No.00219 Demantoid Flower |
『Demantoid Flower』 |
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宝石の中で数少ないダイヤモンド光沢を示すことができるウラル産の幻のデマントイド・ガーネットと、上質なダイヤモンドがコラボレーションしたブローチです。異例とも言えるナイフエッジのバーブローチにセッティングされていることで、身につけるとグリーンとクリアカラーの宝石の煌めきだけが楽しめる、ありそうでない貴重な作品です。 |
魅惑のデマントイド・ガーネット
アンティークジュエリーが好きならば1つは持っていたいと思われる方も多い、幻の宝石デマントイド・ガーネット。宝石なんてそれこそたくさんの種類があるので、その1つ1つのアイテムを全て揃えようとするのは普通は考えにくいことです。 |
ペリドット&天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
緑色の宝石ならば、他にも様々な種類が存在します。 |
様々な色を示すガーネットのグループ "Garnets 1920x1920 ccby nc lina jakaite strike dip com" ©Lina Jakait?(22 April 2019)/Adapted/CC BY 4.0 |
実はガーネットのグループだけ見ても、ちょっとした組成の違いで様々な色を示します。 ガーネットは、無い色はないと言われるくらいカラー・バリエーションが豊富です。 実はデマントイド・ガーネット以外にも緑色を呈するガーネットはいくつか存在します。 |
それなのに誰もが魅了されるのは理由があります。 それは単に稀少性が高いという、投機の対象になりそうなつまらない理由だけではありません。 デマントイド・ガーネットにしかない、別格の魅力的特徴があるからです。 |
魅力1. 高い屈折率による金剛光沢
その1つが、1.880-1.889という高い屈折率による金剛光沢です。 |
宝石の屈折率 | 宝石は屈折率が高いほど反射する光が多くなります。 通常の宝石が放つのはガラス光沢で、ダイヤモンドに代表される金剛光沢を放つことができる宝石は非常に稀です。 デマントイド・ガーネットは同じ緑色系統のエメラルドやペリドットどころか、ルビーやサファイア以上に強い煌めきを放つことができる類い希なる宝石なのです。 |
魅力2. ダイヤモンド以上の分散率によるファイア
『Nouvelle-France』 オールドカット・ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ? 1920年頃 SOLD |
ダイヤモンドの魅力の1つが虹色のファイアです。 『財宝の守り神』でもご説明した通り、現代のダイヤモンドのカットは販売者側が効率良く金儲けするためのカットであって、ダイヤモンドの本来のポテンシャルを引き出すためのカットにはなっていません。 このため現代のカットのダイヤモンドは、アンティークのダイヤモンドよりファイアが弱い印象です。ポテンシャルを生かすアンティークのカットであれば、上の画像のようにダイナミックなファイアを観測することも可能です。 |
高い分散率でファイアが発生するイメージ "Prism-rainbow-black-2" ©Suidroot, Sceptre(30 May 2009, 00:23)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ダイヤモンドでファイアが出るのは、高い分散率によるものです。入射する光の波長によって屈折率が異なる性質です。ロッククリスタルは0.013、ペリドットは0.020に対し、ダイヤモンドは0.044もの分散率があるため、はっきりとしたファイアが出やすいのです。 |
デマントイド・ガーネットはダイヤモンド以上の分散率があり、その数値は0.057です。 ただ、どうしても石自体が緑色をしているため、ファイアは緑色に隠れてしまいファイアはなかなか見ることがありません。 でも、この科学的特性の面白さも人の心をとらえる魅力となっていることは間違いありません。 |
この画像だと、一番上のデマントイド・ガーネットのテーブル部分に虹色のファイアが出ているのが何となくお分かりいただけるでしょうか。 |
ウラル山脈の特別な石
