No.00264 The Beginning |
まるでアールデコのような特別な美しさを放つエドワーディアンの作品・・。 あらゆる意味で時代を遙かに先取りしたこのリングは、天才的な才能を持つ作者が情熱とプライドを込めて作った"魂の芸術作品"なのです。 |
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『The Beginning』 エドワーディアン ダイヤモンド&エメラルド リング イギリス 1910年頃 プレ・プリンセスカット・ダイヤモンド、エメラルド、クッションシェイプカット・ダイヤモンド、ローズカット・ダイヤモンド、プラチナ、イエロー&ホワイトゴールド サイズ15号 重量2,6g SOLD 四角形の大きなダイヤモンドとエメラルドを並べた、かつて見たことのない、時代を先取りした斬新なデザインです。 しかも四角形のダイヤモンドは現代のプリンセスカットの原型と思われる極めて珍しいカットで、このリングが作者にとって何か特別な物として作られたと感じる、パワフルなエネルギー溢れる作品です。 |
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この宝物の6大見所
見たことのない、あらゆる意味で衝撃的なエメラルド&ダイヤモンドのリング・・。 見所1. 異例のプラチナ&ゴールドの使い方 |
見所1. 異例のプラチナ&ゴールドの使い方
このリングについては、本当は何よりもまず驚愕のプリンセスカット・ダイヤモンドについてご説明したい所なのですが、それができない理由があります。 この作品を初めて見た時は、通常のアールデコの超高級リングだと思いました。 オールプラチナのように見える作り、スクエアだけで表現した後期アールデコを思わせる先進的なデザイン。 |
しかしながらエドワーディアンを彷彿とさせる素晴らしいミルグレイン、カラーストーンを一部ゴールドでセッティングした作り、石をセットしたフレームの側面にはわざわざ彫金まで施してあり、エドワーディアンのような繊細でエレガントな雰囲気も持っています。 よく見てみるほどに、不思議な印象が強まる作品なのです。 アールデコのトップクラスの作りなのか、エドワーディアンの超先進的な作品なのか、実際はどの年代で作られたものなのでしょうか。 |
エドワーディアンとアールデコのカテゴリー分けは、素材の使い方を見て判断します。 プラチナが超高価だった時代ならではのプラチナにゴールドバックの作りが、エドワーディアンの時代に作られたという判断基準になります。 |
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『Quadrangle』 オーストリア? 1910年頃 SOLD |
この作品を見ると、中央のイエローゴールド以外はオールプラチナのアールデコという感じですよね。 |
ハイクラスのアンティークジュエリーでは、ダイヤモンドのクリアな色味をゴールドの黄色みが邪魔せぬよう、プラチナが出回る前はシルバーセッティングにゴールドバックを施すことが当たり前でした。 最高級素材であるゴールドを使うことではなく、より美しいジュエリーにすることが目的だからです。 |
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『Bewitched』 ウィッチズハート ペンダント&ブローチ(ロケット付) イギリス 1880年頃 SOLD |
同様に色石の場合はより色を鮮やかに発色させ、深みを持たせるためにゴールドでセッティングするのも慣例です。 手間もかかるので現代ジュエリーはもちろんやりませんが、少なくともアールデコの時代にはまだ色石だけゴールドセッティングした作品を見ることができます。 |
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『ラティスの水滴』 ラティスワーク アクアマリン ネックレス フランス又はヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
この作品もそうなのかなと思ったのですが、やはりこの作品が発するただならぬ雰囲気が気になってしょうがありません。高性能の光学顕微鏡でよくよく観察してみると、ダイヤモンドやエメラルドがセットされたフレームとリング本体部分に、まるでプラチナにゴールドバックのような境界があるようにも見えます。 |
まさかプラチナにホワイトゴールドバック?気のせい? これまでにプラチナにホワイトゴールドバックなんて聞いたことがありません。金属分析もアトリエで気軽にタダでできるならばすぐ試すところですが、初期投資だけで1千万円以上かかる装置なので持っていません(ちなみに私が本当に欲しい機種は初期投資だけで数千万円する上に、家庭用の電圧では無理です笑)。 それでもどうしても気になったので、金属検査に出してみることにしました。もはやこういう判断は勘に頼るしかないのですが、この作品のただ者ではない雰囲気がそうさせたのです!(笑) |
1-1. 金属分析
薄い金属の貼り合わせを分析するという今回の測定は、実は結構難易度が高いです。 |
-手法の検討-
貴金属を分析するには、いくつか手法があります。 1. 比重測定
2. アシッド・テスト 3. X線やレーザーを使ったポータブルタイプの金属検査機 |
こういう理由があって、例え疑問に思ったとしても「分析する術もないので分からないね。」で終了するところですし、そもそも絶対に分からなければならないという理由もはっきり言ってないので普通は諦めるところですが、Gen御用達の分析機関ならばできそうなので試してみました。 |
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-蛍光X線分析-
測定スポット | 今回の装置でも測定エリアは1mmまでしか絞れないそうで、貼り合わせ部分以外の情報も検出されますが、その部分を本体部分の両方を分析し、見比べて差し引きすることで結論が出せるでしょう。 分析装置は使えばそれらしいスペクトルや数値が必ず出てきますが、それを正確に解釈するには装置スペックや特性、そして試料詳細について詳細を理解しておく必要があります。 |
雪の日も通ったサラリーマン時代の会社(柏の葉キャンパス駅近郊) | 実はサラリーマン時代に一番やっていたのがこういう仕事です。 研究開発や不良品解析、他社品分析などの分析コンサルタントが本業で、分析設計から実施、解釈から打つべき戦略策定までの一連をやっていました。 完全に昔取った杵柄状態です(笑) 左はサラリーマン時代に撮った会社の画像です。雪が珍しくて、「うわ〜、吹雪だ♪」と大はしゃぎで撮影しました。本当の雪国の方から見たらヘボ過ぎですね(笑) |
さて、あまり分析結果についてマニアックな内容を書きすぎると石田さんキモいと言われかねないので(笑)結論だけご報告すると、本体はパラジウム系のホワイトゴールド、フレーム表面は銅&亜鉛系のプラチナであることが判明しました。 推測通り、プラチナにホワイトゴールドバックという前代未聞の作りだったのです! |
1-2. そもそもホワイトゴールドとは?
