No.00234 美しき魂の化身

非加熱シトリン&アメジストの蝶のアンティーク・ブローチ

 

非加熱シトリン&アメジストのヴィクトリアンの蝶のブローチ

超絶技法によるアメジストとシトリンの蝶のブローチは、石の細工物の傑作と言える存在です。

一目見ただけで心に焼き付く美しさは、蝶が魂の化身として象徴主義で好まれていた時代ならではの、作者のアーティストとしての魂が込められた作品だからこそ放たれるものなのです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 実物大 『美しき魂の化身』
蝶のブローチ

イギリス(推定) 1870年頃
シトリン、アメジスト、ローズカットダイヤモンド、(全て天然石無処理)、シャンルベ・エナメル、18ct ゴールド、シルバー
直径 2.1cm、13.8g
¥1,600,000-(税込10%)
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 

ヴィクトリアンに流行した蝶

【参考】蝶のネックレス
古代ローマ  1世紀-2世紀頃
サファイア、ガーネット、金メッキ
大英博物館 ©The Trustees of the British Museum. All rights reserved.

美しく可憐な蝶々は、地域や時代を超えて普遍のモチーフです。

ジュエリーだけでなくテキスタイル、絵画など美術品のモチーフなどとして幅広く親しまれてきました。

卵から孵り、芋虫からサナギを経て可憐なる成虫に完全変態を遂げる蝶々は、その神秘的な性質から古代ギリシャでは魂や不死の象徴、キリスト教では復活の象徴とされてきました。

黄金の花畑を舞う宝石の蝶々のブローチ(アンティークジュエリー)『黄金の花畑を舞う蝶』
色とりどりの宝石と黄金のブローチ
イギリス 1840年頃
SOLD

そのような神秘的な側面だけでなく、花の周りをヒラヒラと舞い、時には甘い花の蜜を可憐でロマンティックな印象の側面もあります。

そのようなロマンティックな姿をモチーフとした。『黄金の花畑を舞う蝶』のようなジュエリーも作られています。

人類にとっての定番モチーフとも言える蝶ですが、ヴィクトリア時代に特に流行しています。

それはこの時代に博物学や自然史が大きく進化し、注目されたからでもあります。

標本収集とヨーロッパ貴族

蝶の標本、ヒューストン自然科学博物館
"WLA hmns Case of butterflies" ©Wikipedia Lovers Art participant "The_Wookies"(February 2009)/Adapted/CC BY 2.5

昆虫の標本採集は博物学や、その系譜を引く分類学において不可欠とも言えます。

昆虫の感想標本を集める趣味の歴史は長く、研究者による研究的な意味だけでなく、趣味としてコレクションする人も少なくありませんでした。

第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937年)とガラパゴスゾウガメのペットロトゥマちゃん(150歳以上)、1902年

ヨーロッパでは貴族的な趣味の1つと見なされており、専用の昆虫採取人という職業もあったほどでした。

ヘリテイジでも数回エピソードをご紹介したことがある、動物大好きな第2代ロスチャイルド男爵ウォルターも昆虫採集が趣味だった貴族の1人です。

子供の頃から蝶や蛾を蒐集していましたし、大学を卒業して投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズで働くようになってからは、大英帝国各地に散らばる支店を活用して仕事そっちのけで動物や昆虫の蒐集をやっていたそうです。

チャールズ・ロスチャイルド閣下(1877-1923年)

兄ウォルターが銀行業務そっちのけだったので、家業の銀行業への責任感が強かった弟チャールズ・ロスチャイルドが仕方なく銀行業務に専念しています。

ただ本来は兄同様に動物学研究への造形が深く、兄の研究に協力したり、本人もノミの研究では有名な人物です。

1日の大半は銀行業に費やしたものの、週末や休暇を使っては動物学研究に尽くしていました。

ミリアム・ロスチャイルド(1908-2005年)

研究成果は娘ミリアムに引き継がれ、全7巻のノミ図鑑としてまとめられています。

貴族の趣味ながら、ノミとは地味ですね〜。

でも父娘はノミをコレクションするため、北極へ採集船を仕立てたこともあったほどだそうで、これは貴族だからこそできたことですね。

現代では公的な学術機関に属して税金が使えれば可能でしょうけれど、個人では到底不可能です。

情熱のみならず財力も投入して世界中のノミの標本を網羅し、分類学研究が大成したのです。

チャールズ・ロスチャイルド閣下(1877-1923年)

そんなチャールズなので、珍しい動物や昆虫、草花の収集のために世界各地を旅する一環で、1903年に日本も訪れています。

チャールズは日本を非常に気に入り、「日本は天国だよ。親がとやかく言わなければここで暮らしたい。」と手紙で友人に語っていたそうです。

明治後期の日本の急速な経済発展にも注目し、帰国後に「日本にロスチャイルド&サンズ」の支店を置くべきと父ナサニエルに進言しています。

趣味と実益を兼ねたのでしょうけれど、どちらかと言えば趣味の要素が大きかったでしょうね。

バレバレだったのか、父には提案を却下されています(笑)

初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド(1840-1915年)

長男ウォルターが数万匹の動物を養うために、巨額の手当があるにも関わらず借金を繰り返し、挙げ句の果てに無断で保険金をかけられるなど、踏んだり蹴ったりな初代ロスチャイルド男爵ナサニエルでした。

第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937年)とシマウマの馬車(1895年)

ナサニエル亡き後、銀行業務は次男チャールズが継いだものの2年ほどで体調を壊して退任てしまいました。まだまだ働けるはずの、当時49歳のウォルターはもちろん継ぐ気ゼロでした。

ライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド(1882-1942年)

ウォルターは生涯独身で息子もらず、結局銀行業務はウォルターの従兄弟たちに引き継がれることになりました。

初代ロスチャイルド男爵ナサニエルの弟の息子たちライオネルとアンソニー兄弟には銀行業の才能があり、経営は再び軌道に乗ったそうです。

現代では世界に君臨する謎の一族ロスチャイルドというイメージがありますが、こんな人たちや時代もあったとうのは面白いですね。

苦難の時期もうまく乗り越え、今のような形で存続できていることも興味深いです。

第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937年)

