No.00332 Bright things

アールデコのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス【引用】Library of Congress / Veron and Irene Castle

 

 

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

『Bright things』
アールデコ ダイヤモンド 3連ピアス

イギリス 1930年頃
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、 プラチナ
長さ 2.0cm
重量 3.4g
SOLD

存在感のあるダイヤモンドを使った、シンプルでハイクオリティな3連ダイヤモンド・ピアスはアンティーク・ジュエリーではなかなか見ないものです。上流階級のためのハイジュエリーらしく、デザインがシンプルな分だけダイヤモンドの質にも、作りの良さにも非常に気を遣ってあります。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの虹色のファイアとシンチレーション

極上のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは、撮影するGenに「これほど多彩なファイヤーが出る石は今までに見たことがない!」と言わしめたほどです。

ダイナミックなシンチレーションと共に放たれる多彩な色彩は、まるで夢のようです。3連の揺れる構造だからこそ、実際に付けた時、本来のダイヤモンドの魅力が最大限に発揮されます。ダイヤモンドとはこれほどまでに美しい宝石だったのだと感動できる、アンティークのダイヤモンド・ピアスならではの魅力が詰まっています。
単品で存在感がありますし、シンプルなデザインは他のアイテムとも組み合わせやすく、ピアスとして使い勝手も良いです。シンプルなデザインほど、質にはとことんこだわった良いものを選ぶべきです。一度手に入れたら飽きることがなく、末長くご愛用いただける素晴らしい宝物です♪

 

この宝物のポイント

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー
  1. コーディネートしやすいデザインのピアス
    1. 正装用のシンプル・デザインのピアス
    2. 滅多に出てこないシンプル・デザインの高級品
  2. アールデコの魅力溢れるダイヤモンド・ピアス
    1. 魅惑の輝きを放つハンドカットのダイヤモンド
    2. 揺れる構造で魅力を増す3連ダイヤモンド
  3. アンティークならではの上質な作り
    1. 磨き上げられた美しい爪
    2. プラチナの重さを感じる堅牢な作り
    3. 溝を彫った美意識の行き届いた台座

 

 

1. コーディネートしやすいデザインのピアス

1-1. 正装用のシンプル・デザインのピアス

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

こぼれそうな大粒のダイヤモンドのピアスです♪

透明感とダイナミックなシンチレーションを両立するオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは存在感がもの凄く、高級感に満ちています。

社交界に出入りし、莫大な財力を持っていた上流階級にとっても、日常用ではなく華やかな場で使っていたであろうクラスの宝物です。

エドワーディアンの揺れるタイプの上品なダイヤモンド・ピアス『ALL WHITE』
エドワーディアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ピアス
イギリス 1910年頃
SOLD

同じオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドを組み合わせたシンプルなデザインのピアスでも、上流階級の日常用のジュエリーとして作られたとみられる『ALL WHITE』とは受ける印象が全く異なります。

この『ALL WHITE』だと清楚で気品を感じる、センスの良いピアスという印象です。

大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー

今回のピアスは華やかな場でも強い存在感を放つ、輝きの魅力あふれるゴージャスなピアスです。

こういうものは、どちらが好みというものではありません。

厳格なTPOがある上流階級は、ジュエリーもそれぞれのシーンに合わせて相応しいものを選んでいました。どちらも使いこなしていたのが、所有者だった古の王侯貴族たちです。

1-2. 滅多に出てこないシンプル・デザインの高級品

1-2-1. 欧米人にとって最も重要なジュエリーであるピアス

ジュエリーのアイテムは様々ありますが、ヨーロッパでは歴史的に、顔に最も近いピアス(イヤリング)を最も重視する傾向がありました。現代でも、欧米の女性が最もお金をかけるのがピアスとも言われています。

イギリス人の主役級女優エミリー・ブラント(1983年-)
"Emily Blunt SAG Awards 2019" ©Nicole Alexander(28 January 2019)/Adapted/CC BY 3.0 "Emily Blunt and john Krasinski" ©Jenn Deering Davis from San Francisco, CA, USA,?????'???? (6 September 2013, 13:36)/Adapted/CC BY 2.0 "Emily Blunt SAG Awards 2019" ©Nicole Alexander(28 January 2019)/Adapted/CC BY 3.0

ネックレスやペンダントは一切付けず、ピアスをメインにジュエリーをコーディネートすることが少なくありません。顔に最も近いピアスは個性をより強調してくれますし、首や胸元ではなく、一番注目して欲しい顔に視線を集める効果もあります。

日本だとここまで存在感のあるピアスをしている人を見ることは滅多にありませんが、欧米ではもっとド派手なピアスもいくらでも見ることができます。Genが「重そうだけど耳は痛くないのかなぁ。」、「欧米人の耳は頑丈なのかなぁ。」なんて不思議がるほどです(笑)

貴金属で作られた本物のジュエリーだとズッシリとした重量がありますが、イミテーションなどで作ったアクセサリーだとあまり重くはないかもしれません。本物の重いものだったとしても、式典などでごく短い時間付けるだけのもので、常時身に着けるものではありませんね。千切れなくても耳が変形しそうです(笑)

2007年英国アカデミー賞に参加するエミリー・ブラント(1983年-)23歳 "Emily Blunt at the Orange British Academy Film Awards (cropped)" ©Caroline Bonarde Ucci(11 February 2007)/Adapted/CC BY 3.0

これは女優にとっては最も大事な晴れ舞台の1つと言える、英国アカデミー賞授賞式に参加した時のエミリー・ブラントの装いです。

胸元のあいたドレスなので日本人ならば絶対にネックレスを着用しそうなものですが、上半身に見えるのは存在感のあるピアスだけです。

エミリー・ブラントは特殊ケースではありません。

気になる方はご自身で調べていただければ良いですが、これは欧米女性では一般的なジュエリー&アクセサリー選びと言えます。

1-2-2. 現代の日本人の多くがジュエリーを使いこなせない歴史的な理由

現代の日本人女性はジュエリーの知識がなく、使いこなせていない人が殆どです。基本的にはその自覚すらありません。ジュエリーとアクセサリーの違いすら知らない人が多く、私がお取り扱いするアンティークジュエリーを『アンティーク・アクセサリー』と呼んだり、「自分で作っているんですか?」と尋ねてくる人もチラホラいるほどです。

侮辱に等しい言われようですが(笑)、これほどまでに日本人はジュエリーに関する知識がないんだなと認識できて、ありたがたいことだと思っています。HERITAGEを始めてから4年弱。どれくらい基礎的なことから啓蒙活動すべきか、徐々に見えてきました(笑)
Genが46年間ですっ飛ばしてやっていなかったことです。これまでのお客様はご自身の感覚や知識で理解できる、すっ飛ばされても平気な、優れた方ばかりです。素晴らしい!!(笑)

さて、着物文化が発達した結果、日本はかなり古い時代を除き、ジュエリー文化が発展してこなかった世界的に見ても稀有な国です。貴族階級すら、西洋文化が入ってくる以前はジュエリーを身に着けたことはありませんでした。

1947年に日本の貴族が廃止され、庶民がジュエリーを着けるようになったのは高度経済成長期以降です。ファッションリーダーとして貴族がいれば、庶民はそれを見習えば良かったのですが、残念ながら戦後の日本にはお手本となる上流階級が存在しませんでした。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』の1906年版の挿絵(エミール・ゾラ著 初版は1883年)

1870年に皇帝を廃し、共和制となって一足先に大衆の時代を迎えたフランスと同様のことが戦後、民主主義となった日本にも起こりました。

戦後復興を遂げ、旺盛な消費意欲を持つ若い女性たちに溢れるものの、彼女たちは何を選べば良いのかが分かりません。

そこで女優や歌手などの大衆のスターをお手本にしたり、百貨店が勧めるものを買うことになるのです。

帝政から共和政に移行したことによるファッションリーダーの変化
王侯貴族 女優や歌手などの大衆のスター
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃 フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1876年、32歳頃

大衆のスターとなるほどの女性は見た目麗しく、特別な才能も持っていますが、元は大衆と同じただの庶民です。物心つかない幼少期から徹底的に特別な教育を施された上流階級とは教養や知識、センスも立ち居振る舞いも異なります。百貨店の店員もそうです。

尤もらしくオススメされると、正しいことを言われているように感じるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。知識が不十分なことも多々ありますし、ただ儲かるから売りたいだけの物という場合だってあります。

PDアメリカからの帰国報告に参内した捨松(1860-1919年)後の大山公爵夫人。1882年、22歳頃

戦前は日本にも貴族がいました。

日本人は好奇心旺盛で勤勉なので、庶民も寺子屋などで勉学に励んできた歴史があります。これは世界的に見ると特異なことです。

これがあり、昔の日本人は庶民に至るまで、総じて平均値が高いです。

ただ、当然ながら上流階級はその比ではありません。

戦前の歴史で習う人々の大半は上流階級です。庶民の個別の歴史に触れられることなんて、ほぼありません。

歴史に出てくるほどの特別な人物が、私たちと同じような"庶民"だったという前提で、身近な感覚で想像しては大きな誤解が生じます。

PD公爵夫人 大山捨松(1860−1919年)1880年代?

