No.00232 月の雫 |
『月の雫』 通常はもっと短くてサイズがグラデーションになっているものが多いのですが、そのようなものをお持ちの方は重ねづけも楽しんでいただけますし、単品でもネックレスとしてだけでなく、4連くらいのブレスレットとしてお使いいただける、とっても使いやすいジュエリーです。 天然真珠の鑑別書付き、専門業者によるクリーニングと、専用の強化糸を使ったオールノットでの糸替え済みなので、安心してお使い頂けます。 |
|||
|
|||
天然真珠は今では採ることのできない貴重な宝石ですが、丁寧に扱えば今度100年でも200年でも美しさを保ったまま使うことができる宝石です。ぜひ、定期的に糸替えをしてお使い頂きたいと思っております。 |
高貴な女性の美しさの象徴 -天然真珠-
独特の瑞々しい照り艶、内部からにじみ出てくるような美しい輝き、清らかな白い色合い、そして高い稀少性。天然真珠はいつの時代も高貴な女性の富と権力、そして美しさを象徴する特別な存在でした。 |
古代エジプトのファラオ クレオパトラ7世(紀元前69-紀元前30年) | 現代では「最も価値ある宝石=ダイヤモンド」とイメージされる方も少なくないと思いますが、そうなったのはごく最近のことです。 アンティークジュエリーの時代は、最も価値ある宝石は天然真珠だったと言っても過言ではありません。 人類の最も古い宝石の1つと言われ、磨かずともそのままの姿で美しい天然真珠は、古代から大変珍重されてきました。 クレオパトラの富と権力、知性を表すエピソードにも天然真珠が出てきますが、当時世界最大と言われたクレオパトラの天然真珠の耳飾りは小国が1つ買えるほどの価値があったと言われています。 同時代の古代ローマでも、天然真珠1粒で1回分の戦費が賄えたと言われているほど高価な宝石でした。 |
イングランド女王エリザベス1世 (1533-1603年) | 大英帝国の繁栄の礎を作ったと言われる偉大なる女王エリザベス1世も、多く残された肖像画を見るとそのいずれにも豪華な天然真珠の装飾が見られます。 ドレスにも無数の天然真珠が縫い付けられており、全身が天然真珠というか、もはや存在自体が天然真珠という感じですね。 さすがに全てのドレスそれぞれに天然真珠を使うのは無理なので、行幸の時も天然真珠を付け替えるためのお針子さんが同行していたそうです。 |
どれだけ富と権力を持っていても、欲しいだけ手に入れることはできない。 天然の貝が偶然に生み出す宝石は『神の恵み』でもあり、真珠ダイバーが命を賭けて荒海から採取してくる尊く貴重なものなのです。 だからこそ希少価値が高く、絶大な富と権力を持つ限られた人物しか身に着けることができない至高の宝石だったのです。 |
||
イングランド女王エリザベス1世 (1533-1603年) |
イングランド王ヘンリー8世 (1491-1547年) | ちなみにエリザベス1世の父で、英国王室一のインテリと言われるヘンリー8世も、天然真珠が縫い付けられた豪華な衣装を着用しています。 天然真珠は『王の証』と言えるくらい貴重な宝石だったということですね。 このルネサンス期は宝石がジュエリーとしてだけでなく、衣服にも縫い付けられているのが特徴です。 後の時代より遙かに富と権力が集中していた時代ならではと言えるのかもしれません。 |
フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793年) | 時代を超えた優れたセンスを持つファッションリーダー、マリー・アントワネットも天然真珠のジュエリーも愛用しています。 この肖像画では頭頂部のみならず、髪に巻かれた天然真珠や胸元の飾りなど、全体としてのコーディネートが面白いですね。 マリー・アントワネットならではのオシャレという感じです。 |
フランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年) | フランスのルイ・アントワーヌ王太子妃マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス(1778-1851年)1817年制作 |
時代を下っても相変わらず天然真珠が王族の女性の富と権力、そして美しさの象徴であることは普遍です。王族クラスの天然真珠による豪華なネックレスやティアラなど、完全に安物イメージが付いてしまった現代の養殖真珠では考えられませんね。 |
イギリス王妃アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン(1792-1849年)、1836年頃制作 | ヴィクトリア女王の母(1786-1861年)、1835年制作 | |
華やかな正装の時以外も、美しい天然真珠は王侯貴族の女性たちから愛されてきました。同時代の上の王族女性は、共にネックレス姿ですね。 |
天然真珠は紀元前の古い時代からずっと採取が続けられてきました。 紛らわしいですが、20世紀初頭から市場に出回り始めた現代の養殖真珠は、天然真珠とは全く別物です。養殖真珠の場合、真珠層と核の間に生じる隙間から大気の汚染物質や着用者の汗や皮脂などの成分が浸透することで変色が始まります。内側からの変色なので、いくら表面を磨いても意味はありません。 養殖真珠を販売する側はこんなこと言うわけにはいきませんから、「真珠とは永遠ではなく、劣化して当たり前なのです。」としか説明できません。 |
