No.00252 アルテミスの月光

本物のロイヤルブルー・ムーンストーンのメアンダー・ティアラ&ネックレス

 

ムーンストーンのティアラ

『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ

イギリス 1910年頃
ムーンストーン、ローズカットダイヤモンド、プラチナ、18ctゴールド
幅 2.6cm(最大)
SOLD

←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

古代ギリシャではムーンストーンは月の光が結晶となったものと言われていましたが、まさに青白い月の光のような幻想的なシラーが出るブルー・ムーンストーンのティアラです。大きくて最上級のムーンストーンを5つも使った宝石自体の凄さはもちろん、作りも王族クラスのジュエリーにしか見ないレベルのトップレベルです。

それに加えて、ティアラでは一般的に殆ど存在が知られていない2wayタイプで、なんと魅力あるネックレスとしてもお使いいただけます。ティアラと言うと日本では結婚式以外に使えるタイミングが思いつかない方が殆どだと思いますが、このティアラは普段はネックレスとして楽しめるという、使うジュエリーという観点からも魅力ある宝物です。

 

このティアラの魅力を理解する上でのポイント

ムーンストーンのティアラ

このティアラの魅力を理解するには、以下のポイントを押さえておく必要があります。

1.ティアラとはどういうアイテムなのか
 1-1.王侯貴族のステータスの象徴
 1-2.既婚女性の証=女性が初めてティアラを着けられるのは結婚式の時

2.古代ギリシャを象徴する格調高いメアンダー模様を使ったデザイン
 2-1.メアンダー模様とは何か
 2-2.古代ギリシャ芸術はヨーロッパ美術や文化の原点
 2-3.古代ギリシャ芸術への造形の深さが、現代でもヨーロッパにおいて教養と身分の高さを表す

3.メアンダー模様のアンティークジュエリー
 3-1.ヨーロッパ各国の王侯貴族に伝わるメアンダー・ティアラ
 3-2.ハイクラスのジュエリーに好んで用いられるメアンダー模様
 3-3.メアンダー模様のティアラが象徴する女性の知性と教養、そしてヨーロッパ文化を背負う格調の高さ

4.今では手に入らない極上のムーンストーン

5.トップクラスのティアラならではの2wayデザイン
 5-1.2wayタイプのティアラ
 5-2.ネックレスとして使用可能なムーンストーン・メアンダー・ティアラ
 5-3.ティアラとしての使う場合

 

ポイント1 ティアラとはどういうアイテムなのか

1-1.王侯貴族のステータスの象徴

アルバートがデザインしたオパールのオリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王アルバート王配がデザインしたオリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王

ティアラは王侯貴族のステータスの象徴として着用されてきました。

19世紀は上流階級の社交の場において、頭に何らかの飾りを着けずに出席するということはあり得ませんでした。

コーネリアンのパリュールを着用したジョゼフィーヌコーネリアン・ティアラ着用のフランス皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年) カメオ・ティアラを着用したオルタンス・ド・ボアルネホラント王妃オルタンス・ド・ボアルネ(1783-1837年)
ヨーロッパの上流階級はつながりがあるので、基本的にはそれはヨーロッパで共通する文化でした。右上のオルタンスが着用しているのは、現代でもスウェーデン王室に伝わり、使用されることがあるカメオ・ティアラです。1809年に皇帝ナポレオンが皇后ジョゼフィーヌのために作ったものですが、この時はジョゼフィーヌの連れ子であるオルタンスが母から借りて着用しています。
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョフランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 27歳頃

そのオルタンスと、ナポレオンの弟でホラント王ルイ・ボナパルトとの間にできたナポレオン三世の妻、ウジェニー皇后も当然ティアラを着用しています。

フランス皇帝ナポレオン3世

ナポレオン三世はフランス第二帝政の皇帝ですね。

皇后ウジェニーはスペイン貴族出身で、父はボナパルト主義者でした。

フランス皇帝ナポレオン三世(1808-1873年)
ナポレオン三世とビスマルク

しかしながらナポレオン三世は1870年に勃発した普仏戦争で捕虜となってしまいました。

1870年に投降したナポレオン三世とビスマルクの会見
フランス皇太子ナポレオン4世フランス皇太子ナポレオン4世(1856-1879年) 22歳頃

夫妻には長男で皇太子のナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)がいました。

当時まだ14歳でしたが、ナポレオン三世が戦死してくれればフランス皇帝の名誉は守られ、ナポレオン4世が正当に次のフランス皇帝となれると目論んだウジェニー皇后は、ナポレオン三世に厳しい戦況の中で先頭をきって突撃することを望んだそうです。

しかしながら結局ナポレオン三世は降伏してしまいました。

降伏翌日にパリにその情報が届くと皇后ウジェニーは摂政となり、皇太子ナポレオン4世に名目上政務を取り仕切らせることを目論みました。

フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョフランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1870年、44歳頃

しかしながら降伏の情報が広まると共和政を求める運動がパリ中に広がり、パリ市民を煽動した人物らによって翌日には共和政の臨時政府が樹立しました。

ウジェニー皇后のいるテュイルリー宮殿の庭園にも「スペイン女を倒せ」と叫ぶ民衆が乱入してきたため、皇后と皇太子はイギリスに亡命せざるを得なくなってしまいました。

オーストリア出身のマリー・アントワネットもオーストリア女と陰口を叩かれ、革命の際は「オーストリア女を出せ!」と言われたりしたそうで、フランスの国民性なのかパリジェンヌ独特の気質があるのでしょうかね。

結局翌1871年にはナポレオン三世が正式に廃位を宣言し、フランスは第三共和制へと移行しました。

ダチョウの羽根を使ったダイヤモンドのアンティークのエイグレットダイヤモンド トレンブラン エイグレット
フランス? 1880年頃
SOLD

再び共和政となったフランスにおいて、ティアラは王政や帝政を連想させるものとして公的な場では着用されなくなりました。

一方でそれまでのティアラに取って代わったのがエイグレットでした。

フランス・アンティークのエイグレットをダイヤモンドとトレンブランで表現したブローチ&髪飾り

エイグレット型ダイヤモンド トレンブラン・ブローチ&髪飾り
フランス 1880年頃
SOLD

エイグレットが考案された18世紀以来、初めて上流階級の公式な場所で使うハイ・ファッションとしての地位を確立したのです。

羽根飾りを使ったマルチユースのダイヤモンドのアンティークのエイグレット兼ブローチ

このため1870年代以降、エイグレットのジュエリーが見られるようになるのです。

そしてエイグレットを着用したのはフランス人女性だけではありませんでした。

マルチユース ダイヤモンド ブローチ
イギリス? 1880年頃
SOLD
エイグレットの髪飾りを着けたポルトガル王妃メアリー・ドルレアンポルトガル王妃メアリー・ドルレアン(1865-1951年) マリー・アントワネットに扮したエイグレットを着けたワーウィック伯爵夫人フランシスエベリンマリー・アントワネットに扮したワーウィック伯爵夫人フランシス・エベリン(1861-1938年)

新たなファッションの流行として、王族や伯爵夫人など貴族階級の中でも特に身分が高い女性たちも、こぞってエイグレットを楽しみました。右のフランシス・エベリンも、エドワード7世の愛人として知られているイギリス貴族の女性です。彼女たちはフランス人ではないのでティアラも併用していますね。

フランスのジュエリー業界は、フランス人からのオーダーは無くなったものの、海外からのオーダーは相変わらずあるのでティアラを作り続けています。

キャサリン妃が結婚式で着用したハロー・ティアラも、イギリス王エドワード7世が「王の宝石商、宝石商の王」として英国王室御用達だったフランスのカルティエが1936年に作ったものです。

時代が下り、現代ではカルティエも他のジュエリーメーカー同様、見るに耐えないジュエリーしか使っていません。それでも過去の栄光で今でも食べていけるのは、ブランドでしか判断できない人たちが需要を主導している証なのでしょう。

そうは言っても実際本当に自力だけで食べていけているかというとそうでもなくて、1993年には南アフリカの実業家ヨハン・ルパートが設立したリシュモンとい会社の傘下に入っています。リシュモンの全面子会社には名の知れた有名高級ブランドがゴロゴロ存在し、ピアジェやヴァンクリーフ&アーペル、モンブラン、ダンヒル、クロエなどもあります。

こんな状況下、採算を気にせず独自色ある優れた芸術作品を上市することなんて不可能なのです。

ロータス・ティアラを着用したマーガレット王女(1930-2002年)1965年、34歳

それはさておき、王侯貴族が存在するヨーロッパの国ではティアラはそのステータスの象徴として、結婚式以外のフォーマルな場で着用されます。

日本の一般人がヨーロッパの本当の社交の場に出席することは普通はないので、ティアラ着用の姿を見ることができるのはメディアで報道される王族クラスだと思います。

でも、名門貴族階級ともなれば代々伝わる立派なティアラを保有しており、ダイアナ妃も結婚式ではスペンサー家に伝わるティアラを着用したことで有名ですね。

ティアラを見るだけでもどれくらいの家柄なのか想像できてしまう、王侯貴族にとって大切なステータス・アイテムなのです。

それこそ家宝クラスとして作られるものなのです。

1-2.既婚女性の象徴であるティアラ

2011年にキャサリン妃が英国王室入りして注目されるようになる以前は、ティアラと言えばダイアナ妃が全世界から注目を集めていました。

日本の場合、成年皇族は正装でティアラを着用することになっているため、お姫様であればティアラを着用するものと勘違いされている方もいらっしゃると思います。

しかしながら本来、ティアラは既婚女性だけが着けることのできるジュエリーです。女性が人生で初めてティアラを着けることができるタイミングが結婚式なのです。

ティアラが既婚者のアイテムであるのはきちんと理由があります。ティアラは「私にはパートナーがいて、結婚相手は探していません。」ということを象徴するためのアイテムです。手元の結婚指輪だと分かりにくいですが、ティアラだとすぐに社交の場で口説いて良いのか否かが判断できますね。社交が超重要だった古い時代の王侯貴族らしい、実にもっともな理由です。

