No.00198 アンズリー家の伯爵紋章 |
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『アンズリー家の伯爵紋章』 |
イギリスの貴族の爵位
イギリスのヘンリー王子と女優メーガン・マークルさんのロイヤルウエディングでは、成婚時にヘンリー王子がサセックス公爵に叙任されました。ウィリアム王子も、キャサリン妃との成婚時にケンブリッジ公爵を叙任されています。王族が叙任する公爵の爵位は度々耳にすることがありますが、それ以外にも様々な爵位があります。 |
紋章の冠で分かる貴族のランク
イギリスに貴族制度があることは知っていても、具体的な詳細はご存じない方も多いと思います。 これは爵位や家系が分かる、大変貴重なシールです。 せっかくなので、少し具体的に見ていくことにいましょう。 |
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実物のサイズを想像いただけると、いかに驚異的な別格の彫りが施されているかが分かると思います。 | |||
イングランドの冠の種類による爵位の違い【引用】『紋章学辞典』森護著 p.74 | ||||
イングランドの爵位は冠によって判断することが可能です。これだけ彫りが良ければ間違うことはありませんね。 |
この冠が示す爵位はearl、伯爵です。 冠の飾りとして使われれている丸い珠は真珠、植物は苺の葉です。 国王、皇太子、皇子以下5つの爵位があり、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵となり、兼任したりもします。
公爵は先ほどのウィリアム王子やヘンリー王子の例からも分かるように、王族も叙任されるような爵位です。現代ではちょっと想像しにくいですが、伯爵も相当な地位です。 |
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デヴォン伯爵のコロネット "Coronet EarlOfDevon PowderhamCastle" ©Lobsterthermidor(2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
イギリス貴族とは
ロスチャイルド男爵の邸宅(WADDESDON MANOR) |
これは初めてのロンドン買い付けで、GENが長くお世話になってるイギリス人ディーラーに連れて行ってもらったロスチャイルドの邸宅です。邸宅というより城です(笑)美術館やワインセラー、人間が何人も余裕で入れる大きさの南国の鳥籠もありました。 |
貴族は奇人変人が多いとも言われますが、いくらでもお金があるので、左のように羨ましすぎるような楽しいこともできちゃいます(笑) それでもロスチャイルド男爵は5つの爵位の中では一番したの男爵です。
銀行家のロスチャイルド家が連合王国貴族爵位を受けたのは比較的新しく、1885年のことです。 基本的には古くからイギリス貴族は地主であり、現代でも大地主として存在します。 |
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第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937年) |
ロンドン屈指の高級住宅街、かつ高級店が建ち並ぶメイフェアの多くを所有するのはウエストミンスター公爵であるグロブナー家です。1677年から続く家で、推定資産は90億ポンド、日本円に換算すると約1兆9800億円で、イギリスの長者番付第3位という大富豪です。地区によっては、出店者にとって大家さんが王族や貴族だったりするのはイギリスではよくあることなのです。 |
イギリスの地主貴族
産業革命に象徴される『1814年当時の鉱夫』(ジョージ・ウォーカー 1813年) | 産業革命が起きる前までは、イギリスでは特に地主貴族が社会的に圧倒的な力を持っていました。 最低でも数百エーカー(500エーカー=200ヘクタール)の土地を所有し、そこから得られる収入は他の職業を圧倒する桁外れの額でした。 その資金で都市部の政治などにも深く関わることで、権力も保有していたのです。 |
【引用】『紋章学辞典』森護著 p.74 | 地主貴族といっても収入規模によって大きく3つに分類されます。 トップに君臨するのが爵位貴族で、数千から数万エーカーという複数の州にまたがる広大な所領を保有しています。 最低でも年に数千ポンドの収入を得ており、その資金で政界入りして閣僚や党重役などになり、国政にも深く関与してきました。 |
