No.00244 エトルリアに想いを馳せて |
"Femme étrusque (Terracotta) " ©AlkakiSoaps(5 August 2011)/Adapted/CC BY 2.0 |
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『エトルリアに想いを馳せて』 技術が失われる残念な時代の前の、貴重で美しい極上のゴールドジュエリーです。 |
このブレスレットをロンドンのディーラーに見せてもらった時、私は歓喜しました。 極上の作り、そして極上のデザイン・・。 何よりも最高なのは、ヘリテイジにあった同タイプのネックレスと組み合わせて楽しめることです!♪ |
『エトルリアの知性』 エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス オーストリア? 1870年代 SOLD |
同じ人物のオーダーで作られたわけではないはずなのですが、どちらもエトラスカン・スタイルのトップクラスの仕事をしてある上に、アクアマリンを使った珍しいタイプなのです。 |
単品でも迷いなく買い付けるクラスの宝物ですが、揃いで組み合わせて使えるジュエリーは、オシャレを楽しむ女性にとって最高に楽しいものなのです!♪♪ |
ヘリテイジのお客様によりオシャレを楽しんで喜んでいただけるよう、いつでもそういうチャンスを狙っています。以前ご紹介した天然真珠とダイヤモンドのクラスターピアス『美意識の極み』とリング『Flower』もそうでした。 ヘリテイジはデザインだけでなくクオリティもかなり厳しく選ぶので、デザイン的にはオーソドックスなこのタイプのジュエリーでも揃いでご用意するのが難しいのです。 |
43年間でアクアマリンを使ったエトラスカンスタイルのジュエリーはGENも初めて見るという、単品でも珍しいタイプのジュエリーがセット使いできるなんて大興奮でした♪♪ |
ピエトラドュラ ピアス イタリア 1830〜1840年 HERITAGEコレクション |
ピエトラドュラ バングル イタリア 1860年頃 HERITAGEコレクション |
私がサラリーマン時代にルネサンスでGenから初めて購入した2つの宝物もそうです。当時バングルはカタログに載っていて、白大理石を使ったピエトラデュラはやはりGenもこれまでに見たことがないというくらい珍しいものだったそうですが、偶然タイミング良く同系統のピアスも入荷したそうです。 オーダーした人物も時代も違うのに、奇跡のような巡り会いですよね。当時アンティークジュエリーについては全く知識がありませんでしたが、運命を感じてピアスは「メルマガでご紹介する前にSOLD」にしてしまいました。今回、同じことが起きてしまいました(笑)いろいろと人や宝物との運命やご縁を感じます。 |
19世紀のエトラスカンスタイルのジュエリーの始まり
Fortunato Pio Castellani(1794-1865年) | エトラスカンスタイル・ジュエリーが作られるようになったいきさつは『エトルリアの知性』で詳細をご説明しましたが、1836年に発見された古代エトルリアの墳墓の発掘に参加した宝石商カステラーニが、エトルリアの優れた金細工に触発されたのがきっかけです。 |
『シレヌスの顔のついたネックレス』(エトルリア 紀元前6-紀元前5世紀)国立博物館(ナポリ) 【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.54 |
【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.27 |
触発されたのは到底人の手で作られたとは思えない、驚くべき技で作られた細工です。 |
19世紀のエトラスカンスタイル・ジュエリーの方向性
その後エトラスカンスタイルのジュエリーが流行し、カステラーニ以外の作家もエトラスカンスタイルのジュエリーを作るようになりました。デザインについて、その方向性は以下の2つに大別されます。 1.いかにも古代らしい雰囲気を楽しむスタイル 2.19世紀当時の流行とのコラボレーションによる新しいスタイル |
1.いかにも古代らしい雰囲気を楽しむスタイル
『RAMS HEAD』 ラムズヘッド プチ・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
