No.00385 9 STARS

プレアデスや9柱のミューズの9星のトルコ石&天然真珠の黄金の香水瓶

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

最高に贅沢な、黄金の小さな香水瓶ペンダントです♪

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 使うための優雅な小物♪
 使う瞬間までもが美しくドラマティック!♪
 手元で心を豊かにしてくれる小さな宝物♪♪

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

マットゴールドの神々しい夜空に燦然と輝く9つの星々!♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

揺れと共に星々がキラキラ瞬く姿は神々しさの極地!♪

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

超拡大してもシャープな驚異の完成度!神技の彫金!!

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

爪が視認できないほどの神技の石留!!

美しい小さなトルコ石に秘められた、古代ギリシャの叡智!♪
9つの青白い星々に、王侯貴族の教養と愛の想いを込めた特別な宝物です♪

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

蓋と本体で質感が異なるゴールドの表現力♪

エレガントなロングのハンドメイド・チェーン♪

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

↑等倍
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント アンティークの15ctゴールドの香水瓶のサイド アンティークの15ctゴールドの香水瓶のサイド アンティークの15ctゴールドの香水瓶の裏側

全てが黄金の作りだからこそ360度が美しく、贅沢感も格別です!
香水瓶として使いやすさ抜群のコロンとした愛らしいフォルム♪
可愛らしくなり過ぎないための長さのあるチェーンが、知的でエレガントな全体の雰囲気に効いています♪

 

 

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

『9 STARS』
トルコ石&天然真珠 香水瓶ペンダント

イギリス 1890〜1900年頃
天然真珠、トルコ石、15ctゴールド(刻印有り)
香水瓶サイズ:2.1×1.5×0.9cm
全体サイズ:5.5×1.9×0.9cm
重量:3.8g
¥960,000-(税込10%)

 古代ギリシャを象徴する宝石として、王侯貴族の知的階層から長年不動の人気を誇ったトルコ石、そして王道の天然真珠で9つの青白い星々、すなわちミューズをデザインした、教養あふれるアーティスティックな香水瓶ペンダントです♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
←↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ

 『出航』を示すプレアデス、あるいは芸術神アポロンが主宰する9柱のミューズ(ムーサ)を、キラキラと光り輝く9つの星々の象徴でデザインしています。ローズカット・ダイヤモンドとは異なる、星々の美しい黄金の輝きは、ゴールドを熟知したデザイナーと第一級の職人の神技によってのみ実現が可能な、最高級品の証です。

 使うための優雅な小物としての作りへの徹底したこだわり、Genも大好きなマットゴールド加工、ロマンティックなモチーフなど統合すると、紳士が『芸術の女神』として想いを寄せる貴婦人にプレゼントするため特注した可能性が高いです。ある程度のサイズを必要とする携帯用の香水瓶は、ジョージアンの社交界での特別な用途を除き、高級品でもクリスタル・グラスやシルバー製などが一般的です。全てが黄金の作りのレイト・ヴィクトリアンの香水瓶ペンダントは、他に見たことがないほど奇跡的な存在です。当時の洗練された流行デザインを反映した、長さのあるハンドメイド・チェーンもオリジナルのまま残っており、よほど価値を理解できる持ち主だけに所有されてきたのでしょう。日本人がペンダントとしても使いやすい、品の良いサイズ感と雰囲気なのも魅力です。眺めて楽しい、着用して美しい、使って心も豊かにしてくれる、最高に魅力的な小さな宝物です♪♪

 

 

この宝物のポイント

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
  1. 制作も現存数も少ない優雅な小物
    1. 小物にお金をかけられるのは高貴と美意識の証
    2. 滅多にないゴールド製の香水瓶ペンダント
  2. 貴族の知性が漂う輝ける9つの星々
    1. ギリシャ神話とプレアデス
    2. ギリシャ神話と9柱の女神
  3. 抜群のセンスを感じる宝石のチョイスとデザイン
    1. 古代ギリシャを想わせる鮮やかな極上トルコ石
    2. 極小宝石と彫金を組合せた輝く星々の表現
    3. 格調の高さと気品に満ちたマットゴールド
    4. 長さのあるスタイリッシュなハンドメイド・チェーン

 

 

1. 制作も現存数も少ない優雅な小物

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 『使うための優雅な小物』は、HERITAGEにとって特別な響きがあります。

ジュエリーとは別ジャンルと言って良いくらい、その存在は特別です。

1-1. 小物にお金をかけられるのは高貴と美意識の証

1-1-1. アンティーク(骨董)とは

 Genはアンティークジュエリー業界のパイオニアです。ヨーロッパもリアルタイムで優れたジュエリーが制作されていた古の時代は新品、中古、アンティークの境界は曖昧でした。戦後は王侯貴族から新興成金が主導する世界に移行し、優れたジュエリーの制作と文化が終焉を迎えたことで明確な境界が生まれました。そのような意味で、ヨーロッパも含めてGenは『アンティークジュエリー』のパイオニアと見ることもできるレジェンドです。

ロンドンでアンティーク・ショップを視察する29歳の片桐元一ヨーロッパ視察旅行でアンティーク・ショップを視察するGen(1977年)29歳頃

想像してみてください。

学校で学ぶ。本を読む。既存の知識を誰か(他者/外部)から教えてもらう事は、人生の学びとしては『苦労』とも言えぬほど簡単です。難しいと考えているならば、それは単なる思い込みです。思い込みは、人の思考範囲を強力に縛り上げ制限します。

Genがこの仕事を始める時、『アンティークジュエリー』というジャンル自体が明確には存在しませんでした。

骨董(アンティーク)という概念自体は古代から存在しましたが、定義は曖昧です。1930年にアメリカで制定された関税法を元に、『作られてから100年以上経過した物』という定義が現代は独り歩きしている状態です。

Genが仕事を始めた1977年頃の『アンティークジュエリー』の扱い
アンティークの扱い ヴィンテージの扱い
ジョージアン 初期ヴィクトリアン 後期ヴィクトリアン アールデコ
啓蒙時代のカンティーユ&ペルシャ産トルコ石のリュミエール・ジュエリー『ソフィア』
リュミエール・アゲート ペンダント&ブローチ
フランスorイギリス 1820年頃
¥880,000-(税込10%)
ヴィクトリアンのエメラルド&天然真珠の彫金リング『EQUILIBRIUM』
エメラルド&天然真珠リング
イギリス 1860年頃
¥1,500,000-(税込10%)
天然真珠のフランボワーズのアールヌーヴォー・ゴールド・ネックレス
『フランボワーズ』
アールヌーヴォー・ネックレス
フランス 1890〜1900年頃
¥2,200,000-(税込10%)
初期アールデコのガーランドスタイルのトロフィー・ダイヤモンド・ネックレス
『勝利の女神』
ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス
イギリス or フランス 1920年頃
¥6,500,000-(税込10%)

Genが仕事を始めた当時はヴィクトリアンはまだ100年経過しておらず、イギリスのアンティーク店でも「ジョージアン以前が骨董的な価値のあるアンティーク。」という扱いでした。ヴィクトリアンはアンティークなどではなく、アールデコに至っては「おばあちゃん世代が使っていたもの。」というイメージの扱いだったそうです。

Genが仕事を始めた頃は100年経過していなかった宝物
ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー【時を奏でる小さな宝物】
『ダイヤモンド・ダスト』
エナメル ペンダント・ウォッチ
フランス(パリ) 1910年頃
¥15,000,000-(税込10%)
エドワーディアンの神技のハートの透かし細工のダイヤモンド・ピアス『プリンセス』
ダイヤモンド・ピアス
ヨーロッパ or 米国 1910年頃
¥1,500,000-(税込10%)
カラーゴールドとプラチナの彫金が美しい白鳥のアンティーク・ブローチ『愛の白鳥』
スワン バー・ブローチ
イギリス 1923年
¥950,000-(税込10%)

HERITAGEでは第二次世界大戦前、大体1940年以前に制作された、稀少価値と美術的価値を兼ね備えたジュエリーのみを『アンティークジュエリー』と定義しています。ただ輸入の面で、100年以上経過したものは文化的な価値あるものとして関税がかかりませんが、それ未満だと関税がかかります。

今でこそほぼ全てがひっかからなくなりましたが、Genがこの仕事を始めた頃はアールデコどころかエドワーディアンもアンティークでない扱いでしたから大変だったそうです。

前線近くで観測気球で観測するアメリカ軍の少佐(1918年)

アンティークジュエリー終焉の契機となったのは2度の大戦です。ヨーロッパで『あの戦争』と言えば第一次世界大戦です。4年3ヶ月の戦闘期間に戦闘員900万人以上、非戦闘員700万人以上の計1,600万人以上が死亡しました。

西欧の列強諸国がこぞって参戦した国家総力戦でした。航空機や化学兵器(毒ガス)、潜水艦や戦車などの新兵器が大規模、或いは史上初めて投入され、戦死による家系断絶も含め(知識や文化にも影響)、従来のヨーロッパ上流階級が大きく力を失う結果となりました。

そのような中で、アメリカは一人勝ちでボロ儲けしたとされます。
開始1914年から"中立"を保ち、両陣営に大量の武器、弾薬、食料を輸出して大儲けしました。頃合いを見計らって1917年に参戦し、戦勝国である協商国側の地位を得ました。

大戦で配給制と食糧難を経験した日本
終戦後の闇市(東京・新橋 1945.12)
【引用】時事通信社 / 昭和20年、終戦後の東京・新橋の闇市 ©JIJI PRESS LTD.
米飯獲得人民大会(食糧メーデー)(有楽町日劇前 1946.5.19)

現代の日本人にとって、遠方ヨーロッパが主戦場だった第一次世界大戦は他人事にしか感じないかもしれません。多くの方は第二次世界大戦の方が想像しやすいと思います。日本兵の多くは戦って死んだのではなく、餓死や栄養失調に伴う病死とされます。全体の約6割と推定されています。戦地に赴かない一般庶民でも、配給制による困窮や餓死、闇市の話を聞きます。しかし資源に乏しい敗戦国日本ならではの話ではありません。実際はアメリカやイギリスも配給制になり、戦後も一定期間それが維持されました。

戦後まで配給制が運用された戦勝国アメリカ
備蓄の非難と配給制促進のポスター(アメリカ 1943年) カーシェアリングを愛国者の義務と煽るポスター(アメリカ 1941年)

近代的な配給が行われたのは第一次世界大戦中のドイツで、1914年から開始されました。戦勝国かつ土地が豊かな食糧生産国アメリカは配給制など無縁に見えますが、第二次世界大戦では節約の呼びかけから始まり、1941年12月7日から戦後1946年6月まで配給制が運用されました。車に一人で乗ることも非難の対象となりました。

群衆心理(Crowd psychology)と大衆操作(Mass maniplation)は心理学の分野です。必要とする人々によって入念に研究と手法の開発がなされている、れっきとした分野です。感情を煽って自発的に動くよう仕向けるテクニック上、イメージ戦略は重要です。備蓄は悪、車を一人で乗るのは悪というイメージを植え付けることで、それらの行動を抑制します。さらには抑制しない人に対し、周囲が自発的に同調圧力をかけたり、酷いと物理的に攻撃したりなどの誘導ができます。大義名分の元の『私刑』がまかり通る社会の醸成です。大衆操作を得意としたヒトラーも、ギュスターヴ・ル・ボンの著書『群集心理』(1895年)を愛読したことで知られます。

プロパガンダなど宣伝活動を駆使した第一次世界大戦でのアメリカ
子供の栄養抑制への我慢と愛国心を煽るポスター(アメリカ 1918年) 戦時農園(勝利の庭)のポスター(アメリカ 1918年)

第二次世界大戦では各国が配給制度を整備しましたが、第一次世界大戦ではプロパガンダなどを駆使した宣伝活動が主でした。従軍によって不足した労働力を補うため、女性も社会進出と労働が求められました。その一側面がアールデコのフラッパー(ギャルソンヌ)と言う、言い方は悪いですが『オス化した女性』にも繋がっています。

特に子供への影響は計り知れません。このポスターを見れば、小麦以外のものを食べることが正義であり、大人の役に立ち、カッコいいヒーローへの道であると信じる(容易に洗脳される)でしょう。その意識への植え付けで育った子供たちが、第二次世界大戦の主役となっていきました。配給制度もスムーズに受け入れたでしょう。

国土が豊かで、天候不良に見舞われたわけでなくとも食糧難は人為的に起こりえます。成長過程にある子供の身体を自らの意思によってないがしろにさせ、他者を殺すため兵士に栄養価の高い小麦を食べさせるよう仕向けるのは残酷とも感じます。

戦後も配給制が維持された戦勝国イギリス
配給手帳に捺印する食料品店主(イギリス 1943年4月) 戦時農園(勝利の庭)のポスター(イギリス 1939-1946年)

ちなみにイギリスの配給制はもっと酷くて、第二次世界大戦での食料配給制度は1940年1月に始まり、終戦後も1954年まで続きました。アメリカは1946年6月に終了しています。『連合国占領下の日本』が1945年から7年間続き、主権を回復したのが1952年です。日本が敗戦後に主権を回復した後も、イギリスでは一部配給制が継続したわけです。戦後の9年間も含め、なんと14年間にも渡って配給制度での暮らしが日常だったのです。

典型的なフル・イングリッシュ・ブレークファースト
 "Full Englosh breakfast((cropped)"© Wikipedia / joadl / Cc-by-sa-3.0-at

この影響によって、イギリスは『飯マズ』になったともされます。近年だとコロナ禍によって、マスク着用で同級生の顔を知らずに卒業したり、リモートや自粛によって同級生と一緒の時間を楽しむことなく学校生活が終わったなどの話も聞きます。14年より遥かに短い期間ですが、大人と違って子供への影響は特に大きいものです。

14年間も制限があれば、食文化を破壊するには十分でしょう。人は普段食べているものを「美味しい。」と感じるそうです。濃い味付けを好む地域があったり、甘い味付けを好む地域があったり、家庭の味レベルでも個性があります。発育途中の子供の味覚や嗅覚は、大人になって容易に変更できるものではありません。配給制の味で育った世代は、その味を当たり前として次の世代も育てます。外食でも、そのような味のお店を選ぶでしょう。

全員が同じ味と量を食べるという奇妙が日常化した世界
配給券でV8(野菜ジュース)を購入する少年(アメリカ 1943年2月) 『レディース・ホーム・ジャーナル』V8ジュースの広告(1947年)

私たちの殆どは戦後生まれです。配給制を経験したことのない人々の食事や食文化は経験していません。大量生産、均質な食べ物が当たり前という意識の人の方が、圧倒的多数の世の中となりました。『配給制』によって、大量生産の食品を全員が食べるという奇妙な日常が生み出され、当たり前となっていきました。定義できないものをさも尤もらしく謳う、『完璧な栄養』や『理想のバランス』なるジャンルも確立しました。V8は8種類の野菜や果物から作られるジュースです。プロモーションのため、栄養学の権威とされる学者や自称専門家、広告なども積極的に投入され現代に至ります。「我慢は美徳!」などのプロパガンダによる洗脳の元、「偉そうな人たちが言うことに、疑問を持つことはもってのほか!鵜呑みにして、正しく遂行することが正義!!」という全体意識が全世界で標準化されていきました。

パイナップルを興じる西太平洋方面軍司令官マッカーサー、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、太平洋方面軍司令官チェスター・ニミッツ(1944年)

「ギブ・ミー・チョコ!」や、「アメリカ様は栄養状態が良いから体格が立派だし、戦争にも勝った。」などの話を聞く日本人は、一般庶民に至るまでのアメリカ人の豊かな生活を想像します。実際は、アメリカの庶民さえも配給制で我慢していました。最も栄養を必要とする時期の子供たちまでもが、原型を留めないグッチャグチャの野菜&果物ジュースで我慢していたと思うと考えてしまいます。正しいと信じて疑わぬ、アメリカの愛らしい少年の顔が切なく感じます。

戦時中の社会の雰囲気
戦時中のプロパガンダ 昭和16年(1941年)の町会の張り紙

食べ物すら自由のない社会雰囲気の中、心を豊かにするものはイメージ戦略と同調圧力を駆使しながら、優先的に排除されていきました。巧妙な心理操作により、心の防衛力が弱い人から優先し、気づかれぬまま無意識レベルで浸透していきました。

国家総動員の戦争で自粛を強要される"心を豊かにするもの"
アメリカ化学会事務局長チャールズ・L・パーソンズ博士(1867-1954年)69歳頃 ニュールック姿のディオールのモデルが襲撃を受ける様子(1947年春)©Doubleday In August 1994, Photo Paris Match

日本人だけが殊更権威に弱かったり、同調圧力が強かったりするわけではありません。案外、世界共通です。

アメリカでは参戦直後の1918年1月、パーソンズ博士が主婦向け雑誌の中で「プラチナなくして戦争には勝てない。」と寄稿し、一般国民女性にジュエリーとしてのプラチナの使用を控えるよう呼びかけた実績があります。

戦時中の物資不足で衣服の生地を贅沢に使用できなかった経験から、1947年にクリスチャン・ディオールが発表したニュールック姿のディールのモデルが襲撃されたり、ニュールックを着た女性が服をハサミで切り裂かれるなどの自粛警察的な事件も有名です。

マーケティング業界で女性(Female)はF層と呼ばれ、特に若い女性や主婦層は消費も含め、行動を転がしやすく影響も最大化できる層としてターゲットにされます。無知で鵜呑みにする傾向があり、感情で動き、家庭に財布を握っていて子供への影響も大きいと見做されています。不快に感じる方もいらっしゃると思いますが、この前提で社会は動かされています。あくまでも『群衆』として捉えた時の傾向ですが、明確に傾向は存在します。莫大なエネルギー消費器官である脳は省エネしようとする性質があり、権威や雑誌などを何も考えずに(エネルギーを使わず)鵜呑みにしたいのです。

【参考】成金向けのダイヤモンド・ジュエリー
【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代)
【参考】アールデコ・ダイヤモンド・ブローチ(1930年代)

戦時中は心を豊かにするものが非難され、排除されました。このような社会雰囲気の中、大手を振ってボロ儲けできるのは戦争関連ビジネスだけです。戦後の潤っている成金、イコール戦争でボロ儲けした人たちだけです。日本にも存在しました。「あの人は悪いことをしたからお金持ち。」と言う、一見すると僻みに聞こえるような話も、時代によっては誤りではありません。実際に、人の死をお金に変えて喜んでいた人種が存在しました。これはそのような戦争成金のジュエリーです。人を幸せにするための事業で豊かだった人たちは悉く没落した時代です。

【参考】1930年代の一般的な高級ダイヤモンド・ブローチ

より多く人が死に、不幸となり、土地を穢すことで金が儲かって喜ぶのが戦争成金です。
戦争では、それ以外の人は亡くなるか疲弊します。

狂騒の時代に大金持ちとして狂喜乱舞したのは、戦争中に自粛警察からターゲットにされることもなく大金を儲けた戦争成金です。そのような人種のためのジュエリーは高価でも教養や知性は全く感じられず、人の死と不幸を心底から喜ぶ気持ちと、自己顕示欲だけがひたすら伝わってきます。気持ちの悪さしか感じられないため、私たちは一切お取り扱いしません。類は友を呼ぶ、同調する現代人がこのようなジュエリーを新たに買うわけですが、そのような人とは関わりたくもありません。

【参考】1930年代の一般的な高級ダイヤモンド・ブローチ

それにしても似たり寄ったりのものばかりしかない戦争成金ジュエリーですが、第一次世界大戦後のアメリカはバブル景気に湧いていました。自動車と家電の普及、大量生産と大量消費が始めて浸透していく時代ならではの空前の好景気を迎え、『狂騒の20年代』と呼ばれました。

ホームメイドの草鞋(エルストナー・ヒルトン撮影 1914-1918年)
"Home Made Shoes in Japan (1914-09 by Elstner Hilton" ©A.Davey from Portland, Oregon, EE UU(1 Septemer 1914, 00:00)/Adapted/CC BY 2.0

日本が大量生産・大量消費の時代を本格的に迎えたのは戦後です。モータリゼーションの到来、既成服の一般化は1960年代以降です。自分たちで使うものは、自分たちで作ることも普通でした。誰が使うか分かっており、その人のために真心を込めて作ります。

ほうき・ざるなどの行商、Basket and broom peddler(1890年頃)
【出典】小学館『百年前の日本』モース・コレクション[写真編](2005) p.127

既製品を買う場合でも、現代のようなスーパーマーケットや流通システムは配備されておらず、専門店で専門の職人が作ったものを買うというスタイルでした。お互いに顔が見える関係です。誰が作ったものか分かりますし、必要な際はメンテナスやカスタマイズの相談だって出来ます。お店は、自分たちが作れる分だけを売ります。数はこなせませんし、流行り廃りがあるものでもなく、劣化もしないものであればセールなんて成立しません。

衣料量販店(現代)
 "20140906-0009 SCP Uniqlo" ©Nandaro(6 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 4.0

古い時代も『流行』はありましたが、数年から長いと数十年にも及ぶ長いスパンで起こる、自然で無理のないものでした。現代の作られた『流行』は異常です。

『流行色』は2年前から国際流行色委員会(インターカラー)が決めます。大量生産するために、期間が必要だからです。古い時代の流行色は背景と理由があって決まるものでしたが、現代の流行色はモノを売るためのものでしかありません。セレブや雑誌などのメディアを使ってレッテルを貼り、『流行遅れ』に追い込むことで、絶えず新しいものを買わせるシステムです。誰が買うか分からぬものを、作れるだけ作ります。