-ホワイトゴールドの一般的なイメージ-
ホワイトゴールドはジュエリーではメジャーな素材の1つですが、ヨーロッパも含めて詳しく理解している方はあまりいらっしゃらないと思います。 大衆文化の発展に伴ってジュエリーの需要が増大し、白い金属の需要が増した1920年代半ば以降はプラチナより手軽な価格の代替品として人気が出ました。 |
プラチナと金価格の相場変動 【引用】海外金プラチナ価格の長期チャート Let's GOLD /金・プラチナ価格長期チャート ©Let's GOLD |
さらに2000年代になってから一時期プラチナ価格が高騰しており、それに伴ってジュエリー業界がプラチナ・ジュエリーがさも高級ジュエリーであるかのように積極的にPRして売りさばいたので、ホワイトゴールドよりプラチナの方が高級というイメージが付いてしまいました。 もちろんこの時期にも「ヨーロッパではホワイトゴールドはプラチナの代替品だったのでプラチナの方が高級ですよ。」と、尤もらしく謳う業者もいました。 |
沈没船ジョークの通り、日本人は特に権威に弱かったり、周囲の動きに付随して行動したりする傾向があります。ヨーロッパの常識を振りかざされると弱い人が多いです。 元々ジュエリー文化がなかった上に店員自身の知識も乏しい中、ろくに自身で調べもせずに、根拠なくプラチナの方が高級と思い込んでいる人が少なくないのが日本の現状です。 |
【引用】ニッセイ基礎研究所HP / プラチナと金の価格逆転が長期化〜"当たり前"に潜む危険性 | プラチナ相場が一時的に高騰したのは触媒など工業用途が原因であって、ジュエリーとして人気が上昇したからではありません。 でも、それに連動してプラチナが永遠の高級素材と思い込んだ人がありがたがってジュエリーを買うのは、業界内部の人たちから見たら"良いカモ"だったことでしょうね。 |
2015年くらいから相場が逆転しました。2019.8.9現在では下記の通りです。 半額まではいきませんが、プラチナは金の59%の価格しかありません。売る時だけ都合のことを言いつつ、その後は知らないというのはこの手の常套手段です。 プラチナは価格が高騰している、高級と煽って売った人たちが現在の相場低迷を言及することはまずありません。だから現在プラチナ価格がここまで下がっていることを知らない人も少なくなく、昔のイメージだけでプラチナは高級と盲信していたりします。 材料価格なんて変動するものなのです。人間が作り出した芸術品には普遍の価値がありますが、石ころや貴金属の価値なんて時代によって大きく変動するものであり、ジュエリーは投資目的で買うべきものではないのです。それでも投資のプロではないのに、成金はいつの時代も石ころジュエリーを投資目的で買いたがるようです。だから投資をダシにして煽る業者が多いわけですが・・(笑) |
-ホワイトゴールドの定義-
金-銀-銅の三相系の色を表した図 "Ag-Au-Cy-colours-english.svg" ©Metallos(14 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | ホワイトゴールドに厳密な組成の定義はありません。 金を含有する白系の金属であればホワイトゴールドと呼ぶことができます。 左の図の通り、割金によって金の色は様々に変化します。 混ぜるのは銀や銅だけではなく、割合も様々に選択できるので、無限にレシピは存在します。昔はカラーゴールドを使ったジュエリーも、工房ごとに秘伝の割合みたいなものがあったと思います。 |
-ホワイトゴールドの歴史-
石英中の天然のワイヤー状エレクトラム(コロラド州) "Electrum on Quartz Telluride (cropped)" ©James St. John(25 July 2007, 11:54)/Adapted/CC BY 2.0 |
自然金、山金とも呼ばれるエレクトラムで作られた『英雄ヘラクレス』のカタログでもご説明した通り、金と銀は全ての割合で混ざり合うことができます。 自然界では金は一定の割合で銀を含み、銅などその他の微量元素を含んだ形で発見されます。 金の純度が高ければ黄色味の強い状態で発見されますし、純度が低ければ緑や赤味がかっていたり、白っぽかったりした状態で発見されます。 |
『王者の指輪』 古代ギリシャ 紀元前6世紀(アルカイック時代) 22〜24K SOLD |
『英雄ヘラクレス』 エレクトラム インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前5世紀(クラシック時代) エレクトラム(自然金、琥珀金、山金) SOLD |
古代ギリシャでは既に金の精製技術を保有しており、『王者の指輪』のような高純度にした金を"精製された金"と呼び、一方で『英雄ヘラクレス』のようなエレクトラムを"金"または"ホワイトゴールド"と呼んでいました。 |
リージェンシー フォーカラー・ゴールド フォブシール イギリス 1811-1820年頃(摂政王太子時代) SOLD |
19世紀の初期から中期にかけて、金細工の発展に伴い美しいカラーゴールドのハイジュエリーがいくつか作られています。 ホワイトゴールドとは言っても、より白い色を出すには金属の配合に関する様々な工夫が要ります。 現代でも同じことですが、特別な技術を開発した場合でも、必ずしも特許を取得した方が良いとは限りません。 特許は手法の開示義務があります。また、侵害している場合はそれを証明する必要があります。 真似されても現代のように高度な分析機器を用いて特許侵害を証明するなんて不可能ですから、公開せずにブラックボックス化する方が良いに決まっています。 |
ジョージアン ロング ゴールドチェーン イギリス 1820年頃 イエローゴールド、グリーンゴールド、ホワイトゴールド、ピンクゴールド?、ルビー SOLD |
と言うわけで、19世紀中はホワイトゴールドは存在したものの、そのレシピはそれぞれの工房で重要な"企業秘密"として位置づけられて伝わってきたものと推測します。 |
ジョージアン ロング ゴールドチェーンの手のクラスプ |
技術情報が流出し、歴史上でどこかに明記されることはないながらも、確かな存在としてこうしてハイクラスのアンティークジュエリーで見ることができるというわけです。シルバーだと経年で黒ずんでしまうのですが、このクラスプの白い金属も磨いていないのに白い状態を保っていました。 |
パラジウムの結晶 "Palladium" ©Jurii(15 September 2009)/Adapted/CC BY 3.0 | 黒ずまないという優れた性質があるならば、シルバーの高級代替品としてなぜホワイトゴールドがメジャーにならなかったかが気になるところです。 19世紀のホワイトゴールドは金とパラジウムの合金だと言われています。 パラジウムは1803年にイギリスの化学者、物理学者、天文学者のウィリアム・ウォラストンによって発見されました。 |
ウィリアム・ウォラストン(1766-1828年) | ウォラストンはプラチナの精製法を開発する一環で、プラチナ鉱石からパラジウムとロジウムの分離に成功しています。 現代でもパラジウムはプラチナやニッケルなどの副産物として生産されます。 生産量は主産物の算出量に左右されるため、2010年代に南アフリカでプラチナ鉱山の閉鎖が相次ぐとパラジウムの生産量が減少して価格が高騰、2018年には過去最高を記録しているような金属です。 |
2019年6月の各種金属の相場 【引用】田中貴金属グループ 産業事業グローバルサイト/ 産業用相場情報 | 現代の相場からも、いかにパラジウムをある程度の量で得ることが難しかったかが類推できます。金より高いです。 |
ジョージアン ロング ゴールドチェーンの手のクラスプ |
当然ながら19世紀は今以上にパラジウム自体得ることが難しく、稀少かつ高価な材料だったはずです。だからこそホワイトゴールドも古くは富と権力の証であり、イギリスで史上最高に金が高かった時代(※参考)に作られたジョージアンのゴールドチェーンの見所の1つであるクラスプの一番目立つ部分に贅沢に使われているのです。石ころ好きには理解できないかもしれませんが、クラスプのルビーなんてホワイトゴールドのお花のただのオマケです。 |
ドイツの都市プフォルツハイム | そのようなホワイトゴールドでしたが、1912年にドイツのプフォルツハイムで、カール・リヒターによって金、ニッケル、パラジウム合金によるホワイトゴールドが発明されました。 1913年に特許申請が行われ、1915年にリヒターは特許を取得しています。 |
『PRO PATRIA(祖国のために)』 プリカジュール・エナメル ペンダント フランス 1914年〜1915年 SOLD |
しかしながら『SUKASHI』や『PRO PATRIA』で詳細をご紹介した通り、1914年から1918年にかけて西欧の列強諸国がこぞって参戦して国家総力戦となった第一次世界大戦が起こっています。 ドイツも苛烈な大戦まっただ中であり、ジュエリーどころではなくリヒターの発明はあまり広く知られることもありませんでしたし、多く製造されることもありませんでした。 |
デヴィッド・ベレーのホワイトゴールドの広告(アメリカ 1920年) | 一方で1917年に、1863年に設立されたアメリカの会社デヴィッド・ベレーが同じくホワイトゴールドの製法を発明しました。 1918年に特許を出願し、1920年に特許が認められ、プラチナより安価な白い金属として"ベレー・メタル"と呼ばれて人気が出ました。 |