戦前でも日本に洋装は入ってきていました。

ヨーロッパの限られた上流階級だけが持つことのできた、ハイクラスのジュエリーや小物を使いこなす人も存在しました。

但しそれは都会に住み、身分も高かった、限られた日本人のみです。

Genの曽祖父は米沢藩の武士でした。明治維新後は地方の士族という身分です。

1868年の明治維新で武士の職を失ったものの、始めた白足袋屋で一財産を築き、趣味で骨董を買い集めました。上杉藩の城下町だったこともあり、良いタイミングで良い物がたくさん集められたようです。

この、ひいおじいちゃんのコレクションを元に、おじいちゃんが骨董屋を始めました。アンティークという縛りならばGenは3代目、私で4代目と言えます。創業は明治、19世紀と言って自慢しても良いかもっ(≧▽≦)

Genの明治生まれの祖母ウメ(今は無き米沢の実家にて)

骨董商にとっては非常に良い時期で、かなり儲けられたようですし、地方といえども町の名士でもあったようです。

そんな家に嫁いだおばあちゃんですら、Genは着物姿しか見たことはないそうです。戦後もずっと着物です。

アンティーク着物
アンティークの洋蘭のアールデコ着物洋蘭のアールデコ着物(昭和初期)HERITAGEコレクション 木蓮を描いた昭和初期の黒いアンティークの帯木蓮と松葉の帯(昭和初期) HERITAGEコレクション

現代の日本人に『アンティーク着物』として持て囃されている華やかな着物は、私たちのような一般庶民の普段着などではなく、都会の上流階級のために作られた特別な衣服です。

アンティーク着物の最盛期は、大正から昭和初期と言われています。第二次世界大戦が始まる前までなので、1910年代から1930年代までです。

この頃に着物文化が花開いたのは、きちんと理由があります。明治になって洋装が入ってきました。最先端のオシャレとして取り入れる、都会のオシャレな上流階級の女性も増えていきました。これに危機感を抱いた呉服業界が、着物に負けない斬新なデザインの着物を作って対抗しようと、業界全体で頑張りました。その結果、大正から昭和初期の時代に着物文化が花開いたのです。

ヨーロッパのハイジュエリーと同じことが起こったわけです。ヨーロッパの上流階級のファッションの頂点はジュエリー、日本の上流階級のファッションの頂点は着物でしたからね。

アンティーク着物
薔薇のアンティーク着物&刺繍帯薔薇の着物と刺繍帯(大正〜昭和初期)HERITAGEコレクション 昭和初期の芙蓉と小菊のアールデコの帯アールデコの帯(昭和初期)HERITAGEコレクション 昭和初期のスタイリッシュな幾何学模様のアールデコの帯アールデコの帯(昭和初期)HERITAGEコレクション

時代の最先端の流行がデザインに取り入れられるのも、アンティークのハイジュエリーと共通しています。古い時代は、日本で花の王様と言えば牡丹でした。ヨーロッパから品種改良された華やかな薔薇が入ってくると、着物の柄として薔薇が一躍人気となっています。ヨーロッパでも同様に、品種改良の薔薇がブームとなった際は、ハイジュエリーのモチーフとして薔薇が流行しています。

アールデコの時代には、着物の柄にもアールデコのデザインが見られます。

着物業界の本気度は凄く、ピカソやカンディンスキーなどの当時の有名な画家などにデザインを依頼することもあったそうです。優れた人たちが集まる時代だったからこそ、それだけ文化が発展したというわけです。天才が一人単独で現れ、孤軍奮闘しても文化は花開かないのです。

戦争が無ければ着物もジュエリーも、優れたモノづくりが途絶えることはなかったのかしらと想像すると、本当に戦争は嫌です。

戦前の日本貴族の和装&洋装
PD公爵夫人 大山捨松(1910年代後期)一番右、50代 PD公爵夫人 大山捨松(1860−1919年)

この通り、戦前は着物と洋服、特別な身分の人に限ってはどちらもTPOにあわせて使いこなしていました。洋装に関しては、ハイクラスのジュエリーや小物までもです。

貴族制が残れば、こういう人たちが庶民にお手本を示し、庶民も上手にジュエリーを使いこなせる日が来たのかもしれません。しかしながらお手本となれる貴族を失った結果、戦後に西洋文化、と言うよりはアメリカ文化に支配されるようになった日本の大衆は、どうしたら良いのか分からない状況に陥りました。

洋服に合わせるジュエリーどころか、そもそも洋服すら持っていませんし、着たこともなかったのです。

「どうしたら良いか分からないなんて、どういうこと?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。当時は状況がまるで違います。現代の感覚で想像してはいけません。

衣料量販店(現代) "20140906-0009 SCP Uniqlo" ©Nandaro(6 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 4.0

洋服が欲しいなら、店に行き好きなものを選べば良い。必要があれば店員さんが助言だってしてくれる。

日本でこれが可能な環境となったのは戦後、高度経済成長期を経てからです。もともと衣類はオーダーメイドで作るのが一般的でした。和服同様、洋服も既製品ではなくオーダーで仕立てるものでした。私の父は1947(昭和22)年生まれのGenと同世代ですが、「昔は既製服は高級品だった。」と聞いて驚いた記憶があります。

既製服が一般的になっていくのは1960年代以降です。「衣食住」と言いますが、第1に食、2に住、3が衣と言ったところでしょうか。

戦後の日本で15年間に起きた大きな変化
終戦直後の食糧難の時代の買い出し列車(1945年)
【引用】朝日新聞 DIGITAL/ (あのとき)1945 買い出し列車 ©朝日新聞社
自動車で混雑する祝田橋交差点(1960年)
【引用】東京都WEB写真館 ©東京都

終戦直後は食べるものを手に入れることすら困難でした。しかしながら1954(昭和29)年12月の第1次鳩山一郎内閣の時代から高度経済成長を迎え、大衆が経済力を付け、それと共に衣服の需要が高まったのです。

サイズを規格化した衣服が大量生産されるようになり、現代のようなアパレル産業が確立されました。既製服が普及し始めたのは1960年代で、今の方は物心ついた頃には既に既製服が当たり前だった人の方が多いと思います。

サイズだけでなく、デザインもゼロの状態から考えて洋服をオーダーメイドした経験がある方は殆どいらっしゃらないのではないでしょうか。実際にやってみると分かるのですが、ゼロから洋服をデザインして作るのはとても難しいです。出来上がった状態の、既製品から選ぶのは本当に楽です。

戦後の日本人の庶民は知識もないまま、ゼロから洋服をデザインして作らねばならない環境に直面したのです。学校で習ったりしませんし、参考書もなく、お手本となる貴族もいません。衣服としての機能が事足りれば十分と言うのであれば、とりあえず着られるものを作ればOKですが、"自分に似合うオシャレなもの"をとなればハードルは非常に高いです。

日本女性のオシャレにも貢献した中原淳一
中原淳一(1913-1983年)1949年、36歳頃 『印象的な襟元』スタイルブックより(中原淳一 1953年)
【引用】『中原淳一エッセイ画集 しあわせの花束』中原淳一、平凡社 p.52-53 ©SOHJI NAKAHARA / ひまわりや

幸運なことに、中原淳一という稀有な才能を持つ人物がいました。ルネサンス風に言うならばまさに『万能の人』、いわゆる天才です。戦前から活躍していましたが、戦後は女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になって欲しいという理想に燃え、命を削りながらその使命を成し遂げました。

どういう風に衣服をデザインし、作り、オシャレすれば良いのか、雑誌などを通じて在るべき姿を分かりやすく指し示し、たくさんの女性たちがそれに学びました。

そのお陰で洋服のオシャレについては日本人も順応することができました。ただ、洋服によるオシャレのさらに上のレベル、ジュエリーを使ったオシャレについては指し示してくれる人がおらず、全く無知と言える状態のまま日本女性は現代に至っているという状況なのです。

多忙を極めた中原は45歳となる1958(昭和33)年半ばより病に蝕まれるようになり、1983(昭和58)年に70歳で逝去するまで療養と闘病を繰り返しながらの活動となってしまいました。体調を崩すことなく活動できていたら、ジュエリーのオシャレに至るまで日本女性に啓蒙できていたかもしれません。

1970年代のロンドンに買付に来たアンティークジュエリー・ディーラー片桐元一ロンドンに買付に来たGen(1975年頃)28歳頃

本来ならばGen、片桐元一がその役割を果たすべきだったでしょうね。中原より34歳年下、戦後生まれなのでGenも貴族がいた時代は経験していませんが、才能としては十分に可能だったはずです。しかしながら謙虚過ぎる人柄もあり、そういう考えには全く至らなかったようです。

「Genがやるべきだったのに!」と苦情を申し立てたところ、「僕、そういうの苦手だからWakaちゃんがやって(笑)」と丸投げされてしまいました。

庶民にとっても必須アイテムの洋服と違い、ハイジュエリーは限られた上流階級しか使わないため、本場ヨーロッパでも皆が知識を持つものではありません。普通の人は知らない世界です。だから日本の庶民が知らないのも、当然といえば当然なのです。

いかに天才といえども、中原単独では無理だったかもしれません。時代的にも、今だからこそトライできることのようにも思えます。大きな変化が終わり、成熟した後の衰退期とも言える時代を迎えました。Genと私、2つの頭脳と2人分の様々な経験、2世代という通常よりは長い時間を使い、全力をかけてようやく達成できる課題かなと思っています。

1-2-3. 凝ったデザインが多いアンティークのハイクラスのピアス

アールデコのハイクラスのダイヤモンド・ピアス
オールドカット・ダイヤモンド ピアス 『Nouvelle-France』
ヨーロッパ? 1920年頃
SOLD
アールデコ ダイヤモンド ピアス『ダイヤモンド・ダスト』
イギリス 1920〜1930年頃
SOLD
アールデコの揺れるタイプのダイヤモンド・ピアスフランス 1920-1930年頃
SOLD

ピアスは主役のジュエリーとして使用される場合が多いため、削ぎ落とされたデザインが多いと言われるアールデコの時代であっても、ハイジュエリーに限っては持ち主の個性が感じられる凝ったデザインのものが多いです。

凝ったデザインのジュエリーを作るには大変なお金がかかります。成金嗜好の人たちは石コロなどの材料にばかり目が行くようですが、既製品しか買ったことがないから、凝ったデザインや優れた作りにどれだけお金がかかるのかが分からないのです。そして、見た目に分かりやすい石コロの大きさや素材だけで高い安いを判断します。オーダー経験が無くても知識や想像力があればそのことは分かるのですが、残念ながら成金嗜好の人たちにはそれも欠落しています。

凝ったデザインの上質なジュエリーを作ろうとすると、まずデザイン費がかかります。さらに、凝ったデザインを硬い宝石や金属で作るには高度な技術が必要です。高度な技術を持つ職人にしか作ることはできません。細部までの作りの良さまでこだわれば、その分だけ手間や時間がかかり、それらは人件費として反映されます。