デマントイドガーネットはダイヤモンドに引けをとらない魅力を持つ魅力的な宝石ですが、その発見は19世紀後半という歴史の浅い宝石です。この特別な宝石がどうやって生まれ、発見され、歴史上から姿を消してしまったのか、少し見ていくことにしましょう。 |
ウラル山脈の成り立ち
飛行機から撮影したウラル山脈(左側:アジア、右側:ヨーロッパ) "ウラル山脈" ©衛兵隊衛士(2006年5月)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ウラル山脈は現存する最も古い山脈で、石炭紀後期に形成された古期造山帯です。ヘリテイジやルネサンスでは古代のジュエリーを扱っていますが、聞き覚えのない時代区分ですよね。人類は存在しない時代です。 |
地質年代 【引用】『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』古生代 2021年2月5日(金) 12:23 UTC | 地球の年齢は約46億年とされています。 石炭紀は古生代に属します。 古生代は約5億4100万-約2億5190万年前で、無脊椎動物の繁栄から、恐竜が繁栄し始める中生代の手前までの期間に相当します。 古生代以前の地質年代をはっきり確定することはできません。 地球ができて約40億5900万年も経たないと、古生代にすらならないということですね。 |
石炭紀 | 石炭紀は3億5920万年-約2億9900万年前までの時期です。 名前の由来は、この時代の地層から石炭が多く産出されるからです。 当時非常に大きな森林が形成されていたことの傍証で、多くの地域は年間を通して気候の変化はあまりなく、一年中湿潤な温帯気候であったと考えられています。 森林の繁栄によって大量の二酸化炭素が植物に吸収され、炭素が石炭として固定化されたため、大気中の酸素濃度は35%にまで達していたようです。 火災が発生したら大変そうですね。ちなみに現代の酸素濃度は約21%です。 |
GENと小元太のフォト日記より『100万年前の水』 |
これはGENの珍コレクションの1つ、ウォーター・ストーンです。100万年前の水が封じ込められているというロマンあふれる石ですが、石炭紀が約3億年も前と思うと急に新しいものに見えてきました(笑)視点をどれくらい広げるかで、見えてくるものや感じ方も全然変わってくることを改めて実感します。ちなみにこの石ころは市ヶ谷のアトリエにございますので、ご覧になりたい方はぜひ仰ってください♪ |
巨大トンボ『メガネウラ』の化石(石炭紀後期) "Meganeuradae" ©Hcrepin(4 January 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ちなみに巨大な節足動物や昆虫がいたのも石炭紀で、メガネウラと言われる巨大トンボは翼開帳70cm前後ありました。これはメガネウラの化石ですが、こんなのが地層から出てきたら仰天しそうですね。 古期造山帯は、この古生代の造山運動によって形成された山脈や山地を言います。主な地域はアメリカ大陸のアパラチア山脈、北ヨーロッパのスカンジナビア半島、オーストリア大陸のグレートディヴァイディング山脈、ウラル山脈、南アフリカのドラケンスバーグ山脈です。 ウラル山脈はこのメガネウラが繁栄していた石炭紀後期に形成されました。 |
ウラル山脈の最高峰ナロードナヤ山(1,894m)"Mont Narodnaia" ©The Godd Team(16 August 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ウラル山脈の最高峰はナロードナヤ山で、標高は1,894mです。 標高3,776mの富士山を頂く日本人からすると、「あれ?低い。」という印象があるでしょうか。 |
石の多いウラル山脈 "Landscape view in Circumpolar Urals" ©ugraland from Moscow, Russia(5 Julay 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
古期造山帯は古生代以降、地形の変動が起こらず長期の浸食を受けたことから一般的には平野や丘陵地になっていることが多く、山脈が残っていたとしてもなだらかな場合が多いのです。そのような中ではナロードナヤ山の標高1,894mはかなりの高さと言えます。炭田地帯と一致している場合が多いため、天然資源として石炭が産出する場合が多いというのも特徴です。 |