日本国内の状況として、年間約29億着が供給される一方、約15億着が売れ残る大量生産・大量消費の構造となっているそうです。2026年8月1日時点で、日本の総人口は約1億2,268万人です。1人に対して毎年24着強を売る生産量です。そんなに要りません。明らかに過剰生産しています。

岡山高島屋での糸紡ぎ体験烏城紬の糸紡ぎ体験(岡山高島屋 2014.8) 継ぎはぎの衣服 "Habito de s francisco" ©Tetraktys(2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

繊維の生産、糸紡ぎ、機織り、染色、縫製、装飾など、全ての工程を想うとセールなんてありえませんし、使うことすらなく廃棄なんて人の心を捨てるのと同じです。

大量生産されたジャガイモ(2008年)

誰が買うか分からない。それでも作れるだけ作って売るのが大量生産・大量消費です。明らかに需要に対して多すぎても関係ありません。売り切れによって販売機会を失うより、売れ残らせて廃棄する方が得と見做す世界です。現代は廃棄前提の構造で社会が回っています。そして多くの人は他人事としてしか見ておらず、その構造を無意識に支持しています。

農薬散布する農村の日常風景(2022年)
 "農村日常(52415479863)" ©迷惘的人生(1 October 2022, 08:06)/Adapted/CC BY-SA 2.0

買う側は生産者の顔を知りません。とにかく安ければ良いです。売る側も、買う人の顔を知りません。お安いことや自分だけ得することを求めてくるような客に対してできることは、コストをなるべくかけずに表面を取り繕うことです。自分にとってどうでも良い人が食べるわけですから、健康云々を慮る必要はありません。見た目を異常に気にするので、取り敢えず農薬を制限ギリギリまで使いまくっておこうとなります。

自分たちが食べる分は農薬をできる限り使わないという農家さんのお話は、耳にされたことがある方もいらっしゃるでしょう。自分さえ良ければ良いという『お安く教』の行き着く先です。時間差で自分に戻ってきます。この類は『今だけ』しか考えることができない傾向もあるので、因果応報ではなく自分だけ突然不幸に遭って可哀想と思考するようです。殆どは改まることがなく、人生の終わりまで繰り返します。

大英帝国(1886年)

大英帝国最盛期『パクス・ブリタニカ』は、世界に先駆けて経験した産業革命によって『世界の工場』として機能したことに依ります。特に1850年頃から1870年頃を指し、海運の強さと植民地を駆使した貿易政策によって圧倒的な経済力を手中にしました。

フォードの組立ライン(アメリカ 1913年)

第一次世界大戦で世界の工場として機能したのがアメリカでした。戦後もモノを作りまくりましたが、過剰生産で需要が追いつかなくなりました。しかし目に見えるようになるには時間差が必要です。

イギリス海峡を泳いで渡った最初の女性ガートルード・エダールのパレード
(NY ブロードウェイ 1926年8月27日)

あるわけのない『永遠の繁栄』を社会全体が疑わず、超楽観ムードによってバブルが発生しました。過剰生産によって実体経済の成長が陰りを見える中でも、株価だけは上昇を続けました。フロリダなどを中心に土地投機も加熱し、資産価格が実態から大きく乖離していきました。

日本でも相場の専門用語として『天井のシグナル』、『相場の天井(ピーク)』などの経験則的な表現があります。知識の浅い一般層や主婦層がこぞって市場に参加し始めた頃が相場のピークで、相場が転換して崩壊する兆しと捉えられています。

PD世界恐慌初期の取り付け騒ぎ時にNYのアメリカ連合銀行に集まった群衆
(1929年、銀行は1931年に閉鎖)

少ない自己資金で株を買える『信用取引(マージン取引)』が横行し、「株を買えばすぐ儲かる」という投機ブームが一般市民層にも巻き起こりました。そして遂にコップの縁が限界に達しました。1929年、『Black Thursday(暗黒の木曜日)』と呼ばれるウォール街大暴落による株式市場の崩壊が起きました。これをきっかけに世界恐慌が始まりました。日本のバブル崩壊が同じ過ぎて切ないです。群衆心理に関して民族性など殆ど差異はなく、大衆は歴史に学ばないということを如実に知らしめている感じです。

PDリード・スムート上院議員(1862-1941年)& ウィリス・チャットマン・ホーリー下院議員(1864-1941年)

フーヴァー政権下、まず対策として打たれたのが『スムート・ホーリー関税法』です。

スムート上院議員とホーリー下院議員によって提案され、1930年6月17日にフーヴァー大統領が署名して成立した関税法です。

大戦中にボロ儲けしたことで、アメリカは債務国から債権国に転換しました。それにも関わらず、ほぼ1920年代は保護貿易政策が採られました。

保護貿易は自由貿易の逆です。やり方は様々ですが、他国からの輸入品に関税をかけて輸入量を抑制したりします。自国産業の国際競争力が十分ではない時、自国産業を育てるために行うのが通常です。競争力が付けば自由貿易に移行するのが紳士的です。

PDラジオを聴く第3代 商務長官時代のハーバート・フーヴァー(1874-1964年)1925年、51歳頃

紳士のプライドなんて糞食らえ、汚いと罵られようともオカネダイスキ商売人、自分たちだけより多く儲けたいアメリカは、債権国になって好景気に湧く中でも保護貿易を続けました。

これは第一次世界大戦でアメリカに債務を負ったヨーロッパ諸国の負担をより深刻にし、復興を妨げました。アメリカが空前の好景気に湧く中、ヨーロッパ諸国の経済的繁栄が始まったのは1924年頃からと言われています。

そのようなアメリカが世界恐慌への対策としたのが、スムート・ホーリー関税法による保護貿易の強化しまくり政策でした。なんだか現代のトランプ政権を彷彿としますね。

2万品目以上の輸入品に関して、関税を記録的な高さに引き上げました。スムート・ホーリー関税法は『1930年関税法』とも呼ばれます。目先のことしか考えていない、酷い悪手です。多くの国がアメリカに対して報復関税をかけました。その結果、アメリカの輸入も輸出も半分以下に落ち込みました。

この酷い政策は世界恐慌を深刻化させることとなり、一部の経済学者や歴史学者はこの関税法自体が世界恐慌を引き起こしたとさえ主張しています。結局は第二次世界大戦の元凶にもなった、最悪の一手でした。

有名なアメリカ人の美術品コレクター
メトロポリタン美術館パトロンのエドワード・C・ムーア(1827-1891年) ボストン美術館理事ウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926年)1896年、46歳頃? アーネスト・フェノロサ(1853-1908年)1890年、37歳頃

さて、国内だけで経済を回して国外に出ていくお金を抑えたかったアメリカですが、美術品やアンティークなど文化的に価値あるものは積極的に増やしていきたい思惑がありました。歴史が浅く文化が育っていない新興国ならではの悩みですね。国外から美術品を買い集め、美術館に寄贈したパトロンたちは文化に貢献したとして高く評価されています。

アレキサンダー大王の古代ギリシャ(ヘレニズム)のアメジスト・インタリオのクラバットピン『アレキサンダー大王』
古代ギリシャ アメジスト・インタリオ
ヘレニズム 紀元前2-紀元前1世紀
¥4,400,000-(税込10%)

このような思惑もあり、アンティークは関税を免除する方針となりました。

ただ、曖昧だったアンティークをどう定義し、審査・判断するかが問題となりました。

分かる人にとっては「見れば分かる。」と言えるほど、明確に違いが分かるものです。

しかしながらそのような方でも、誰でも理解できるよう具体的に言葉で説明するよう要求されたら、難しいと感じるのではないでしょうか。

ハプスブルク家史上屈指の仲の悪さで知られる兄弟
学芸の偉大なパトロンだった兄 兄に激しく嫉妬した弟
アルチンボルドに依頼した公式肖像画『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世』(1590-1591年) 神聖ローマ皇帝マティアス(1557-1619年)

『芸術』や『美』の理解は教養と知識に加え、生まれながらに備わった感覚が必須でした。前者は努力で身につけることが可能ですが、後者は天から与えられているか否かです。神聖ローマ皇帝という身分であっても必ずしも深く理解できるとは限らず、芸術が理解できるかどうかということが、激しい嫉妬の原因となったほどです。政治力なんて二の次でした。

リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール アンティークジュエリー『大切な想い人』
リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール
イギリス 1811-1820年頃(摂政王太子時代)
¥1,200,000-(税込10%)

それほど美術品の理解と正確な判断は難しいことであり、関税のいち審査員の能力を明らかに超えています。

1930年のスムート・ホーリー関税法で、『アンティーク』は便宜的に以下の通り定義されました。
「1830年以前に制作された美術工芸品(1700年以降の敷物やカーペットを除く)、芸術性の高い絵画コレクション、ブロンズ、大理石、テラコッタ、陶磁器、芸術あるいは学術的に価値のある美術装飾品・調度品」

敷物やカーペットは1700年以降のものは除くという部分に引っ掛かりを感じた方は、良い着眼点です♪

各項目について、大量生産が始まった年代に基づき年代が定義されました。
敷物やカーペットは他の物より早く大量生産が始まり、1700年以降のものは文化的・学術的な稀少価値があると言えない場合が多いと判断された結果です。

【参考】鋳造(キャスト法)による大量生産の安物

大量生産された工業製品に美術品としての価値も、稀少価値もありません。百貨店で売春婦に売るために量産されたココット・ジュエリーも本来アンティークとしての価値はありませんが、数字だけが一人歩きしています。

1930年のスムート・ホーリー関税法で1830年以前とされていたアンティークの定義ですが、1934年の改正により『100年以上前に制作されたもの』に拡大しました。この定義は1995年に設立されたWTO(世界貿易機関)にも引き継がれ、現在に至ります。

【参考】カルティエの量産リング(2000年前後)
アクアマリン ピンクトルマリン

このようなものも22世紀にはアンティークと呼ばれる可能性がありますが、あくまでも税金のために定義された数字上に過ぎません。そのような判断しかできない人は、『美術品の理解ができない頭デッカチ』を自ら名乗っているようなものです。ディーラーがそれをするようであれば完璧に無能ですし、道具(関税と定義)すら無知もしくは理解できていないと言えます。量産品は作りがチャチなので、現代の職人や技術でも作ることができます。骨董としての価値、美術品としての価値があるわけがありません。

【参考】様々な色に調整された合成コランダム(現代)

"宝石"そのものも処理石や合成石だったり、稀少価値がないもので溢れかえっています。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

本物の価値あるアンティークジュエリーは数が少なく、心を動かすほど美しく、美術品としての稀少価値があります。

手に入れるのはとても難しいですし、文章などで論理的に説明しようとすると膨大な情報量となります。

「見れば分かる。」と言いたい所ですが、古の王侯貴族も教養や知識と感覚を併用しながら理解していましたから、深い理解にはやはり両方が必要と言えます。

1-1-2. 『使うための優雅な小物』を扱うことへの特別な誇り

ロンドンで現代の照明器具店を視察する29歳の片桐元一現代の照明器具店を視察するGen(29歳)

 若き日のGenは貿易関係の仕事をしたいと思いつつ、具体的に何を扱うかはイメージがありませんでした。

初めてのヨーロッパ視察旅行では様々なジャンルのお店を見て回りましたが、米沢藩の城下町で骨董屋の3代目として生まれ育ち、江戸時代の名品も身近だったGenは、「やっぱりヨーロッパでも古いものほど作りが良い!」と感じたそうです。

但しジュエリーをメインに扱うようになったのはたまたまでした。

アンティークジュエリーのパイオニア片桐元一が初めてヨーロッパで買付けたスクリム・ショウ『僕の最初の海外買い付けの宝物!!』

ジュエリー文化が発展してこなかった日本に於いて、1970年代は高度経済成長によってようやく日本の一般庶民がジュエリーも買えるようになり、カルティエが1974年に日本で初めてブティックをオープンした時期です。誰もよく理解できていないまま進んで来たため、今だにアクセサリーとジュエリーの違いが分からない人の方が圧倒的多数です。

1977年、50年ほど前の初めてのヨーロッパで『スクリムショウ』も買い付けています。コレクター・アイテムとして高騰しており、今では手に入らない稀少アイテムです。1つは裏側に「Alice 1868」と彫刻されており、捕鯨船の上で長く会えない、愛する女性を想いながら描いていたことが伺えます。ロマンティックで、とってもGenらしい素敵な宝物ですよね♪

ベルビー赤坂のアトリエ片桐の店舗『Atelier Katagiri』店内の様子(ベルビー赤坂 1980年代)

最終的にはアンティークジュエリーがメインとなりましたが、ジュエリー自体を殆どの日本人がよく分かっていなかった時代、小物なども積極的にお取り扱いしていたそうです。

『スワン』
ロッククリスタルの傘の柄
ファベルジェ 1890〜1900年頃
SOLD

真似してアンティークジュエリーを扱う店はあっても、上質な小物まで扱うのは僕だけだとGenは誇りを持って語ります。

1848年のフランス二月革命(19世紀)カルナバル美術館

チャールズ・ルイス・ティファニーが25歳頃、1837年に創業したティファニー社も最初は高級な文房具や装飾品などを扱う、主に紳士のためのお店として始まりました。ジュエリー市場への参入は1848年、36歳頃に発生したフランス二月革命が契機です。フランス貴族から高級ジュエリー類を多く買い付け、宝飾事業に進出して成功を収めました。

ティファニーの店舗(マンハッタン 1887年)

現代の『ティファニー』は創業者時代のティファニーは全く異なります。創業者の息子ルイスは芸術家としての類い稀な才能を生かすため、経営は継がず芸術家としての仕事に注力しました。創業者一族の手から離れ、精神も失われ、ネームブランドで金儲けする企業と化した名前だけのティファニーが、日本人の知る『ティファニー』です。アクセサリーとの違いが分からぬチャチなジュエリーで暴利を稼ぐ店ではなく、これこそが創業者時代のティファニー店舗です。

イギリスの有力政治家ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年) 【1889年パリ万博金賞】『蘭のブローチ』(ティファニー、ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン) 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.

ジュエリーに関しても当時は紳士の重要アイテムでした。財力、教養、センス、美意識、身分などあらゆるステータスを象徴する、仕事用の超重要アイテムです。だから当たり前のようにお金をかけます。

店に立つチャールズ・ルイス・ティファニー(1887年)

ヨーロッパ上流階級の中でも特に紳士に認められるため、紳士が全力を尽くしたのが本来のティファニー社です。従業員の身なりも相応しく整え、最高の接客ができるよう教養やマナーも徹底して身につけさせたはずです。そこに贅沢な小物は欠かせません。

ティファニー帝国の立役者である天才デザイナー
ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年)1900年、41歳頃 1889年パリ万博 金賞 1900年パリ万博 グランプリ
『蘭のブローチ』
【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.
『アイリス』"Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/CC BY-SA 3.0

勘違いする現代人も多いですが、『蘭のブローチ』はメンズ・ジュエリーのデザインです。パリ万博で最高賞グランプリを受賞した『アイリス』も、高さ24.1cm、幅6.9cmある等身大を意識したオブジェです。

" Tiffany and Company Iris Corsage Ornament Walters 57939 Detail croped " ©Walters Art Museum, Br'er Rabbit(14 July 2012, 09:38)/Adapted/CC BY-SA 3.0

『アイリス』の詳細は以前ご紹介した通りです。

万国博覧会の最高賞グランプリを目指すべく、ティファニー社が総力を上げて創造したコンテスト・ジュエリーです。

モンタナサファイア、ダイヤモンド、デマントイドガーネット、トパーズ、ブルースチール、ゴールド、プラチナを使ってアイリスを表現しています。

当時最先端、かつ最上質の宝石をお金に糸目をつけることなく、最高の美を具現化するために必要なだけ使用しています。

これが当たり前の意識だったのが、古のヨーロッパ上流階級でした。

最も贅沢と言える優雅な小物
モスアゲート(苔メノウ) アンティーク デンドライトアゲート ヘソナイトガーネット 壁掛 プレート アート『大自然のアート』
デンドライトアゲート&ヘソナイト・ガーネット 装飾プレート
イギリス 19世紀後期
¥387,000-(税込10%)
アゲートを彫刻したワイヤーヘヤード・フォックステリア『ワイヤーヘヤード・フォックステリア』
アゲートのオブジェ
ロシア? 1900〜1910年頃
SOLD

これらは王族や、それに準ずる高位貴族のために制作された優雅な小物です。古のヨーロッパ社交界ではTPOが厳密に存在しました。デイ用、ナイト用に加え、各種社交シーンに合わせて一通りのアイテムを揃える必要がありました。とても一代で全てを最上質で揃えるなんて不可能で、代々続く家が特別視されるのは財力とそれに基づく財産的な意味もあるのです。

使うための優雅な小物を重視したパイオニアの紳士
ティファニー創業者 アンティークジュエリー先駆者
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) ヨーロッパの片桐元一某ヨーロッパの路地にて60歳頃のGen

Genもこの仕事をライフワークとして愛し、チャールズ・ルイス・ティファニーも純粋に仕事を愛し、全ての情熱を注ぎ込みました。お金儲けではなく、誇りを持てる仕事として楽しそうに仕事をする二人が、上流階級のための優雅な小物を特別視していることが印象的です。

1-1-3. 優雅な小物が示す莫大な財力

 自分の知識や経験した範囲でしか想像できない人の方が圧倒的に多いです。それを自覚できていれば良いですが、自覚せぬまま「自分は世の中の全てを分かっている。」と思い込む人もいるようです。同等スペックの人間ばかりを寄せ集める現代社会のシステムは、人間の想像の幅を狭めます。幼稚園や学校では同じ年齢を寄せ集め、たかが1年にも満たない生まれの違いで上か下かの『団栗の背比べ』です。『井の中の蛙大海を知らず』です。

CC0ホウカム・ホールのメインホール
(レスター伯爵トマス・クックのオーダー 建築18世紀)

どれだけ人数を集めても、同じスペックばかりでは大した差がありません。一般的な日本人が想像する『お金持ち』や『大地主』、『貴族』は実際よりかなりショボイ印象です。2024年時点で世界に2,781人存在するビリオネアは資産10億ドル(日本円で1,542億円相当、2025年10月時点)以上です。たかが1億円や10億程度でお金持ちみたいに騒ぐのは滑稽ですし、使えばすぐなくなります。資産に加えて毎年莫大な収入があってこそ、気にすることなく好きなだけお金を使えます。

サザーランド伯爵(1963年にサザーランド公爵から分離)の邸宅ダンロビン城
 "Dunrobin Castle -Sutherland -Scotland-26May2008(2)" ©jack_spellingbacon, Snowmanradio(30 November 2009, 15:38)/Adapted/CC BY 2.0

『大地主』とも表現されるイギリスの爵位貴族の所領は、広い場合は県レベルの広さがありました。大名と同様、所領の君主として『小国の王』と言える存在でした。市や県レベルの土地を所有する人は、現代の日本にはいません。発想すべきスケールが違います。このような邸宅も単体で見ると大したことなく感じられるかもしれませんが、普通の3階建てをイメージしてはいけません。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの彫像ギャラリー

貴族の邸宅は巨人仕様のサイズで造られています。人と比較すると明らかです。掃除だけでも大変です。家族だけで維持するのは無理ですし、数名程度のスタッフでもとても追いつきません。これは格調高い彫像ギャラリーだから特別なのではと思う方もいらっしゃるかもしれません。

Darerotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのサウス・スケッチ・ギャラリー

しかし建物の高さ自体が巨人サイズ仕様なので、全ての部屋の天井が高いです。キャビネットも部屋の高さに合わせてあります。背の高い人でも、上方に飾ったものは鑑賞できません。お掃除は高い脚立が必須ですね。高所恐怖症だと、ハウスメイドは仕事にならなそうです。

デヴォンシャー公爵キャヴェンディッシュ家のカントリー・ハウス
『チャッツワース・ハウス』(18世紀後期)

デヴォンシャー公爵のカントリーハウス『チャッツワース・ハウス』でもご紹介した通り、貴族の邸宅は用途に合わせて様々な専用部屋があります。同じ公爵家であるラトランド公爵のビーヴァー城の数字を見ると、スチュワード(執政、宮宰、家宰、家令に相当)2,421名、その他1万1,312名で運営しています。高度人材(専門スタッフ)と言えるスチュワードだけでも、小さな町の人口規模があります。所領の地元住民の雇用を創出し、地元発の文化や産業を創出して内外にPRし、経済を回す中心的な役割もになっていたのが小国の王たる『貴族』という存在でした。

文化貢献度の高いジョージアンの王侯貴族
プリンス・オブ・ウェールズ時代のジョージ4世(1762-1830年)18〜20歳頃、1780〜1782年 第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1790-1858年)1824年、34歳頃

高度人材を専属スタッフとして2,000人以上雇い、関連まで含めると1万人以上を1つの邸宅で雇っているのが高位貴族です。カントリーハウスは複数あり、それ以外にロンドンの拠点としてタウンハウス、その他にも別荘があるのも普通です。それぞれに専門スタッフが必要ですから、その規模は現代のお金持ちとは比較になりません。家政婦が数名程度で凄いと思い込むような、現代の庶民感覚で想像しては頓珍漢にしかならぬ世界なのです。