天然真珠とゴールドの耳飾り(古代ローマ 1世紀) メトロポリタン美術館 | お店の人や(自称)専門家がそう言っているのだからそうなのだろうと思い込まされてる方も多いことでしょう。 でも、実際は天然真珠であれば左のように2千年ほど経ってもこれほど美しいままです。 |
真に価値ある宝石、真に価値あるジュエリーは使い捨てではないのです。 アンティークの時代は皆がそのことを分かっていました。 でも、現代はあまりにも宝石もジュエリーも質が悪すぎます。使い捨て前提で作られ、それでもアンティークジュエリー以上に高いのはおかしなことです。 古代から採取し続けられた天然真珠は、代々受け継がれたもの、新たに採取されたものすべてが大切に扱われ、歴史の中で少しずつですが数が増えていきました。 だからこそ、時代が下るごとにこのように超豪華な天然真珠の使い方をできる人も増えていったのです。 それでも王侯貴族のごく限られた人物だけですが・・ |
||
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年)27歳頃 |
真珠への憧れと養殖実現の夢
いつの時代も女性の憧れだった、稀少な天然真珠は超高額で取引されていました。 そんな中、清(中国)に滞在したキリスト教神父B.E.X.アントレコールは衝撃的なものを見ました。仏像真珠です。真珠層を形成する二枚貝の貝殻の内側に、仏像が人工的に形成されたものです。長い歴史を持ち、発明大国でもある中国は12世紀には既に仏像真珠の養殖実験が行われていました。 その方法は、1167年に公刊された『文昌雑録』に記述されています。浙江省で淡水産のカラスガイで作られていた養殖真珠です。貝殻と外套膜の間に土や鉛で仏像の形を作り、それを貝殻に貼り付けて真珠層を形成させる方法です。 |
現代でも養殖の淡水パールと言えば中国がメッカですが、養殖真珠自体、中国が圧倒的に最も歴史が長いのです。 しかも養殖真珠の歴史は少なくとも12世紀まで遡ることができる、とても古いものなのです。 |
||
【参考】中国産淡水パールの母貝からの採取 |
アントレコール神父は1734年にフランス本国にこの仏像真珠を報告しました。 また、1853年にはイギリスのD.T.マッゴーワンがロンドンの芸術協会に方法を詳しく報告しました。 これらの報告を元に、18〜19世紀にかけてヨーロッパでは多数の人々が研究実験を行いました。 |
1761年にスウェーデンの博物学者で『分類学の父』とも称されるカール・フォン・リンネが、淡水産の二枚貝を使った真珠形成技術を開発しました。 この技術はスウェーデン国王に買い取られたのですが、成功率が極めて低く、実用的な技術ではありませんでした。 研究者やエンジニアの方ならばご存じだと思いますが、ラボレベルの成功と量産技術の構築は全く別ものです。 いくらお金と時間、手間をかけてもとりあえず成功すれば良いのがラボレベルの成功です。 量産するためには再現性とコストダウンが肝で、これが実現できなければ一般市場に投入することも、量産して儲けることもできません。 この量産技術の研究開発は特に地味なのですが、実はビジネス的にはめちゃくちゃ大切なのです。 |
||
カール・フォン・リンネ(1707-1778年) |
Shark湾(紅海)の大型船での天然真珠採取の様子 【引用】『宝石学GEMS 宝石の起源・特性・鑑別』ROBERT WEBSTER, F.G.A. 著、砂川一郎 監訳(1980年) ©全国宝石学協会、p.451 |
インド洋の入り江Manaar湾における真珠採取の様子(2500年の歴史がありました) 【引用】『宝石学GEMS 宝石の起源・特性・鑑別』ROBERT WEBSTER, F.G.A. 著、砂川一郎 監訳(1980年) ©全国宝石学協会、p.449 |
ペルシア湾におけるアラビア式真珠採取船(潜水法は過去2000年間ほぼ変わっていません) 【引用】『宝石学GEMS 宝石の起源・特性・鑑別』ROBERT WEBSTER, F.G.A. 著、砂川一郎 監訳(1980年) ©全国宝石学協会、p.448 |
偶然の産物である天然真珠を得るのは大変なことです。毎日海に向かったり、あるいは何ヶ月も船で生活して毎日海に潜ります。紀元前の時代から、たくさんの真珠ダイバーの男性たちによって集団での採取が行われてきました。 |
【参考】天然真珠の潜水夫 | |
ダイバーたちは1日に何度も海に潜ります。潜水深度は9〜27mの範囲、建物の高さにすると9mで3階建て、27mで9階建てに相当します。潜水時間をなるべく真珠貝の探索に当てるため、23kg程度の重りをつけて一気に下降します。1分30秒ほどの潜水を日に約30回行っていたそうです。 |
海底 "DIR Divers Sandra edwards 2010" ©Sandra Edwards; Dan Volker(December 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 海底まで何度も素潜りして母貝を探すなんて、現代人には無理ですね。 でも、当時の屈強なダイバー達ならば、採取すること自体はさほど難しいことではなかったでしょう。 |
採取した天然真珠貝の競売 【引用】『宝石学GEMS 宝石の起源・特性・鑑別』ROBERT WEBSTER, F.G.A. 著、砂川一郎 監訳(1980年) ©全国宝石学協会、p.450 |
