムは、ティファニーの成功の立役者で天才的なジュエリーデザイナーとして知られるようになりました。 |
パリ万博(1900年)でのグランプリ受賞
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アール・ヌーヴォーの祭典とも言われる1900年のパリ万博で、ティファニーはグランプリを受賞します。ファーナムは1889年の受賞に続く立役者となるのですが、クンツ博士との相乗効果が非常に効果的でした。 |
![]() ティファニー 1885-1895年頃 クリーブランド美術館 【引用】The Cleveland Museum of Art©Howard Agriesti, The Cleveland Museum of Art/Adapted. |
宝石学者クンツ博士によるモンタナサファイア、ピンクトルマリン、メキシコ産ファイアオパール、アリゾナのトルコ石、ウラル産デマントイドガーネット、コンクシェルなどの色とりどりの宝石は作品に美しい色彩を与えました。 左の大きなピンクトルマリンの息を飲むような美しさにも人々は魅了されたそうですが、もっと驚きをもって迎え入れられたのは実物大の宝石のアヤメのブローチでした。 |
![]() ティファニー 1900-1901年頃 プリマヴェラ・ギャラリー 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
これはピンクトルマリン、デマントイド・ガーネット、ダイヤモンド、トパーズ、プラチナ、ゴールドで表現したアヤメのブローチです。 12.7cmほどある大型の作品です。 立体的な花の造形は見事ですね。 デマントイドガーネットで表現された、葉の上下もよく見ると非常に小さな石が、目には見えないくらいの極小の爪で留めてあり、アメリカでこんなに細かい細工ができる職人がいたことには感動です。 当時のヨーロッパではアメリカのジュエリーは下に見られる傾向がありました。 雑なアメリカ人が作る派手なジュエリーは、成金富裕層のために作られたものであって、真の王侯貴族のために作られたものではないので下品な作品ばかりと思われていたのです。 このため、アメリカのジュエリーはアメリカでは人気があったものの、ヨーロッパでの人気は今ひとつだったのです。 ファーナムのデザインしたアイリスのブローチは、見事にそのイメージを払拭させました。 |
世界に衝撃を与えたモンタナ・サファイア
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![]() "Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
そんなティファニーの展示品の主役として出展されたのが、このモンタナサファイアを使った実物大のアイリスでした。高さ24.1cmの大作です。 |
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モンタナサファイア、ダイヤモンド、デマントイドガーネット、トパーズ、ブルースチール、ゴールド、プラチナを使ってアイリスを表現しています。 この作品も、葉の先端には驚くほど小さなデマントイドガーネットが見事にセッティングされています。 デマントイドガーネットはロシアのウラル産ですが、クンツ博士が手に入れるためにわざわざロシアに行ったことは『Demantoid Flower』でもご紹介した通りですね。 明るい緑色というだけでなく、ダイヤモンド光沢による輝きの強さや、ダイヤモンド以上の分散度によるファイアの強さによって強い存在感を放つデマントイドガーネットはこの作品に必須です。 同じ緑色の宝石でも、エメラルドやペリドットではここまで生き生きとした葉の表現にはならなかったことでしょう。 |
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この作品は金属の使い方も特徴的です。アヤメの花びらの中央にライン状にセットされたダイヤモンドのフレームは、当時までジュエリーの一般市場に出てきていなかった最先端の素材プラチナが使われています。 茎に加えてデマントイドガーネットとトパーズのフレームには、色石にはゴールドを使用するというおよそエドワーディアン以前のアンティークジュエリーのセオリー通り、ゴールドが使用されています。 特に変わっているのはブルースチールです。ブルースチールは炭素鋼を熱することで表面に酸化膜を形成し、青色になるまで熱したものです。モンタナサファイアで表現するアヤメの花びらをよりリアルに見せるためにやったことだと推測されますが、発想も技術もまさにそこまでやるかと思えるレベルですね。 |