ちなみに英国王ジョージ4世の戴冠式でレガリアのオーブを携えた廷臣であり、親友だった第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュは21歳で公爵位を継承し、邸宅は8軒相続しています。

チャッツワース(ヤン・シベレヒト 1703年)

邸宅の維持、庭園の手入れ、地産地消が通常ですから温室や菜園の管理、家畜などの世話などそれぞれに専門スタッフは必須です。1つの邸宅に専門スタッフが2,000人以上というのは、決して多すぎることはなかったのです。

デヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスのステート・ベッドルーム
 "Chatsworth bedroom" ©Martin Hartland from UK(16 June 2007, 10:46)/Adapted/CC BY 2.0

日本もそうですが、王侯貴族は閥族で形成されます。爵位による肩書きの違いはあっても、親戚関係にある身内同士という印象なので、通常の『親友』や『友達』以上の感覚を持てる間柄だったりします。邸宅に国賓クラスを招く機会も当たり前にありましたから、相応しい設備も整っています。これはまさに君主など国賓クラスが滞在するための部屋です。

ロスチャイルドの邸宅ワデスドン・マナー『赤の応接室』
"Red Drawing Room at Waddesdin Manor" ©National Trust, Waddesdon Manor / John Bigelow Taylor(6 July 2007)/Adapted/CC BY-SA 4.0

自身が住まうだけでなく、邸宅には王侯貴族をもてなす機能もありましたから、装飾にも贅が尽くしてあります。

現代の『美術館』は大衆向けの施設です。ゾロゾロと皆で遠くから、ガラス越しで眺めるだけです。

これはロスチャイルドの邸宅『ワデスドンマナー』のドローイング・ルーム(応接室)の1つです。

談話やアフタヌーンティーなどを楽しむ重要な社交場であり、設えはプライベート美術館そのものです。

ロスチャイルドの邸宅『ワデスドンマナー』の装飾
ロスチャイルドの城に展示された1600年頃のリモージュの宗教画『受胎告知』(リモージュ 1600年頃) ロスチャイルド フランス 宝石のパイナップル ガーネット 翡翠 WADDESDON MANOR『宝石のパイナップル』(フランス 18世紀中期)

初のロンドン渡航でワデスドンマナーを訪れた際、どの部屋も美術館級の調度品で彩られていたことに感銘を受けました。このような中で日常を過ごせば、下手なものには全く心は動かなくなるでしょう。王侯貴族はミュージアムピースを手元で好きなだけ眺め、訪れた人は持ち主に由来などを尋ねたり、時には議論して楽しみます。

私が初めて手に入れたアンティークジュエリー
白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)とカンティーユのピアス(アンティークジュエリー)ピエトラドュラ ピアス
イタリア 1830〜1840年
HERITAGEコレクション
白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)のアンティーク・バングルピエトラドュラ バングル
イタリア 1860年頃
HERITAGEコレクション

美術館で見る『個人蔵』を常日頃から羨ましく思い、強い憧れを持っていました。現代に於いてそのような物を所有するには、代々家に伝わるものを受け継ぐ以外にないだろうと諦めていました。偶然Genのルネサンスと見つけ、ミュージアムピースが私のような普通のサラリーマンでも手が届く価格で販売されていることに驚きました。給料からするともちろん高価ですが、その価値からするとあり得ないほど安いと感じ、この幸運を迷うことなく掴みました。

「この宝物を毎晩お酒を呑みながら、手元で好きなだけ眺めたら楽しいだろうなぁ♪プライベート美術館が実現できる♪♪」と、ワクワクした記憶は今でも鮮明なままです。なぜか導かれるように今ではこの仕事をしています。まさに運命の宝物です♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

この後にGenから購入したのが香水瓶でした。

カタログ掲載前だったので、ルネサンスHPにはありません。そのうち気が向いたら、画像を撮影してご紹介いたします。

高価格帯のピエトラデュラ自体が、現代も含めジュエリーを初めて買う若い女性としてあり得ない選択とのGenの所感でしたが、その次の宝物が『使うための優雅な小物』で、カタログによる説明も全く必要とせず実物を見ただけで即決でした。

Genもまさか私が即、買うと判断すると思っていなかったらしく、「えぇっ?!」と驚いていました。ちなみにこのような身につけるタイプではありません。持ち運びは可能なサイズですが、飾って楽しむと言うより引き出しやバッグに入れておき、使う時に優雅な気持ちになれる感じです。普通の女性は自分が身につけるものには大金を出せても、眺めたりするだけのものにはお金を出せない人が殆どとのことで、Genは驚いたようです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

分からなくもないような・・。

幼少期からしょっちゅう、色々な人から様々なシーンで変わっていると言われ続けてきましたが、私自身は「私は完璧に普通である。」と確信しています(笑)

身につけられないものでも優雅な小物は大好きですが、これは宝石と貴金属で創られた、身につけられるジュエリーでもあるので最高ですね!♪

香水瓶は特別な思い入れがあるアイテムの1つです♪

『ワデスドンマナー』の使うための優雅な小物
アールデコ クリスタル&ダイヤモンド ブローチロッククリスタルのゴブレット(ドイツ 17世紀) ロスチャイルド 手帳 メモ帳 ワデズドン モスアゲート デンドライトアゲート舞踏会の手帳(イギリス 1760年頃)
ロスチャイルド 裁縫箱 マザーオブパール ゴールドマザーオブパールやゴールドの裁縫箱(ドイツ 1740-1760年)

ワデスドンマナーは飾るだけの美術品のみんらず、使うための小物も贅沢なもので溢れていました。

素材も技法もジュエリーと何ら変わりありません。ジュエリー以上に豪華と言っても良いほどです。

Daderotデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウスの音楽室

贅を尽くした優雅な小物を必要とするのは、よほどの財力と地位のある高位貴族のみです。分散して多くの上流階級が持っていたのではなく、高位貴族が集中して所有していました。


ロスチャイルドの邸宅ワデスドン・マナー『グレーの応接室』
"Grey Drawind Room at Waddesdon Manor" ©National Trust, Waddesdon Manor / Jphn Bigelow Taylor/Adapted/CC BY-SA 4.0

TPOを厳守するための一通りの高級な衣服とジュエリーを一通り所有した上で、ようやく手が出せるのが優雅な小物です。俄か成金などそこそこのジュエリーを手に入れるだけで手一杯で、並の上流階級では小物にまで贅を尽くすのは不可能です。

王侯貴族の邸宅用オブジェ
モスアゲート(苔メノウ) アンティーク デンドライトアゲート ヘソナイトガーネット 壁掛 プレート アート『大自然のアート』
デンドライト・アゲート&ヘソナイト・ガーネット 壁掛
イギリス 19世紀後期
¥387,000-(税込10%)
モネの絵にインスピレーションを受けた、1930年代アールデコの水着姿のパラソルを持つ女性のボヘミアン・グラスの花瓶 『パラソルを持つ女』
ボヘミアン・イングレイヴィング・グラス
チェコ 1930年代初期
¥713,000-(税込10%)

左の壁掛けは、ハイジュエリーに使用するレベルのヘソナイト・ガーネットで額縁をデザインする贅沢さです。右の花瓶は、通常は銅で赤い色を出しますが、ゴールド(金コロイド)を使って鮮やかなルビー・レッドの色彩を実現しています。銅だと赤黒い色しか出せません。金コロイドで深い赤の色彩を出すには高度な職人技が必要で、現代の職人ではもっと薄い色を出すのがせいぜいです。

ちなみに花瓶は初のロンドン渡航で買い付けてきました。「え!?持って帰るの?じゃあ厳重に包むね。」と、イギリス人ディーラーから驚かれました。こんなに良い宝物を買い付けるチャンスは逃したら二度目はないので、重かろうと初めてのロンドンだろうとディーラーとしては初心者だろうと逃すわけがありません!(笑)

創業者一族の時代のティファニー製品
ジャパネスクの銀器(エドワード・C・ムーア 1878年)" Edward c. moore per tiffany & co., brocca in argento, oro e rame, new york 1878 " ©Sailko/CC BY-SA 3.0 お花のグラス・アート(息子ルイス・カムフォート・ティファニー 1900-1902年)

ヨーロッパ王侯貴族に認められようと尽力した創業者チャールズ・ルイス・ティファニーが、高級小物に力を入れた理由はご想像いただけると思います。 並の上流階級ではなく、高位貴族の紳士が本命のターゲット層です。彼らが最も重視し、評価対象となるのが使うための優雅な小物でした。美意識とセンス、財力、ステータスを象徴するアイテムであり、自己満足のみならず重要なビジネス・ツールのためのものでもありました。

芸術家として最高の評価を受けた創業者の息子ルイスの作品
『睡蓮』(1913年)メトロポリタン美術館
ステンドグラス『マグノリスとアイリス』(ルイス・カムフォート・ティファニー 1908年)

理解するには芸術分野に於ける教養や知識に加え、素材や技法にまで深い造形が要求されます。創業者の息子ルイス・カムフォート・ティファニーがパリ万博でグランプリを受賞した際も、単なるデザインの美しさのみならず、17世紀頃に失われていた技法を見事に復活させたことが高く評価されています。

ティファニー創業者時代のオブジェ
『睡蓮の葉とワイルド・キャロット』(1895-1898年)メトロポリタン美術館 【パリ万博グランプリ】『アイリス』(1900年)
"Tiffany and Company - Iris Corsage Ornament - Walters 57939" ©Walters Art Museum/CC BY-SA 3.0
『カエル』(ティファニー社 1900年)パリ万博出展

創業者時代のティファニー製品からは、成金マダムを煽ててボロい商売をしようという意識は微塵も感じられません。これこそが古の王侯貴族から高く評価されたティファニーのイメージです。

シルバー・トレイ(ティファニー 1879年)メトロポリタン美術館

高級な小物がどれだけ重要か、大金を出せるほど理解できる人はごく少数です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

分かる人は、誰から教わらなくても理解できます。

創業者チャールズ・ルイス・ティファニー、アンティークジュエリーのパイオニアGen、そして私も当たり前のようにごく自然に『使うための優雅な小物』に惹かれ、導かれてこの特別な仕事を『天職』として生きています。

並の貴族ではオーダーできず、制作数自体がハイジュエリーよりさらに絞られるため、高級な小物はご紹介できる機会が本当に少ないです。

美意識が高い高位貴族のために制作された宝物であることは確実であり、あればいくつでもご紹介したいくらいです。お取り扱いできる光栄に感謝すると共に、誇りを持ってご紹介しています♪

1-2. 滅多にないゴールド製の香水瓶ペンダント

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 この宝物は15ctゴールドを贅沢に使用した香水瓶です。

日本より遥かに香水文化が豊かなヨーロッパでは、香水瓶も多く作られています。

しかし、このように全てを金位の高いゴールドで制作した香水瓶は、これまでの約50年間で数える程度しかないほど珍しいものです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
←↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

1-2-1. ヨーロッパ上流階級だけのものだった香りの文化

 香りは文化に根付いています。2026年9月現在、世界最古の香水職人の記録として、タプティと言う女性化学者が古代メソポタミア、アッシリアの首都アッシュルの王宮で働いていました。

女性香水師が重用されたトゥクルティ・ニヌルタ1世の宮廷
アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世(在位:紀元前1244-紀元前1208年)立像と坐像
"Detail. Assyrian king Tukulti-Ninurta I stands and kneels, 13th century BCE. From Assur, Iraq. Pergamon Museum" ©Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg)(20 July 2019, 16:12:31)/Adapted/CC BY 4.0
Gary Toddトゥクルティ・ニヌルタ1世が女神ディヌトゥの神殿を再建した様子を記述する粘土版

アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世の治世下で活躍し、女性調香師の長を務め、王宮の監督官でもあったそうです。花や植物、油、没薬(ミルラ)、樹皮など各種原料を使いこなし、水や溶剤を用いて何度も蒸留と濾過を繰り返す本格的なものでした。

高度な知識を必要とし、生産には膨大な手間と時間もかかります。膨大な量の原材料を集め、抽出できるのはほんの僅かな量です。専門の設備にも費用が要りますし、蒸留には膨大な燃料費もかかります。今でこそスイッチ1つ、コンロの取手を回すだけで気軽に熱や火を使えますが、燃料を自由に使えるのも特殊なことでした。

百合の香水の製造(エジプト第4王朝 紀元前2500年頃)ルーブル美術館
政治と祭祀。どちらも『まつりごと』と呼ぶように、古今東西で『政祭一致』は通常でした。君主が祭祀長を兼ねたり、君主と祭祀長が表裏一体の関係性だったり、形は違えど本質は同じです。嗅覚は五感の中で唯一、理性を司る大脳新皮質をバイパスし、感情や本能を司る大脳辺縁系に直接伝達される感覚です。日本酒や葡萄酒(ワイン)など酔っ払う系も重要ですが、『香り』は儀式的にも重要な意味があり、高位の貴族社会の中で特別な地位にありました。
王侯貴族にとって特別な存在だった香水瓶
猿の香水瓶(エジプト第18王朝 紀元前1550-紀元前1295年頃)メトロポリタン美術館 彩色ガラスの香水瓶(古代エジプト 紀元前664-紀元前630年頃)メトロポリタン美術館 Jebulonアスリートの香水瓶(古代ギリシャ 紀元前540年頃)古代アゴラ美術館 モザイク・アラバストロンの香水瓶(ヘレニズム後期 紀元前1世紀)メトロポリタン美術館

膨大な原材料、膨大な手間。門外不出の秘伝の叡智によって抽出された1滴1滴が、まるで宝石のように集められ、相応しい香水瓶の中に納められました。特別な香りは高貴の証でした。世界各地で文化として発展し、廃れることなく脈々と伝わってきました。

『ポプリ』(ジョン・エヴァレット・ミレイ 1856年)

香りのある文化として、ヨーロッパでは様々な様式が発達しました。

ポプリもその1つです。ポマンダーがあったり、エッセンシャルオイルがあったり、香水はパルファン、オードパルファン、オードトワレ、オーデコロン、オーデサントゥール、練り香水など濃度による分類も細かいです。

使用する材料や調合まで合わせると、無限の世界ですね。

これは子供たちがバラの花びらをほぐす様子です。『汚れても良い服』ではなく、ジュエリーまで着用したエレガントな装いです。

技術の発展によって生活水準や文化・知識が共通する部分があるので紛らわしく、勘違いの元にもなっていますが、古の上級階級と、現代の庶民は意識や常識が全く異なります。子供でも高価なジュエリーを身につけます。日常で宝石ジャラジャラの正装用のジュエリーやティアラは着けませんが、日常用のジュエリーは着用します。絶えず姿勢を正した振る舞い、高価なジュエリーに振り回されず使いこなす、ごく自然な雰囲気と所作が身体の一部として身につきます。日常の全てに至るまで美しいとは、まさにこのことですね。絵画のために少しおすましした子供たちの楽しそうな雰囲気と共に、花の薫りまで漂ってくるようです♪

1-2-2. バラの育種ブームが起きた19世紀後半

ナポレオン・ボナパルト(1769-1821年)

 以前ご紹介した通り、フランス皇后ジョゼフィーヌは『バラの母』として知られます。

ナポレオンはフランスだけにとどまるような、小さな発想の人物ではありませんでした。

かつての超大帝国であるローマ帝国に憧れ、復活させたいという野望を持っていました。

これはナポレオンが、イタリアのトスカーナ州に起源を持つ古い血統貴族であることから読み解けます。ローマ帝国は古代エトルリア人によって建国されたとされ、王政ローマ時代はエトルリア系の王が複数いましたし、ローマ貴族がエトルリア語を学んでいたことからも紐解けます。

そのうち機会があればご紹介します。

マルメゾン城
"Chateaudemalmaison" ©Pedro Faber(14 July 2017)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ヨーロッパ王侯貴族は夫が政治や外交を担当する一方で、妻は文化面での貢献が重要な役割の1つでした。君主の妻であれば、その視座は国家や世界規模です。

フランス皇后ジョゼフィーヌは土地が荒れ、大規模な修繕も必要とするマルメゾン城を敢えて選び、『ヨーロッパで最も美しく興味深い庭園、良き洗練のモデル』とすべく精力を注ぎました。「マルメゾンが近い将来、全フランスの豊かさの源となることを願っています。」とも書いています。ローマ帝国も古代世界の規模で言えば、『全世界帝国』のようなものでした、『全フランス』も、イコール世界と受け取るのが適切でしょう。

結婚前のナポレオンとジョゼフィーヌ

婚約指輪のエピソードからも想像できる通り、ナポレオンはロマンティックかつ愛する妻のためならば何でもやってあげたい男性でした。

お抱えの建築家にマルメゾンを当時で言う最先端の現代風に大改修させ、バラを始めとしたあらゆる種類の植物を、戦争で押収した船に積み込んでマルメゾン城へ送るよう指揮官たちに命じました。

1814年には庭園のバラは250品種に達し、ジョゼフィーヌのこのバラ園から新品種の自然変異や人工交配による育種が始まりました。ジョゼフィーヌが『バラの母』と呼ばれる所以です。

バラのパトロンとしてのジョゼフィーヌの功績
お抱え画家/植物学者ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759-1840年)と画集

ジョゼフィーヌは学芸のパトロンとして、お抱えの植物学者/画家ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテに植物図譜の作成も依頼しています。その中でも、マルメゾン城のバラを含む169種の薔薇が精密に描かれた『バラ図譜』(全三巻、出版 1817-1824年)は最高傑作とされ、芸術的価値のみならず植物学上でも重要な資料として評価されています。

コンサバトリーの女性たち(19世紀)

植物を美しく咲かせたり実らせたり、上手にお世話するのは貴婦人のたしなみの1つです。専門書となる上質な図譜は重要です。知識を学んだり、上手なスケッチ方法を学ぶこともできます。実際に日々の作業を担当するお抱え庭師や園芸家のみならず、上流階級にとっても植物学の教養は重要でした。

マルメゾン城の庭園に腰掛けるジョゼフィーヌ(1763-1814年)

ジョゼフィーヌの元には優秀な人々が集まっていたようで、お抱え庭師アンドレ・デュポンは人為交配(人工受粉)による育種技術を確立しました。

その技術を使い、ジョゼフィーヌのために25品種を創作しました。

閃いたからといって、植物が相手なのですぐに結果が出るわけではありません。25品種も作出するなんて凄いですね。

ジョゼフィーヌの死後も引き続きマルメゾン城のバラ園では原種の蒐集や品種改良が行われ、死後30年で1,000品種以上が作出されました。

ジョゼフィーヌに因み命名されたバラ
皇后ジョゼフィーヌ
(作出1815年以前) ©SA. Barra/CC BY-SA 3.0
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
(作出1823年) ©Salicyna /CC BY-SA 4.0
スヴニール・ドゥ・ラ・マルメゾン (作出1843年) ©Nadiatalent /CC BY-SA 4.0

追随者は途切れず、19世紀半ばには3,000品種を超えるまでになりました。これが現代の薔薇の基礎となっています。世界各地の上流階級がバラの魅力の虜となり、育成や品種改良ブームが起き、ジョゼフィーヌの死後100年にも満たぬ1910年には約8,000品種を超えています。バラの偉大なパトロンとして、ジョゼフィーヌに因んで命名されたバラも複数存在します。

育種家 ジョセフ・ペルネ=デュシェ(1859-1928年)66歳頃、1925年 マダム・キャロライン・テストゥ(ジョセフ・ペルネ=デュシェ 1890年発表)"Rosa 'Mme Caroline Testout" ©A. Barra(May 1988)/Adapted/CC BY-SA 3.0

バラの魅力は多様な要素が組み合わさって形成されます。花びらの数や捲き方も多様ですし、色彩、棘、枝や蔓、さらに薫りの強さや種類もあります。それぞれの貴婦人の個性を例えるにもバッチリです。生きている植物だからこそ、すぐには結果が出ませんし、長い年月を要する地道な道のりです。パトロンとなる上流階級の介在は不可欠ですが、それに見合うだけの魅力がありました。美しいものが好きで、知的探究心も強い上流階級がこぞって画期的な薔薇を求め、切磋琢磨しました。その情熱と努力の結晶たる一輪のバラを、麗しい貴婦人に捧げる瞬間はどれほどの悦びの瞬間だったでしょうね♪

1-2-3. バラと香りの文化と貴婦人の社交

 成金を頂く『大衆の時代』となって久しいです。『文化』と呼ばれるものは存在しますが、古の上流階級が創り出したものを消費しているに過ぎません。目的や心など、核となる部分を理解せぬまま表面的になぞっているだけなので、時代が降るほどに劣化する一方です。新しく生み出された、普遍性を持つ文化などあるでしょうか。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

カネは成金の神です。拝金主義であり、オカネ様が拝むべき神さまです。

成金セレブに憧れを抱く一般庶民層も同様です。何でもカネで済まそうとします。既製品を買って終わりです。

この宝物が作られた時代は、上流階級の間でバラの育種ブームが白熱していました。

早朝のバラ園でのバラ摘み秘密のバラ園での早朝のバラ摘み(2026.6.11)

多くの上流階級がバラ園を所有し、好きな品種を育てたり、自分だけの品種を創出するために情熱を注いでいました。フォト日記でご紹介していますが、これはとある貴婦人が所有するバラ園で、早朝のバラ摘みを体験させていただいた様子です。お花の中でも人気が高いため、公開施設としてのバラ園は全国各地に存在しますが、このようなバラ園はそもそもが知られざる存在です。

