No.00276 ミラーボール |
まるでミラーボールのような、心ときめくダイヤモンドの魅惑の煌めき・・。 |
トライアングルのファセットだけで構成されるダッチローズカット・ダイヤモンドの輝きは、まるで無限世界を見ているかのようでもあります・・。 すっかり魅了されてこのダイヤモンドの虜になってしまったGenが、イメージビジュアルを2つも作ってしまいました!! |
『ミラーボール』 |
クラスター部分の直径が1,1cmで全体の長さが1,8cmと、日本人には使いやすい大きさのダッチローズカット・ダイヤモンドのピアスです。 近代においては、ダイヤモンドの稀少価値が最も高くなったと考えられる時代に作られた最高級品です。それだけに、ダイヤモンドのカットもピアスの作りも非常に優れており、南アフリカのダイヤモンド・ラッシュが起きてカットが近代化される以前ならではの抜群の魅力を放ちます。 丁寧な磨きによってダイヤモンド表面が鏡面のように仕上げられており、揺れるタイプのピアスだからこそ、存分にシンチレーションもファイヤーも楽しむことができます。 オリジナルの革ケースから取り出す瞬間から心ときめく、古の王侯貴族のために作られた最高級の宝物です♪ |
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この宝物のポイント
1. ダイヤモンドが超貴重だった最後の時代の贅沢なピアス 2. 見事なダッチローズカット・ダイヤモンド 3. ゴールドだけの素晴らしい作り 4. 高級品に相応しいオリジナル革ケース |
1. ダイヤモンドが超貴重だった時代の贅沢なピアス
1-1. ブラジル鉱山によるダイヤモンドの流通量
天然資源であるダイヤモンドは、採り尽くせば枯渇します。 新しい良質な鉱山が発見されれば、そこから採掘されるようになります。 ダイヤモンドの主要鉱山は時代によって変遷しますが、この宝物が作られたのははブラジル鉱山が終わりかけの時代でした。 |
ダイヤモンドラッシュの中心地の1つだったシャパーダ・ジアマンチーナ鉱山 "Chapada diamantina" ©Kennedy Silva(19 de abril de 2014, 04:40:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ブラジル鉱山の始まりは18世紀初期です。 古代から、長く世界のダイヤモンドの供給地だったインドの鉱床が取り尽くされていた頃の1725年、ポルトガルの植民地ブラジルでダイヤモンドが発見されました。 |
ポルトガル ダイヤモンド・ペンダント ポルトガル 1780年頃 SOLD |
1730年代後半から急速に発展し、1860年代まで世界最大の産地としてダイヤモンドを供給しました。 1725〜1860年はダイヤモンド・ラッシュと呼ばれ、この期間はポルトガル王室が全てのブラジルのダイヤモンド鉱山を独占すると宣言しています。 |
ミナスの鉱山における労働の様子(1770年代) | ブラジル鉱山は大資本は存在せず、殆どが奴隷中心の人海戦術による採鉱でした。 地表を人力で探す程度の規模でしたが、年平均で十万カラット程度の産出量は、それまでのインドからの細々とした流入量と比べれば莫大な量と言えました。 |
『財宝の守り神』 ダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
南アフリカのダイヤモンド・ラッシュによって供給量が激増し、それが続くことによって徐々に稀少価値が下がり、庶民でもある程度お金を出せばダイヤモンドが買えるようになる以前の時代までは、ダイヤモンド・ジュエリーは王侯貴族だけが持てる本当に高価なジュエリーだったのです。 |
ヴィクトリアン中期頃から産業革命によって台頭してきた中産階級によるジュエリーの需要が増え、王侯貴族のためのハイジュエリーだけでなく、それらの人たち向けの安物ジュエリーが数多く作られるようになりました。 今も昔も、一般的には女性は宝石が大好きですが、庶民である成金向けの安物はダイヤモンドではなく、安く手に入る小さなガーネットを寄せ集めたものだったりするのです。 |
ホルバネイスク・ペンダント イギリス 1860〜1870年頃 SOLD |
ちなみにガーネット・ジュエリーが全て安物なわけではありません。 小さなガーネットは稀少価値が低いですが、大きな石は稀少価値が高く高価なので、やはり王侯貴族向けのハイジュエリーにしか使われません。 |
『ハニー&シナモン』 オレンジ・ガーネット&ダイヤモンド リング イギリス 1900年頃 SOLD |
珍しい色のガーネットも同様に稀少価値が高くなるため、美しい色を持つ石は特別なジュエリーに仕立てられます。 |
【参考】ヴィクトリアンのガーネットの高級ピアス | 【参考】ガーネットの安物ピアス |
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左のガーネット・ピアスも一応ハイジュエリーとして作られています。ミッドヴィクトリアンは庶民だけでなく王侯貴族の間でもゴテゴテの成金趣味のジュエリーが流行したため、こういうハイジュエリーも存在します。ダサいのでヘリテイジでは扱いませんが、ガーネットはある程度の大きさのあり、ダイヤモンドもセットされています。明らかに宝石も作りも、右の庶民向けの安物とは違うことが分かります。 |
古い年代のダイヤモンドは、ダイヤモンドというだけで非常に稀少価値が高く、ハイジュエリー用の高価な宝石だったのです。 |
1-2. 南アフリカのダイヤモンド・ラッシュ以降の流通量