『Demantoid Flower』 |
プラチナとパラジウムは1914年の時点でロシアが世界の90%を供給する状況でした。 宝石の宝庫とも呼ばれるほど鉱物資源が豊富なウラル山脈の開発の歴史については、『Demantoid Flower』でご説明しました。 |
ウラル山脈から採掘されたプラチナ "Platinum-41654" ©Robert M. Lavinsky, iRoks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ウラル山脈のプラチナは、1819年に"新しいシベリアの金属"として発見されました。 この時に発見されたプラチナは岩石中に少量が含まれるだけでしたが、1824年末に大きな鉱床が発見されると1825年から本格的に採掘が開始されました。 |
【参考】1910〜1970年のプラチナとパラジウム価格の推移 |
これは1910〜1970年のプラチナとパラジウム価格の推移です。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、爆薬や化学兵器などの触媒として需要が高まり高騰しています。世界最大のプラチナ供給国ロシアで1917年に革命が起こり、プラチナの供給が混乱したことによってさらに価格が上昇します。「プラチナなくして戦争には勝てない。」と言われたほど、国家の存亡にすら関わる重要物資としてプラチナ価格は高騰を続け、1920年頃には金の8倍近い価格まで跳ね上がります。 1924年に南アフリカで世界最大のプラチナ鉱床が新たに発見されると、供給量の増加に伴い価格は落ち着き始めます。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、アメリカ政府はプラチナを需要な戦略物資として指定し、軍事目的以外の使用を禁止しました。余談ですが、この大戦の少し前にプラチナ相場が高騰しているが気になります。原因は分かりませんでしたが、第二次世界大戦が起こることが分かっていたかのような市場の動きに少し不気味さを感じます。 |
世界の金価格の推移【引用】Value Walk / GOLD PRICE HISTORY ©www.goldchartsrus.com |
この時代は国によって金本位制を止めたり復活させたり、そのタイミングもまちまちですが、先にご紹介したプラチナとパラジウムのチャートが1オンスあたりのアメリカドル価格なので、金も同じ条件で比較してみましょう。金価格は1934年に世界恐慌への対策として金準備法が制定され、35ドルに切り上げられるまでは20.67ドルに固定されていました。プラチナ価格が過去最高となった1920年前後も、金価格は20.67ドルで固定されています。 |
『ホワイト・レディ』 アールデコ 天然真珠&プラチナ スーパーロング・チェーン イギリス 1920年代 長さ 150cm(引き輪付き) SOLD |
第一次世界大戦によってプラチナが高騰し、1916年以降は南アフリカで大きな鉱床が発見されて価格が落ち着いてくるまでの1927年頃まではおよそ80ドル以上の価格で推移し、最大155ドルほどの価格を付けています。 つまりこの期間は金の4倍以上、1920年頃の最も高騰した際は最大で金の8倍近くも高かったということになります。 該当する期間に富と権力の象徴として、『ホワイト・レディ』のようなプラチナのスーパーロングチェーンが作られているのも納得ですよね。 イメージするならば、金だったら100万円で買えるチェーンがプラチナだと800万円近くしていたということなのです。 100万円だって十分に高いのですが、相当頑張れば庶民でも買えなくはありません。しかしながら800万円ともなると、本当の富裕層でなければジュエリーとして手を出せるものではありません。 |
デヴィッド・ベレーのホワイトゴールドの広告 | 1920年に特許が認められたベレーのホワイトゴールドは、プラチナよりは安価な白い金属であることが売りでした。 だからプラチナより安物として作られたジュエリーもいくつももちろん存在します。 しかしながら1930年代のプラチナ価格が十分に下がって以降はゴールドとほぼ変わらない価格に落ち着いており、アールデコ後期は最早ホワイトゴールドだから安いということにはなりません。 |
アールデコ プチ ペンダント イギリス 1920年頃 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、ローズカットダイヤモンド、18ctホワイトゴールド SOLD |
また、一見同じ白い金属であっても加工特性が異なることに気づいた才能ある職人は、ホワイトゴールドだからこそできる"表現の限界"に挑むこともありました。 ヘリテイジでは1940年代以降のヴィンテージは扱いませんが、そもそも世界の中心としてジュエリーの生産・消費大国となったアメリカでは1939年から1945年まで禁止されてプラチナジュエリーを作ることができませんでした。この時代にアメリカで作られたジュエリーは、どれだけ高級なものでもプラチナではなくホワイトゴールドです。 ジュエリーに携わる人で歴史や相場にまで詳しい人は世界的に見ても殆どいないため、無知故にプラチナは高級品、ホワイトゴールドは劣るものと一辺倒に思い込んでそう説明する人もいたりはしますが、作られた時代ごとに個別に理解しないとそれぞれのアンティークジュエリーの真の価値は分からないのです。 |
『至高のレースワーク』 エドワーディアン リボン ブローチ イギリス 1910年頃 ローズカット・ダイヤモンド、ホワイトゴールド&イエローゴールド SOLD |
チャートからも分かる通り、ホワイトゴールドを作るためのパラジウムはプラチナと価格が連動しており、しかも同じくらい高価な素材でした。 ホワイトゴールドも市場に出始めた頃は画期的な新素材であり、且つ超高級素材でもありました。 だからこそ初期のホワイトゴールドジュエリーは、『至高のレースワーク』のようにイエローゴールドバックのものも存在するのです。 |
1-3. 本作品のホワイトゴールド
ホワイトゴールドにはニッケル系(他には銅、亜鉛など)と、パラジウム系(他に銀、銅など)があります。 |
ニッケル塊 "Nickel chunk" ©Materialscientist at English Wikipedia(10 November 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 1915年にカール・リヒターが特許を取得したホワイトゴールドは金にニッケルとパラジウムを混ぜたものです。 現代ではニッケルが金属アレルギーを起こしやすい金属の1つであることが判明しているため、『ニッケルに関するヨーロッパ指令』によって、ヨーロッパでは合金からのニッケル溶出量が一定以下に規制されています。 それでも規制をクリアしたものでも5〜7%はニッケルが含まれています。 |
デヴィッド・ベレーのホワイトゴールドの広告(アメリカ 1920年) | 1920年に特許が認められたベレーのホワイトゴールドは金に亜鉛とニッケルが混ぜられた18ctゴールドで、やはりニッケルが入っています。 |
本作品のホワイトゴールドは金、銀、パラジウムの合金で、ニッケルは検出限界以下で合金として使用されていませんでした。 |
リヒターやベレーのホワイトゴールドで使用されているニッケルは漂白剤として添加されているものです。ニッケルはステンレスなどにも使用されるほど安価で大量に手に入る材料です。安い材料で割れば全体として割安になるので商業的に非常に意味があります。特許を取る意義もあるでしょう。 |
本作品の場合、割金が銀とパラジウムなので全体としては決して安くはありません。 |
アメリカ化学会事務局長チャールズ・L・パーソンズ博士(1867-1954年)69歳頃 | しかも作風からはエドワーディアンからアールデコ初期にかけてのトランジション・ジュエリーと推測されるのですが、この頃プラチナは戦略物資としてとても重要な地位にありました。 アメリカ国内でも1917年に参戦した直後の1918年1月に、パーソンズ博士が主婦向け雑誌の中で「プラチナなくして戦争には勝てない。」と寄稿して一般国民女性にジュエリーとしてのプラチナの使用を控えるよう呼びかけているほどです。 第一次世界大戦自体は同年11月に終結しました。 1910年代に各国でホワイトゴールドの開発が力を入れて行われたのは、プラチナが高いからということ以上に国家存続と繁栄に重大な結果をもたらす重要な意味があったからなのです。 |
戦時中のプロパガンダ | 帝国主義渦巻く時代、国家が滅亡すれば自身の幸せもあり得ません。 国家の危機は他人事ではなく自分事です。 戦争がまだ起こっていなくても、いつか起こる戦争に備えて動いていた人もいることでしょう。 さらに本格的に戦争ともなれば「ぜいたくは敵だ!」なんてプロパガンダも叫ばれていたことは日本でも有名です。 そして、これは当然日本人だけがやる非論理的な根性論などではないのです。 |
世界最大の釣鐘『頌徳鐘』(1903年完成) 【引用】総本家 釣鐘屋HP/釣鐘屋の歴史 |