このようにれっきとした理由があり、マナーだからこそヨーロッパでは未婚時にティアラは着用しません。

コモンウェルス(旧イギリス連邦)加盟国 "Member states of thhe Commonwealth of Nations" ©Rob984(26 July 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ただ、時代が変わると状況が変化します。戦後、必要時にイギリスでは例外的に未婚の王女がティアラを着用する場合がありました。コモンウェルス(旧イギリス連邦)加盟国に君主代理として正式訪問する場合など、その機会は特殊かつ限定的です。

イギリス連邦(British Commonwealth)は大英帝国の脱植民地化に伴い、領土の自治を強化するという、1926年のバルフォア宣言に伴い設立されました。現在のコモンウェルス(Commonwealth)は1949年のロンドン宣言によって正式に制定され、加盟54カ国は"自由で平等"なものとされています。コモンウェルスの長は英国君主が務めてきました。

明治天皇にガーター勲章を授与するコノート公アーサー王子(1906年)

王室の『公務』は、一般人では想像できないほど多いです。大統領などの"分刻みのスケジュール"はよく知られている所ですが、万人が1日に24時間しかないのは共通です。たとえ分刻みでスケジュールを遂行しても、可能な公務の数には限りがあります。

だからこそ君主が一人で行うのではなく、必要に応じて君主代理がその役目を代行しました。但し、君主が指名すれば誰でもOKというわけにはいきません。相応しい身分の者が選ばれました。君主に準ずる王族です。

通常、高位の勲章は君主自ら授与しますが、明治天皇には君主代理としてコノート公アーサー王子から授与しました。ビクトリア女王の第3王子で、長兄である国王エドワード7世の代理で来日したものです。

ヴィクトリア女王夫妻と9人の子供たち(1857年)

後継者問題に悩まされた先代、先々代でしたが、一人っ子だったヴィクトリア女王はたくさんの子供に恵まれました。4男5女、すべてが成人しています。

これは健康面で行き届いた王族でもかなり特別なことです。後継者問題は各国王室の心配の種であり、子沢山のヴィクトリア女王の娘たちは各国の王室から引く手あまたでした。

ヴィクトリア女王と親族たち(1877年)

その結果、41人の孫と37人の曾孫が誕生し、晩年には『ヨーロッパの祖母』と呼ばれるほどでした。君主の代理を担当する者には事欠かない人数構成ですね。

この時代は移動に時間がかかりますし、移動に伴う危険もありました。ただでさえ高貴な女性が単独で行動するなんてあり得ない時代で、外交は男性が担当していましたし、それが可能な人材が十分にいました。

しかしながら戦後、英国王室も公務が可能な男性王族が減少しました。昔ほど移動に伴うリスクも高くなくなり、成人した女性の王族が君主代理を担当する事例が出てきました。その際に、例外的に未婚の王女がティアラを着用したことがありました。君主そのものではないので王冠ではありませんが、コロネット(宝冠)的な位置付けで英国君主の権威を示すものです。

当然ながらそのために新調などはしません。エリザベス女王から、代理を遂行するために相応しいものを借りる形で着用します。

エリザベス王妃とマーガレット王女(エリザベス女王の母と妹)

コロネットは、高位の王侯貴族が正式な場で着用するアイテムです。

身分に応じてデザインが異なり、一目で着用者の身分を判断できます。

左のマーガレット王女のコロネットからは、君主の娘であることが分かります。

王侯貴族の時代は、上流階級にのみそれが伝われば良かったでしょう。しかしながら戦後は大衆の時代となりました。一般大衆にコロネットに関する知識はなく、他国であればなおさらです。

コモンウェルス加盟国の首相たちとエリザベス女王(ウィンザー城 1960年)

ヴィクトリア女王もそうでしたが、女王の場合は王冠と着用することも、ティアラを着用することもあります。1960年のコモンウェルス加盟国の首相たちとの写真ではティアラを着用しています。

加盟国は"平等"という位置付けです。この場で王冠をつけるのは相応しくないという配慮で、意図してティアラを選ばれているのかもしれませんね。

コモンウェルス加盟国の首相たちとエリザベス女王(ウィンザー城 1960年)34歳頃

それでも豪華なジュエリーは威厳を示すにはピッタリです。

若い美人が貫禄を漂わせるのはなかなか難しいことですが、女王本人の雰囲気だけでなく、このファッションも組み合わされることで、各国の貫禄ある首相たちと並んで立っても一際存在感を放っています。

コモンウェルス首脳会議で演説するエリザベス女王(オーストラリア・パース 2011年)
"©Vice president's Secretariat(GODL-India)

51年後のコモンウェルス首脳会議の様子です。イミテーションや安っぽい成金ジュエリーが巷に溢れかえる現代では、以前ほどジュエリーが活躍する時代ではなくなったようにも感じます。

英国王室は今でも屈指のジュエリー・コレクションを誇りますが、王室廃止論も出る中、着用の機会を増やしても叩かれてマイナスになるリスクの方が高いですしね。

年齢や時代に合わせた女王のファッションセンスは、深い教養や知識、思いやりに基づく見事なものでした。それでも配慮の結果、年々ファッションが窮屈になっていくのはちょっと寂しくもありますね。

アレクサンドラ王太子妃と3人の娘たち

ヨーロッパの王侯貴族のジュエリーは厳密なTPOの元にあり、伝統を守るのと同時に、新しい決まりを作る、"革新"をもたらせるのは君主夫妻だけでした。

この写真を見ると、下の妹たち2人は未婚と分かりますね。

ヨーロッパの状況からすると、日本で女性皇族が成人するとティアラを新調するというルールは、実はかなり意味不明です。

貴族出身の故ダイアナ妃が1981年に英国王室に嫁ぐ際も、新調はされませんでした。使用したのはスペンサー伯爵家に伝わる『スペンサー・ティアラ』で、1930年代に王室御用達がラード社が制作したものでした。

王族であっても新調というのはかなり特殊なことで、代々伝わるティアラを贈ったり、貸与する場合も多いです。現代ジュエリーを見ると、ジュエリーが使い捨ての消耗品のように感じるかもしれません。実際、その程度の材質と作りでしかないので無理もありません。

しかしながら本来、本物のハイジュエリーとは、王族クラスであっても気軽に新調はできないほどのものだったのです。

日本の皇族のティアラの新調には、デザインの入札だけで数千万円のカネが動きます。政商が儲けられて、しかも皇族のティアラを制作しましたよという威光を元に、大衆を相手にした商売でさらに儲かるという、絶好の儲けの機会です。そのために毎回新調される感じになっています。

コモンウェルスのような連邦でもなく、君主代理として重要な外交をこなす場面は日本にはありません。イギリスの場合、そのような場合でも新調ではなく貸与による対応です。

嫁いでくる場合はまだしも、結婚で皇室を離脱することを考えると、成年皇族のために新調されるティアラは重要な外交などではなく見せびらかし的な場で数回使用されるだけの、意味のない使い捨てのような存在です。モッタイナイ精神とは相反するもので、国民が見本にすべきものとは到底思えません。

皇族が駄目なのではなく、カネにむらがりたい人たちが暗躍してるものと推測します。利権の1つだと想像しますが、誰もオカシイと言えない酷い状況なのでしょうね。

その点で、2021年に成人された敬宮愛子内親王の事例は画期的でした。皇后雅子陛下は元外交官だけあって、上記の事情にも精通されているでしょう。成人に伴うティアラの新調は、大義名分を元にお金が使えるタイミングです。一生に一度のおめでたいタイミング、一人娘のために超豪華なティアラを新調してあげたいと思うのは通常の親心です。しかしながらそうではなく、ヨーロッパ王室のスタイルを適応させたのはさすがですね。新調しない理由として、コロナ禍の状況をうまくご利用されたようにも感じます。愛子様も嫌々ながらではなさそうな印象で、天皇皇后両陛下が知的で教養ある教育をなさった結果なのだろうと感じました。まさに皇族・王族らしさを感じる、お手本にしたい振る舞いです。

それでも2022年にまたティアラの予算化の話が出てきて驚きました。政商のカネへの執着具合には呆れ果てます。せっかく角を立てぬよう、コロナのせいにしてスマートかつエレガントに事を納めているのに、2023年もまた諦めず蒸し返すでしょうか。現代ジュエリー業界はモノの質が悪いという問題以上に、カネ儲け主義が激しすぎて見ていられません。

チャールズ皇太子夫妻&ロナルド・レーガン大統領夫妻(ホワイトハウス 1985年)

ヨーロッパの慣例に追従するならば、ティアラは既婚者だけが着用すべきです。

アンティークの時代だと、既婚女性は正装でティアラを着用していました。しかしながら王侯貴族の時代ではなくなった現代は、そういう時代ではありません。相手がティアラを持っていなかったり、着用しないと分かっていながら着用するのはある意味失礼です。ダイアナ妃はティアラを着用しても良い出立ですが、相手に合わせて未着用です。

激しく自己主張してドヤるのはエレガントではありません。一般的な場であるなら、ホストに失礼なゲストは2度と呼ばれません。「私流よ!!」と自己主張しながら、まるで大義名分があるかのように平気でTPOを無視し、そうしてまで目立つことで主役を取って喰おうと鼻息荒げる人は現代の日本でも一定数存在します。普通の人はそれを素敵だとは感じません。下品だと眉をひそめつつ、指摘するのも面倒臭いので放置です。

相手へ正しく配慮できることこそが真のエレガントであり、自分だけが虚栄心からくる承認欲求を満たせれば良いというような人の存在は、集まり全体の品格を貶めます。人々から尊敬や憧れを集める"真のエレガント"に、必ずしも高価で煌びやかなジュエリーは必要ありません。一番大切なのはその人、そのものです。その上で華やかなジュエリーを使いこなせば、それは完璧に『社交界の華』です。

総合すると、未婚の皇族が外交などでティアラを必要とする機会はあると思えません。仮にあっても、貸与で対応可能です。基本的には既婚女性の象徴であるものを、成人したからと着用するのは変です。既婚者に限定することで着用できる人の数が減ったり、貸与が当たり前になって困るのは、儲けの機会が減る政商だけです。