ダイヤモンド・ラッシュが始まった直後の南アフリカのキンバリー鉱山(1870年) |
奴隷を使って地表を人力で探す人海戦術で採鉱していたブラジル鉱山と異なり、1869年頃から始まった南アフリカのダイヤモンド・ラッシュは巨大資本が集まる大規模開発となりました。南アフリカで始まったダイヤモンドラッシュについては『財宝の守り神』で詳しくご紹介した通り、もの凄い人数が殺到して驚異的なスピードと規模で採掘が行われました。 |
その結果、古い時代なら使われなかったクラスのジュエリーにまでダイヤモンドが使われるようになったほどです。 |
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【参考】安物のエドワーディアン(?)のダイヤモンド・リング |
溢れかえるダイヤモンド・ジュエリーの量からもお分かりいただける通り、現代ではダイヤモンドはいくらでも使いたい放題です。 南アフリカでダイヤモンド・ラッシュが起きる以前は、限られた王侯貴族の需要に応える量しか採掘できませんでした。それが今では庶民にまで行き渡らせることができるほど、大量に供給可能な状況となっているのです。 ラッキーなことに、南アフリカ共和国政府の鉱物資源局が2007年に発表した、南アフリカのダイヤモンド産出量の推移の細かいデータを入手しました。 本格的に産出が始まった1870年以降の、毎年の産出量データです。数字データしかなかったので、頑張ってエクセルでグラフ化してみました(笑) |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
南アフリカをブルー、ブラジルをオレンジ色でグラフ化したのですが、ブラジルと南アフリカでは生産量の桁が違いすぎて、このグラフではよく分からないですね。それくらい1870年代以前はダイヤモンドは貴重な宝石で、南アフリカのダイヤモンドラッシュ以降は稀少性のないありふれた宝石と化していったのです。 ブラジル鉱山は130年ほどで枯渇してしまいましたが、南アフリカの巨大鉱床はこれだけの生産量にもかかわらず150年経った現代でも枯渇していません。現代でも平均して毎年1500万カラットは生産しています。ただ、実は現代の南アフリカのダイヤモンド生産量の世界シェアは8%程度に過ぎません。 21世紀半ば以降は世界各地で相次いでダイヤモンド鉱山が発見され、今ではロシア、ボツワナ、カナダ、アンゴラに次いで世界シェアは5位の状況です。 ダイヤモンド・ジュエリーが王侯貴族のためだけの時代はブラジル鉱山から毎年10万カラットが産出される程度でしたが、現代では7,120万カラットの規模で毎年産出されています。 ダイヤモンドの稀少性は途方もなく低下しました。単純計算すると、その価値は712分の1になってしまいました。 |
【参考】ダイヤモンド ブローチ(1940年代) | 【参考】ヴィンテージのダイヤモンド・リング |
時代が下る程に、質の良いダイヤモンドが安くたくさん手に入るようになり、ダイヤモンドの価値だけに頼るジュエリーが量産されるようになっていきます。ダイヤモンド業界は生産調整やプロモーションを巧妙に行い、実際には稀少価値など微塵もないにも関わらず、ダイヤモンドは宝石の王様として君臨し続けることができました。購買層が教養や美意識のある王侯貴族から、ジュエリーなどよく分からない中産階級に移ったことが勝因です。 |
美しいもの、真に価値あるものが何なのか分からない、教養も美的感覚もない中産階級はよく分からないなら着けなければ良さそうなものですが、高価なジュエリーで身を飾って褒められたい、羨ましがられたいという欲求があるのが人の心です。 ただ、やっぱり何を選べば良いか分かりません。 結局、ブランドだったり百貨店が扱っているものなら間違いないはずという見方で選ぶことになります。 そして業界側の宣伝文句を、言われるがまま信じて買ってくれます。疑いもせず盲信します。 業界側が、自分たちの都合の良いように作った基準などを熱心に勉強し、自ら洗脳を深める人まで存在する現代の宝飾業界。チョロい商売ですね〜。 業界も悪いですが、結局は購買層側の問題です。 |
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【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代) |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移【出典】2017年の鉱山資源局の資料 | 1970年代以降は特にヴィンテージとすら言えず、リサイクル市場はこれら無価値の中古ジュエリーで溢れかえっています。 南アフリカ以外の国からもダイヤモンドが大量に供給され始めたこと、日本も高度経済成長期を経験し、あらゆる高級品に対して旺盛な需要があったことなどが原因です。 |
ダイヤモンドが付いているというだけでは価値はないのに、それでも未だに「ダイヤ」、「ダイヤ」と言う女性は少なくありません。 |
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【参考】現代の鋳造ジュエリー |
カルティエ(税込¥3,628,800- 2019.2現在)【引用】Cartier HP / PLUIE DE CARTIER BROOCH ©Cartier | ブシュロン(税込¥9,306,000- 2021.5現在) 【引用】BOUCHERON HP / WOLF BROOCH ©Boucheron |