ウラル山脈の開発
古代ギリシャの歴史家 ヘロドトス(紀元前490から紀元前480年-紀元前430から紀元前420年 "AGMA Herodote" ©Marsyas(16:07, 23 December 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ウラル山脈の存在は、古代ギリシャではヘロドトスの時代には既に知られていました。世界最初の歴史家とされる人物です。 ユーラシアを旅したアラブ人旅行者らも、多くの旅行記を残しています。 しかしながら場所が場所だけに、ロシア人による本格的な開発は17世紀頃からでした。 17世紀になり、ウラル山脈で鉄や銅の鉱石、雲母、宝石などの鉱床が初めて発見され、鉄や銅の精錬所が造られました。 |
ロシア皇帝ピョートル一世(1672-1725年) | このウラル山脈の開発は、ピョートル大帝によって推進されました。「辺境の田舎くさい国」というイメージしかなかったロシアが、大帝国となる礎を作った人物です。 ピョートル大帝は皇帝になった後も、約1年半のグランドツアーのようなヨーロッパ視察旅行を、偽名を使ってまで決行しています。 身長2m13cmと極端に大きかったためバレバレだったそうですが、医学、博物館や動植物学、天文学や軍事の知識を一度聞いたらすぐに習得し、歯科医、花火師から船大工まで14もの手仕事を身につけたそうで、『活動的な筋肉労働者的な職人皇帝』と称される超人でした。 |
バシリー・タティシェフ(1686-1750年) | このピョートル大帝の命令により、ロシアの歴史学者であり地理学者でもあったバシリー・タティシェフによって、18世紀初頭に初めてウラル山脈で本格的な地質学調査が実施されました。 ウラルの鉱床に気づいたピョートル大帝はタティシェフに、1720〜1722年にかけてウラルの鉱業と製錬業の開発と監督を依頼しました。 こうして世界最大の鉄製錬工場が建設され、新たに都市が誕生し、発展していくことになりました。 |
ウラル山脈から採掘されたプラチナ "Platinum-41654" ©Robert M. Lavinsky, iRoks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1745年にはベレゾフスキーで金鉱床が発見され、1747年以来採掘が行われています。 1819年には『新しいシベリアの金属』としてプラチナが発見されました。 この時に発見されたプラチナは岩石中に少量が含まれるだけでしたが、1824年末に大きな鉱床が発見されると1825年から本格的に採掘が開始されました。 |
デマントイド・ガーネットの発見
実はデマントイドガーネットがいつ発見されたのかははっきりしません。『発見』の定義によっても変わります。 日本語のサイトだとコピペの嵐で、正直ろくな情報がありませんし、英語で探しても明らかなコピペだったり、サイトによって全然説明されている年代が違ったりもしています。 ロシア語で調べたらまともな情報が出てくるかもしれませんが、今回はその作業は時間の都合上割愛しました。 |
Genとアローのフォト日記『天と地と』より、ウラル山脈 | ウラル山脈は、ありとあらゆる宝石が採れると言われるほどの宝石の宝庫です。 |
ウラル山脈から採掘されたベリルの結晶 "Beryl-md20a" ©Robert M.Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
左はウラル山脈から採掘されたベリルの結晶です。 ベリルはエメラルドやアクアマリンも属する鉱物ですね。 ウラル山脈で緑の石と言えば、エメラルドがあるのです。 ウラル山脈で発見された稀少な宝石としては、アレキサンドライトもあります。この石も発見当初はエメラルドと思われていました。 |
ウラル産デマントイドガーネット(ボン鉱物博物館) "Demantoid bobrowa mineralogisches museum bonn" ©Elke Wetzig(Elya)(15 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