『至高のレースワーク』でもご紹介した通り、かつて聖徳太子没後1300年の記念事業として作られた当時世界最大の釣鐘も、昭和17(1942)年に第二次世界大戦の金属回収令で供出し、失われてしまいました。 開国以降、欧米に渡る日本人も多くいたためプラチナジュエリーも国内には入ってきていましたが、釣鐘に限らずプラチナ宝飾品も政府によって買い上げられ、工業用の材料に回されています。 プラチナの結婚指輪たった1つで、爆薬を作るための硝酸が100ポンド(約45kg)も合成できるとされています。 第一次世界大戦ももっと消耗戦が長引けば、ヨーロッパでも同様の事態が起きたことは想像に難くありません。 |
戦時中のプロパガンダ | 昭和16年(1941年)の町会の張り紙 |
「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」、「町幸会の決議によりパーマネントのお方は当町通行を御遠慮下さい」。贅沢は生活必需品ではなく心の潤いです。生きることすら脅かされる環境になれば、真っ先に悪しきものとして目を付けられるのはしょうがないことです。エドワーディアンの時代は、例えお金があってもオールプラチナのものを身に着けるなんてあり得ない風潮だったのだと推測します。 各国でどのような風潮だったのか、政府がどの程度介入していたのかは今回調べきれていませんが、少なくともアメリカでは第一次世界大戦中もプラチナ制限が課されていたようですし、第一次世界大戦の結果を受けて第二次世界大戦では軍事目的以外の使用の禁止という措置をとったことは記録に残っています。 フランスについても、戦時中に政府が民間ジュエリー業者から在庫をかなりの割合で戦争のために強制的に没収したそうです。考えることはみな同じです。 |
このような時代背景の中、本作品の作者もホワイトゴールドの開発にしのぎを削り、成功した人物の一人なのだと推測します。 特許出願しなかったため、歴史上には名が残らなかったのでしょう。 すべてが白く美しい金属で作られたジュエリー。 それは多くの女性たちの憧れだったのです。 |
ようやく発明に成功したホワイトゴールドのお披露目のために、作者はこの特別な作品を作ったのだと思います。 |
2. 時代を先取りしたスタイリッシュなデザイン
プラチナにゴールドバックというエドワーディアンの特長で作られた本作品ですが、デザインは完全にアールデコです。 |
2-1. ジュエリーデザインの変遷
ミッド・アールデコ | アールデコ後期(1930年代) | ||
ミッド・アールデコになってくると王侯貴族らしいエレガントさやクラシックな雰囲気が抜け、新しいパワフルな層の存在を感じるようなスタイリッシュで勢いのあるデザインが多くなってきます。アールデコ後期になってくると、全体的にはより装飾がそぎ落とされたシンプルなデザインになっていきます。 |
2-2. 新しい時代を作る傑出した特別な作品
本作品は、デザイン的にはアールデコ中期から後期にかけてのより洗練された時代に近い印象があります。 |
エドワーディアン バー・ブローチ イギリス 1912年 SOLD |
時代を何年も先取りしたデザイン。真に優れたデザインであれば、後で時代が追いついてきます。 |
オーストリア プルカースドルフのサナトリウム(ヨーゼフ・ホフマン設計 1904年) "Sanatoriumpurkersdorf1-2" ©Alberto Fernandez Fernandez, Roman Klementschitz(22 January 2009, 17:26)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
セセッション派であるウィーン工房の代表作の1つ、プルカースドルフのサナトリウムもやはり時代の先を行くデザインでした。ヨーゼフ・ホフマンが設計したこの作品は、幾何学的な形態による初期モダニズム建築とされています。 |
プルカースドルフのサナトリウムの内装(ウィーン工房 1904年) "Purkersdorf Sanatorium Eingangshalle 3" ©Thomas Ledl(23 September 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 AT |
内装に至るまで、直線的で幾何学的な装飾はアールデコにも通じると言われています。傑出した魅力がなければやがて淘汰されますが、優れていれば皆が真似し、広まっていくことでやがてはそれがスタンダードとなります。そうして新しい時代が作られていくのです。 |
先頭に立って時代を牽引し、次の新しい時代を作っていく。 特別な作品にはそのようなパワフルなエネルギーがあるのです。 |
3. 驚愕のプリンセスカット・ダイヤモンド
最初にこの作品を見たときに、いろいろと驚きました。エメラルドは色があるのでどれも四角にカットされていることが肉眼でも分かったのですが、ダイヤモンドも四角いような四角ではないような・・。エメラルドもダイヤモンドも、どちらも四角にカットした石というのはかなり特別なものであるはずなのです。 |
拡大画像を見れば分かりやすいのですが、リングなので実際のサイズはそう大きくはありません。 さらにダイヤモンドが上質であればあるほど、煌めきが凄くて実物を見てもどうなっているのかが肉眼ではよく分からないのです。 |
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『目眩ましのダイヤモンド』 ダイヤモンド 一文字リング イギリス 1860年頃 SOLD |
以前お取り扱いした『目眩ましのダイヤモンド』もそうでした。まさに目の眩む極上のダイヤモンドの宝物でした。 静止画像ではなかなかお伝えできないのですが、次の持ち主となって下さったお客様も実物をご覧になって、私と同じようにその煌めきの強さに驚かれたようです。 |
『ETERNITY』 メアンダー模様 ダイヤモンド ネックレス イギリス 1920年代 SOLD |
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『ETERNITY』のような第一級の作品の場合、ダイヤモンド自体が激しく煌めきを放つ上に、ダイヤモンドを留める爪までもよく磨かれており、爪自体も美しく煌めきます。 また、中央の一番大きなダイヤモンドを留める爪はフレームの四方で2点ずつ、さらにフレームの角のそれぞれにグレインワークが施してあります。四角のフレームが円形のダイヤモンドで満たされ、さらに四方の隙間を埋めるように3つずつの粒で満たすという徹底した細工です。 正直、拡大画像でもそれぞれが煌めきすぎて、ダイヤモンドが四角なのか円形なのかよく分からないのではないでしょうか。 |
そういうわけで、この静止した拡大画像を見てようやくこのダイヤモンドが、四角のフレームをダイヤモンドだけでピッタリ埋められるようにプリンセスカットになってることが分かりました。四角に近いクッションシェイプカットの可能性くらいはありそうと思っていましたが、ここまで完璧に四角形にカットされていただなんてGenも私もとても驚きました! |
3-1. カット技術の革新がもたらした驚異のプリンセスカット
3-1-1. 現代のダイヤモンドのカット
【参考】進化したレーザーによるダイヤモンドの切断装置 | 美しいかは別として、現代ではダイヤモンドはどんなカットでも自由自在です。 コンピュータ制御で、レーザーでカットすることもできるからです。 初期の設備投資は多少かかっても、職人の手作業によるカットと比べて人件費がかからないので最終的には安くつきます。 安く大量生産できるのが現代ジュエリーです。 |
3-1-2. 古い時代のダイヤモンドのカット
原石の状態のカリナン(1908年) | 一方で古い時代は、ダイヤモンドは劈開性を利用してカットするしかありませんでした。 ダイヤモンドは非常に硬い宝石ですが、特定方向には割れやすい劈開性を持っています。しかしながら全ての石が理想的な結晶体として採掘されるわけではありません。 実際には様々な方向に結晶化した不定形の原石である場合の方が多いのです。内部に結晶欠陥があるのかもカットしてみなければ分かりませんし、インクリュージョンを避けてカットするというのもかなり難しいです。 |
カリナンに第一刀を振り下ろすアイザック・ジョセフ・アッシャー(1908年) | このような天然の石であるダイヤモンドは、熟練の勘と高度な技術を持つカット職人が原石を見て正解の"一点"を見極め、精確に突かないと割れないのです。 あまりにも結晶が不定形すぎると劈開でカットすることができません。 |
今でこそダイヤモンドソウやレーザーを利用してカットできるので、不定形の石でも使うことができますが、昔は低品質の原石だとそもそもカットできないので、ジュエリーには使用されなかったのです。 完璧な結晶と言えるような、八面体の美しい結晶系を持つ原石は数千トンの中にあるかどうかしか存在しません。数千トンの土砂中に、ではなく数千トンのダイヤモンド原石の中に、です。 ダイヤモンドのジュエリーは限られた人たちしか手に入れることのできない"本当の宝物"だった時代が、以前はありました。 |
最も大きな9つのラフカットされたカリナン |
劈開を使って、最終的に整えたいルースの形に合わせてできる限り形を整えていきます。ダイヤモンドのカットが困難なのは、劈開を使って形を整えて終わりではないことです。むしろここまではオマケみたいなものです。 |