正直、デザインも作りもオモチャにしか見えません。こんなものなら着けない方がマシです。現代宝飾業界は最近はジュエリーが売れないと言って困っています。バブルを経験したことのない、物心ついた頃からデフレの時代だった現代の20代、30代くらいの年代は、自分の価値観で本当に価値があると感じるもの以外にはお金を使いたがらないそうです。ブランドだから、流行りだからということが理由で買い物をしていたバブルまでの時代とは全く異なる消費傾向です。 こんなショボいものではなく、しっかり価値あるものを作って販売すれば、現代ジュエリーももう少しは若者にも興味を持ってもらえると思います。でも、チョロい商売で美味しい思いをしてきた業界には無理でしょうね。 技術はとうに途絶えてしまいました。世の中の経済や政治の仕組から言っても、これからも復活することはないでしょう。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
さて、戦後のジュエリー業界が終わった話はこれくらいにして、アンティークジュエリーの時代に話を戻しましょう。先ほどのグラフでは、桁が違いすぎてブラジルの産出量のイメージが湧きにくかったので、1950年までの範囲で見てみましょう。南アフリカからダイヤモンドが豊富に手に入るようになったからと言って、すぐにダイヤモンド・ジュエリー自体がダメになったわけではありません。まだ王侯貴族に力があった戦前の時代は、豊富にあった時代だからこそ花開いたダイヤモンド・ジュエリーもいくつも存在します。 |
『財宝の守り神』 ダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
ただでさえ供給量が多くなかったブラジル鉱山が枯渇して、ダイヤモンドの価値が特に高まっていた1860年代。 そこに出てきた、南アフリカからの見たこともないような大きくて美しいダイヤモンド。 『財宝の守り神』は、そんなタイミングだからこそ作られた最高級のダイヤモンド・ジュエリーです。 メインのダイヤモンドは約2ctあります。 このクラスの大きくて美しいダイヤモンドの場合、アンティークジュエリーであっても普通は石の価値だけに頼るシンプルなデザインで作られがちです。 二度と手に入らないであろう、最高のダイヤモンドに敬意を評し、最高のデザインと最高の作りで当時のトップクラスの職人が制作したからこそ実現したジュエリーなのです。 |
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
しばらくするとダイヤモンドの価値も落ち着き始め、ただダイヤモンドと言うだけでは王侯貴族にとっては魅力が低いものとなってきました。 そこで作られたのが、ダイヤモンドの価値だけに頼らない、神の技を必要とするような素晴らしい細工のダイヤモンド・ジュエリーです。 |
『清流』 アールデコ ジャポニズム ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
21世紀に入ると、ダイヤモンドを最高に生かすことができるプラチナという画期的な新素材が使えるようになりました。 これによって、プラチナならではの美しい細工のダイヤモンド・ジュエリーが生み出されています。 |
『雫の芸術』 ブリオレットカット・ダイヤモンド&天然真珠 ブローチ フランス 1920年頃 SOLD |
また、ダイヤモンドのカットが近代化され、劈開の方向を無視した自由なカットが可能となったことにより、それまでにはなかった面白いカットが施されたダイヤモンドのジュエリーも生み出されました。 |
裏側まで、作りだけでなく天然真珠すらもどこにも欠点のない完璧な美しさは、まさに美意識の高い王侯貴族ならではのジュエリーと言えます。南アフリカのダイヤモンドラッシュによってダイヤモンドの稀少性が低下したとは言っても、大きさのある美しい天然ダイヤモンドは現代ですら稀少です。現代ならばこんな無駄なカットは絶対にやらず、とにかく無駄が出ないカットを施したことでしょう。 |
【参考】約10カラットの天然ダイヤモンド(鑑別証代別途、税込600万円) |
現代はダイヤモンドのカラット数だけ気にする人が多いです。4Cにはカラー、カット、クラリティ、カラットの4項目がありますが、カラーやカット、クラリティは単品で見ると感覚的に分かりにくいものです。カラットだけは見た目の大きさですぐ判断できるため、誰でも分かりやすく、よく分かっていないけれど分かっている気分になっている人は、カラットだけを気にするという結果になるのです。そういう人が世の中の大半を占めるため、上のような10カラットオーバーのゴミ石に600万円という仰天価格が付くわけです。 カラットだけを気にすることは、個人の美的感覚であり自由ですので全く問題ありません。ただし古の王侯貴族のような、優れた美意識や教養は持っていないことは断言できます。 |
アルバート王配(1819-1861年) | 以前、アルバート王配がヴィクトリア女王のためにコ・イ・ヌールをリカットしたエピソードをご紹介しました。 コ・イ・ヌールは13世紀からの歴代所有者リストが存在する、『世界最古のダイヤモンド』とも呼ばれる大きなインド産ダイヤモンドです。 |
第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年) | 1849年にインドで東インド会社が入手し、ヴィクトリア女王に献上されました。 女王へのお披露目の場は、アルバート王配が取り仕切る世界最初の万国博覧会、1851年のロンドン万博でした。 万博の目玉である鉄とガラスによる壮大な建物、クリスタルパレス(水晶宮)で目玉商品として展示されました。 |