実は1819-1821年頃という早い時期に、ボブロフカ川で金やプラチナを含む砂利と共に発見された緑色の石に注目が集まっていました。 南アフリカでダイヤモンド鉱床が発見された時の話は『財宝の守り神』で詳しくご説明しましたが、磨かれていない原石でそれが貴重な宝石であることを認識するのは結構困難なことです。そこそこの大きさが必要となるのですが、デマントイド・ガーネットは5mmを超えるような大きな石は非常に稀です。 磨かれていない上に小さなこの緑色の石は、当初は新しい鉱物とは認識されず、ペリドットかエメラルド、もしくはクリソライトと思われていました。 |
ホルバネスク・ペンダント イギリス 1860年〜1870年頃 SOLD |
眩い煌めきを放つクリソライト |
クリソライトはダイヤモンドの代用品として使われたりするほど煌めきがある宝石です。色が薄いデマントイド・ガーネットならば、クリソライトと間違われてもおかしくないですね。 1853年、子供たちがボブロフカ川で拾った緑色の原石をフィンランドの鉱物学者ニルス・ヴォン・ノーデンシェルドが入手し、それが新種の鉱物であることが判明しました。 |
ロシアの帝国鉱物学学会のロゴ "Rmslogo" ©Mikaxa(13:36, 22 November 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1864年2月、ノーデンシェルドはサンクトペテルブルク鉱物学会(現:ロシア鉱物学会)でこの新種の鉱物を報告しました。 |
世界中を魅了したデマントイド・ガーネット
ダイヤモンドに匹敵する美しさの特性を持つこの新種の鉱物は、オランダ語で「ダイヤモンドのような」を意味するデマントイドと名付けられました。 1868年、パリ、ニューヨークそしてサンクトペテルブルグなどの高級宝石店のショーウインドウに飾られたこの魅惑の宝石は、世界中の宝石愛好家に衝撃を与えました。 |
ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) | ティファニーの偉大な鉱物学者かつ宝石学者であるクンツ博士のことは『モンタナの大空』でもお話しましたが、買えるだけのデマントイド・ガーネットを手に入れるために、わざわざロシアに出向いたほどだそうです。 |
ロシア皇帝を魅了したデマントイド・ガーネット
ロシア皇帝ニコライ二世(1868-1918年) | ロシア皇帝ニコライ二世もデマントイド・ガーネットに魅了された一人です。 |
ピーター・カール・ファベルジェ(1846-1920年) | 皇帝御用達の天才プロデューサー、ファベルジェもデマントイド・ガーネットを好み、いくつも作品を制作しました。 |
『春の花々』(ファベルジェ 1899年)ファベルジェ美術館 | 『春の花々』と題された作品の、花々の雌しべを表現するのもデマントイド・ガーネットです。 ファベルジェはデマントイド・ガーネットを好んで使ったとは言っても、それは宝石主体の作品ではないのです。 元々デマントイド・ガーネットは原石でも5mmを超える石は入手困難なのですが、小さくても素晴らしい独特の存在感を放つことができるのがこの宝石なのです。 |
デマントイド・ガーネットにしかない魅力を理解し、デマントイド・ガーネットだからこそ表現できる作品と言えますね。この作品も、煌めきは同じだったとしても、無色透明のダイヤモンドだとちょっとつまらない感じになりそうです。 |
ロシア革命と共に終わったデマントイド・ガーネットのジュエリー
デマントイド・ガーネット ブローチ ロシア 1900年頃 SOLD |
1898年のパリでの展示会後、デマントイド・ガーネットの価格は頂点に達しました。 それによって産出量も増加し、1913年には104kgが産出されました。 1893年から1914年の間に256kgが産出されたと言われていますが、何しろダイヤモンドなどと違って小さい原石しか採れないので、採取するのもかなり大変だったはずです。 |
『A Lilly of valley(鈴蘭)』 デマントイドガーネット ブローチ ロシア 1910年頃 SOLD |
基本的には金やプラチナの副産物として得ていたくらいですから、狙って量を得るには人件費を無視できる時代でなければ無理だと思います。 しかも1910年代には枯渇してきていたようです。 |
『ボリシェヴィキ』(ボリス・クストーディエフ 1920年)トレチャコフ美術館 |