エトラスカンスタイル ネックレス イギリス 1870年頃 SOLD |
『黄金のスカラベ』 エトラスカンスタイル ブローチ イギリス 1870年頃 Sold |
デザインの1つ目の方向性が、古代らしい雰囲気を出すスタイルです。 太陽神アメンを象徴する雄羊の頭(詳細は『RAMS HEAD』をご参照ください)、豊穣や子孫繁栄の葡萄、聖なる甲虫スカラベなど古代らしいモチーフで、金細工技術を駆使して作られた作品です。 |
『巨人伝説』 スカラベ シール リング スカラベ:古代エトルリア 紀元前450年頃 シャンク:イギリス 1780-1800年頃 SOLD |
HERITAGEの古代美術館に、GENの頃よりこれまでの44年間で過去にお取り扱いした古代の美術品のごく一部を掲載しています。 古代エトルリアは古代ローマと同化し、体制側に意図的に存在を消されてしまったため資料が極めて少なく、学術的な研究が進んでいません。 古代美術館には古代エトルリアの2つの宝物を掲載していますが、どちらもコーネリアンのスカラベです。 |
スカラベ スカーフリング イギリス 1870年頃 SOLD |
古代エトルリアの作品自体、私たちが扱いたいと思う魅力を持つか否かは別にしても、極めて現存数が少ない貴重なものです。 だからこそこの作品も19世紀中期頃に古代エトルリアのスカラベに触発されて、わざわざ新しくコーネリアンを彫ってスカラベを作り、エトラスカンスタイルの優れた金細工によってお金をかけてスカーフリングに仕立てられたのです。 知識階層の王侯貴族がオーダーして作られたメンズアイテムなので、かなりこだわってお金と手間、技術がかけられた作品となっています。 |
2. 19世紀当時の流行とのコラボレーションによる新しいスタイル
<ヴィクトリアン中期の流行デザイン>
『エレガント・サーベル』 王室御用達EDWARD&SONS社製クロークピン(ジャボットピン) イギリス 1880年頃 SOLD |
『エレガント・サーベル』でご説明した通りヴィクトリア時代は64年弱あるので、その時代の中でも流行は様々に変化しています。 |
ヴィクトリア女王とアルバート王配(1861年)共に42歳頃 | アルバート王配が1861年に亡くなりますが、その前後10年くらいの期間ですね。 この頃はまだヴィクトリア女王夫妻がファッションリーダーでした。 リージェンシースタイルが生まれたジョージ4世のように、遊び人はセンスが良いのが通例ですが、真面目過ぎるほど超真面目だったこの夫妻の場合は正直センスは良くありません。 しかもヴィクトリア女王は極端に身長が低かった上に、太めの体型だったようです。 左の画像だとそう夫婦のバランス的にヴィクトリア女王も身長が低そうには見えないかもしれませんが、アルバート王配もドイツ人なのに167cmしかなかったそうです。 |
ヴィクトリア女王の喪服(1894年)メトロポリタン美術館 | 実際の女王のドレスを見ると、その体型を伺い知ることができますね。 ヴィクトリア女王は152cm程度の身長ながら結婚前の10代で既に体重56kg、1880年代には76kgまで増加するほど太りやすい体質でした。 加齢による身長減少で145cm以下になったものの、最大で体重は125kgあったとも言われています。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年)20歳 | 若い頃はこの肥満体質をかなり気にしており、首相だったメルバーン子爵に相談したこともあったそうです。 |
メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)65歳頃 | メルバーン子爵はヴィクトリア女王即位時の首相で、女王の寵愛を受けた人物ですが、1842年に政界の第一線を退いています。 ヴィクトリア女王は23歳以前に60代の子爵に相談した計算になりますね。 女王陛下にこう言ってはなんですが、何だかそんなことを気にする乙女心がめちゃくちゃ可愛いです。 守ってあげたくなっちゃいますね。こういう人間性もあって、アルバート王配も必死にヴィクトリア女王を生涯陰で支え続けたのかもしれませんね。 メルバーン子爵は「ハノーファー家はもともと太りやすい体質なのです」と若き女王を慰めたそうです。 |
イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年) 左:18-20歳頃、右:59歳頃 | |