ムガルカットのコ・イ・ヌール(186.0カラット)ミュンヘンの鉱物博物館蔵のレプリカ "Koh-i-Noor old version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
しかしながらインド式のムガルカットのコ・イ・ヌールを見て、女王始め見物客(各国の王侯貴族クラス)も皆がっかりしてしまったそうです。 この時代のヨーロッパの高級ジュエリーはダイナミックに煌めくオールドヨーロピアンカットが当たり前だったので、インドからの大きなダイヤモンドにその煌めきを期待していたのならば、確かにがっかりしたでしょうね。 |
アルバート王配とヴィクトリア女王(1840年) |
がっかりしたヴィクトリア女王を見て、翌年の1852年にアルバート王配はわざわざカットの本場アムステルダムから世界最高の技術を持つ職人をロンドンに呼び寄せました。そして8,000ポンドを支払ってリカットさせました。現代の貨幣価値で換算すると5千万円ほどです。原材料費込みではなく、カットだけでこの金額です。コ・イ・ヌールは186カラットもあり、当時はカットが近代化される以前の手研磨でしたから、技術だけでなく相当時間もかかったはずです。確かにこれくらいの金額はかかるでしょうね。 |
コ・イ・ヌール(ロンドン塔に展示)英国王室 | ブリリアンカットにリカットされたコ・イ・ヌールにヴィクトリア女王も大満足でした。 |
ミュンヘン鉱物博物館のコ・イ・ヌールのレプリカ | |
ムガルカット(186.0カラット) "Koh-i-Noor old version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ブリリアンカット(105.6カラット) "Koh-i-Noor new version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
大きさは57%にまで半減しています。カラットだけを気にする人ならば絶対にやらないことですね。コ・イ・ヌールのリカットは、当時大きさだけで価値を評価してはいなかったことの証です。当時の美意識の高い王侯貴族は、自分の美的感覚によって何よりもその美しさを重要視していたからこそ、美しさのために小さくなったとしても大金をかけて必要に応じてダイヤモンドをリカットしていたのです。 |
【参考】現代のビッグ・ダイヤモンド・リング | |
古の王侯貴族は自身の絶対感覚で"美しさ"を判断し、評価していました。そのような物差しとなる絶対感覚を持たない人の場合、4Cの中のカラットを物差しにするしかないので大きさばかり気にするのです。大きさだけを気にして美しさを求めないのは本来ケチくさいことで、某上流階級の知り合いが「貧乏人ほどカラットばかり気にする。」と笑っていました。 職人さんから、「ちょうど修理で預かっているから見てみる?」と、笑いながら15カラットのダイヤモンド・リングを見せてもらったこともありました。みんなで失笑です。 成金同士のマウンティングには適しますが、真の上流階級は頭の中でヌーヴォー・リーシュ(成金)と笑うやつです(笑) 他者に褒められたいなら自身の価値を磨いて高めれば良いのに、これは「ダイヤモンド凄いでしょ!だからこれを着けているアタシは凄いでしょ!」と言っているようにしか見えません。人間的な薄っぺらさがバレバレで、教養を重視する人からは相手にされなくて当然です。作りもデザインも高級品には相応しくなく、この外観だとパッと見てイミテーションかどうか正確に判断することも不可能です。そんなものに価値などありません。 |
現代ジュエリーはデザインも似たり寄ったりで、ダイヤモンド自体も統一規格で機械制御でカットしてしまうため、輝きにも個性がなく全く面白くありません。そこまで堕落しているのに、市場で高級ジュエリーとして成立しているのが不思議です。 |
1-3. 1860年代のダイヤモンドにとっての特殊な時期
さて、このピアスが作られた1860年頃は、ダイヤモンドにとって特殊な時期でした。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
130年ほどの長い年月ヨーロッパにダイヤモンドを供給してきたブラジル鉱山が、1860年代に入ると急激に枯渇したのです。それまでは年平均10万カラットほど採れていたものが、1861年には1万6,542カラットと6分の1に減少し、1862年以降はさらに減少していきました。仕事がなくなった結果、ヨーロッパのダイヤモンド産業は廃業や規模縮小に追い込まれていきました。稀少性が高まるほど価格は上がります。 |
『ヴァール川沿いで漂砂ダイヤモンドを探す人たち』雑誌ハーパーズ・ウィークリーに掲載のイラスト(1870.11.19号) | 1869年の『南アフリカの星』の発見の噂を聞いて、南アフリカには1870年7月に約800人、10月には5,000人の一攫千金を狙う採掘者たちが押し寄せました。 |
キンバリー鉱山(1881年にNYで刊行の『アフリカのダイヤモンド鉱山の概要』より) | そしてすぐにこれだけボコボコになっているのは、1860年代のダイヤモンドの供給空白期間に稀少な宝石として価格が跳ね上がったことの現れでもあるのです。 |
