No.00235 蝶と幼虫 |
このストーンカメオ・リングは回転式です。 可愛らしい蝶の面をくるりと回すと・・・。なんと幼虫のカメオが姿を現します。幼虫のカメオ!! |
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『蝶と幼虫』 回転式カメオ リング(ペンダントとしても使えます) イギリス 1870年頃 アゲート、15〜18ctゴールド ベゼル2,1cm×1,5cm 重量5,8g サイズ 約15.5(変更可能) SOLD |
両面を彫刻した例外的な石の作品
見えない部分にまで美意識を行き渡らせるのは、ヘリテイジが扱うようなハイクラスのアンティークジュエリーでは当たり前だったりします。 でも、両面カメオは異例中の異例の存在です。 43年間で他にお取り扱いしたのはたったの1点です。 |
-ルネサンス期の両面カメオ-
このようなカメオの素晴らしい作品を私もいつかは扱いたいと思っていたのですが、まさかヘリテイジ2年目にして両面カメオのミュージアムピースが出てきたのでビックリです♪ |
-ルネサンス期のカメオ&インタリオ-
『アテナと不死鳥』 カメオ&インタリオ ブローチ イタリア 15世紀後期-16世紀(フレームは現代) SOLD |
もう1作品、ヘリテイジではなくアンティークジュエリー・ルネサンスの時に、ルネサンス期の素晴らしいカメオのミュージアムピースを扱ったことがあります。 この作品はマサナゴの両面カメオよりもっと古く、裏側はインタリオになっていました。 |
ストーンカメオも、そのレベルはピンからキリまであります。 左のように、ただ彫刻しただけでろくに磨くなどの仕上げがされておらず、表面がザラザラと汚らしいものも平気で低レベルのアンティークジュエリーには存在します。 |
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【参考】低レベルのストーンカメオ・リング |
欠けているのか、もともとこういう顔だったのか、人物に微塵も美しさを感じられらないものも存在します。 |
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【参考】低レベルのストーンカメオ・リング |
彫ることの技術的には特に悪くないのですが、人物の表情が表現できておらず、訴えかけてくるような迫力が微塵も感じられないものが殆どです。 ある程度高級なものとして作られたカメオでも、芸術作品と言えるような情動を感じる作品は滅多に存在しません。 主に美しさが求められる宝石や彫金主体のジュエリーと違って、カメオには特に心に訴えてくるような芸術性も重要だとヘリテイジでは考えています。 |
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【参考】中級品のストーンカメオ・ブローチ |
単品ずつ見たら違いがあまり感じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、並べてみればヴィクトリアンの流行期の中級品とルネサンス期の特品クラスでは全然違うことが明らかに分かると思います。 これだけのカメオを彫ること自体、かなり凄いことです。 |
それに加えて、裏側にまで彫刻するというのは驚くべきことです。 一歩間違えれば石が割れてしまい、せっかく仕上げた側の作品までまるごと台無しになってしまいます。 通常、そこまでのリスクを負ってまで両面カメオやインタリオを作ろうなんて考えられません。 2つの石を使って、それぞれを最高の芸術作品に仕上げれば良いだけなのです。 だからこそ両面カメオやインタリオの作品はほとんど作られていないのです。 |
蝶と幼虫に秘められた特別な意味
無宗教が圧倒的多数を占める日本において、多くの方はこの作品を見て「ああ、可愛らしい蝶々ね。」や「芋虫からやがて蝶々になる、生き物としての姿をありのまま表現してみたのね。」と思うだけかもしれません。でも、宗教的なことをご存じの方ならばすぐにピンと来たでしょうか。 |
『美しき魂の化身』 アメジスト&シトリンの蝶のブローチ イギリス(推定) 1870年頃 ¥1,600,000-(税込10%) |
古くから蝶は魂の化身とみなされてきたことは、『美しき魂の化身』でも少し触れています。 象徴主義が好まれたヴィクトリア時代には蝶モチーフは特に人気があり、ジュエリーやドレス、小物に至るまで用いられています。 |
その点でこの作品は、蝶が彫刻された石はとても地味な色合いですし、裏側には幼虫という、美しさとはちょっと違う方向性と言えます。 |
この幼虫にこそ、作品に込められた意味を読み解くヒントと言えます。 まずはヨーロッパと蝶、そしてキリスト教との関わり合いの歴史について見ていくことにしましょう。 |
キリスト教以前
-古代エジプト-
