No.00227 FASHIONABLE LADY |
ペンダントだけでなく、ブローチとしても使える前代未聞のマルチユースのロニエットです♪ 機能性はもちろんのこと、驚くべきはアールデコ期の超一級の彫金細工です。王侯貴族が力をなくし、振興の富裕層が勃興して成金的なものも多いこの時代において、数少ない優れた細工物と言える、教養とセンスあるいにしえの王侯貴族らしさを感じる見事な作品です。 |
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『FASHINABLE LADY』 アメリカ 1920年代 |
現代のおしゃれアイテム『メガネ』
日本ではメガネと言えば『ガリ勉』などの冴えないイメージで扱われており、オシャレに気を遣う人の視力矯正はコンタクトレンズかレーシック手術という時代がありました。しかしながら最近ではオシャレメガネが定着し、随分と選択肢も増えました。 オシャレな時代になったものだと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは庶民に限定した話です。 昔の庶民用のメガネは、単なる道具に過ぎませんでした。しかしながら王侯貴族にとっては、メガネにまでオシャレに気を遣うのは当たり前のことでした。 |
王侯貴族の"見る道具"
ロニエットを使う女性(アンリ-ニコラス・ヴァン・ゴープ 1780年頃) | 初期のロニエットは単眼鏡タイプでした。 狩猟などで男性が使うための道具でしたが、ヴェルサイユ宮殿時代の貴族の女性の間で大人気となりました。 理由はもちろん、宮殿内のライバルたちを見張ったりするためです(笑) 誰と誰が付き合っているのか、何をしているのかが気になってしょうがないわけです。 得た情報を元に噂話をしたり、ライバルを蹴落としたりするわけですが、まさに「壁に耳あり障子に目あり」、昔も今も人間の本質なんてそう変わるものではありません(笑) |
ロニエットの進化とステータス化
ロニエットを持つ淑女(1830年代) | ベルサイユ宮廷流ではかなり実用目的のカラーが強かったロニエットですが、19世紀にかけては王侯貴族の女性のためのステータスと美しさを表現する『優雅な小物』としての面が強くなっていきました。 形状も単眼ではなく、両目で見ることができるタイプに進化していきます。 |
ゴールド ロニエット フランス 1840年代 SOLD |
単に見るためだけの道具という領域を超えて、特別なものとして作られたお金や手間をかけて作られた非常に贅沢なロニエットも作られるようになっていきました。 |
現代ではジュエリーにはお金をかけられても、なかなか使う小物にまでお金をかけられる人はいません。 当時の王侯貴族が使う小物には、ハイクラスのジュエリーレベルの細工が施されていたりするものです。 それが美意識なのです。 |
劇場でロニエットを使用する淑女 | もちろん遠くをよく見るために観劇の場などで使ったり、レンズによっては手元のものをよく見るために使うなど、実用的にも使えます。 でも、小物を使う時にはその仕草も重要です。 ハイクラスのロニエットを持つだけでなく、使う時の優雅な振る舞いは女性の品格すらも演出できるのです。 |
ロニエットを持つ淑女(1856年頃)ボルショシュ・ヨージェフ画 | その結果、ロニエットはステータス化していきました。 いくつかの肖像画で、ロニエットを持つ姿で描かれている女性の姿を見ることができます。 |
『紳士と淑女』 扇 フランス 1870年頃 レース(シルク)、マザーオブパール ¥ 387,000-(税込10%) |
女性らしさと高貴な身分、センスの良さを演出ために、優雅な小物を使ったポーズで肖像画を描かせることがあることは、すでに『紳士と淑女』の扇でもご紹介した通りです。 |
扇の場合、社交界では扇言葉でコミュニケーションもしたりする、どちらかというと恋愛ツールのイメージが強い小物です。これらの肖像画も、見ている方は何だか誘われている気分になりそうな、若く愛らしい女性たちの雰囲気ですね。日本で言う一昔前の『お見合い写真』用といったところかもしれません。 |
ポンパドゥール夫人(1721-1764年)1748-1755年頃、ルーブル美術館 | 一方でポンパドゥール夫人の肖像画には、よく本が描かれています。 テレビ、インターネットなどのない時代、肖像画は自分をPRする手段でもありました。 書籍と共に肖像画を描くことで、知的なイメージの演出を狙ったのだそうです。 確かに知性ある女性という雰囲気が肖像画からも伝わってきますね。 |
ロニエットを持つ淑女(19世紀後期) | その点で、ロニエットは扇とも書籍とも違った雰囲気を演出できます。 オペラなどの芸術に対する教養や、書籍を読む知性なども連想させます。 本は身を飾ることができませんし、本を読む仕草自体でエレガントを演出するのもイメージが湧きません。 |