キンバリーの巨大な鉱山跡(南アフリカ) "Downtown Kimberley seen from the west 2015" ©Bjorn Christian Torrissen(3 August 2015, 13:50:41)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ボッコボコですね〜。キンバリーのこの巨大な鉱山跡はビッグホールと呼ばれています。1871年から1914年にかけて5万人の鉱山労働者が穴を掘り、2,722kgのダイヤモンドが採掘されています。ビッグホールの面積は17エーカーで幅は463メートル、深さは240メートルまで掘削されています。ここから見えるのが北ケープ州の最大の都市であり、州都でもあるキンバリー市の中心部です。自然の地形ではなく、人間がこれだけの穴を掘っただなんて、ものすごい欲望の渦が垣間見えますね。 |
1-4. ダイヤモンドが富と権力の象徴だった時代のジュエリー
『藤』 Marret et Jarry社 パンピーユ ダイヤモンド ブローチ &ペンダント フランス 1850年〜1860年頃 SOLD |
これもおそらくダイヤモンドが高価だった時代に作られた最高級品です。 ミッド・ヴィクトリアンと言えばイギリスだけでなくフランスも、成金的なゴテゴテしたジュエリーが王侯貴族や中産階級問わず流行した時代でした。 ガーネットやアメジストなどの色の濃い石などによる、色彩鮮やかで且つ、大振りでボテっとしたジュエリーが流行していたこの時期に於いては、ダイヤモンドだけのジュエリーは異色の存在感を放ちます。 まるで日本の舞妓さんの花簪のように揺れる構造も、ダイヤモンドの煌めきを最大限に生かすデザインで、まさにダイヤモンドが富と権力を象徴した時代らしい宝物です。 |
これだけのジュエリーを持つことができるクラスの人物となると、相当お金持ちのはずです。 ブローチだけでも何種類もというように、たくさんのジュエリーをお金に糸目なく買うことができたでしょう。 それでもこのダイヤモンドのジュエリーが、このようにパーツを分解した様々なアレンジが可能となる構造になっているのは、当時ダイヤモンドという石自体がお金を出しても手に入らない超貴重な宝石となっていた証です。 |
ダッチローズカット・ダイヤモンド ピアス フランス 1860年頃 ダイヤの直径5mm(正面からの見た目:0.75ct) SOLD |
これもダイヤモンドが稀少だった時代のピアスです。 通常の時代のアンティークのハイジュエリーでは見ることのない、シンプルにダイヤモンドを生かしたジュエリーで、ダイヤモンドというだけで価値が高かった時代ならではのデザインです。 19世紀の通常の時代のハイクラスのダイヤモンド・ジュエリーは、ダイナミックなシンチレーションが魅力のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドがメインストーンとなるのが一般的です。 しかしながらこの時代はダイヤモンドが貴重で、しかもダイヤモンド自体が価値の高い宝石でした。 |
少ないカラット数で、より大きく見せるにはローズカットが有効です。宝石のカラットは、質量を表す単位です。1カラットは200mgです。同じカラット数であれば、底が平らで厚みのないローズカットの方が、正面から見たときの面積はオールドヨーロピアンカットより遥かに広くなります。 |
ダイヤモンドが貴重な時代には、より大きく見えることは重要です。 なぜこのようなカットとデザインのジュエリーが1860年代に作られたのか、歴史を読み解くとその理由がはっきりと見えてきますね。 |
今回の宝物も、まさにダイヤモンドが枯渇して価値が非常に高まった時代ならではの、最高級の美しい宝物なのです。 |
2. 見事なダッチローズカット・ダイヤモンド
2-1. ブラジル鉱山の時代のダイヤモンドの特徴
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【出典】2017年の鉱山資源局の資料 |
南アフリカからダイヤモンドがたくさん供給されるようになった1870年代以降は、特別なジュエリーのために、よりたくさんの原石の中から選んで上質なダイヤモンドを得ることが可能でした。しかしながら産出量が圧倒的に少ないブラジル鉱山の時代は上質なダイヤモンドの絶対量自体が少ないため、王侯貴族のためのハイジュエリーでも多少はインクリュージョンが当然のようにあります。 現代のように、4Cのクラリティ改善のために化学的な技術が使われることも一切ありませんから、古い時代のダイヤモンドは高級品であってもインクリュージョンはあって当然なのです。 |
クラリティの判定は10倍ルーペで判断しますが、ヘリテイジの宝物の画像は10倍どころか通常ではありえないくらい拡大しています。このピアスのダイヤモンドは南アフリカのダイヤモンド・ラッシュよりも前のものですが 、小さな石に至るまで全ての石がクリーンです。ハイクラスのジュエリーとして作られた証です。 |
2-2. 近代化以前の手作業による丹念なカット
このピアスはダイヤモンドのカットにも非常に魅力があります。 |
規格の決まったダイヤモンドでデザインされたジュエリー(カルティエ 現代)【引用】Cartier HP / PLUIE DE CARTIER BROOCH ©Cartier | 現代のダイヤモンドの価値を決める基準となっている4Cについて、以前詳しくご説明しました。 カットに関しては決められた規格にいかに忠実かが重要で、それで評価と値段が変わります。 だから、同じようにしかカットされません。 規格で統一した均一のカットは大量生産・大量販売に向いています。 逆に言えば、統一規格がないと品質管理できません。 1点1点、価値を評価して値段を変えて付けるなんて現実的ではありません。考えるのも大変ですし、カタログも使いまわしができません。手間と経費がかかり過ぎて、お買い得価格で大量販売できません。 |