アールデコのオシャレなダイヤモンド・ピアスアールデコ ダイヤモンド・ピアス
フランス 1930年頃
SOLD

社交界に出入りする人たちは、ジュエリーのオーダーに慣れています。

だから凝った特別なデザイン、作りの良さが反映される揺れ方の美しさ、ダイヤモンドや金属の輝き具合を見れば、大きな石が付いていなくても相当高価なものであるとすぐに分かります。


【参考】成金(庶民)向けの安物ピアス

アールデコは王侯貴族が世界を主導した最後の時代です。

この頃はアメリカなどの新興成金が一層力を増し、社交界でも幅を利かせるようになっていました。

そういう成金向けに作られたとみられるジュエリーは、ありきたりなデザインに目立つ石が付いただけの、安っぽいチャチな作りのものです。

仰々しい外観の一方で揺れない構造であったり、ろくに仕上げられていない汚い爪留は、あきらかに手抜きされた安物です。


【参考】庶民向けの安物ピアス

これは揺れる構造ですが、上下を連結する縦長のパーツはナイフエッジになっておらず、ただの板です。爪留もろくに仕上げられていないため、カチカチした印象です。

世の中に存在するアンティークジュエリーの大半は、当時の庶民のために作られた安物です。庶民は膨大な人数がいますから、安物もいくらでも出てきます。

庶民のための安物はシンプルなデザインが多いです。ゼロの状態からデザインするのはとても難しく、未経験の一般庶民には無理なのです。また、安物とは言っても庶民にとっては非常に高価なものです。上流階級のようにジュエリーをいくつも所有し、TPOに合わせて毎回変えるなんてことはできません。少ないアイテム数で使いまわそうとすると、結果的に無難なデザインを選ぶことになります。

それもあって、成金を含む庶民向けのジュエリーは簡素なデザイン、且つ、パッと見ると高そうな外見でありながら徹底的にコストカットを追求した、石コロ頼りのチャチな作りのジュエリーとなるのです。

1-2-4. シンプルなハイクラスのピアスが滅多にない理由

アールデコのハイクラスのシンプルなダイヤモンド・ピアス
大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー アールデコのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ピアス アンティークジュエリー オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ピアス
イギリス 1920年頃
SOLD

上流階級のためのハイジュエリーはただでさえ数が少ないです。上流階級の人数は極めて限られるからです。

上流階級のためのハイクラスのピアスのデザインには、2種類の方向性があります。
 1. 主役のジュエリーとして作られた、凝ったデザイン
 2. 脇役のジュエリーとして作られた、シンプルかつ上質なコーディネートしやすいデザイン

シンプルなデザインのピアスもある程度の割合で作られてはいるはずですが、アンティークジュエリーは持ち主が手放さないと市場には出てきません。売れ筋だという理由でいくらでも追加生産される、現代ジュエリーやフェイク・アンティークジュエリーとは違うのです。

シンプルで上質なピアスはコーディネートしやすいだけでなく、着用者も選びません。特徴的なデザインだと、母から娘に受け継がれる際に「好みではない。」と言う理由で手放されることもありますが、シンプルなピアスは使い勝手が非常に良いため、市場に出てくることが極めて少ないのです。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

自身でピアスを付けることのないGenはどうしても特徴的なデザインのものだけを扱いたがるのですが、ネックレスやブローチなどを主役としてコーディネートを組み立てようとした際、シンプルで上質なピアスも絶対に必要なのです。

そういうわけで、絶対に必要だと主張してこのピアスを買い付けました。

オールドヨーロピアンカットのファイヤー

アンティークジュエリーの市場での枯渇が顕著になり、現代人好みのシンプルなデザインのピアスはあからさまにフェイクが増えています。

通常のジュエリー以上に入念にチェックし、自信を持ってオススメできるハイクラスのアールデコ・ピアスとして選びました。Genと私、双方のチェックに合格しただけあって、Genも撮影してみて、改めてオールドヨーロピアンカットの魅力を再認識したと大喜びしていました。

次はそのダイヤモンドの魅力について、具体的に見て参りましょう♪♪

2. アールデコの魅力溢れるダイヤモンド・ピアス

2-1. 魅惑の輝きを放つハンドカットのダイヤモンド

大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー

このピアスはとてもシンプルなデザインですが、アンティークならではの魅力が存分に楽めるジュエリーです。

ダイヤモンドをメインにしたシンプルなデザインだからこそ、ダイヤモンドそのものの魅力が重要と言えます。

女性は石が大好きな人が多いです。

そのことを否定する必要は全くないのですが、石好きはお勉強熱心で、知識に偏った見方をする人が本当に多いと感じます。勉強するにも、宝飾業界が自分たちが都合の良いように定義した事物が勉強内容だったりします。そんなものを勉強しても、宝飾業界が儲けるためのに都合の良いただの『信者』にしかなりません。きちんとした古い書籍や論文なども世の中には存在するのですが、信者になるような人たちは、そういう上質な情報には興味すら持ちません。

現代の宝飾業界による様々な定義は戦後、主要購買層となった大衆に楽に販売するために作られたものです。その、ごく最近になって作られた定義を物差しにして、そんな定義などなかったアンティークの時代に作らえたジュエリーを判断しようとする人が一定数いるのも驚きます。

アンティークの宝石に関して、中途半端な知識で語る人も一定数います。そのような人たちの中で多いのが、「古いカットであれば魅力がある。」という頭でっかちな思い込みです。

【参考】ブリリアンカット・ダイヤモンドリング(現代)

原理的な理由により、現代のブリリアンカットがオールドヨーロピアンカットのダイヤモンドより輝きが弱いのは間違いありません。

アーリー・ヴィクトリアンのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド・リング『ミラー・ダイヤモンド』
アーリー・ヴィクトリアン オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド リング
イギリス 1840年頃
¥3,700,000-(税込10%)

ただ、アンティークジュエリーのダイヤモンドの輝きが魅力的なのは、カットの種類だけが原因ではありません。

2-1-1. カットの正確性と見た目の印象

古いカット 現代のカット
非加熱のビルマ産サファイア&オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド・リング『Blue Impulse』
ビルマ産サファイア&ダイヤモンド リング
イギリス 1880〜1900年頃
SOLD
【参考】サファイア&ブリリアンカットダイヤモンド・リング(現代)

この2つはどちらもダイヤモンドで取り巻いたサファイア・リングです。脇石となるダイヤモンドにご注目ください。どういう印象を受けますか?

私は『Blue Impulse』には調和した心地よい美しさ、現代のリングには違和感を感じるほど工業製品的な印象を受けます。美しいと感じるか否かは感覚的なものですので、本来は言語を使って説明する類のものではありません。しかしながら、現代ジュエリーに感じる"違和感"については論理的に説明することが可能です。

現代ジュエリーに使用されるダイヤモンドは、プロポーションが規格で決まっています。コンピュータや精密機器を駆使し、規格通り正確にカットします。完璧に同じものを大量に作る、まさに大量生産品です。現代ジュエリーは大量生産される工業製品と同じです。人の手では不可能なレベルで均一に揃っているからこそ、人間が見て美しいと感じるのではなく、工業製品的な違和感を感じるのです。

妖精のダイヤモンド・ピアス アンティーク・ジュエリー 妖精のダイヤモンド・ピアス アンティーク・ジュエリー

南アフリカのダイヤモンドラッシュによって、カットは近代化が進みました。

それにより、ダイヤモンドのフォルムの対称性や正確性は増していきます。

現代の感覚だと対称性の高いカットや、全て同じ形というのは当たり前に感じますが、ダイヤモンド・ソウや電動モーターなどもなく、職人が技術と想像を絶する時間をかけてカットしていた時代のダイヤモンドは個性に富んでいます。

『妖精のささやき』
ダイヤモンド・ピアス
イギリス 1880年頃
SOLD
ブルー ギロッシュエナメル ペンダント 『忘れな草』『忘れな草』
ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント
フランス? 18世紀後期
SOLD

当然、カットにかかるコストは現代の比ではありません。稀少性も桁違いでした。

現代では庶民でも手が出るダイヤモンド・ジュエリーですが、古い時代は本当に限られた王侯貴族しか持てない夢の宝石だったのです。

個性に富む1粒1粒を、職人がそのセンスを活かしてセットするのです。

最も美しく見えるよう、センスがある人が位置や方向を考え抜き、真心を込めてセットしたからこそ美しく見えるのです。

【参考】狼のダイヤモンド・ブローチ(ブシュロン 現代)(税込¥9,306,000- 2021.5現在)【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH ©Boucheron

対称でどれも同じ形の量産ダイヤモンドだと、製造工程にそのような真心の入り込む余地はありません。

ただひたすら「安く早く」を追い求めて、心なく大量生産されるだけです。

そんなものが美しいはずがありません。

ただ、洗脳を受けやすい方だと"裸の王様"と同様、思い込みによって美しく感じられるかもしれませんね。

2-1-2. 手作業により生じる"揺らぎ"の重要性

ポイントカット・ダイヤモンド ルネサンス ミュージアムピース エナメル アンティークジュエリールネサンス ポイントカット・ダイヤモンド リング
イタリア 15世紀
SOLD
18世紀初期のステップカット・ダイヤモンドのアンティークのクロス・ペンダント『古のモダン・クロス』
ステップカット・ダイヤモンド クロス
フランス 1700〜1750年頃 
SOLD

世界一硬い物質だったからこそ、ダイヤモンドのカットには制限がありました。長い歴史の中で、テクノロジーの進化と共に、徐々にできることが増えていったのです。

ファンシーカット・ダイヤモンド
"Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0

現代では、昔ならば到底不可能だったカットも容易にできるようになりました。

どんなカットだって可能と言えるほどです。

大衆にとってダイヤモンド自体がまだ珍しかったひと昔前は、4Cの規格を強調すれば、ブリリアンカット・ダイヤモンドのジュエリーは高値でたくさん販売することができました。