新調するティアラが外交上で役に立ち、国民にとってプラスになるものならばまだ理解できますが、国民からの税金で作ったティアラで国民に数回ドヤってお役御免というのは無駄遣い過ぎます。成人を祝うなら国民同様、伝統文化振興のために振袖でも作れば良く、ご成婚時に新調するなりした方が違和感がありません。やはり未婚でティアラを着用するのはその本来の性質上、違和感が強いです。

愛子様の事例をきっかけに、何らかの変化があると良いなと思っています。案外世論も強く影響しますから、まずは最低限の知識がある人が増えてくれればと願っています(2022年9月現在)。

イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)23歳頃

さて、話をアンティークジュエリーの時代に戻しましょう。

ティアラはパートナーがいる既婚女性のステータスの象徴です。

左の肖像画では、結婚して2年ほどのヴィクトリア女王が後頭部にティアラを着用しています。

アルバート王配がヴィクトリア女王のためにデザインしたサファイアのティアラ(1842年)
V&A美術館 【引用】V&A museum © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

このサファイア・ティアラは高い教養と多才さを併せ持つアルバート王配が、愛するヴィクトリア女王のためにデザインしたものです。夫が愛する妻に贈るティアラ。最高の贈り物ですよね。

オリエンタル・サークレット・ティアラ(1853年)【出典】Royal Collection Trust / The oriental tiara © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021

オリエンタル・サークレット・ティアラも、アレキサンドラ王妃の時代にルビーに宝石が取り替えられていますが、オパールを使ってアルバート王配がヴィクトリア女王のためにデザインしたものです。

女王はまたちょっと違いますが、ティアラを見れば夫の財力や教養、家柄など、着用した女性の背景も少なからず推測できたでしょうね。

夫にとってもティアラは美しい妻の"悪い虫"除けになったでしょうか。

ティアラは単に「お姫様カワイイ〜」というようなファッション感覚の軽いアイテムではなく、重要な意味のある大切なアイテムだったのです。

お金と手間をかけて、最高のものが作られるのは当然なわけです。

オリジナルのオリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王

2.古代ギリシャを象徴するメアンダー模様のデザイン

ムーンストーンのティアラ

このティアラはトップクラスのアンティークジュエリーでも見ることのない最高クラスのムーンストーンに目がいきますが、注目すべきはメアンダー模様を使った至極センスの良いデザインです。

2-1 メアンダー模様とは

メアンダー模様のアールデコ・ダイヤモンド・ネックレス『ETERNITY』
メアンダー模様ダイヤモンド・ネックレス
イギリス 1920年代
SOLD

ギリシャ雷文とも呼ばれるメアンダー模様については『ETERNITY』で詳しくご紹介しました。

メアンダー模様は古代ギリシャ以前、紀元前5500年〜紀元前2750年頃にバルカン地方のドナウ川流域で栄えたククテニ文化・ディミニ文化で始まった装飾模様と考えられている、非常に古い模様です。

それが古代ギリシャで花開き、多様な装飾模様として確立されました。

それが現代まで伝わる、古代ギリシャの格調高いメアンダー模様です。

古代ギリシャの宝物
アルカイック期 クラシック期 ヘレニズム期
古代ギリシャのアルカイック時代に作られたゴールドの「王者の指輪」『王者の指輪』
ゴールド・リング
紀元前6世紀
SOLD
古代ギリシャ紀元前5世紀のエレクトラムのヘラクレス・リング『英雄ヘラクレス』
エレクトラム・リング
紀元前5世紀
¥5,900,000-(税込10%)
ヘレニズムの霧の中の戦士をモチーフとしたスケルトンの縞瑪瑙のインタリオ・リング『霧の中の戦士』
インタリオ
紀元前2世紀(シャンク:19世紀)
SOLD
古代ギリシャについては『英雄ヘラクレス』で詳しく時代区分についてご説明しました。アルカイック期、クラシック期、ヘレニズム期、それぞれの時代区分ごとに芸術作品にも特徴がありますが、古代ギリシャの紀元前1000年から200年間は十分な資料が残っておらず、研究が進んでいない『暗黒時代』とされています。
古代ギリシャのジオメトリック期のメアンダー模様の入れ物入れ物(古代ギリシャ 紀元前8世紀中期)メトロポリタン美術館

アルカイック期より前の紀元前900-紀元前700年頃の時代はジオメトリック(幾何学)期とされています。

左は貴重なジオメトリック期の入れ物ですが、その名の通りシンプルな幾何学模様で彩られている作風が興味深いですね。

その主役となるのがメアンダー模様です。

こんな時代から存在しているなんて面白いです。

古代ギリシャのメアンダー模様の皿 レスリングの練習場『レスリングの練習場』(古代ギリシャ 紀元前440年〜435年頃)ルーブル美術館

これは『英雄ヘラクレス』と同じ時代に作られた絵皿です。

永遠なる川の流れ、つまり繁栄を表しているとも言われる、ずっと続くパターンがメアンダー模様の特徴です。

1910年に日本で生まれたラーメンの器に描かれる、連続しない閉じた模様とは明らかに異なります。

これは"中国&高級"をイメージさせるために、殷の時代の雷文を取り入れたものです。

ジョージアンのメアンダー模様のゴールド・ロケット・ペンダント『優雅な羽の小箱』
ゴールド ロケット・ペンダント
イギリス 1820年頃
SOLD

メアンダー模様を見て「ラーメン模様」と言っても通じるのは日本だけです。

この発言によってヨーロッパ美術に関する教養がないこともバレますし、数学的に見て明らかに異なる模様を混同しており、図形認識能力が劣っていることも分かる人にはバレます(笑)

それはさておき、ヨーロッパ人にとってはメアンダー模様と言えば古代ギリシャとすぐに分かるくらい、格式あるオーソドックスな模様なのです。

一般人でも"古代ギリシャの鍵"、Ancient Greek Keyと言えばすぐにこのメアンダー模様であることが分かります。

2-2 ヨーロッパ美術や文化の原点である古代ギリシャ芸術

古代ギリシャの哲学者による芸術の定義

きちんと理解したい場合はじっくり『英雄ヘラクレス』のページをご覧いただきたいのですが、ヨーロッパの芸術や文化は古代ギリシャが原点と言われています。アンティークジュエリーの世界を知らない頃は、「科学技術や人の思考は進化するものであり、昔よりも現代の方があらゆる面で優れている。」と思っていました。しかしながら実際には身体能力、頭脳などの人類の能力は紀元前、古代の時代にピークを迎えており、そこで生まれた芸術・文化は素晴らしく、現代人がそこから学ぶことは本当に多いのです。

2-3 古代ギリシャ芸術への造形の深さが教養と身分の高さを表す

教養がない人は、古代人は無知な野蛮人と思い込んで下に見る傾向があります。しかしながら欧米でも教養のある上流階級ほど優れた古代世界について深い造形があり、話す内容などにもそれが現れてきます。

ヨーロッパでは皆あからさまに表には出さないものの、明確に階級の差が存在します。どういう内容を話すのかで教養が得られない身分の者、住む世界が違う者ということがすぐにバレますが、それを指摘してくれることはありません。指摘するなんて下品ですし、時間の無駄でもありますしね。

静かに去るか、表面上で当たり障りない応対をされるだけです。

ヘレニズムの古代ギリシャの人々の生活の様子を描いたコーネリアン・インタリオ『世界最初のデモクラシー』
インタリオ:古代ギリシャ 紀元前2-紀元前1世紀
シャンク:19世紀
SOLD

例えば民主主義が始まったのも古代ギリシャでした。

PDアテナイの最盛期を築き上げた政治家ペリクレス(紀元前495?-紀元前429年)

『英雄ヘラクレス』でご説明した通り、紀元前5世紀のアテナイの黄金時代を築き上げた政治家ペリクレスの人の心をとらえる格調高い演説は、現代でも欧米の政治家から手本にされています。

グランドツアーでイタリアの遺跡を訪れた王侯貴族の子弟と家庭教師

芸術面で、特に古代ギリシャは重要な地位にあります。

ヨーロッパの王侯貴族にとって、芸術分野における高い教養は必須でした。

だからこそ17〜18世紀にかけて、イギリス貴族は信じられないような莫大なお金を使って子弟をグランドツアーに送り出し、イタリアで優れたルネサンス芸術と古代の芸術文化を肌で学ばせたのです。

古代ローマの女神ディアナのインタリオ・リング 『ディアナ』
古代ローマ オールオリジナル・インタリオ・リング
古代ローマ 1世紀〜2世紀
SOLD

実物を見たことのない者は馬鹿にされていたのだそうです。

古代美術とその時代の王侯貴族の関連性は、『ディアナ』の通史に詳細を書いてあるので興味ある方はぜひご参照ください。

古代ローマのアウグストゥスとアメジストのインタリオ・リング

『アポロに扮した人物の肖像』
古代ローマ(アウグストゥス帝時代) BC.27-AD.14年
シャンクは19世紀
SOLD

グランドツアーでは古代ローマの遺跡も見物します。古代ローマは土木建築技術は非常に優れていました。

しかしながら芸術に関しては基本的には古代ギリシャの模倣で、古代ギリシャ芸術が元となって古代ローマの芸術が発展しています。

古代ローマ芸術最盛期と言われるアウグストゥス帝時代には、芸術に心血を注いだローマ皇帝アウグストゥスはローマの首都を比類なき都にするため、ギリシャから当代随一とされる宝石彫刻しディオスクリデスをその弟子たちごと呼び寄せて、カメオやインタリオを制作させています。