ロニエットを持つ淑女(19世紀後期) | ロニエットは、それを持つことができるという身分の高さと財力を表すステータス、芸術その他の教養の高さ、優雅なふるまいを象徴する小物と言えるでしょう。 |
アールデコ期のロニエットの流行
ドリー・ハース(1910-1994年) | 貴族の女性の優雅でオシャレな小物としてのイメージを確固たるものにしたロニエットは、1920年代のアールデコの時代に再び大きく流行しました。 狂騒の20年代とも言われる時代です。 |
アールデコ期の女性たち |
この時代は女性がとてもパワフルだった時代です。女性が社会にも進出し、明るく楽しく人生も謳歌しました。若い女性たちはたくさんオシャレも楽しみたいものです。この頃になると貴族の財力が徐々に低下し、新たな富裕層が勃興している時代ですが、まだまだセンスの良さや教養の高さ、そして爵位など、貴族は憧れの対象でした。ファッションリーダーとして女優も存在しますが、王侯貴族のステータスやファッションセンスはやはり別格です。 |
ロニエットとベデカーのイタリア旅行ガイドブックを持つ女性(1920年代?) |
憧れの王侯貴族の女性と同じものを持ちたいと思う女性心理は現代も昔も変わらないと思います。 扇や書籍などと異なり、実用性もあって知性やエレガントさも演出できるロニエットがオシャレアイテムとして注目され、流行したのです。 やはり知的なイメージもあるようで、女性が左手に持っているのはベデカーのイタリア旅行のガイドブックです。 ベデカー社は近代的旅行案内書の草分け的な存在のドイツの出版社で、ツーリストの利便性向上のために持ち運びに便利なサイズで出版しているのも特徴です。 他社の旅行ガイドブックも『ベデカー』と呼ばれたりするほど欧米では浸透しています。 女性の右手に見えるのは古代ローマの遺跡です。ヨーロッパの王侯貴族も古代美術や考古学を愛し、深い造詣を持つ知的階層も多かったのですが、明らかにそれを意識した構図の絵と言えますね。 |
ロニエットで演出する知性とセンスの良さ
アールデコ期はココ・シャネルがリトルブラックドレスを発表して、ファッション業界にセンセーションを巻き起こした時代でもあります。 ブラックのシンプル・モダンな装いは、現代でも古さを感じさせない時代を超越した魅力がありますね。 |
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シャネルのリトルブラックドレス(ボーグ誌 1926年) |
そのリトルブラックドレスを着こなした、1920年代に描かれた当時の女性たちの興味深い絵がありました。 この2人は一緒にお買物に来たお友達です。 左の女性は冴えない表情をしています。 |
なぜならば、仮縫いしてみたドレスに変なシワがたくさんよってしまったからです。 既製品に慣れて、美意識も低下しているとこれの何が駄目なのかよく分からないかもしれませんが、左の女性のように仮縫いまでしてオーダーする人物にとってはゆゆしき自体です。 私も大学院生時代にスーツをオーダーしただけでなく、サラリーマン時代にも東京でワンピースをオーダーしたので、彼女の気持ちはよく分かります。 現代だとオーダーする側も請け負う側も経験値や要求値が低く、残念ながら技術は育たないようです。3回やり直してもらって及第点と思えた時点で、時間の無駄なので理想の追求は諦めました。 ちなみに仮縫いしたドレスは裏返しにして試着しているので、型やサイドの布の端部が変に見えるかもしれませんが、これが調整のための普通の試着です。 |
アールデコ 総ビーズドレス フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
アールデコ期は女性がコルセットから開放され、ウエストラインが見えないストンとした緩やかなシルエットが流行しました。 純粋にストンとしたシルエットが最先端のハイセンスなファッションなのに、ドレスがもたついてシワなどよるなど、美意識の高い女性にとってはあり得ないことのです。 |
黒いドレスの女性は気づきました。 友人は胸が大きいのです。このため、ドレスにシワができてしまうのです。 それならば通常ならばバスト脇には1つしか入れないダーツを2つにして調整すれば良い。 |
予想した通りうまくいき、ドレスにおかしなシワがなくなりました。 |
沈んだ表情だった女性の顔が、とても嬉しそうに変わりましたね♪ 「2つめのダーツの理由」の紹介記事に描かれた、アイデアを提供する側のアールデコ期の女性が手に持つのがロニエットです。 |
ファッションセンスと優れた洞察力、機転の良さを持つ、黒いドレスの知的な女性を象徴するアイテムとしてロニエットが描かれているのは明らかですね。 |
普通では物足りないハイセンスの女性たち