経済的なことだけ考えるとウォルターはハチャメチャな人物と言えますが、研究分野ではきちんと実績も残して高く評価されています。

ケンブリッジ大学での卒業論文は高い学術レベルにあり、教授たちから大学に留まって学者になることを薦められたほどでした。

蒐集を通して新発見された動物も少なくなく、動物学の本も数多く刊行しています。

動物園や動物学博物館を設立したり、遺言によって大英博物館に蒐集品が遺贈されるなど、パトロンとしても大きく貢献しています。

財力や教養がないと不可能な、ある意味とても貴族らしい功績を遺した人物とも言えるのです。

アングルシー伯爵の紋章のインタリオ『アンズリー家の伯爵紋章』
ジョージアン レッドジャスパー フォブシール
イギリス 19世紀初期
¥1,230,000-(税込10%)

ウォルター・ロスチャイルドはやり過ぎなので一見奇行のようにも見えますが、昔からこのような学術分野への貢献は貴族らしい行動の1つでもありました。

『アンズリー家の伯爵紋章』でもご紹介した通り、このフォブシールのオーダーし、最後の正当な持ち主となった可能性が推測される第2代マウントノリス伯爵ジョージ・アンズリーも爵位を継ぐ前に世界を旅して植物などを収集しています。

アーティスト、トラベラー、骨董蒐集家、外交官でありエジプト学者でもあったヘンリー・ソルトを案内役として、1802-1806年にかけて巡って見聞きした記録は左のように書籍にまとめられています。

Voyages and Travels to India, Ceylon, and the Red Sea, Abyssinia, and Egypt, in the years 1802, 1803, 1804, 1805, and 1806
ヘンリー・ソルト(1780-1827年)

ヘンリー・ソルトはアーティストとしても優秀なので、書籍の中には彼らが訪れた地域のスケッチも掲載されています。

訪れたのはエジプト、紅海、インド、スリランカと多岐にわたります。各地の雰囲気が伝わってきますね。写真がまだ発明されていない時代なので、絵で描くしかないのですが、案内役もこなせて絵も描ける学者だなんてヘンリー・ソルトは優秀過ぎますね。普通は何人かいてそれぞれの役目をこなすのでしょうけれど、ここまで優秀だとヘンリー・ソルト1人で事足ります。

この時代に世界各国を訪れるのは莫大なお金がかかるはずですが、ヘンリー・ソルトのような優秀な人物のパトロンとなり、莫大な財を生かして各地でオブジェクトや植物などの収集を行い、書籍を刊行して学術分野でも貢献する。

単なる自分の享楽ではなく、貴族にしかできない社会貢献をする。『ノブレス・オブリージュ』(持つ者の責任)の精神と共に、知性や教養を重視するまさにイギリス貴族らしい行動と言えるのです。

ディレッタンティ協会(1777-1779年頃)ディレッタンティ協会(1777-1779年頃)

イギリスには1734年にグランドツアー経験者のグループによって結成された、ディレッタンティ協会があります。

古代ギリシャやローマ、エトルリア美術の研究、そしてその様式にインスピレーションを受けた新しい作品制作のスポンサーとなったイギリスの貴族・ジェントルマンによる協会です。

古代ローマングラスの最高傑作『ポートランドの壺』(古代ローマ  5-25年頃)大英博物館
"Portland Vase BM Gem4036 n4" © Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2007)/Adapted/CC BY 2.5

その貢献のために、イギリスでは王侯貴族が『ポートランドの壺』のような様々な古代美術を蒐集し、知識階層の王侯貴族のメンバーや学者たちと議論を重ね、クリエイターのパトロンとなって新しい芸術文化の発展に貢献してきました。

ディレッタンティ協会の活動は考古学的分野でしたが、博物学や動植物学の分野に興味を持ち、貢献したのが第2代マウントノリス伯爵ジョージ・アンズリーや第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドと言えます。

興味の対象となった分野が異なるだけで、古のイギリス貴族は趣味と実益を兼ねた蒐集活動など経て、芸術だけでなく学術分野でも大きく貢献してきた歴史があるのです。

イギリスが大英帝国となれたのは、きちんと理由があるわけです。

別格の人気を誇った蝶の標本収集

標本作りセット(イギリス 1838年)

ヴィクトリア時代においては、様々な昆虫の採取と標本作りが流行しました。

蝶、トンボ、カブトムシ、バッタなど、その種類は多岐に渡ります。

その中でも別格の人気を誇ったのが蝶でした。

蝶嫌いの人も世の中にはたくさん存在しますが、人気だったことは感覚的に理解できるので理由はご説明するまでもないでしょう。

蝶の標本 " 04 Museum insect specimen drawer (Schmetterlings Exemplar) - Muzeum Gornoslaskie, Bytom, Poland " ©Marek Slusarczyk(18 May 2019/Adapted/CC BY 3.0

ヴィクトリア時代には応接室に蝶の標本が飾られるなど、知性と財力、権力を象徴する存在として確固たる地位を確立していたのです。

昆虫は動物と比べて圧倒的に種類数が多く多様なので、すべてを集め尽くすのはほぼ不可能と言われています。そのような中で蝶だけは収集が凄まじく、蓄積された学術情報の密度が極めて高いため、標本1つから世界のどの島のものか、どの季節に採取されたものか分かる場合もあるほど研究が進んでいます。

王侯貴族が邸宅の応接室に蝶の標本を飾り、来客に見せて語り合う。「なんと新種を発見しました!」、「幻の蝶を発見しました!」、「美しい蝶を発見しました!」などの手柄話だけでなく、どこで採れたのか、分類はどう思うかなど、様々な議論にも花が咲いたことでしょう。

まさにイギリス貴族らしさ満載です!