宝石として仕上げられた9つのカリナン |
ラフカットされた石は、硬いダイヤモンドを硬いダイヤモンドで少しずつ削るという気の遠くなるような作業でルースに仕上げることになります。 1908年にカットされたカリナンもラフカットされた9石は3人で1日14時間、8ヶ月作業してようやく宝石の形に磨き上げられました。1日14時間労働だなんて、工場の2交代制よりヤバいですね。この作業を請け負った世界トップの技術を誇るアッシャー・ダイヤモンド社がブラック企業とはあまり思えないので、昔の人にとっては当たり前の労働時間だったのでしょうか。現代だと雇われ職人にこういう労働環境は許されないので、同じレベルで技術を磨くこと自体が不可能であることも分かります。 |
3-1-3. ダイヤモンド・ラッシュに伴う加工技術の近代化
『財宝の守り神』で詳しくご紹介した通り、1860年代に入るとそれまでの世界最大のダイヤモンド供給源だったブラジル鉱山が急激に枯渇し、ヨーロッパのダイヤモンド産業が縮小や廃業に追いやられる事態に陥りました。 しかしながら1869年頃から南アフリカのダイヤモンド・ラッシュが始まると、ダイヤモンド産業に目を付けた人たちによって加工技術の研究開発が熱心に行われるようになりました。 これによってダイヤモンドの研磨とカットが近代化されていくことになります。 まず1870年代初めにヘンリー・モースとチャールズ・フィールドによって、蒸気機関を使った研磨機が発明されました。 |
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ヘンリー・モース |
ダイヤモンドを研磨して形を整える作業は、ダイヤモンド粒子を使った回転盤にファセットとなる面を押しつけて徐々に削るという方法で行います。 昔は回転盤を回す動力は人間、もしくは家畜などでした。 基本的には人間が手回しするので、カットする作業には2人が必要です。 一定のスピードで回し続けるのはかなり大変なことです。 これが機械でできるようになったのです。楽な上に、単純計算すれば人件費も半分で済むようになります。 |
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ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) |
1891年には電動の研磨機が発明され、ついに商用のラウンドブリリアンカット・ダイヤモンドの時代が到来しました。 |
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モースによる研究のメモ |
つまり、それまでの時代はダイヤモンドは限られたごく一部の上流階級のための物だった物が、まだかなりの高級品とは言え、庶民でもかなり頑張ったら手が届く程度に価格を抑えて量産できるようになってきたということです。 |
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モースの会社の加工場 |
さらに1900年にはアメリカでベルギー移民によって電動のダイヤモンド・ソウが発明され、劈開の方向すらも無視したカットが可能となりました。 |
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ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) |
3-1-4. ダイヤモンド・ソウの発明によるカットの革命
王太子時代のイギリス王エドワード7世(1841-1910年) | 電動のダイヤモンド・ソウがもたらした衝撃は、これまで利用できなかったクラスの原石まで使えるようになったことだけではありません。 宝石王子とまで呼ばれたエドワード7世が、当時世界最大の宝石クラスのダイヤモンド原石カリナンのカットをジョゼフ・アッシャーに依頼したのはきちんと理由がありました。 |
原石の『エクセルシア』 | 当時世界最高の職人の1人とされ、有力メゾンやブティック以外に王室や有名人、政治家などの個人顧客を持ち、カリナン以前に世界最大の原石だったエクセルシアのカットにも成功した実績があったからです。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
それに加えて、ジョセフ・アッシャーは美しいカットを考案する才能もありました。 1902年に開発したアッシャーカットは、特許を取得した開発者の名前を冠する世界で初めてのカットとなっています。 このアッシャーカットは国際的にも好評を博し、第二次世界大戦までは独占的な特許を保持して最盛期には会社もカットも大成功していました。 |
アムステルダムのダイヤモンドカットの加工場(19世紀) | しかしながらダイヤモンド産業に関わるのは基本的にはユダヤ人でした。 アッシャー一族もユダヤ人だったため、第二次世界大戦では会社のカット職人ほぼ全員がナチスによって強制収容所に収容されてその間に特許が失効、更新する人がいなかったため、アッシャーカットを真似たカットも次々と出てくるようになったのです。 |
それくらいアッシャーカットには魅力があり、大人気だったということですね。ダイヤモンドはどうカットするかもとても重要なのです。 1900年にダイヤモンドソウが発明されましたが、1902年に考案されたアッシャーカットもその賜物と言えるでしょう。 技術革新は作業が楽になることによる量産革命ももたらしますが、一方でアーティスティックな才能を持つ人物にとってはこれまでできなかったことに、新しいチャレンジの機会を与えることにもなるのです。 |
そのもう1つが、同じ頃の時代に生み出されたこの作品のプリンセスカット・ダイヤモンドなのです! |
3-1-5. 70年近く時代を先取りしたカット
高級アンティークジュエリーを専門としてこれまでの44年間、様々なアンティークジュエリーを見てきた中で、このカットは初めて見る珍しいものです。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
Genが調べたところ、プリンセスカットであることが分かりました。 正確には現代のプリンセスカットの原型と言えます。 『プリンセスカット』という名前は実は1960年代に、現代のプリンセスカットとは別のカットに与えられた名前でした。 |
1961年にロンドンのカット職人アルパド・ナジーが開発したプロファイルカットに与えられた名称でしたが、四角形でもダイヤモンドに厚みがなく、現代のプリンセスカットとは輝きが全く異なっていたようです。魅力なきものが淘汰されるのは必然で、残念ながら実物は確認できませんでした。 |
バリオンカット・ダイヤモンド | 現代のプリンセスカットの原型と言われているのが、1971年に南アフリカのカット職人バジル・ウォーターマイヤーが特許を取得したバリオンカットです。 このカット以前の正方形のカットは輝きが弱く、くすんだように見える傾向があると言われており、バリオンカットは石からの輝きが最も大きくなるようにと設計されたカットになります。 ただ、このカットは高い対称性を持つ直線でカットする必要があり、作成は非常に困難なカットでした。量産に向かないものもヴィンテージ以降のジュエリーでは淘汰されます(笑) ちなみに四角形の角はカットされているので八角形のカットです。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
最終的には1979年から1980年にかけて、長年の光学研究の末に生み出された現代のプリンセスカットがイガル・パルマン、ベザレル・アンバー、イスラエル・イツコウィッツらによってほぼ同時期に開発・発表されました。 バリオンカットもプリンセスカットも輝きは比較的似ていたのですが、カットが難しすぎるバリオンカットは80以上ものファセットを持つのとは対照的に、プリンセスカットは一番少ない場合で49のファセットを持つのみでした。 |
現代のプリンセスカット・ダイヤモンド "Diamond princess cut" ©Stephen Durham from Pine Bluff, AR, USA(22 December 2006, 11:17)/Adapted/CC BY 2.0 |
見栄えが良い上に量産向き、しかもプリンセスカットというネーミングの良さもあって1980年代から1990年代にかけて婚約指輪として高い人気が出ました。 |
【参考】プリンセスカットの婚約指輪(現代) | もちろん今でも非常に人気があるカットです。 ただし四角形の角が割れやすいそうで、角は面取りしてあったり、いろいろとデザインには制約があるようです。 |
【参考】プリンセスカット・ダイヤモンドのリング(現代) | ||
それにしてもデザインがダサいものが多いです。現代だと優れたデザイナーがいたとしても、熟練の職人が手間をかけないと作れないデザインだと制作不可能ですからね。せっかくのプリンセスカットもとても残念な感じです。 |
それにしても1980年頃にようやく出てきたプリンセスカットを70年近くも先取りしたダイヤモンドがあったなんて前代未聞の事実なのです! ハイクラスのアンティークジュエリーを扱っていれば、たまにこういう大発見はあることなんですけどね。 |