最終的には1917年のロシア革命で終わってしまいました。個人の贅沢品と見なされたデマントイド・ガーネットの採掘は1920年で終了しました。これ以降も民間の違法鉱山労働者や地元の人々が僅かばかりの量を採取することはありましたが、デマントイド・ガーネットは宝石マニアなどだけが知る幻の存在となってしまったのです。 |
現代のデマントイド・ガーネット
1970年代にウラル山脈で新たにデマントイド・ガーネットの鉱脈が発見され、その後もいくつかの鉱脈が発見されました。そうは言っても、やるかどうかは採掘にかかるコストと得られるデマントイド・ガーネットがもたらす売上高との兼ね合いです。ビジネス的に成立するほどの鉱脈は見つかっていません。 調査レベルの採掘が細々と行われているのが現状ですが、採掘された石はウラル産デマントイド・ガーネットとして市場に出てくることもあるようです。 |
陸上と海底における調査方法の違い 【引用】内閣府 総合科学技術・イノベーション会議 戦略的イノベーション創造プログラム 次世代海洋資源調査技術HP/©JAMSTEC |
日本も実は資源国家だったなどと言われつつも、その大半が眠る海底から資源を引き上げるには莫大なコストがかかるため、研究開発はされつつもビジネスには至っていないのと同じことですね。 |
マダガスカル産のデマントイド・ガーネットの原石 "Andradite-271591" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1996年にナミビアでグリーンドラゴン鉱山が発見され、商業的な採掘が行われています。 イタリア、イラン、アフガニスタンでも発見されており、2009年にはマダガスカルでも発見されました。ただし色はウラル産には匹敵しない石の方が多いようです。 石ころマニアは稀少性を重要視します。美しさはどうでも良いくらい、重要性は低いようです(失笑) ウラル山脈以外からも発見されたデマントイド・ガーネットですが、『ホーステール(馬の尻尾)』と呼ばれるインクリュージョンはウラル産の石にしか存在しないとされています。ウラル産はこのホーステール・インクリュージョンで産地を特定できるため、別格の扱いを受けて余計に根強い人気を誇るのです。 美しさはどうでも良い石ころマニアにとってはこのホーステールが分かりやすいほど価値がありますが、ジュエリーにとってはなるべく少なくてクリアなほど美しく価値が高いのは言うまでもありません。 |
石自体は現代でも入手不可能ではありません。 アンティークジュエリーから取り外したり、新しく産出されたウラル産デマントイドガーネットは、数は少ないながらもルースを手に入れることは可能です。 但し『Blue Impulse』でも例をお示しした通り、所詮は鋳造の量産ジュエリーとして加工される運命にあります。 左のリングも目立つ爪も、ブリリアンカットの無個性のチラチラしたダイヤモンドも、分厚いプラチナのシャンクも気持ち悪いですね〜。 |
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【参考】現代のウラル産デマントイドガーネット・リング(価格はお問い合わせ下さいとのこと) |
もっと気持ち悪いものも見つけました(笑) この気持ち悪い指輪は現代のファベルジェの作品です。 『ロンドンのハイ・ストリートを視察』でもご説明した通り、現代のファベルジェは大手資源投資会社によって運営されている、ファベルジェの名を語る詐欺的な宝石メーカーです。 元祖ファベルジェと言えばロシア、ロシアの幻の宝石と言えばデマントイド・ガーネットと言うことでこんなリングを企画したのでしょうけれど、いかにも詐欺まがいの商品です。 私がコメントするまでもなく、デザイン的にヤバいです。 |
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【参考】現代のファベルジェによるデマントイドガーネット・リング(価格不明) 【引用】FABERGE HP ©FABERGE |
現代のファベルジェは、価値のないジュエリーを考えられないような高値で販売する会社です。興味がある方はサイトをご覧になってみれば良いと思います。こういうビジネスが成立すること自体がおかしくて笑ってしまうのですが、店舗はロンドンのハイストリートにあります。世界中の富豪がプライベートジェットで来て、店を貸し切って買い物をする桁違いのエリアなのでブランド力があれば問題ない世界なのでしょう。自分の感性で芸術的価値を判断できない人は、言い値で買っちゃうのでしょうね。 |