ヴィクトリア時代におけるスピリチュアルの流行

ヴィクトリア女王の結婚式(1840年)

自らプロポーズし、20歳でアルバート王配と結婚したヴィクトリアでしたが、大英帝国最盛期の1861年にアルバート王配を亡くしました。21年間寄り添い、9人もの子女に恵まれた愛するアルバートを亡くしたヴィクトリア女王の悲しみは深く、1887年の即位50周年ゴールデン・ジュビリーを祝うまでの26年間という長い喪に服したことは有名な話です。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)

幽霊でも良いから、死んでしまった愛する人に会いたい・・

そう思うのは当然ですよね。

しかも十分年をとってからの老衰ではなく、まだまだ42歳、ずっと一緒に寄り添っていたかった中での病死です。

-写真技術と心霊写真-

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787-1851年)

写真の歴史については『プティ・バッグ』の中でご説明していますが、世界初の実用的写真撮影法の技術が発表されたのは1839年のことです。

フランス学士院でルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによりダゲレオタイプの技術が発表されると、1840年代のヨーロッパに熱狂的に広まりました。

ウィリアム・マムラー

写真が普及し始めると出没するのはアレです。

心霊写真です。

若いと知らない方も多いと思いますが、1970年代半ば頃からのオカルトブームで、日本でもその手の写真や雑誌などが大流行しています。もう40年ほども前の話ですね。

世界ではボストンで宝石彫刻家として働き、余暇でアマチュア写真技術をやっていたウィリアム・マムラーが、最初の心霊写真を発表しています。

1860年前半に、12年前に死亡した従兄弟の霊が写っているように見える1枚の自画像写真を発表し、『心霊写真』として世間に認められました。

ウィリアム・マムラー(1832-1884年)
ファニー・コナントの心霊写真

この頃のアメリカは、南北戦争で多くの人々が家族や親戚を失った時代でした。

何千もの家庭が、最愛の人が死後も生き続けているという安心感を求め、マムラーの元に写真撮影を求めて殺到しました。

心霊写真術は南北戦争に由来する無数の死者のおかげで、儲かる仕事でもあったのです。

明らかに生きている人が霊として写っている写真もあったため、1869年にはマムラーは法廷で詐欺罪と窃盗罪で公判に付されています。

その結果は証拠不十分として無罪判決にはなりました。

心霊写真は当時から専門家によって詐欺的な二重露光だとされましたが、愛する人を亡くした人々の心のよりどころとしての癒しの効果も大きく、詐欺騒ぎの後でも信じる人は多数存在しました。

ファニー・コナント(1868年頃)兄弟の『霊』と共に
メアリー・ドット・リンカーンとリンカーン大統領の心霊写真

マムラーの心霊写真で一番有名なのはこの写真です。

未亡人メアリー・ドット・リンカーンが、夫エイブラハム・リンカーンの『霊』と共に写っていると言われるものです。

メアリー・ドット・リンカーン(1869年頃)夫の『霊』と共に
第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン

これは暗殺される1ヶ月ほど前のリンカーンの写真ですが、霊と似ているのかどうなんでしょうね。

第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン(1861-1865年)1865年3月に撮影されたリンカーン最後の高解像度写真
エドゥアール・ビュゲが撮影した、自身と『霊』が写った写真

この『心霊写真』という画期的な存在は、ヨーロッパでも注目を集めました。

1874年にパリで写真館を経営するエドゥアール・ビュゲが『心霊写真』を発表して大評判になりました。

エドゥアール・ビュゲが撮影した、自身と『霊』が写った写真
テレキネシスを偽造するエドゥアール・ビュゲー

こちらも案の定、詐欺行為で逮捕され裁判にかけられています。

ビュゲは公判において『二重露光』の技術を使ったことを白状したため、1年間の禁固刑と500フランの罰金刑を科せられています。

テレキネシスを偽造するエドゥアール・ビュゲー(1840-1901年)1875年撮影

-スピリチュアルの台頭と心霊研究の発展-

ウィリアム・スティントン・モーゼ

ビュゲのインチキが暴露されたものの、ここでも信じたい人々や、本物であると主張する人々が一定数存在しました。

イギリスの聖職者であり霊媒師でもあったウィリアム・スティントン・モーゼもその一人です。

モーゼが初めて降霊会に参加したのは1872年でした。

その5ヶ月後に空中浮遊を体験したと主張しています。

さらに自動書記も行っています。1872年から1883年の間に24冊のノートが埋め尽くされ、『スピリッツ・ティーチングス』や『スピリッツ・アイデンティティ』などの著書も刊行しています。

ウィリアム・スティントン・モーゼ(1839-1892年)
ウィリアム・スティントン・モーゼ

自身の正当性を主張するためにも、ビュゲを正当化しておいた方が良い存在だったとも言えますね。

モーゼはフランスでビュゲが心霊写真を発表した翌年の1875年に、ヒューマンネイチャー誌でビュゲは本物だと支持しました。

ビュゲが二重露光を白状した後も、以前として「ビュゲは本物であり、賄賂をもらって白状しただけだ!」と主張しました。

なんだか1990年代あたりに日本で放送された、"オカルト研究"や"オカルトvs科学の激論バトル"みたいなTV番組を思い出してしまいます(笑)

ウィリアム・スティントン・モーゼ(1894年撮影)見知らぬ人の『霊』と
心霊現象研究協会(SPR)1882年設立

彼らは傍流に見えるかもしれませんが、イギリスでは1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって、非営利団体である心霊現象研究協会(SPR)が設立されました。

これを受けて、アメリカでは1885年に米国心霊現象研究協会(ASPR)が設立され、1890年にSPRの支部となっています。

SPRの主な歴代会長リスト
【引用】『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』心霊現象研究協会 2021年2月27日(土) 00:27 UTC

『心霊現象研究協会』と聞くと何だか胡散臭そうにも見えますが、歴代会長をご覧いただければ分かる通り、メインストリームです。

SPRは心霊現象や超常現象の真相を解明するための科学的研究を促進することを目的として設立されています。

歴代会長には政治家や学者が名を連ね、中にはイギリスの首相やノーベル賞受賞者までいますね。

SPR初代会長ヘンリー・シジウィック(1838-1900年)