『死者の書』(古代エジプト 紀元前1040-紀元前945年頃) メトロポリタン美術館 | ヨーロッパに広く普及し、ヨーロッパ美術にも大きな影響を与えてきたキリスト教の思想や霊魂観は、それ以前の時代の思想が母体となっています。 霊魂の概念は人間の本能に付随するとみられ、有史以前でも各地で死者は埋葬を行い、埋葬品などからも手厚い供養が行われた痕跡が発見されています。 古代エジプトでも霊魂や死後の世界の概念が存在し、『死者の書』という葬祭文書も存在します。 |
『死者の書』口開けの儀式(古代エジプト 紀元前1300年頃)大英博物館 | 『死者の書』には死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべが描かれており、死者の冥福を祈って死者と共に埋葬されます。 ミイラを作るのも、死後適切に楽園アアルで再生を果たすためでした。 |
『死者の書』(古代エジプト 紀元前1275年頃)大英博物館 |
この死者の書には3場面が描かれています。死者が死後の審判の順番待ちで列をなしています。順番がくると冥界神アヌビス(犬の頭)に連れられ、死後の審判が行われます。 審判では心臓(魂の要素の1つ)が天秤にかけられます。真理の女神マアトの羽根(真実の羽根)より重いと、魂が罪で重いと判断されます。計量するのはアヌビス神、記録係はトート神(朱鷺の頭)です。罪人の魂(心臓)は、アヌビス神の足元にいる幻獣アメミットに喰われ二度と転生できなくなります。 審判を合格すると、冥界の楽園アアルの王オシリス神(緑の顔)への謁見が許されます。現世を治めるホルス神(隼の頭)に連れられオシリスに謁見し、楽園で第2の生を与えられます。死後の再生です。 |
妬みで殺されたオシリス神 ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 |
妬みで殺したセト神 ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 |
エジプトの神々の関係は『魔除けの瞳』でも少し触れています。 もともとオシリス神は生産の神、そしてエジプトの王として君臨していました。 国民から絶大な支持があったのですが、それを妬んだ弟のセト神に殺されてしまいます。 |
天空神ホルス ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 | その後、オシリス神の息子ホルス神が敵討ちを果たします。 オシリス神はミイラとして復活し、冥界の楽園アアルの王として君臨することになりました。 一方でホルス神はオシリス神の後を継いで、現世を王として治めることになりました。 |
サナギから羽化した蝶 ©Captain-tucker(2006)/Adapted/CC BY 3.0 | 一見完全に死んだかのように見えるのに、その後美しい姿で蘇る。 蝶のサナギはオシリス神の象徴とされてきました。 |
蝶の護符(古代エジプト 紀元前1900-紀元前1802年頃) コーネリアン、ファイアンス焼き、シルバー メトロポリタン美術館 |
古代エジプトの墓にはオシリス神の肖像や、その名前がよく描かれています。 当時の人々の死生観にオシリス神が強く影響していた現れでもあります。 埋葬品からは蝶の護符なども見つかっています。 |
ヘレニズム期の古代エジプトと古代ギリシャの融合
『太陽の使い』 ニコロ リング インタリオ:ササン朝ペルシャ 7世紀頃 シャンク:フランス 1830年頃 ¥1,880,000-(税込10%) |
アレキサンダー大王が東方遠征において、当時の超先進大国ペルシャ帝国の高度な政治や文化に触れて、自分たちのレベルの低さに愕然とし、滅ぼすのではなくそのまま残して取り込んでいくことにしたことは『太陽の使い』でもご説明しました。 |
アレキサンダー大王によるエジプトの征服(紀元前332-紀元前331年) ©Jniemenmaa(2005)/Adapted/CC BY 3.0 | 同様にアレキサンダー大王によって征服された古代エジプトでも、大王亡き後もマケドニア王国の貴族出身の将軍がエジプトのヘレニズム国家プトレマイオス朝の初代ファラオとなり、融合政策が進められました。 |
古代エジプトファラオのプトレマイオス1世(紀元前367-紀元前282年) | エジプトのファラオとなったプトレマイオス1世は、エジプト人の宗教と統治者であるギリシャ人(マケドニア人)の宗教を統合する努力を行いました。 必要なのは両方から崇拝される神を見出すことでした。 |
アレキサンダー大王(紀元前336-紀元前323年) | 亡くなる前はアレキサンダー大王がエジプトのファラオとなっていました。 エジプトのファラオは代々エジプトの最高神アメンの息子とされてきたので、アレキサンダー大王も自らをアメンの息子と名乗っています。 |