現代のファベルジェ【引用】FABERGE HP ©FABERGE | 皇帝御用達のファベルジェ |
同じデマントイドガーネットを使った作品でも、現代の量産品とロシア皇帝の唯一無二の宝物では全く異なる思想で作られています。 理想の芸術作品を完成させるために必要なだけ、小さくても発色と照りに優れた最上級のデマントイドガーネットを使った元祖ファベルジェ。それに対し、石の価値だけで売ろうとする現代のファベルジェ。『ファベルジェ』の商標権を買い、皇帝御用達ファベルジェの名を語って気持ちの悪いジュエリーをぼったくり価格で売ろうとする人たちの宣伝文句にはあきれてしまいます。 こんな気持ちの悪いジュエリーでも制作者が本当に価値があると思っているなら、自分でオリジナルのブランドを立ち上げて売れば良いのです。ゴミをぼったくり価格で売るという『錬金術』をやりたいからファベルジェを語るのです。いかにも投資会社がやりそうなことですが、欧米ではそれだけロシアやファベルジェのアンティークジュエリーが別格扱いされている証でもあります。 |
王侯貴族のために手作りされたアンティークジュエリーは特別な一点物です。 ただ一人のために頭を悩ませて優れた職人がデザインしますし、道具もその一つの作品を作るために制作します。 オーダーする人は一人でその作品を作るのにかかった人件費、材料費、技術料を全て負担します。 現代ファベルジェは量産品なので鋳造でいくらでもジュエリーの土台を生産できますし、セットされる宝石は一つしか手に入らない特別な石ではなく、各種処理されたいくらでも手に入る無価値な石です。 |
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現代のファベルジェのリング【引用】FABERGE HP ©FABERGE |
シリアルナンバーをつけて全世界で限定300個とか2,000個とかで販売したりもしますが、昔の王侯貴族だと1人で負担するコストを300人で負担して安く抑えようとするからある程度安くできるのです。 でも、ファベルジェの名を語ってあまり安くせず、生産コストからするとかなり高値で販売するから儲かります。 消耗品である洋服ならまだしも、ジュエリーで300個も同じ物があると聞くと多いなと感じます。 |
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現代のファベルジェのリング【引用】FABERGE HP ©FABERGE |
芸術作品で300個も同じものがあったらそこに価値なんてありませんよね。 サラリーマン時代に、会社の同僚がデート商法にひっかかって印刷の絵を数十万円で買ってしまった話を二度聞いたことがあります。どう詐欺られたかと言うと、「Aという特別な印刷機で印刷した」、「シリアルナンバーが書いてあって、一枚一枚に手書きだった」そうです。それらがいかにも価値あるかのように説明されたそうです。 |
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【参考】現代のファベルジェのエッグ |
それを聞いた彼の上司が一言、「Aという印刷機ならうちにもあるじゃん(笑)」。 世界最大の総合印刷会社の研究所らしい話です(笑) |
何の因果か、その後に事務として中途入社した美女が、銀座の画廊でデート商法の女性役をやっていたことがあるそうで、手口を教えてくれました。詐欺的なテクニックが色々あるそうですが、結論としては、判断するのは購入者側なので騙される方が悪いとのことです。 詐欺る側としては真の価値がないことは分かっていますが、買う側は価値があると思いこんで納得して買っているのですから、真の意味で『詐欺』とは言えないですものね。 |
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【参考】現代のファベルジェのエッグ |
普通の企業のブランド戦略と何ら変わりはありません。誰もが認める価値あるものが欲しいならば、購入者側もある程度はきちんとした知識を持っておくべきなのです。それ以上の専門的な情報は、信頼できる専門店で専門家に聞けば良いのです。「餅は餅屋」という言葉がある理由です。 |
デマントイド・ガーネットの特徴を生かしたデザイン
