『百花の王』

 『百花』の言葉が示す通り、お花は多種多様です。どのお花が一番好きか聞かれても、回答は人それぞれ異なるでしょう。季節ごとのお花を愛でる愉しさもあります。

雉と竹と牡丹の大正時代の振袖雉と牡丹・菊・竹と清流の色留袖(大正時代)
HERITAGEコレクション
薔薇の紋綸子のアンティーク訪問着薔薇の紋綸子の訪問着(大正〜昭和初期)
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それでも『百獣の王』にライオンが選ばれるように、お花にも『百花の王』が存在します。圧倒的な華やかさによって、以前は百花の王として牡丹が上流階級のアンティーク着物にも好んで描かれました。しかし海外から様々な品種のバラが入ってくると、その地位をバラに譲ることになりました。

 

薔薇のアンティーク着物&帯薔薇の着物と刺繍帯(大正〜昭和初期)
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黒薔薇の御召のアンティーク着物黒薔薇の御召 小紋(大正〜昭和初期)
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一過性の流行であれば、『百花の王』の地位は揺るぎないものとして牡丹に戻ります。しかし、そうはなりませんでした。全世界で現在に至るまで、バラが他の追随を許さぬほど絶大な支持を得る理由として、『香り』の魅力が挙げられます。花姿だけだったら、ここまでの圧倒的な地位は築けません!

 

早朝のバラ園でのバラ摘み2026/6/11

前回ご紹介した通り、バラが開花する最も芳しい早朝に合わせ、とある貴婦人が所有する秘密のバラ園でバラ摘みを経験させて頂きました。日々の労働としての農作業ではなく、心を豊かにする社交イベントとしてのバラ摘みです。効率重視で無心に数をこなすのではなく、愛されて育った一輪一輪の美しさを心にも刻み、手折った新鮮なバラの香りを早朝の清廉な空気と共に存分に吸い込み、フラワー・バスケットに入れていきます。

 

ダマスク・ローズのフラワー・バスケット 優しいピンクのバラのフラワー・バスケット

淡い色彩のバラだけでも様々な品種があります。バラ園オーナーの貴婦人の好みなども反映した、色とりどりのバラが競演していました。同じバラ園の中でも、それぞれのバラが咲くエリアごとに気配も薫りもフッと変化します。そのようなバラたちの空間や個性を、身体全体で感じるのも心地よかったです♪

 

ウィリアム・シェイクスピア没後200年を記念した知的なインタリオ・リングウィリアム・シェイクスピア没後200年を記念して制作されたとみられるインタリオ・リング(1816年頃) ウィリアム・シェイクスピアのバラのフラワー・バスケット

これはダマスク系やオールドローズ系の強香と、深いクリムゾン(暗赤色)の色彩が特徴の『ウィリアム・シェイクスピア』です。初代の作出は1987年で、改良版が2000年イギリスで発表されました。今は廃盤となっており、入手困難な稀少品種です。

それにしても育種家は文化的教養と知識も必須ですね。 シェイクスピアはヨーロッパ上流階級にとって基本中の基本です。作品なども含めて知っておかなければ、気の利いた命名理由を想像したり、社交界で知的な議論を交わし愉しむこともできません。

 

ローズ・アフタヌーンティーのジュレ、マカロン、薔薇のカップケーキ、グミ

個性豊かなウェルカム・フラワーです。季節ごとに様々なバラが咲くよう、想像以上に多品種のバラを育てていらっしゃいました。厳寒の根雪の季節を乗り越え、雪解けから力を蓄えてようやく咲き始めた初バラの時期、他にも黄色や真紅のバラが咲いていました。

 

マルメゾン城のジョゼフィーヌ(1763-1814年)38歳頃、1801年

『バラの母』とも称されるフランス皇后ジョゼフィーヌが情熱を注いだ、マルメゾン城のバラ園も彷彿とさせます。

ジョゼフィーヌはお花の中でも特にバラを愛し、バラ園は高く評価されています。

世界中の全てのバラを手元で育てたいと、故郷マルティニーク島やヨーロッパだけでなく、中国や日本などからもバラを集めました。

 
結婚前のナポレオンとジョゼフィーヌ

華やかな面がフォーカスされがちなフランス皇帝夫妻ですが、どちらもパリの生まれではなく、田舎出身貴族としてパリで酷い扱いを受けた経験がありました。

後継者を作るために離婚せざるを得ませんでしたが、どちらも知的で美しいものを好み、離婚後も替え難い最高の話し相手として、若い後妻が嫉妬するほど仲良しでした。

ローマ帝国オタクで読書に明け暮れた本の虫ナポレオンと、ここまで共鳴できるのは並の貴婦人ではありません。

 
【ジョゼフィーヌと同時期のパリ社交界の花】
テレーズ・カバリュス(1773-1835年)
【ジョゼフィーヌと同時期のパリ社交界の花】
ジュリエット・レカミエ(1777-1849年)