しかしながら、あまりにも同じようなダイヤモンド・ジュエリーが溢れかえった結果、飽きられて売れなくなってしまいました。

そのため、最近では奇を衒ったカットのダイヤモンド・ジュエリーが次々に市場に投入されるようになったのです。「個性的」、「ブリリアンカットにはない魅力」など、それぞれに宣伝文句が謳われています。

その1つに、実は古い時代のカットがあります。

現代の宝飾業界のネタ切れは凄まじく、かつては現代ジュエリーを高値で売るために貶めていた古いカットまで持ち出す節操の無さです。

【参考】現代のオールドカット・ダイヤモンド リング

オールドヨーロピアンカットやローズカットは古い時代のカットですが、今作れないわけではありません。作ろうと思えば、昔より簡単に正確に量産できます。HERITAGEは作って販売する店ではないのですが、なぜか海外のオールドカット・ダイヤモンドのルース販売業者から英語で営業メールが来ることがたまにあります。

実際、そういうオールドカット・ダイヤモンドの現代ジュエリーは販売されています。良心的な店ならばそのことを説明していますし、そうでない店だとアンティークジュエリーとして販売することもあります。

素人の方や、プロとは呼べない素人同然のディーラーはアンティークジュエリーを選ぶ際、刻印だけを頼りにしたりします。そういう人たちは、ダイヤモンドもカットが古いスタイルかどうかで判断するようです。そういう人たちは、活況のフェイク市場の良いカモとなっているようです。

爪留めの稚拙さなど、作りを見れば判断は可能なのですが、石しか見れない人は正しい判断ができないのです。ご自身は目利きができると思っていらっしゃるようで、せっかくのHERITAGEの情報をまともに読みもせずに、突然電話して、自信満々に一方的に他店の商品について尋ねてくる失礼な人も稀にいます。一般の方がどのような情報に感化されがちで、私たちがどういう情報をお伝えしていけば良いのか知る事もできるので、まあ良しと言うことにしています(笑)

【参考」現代の量産のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド

さて、現代の古いスタイルのカットですが、いかがでしょうか?

スタイルは同じでも、古い時代と同じやり方でハンド・カットするのは不可能です。

現代の機器を使い、対称性が高く正確なカットで量産するため、ブリリアンカット・ダイヤモンドと同様、まるで個性がありません。

【参考」現代のオールドカット・ダイヤモンド リング

古いスタイルのカットであろうと、無個性なダイヤモンドの寄せ集めでは工業製品的な違和感しか感じられないのです。

古いカットだから美しい、古いカットだからアンティークジュエリーと思っている人も一定数いますが、そういう人はアンティークジュエリーを全く理解していません。

インド産ゴルコンダ・ダイヤモンドを使ったオールドヨーロピアンカットのブローチ
『ゴルコンダの白い輝き』
ダイヤモンド・ブローチ
イギリス 1840〜1850年頃
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、シルバー&18ctゴールド
SOLD

"完璧"を目指すのは今も昔も変わりありません。

古い時代のダイヤモンドでも、特別にこだわり抜いてカットされたものであれば、人間の目で見て"完璧"と感じられるほど正確にカットされたものもあります。

オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド1910年頃のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド

電動の研磨機が発明され、ダイヤモンドソウも使えるようになった20世紀に入ると、カットの正確性は増していきます。

それでも現代のように機械制御ではなく、高度な技術を持つ職人が時間をかけてカットしていた時代のダイヤモンドには"揺らぎ"があります。

メアンダー模様のアールデコのダイヤモンド・ネックレス『ETERNITY』
メアンダー模様 ダイヤモンド ネックレス
イギリス 1920年代
SOLD
アールデコの高級ジュエリーのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド

アールデコの時代ともなれば、正確性が高いので見た目に非対称だとは感じないのですが、工業製品的な違和感ではなく、心地よい美しさを感じられるのは、職人がハンドカットしたからこその"揺らぎ"が存在するからです。

アールデコのピアス 現代のピアス
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

ダイヤモンドそのものの魅力が重要となるデザインの場合、1粒1粒に個性がある否かで、受ける印象は顕著に変わります。今回のピアスはどのダイヤモンドも生き生きとしてますが、現代のダイヤモンドは死んだような印象です。

こうして見ると、オールドカットの魅力もはっきりと感じ取れますね。ダイヤモンドの魅力は輝きと透明感です。底面から光を漏らす事なく、全ての光を反射するように設計されているブリリアンカットは、輝きだけにフォーカスしたカットです。透明な魅力は感じられません。しかも、下部の狭いファセットが輝きの主力となるため、1つずつの輝きは弱く、チラチラとした輝き方しかしません。

魅力がないのになぜそんなカットが現代では主役となっているのかと言うと、コストが安く済むからです。
コストより美しさを重視して作られていた上流階級のためのアンティークのハイジュエリーと違い、大衆向けに作られている現代のジュエリーは美しさより安さを重視して作られるのです。

2-1-3. 魅惑の輝きとファイア

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

いや〜驚きました!!この多彩で美しいファイヤー出る石は今まで見たことがなかったからです!!
改めてオールドヨーロピアンカットのファイヤーの魅力を再認識した思いです。

撮影したGenにそう言わしめたこのダイヤモンドは、感動的なほど表情が煌びやかで多彩です♪♪

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー 通常のダイヤモンド・ピアスで見る石よりも、ダイヤモンドそのものに大きさがあるのも一因です。
アールデコの揺れるタイプのダイヤモンド・ピアスダイヤモンド ピアス
フランス 1920-1930年頃
SOLD

セットする台座を大きくし、その後光によってダイヤモンドそのものが大きいように錯覚させる『イリュージョン・セッティング』という方法があります。

安いけど高そうに見えることを求める、大衆が主要購買層となった現代ジュエリーでは定番のセッティング法で、その種類も様々あります。

上流階級のためのアンティークのハイジュエリーでも見られる手法ですが、その場合は、全体のデザインをより魅力的に魅せるために適用されているのが通常です。

上流階級のハイクラスのピアス 【参考】成金嗜好の安物ピアス
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

安物の場合、単純にダイヤモンドを巨大に見せるためだけに使われます。こういうシンプルなデザインの場合、ダイヤモンドそのものの魅力が勝負どころとなります。そこにイリュージョン・セッティングで嵩上げしては興醒めです。実力以上によく見せたいという自己顕示欲、ひけらかしに伴わなぬ財力などが一目瞭然です。

一見大きく見えるのは間違いありませんが、バレたら超恥ずかしい代物なので、気品ある上流階級はまずそういうものは付けません。ご紹介のピアスはダイヤモンドそのものに十分な大きさがあります。

イリュージョン・セッティングの場合、白い金属の後光効果で大きくは見えますが、本物のダイヤモンドの輝きとは違います。透明感はありませんし、ファイアも出ません。実際のダイヤモンドはもっと小さいため、本当に大きさのあるダイヤモンドをセットした場合と比較して、輝きの魅力が乏しいのです。

まあ、どこまで追求するのかは美意識の高さ次第でしょう。とことんこだわるのか、そこまでの違いは必要ないということで安上がりなことを優先させるのかということです。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

オールドヨーロピアンカットとブリリアンカットの違いとして、ダイヤモンドの厚みが挙げられます。通常は正面からしか見ないため、厚みの重要性を知っている人は少ないです。厚みが違っても、正面から見て同じ大きさならば価値に違いがあるとは思わない方も多いはずです。

トルコフスキーが開発したアイデアルカットは底部から光が漏れず、全て反射して戻ってくるよう数学的に計算して設計されたものです。オールドヨーロピアンカットより薄いのはたまたまと言えるのですが、ダイヤモンド業界にとっては薄い方が1つの原石からルースがたくさん取れて歩留まりが良いということで大歓迎されました。

そのうち、このトルコフスキーのカットすら「現実的でない。」とされ、より"進化したカット"がプロモーションされるようになりました。

オールドヨーロピアンカットとトルコフスキーカットと現代のブリリアンカットの違い

現実的でないというのは、美しいどうこうの話ではありません。歩留まりが悪く、コスト面で良くないという、業界側にとっての都合です。1つの原石から余す事なくルースを取るには、もっと薄っぺらいカットの方が良いということで、ダイヤモンドはより薄くカットされることも多くなりました。

【参考】厚みのない扁平なカットのダイヤモンド・リング(現代)

特にクラウンが薄いです。

ただ、正面から見るとそれなりの大きさに見えます。

パッと見た時の大きさしか気にしない成金嗜好の人たちは、「こんなに大きいのにお安いわ!」と喜びます。

安いものには理由があるわけです。

薄いのでクラウンのファセットからの輝きは少ないですし、内部で複雑に反射を繰り返さないと出てこないファイアも、当然ながら殆ど見ることはできません。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

ダイナミックなシンチレーションや、美しいファイアが織りなすダイヤモンドの美しい輝きは、厚みのあるダイヤモンドにしか出せません。ダイヤモンドのポテンシャルを引き出すカットを施せば、それまでダイヤモンドに興味がなかった人でも心を奪われ、ダイヤモンドが好きになるほど強い魅力が出るのです!もちろん私もその1人です。

オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの虹色のファイアとシンチレーション オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの虹色のファイアとシンチレーション

「ちょっと本当に??!!」と思ってしまうほど、このピアスの上質なダイヤモンドは様々なファイアを魅せてくれます。まさに夢のように美しい虹色のファイアです♪

オールドヨーロピアンカットのファイヤー オールドヨーロピアンカットのファイヤー
オールドヨーロピアンカットのファイヤー

ダイヤモンドの鑑定では10倍ルーペを使います。

ここまで拡大して見ることは通常ありませんが、上質でインクリュージョンが少なく、光が拡散することなく幾度も内部反射できるからこそ、ここまで様々なファイアが出ます。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