現代ジュエリーの歴史は所詮、庶民用のジュエリーの歴史に過ぎません。 上流階級の中だけの情報がメインストリームに出てこなくて当然なことは、他の様々な世界からもご想像いただけると思います。 そういう意味でも"アンティークジュエリー"という特別な宝物の存在を知っており、手に入れることができる私たちはラッキーだと思っています♪ |
3-1-6. アッシャーカットとの違い
【参考】アッシャーカット | 【参考】プリンセスカット |
同じ四角形系統のカットでも、アッシャーカットとプリンセスカットの外観には大きな違いがあります。一番の違いは"輝き"です。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このステップカットの中でも、特に角の部分を面取りしたカットをエメラルドカットと言います。 |
コロンビア産エメラルド ブローチ フランス 19世紀中期 SOLD |
『エメラルド・グリーン』でご説明した通り、エメラルドはジュエリーとしてセットする時に割れてしまうことがあるほど職人泣かせの割れやすい石です。 エメラルドの魅力である石そのものの色を楽しむには、煌めかせるためのブリリアン系のカットよりもステップカットの方が有効なのです。 しかしながら角があると欠けやすいため、一般的には角が面取りされるようになりました。 |
アールデコ エメラルド リング フランス 1930年頃 SOLD |
昔からあったカットですが元々は名称はなく、ダイヤモンドの様々なカットが持て囃された1920年代にエメラルドカットという名前が付けられました。 |
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
アッシャーカットは長方形のエメラルドカットを正方形にしただけです。 研究職だったサラリーマン時代には特許出願したり、研修で講演した経験もあるのですが、特許は新規性がなければ取得できません。長方形が当たり前だったところを正方形にするのは画期的なことだったかもしれませんが、今だとアッシャーが特許を取得できるか微妙ですね〜(笑) |
ちなみに1999年から現代のロイヤル・アッシャー社はアッシャーカットの改良研究を重ね、2年以上の努力の結果『ロイヤル・アッシャーカット』を発表しました。デザインは国際的な特許により保護され、ロイヤル・アッシャーカットのデザインは真似されることはないとのことです。 ただ、ファセットの面数を増やしただけなので新規性は感じられないものです。しかもオールドヨーロピアンカットがブリリアンカットになって、ファセットの数が増えた分だけ1つずつのファセットの面積が小さくなり、チラチラ・モソモソした輝きしか放てなくなったのと同様、アッシャーカットも無理に面数を増やしたことで輝きにもパワーがなくなっています。 また、ステップカット系の魅力の1つだったダイヤモンドの透明感ある魅力も消失しています。努力は分かりますが、残念な感じです。努力も方向性が間違っていれば意味がありません。外国人の方が日本人よりも、プロセスより結果重視だと思うのですが・・。 さて、このアッシャーカットが開発できたのはダイヤモンド・ソウの発明によるものと先にご説明しましたが、それだけではありません。 透明感を楽しむステップカットはインクリュージョンが目立つため、上質な石にしかできないカットです。南アフリカからそれまでになかった上質な石が豊富に入ってきたことも、アッシャーカット誕生の一因だったのです。 |
アッシャーカット自体は特許で保護されているため他社はできませんが、ダイヤモンドの透明感という魅力に気づいた人々は様々なステップカット・ダイヤモンドのジュエリーを楽しみ始めました。 |
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アールデコ ダイヤモンド ブローチ イギリス 1920年頃 SOLD |
アールデコ ステップカット・ダイヤモンド リング アメリカ 1930年代 SOLD |
後期アールデコ・リング フランス 1930〜1940年頃 SOLD |
これがアールデコにおけるステップカット・ダイヤモンドの流行です。それまで煌めきだけが持て囃されていた時代、流行の最先端を行く感度の高い人たちによって、透明感を楽しむための素晴らしいダイヤモンドジュエリーがこうして生み出されたのです。 |
一方で、アッシャーカットと同じ頃の時代に生み出されたこの特別なプリンセスカットは、透明感ではなく明らかに煌めきも重視してカットされているという違いがあります。 |
3-1-7. 現代のプリンセスカットとの違い
ファンシーカット・ダイヤモンド "Fancy cut diamonds" ©Paul Noilimrev(26 Sptember 2012, 04:58:11)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
プリンセスカットは技術名を"square modified brilliant"と言います。 四角形のブリリアンカットということですね。 ブリリアンカットの名の通り、なるべく多く煌めくようにファセットが設計されています。 |
【参考】サファイア&ダイヤモンド・リング(現代) | 4Cという基準が作られた結果、現代のラウンドブリリアンカット・ダイヤモンドが美しくないものに落ちてしまったことは『目眩ましのダイヤモンド』で詳しくご説明しました。 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは厚みがあるクラウンからのダイナミックなシンチレーションが見事で、それが実物を見た時にダイヤモンド本来の煌めき感動できる理由です。 |
工業製品同然に量産された、コストカット重視の薄っぺらく無個性なブリリアンカット・ダイヤモンドはいくら進入した光が全部返ってこようとも、1つ1つのファセットからはチラチラとした弱い均一な輝きしか感じることができないのです。 |
イエロー・ダイヤモンド・リング(ティファニー 現代) 【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Soleste Cushion-cut Yellow Diamond Halo Engagement Ring in Platinum ©T&CO |
芸術作品は人の手が作るものです。 人の手が介在していない、機械がプログラム通りに作った工業製品に美しさが感じられないのはある意味当然のことです。 背景に潜む人間のパワフルなエネルギーなんて感じようもありません。 こういう工業製品にはそんなもの存在しないのですから。 |
現代のプリンセスカット・ダイヤモンド "Diamond princess cut" ©Stephen Durham from Pine Bluff, AR, USA(22 December 2006, 11:17)/Adapted/CC BY 2.0 |
本作品 |
そしてプリンセスカットにも同じことが言えるのだろうなと、本作品の驚くほどダイナミックな煌めきを見て感じます。左の現代のプリンセスカットは照明を工夫して全力でこれなのでしょう。ファセットを多く作るのは大変だとは思うのですが、細かすぎるファセットがいくら煌めいても光が弱すぎてダイヤモンド本来のエネルギーに満ちたパワーある煌めきが感じられないのです。 |
オールドヨーロピアンカットの美しい煌めきを分かっている人たちが上流階級にたくさん存在した時代、それらの人々をあっと驚かせるためにはただ四角形なだけでは不十分です。オールドヨーロピアンカット以上の迫力を感じさせる、このプリンセスカット・ダイヤモンドの煌めきには本当に感動します。 |
あらゆる角度で強い煌めきを放ちます。それと同時に面白いのが、透明感ある美しさも強く感じられることです。撮影するための台に映り込んだダイヤモンドを見てみると、結構テーブルが広いことが分かります。 |
だからこそテーブル面が全反射していない時は石の内部を覗き見ることができ、透明感も十分に感じて楽しむことができるのです。 |
石を見てこれだけ強く透明感を感じられる場合、よほどインクリュージョンのない上質な石でなければなりません。 本作品が作られた時代は、現代のような様々なエンハンスメント処理の技術がまだ存在していないからです。 |
天然無処理のこの大きさのダイヤモンドで、これだけ拡大してもクリーンなのは実はとても驚くべきことなのです。 |
上質なダイヤモンドを使用したプリンセスカット・ダイヤモンドなので、ファイアの出方もとても面白いです。このダイヤモンドは、この作品のためだけに考案された、オリジナルの特別なファセット・カットを施されています。 |
『Nouvelle-France』のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドのファイア | だからこそ、いつものハイジュエリーで見るオールドヨーロピアンカットとは異なる、このプリンセスカット・ダイヤモンドならでの美しいファイアが出るのです。 |
ダイヤモンドの中心部にキューレット(底部の先端をカットした部分)が見えますが、このキューレット部分も四角形になっており、円形のオールドヨーロピアンカットとは異なるオリジナルのカットが施されていることが分かります。それにしてもこの複雑なカットが見事に活きていますね。 |