一番の課題は天然真珠の発見率の圧倒的な低さです。貝の外見だけでは、中に真珠が入っているかどうかは分かりません。 数十人のダイバーが一週間で35,000個の貝を採取し、天然真珠が出てきたのが21個。そのうち商品価値があったものは僅か3個だったという記録もあります。 |
天然真珠を採取した後の廃棄された真珠貝の貝殻(1914年頃) | 真珠が出てきたと言っても、バロックパールやケシ真珠と言われるほど小さなもの、照り艶が美しくないもの、色がよくないもの、様々あります。 これだけ得るのが困難だったからこそ珍重され、天然真珠は高値で取引されたのです。 だからこそ一攫千金を目指す養殖真珠の夢も高かったのです。 |
錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガー(1682-1719年) | 金が高価だったから、錬金術に取り組む人が多かった時代があったのと同じことですね。 |
史上最も天然真珠の価値が高かった時代が到来した背景
『財宝の守り神』 ダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
最も高価な宝石と言えば、アンティークジュエリーでは天然真珠とダイヤモンドが2大宝石です。 モノの価値に絶対値は存在しません。供給量だけでなく世界情勢や相場の変動など、各種要因の要因が重なることで価値が大きく変動します。 イギリスで史上最も金が高い時代が到来した背景については、『ジョージアンの女王』でご説明した通りですね。 左の『財宝の守り神』が作られる少し前、インドのダイヤモンド鉱山はとっくの昔に枯渇し、その後で発見されたブラジル鉱山も枯渇した状態にありました。 需要に対して供給が追いつかない、希少価値が高い状態にあると値段は吊り上がります。 |
キンバリー鉱山【出典】1881年にNYで刊行の『アフリカのダイヤモンド鉱山の概要』 |
そんな時、1867年に南アフリカ産ダイヤモンド『ユーレカ』が確認され、1870年代から本格的にダイヤモンドラッシュが始まりました。想像以上に巨大鉱脈を蓄えていた南アフリカのダイヤモンドの埋蔵量はすさまじく、生産調整して供給量をコントロールしないと価格が維持できないほどでした。 |
需要を上回る供給が可能となりました。 それに加えて、それまでは熟練の技術と長時間の手作業を必要としたダイヤモンドのカットに技術革新が起こりました。 1870年代初め、アメリカのヘンリー・モースとチャールズ・フィールドが蒸気機関を使った研磨機を発明しました。 |
|
ヘンリー・モース |
さらに1900年には電動のダイヤモンド・ソウが発明されました。 このことにより、1900年前後に一気にダイヤモンドジュエリーが市場に出てくるようになったのです。 この時代にダイヤモンドジュエリーが増えたのは、単にプラチナがジュエリーの一般市場で使えるようになったからというだけではないのです。 |
|
ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) |
ロシア皇帝ニコライ二世の皇妃アレクサンドラ・フョードロバナ(1894年の戴冠式の正装) | こうして史上もっとも天然真珠が評価され、その価値はダイヤモンド以上だったと言われる時代が到来したのです。 天然真珠はいつの時代も超高価な宝石でした。 ダイヤモンドの地位が低下したことで訪れた時代とも言えるでしょう。 他のどの時代よりも、世界の王侯貴族がこぞって天然真珠をメインとしたジュエリーを富と権力の象徴として着けるようになったのです。 |
真球の養殖真珠の夢
英国王室のダイアナ妃が好んで着用したことで有名なラヴァーズ・ノット・ティアラは、たくさんの大きな天然真珠が使用されていることが特長です。1914年にイギリス王エドワード7世とアレクサンドラ王妃の息子、ジョージ5世の妻メアリー妃がガラードにオーダーして制作されました。 どれだけお金を出そうと、いきなりオーダーしてあれだけの大きさと数の天然真珠は手に入りません。メアリー妃の一族が所有する天然真珠やダイヤモンドを使って制作されたのだそうです。当然ながら歪な形状のものも混じっています。 |
ラヴァーズ・ノット・ティアラを着用したイギリスのメアリー王妃(1867-1953年) | しかしながら当時は天然真珠をふんだんに使用したこのティアラこそが、大英帝国に君臨する王族の富と権力、そして美しさの象徴だったのです。 現代では真珠のイメージは養殖真珠のせいで地に落ちた感じですが、代々続く名門家出身のヨーロッパの王侯貴族であれば、代々伝わる古いジュエリーを所有し、宝石に関する知識もあります。 だからこそダイアナ妃も、その重さで頭痛がするとされるほど着用が大変なラヴァーズ・ノット・ティアラの価値と美しさを理解し、愛用していたのです。 |
『Lover's Knot』 シードパール ブローチ アメリカ? 1900年頃 SOLD |
それぞれ個性が異なる天然真珠でジュエリーを作るのは本当に大変です。 例えばこのようなブローチを作りたい場合、天然真珠は球体であることが加工のしやすさ的には望ましいです。 実際には球体で、色照りツヤまですべて揃った天然真珠をこれだけの数揃えるのは不可能です。 |
特定の角度から見たときに真円に見える真珠を選び、それを職人が1つ1つ確認しながら丁寧にセットすることで、正面から見たときに球状の真珠に見えるようにするのです。 |