このSPR設立の年が超心理学元年とされています。

初代会長は哲学・倫理学者でもあったヘンリー・シジウィック教授で、モーゼは初代副会長の1人でした。

有名な支持者にはユング心理学で有名なカール・グスタフ・ユングや、シャーロック・ホームズで有名なアーサー・コナン・ドイルもいました。

神智協会の設立者の1人、ヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831-1891年)44歳頃

SPRは1884年のブラヴァツキー夫人と神智協会のトリックを暴いたということで名を上げました。

設立後30年間はとりわけ活動的で、スピリチュアルの流行と共に出てくる霊媒のトリックを次々と暴いたりしたため、アーサー・コナン・ドイルなど心霊派の人々は大挙して脱退したこともありました。

自らの空中浮遊や自動書記を主張していた初代副会長モーゼも当然心霊派だったので、早々と脱退しています。

御船千鶴子(1886-1911年)1910年頃

遠いヨーロッパの話のようにも思えますが、スピリチュアル・ブームは日本にも到来して同時代に流行しています。

千里眼・念写の能力を持つと称する御船千鶴子や長尾郁子らが、東京帝国大学の福来友吉や京都帝国大学の今村新吉らの一部の学者と共に巻き起こした、公開事件や真偽論争などの一連の騒動、千里眼事件が明治末に発生しています。

これはヨーロッパから渡来したスピリチュアル・ブームによって発生した事件だったわけですね。

扶箕(ふき)儀礼のモデル " Group of model figures showing a worshipper. Wellcome L0004641 " ©Science Museum Group(04:03, 3 October 2014)/Adapted/CC BY 4.0

これらが前時代的かと言うと決してそうでもなく、第二次世界大戦終盤の1944年の日本で、扶箕と言われる占いが行われています。

扶箕は中国に昔から伝わる神霊の御神意を伺う、二人一組で行う一種の自動書記現象です。

日本ではコックリさん、西洋ではウィジャボードと同様の現象です。

第34、38、39代内閣総理大臣の近衛文麿(1891-1945年)

1944年の日本での扶箕は、今後の戦局を占う意味や日本の古代史のことをお伺いする目的で行われました。

その後、扶箕で神託を受け、神意を解釈して伝える審神者(さにわ)と務めていた八幡神社の留守神主、岡本天明の元を軍関係者(青年将校たち数名)が訪れ、ご神託を求めました。

「御神霊の意見を是非伺って、その返答によっては弱腰で役に立たない近衛文麿の殺害も厭わない」と、ご神託を求めたのでした。

ご神託によって近衛文麿の殺害は回避されましたが、その時代のメインストリームの人たちも占いに頼る人たちが少なからず存在したということですね。

太古からシャーマニズムと政治は密接な関係にあるのは有名な話でもあります。

日月神示が降ろされたとされる麻賀多神社 " Makatajinjya-hondou ©Hoku-sou-san(26 September 2007)/Adapted/CC BY SA 3.0

岡本天明に降りた御神霊はその後も時折ご降臨し、数年に渡り数十巻にも及ぶ自動書記をさせました。

『日月神示』として知られる解読困難なその内容は、現代でも強い魅力で人々を引き付け、研究を重ねる人も少なからず存在します。

推古天皇の時代に植樹されたとされる、東日本で一番大きい麻賀多神社の巨大杉(樹齢約1400年)
"Makatajinjya-koudunooosugi" ©Hoku-sou-san(26 September 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0

御神霊や人の霊、妖怪に妖精。

明確な存在は実証されていないものの、地域や時代が違ってもいつでも人間の心にそれは存在します。

それは人間の本能の中に埋め込まれていて、感覚的に感じられる部分があるからなのかもしれません。

蝶のブローチが作られた時代背景

蝶のブローチ アンティークジュエリー

この蝶のブローチが作られた時代は、蝶の標本採取が一種のステータスとして注目され、博物学的な研究が進み、蝶の生物学的研究や造形などの美しさについての研究が進んだ時代でした。

一方でアルバート王配が亡くなったことで、イギリスにおいても死後の魂などスピリチュアルについても意識が高まった時期でした。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

この蝶のブローチからは単なる蝶の美しさや可愛らしさだけでなく、何か神秘的な美しさをも感じます。

古くから亡くなった人の魂の化身とも考えられてきた蝶。

世界で最初に産業革命を迎え、それが最盛期を迎えたイギリスにおいて、ちょうど自然界の美や、その必要性も再認識された時代でもありました。

それらの思想が融合し、魂の化身を思わせるような儚さも感じる魅惑の蝶が、このような美しい芸術作品としていくつも昇華した時でもあるのです。

実際、ヴィクトリア時代において蝶が魂の化身であるという概念はかなり一般的に広まっていました。

象徴主義はとても人気があり、左のようなピアスも作られています。

ハエです。

ハエは謙虚さを象徴するそうで、日本人の感覚では想像しにくいですが、人気があったようで結構たくさんのハエ・モチーフのジュエリーが作られています。

耳にハエがとまるピアス(笑)現代日本人にはどう考えてもウケないので買い付けることはありませんが、興味深いジュエリーです。

【参考】ハエのピアス(1880年頃)
ウィンザー城 "Windsor Castle at Sunset - Nov 2006" ©Diliff(5 November 2006)/Adapted/CC BY 2.5

ちなみにヴィクトリア女王はウィンザー城で極秘に降霊会を行っていたというまことしやかな噂も存在します。イギリス人は賭け事とお化けが大好きだなんて言われていますが、こういう巨大で重苦しい雰囲気の城で幽霊なんてものに出会ったら恐怖の極みですね。でも見知らぬ霊だと怖いですが、愛する人であれば死んで霊となっても会いたいと思うのは当然のことでしょう。

18世紀のイギリス貴族の紋章のインタリオがある、スモーキークォーツのフォブシール(アンティークジュエリー)『魔法のクリスタル』
スモーキー・クォーツ フォブシール
イギリス 1780年頃
SOLD