『ヘリオス神』ストーンカメオ(ジュゼッペ・ジロメッティ作 1836年頃)7.4cm×5.1cm×2.6cm、 バチカン美術館 【出典】Musei Vaticani HP ©MVSEIVATICANI 『ヘリオス(セラピス・ゼウス)神』(紀元前4世紀後期にブリアキスが制作したオリジナルを古代ローマで複製)バチカン美術館所蔵(Inv.No.245) (сс) 2005. Photo: Sergey Sosnovskiy (CC BY-SA 4.0).© 1986 Text: Chubova A.P., Konkova G.I., Davydova L.I. Antichnie mastera. Skulptory i zhivopiscy. — L.: Iskusstvo, 1986. S. 33./Adapted
ジロメッティがローマ教皇に献上した右の『ヘリオス神』のカメオは、1777年にアッピア街道で発見された左の大理石像が元となっています。この古代ローマの大理石像は、古代ギリシャで紀元前4世紀後期に制作されたオリジナルが元となっています。
リュシッポス作と見られる紀元前4世紀のヘルメスのブロンズ像を大理石で再現(古代ローマ 紀元前2世紀)アテネ国立考古学博物館 ©Ricardo André Frantz: Tetraktys(2006)/Adapted/CC BY 3.0

古代ローマの大理石像は、古代ギリシャのコピーが本当に多いです。

古代ギリシャはあらゆる面でクリエイティブが得意な人たちだったように感じます。

古代ローマの神も古代ギリシャの神と習合しており、神々にまつわるエピソードも元は古代ギリシャの神々のものだったりします。

刺客の蛇を掴む幼いヘラクレス(古代ローマ 2世紀)カピトリーノ美術館

古代ローマ神話に習合する対象となる神が存在しなかった場合、新たに取り入れて信仰の対象になることもありました。

それが古代ギリシャオリジナルの神、ヘラクレスです。

時代ごとのヘラクレスの棍棒
古代ギリシャ 【参考】古代ローマ
古代ギリシャのゴールドのヘラクレスの棍棒『ヘラクレスの棍棒』
古代ギリシャ 紀元前2世紀
SOLD
『ヘラクレスの棍棒』
古代ローマ 1-2世紀
某大手オークション出品物
『ヘラクレスの棍棒』
古代ローマ 1-2世紀
某大手オークション出品物

ヘラクレスのカッコ良さついては『英雄ヘラクレス』で詳しくご説明しました。力だけでなく優れた知性、不条理なことにも恨みを言うことなく立ち向かう品格と勇気。古代ローマ人もこの古代ギリシャ神話の英雄に魅了され、信仰の対象となり、大理石像にとどまらずヘラクレスにまつわる古代ローマのジュエリーもいくつか遺っていたりするのです。

ル・ディスペンサー男爵フランシス・ダッシュウッド(1708-1781年)

面白すぎる18世紀の有力なイギリス貴族、ル・ディスペンサー男爵フランシス・ダッシュウッドについては『4 FACES』で詳しくご説明していますが、彼がグランドツアー経験者を集めてディレッタンティ協会という芸術関連の協会を始めました。

ディレッタンティ協会ディレッタンティ協会(設立1734年)

ディレッタンティ協会は王侯貴族や学者、芸術家の集まりです。

大陸貴族とは比較にならないほど莫大な富を持つイギリスの王侯貴族が、その圧倒的な財力で優れた古代美術を蒐集し、パトロンとなって学者たちの研究活動を支援し、さらに当代の芸術家たちの新たなクリエーションをバックアップする目的を持つ協会です。

『ポートランドの壺』(古代ローマ 5-25年頃)大英博物館 "Portland Vase BM Gem4036 n5" © Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2007)/Adapted/CC BY 2.5 ポートランドの壺の再現(ウェッジウッド 1790年)V&A美術館 "Portland Vase V&A" ©V&A Museum(11 August 2008)/Adapted/GNU FDL

『春の花々』で詳細はご説明していますが、イギリスには上流階級によるそのような支援があったからこそ、優れた古代美術を元に新しい芸術が多く生み出されました。ウェッジウッドのジャスパーウェアによるポートランドの壺の再現も、古代ローマのオリジナルのポートランドの壺を気前よく貸し出してくれた公爵夫人が存在したからこそ可能となったものです。

ウェッジウッドによるアンティークのジャスパーウェア・パリュール『春の花々』
ジャスパーウェア パリュール
イギリス 1860年〜1870年頃
SOLD

そしてこうして才能ある創業者ジョサイア・ウェッジウッドが開発した技術を元に、19世紀の新たな芸術作品としてこの『春の花々』というジャスパーウェアの技術を使った最高傑作が世に生み出されたというわけです。

オーストリア皇帝&ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世オーストリア皇帝&ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916年)

現代でもそうですが、ヨーロッパの本物の上流階級は現代の中流階級の日本人では想像できないくらいのスパルタ教育を受けて育ちます。

イギリスのエドワード7世もその教育は虐待と言ってよいほどだったと言われていますし、『Winter Flower』でご紹介したオーストリア帝国の国父とされる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もその教育はよく過労死しなかったと思えるレベルです。

親は莫大なお金をかけ、子供は莫大な時間をかけて、遊ぶ暇なんてないほどの教育を受けるわけです。

現代の日本人が過労に陥る様子を見ても、それのどこが大変なんだと素で言われそうなくらい、本当にヨーロッパ貴族はヤバいです。とても勝てる気がしません。

『ガイウス・ユリウス・カエサル』
大理石彫刻
古代ローマ 紀元前44-30年
バチカン美術館所蔵
ジロメッティ作のガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のストーンカメオのアンティーク・ペンダント&ブローチジュゼッペ・ジロメッティ作『ユリウス・カエサル』
ストーンカメオ ブローチ&ペンダント
イタリア 1820年頃
SOLD

そういうわけで芸術作品を見たらすぐにその背景や、どう凄いのか読み解いて鋭い返しができないと社交界ではついていけません。ジロメッティによるこのカメオを見たらすぐに「それってもしかしてユリウス・カエサルじゃない?バチカン美術館で古代ローマの大理石像を見たよ。どうしたの?」くらい言えなくてはなりません。そこで持ち主が「あのジロメッティに特注して作ってもらったんだ。」と言って、さらに古代美術や(当時の)現代美術への取り組みに対する会話などがはずんでいくというわけです。

これが社交です。最低このクラスは会話ができないと「面白くない」「教養がない」として排除されます。

ギリシャ悲劇の仮面をモチーフとした古代ローマのインタリオ『ギリシャ悲劇の男性の仮面』
古代ローマ 2世紀
SOLD

ギリシャ悲劇を元にした芸術作品も多いですよね。

演劇も元となっているギリシャ神話の内容を把握していないと、観ているだけでは理解できなかったりします。

もちろん文学作品にもたびたび出てきます。

『ダナエ』(グスタフ・クリムト 1907-1908年) ギリシャ神話は絵画などの題材にも好まれますが、具体的に知っておかないとクリムトの『ダナエ』もただの美女の絵だと思ってしまいますね。
獅子座をモチーフとした古代ローマのレッドジャスパー・インタリオ『獅子座』
古代ローマ 2世紀
シャンクはヴィンテージ
¥2,800,000-(税込10%)

夜空の星座も、古代ギリシャ神話が元となった星座が多いです。

占星術占いは、現代でも結構人気だったりします。

ソクラテス(紀元前469-紀元前399年) プラトン(紀元前427-紀元前347年) アリストテレス(紀元前384-紀元前322年)

古代ギリシャは現代にまで通じる優れた哲学者をたくさん輩出しています。ヨーロッパ最大の哲学者の一人にして『万学の祖』と言われるアリストテレスは、ヘレニズム時代をもたらしたアレキサンダー大王の家庭教師としても有名ですね。

プトレマイオス1世古代エジプトファラオのプトレマイオス1世(紀元前367-紀元前282年)

そのアレキサンダー大王が亡くなった後にエジプトのファラオとなったマケドニア貴族のプトレマイオス1世は、首都アレキサンドリアに当時世界最大の図書館を建設しています。

このアレクサンドリア図書館は古代ヘレニズム世界における学堂、学術研究所ムセイオンの付属機関でした。

王の私財で万邦から英哲俊士が集められ、アレクサンドリアでは文献学を中心に天文学、物理学など学芸が大いに隆盛しました。

アレクサンドリア図書館の内部(想像図)

『ディアナ』でご紹介した通り、古代世界の学問の中心地として栄えたこのアレクサンドリアとアテナイの『知』が一度ペルシャ、イスラム世界に移動し、ルネサンス期に再びヨーロッパ世界に逆輸入されています。

古代ギリシャは芸術面のみならず、あらゆる世界の学術的な礎ともなっているのです。

プラトン時代のアカデミアを描いたモザイク(古代ローマ 1世紀)

古代ギリシャの哲学者は統治者、すなわち王侯貴族に教えを授けるような人物たちでした。

万学に精通していますが、現代日本でイメージされるような、ただお勉強ができるだけの"お勉強馬鹿"ではありません。

「芸術とは熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行きであり、絶対的な美の本質は見る者をどれくらい感動させられるかにある。」という、芸術の本質を的確に定義したのも彼らですね。

現代日本では芸術と学術は相反するように捉えられがちですが、本来はそうではないのです。

だからこそ算術、幾何学、天文学等にまで精通した哲学者が『芸術』を定義できるわけです。

アカデミアに通じるアテネの古代の道 "Athens - Ancient road to Academy 1" ©Tomisti(2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0

紀元前387年に哲学者プラトンがアテナイに設立した学園アカデミアでは、特に幾何学が重要視されました。幾何学は感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものと位置づけられ、学園入口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたほどそうです。

メアンダー模様のローズカット・ダイヤモンド・リングローズカット・ダイヤモンド リング
フランス 1820〜1830年頃
SOLD

メアンダー模様は古代ギリシャの定番デザインですが、教養あるヨーロッパの上流階級の人々にとってはただの面白い幾何学模様という以上に、万学の理解に必要な高尚学問、『古代ギリシャの哲学』を象徴する格調高い模様だったわけです。

ジョージアンのメアンダー模様の彫金ゴールド・ロケット・ペンダント『優雅な羽の小箱』
ジョージアン ゴールド ロケット・ペンダント 
イギリス  1820年頃
SOLD

それだけに、特に教養ある本物のヨーロッパの上流階級の間だけで時代を問わず愛されてきた模様と成り得たのです。

アンティークジュエリーの中でも特に優れたものでしか見ることがないのはそのためだと思います。

仮に王侯貴族の出自であっても、教養を身に付けられなかった者はこれらの背景を理解できず、もっと分かりやすい物しかオーダーできなかったはずですから・・。

メアンダー模様とガーランドスタイルのブローチ&ペンダントメアンダー模様&ガーランドスタイル(ルイ16世様式)ブローチ&ペンダント
フランス 1910年頃
SOLD

会話や振る舞い、身に着けている物、持ち物などのあらゆる情報から、分かっている者は分かっていない者を判断するのです。

そして分かっていない物は排除される。

それこそが世界を動かしてきた真のヨーロッパの上流階級の姿です。

単にカネがあるからと言って、中途半端な学力だけで成功した教養のない成金が、カネをちらつかせて入れるわけではないのです。

メアンダー模様とガーランドスタイルのアールデコ・ペンダント初期アールデコ ペンダント
ヨーロッパ 1920年頃
SOLD

どんなに才能があっても、お金をかけないと得られない教養は身に付けられませんし、このようなお金のかかったジュエリーを持つことも叶いません。

メアンダー模様をセンス良く使ったハイ・ジュエリーによって、自身の教養と身分の高さを、同じクラスの相手にだけ伝えることができてしまうのです!