アメン神 ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 | 最高神はホルス神ではないのかと思われる方もいらっしゃることでしょう。 何しろ古代エジプトは非常に古くからある文明です。 『RAMS HEAD』でも触れた通り、凡そ3000年にも渡る長い期間の信仰の中で、神々は何度も変容や習合を繰り返してきました。 |
天空神ホルス ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 |
その中でも特に古いホルス神は、最も多様化した神の1つです。 もともとホルス神は『王そのもの』の象徴とされ、ファラオはホルスの化身、すなわち地上で生きる神であり現世の統治者と捉えられてきました。 |
ラー神 ©fi:Käyttäjä:kompak; improving by User:Perhelion(2010)/Adapted/CC BY 3.0 |
その後、ラーが最高神になるとホルス神はラーの息子となり、ファラオも『神の息子』に変わりました。 |
セト神 ©Jeff Dahi(2007)/Adapted/CC BY 4.0 | さらにホルス神の宿敵セト神を進行する勢力からファラオが即位すると、ホルス神はセト神と習合されました。 おじであり、おとうちゃんの敵なのに・・(笑) |
太陽神アメン・ラー(紀元前690-紀元前664年頃)アシュモレアン博物館 | タハルカ王を守護するアメン(紀元前683年頃)大英博物館 |
最終的にはアメン信仰の中心テーベからファラオが即位し、ラーはアメンに習合されました。これによりホルスやファラオもアメンの息子となったのです。時の為政者によって神も変容するということですね。 アメンは雄羊の頭を持つとされ、左上のような形で描かれたり、右上の像のように雄羊そのものの姿で表されることもありました。 |
ホルス神像、ルーブル美術館蔵 ©Mbzt(2017)/Adapted/CC BY 4.0 | アメンの息子を名乗るということは、ホルス神であると名乗ることと同様です。 笑・・・。
ギリシャ人も、ちょっと動物の頭を持つ像は感覚的に好まなかったようです。 |
上エジプトと下エジプト ©Jeff Dahl(2007)/Adapted/CC BY 4.0 | 左は上エジプトと下エジプトの地図です。 北と南での位置関係ではなく、ナイル川の上流と下流での名付け方です。 アメン神は上エジプトにおいて信仰が篤い神でしたが、ギリシャ人の支配力が強い下エジプトではそれほどでもありませんでした。 |
その結果、人間の姿をしていたオシリス神が選ばれたのでした。 |
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左:ホルス神、中:オシリス神、右:イシス神 古代エジプト 紀元前874-紀元前850年頃 ルーブル美術館蔵 |
ヘレニズム期エジプトの神セラピス(1894年のイラスト) | こうして生まれたのが古代におけるヘレニズム期エジプトの習合的な神セラピスです。 |
セラピスのゴールド・ペンダント(古代エジプト 紀元前2世紀:グレコローマン)ウォルターズ美術館 | ギリシャ人風に姿を変えたオシリスは、こうしてギリシャ・ローマ世界でもセラピスとして信仰されるようになったのです。 |
蝶の護符(古代エジプト 紀元前1900-紀元前1802年頃) コーネリアン、ファイアンス焼き、シルバー メトロポリタン美術館 |
紀元前1900-紀元前1802年頃という、古い時代のエジプトの副葬品から蝶の護符が見つかっていますが、古代ギリシャでも同じように蝶の副葬品が見つかっています。 |
蝶のネックレス(副葬品)(古代ギリシャ 紀元前2世紀後半-1世紀頃:)ヘレニズム)ウォルターズ美術館 | ゴールドや宝石で作られたこのネックレスは、死者の首元から発見されています。 豪華な副葬品はかなり高貴な人物だった証で、よほどの意味があったはずです。 古代ギリシャで、蝶は不死の象徴とされていました。 ヘレニズム期のギリシャでは副葬品のモチーフとして定番だったらしく、このタイプの副葬品はいくつか見つかっています。 古代エジプトのオシリスや死生観などが入ってきたことによるものかははっきりしませんが、古代ギリシャでも蝶が死と密接に関係して捉えられていた証拠でしょう。 |
-古代ローマ-
蝶のネックレス(古代ローマ 1世紀-2世紀頃) サファイア、ガーネット、金メッキ 大英博物館 【引用】Brirish Museum © British Museum/Adapted |
古代ローマはあまりクリエイティブなことは得意ではなかったらしく、基本的には古代ギリシャを模倣したものが多かったようです。 左は古代ローマで作られた同タイプの蝶のネックレスです。 グレードは古い時代であっても古代ギリシャが上ですね。 古代ローマも文化を滅ぼして自分たち色に染めると言うよりは、うまく吸収・融合させる方向でした。 |