このファイアがシンチレーションと合わさって魅せてくれる景色は、本当に夢のようです♪

2-2. 揺れる構造で魅力を増す3連ダイヤモンド

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

極上のダイヤモンドを贅沢に使ったこのシンプルなピアスは、3蓮で揺れる構造にデザインされているからこそ、ダイヤモンドそのものの魅力が増しています。

上流階級のためのハイクラスのピアスに於けるこのデザインは、アールデコだからこそとも言えます。

2-2-1. 新しいダンスが流行した時代

オーストリアの社交ダンス世界大会でチャチャチャを踊る競技者 "Cha-Cha-Cha Valente Cruz 9543" ©Ailura(17 November 2012, 15:32:00)/Adapted/CC BY-SA 3.0

『社交ダンス』と言うと、現代の日本では競技用ダンスをイメージされる方も多いでしょうか。

インターナショナル・スタイル競技ダンス10種類の中には、ラテンのリズムの激しいダンスもあります。

2-2-1-1. 19世紀の社交ダンス
オーストリアの宮廷舞踏会(ヴィルヘルム・ガウス 1900年)
中央の白髭に白服の男性がオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

ヨーロッパの上流階級が嗜んでいた社交ダンスと限定すれば、ロングドレスに身を纏った淑女たちが紳士にエスコートされる優雅なダンスを想像される方が一般的だと思います。その中でも最もメジャーと言えるのがウィンナ・ワルツでしょうか。

ファッションの流行と同様、ダンスや音楽にも流行り廃りがあります。19世紀は『ワルツの世紀』と呼ばれています。

19世紀初頭、ウィーンの音楽家ミヒャエル・パーマーがワルツに『トゥーシュ』と呼ばれる序奏とコーダ(結尾)を取り入れて、ワルツにウィーン独自の特徴を付けました。これがウィーンの才能ある音楽家たちによって発展し、ウィンナ・ワルツが確立されました。

『会議は踊る、されど進まず』ウィーン会議(1814-1815年)の風刺画

19世紀初頭、ヨーロッパ各国の要人がウィーンに集まって『ウィーン会議』が開催されました。「会議は踊る、されど進まず。」の、例の会議です。

ヨーロッパの王侯貴族にとって、社交は重要な外交の場でもありました。社交の席での根回しで全て決まっていて、会議の場は儀式的なものに過ぎないということもあるくらい重要です。

当然、ウィーン会議でも社交があり、この会議を通してヨーロッパ中の王侯貴族に流行の最先端のウィンナ・ワルツが広まりました。『会議は踊る』のダンスはウィンナ・ワルツのことで、実際に各国の代表者たちは踊っていたということですね。

『舞踏会』(シャルル・ヴィルダ 1907年) 死後に描かれたウィンナ・ワルツの大家
ヨーゼフ・ランナー(右上中央のヴァイオリン奏者)とヨハン・シュトラウス1世(ランナーの2つ左)

一時代を築いた名音楽家たちの引退や死により、19世紀の終わりにワルツの世紀は一区切りを迎えました。しかしながらウィンナ・ワルツの系譜上にあるウィンナ・オペレッタの世界で新たに複数の優れた作曲家たちが現れたことで、20世紀初頭にウィンナ・ワルツは『銀の時代』と呼ばれる第二の黄金時代を迎えました。

アメリカなどの新興成金の台頭がありつつも、ヨーロッパの王侯貴族がまだ力を保持していた、エレガントなエドワーディアンの時代です。舞踏会のドレスも、ふんだんに生地を使った上品で華やかなデザインです。

ウィンナ・ワルツの時代のハイクラスのピアス
19世紀中期の2wayの揺れるローズカット・ダイヤモンド・ピアスダイヤモンド ピアス
イギリス 1880年頃
SOLD
ヴィクトリアンの個性的なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドのゴールド・ピアスエドワーディアン ダイヤモンド ピアス
オーストリア 1910年頃
SOLD

エレガントなドレスに身を包み、エレガントなダンスを上品に踊るには、やはりこういうデザインのピアスがフィットします。

これらは日常用と言うよりも、上流階級が華やかな社交の席で着用していたものでしょう。複雑に揺れる構造に、凝ったデザインです。存在感がありながらも悪目立ちしない気品、オシャレさと上質さが、いかにもヨーロッパの上流階級らしい"エレガント"を醸し出しています。

2-2-1-2. 20世紀の新しいダンス

第一次世界大戦と第二次世界大戦を経て、それまで世界を主導してきたヨーロッパの王侯貴族は力を失い、戦後は大衆の時代となります。ただ、19世紀後半は『金ぴか時代』を迎えたアメリカが台頭し始めており、20世紀前半はヨーロッパの王侯貴族から新興成金や大衆にパワーが移行していく『過渡期』と言えます。

19世紀末には北米で、様々な庶民文化が次々に生まれました。音楽やダンスなどもその1つです。生まれても消えてしまうものが殆どですが、大きく発展していくものもありました。

閣僚たちと話し合って奴隷解放宣言(1862年)の草稿を作成するリンカーン大統領

19世紀末から20世紀前半にアメリカで庶民文化が花開いた理由の1つとなったのが、1862年に第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが南北戦争中に出した奴隷解放宣言です。

連邦軍が戦っていた、南部連合の支配地域の奴隷を解放するよう命じたものです。この宣言ですぐに解放された奴隷は少なかったものの、宣言をきっかけとしてアメリカにおける奴隷解放運動が盛んになっていきました。

ラグタイム王スコット・ジョプリン(1867or 1868〜1917年)1903年頃、35歳頃

19世紀後半頃から、アフロ・アメリカン(主に黒人)の音楽家たちが新しい音楽を生み出すようになっていきました。

黒人元奴隷農夫だった父と母の間に生まれた、スコット・ジョプリンもその1人です。幼い頃から音楽の才能を発揮しました。この時代は黒人に教育の機会は与えられず、就ける仕事も限られていました。何か自分の身を助ける特技があればと、両親は息子の才能を伸ばすために、生活費を削ってピアノを買い与えたのです。

ジョプリンは『ラグタイム王』と呼ばれるまでに、ラグタイムの演奏家・作曲家として活躍しました。

この新しく生み出された『ラグタイム』という音楽はジャズの前身で、従来のクラシック音楽のリズムとは異なる「遅い・ずれた」リズムと見做されました。

ただ、それが良いのかダメなのかは、リズムが異なることとは関係ありません。心地よいと思う人が多ければ受け入れられ、1つのジャンルとして確立されていくものです。19世紀末から20世紀初頭にかけて、黒人音楽に強い影響を受けているラグタイムはアメリカを中心として流行しました。

そして、ラグタイムのリズムに合わせてダンスが踊られるようになり、その中の1つとして『フォックストロット』が生まれました。1913年にハリー・フォックスが発表し、現代ではアメリカン社交ダンスの1種目にもなっているほどメジャーなダンスです。

当時のフォックストロットは、現代のクイックステップやジルバに近い、スピーディーでアクションの激しいダンスでした。

カッスル・ウォークを考案したカッスル夫妻(1912年頃)

1912年、カッスル夫妻が『カッスル・ウォーク』を発表して注目を集めました。

イギリス人の夫ヴァーノン、アメリカ人の妻アイリーンの夫婦でチームを組む社交ダンサー&ダンス教師で、ブロードウェイや無声映画などで活躍していました。

カッスル夫妻はそれまでの小走りのダンスに日常的な歩行の動きをプラスし、歩行中心のスタイルを考案したのです。また、従来のスタイルは爪先だけで踊るものでしたが、カカトから歩く新しいスタイルを追加させることで優雅さが増しました。

カッスル・ウォークはワルツも含めた、当時の多くのダンスに影響を与えました。その中でも特に恩恵を受けたと言われているのがフォックストロットです。フォックストロットが一時の流行の若者の激しいダンスで終わらなかったのは、この進化のお陰とも言われています。

進化したフォックストロットがアメリカで流行し、さらに同時期に流行していたチャールストンとも組み合わさることで、ヨーロッパでも流行したのです。

チャールストンを踊る"黒いヴィーナス" ジョセフィン・ベイカー(1906〜1975年)1926年、20歳頃

このチャールストンも黒人文化の中で生まれたエスニックカルチャーの1つで、1923年に黒人だけのレヴュー(大衆娯楽演芸)で発表されたのが最初とされています。

リズムに合わせて両膝を付けたまま、足を交互に跳ね上げるのが特徴です。

チャールストンのダンスやジャズシンガーとして一躍スターとなったのが、ジョセフィン・ベイカーです。

"黒いヴィーナス"と賞賛されたベイカーは、アメリカでユダヤ系スペイン人のドラマーの父と、アフリカ系アメリカ人の洗濯婦の母の間に私生児として生まれました。

ジョセフィン・ベイカー(1906〜1975年)1940年、34歳頃

純粋な黒人とも違う、エキゾチックな顔立ちが魅力的ですね。

そうは言っても時代が時代だっただけに、人種差別などで相当苦労したようです。

13歳の時に、母によってかなり年配の黒人男性と結婚させられたりもしました。

この結婚は数週間しか続かず家出し、16歳の時にフィラデルフィアの劇場でデビューしました。

その後すぐにニューヨークに行って活躍した後、1925年にパリでデビューすることになりました。

ジョセフィン・ベイカー(1906〜1975年)1927年、21歳頃

タコの衣装かと思いましたが、バナナだそうです。

パリのシャンゼリゼ劇場に出演していた『レヴュー・ネグロ(黒人レヴュー)』に加わったベイカーは、魅力的なチャールストンを披露しました。

初めてチャールストンを目の当たりにしたパリの観客たちは、たちまち虜になりました。

ダンス・ジャーナリストのアンドレ・ルヴァンソンは「ジョセフィンは不恰好な黒人ダンサーだと思ったら大間違いで、彼女こそ詩人ボードレールが夢に見た褐色の女神!」と熱狂的な賛辞を贈りました。

小説家・詩人アーネスト・ヘミングウェイも「これまで見たことのある最もセンセーショナルな女性!」と讃えています。

チーターから花束をプレゼントされるジョセフィン・ベイカー(ルイ・ゴーディン 1930年)

ベルギーやドイツでも公演し、ベイカーは世界的にも有名なスターとなりました。

ハーレム・ルネサンスの指導者ラングストン・ヒューズ、画家パブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイなど同時代の芸術家たちにとっては美の女神、大衆にとってはセックス・シンボルとして熱狂を集めました。