3. メアンダー模様のアンティークジュエリー

3-1. ヨーロッパの王侯貴族に伝わるメアンダー・ティアラ

ムーンストーンのティアラ メアンダー模様はご説明した通り、ヨーロッパの上流階級にとって特別な意味を持つ模様なので、そのステータスを示すティアラのモチーフにも実は結構使われています。

スペンサー伯爵家 ハニーサックル・ティアラ

ダイアナ妃の実家スペンサー家に代々伝わる古いティアラには、有名なスペンサー・ティアラ以外にハニーサックル・ティアラがあります。

このハニーサックル・ティアラはスペンサー伯爵夫人シャーロットが1858年に結婚する際にウェディング・ギフトとして贈られたものと考えられています。何度かリメイクされているため、今のハニーサックル・ティアラとはデザインが一部異なっていますが、メアンダー模様が格調高い雰囲気を放っています。

ヴィクトリア女王のサンレイ・フリンジ・メアンダー・ティアラ

バンデッドアゲートとゴールドで格調高い太陽を表現した、大英帝国を象徴するアンティーク・ブローチ『太陽の沈まぬ帝国』
バンデッドアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD

ヴィクトリア女王が所有していたサンレイ・フリンジ・メアンダー・ティアラにも、太陽光線を表す三角形だけでなくメアンダー模様がデザインされています。

『太陽の沈まぬ帝国』を達成した、偉大なる大英帝国に君臨する女王らしいデザインと言えます。

アンドレアス王妃のメアンダー・ティアラ

PDエリザベス女王とフィリップ王配(1953年)

ギリシャ王子アンドレアスの妃となったヴィクトリア女王の曾孫、アリス・オブ・バッテンバーグもメアンダー模様と月桂樹がデザインされたティアラを所有していました。

このアリス・オブ・バッテンバーグの長男が、エリザベス女王の夫フィリップ王配です。

このため、1947年にアリスからエリザベス女王にメアンダー・ティアラが贈られました。

その後、エリザベス女王夫妻の長女となるアン王女に贈られ、その長女ザラが2011年の結婚式で着用して話題になりました。

ルーマニア王室のメアンダー・ティアラ

PDメアンダー・ココシュニクを着用したヴィクトリア女王の孫ヴィクトリア・メリタと娘たち(1876-1936年)1913年、37歳頃

左はメアンダー・ココシュニックを着用したヴィクトリア女王の孫ヴィクトリア・メリタです。

ココシュニックはロシアの伝統的な頭飾りで、二番目の夫ロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチから贈られたものです。

しかしながら1917年のロシア革命により、ヴィクトリア・メリタはこのココシュニックを手放さざるを得ませんでした。

PDルーマニア王妃エレナ・ア・ロムニエイ(1896-1982年)1922年、26歳頃

その引受先がヴィクトリア・メリタの姉でルーマニア王妃マリア・ア・ロムニエイでした。

以降、このココシュニックはルーマニア王室に伝わるティアラとして歴代の王室女性に愛用されています。

ルーマニアは1947年に共和制が宣言されました。

このため、現在のルーマニア王室の家長マルガレータは『国王』ではなく『ルーマニア王冠の守護者』と『陛下』の敬称が用いられていますが、共和政府も公認の存在です。

今は彼女がこのティアラを着用する姿を見ることができます。

プロイセン王室のメアンダー・ココシュニック

PDドイツ皇太子妃ツェツィーリエ(1886-1954年)1908年、22歳頃

プロイセン・メアンダー・ココシュニックはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の長男で、ドイツ帝国最後の皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンが1905年に結婚する際、新婦ツェツィーリエのために作られたティアラです。

ティアラを制作したのは、1879年に設立されたドイツのコッホ社です。

ヨーロッパの王室御用達コッホ社のダイヤモンド・ペンダント&ブローチヨーロッパ王室御用達コッホ社 ダイヤモンド ペンダント&ブローチ
ドイツ 1910年頃
SOLD

左のペンダント&ブローチを制作したのもコッホ社で、この宝物のページにも記載している通り、デンマーク、ドイツ、スペインなどヨーロッパ各国の王室のティアラを制作しています。

さすが素晴らしい作りでした。

PDドイツ皇太子妃ツェツィーリエ(1886-1954年)1908年、22歳頃

このティアラも先程のペンダント&ブローチとほぼ同じ年代にコッホ社で作られているので、同じように素晴らしい作りとなっていることでしょう。

今でも末裔の女性たちが着用する姿を見ることができます。

スペイン王室のメアンダー・ティアラ

プロイセン・ティアラを着用したドイツ帝国皇女ヴィクトリア・ルイーゼ(1892-1980年)

その美しさで何かと話題になるスペインのレティシア王妃が着用する姿が見られるのが、王室に伝わるプロイセン・ティアラです。

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が末子、かつ一人娘のヴィクトリア・ルイーゼの1913年の結婚式のウェディング・ギフトとして作らせたティアラです。

王室御用達コッホ社が製作し、月桂樹とメアンダー模様がデザインされました。

この結婚式は1914年から始まる第一次世界大戦を前に、各国の王侯貴族が最後に一堂に会した非常に煌びやかなものだったそうです。

PDギリシャ王妃フリデリキ(1917-1981年)1930-1936年頃

そのヴィクトリア・ルイーゼの娘フリデリキがギリシャ王妃となり、ティアラはギリシャ王室に移りました。

さらにフリデリキ王妃の娘ソフィアがスペインの前国王ファン・カルロス1世の元に嫁いだため、プロイセン・ティアラは現在スペインにあるのです。

このティアラはアンティークとしては比較的新しく、1913年に作られたものですが、それでもこれだけ歴代の持ち主と共に各地を転々としています。

ここまで移動ルートがはっきりしているのは王室ジュエリーの中でも特別なアイテムだからこそですが、ヘリテイジの宝物も一体どういう巡り合わせで来てくれたのでしょうね♪

ベルギー帝国ティアラ

ベルギー王妃アストリッド(1905-1935年)1926年頃、21歳頃

アールデコらしいベルギー帝国ティアラは、1926年にアストリッド・ド・スエードがスウェーデン王室からベルギー王室に嫁ぐ際に贈られたものです。

メアンダー模様の上にニョキッと生えた巨大ダイヤモンドがけったいなデザインですよね。

一応きちんとした意味があって、ベルギーの各地方を表しているのだそうです。

でも、こういう奇抜なデザインはその時は良くても、ちょっと時代が進むと流行遅れになっちゃいそうですよね。

そのせいか2、3年後にリメイクされたそうです。

PDベルギー王妃アストリッド(1905-1935年)1935年、29歳

ベルギーの地方を表す巨大ダイヤモンドにはアーチがかけられ、上下取り外し可能となりました。

下部の変形メアンダー模様だけのデザインで使うことも可能です。

現在ではベルギーのマティルド王妃が着用する姿を見ることができます。

3-2. ハイクラスのジュエリーに好んで用いられるメアンダー模様

「戦う牧神と山羊」のローマンモザイク『戦う牧神と山羊』
ローマンモザイク・ブローチ
イタリア 19世紀初期
SOLD

もうお分かりいただけたと思いますが、メアンダー模様はヨーロッパの王室クラスから好まれた、非常に権威を象徴する模様でもあります。

HERITAGEではハイクラス以上のアンティークジュエリーだけを厳選して扱っていますが、その中でも特にメアンダー模様は第一級と言える作品にだけ見ることができる模様なのです。

天然真珠とメアンダー模様のアールデコ・リング初期アールデコ 天然真珠 リング
イギリス 1920年頃
SOLD

ブランドや石ころの大きさだけでしか判断できない人にとってはその違いは分かりにくいかもしれません。

でも、作りで判断する私たちにとっては一目瞭然で良いものなのです。

よくやったものだと思える繊細な手仕事、細部や裏側に至るまでの徹底した完璧な仕事ぶり・・。

メアンダー模様のアールデコ・ペンダント&ブローチ初期アールデコ ダイヤモンド ペンダント&ブローチ
フランス 1920〜1930年頃
SOLD

それは教養のないものを静かに、でも確実にふるいわけする、教養高いヨーロッパの真の上流階級のようでもあります。

3-3. メアンダー模様のティアラが象徴するもの

ムーンストーンのティアラ

今では女性の冠となっているティアラですが、元々は古代においてオリエントからギリシアに入って来たのが始まりと言われています。 古代ギリシャの神々も、各々を象徴する植物の冠を着けています。

例えば古代ギリシャの最高神ゼウスは聖木オークです。古代ギリシャでは最初に創造された木はオークとされており、1つのドングリから迫力ある巨木に育ち、豊かな実りをもたらします。大きく育つので雷がよく落ちるという、雷を操るゼウスにピッタリの樹ですね。

バッカスのアンティーク・シェルカメオ・ブローチ『バッカス』
シェルカメオ ブローチ
イタリア 19世紀初期
SOLD
アポロン月桂樹の冠を着けてライアを奏でるアポロン