セラピスのランプ(古代ローマ 2世紀前半)大英博物館 ©World Imaging(2005)/Adapted/CC BY 3.0 |
セラピスもうまく取り込まれたようです。 セラピスを信仰していたプトレマイオス朝は、紀元前30年に共和制ローマによって滅ぼされます。 しかしながらセラピス信仰は引き続き古代ローマでも続きました。 左はローマ帝国時代のエフェソス(トルコ)で作られ、エジプトで見つかったと言われているランプです。 古代ローマの大帝国ぶりと、帝国内の物流なども伺えますね。 |
『ヘリオス(セラピス・ゼウス)神』(紀元前4世紀後期にブリアキスが制作したオリジナルを古代ローマで複製)バチカン美術館(Inv.No.245) (сс) 2005. Photo: Sergey Sosnovskiy (CC BY-SA 4.0).© 1986 Text: Chubova A.P., Konkova G.I., Davydova L.I. Antichnie mastera. Skulptory i zhivopiscy. — L.: Iskusstvo, 1986. S. 33./Adapted |
古代ギリシャの最高神はゼウスなので、見た目がゼウスなセラピス・ゼウスの像も古代ギリシャでは制作されたようです。 左は古代ギリシャで紀元前4世紀後期に作られたものを、後の古代ローマで複製した大理石像です。 頭頂部の『モディウス』と言う、植木鉢のような独特の形状の帽子がセラピスの特徴です。 |
初期キリスト教
『イエスと洗礼者ヨハネ』(ヴォイチェフ・ゲルソン 1879年) | 紀元前6年から紀元前4年頃の間にイスラエルのナザレ、もしくはパレスチナのベツレヘムにイエスが誕生しました。 キリスト教で救世主とされるイエス・キリストです。 |
ローマ皇帝ハドリアヌス(76-138年) | アレクサンドリアの初期のキリスト教ではセラピスとイエスを混同して礼拝し、両者を差別なく崇拝していたようです。 『ローマ皇帝群像』にあるハドリアヌス帝のものとされる書簡には、エジプトでキリスト教徒を自称する人々がセラピスを崇拝していることや、セラピス信仰と称したキリスト教信仰など、信仰や慣習の大きな混乱があったことが記されています。 |
アレクサンドリア(赤)とイエス・キリスト(青)の活動エリアの位置関係 ©google map |
アレクサンドリアとイエス・キリストの活動エリアは比較的近いので、初期の混同はさもありなんですね。イエスの死後、弟子たちはイエスの教えを当時のローマ世界へ広めていきました。 古代エジプトの死後の世界観と、キリスト教の死後の世界観には共通点が多々あります。従来の信仰と共通点が多い方が、新しい信仰も受け入れやすく、融合もしやすかったりします。古代エジプトの死生観が元になりながら、各種の文化と融合したり変容を重ねながら現代に伝わる各種宗教が形成されていったと言っても過言ではないのです。 |
イエス・キリストの復活・再生
イエス・キリストの死(ディエゴ・ベラスケス 1632年頃)プラド美術館 | イエス・キリストは十字架に張り付けにされ、亡くなりました。 |
『キリストの墓での三人のマリア』(1835年) |
キリストの死から3日後、3人の女性たちが墓を訪ねると墓は空になっていました。 そこに天使が現れ、キリストが復活したことを告げました。 |
『キリストの復活』(ポーランド 18世紀) | 復活したキリストは弟子たちに、復活とは死人の蘇生という奇跡的な出来事ではなく、神の力による全く新しい超自然的生命のはじまりであると教えました。 |
『サルバトール・ムンディ』救世主イエス・キリスト(レオナルド・ダ・ヴィンチ 1500年頃) | 復活したキリストは、神的存在として父なる神とその光栄を共にするに至ったと信じられました。 父なる神の子キリストの教えを信じるならば、罪が許され死後もキリストと同じように超自然的生命として復活することができます。 |
『最後の審判』(ハンス・メムリンク 1466-1473年頃)ポーランドのグダニスク国立美術館 |
さらに最後の審判の日には全ての人が肉体を与えられて現世に復活します。善行を行った者は永遠に死ぬことのない祝福の新世界に生きることができ、そうでない者は永遠の苦しみが続く地獄に入ることになります。最後の審判での審判者はキリストです。ちなみに最後の審判はなされていないので、今も地獄は存在しますがまだ空っぽです。 |
『キリストの昇天』(ベンヴェヌート・ティシ 1510-1520年頃)GNAA | 肉体の死から復活後40日間を地上で過ごし、自ら父なる神の力による復活を証明し、弟子たちに教えを説いたキリストは最後の審判の日に再び現れることを宣言し、再び父なる神の元に戻りました。 |