時代が時代だっただけに、人々の想像を超えるエロティックな衣装と踊りのために、ウィーンやプラハ、ブダペスト、ミュンヘンの劇場では出演を禁止されてもいます。

それほどセンセーショナルな存在でしたし、伝統と格式を重んじる人々にとっては受け入れ難い存在でもありました。

チャールストンは1920年代のジャズ・エイジ(狂騒の20年代)に大流行し、1930年代と1940年代にはその進化形、スイングジャズに合わせて踊るスイングが引き続き流行しました。

20世紀に入ると、文化は王侯貴族発ではなく大衆発へと移り変わっていったのです。

2-2-2. 新しい文化に順応した一部の上流階級

オーストリア皇帝&ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916年)狩猟姿

『国父』とも呼ばれて国民から絶大な敬愛を得ていたオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、王権神授説を信じる絶対的な君主であり、自らも『旧時代の最後の君主』と認める古いタイプの君主でした。

"新しいもの"。いわゆる『文明の利器』である"機械"にはアレルギーを示し、自動車と電話は決して用いようとしなかったそうです。

馬を愛用し、やりとりは手紙などでということですね。

イギリスのBright young things
と呼ばれた王侯貴族

そのような伝統的な王侯貴族がいる一方で、新しい時代と文化に順応し、楽しんだ王侯貴族たちも存在しました。

イギリスのそのような王侯貴族やソーシャライトたちはBright young things、あるいはBright young peopleと呼ばれ、タブロイド誌などを賑わせていました。

同時代の日本でも同じようなことはありましたよね。上流階級の世界は狭く、世界中で繋がっているものです。そういう時代ということだったのでしょう。

ポートランドの壺でも有名な名門貴族家、ポートランド公爵夫人アイビー・キャベンディッシュ-ベンティンクも"眩い若者たち"の1人でした。

ポートランド公爵夫人アイビー・キャベンディッシュ-ベンティンク(1887〜1982年)
イギリスのBright young thingsと呼ばれた王侯貴族
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(1900〜2002年)1925年、25歳頃 カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1890-1956年)1925年、35歳頃

中には王族もいました。"眩い若者たち"は1920年代のロンドンで、社会の規範にとらわれず自由を楽しむ若い王侯貴族や名士たちで、後にイギリス国王ジョージ6世の妻となり、エリザベス女王の母となるストラスモア・アンド・キングホーン伯爵家のレディ・エリザベスもその1人です。

右のカリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテンもそうです。伯爵家出身で、夫はヴィクトリア女王の孫であるヘッセンのバッテンベルク家のアレクサンダー王子という王族です。

イギリスのBright young thingsと呼ばれた上流階級・名士
デイム バーバラ・カートランド(1901-2000年)1925年頃、24歳頃 右:第4代ヴィヴィアン男爵の長女ダフネ・フィールディング(1904〜1997年)1927年、23歳頃

上流階級や名士である"眩い若者たち"が、プロ・ダンサーなどのように際どい格好で社交の席に出て踊るようなことはさすがになかったはずです。でも、伝統や格式を重んじる人が眉をひそめるような、旧来とは全く異なる新時代のスタイルを率先して取り入れ、楽しみました。

眩い派手なドレス、大量の飲酒あるいはドラッグ、夜通しのパーティや宝探しなどのイベント。今でこそそのようなパーリーピーポー(笑)の話を聞いても驚きはしませんが、当時は度肝を抜くような話だったでしょうね。

一部の人たちが眉をひそめようとも、ド派手で目立つ新世代のファッションは注目を集め、新聞や雑誌で特集されたり、『The Book of Beauty (1933年)』などのスタイル・ブックなども出版されました。

ヨーク公時代のジョージ5世とエリザベス妃(オーストラリア訪問 1927年)

ちなみに"眩い若者たち"の1人であるエリザベス妃(クイーン・マザー)も、相当お酒を飲む人でした。知り合いのイギリス人男性も1人でワインを2本開けたりするそうで、日本人では想像できないくらい飲まないとイギリスでは酒豪とは言わない気もしますが、エリザベス妃もなかなかです。

ガーディアン誌の記事では、「エリザベス妃は正午にジンとデュボネ、ランチタイムに赤ワイン、午後6時にポートワインとマティーニ、ディナータイムにシャンパン2杯を飲んでおり、控えめに見積もっても純粋なアルコール換算で週に7リットルの量を飲んでいる計算になる。」と書かれています。

回数や量もですが、ジンを飲むことが記載されていることに少し驚きました。

ジンは現代でも、イギリスでは"労働者の酒"というイメージを持たれています。アルコール度数が高く、少ない量で酔っ払うことができて、トータル的には安上がりだからという理由です。

赤い象がデザインされたエキゾチックなロンドン・ドライ・ジンヒースロー空港で購入したロンドン・ドライ・ジン、
フォト日記『ヒースロー空港でも飲んべえ』より

ただ、それ以外にジンには特別な魅力があります。

爽やかなジュニパーベリーの香り。メーカーごとに調合される、香辛料のスパイシーな風味。

単に酔っぱらえると言うのではなく、この風味の魅力で虜になる人も少なくありません。

エリザベス妃と同時代を生き、酒豪で有名だった元イギリス首相ウィンストン・チャーチルもその1人でした。

でも、エリザベス妃より26歳年上、ヴィクトリアン生まれの超名門貴族家の出身だけあって、堂々とそのままのジンを飲むことはなかったようです。

子供時代のエリザベス妃(1900〜2002年)1909年、9歳頃

王侯貴族の中でも、新しい時代を作っていく役割と持つ王族は別格です。

王族だけが、人目を気にせず古い慣習を破り、新しいスタイルを提案していくことが堂々と許されます。伝統を守るのも大切ですが、破壊と創造も並行してやらなければ、決して進化は起こりません。

まさに「私がルールよ!」と言える存在です。

上流階級の身分にありながら、労働者の安酒であるジンを飲むことを新聞に書かれても平気なのは、持ち前のキャラクターと共に、王族の身分があってのこととも言えるでしょう。

ちなみにエリザベス妃はネブカドネザル・サイズのシャンパンが贈られた際、次の休日に家族が誰もいなくても「全部自分で飲む。」と言ったそうです。

シャンパンのボトルサイズは色々あるのですが、ネブカドネザルは通常サイズの20本分、15リットルの容量があります。まさに"眩い若者たち"と称されるに相応しい人物ですね(笑)

大食い、大酒飲み、夜ふかし。ちょっと変わった生活をすると、「健康に良くない。」と助言する人もいますが、どういう生活が合っているのかは本当に人それぞれです。全人類に共通して適応できる『理想の数値』なんて、そもそも存在し得ません。そういう数値に、妥当性のある根拠なんてありません。

確かに大酒飲みし過ぎて酷いことになったどこかのイギリス国王も存在しましたが、エリザベス妃は101歳という長寿を全うしています。崩御する数ヶ月前まで公務もこなし続けたということで、100歳を超えても仕事していたわけですね。凄いです。

2-2-3. 心に響くアールデコのハイジュエリー

狂騒の20年代、『ジャズ・エイジ』とも言われるアールデコの1920年代、1930年代は現代で言うパリピ(パーリーピーポー、party people)的なチャラい人がワイワイ騒いでいたイメージがありますが、現代の軽さしかないパリピとは全く異なります。

ヨーロッパが主な戦場となった1914年から1918年にかけての第一次世界大戦では、本当に多くの人が亡くなりました。負傷した人も多数いました。運良く生き残ることができても、大切な人を何人も失っていたり、思い出の場所が見るも無惨な姿になってしまったような人ばかりです。

大勢が甚大な被害を被る中、貴族階級が特権で守られているかと言うと、イギリスの場合はそうではありません。

イギリス王チャールズ1世(1600-1649年)の肖像画

上流階級の肖像画は、プロモーション・ツールの1つです。イギリス王チャールズ1世は騎乗した甲冑姿で、勇気と強さなどの男らしさをPRしています。

イギリスでは伝統的に、貴族の男性は男らしくあることが良しとされてきました。ノブレスオブリージュ(持つ者の責任)の精神が息づいていることもあり、戦争が起これば指揮官として最も危険な最前線に立つことも厭いません。勇気ある死も栄誉なことです。

このため、第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、かなりの数の貴族が命を落としました。戦死者の比率は、庶民より貴族の方が遙かに高かったほどだそうです。当主のみならず、跡継ぎの若い息子たちまで亡くなってしまう家も少なくなく、継承のために特例措置を取らざるを得ない事態にも陥っています。

日本も戦後は長年続いてきた貴族が失われてしまいましたが、イギリスも戦前と戦後で貴族の質が大きく変わっており、制度改正などもあって、戦前とは全く異なるのです。この辺りの詳しいお話はまた別の機会にしましょう。

エリザベス妃が幼少期に過ごしたストラスモア伯爵家のグラームス城
"GlamisWide" ©Baryonic Being(2005)/Adapted/CC BY-SA 1.0

イギリス人にとって「あの戦争」と言えば、第一次世界大戦です。エリザベス妃は14歳の時で、兄4人が陸軍に従軍しています。

兄ファーガスは1915年に戦死し、埋葬場所の記録が失われてしまったため合葬されました。別の兄マイケルは1917年に戦闘中、行方不明となりました。その後、負傷して捕虜となっていることが分かり、戦争終結後に再び会うことができました。

エリザベス妃が幼少期を過ごしたストラスモア伯爵家のスコットランドの居城グラームス城は接収され、戦時負傷者の療養所として使用されました。10代だったエリザベス妃自身も負傷者の看護を手伝っています。1916年に城が大火に遭った際は所蔵品を救い出すために目覚ましい働きも見せたそうです。エリザベス妃が看護した兵士の中には、エリザベス妃をはじめグラームス城での待遇に対する感謝をメモに残す兵士もいました。