さて、このブローチは一見シンプルですが、デマントイド・ガーネットの特徴をよく理解してデザインされたジュエリーと言えます。 使われている石はデマントイド・ガーネットとダイヤモンドの二種類ですが、全ての石が同じ大きさにカットされています。 |
デマントイド・ガーネットは硬さこそダイヤモンドに及びませんが、ダイヤモンド光沢を持ち、ファイアはダイヤモンド以上に出せるポテンシャルがある宝石です。 |
言わば鮮やかで明るい、蛍光グリーンのダイヤモンドです。 だからこそこの作品では全ての石の大きさを揃え、グリーンとクリアカラーの対比を楽しめるジュエリーにしているのです。 このような思想のジュエリーは多くありません。 |
ウラル産デマントイド・ガーネット リング イギリス 1910年頃 SOLD |
デマントイド・ガーネットとダイヤモンドだけを使ったジュエリーとしては、左の指輪があります。 一石でリングのメインストーンとなれるサイズと質を両立したデマントイド・ガーネットは本当に稀少です。 ダイヤモンドは惹き立て役として、上質ながらもデマントイド・ガーネットより小さいサイズの石を配置しています。 |
一方で、このリングは明らかにデマントイド・ガーネットとダイヤモンドが同じ大きさ、同じ数で作られています。 煌めきとファイアの強い、グリーンとクリアカラーの宝石のコラボレーション。 側面の素晴らしい彫金と言い、シンプルながらもありそうで無い、上質で素晴らしい指輪です。 |
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ウラル産デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド リング イギリス? 1880年頃 SOLD |
ファベルジェ デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド バングル ロシア 1890年頃 |
これは1896年にロシア皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラによって買い上げられた、ファベルジェのバングルです。 この作品もデマントイド・ガーネットとダイヤモンドが同じ格で使用されていますね。 |
ロシア皇帝由来のジュエリーということで、2015年のオークションで3万スイスフランで落札されたそうです。1CHF=110円として計算した場合、約330万円! 極上の石が使われているものの、ファベルジェの作品としてはかなり物足りないデザインという印象です。作りも現代で再現できるレベルのシンプルなもので、私ならばこれは仕入れません。それにしても異常な高値、皇帝ブランド恐るべし(笑) |
石の特別なセッティング
色石はゴールド、ダイヤモンドは白い金属のフレームと言う、およそエドワーディアン以前のアンティークジュエリーのお約束通り、デマントイド・ガーネットはゴールド、ダイヤモンドはシルバーでセッティングされています。いずれもフレームには素晴らしいミルが施されていますが、中央のダイヤモンドだけは特殊なフレームにセッティングされています。 |
拡大すると、ダイヤモンドのフレームが星形のシルバーであることが分かります。オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドもクリアで煌めきの強い、上質な石がセットされています。 このブローチに使われているデマントイドガーネットはホーステール・インクリュージョンはありますが、多すぎずクリアで色が濃いめの上質な石です。当然ならが煌めきも強いので、ただ同じ大きさのダイヤモンドをセットしただけだと周囲の6石のデマントイド・ガーネットに埋もれてしまう可能性すらあります。しかしながらこの星形のフレームのおかげで、目の錯覚によりダイヤモンドが一回り大きく見えるので、このフラワー部分のデマントイド・ガーネットとダイヤモンドが見事に惹き立て合うことに成功しています。 |
このお花部分の作りの素晴らしさは、正面から見ただけでは完全には分かりません。サイドから見ると、花びらとなるデマントイド・ガーネットのフレームが、お花の外側に向かって低くなっていることがお分かりいただけるでしょうか。 それはまるで寒い雪国のお花が、少しでも春の陽射しを浴びたくて思いっきり花びらを広げているかのようです。 |
1つ1つの花びらが中央に向けて高くなるようにフレームが作られ、デマントイド・ガーネットが水平ではなく少し角度が付いた形でセッティングされています。 |