天然の真珠で色照りツヤが揃ったものをこれだけの数手に入れるだけでもすごいことです。 真球ではない真珠をこのようにセットする職人技と手間のかけ方も驚くばかりです。 それほど真球の天然真珠を手に入れるのは困難なことなのです。 |
『真珠のアート』 天然真珠(バロック) ペンダント ヨーロッパ 1890-1900年頃 SOLD |
天然真珠はそれ自体がとても貴重で美しいものなので、どんな形でも相応しい生かし方があります。 ボタンパールはセットの仕方によって真円真珠に見せることができますし、自然が作り出した形状にインスピレーションを受けて1つの芸術作品に仕上げることも可能です。 |
そんな中で、一番ハードルが高いのが天然真珠のネックレスです。 数を多く必要とする上、色照りツヤだけでなくすべて球状でなければなりません。 |
大英帝国の王妃の正装ともなれば、その装いは富と権力を示すためのとても豪華なものです。 この時代、大珠の天然真珠のネックレスはまさに世界の王の王妃に相応しい極上のジュエリーなのです。 |
||
イギリス王妃アレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年) |
イギリス王太子妃時代のアレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年) |
とは言え、いつでも大珠天然真珠のネックレスをじゃらじゃら着けているわけではありません。あれは正装用です。普段はこんな感じですね。それでも何本もの重ねづけした天然真珠のネックレスがとても華やかです。日本人好みの控えめな印象が天然真珠のネックレスにはありますが、重ねづけすると華やかさを演出することも可能です。金属を使うジュエリーと違って軽いので重ねづけしやすいという利点もあります。 |
ロシア大公妃アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ(1870-1891年)1890年頃 | ギリシャの王女でロシア大公妃だったアレクサンドラ・ゲオルギエヴナも天然真珠のネックレスを5連の重ね着けにしていますね。 20歳頃の写真ですが、やはり気品あふれる王侯貴族の女性にはダイヤモンド以上に天然真珠のジュエリーは栄えます。 |
南アフリカのダイヤモンドラッシュにより、王侯貴族の間で相対的に地位が上昇した天然真珠は史上最も高く評価され、球状の珠でしか作ることのできない天然真珠のネックレスは富と権力の象徴となりました。 一攫千金を求め、誰もが真球の養殖真珠の夢を実現したいと思うのは当然のことだったのです。 |
||
イギリス王妃アレクサンドラと娘ヴィクトリア王女(20世紀初期) |
日本人が実現した真球養殖真珠の量産の夢
御木本幸吉(1858-1954年) | 18〜19世紀のヨーロッパでは養殖真珠の研究が盛んに行われていました。 先に述べた通り、殻側に作る半円真珠については既に12世紀の中国でテクノロジーが開発されていました。 しかしながらどんなに頑張っても、半円真珠すらまともに作れない状況でした。 理想とする真球の養殖真珠は夢の夢という状況でした。 それを世界で最初に産業化までの成功に導いたのが御木本幸吉でした。 |
志摩国(三重県)で代々うどんの製造・販売を営む『阿波幸』の長男として生まれましたが、うどんで身代を築くのは無理と分かっていた御木本は14歳で青物の行商も始めてイギリス軍艦に売り込みに行ったり、地租改正に乗じて米穀商に転換するなどしていました。 1878年に20歳で家督を相続後は、東京・横浜への旅で天然真珠など志摩の特産物が有力な貿易商品になることを確信し、海産物商人へと転身、実績を重ねて地元の名士へとなっていきました。 世界では天然真珠を採りに海に潜るのは屈強な男たちですが、日本では海女さんです。世界のジュエリー市場では天然真珠が高値で取引されていたため、海女は一粒採ってくるだけでも高額の収入が得られていました。このため、志摩だけでなく全国的にアコヤ貝が乱獲されて絶滅の危機に瀕したほどだそうです。生きるための日本女性の半端ないパワー、恐るべし!(笑) |
【引用】水産増殖 臨時号4 「真珠養殖漁場における密殖および漁場老化の問題」国立真珠研究所 澤田保夫(1965.6) |
これに野心家の御木本が目をつけないわけはないですね。思い立ったら即行動、さっそくアコヤガイの養殖を始めましたが、貝を育てても天然真珠が入っていなければその価値は非常に低く、結局経費倒れに終わりました。 |
天然真珠を採取した後の廃棄された真珠貝の貝殻(1914年頃) | 天然真珠と同様に1万枚の貝の中から商品価値がある珠が数粒採れる可能性はあるかもしれませんが、それでは採算が合うわけがありませんね。 |
箕作佳吉(1858-1909年) | このため御木本は大日本水産会の主催者とのコネクションを使って、東京帝国大学の箕作佳吉にヒアリングに行きました。 超秀才一族、箕作家の一人であった佳吉は慶應義塾大学で学んだ後に渡米しイェール大学やジョンズ・ホプキンス大学で動物学を学び、イギリスのケンブリッジ大学にも留学経験のある人物です。 帰国後は東京帝国大学理科大学で日本人として最初の動物学の教授となり、東京帝国大学理科大学長も務めた権威です。 1890年に学理的には養殖は可能と教えられた御木本は、すぐさま実験を始めました。 |