チャリティー・セールでのレディ・エリザベス(1900〜2002年)1915年、15歳頃

10代の多感な時期に、エリザベス妃はそういう経験をしたのです。

26歳の若さで亡くなってしまった兄。

戻ってきて再会を喜び合えた兄たち。

痛みに苦しむ若い負傷兵。無事に回復して喜び合える人もいれば、頑張りも届かず命を落とす人も。命はあっても、それからの人生を重大な障害を抱えて生きていく人も・・。

"眩い若者たち"は、そういう過酷な状況を経験した人たちでした。

1920年代後期のアールデコ・ファッション
王族 庶民
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1927年、27歳頃) 最先端のアールデコ・ファッションに身を包む庶民の女性たち

ただ軽佻浮薄に人生を楽しんでいるたのではなく、過酷な経験を通して命の儚さと尊さを身に沁みて理解し、大切に生きようとした結果なのです。

それは上流階級も庶民も同じです。それぞれに限りある人生を謳歌すべく、明るく楽しく生きました。それが狂騒の20年代へとつながっていったのです。

それでも幼少期から身分相応のスパルタ教育を徹底される王侯貴族は、オシャレや遊び方もやっぱり庶民とは違います。似たような格好でも、醸し出される気品や知性、高級感は明らかです。

アールデコのハイジュエリー
勝利のトロフィー サンライズ
初期アールデコのガーランドスタイルのトロフィー・ダイヤモンド・ネックレス『勝利の女神』
ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス
イギリス or フランス 1920年頃
¥6,500,000-(税込10%)
アール・デコの1ctオーバーのダイヤモンドを使ったサンバースト・ブローチサンバースト ダイヤモンド ブローチ
イギリス  1920年頃
SOLD

第一次世界大戦を経験した後のアールデコの時代は、高級品にも"中身のない成金ジュエリー"の割合が多くなります。私たちは上流階級のために作られたハイジュエリーだけをお取り扱いしていますが、アールデコ初期の宝物には生きていることへの感謝であったり、新しい時代への期待を感じるような、パワフルなエネルギーと知性を感じられるものがいくつかあります。

それは、ヨーロッパの上流階級が第一次世界大戦で経験した、過酷な経験が反映されていると言えるのです。芯の強さ、凛とした美しさを感じる宝物です。辛い経験はなるべくしたくないものですが、人を成長させ、より良く生きていくきっかけともなるのです。残された者がそれをしないならば、亡くなった方は無駄死に同然です。その方が悲しいです。

ジョセフィン・ベイカー(1906〜1975年)1927年、21歳頃 カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1890-1956年)1930年頃、40歳頃

アールデコの華やかな人物として一般的には目にするには、衆目を集めた女優や歌手、ダンサーなどの大衆のスターであったり、自己顕示欲の高い成金が殆どです。

イギリスは現代でもそうですが、貴族は目立ちたがりません。今ですら明確に階級差があります。住む世界が違っており、社交の場に出席する彼らの出立ちを庶民が見る機会はほぼありません。ただ、上流階級らしいドレスを纏い、相応しいジュエリーを身につけていたことは間違いありません。

明確な階級差がある分、ジュエリーにも庶民のものとは明らかに違いがあります。

2-2-4. 新しいダンスに最適な高級ピアス

大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー

3粒の大きなダイヤモンドをシンプルに連結したこのピアスは、まさにアールデコの激しいダンスにピッタリです♪

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

デザイン性が高いとプラチナの分量が多くなりがちですが、そうすると重くなって激しいダンスには向きません。

しかしながら、この潔いデザインは大きさがあって存在感が出せるダイヤモンドでないと成立しません。

2粒ずつだと揺れは単調です。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

3粒を連結することで複雑な揺れが実現し、上質なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの輝きの魅力が限界まで惹き出されるのです。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダンス・パートナーの目には魅惑の輝きが飛び込んできたでしょうし、ダンスを見守る人々にも、遠くからでも存在感のあるその圧倒的な輝きが羨望の的となったことでしょう。

3. アンティークならではの上質な作り

3-1. 磨き上げられた美しい爪

大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー

ジュエリーは宝石を留める爪を見ただけでも、良いものか否かが分かるものです。

その宝石に価値があるかどうかも一目瞭然です。

宝石のセッティングは他にも覆輪留めなどいくつかありますが、ここでは爪留の場合でお話します。

注目ポイントは爪の数と、爪そのものの質です。

3-1-1. 爪の数

現代の宝飾市場はイミテーションが幅を利かせ、そうでなくとも合成石や処理石で溢れかえるようになりました。

稀少性の無い、無価値同然のものを高く大量に売り捌いて楽して儲けたかった業界は、権威の力を駆使したり様々な理由を付けたりしてそれらを正当化し、『宝石』であるとしてきました。それまで『宝石』を知らなかった一般庶民はそれを信じ、今や『宝石』とは何なのかよく分からない状況になってしまいました。

最初は「宝石がこんなにお安く買えるなんて!!」と喜んで庶民が買い漁り、目論見通り業界は楽してボロ儲けできました。高度経済成長期からバブル期にかけてのことです。

売れれば売れるほど、業界は『売れ筋』として増産を重ねます。その結果、最初は特別感があったジュエリーも、『周りの人たちも皆持っている有触れた物』へと変わっていきました。それでは大金を出して買う意味がありません。

反省して良いモノづくりをすることへ原点回帰すれば良かったのですが、一度楽してボロ儲けする蜜の味を知ってしまった業界は、そうはなりませんでした。コストカットしてその分だけ安くし、割安感で買ってもらう戦略に出たのです。

「お安いわ!」と飛びついた庶民によって、一瞬だけまた楽してボロ儲けができました。しかしながら案の定すぐに陳腐化しました。コストカットは材料費や人件費に手を付けます。宝石や貴金属の質、デザインや作りにその影響が出ます。コストカットの繰り返しによって、殆どの人が興味を持てないほどにジュエリーの質は低下しました。コロナ以前から宝飾業界が「売れない。」と嘆いていますが、目先のボロ儲けだけに目が行き、自分で自分の首を絞めた結果に過ぎません。

稀少価値がないものが『宝石』として常識になってしまった結果、本物の『宝石』がどういう存在なのか分からなくなってしまいました。

本来、宝石は稀少性が高く、それ故に高い価値を持ち、財産性すらもあったのです。稀少性があるからこそ、お金を持っているからと言って、欲しいと思ったのものが簡単に手に入るわけでもないのです。誰かが美しい宝石を持っており、同じものを欲しいと思っても、どこかの店で同じもの買えるわけではありません。譲って欲しいと大金を出しても、嫌だと言われればそれまでです。

紛失したらもう二度と同じものは手に入りません。ぜ〜ったいに落としてはいけません!!

ダイヤモンドの石留
アンティークの高級品 現代の高級品
エドワーディアンの揺れるタイプの上品なダイヤモンド・ピアス『ALL WHITE』
イギリス 1910年頃
SOLD
デビアス £56,000-(約813万6千円)2021.2.14現在
【引用】DE BEERS / ©DE BEERS

そういうわけで、稀少価値の高い本物の宝石を使ったアンティークのハイジュエリーの場合、宝石はぜ〜ったいに落とさないように作ってあります。

ジュエリーの職人さん曰く、最低3点で留まっていれば大丈夫だそうです。爪が増えるほどに手間や技術が増し、それがコストとして価格にも反映されます。それでも稀少価値ある本物の宝石を使ったアンティークのハイジュエリーの場合、落とすリスクの方が重視されますから、爪を8つも使って留めることは当たり前にあります。

小さな石でも、よほど質が良ければ稀少価値が高くなりますから、絶対に落ちないようにセッティングされます。『ALL WHITE』のように、揺れる構造のジュエリーならばなおさらです。ちなみに右のピアスは一見揺れる構造に見えますが、実際はただの棒になっているため揺れません。写真で見る分には普通に見えますが、動画を見てただの棒だったことに驚きました。動画を掲載していることにもっと驚きましたが・・。揺れないのに意味がない(笑)モデルさんの顔が左から右に流れていくだけの動画でした。

稀少価値が極めて高い唯一無二の宝石の石留
約2ctの上質なダイヤモンド 上質で大きなエメラルド
約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ブローチ アンティーク・ジュエリー『財宝の守り神』
約2ctのダイヤモンド ブローチ
フランス 1870年頃
SOLD
大きなコロンビア産エメラルドのアンティーク・リング推定5ctのコロンビア産エメラルド リング
イギリス? 1880〜1900年頃
SOLD

大きな宝石になれば、10点の爪で留めることすらあります。

ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料

南アフリカのダイヤモンドラッシュ以降、ダイヤモンドの稀少性は年々低下していきました。腐るものではありませんから、市場に投入される分だけ全体量は増えます。

【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代)

1940年代頃には、高級とされるブランドのダイヤモンド・ジュエリーですら4点留めになっています。

例外を除き、私たちがお取り扱いするジュエリーは戦前の1930年代までです。

大粒のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの3連ピアス アンティーク・ジュエリー

手間や技術を惜しまず、職人によって丁寧に留められた宝石。

たくさんの爪は、その宝石の稀少価値の証もであるのです。

3-1-2. 爪そのものの質

3-1-2-1. 目立たぬ爪
【参考】現代ジュエリー

私もそうですが、HERTAGEのお客様は現代ジュエリーの目立つ爪を嫌う方が多いです。これらもなかなか酷いですが、中には「爪のジュエリー?」と思うくらい、ダイヤモンドより爪の方が目立っているものも存在します。

ハイジュエリーの宝石の石留
アンティーク 現代
ダブルハート リング(エンゲージメント・リング) アンティーク・ジュエリー『愛の誓い』
ダブルハート リング
イギリス 1870年頃
SOLD
【参考】ティファニー ルビーリング
¥1,320,000-(2021.12.15現在)
【引用】TIFFANY & CO / ティファニーソレスト サファイヤダイヤモンドリング ©T&CO

アンティークのハイジュエリーは爪の数が多いですが、それには宝石が安全ということ以外にもメリットがあります。1つ1つの爪を小さく目立たなくすることが可能で、宝石そのものの美しさを楽しめるのです。