ジョゼフィーヌはパリ社交界の花として活躍しましたが、『明るい未亡人』という性格的な呼び名がつく一方で美人という表現は聞きません。同時期の他の『社交界の花』たちは若さと共に美貌も評判でした。ジョゼフィーヌが社交界の花となったのは、最初の結婚が破綻して離婚した後です。

 

PDジョゼフィーヌがパリに嫁ぐ前に過ごした出身地マルティニーク島

ジョゼフィーヌは祖父の代からマルティニーク島に住む、植民地出身の貴族です。コロンブスが『世界で最も美しい場所』と賞賛したほど美しい島です。南国の花々や鳥が歌い、放っておいても豊かな果実が実る大自然の中で伸び伸びと育ちました。人格形成期を不安など微塵もない楽園で過ごせば、自然を深く愛する豊かな感性と、ポジティブ思考の明るい性格が根底に築かれるのは自然なことでしょう。

 

アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵(1760-1794年)

天真爛漫に育った16歳の時、パリ貴族アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と縁談が成立しました。知性も兼ねた美男子としてモテモテだった将校で、ジョゼフィーヌは嬉々として憧れの大都会パリに移住しました。

しかしながらド田舎の貧困貴族だったため、実はまともな教育を受けていませんでした。

アレクサンドル子爵はジョゼフィーヌの田舎じみた服装や、字さえろくに書けない教養の低さにショックを受け、子供が2人生まれた後は元恋人とよりを戻し、家に帰らなくなりました。最終的にはジョゼフィーヌと別居したいと裁判所に申し出ました。

 
フランスのディジョンの貴族家出身の聖ジャンヌ・フランソワーズ・シャンタル(1572-1641年)

家族から離れて遠方に嫁ぎ、2人の幼子も抱え、弱冠20歳でこの扱いです。通常ならメンタルが折れてもおかしくなさそうですが、ジョゼフィーヌはあっさり別居を受け入れました。修道院への居住権や財産などの必要な権利を得て、すみやかに離婚を成立させました。

修道院は女性の人生の終わりではなく、結婚前の貴族の女性を教育する場としても機能していました。

ジョゼフィーヌは貴婦人同士の実践的なお付き合いを通じて上品さや優雅さを身につけ、洗練された言葉遣いや自身の無知を巧みにごまかす会話術など、パリ基準の社交術を習得しました。

 
バラス子爵ポール・フランソワ・ジャン・ニコラ(1755-1829年) ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年)

約2年間で洗練されたパリジェンヌへ見事な変貌を遂げ、1785年22歳となったジョゼフィーヌは再デビューしました。フランス革命後は普通の貴族でも生きること自体が大変だった状況下、社交界の花として活躍するのみならず、総裁政府のリーダー格バラス子爵ポール・フランソワ・ジャン・ニコラの愛人になります。植民島出身でろくにコネはなかった上に、他にも美人で若い社交界の花たちがいたにも関わらずです。

 

フランス皇后マリー=ルイーズと息子ナポレオン2世(ローマ王)(1813年)

そのようなジョゼフィーヌにナポレオンがぞっこんとなり、2人は結婚しました。ナポレオンが26歳、ジョゼフィーヌは6歳上で32歳の時です。

後にナポレオンが再婚した時、後妻パルマ女公マリー=ルイーズは18歳でした。マリー=ルイーズは1791年生まれなので、1763年生まれのジョゼフィーヌは28歳上です。

若くて無知な女性を好む男性もいますが、知的な男性は表面的な事物よりも、自身と同じ視座と知識で愉しく会話できる女性を好むものです。

形式的な離婚後も、ナポレオンは若妻が嫉妬するほどジョゼフィーヌとの会話に夢中でした。それほどナポレオンにとっては替え難い、唯一無二の魅力があったのです。

 
マルメゾン城
"Chateaudemalmaison" ©Pedro Faber(14 July 2017)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ナポレオンのエジプト遠征の戦果を期待し、ジョゼフィーヌは相談なく1799年にマルメゾン城を手に入れました。土地は荒れており、大規模な修繕も必要とするお城でしたが、ジョゼフィーヌは『ヨーロッパで最も美しく興味深い庭園、良き洗練のモデル』とすべく精力を注ぎました。貴族は男性が政治や外交を担当する一方、女性は文化面での貢献が重要な役割でした。「マルメゾンが近い将来、全フランスの豊かさの源となることを願っています。」とも書いています。