中国の仏像真珠のテクノロジーが元となっているので、最初は核として鉛の玉も試したり、試行錯誤していたようです。 挿入する異物の種類が仕上がりには適しているのか、貝が異物を吐き出さないか、異物を貝のどこに入れるのか、その結果死なないか、真珠層は形成されるのか、どのくらいの期間が必要なのか、貝そのものの最適な生育環境はどのようなものか・・。 これだけの課題を考えれば、ヨーロッパで長年研究されても実現できなかったのは不思議なことではありません。 |
半円の養殖真珠のイメージ "Pinctada margaritifera MHNT.CON.2002.893" ©Didier Descouens(15 January 2013)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
しかし1893年、ついに実験中の貝の中に半円真珠が付着しているものが見つかりました。1896年、半円真珠の特許(第2670号)を取得し、世の中に認知される第一歩となりました。 生き物を扱うこと、再現性の見極めもあって、発見から特許取得までは結構かかっていますね。 |
その後、真球養殖真珠の真の発明者となる西川藤吉が研究に加わりました。 現代の養殖真珠技術お基礎となる西川式・ピース式と呼ばれる手法を発明した人物で、東京帝国大学で水産動物学を専攻し、卒業後は農商務省水産局技師として箕作佳吉らの指導の元、真球真珠養殖およびアワビの人工授精の研究に従事していました。 1903年に御木本の次女みねを嫁に貰い、1905年に本格的に御木本研究所で本格的な真球真珠の研究に従事することになったのです。 この年、御木本は赤潮で壊滅的被害を受けたのですが、全滅した貝の中から5個真球真珠を発見して希望の光が見えた時でしした。 そうして1907年、ついに西川が開発した真円(真球)真珠を養殖する方法の一連の特許が出願されました。 |
||
西川藤吉(1874-1909年) |
しかしながら出願した特許は、先に見瀬辰平が出願した真円真珠の特許に抵触することになるのです。 元々は船大工だった見瀬ですが、養父が出稼ぎ先のオーストラリアで真珠が有望な産業だったと語ったことで真珠に興味を持つようになり、西川と同時期に別の手法で真円真珠の技術を確立したのでした。 先に技術を確立したのは西川でしたが、特許出願は見瀬が先でした。 これによって真の発明者が争われることになったのです。 最終的には見瀬が譲歩する形となりました。 |
||
見瀬辰平(1880-1924年) |
明治天皇(1852-1912年) | 「世界中の女の首を真珠でしめてご覧に入れます。」 これは1905年、日露戦争の戦勝御報告で伊勢神宮を訪れた明治天皇に御木本幸吉が言上した言葉です。 折しも殖産興業、富国強兵のために日本人が一丸となってできることを頑張る、そういう時代でした。 真円養殖真珠の夢は、日本という国にとっても達成すべき悲願だったのです。 |
三瀬は、特許紛争の継続が国家的事業の発展を阻害すると考えました。また、相手は東京帝国大学や大日本水産会のコネクションがあり、これらから調停交渉を受けました。相手方の持つ東京帝国大学等の権威を重んじなければならないという意識もあります。さらに発明者の西川が末期がんを患っており、存命中の解決が望まれました。 日本で先発明主義か先願主義かが争われた最初の案件でしたが、1908年に西川藤吉名で特許を取得した後、特許を共有するという見瀬にとっては不利な契約を飲むことになったのです。 |
真円真珠の核心的な技術を発明した西川は1909年に35歳の若さで亡くなりましたが、御木本は執念でヨーロッパを納得させる品質の養殖真珠の量産体制を構築しました。 3〜5年の歳月をかけて母貝で育み、取り出した後はさらに色を落ち着かせるために2年間自然乾燥させました。その中からさらに基準を満たすものだけを出荷したのです。 |
カワシンジュガイ "Groupe of Margaritifera margaritifera" ©Boldie, Joel Berglund(2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ヨーロッパでは実現できなかった真円真珠の養殖が日本で実現した理由は、いくつか言われています。 ヨーロッパではカワシンジュガイを使って真円真珠の養殖を目指したのに対し、日本はアコヤガイを使って半円真珠の養殖に成功してから真円真珠の技術を開発したことだと言われています。 |
カワシンジュガイ "Margaritifera margaritifera-binnen1" ©Tom Meijer(March 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 殻の内側には強い真珠光沢を持ち、成長が遅く100年以上も生きると言われる淡水産の二枚貝です。 ヨーロッパでは古くからこの種類の貝から真珠を採っていた歴史があり、この貝での養殖が試みられました。 |
御木本幸吉(1858-1954年) | 技術的なことももちろんありますが、特許戦略や政商としての能力、強い野心など、実業家としての御木本の恐ろしいまでの執念と才能が真珠産業にこれだけのインパクトを与えたと言えるでしょう。 |
NYのマンハッタン(1900年頃) |