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モンタナサファイアは色が濃いめの石が使われています。このくらい色の濃い石だと、他の産地のサファイアでも類似の色を見ることはあります。でも、インクリュージョンが極端に少なく理想の石とまで称される、クリアなモンタナサファイアの美しさは他の産地にはない魅力がありますね。 花びらには少し大きめのモンタナサファイアが贅沢にセッティングされていますが、フレームの外周ギリギリの所に、大きなサファイアの隙間を埋めるようにいくつか極小のサファイアが留められていることにも驚きです。これこそが、王侯貴族のためにジュエリーが作られていた時代に開催される、大きな展示会に出品されるクラスの作品の作りなのです。 巨大な石ころを数個飾って「私、お高そうでしょ!」と主張するジュエリーは、真の芸術家がプライドをかけ、魂を込めて作るジュエリーにはあり得ないのです。 |
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![]() 卵形天然真珠 ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
優れた高級アンティークジュエリーだけを扱うヘリテイジでは、たまに普通にオーダーしたとはとても思えない、デザインも作りも素材も傑出した作品を扱うことがあります。 『ジュエリー』呼ぶには気が引けてしまうような、尊敬の念を持って『芸術作品』として扱うべき、作者の魂がこもったような心震える作品です。 この『情愛の鳥』も当時としては異例のプラチナが使われた、最先端の技術を駆使した作品とも言えます。 コンテストに出品するために作られた作品だと感じるのは、このように総合的に納得いく理由があるからなのです。 |
イギリス鉱山とアメリカ鉱山
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さてヨーゴ峡谷は唯一、収益性のある美しいブルーのモンタナ・サファイアが採れる場所でした。モンタナサファイアの発見者ジェイク・フーバーはこの鉱脈がある地区を羊飼いから買い取りました。最終的にはイギリス資本に権利が売られ、1899〜1920年代まで非常に収益性の高い『イギリス鉱山』として繁栄することになります。 |
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一方で1896年、フーバーが採掘には適さないと判断したヨーゴ峡谷の西部地区を投資家たちが買い取り、アメリカ鉱山として操業が始まりました。アメリカ鉱山は険しい崖があるアクセスが困難な場所に集中しており、採掘は困難を極めました。 |
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1913年、ついにアメリカ鉱山の資本金が尽き、イギリス鉱山に買収されて一つの鉱山となります。なんだか、少なくとも第二次世界大戦以前のアンティークジュエリーの時代は、世界各地で宝石の覇権は全部イギリスがとっている印象ですね。 |
イギリス鉱山の終焉
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さて、1つとなったイギリス鉱山ですが、1922年頃までには操業が傾いてきました。 その原因は市場に合成サファイアが浸透してきたことです。 1902年に開発された、ベルヌーイ法(火炎溶融法)という技術による人工合成です。 合成ルビーの量産技術は1907年、合成サファイアは1910年に技術が開発されています。 |
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モンタナサファイアは内包物が少ないという特徴があったため、宝石には適さなくても時計の軸受けや研磨剤としての需要がありました。しかしながら合成サファイアが開発されたことで、これらの用途のモンタナサファイアは必要がなくなってしまったのです。競争力が保てなくなった産業用サファイア鉱山の大半が閉山となりました。 |
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宝石用途としては依然として需要がありましたが、第一次世界大戦後はヨーロッパ経済が衰退する中で、イギリス人のモンタナサファイア・ジュエリーへの関心も低下していきました。
さらに追い打ちをかけたのが1923年の大規模なフラッシュ洪水でした。 数百万カラットの原石が押し流され、鉱山の大部分が破壊されてしまいました。 イギリス資本はもはや資本を投入して鉱山の操業を続けることを断念し、イギリス鉱山も終わってしまいました。 |
現代のモンタナサファイア
見捨てられた存在となっていたモンタナサファイアですが、1970年代後半から加熱処理が可能になると、透明度が高いという特徴を持つこの石に再び注目が集まりました。 加熱で効率良く色を改善できるモンタナサファイアは人気が出て、1990年代には百万カラット超が出荷されました。 しかしながら加熱が必要な低品質な石ですら、現代ではあっという間に採り尽くされ、何度も閉山と再開発が繰り返されています。 |
モンタナサファイアを使ったアンティークジュエリーの特徴
クリアなスカイブルーのサファイア