コストカットのために少ない数の爪で留めようとすると、安全性を確保するためには1つ1つの爪をゴツくせざるを得ません。その結果、どうしても現代ジュエリーは爪が目立つのです。

気にしない人が大半で、だからこそ現代ジュエリー市場が成立しています。しかしながら古の王侯貴族並に鋭い感性や美意識を持つごく一部の人たちは、どうしてもこの爪が気になってしまいます。

アクセサリー ジュエリー
スワロフスキー・クリスタル×ロジウムメッキ・シルバー(¥14,960-)
【引用】SWAROVSKI / Atrract Trilogy Round Pierced Earring ©Swarovski
【参考】ダイヤモンド×14Kホワイトゴールド(約140万円) 【参考】ダイヤモンド×14Kホワイトゴールド(価格不明)

本来、アクセサリー・クラスにしかやらないような作りやデザインで作ってしまうのが現代ジュエリーです。

高級感を感じない、アクセサリーとの違いが分からないという方は、きちんと感覚を持っていらっしゃるのだと思います。この安っぽいジュエリーを高級に感じるのであれば、それは『裸の王様』と同じことが起きているのでしょう。

アンティーク 【参考】現代
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

アンティークの高級品は爪の存在感を最小限に抑えられているからこそ、宝石そのものの美しさに心から没頭できます。

アンティーク 【参考】現代
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

美しいものには高度な技術、手間と時間がかかります。お金を惜しみ、手間と時間をかけなくなった現代では、職人が技術を磨くことはできません。

定番デザインなので、現代でも3蓮の大粒ダイヤモンド・ピアス自体は存在します。しかしながらダイヤモンドそのものの美しさ、そしてその美しさを存分に楽しめる作りということで見れば、似て非なるものであることは明らかです。あくまでもごく一部の人たちにとってですが、それこそがアンティークジュエリーにしかない、人を強く惹きつける魅力なのです。

3-1-2-2. 磨いて仕上げた美しい爪
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

よく他の宝物のカタログでも、「磨いて仕上げた美しい爪」とご紹介しています。

爪なんてピカピカで形も整っていて当たり前と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかしながら、そうではありません。

【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期のボンブリング

ハンドメイドのアンティークジュエリーでも、安物の爪は汚いです。

【参考】ヘリテイジでは扱わないレベルのアールデコ後期の14Kボンブリング

ハイジュエリーを作る高度な技術を持つ職人は、どの時代もごく僅かしかいません。低い技術の職人が、宝石が落ちないようにセッティングしようとした場合、現代ジュエリー並に目立つ爪で留めざるを得ません。

そういう安物は技術的に低いだけでなく、手間もかけられないため、磨いて仕上げる作業もあまいです。だからハイジュエリーの爪のように輝くことはありません。

現代ジュエリー
合成エメラルド・ リング(京セラ 現代) 
【引用】odolly / エメラルドリング(オーバル/2.29/メレダイヤ4石/ツイスト/K18ホワイトゴールド/5月誕生石) ©京セラジュエリー通販ショップodolly-オードリー
エメラルド・リング(ティファニー 現代)¥1,617,000-(2020.5現在)合成や処理については記載なし 【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Soleste Ring ©T&CO

鋳造で作る現代ジュエリーの場合、爪も鋳造なので、磨いて仕上げなくても表面は滑らかです。その分、型離れが良いよう、爪もある程度の大きさが必要です。

【参考】ダイヤモンド・ピアス(現代)$25,900-(約272万円)2021.2.13現在

こういう爪に見慣れているとピカピカの爪が当たり前に感じるかもしれませんが、鍛造で作るアンティークジュエリーの場合は手間と技術をかけて仕上げ仕上げられた高級品かどうかが如実に現れる部分でもあるのです。

【参考】安物のダイヤモンド・ピアス(1950年代)

ヴィンテージのこのピアスの爪は、面取りされておらずカチカチした印象です。

仕上げに手間がかけられていません。

【参考】安物のダイヤモンド・ピアス

これも仕上げに手間がかけられておらず、爪の先端が切りっぱなしのように尖っています。

【参考】安物のダイヤモンド・ピアス(ヴィンテージ)

これもカチカチした印象です。

丹念に磨いて仕上げるという作業が施されていなければ、たとえプラチナやホワイトゴールドなどの白い金属であっても、ダイヤモンドに劣らぬ硬質な輝きを放つことはないのです。

オールドヨーロピアンカットのファイヤー
丹念に鑢(ヤスリ)で磨いて仕上げられたプラチナの爪は、ダイヤモンドの輝きと同じくらい強い輝きを放ちます。
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

同調した輝きを放つからこそ、余計に爪自体の存在感は小さくなり、ダイヤモンドそのものの美しい輝きに見る者の意識が集中されます。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

極限まで小さくして存在感を無くし、さらに磨き上げることでダイヤモンドの輝きと同調させる。

アンティークのハイジュエリーの美しさには、きちんと理由があるのです。

3-2. プラチナの重さを感じる堅牢な作り

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

シンプルなデザインなので、プラチナのフレームを複雑に造形したピアスよりは軽い付け心地ですが、このタイプのピアスとしては贅沢にプラチナが使ってあります。

純度100%で比較した場合、プラチナは重たい金属とされるゴールドより重いです。シルバーの約2倍、ステンレスと比べると倍以上、軽い金属で知られるアルミニウムと比較すると8倍ほども重いです。このため見た目より重く、心地よい重さを感じます。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

稀少価値の高い大事なダイヤモンドを守るため、台座も爪もお金に糸目を付けることなく、当時の最高級金属だったプラチナをたっぷりと使用しています。

現代ジュエリーは鋳造で作ります。現代に於いてトップクラスとされる職人が制作する1億円以上のジュエリーであっても、ワックスの型を使った鋳造で制作されます。

アンティークのハイジュエリーは、鍛造の作りが一般的です。叩いて金属を鍛える鍛造は鋳造より強く、2倍以上の強度が出せたりもします。同じ強度を出そうと思った場合、鍛造は鋳造の半分の厚みで済むということです。現代ジュエリーにボテッとしたデザインしかない理由でもあります。でも、成金嗜好の人は「プラチナや金がたっぷり使ってあって高級!!」と喜ぶようです(笑)

鍛造をやらない理由はかなりコストがかかるからです。職人の技術や手間が桁違いにかかり、高価なので現代ジュエリーではやりません。

オールドヨーロピアンカットのファイヤー
オールドヨーロピアンカットのファイヤー

鍛造の金属は変形しにくくなるだけでなく、摩耗にも強いです。

アールデコの華やかな社交界を楽しんだ持ち主は、きっとチャールストンなどの時代の最先端のダンスを楽しんだでしょう。激しいリズムを想定して作られたこのピアスは、金具などに摩耗も見られることなくベスト・コンディションを保っています。

90年ほど経過してもこの美しさを保つことができるのは潤沢にお金をかけ、当時の一流の職人が真心を込めてハンドメイドしたからこそです。

3-3. 溝を彫った美意識の行き届いた台座

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

美意識が隅々まで行き届いたピアスであるが故に、ピッカピカに磨き上げられて全体が光り輝いています。そのため、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、下の2つのダイヤモンドの台座は溝が彫ってあります。

約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド ブローチ アンティーク・ジュエリー『財宝の守り神』
ダイヤモンド ブローチ
フランス 1870年頃
SOLD

アンティークのハイジュエリーで見ることのできる、ダイヤモンドの定番のフレーム・デザインです。

鋳造で作る現代ジュエリーの場合、500万円を超えるような商品であってもこの程度の作りです。

職人の技術や手間をかけた痕跡はまるで感じられず、単に石の価値でしかありません。

こんなものをジュエリーと呼ぶのは、私たちには違和感しかありません。

【参考】現代の2カラット・ダイヤモンドペンダント ¥5,400,000-(税込8%)
オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの虹色のファイアとシンチレーション

このダイヤモンドの台座の溝は、非常にシャープに整えられています。

彫金した後、丹念に鑢で磨いて仕上げられています。

このシャープさは、高度な技術を持つ職人の手作業でしか出せないものです。

型で作る鋳造では、型離れなどの問題があり、ここまでシャープには作れないのです。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

正面からは見えない細工です。

しかし、実際にピアスとして着用した際は周りの人たちにあらゆる角度が視界に入ります。

チラリと見えた台座には、シャープに光り輝く溝が見えます。

一瞬なので溝とは認識しない人が殆どかもしれません。

でも、こういう美意識の行き届いた細かな気遣いにこそ、他を寄せ付けない高級感を感じるものです。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

瑞々しい透明感と、一瞬ごとに華やかな輝きを魅せる、上質なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド。

そのダイヤモンドを最高に美しく魅せるために、極限まで手を込めたアールデコ最高の作り。

一見すると同じようなデザインでも、石の価値だけで売ろうとする現代ジュエリーとは、人を惹きつける魅力がまるで違います。こんなにシンプルなデザインで、ここまで美しくなれるのかと驚くばかりです。

静止した画像だと全てを感じていただくことは難しいのですが、煌めきと透明感が特徴であるダイヤモンドだからこそなのだろうと思います。

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

強い煌めきを放つオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドだからこそ、遠目にも人々からの注目を集めたことでしょう。

これほどまでに美意識の行き届いた、上流階級ならではの高級感あふれる高価な宝物。どんな眩い女性が使っていたのでしょうね。

裏側

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー
ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー
裏側も堅牢でシャープな作りです。

着用イメージ

ダイヤモンド 3連ピアス アンティーク・ジュエリー

ダイヤモンドに存在感があり、ジュエリーはピアスだけというコーディネートが十分に通用する宝物です!♪

デザインがシンプルなので、他のアイテムと合わせやすいのも良いですね。
個性的なペンダントやブローチなどと組み合わせれば、正装が必要な場所でも、とてもゴージャスな装いが完成すると思います。

アールデコのシンプルなハイクラスのダイヤモンド・ピアスは、市場には滅多に出てこない理由も納得というものです。

使い勝手の良い、とってもオススメの上質で美しいピアスです♪