ロニエットを持つ女性(ハフィントンポスト 1920年代) | いつの時代も、意識の高い女性にとってはファッションはいつも最先端であることも重要です(私の場合は、最先端よりも普遍のスタイリッシュさの方が重要ですが・・)。 流行し始めは、ただロニエットを持っているだけでもアドバンテージがありましたが、皆が持っている状況になってくると普通のものでは差別化ができません。 |
差別化ポイント1. 定番スタイルの中で超上質を狙う
ロニエット ヨーロッパ 1890年頃 ルビー、サファイヤ、ローズカットダイヤモンド、シルバー SOLD |
他の女性と差別化するためには2つの方向性が考えられます。1つは流行と同じ形状のロニエットでも、作りと素材を上質にすることです。 上は1890年頃の少し古い時代のロニエットで、まさに特別な人物でなければ持てないロニエットです。 高価な宝石であるルビーとサファイアを使った両面色違いの優れたデザインと、手の込んだ素晴らしい細工。オーソドックスな形のロニエットでも、これくらい上質なものを持っていれば羨望の的は間違いなしでしょう。 |
【参考】アールデコの安物のロニエット | |
シルバー製 | スチール製 |
これらはアールデコ期のシルバーとスチールのロニエットです。普段、安物は扱わないのでスチールのロニエットまで存在することには少し驚きました。安い素材にはそれなりのデザインと作りしか施されないものです。どんな時代にも安物は存在しますし、安物には高度な技術を持つ職人による心を込めた仕事がなされることはありません。「古い」ということだけでは、特別な価値があるとは言えないのです。 それでもある程度古い時代のものであれば一応は手仕事をしてあるので、まだマシと言えるかもしれません。 「シニアでもオシャレに、これを着ければ美人に!!」という触れ込みで宣伝されていたりする現代のロニエットですが、プラスチック製の安っぽい大衆向け量産品ばかりです。年齢が上がるほど上質なものを着けるべきなのに、満足できる人は正直どれくらいいるのか・・。顔周りに量産プラスチックの安物でオシャレをするのは、私はかなり抵抗があります。 |
差別化ポイント2. 定番ではないスタイルを使いこなす
-モノクル-
ルース・ゴードン(1896-1985年)1919年 | さて、スタイルは同じにして超上質な作りにして差別化する方法とは別に、スタイル自体を別のものにするという方法もあります。 左の女性が着けているのは『モノクル』です。 とても個性的な印象になりますね。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年) | モノクルと言えばイギリスのジョゼフ・チェンバレンを思い出す方もいらっしゃるでしょうか。 この写真だと、ドットのネクタイとニットのダブルというおしゃれセンスについ目がいってしまいますが、ファッション関係の人物ではありません。 バーミンガム市長時の大改革で名を上げ国政に進出、通商大臣、自治大臣、植民地大臣なども務めた有名政治家です。 |
『黄金の羅針盤』 コンパス(方位磁石) ペンダント イギリス(バーミンガム) 1897年 SOLD |
バーミンガムで作られた宝物は、これまでにいくつかご紹介したことがあります。 その中にはシルバーカードケースもいくつかあり、バーミンガム=商業都市のイメージが強いと思います。 でも、実はチェンバレンによって改革がうまくいく前はスラム街も多い自由放任の不衛生な街でした。 「薄汚れた巨大村落に過ぎないバーミンガム市を一大商業都市にする」と宣言し、それを実現させてバーミンガムを近代的な商業都市に生まれ変わらせたのがチェンバレンです。 「建設革命」とも呼ばれたバーミンガムでの事業は、19世紀後半のイギリス都市のロールモデルとして大注目されたのです。 |
南アフリカ会議の戯画(1897年) | ちょっと面白い戯画も見つけました。 1897年の南アフリカ会議を描いたものですが、中央に南アフリカ会社社長セシル・ローズ、右端にチェンバレン植民地相がいます。 セシル・ローズと言えば『アフリカのナポレオン』とまで呼ばれた、ダイヤモンドで有名な人ですね。 ちなみに、チェンバレンはやはりモノクル姿です。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)1838年 | ちなみに『黄金の羅針盤』でも触れた通り、チェンバレン植民地相はヴィクトリア女王の即位60周年記念ダイヤモンド・ジュビリーの盛り上げにも一役かった人物でしたね。 通常このような式典の場合は各国の王室・皇室を招いたものになるのですが、当時の植民地相であったジョゼフ・チェンバレンの助言もあって、大英帝国の祭典という側面も持たせることになりました。 世界各地の植民地首相や駐留連帯代表者が集められ、植民地首相たちにはメダルが授与されました。 大英帝国君主の"真の王冠"の宝石は"植民地"であり、その祝いでもあるのです。それこそ、女王を超えることなんてできませんね。全世界が、大英帝国の偉大さを改めて思い知ったことでしょう。 |