ちなみに20世紀初頭の天然真珠が最高潮に高かった時代、ニューヨークにある富豪の婦人はカルティエの2連の天然真珠のネックレスを買うために五番街のビル1棟と交換したという話も残っています。そりゃ、御木本でなくても養殖真珠の実現を頑張りますよね。 ただ、発想はやっぱり日本人らしいです。 富豪だけを相手にし、生産調整して高級地区のビル相当の価格を保つ手段もあったことでしょう。そうではなく、御木本は富裕層以外の中産階級の女性も含めてターゲットにしようとしてしまったのです。前者を選択すれば、品質を追求してより価値を向上させる動きとなったことでしょう。後者を選択した時点で、コストカットして品質が劣化していく未来しか存在しません。一見見た目は同じようでも中身がスカスカな未来です。 大量消費向けの大量生産品の場合、後者となるのは必然です。 電化製品のような、一定レベルの機能が満たされていればOKなものに対してはそれで良いのです。問題は、芸術性や美しさが重要であるジュエリーはそうではないことです。 当初は3〜5年もかけて母貝で育んだ養殖真珠でしたが、今では数ヶ月で出荷するほどの薄巻きです。高級品の"越物"(こしもの:1年以上)でも1年ほどで出荷してしまいます。この高級品でも真珠層の厚みは0.4-0.6mm程度しかありません。まさにメッキです。 大量生産品のような扱いをされた養殖真珠は、時代を下るごとに劣化していきました。今では業界内でも危惧する声が高まっています。それでも価格は一丁前にジュエリーっぽいという、養殖真珠は異常な状況です。 |
天然真珠の証明
この美しい天然真珠のネックレスが作られた時代、まさか天然真珠産業が壊滅し、ここまで世の中から忘れられた存在になるとは誰が想像したことでしょう。GEN以上にアンティークジュエリーの経験年数が長いロンドンのディーラーでも、ヨーロッパでもその価値を真に理解できている人は自身も含めていないと言います。 |
付き合いのあるロンドンのディーラーは、HERITAGEは天然真珠でなければ仕入れないことは理解し、尊重してくれています。 だからこそ手間と経費をかけて、きちんとロンドンの鑑別機関で鑑別してくれます。 お互いに真面目で尊重しあえる仲だから、長年良い仕事ができるわけです。 |
『初期の養殖真珠ネックレス』 1930年代? 養殖真珠:直径8mm SOLD |
初期の養殖真珠が天然真珠と変わらないと判断されたのは、どんなにプロでも見た目では判別できないからでした。 現在はX線を使えば鑑別できますが、X線を使わなければ無理です。 |
ルネサンスやヘリテイジで販売した宝物以外も委託販売のご相談を受けていた頃、天然真珠のはずと言って持ち込まれたジュエリーは100%偽物、養殖真珠でした。 「代々続く良い家柄から出たもの」、「○○の高級店で買ったもの」、「良い人そうな人から買った」など、自分は目利きができる、偽物のはずがないと自信たっぷりに持ってこられる方が多く、こちらとしても検査の外注など手間を考えると赤字になるので委託販売は辞めました。 外観が高級店でも、真にアンティークジュエリーを扱う能力があるかは別です。良さそうな人でも無能という場合もあります。ディーラーは人が良くても、無能では駄目です。責任ある仕事なのですから。 |
元から騙す気満々の詐欺師も存在します。 詐欺師に見えそうな詐欺師なんているわけがありません。詐欺師は良さそうな人に見えるものです。 詐欺師は見分けられると言う人もいそうですが、有能な詐欺師は騙されたこと気づかせないくらい上手く立ち居振る舞うものです。 基本的には優秀な詐欺師も、真珠も目利きで真贋判定はできないと認識すべきです。 |
買い付け時のネックレスの鑑別書 |
どんなに経験値のあるディーラーでも、天然真珠の自力での鑑別は不可能です。だからこそX線での検査を毎回要求しています。このネックレスも天然真珠だったと言われて買い付けましたが、渡された鑑別書を見ると1つだけ養殖真珠が混じっていました。上の鑑別書で赤丸で1と示してある珠です。 イギリス人とは言え若干のアバウトさが完璧を求める日本人とは違うところかなと思いましたが、158珠中1珠だけです。ヘリテイジでは高級アンティークジュエリー店としてのプライドをかけて、安心してお使いいただくためのサービスにも力を入れています。ご紹介前に糸換えとクリーニングをするつもりでしたので、その際に養殖真珠の珠だけ排除し、国内で鑑別書を取り直すことにしました。 |
養殖真珠を除去後のネックレスの鑑別書 |
なるべくロンドンで鑑別書を取りたい理由の1つが、日本では『天然真珠』と記載してもらうことができないことです。備考の第3項に記載されている「一般にしようされる人為的な形状をした核は認められません」という記述が天然真珠であることを示すもので、養殖真珠を取り去った157個の珠によるこのネックレスはすべて天然真珠に間違いありません。 御木本を始め、養殖真珠を本真珠と称して本物の天然真珠と消費者に誤認させて売りたい日本の養殖真珠関連業者が、こういう鑑別機関の大口の顧客です。だから天然真珠と書くことはできないのです。鑑別機関と聞いただけで第三者的な公平な立場にあると勘違いする日本人も多いのですが、実際はそうではないのです。 |
混ざっていた養殖真珠の珠 | オリジナルで、1粒だけ養殖真珠を使ってネックレスを作ったとは考えられません。 100年以上の年月の間に糸換えするタイミングがあったはずで、その際に混じったのものと推測されます。 見た目には変わらないので、これを除去するかどうかは個人の感覚の差だと思います。 |