ヴィクトリア時代にスピリチュアルが流行したことは、『魔法のクリスタル』でもご紹介しました。

『水晶玉』(トーマス・ケニントン作 1890年) 『カード占い』(エドワード・ビソン作 1889年)

肖像画を描かせることができるクラスの人々にも、普通にスピリチュアルや占いが受け入れられていた時代だったのです。

時代ごとの蝶のモチーフの作風の違い

-1830〜1840年頃のイタリア-

白大理石を使った珍しいミュージアムピースのイタリアのフローレンスモザイク(ピエトラドュラ)とカンティーユのピアス(アンティークジュエリー)フローレンスモザイク ピアス
イタリア 1830〜1840年
SOLD

これは私がルネサンスで初めて購入したジュエリーの1つで、1830-1840年頃のイタリアで作られたものです。

この蝶はフローレンスモザイクという、天然石を使った驚異のモザイク技術によって作られています。

この技術を使ってどれだけリアルな蝶を美しく表現できるかに迫った、芸術的作品と言えます。

-アーリー・ヴィクトリアンのイギリス-

黄金の花畑を舞う宝石の蝶々のブローチ(アンティークジュエリー)『黄金の花畑を舞う蝶』
色とりどりの宝石と黄金のブローチ
イギリス 1840年頃
SOLD

18歳の若きヴィクトリア女王が即位した頃の、イギリスが期待に溢れ、明るい雰囲気が頃だと『黄金の花畑を舞う蝶』のように、まるで夢の世界のような、ロマンティックで愛らしい雰囲気の作品が作られています。

-ヴィクトリアン後半のイギリス-

ダイガーアイ&天然真珠&サファイアの蝶のブローチ(アンティークジュエリー)
タイガーアイ バタフライ ブローチ
イギリス 1870年〜1880年頃
タイガーアイ(虎目石)、シードパール、サファイヤ、15K
SOLD

これは宝石や彫金細工の技術を使って、植物に舞い降りた蝶をリアルに表現したような作品ですが、どことなくもの悲しさもあるような、超自然的な雰囲気も感じられます。

決して派手ではない、タイガーアイや天然真珠が醸し出す雰囲気なのかもしれません。

自然界のある瞬間を捉えたような作品でもあり、不思議な印象深さがあります。

オパールの蝶のブローチ(アンティークジュエリー)
『華麗なるパピヨン』
イギリス 1890年頃
オパール、サファイヤ、ルビー、天然真珠、9ctゴールド
SOLD

この蝶も頭・胸・腹、触覚から手足に至るまでのリアルな表現が見られますが、同時に神秘的な雰囲気も感じられます。

それは遊色があるオパールという、まさに魂のような石が腹にメインストーンとして大きく使われていることも理由にあるでしょう。

それ以外に、黄金の羽のシードパールの内側部分に施された、格調高い雰囲気の独特な模様の彫金も大きく効いています。

黄金の蝶(アンティークジュエリー)『美しき黄金の蝶』
ヨーロッパ 19世紀後期
18ctゴールド
SOLD

これは私も初めてルネサンスのHPを見たとき、思わず「欲しい!」と思った作品です。

残念ながら既にSOLDでした(TT)

蝶が特別好きなわけではありませんが、鳥のモチーフに加えて蝶のモチーフも優れた作品が多いのかもしれませんね。

宝石に一切頼らない、完全にゴールドだけで作られた超金細工の見事な作品です。

羽の模様や胴体部分などとてもリアルな表現ではありますが、現実世界ではあり得ない黄金の蝶は、まさに神々しい魂の化身という感じです。

これらの作品のように、ヴィクトリアン後期の蝶はリアルな表現と共に、どことなく魂の化身を思わせるような超自然的な雰囲気も醸し出す、神秘的で美しい作品も作られているのが特徴なのでそう。

石による超絶細工物

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

先の『美しき黄金の蝶』は、GENが一番得意とする『宝石に一切頼らない彫金による超絶技法の細工物』です。

一方でこの作品は宝石は使っているものの、宝石の価値だけに頼らない、超絶技法の石の細工物と言えます。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

この蝶は、左右の上翅と下翅がそれぞれ1つの石で作られています。

金属ならばちょっと失敗してももう一度溶かして形作りをやり直すことができます。

でも、石は一度失敗したら終わりです。

この形な曲線的で複雑な形状にカットするのがいかに難しいことか、よくトライしたなと驚くばかりです。

拡大2

上翅はアメジスト、下翅はシトリンで表現されています。

どちらも色が濃く、透明度の高い非常に上質な石が使われています。

天然シトリンの特別性については『社交界の花』で詳しくご説明していますが、このクラスの石は、失敗したらもう一度手に入れれば良いと言えるような安石ではないのです。

-石自体の希少性-

現代ではパワーストーンや天然石の店でアメジストもシトリンも安く買えたりするので、これらの石はいくらでも手に入る安い石というイメージしかないかもしれません。

アメジストは比較的まだ手に入りやすいのですが、シトリンはかなり貴重です。

1883年にブラジルでたまたまアメジスト(紫水晶)を加熱したところ、鮮やかな黄色の石になることが発見され、現代ではシトリンはほぼこの方法で作られています。

【参考】ブラジル産の天然シトリン

現在採れる、天然シトリンとして販売されている石はこの程度の色しかなく、とても宝石品質とは言えません。

あったら恐ろしく高価になります。

【参考】天然アメジストのビーズ 【参考】アメジストを加熱した「シトリン」ビーズ

比較的手に入りやすい天然のアメジストを約450度で加熱処理すると、黄色になります。現代ジュエリーで使われるのはこの加熱シトリンです。色の薄い価値の低いシトリンを使ってもジュエリーとして女性にはほぼ見向きもされませんが、色を濃くしておけば高そうに見えて買ってもらうことができます。

加熱していても天然を使っていることには間違いないので、天然石のシトリンと謳っても虚偽にはあたりません(詐欺的ですが・・)。販売者は加熱していないと言わなければOKなのです。天然石と言われて消費者が天然無処理と思い込んでも、勝手に勘違いした消費者が悪いというのが現代ジュエリー業界の理屈です。