蝶の羽化 ©Captain-tucker(2006)/Adapted/CC BY 3.0 | イエス・キリストの死からの復活。 キリスト教でも蝶のサナギから羽化が復活と同一視され、蝶はイエス・キリストの復活の象徴とされるようになったのです。 |
オシリス・ブルー "Cupidp osiris(3)" ©Philipp Weigell(24 June 2011, 06:47:32)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 死後に復活し、冥界での審判に合格した死者を楽園アアルで王として受け入れるオシリス。 死後に復活し、現在は父なる神の元で過ごし、最後の審判で再び現れるであろうイエス・キリスト。 名前も姿も変えながらも現代にまでオシリスは息づいているようにも見えます。 それはさながら、本当に永遠の命を持っているかのようでもあります。 |
宗教の変容
『神に所望されて一人息子のイサクを捧げようとする予言者アブラハムとそれを止める天使(創世記 第22章)』(ロラン・ドゥ・ラ・イール 1650年頃)オルレアン美術館 |
古代エジプトでは3,000年という長い歴史の中で神々も多くの変遷を重ねてきました。古代人は稚拙だからとか、文字文化が発達していなかったからというわけではありません。紀元前から紀元後に移り、2,000年経過した現代までだけ見てもかなり宗教は変容しています。これからもそれは続くでしょう。 日本人にとって身近な仏教以外にメジャーな宗教と言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などがあるでしょう。そのうちユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教は、元々同じ神を信じる宗教です。いずれも聖書の創世記に出てくる預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継いでおり、キリスト教では旧約聖書にあたる部分です。 |
キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図。さらに細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。 ©Original PNG diagram: Vardion and others; SVG version: Stevertigo and Rursus; derivative work: Reo_On; Japanese SVG version: Kinno Angel(2016)/Adapted/CC BY 3.0 |
アブラハムの宗教の中で、ナザレのイエスが神の子として救世主と認め、キリスト教が成立してヨーロッパに広く普及しました。イエス・キリストが死後の復活を証明して見せたことで成立し、広く普及していった死後の復活を信じる宗教とも言えます。そのキリスト教だけでも、時代とともにこれだけ教派が分かれています。 |
『天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド』(ラシッド・アルディン 1307年頃)エディンバラ大学 | イスラム教はイエスも予言者として信じています。 神に作られたアダムから始まり、ノア、アブラハム、モーセ、イエスなどの預言者たちが説いた教えを、歴代最高かつ最後の予言者ムハンマド(570年頃-632年)が完全な形にしたとする宗教です。 キリスト教に次いで世界で2番目に多く信者がいます。 |
アブラハムの宗教の分布(ピンク)と東方諸宗教(黄色) ©Dbachmann(2018)/Adapted/CC BY 3.0 |
世界的に見ると、こういう感じでアブラハムの宗教は分布しています。地域や時の為政者などによって変容が幾度となく繰り返されていますので、それぞれの宗教についてすべてを把握するのは不可能ですし、厳密に定義するのは無意味です。ただ、キリスト教が広まったヨーロッパにおいては、肉体の死とその後の復活は現世に生きる上で重要な意味を持っていました。 |
キリスト教における『人間』
『神による人間の創造』プロメテウスの石棺(古代ローマ 3世紀頃) カピトリーノ博物館蔵 "Sarcofago con mito di prometeo, III sec, da porta aurelia, coll. albani" ©Sailko(27 November 2013, 18:55:50)/Adapted/CC BY 3.0 |
キリスト教では死は完全な終わりではなく、ただ肉体から魂が離れるだけです。 そもそも『人間』とは何か。最初の人間はアダムです。天地創造の6日目、神は土で自分をかたどった人形を造りました。土でできた人形に、神が息を吹き込むと最初の人間『アダム』が誕生しました。息は古代ギリシャではプシケーと言われます。このプシケーは蝶や魂のことも表します。 |