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この作品に使われているスカイブルーのサファイアも、インクリュージョンが見られないクリアな石です。 四角にカットされた特徴からも、当時モンタナサファイアのジュエリーとして作られたのではないかと考えられます。 |
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後ろから見ても本当に綺麗な石です。 小さな石ながらも、晴れ渡ったモンタナの青空を思わせるような極上の青です。 |
品が良く贅沢な宝石づかい
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この作品には天然真珠、ダイヤモンド、サファイアの3種類もの宝石が使用されています。 天然真珠とダイヤモンドは使われている数も多いです。 これだけ使うと普通はデザイン的にまとまりがなくなってしまったり、主張が強いイメージになってしまいそうなのですが、このネックレスは驚くほど品が良く、それでいてスタイリッシュでモダンな、とってもオシャレなイメージに仕上がっています。 |
天然真珠とプラチナによる美しいチェーン
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ペンダントが綺麗にデザインされているので、シンプルにプラチナだけのチェーンにすることも可能だったはずなのです。 それでもわざわざお金と手間をかけて、天然真珠を留めてあります。 このペンダントは極上のデザインと作りなので、ハンドメイドでもシンプルなプラチナチェーンだと相応しくないということだったのかもしれません。 |
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ペンダント部分に使われている天然真珠は特に照りに優れた美しい真珠ですが、チェーンに使われている天然真珠も多少の個性はあるものの、大きさや見た目のイメージを揃えたものが使用されています。こういう天然の真珠は揃ったものを集めるだけでも大変だったはずです。 |
アールデコをも超越したスタイリッシュなデザイン
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このネックレスは他に見たことがない、スタイリッシュでモダンなデザインが最大の特徴です。 1900年のパリ万博で世界から注目を集めたティファニーのモンタナサファイアですが、そういうものとは全くデザインが異なります。 参考にティファニーの天才デザイナー、ファーナムがデザインしたアイリス以外のモンタナサファイアのジュエリーを見てみることにしましょう。 |
ティファニーのモンタナサファイアのジュエリー
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1902年に創業者チャールズ・ルイス・ティファニーが亡くなった後の、息子ルイス・カムフォート・ティファニーの時代のモンタナサファイアの作品を集めてみました。 |
![]() ティファニー 1920年代 約660万円(2019年現在) |
見ていくと、「えっ?!」と思われるかもしれません。 まるで量産ジュエリーのように同じような作品が並んでいきます。 もちろん1つ1つ手作りなのですが、デザインが皆同じような感じなのです。 使っている石もモンタナサファイアとムーンストーンの組み合わせばかりで面白くありません・・。 |
![]() ティファニー 1910年頃 オークション予想価格$40,000-60,000(2015年現在) |
![]() ティファニー 1910年頃 メトロポリタン美術館 【引用】THE MET / Necklace with Pendant ©The Metropolitan Museum of Art |
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【参考】モンタナサファイア&ムーンストーン・ブローチ(ティファニー 1910年頃)落札価格約236万円(2017年現在) |
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【参考】モンタナサファイア&ムーンストーン・ネックレス(ティファニー 1910年頃) イヤリングとセットで約2,040万円で落札(2017年現在) |
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【参考】モンタナサファイア&ムーンストーン・ブローチ ティファニー 1920年頃 |
【参考】アーツ&クラフツ モンタナサファイア&ムーンストーン・ブローチ ティファニー 1915年頃 落札価格約242万円(2011年現在) |
