No.00261 乙姫の宝物 |
『乙姫の宝物』 |
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この宝物の3大ポイント
現代人にはパッと見ただけでは、この宝物の真の価値は分かりにくいかもしれません。この特別な宝物には3つのポイントがあります。 1. 当時驚きを持って伝えられた土佐の白珊瑚が使われている 2. ヒトデが珊瑚に横たわるようなペルジャン・ターコイズのデザイン 3. 海の泡を彷彿とさせる、金細工による独特のデザインの透かし模様 |
1. 当時最先端の土佐の白珊瑚
このペンダントにはホワイト・コーラルが使われています。 オレンジ色の珊瑚のジュエリーはどの年代でもたまに見かけることがありますが、白珊瑚のジュエリーはあまり見ることがありません。 この白珊瑚を使ったジュエリーを理解するために、少し珊瑚の歴史について見てみましょう。 |
-古代からの輸出品 地中海珊瑚-
古代ローマの博物学者・政治家・軍人ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23-79年) | ヨーロッパの上流階級やエリート層の必読図書、古代ローマで書かれた『博物誌』にて、著者プリニウスは珊瑚についても記述しています。 |
ケルトの車輪と稲妻を持つケルトの神タラニス(フランス 古代ローマ時代)フランス国立考古学博物館 Public Domain by PHGCOM | それによると、元々はガリア人が武器やヘルメットなどの武具の装飾に使っていたそうです。 古来より珊瑚には身を護る神聖な力が宿ると考えられていたからです。 ガリア人はざっくり言うと、ケルト人のうちガリア地域に居住していた人々のことを指します。 |
ローマ帝国最大領土期の属州ガリア(117年) "REmpire-Gallia" ©Poeticbent/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
地理上の『ガリア』の起源は紀元前4世紀まで遡ります。紀元前390年頃に共和政ローマに侵攻してきました。 この押し寄せて定住した部族をローマ人がガリア人と呼び、その居住地がガリアと呼ばれるようになったのが始まりです。 |
トリスケル模様のケルトのゴールド・ヘルメット(フランス 紀元前400年頃)ルーブル美術館 "Casque d'Amfreville Eure arrière " ©Siren-Com(14 October 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 紀元前390年頃の侵攻の際は、首都ローマ市近郊でのアッリアの戦いで完勝し、ローマ市内を蹂躙しています。 左はその頃のガリア人の、ケルトのトリスケルが描かれたヘルメットです。 ケルトの渦巻きやトリスケルについては『ケルトの聖火』でご紹介しました。 |
ケルトのゴールド・ブレスレット(フランス) "Aurillac bracelet celte C des M" ©Siren-Com(23 April 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ケルトは渦巻きを、特別な力を宿した模様として神聖視してきました。同様に、特別な力が宿ると信じられていた珊瑚を、護符として命を懸けて戦う戦場に身に着けていったということでしょう。ガリア人が独自の文化を持っていたことが伝わってきます。 |
『ユリウス・カエサル』 ジュゼッペ・ジロメッティ作 ストーンカメオ・ブローチ&ペンダント イタリア 1820年頃 SOLD |
しかしながら紀元前58年に地区総督だったガイウス・ユリウス・カエサルがガリアに侵攻し(ガリア戦争)、最終的には敗れ去ったガリアはローマの属州となりました。 |
古代ローマ帝国の戦闘服姿のガリア人像(フランス 古代ローマ時代) "Gaul warrior Vacheres 1" ©Fabrice Philibert-Cailat (Fphilbert), Eric Gaba (Sting)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
古代ローマの支配に組み込まれたガリア人たちはローマへの同化が進んでいきました(ガロ・ローマ文化)。 やがてはゲルマン人とも混血が進み、後のフランク王国・フランスを形成していきました。
さて、元々ガリア人が護符として神聖視していた珊瑚ですが、古代ローマでも珊瑚の枝を首飾りにし、外界からの良からぬものから身を守る護符として、高貴な子供たちに身に着けさせていました。 |
『魔除けの瞳』 古代ローマの魔除けのアゲートリング 古代ローマ 2〜3世紀 SOLD |
高貴な人の身を護る古代ローマのアイテムとしては、邪視から護るアイ・アゲートのジュエリーもありました。 現代と違って、常に死と生が隣り合わせでいつでも生きていることが当たり前ではない不安定な時代。 いつ災いが起きるか分からない、いつ死ぬか分からない、そんな時代らしいアイテムです。 そして高貴な人だけが、特別な力が宿ると信じられた貴重な素材で作られた特別な護符を身に着けることができました。 |