朝露に濡れた早朝のウィリアム・シェイクスピアのバラ 朝露に濡れた早朝のウィリアム・シェイクスピアのバラ

高い山々に囲まれ、冬は根雪となる豪雪地帯はGenの故郷米沢も彷彿とさせます。そのような地形だからこそ、早朝は朝霧に包まれることもあります。バラが開花して最も芳しくなる早朝、朝露に濡れた美しい姿をご覧になって欲しいとのことで、早朝にご案内いただきました。公共施設では絶対に無理な体験ですし、買ってきて終わり、カネで解決、「顔の見えない生産者と消費者の関係で満足。」という『成金系』ではできぬ経験です。

早朝のバラ園でのバラ摘み

カネと肩書きという虚飾しか持たない、心と知識の貧しい成金セレブを見て、古の上流階級をイメージするのは完全に間違っています。美しいものを愛し、生産者を愛し、豊かな自然を愛し愛されてきたからこそ生み出させたもの、それが心豊かな『文化』です。ヴェルサイユ宮殿を創った太陽王ルイ14世は食にもこだわり、敷地に造った『王の菜園』にしょっちゅう通っていました。バラ園を所有するほどバラを愛した上流階級も、庭師に丸投げで咲いた時だけ見に行くなんてことはあり得ません。好きな種類のバラを植えたり、苗木からすくすくと育ち、小さな蕾から開花するまでを愛情をもって見守ります。優しい風が通り抜け、鳥や小さな虫たちも循環する世界を感じさせてくれます。

ダマスク・ローズのフラワー・バスケットバラの女王『ダマスクローズ』 ウィリアム・シェイクスピアのバラのフラワー・バスケット『ウィリアム・シェイクスピア』

咲いたばかりの最も芳しくフレッシュな香りを、早朝の清浄な空気と共に思いっきり吸い込みながら、一輪一輪を丁寧に詰んでいきます。『無』になって、効率重視でひたすら日々の労働のように作業する気には全くなれません。愛されながら、それに応えようと懸命に育ってきたバラたちを、愛をもって扱います。ちなみに秘密のバラ園は季節ごとに様々なバラが咲くよう品種が集められており、バラの女王と名高いダマスクローズはもちろん、ウィリアム・シェイクスピアもダマスク系やオールドローズ系の強い香りで評価の高い品種です。

『ポプリを作る女性』(ハーバート・ジェームズ・ドレイパー 1897年) 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント1890〜1900年頃

今回の宝物が制作された時代はバラの栽培・育種ブームが起きており、必然の流れとして、同時にバラにまつわる様々な楽しみ方が社交界で流行しています。バラを題材にした絵画が制作されているのも、その現れの1つです。バラそのものだけでなく、貴婦人がバラを扱う姿も美しいものです。ぞんざいに扱っていては興醒めで、手元の美しい所作や、バラの空間に相応しい装いも必須です。この絵画も見事な表現ですね。バラの色彩を惹き立てる漆黒のドレス、通常の絵画にはない女性のアングルと奥側の配置、女性らしさを強く感じる白いうなじと可憐な手つき。画家が目の当たりにしたハッとする光景を、そのまま絵画にした感じです。

ザルに並べた優しいピンクのバラ ザルにときほぐした優しいピンクのバラ

先の子供たちの絵画も、女性の絵画もバラの花を解きほぐす様子が描かれていました。この作業も、とっても愉しいのです!♪簡単にほぐれるのは椿などでも似た感触を味わえますが、香りのあるバラは空間全体が香気に包まれると共に、心が深いところから満たされていきます。ほぐれた花びらも本当に美しくて、五感をフルに楽しませてくれます。

蒸留で抽出する黄金や宝石のような存在
香水製造所に展示された古い時代の小型蒸留器(フランス)©I, BrokenSphere(19 September 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 バラの蒸留水づくり摘みたてバラの花びらで蒸留水を作る様子(2026.6.11)フォト日記『百花の王』より

解きほぐしたバラを、今回は蒸留水にしていただきました。左の工場用と比べると小ぶりな蒸留器です。今は卓上コンロもあって便利です。薪や炭の時代は燃料費も膨大な上に、火加減を安定させるのも大変でした。それだけでも上流階級だけの贅沢品ですね。大学院時代は化学系だったので減圧蒸留も含め、蒸留作業は身近でした。電熱ヒーターを使うので火加減は楽でしたが、純度を高めるために初留と後留は捨てますし、火力が強いと一気に沸騰して精製になりません。時間も手間もかかります。バラの精製水もポタリ、ポタリの抽出でした。

氷で冷却を調整しているのは、バラ園を所有する貴婦人の若いお嬢様です。ヨーロッパ系のお顔立ちとスタイルの良さは、バラの神様が住まう秘密の園のニンフのようでもありました。蒸留や器具は"理系"で男性的なイメージが強いですが、可憐な貴婦人が器具に強いのも、いかにも知的階層の上流階級らしいのです。

ヴォルテール(1694-1778年) エミリー・デュ・シャトレ(1706-1749年)

啓蒙時代に活躍した知識人ヴォルテールはとても有名ですが、その愛人シャトレ夫人は近代の女性科学者の先駆けであり、ヴォルテールが手放しでその天才性を褒める女性でした。父親はルイ14世の側近として重用されていた、高位貴族でもあります。シャトレ夫人はヴォルテールより12歳年下でしたが、数学や物理に関しては夫人の方が優れていたそうで、2人で切磋琢磨しながら知的探究を愉しんでいました。

ロレーヌ公国のシレイ城(1854年のリソグラフ)

2人が過ごしたシレイ城には、図書館や科学機器なども設置しました。ヴォルテール自身もイギリス滞在経験があり、グランドツアーのイギリス貴族の子弟にとってもヴォルテールは超有名人で、ヴォルテール詣は定番でした。皆で知的会話を愉しんだようです。シャトレ夫人はアイザック・ニュートンの著書をラテン語からフランス語に翻訳したことも、大きな業績の1つです。誰でも理解できる内容のものではありません。キャッキャうふふなお花畑の世界ではなく、会話のネタはかなりハイレベルで知的なものだったことが想像できます。

バラの蒸留水づくり摘みたてバラの花びらで蒸留水を作る様子(2026.6.11)フォト日記『百花の王』より

実験器具のメカニズムを理解したり、より使いやすくするためにカスタマイズしたり・・。

学者に丸投げではなく実際に理解し、使うことができ、改良のための意見も言えて、必要なお金も投資できる。これがパトロンたる上流階級に必須の資質です。

「え〜?ムズカシイことわかんなぁ〜い!」みたいな幼稚な女性は、社交界ではモテません。だから上流階級の女性たちも教養と知識を身につけるべく必死に努力していました。

華やかな表面だけしか意識できず、見ることができないのは大衆的です。このような地味に見える部分こそ、いかにも古の上流階級のような貴婦人らしさを感じます。

『ポプリ』(エドウィン・オースティン・アビー 1899年)

蒸留水と共に得られる僅かなオイルが、上澄として得られます。とんでもない量の花が必要です。開花させるまでだけでも、途方も無い労力と時間がかかります。慈しみ育てられ、抽出された天然の香水はまさしく愛の結晶そのものです。宝石に等しい存在ですし、やはり『質』の違いも存在します。古の上流階級は、経験によってそれを深く理解していました。だからこそ愛をもって接することができます。美しい装いで臨むのも自然な感覚です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント 価値のある愛の結晶であることを心から理解できているからこそ、香水を入れる器にも、最高の敬愛を込めるのはごく自然なことと言えるのです。

1-2-4. 必須の大型の香水瓶

様々な香水瓶(現代)

 香水を使う場合、付けるシーンは自室となるでしょう。このような保管瓶が必須となります。

それなりの大きさがあり、持ち歩きはしないことが前提の設計デザインです。

Genが選んだ宝物�@
アール・ヌーヴォーのフランスの古代ギリシャ・モチーフの香水瓶アールヌーヴォー香水瓶セット
フランス 1890〜1900年頃
クリスタル・グラス、ポンポン
SOLD

 ロマンティックなものが好き、使うための優雅な小物が好きなGenは、上質な香水瓶もいくつかお取り扱いしています。

このような香水瓶は大きさがあるため、最高級品として作られたものでも貴金属以外を使用したり、貴金属の使用は一部だけというのが通常です。

このアール・ヌーヴォーの香水瓶は、クリスタル・グラスとボンボン(合金)の作りです。

アール・ヌーヴォーのフランスの古代ギリシャ・モチーフの香水瓶
Genが選んだ宝物�A
香水瓶セットが入った鍵付の樺のボックス 鍵付ボックス入り 香水瓶セット
イギリス? 19世紀後期
SOLD
香水瓶セットが入った鍵付の樺のボックス

これは鍵付ボックス入りの香水瓶セットです。箱の細工も高級品ならではです。天然素材だけで作られた、在りし日の香水の稀少価値も伝わってきますね。

アンテイークのクリスタルグラスの香水瓶セット アンテイークのクリスタルグラスの香水瓶セット

カットグラスのスタイリッシュな香水瓶セットです。百均などの大量生産品が当たり前となり、ガラス製品の品質と価値が分かりにくい現代ですが、クリスタルグラスのクリアで硬質な質感を調整したり、美しくカットするのは高度な技術です。擦りガラスの蓋も、機能性と使い心地を最上のものとするための噛み合わせ技術は高級品ならではのものです。

金赤のグラス・コレクション金赤グラス(現代)

擦りガラスはメスフラスコなど、理系の人にとっては実験器具としてもお馴染みですね。

メスフラスコは大量生産するので価格を落とせますが、それでも精密機材なのでそれなりの値段がします。

私も元々Gen同様グラス・アートが好きだったので、現代のものですが金赤のハンドメイドのものをいくつか持っています。

宮内庁との取引経験もある高級グラス専門店で、手前のシャンパングラスを納入されたようですし、ある有名な芸能人も同じものを購入されたそうです。

金赤としては色が薄いですが、ソーダガラスではなくクリスタルグラスで金コロイドをうまく分散させるのは高度な技術が必要で、この職人さんでないとここまで濃くできないようです。左奥がデキャンタで、蓋は擦りガラスになっています。1点1点、形状が異なるハンドメイドのグラス・アートなので、噛み合わせの良い蓋を作るだけでも大変です。このようなものも高級品の世界なのです。

Genが選んだ宝物�B�C

 これは古い時代、19世紀初期の香水瓶です。1848年のカリフォルニアのゴールドラッシュ以前、大きさのある小物にはヴェルメイユが使用されることも一般的でした。この2つは贅沢な宝石と金細工に、上質なクリスタル・グラスを合わせた美しく気品に満ちた香水瓶です。

ジョージアンのルビー&エメラルド&ラピスラズリの一輪挿しのバラの香水瓶ブローチマラカイトの香水瓶
フランス 1830年頃
SOLD

知識がなかったり、現代の価値基準で何でも判断しようとする人だと、クリスタルグラスの価値を理解できないかもしれません。

クリスタルグラスの技術開発は上流階級の歴史の中で、非常にホットなものでした。天然のロッククリスタルでは大きさにも加工にも制約があります。

劣化したクリスタルグラス
ガラス病を発症したボトル  "Glassdisease" ©Richardjames444 at English Wikipedia(12 August 2006)/Adapted/CC BY 2.5 ワイングラスの脚(ジョージ・レイヴンスクロフト社 1676〜77年頃)【引用】V&A Museum/ Drinking Glass © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

クリアな質感と普遍性の両立は、技術的に容易ではありません。完成形だけを見る現代の一般人には想像しにくいですが、クリスタルグラスもクリアな見た目に加え、ガラス腐食(ガラス病)の克服などの課題を解決する必要がありました。

上はV&A美術館が所蔵するミュージアムピースです。オブジェではく破損したワイングラスの脚です。『資料的価値』としてのものですね。

イギリスの初期のグラス・シャンデリア
ケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジの教会のシャンデリア(1732年)  "Emmanuel College Chapel 1, Cambridge, UK - Diliff-trimmed and adjusted" ©Diliff(22 July 2014, 14:33:25)/Adapted/CC BY-SA 3.0 バースのアセンブリー・ルームのシャンデリア(ウィリアム・パーカー 1771年)  "Assembly rooms in Bath, Somerset-4547168251-trimmed-adjusted " ©Heather Cowper(18 April 2010, 10:43:12)/Adapted/CC BY 2.0

これは1700年代に制作された、イギリスの初期のグラス・シャンデリアです。ソーダガラスとは透明感や色彩、質感が異なります。アクリル樹脂もない時代、クリスタルグラスでしか表現できない透明な芸術『アール・クレール』はまさに美とラグジュアリーの象徴でした。

ベルサイユ宮殿の鏡の間(1668年に増築)
"Chateau Versailles Galerie des Glaces" ©Myrabella / Wikimedia Commons(25 May 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

だからこそクリスタルグラスの量産技術が確立された時代に重なる、ルイ14世(在位:1643-1715年)によるヴェルサイユ宮殿『鏡の間』は、豪華なクリスタルグラスのシャンデリアに彩られています。贅沢の限りを尽くしたとされる、ルイ14世らしい豪華絢爛さです。

ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー)
カボション・ガーネットの香水瓶
フランス 1818〜1838年頃
SOLD

クリスタルグラスが特別だった時代、最先端技術の素材であり、話題性と共に宝石に準ずる立場にありました。

軽やかな見た目と共に、香水の色彩や量も分かります。

敢えてヴェルメイユなどを使わず、この美しさを実現しています。

サイズや目的によって、素材やデザインを変えるのは美意識の高い王侯貴族らしいです。

1-2-5. 持ち歩ける黄金の香水瓶という特殊な存在

 モノに溢れた現代では想像しにくいですが、古い時代はモノは貴重で大切に扱われて来ました。日用品と違い、王侯貴族が使う美術工芸品は制作するにも途方も無い技術と手間、お金がかかります。莫大な資産家とは言っても湯水のようにお金を使っていいわけではなく、意味のあることだけに使います。室内用のサイズのある香水瓶は誰でも必要ですが、携帯用は必須ではありません。だから元々制作数は少ないです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

19世紀の初期にかけて、社交界の紳士の恋愛アイテムとして流行した、気付け薬用のヴィネグレットや関連アイテムは、貴婦人の優雅なたしなみとしての今回の宝物とはジャンルが異なるので割愛します。

【特殊用途】紳士の社交としての狩猟用
香水瓶セットが入った鍵付の樺のボックス 『貴族が狩りの時に用いた火薬入れ型香水瓶』
イギリス 19世紀中期
SOLD
香水瓶セットが入った鍵付の樺のボックス

ちなみにこれも特殊なジャンルの香水瓶です。貴族の男性が狩りの時に腰に下げ、動物の臭いを消すために使っていました。今で言うコスプレのように、中世の衣装を着て楽しんでいたため、火縄銃の火薬入れのデザインです。

特殊形状の拭きガラスは厚みがあって重く、それを包む金細工の隙間のない精密な作りも圧巻です。男性用のアイテムだからこそのこだわりと見事さです。

ジュエリーとして使える優雅な香水瓶
フランスの磁器とゴールドの蓋の小さな香水瓶ペンダントガーネット付き香水瓶
イギリス? 1860年頃
SOLD
珍しいイギリス・アンティークのピケの香水瓶ペンダントピケ 香水瓶ペンダント
イギリス 1860年頃
SOLD
フランスの磁器とゴールドの蓋の小さな香水瓶ペンダント『小さな小さな香水瓶』
フランス 1850〜1870年頃
SOLD
フランスの磁器とゴールドの蓋の小さな香水瓶ペンダント小さくて美しいポーセレン香水瓶
フランス 1850〜1870年頃
SOLD

王侯貴族の時代は、紳士がジュエリーを着用するのは当たり前でした。アイテム数が少ないこと、外交や政治の場など仕事上で必須のステータス・アイテムだったこともあり、女性のジュエリー以上にこだわりとお金をかけて作られているのも特徴です。だから、このような美しい小物は紳士が使っていた可能性も大いにあります。美意識が高い人しか、このような優雅な小物は持っていません。成金思考は皆無で、芸術性に強いこだわりをもった宝物揃いです。ある程度の大きさも必要なので、全てゴールドで作られているものは本当に滅多にないのです。

←↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

小型で安物だとシルバーやメタル製で、デザインと作りも稚拙です。

さて、材料でしか判断できない頭デッカチの人だと、理解が難しいのも『優雅な小物』の特徴です。

これはシルバー製ですが、最高級品の携帯用香水瓶です。

長さ9.3cmあり、ペンダントとして下げて使うのではなく、バッグなどに入れて持ち歩くためのものです。

大きさのある小物の場合、金属として最高級品はシルバーやヴェルメイユなどを使用するのが通常です。

見事なシルバーの彫金とエナメルの携帯用香水瓶
美しいエナメルの携帯用香水瓶
ヨーロッパ 19世紀後期
SOLD
ジョージアンのコンクシェルのブローチ(アンティークジュエリー)

素材そのものではなく、Genが繰り返す通り作りを見るのが正しいです。

材料費より人件費や技術費の方が高いですし、作りに連動するデザインも職人兼アーティストあってこそで、唯一無二性の元となります。この宝物も第一級の見事な彫金が美しいです。

見事なシルバーの彫金とエナメルの携帯用香水瓶

ペンダント・サイズの場合、外出時のちょっとした演出で使うシーンが想像できます。これは室内で使う大型の香水瓶を持っていくほどではない、短期バカンスなど小旅行用などのためのものと推測します。上流階級にとっても必須のアイテムではない上に、人に見せない場所での使用がメインです。自己満足のためのものである可能性が高く、最高に贅沢ですね!♪

瘴気から香りで身を守るためのヴィクトリアンの美しいポマンダー・ペンダント ポマンダー ペンダント アンティークジュエリー

全てゴールドでできた香りのアイテムとして、以前ポマンダーをご紹介しました。私にとって初のロンドンで買い付けて来た、自慢の宝物の1つです♪

これは9ctゴールドです。透かしの美しいデザインと、使うための優雅な小物としての耐久性の実現という観点から、敢えて9ctゴールドで設計デザインされています。

宝石として上質なトルコ石も使用された、数少ない高級品です。

『美しきお守り』
ポマンダー ペンダント
イギリス 19世紀後期
SOLD
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

これは15ctゴールド製です。

蓋だけ15〜18ctゴールドというのはたまに見かけますが、ジョージアンの特殊なものではなく、19世紀後期のデザインでオール・ゴールドの作りは奇跡的なほど珍しいです!♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ

金価格高騰のたび、このような宝物は潰される危機に面してきました。一部が無くなっていることも多いというより、ほぼ失われている場合が多いです。Genもその度に現代の優れた職人さんに依頼し、手間と時間をかけて修復してお渡しするということを繰り返してきました。これはオリジナルです。チェーンまで含めてこの状態でHERITAGEに辿り着いたというのは、まさに奇跡です!!