大英帝国(1921年) |
1754年から1763年までの七年戦争に勝利した結果、植民地獲得による領土拡大によってイギリスは現実に日の沈まない帝国となりました。 |
ヴィクトリア女王の即位60周年ダイヤモンド・ジュビリーのパレード(1897年) |
ダイヤモンド・ジュビリーを迎えた19世紀の終わりには、世界人口の4分の1以上(そして全ての大陸の一部)が大英帝国の支配下にありました。まさにヴィクトリア女王は世界の王です。 それには背景にイギリスの優秀な政治家たちがたくさんいたわけです。ちなみに古い時代は、イギリスの政治家はほとんどが貴族です。 |
この偉大なる女王のパレードを見るため、バッキンガム宮殿の外では前日に押し寄せた何千人ものイギリス人が公園で眠り、当日は何十万人という人々が沿道にごった返して祝ったそうです。 絵画だとついつい盛ってる疑惑も抱いてしまいますが、実際写真からもその様子が伺えます。 |
オースティン・チェンバレン(1863-1937年)1920年 | さて、優秀なチェンバレンは息子たちも優秀な政治家で、次男ネヴィル・チェンバレンは首相にもなっています。 左は長男のオースティン・チェンバレンですが、彼もモノクル姿で肖像画を描かせていますね。 ケンブリッジ大学を出た後に政界入りし、財務省、インド事務相、外相などを務めています。 外相時はその実績を評価されてノーベル平和賞も受賞しています。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)1909年 | いかにも血統優秀な名門一族といった感じのチェンバレン家ですが、実はチェンバレンは貴族ではありません。 ジョゼフ・チェンバレンは上流中産階級に位置する製靴業の実業家の家に生まれました。イギリス国教徒ではなく、代々非国教徒の家系でした。 ヴィクトリア時代のイギリスでは、非国教徒の実業家は貴族と結婚でもしない限り、政界で要職につける見込みはほとんどありませんでした。 そんな環境下で、チェンバレンは数少ない例外となった人物です。 これだけでもいかに優秀で、実績も積み上げてきた人物であるかが伺えますね。 ちなみに左の写真もオシャレです。ネクタイピンに、ジャケットの羽根飾りとポケットチーフ、手にはハットと葉巻。ダブルのベストからはウォッチチェーンもチラリと見えます。当時73歳、現在71歳のGenより年上です。見えない(驚)!! |
植民地省の大臣デスクに座るジョゼフ・チェンバレン | 貴族ではないと言っても実業家の裕福な家に生まれているので、普通の労働者階級とも異なります。 教育も十分に施されるのですが、チェンバレンは非国教徒だったため、パブリックスクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学などの名門校への進学は断念しました。 結局私立学校を経て、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に入学しました。 |
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの主要校舎外観(設立 1826年) "University Collefge London -quadrant-11Sept2006(1)" ©Steve Cadman from London, U.K.(11 September 2006, 12:06)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
UCLは1826年設立のイギリスのトップ総合大学で、卒業生、教員、創立者から計29人のノーベル賞受賞者と3人のフィールズ賞受賞者を輩出している名門校です。1859年にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表したことでも世界的に有名で、日本では初代内閣総理大臣の伊藤博文もここで学んでいます。伊藤博文はダイヤモンドジュビリーにも参加していますね。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年) | UCLには2年間だけ在学し、16歳だった1852年から父の製靴工場で働き始めました。 今でいう社長のご子息という立場ですが、特別扱いされることなく作業着を着て、他の一般の職人たちと共に製靴作業にあたりました。この経験で労働者の心情に通じるようになったそうです。 その後、父が出資するバーミンガムのスクリュー製造会社で経営に参画し、実業家として活躍を始めました。 その後、実績を重ねて大実業家となったのですが、労働者目線を忘れることはありませんでした。 盛んに労働者たちと討論会を開いたり、労災や疾病の保障組合創設を主導しました。さらには労働者たちのための夜間学校を開催し、自ら文学・歴史・フランス語・数学の教鞭をとりました。 現代日本では文系・理系・体育会系など変に分類分けし過ぎる傾向にありますが、本来超絶優秀な人は何でもできる感じですね。 それはそうと、チェンバレンの場合は大学に在学した15歳までに人に教えられるほどマスターしてしまったということでしょうか、恐るべし! |