【参考】ブシュロン・パリ
ロングネックレス 16モチーフ
シトリン8個(54.89カラット)
¥6,750,000-(2018年11月時点)
【引用】BOUCHERON HP / SRPENT BOHEME LONG NECKLACE, 16 MOTIFS
【参考】ブシュロン・パリ
イヤリング ラージ
シトリン2個(19.05カラット)
¥1,393,200-(2018年11月時点)
【引用】BOUCHERON HP / SRPENT BOHEME SLEEPERS L MOTIF

天然のシトリンであればかなり価値があるので天然であればそのように記載するはずですが、記載がないということは加熱シトリンと思って間違いないでしょう。高いから信頼できる、高いから価値がある、高いから天然無処理の宝石を使っているというわけでは決してないのです。そもそも余程価値ある宝石の場合、いくつも同じような石が手に入るわけがありません。量産販売している時点で疑問を抱くべきです。

通常、宝石の原石を見ることはなかなかありません。色が濃く、透明度も高い石をある程度の体積で得るのは本当に難しいことです。比較的手に入りやすいと言われるアメジストであっても、大きくて透明度の高い美しい石は貴重です。

アメジスト&シェルのロング・ネックレス
【参考】現代の天然アメジストのアクセサリー

ジュエリーが王侯貴族のためだけの物だった時代ならばあり得ませんが、中産階級が普通にアクセサリー感覚でジュエリーを楽しむ現代では、このような低品質の石でもジュエリーに加工されます。自然が作り出した景色や面白い模様として楽しむのも1つの価値観で、これはこれで好きな人にとってはありだと思いますが、決して高級品ではありません。

拡大1

この蝶のブローチに使われているようなアメジスト1つでも、手に入れるのは容易なことではないのです。

さらにシトリンはその比ではありません。

それら失敗の許されない貴重な宝石を、このように石の無駄になる部分が多く、しかも難易度の高い形にカットしてあるのです。

非常に贅沢な石の使い方ですし、技術的に見ても当時の最高の職人でなければ出来なかったことでしょう。

-驚異的かつ美しい独特のカット-

羽の形

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

アメジストもシトリンも、まるで本物の蝶の上翅と下翅のような見事な形ですが、すごいのはそれだけではありません。

拡大1

上翅と下翅は寸分の狂いもなくピッタリ合わせてあります。

カリブレカットも難しいカットですが、それよりももっと大きな石を直線ではなく曲線でピッタリ合わせるというこのやり方は、カリブレカットと比べてもさらに別格と言える至難の業なのです!!

石のカットに加え、金のフレームをそれぞれの石に合わせて作るのも難しいことです。

石がフレームに隙間なくピッタリと合っているからこそ、目立たない爪だけで、100年以上の使用に耐えられるほどしっかり固定できているのです。

現代ジュエリーは爪ばかりが目立って変ですが、爪が目立たない状態でこれだけしっかり固定するには高度な技術が必要なのです。

表面形状

蝶のブローチ アンティークジュエリー

アメジストやシトリンの羽は、表面形状も立体感ある複雑で独特の形に仕上げてあります。このような表現は他では見たことがありません。

拡大3

斜めから見ると、曲線的にかなりの凹凸が付けられていることが分かります。

石の大きさだけに魅力を感じる人たちには、石を削ってでもこのような形状を表現することは理解できないことかもしれません。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

でも、このように表面に凹凸があるからこそ正面から見たときにも蝶の印象がのっぺりにならず、立体感を感じてより生き生きとして見えるのです。ファセット(面)を施したカットではないので、見るときの角度の変化によって強い面の煌めきはありませんが、なだらかな曲面が放つ瑞々しい照りが実に素晴らしいのです。宝石による無機質な蝶ではなく、生命のエネルギーに満ちた力強い蝶という表現がしっくり来るのです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アメシスト シトリン バタフライ ブローチ
アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

裏側

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 裏

一方で、裏側はファセット・カットになっています。

蝶のブローチ アンティークジュエリー

これは透明度が高い石だからこそ活きる細工です。表からは、石の底面のファセットからの輝きも感じることができます。表面の緩やかな凹凸からの照りと、底面からのファセットの輝きが重なることで、この宝物にしかない独特の雰囲気と美しさが醸し出されています。

ガーネットのロケット・ペンダント(アンティークジュエリー)ガーネット ロケットペンダント
イギリス 1860年頃
2,8cm×2cm(本体のみ)  厚み1,6cm 
重量 18,2g
SOLD

この時代に手に入る、ある程度大きさがある色石にはガーネットもあります。

ガーネットのロケット・ペンダント(アンティークジュエリー) ガーネットのロケット・ペンダント(アンティークジュエリー)

深紅の羽を持つ蝶も美しそうですが、ガーネットは通常それほど透明感が高くありません。ウズラ卵ほどもの大きさがある、とても上質なガーネットを使ったこのロケットも、右の画像のようにバックライトを当てたり太陽にかざすなどしないと深紅の色合いと透明感は強く感じることができません。

蝶のブローチ アンティークジュエリー

この蝶の羽は、透明感に加えてハッとするような印象的で鮮やかな色も魅力です。

無色透明のロッククリスタルや、水色のアクアマリンも、この時代ならばお金さえ出せばある程度大きさがあってインクリュージョンのない石は手に入った可能性もありますが、デザイン上迫力不足になってしまいます。

アメジストと、色の濃い上質なシトリンは色相環で見るとちょうど向かい合う2色の関係、補色の関係にあります。

補色は互いの色の印象を強く見せる、はっきりとしたコントラストを生む関係にあります。だから蝶の色が印象的に見えていたのです。

補色だと赤と緑の組み合わせもありますが、この組み合わせは現代ではクリスマス・イメージが強すぎるので、赤と緑で作られていたら違和感があったかもしれませんね。

-色を美しく見せるための職人の感覚による高度なテクニック-

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

無個性な工業製品が生活空間にあふれかえり、それがジュエリーにも適応されている現代、石の形だけでなく色が均一に揃っていることさえも当たり前のように感じるかもしれません。でも、天然の石でそれを実現するのは本当に難しいことなのです。この蝶の羽の色を見ても、「色が揃っておらず不自然だ。」と感じる方はあまりいらっしゃらないと思います。