 

マルメゾンの庭園に腰掛けるジョゼフィーヌ(1763-1814年)42歳頃、1805年

さっそくナポレオンは建築家に命じて城を改修し、当世風の装飾を施しました。また、世界の全てのバラの品種をここで育てたいと願う妻を喜ばせるため、バラを始めとしたあらゆる種類の植物を、戦争で押収した船に積み込んでマルメゾン城へ送るよう指揮官たちに命じました。

1814年には庭園のバラは250品種に達し、ジョゼフィーヌのこのバラ園から新品種の自然変異や人工交配による育種が始まりました。ジョゼフィーヌが『バラの母』と呼ばれる所以です。

大自然の価値を理解し、深く愛する者にしかできぬ発想です。植民島で育んだこの感性こそが、ヴェルサイユで生まれ育つのが通常だった一般的な高位貴族にはない、知的な男性たちを惹きつけるジョゼフィーヌの強い魅力となったかもしれません。

 
皇后ジョゼフィーヌのお抱え画家/植物学者ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759-1840年)と画集

ジョゼフィーヌは学芸のパトロンとして、お抱えの植物学者/画家ルドゥーテに植物図譜の作成も依頼しています。その中でも、マルメゾン城のバラを含む169種の薔薇が精密に描かれた『バラ図譜』(全三巻、出版 1817-1824年)は最高傑作とされ、芸術的価値のみならず植物学上でも重要な資料として評価されています。

 

皇后ジョゼフィーヌ
(作出1815年以前) ©SA. Barra/CC BY-SA 3.0
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
(作出1823年) ©Salicyna /CC BY-SA 4.0
スヴニール・ドゥ・ラ・マルメゾン
(作出1843年) ©Nadiatalent /CC BY-SA 4.0

この頃にお抱え庭師アンドレ・デュポンが人為交配(人工受粉)による育種技術を確立し、ジョゼフィーヌのために25品種を創作しました。ジョゼフィーヌの死後も引き続き原種の蒐集や品種改良が行われ、死後30年で1,000品種以上が作出されました。途切れることなき追随者により、19世紀半ばには3,000品種を超えるまでになりました。これが現代の薔薇の基礎となっています。世界各地の上流階級がバラの虜となり、育成や品種改良ブームが起き、ジョゼフィーヌの死後100年にも満たぬ1910年には約8,000品種を超えています。バラの偉大なパトロンとして、ジョゼフィーヌに因んで命名されたバラも複数存在します。

 

『ポプリ』(ジョン・エヴァレット・ミレイ 1856年) 花をほどいたバラの花びら

バラは花瓶に飾ったり、スケッチして終わりではないのが魅力です。香りの愉しみ方も無限大です。バラ園の所有者は慈しみ育てたバラを手づから手折り、様々な形で愉しめます。手を動かす時も無機質な単純作業ではなく、芳醇な香りに包まれる至福の時間です。上流階級は子供でも汚れても良い服ではなく、お花への敬愛を表し、相応しいジュエリーまで着用して向き合います。私もそうさせていただきました。どのアンティークジュエリーを身につけたかは秘密です♪

 

ザルに並べた優しいピンクのバラ ザルにときほぐした優しいピンクのバラ

お金で解決する成金のような生き方は、私には馴染みません。人や物を心なくぞんざいに扱うのは無理です。

古の貴族たちも苗木から大切に育てたバラだからこそ、日々成長する力強さを想い、懸命に蕾を膨らませる健気さを想い、日々の作業こなしてくれる庭師たちの労にも感謝しながら、美しく開花したバラを大切に解きほぐしたに違いありません。

お邪魔させていただいたバラ園も広いので、専門の方も雇っていらっしゃいます。オーナーの貴婦人とその方々との関係性もとても良くて、どうしたらオーナーのためになるだろうと考えながら動いてくださっていることも、隅々から伝わってきました。単なるお金の関係ではこうはいきません。オーナーの人柄があってこそで、心から慕われ、お互いの信頼関係でつながっていることも感じ取れて心地よかったです♪

 

『ポプリを作る女性』(ハーバート・ジェームズ・ドレイパー 1897年)

バラの花も美しいですが、バラを扱う貴婦人の姿そのものも『絵』になります。優雅にバラを扱うことは、上流階級のたしなみの1つでもありました。バラ園を所有する上流階級の愉しい趣味や、社交イベントとしても大事なことです。

 

『ポプリ』(エドウィン・オースティン・アビー 1899年)