『騎士号授与』(1901年)エドモンド・レイトン画 | その下が準爵位やナイトと言われる称号です。 爵位貴族ほどではないにしても年に千ポンド程度の収入を得ており、「サー」の称号を有する者も多くいました。 国政にも関与したりしますが、大抵は下院議員や治安判事を務め、特に州の政治に強い影響力を持っていました。 ドラゴン退治するとナイトの称号が与えられる昔話もありますが、平民が武勇をたててなることができる最上位という印象でしょうか。 ナイトになり地主となることで、権力だけでなくお金も得られるのです。それでも収入は一番下の爵位貴族の数分の一がせいぜいです。いかに爵位貴族が別格であるかがご想像いただけると思います。 |
その下がエスクワイアと呼ばれる存在で、貴族としての爵位は持たないものの領地を持ち、庶民院の立候補や投票資格を持っていた人たちです。年収は年に200〜千ポンド程度で、影響力としてはせいぜい教区委員を務める程度でした。 それでも地代を払って日々の生活をする地域住民よりも上の立場です。爵位貴族という存在は本当に別格なのです。ヘリテイジでは王侯貴族のために作られたアンティークジュエリーを厳選してご紹介していますが、本来は庶民が持てるようなものではありませんし、その価値からすると提示価格は破格の値段なのです。当時の人達が現状を見たら卒倒するのは間違いないと思います。ありたがいことに現代ではイギリスでも価値が理解できる人が少ないため、価値からすると当時の人たちに申し訳ないくらい安く仕入れることができるので、この程度の値段でご紹介ができています。 まあ、貧富の差が少ない現代、貴族のような莫大な資産ではなく一生懸命働いて得た大切なお金を握りしめて買う私たちにとっては、それでも金額的には安くないのですが・・。価値からするとあり得ないほど安いと思ったからこそ、私もルネサンスでは頑張って大枚をはたいてお気に入りを手に入れました(笑) |
紋章のムーア人
さて、冠のおかげでこのシールの持ち主が伯爵だったことは分かりました。 下の男性のモチーフも独特ですね。 拡大して見てみましょう。 |
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男性も実物サイズを考慮すると、あり得ないほど素晴らしい彫りです。黒人男性の精緻な横顔であることがはっきり分かりますね。 |
【参考】低品質のブラッカムーアのカメオ | ||
黒人モチーフは日本でアンティークジュエリーが流行した際に雑誌で特集された結果、ブランド化して低品質の物も含めて一気に値段が跳ね上がったことがあったそうです。日本人がイギリスで買いあさった結果だそうですが、上のカメオもアンティークだから良いとは限らない(むしろ駄目な物が多い)見本みたいなものですね。市場にはさらに酷い物もたくさん存在します。ブラッカムーアであれば何でも高値で売れる、このおかしな現象をGENはかなり嫌っていました。 |
『ブラッカムーア』 フランス 1860年頃 カメオ ロケット ペンダント SOLD |
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こういう面白くて芸術的に価値あるブラッカムーアならば、いくつでも扱いたいですけどね。 それはさておき、紋章に黒人がいるのは1つの分かりやすい特徴です。伯爵家というキーワードを重ね合わせると、1つの家系が出てきました。 |
アンズリー家
結論から言うと、これはアンズリー家のものです。 |
初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリー(1614-1686年) | アンズリー家が伯爵位を得たのは、左のアーサー・アンズリーの代です。 父親はアイルランド貴族で、初代ヴァレンティア子爵フランシス・アンズリーでした。 父親が死去した際にヴァレンティア子爵位を継承し、翌年にイングランド貴族アングルシー伯爵を叙任しています。 ちなみにイングランド貴族は同じ爵位の場合、スコットランド貴族、グレートブリテン貴族、アイルランド貴族、連合王国貴族よりも上位とされています。 |
爵位は兼任することがあることは前述しましたが、アーサー・アンズリー初代アングルシー伯爵も複数に爵位を保有しています。 ・初代アングルシー伯爵(1661年の勅許状によるイングランド貴族爵位) |
【参考】初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリーの紋章 | 初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリーは初めて温室栽培に成功したパイナップルを献上されたイギリス王チャールズ2世の治世下で重用された人物ですが、これだけの爵位の数を見れば、いかに大地主で財力と権力を保有していたか容易に想像できますね。 これがアーサー・アンズリーの伯爵紋章です。 エスカッシャンの左にローマの騎士、右に黒人のプリンス、コロネットの上に王とみられる黒人が描かれています。 |