南アフリカ産アメジストの結晶 "Amethyst. Magaliesburg, South Africa" ©JJ Harrison(18 July 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

自然のダイナミックな環境の中で生まれる天然の石は、環境を制御して作られる工業製品のように均一になることは滅多にありません。色石の結晶1つ見ても、これだけ色むらが存在します。この自然な美しさが魅力の1つでもあるのです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アメシスト シトリン バタフライ ブローチ
アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

強く光りを当てて透かしてみると、この蝶の4つの石もそれぞれに個性があることが分かります。

個性ある1つの石を、単品で個性を生かして作品を作るのはそう難しいことではありません。

でも個性に富む4つの石を同じキャンバスに並べ、違和感なく調和して見せるのは相当に難しいことです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

裏側から見ると、いかに作者がそれぞれの石の個性をコントロールし、全体で美しく見せようと尽力したかが分かります。正面から見たときに色の濃淡が均一に見えるよう、これだけ石の厚みが違うのです。

シャンパン・トパーズのクロス(アンティーク・ジュエリー)『黄金に輝く十字架』
ゴールデントパーズ クロス ペンダント
イギリス 1880年頃
4,6cm×3,5cm(本体のみ)
SOLD

これは同じ石系の超絶細工物だった、『黄金に輝く十字架』でも使われていた技術です。

シャンパントパーズのアンティーク・ジュエリー

天然の石を使って均一な色に見せるためのこの技術。作者には優れた色彩感覚と美的センスに加え、高度な石の加工技術も要求されます。失敗の許されないプレッシャーに負けない精神力も必要とされます。当時でもトップクラスの職人でなければできない技です。

まずは極上の石が手に入らなければ始まらないことに加えて、高度な技術が必要とされる上に一度失敗したら終わりです。当時から作られた数は相当少なかったはずです。だからこそこのクラスの超絶技法の石系の細工物は、彫金系の細工物以上に見ることがないのでしょう。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー
これは上翅のアメジストにピントを合わせた画像です。右のアメジストは先端の方は無色に近いくらいですね。天然の石の個性がよく表れています。
アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

これは下翅のシトリンにピントをあわせた画像です。シトリンもよく見ると左右で厚みも色も違っています。さらに、それぞれの石の形に合わせてファセットのカットの仕方も異なっています。均一な工業製品を作ることが目的ではなく、正面から芸術作品として見たときにいかに美しく見えるかが重要であり、その目的に合った作りになっているのです。

現代で仕事をしていると、手段が目的になってしまっている場面も少なくありませんが、この作品はきちんと目的に合わせた仕事がなされています。

蝶のブローチ アンティークジュエリー

正面からは分からない裏側の凄まじい努力、見事ですね。まるで、水面下で足をばたつかせながら優雅に泳ぐ白鳥のようです。蝶ですが・・(笑)

-石に石をセッティングする驚異の石留とその美しさ-

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 蝶の羽それぞれの石に嵌め込まれたダイヤモンドの輝きも印象的です。
眼状紋を持つ蝶 "Common brown - female" ©Ian Sutton(15 February 2010, 10:53:47)/Adapted/CC BY 2.0

蝶の模様と言えば、目玉のような眼状紋をイメージされる方も多いと思います。一種の擬態と考えられていますが、未だに何のためのものなのかはっきりとは分かっておらず、議論が多い模様です。

拡大2

蝶らしい特徴とも言えるその眼状紋を、ダイヤモンドを使って表現しているのです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 裏

裏側を見ると、貫通しているのではなく石をくり抜き、そこに絶妙にセットしてあることが分かります。

石が割れることのないよう、ダイヤモンドのフレーム通りにくり抜き、抜け落ちないようピッタリセットする技術には驚くばかりです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー
これは石に厚みがあるからこそできる留め方です。石全体をこの形状にカットするだけでも難しいのに、リスクの高いこのような細工をよくぞやったものだと思います。
拡大1

しかも上翅の眼状紋は三角形、下翅の眼状紋は円形で表現するという気の遣いようです。

三角形は単純な直線で表されているのではなく、アメジストのふっくら曲面的な表面形状に合わせて緩やかに内側に弧を描く線で表現されています。

透明な石にセットされたダイヤモンドの眼状紋を持つ蝶は、南国の幻のような蝶に通ずる美しさも感じます。

 

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

よくぞここまで宝石1つに手間と技術をかけたものだと思います。

石の価値だけで売ろうという発想のジュエリーでは絶対にあり得ないことですね。

【参考】現代の天然アメジストのジュエリーやアクセサリー

現代では原石そのもの、未加工のままでジュエリーやアクセサリーに仕立てて販売しているものまで存在します。同じ原石を使ったジュエリーでも、イギリス貴族らしい遊び心満載だった『ダイヤモンドの原石』とは大違いです。アンティークの時代に王侯貴族の特別なオーダーで作られた蝶のブローチは、リスクも覚悟であれだけ手間と技術をかけて美しい宝物へと昇華しているのに、現代のこの手間のかけなさ具合を見ると悲しくなってしまいます。

高級ジュエリーではなくアクセサリー感覚で楽しむファンシー・ジュエリーとして、原石ジュエリー自体はアリだと思うのですが、石の留め方含めてもう少し丁寧に手間をかけて作ってくれても良いのではないかと思います。お金を出して買ってくれた持ち主を美しく飾るためにも・・。

名脇役のダイヤモンド

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

この蝶のブローチでは、ダイヤモンドは主役ではなく名脇役です。

色鮮やかなアメジストやシトリン、ゴールド・ディスクの黄金光沢が放つ華やかさに紛れて目立しませんが、注目して見てみると意外とたくさんのダイヤモンドが使われていることに気づきます。