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

比較的シンプルな印象ですが、神技の細工も駆使して9つの星々がデザインされています。

普遍の魅力を持つデザインこそが鍵です。

その魅力を備えた宝物は、理解できる人たちから愛され、確実に時空を超越することができます!!♪

2. 貴族の知性が漂う輝ける9つの星々

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 トルコ石による4つの青い星々、そして天然真珠の5つの星々。計9つの星々が黄金の空に輝く姿は、ただのデザインとして見ても十分に美しいです。

しかし、この宝物がオリジナルの状態で奇跡的に現存しているのは、実はこれが『秘密の知識』を共有する者にとって、非常に魅力あるデザインであることが大きいです。

秘密の知識を共有する人々に国境や民族の壁はありません。だから九星にまつわるキーワードは世界各地に存在し、全て関連しています。但し全て網羅すると膨大になり過ぎるため、今回は宝物に最も濃くリンクする、古代ギリシャ神話の2つの事例に限定します。

2-1. ギリシャ神話とプレアデス星団

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 古代ギリシャ神話に関連する9つの星として特に有名なのは『プレアデス』です。

『プレアデス』(エリュー・ヴェッダー 1885年)

プレアデスは七姉妹のニンフです。父は巨人タイタン族のアトラス、母は海の女神プレイオネです。口伝で継承された時代の影響もあって、神話の設定や名前などに揺れはあるものの、プレイオネやプレアデス姉妹が巨人の狩人オリオンに追われてプレアデス星団になったとされます。そのままオリオンもオリオン座となっています。

プレアデス星団(スバル)

プレアデス星団は通常の視力の人が、好条件の元で6〜7つの星を数えることができます。かなり視力の良い人だと、25個見えた記録も残っています。このことからも想像できる通り、文化圏によっても数え方に揺れがあります。中国では昴(ぼう)と呼ばれ、7つの星で構成するとされます。日本でも昴(すばる)と呼び、7つを数える記述がある一方で、『六連星(むつらぼし)』の名称も存在します。

プレアデス星団の星々の名称
 "Map of the Pleiades" ©Pippi(11 April 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

プレアデス星団を構成する星々のうち、主要な明るい星に対して古代ギリシャ神話に因む名称が付けられています。プレアデス七姉妹に加え、両親のアトラスとプレイオネを加えた9星の構成となっています。プレアデス七姉妹は『セブン・シスターズ』と呼ばれますが、両親を加えて、プレアデス星団を9つの星として認識するのは割と一般的です。

フェニキア人の地中海交易路
"PhoenicianTrade" ©Yom(2006-07-11 07:02)/Adapted/CC BY-SA 3.0
フェニキアの時代まで遡るとされるデザインのマルタの漁船
"Malta 13 dhajsa" ©-jkb-(1985)/Adapted/CC BY-SA 3.0

『プレアデス』の名称は諸説ありますが、『出航』を表す言葉から来たとされます。地中海で見られるのは夏の夜で、5月の中旬から11月初めにかけてです。夜空で見え始める時期が、地中海の航海シーズンの到来の時期と重なるため、出航を告げる重要な星々として機能しました。現代のような便利なテクノロジーや統一の暦などもない時代、想像以上に重要な存在でした。船旅は死と隣り合わせでもあります。ロマンあふれる時代です。

pcs34560夏の『天の川』(横手山ヒュッテ 2016年)

毎年の『出航』の時期も重要でしたが、人類の船出とも実は関連します。

スピリチュアル系でも『プレアデス』が有名な理由です。この辺りの詳細は割愛するので、興味がある方はご自身で調べてみてください。

ノアの方舟が辿り着いた先。

籠に入れて川に流されたモーセ、日本では蛭子や桃太郎。ノアは大洪水を乗り越え、天の川を降って山に降り立ったともされます。

神話によって寓話的に示される、散りばめられた人類の『秘密の知識』。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

新しい人類の船出とみれば、プレアデスが示す『出航』の意味も違って見えてくるでしょう。

清少納言(966年頃-1025年頃)

紫式部の『源氏物語』は、万人受けしやすい内容ゆえに有名です。

対比される清少納言の『枕草子』は玄人向けで、より繊細な感性と深い洞察力、豊かな内面世界を持たねば理解できぬ内容となっています。

現代の一般大衆向けには扱いにくいが故に、エンタメでは採用されにくく、マイナーな存在となっています。

『枕草子』の第236段は有名です。
「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」

"星はすばる、彦星、宵の明星(夕方の金星)が良い。流れ星もそれなりに趣がある。尾を引かなければもっと良いのだけれど。"

『枕草子』では花や季節の好みについても記していますが、星は『すばる(プレアデス星団)』を一番最初に挙げていることも、分かる人にとっては重要です。

谷村新司(1948-2023年)と当時の内閣総理大臣・安倍晋三(1954-2022)2017年  "17saihanboshi Tanimura and Abe" ©内閣官房内閣広報室(17 Febryary 2017, 18:18:38)/Adapted/CC BY 4.0

シンガーソングライター谷村新司氏の代表曲の1つ、『昴 -すばる-』(1980年)を連想した方も勘が良いです。

最初にできたのは、結びの「さらば昴よ。」のフレーズだったそうです。

自作の歌詞であるにも関わらず、なぜ昴に別れを告げているのか、自身でも分からなかったと語っています。作詞から20年以上が経った後、「物を中心に据えた価値観に別れを告げるという意味だった。」と納得したそうです。

『昴』は突然、谷村氏の脳内に降って湧いた楽曲であり、その後しばらく『プレアデス星団』の宇宙人と交信していたというエピソードもあります。秘密の知識を共有する者にとっては、これ以上ないほど分かりやすく示したエピソードの数々と言えます。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

「さらば昴よ。」
出航し、天の川を降り、壮大な宇宙の旅へ・・。

『昴 -すばる-』はソロ歌手としての谷村氏の最高となる、60万枚の大ヒット曲となりました。秘密の知識がなく明確に意味が分からなかったとしても、多くの人の心に響く理由があるのかもしれませんね。

2-2. ギリシャ神話と9柱の女神

クッションシェイプ・ダイヤモンド&天然真珠の黄金のコスモスのピアス『コスモス』
ダイヤモンド&天然真珠 フラワー・ピアス
イギリス 1870年頃
¥1,440,000-(税込10%)

 限られた者だけが継承してきた秘密の知識、完璧な調和と秩序のとれたシステムとしての宇宙観『コスモス』は、世界中の王侯貴族にとって最重要かつ骨子となる部分です。

古代ギリシャの数学者・哲学者ピタゴラス(紀元前582-紀元前496年)"Kapitolinischer Pythagoras adjusted" ©Galilea at German Wikipedia(7 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 ライアを持つアポロン(古代ギリシャ 紀元前480-470年)デルフィ考古学博物館 "Greece-0895 - Wide-bowled Drinking Cup" ©Dennis Jarvis(October 5, 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.0

基礎中の基礎であっても、かなり難解な世界です。興味がある方はご自身の力で、ご自身のペースで理解を進めるべき分野ですが、コスモスの概念に於いて『天球の音楽(Musica universalis)』は重要です。叡智は深淵にして膨大です。その圧倒的な量の情報を圧縮したのが、神話や象徴(シンボル)です。適切な鍵を持ち、開錠法を知るものだけが情報を解凍して利用できます。ここで音楽の神アポロンが重要となります。

音楽の神アポロとミューズたち、惑星球体と旋法(1496年)

宇宙の調和、振動は音楽の響きに通じます。

物理的な音や音楽ではなく、天体の運行が持つ数学的な調和を『宇宙の響き』として捉えます。その響きとメロディを感じるのは耳ではなく、『魂』です。

星を神々に例えるのも、理解しやすいよう意図されたものです。

古代ギリシャで『9柱の女神(星)』と言えば、学問や学術を司る9柱のミューズです。それを主宰するのがアポロンです。

Jastrow(2006)石棺に彫刻された9女神(古代ローマ 2世紀)

カリオペは叙事詩、クレイオ(クリオ)は歴史、エウテルペは抒情詩(音楽)、タリアは喜劇・牧歌詩、メルポメネは悲劇、テルプシコレは舞踏・合唱、エラトは恋愛詩・独唱詩、ポリュヒュムニアは讃歌(聖歌)、ウラニアは天文を司ります。持ち物などの描かれ方によって、王侯貴族は対応する女神を理解できなくてはなりません。

『パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち』
(サミュエル・ウッドフォード 1804年)

9女神が司る学芸の分野は異なります。王侯貴族は自分の好きな分野、得意分野に応じて女神や象徴を選ぶことができます。一方で、全ての学芸を全て愛する者として、9女神すべてを表現することもあり得ます。主宰神アポロンを加えるかどうかも好みです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

9女神もそれぞれ対応する小惑星が存在します。

『プレアデス』は、感覚的に響くか否か個人差がありそうです。

9つの分野の学芸を司る、古代ギリシャの9柱のミューズと見た場合、より多くの方の心に響くと思います。

この宝物は作りの良さや、『使うための優雅な小物』という特性上、紳士が愛しの貴婦人に贈った可能性が高いように感じます。彼にとってインスピレーションの女神様に、『芸術を司るミューズ』への贈り物として捧げたならば、これほどロマンティックで気の利いた香水瓶はないですね!♪

紀元前700年頃の古代ギリシャの叙事詩人ヘシオドスとミューズ(ムーサ)(ギュスターヴ・モロー 1891 年) 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

歴代の持ち主は、このような秘められた意図も教養を元に理解できていたからこそ、これほどコンディションの良い状態で現代まで受け継がれてきたのでしょう。

作られてから130年ほどは経過しています。黄金の古びない特徴もあって、たったいま作られたかと思うほど美しく神々しいですね♪

3. 抜群のセンスを感じる宝石のチョイスとデザイン

3-1. 古代ギリシャを想わせる鮮やかな極上トルコ石

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 ヨーロッパ王侯貴族にとって、ペルシャ産トルコ石は重要な意味を持つ特別な宝石でした。

しかし現代の日本人にとって、その価値を理解しにくい状況にあります。

それを紐解きながら理解していきましょう。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
←↓実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

3-1-1. アンティークの時代とは異なる現代のトルコ石

トルコ石 ターコイズ インディアン・ジュエリー ズニ族 チャンネルインレイ スギライト スパイダーウェブ ラピスラズリ ペンダントチップインレイのペンダント(ズニ族McCRAY作 2000年代末)HERITAGEコレクション

 現代のトルコ石は、インディアン・ジュエリーのイメージが強いと思います。

これはズニ族の作家が作ったハンドメイドのペンダントで、日本人の杉健一教授によって比較的新しく発見された紫色の『スギライト』も含め、しっかりとした石が使用されています。

サラリーマン時代に手に入れたものです。

フローレンスモザイク 白大理石 ミュージアムピース ピエトラドュラ バングル ルビー 天然真珠 アンティークジュエリー イタリア『驚異の細工:美し過ぎるピエトラドュラ』
ピエトラドュラ バングル
イタリア 1860年頃
SOLD

余談ですが、その後ルネサンスで初めて手に入れたアンティークジュエリーがこのピエトラデュラ(フローレンスモザイク)です。

どちらも宝石主体ではない上に、半貴石を象嵌したモザイク・アートなのが面白いです。

感覚的に好きということもありますし、なぜか強いご縁があるようです。

インディアンジュリーのモザイクですら隙間ない象嵌細工技術の凄さに驚いていましたが、1円玉にも満たない大きさのアンティークのこのモザイクに感激したものです。

フローレンスモザイク 白大理石 ミュージアムピース ピエトラドュラ バングル ルビー 天然真珠 アンティークジュエリー イタリア フローレンスモザイク 白大理石 ミュージアムピース ピエトラドュラ バングル ルビー 天然真珠 アンティークジュエリー イタリア
フローレンスモザイク 白大理石 ミュージアムピース ピエトラドュラ バングル ルビー 天然真珠 アンティークジュエリー イタリア

石の天然の色彩や模様という、大自然のアート。

職人が技術と手間、美的センスをかけて表現する象嵌デザイン。

どちらが欠けても表現することはできません。大自然と人間の、至高領域でのコラボレーション。唯一無二の奇跡の宝物が生み出される、このタイプの宝物はたまらなく好きです。

トルコ石も効果的にデザインされています♪

現代の低品質のトルコ石の処理
【参考】処理前 【参考】スタビライズ処理して磨いた状態

現代トルコ石としてメジャーな、インディアン・ジュエリーのメキシコ産やアメリカ産の石は、ペルシャ産と比べて質が良くありません。トルコ石は表面に無数の穴が空いた柔らかい石で、中には『チョーク状トルコ石』と言われるようなチョーク並に脆い物まで存在します。1950年代にエポキシ樹脂を使った樹脂充填技術が開発され、現代ではアメリカ産の大部分は処理されています。あまりにも一般的なため、アメリカではこのスタビライズド処理されたトルコ石はナチュラル(天然石)として扱われます。消費者保護の名目は建前で、業界の定めるルールは業界のために存在します。

イギリスのマーガレット王女(スノードン伯爵夫人)(1930-2002年) "Princess Margaret" ©David S. Paton(Unknown date)/Adapted/CC BY-SA 3.0 天然トルコ石 ターコイズ リング アンティーク・ジュエリーペルジャンターコイズ リング
フランス 1880年頃
SOLD
スパイダー(マトリクス)の入っていない、青一色の鮮やかな色彩と大きさを両立したトルコ石は稀少価値が高く、高位貴族の富と権力の象徴として愛されてきました。
【参考】現代の「トルコ石」のリング

アメリカやメキシコ産でも上質なトルコ石が存在しないわけではありませんが、今では安くて大粒の物はほぼ100%が練り物か別の石のようです。粉末にして樹脂で固めたら均質なのは当たり前なわけですが、天然の素材(粉末)を使っているから『天然のトルコ石を使ったジュエリー』という表現は何とも詐欺的です。稀少価値の高い石が、同じ品質でいくつも手に入ること自体があり得ません。やたら安いものは疑うべきですが、中途半端に高い価格が設定してあったり、詐欺まがいとは言っても嘘とは言えない「天然です。」と言う説明をしてくるため、知識のない一般人は鵜呑みにする可能性があるでしょう。買取市場でも、色石はまともな値段がつかない原因でもあります。

3-1-2. フェイクの多さは人気の高さと表裏一体

 トルコ石は古代から様々なフェイクが存在します。それだけ、秘密の知識を持つ人々から人気があった証でもあります。これは現代のアクセサリーで、ハウライトを漂白して染色したものです。

ハウライトを染めたトルコ石風のイヤリング【参考】トルコ石風の着色ハウライト・イヤリング(現代)

スパイダー・ウェブのような天然石ならではの模様を持つ石です。魅力的な表情のスパイダー・ウェブが入ったトルコ石はプレミアが付くほど人気が高く、このような技術が確立されています。

素材そのものは鉱石なので、知識がないと天然のトルコ石と誤解するでしょう。

トルコ石風の樹脂パーツのネックレス【参考】樹脂&木製ビーズのネックレス(現代)

鉱物ですらなく、樹脂製のトルコ石そっくりさんも本当に多いです。軽くて安いので、アクセサリーとしてはメリットがあります。一方で、このような『トルコ石っぽいもの』が世の中に氾濫しているため、トルコ石に安っぽいイメージが付いたことは残念にも思います。

トルコ石のネックレス【参考】トルコ石風のネックレス(現代)

但しフェイクの多さ、多様な技術開発は『トルコ石』の人気の高さの現れでもあります。

3-1-3. 王侯貴族にとっての特別な宝石『トルコ石』

 ジュエリー文化が長年育たず、殆どの日本人は戦後になってからしかジュエリーを知りません。大衆の時代のジュエリーしか見たことも聞いたこともなく、当然ながら知識もありません。アメリカのインディアンや、ありふれた安っぽいイメージしかできないと、なぜそこまで普遍的に高い人気があるのか理解できません。

ヴィクトリアン中後期のトルコ石ジュエリー

 正直に言うと、ミッド・ヴィクトリアン以降は産業革命で台頭した中産階級(新興成金)向けのジュエリーが爆発的に増えるため、ダサかったり、いまいち教養や知性が感じられないものも少なくありません。

ヴィクトリア女王の宝石のピアス【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57)

時代の波により、ヴィクトリア女王が英国王室としてその層や一般庶民層を強く意識したプロモーションを行った結果によるものなので、これはしょうがないことです。無数に存在するそれらのノイズを掻き分け、真の知性を持つ上流階級のジュエリーだけを見ると、分かってくることがあります。

ちなみにここではヴィクトリア女王の宝石のピアスの、最も重要とも言えるセンターの位置にトルコ石がデザインされていることもご注目ください。美的バランスに基づく設計もありますが、王侯貴族のデザインにはそれだけではない意図が秘められていることが通常です。

ジョージアンのトルコ石のジュエリー

 ジョージアンまでは貴族の絶対数そのものが少なく、中産階級が台頭するより前の時代です。だから、ジョージアン以前は安物は存在しないとも言われます。人気が高い反面、稀少なので市場にはフェイクも多いです。そのような安っぽいものを除外すると、実際にジョージアン・ジュエリーは見事なもの揃いです。

プリンス・オブ・ウェールズ時代のイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃

特にジョージ4世がファッションリーダーだった時代は魅力的なものが多いです。

イギリス一のジェントルマンと言われるほど教養と知性を備え、卓越したセンスに恵まれたジョージ4世がファッションリーダーとして最も活躍した摂政王太子時代は、『リージェンシー』と呼ばれ別格視されます。

ジュエリーのみならず家具や調度品なども含め、アンティークの美術工芸品を扱う者にとって、リージェンシーは特別な響きがあります。

この時代はプライドの高いフランス貴族ですら、イギリスのものを好んで購入していたとされます。

摂政王太子時代のジョージ4世(1762-1830年)54歳頃、1816年 イギリスの摂政王太子ジョージ4世からウォテイエ卿にフランスの戦勝記念として贈られた「PEACE」が宝石言葉で書かれた1814年のメモリアル・ジュエリー『PEACE』
摂政王太子からウォテイエ卿への贈り物
イギリス 1814年
SOLD

Genもジョージ4世にまつわる、重要な『ヒストリカル・ジュエリー』もお取り扱いしています。『PEACE』の紫色のアメジストも極めて重要ですが、今回は割愛します。それと同じくらい重要な位置に、トルコ石がデザインされていることにご注目ください。以下、トルコ石の宝物を列挙します。

ジョージアンのトルコ石のハート型ロケット・ペンダント梟のフォブシール
イギリス 1820年頃
SOLD
ジョージアンのバスケット型フォブシールバスケット型フォブ
イギリス 1830年頃
SOLD
ジョージアンの天然ルビー&ペルシャ産トルコ石&天然真珠リング『永遠に咲く花』
クラスター・リング
イギリス 1811〜1820年頃
SOLD
ジョージアンのトルコ石のハート型ロケット・ペンダントロケット・ペンダント
イギリス 1830年頃
SOLD
フィリグリー ブローチ&ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD
天然トルコ石 ターコイズ カンティーユ ブローチ アンティーク・ジュエリーカンティーユ ブローチ
イギリス 1820年頃
SOLD
トルコ石&天然真珠のカンティーユの英国王室御用達のクロス・ペンダント英国王室御用達スミス&レート クロス・ペンダント
イギリス 1830年頃
SOLD
フラットカット・ガーネット&トルコ石のカンティーユ・ブローチジョージアン ガーネット&トルコ石 ブローチ
イギリス 1830年頃
SOLD
ジョージアンのハンドバック型の美しいゴールド・ペンダント
アイ・ポートレート 
イギリス 1790-1800年頃
SOLD
リージェンシーのリング型ヴィネグレットヴィネグレット リング
イギリス 1820年頃
SOLD
ジョージアンのトルコ石のハート型ロケット・ペンダント宝島で発見された宝箱?
イギリス 1820年頃
SOLD
ジョージアンのREGARDのハート型ロケット・ペンダント『REGARD』
ロケット・ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD

集めるとキリがないほど、枚挙にいとまがありません。もはやヨーロッパ貴族がトルコ石を好み、特別視していたかは疑いようのない事実とお分かりいただけたと思います。

凝ったデザインの贅沢な最高級品
アールヌーヴォーのピンク・パール&ダイヤモンドのペンダント&ブローチ『アールヌーヴォーの奇跡』
カラー天然真珠 ペンダント&ブローチ
アメリカ 1890〜1900年頃
¥4,800,000-(税込10%)
弓&矢筒でエロスを象徴した純プラチナのアールデコ・ブローチ『Eros』
初期アールデコ ダイヤモンド ブローチ
イギリス 1920年頃
¥5,500,000-(税込10%)

デザインが優れていると、宝石に意識がいかない傾向があります。これを踏まえて見てみると、最高級品は実に贅沢にたくさんの上質な宝石を使っていることに気づきます。宝石ばかりに意識がいくジュエリーは、『芸術』の観点からすると失敗作でしかありません。

トルコ石をデザインした各時代のジュエリー
ジョージアンの最高級品 ヴィクトリアンの成金ジュエリー
啓蒙時代のカンティーユ&ペルシャ産トルコ石のリュミエール・ジュエリー『ソフィア』
リュミエール・アゲート カンティーユ ペンダント&ブローチ
フランス or イギリス 1820年頃
¥880,000-(税込10%)
ジョージアンのREGARDのパイナップル・ハート型ペンダント『REGARD&パイナップル』
イギリス 1820年頃
SOLD

ジョージアン・ジュエリーにトルコ石が多用されていながら、トルコ石のイメージがないのは、『完璧』と言えるほどデザインに美しく調和しているからです。大きさがあるほど高級と思い込むのは、成金の発想です。小さな石を寄せ集めて大きく見せようとする方向性と相まって、財力的な貧しさと、心の貧しさが露わとなります。右2つの成金ジュエリーに、貧乏臭さと丸出しの自己顕示欲を感じるのはそのせいです。

『REGARD&パイナップル』のロケット・ペンダントでの、トルコ石の使い方も注目です。宝石言葉でREGARDを示すので、そのための6つの宝石は固定で決まっています。現代人には想像しにくいですが、南国の果物パイナップルは当時、王の富と権力の象徴として政治、外交、文化のあらゆる面で最重要クラスの立ち位置にありました。その起点に、わざわざトルコ石をデザインしているのです。単なる好みというレベルを超えて、王侯貴族にとってトルコ石がどれほど特別視されていたかを感じていただけるでしょう。

3-1-4. 古代ギリシャとローマ帝国の継承者としてのトルコ

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 『ペルシャ産トルコ石』、あるいは『ペルジャン・ターコイズ』。この名称に違和感を感じた方もいらっしゃると思います。

イタリア産フレンチ、中国産日本石、日本産中華、アメリカ産イギリス石。それくらい違和感がネーミングです。トルコは産地ではありません。それなのに『トルコ』を名前に付けたい、強い意思があります。

古代ローマの博物学者プリニウスの『博物誌』では、『カッライス』として記述される宝石がトルコ石の古名とされます。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

現在、英語では『turquoise(ターコイズ)』、フランス語では『pierre turquoise(トルコの石)』と呼ばれます。もとは古フランス語で"トルコの"を意味する形容詞だった『turquoise』でしたが、青いこのターコイズ・カラーも表すようになりました。

今回は割愛しますが、この特別な色彩も併せて重要です。

古代からトルコ石の産地だったホラーサーンの鉱脈(イラン 1906年頃)

『トルコ石』の命名は諸説あります。『ペルシャ』として知られていた現在のイラン周辺が、少なくとも2000年以上トルコ石の主要産地として知られてきました。その中でも最も古い鉱脈があったホラーサーンは、9世紀以来トルコ系王朝が興亡を繰り返してきたからというのが1つの説です。

地中海を中心とした海路
 "Repubblica di Genova" ©Kayac1971(31 January 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ペルシャで採れたもの、さらにはアフリカ大陸北西部のアトラス山脈周辺の砂漠で産出されたものも、トルコを経由してヨーロッパに輸入されました。どれもトルコを経由するので、トルコからもたらされる石『トルコ石』となったのが別の説です。どちらもそれっぽく聞こえますが、よく考えるとどちらも違和感があります。トルコ系王朝があった地域が有名な産地だったからというのは、ちょっと無理があるように感じます。輸送は海運が主要であることを考えると、トルコ経由だからというのも無理矢理感があります。どうしても『トルコ』と言いたいのです!