どれも似たりよったりのデザインで個性が感じられず、魅力がありません。ツワモノ揃いの社交界で頭角を現すために、王侯貴族はデザインにセンスの良さと唯一無二の個性を求めます。一方で、美的感覚や教養を持たぬ成金(中産階級)はブランドのお墨付きを求めます。 ありきたりなデザインによって、すぐにティファニーのものと分かるジュエリーは上流階級には興味を持ってもらえなくても、成金には価値がありました。王侯貴族のように難易度の高いオーダーをしない成金に売るのは楽です。故に大量生産されたわけですが、結局は成金にすらすぐに飽きられて時代遅れになってしまいました。優れたデザインは普遍性を持つことができますが、ダメなものは陳腐化して見向きもされなくなる運命です。 |
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アールヌーヴォーはイギリスでは流行しませんでした。 アールヌーヴォー自体、1880年代にウィリアム・モリスが主導した美術運動アーツ・アンド・クラフツ運動 (美術工芸運動)が元の1つであるため、イギリス人にとって目新しいというよりは、前時代のデザインというイメージだったからかもしれません。 |
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1940年代のティファニーのジュエリーでも、同じ組み合わせの石で作られた作品がありました。 過去の栄光に頼るだけの陳腐なデザインは、王侯貴族の時代が終わりを告げ、知性や感性、美的センスに劣る成金や大衆が消費の中心になっていった過程の証にも見えます。 |
【参考】モンタナサファイア&ムーンストーン・ブローチ ティファニー 1940年代 |
さりげなく施された超高度な細工
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このネックレスはシンプルに見えるデザインながら、かなり手間をかけて高度な細工が施されています。 ペンダントは縦の3本のラインで構成されています。 一番上の天然真珠のライン、下2つのダイヤモンドのラインから成ります。 どれもラインを構成するパーツの1つ1つが可動する構造で、ライン全体がしなやかに動きます。 |
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まず、上の天然真珠のラインはプラチナを使って1つ1つ別個につなげてあります。 だからこのラインも、身につけた人の動きによってしなやかに追随することができるのです。 糸ではなく強靱なプラチナで連結してあるので、糸換えの心配がないのも良いですね。 |
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さらに5連のダイヤモンドのライン2本を見てみましょう。 連続するダイヤモンドは、それぞれ下に行くほどサイズが大きくなるように作られています。 見たときの印象ががらりと変わる、デザイン上とても重要な細工ですが、簡単に見えて実は想像以上に手間のかかる細工です。 手作りでも同じものをまるで機械のように淡々と作っていくのが得意な人もいますが、ちょっとずつ違和感のないグラデーションに仕上げるには技術に加えてセンスも必要です。 さらに手間をかけて作ったダイヤモンド1つ1つのパーツを独特のつなぎ方で連結し、フレキシブルに稼働出来る構造に仕上げられています。 一番したのサファイアの四角形のフレームは、ダイヤモンドのラインより一段厚みがあるように作られてています。 連続する流れを持ったダイヤモンドのラインから、一番下のサファイアに行くときは少し段差を上るような作りになっているとも言え、リズム感を感じるアールデコらしいデザインだと感じます。 |
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裏側を見るとどのようにダイヤモンドが連結されているのかが分かります。 五個の連続するダイヤモンドをスムーズに動くようにつなぐには、高度な技術が必要です。 余程腕の良い職人で無ければ出来ない細工であり、だからこそこういう構造のアンティーク・ジュエリーはハイクラスのジュエリーの証なのです。 こういう細工の重要性がよく分からないという場合は、もったいないので現代ジュエリーをお買いになっていただきたいです。 このようなジュエリーがたくさんあるならば別ですが、一点物としてお金も手間もかけて作られた貴重なジュエリーを価値が分からない方にたくしてはいけないと思っています。貴重な芸術品を扱う者の責任です。 |
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超高度な技術で作られているからこそ、この通り前後左右にしなやかで美しく動くことができます。 身につけた時に優雅に揺れるこのペンダントは、特にダイナミックな煌めきを放つことができるオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの美しい輝きに効果が発揮されます。ダイヤモンドは一番上に一番大きな石、ついで天然真珠のラインの下に小さめの石がついています。 |