先々代のイギリス王で叔父ジョージ4世は、大宴会で大酒飲みと放蕩の限りを尽くした不摂生ぷりっから、晩年の肥満体や身体を壊すのも納得です。1797年には体重が約111kg、1824年に作られたコルセットではウエスト約130cmに達し、1830年の亡くなる直前の67歳頃には体重は約130kgになっていたそうです。 |
イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)21歳頃 | 放蕩どころか宮廷内を禁煙にしたりするほど真面目なヴィクトリア女王が、そんな不摂生な生活をしていたとは思えません。 体質だったのでしょうけれど、何だか気の毒な話ですね。 |
ケント公エドワード・オーガスタス(1767-1820年)51歳頃 | 女王の父ケント公エドワードに関しては身長185cmのたくましい体つきで、ジョージ4世ら他の兄弟同様ゲスな人物ではあったものの、陸軍軍人としては同階級の間では人気者だった人物でした。 娘は父に似る傾向がある上に、庶民と違って間違いなく栄養状態も良かったであろうヴィクトリア女王が152cm程度だったなんてちょっと不思議ですね。 |
【参考】ヴィクトリアン中期のデミ・パリュール | 【参考】ヴィクトリアン中期のピアス |
1861年にアルバート王配が亡くなって以降はヴィクトリア女王は長い喪に服し、華やかなファッションに身を包むことはもうありませんでした。しかしながらそれまではヴィクトリア女王がファッションリーダーでした。ヴィクトリア女王は国のトップですから自分を惹き立てることができる、自分に似合うものを身に着けます。 ふくよかで背が低い女性となると、必然的に体型に負けないゴージャスかつ可愛らしいアイテムになってきますよね。だからヴィクトリアン中期はこのようなスタイルのジュエリーが多いのです。 |
日本でも高度経済成長期やバブル期の頃はこのような着け映えする成金ジュエリーがアンティークジュエリーでも好まれて、一部の雑誌やメディアでは「アンティークジュエリー=ヴィクトリアンが最高!」と取り上げられたようです。 |
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【参考】ヴィクトリアン中期のペンダント |
しかしながらこのようなジュエリーを使いこなすには、今の日本人女性にはちょっと難しいのではないかと思います。 ふくよかな方だったとしても、西欧人の濃い顔立ちと日本人の顔立ちでは似合うものは異なりますしね。 |
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【参考】ヴィクトリアン中期のリング |
【参考】ヴィクトリアン中期のブローチ | リボンモチーフでもヴィクトリアン後期以降に現れるような洗練された雰囲気のでざいんならば良いのですが、中期はコテコテで可愛らしすぎます。 身長が低い方や、かなり若い世代の方ならばまだしも、大体の大人の女性には使いこなすのが難しいのです。 |
【参考】ヴィクトリアン中期のブローチ | 正直言うと、Genも私もかなり苦手なデザインが圧倒的に多いのがヴィクトリアン中期のジュエリーなのです。 もしかすると、ルネサンスもヘリテイジも何故か1850年代と1860年代のジュエリーが殆どないことに気づいておられる方がいらっしゃるかもしれません。 この時代に関しては、特に作りが悪くて駄目だとか、戦争など経済活動的に原因があったとかの理由はありませんが、二人ともデザイン的に受け付けないものが多いので扱っていないというわけです。 |
<ヴィクトリアン中期の流行とコラボしたエトラスカンスタイル>
-ガーネットと金細工のコラボレーション-
【参考】ガーネットを使ったエトラスカンスタイルのジュエリー | ||
詳細は『ハニー&シナモン』でご説明していますが、ヴィクトリア時代はガーネットが流行しました。そのガーネットと古代エトルリアに触発されて発達した金細工とのコラボレーションによって作られたエトラスカンスタイルのジュエリーが存在します。撚り線や粒金細工の存在が特徴です。ヴィクトリア時代に流行したイカの足タコの足(フリンジ)がデザインのポイントになっており、この時代らしさが現れています。 |