古代ローマの120年頃の領土
"Roman Empire 120" ©Andrei nacu(5 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ローマ帝国も、張り巡らされた『ローマ街道』のイメージにより、陸路を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、実際は現代に至るまで海運が主役です。『ホルムズ海峡』のお陰で実感された方も多いでしょうか。だからローマ帝国は地中海を中心とした帝国として捉え、地図を見る必要があります。

アテナイ:オレンジ色の領土
"Map athenian empire 431 BC-en" ©Marsyas, Once in a Blue Moon(24 Sptember 2009, 14:57)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ギリシャも同様です。

特に強力な海軍力を誇ったアテナイは、海洋交易の強さもあって繁栄しました。

紀元前5世紀の黄金時代のアテナイは、エーゲ海を中心として構成されていることが分かります。

アナトリア半島のイダ山(カズ山)

現代は『ギリシャ』、『トルコ』のそれぞれの国家があるため、歴史的な『ギリシャ』を想像する際に、現代の地図のイメージが強く引きずられています。神話の時代、古代ギリシャはアナトリア半島(小アジア、トルコ)側が主役でした。『イデ山』や『カズ山』とも呼ばれる『イダ山』は、大地母神キュベレー(クババ)崇拝の地でした。名前の意味は、『知恵の保護者』です。古代ローマでは紀元前205年に受容され、ラテン語で『イダ山の神々の大いなる母』という意味のマグナ・マーテルとして継承されています。

古代ギリシャの領域(アルカイック期〜クラシック期)
橙:ポリス(都市国家)単位のエリア、紫:部族単位のエリア
 "Map of Archaic Greece(English)" ©Megistias(28 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5

古代ギリシャと言えば、スパルタのレオニダス王が活躍したり、アテナイが紀元前5世紀の黄金時代を迎えて哲学者ソクラテスやプラトンが活躍したクラシック期であったり、アレクサンダー大王が世界統一を果たしたヘレニズム期がメジャーです。しかし、それより前頃の地図を見ると、やはりトルコ(アナトリア半島)側が発達した先進地だったことが分かります。古い時代は都市国家(ポリス)や、様々な部族の集合体という状態でした。今のギリシャが存在する西側は都市国家規模ではなく、主に部族レベルがメインの未開の地という状況です。

『ホメロス礼賛』(ドミニク・アングル 1827年)

ホメロスによるとされる古代ギリシャ最古にして最大の叙事詩『イーリアス』は、ヨーロッパ王侯貴族の必須の教養の1つです。元にした芸術作品は数知れません。内容を熟知しておかなければ、社交界で何も始まらぬと言えるほどの基礎教養です。

トロイ(イリオン)の古代遺跡
"LocMap of WH Troy" © Koba-chan and depending on time of crop perhaps also (see original file): JYOQ2, 赤鉛筆, あなん, Siyajkak, Peka, 俊武, Koika, Clarin, Peccafly, Uploader/Adapted/CC BY-SA 3.0
『イーリオス(トロイ)の陥落』(ヨハン・ゲオルク・トラウトマン 1713-1769年)

『イーリアス』で描かれるのは、都市国家イリオン(トロイ)とギリシャの戦いです。トロイア戦争の十年目のあり日に生じた、アキレウスの怒りから話は始まります。トロイは伝説上の都市国家でしたが、ハインリヒ・シュリーマンの発見により、『トロイの木馬』も含めて実際の出来事だった可能性が示唆されています。場所としてはトルコの話です。

トルコ(アナトリア半島)のイダ山にまつわる神話
ガニュメデス王子の誘拐 パリス王子の審判
ガニュメデスとゼウスの鷲を描いたフランスのインタリオの傑作ガニュメデスとゼウスの鷲を描いたフランスのインタリオの傑作『幻想のガニュメデス』
インタリオ ルース
フランス 18世紀後期
SOLD
「パリスの審判」モチーフの古代ローマのブルー・カルセドニーのインタリオとバロック時代のシャンクによるアンティークリング『パリスの審判(ゼウス&ヘルメス)』
インタリオ:古代ローマ 1世紀
シャンク:ヨーロッパ 1670年頃
SOLD

イダ山もトロイア遺跡の南東にあり、現在のギリシャではなくトルコです。ギリシャ神話でも度々登場する重要な山です。ゼウスが鷲に化身し、トロイア王子ガニュメデスを誘拐したのもイダ山です。トロイア戦争の発端となった『パリスの審判』の主役、トロイア王子パリスも当時イデ山で羊飼いをしていました。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

現代の地図だけで見る一般庶民の多くは、トルコと歴史的な古代ギリシャを繋げられません。

しかし秘密の知識を継承してきた者にとって、トルコこそが真の古代ギリシャにして、憧れの地です。

ネロ帝やハドリアヌス帝など、芸術好きで知られるローマ皇帝も古代ギリシャをこよなく愛しました。

初代ローマ皇帝アウグストゥス(紀元前63年誕生、在位:紀元前27-紀元後14年)頭部:紀元前30-紀元前20年頃、体部:1世紀 『Gemma Augustea(アウグストゥスの宝石)』
オニキス・カメオ(23×19cm)
ディオスクリデス or その弟子 20-30年頃
フレームはドイツ 17世紀
 "Gemma Augustea" ©James Steakley(October 2013)/Adapted/CC-BY SA 3.0

初代ローマ皇帝アウグストゥスが呼び寄せた宮廷彫刻師ディオスクリデスも、ローマ属州ギリシャ出身でした。ディオスクリデスもしくはその弟子の作品とされるオニキスの大型カメオ、『Gemma Augustea(アウグストゥスの宝石)』は古代ローマのカメオ芸術の最高傑作されます。実質的には、ギリシャ系の美術作品だったことが興味深いですね。

七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)(325-350年頃)

キリスト教とのつながりも見逃せません。

ファラオの命によって作られたとされる、『七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)』はギリシャ語です。キリスト教に於ける『旧約聖書』とほぼ同義で、紀元前3世紀頃からヘブライ語から翻訳されたものです。

『新約聖書』の後半27冊も、当時の地中海世界で共通語だったコイネー(共通ギリシャ語)で書かれました。

キリスト教はローマ帝国で興ったされますが、ラテン語ではないのです。

薬物誌『ウィーン写本』植物の項目(6世紀初期)
ペダニウス・ディオスコリデス(40年頃-90年) ヨモギの項目 ウーリーブラックベリーの項目

西ローマ帝国の皇女アニキア・ユリアナに献上するために作成された『ウィーン写本』の原典は、古代ローマのディオスコリデスの著書『薬物誌』(1世紀後期)です。ディオスコリデスは古代ローマ属州ギリシャの医者、薬理学者、植物学者です。そのような背景もあり、『薬物誌』は『ギリシャ本草』とも呼ばれます。

薬物誌『ウィーン写本』鳥の項目(6世紀初期)

ディオスコリデスは薬理学と薬草学の父と言われ、各項目で様々な種類が網羅され、それぞれに詳細が記されています。植物だけでなく、鳥などの項目もあります。古代ギリシャの知識として、上流階級や専門家の間で脈々と受け継がれてきたわけです。

テオドシウス1世没後のローマ帝国の分裂(395年頃、赤:西ローマ帝国、紫:東ローマ帝国)
"Theodosius I's empire" ©Geuiwogbil at English Wikipedia(17 October 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0

巨大化し過ぎたローマ帝国はその体を長くは維持できず、東西分裂に分裂しました。

その後、東ローマ帝国は急速にギリシャ化が進み、520年代には既に文化的には別物と言えるくらい西ローマ帝国とは異なるものになっていました。

東ローマ帝国はトルコやギリシャなど、エーゲ海を中心にした古代ギリシャ地域がメインです。

『蛮族の棲む地』となった中世の西ヨーロッパ
476年に蛮族の指導者オドアケルに帝冠を渡す西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルス 古代ゲルマン系のゴート人に福音書を解説する4世紀のウルフィラ司教

西ローマ帝国は早々に滅亡し、西ヨーロッパは『蛮族の棲む地』となりました。近代以降のヨーロッパしか知らない日本人にとっては煌びやかに見える西ヨーロッパですが、長く文明後進国という劣等感がありました。学者を追い出しまくり、知的なものは人や知識も含めて排除されました。新興宗教(カルト)を無知蒙昧に信じる暗黒の中世に突入しました。群雄割拠のロマン溢れる時代とも言えますが、学術や芸術などの文化が発展したイメージとは真逆です。

ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位:西方副帝306-312年、西方正帝312-324年、全ローマ皇帝:324-337年)" 0 Constantinus I - Palazzo dei Conservatori (1) " ©Jean-Pol GRANDMONT(07:39, 24 April 2013)/Adapted/CC BY 3.0

だから後進国の西ヨーロッパに対し、東ローマ帝国(ビザンチン)がローマ帝国の正統な後継国というイメージが強くあります。

東ローマ帝国は現在のトルコ最大の都市イスタンブールの地を首都とし、1453年にオスマン帝国から滅ぼされるまで存続しました。

コンスタンティノープルはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が330年、古代ギリシャの植民都市ビュザンティオンに建設した都市です。『新ローマ』として、ここに首都が移されました。

コンスタンティヌス1世は313年、『ミラノ勅令』でキリスト教を公認した皇帝です。その名に因む都市名となっており、キリスト教を国教とした東ローマ帝国の首都として相応しい名前でしょう。

東ローマ帝都コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)
"Istanbul Turkey Provinces locator" ©Florenco~commonswiki/Adapted/CC BY-SA 3.0
"LocMap of WH Istanbul" © Koba-chan and depending on time of crop perhaps also (see original file): JYOQ2, 赤鉛筆, あなん, Siyajkak, Peka, 俊武, Koika, Clarin, Peccafly, Uploader/Adapted/CC BY-SA 3.0

場所は現在のトルコです。今でもトルコ最大の都市イスタンブールとして、在し日の様々な遺物を観ることができます。

『Gemma Augustea(アウグストゥスの宝石)』
オニキス・カメオ(23×19cm) ディオスクリデス or その弟子 20-30年頃
 "Gemma Augustea" ©James Steakley(October 2013)/Adapted/CC-BY SA 3.0

世界最高峰の大型カメオ『ジェマ・アウグステア』を継承したのも東ローマ帝国です。東ローマ人は自らを『ロマノイ(ローマ人)』と呼び、初代ローマ皇帝アウグストゥス時代から始まる、ローマ帝国の正統な後継者として自認していました。このカメオはその象徴と言う意味でも重要でした。ローマ属州ギリシャの名工の作であり、コンスタンティノープルが古代ギリシャの植民都市だったことも重要です。トルコこそ、本来の意味での古代ギリシャとも言えるのです。超ややこしいですね(笑)

東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世(575年頃-641年)"Heraclius solidus" ©Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com(18 Jamuary 2020)/Adapted/CC BY-SA 2.5

東ローマ帝国の初期の公用語は、ローマ帝国時代の伝統を受け継いでラテン語でした。法律や軍の命令などで使用された言語です。

しかし、一般民衆や文化的な共通語はギリシャ語が圧倒的に優勢でした。皇帝ヘラクレイオス1世の治世に、実態に合わせてギリシャ語が正式な公用語となりました。

この公用語のギリシャ語への変更に伴い、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は文化・社会の面でも完全にギリシャ化が進みました。

古代ギリシャのヘラクレスのエレクトラム・リング『英雄ヘラクレス』
エレクトラム インタリオ・リング
古代ギリシャ 紀元前5世紀
SOLD

ご想像の通り、皇帝ヘラクレイオス1世の名は古代ギリシャの英雄ヘラクレスに因みます。

ササン朝ペルシャとの26年に渡る戦いに勝利した皇帝で、ヘラクレイオス朝の開祖です。「キリスト教化されたギリシャ人のローマ帝国」と揶揄される、ギリシャ的要素の強い『中世ローマ帝国』の幕開けとなったとされます。

ヘラクレイオスの父方は、アルメニアの名族アルサキド家の血筋のアルメニア貴族でした。アルメニアと言えば、301年に世界で初めてキリスト教を国教とした国です。

【世界遺産】アヤソフィア(旧コンスタンティノープル 建設開始350年頃、再建537年)
 "Hagia Sophia Mars 2013" ©Arild Vagen(1 March 2013, 11:25:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0

コンスタンティノープルでキリスト教(ギリシャ正教会)の大聖堂として使用された『アヤソフィア』は、ギリシャ語で『聖なる叡智』を意味します。

【世界遺産】アヤソフィア(建設開始350年頃、再建537年)内部の柱
 "Hagia Sophia (15468276434)" ©Clay Gilliland(6 Novemober 2014, 01:04)/Adapted/CC BY-SA 2.0

古代ギリシャの美術様式を感じさせつつ、キリスト教化した東ローマ帝国(ビザンチン帝国)らしさもある、文化的にも実に興味深い建築物です。

東ローマ(ビザンチン)帝国時代のコンスタンティノープル
 "Byzantine Cinstantinople-en" ©Cplakidas(28 October 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

コンスタンティノープルは古代から、アジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝でした。新ローマの行政首都として、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の隆盛と共に栄えました。

ビザンチン帝国時代の競馬場(左)と共にコンスタンティノープルの街
 "A view from The Sphendone of the Hippodrome" ©Hbomber(2 October 2022)/Adapted/CC BY-SA 4.0

30〜40万人の人口を誇るキリスト教圏最大の都市として、最盛期は「世界の富の3分の2が集まる場所」とも称されたほどです。古代ギリシャや古代ローマに通ずる様々な文化や遺物へ身近に触れることができる場所であり、後進国だった西ヨーロッパ王侯貴族にとって憧れの文明大国でもあったのです。

3-1-5. 西ヨーロッパ貴族の憧れだったトルコ

『虹の肖像』老いを知らないエリザベス女王を寓意画的に表現した肖像画(1600年頃)67歳頃

 特にイギリスは、ヨーロッパの中でも辺境の田舎に在りました。

文化的にも後進国である状況を打破すべく、イングランド女王エリザベス1世が国策として始めたのが、イギリス貴族育成のための見聞旅行『グランドツアー』でした。

さすが英国王室1のインテリと評価されるヘンリー8世の頭脳を受け継いだと誉れ高い、エリザベス1世です。

イギリス貴族のグランドツアー(見聞旅行)
グランドツアーの行程例 "Grand Tour William Thomas Beckford" ©Szarka Gyla, Jane023(2009年8月23日, 14:28)/Adapted/CC BY-SA 3.0 グランドツアー

『グランド』というのは辺境の島国イギリスにとって、広大なヨーロッパ大陸を意味します。現代のように交通手段が発達しておらず、旅行は数ヶ月から8年くらいかかるのが当たり前だった時代の旅でした。地位や予算によって、規模も様々です。フランスで、ヨーロッパ上流階級の共通語フランス語を学び、マナーやエレガントな振る舞いを身につけ、イタリアで古代とルネサンス美術を学び、目利きした骨董を持ち帰るのがメジャーな旅程です。

アナトリア半島のイダ山(カズ山)

飛行機どころか車すらもありません。イタリアまででも十分に遠方ですし、贅沢な旅程です。若者んの時間も無限にはありませんから、古代ギリシャの継承者トルコのイスタンブールに足を伸ばしたくても、さすがに多くのイギリス貴族は無理です。

イタリアをグランドツアー(見聞旅行)中のイギリス貴族の若者
古代ローマ・ファッションのグランドツアー中のサンダーランド伯爵(1641-1702年) グランドツアー中の初代ダンスタンヴィル男爵フランシス・バセット(1757-1835年)

古代世界への造詣の深さは、ヨーロッパの王侯貴族にとって最重要と言えるほど重視されていました。知識を議論したり、骨董として収集したり、さらにはコスプレを楽しんだり新たなクリエーションに繋げていったりするなど、ヨーロッパ文化への影響は計り知れません。

ヨーロッパ美術の原点とされる古代ギリシャ
古代の遺物 新たなクリエーション
アレキサンダー大王の古代ギリシャ(ヘレニズム)のアメジスト・インタリオのクラバットピン『アレキサンダー大王』
古代ギリシャ アメジスト・インタリオ
ヘレニズム 紀元前2-紀元前1世紀
※リングに作り替え可
¥4,400,000-(税込10%)
アールデコの棕櫚を持ち凱旋する勝利の女神のリバース・インタリオ・ブローチ『女神の凱旋』
アールデコ リバース・インタリオ ブローチ
フランス 1920年頃
¥2,200,000-(税込10%)

古代ローマはメジャーですが、その背景に古代ギリシャがあり、特に芸術面ではギリシャは別格です。ヨーロッパ王侯貴族の流行・文化、個人の教養や財力、好みやセンスに至るまで全てが詰め込まれる小さな宝物だからこそ、そのことを如実に物語ってくれます。

アヤソフィア大聖堂を背景にしたメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人(1689-1762年)
啓蒙時代のカンティーユ&ペルシャ産トルコ石のリュミエール・ジュエリー『ソフィア』
リュミエール ペンダント&ブローチ
フランス or イギリス 1820年頃
¥880,000-(税込10%)

夫には帯同せず、貴婦人は家を守るのが通常だった時代。好奇心旺盛でアクティブなモンタギュー夫人が、外交官の夫に帯同してオスマン帝国コンスタンティノープル(現:トルコのイスタンブール)に移住したり、アヤソフィア大聖堂を背景にして肖像画を描かせたり、知恵の女神ソフィアをペンネームとして名乗ったりした理由も想像できてくると思います。知恵の女神キュベレー(クババ)を頂く聖地イダ(カズ)山に見守られる、古代ギリシャ継承国としてのトルコ。

28歳頃のモンタギュー夫人と4歳頃の長男エドワード(オスマン帝国 1717年頃)

モンタギュー夫妻がオスマン帝国に赴任したのは1717年です。長旅が危険だった時代、夫人のみならず幼い子供まで帯同するのは通常ではありませんでした。古代ギリシャの継承地コンスタンティノープルは、イギリス貴族にとって遠方の憧れの大都会でした。

メアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人(1689-1762年)1716年以降、26歳以上

モンタギュー夫人は王族に準ずる公爵家の生まれです。良家であっても女性が十分な教育を受けることはない時代でしたが、弟が教育を受けるのを身近に接し、教養を身につけました。

帰国後は外交官の妻として18ヶ月の滞在期間で得た、トルコに関する様々な知見をまとめた『トルコ書簡集』(Letters fom Turkey)を出版し、有名かつ高く評価されています。

夫とは良き友人のような関係となり、22年間もイタリアやフランスなど海外で自由に暮らすようになりました。

持ち前のセンスと知性に加え、公爵レベルの教養と知識もあり、ヨーロッパ大陸の社交界でも注目の的だったようです。グランドツアーのイギリス貴族の子弟も、モンタギュー夫人に会いにいくことも定番となりました。

皆、トルコすなわち古代ギリシャに興味津々というわけです。

モンタギュー夫人の長男エドワード
トルコ衣装のエドワード・ウォートリー・モンタギュー(1713-1776年)1775年、62歳頃 トルコ衣装のエドワード・ウォートリー・モンタギュー(1713-1776年)1775年、62歳頃

長男エドワードはモンタギュー夫人の自由奔放さと知性を受け継いだとされ、ヘブライ語、アラビア語、カルデア語、ペルシャ語が堪能で、優れた雄弁家でもありました。世界各地を渡り歩く旅行家として知られ、ヴェネツィア滞在中はトルコ流の生活をしていたそうです。肖像画ではどれもトルコ衣装の出立なのが印象的です。

28歳頃のメアリー・ウォートリー・モンタギュー夫人と4歳頃の長男エドワード(コンスタンティノープル 1717年頃)

コンスタンティノープル時代は愛らしい4歳頃でしたが、成長しましたね〜♪

印象的な経験でもありますし、4歳なら全てでなくとも記憶の底にトルコでの経験が刻み込まれていたでしょうか・・。

古代ギリシャに通ずるトルコ石の宝物
ビザンチン・スタイル
宝石のバード ブローチ
東欧? 19世紀初期
SOLD
ジョージアンの矢と矢筒のルビー&エメラルド&トルコ石のヴィネグレット
『矢と矢筒』
ヴィネグレット
イギリス 1820年頃
SOLD
アンフォラ型のターコイズ&ゴールドのピアス『古代のアンフォラ』
ターコイズ&ゴールド ピアス
イギリス 1860〜1870年頃
SOLD

トルコは東ローマ帝国を経由して最も濃く正統古代ギリシャを継承した国であり、だからこそペルシャ産だったとしても、知恵の女神キュベレー(クババ/ソフィア)が見守るトルコの知的な空を表現する青として『ターコイズ』、『トルコ石』と名付けられたのかがご納得いただけると思います。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