人形に魂を吹き込むシーン(古代ローマ 3世紀頃) "Sarcofago con mito di prometeo, III sec, da porta aurelia, coll. albani" ©Sailko(27 November 2013, 18:55:50)/Adapted/CC BY 3.0 |
古代ローマで作られた『神による人間の創造』のシーンでは、主神が形を作った人形の背後から女神ミネルヴァ(アテナ)が、有翼の生き物で表された魂を吹き込んでいます。 魂を表現した生き物は蝶ないし鳥だとされています。片側に足が3本あり、蝶と考えるのが妥当と思います。 |
『神による人間の創造』(古代ローマ 3世紀頃)ルーブル美術館 ©Caroline Léna Becker (2011)/Adapted/CC BY 3.0 |
同時代に作られた同様のシーンでも、人形に吹き込まれる魂は有翼の生き物で表現されています。 |
魂を持つ女神ミネルヴァ(アテナ) ©Caroline Léna Becker (2011)/Adapted/CC BY 3.0 | やはり足の本数や胴体部分の特徴からしても、鳥ではなく蝶で魂が表現されていると考えるのが妥当でしょう。 |
『平和のしるし』 ローマンモザイク デミパリュール イタリア 1860年頃 ¥2,030,000-(税込10%) |
神が人形の鼻から吹き込んだ息とは精霊のことだとも言われています。 キリスト教で精霊の姿が明確に指定されているわけではありませんが、キリスト教美術の世界においては鳩の姿で描かれる場合が多いです。 それは化身としての神そのものだったり、神の使者として描かれる場合です。 |
魂の表現は蝶です。 |
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【参考】マドレーヌ大聖堂の絵画の一部 |
ギンバト ©Sh1019(2006)/Adapted/CC BY 3.0 | 鼻から精霊を吹き込むと言っても、鳩だとちょっとピンと来ないですよね。
・・・・・笑。 魂とイメージするには大き過ぎますし、具体的な存在すぎるのです。 |
『蝶採集家』(カール・シュピッツヴェーク 1840年) |
蝶は南極以外のすべての大陸に存在します。 人の営みがある場所には必ず存在する、ヒラヒラと幻想的な生き物。 それは人の魂の姿なのです。 |
キリスト教における『現世』の扱い
キリストを信じ教えを守っていれば、身体的な死によって魂が肉体から解き放たれると、蝶のように美しく幻想的な高次の生命体として復活・再生することができます。 |
では肉体に魂がつながれた現世はどういう状態かと言うと、蝶になるためのイモムシです。 この幼虫の時の生き方によって、サナギという死んだ状態を経て美しい蝶へと復活・再生できるかどうかが変わってくるのです。 |
『エデンの園と人間の堕落』(ルーベンス&ヤン・ブリューゲル 1615年頃) |
もともと人間に寿命はなく、永遠に生きることができる存在でした。しかしながら神から食べることを固く禁じられていた『善悪と知識の実』をアダムとイヴは誘惑に負けて食べてしまいました。神は怒り、二人はエデンの園かた追放されました。これにより、人間には死がおとずれるようになったのです。死は人間が犯した罪の結果です。この罪は『原罪』とされ、アダムとイヴの子孫であるすべての人間に引き継がれるため、すべての人間が生まれればやがては死ぬことになりました。 |
『アベルを殺すカイン』アダムとイヴの息子たちによる人類最初の殺人(ピーテル・パウル・ルーベンス 1608-1609年頃)コートールド美術研究所 | なぜいずれは死んでしまうのに、死ぬ体で生きていかなければならないのか。 これには意義深い目的があります。 |
『アベルの死を嘆くアダムとイヴ』(ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1888年頃) |
キリスト教にとって現世は『試しの生涯』という概念があります。肉体を与えられて現世で誕生する前も、私たち人間は霊魂としての存在でした。父なる神の元にいた霊魂は、自らの選びによって神の御許から離れ、欲望を伴う肉体をまといながらも神の御許に相応しい存在として教えを実践していくことになるのです。ただ生きている時間を食べて寝てを繰り返し、欲望のまま適当に生きるのではなく、現世は試練の場として、神に相応しい生き方をできるかが試されているのです。 |
『ソドムとゴモラの破壊』(ジョン・マーティン 1852年) |