クラウン(ダイヤモンド上部)、パビリオン(ダイヤモンド下部)共に複雑なカットが施されており、その複合の結果、他のカットには見られない独特の美しいファイアとシンチレーションが光の当たり方の僅かな違いでダイナミックに変化し、見る人の心を捉えて離しません。 |
ただ何となく四角形にカットしただけではこうはなりません。 裏側を見ると、ダイヤモンドには十かなり厚みがあることが分かります。 |
厚みがあるパビリオンが、複雑なファセットでカットされています。 |
天才カット職人が光学的に完璧に計算し、その至高の技術を用いてこれ以上のものはない最高のカットを施したからこそこの見事な煌めきが放たれるのです。このプリンセスカットは、時代をいくつも先取りした驚くべきダイヤモンドの芸術作品です。 |
3-1-8. ダイヤモンドのまとめ
本作品のプリンセスカットは透明感も楽しめる上にアッシャーカットより遙かに魅惑的な輝きを放ち、現代のプリンセスカットよりもパワフルでダイナミックな煌めきを放つことができる、時代を超えた唯一無二の"ダイヤモンドの芸術"です。 |
【参考】アッシャーカット | 【参考】プリンセスカット |
これだけ魅力的なのに、なぜ他に作られることがなかったのでしょうか。 このカットに耐えうる上質な石を手に入れるのが難しかったこと以上に、当時の職人の高い技術を以てしても、このカットは難易度が高すぎたのだと推測します。 こうしてこの作品は唯一無二の宝物となったのです。 |
4. 素晴らしいエメラルド
このリングの主役はどれなのか本当に迷います。特別に開発された新規お披露目のホワイトゴールド、唯一無二のカットが施された魅惑のプリンセスカット。ダイヤモンドもさることながら、エメラルドも実に素晴らしい石が使われています。全てが主役級です。 |
4-1. 効果的なグリーンの配色
この作品には4つのエメラルドがセットされています。メインの大きな石が1つ、3石で緑のラインを表現した小さな石が3つです。エメラルドで一番大切なのは美しい色彩と言えますが、メインストーンはもちろん小さな石までとても鮮やかで明るい、美しい緑色を呈しています。 |
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拡大すると分かりにくいですが、実物のリングとして見たときはメインのエメラルドも、端のライン状のエメラルドも同じ色彩と感じます。 四角の形状を組み合わせたアールデコらしいデザインが、この鮮やかなエメラルドによって完成しています。 |
4-2. 透明度の高い見事なエメラルド
メインのエメラルドは、深山の湖のような深い透明感も見事です。撮影用の強いライトを当てた上で拡大しているので多少のインクリュージョンが見えますが、中心部分にはインクリュージョンが入っていないので、実物は限りなく透明に見えます。 |
このエメラルドの深い透明感は石に厚みがあるからこそですが、だからこそ石全体としてこれだけインクリュージョンが少ないことも驚異的なのです。 エメラルドはインクリュージョンが多いことで有名な石で、透明感を出したり色鮮やかに見えるようにするため、古代から品質が良くないものには表面にオイルを塗ることもあったような石です。 宝石の中で一番インクリュージョンが多いとも言われており、中央宝石研究所(CGL)も「エメラルドはその緑色の深さが十分であれば内包物の存在で評価を落とすというよりも、その色調により高い評価が与えられている宝石」と説明しています。 |
【参考】エメラルドがメインストーンの高級リング | |
このため、多少古い時代の高級品のメインストーンであってもエメラルドにインクリュージョンがあるのは当たり前のことでした。 |
【参考】エメラルドがメインストーンの高級リング | しかしながら無知な消費者が主要購買層となる戦後になると、工業製品的な完全無欠のジュエリーを求める消費者に合わせてオイル含浸が積極的に行われるようになっていきました。 オイル自体に着色して屑石を良く見せて安値で販売することもありました。 安かろう悪かろう、安物買いの銭失いは当然のことなのですが、業界の目論見通り喜んで買う中産階級は多くいました。 |
【参考】エメラルドがメインストーンの高級リング | 購入した後、いつの間にかオイルが抜けて「エメラルドの色がなぜか薄くなった。」「ジュエリーケースが緑色に着色している」などという馬鹿みたいなクレームになったこともあったようです。 これを受けて、1980年代には簡単には流れ出ないエポキシ樹脂を使って含浸する方法が急速に普及しました。 |
エメラルドのオイル含浸はターボポンプを使った真空減圧装置で行います。 大気圧下では不可能なミクロの隙間にも樹脂を重点できるので、見た目はバッチリ改善できます。 今ではオイルが抜けてしまったエメラルドのオイルを再充填して美しく蘇らせるサービスすら提供されています。ただ、オイルも樹脂もいずれは劣化します。無理に作り出した美しさは永遠には保ちません。 |
『レセップスのクラバット・ピン』 フランス 1880年頃 SOLD |
昔の上流階級は教養の一部として当然ジュエリーにも十分な知識がありましたから、エメラルドにインクリュージョンが当たり前であることは分かっています。 |
『エメラルド・グリーン』 アールヌーヴォー ブローチ&ペンダント フランス 1905〜1910年頃 SOLD |
ハイクラスのアンティークジュエリーであれば、上質な石に不要な処理なんてしませんから職人は石と対話しながら加工ができます。 それでもこの『エメラルド・グリーン』のように、角を残したトライアングルカットなんて普通はあり得ないことです。 この石が見た目通り、インクリュージョンが少ない特別なエメラルドだったから実現できたことです。 |
そういう意味で、やはり4つも角を持つこのスクエアカットのエメラルドも異例の存在と言えます。驚くほどインクリュージョンが少ない石だからこそ無事にこのカットを施してセットし、100年もの使用にも破損することなく耐えられたのです。 |
硬いダイヤモンドはまだしも、サファイア&ルビーやトパーズなどよりモース硬度7.5と低いエメラルドの表面に摩耗などのダメージが感じられないのは、歴代の持ち主がとても大切に使ってきたというのもあるのでしょう。価値が分かる人に伝わっていくことさえできれば、優れたアンティークジュエリーはいつまでも愛され続けることができるのです。 |
明るく鮮やかな色彩のこのエメラルドには、現代のオイル含浸エメラルドとは絶対的に異なるピュアな美しさを感じます。 |
さらにはこれまでに扱ったハイクラスのアンティークジュエリーのエメラルドと比較しても、天然のままでこれほどまでに美しいエメラルドがあったなんてと驚きます。 |
やはりエメラルドもホワイトゴールドやプリンセスカット・ダイヤモンドの単なるオマケではなく、主役級の最高のものが使われているということが言えます。 |
5. 妥協のない細部まで徹底した作り
本作品は中央のイエローゴールドの中心線を境に、色だけを反転させた左右対称のデザインになっています。 とてもモダンなデザインです。 このデザインを実現するために、作りも徹底的にこだわったものになっています。 |
5-1. 脇石のダイヤモンド
エメラルドは色がはっきりしているので、左端の小さな3石も肉眼では分かりにくいですが、拡大画像で確認すればきちんと正方形に整えられていることがすぐに分かります。それとは対称となる右端に並べられたダイヤモンド3石を見ると、実はこの小さな石も正方形にカットされていることが分かります。 小さなダイヤモンドなので完璧な正方形にはなっていませんが、明らかに円形のオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドとは異なっており、この作品のためにわざわざこの3石を特別にカットしたことが分かります。現代では規格が決まったルースをどこからか調達して、それに合わせてデザインするしかないことから考えると、昔のアンティークジュエリーはいかに手間やお金をかけて妥協なく作られていたのかが伝わってきます。 |
シャンクには、指に着けた時に見える位置までダイヤモンドがセットされています。 |
シャンクには主役を惹き立たせるため、控えめながらも上品な輝きを放つローズカットダイヤモンドがセットされています。 |
現代ジュエリーだとこんなに小さな脇石も全て同じブリリアンカットのメレダイヤを使ってしまいます。「輝きをデザインする」なんて発想は微塵もないのでしょう。ダイヤモンドの輝きの使い分けと、それに基づく美しさはアンティークのハイジュエリーならではのものです。 |
5-2. 美しいミルグレイン
センターラインのイエローゴールドとプラチナ、それぞれ硬さや粘りけなどの金属の特性が異なるはずですが、まるで機械が作ったかのごとく一糸乱れぬ均一なミルグレインが素晴らしいです。 |
拡大画像ではミルがゴツい感じに見えるかもしれませんが、実物はリングサイズなのでとても小さな細工です。 小さいながらも丹念に磨き上げられたミルが、ダイヤモンドのダイナミックな煌めきとは異なる繊細な輝きを絶えず放ち続けて美しいです。 |