それを理解しているか否かは発言からも分かりますし、ジュエリーならばデザインからもはっきり分かります。

ジョージアンだけでなくレイト・ヴィクトリアンにかけても王侯貴族の知的階層に安定してトルコ石が好まれたのは、古代ギリシャを想わせる宝石だからです。

背景が分かると、世界が違って見えてくるのではないでしょうか。小さな宝物は、静かに色々なことを教えてくれます。本当に面白いですね♪

3-1-6. 上質な青の色彩のトルコ石

 この宝物は4粒すべてのトルコ石が最上質です。均質で鮮やかな青の色彩は、極小サイズでありながら確固たる存在感を放ちます。視認できるギリギリのサイズでありながら、ここまで印象に訴えかけることができるのも、トルコ石の大きな特徴です。透明度の高い石だと、このサイズで鮮やかな色彩を感じさせるのは困難な場合が多いです。色も沈みます。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

不透明なトルコ石は内部に光が吸い込まれず、銅に起因するほぼ100%の青い色を表面で反射します。だからネオンサインのように、自ら発光するような力強い発色を感じられます。巨大宝石である必要がなく、大きいとむしろ野暮ったく感じるほどです。

質によって異なるトルコ石
ヴィクトリア女王の宝石のピアス【引用】ABC News / Royal opals worn by Queen Victoria sent to Adelaide for SA Museum exhibition (24 September 2015, 5:57)

トルコ石は緑色だったり、変色したりすることがあります。トルコ石の鮮やかな青は銅由来ですが、鉄の比率が多いと緑色に発色します。また、長時間の直射日光や紫外線、熱に晒されることで内部の水分や成分が変化し、緑がかった色やくすんだ色彩に変色したり退色することがあります。つまりトルコ石の質を見る場合、『色彩』が重要となってくるわけです。無秩序な退色や変色は、低品質の現れと言えます。実際、作りと連動しています。

但し、緑色だから低品質とは限らないのがアンティークジュエリーの面白さです。一般人も含め、成金思考の人は単純化して考えたい脳の性質があります。容量が足りないため、無意識に単純化して物事を考える思考回路が備わっています。本人に悪気はありませんが、これが『頭デッカチ』の正体です。

英国王室のトルコ石ジュエリー
マーガレット王女(1930-2002年)
 "Princess Margaret" ©David S. Paton(Unknown date)/Adapted/CC BY-SA 3.0
女王エリザベス2世(1926-2022年)2020年、93歳
 【引用】princeandprincessofwales / Instagram

新型コロナウイルスのパンデミックは、今を生きる全世界の現代人が経験した出来事と言えます。2020年4月、国民に向けてエリザベス女王自らが異例のテレビ演説を行ったことは大きな話題となりました。連動して、着用していたトルコ石のブローチについての説明もメディアでプロモーションされました。トルコ石は『保護』、『癒し』、『希望』、『繁栄』を象徴する石とされ、コロナ禍の困難な状況に直面する世界や国民に向け、安心感や癒し、前向きなメッセージを視覚的に込めたものとして宣伝されました。

英国女王の威信、富や権力を示す目的ではありません。華美なものは相応しくない一方で、何の石か分からぬほど小さくては意味がありません。そのバランスとして、大きな1石だけを使ったこのブローチが選ばれたのでしょう。グリーンを帯びたトルコ石の色彩に合わせ、お召し物もグリーン系の生地を選んだのでしょう。

女王エリザベス2世(1926-2022年)2020年、93歳
 【引用】princeandprincessofwales / Instagram

王族の巨大宝石系のジュエリーは、このような目的で使用するお仕事用です。「巨大な宝石ほど良い。」と短絡思考するのは頓珍漢です。社交界や普段の王侯貴族に会ったことがなく、一般大衆を相手にした際の姿しか知らない大衆の思考回路です。

緑色のトルコ石が安物と思い込むのも、やはり頓珍漢です。

誰がどのような目的で使っているのか、全てを演算して初めて正確な答えを導けます。

青と緑のトルコ石を使ったデザイン性の高い表現
天然トルコ石 ターコイズ ジョージアン ブローチ エメラルド 天然真珠 アンティーク・ジュエリーブローチ&ペンダント
イギリス 1800〜1820年頃
SOLD
ジョージアンの天然ルビー&ペルシャ産トルコ石&天然真珠リング『永遠に咲く花』
クラスター・リング
イギリス 1811〜1820年頃
SOLD
鈴蘭のブローチ ペルジャンターコイズ 天然トルコ石 天然真珠 アンティークジュエリー 『A Lily of the Valley』
鈴蘭のブローチ
ヨーロッパ 1880年頃
SOLD

安物の場合、宝石の質は妥協で選びます。私たちがお取り扱いするクラスは、お金(安さ)より美しさを優先して作られます。ヨーロッパの王侯貴族には基本的に、トルコの空を想わせる独特の青い色彩が好まれたようです。

青&緑のトルコ石を使ったデザイン性の高い表現
旅のお守りとしての天然トルコ石(ペルジャンターコイズ)を使ったヴィクトリアンのアンティーク・ゴールド・ブレスレット『旅のお守り』
ターコイズ・ボール・ブレスレット
イギリス 1880年頃
SOLD
ラティスワークが美しい天然真珠&ペルジャン・ターコイズのハート型ブローチ ヴィクトリアンのアンティーク・ジュエリーラティスワーク ブローチ
イギリス 1890年頃
SOLD

稀に、意図してグリーンのトルコ石をデザインしている場合があります。青だけ、もしくは緑だけの均一で作った場合をご想像ください。これらのデザインだと、のっぺりと面白みに欠けた雰囲気になったでしょう。色彩で変化を付け、単なる造形デザイン以上の深みを具現化しています。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

ただのオシャレ・デザインだった場合、この宝物もグリーンのトルコ石を混ぜて、色彩で変化をつける選択肢もありました。

PD
トルコ石のパリュールを着けたフランス皇后ジョゼフィーヌ(1812年)

青いトルコ石は単なるオシャレだけでなく、古代ローマやギリシャの女神に通ずる宝石なのです。

紀元前700年頃の古代ギリシャの叙事詩人ヘシオドスとミューズ(ムーサ)(ギュスターヴ・モロー 1891 年) 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

9つの星は、芸術の神アポロンが主宰する芸術の9柱のミューズかもしれません。

この宝物が制作されたのは1890年代とみられます。同じ頃、聖書やギリシャ神話を描いた作品で有名な象徴主義の画家ギュスターヴ・モローが、古代ギリシャの叙事詩人ヘシオドスと、加護とインスピレーションを授けるミューズ(ムーサ)も描いています。

ミューズの翼がターコイズ・カラーなのは、実に象徴的です。分かる人には分かる、秘密の知識を共有する者の作品です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント プレアデス星団(スバル)

一方で、この印象的な青の色彩は、依頼主にとってプレアデスを示すために必須だったのかもしれません。今となっては持ち主たちだけが知る所です。そのような、少し謎が残される部分もアンティークジュエリーの愉しい魅力だと感じます。新しい持ち主が、ご自身にとっての意味を新たに見出し、この宝物の全てを愛していけば良いのです。それが最高の形です♪

3-2. 極小宝石と彫金を組合せた輝く星々の表現

3-2-1. 星々に意識が向いた19世紀

 観測技術が発達し、1835年のハレー彗星の到来、1859年の太陽嵐(キャリントン・イベント)など、19世紀は宇宙の様々なことに意識が高まった時代でした。上流階級の知的階層の探究心を大いに掻き立て、様々なハイジュエリーにも反映されています。

ハレー彗星(1835年) 太陽フレア初観測(1859年) SF小説『月世界旅行』(1865年)
ハレー彗星の回帰を発見したエドモンド・ハレーの1835年のコーネリアン・インタリオ
『エドモンド・ハレー』
コーネリアン インタリオ
イギリス 1835年
SOLD
エトラスカンスタイル ブローチ アンティーク・ジュエリー『古代の太陽』
エトラスカン・スタイル ブローチ
イタリア(FASORI) 1859年頃
SOLD
マン・インザ・ムーンの両面ペンダントマン・インザ・ムーンの両面ペンダント
マン・イン・ザ・ムーン 両面ペンダント
イギリス 1880年
SOLD

「地球以外の星へ、乗り物で行く!」というアイデアは、実は古くからありました。フランスの作家シラノ・ド・ベルジュラックが小説『月世界旅行記』(1657年)の中で、火薬(ロケット)の推進力を使って月まで飛ぶという、世界で最初期の宇宙船に近いアイデアを描いています。19世紀の宇宙への意識拡大に特に貢献したと言えるのは、フランスのSF小説作家ジュール・ヴェルヌでしょう。1865年にが発表した『月世界旅行』で描かれた乗り物は。後のロケット科学者に多大な影響を与えました。『マン・イン・ザ・ムーン』のモチーフも大流行しています。安物含めてピンキリですが、重要な『月の裏側』まで表現されたものを扱っているGenはさすがです♪

サモサタのルキアノス(120/125年頃-180年以後)

『月旅行』の発想自体はもっとうんと古く、ローマ帝国時代にギリシャ語で執筆したサモサタのルキアノスが『本当の話』(167年頃)や、『イカロメニッポス』で描いています。史上最初のSFとされます。

ルキアノスの出身地サモサタは現在のトルコにあります。父親の職業は不明ですが、祖父と叔父は石工です。これだけで、分かる人には分かると思います。

小説家シラノ・ド・ベルジュラックの『D』も同様です。

知りたい方は、ぜひご自身でも調べてみてください。

3-2-2. SFと知的階層と上流階級のハイジュエリー

SFの父ジュール・ヴェルヌ(1828-1905年)1853年、25歳頃

 私は物心ついた頃から活字中毒でした。日中は外でばかり遊んでいましたが、夜や雨などで外出できない時間は本ばかり読んでいました。

SFや冒険物も大好きで、ジュール・ヴェルヌの書籍もワクワクしながら読んだものです。作品数は膨大で、未読の書籍も多数です。
『気球に乗って五週間』、『地底旅行』、『月世界旅行』、『ハテラス船長の冒険』、『グラント船長の子供たち』、『海底二万里』、『月世界に行く』、『洋上都市』、『八十日間世界一周』、『神秘の島』、『チャンセラー号の筏』、『彗星飛行』、『蒸気の家』、『南十字星』、『十五少年漂流記』、『地軸変更計画(上も下もなく)』、『動く人工島』、『黄金の流星』、『地の果ての燈台』など。

SFの父ジュール・ヴェルヌ(1828-1905年)1878年、50歳頃

題名を追うと、世界観や乗り物など、豊かな想像力を掻き立てるものが多いことがご想像いただけるでしょう。

ヴェルヌのこの写真は、写真家で飛行研究家だった友人ナダールが撮影したものです。

『飛行研究家』にご注目された方もいらっしゃるでしょうか。

ヴェルヌの独創的なSF小説は単独のアイデアではなく、社交界の知的階層などの間で揉み込まれ、代表者/代弁者たるヴェルヌによって形にされ、発表されたとも言えます。

UFOのダイヤモンド&技ロッシュエナメルのブローチブルーエナメル UFOブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD

『宇宙船』や『飛行船』があったとしたら、どんな形だろう。

大衆はヴェルヌの発表後に様々なことを知覚しますが、社交界の人々の間では既に熱心に議論されてきたものが多くあります。しかも単なる空想ではなく現実化を想定していますから、技術的な知識も組み込んで議論されました。

その反映の1つがこの宝物ですが、こんなに豪華な宝石とエナメルのUFOなんて、当時の王侯貴族は贅沢ですね♪

フランスの写真家で飛行研究家ナダール
風刺画『写真を芸術の高みに浮上させようとするナダール』(オノレ・ドーミエ 1869年) 気球に乗ったセルフ・ポートレート(ナダール 1820-1910年)

ちなみに写真家で飛行研究家のナダールは、アンティークジュエリー好きの方はぜひ覚えておくと良いです。当時の超有名人であり、知的階層や芸術家との関係も密です。友人で小説家ジュール・ヴェルヌに加え、数多くの文化人や重要人物も撮影しています。飛行研究家として、気球の飛行技術研究などでも知られています。


ハノーバー領内での『巨人号』飛行実験の失敗(アンリ・ド・モントー 1863年)

一般大衆は完成形しか意識が行かないものです。優れたアンティークジュエリーの制作同様、気球による飛行も試行錯誤の繰り返しでした。毎回、莫大な費用も必要になります。ナダールは1863年頃から巨大気球『巨人号(Le Geant)』を建造しました。高さ40m、13人乗りです。この計画が同年のジュール・ヴェルヌの小説『気球に乗って五週間』にインスピレーションを与えています。しかし10月4日のパリでの公開飛行では高度が上がらず、飛行距離が伸びず失敗に終わりました。10月18日にハノーファーで2度目の飛行実験に挑みましたが、失敗して妻が負傷しました。

フランスの航空の先駆者ジャン=マリー・ルブリ
ルブリの特許(1857年) アルバトロスII(ジャン=マリー・ルブリ 1868年)撮影:ナダール

このような挑戦には莫大な資金も必要です。失敗が続けばパトロンも手を引きます。資金が尽きたナダールは計画を中止し、将来の飛行技術は気球でなく、空気より重い飛行機械が先導すると確信したそうです。舵を切ったなダールは『空気より重い機械による飛行促進のための協会』を結成しました。ナダールが会長、ジュール・ヴェルヌが書記を務めました。マジでガチです。

「これはジャン=マリー・ルブリと飛行機械です。1856年12月に操縦装置のついたグライダーで飛行しています。写真は1868年、フランス海軍の援助を受けて制作した『アルバトロスII』です。良い結果は出せなかったものの、航空機の写真としては最古のものとなっています。撮影者はナダールです。


アルマン・バルベス号で包囲下パリから出発するガンベタ(1870年10月7日)

1864年にもナダールは、ブリュッセルで巨大気球『巨人号』の飛行実験を行いました。群衆が気球に殺到せぬよう、安全な距離をとるための最新式の可動式バリアを使用する必要があったほど注目度は高かったそうです。普仏戦争(1870-1871年)では軍事用気球を建造し、気球部隊も組織しました。『ジョルジュ・サンド号』、『アルマン・バルベス号』、『ルイ・ブラン号』の3機でパリに迫る敵の偵察と撮影、地図作成、手紙の輸送などの軍事作戦に従事しました。

これは1870年に石炭ガス気球『アルマン・バルベス号』で包囲下のパリから出発する様子です。ドイツ軍に包囲された絶望感は感じられず、最先端技術への注目度や期待の高さが伺えます。勝利や生存への希望を託す、『夢の空飛ぶ気球』という感じでしょうか。

ナダールが撮影した著名人のポートレート
デュドヴァン男爵夫人ジョルジュ・サンド(1804-1876年)1864年、60歳頃 女優サラ・ベルナール(1844?-1923年)1864年、20歳頃

『ジョルジュ・サンド号』も編成された通り、ナダールはデュドヴァン男爵夫人ジョルジュ・サンドも撮影しています。写真技術が普及し始めたのは1840年代以降でした。昔はカメラを購入するどころか、1枚撮影するだけでも高価でした。日本でも、写真館でハレの日に撮影するだけのものだった時代もあります。

肖像写真は人物の描写という意味で、カメラマンの腕が想像以上に重要です。写真撮影自体が珍しかった時代、腕が良く、多数の著名人から高く評価されていた写真家ナダールに依頼する人は多かったのです。

ナダールが撮影した著名人のポートレート
ピアニスト/作曲家フランツ・リスト(1811-1886年)1884年、73歳頃 博物学者ジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915年)

女性だけでなく、お爺さんたちも個性と特徴を見事に捉えています。技術のみならず、ナダール自身の人柄もあってこそです。音楽家のリスト、『昆虫記』のファーブル。国籍や分野の垣根はありません。ナダールにポートレートを依頼すること自体が、著名人の一種のステータスとなっていたのでしょう。ナダールは、著名人とコネクションのあるハブとしても機能していたわけです。

ナダールの息子ポールと第2回遣欧使節団の谷津勘四郎、斎藤次郎太郎(1863年)

現代の日本人には遥か遠くの他人事のように感じられるかもしれませんが、ナダールの息子と第2回遣欧使節団の写真も撮影されています。

日本の上流階級にして、精鋭中の精鋭のエリート層です。

現代は雑多な時代となりましたが、当時は上流階級や知的階級、芸術家などが密に交流し、新しい文化や時代を創り出していました。

飛行研究家ナダールの友人、SF小説家ヴェルヌの名言として知られる言葉です。

"Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables."
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。」

この言葉を知ると、ヴェルヌの作品やUFOのブローチもまた違って見えてくるのではないでしょうか♪♪

3-2-3. ミッド・ヴィクトリアンの星の表現

 ミッド・ヴィクトリアンは『女王』が貴婦人のファッションリーダーの時代でした。夫を陰で支える王妃ではなく、君主です。特に大英帝国最盛期パクス・ブリタニカの君主、ヴィクトリア女王の影響は絶大です。好まずとも女性が男性より上の立場として、虚勢を張ってでも威厳を示す必要がありました。

ミッド・ヴィクトリアンの王族女性
スペイン女王 イギリス女王 イギリス女王の従妹
スペイン女王イザベル2世(在位:1833-1868年)とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボン王配 ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 メアリー王妃の母・テック公妃メアリー・アデレード(1833-1897年)1860年、26歳頃

ふくよかな女性が多く、ヴィクトリア女王の従妹メアリー公妃のような、癖があって自己顕示欲の強い成金趣味の王族が社交界を構成した時期だったため、高位貴族にもそれを反映したジュエリーが流行しています。だからGenも私もミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは極端にお取り扱い数が少ないです。

UFOのダイヤモンド&技ロッシュエナメルのブローチブルーエナメル UFOブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD

UFOのダイヤモンド&技ロッシュエナメルのブローチ

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

知的にも面白いUFOブローチは、珍しくGenがご紹介できたミッド・ヴィクトリアンの宝物です。同じように彫金と宝石を組み合わせた『星』の表現でも、ミッド・ヴィクトリアンだと大きいです。

【参考】星をデザインしたジュエリー

これらは私たちの基準には見たないジュエリーですが、一般的には一応高級品の部類です。Genは「イカやタコの足。」と表現し、私も初めて見た際に「宇宙人というか火星人みたいw」と思いました。火星人の姿が議論された時代でもあるので、感覚的には合っていたようです(笑)いずれも星のデザインは大きいです。

3-2-4. レイト・ヴィクトリアンの貴族らしい星の表現

シャンルべ・エナメル&ハーフパールのロケット・ブローチシャンルべ・エナメル&ハーフパールのロケット・ブローチシャンルべ・エナメル ロケット・ブローチ
イギリス 19世紀後期
SOLD

 1862年にアルバート王配が旅立ち、ヴィクトリア女王は喪に服しました。そして二度と華やかに装うことはありませんでした。

同じ『ヴィクトリアン』という時代であっても、貴婦人のファッションリーダーはアレクサンドラ王太子妃に移行しました。

妻として夫を立てる、王妃の立場です。自らを激しく主張するのではなく、女性らしい優しさや慈愛、貴族らしい気品と知性に満ちたものが好まれるようになりました。これはモーニング・ジュエリーで、失った人を小さなしら星に見立てた宝物です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

『女王の時代』は特殊です。

アレクサンドラ妃はヨーロッパ王族らしい気品と美しさを備えていたとされ、レイト・ヴィクトリアン以降は本来のヨーロッパ上流階級らしい、小さくて良いものが流行しました。

この時代は、台頭した中産階級(新興成金)の成金丸出しジュエリーも併存します。

小さくて良いものこそが、王侯貴族のために作られたハイジュエリーの証です。

彫金と宝石を組み合わせて表現する『花』
エメラルド&ローズカット・ダイヤモンドの2カラー・ゴールドのお花ブローチエメラルド&ダイヤモンド 2カラー・ゴールド プチ・ブローチ
フランス 1880年頃
SOLD
素晴らしい金細工のフランスの鈴蘭のロケット・ペンダント『鈴蘭』
天然真珠 ロケット ペンダント
フランス 1900年頃
SOLD

彫金と組み合わせることで、宝石を使って様々な意匠が表現できます。宝石単独では再現できない、複雑な形をデザインできます。高度な職人技あってこそです。

サファイア&ダイヤモンドのオリオンのベルトのハート・ペンダント『オリオンのベルト』
サファイア&ダイヤモンド ハート型ペンダント
イギリス 1890〜1900年頃
SOLD

サファイア&ダイヤモンドのオリオンのベルトのハート・ペンダント

←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

職人技の価値を理解し、こよなく愛したのが古の王侯貴族です。

小さければ小さいほど良く、分かりにくいものほど好き。神技の職人たちは、その超絶技巧で応えました。

これも『オリオンの三つ星』をデザインした、特別な宝物でした。

サファイア&ダイヤモンドのオリオンのベルトのハート・ペンダント
サファイア&ダイヤモンドのオリオンのベルトのハート・ペンダント ←等倍↑

彫金技術は神技ですし、彫金デザインも個性があります。もちろん宝石も、小さいながらも最上質です。小さな宝物であっても、溢れる知性が感じられます。

【参考】ミッド・ヴィクトリアンのピアス

派手で目立つだけ、知性も個性も感じられぬものはHERITAGEの基準には合格しません。

3-2-5. 神技の彫金と石留技術

 この小さな香水瓶の彫金も、確実に神技と言えます。これだけ拡大してもシャープな出来栄えで、完成度の高さは驚異的です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

このような規則正しい配列かつサイズが揃ったものは、粗が目立ちやすいです。全体で辻褄が合えば良いアーティスティック系のデザインと比較して、圧倒的に技術難易度が高いです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