【参考】現代の鋳造の量産ダイヤモンド・リング |
ジュエリーをセットするのも同じ大きさのものが圧倒的に楽です。それぞれ大きさが違うと機械だけで対応するのは難しく、どうしても人の手が必要になります。機械は初期の設備投資が必要で、ランニングコストやメンテナンス費も要りますが、長期的に見れば人件費よりコストが安く済むことも少なくありません。高い技術を持つ人材育成の手間や費用も不要なので、やはりダイヤモンドは統一規格でカットする方が現代の大量生産ジュエリーには良いのです。 |
【参考】現代のオールドカット・ダイヤモンド リング | |
それは現代の量産のローズカット・ダイヤモンドも同じことです。 現代ジュエリー業界はデザインもネタ切れで、ローズカット・ダイヤモンドで差別化を図り、個性を強調して売ろうという動きが一部にあります。でも、どれも同じカットなので輝きに個性がありませんし、爪も目立つ留め方です。古いカットを使っても現代ジュエリーは所詮現代ジュエリーなのです。 |
この宝物のダイヤモンドを見ると、どれも形に個性に溢れています。 特にメインのダイヤモンドは左右のピアスで異なる、変わった形状になっています。 現代ジュエリーではまずあり得ないことですね。 ダイヤモンドが特に貴重な時代だったので、限られた貴重な原石を使って美しさも両立させつつ、なるべく大きくカットしようと職人が一生懸命に考えながら作業した結果です。 右側のダイヤモンドは特にGenが「三角おむすびみたいで愛おしい。」と、お気に入りでした。 |
横から見ると、ダイヤモンドの厚みも異なることが分かります。右の三角おむすび型のダッチローズカットは、より厚みがあります。このような厚みの差のため、正面から見たときの三角形のファセットの角度は左右でそれぞれ異なります。 |
Genもまるでミラーボールのようで、とても魅惑的に輝くダイヤモンドと言っていたのですが、それは小さなローズカット・ダイヤモンドも含めて、それぞれの原石の個性に合わせて最適で上質なカットが施されているからです。厚みや形状に違いがあるからこそ、ダイナミックに輝きが変化し、心地よく違和感のない美しさを感じることができるのです。 |
ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) | ダイヤモンドのカット技術が近代化されるのは南アフリカのダイヤモンドラッシュ以降です。 豊富に採れるダイヤモンドを素早くカットし、旺盛な需要を見込める中産階級にジュエリーを提供すべく、19世紀後期にカットの研究開発が熱心に進み、カットは近代化しました。 それ以前の、細々と採れるダイヤモンドで王侯貴族のためだけにダイヤモンド・ジュエリーを作っていた時代は、カットも人の手で手間のかかる方法で行われていました。 |
ダイヤモンドの劈開性を利用して原石をカットする様子 | ダイヤモンドの原石は個性に富み、1つとして同じ石は存在しません。形や大きさだけでなく、結晶の方向性なども異なります。 まず最初に、熟練の勘と高度な技術を持つカット職人が劈開の方向を見極め、正解の"一点"を精確に突いて割ります。 こうしてラフカットした石を磨き、徐々に形を整えて行くのですが、磨いて仕上げる作業が圧倒的に手間と時間がかかります。 |
ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) |
回転盤を回す係と、回転する研磨盤にダイヤモンドを押しつけて磨く係の二人一組で作業します。 二人分の人件費が必要で、だからこそ古い時代のダイヤモンドは今よりも遥かに高価だったのです。 ダイヤモンドのルースと言えども、加工費が乗るので高くなります。 現代のダイヤモンドは原材料費も加工費も安く済む安物ですが、古のダイヤモンドは原材料費も加工費も莫大な富を持たねば手に入らない貴重な宝石だった理由です。 |
手作業のローズカット・ダイヤモンド | |
【参考】現代の機械によるローズカット・ダイヤモンド | |
それでも現代のローズカット・ダイヤモンド・ジュエリーが美しい輝きを見せることができるならば『科学の勝利』と言えましょう。でも、機械制御で全て同じ形、対称すぎるくらい対称に作られたジュエリーは美しくないのです。機械のように動作などに正確性が大切なものは、均一な形状が非常に重要なのですが、人々に驚きや感動をもたらすための"芸術作品"はそうではないのです。 |
"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年) | アーツ&クラフツ運動を提唱したウィリアム・モリスも話している通り、「人間味のある製品こそ真の美術品」であり、「全ての芸術の根本と基礎は手芸にある」のです。 人が作ったからこそ生じる揺らぎと調和。 それがないと「美しい」とは感じられないように、どうやら人間はできているようなのです。 |
このダイヤモンド・ピアスから感じる魅惑の輝きと、心洗われるような美しさは、古の職人たちが手間と技術を惜しみなく注ぎ込み、真心を込めて作ったからに他なりません。細かい彫金などが施されたジュエリーはその真心が分かりやすいのですが、古のダイヤモンド・ジュエリーに限ってはそれに匹敵するか、場合によってはそれ以上と思えるほど手間をかけて作られているのです。このピアスは、間違いなく細工物のジャンルにカテゴライズされるジュエリーです。 |