これはさらに当時流行のハエがカボション・ガーネットの表面にあしらわれています。 『美しき魂の化身』でご説明した通り、ハエは謙虚さの象徴として人気モチーフの1つでした。 撚り線細工はもはやオマケで、見事にヴィクトリア時代らしいヴィクトリアンジュエリーとして昇華していますね。 ただし日本女性に似合う雰囲気ではありませんし、私の好きなデザインでもないので絶対に買い付けないタイプです。 |
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【参考】ヴィクトリアンのハエのピアス |
-ペルジャン・ターコイズと金細工のコラボレーション-
ペルジャンターコイズを使ったものもあります。 ガーネット同様大きなターコイズは高いからなのか、このような小さいものを寄せ集めて大きく見せようとするスタイルが流行したようです。 |
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【参考】ヴィクトリアンのターコイズのピアス |
【参考】ヴィクトリアンのブローチ | 【参考】ヴィクトリアンのブローチ |
同じものに見えますが、デザインが少し違うので別物です。大流行して似たタイプがたくさん作られたのでしょうね。 左のものは最悪で、作りが悪くてトルコ石が落ちてしまったらしく接着剤で固定されています。しかもそれが変色しています・・。 |
【参考】ヴィクトリアンのターコイズとエトラスカンスタイルがコラボしたジュエリー | ||
左2つも似ていますがよく見ると別物です。先ほどのブローチよりもイカの足が付いている分『高級品』として扱われたのでしょうか。気持ち悪くてこんな物が流行した理由が計りかねますが、流行とはそんな物とも言えますね。日本でもなぜガングロやヤマンバが流行したのか謎ですしね。 |
このあたりは作りは悪くないのですが、何しろデザインが悪すぎです。 |
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【参考】ヴィクトリアンのターコイズのブローチ |
ヴィクトリアンにこれほど悪趣味なデザインが流行しなければ、作りが良くてご紹介したいと思えるジュエリーがもっとたくさん存在したはずなのにと考えてしまいます。 とても残念です・・。 |
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【参考】ヴィクトリアンのターコイズのブローチ |
『古代アンフォラ』 ターコイズ&ゴールド ピアス イギリス 1860-1870年頃 SOLD |
台頭してきた中産階級用の安物成金ジュエリーと比べて、このピアスは作りだけでなくいかにデザイン的に優れているかも感じていただけるのではないでしょうか。 古代世界で穀物などを入れるために用いられたアンフォラがモチーフとなっていますが、そのような考古学的なものに興味を抱くことができるのは教養や知識のある階層だけです。 考古学的なモチーフやジャポニズムなど、王侯貴族で知識階層の人たちが好むモチーフで作られたジュエリーは、教養のない中産階級ウケするものではありません。 だからこそ王侯貴族が特別オーダーで作る場合が多く、特に優れた作りとデザインのジュエリーであることが多いのです。 |
-アメジストと金細工のコラボレーション-
これもエトラスカンスタイルのネックレスです。 これを愛用した方には本当に大変に申し訳ないのですが、一瞬見たとき「ダッサーッ」と驚いてしまいました。 巨大なビーズを通しただけのちゃちな作りのアクセサリーに見えて、アンティークジュエリーだとは思いませんでした。 |
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【参考】ヴィクトリアンのアメジストとエトラスカンスタイルのコラボ・ネックレス |
スーパーに併設されてあるアクセサリー売り場とかで似たようなものを見たことがあるなぁと思ってしまいました。 こんな感じのネックレスです。 色がゴテゴテしていない分、こちらの中古アクセサリーの方がデザイン的にはまだマシなくらいです。 |
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【参考】中古のガラスアクセサリー |
よく見るとゴールドの珠には1つ1つに撚り線細工が施してあります。 さほどレベルは高くありませんが、一応はそこそこ手間をかけて作られたことが分かります。 |
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【参考】ヴィクトリアンジュエリーのパーツの拡大 |