葡萄酒の神様ディオニュソス(古代ローマではバッカス)は葡萄の葉、アポロンは永遠の愛の証である月桂樹です。なぜアポロンの永遠の愛の証が月桂樹なのかは『永遠の愛』をご参照ください。

このようにティアラは着用者を象徴するアイテムです。このため、いかにも高そうで見栄えする成金的なものが昔から本当に多いです。

PDルーマニア王妃マリア・ア・ロムニエイ(1875-1938年)

本物の成金はもちろんのこと、王族クラスであっても成金のような分かりやすく派手で、センスを感じられないものが多いです。

なぜならば、一般的にティアラは万人に富と権力を誇示するアイテムとして作られるからです。

一見しただけでは分かりにくいけれど良いものだと、一部の王侯貴族はその凄さをできても、成金を含めた一般大衆の殆どはその価値を理解できません。

故に巨大な宝石がついていたり、派手なデザインだったりと、センスは二の次でとにかく目立つものが殆どなのです。

これが、ヘリテイジではティアラを殆ど扱わない原因の1つです。作りは優れていても、センスを感じられないものに面白みは感じられません。

ムーンストーンのティアラ

そんな中で、このムーンストーン・ティアラは存在したことが驚きとしかいえないティアラなのです。幻想的な雰囲気が魅力であるムーンストーンは、成金好みの派手さはありません。普通、権威を象徴するためのティアラにムーンストーンを主役にした作品はあり得ないのです。そこにきて、格調の高さをさらに格上げする実にさりげないメアンダー模様と、キラッと上品に輝くローズカット・ダイヤモンドのセンスの良い使い方。

ムーンストーンのティアラ

ティアラは王侯貴族だけの特別なジュエリーなので、間違いなくヨーロッパの王侯貴族の女性が使っていたものですが、一体どのような貴婦人が使っていたのか不思議でなりません。日本人女性のような繊細な美的感覚を持ち、幽玄の美を心から理解できるヨーロッパの女性・・。極度にセンスが良く、教養と自信に溢れる高潔な女性だったに違いありません。

4 今では手に入らない極上のムーンストーン

ムーンストーンのティアラ 成金ティアラとは対極にありますが、分かる人には一目瞭然、このティアラは相当なお金をかけて作られています。
ブルー・ムーンストーンのネックレス『FULL MOON』
ムーンストーン ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD

現代において『ムーンストーン』と呼ばれている石は、実は本物のムーンストーンではないことは『FULL MOON』で詳しくご説明しました。

現代ではホワイト・ラブラドライドなど、シラーが出る安くて汚い別の石が紛らわしい『レインボー・ムーンストーン』などの名で販売されており、そのせいでムーンストーン自体に誤解に基づく安っぽいイメージが付いてしまいました。

とりあえずブルー・シラーが出ればムーンストーンだろうという、消費者の何となくの思い込みがそれを助長しているようにも思えます。アンティークの本物のムーンストーンをいくつも見ていれば分かるのですが、本物のムーンストーンには外観上3つの種類に分けることができます。

シラーの出ないムーンストーン

シラーの出ないロシアンのムーンストーンのブローチ
『ロシアン・ルナ』
ロシアン ムーンストーン ブローチ

ロシア? 1880〜1890年頃
SOLD


ムーンストーンと言えばシラーが出て当たり前と思ってる方も多いと思いますが、実はシラーが出ない石もあります。

このタイプのムーンストーンは、面白い石を使ってアーティスティックな作品にチャレンジすることを喜びとしたロシアの天才プロデューサー、ファベルジェに好まれた石です。

独特の雰囲気があり、石の中に惹き込まれるような魅力があります。

白色系のシラーが出るムーンストーン

ムーンストーン&デマントイドガーネットのネグリジェネックレスムーンストーン ネグリジェ・ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD
ムーンストーン&デマントイドガーネットのネグリジェネックレス

このムーンストーンはホワイト系のシラーが出る石です。

脇石にはデマントイド・ガーネットが使われており、ゴールドを使った丁寧な作りからも良いものとして作られたことが分かります。

【参考】アーツ&クラフツのシルバージュエリー

実はアンティークジュエリーを扱う私たちにとって、ムーンストーンという石自体にはあまり高級なイメージはありません。あくまでも『ムーンストーンという種類の石』に関してです。

ムーンストーンは19世紀後期のアーツ&クラフツやアールヌーヴォーで大流行しました。この時代に作られた、粗造乱造の安物によく使われた石がムーンストーンでもあるからです。安物はシルバーだけで作られた粗末な作りと、ありふれたデザインが特徴です。

シルバーはゴールドと比べて格段に安い素材ですし、流行したということは量産しなければなりませんから手抜きによって作りは雑になります。1つ1つデザインを変えて作るわけにもいきませんし、デザインをオーダーできるような教養の高い人物がオーダーするものではないからこそ、どれも似たり寄ったりのありがちなデザインとなるのです。

プラチナがジュエリー市場に出てくる以前は、ハイクラスのジュエリーでもダイヤモンドの色味を邪魔しないようにシルバーにゴールドバックの作りをする場合はありますが、すべてがシルバーで作られたジュエリーは余程の例外を除いては安物なので、ヘリテイジでは扱いません。

【参考】アーツ&クラフツのシルバージュエリー
【参考】アーツ&クラフツのシルバージュエリー

一応アンティークの時代なので、手間をかけて作られているしっかりしたシルバージュエリーもゼロではありません。でも、ハイジュエリーが裏側にわざわざより高価な金を貼り合わせてゴールドバックにするのは意味があります。黒ずんだシルバーが衣服を汚さないためです。

全てがシルバーのジュエリーは汚しても良い衣服しか持たない、もしくはゴールドを使ったジュエリーは高価すぎて買えない中産階級のための安物ジュエリーでしかありません。

アメリカのアールヌーヴォーの第一人者ルイス・カムフォート・ティファニー率いるティファニー社でもムーンストーンを使ったジュエリーが数多く作られています。

【参考】ムーンストーン・ブローチ(ティファニー 1910年頃)落札価格約236万円(2017年現在)

さすがに作りや材料自体は悪くなさそうなのですが、『天空のオルゴールメリー』でご紹介した通りあまりにも似たようなデザインばかりを作りすぎて、すぐに飽きられて流行遅れになってしまったようです。

こういうものは、お金はあるけれど自分好みのデザインをオーダーできる教養を持たない新興成金の富裕層のためのハイ・ジュエリーです。

高い教養を持つ真の上流階級向けのジュエリーではないのでヘリテイジでは扱いません。

【参考】ムーンストーン・ネックレス(ティファニー 1910年頃)メトロポリタン美術館蔵

こんなものは成金を相手にするオークション会社やブランド名だけで売る能力不足のディーラーに任せておけば良いと思っています。

成金用に作られたジュエリーには成金が喜んで飛びつくということなのか、こんなブレスレットがなんと約660万円もします。

扱うディーラーも買う客も、『ティファニー』というブランド名だけで嬉しいのでしょう。

それはそれで満足して幸せならば全く問題なく、むしろ良いことだと思います。

【参考】ムーンストーン・ブレスレット(ティファニー 1920年代)約660万円(2019年現在)
ムーンストーンのヴィクトリアン・ブローチ

ヘリテイジは成金ジュエリーとは一線を画す、真の教養ある王侯貴族のために作られたハイクラスのジュエリーが欲しい方のためにジュエリーをご紹介する専門店です。

44年間という日本で圧倒的に一番長い経験の中で、ホワイト系シラーのムーンストーンを使ったデザイン、作り、素材の三拍子が揃ったハイジュエリーもいくつかお取り扱いしています。

ムーンストーンのピアス ムーンストーン&カリブレカット・ルビーのペンダント
ムーンストーンのペンダント ムーンストーンのダブルハートのブローチ

19世紀末のあふれる粗造乱造の安物ムーンストーン・ジュエリーと違って数は多くありませんが、このようにハイジュエリーとして作られたムーンストーン・ジュエリーも少ないながら存在するのです。単に石として高級かどうかではなく、ムーンストーンの醸し出す雰囲気が好きかどうか、どういうデザインのジュエリーが欲しいのかという、自分の美的感性できちんと判断できる人物だからこそ持てたジュエリーです。

ムーンストーンとサファイアのネックレス

ホワイト系シラーのムーンストーンでも、特に上質な石はハイジュエリーにも使われていたことはこの宝物からも分かります。

わざわざ歩留りが悪いハート型にカットされたムーンストーン、脇石はサファイア、18ctゴールドを使った贅沢なハンドメイド・チェーンに、高級なオリジナルの革ケース。相当なお金をかけて作られたものです。

当時と現代では高級品の判断基準も、宝石の判断基準も異なります。

現代の石ころの基準でアンティークジュエリーを判断しようとする人も少なくありませんが、論理的に考えるとかなりおかしなことなのです。

こういう人がなぜ現代ジュエリーでご自身の基準に適合するものを買わないのか不思議でしょうがないのですが、高いから買えないのでしょうかね。

アンティークジュエリーの真の価値を理解もしていないのに安いから買うというのは当時の人たちに失礼で、次の持ち主として相応しくありません。

ハート型ムーンストーン・ネックレス
イギリス 1880〜1890年頃
SOLD
ハート型ムーンストーンとサファイアのネックレス

ブルー・シラーが出る最高級のブルー・ムーンストーン

本物のブルー・ムーンストーンのネックレス『FULL MOON』
ムーンストーン ネックレス
イギリス 1890年頃
SOLD

それでも今も昔もブルー・シラーが出るムーンストーンの独特の雰囲気は魅力があり、その稀少性もあって極上の石は特別視されてきました。

透明度が高くブルー・シラーが出る極上のムーンストーンは、今では枯渇して入手困難な石です。

市場に出回ることはほぼないため、マニアは特殊なルートで手に入れるのだそうです。

石ころマニアから本物のムーンストーンだと言って自慢げにルースを見せられたことがありますが、『FULL MOON』の1粒より小さいくらいのただの石ころで、才能のない私にはそれの何が良いのかよく分かりませんでした。