貴婦人はTPOに相応しいオシャレをし、ご縁をいただいた時間と空間の全てを愉しみます。大企業時代は研究職でしたが、工場実習で製造ラインに入って現場を理解するための新人研修がありました。具体的な経験を元に理解できるからこそ作り手を尊敬し、感謝し、大切に使うことができます。貴族が専門の職人さんに具体的にオーダーしたり、カスタマイズの方向性を議論できるのは実際の経験や知見、知識があるからこそです。

既製品を買うだけ、消費者の立場で消費するだけというのはショボくてつまらないものです。成金思考が一般化した現代社会は、お金を出す側だけが偉そうな雰囲気となっています。しかし創造ができず、既存のものに文句しか言えず、どうやったら良くなるか具体的な提案もできない"ただの批評家"の無価値さは既知です。経験がないからこそ想像力や発想力が乏しく、共感力にも欠けるのです。知識だけの頭デッカチは不十分なのです。

 

ローズ・アフタヌーンティーのジュレ、マカロン、薔薇のカップケーキ、グミ

左の貴婦人の装いもご注目ください!バラがデザインされた華やかなドレスに、バラのショールを合わせた麗しい装いです。小物まで気を遣い、自分らしさも表現した貴婦人らしいコーディネートです。古のヨーロッパ社交界水準です。これだけ身なりを整えて参加して下さったら、催したホストも嬉しいですよね。これがファッションで礼を示す、礼儀を尽くすということです。美しいバラだけでなく、ご同席の貴婦人の方々にも目を楽しませていただきました♪♪

 

香水製造所に展示された古い時代の小型蒸留器(フランス)©I, BrokenSphere(2005)/CC BY-SA 3.0 バラの蒸留水づくり

解きほぐしたバラを蒸留水にしていただきました。工場用と比べると、個人でも楽しめる小ぶりな蒸留器です。今は卓上コンロもあって便利です。薪や炭の時代は燃料費も膨大な上に、火加減を安定させるのも大変でした。それだけでも上流階級だけの贅沢品ですね。大学院時代は化学系だったので減圧蒸留も含め、蒸留作業は身近でした。電熱ヒーターを使うので火加減は楽でしたが、純度を高めるために初留と後留は捨てますし、火力が強いと一気に沸騰して精製になりません。時間も手間もかかります。バラの精製水もポタリ、ポタリの抽出でした。

 

バラ園でバラ尽くしのアフタヌーンティー バラの花びらを添えたロゼ・シャンパン

作業イベントではないため、そのような部分はお任せし、限られた時間で目一杯おいしい部分だけを堪能させていただきました。段取りも都度最適化が必要なので、ホストをする貴婦人はお人柄やセンスのみならず、頭の良さも要求されます。それを支える周りの方もあってこそです。凄いなぁ、ありがたいなぁなど想いながら・・。

 

神々しい朝日を受け朝露が輝く真紅の薔薇 ポプリを作る女性(イギリス 1897年)
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
黄金の香水瓶(イギリス 1890〜1900年頃)

大自然と協力し、愛情を込めて育て、生き生きと咲いて愛で応えてくれるバラ。その花びらを解きほぐし、香水として精製するまでの全ての時間と労力、技術。それを想うと、贅沢すぎるアンティークの香水瓶ペンダントが存在することも納得できます。持ち主の貴婦人が、自身で創った『私だけの特別な香り』を入れて使ったでしょうか。

 

育種家ジョセフ・ペルネ=デュシェ(1859-1928年)66歳頃、1925年 マダム・キャロライン・テストゥ(ジョセフ・ペルネ=デュシェ 1890年発表)©A. Barra /CC BY-SA 3.0

19世紀後半のヨーロッパは育種ブームでモダンローズが生み出され、誰がより魅力的なバラを誕生させられるか、上流階級の間で華麗な競争が白熱した時代でもありました。貴婦人に捧げられ、命名された新品種も多く存在します。

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント黄金の香水瓶(イギリス 1890〜1900年頃)

お抱えの優秀な庭師と美しい新品種を生み出し、紳士が想い人の貴婦人に、バラと共にこの香水瓶ペンダントを捧げたシーンも想像できます。

上質な小物にこだわるのは紳士の特徴ですし、男性の方がロマンチックだったりします。そして、時代のタイミング的にもバッチリなのです♪

 
早朝のバラ園でのバラ摘み

バラ園オーナーの貴婦人によると、バラ水は異なる品種の配合や時期によって香りや色彩が変わり、一期一会なのだそうです。牡丹から百花の王の座を奪ったバラの随一の魅力。その底知れぬ深淵こそが、古今東西の上流階級や知的階級を虜にしてきました。ナポレオンはロマンティックでもあったようなので、マルメゾン城ではジョゼフィーヌと深いバラの談義も愉しんでいたでしょうか。本当に心豊かな世界ですね♪

 

 

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