斜めから見ると、星形のフレームは花びらのデマントイド・ガーネットと比較して、一段高くなるように作られていることが分かります。 花びら全体で、なだらかな凸状になるように作られているのです。 中央のダイヤモンドは星形フレームによる目の錯覚だけでなく、周りのデマントイド・ガーネットと比べて少し高い位置にセッティングされているからこそ、一石しかないにも関わらず存在感を放つのです。 |
この立体的な作りのおかげで、実物を正面から見たときも奥行きのある美しさを感じることができるのです。 このような普通は気づかないような、でも感覚的に美しいと感じさせるためには必要なことを、わざわざ手間や高度な技術をかけてやっていることが、一見シンプルに見えるこの作品が実際には特別な物として作られている証でもあるのです。 |
ナイフエッジのバー・ブローチという特殊性
お気づきの方も多いと思いますが、このブローチは本体がナイフエッジになっています。 |
後ろ側は強度を保てる程度の厚みを残し、正面に向けては幅を細くすることで、正面から見た時に金属の存在感を極限までなくし、繊細で美しく見せる技法ですね。 後ろ側は厚みがあるので100年以上の使用にも耐えられる、繊細な美しさと十分な強度を両立させた、手作りのアンティークならではの技法です。 |
『PURE LOVE』 イギリス 1900年頃 SOLD |
金属の板を精密に細く削っていかなければならない、高度な技術と大変な手間がかかる技法なので、元々アンティークの中でもハイジュエリーでしか見ることはありません。 また、強度があるとは言っても、通常は力のかからないペンダントに使用されることが多い技法です。 |
『社交界の花』 イギリス 1870年頃 SOLD |
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『マーメイドの涙』 イギリス 1880年頃 SOLD |
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着脱時に力が加わるブローチの場合、力がかからない装飾部にナイフエッジの技法が用いられることはありますが、今回の作品のように直線のバー・ブローチ本体がナイフエッジなのはかなり例外的なことです。 |
力が加わるバー・ブローチの本体部分であるにも関わらず100年以上の使用に耐えられるのは、横から見るとお分かり頂ける通り、後ろ側に幅があるだけでなく縦にも十分な厚みがあるからです。鋳造ではなく鍛えて作られているので、ゴールド自体に強度があることもポイントです。 |
ナイフエッジのおかげで、まるで宝石だけが宙に浮いているかのような、宝石が煌めきが惹き立つブローチになっています。 |
ナイフエッジでないと、印象が全く変わることが分かります。 左は一応1900年頃のアンティークジュエリーと説明されていたのですが、作りが単純で本物かどうか怪しいです。長さ4.3cmなので大きくありません。でも高い(笑) |
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【参考】9ctダイヤモンド・バー・ブローチ(約80万円) |
これはヴィンテージだそうですが、現代どころかもうこのレベルでもつまらない感じです。 中央のフラワー部分はアンティークの素材や作りですし、フラワー部分とバー本体でゴールドの色が全然違うので、アンティークジュエリーからパーツを取り外して作り替えた物だと考えられます。 何だかこんなことになって可哀想に思えてきます。 |
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【参考】ヴィンテージのバー・ブローチ |
ブローチの金具
ピンを納める金具に『15』の刻印があります。 イギリスのアンティーク・ジュエリーならではの15ctゴールドであることが分かります。 |
ブローチのピンにはアンティーク・ジュエリー独特のセーフティーが付いているので、安心してお使い頂けます。 |
中央のパーツの裏に付いている小さな輪は、セーフティー・チェーンを付けるための物です。これらのパーツからも、このバー・ブローチがハイジュエリーとして作られたことが分かります。 |
宝石だけが中に浮いているように見える、特別なナイフエッジのバー・ブローチは、たくさんの付け方が楽しめそうですね♪ |