2-3. ダッチローズカット・ダイヤモンドならではの煌めき方
このピアスは、ダッチローズカットの三角形のファセットの輝きと、アンティークジュエリーらしいクラシックな雰囲気を存分に楽しむことができる宝物です。 |
美しい輝きは手研磨の丁寧な鏡面仕上げによる、光の反射効率の良さにあります。 また、揺れる構造のピアスというのもポイントです。 |
クラシックな雰囲気はクローズドセッティングに起因します。 |
もっと新しい年代になると、ダイヤモンドは光を取り込んで輝きが増すように、オープン・セッティングされるようになります。 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドだけでなくローズカットも同じで、『魅惑のトライアングル』も一番大きなメインストーンと、一番上のバチカン部分のローズカット・ダイヤモンドがオープンセッティングです。 このネックレスには、1つだけクローズド・セッティングのローズカット・ダイヤモンドがあります。 メインストーンの真上にある石です。 ローズカットダイヤモンドは透明感も魅力の1つで、オープンセッティングにすることでよりその透明な魅力を感じることができます。 |
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『魅惑のトライアングル』 エドワーディアン ダッチローズカット・ダイヤモンド ネックレス オーストリア 1910年頃 SOLD |
クローズド・セッティングだと光が底から抜けないため、オープンセッティングとは違った趣があります。 実物を見ないと分かりにくいかもしれませんが、クローズド・セッティングのローズカット・ダイヤモンドは透明感は感じにくい分、より煌めきに集中できることがお分かりいただけますでしょうか。 |
クローズド・セッティングであることによって、アンティークジュエリーらしいクラシックな雰囲気を楽しめることに加え、より煌めきに集中できるという魅力が、この年代のダイヤモンドのジュエリーにはあるのです。 |
←↑↓等倍 |
ちなみに先ほどご紹介した、同年代のローズカット・ダイヤモンド・ピアスとサイズを比較するとこのようになります。 メインストーンはそれぞれ5mmほどの大きさがあり、ブリリアンカット・ダイヤモンド用の測定器で測ると0.75カラット弱あります。 1粒でも十分に成立するサイズでフラワー型にデザインされた、まさに当時の最高級のダイヤモンド・ピアスです。 十分な大きさがあるからこそ、煌めきをしっかりと楽しめます♪ |
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3. ゴールドだけの素晴らしい作り
3-1. 異例のシルバーを使わないダイヤモンド・ジュエリー
このピアスは全てゴールドで作られた。特別な作りです。 |
プラチナが一般ジュエリー市場に出てくる以前の19世紀のダイヤモンドのハイ・ジュエリーは、シルバーにゴールドバックで作られるのが通常です。 |
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美しい花びら型 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
正面 | 裏 |
19世紀のヨーロッパはシルバーよりもゴールドの方が高価な金属でしたが、ダイヤモンドの色味を邪魔しないために、正面はシルバーでセッティングするのが通例でした。 |
それにも関わらず全てゴールドという珍しい作りは、特別注文のオーダーで作られたからだと推測します。 |
素晴らしい作りによって、フレームは極限まで存在感を消した細い作りになっています。 このため、ゴールドの色味がダイヤモンドの美しさを邪魔するということは全くありません。 サイドから意識して見ないと、シルバーを使っていない作りであることは分からないくらいです。 |
3-2. デザイン性の高い抜群のセンスのフレーム
『魅惑のトライアングル』 エドワーディアン ダッチローズカット・ダイヤモンド ネックレス オーストリア 1910年頃 SOLD |
ローズカット・ダイヤモンドを使ったジュエリーは多々作られていますが、デザインセンスの良いものはそう多くはありません。 通常の高級品はオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドを使うからです。 だからこそ滅多に存在はしませんが、ハイジュエリーであるにも関わらず、意図的にローズカット・ダイヤモンドをメインストーンにしてデザインされたジュエリーは個性的で抜群のセンスを感じる場合が多いのです。 『魅惑のトライアングル』も、透かし細工を使って三角形になるエリアを多々作るなど、ファセットの形状によって三角形に煌めきを放つローズカット・ダイヤモンドならではの特性を意識したデザインになっていました。 全体の形も、膨らんだ形ではなく内側に弧を描いたような、単なる直線によるシャープさとは異なるスタイリッシュなシャープさが魅力でした。 |
このピアスも、やはりローズカット・ダイヤモンドならではの三角形や、シャープな印象を意識したデザインになっています。 Aのフレームは三角形ですが、『魅惑のトライアングル』と同様に、それぞれの辺が少しだけ内側に弧を描いたようなシャープな形状になっています。 フレームはしっかりと溝を彫り、幅が狭くしてあるのでこの三角形の形状が惹き立っています。 三角おむすび型のメインのローズカット・ダイヤモンドがこの角度でセットされているのも意図したものでしょう。 ▲▼の配置だと、全体では菱形の形状ができてしまうため、今とは全く異なる雰囲気になったでしょう。 ここはやはり、▲▲を上下で連続させて三角形を強調させて正解です。 さらにBのフレームを見ると、シンプルな円ではなく花びらのような形になっています。 |