ヘリテイジではこれだけ天然真珠の価値を評価し、それを皆様にもご説明している以上、気持ち良くお使いいただくためには1粒の混入もあってはならないと判断したのです。このような姿勢はGenの頃から変わりません。 私も一消費者だった頃、アンティークジュエリーを紹介するHPはいくつかチェックしました。ルネサンスのHPをコピペしたような文章で天然真珠の価値を謳いながらも、「この中にはいくつか養殖真珠が混ざっていますが気にするほどのものではありません」と言い、鑑別書を付けずに販売しているお店もありました。 高級椿油使用と謳いながら大半は鉱物油でできた化粧品だったり、ブルーマウンテン・ブレンド但しブルーマウンテンは3割以下のコーヒーなんて当たり前の時代です。100粒中1粒が天然真珠であれば天然真珠のネックレスと言っても嘘ではありません。「オール天然真珠と言えば嘘だけど、間違いなく天然真珠は使っているのだから勝手に勘違いした方が悪い」と詐欺師は主張することでしょう。 気味が悪かったので私はそのような販売方法の店には一切コンタクトしませんでしたが、騙される人の良い方はいらっしゃるようで、念のためにその店に鑑別書を要求したらクラスプが写っていない写真が付いた鑑別書が送られてきたそうです。良さそうな人と思って先払いの店で入金しちゃうのでしょうけれど、詐欺師も天然真珠も目利きで鑑別するなんて無理だと思うのが正解なのです。 |
珍しいセミロングで大きさを揃えた天然真珠のネックレス
ロシア大公妃アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ(1870-1891年)1890年頃 | これまでにいくつか天然真珠のネックレスをご紹介してきました。 ロシア大公妃アレクサンドラが着けているような、サイズがグラデーションになったタイプが多かったです。 |
今回は珍しく大きさが全て均一な、セミロングタイプです。 |
イギリス王妃アレクサンドラと娘ヴィクトリア王女(1905年) | ヴィクトリア王女(1868-1935年)20世紀初期 | |
世界の中心、大英帝国の王妃ともなると正装時には大粒の天然真珠がゴロゴロですが、王女様の場合は同じタイプのネックレスを重ね付けすることで立派な正装です。 |
ヴィクトリア王女(1868-1935年)20世紀初期 | 日本人が日常使いしたり、セレモニーで使う場合は天然真珠のネックレス1本だけでも十分だと思います。 既に1本お持ちの方は、このように重ねづけするのも楽しいと思います。 ヘリテイジのお客様にも既に2本お持ちで、重ねづけを楽しまれている方もいらっしゃいます。 贅沢で羨ましく思いつつ、本来の姿で楽しんでもらっていると思うととても嬉しいです♪ |
珠の大きさが均一だと、もう一つ良いことがあります。 左のように、3連から4連の天然真珠のブレスレットとして使うこともできるのです。 |
フランス皇帝ナポレオン一世の皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年)、制作年不明 | フランス皇帝ナポレオン三世の皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1763-1814年)、1853年制作 |
フランスの皇后二人も、それぞれ右手首に数連の天然真珠のブレスレットを着けていますね。ネックレスやピアスは顔周りで目立ちますし、指輪も富と権力を象徴する存在なので、まずはそういうアイテムから揃えていくのが通常です。ブレスレットまで気を遣うことができるのは、ある意味最も贅沢なことだと言えます。 現代ではなかなか古の皇后たちのようにあれもこれもと手に入れることはできませんが、ネックレスにもブレスレットにも使えるという使い勝手の良さは、アンティークジュエリーを愛する現代人にとってはとてもありたがいと感じます。 |
クリーニング&糸換え
先にも記載した通り、買い付けた後に日本の専門の職人にクリーニングと糸換えをやってもらいました。レベルの高い職人の存在は、日本で養殖真珠産業が発展した恩恵とも言え、これだけはありがたいです。 |
元々真珠が好きだからこそ職人になります。ヘリテイジで持ち込む以外にアンティークの天然真珠ジュエリーを見ることはないそうですが、その価値を十分に理解して扱ってくれます。 現代の漂白・染色(調色)された養殖真珠のように不自然になるほどクリーニングし過ぎず、自然の美しさが惹き立つようなクリーニングをやってくれます。これは職人さんの美的センスと技術次第なのですが、安心してお任せしています。 |
Beforeの画像がないので元から比べてどれだけ綺麗になったかはお示しできないのですが、実物を手に取ってご覧になれば100年以上前のものとは思えないくらい、はっきりと清らかな美しさを感じていただけるはずです。通常真珠のお手入れは表面を軽く布で拭くと言われますが、プロフェッショナル・クリーニングでは穴の中までクリーニングします。これが天然真珠本来の美しさの蘇りのポイントで、プロでなければ出来ない技です。 |
英国王室のダイアモンド・ダイアデム(ランデル&ブリッジ社 1820年) 【引用】Royal Collection Trust / The Diamond Diadem 1820 © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 |