【参考】ヴィクトリアンのアメジストとエトラスカンスタイルのコラボ・デミパリュール |
これは同系統のハイクラス品です。アメジストのカットや撚り線細工など、作りには十分に手間や技術がかけられています。そのような観点からすれば、なかなか面白い作品です。でも、何でこうゴテゴテしたセンスのないデザインで作っちゃったのでしょうね。もしかすると欧米人にはこういうものはウケが良いのかもしれませんが、一般的な日本人に合うデザインだとは思えないので残念ながら扱いません。 |
先ほどの簡素なネックレスと比較すると格段に手間も技術もかかっているハイジュエリーですが、デザイン一つで手間と技術の壮大な無駄遣いになってしまうものですね。 本当にこの時代のジュエリーは見ていて勿体ない、残念な気分になってしまいます。 |
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【参考】ヴィクトリアンジュエリーのパーツの拡大 |
デザインも作りも優れた宝石を使ったエトラスカンスタイル・ジュエリー
立体的な作りで、裏側にはロケットも付いた上質な作りです。 だからこそアメジストも上質なものが使われています。 直径たった3.5cmの上質で小さな宝物は、通常のヴィクトリアンの安物成金ジュエリーとは真逆の存在です。 こういうものこそ私たちが最も好む宝物なのですが、いかんせん作られた数が少ないので滅多に出てこないですね。 |
エトルスカン・スタイル ダイヤモンド・ブローチ イギリス 1880年頃 大きさ:1.8×4.5cm SOLD |
これも7年前の宝物です。出てくる時は続いて出てくるのに、ある時を境にピタっと出てこなくなるものなのだそうですが、過去を見ると確かにそのようです。 とは言ってもエトラスカンスタイルの透明な宝石が付いた新しいスタイルの優れたジュエリー自体、7年間でこの2点だけのようです。 |
GENも「モダンなエトラスカンと言いたくなる」と評していますが、ダイヤモンドのクリーンで強い煌めきはモダンな印象が強いです。 |
アクアマリンを使ったエトラスカンスタイルのジュエリー
そこにこのブレスレットがタイミング良く出てきたからビックリなのです。『エトルリアの知性』を見ながら、あらゆる宝石の中でなぜアクアマリンを使ったのかは不思議に思っていました。 |
ヴィクトリア時代に流行したガーネットやアメジストのような色の濃い宝石だと宝石ばかりが目立ち、せっかくの金細工に目が行きにくくなるかもしれません。一方で完全に無色のロッククリスタルではちょっと物足りないですし、ダイヤモンドは煌めきが強すぎてやはり金細工が目立たなくなってしまいそうです。 |
ピンク系だと愛らしい雰囲気になりますし、イエロー系だとゴールドに同化してしまって宝石が目立たなすぎです。考古学風ジュエリーという知性的なジュエリーには、洗練されて落ち着いた印象の淡いブルー系の色が一番しっくりきます。 |
『エトルリアの知性』 エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス オーストリア? 1870年代 SOLD |
現代の加熱アクアマリンと異なり、古い時代の非加熱の上質なアクアマリンは違和感のあるどぎつい水色ではありません。 また上質な石は非常によく煌めき、とても美しいのです。 |
同じくらいの時代に同じ考え方の人がいて、それぞれのジュエリーを作ったということなのでしょう。 |
ブレスレットのアクアマリンも輝き見事な美しい石が使用されています。 |
優れた金細工
美しいアクアマリンをセットした部分の金細工は特に圧巻です。見所がいくつもあります。 |
左の花びらのような細工は、ジョージアンのゴールドジュエリーによく見られるカンティーユと言われる金細工です。 |
《参考》金細工の耳飾り 古代エトルリア 紀元前530〜480年 大英博物館 |
粒金や撚り線と同じで、古代エトルリア(紀元前500年頃)ですでに優れた物が作られているのです。 さらに左の古代エトルリアの耳飾りでは、滑らかな表面の粒金とマットな表面を持つ粒金が使い分けられていることにご注目ください。 |
実はこの作品にも同じように艶やかな粒金とマットな粒金がデザイン上で使い分けられています。 |