欲望のある肉体を制御するのは困難なことです。肉体に支配され、肉体が魂の主人であってはなりません。欲望ある肉体を、いかに高貴な魂で支配し、神に相応しい存在として人生を全うするかが大切です。神を信じず欲望のまま生きた人々の街、ソドムとゴモラは寿命による死を待たず神に滅ぼされてしまいました。天から硫黄と火が降り注いだそうです。恐ろしい! |
太陽系とアテン群 ©David Darling(2016)/Adapted | 「古代人は想像力が逞しい。」なんて上から目線で馬鹿にしてはいけません。 科学的な研究によりソドムとゴモラの出来事は典型的なアテン群小惑星の落下によるものではないかと言われています。 紀元前3123年6月29日に落下した小惑星が空中爆発し、地中海一帯にその破片が降り注ぎました。 このエリアではゴルフボールサイズの硫黄の塊も採取されており、成分分析の結果純度98.4%の硫黄ということが判明しました。 この純度の硫黄含有量はこのエリア以外、世界中のどこにも見られないと報告されています。 |
『ソドムとゴモラの破壊から逃れるロト一家』(1493年)ニュルンベルグ年代記より |
神の御使いを信じたロトと2人の娘たちは、この大災厄を逃れることができました。旧約聖書の創世記に出てくる古い話です。何だかよく分からないのに突然天から硫黄や火が降り注げば、それこそ神の怒りと思うことでしょう。人間誰しも思い起こせば、欲望に負けて行動した心当たりはあるはずです。この大災厄を目の当たりにしながらも生き延びることができた人々は、悔い改め正しく生きなければとより強く思ったはずです。 |
特別な意味を込めてオーダーされたスイベル式リング
ここまでを理解すれば、このリングがどういう意味を込めて特別にオーダーされたのかご想像いただけると思います。芸術的にも見ても非常に面白く価値あるものなので、そういう背景を知らなくてもGENも私もこの作品に出会ったら即、手に入れます。そういうクラスの宝物です。 |
ディーラーは数千年の間に人類が魂を込めて作った宝物の中から選んで、ある程度の数を扱うことができる分、莫大なお金と時間や手間をかけて作った当時の人々と比べれば気軽なものです。 両面カメオという特別な作品をオーダーするからには、その人にとっての特別な理由があって当然です。 |
異例の6層以上の石を生かしたアーティスティックな両面カメオ
-蝶の面-
フレームが約1mmなので、1mmちょっとの石を加工しているというわけですが、この薄さにも関わらず、非常に表情豊かな層が幾重にも重なった珍しい石が使われています。 |
まず蝶の面を見ていきましょう。こちらの面だけでも3層を使って表現されています。クリーム色と褐色がグラデーションになった層が下地となっています。下地の層の上は、斑点が入ったクリーム色系の層、その上は透明感の強い褐色の層になっています。 羽の内側と外側が、褐色の層とクリーム色の層で表現し分けられています。さらに手前に見える外側の羽は、根元に向かって厚みが薄くなるように彫られており、クリーム色の下地がグラデーションのように透けて見えます。 |
丁寧に表現された触覚や足、蝶らしい特徴である眼状紋も見ていて楽しいものです。触覚は石の自然の模様が、まるで本物の触覚の模様のようになっています。 さらに胴体部分の表現が見事です。特に腹部分の形が巧みで、透明感ある褐色の石で表現されている上によく磨かれた丁寧な仕上げが施されているので、生き物として生命エネルギーに満ちあふれた雰囲気を放っています。 |
厚み的にはたったこれだけの違いで表現しきっているのです。 石の幾重にも積み重なった層を生かしてこれだけ表現できるなんて、まさに天才的なアーティストが作った作品です。 |
-幼虫の面-
一方で幼虫の面は2層で表現されています。この2層がそれぞれ単純な質感の層ではなく、めちゃくちゃ面白い層になっています。 下地は飛べない幼虫に相応しい地を這うような、もしくは霧の中のような、そんな雰囲気の層で表現されています。魂だけの蝶となる前、肉体を持った人間が現世で必死に生きる姿そのものです。 |
幼虫の体を表現している石の層は、クリーム色を主体として透明感ある褐色が斑に存在します。こちらも本当に幼虫のようです。 画像はかなり拡大していますが、実物の幼虫は1cmにも満たない長さで表現されています。 普段リングとして着けている時は、気持ち悪い幼虫という強いインパクトにはならないと思います。 まあ、これを気持ち悪がる人は元から次の持ち主にはならないと思いますが・・ |
幼虫にはプリっとした立体感があって、本当に面白いです。 |
-石の内部-
このカメオが最高に面白いのは光にかざしたときです。右がバックライトを当てた画像です。 通常だと左のように石の地模様はほとんど感じられないのですが、透かすと幻想的な景色が浮かび上がるのです。まるで本当に魂の世界を、魂の化身である蝶が飛んでいるかのようにも見えます。 |