元々天然真珠自体、不適切な扱い方さえしなければ100年程度で変色したり、照りツヤが悪くなるような宝石ではありません。 |
しかもクリーニングする前のロンドンの鑑別書ですら光沢の判定は『Very good』だった、良質な天然真珠を使ったネックレスなのですから、仕上がりが素晴らしくならないわけがありません。 |
62cmのセミロング・ネックレスでしかもオールノットの糸換えも含めてなので結構な費用はかかりましたが、これだけ綺麗に甦り、安心してお使いいただけると思うとやって良かったです。 |
真珠の形はよく見れば歪な珠もありますし、色も養殖真珠のように均一ではありません。でも、ジュエリーとして使う時には違いは気にならないくらい、十分に大きさも、色や照りツヤも揃えてあります。当時の超高級品として相応しいくらい、きちんとお金と手間をかけて作られているのです。 ラヴァーズ・ノット・ティアラも天然真珠の形は歪だったり、単体で見ると色の違いがはっきりとありましたが、身につければ特に目立つとは思えません。 ジュエリーに一番求められるのは全体との調和であり、着用者を惹き立たせることです。単品で完璧なものを望むならば、やはり現代の養殖真珠を求めるべきでしょう。天然の素材を使うアンティークジュエリーにそこまで完璧なものはありません。 |
昔も天然真珠のネックレスは色ムラがないものが評価されてきたのは間違いありません。 でも採ることすら難しい天然真珠で、さらに色や照りツヤまで揃えるのは王侯貴族や超富裕層でなければ困難なのです。 実際、中級クラスはこれくらい色ムラがあります。それでもかなり高価だったはずです。 |
||
【参考】中級の天然真珠ネックレス(色ムラ) |
また、色に関しては白いものが珍重されてきました。 『白』と言っても、養殖真珠のような漂白された不自然な色ではなく、若干クリームの色味を帯びた白です。 日本でも、昔と今では『白』は生成りなのか青みがかった白なのか、人々のイメージに違いがあると言われていますよね。 |
これも一応素材は天然真珠ですが、こういう黄土色は論外です。 例え天然真珠であっても、汚らしい低級品として見向きもされず、ジュエリーにはされてきませんでした。 台頭してきた中産階級向けの安物として、少し後の時代にネックレスとして仕立てられはしたのですが、クラスプの簡素な作りを見れば分かるように、一番下のレベルの天然真珠ネックレスです。 |
||
【参考】低級の天然真珠ネックレス(ゴールデンパール:黄土色) |
昔は商品価値がなかった黄土色の真珠ですが、業者が閃きました。『ゴールデンパール』とネーミングしてブランド化すれば高値で売れると目論み、これが見事にヒットしました。名前だけでも売れちゃう、無価値なものを価値あるものに転換する、ある意味錬金術です。 ゴールデンカラーは特に中国人に大人気で、養殖真珠を染色して人工的に作っちゃうどほどだそうです。それに乗じて、安物のアンティークの天然真珠ネックレスをゴールデンパールと称して販売するディーラーも出現しました。 私は元サラリーマンなので、つい「みんな商魂逞しいな」と茅の外から見てしまいますが、少しは見習って店を潰さない程度には頑張らねば(笑)でも、稼ぐために始めたわけではなく、知的好奇心と美意識を満足させるために始めたのでやっぱりそれは無理です・・。 養殖真珠でも染み抜き前だとこれだけ色や形にムラがあります。母貝の分泌物異常によって発生するシミは、取り出した養殖真珠の8割以上に存在すると言われています。養殖真珠も真面目に取り組んでいた時代は色を落ち着かせるために2年間寝かせたり、さらにそこから選別して低級品は出荷しないようにしていました。 今ではぜ〜んぶ使います。どうしようもないものは粉末化して化粧品に混ぜて「真珠が入っています」と謳いますが、大体は脱色して染色して外観を無理矢理均一にしてしまいます。選別の手間も省けてコストカットになりますし、そのままでは販売できない低級品でも高値で販売できます。 |
これらの天然真珠がいかに価値があるかご想像いただけますでしょうか。母なる海で母貝が長年かけて育み、男たちが命をかけてプライドと労力をかけて母貝を採ってくる。1万個に数粒程度という、商品価値のある珠を膨大な量の母貝の中から探し出す。さらにこの天然真珠に適した珠を157粒、用意する。 職人技が魅力の細工物とはまたひと味違った魅力を放つ、アンティークジュエリーにしかない魅力あるジュエリー。それが天然真珠を使った優れたアンティークジュエリーなのです。 |
天然真珠の珍しいクラスプ
この天然真珠ネックレスのクラスプは、これまでに見たことがないとても珍しいデザインです。ネックレス部分の天然真珠以上に大きな天然真珠が三個並んだクラスプです。一見、クラスプではなくネックレスの続きの一部のよに見えます。それを狙ってのことだと思いますが、ありそうでないデザインで、作者やオーダーした人物の美意識やセンスが伺えて嬉しくなります♪ |
セーフティー・チェーンが付いているので安心してお使い頂けます。 |
クラスプの付いた後ろ側の方まで、全て同じサイズの天然真珠で揃えられています。 サイズにグラデーションが付いた天然真珠のネックレスもエレガントで素敵なのですが、このネックレスはまた違った印象のオシャレが楽しめそうですね♪ |