この画像では、中央に配された粒金だけマットな表面になっています。 全体の構造やバランスではなく雰囲気にだけ影響を与える、デザイン上のちょっとした気遣いはもちろん、これを実現できる技術にも驚かされます。 1粒1粒作って蝋付けされた粒金もサイズがグラデーションになっているのが良いですね。 現代ジュエリーではこの手間がかけられないので、全て同じ大きさのパーツを使ったゴツくてダサい印象のジュエリーしか作ることができないのです。 |
外周の丁寧で美しいミルも圧巻ですね。繊細なミルがあることで、ゴールドの素材が金ぴかで安っぽい輝きではなく格調高い雰囲気を放つことができるのです。 日本人がゴールドよりもプラチナを好む傾向がある理由の1つが、ゴールドには金ぴか成金的なイメージがあるからです。ゴールドも表面にきちんとマット仕上げをすれば上質で格調高い雰囲気が出せるのですが、磨いてツルツルにしただけだと安っぽい輝きになりがちなのです。 |
全体のこの透かしの雰囲気も実に美しいものです。金が史上最高に高かったジョージアンのカンティーユだと、どうしても金を使う分量が少なく、見た目は繊細で美しいながらもブレスレットに使うには強度の観点から気を遣わなければならなかったりします。このブレスレットのように、ゴールドラッシュ以降にトップクラスの技術で作られた作品はゴールドも十分に使われており、超絶技法の細工もあってジュエリーとしても楽しいのです♪ |
アクアマリンがセットされたパーツ以外は、長方形のフレームに渦巻き模様のパーツがセットされた、透かしが美しい格調高い雰囲気のデザインになっています。それらが 2つずつのゴールドのリングで連結されています。とても珍しいデザインです。ブレスレットとして着けたとき、シャラシャラと気持ちよく手首に馴染みます。 クラスプも同じデザインと細工にしてあるのが最高です。ブレスレットは360度が人目につくので、メインのパーツがどれだけ素晴らしくても、クラスプがいまいちだとテンションが下がってしまいます。こういう工夫がしてあると腕に付けた時に一段と見栄えがするものですし、着けていて楽しいのです♪
粒金のグラデーションと大小のカンティーユそれにミルが打たれた渦巻き状の透かしは、とても魅力的でエトラスカン・スタイルのジュエリーの中でもトップレベルの作品だなと感じさせられます。 |
これだけのハイクラスのジュエリーともなれば、裏側も完璧です。 |
すべてのパーツが、持ち主以外は見ることのない裏側まで丁寧にミルが打たれています。素晴らしい技術で作られた優れた金細工、どこにも手を抜く気持ちが見られない良いものを作ろうとする徹底した仕事ぶり、その全てがとても魅力的で、エトラスカン・スタイルのジュエリーの中でもトップレベルの作品だと感じます。 |
ありがたいことに、ヘリテイジで奇跡的に巡り会ったこの2つの宝物は一緒に次の持ち主の元に旅立つことになりました。 |
テラコッタの女性像(古代エトルリア 紀元前4世紀後期-紀元前3世紀初期)メトロポリタン美術館 "Femme étrusque (Terracotta) " ©AlkakiSoaps(5 August 2011)/Adapted/CC BY 2.0 |
温厚で宴会と音楽を好み、贅沢を愛し、裕福で文化的にも豊かな生活を送っていたと言われる古代エトルリア人。 他の民族と違って女性の地位も高く、男女平等の社会だったと考えられています。 『英雄ヘラクレス』などでもご説明している通り、古代人は現代人より遙かに知能が高く賢かったようです。 エトルリアは高度な文字文化も持っており、左の女性のような知性ある美女がたくさんいたのかな、なんて想像してしまいます。 |
そのようなエトルリア世界の知的で美しい女性たちに想いを巡らせて、このアクアマリンのエトラスカンスタイルのブレスレットもネックレスも作られたはずです。 知的なものを好む19世紀の美しい王侯貴族の女性たちによってオーダーされ、身に着けて楽しまれてきたであろう2つのそれぞれの宝物。 それがヘリテイジで巡り会い、現代に生きる古代エトルリアの貴族や19世紀の知的階層の貴族の女性たちに通ずる知性や美しさを備えた女性の元へと一緒に旅立っていく・・。 同じような感性を持つ人々は生きる時代が違い、直接会うことは叶わなかったとしても宝物を通じてつながっていく。 現代、このようなジュエリーを自分自身でオーダーして楽しむことは叶いませんが、異なる時代の同じ感性を持つ人たちとのご縁を楽しめるのは、今の時代だからこそできるアンティークジュエリーの楽しみ方なのかもしれませんね。 |