試練の世界である現世を正しく生きた者だけが与えられる、死後の復活と永遠の生。必死に生きる幼虫と美しく幻想的な蝶の姿は、持ち主の現世を生きる強い助けとなったことでしょう。 |
光にかざすと現れる不思議な模様は、石の表面には出ていません。幼虫側の表面にも出ていません。石の内部に存在する極めて薄い層に地模様があると考えられますが、この珍しい石自体が奇跡のような存在にも感じられますね。 |
本当に不思議な魅力を感じるストーン・カメオです。この透明感あるまん丸の目がまた良いのです。何を考えているのかよく分からない『昆虫の眼』と言うよりも、何か高次の存在となった意志のある瞳のようにも見えるのです。まさに魂の化身として、見事に石の中に蝶が表現されています。 |
両面カメオに相応しいスイベル式リング
このリングは持ち主を美しく飾り立てるのではなく、持ち主が見るために作られたものです。 幼虫の面を見たり、蝶の面を見たり。あるいは光にかざして見たり・・。 それが可能なのは、スイベル式で作られたリングだからです。 |
この回転式の指輪はシンプルなデザインですが、100数十年たっても全くガタツキがなくスムーズに回転する素晴らしい作りです。 |
シンプルながらも重厚感ある作りは、特別な意味を持って作られた作品に相応しいと言えるでしょう。 |
かなりのお金をかけて作られた特別なオーダー品であることは間違いありません。お金はあっても、フレームやシャンクを華美な装飾で作ると、作る目的とは話が違ってきてしまいます。お金はかけていますが、贅沢とは違います。神への畏敬の念を以て、職人には魂を込めて作ってもらうし、オーダーした人物は必要なだけお金をかけて畏敬の念を表すに相応しい、人間がなせる高貴かつ最高の作りにしてもらったということなのです。 |
異例すぎるアーティスティックな両面カメオ
両面カメオ自体がアンティークのストーンカメオの中でも異例の存在ですが、石の生かし方は類を見ません。1mmを超える程度の厚さしかないにも関わらず、両面でこれだけ劇的に変化することも驚きですし、光のかざすと内部にはまた別の層が見え、それをアーティスティックに生かしていることも恐るべきことです。 |
『キリスト&マリア』 アレクサンドル・マサナゴ作の両面カメオ ・ペンダント イタリア 16世紀後期〜17世紀初期 SOLD |
このページの最初の方で、ルネサンス期に作られた名カーバーによる両面カメオをご覧いただきましたが、表裏で石の質感に大きな違いはありません。 |
『アテナと不死鳥』 カメオ&インタリオ ブローチ イタリア 15世紀後期-16世紀(フレームは現代) SOLD |
同じくルネサンス期のカメオ&インタリオは、それぞれの層で雰囲気は違うものの、今回の『蝶と幼虫』ほどダイナミックな変化はありません。 |
ルネサンスの2作品より薄いにも関わらず、表裏でダイナミックに変化する石を巧みに使って芸術的表現を実現させたこの作品は、まさに神技を持つアーティスティックな職人が作ったミュージアムピースと言えます。 |
スコットランドの瑪瑙 "Scotland007" ©峠武宏(29 April 2014, 14:52:52)/Adapted/CC BY 3.0 | 石の色がはっきり分かれた、層が厚い部分を使ってカメオを彫るのが通常です。 普通はトライしない、トライできない部分を使って表現しきったということです。 でも層が薄い部分であればどこでも良いわけでもなく、各総があのような模様でなければなりません。 |
ジュゼッペ・ジロメッティ作『ユリウス・カエサル』 ストーンカメオ ブローチ&ペンダント イタリア 1820年頃 SOLD |
カメオ彫刻家としての最高の技術を駆使した、それだけの作品ともまた違うのです。 |
この素晴らしい作品を世に生み出すために、それこそ自然の石に神が宿り、作った職人にも神が宿ったのではないかと感じます。 それは持ち主が神の御許に相応しい行いを心がけ、いつでも神と共にあることを強く望んだからなのかもしれません・・。 |
回転式リングはペンダントとしても使えるのも魅力です。リングとして使う場合と同様、どちらの面を表に出すかは悩みどころですね。幼虫面を出しておいて、「何のモチーフ?』と聞かれたときにクルリと回して蝶の面を見せて驚かせるのも話のネタとして面白そうです。そのような贅沢な貴族の遊び心のような使い方もできますし、キリスト教徒でなくとも、この世で正しく生きていく助けとして肌身離さず持っておく使い方も、この作品ならば良いかなと思います。 |
美しく煌びやかに見せるためのジュエリーとは違いますが、このように意味があり、芸術的にも価値あるジュエリーというのもアンティークジュエリーの魅力の1つだと感じます。現代ジュエリーのように万人受けではなく、たった一人を満足させるために作られた特別な宝物。ジュエリー制作において、職人が魂を込め、芸術作品として昇華させることが叶った時代だからこそ生みだせた奇跡の作品なのです。 |