深く星型に彫金し、カボションカットのトルコ石と天然真珠をセットしています。これだけ拡大しても、殆ど爪が見えないほど微細な作りです。

ハーフパールが脱落したジャンク品
【参考】シードパールが脱落している安物

ハーフパールは脱落しやすく、高級品でも紛失していることは多々あります。これはHERITAGE基準は満たしませんが、デザインされた特別なバチカン、ナイフエッジ、グレインワークやシャープさのある作りなど、高級品に分類できます。しかし2箇所ハーフパールが脱落しています。そのお陰で、どうやってセットしているか分かりやすいですね。ハーフパールの形状に合わせて溝を彫金し、そこにセットします。

【参考】ハーフパールのセッティングが隙間だらけの稚拙な安物

工業製品と化した現代の大量生産ジュエリーと違い、天然宝石の個性に合わせて、職人が手作りする必要があります。ハーフパールも直径や曲率など、形状に1つ1つ個性があります。精密に土台を削り出すのも至難の業です。稚拙な技術による安物は、隙間が大きくなりがちです。だから容易に脱落します。

【参考】接着剤で修理された安物

隙間が大きいと、爪も大きくしないと固定できません。収集がつかなくなって、接着剤で無理やり留めている場合も多いです。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

宝石の曲率に合わせ、精密にフィットするよう削り出していれば、爪は最小限で済みます。この宝物は、他に見ないほど驚異的な神技でセットされています。爪の気配が殆ど感じられず、極小サイズでも宝石の美しさだけに没入できます♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

奥深くにセットされているからこそ、作られてから130年ほどは経過していても、宝石の表面に摩耗も感じられず美しいコンディションを保っています。星型の彫金の溝も丹念に磨き上げられており、光の角度によってキラキラと黄金の星々の輝きを放ちます♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

実物は想像以上に、表情を豊かに変化させます。ファセット・カットしたダイヤモンドやルビー、サファイアなど、華やかな宝石だけが動的な美しさを持つわけではないんですよね。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

このような方向性の宝物は、王侯貴族のために作られたハイジュエリーの中でも玄人向けなので、滅多に存在しません。

このような『分かりにくいけれど良いもの』は、やはり男性ならではのこだわりを強く感じます。

意中の貴婦人、麗しのミューズに捧げるために創ってもらった最高傑作なのだろうと想像します♪♪

3-3. 格調の高さと気品に満ちたマットゴールド

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 この宝物は、ゴールドの質感の違いを楽しめるのも大きな魅力です。

ゴールドは表現の幅が多様で、無限の可能性を秘めた金属です。ご注目いただくと、蓋と本体で質感や輝きが全く異なることにお気づきいただけるでしょうか。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント アンティークの15ctゴールドの香水瓶の裏側

蓋も本体も15ctゴールドという同じ素材です。しかし表面形状を調整することで、質感に変化を創っています。蓋は輝きが強めな一方で、本体は全面をマット加工しています。高級感と気品を創り出すマットゴールドは、Genも特に大好きです♪

3-3-1. 物質主義を極めた時代の安っぽいゴールド

【参考】ラッパーや成金っぽくなれるネックレス(現代)

 アンティークジュエリーを知る以前、ゴールド系のジュエリーは成金のイメージがありました。

同じような方もいらっしゃるでしょうか。

ピカピカと安っぽく光り、頭が軽そうな雰囲気を醸し出しながら、虚栄心や自己顕示欲を丸出しで悪目立ちするアレです(笑)

現代の成金感の強いゴールドリング
【参考】シグネット リング 18K(ティファニー 2022年)¥731,500-
【引用】TIFFANY & CO / メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド ©T&CO

物は単なるモノではありません。人の手や想いが加わったものは、それらのあらゆる情報を如実に反映し、見る者に履歴を伝えることができます。何も籠っていないものはそのような『目には見えない部分』の厚みがなく、薄っぺらさしか伝わってきません。ただ溶かして固めただけの鋳造(インゴット)に、人の心を動かす美しさや芸術性は備わりようがありません。魂が空っぽの抜け殻みたいなものです。それこそ、ただ『モノ』です。但しこの視力(認識・知覚力)には個人差があり、感度の違いによって見え方や印象は変わります。

現代の成金感の強いゴールドリング
【参考】カルティエの量産リング(2000年前後)

2000年頃を境に、モノの質は坂道を転がるように悪くなっていきました。この中古ブランド品は、現代としてはまだマシだった頃のものです。それでもゴールドのペラペラの輝きが、そこはかとなく安っぽさと頭の軽さを醸し出しています。デザイン性など微塵も感じられず、ブランド品として買う意味があるのか疑問です。『素材』やブランドの威光しか見ない、物質主義を極めた時代の行き着く先と言えます。

3-3-2. マットゴールド加工の重要性

 現代ジュエリーはただの量産の工業製品です。王侯貴族のために制作されたアンティークの最高級品は、第一級の職人兼アーティストが高度な手仕事で創り出した、小さな『芸術作品』です。

質感で変わるゴールドの雰囲気

【参考】メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド(ティファニー 2022年)
【引用】TIFFANY & CO / メイカーズ シグネット リング 18Kゴールド ©T&CO
天然真珠のフランボワーズのアールヌーヴォー・ゴールド・ネックレス『フランボワーズ』
アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス
フランス 1890〜1900年頃
¥2,200,000-(税込10%)
ワルシャワ製クッションシェイプ・ダイヤモンドのアールデコ・ゴールド・クロス
『ワルシャワ・クロス』
アールデコ クロス・ペンダント
ポーランド 1930年頃
¥750,000-(税込10%)

表面が滑らかなゴールドは、光を強く反射します。分量が多い場合、輝き方が単純だと、感覚がある人にはチャチに感じられるのです。だから表面形状をコントロールし、輝きに複雑さと揺らぎを表現することで、唯一無二の個性と高級な質感を生み出すことができます。手間と技術がかかり、それがコストにも反映されます。しかしこのマットゴールドの細工には、確実に意味と価値があるのです。

磨き上げたゴールドをデザインするフラットラインの細線
アクアマリン ネックレス アンティークジュエリー『Samurai Art』
モダンスタイル アクアマリン ネックレス
イギリス 1900-1910年頃
SOLD
モダンスタイルの非加熱サファイア・ネックレスモダンスタイルの非加熱サファイア&天然真珠ネックレス アンティークジュエリー
『草花のメロディ』
モダンスタイル サファイア&天然真珠 ネックレス
イギリス 1900年頃
SOLD

古の王侯貴族や職人兼アーティストはそれを熟知していたからこそ、このような『フラットライン』を駆使した気の利いたジュエリーもデザインできました。細い線でも、磨かれたゴールドは強い反射と存在感を放つことができます。多すぎる面積でピカピカ光るとチープ感が漂う一方で、極小面積だと鋭く冴えのある輝きが、強く印象に残ります。

カラーゴールドとプラチナの彫金が美しい白鳥のアンティーク・ブローチ
『愛の白鳥』
スワン バー・ブローチ
イギリス 1923年
¥950,000-(税込10%)

ジュエリーは、表現に於ける素材の制約が大きいです。これはプラチナとゴールドを組み合わせた『極上の細工物』です。カラー・ゴールドも見事ですが、同じイエロー・ゴールドでも、嘴(くちばし)や足、翼の羽毛の輝き方を超絶技巧の細工によって繊細にコントロールしています。

マットゴールド ピアス アンティークジュエリー『シンプル・フレンチ』
マットゴールド ピアス
フランス 1900年頃
SOLD
実物大←等倍

これも神技でハーフパールをセットした、小さな宝物です。

正面からはほぼ視認できない、これだけ超拡大しても爪が殆ど感られない美意識の高さと、高度な技術が見事です。

18ctゴールドの作りですが、ハーフパールをセットした六角形の星型は光沢仕上げ、本体は梨地のマットゴールド仕上げです。

同じゴールドという素材の中でも緩急があり、深みのあるデザインに仕上がっています。

3-3-3. マットゴールドにこだわる紳士

古代ローマ インタリオ リング 『ディアナ』
ガーネット・インタリオ リング
古代ローマ 1世紀〜2世紀
SOLD

 これは極めて貴重な、シャンクまで含めてオール・オリジナルの古代ローマのリングです。

リングとして使用される間に自然に発生した摩耗が積み重なり、2,000年ほどの時を経て、味わい深い天然マットゴールドへと昇華しています。

まさに変化を楽しむ美術品であり、成長させて愛でる宝物でもあります。時が経過することでしか作ることのできない美であり、これこそがアンティークジュエリーの価値の1つと言えます。

ルースを現代でも楽しめる古代の宝物
古代ローマの蠍座のインタリオ・リング『蠍座』
カルセドニー・インタリオ リング
古代ローマ 1世紀〜2世紀
(22ctスイベル・リングはルネサンス特製)
SOLD
アレキサンダー大王の古代ギリシャ(ヘレニズム)のアメジスト・インタリオのクラバットピン『アレキサンダー大王』
古代ギリシャ アメジスト・インタリオ
ヘレニズム 紀元前2-紀元前1世紀
(ピンはルネサンス特製。リングに作り替え可)
¥4,400,000-(税込10%)

古代の上質なインタリオ・ルースが手に入った場合、リングに仕立てることもできます。Genは男性ならではの強いこだわりとセンスがあり、デザインだけでなくゴールドの質感にまで美意識を反映させます。古の宝物に、ピカピカの新品の質感のゴールドは合いません!だから依頼した職人さんには、予めマットゴールドで仕上げてもらうのです。

マットゴールド加工されたジュエリーの光学顕微鏡拡大画像(およその倍率:×100)マットゴールド ピアス アンティークジュエリー
『シンプル・フレンチ』
アンティークの最高級品
Ring A
現代職人A氏のマット加工
Ring B
現代職人B氏のマット加工
マットゴールド ピアス アンティークジュエリー マットゴールド ピアス アンティークジュエリー マットゴールド ピアス アンティークジュエリー

表面のマット加工の方法は様々です。右2つはGenが異なる職人さんに依頼した、マットゴールドの表面形状です。アンティークの時代も工房や職人ごとに、企業秘密的な秘伝の技術を保有していたはずです。ちなみにRing Aは1億円超の現代ジュエリーも制作する、現代のトップクラスの職人さんによる加工です。Ring Bと比較するとどちらもマットな質感はありますが、Ring Aはより深みのある高級な質感が実現しています。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

マットゴールドの技法は、一般の素人が想像する以上に奥深い世界です。

そして、このような部分にこだわるのは女性と言うより、いかにも紳士らしさを感じます。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
アンティークの15ctゴールドの香水瓶のサイド アンティークの15ctゴールドの香水瓶のサイド
アンティークの15ctゴールドの香水瓶の裏側 天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

360度すべてに質感をデザインした、極めて美意識と完成度の高い宝物です♪

眼が良い方は、裏側右あたりの色の違いが気になったかもしれません。15Cの刻印がありますので、素材そのものは15ctゴールドです。ゴールドはそのままでは柔らかい金属です。使う小物として作られており、中空構造なので、どうやって130年以上もコンディションを保つ強度を実現したのか気になっていました。やや摩耗しているように見える箇所は、ピンクゴールドを帯びているように感じます。

ピンクゴールドで強度と色彩をデザインした芸術性の高い宝物
アンティークのモダンスタイルのストーン・カメオ『古代ギリシャへ想いを馳せて』
ストーン・カメオ ペンダント & ブローチ 
イギリス 1890〜1900年頃
SOLD
オパールセントエナメル&天然真珠の優美な薔薇のブローチ『薔薇』
アールヌーヴォー オパールセント・エナメル&天然真珠 ブローチ
イギリス 1900年頃
SOLD

ピンクゴールドは耐久性があり、耐久性を必要とする小物に好んで使用されました。この2つは小物ではありませんが、赤みを帯びたピンクゴールド系のゴールドを使用しています。現代のように統一規格が運用されていなかった(不要だった)時代、工房や職人ごとに割金も秘伝のレシピがありました。それぞれ唯一無二です。

デザインにご注目いただくと、どちらも金属に強度がないと不可能な、繊細で魅力的な造形を実現させています。しかも左のカメオは、ピンク系のストーンの色彩にバッチリ合っています。もしイエローゴールドで作っていたら、ストーンの色彩とマッチせず、チグハグな印象となっていたはずです。右の宝物も同様で、美しいバラ色のエナメルに、ピンクゴールドがベストマッチしています。

24Kインゴットがイエローゴールドなので、イエローゴールドだけを殊更賞賛する成金思考の人もいます。デザインや強度など、美しさや実用面まで考慮することができない頭の悪さを、自ら披露する愚行です。物質主義を極めています(笑)

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント アンティークの15ctゴールドの香水瓶のサイド アンティークの15ctゴールドの香水瓶の裏側

香水瓶本体は強度を出すため、15ctピンクゴールドで制作したと推測します。トルコ石の色彩や、星のデザインにはピンクゴールドよりイエローゴールドの方が相性が良いと感じます。このため、15ctピンクゴールドに追加で純金のフラッシュめっきを施した可能性が高いです。揺れる構造ということもあり、130年ほど使用される中で、衣服や肌に当たる部分のめっきが若干摩耗したということでしょう。

大企業の研究所で働いていた頃は、電子デバイス製品の分析も毎日やっていました。大学では不可能レベルの世界最先端の分析装置が揃っており、数千万円どころか億超えの装置も組み合わせて分析設計していました。仮説を立て、データを取って裏付ける作業です。そんな装置を買うお金はないので今は推察しかできませんが、合っていると思います(笑)

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント ←等倍↑

小さな宝物の裏側なので、若干の色の違いは、通常は言われないと気づかないと思います。強度を出すための工夫や、マットゴールド加工のみならず色彩への徹底したこだわりも示す、『価値ある証』と言えます。だからこそ、欠点ではなくむしろ自慢すべきものとして、注目してご説明しました!♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

マットゴールドの黄金の空に、星々のキラキラとした繊細な輝きが実に映えます。

時にローズカット・ダイヤモンドが使用されているのかと錯覚するほど、強い輝きを放ちます。

強い輝きは、ダイヤモンドの専売特許ではありません。磨き上げた金属は、ダイヤモンド以上の反射率を出せます。それを熟知した人がデザインすると、これほど見事な芸術作品が創れるのだと嬉しくなります♪

3-4. 長さのあるスタイリッシュなハンドメイド・チェーン

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

 この宝物は長さのあるハンドメイド・チェーンが、オリジナルのまま残っているのも大きな魅力です。

度重なる金価格高騰を乗り越えてきたことを考えると、完全に奇跡です。歴代の持ち主がその価値を正しく理解し、大切にしてきたからこそです♪

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

チェーンの長さだけで、かなり印象は変わります。香水を入れる容量を確保するため、香水瓶そのものはポテっとした可愛らしいフォルムです。チェーンが短いとそのままポテっとした印象が強くなったはずです。しかし、長いチェーンがスタイリッシュさも感じさせます。

ヴィクトリアンのファッションリーダー
ヴィクトリア女王
即位(1837年)〜服喪(1861年)
アレクサンドラ王太子妃/王妃
女王の服喪(1861年)〜エドワーディアン
英国君主ヴィクトリア女王(1819-1901年)1859年、40歳頃 アレクサンドラ王妃(1844-1925年)1905年、61歳頃

この宝物が制作された時代の貴婦人のファッションリーダーは、ヴィクトリア女王ではなくアレクサンドラ王太子妃でした。ヴィクトリア女王は育った環境もあって、アルバート王配が問題視して家庭教師を追い出すほど浅薄な教養しか身についておらず、自身も気にするほど肥満体質でした。敢えて良くない言い方をすれば、幼稚な少女趣味が好みでした。それに対し、アレクサンドラ妃はヨーロッパの王族らしい気品で誉れ高く、評判の美貌に加え、心優しく陽気で活発な人柄、スポーツも万能ということで人気者の社交界の花でした。

ヴィクトリア女王がファッションリーダー アレクサンドラ妃がファッションリーダー
デンマーク王女時代のアレクサンドラ妃(1844-1925年)1860年、16歳頃 【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 イギリス王太子妃時代のアレクサンドラ妃(1844-1925年)1880年初期、30代後半

ヴィクトリア女王がファッションリーダーだった時代は、太りやすい体型をカバーするクリノリン・ドレスが流行しました。デンマーク王女だったアレクサンドラ妃もクリノリン・ドレスを着用しています。美人は何でも似合うとは言え、魅力を生かしているとは言い難いです。そう言うわけで、アレクサンドラ妃がファッションリーダーになったレイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけては、アレクサンドラ妃の魅力を生かすデザインに流行が変化していきました。

ドレスに見る流行スタイルの変化
ミッド・ヴィクトリアン レイト・ヴィクトリアン エドワーディアン
PDクリノリンのドレス(1850年頃)
メトロポリタン美術館
PD
宮廷用ドレス(1885年)
メトロポリタン美術館
イブニングドレス 1902年
【引用】 Eveniing dress ©The Metropolitan Museum of Art.

生地は軽やかに進化し、欠点を隠すのではなく、魅力を生かす方向にドレスも分かりやすく変化しています。それと共に、王侯貴族のハイジュエリーもボテっとしたミッド・ヴィクトリアンのデザインから、洗練された軽やかなエドワーディアンに向かって変化していきます。大衆の手本を意識しすぎ、迎合した結果、ミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは幼稚とも言えるデザインでした。アレクサンドラ妃の時代に移行したことで、大衆が憧れるいかにも素敵で気品あふれるエドワーディアンのジュエリーに移り変わっていきます。

1900年頃の軽やかなドレスに合うジュエリー
天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント
ペリドット&ホワイトエナメル ネックレス アンティークジュエリー オーストラリア産オパール&ダイヤモンドのロング・ネックレス 最高級ライトニングリッジ産ブラックオパールのエドワーディアン・ペンダント エドワーディアンの神技のハートの透かし細工のダイヤモンド・ピアス

6人もの年子を産んだとは思えぬ、アレクサンドラ妃の細身の体型に合うような、縦長デザインのジュエリーが社交界で流行しました。ボテっとした野暮ったいデザインは一掃され、本来の貴族好みのエレガントで華やかなデザインに移っています。

軽やかでスタイリッシュな雰囲気ですが、アールデコとは一線を画すことも重要です。アールデコは王侯貴族から大衆へと時代が移り変わる、過渡期の最終局面です。女性が社会進出し、端的に言えばオス化した女性が主役となった時代でした。だから王侯貴族らしいエレガントでラグジュアリーなゆとり部分は削ぎ落とされ、現代に近いモダンなデザインになります。

レイト・ヴィクトリアンのファッションリーダー
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年) 花かごに入った鳥 ブローチ アンティーク・ジュエリー『Tweet Basket』
小鳥たちとバスケットのブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD

アールデコのスタイリッシュな雰囲気も好きですが、王侯貴族の時代ならではのエレガントさや気品に満ちた心豊かなデザインは、アンティークジュエリーならではの最大級の魅力だと思います。日本人から見るとヨーロッパ系の顔立ちは大人っぽく感じますが、変にツンツンすることなく、愛に満ち溢れたデザインだったり、知性の中にも可愛らしさが感じられるデザインはとっても素敵だと思います♪

レイト・ヴィクトリアンのファッションリーダー
アレクサンドラ王太子妃(1844-1925年) ウィッチーズハート(魔女のハート)のヴィクトリアンのペンダント&ブローチ『Bewitched』
ウィッチズハート ペンダント&ブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD

少女や童顔の女性は、可愛らしいハートは間違いなく似合うでしょう。縦長のスタイリッシュな大人の女性が、センス良くハートのデザインを着けこなすと、まさに「大人カワイイ!♪」です。予定調和だと野暮ったく感じたり、意識に残りにくかったりするものですが、この意外性は強く印象に残ります。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

可愛らしさとスタイリッシュさを同居させる、絶妙なバランスを実現するために、この長いハンドメイド・チェーンは必須です。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

ハンドメイド・チェーンならではの堅牢さがあり、しかもレイト・ヴィクトリアンの王侯貴族らしいデザインを確固たるものとしています。

一度でも理解できない人の手に渡ると、簡単にチェーンだけ取り外され、このラグジュアリーでエレガントな姿は永遠に失われてしまいます。

オーダーした(恐らく恋する紳士♪)と歴代の持ち主、全てに共感と感謝をしながら、いつまでも長〜く愛せる宝物だと思います♪♪

裏側

アンティークの15ctゴールドの香水瓶の裏側

裏側もスッキリとした綺麗な作りです。

チェーンや取手も摩耗感がなく、次世代までも安心してお使いいただけると思います。

着用イメージ

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

チェーンが長いので、肌の上にコーディネートする場合は、リボンやシルクコードなどを短めに調整すると良いです。お好みで、チェーンは短くすることも可能です。鑞付けできる職人さんに依頼いたしますので、必要な際は復元もできます。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント着用イメージ
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

撮影に使用しているアンティークのゴールド・チェーンは参考商品です。宝物は明るいイエローゴールド系の色味ですので、現代のチェーンでも違和感なくお使いいただけると思います。

天然真珠&ペルシャ産トルコ石の9つの星のゴールド香水瓶ペンダント

ペンダントとして身につけても楽しいですが、小物入れなどに忍ばせて携帯し、さりげなく取り出して、優雅に使用する演出も楽しそうです。9つの星々が輝く黄金の香水瓶だなんて、目にされた方は誰もが驚くでしょうね。アイデア次第で無限に楽しめる宝物です♪♪