庶民院議場のロビーの戯画(1886年)バニティ・フェア誌11.30号 |
このようにしてバーミンガムの名士となったチェンバレンは、市長としても実績を上げて中央の政界に進出していくのです。上は庶民院議場のロビーですが、仕事では貴族と関わりながら進めます。中央でモノクルをかけたチェンバレンの右4人目の人物はハーティントン侯爵、後の第8代デヴォンシャー公爵です。後にチェンバレンと共に自由統一党を結成してその党首となる人物です。公爵と言えばイギリスの爵位貴族の最高位であり、王族も含まれる爵位です。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)1895年 | 政治家として、そうそうたる爵位貴族たちに囲まれて活躍することがいかに大変なことかは想像に難くありません。 当時アメリカがヨーロッパ貴族から下に見られていたように、貴族からも庶民出身者は例え能力は同じだったとしても、どうしても下に見られる傾向はあったはずです。 チェンバレンは知力だけで勝負しようとはしませんでした。 センスの良いファッションや振る舞い、さらにはイギリス紳士を象徴するノブレス・オブリージェの精神まで、貴族にひけをとらないどころか貴族以上にそれらを実現することで、対等な立場で実績を積み重ねていったのです。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)植民地相時代 | 人が見た目で判断するのは、避けようのない人間の性質です。 「爵位はないけれど実績で判断して欲しい。」と本人が必死に主張したとしてもスマートではありませんし、人はついてきません。 見た目を使って印象をコントロールする、それができるほどに頭が回る人物だったということでしょう。 |
イングランド王ヘンリー8世 (1491-1547年)1531年 | 実はそれができていたのが大英帝国の礎を作った偉大なる女王エリザベス1世です。 父は英国王室一のインテリとも称されるヘンリー8世ですが、娘エリザベス一世にも受け継がれたようです。 ヘンリー8世もかなりのオシャレですね。 ルネサンスのこの時代、王侯貴族は男性もジュエリーを着けるのは普通でしたが、王の身を飾る王者の宝石として、服に縫い付けられた天然真珠が美しいです。 |
イングランド女王エリザベス1世 (1533-1603年) | さて、父譲りで頭脳明晰、語学堪能なエリザベス一世でしたが、政治や外交的に有利に事を運ぶためにファッションも意図してコントロールしていました。 女性だからとなめられぬように偉大なるイギリスの最高権力者らしく荘厳なファッションにしたり、時には他国の外交官を女性らしいファッションで翻弄したそうです。 外見で翻弄して相手の頭を鈍らせた上で、語学力も駆使していつの間にか有利な条件に外交を持って行くので、相手もタジタジだったというエピソードも残っています。 |
ガリ勉女子 | 日本では美人は頭が悪くてブスはお勉強ができるなんてイメージもあったりしますが、仮に見た目が良くないガリ勉タイプの女子がお勉強ができたとしても、それは単にテストで点数がとれる偏差値基準だけの話でしょう。 それに加えて統合的な頭の良さ、回転力をも兼ね備えた人物は、見た目すらもコントロールするので、外見も優れている傾向にあります。 外見の良さというのは単なる顔の造形だけでなく、表情や振る舞い、ファッションセンスなど全てから醸し出されるものです。 |
ジョゼフ・チェンバレン(1836-1914年)1905-1910年頃 | さて、男性のオシャレは難しいものです。 爵位貴族でも、お金はあっても傑出したファッションセンスがあるとは限りません。 このポスターでもジャケットの襟には花飾り、ポケットチーフ、ネクタイにはクラバットピン。内側のダブルのベストのような副にはバーブローチのようなものも見えます。 当時でも、これくらいジュエリーや小物を紳士らしくスタイリッシュに着けこなしていた男性はなかなかいなかったはずです。 そのファッションのポイントがモノクルです。 |
ノーフレームのモノクルを着けた男性 | モノクルは19世紀のヨーロッパの上流階級で流行したアイテムです。 最初のモノクルは、1830年代以降のイギリスで着けられていたようです。 最初はただレンズを眼窩にはめ込むだけのタイプでしたが、貴族のアイテムとして次第に進化します。 高級品には相応のフレームがあしらわれたり、落下防止のためにコードで下げられるようにするなどの工夫も加わりました。 |