アングルシー島 ©google map | ロスチャイルド男爵などの例外はありますが、特に古い時代は貴族の名称は地名がそのまま用いられました。 アングルシーと聞いて、すぐに島の名前を思い浮かばれた方もいらっしゃると思います。 アングルシーはホリー島や周辺の小島を含む連合王国の州の1つで、2000m級の滑走路を有するアングルシー空港も保有するウェールズ最大、イギリスでは第5位の島です。 |
アングルシー島とウェールズの本土(グレートブリテン島)をつなぐメナイ吊橋(1826年完成 "Menai Suspension Bridge Dec 09" ©Bencherlite(23 December 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
有史以前からの歴史があり、ローマ時代から鉛、亜鉛、鉄などの鉱山が栄えていました。上のメナイ吊橋だけでなく、1850年にはブリタニア橋も完成しており、現代では2つの橋から渡ることもできます。 |
"View from the Anglesey Coastal Path (geograph 6222502" ©Jeff Buck(21 JUne 2019)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
現代では景色の美しいアングルシー島は観光地としても人気で、年間200万人の観光客が北ウェールズやイギリス北部から訪れます。良質の砂浜や海岸線に恵まれており、訪れた人々はそれらを楽しむようです。 |
そんなアングルシー島ですが、18世紀には石炭採掘が主産業でした。同じく、銅鉱山業も一大産業として成長しています。 鉱物資源に恵まれた土地ですが、それらを得るには多くの人手が必要です。 アングルシー伯爵統治下でも、島の恵まれた鉱物資源を得るために多くの黒人が従事していたと推測されます。 たくさんの黒人奴隷を持つことが富と権力の象徴だった時代に、伯爵家の紋章が成立したと考えると黒人のモチーフも納得できます。 |
家系の断絶
マウントノリス伯爵
さて、アーサー・アンズリー(1744-1816年)はイングランド貴族の爵位は継承できなかったものの、アンズリー家に伝わるアイルランド貴族の爵位は継承しました。ヴァレンティア子爵とマウントノリス男爵位がありましたが、アーサーの時にマウントノリス伯爵位を得ることになります。 |
【参考】飾り皿に描かれたアンズリー家の紋章(中国 1790年) | これはアーサー・アンズリーがマウントノリス伯爵だった時代に中国で作られた家紋皿です。 伯爵なので冠のランクも伯爵家のものですね。 アンズリー家の家紋として、左の通り紋章も継承されていることが分かります。 |
1761-1816年まではアーサー・アンズリーが当主だったので、19世紀初期のこのシールはアーサーが作らせた可能性があります。 |
第2代マウントノリス伯爵ジョージ・アンズリー(1770-1844年) | アーサーの後は、息子ジョージ・アンズリーが爵位を継承します。 1844年まで当主だったので、シールはどちらかがオーダーしたものでしょう。 |
ヘンリー・ソルト(1780-1827年) | ジョージは秘書および案内役のヘンリー・ソルトと様々な場所を旅しました。 ヘンリー・ソルトはアーティスト、トラベラー、骨董蒐集家、外交官でありエジプト学者でもあった人物です。 その案内で、1802年から1806年にかけてインド、スリランカ、紅海、エチオピア、エジプトを巡りました。さすが古の貴族はスケールが違いますね! |
Voyages and Travels to India, Ceylon, and the Red Sea, Abyssinia, and Egypt, in the years 1802, 1803, 1804, 1805, and 1806 | 見聞録は書籍としてまとめられました。 掲載されたヘンリー・ソルトの絵からも、壮大な旅の様子が伝わってきます。 |
整備された観光地ではなく、誰も知らない土地へ、未知のものを求めての冒険に満ちた旅です。この雄大な旅で、様々な種類の標本や植物が蒐集されました。持ち帰るだけでも大変そうです。様々な専門分野の、お供の人もたくさんいたでしょうね。 |
アーリー城(1844年建築)大英博物館 |
持ち帰った大規模コレクションのために、ジョージはマウントノリス伯爵家が所有していたスタッフォードシャーのアーリー庭園に10エーカーの樹木園を造りました。1844年にはアーリー城も建設しましたが、その年に73歳で亡くなりました。 |