低品質のムーンストーンがセットされたリング(現代)
"Ring Moonstone" ©Ra'ike(2006-12-19)/Adapted/CC BY-SA 3.0
ムカデ・インクリュージョンが見える本物のブルー・ムーンストーン『FULL MOON』の上質なブルー・ムーンストーン

アンティークの上質なブルー・ムーンストーンは透明度が高いのに、石の中のどこからともなくフワッと青のシラーが出てきて、とても幻想的です。

同じ名前でも、透明さがない低品質の石とは美しさが全く異なります。

本物のブルー・ムーンストーンのネックレス

『FULL MOON』と同じ時代でも、シルバーだけで作られたあまり高価ではないムーンストーンのジュエリーも存在します。しかしながらこのネックレスは石を惹き立てるためのシンプルなデザインながらも、ゴールドのハンドメイド・チェーンを使った作りです。このことからも、この石が当時高く評価されていたことが分かります。

ブルー・ムーンストーン&クリソライトのネックレス
月光のようなブルー・シラーが美しいハート型ブルー・ムーンストーンハート型ブルームーンストーン・ネックレス
イギリス 1880年頃
SOLD

もう1つ、ブルー・ムーンストーンを使ったハイクラスのネックレスがあります。

ブルー・ムーンストーンのハイクラスのアンティークジュエリーは本当に少ないです。

このネックレスも一見石を下げただけのシンプルな作りに見えますが、それぞれの石の台座にわざわざ細い撚り線を付けた、相当手間のかかった作りです。

分かりにくい良いもの価値を理解できる人は、当時の上流階級の中でも本当に少なかったから滅多にこのようなジュエリーは存在しないのだと感じます。

ムーンストーンのティアラ

そんな中で見たこともない大きさ、非常に高い透明度、そして美しいブルーシラーを持つ最高級のブルー・ムーンストーンを使ったティアラには驚かされます。さすがにこれだけ極上の石ともなるとムーンストーンの中でも別格で、王族クラスがオーダーしたものだと推測します。

これほど大きくて美しいムーンストーンは今まで見た事がありません。

今ではムーンストーン自体がルースでも入手不可能な極めて希少価値の高い石ですし、アンティークジュエリーでもこのクラスの大きなムーンストーンはミュージアム・ピース・クラスのジュエリーでなければ存在しないと思います。
ムーンストーンのティアラ

古代ギリシャでは、青く幻想的な光を放つムーンストーンは「月の光がクリスタル化した石」、「月光が閉じ込められた石」と考えられていました。

ブルー・ムーンストーンの神秘的な青い光を見ていると、本当にそんな気さえしてきます。

アフロディーテ(古代ローマ 2世紀)紀元前4世紀の古代ギリシャ作品の複製 "NAMA Aphrodite Syracuse" ©Marsyas(200)/Adapted/CC BY-SA 3.0 PDセレネ(古代ローマ 2世紀)

古代ギリシャでムーンストーンは、美の女神アフロディーテと月の女神セレネの名を合わせて『アフロセレン』と呼ばれたりもしていたそうです。

セレネは後に古代ローマの女神ルナと習合しました。

古代ギリシャの女神アルテミスや死の女神ヘカテと同一視されるようにもなりました。

ヴェルサイユのディアナ(古代ローマ 1-2世紀)紀元前325年頃の古代ギリシャのブロンズ像を複製、ルーブル美術館 "Diane de Versailles Leochares 2" ©Sting(July 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.5

アルテミスは狩猟と貞節、そして月の女神でもあります。

後に古代ローマのディアナと習合しますが、ディアナ独自の神話はなく殆どがアルテミスの神話と言われています。

アルテミスは古代ギリシャ人が先住民族の信仰を取り入れたと考えられている非常に古い神で、古代ローマになってからもインタリオのモチーフに多く取り入れられるほど信仰者が多い女神でした。

特に女性を守る女神とされています。

ムーンストーンのティアラ

それらの観点から、このティアラを着用した人物はまるで古代ギリシャの女神アルテミスのように、高潔で神々しい特別な美しさを放っていただろうと想像します。

ムーンストーンの上下、そしてメアンダー模様の中央部分にはローズカット・ダイヤモンドがセットされています。小さくても非常にクリアで、カットも素晴らしいダイヤモンドです。高級なダイヤモンドと言えばこの時代はオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドで、ダイヤモンドが主役の場合はそれで良いのですが、このティアラにセットすると煌めきが華やかすぎて全体の雰囲気を壊してしまいます。

ムーンストーン ティアラ

このクラスのティアラにローズカット・ダイヤモンドがセットしてあること自体まずあり得ないのですが、裏側を見ると丁寧な作りでオープン・セッティングになっていることが解ります。

敢えて控えめでクラシカルな輝きのローズカット・ダイヤモンドをオープン・セッティングすることで、透明感を出しつつムーンストーンを惹き立てているのです。

ムーンストーンのティアラ

月光のような雰囲気ある青白い光を放つムーンストーン。そしてそれを惹き立てるように周囲で輝くローズカット・ダイヤモンド。その輝きはまるで夜空に輝く繊細な星々のようです。よくぞデザインしたと驚く、圧巻のセンスの良さです。

5 トップクラスのティアラならではの2wayデザイン

ムーンストーン ティアラ

このティアラは特に作りが良いです。

ムーンストーン ティアラ

これは裏側です。プラチナにゴールドバックの作りはエドワーディアンならではですが、裏側のゴールドの仕上げが完璧すぎて裏側とは思えないくらい美しいのです。これだけ完成度の高い作りと仕上げは、普通はハイクラスのジュエリーでもあり得ないことです。まさに王族クラスの相当に身分が高い人物によって特別オーダーされた、トップクラスのティアラです。

ムーンストーンのティアラ

正面から見た時はゴールドとプラチナの両方が見えます。黄金の輝きと白い輝きがコントラストになっており、ジュエリー市場に出始めでゴールドの何倍も高価だった画期的新素材、プラチナを使ったメアンダー模様がより印象的となっています。ムーンストーンの間にデザインされた、このメアンダー模様のフォルムの美しさにはうっとりしてしまいます。

細工はさらにうっとりする素晴らしさです。耐久性も持たせつつも綺麗なメアンダー模様を表現するための、プラチナ細工の巧みな使い分けが凄いのです!

プラチナにゴールドバックのメアンダー模様は、それぞれたたいて鍛えたゴールドとプラチナの板を蝋付けで貼り合わせた板から作ります。この板を糸鋸で挽き、ヤスリで丁寧に仕上げてこの形を作ります。メアンダー模様となる部分は太めに仕上げ、模様とはならなくても形を維持するために強度上必要な箇所は、線のような細さで削り残してあります。そうして作ったメアンダー模様のパーツを、ゴールドで作った極細のナイフエッジのパーツで本体フレームにそれぞれセットしています。

メアンダー模様を削り出し、磨いて仕上げる根気と集中力の要る作業において、少しでもミスをすればそれまでの努力が台無しになります。作者の恐ろしいまでの集中力の高さを感じます。

ムーンストーンのティアラ

メアンダー模様部分は溝が彫ってあり、二重になったフレームにはそれぞれに細かく繊細なミルが打たれています。

スッキリ美しく見えるのは彫金の技術が高ければこそで、現代のどんなブランドも敵わない優雅さを醸し出しています。

ダブルのミル打ちは手間が通常の2倍かかるので、余程の高級なジュエリーでなければ見ることのない物です。

メアンダー模様のアールデコ・ダイヤモンド・ネックレス メアンダー模様のアールデコ・ダイヤモンド・ペンダント
『ETERNITY』
メアンダー模様ダイヤモンド・ネックレス
イギリス 1920年代
SOLD

ダブルのミルによる、繊細な輝きの美しさは間違いないものです。でも、ペンダント・サイズですら滅多に見ない細工なのです。

『ETERNITY』もダブル・ミル、シングル・ミル、ミルなしの部分を使い分けた見事なデザインの一級品です。この分量でも普通はダブル・ミルの細工はやりません。

ムーンストーンのティアラ

それが6つ分のメアンダー模様のパーツに施されているのですから驚きです。ムーンストーンがあまりにも見事なので、一見このティアラは石モノに見えるかもしれません。でも、神技的な細工が施された細工物でもあるのです。王族クラスのトップクラスのアンティークの作品ともなれば、石も細工も見事なのは当然と言えば当然のことです。

ムーンストーンのティアラ

上下のメアンダー模様は、ローズカットダイヤモンドを並べて連結してあります。

オープンセッティングのローズカット・ダイヤモンドは小さいにも関わらず、全体の繊細な印象を損なわないよう最小限の細いフレームと小さな爪で留めてあります。

だからこそローズカット・ダイヤモンドの魅力である透明感がより感じられるのです。

そもそも上質でクリアなダイヤモンドを使っていなければ、この美しさは出ません。

ムーンストーン独特の幻想的な青白い光は見る角度によって変化するので、この画像は捉えたその一瞬です。

石をセットしたプラチナのフレームにも細かく丁寧にミルが打ってあります。

ギザギザを付けた後、綺麗にヤスリで形を整えて仕上げされています。

一切の手抜きが見られない手間をかけた仕上げの美しさこそ、ハイグレードなジュエリーの証です。

ムーンストーンもメアンダー模様のパーツ同様、まるで宙に浮いたようなセッティングになっています。上下左右をプラチナにゴールドバックの極細のナイフエッジで連結させてあります。この空間使いも実に見事です。

ムーンストーン ティアラ

"間の取り方"のセンスの良さは、実は日本人が得意とする所です。私たち日本人にとっては、普段から日本での日常生活の中で美意識に刷り込まれているものなので、空間美の美しさを見ても新たな発見としての感動はないかもしれません。当たり前のように感じるからです。

ムーンストーンのティアラ

でも、普通のヨーロッパの人ではあり得ないことです。アールヌーヴォーでジャポニズムが持て囃され、日本美術とヨーロッパ美術が融合する動きが出てきたことによって(※参考)徐々に空間の美はヨーロッパ人の意識にも出てきましたが、具体的に意識され始めたのはアールデコ以降の時代になってからです。