【参考】金メッキのモノクル(20世紀初頭) "Monocle with gallery" ©Sobebunny(20:52, 25 December 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
19世紀後期にはさらに進化し、高価なものにはフレームに足が付けられました。 目に近すぎると瞬きなどの際に睫毛が気になってしまいますが、足を付けて目からの距離を確保することで着け心地も格段に進化したのです。 |
イギリス俳優ジョージ・アーリス(1866-1946年)1919年、53歳頃 | ただしこのようなモノクルは、使用者の目の形に合わせてフレームを微調整する必要があります。 オーダー品となるので庶民では買えず、貴族が使うアイテムという位置付けでした。 従って基本的には貴族階級が着けるものでしたが、イギリスなどでは主人の富を象徴させるため、執事にモノクルをかけさせることが流行したこともあったそうです。 『モノクル』は貴族と富の象徴だったのです。 |
ジョゼフ&オースティン・チェンバレン親子(1892年) | だからこそ貴族階級ではないにも関わらず大英帝国の政治の中枢で活躍するために、チェンバレンには貴族を象徴する『モノクル』が必要だったのです。 それにしても似たもの親子、服装まで似ているのでどっちがどっちか分かりにくいですね(笑) |
3世代の写真(左:ジョゼフ・チェンバレン、中:孫ジョゼフ、右:長男オースティン) |
『モノクル』がどういうものかがお分かりいただければ大丈夫なのでこれは必須画像ではありませんが、みなさんも気になっていたかもしれないジョゼフ・チェンバレンのモノクルを着けていない状態の珍しい写真です。愛らしいお孫さんと共に、嬉しそうなじいじの表情をしていますね。 チェンバレンは経営者時代には労働者に優しい大企業にしたり、国民からは「俺たちのジョー(Our Joe)」と言われるほど人気がありました。家族関係では3回結婚していますが、離婚ではなく死別によるものです。最初の妻は長男オースティンの出産で亡くなってしまい、「これ以上生きることができないほどの悲しみ」と友人に語っていたそうです。2人目の妻も4人の子を儲けたものの、出産で亡くなってしまったのです。51歳の時に23歳のメアリーと結婚をし、彼女とは人生の最期まで連れ添うことができました。 ノブレス・オブリージェは現代でもイギリスに根付く文化のようなものです。貴族に限らず、財をなした富裕層は持つ者の責任として古い時代から温情主義や社会貢献をやってきました。フランスでは革命が起こり、イギリスでは革命が起こらなかったことには明確に理由があるのです。ノブレス・オブリージェ自体はフランス語なんですけどね。ただしイギリス人女性が最初に言い始めた言葉です(笑)。 |
シルビア・ボン・ハーデン(1894-1963年)1932年 | 先ほどの絵だとちょっとひいてしまいそうですが、実際のシルビアさんはとっても美人です。きっとカッコよくモノクルを着けこなしていたことでしょう。 モノクルは男性、あるいはカッコいい系の女性に似合うアイテムと言えます。 ちなみにモノクルはコーカソイドのような彫りが深い顔を前提としており、平たい顔のモンゴロイドの日本人には着用は無理みたいです。今後もヘリテイジでご紹介することはないでしょう。 |
-完全収納型ペンダントタイプ-
『繊細美の極致!!』 シルバーギルト ロニエット フランス 1850〜1860年頃 SOLD |
レンズを折りたたんで完全に収納し、ペンダントとして下げられるタイプもあります。 ジュエリーとして身に着けやすいので、日常で普段使いしやすいタイプですよね。 ご存じないお友達の前でさりげなく使えば、「それってメガネだったの?!」と羨ましがられそうなタイプです。 |
『Celebration』 スウェーデンの彫金が美しいロニエット スウェーデン 1900年頃 SOLD |
アールデコの時代にもペンダントタイプのロニエットが作られています。 |
かつて見たことのないペンダント&ブローチタイプのロニエット
このロニエットはこれまでに見たことがない、ペンダントだけでなくブローチとしても使えるロニエットです。 |
しかもレンズのフレームには、鼻フックになる金具まで付いています。どの部分の機構で取得したのかまでは分かりませんが、1917年1月30日付で特許を取得したという刻印がありました。鼻フックがとっかかりになって、使用しない時はレンズがうまく収納されているのですが、右のレンズのフレームの右にある小さなボタンを下に引けば勢い良くレンズが飛び出します。 |
今でもバネが強力なので、収納する時は少しコツを覚える必要があるかもしれません。レンズを内側に戻したら、所定の位置らしき箇所で微調整していると、うまく収まった時にカチッと音がします。 |
ホワイトゴールドだから可能な細かい彫金