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下に行くほどダイヤモンドは優雅に大きく揺れる構造になっています。 だからこそ実際に身につけた時、一番大きなダイヤモンドの煌めきに負けないくらい、繊細に輝くライン状のダイヤモンドとスカイブルーのサファイアが美しく揺れながら存在感を放ちます。 |
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連続するダイヤモンドは、一つ一つの裏側に円筒形のフレームをセットし、それを自由に動くようにつないだ構造です。ハイクラスのアンティークでなければ見ることのない、特別な細工です。 |
ラインを連結するための面白いデザインのパーツ
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上のラインを構成する六個の天然真珠は抜群に照りが良く、天然真珠らしい少し歪な形なことも魅力です。モダンなデザインの中に、約100年前に作られた超高級アンティーク・ジュエリーらしい雰囲気も感じられるのが魅力です。 同じ白色の輝きを放つダイヤモンドと天然真珠ですが、実物を動かしながら観察すると、デザインに煌めきまでも計算されていることがよく分かります。 一番上のダイヤモンドは大きさのあるクリアで上質な石が使われているため、一石でも煌めきに存在感があります。 その下の6粒の天然真珠は閃光ではなくいつでも優しい輝きを放つのですが、その下のダイヤモンドは再び時折閃光を放ちます。その下のライン状のパーツはご説明した通りです。 さて、この2番目に大きいダイヤモンドの下にある傘のような形のパーツが、これまた非常に凝った作りなのです。 |
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メリーゴーランドの傘のような立体的な構造になっており、透かしの部分にはミルが途中から二列に打たれています。 透かしが下に行くほど広がっており、手前に向かっても高さが付いているのですが、このミルのデザインによってより見たときに立体感を感じることができるのです。 傘の下側の縁にはわざわざ二重にミルが打たれており、手間を惜しまずとにかく美しいものを作ろうとする作者の気持ちが伝わってきて感激してしまいます。 肉眼では細かい細工までよく分からなくても、こうした手間の1つ1つが確かに全体の雰囲気に大きくきいてくるのです。 こういう高度な技術と手間を惜しまぬ細工は、プラチナ・ジュエリーの中でも最高水準のジュエリーで無ければ見られないものです。 |
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![]() "エッフェル塔 PICT0281" ©Kiyokun~jawiki(7 January 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
最初にこのペンダントのデザインを見ていた時、エッフェル塔とか何か変わった構造物をイメージしました。 |
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でも、このようなフレキシブルでしなやかな動きを見ていると、オルゴールメリーがぴったりイメージにあうことに気づきました。 |
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オルゴールメリー。赤ちゃんのベッドの上でオルゴールの音色を奏でながら、くるくる回ってあやしてくれるオモチャですね。オルゴールメリーを作動すると、下がった動物たちが遠心力でふわ〜っと広がってクルクルと回ります。 生まれてきた小さな赤ちゃんを愛情に包むため、素晴らしい未来のため、それぞれの親御さんが赤ちゃんのために愛を込めて選ぶのがオルゴールメリーの音楽とモチーフです。男の子なら恐竜や乗り物だったり、女の子だったら蝶々やお花だったり・・。 オルゴールメリーは目一杯の純粋な愛を感じる、とてもヘブンリーなオモチャです。 |
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クリアで美しいサファイアがイメージさせる、美しい色の青空。 柔らかく内側からから優しい輝きを放つ天然真珠が連想させる、天のふんわりとした雲。 そしてダイヤモンドの太陽や星々の煌めき。 天空の雲に吊り下げられ、地上の大人も含めたすべての生き物たちにヘブンリーな音色を奏で、優しく見守る天空のオルゴールメリー。 ジュエリーとしての美しさも魅力ですが、このようにデザインが優れたジュエリーは芸術作品として見ても面白さがあって楽しいものです♪ |
天然真珠の鑑別書
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ロンドンで取得した、海水産の天然真珠を証明する鑑別書をお付けいたします。 |
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繊細な美しさを感じるスタイリッシュなデザインのネックレスは、日常生活の中で気軽に楽しめるお洒落なネックレスだと思います♪ |