アーリー城(1960年に取り壊し) 【引用】LOST HERITAGE / ARLEY CASTLE ©lost heritage |
ジョージには2人の息子がいました。しかしながら2人とも既に亡くなっており、マウントノリス伯爵は跡を継ぐ者がおらず廃絶しました。継承の条件が厳しいイギリス貴族にはよくあることです。1852年にコレクションは売りに出され、一部は1854年に大英博物館に寄贈されました。アーリー城も1960年に壊され無くなっています。 |
だからこそこうして伯爵家の古いフォブシールを、現代の私たちが直近で見たり手に入れたりできるのです。 代々続いていれば一般人は存在さえ知らない、門外不出の宝物です。 |
アーリー・ハウス(1844年建築) 【引用】ARLEY ESTATE ©Arley House & Gardens Ltd | Located on the Arley Estate |
アーリー城の一部は現在アーリー・ハウスなどとして残っており、庭園や樹木園、公園と共にグレードIIに指定されています。 |
アーリー・ハウス & ガーデンズ 【引用】ARLEY ESTATE ©Arley House & Gardens Ltd | Located on the Arley Estate |
現在は『アーリー・ハウス&ガーデンズ』として結婚式を挙げたり、宿泊や食事もできる施設となっています。HPを見ると、なかなか良さそうな雰囲気です。フォブシールの新たな持ち主となった方は、訪れてみるのも楽しそうですね。 |
お金に糸目をつけない趣味人としての性格を考えると、フォブシールをオーダーしたのもマウントノリス伯爵ジョージ・アンズリーだろうと想像しています♪ |
エレガントなセッティング
貴族の中でも爵位貴族は別格ですが、さすが古い時代からの伯爵家と頷けるシールです。 ストーン本体の上部のゴールドの装飾は、とてもエレガントな雰囲気の彫金です。 ゴールドが非常に高かった時代にも関わらず十分な厚みがあり、いかにもお金に糸目をつける必要がなかった伯爵家らしい贅沢で格調の高さを感じさせる作りです。
取っ手も厚い金の板に彫金して作られたものですが、この部分に力を入れるのがさすが伯爵家です。 一見オマケのような存在なので、普通だったらこの部分はケチりたくなりますが、そんなことしたら美意識が行き届いていないこと、みみっちいことがバレバレです。 |
横から見ると、贅沢なゴールドの使い方がさらに伝わってきますね。 でも、このシールの一番の特徴は石のセッティングの面白さです。半球状にカットしたレッドジャスパーが、デスクなどに置いた時にも見えるようにセッティングしてあります。印象的な赤い色がより惹き立ち、フォブシール全体がより華やかでエレガントな雰囲気になっています。大変珍しいセッティングで、43年間でこれ以外には見たことがありません。 |
美しいレッドジャスパー
この印象的な赤い色の石が何なのかと言うと、レッドジャスパーです。 |
製品として販売する場合は当然不純物の少ない石を選んで加工しますが、大きくなればなるほど均質な石を選ぶことは難しくなります。 |
均質かつ美しい色合いのレッドジャスパーは当時も貴重だったはずです。 一見地味ですが、やはり伯爵家の紋章を彫るに相応しい石が選ばれているということです。 |
超一級のインタリオの彫り
【参考】初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリーの紋章 | 彫刻されているのは、アンズリー家の伯爵紋章における上部の、黒人とコロネットの部分です。 |
このインタリオの彫りの巧みさには圧倒されます。手元に収まってしまう、偉大なる美術品と言えます。
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正直、老眼でなくとも肉眼ではここまでの彫りは認識できません。手に入れた方は、このカタログは私が生きている限り永遠に残しますので、どうぞお好きなだけこのページで拡大画像は楽しんで下さい(笑) |
型を取って、シルバーで鋳造してプレートを作りました。 これでも完璧には追従できていませんね。 肉眼で見る分にはこれでも十分に格好良いので、こちらはサービスでお付けします。 金属は光沢が出るので分かりやすいと思いますが、このインタリオの彫りは立体的な肉体の表現が抜群に素晴らしいのです。 |
通常は紋章シールと言えば仕事としての事務用品の印象も強いものです。 このシールのようにモチーフのお陰で彫りの芸術性まで楽しめるなんて、他にあるものではありません♪ |
斜めから見ると、深く立体的な彫りが施されていることがより分かります。 |
由来が判明する宝物