【参考】 エメラルドと合成ルビーのアールデコ・リング(ポール・ブランド作 1930年代) | 【参考】高級品だがつまらない作りなのでヘリテイジでは扱わないアールデコ・リング(作家物 1930年代)クリスティーズにて約825万円で落札 |
同じように四角形を主体としてジュエリーでも、後期アールデコになってくると手間のかかるミルグレインは作家物の高級品であっても作られなくなります。 |
スタイリッシュなアールデコのデザインと、ミルグレインが放つ繊細な輝きによる高級感の組み合わせが、この作品をさらに別格の存在へと印象付けているのです。 |
5-3. 彫金細工
この作品は、石を留めた台座の側面にエレガントな彫金が施されています。 |
このようなあまり目につかない部分にまで徹底して細工を施してあることに、エドワーディアンの特別な高級品らしさを感じます。 |
作品のレベルの割には彫金が少しすっきりしない印象があったのですが、このホワイトゴールドはニッケルが入っていないパラジウム系のソフトホワイトゴールドに属します。 ハードホワイトゴールドと呼ばれるニッケル系のホワイトゴールドは硬いので彫金に向いていますが、パラジウム系のホワイトゴールドは柔らかいためこれが限界だったのでしょう。 |
発明したばかりでどのような性質があるかまだ十分には分からない中、細工の限界に挑んだ特別な作品。このエレガントな模様も、やはりエドワーディアンらしさを感じさせてくれる楽しいものです。 |
5-4. 裏側
裏側もスッキリとした綺麗な作りです。 |
6. コンテスト・ジュエリーに共通する特徴
ヘリテイジは高級アンティークジュエリー専門店ですが、基本的にハイジュエリーには特別にオーダーされて作ったものと、高級な既製品として作られたものの2種類です。 ただ、それとは別に、万博などコンテストに出展するために作られたもう1つのジャンルが存在します。 |
第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年) | 1851年に第1回ロンドン万博で始まった万国博覧会では、各国が威信をかけて様々な最先端技術を使った展示や美術品などを出展していました。 |
コ・イ・ヌール、英国王室蔵(ロンドン塔に展示) | この第1回ロンドン万博では目玉の1つが当時186カラットあった大きなムガルカット・ダイヤモンドのコ・イ・ヌールでした。 |
ミュンヘン鉱物博物館のコ・イ・ヌールのレプリカ | |
ムガルカット(186.0カラット) "Koh-i-Noor old version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ブリリアンカット(105.6カラット) "Koh-i-Noor new version copy" ©Chris 73 / Wikimedia Commons(09:49, 21 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
『アイリス』12.7cm ティファニー 1900-1901年頃 プリマヴェラ・ギャラリー 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
万博ではジュエリーも出展されており、1900年のパリ万博でアメリカのティファニーが初めてジュエリーでグランプリを受賞したのが『アイリス』です。 国家の威信を背負い出展する作品は並大抵のものではあり得ません。 デザイン、素材、テクノロジーすべてに画期的で革新的なものがなければ勝てはしません。 ただの高級品、ただデザインが良いだけのものでは全く不足なのです。 1900年のパリ万博はアールヌーヴォーの祭典と言われています。 『マーメイドの宝物』で詳細をご説明した通り、アールヌーヴォーとジャポニズムは密接な関係があり、この時代の上流階級や知識階層はこぞって日本美術を持て囃していました。 |
【参考】1900年パリ万博グランプリ受賞『アイリス』(ティファニー 1900年)24.1cm、ウォルターズ美術館 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted. |
そんな時期に、日本らしいアヤメ・モチーフをジュエリーでこれだけ再現するのは驚くべきことです。 このアイリスは24.1cmという大きさの大作です。 |
" Tiffany and Company Iris Corsage Ornament Walters 57939 Detail croped " ©Walters Art Museum, Br'er Rabbit(14 July 2012, 09:38)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | さらに素材に関しては当時最先端の宝石が使われています。 アメリカで発見されたモンタナサファイア、クンツ博士がわざわざロシアまで足を運んだウラル産デマントイドガーネットが使われています。 |
【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted. |
テクノロジーに関しては、まず当時最先端の革新的新素材プラチナを使用しています。また、目玉となるアメリカの美しい宝石モンタナサファイアを惹き立てるべく、普通はハイジュエリーに使わないブルースチールを使用しています。随所に見られる細かなものも驚くべき技術によるもので、当時ヨーロッパの上流階級からはアメリカは不器用な粗忽者のイメージがあったのですが、それを見事に覆しグランプリを受賞するに至りました。 このようなコンテスト・ジュエリーは特定の人が使うためのオーダー品や、商売が目的の既製品とは作る時の思想が全く異なります。採算度外視、関わる人すべてがプライドをかけ、全精力を込めて作る、魂の籠もった作品がコンテスト・ジュエリーです。 |
6-1. 情愛の鳥
『情愛の鳥』 卵形天然真珠 ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
履歴が残っていないため確定的なことは言えませんが、これまでにいくつかそのようなコンテスト・ジュエリーとみられる作品を扱っています。 『情愛の鳥』もその1つです。 愛情あふれる鳥の巣を黄金で作るという驚くべきデザイン、卵形の天然真珠という驚きの素材、当時最先端のプラチナを使ったカラーゴールドとの組み合わせによる最高レベルの彫金細工。 3拍子揃った、作者の魂を感じる芸術作品です。 |
6-2. スパイダー
6-3. パラソルを持つ女
『パラソルを持つ女』 ボヘミアン・イングレイヴィング・グラスの花瓶 チェコ 1930年代初期 30,3cm ×12,4cm ¥713,000-(税込10%) |
『パラソルを持つ女』も特別な作品です。 デザインに関しては当時最先端の形の水着とヘアスタイル姿の女性を、日本美術に影響を受けたことで有名なモネの『Woman with a Parasol』にインスピレーションを受けたとみられる独特の振り向き姿のポーズで表現しています。 さらにアールデコでも引き続き人気が高かったジャポニズムが意識されており、左右非対称の幾何学模様や大胆な色使い、落款にもその影響が見て取れます。 素材とテクノロジーに関しては、量産品では黒ずんだ色の銅赤が使われるのが通常であるにも関わらず、濃く美しい色を出すことが非常に難しいとされる金赤でこの特別なルビーレッドが表現されています。 また、360度見所の円筒形の透明な花瓶に大きな面積でグラヴィール彫刻を施すというのも驚くべき技術です。 やはり三拍子揃った特別な作品と言えます。 |
6-4. Sweet Emerald
『Sweet Emerald』 |
『Sweet Emerald』は特別オーダーの可能性もゼロではありませんが、コンテスト・ジュエリーだった可能性が高いと思っています。 『神秘なる宇宙』でも触れた通り、昔は加工する際に石が破損してしまった場合、宝飾細工師が責任を追わされていました。物によっては一発で破産しかねませんし、難しいことをやる意欲が湧きません。 『Sweet Emerald』はオレンジピールカットという非常に珍しく、難易度が高く歩留まりも悪いカットを割れやすいエメラルドで実現しています。 |
6-5. 三拍子揃った本作品
本作品も三拍子が揃っています。アールデコを先取りしたスタイリッシュでオシャレなデザイン。素材とテクノロジーに関しては、プラチナが使えない中で開発への期待が高まっていた新しい素材ホワイトゴールド。特別なプリンセスカットが施された、煌めきと透明感に目を奪われる前代未聞のダイヤモンド。そして驚くほどクリアで、かつ明るく鮮やかな美しい緑色を持つ四角形のエメラルド。 |
きっと作家と作家の魂がぶつかり合う、プライドをかけた展示会に出品するためにこの作品も作られたのだと感じます。 アールデコのデザイン、1980年以降のプリンセスカットという、圧倒的に時代を先取りした才能ある作家兼職人の魂のこもった作品。 それは人の心を惹きつけて離さないのです・・。 |
左右で異なるデザインなので、どの向きで着けるかで若干イメージが変わります。 大きく違いはしませんが、何となく自分にしっくり来る向きを探すのも楽しいものです。 このリングは石を見ているだけでもとっても楽しいので、着けていると、つい自分の指元ばかり見とれちゃうかもと思わず考えてしまいました♪(笑) |