さらに、メインストーンを囲む小さなローズカット・ダイヤモンドのフレームも、全て花びらのような特徴的な形になっています。 小さなローズカット・ダイヤモンドも、1つ1つが微妙に形や大きさが違うのでセッティングが難しいのですが、それぞれの石をフレームの縁を倒してとても丁寧に留めてあります。 |
150年以上もの年月が経っているのに、石が落ちた形跡もありません。いかに高度な技術で作られたのかが伝わってきます。さらに興味深いのが、メインストーンの形状が左右でこれだけ違うのに、全体としては違和感なく左右のピアスとして成立していることです。左のピアスはメインストーンが円形なので、普通に囲むだけで円形のクラスター型になります。しかしながら右のピアスは三角形のダイヤモンドを囲むことになるので、同じように囲んだら三角形で仕上がってしまいます。 |
これは全体のバランスを見ながら職人がフレームを作り、セットしたからこそ左右同じように全体では円形で仕上がっているのです。 もちろん誰にでもできる技ではありません。 高度な技術を持った才能ある職人による、オールハンドメイドの証です。 手間をかけてカットされた特別なダイヤモンドに相応しい、見事なフレームとセッティングです。 |
3-3. 150年程の使用に耐える頑丈なピアス金具
ピアスの金具は、耳の後ろの穴から通すタイプです。金具は磨耗するのでどうしても消耗品になってしまうのですが、150年もの時を経てもびくとしない頑丈で素晴らしい作りです。こういうハンドメイドならではの見事な作りの金具を見ていると、現代の量産の金具の質がどれだけ酷いものかがお分かり頂けると思います。 |
今回のピアス | 同年代の同タイプの金具のピアス | |
同じ年代に作られた、同じタイプのピアス金具と比べてもその贅沢なゴールドの使いっぷりと頑丈な作りがお分かりいただけると思います。右のピアスも高級品として作られてはいるのですが、今回のピアスは単なるハイジュエリーではなく特別に作られた最高級品だからです。 |
フレームの側面は透かし細工が施され、その下の台座には丁寧に3重の溝が彫ってあります。を入れ、全体にしっかりした作りです! 金具にフレンチのようなマークがありますが、かすれて判読不可能です。 |
十分な強度を保つために、この台座部分はかなり厚みがあります。 3重の溝があることで、7本線のストライプに見えるデザインになっています。 もしこれがなかったらこのような繊細な印象は出ず、厚さ通りのゴツい印象になっていたことでしょう。 このような細かい部分に至るまでの気遣いが、さすが最高級品として作られたアンティークジュエリーです。 ピアス金具のトップにホールマークがあります。 |
フランスに輸入された18ctのジュエリーであることを示す、フクロウのホールマークです。 フクロウの刻印はフランスで作られ、逆輸入されたフランス製のジュエリーにも打たれることがあります。 150年以上もの年月の中で、この宝物も各国を旅してきたものと思います。今は日本ですね(笑) フランス製であることも否定できず、作られた国ははっきり分かりません。 |
4. 高級品に相応しいオリジナル革ケース
最高級品のために作られた、当時のオリジナル革ケースが残っているのも魅力的です。 150年以上も経過しているので多少の痛みはありますが、あるのとないのでは高級感が違います。 歴代の持ち主の全てがこの高級ケース自体の価値も理解し、蓋を開けて、何度でも美しいジュエリーの感動を楽しんできた証でもあります。 |
室内証明でスマホで撮っただけですが、これだけローズカット・ダイヤモンドが煌めいています。 静止画でこれですから、揺れ動く実物は本当に煌めきが綺麗です。
通常のピアスと比べると金具が太いので、現代のピアス用にピアス穴が細い方は注意が必要かもしれません。 私はこの仕事のために2年前くらいに穴をあけ、それから普段はずっと軸の太いファーストピアスを着けているので、全く違和感なく着用することができました。 |
金具の形状のお陰か、耳の後ろの穴から通すのは難しくないと思います。 私もこのタイプは初めてでしたが、金具が誘導してくれるかのごとくスルッと入りました。 |
当時、いかにダイヤモンドが2度と手に入らないかもしれない貴重な高級品であったかを示すかのように、金具はかなり頑丈です。 絶対に落ちないという安心感はありますが、着脱には少し力が必要です。 |
金具の構造から、力の向きを想像していただけると分かりやすいです。 丸で囲んだ部分がフックになっているので、金具を下に押しながら後ろに引くと外れます。 少し力が要ります。女性の力で壊れるようなヤワな作りではないので、しっかり力を入れて下さい。コツが分かれば簡単です。 職人さんにもっと着脱しやすくできないか相談しましたが、貴重で素晴らしいオリジナル金具を付け替えたり、調整して緩くなるのは好ましい姿ではなく、歴代の持ち主の女性も問題なく使用してきたので、コツを掴んでもらうのが正しいのではないかという結論になりました。 着けた後にコツを掴むのは難しいので、着けてみる前に金具の着け外しを練習して、自信が付いてからご着用いただければと思います。 |
金具に慣れてしまえば、こんなに安心感のある最高級の美しいダッチローズカット・ダイヤモンド・ピアスはありません。 それこそ一生の宝物になると思います♪♪ |