エドワーディアンの時代において空間美を見事に表現した作者、そしてこのティアラをオーダーした人物は、普通のヨーロッパ人にはない特別な美的感覚を持っていたということです。

ムーンストーンの幻想的な美しさも、日本人が一番好むものです。日本人のような繊細美、そして幽玄の美を理解できる、特別な人物がエドワーディアンの時代に稀有ながらも存在したということなのです。

5-1. 2wayタイプのティアラ

ムーンストーン ティアラ

そんなデザイン、作りともに完璧と言えるこのティアラに意味のないものは一切ありません。そこで気にになるのがティアラの両サイドに付いたチェーン状のパーツです。通常の日本人は本物のティアラをいくつも見る機会はないので、「そんなものじゃないの?」とスルーするかもしれません。でも、このようなティアラのパーツは普通ではないのです。

一般的なティアラの形状のバリエーション

オリエンタル・サークレット・ティアラ(1853年、20世紀にリメイク)
【出典】Royal Collection Trust / The oriental tiara © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021

よくあるティアラの形状としては、このような形状だったり、ヘアバンドのような形状だったり、輪が閉じた360度の冠状だったりします。その他、櫛が付いたタイプもあります。

貴金属とたくさんの宝石で作られるティアラは重たいため、壊れにくいよう固定された形状で作られることが多いです。着用者によって頭の形状は異なりますが、何とかして調整して使います。このタイプのティアラだと、後部をゴムで調整します。

頭にかかる重さを少しでも分散するため、頭に乗せるための下部の金具は布をぐるぐる巻きにしてから着用します。派手な高級ティアラを着用するのは本当に大変なことなのです。

ガーランド・スタイル・ティアラ(アメリカ 1900年頃)某ロンドンの高級店で約593万円

安物だと、そこまでの重量はありません。この簡素なティアラの場合も、アーム後部の穴を使ってゴムやリボンで頭に固定させます。

ムーンストーン ティアラ

ムーンストーン・ティアラのチェーン先端にも穴があります。

ただ、上の安物はアームがシンプルな作りであることに対し、このティアラはアームがチェーン状で、フレキシブルな形状となっています。

こんなティアラは見たことがないほど珍しいです。

ムーンストーンのティアラ

チェーン状のパーツを作って着けるのは、さらにお金と手間がかかることです。

なぜわざわざ特別に手間をかけてこのような構造にしたのでしょうか。

2way以上のマルチユースのティアラ

-メアリー妃のウェディング・ティアラ-

ヘリテイジのHPを以前からご覧いただいている方だと、『ロイヤル・クラウン』の中で触れたメアリー妃のフリンジ・ティアラを思い出した方もいらっしゃるでしょうか。

ヴィクトリア女王が将来イギリス国王となる孫ジョージ5世の妻メアリー妃のために、王室御用達コーリンウッドにオーダーしたティアラです。

これはネックレスとしても使えるティアラです。

ヴィクトリア女王がウェディング・ギフトとしてメアリー妃のためにオーダーしたフリンジ・ティアラ&ネックレス(コーリンウッド 1893年)
メアリー ジョージ5世 結婚 フリンジ ティアラ イギリス王室 ダイヤモンド 王室御用達メアリー妃と後のイギリス国王ジョージ5世(1893年)

同様にジョージ5世もメアリー妃のために、ウェディング・ギフトとしてコーリンウッドにエイグレットをオーダーしています。

ヴィクトリア女王がオーダーしたフリンジ・ティアラの土台を使って着用できる物でした。

3wayのフリンジ・ティアラ
メアリー ジョージ5世 結婚 フリンジ ティアラ イギリス王室 ダイヤモンド 王室御用達 ヴィクトリア女王 collingwoodティアラ メアリー ジョージ5世 結婚 フリンジ ティアラ イギリス王室 ダイヤモンド 王室御用達 ヴィクトリア女王 collingwoodネックレス(重ねづけ) メアリー ジョージ5世 結婚 フリンジ ティアラ イギリス王室 ダイヤモンド 王室御用達 ウェディングギフト collingwood エイグレットエイグレット

エイグレットは土台を利用するだけなので3wayと言えるかは微妙ですが、少なくともティアラとネックレス、両方の使い方が楽しめるジュエリーになっています。英国王室御用達メーカーともなると、お金さえ出してもらえるならばこれだけの作品を作ることができる実力があったわけです。

-ベルギー帝国ティアラ-

ベルギー王妃アストリッド(1905-1935年)1926年頃、21歳頃

先にご紹介したベルギー帝国ティアラも、リメイク後はマルチユースが可能な構造となっています。

ベルギー帝国ティアラをアレンジした国王レオポルド三世の妻リリアン王女
ブレスレットとして着用 大きなダイヤモンドを他のネックレスに取付け

リメイク後はチョーカー・タイプのネックレス、ブレスレット、二種類のティアラ、大きなダイヤモンドの取り外しなど、マルチユースが可能となりました。大英帝国ほど桁外れの財力を持たない国の王室にとっては、こういう使い方ができるジュエリーは重宝しそうですね。

PDベルギー王妃アストリッド(1905-1935年)1935年、29歳

ティアラの作成もリメイクも1920年代、初期アールデコの時代です。

頭にフィットするサイズから、手首に巻くブレスレットサイズまで曲率が変化できるなんて物凄い技術だと思います。

エメラルドのアールデコ・ブレスレット

王室御用達ガラード取り扱い
初期アールデコ エメラルド・ブレスレット
イギリス 1920〜1925年
SOLD

恐らくは、この素晴らしいエメラルド・ブレスレットと同等の神技で作られたのでしょう。

この作品は王室御用達ガラード社が取り扱ったものです。「?ガラード製ではないの?どういうこと??」と思った方もいらっしゃると思います。

この時代は優れた職人がすべてサラリーマン的にどこかの店に勤めていたわけではありません。ガラード社はお抱えの職人に作らせたものを販売する以外に、独立して創作活動する才能ある職人から買ってきたジュエリーを販売することも普通にありました。

このブレスレットもそういうもので、ガラード社から王族クラスの人物に提供された可能性もゼロではない超一級の作品です。

エメラルドのアールデコ・ブレスレットブレスレットを平らに置いた状態

このブレスレットは平らにした時には分からないようにして、全体にスリットが入れてあります。

平らな状態の上の画像では、拡大しているにも関わらずスリットは分かりません。

もちろん実物を見ても分かりません。

下がスリットを開かせた状態です。

エメラルドのアールデコ・ブレスレットブレスレットとして使うために曲率を持たせ状態
エメラルドのアールデコ・ブレスレット

だからこそ普段保管する時は金属の平板のような形状にも関わらず、ブレスレットとして着用する際は腕にしなやかに沿う、美しく着け心地も良いジュエリーとなるのです。

このブレスレットはエメラルドも見事ですが、石の価値だけではなく、作りについても最高峰の細工が施されるまさに王族クラスのジュエリーの一例です。

-ネックレスとして使える2wayティアラ-

ムーンストーン ティアラ

このティアラの両脇に着いた腕がなぜチェーン状なのか?

その答えはこのティアラもネックレス(チョーカー)として使える機能をもたせるためです。

5-2 ネックレスとして使えるムーンストーン・ティアラ

ムーンストーンのティアラ

見ているだけでも心癒される宝物ですが、ティアラとしてしか使えないとなかなか保有することは難しいですよね。でもネックレスとして使うことができるならば、活用の幅は一気に広がります!♪

-ドレスシーン-

本物のブルー・ムーンストーンのネックレスのドレス着用イメージ 本物のブルー・ムーンストーンのネックレスのドレス着用イメージ

もちろんこのクラスのジュエリーともなれば、ドレスにピッタリです。こんな美しいネックレスは見たことがないと誰もが思うような、別格の存在感と上品さを醸し出します。ムーンストーンは明るい場所では、透明度の高い石を、厚みを持たせてカボション・カットしたムーンストーンならではの透明な美しさが惹き立ちます。薄暗い場所では幻想的なブルー・シラーを感じやすいです。月光にまつわる宝石を使っているので、やはり夜に使うとより楽しそうです♪

-ジャケットとのコーディネート-

本物のブルー・ムーンストーンのネックレスのジャケット着用イメージ

ジャケットで少しカジュアル・ダウンするとこのような雰囲気になります。

ハイセンスなオフィス・カジュアルとしても十分使いやすいと思います。

GENはもう少し首が太い方が似合うのではないかと言っていましたが、私でも違和感なく使えます。

チェーン先端の輪に細いオーガンジーのリボンを通して着用しており、長さは調整可能です。

サイズは大体の方に問題ないと思います。

-カジュアルなコーディネート-

本物のブルー・ムーンストーン・ネックレスのハイネック着用イメージ

このようにハイネックの上からでも着用可能です。

素肌にのせた時よりも断然、格調高いメアンダー模様が際立つのでスタイリッシュな雰囲気です。

この付け方もオススメです。

5-3. ティアラとしての使い方

本物のブルー・ムーンストーン・ティアラの着用イメージ

サイズ感をご参照ください。頭にちょこんと乗せる大きさです。

ティアラとして着用する際は、美容師の方とご相談してコーディネートを楽しんでいただければと思います。

ありがちな派手で主張の激しいティアラとは一線を画す、知的で上品、かつセンスの良さを感じるティアラなので、ぜひティアラとしても使ってみていただきたいです♪

私は未婚なのでダメですが・・(笑)

 

ムーンストーンのティアラ

ご紹介の通り、ティアラは結婚と共に国をまたいで移動することすらある宝物です。上流階級の異なる一族同士が1つになる結婚式というタイミングで主役となる花嫁のために作られる、まさに家宝として制作されるティアラ。

だからこそド派手なものがほぼ100%と言える中で、奥ゆかしさあるデザインながらも、古代ギリシャを原点として脈々と伝わるヨーロッパの文化と歴史を背負う威厳を感じる荘厳なティアラ。

ヘリテイジでまず初めに扱うティアラがこの宝物だったことを嬉しく思いつつ、ネックレスとしても使えるので、お求めになった方には目の保養として見ているだけでなくぜひ楽しくお使いいただきたいです♪