『セント・ジョージ男爵から娘ルイーザへのクリスマスプレゼント』 |
実は爵位貴族の宝物を扱ったのは今回が初めてではありません。 左は由緒あるアイルランド貴族、セント・ジョージ男爵が娘ルイーザにクリスマスプレゼントとして贈ったものです。
「どこどこの家から出てきた」、「どこどこのブランドのもの」と言うだけで価格が跳ね上がるのは市場ではよくあることです。 なので、「どこどこ貴族由来の品物」が得意なディーラーも知り合いで、仕入れルートはあるのですが、純粋な物の価値からすると見合わない値段だったり、成金的で面白くない場合が多いので、あまり仕入れることはありません。 |
1770年頃に建築されたセント・ジョージ男爵の『ティローン・ハウス』の廃墟 "Tyrone House(2016) ©JuneGloom07(14 December 2016, 16:10:29)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
セント・ジョージ男爵は英語版ですが、wikipediaに掲載されているくらい知名度のある爵位です。このため、この宝物に関してある程度詳細を知ることができました。 アングルシー伯爵は英語はもちろんのこと、日本語版もありました。アンズリー家の関連情報も、興味があればもっと詳細まで知ることができるはずです。 |
サザーランド伯爵の邸宅ダンロビン城 "Dunrobin Castle -Sutherland -Scotland-26May2008(2)" ©jack_spellingbacon, Snowmanradio(30 November 2009, 15:38)/Adapted/CC BY 2.0 |
フォブシールはきらびやかなブレスレットと比べると一見地味ですが、男爵家のブレスレットでもあれだけ素晴らしものなのです。伯爵家がどういう所に住むかというと、他の伯爵家のお城は以下に挙げる感じです。 |
カーライル伯爵ハワード家の邸宅だったハワード城 "18-Castle Howard-035" ©Tilman2007" (2006年7月29日)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これもまた別の伯爵家のお城です。日本は江戸時代に江戸幕府により一国一城令が出されて、1大名につき原則城が1つしか持てなくなり、ほとんどが破壊されてしまった上に、明治に入ってからも1873年に廃城令が出されるなどして、ほとんどは残っていないので日本に置き換えてイメージするのが困難なのですよね。 |
ホウカム・ホールのメインホール (レスター伯爵トマス・クックのオーダー 建築18世紀) |
内装もちょっとひいてしまうくらいすごいですね。こんな所に住むなんて私には想像できませんが、当たり前のように住んでいたのが当時の爵位貴族階級なのです。 |
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15世紀末からポルトガル奴隷貿易商人によって始まったアフリカ黒人奴隷貿易は、各国に広まりました。黒人奴隷を売るのは現地の黒人有力者だったこともあったそうです。 イギリスでは1807年に議会で奴隷貿易法が成立し、帝国全体で奴隷貿易を違法と定めました。他国に先駆けて近代奴隷制が廃止しています。 精悍で美しい黒人青年を描いた紋章は、古い時代の貴族由来である証でもあるのです。 ちなみに少し種明かしをすると、このシールの由来はアングルシー伯爵であることは分かっていました。 |
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名家由来の宝物が得意な確かなディーラーから仕入れており、その時にキーワードだけはきちんと聞いています。根拠なく、私個人の想像だけで主張しているわけではないのでご安心ください(笑) 伯爵家というだけで妙に高い宝石だけのジュエリーは仕入れたりしませんが、こういう成金には価値が分かりにくいマニアックなものは、妥当な価格で提供してもらいヘリテイジでご紹介できる場合もあるのです。 カタログ作成のために貴族についていろいろ調べてみましたが、イギリス貴族について理解を深めるにつれて、自分が扱っている宝物が想像以上に凄いものであることが実感できました。今回の宝物のように由来は分からなくても、ヘリテイジで扱っているのはそのお金のかけ方や作りからしても、貴族のものばかりです。なぜそんな貴重な物が、数は少ないとは言え市場に出回っているかというと、廃絶する家も少なくなかったからということで理解できます。 手に入れた方にも同じように価値を理解し、より宝物を愛おしく想っていただけるよう、これからも頑張っていきたいと思っています。 |