拡大1 拡大3
目立ちはしないものの、ハイジュエリーに相応しい上質なローズカットの輝きは見事なものです。同じ大きさ・同じ形に規格通りカットされる現代のダイヤモンドと違い、羽のセットする場所に合わせてそれぞれダイヤモンドの大きさも変えてあります。カットの時点からすべてオーダーメイドだからこそできる配慮です。現代にもオーダーメイドを謳うジュエラーはいるでしょうけれど、所詮デザインをオーダーして鋳造で簡単なハンドメイドをされるだけで、石のカットからカスタムメイドするなんて想像もできない話でしょう。
拡大4 拡大5

蝶の胸に当たる部分には、厚みのあるローズカットダイヤモンドがセットされています。

一段と厚みのある石で、カットも通常のローズカットダイヤモンドよりファセットの面数が多い、ダッチローズカットダイヤモンドです。


頭部も含めてダイヤモンドはすべてローズカットダイヤモンドですが、全てが質が良く、カットも綺麗な石です。

オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドだとどうしてもダイヤモンドが必要以上に目立ってしまいます。

輝きをコントロールするため、カットも相応しいものを的確に選んでいるのが、アンティークの特別オーダー品らしさでもあります。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 裏

通常この時代はダイヤモンドはオープンセッティングにして、無色の色合いや輝きを強調するのですが、このブローチはアメジストとシトリンだけがオープンセッティングです。

ダイヤモンドの強い煌めきが主役のアメジストとシトリンを邪魔しないために、ここまで配慮されているのです。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ たとえクローズドセッティングであっても、上質なダイヤモンドはキラキラと美しく輝きを放ちます。

シャンルベエナメルによる縁取り

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

蝶は黒のシャンルベエナメルで縁取りされています。

石だけでも蝶には見えるでしょうけれど、この縁取りがなかったらかなりボヤけた印象になっていたはずです。

拡大1

一言で縁取りと言うと簡単そうな印象ですが、そう簡単ではありません。

金属に溝を彫ってからエナメルを施すシャンルベエナメルは、エナメルの中でも非常に手間と技術がかかるものなので、比較的簡単なデザインのものであっても一定以上のハイジュエリーでしか見ることはありません。

拡大2

蝶はすべて縁取りしてしまうのではなく、する部分とそうでない部分があります。

こうした表現の巧みな使い分け1つからも、この作品の作者のデザイン的なセンスの良さを感じます。

神々しい黄金のディスク

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

黄金で作られたディスク状のフレームが、このブローチの雰囲気の神々しさを一気に高めています。これだけのハイジュエリーの場合、さらに手をかけて金の表面をマット仕上げにすることもできたでしょう。でも敢えてマット仕上げにはせず、安っぽくならない程度に表面が磨かれています。特定の角度において、このゴールド表面がピカっと全反射します。シンプルは黄金の輝きには神々しさをも感じます。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ アンティークジュエリー

丸い形もポイントです。

球や丸い形は完璧を表し、ヨーロッパでも魂は球体として表現されたり、球体の魂を見たなんて話もありますよね。

夜の沢で撮影された多数のオーブが写った写真 "Sin" ©Σ64(2006年3月17日 13:40)/Adapted/CC BY-SA 3.0

これは撮影者によれば、「心霊写真ではないけれど、それっぽく写った写真」だそうです。これを撮影した時は驚いたとのことですが、その後、体に感じるか感じない程度の霧雨の中で夜に撮影したところ再現したので原因が分かったそうです。

写真はレンズの汚れや空気中の水滴、光の条件などで心霊写真のようなものが撮れることが分かっています。でも、魂は何となく感覚的にこういう感じのイメージだったりしますよね。

蝶のブローチ アンティークジュエリー

ブローチが黄金のディスク状であることで、何か超自然的な雰囲気であったり、神々しさを放つことにもつながっているのです。

神々しさを放つ理由にはもう1つ、細工上のポイントがあります。

ディスクの縁を見ると、のっぺりとした単純な形状ではなく二重の輪のようになっていることがお分かりいただけますでしょうか。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ

横から見ると、蝶が描かれたキャンバスが一段高い位置にあるように見える工夫が施されていることが分かります。

ちょっと溝のようなものを彫っただけのことですが、これが全体の雰囲気に大きく影響しています。

これがなかったら、結構安っぽく見えていただろうと思います。

拡大1

気付く人がいるかどうか分からないけれど、見たときの印象に確実に影響を与える一工夫。

途方もない手間をかけるだけだったり、分かりやすいデザインの良さだけならば、一定レベルの才能がある人であればできなくはありません。

でも、このように印象をコントロールするためのデザインが計算してできるのは、天性の才能に恵まれた人物でなければできません。

この作品に訴えかけてくるものが強く感じられるのは、神技的な作りの素晴らしさだけでなく、天性のセンスの良さも感じるからなのです。

フランスのインポートマーク

ホールマーク
フランスのフクロウとスワンのホールマーク

ブローチピンの留め金に、フランスのインポートマークが刻印されています。

ホールマークは2種類あり、左の画像では下がフクロウ、上が白鳥です。

金が18ct、銀が800であることを表しています。

アメシスト シトリン バタフライ ブローチ 裏 ブローチピンの台座部分とピンの金具が、シルバーギルトになっています。


蝶のブローチ アンティークジュエリー
結局このブローチは誰か具体的な人物の魂を表しているのかと言うと、私はそうではないと思います。髪の毛も封じられていませんし、具体的な日付の彫刻などもありません。
ソフィー・アンダーソン画の「妖精」『妖精』(ソフィー・アンダーソン 1823-1903年)

自然を感じ、スピリチュアルも流行し、象徴主義が好まれた時代。

コナン・ドイルのように本気で妖精の存在を信じる人たちもたくさんいました。

超自然的な存在とその美しさに敬意を払い、その美しさをジュエリーで表現して身に付けていたい。

このブローチはそう思った高貴な女性が特別にオーダーして作られた、独特の神秘的な美しさを放つ贅沢な宝物だと思っています。