このロニエットの素材は14ctホワイトゴールドです。 この時代において14ctホワイトゴールドを使う場合、目的は2種類考えられます。 1つはプラチナより安いという理由によるコストカットのためです。 |
←↑等倍 | もう1つが、プラチナでは不可能なレベルの繊細至極で緻密な細工を施すためです。 コストカットによる安物と、繊細な仕事が施された特別な高級品では全くジュエリーとしてのレベルが異なるので、その違いはご覧になればすぐに分かると思います。 いや、左の『至高のレースワーク』クラスだと神技レベルで細かく緻密なので、ちょっと見ただけでは分からないかもしれませんね。 |
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『至高のレースワーク』 エドワーディアン リボンブローチ イギリス 1910年頃 ローズカット・ダイヤモンド、ホワイトゴールド&イエローゴールド SOLD |
拡大してようやくこのくらいまでは分かる、この繊細な透かしとミル・ワークはホワイトゴールドだからこそ実現した細工です。粘りがあって柔らかすぎるプラチナだと、このような繊細緻密な細工は不可能なのです。 高級品には絶対にプラチナが使われると言う専門家もいるかもしれませんが、それは細工物を扱わない業者、もしくは知識が不足した業者だと思います。知識不足は置いておくとして、プラチナは石を留める細工はやりやすい金属です。宝石の価値だけで売る石物ジュエリーは、私たちにとっては全く面白みが感じられないのでヘリテイジで扱うことはないのですが、芸術的価値で目利きできる人以外は細工物ジュエリーは扱うことができません。芸術的価値が判断できないので怖くて買い付けることもできませんし、お客様に良さが伝えられないから売ることもできません、必然的に石の価値だけでPRするジュエリーばかりを買い付けて売ることになるのです。こういう場合に限ってはプラチナは高級品、それ以外はレベルが劣るという判断になるのでしょう。 |
現代のハリー・ウィンストンのリング | ||
ピンクサファイア・リング ¥1,507,000-(2021.5 時点) 【引用】HARRY WINSTON / フォーゲット・ミー・ノット・コレクション |
サファイア・リング ¥1,479,600-(2019.2 時点) 【引用】HARRY WINSTON / フォーゲット・ミー・ノット・コレクション |
ダイヤモンド・リング ¥2,646,000-(2019.2 時点) 【引用】HARRY WINSTON / フォーゲット・ミー・ノット・コレクション |
ヨーロッパではプラチナよりホワイトゴールドが一般的に好まれているのは有名ですが、石の価値で売る権化のようなアメリカのジュエリーメーカー、ハリーウィンストンのこれらのリングはもちろんプラチナ製です。無知な日本人はプラチナというだけで喜ぶので楽な商売でしょうね。 プラチナを使えば石留めの爪だってもっと目立たなくセッティングできるはずなのに、鋳造のシャンクにちょちょっと技術の低い職人でもできるレベルの爪留めをしただけでこの価格!恐ろしい世界です。 普通のジュエリーショップでも、今でもプラチナは金より高い金属と言って進めてくる店員などがいるかもしれません。そういう無知なお店では私は買い物はしません。相変わらず現在もプラチナと金の相場は逆転しています。2019.2.22時点の終値でプラチナは3,147円、金は5,030円です。 現代ではホワイトゴールドの方がプラチナより高級金属と言えますが、それは相場の話でしかなく、アンティークジュエリーの価値とは違う話なのです。 |
このロニエットは、細かい彫金に加えて特殊な動作機構を備えています。 動作機構の性能と耐久性を出すためにも、14ctホワイトゴールドが選択されたと推測されます。 |
アールデコ期の超一級の彫金
このロニエットは、目に見えるあらゆる箇所に素晴らしい彫金が施してあります。フレームは両面に施されています。 |
さらに2つのレンズを連結するパーツそれぞれにも丁寧に彫金が施されています。 |
円筒型のシンプルな金具ですらわざわざ繊細な縦筋の彫金が施されています。 メインの目立つ金具ならばまだしも、このような目立たない箇所にまで徹底して細工を施すなんて尋常ではありません! |
左側のパーツは、取り外し可能なペンダント兼ブローチ用の金具です。2次元化してしまう画像だと、どうしても平面的に見えてしまいがちなのですが、全体に凹凸状に形をくねらせた優雅な形状になっています。そこにエレガントな模様が彫金されているので、非常に格調高い雰囲気があります。 ルーペの取っ手部分にも至る所に美しい彫金が施されています。それぞれのミルワークはもちろん、粒金のように削りだした丸い粒も、あり得ない小ささなのに潰れずに形作られています。アールデコの時代として超一級のレベルと言える、まさに神技的な彫金です。 |
両面にその素晴らしい細工が贅沢に施されています。ペンダント&ブローチの金具が付いた取っ手の一番下のフレームは、わざわざ溝が掘ってなだらかな凹状にしてあります。彫金物は、細工を工夫することで光の反射もコントロールできます。この凹状の部分も一見何でもないように見えますが、エレガントさや格調高い雰囲気を出すためにとても効果的な要素となっています。 バチカンの裏側は、ブローチ用の金具になっています。このロニエットを作るためにうまく配合されたホワイトゴールドが、ある程度バネのようにしなったり元の形状に戻れる性質も備えているため、このパーツは取り外すことも可能です。 |
レンズを連結するスプリングの部分にももちろん彫金が施してあります。 |
実際に使うときには見えない鼻フックの部分にも徹底して彫金が施されています。シンプルな模様なので、ただ格子状に縦の線を彫っただけに見えるかもしれません。でも、よく見ると1つずつの格子が光沢があり、クッションのようになめらかな凸状になっていることがお分かりいただけるでしょうか。 丁寧に1つ1つ仕上げなければこうはなりません。なぜそこまでしたのかというと、鼻フックは鼻に当たる部分なので、丁寧に仕上げておかなければ使い心地が良くならないからです。 この徹底した仕事ぶりは、ジョージアンのハイクラスの金細工をも彷彿とさせるものです。ジョージアンにはホワイトゴールドはありませんでしたから(※)、このレベルの彫金が施されたホワイトゴールドのジュエリーはまさに例外的存在と言えるでしょう。 (※たまたま配合がうまくいった工房が、金細工のごく一部に例外的に使っていたことは過去に金属分析で確認していますが、あくまでも例外ですし、全体がホワイトゴールドでできたジュエリーの存在は確認されていません) |
アールデコの社交界
アールデコの時代は経済の中心地がアメリカに移り、アメリカの富裕層がジュエリーなどの需要の元としてもかなり台頭してきた時代です。 ただ、もともと王侯貴族が存在せず、富裕層であっても芸術的な教養やセンスの良さはない場合がほとんどだったため、ヨーロッパの王侯貴族からはアメリカ人は粗野で教養がないと下に見られる傾向があったのです。 小さい頃から優れた芸術に触れることで感性を磨く経験もない人が多いため、どうしても分かりにくいけれど芸術的に価値のある『繊細な彫金』は理解できず、いかにも高そうなただ派手で目立つものを選んでしまうのです。 |
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イブニングドレス姿の女性たち(1927年) |
このロニエットはイギリス以外のヨーロッパ、もしくはアメリカで作られた可能性がありますが、アメリカ人好みではなくヨーロッパ貴族しか選べない作品です。 神技を持つ職人により超一級の彫金が施されているので、結構な値段がしたはずなのです。 それは芸術的価値が分からない人に出せる金額ではありません。 |
後のイギリスのエリザベス王妃(イギリス女王エリザベス2世の母)(1900-2002年)1925年 | この時代は貴族の血を金で買ってでも欲しいアメリカ人と、台頭してきた中産階級や戦争による疲弊などで没落したヨーロッパ貴族の利害が一致して、結婚でヨーロッパ貴族がアメリカに嫁ぐこともありました。 また、イギリス社交界でもアールデコ期は王侯貴族が明るく楽しい狂騒の時代を謳歌しています。 現在のイギリス女王エリザベス2世の母、クイーン・マザーで知られるエリザベス王妃もその一人でした。 |
カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1890-1956年)1930年頃 | イギリス社交界の社交に、アメリカの有名人や有力者が参加することもよくありました。 この時代になってくると、制作された地域や使っていた人物を想像することも難しくなってくるのはそのせいもあります。 |
アールデコはアメリカ人富裕層のお金をかけた成金的で悪趣味なもの、中産階級の成金的な安物が多く存在します。その中で、今回のロニエットはアンティークの時代最後の、教養とセンスを持つ、貴重な真の貴族の持ち物だと推測できるのです。 |
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老眼用の中程度のレンズが入っています。レンズを収納した2重レンズのこの状態だと、普通の虫眼鏡レベルのルーペとしてもお使いいただけます。まだ老眼になっていない方でも将来に備えるだけでなく、今はルーペとして使うのも楽しいかもしれません。 撮影用には短いチェーンを使っていますが、このロニエットを下げるにはもっと長めのチェーンが使いやすいと思います。ホワイトゴールドのチェーンを希望される方には、ご希望の長さと太さの現代のホワイトゴールド・チェーンの見積もりをお出し致します。現代のマシンメイドのチェーンでも十分に太さがあれば、耐久性に問題なくご使用いただけます。 |