地中海珊瑚の主要産地サルディーニャ島 ©google map | 珊瑚も同様に、古代ローマでも滅多に見ることのない貴重な宝石でした。 古代ローマは主要産地である地中海沿岸地域を支配する帝国だったにも関わらず、なぜそうなったかというと東方からの莫大な需要があったためです。 |
-古代からの重要輸出品 地中海珊瑚-
バクトリア(紀元前320年頃) "Bactriia-320BCE" ©self, based on WP locator maps Category:Locator maps(9 August 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
内陸部でも、バクトリアもしくはガンダーラで紀元前に珊瑚で作られた、魔除けのためのメデューサのカメオが見つかっています。 バクトリアはかつて中央アジアにあった地名で、現在はイラン東北の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの一部に当たります。 |
アレクサンドロス帝国の最大領域 "MakedonischesReich" ©Ras67/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
紀元前334-紀元前331年までの4年間に渡るアレキサンダー大王の遠征によって、ギリシャの支配地域になったこともあります。紀元前225年頃-紀元前130年頃には代表的なヘレニズム国家の1つとして、ギリシャ人による王国グレコ・バクトリア王国も誕生しています。ギリシャ神話の怪物メデューサのオブジェが出てくるのも、全く違和感がありません。 |
ガンダーラのおよその位置(パキスタン東北部とアフガニスタンの最北部) Public Domain | パキスタン東北部とアフガニスタン最北部に位置するガンダーラも、アレキサンダー大王の遠征によって支配下になった時期があります。 アレクサンダー大王がこの地に留まったのは1年にも満たなかったのですが、その後グレコ・バクトリアが勢力を拡張し、紀元前185年頃には征服されて支配下になっています。 |
仏教遺跡に見えるギリシャの神アトラス(ガンダーラ 100年頃)Public Domain |
そういうわけで、ガンダーラにもこのように古代ギリシャの文化的影響が見られます。アトラスは天空を支える神です。 |
古代インドの女神ラクシュミのアイボリー像(1-50年頃) " Statuetta indiana di Lakshmi, avorio, da pompei, 1-50 dc ca., 149425, 02 " ©Sailko(29 Nobember 2013, 11:53:19)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 一方で古代ローマのポンペイ遺跡からは古代インドの女神ラクシュミのアイボリー像が見つかったりもしています。 人や物、文化の交流がいかに古代から活発だったかが分かりますね。 そしてこのラクシュミ像など、東方から貴重な品々を輸入するためにも、当方からの需要が膨大にあった地中海珊瑚は重要輸出品として扱われていたわけです。 |
シルクロード(赤:陸の道、青:海の道)Public Domain |
奈良時代以降、シルクロードを通じてもたらされた地中海珊瑚は日本でも『胡渡珊瑚』として珍重されてきました。海からもたらされる神秘性と稀少性、そして独特の美しさを持つからこそ、珊瑚はいつの時代もあらゆる国の人々を魅了したのです。 |
-地中海珊瑚の枯渇-
ベニサンゴ Public Domain |
珊瑚は生き物です。100年以上もの長い年月をかけて骨格が積もり、海の中で樹の枝のような形に形成されるのが珊瑚の原木です。一度採取すると、その後の珊瑚が宝石としての価値ある原木に育つまで100年以上かかるとされています。 珊瑚は紀元前の時代から長く採取されていた宝石です。数千年に渡って、地中海は人間にこの素晴らしい恵みを与えてきました。 |
『クレオパトラの最期』 地中海珊瑚のピン・ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
その貴重な恵みを人間は大切に使ってきました。手をかけ、魂を込め、各時代の才能ある職人が永遠の芸術へと昇華させてきたのです。 |
しかしながら19世紀中期、珊瑚がヨーロッパで大流行しました。 |
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【参考】19世紀の珊瑚カメオのピアス |
【参考】ミッド・ヴィクトリアンの珊瑚のジュエリー |
【参考】19世紀中期の珊瑚カメオのパリュール | 【参考】19世紀中期のカメオのネックレス |
成長速度に見合った量の採取をしていれば、地中海から貴重な恵みはいつまででも得ることができたでしょう。 しかしながら珊瑚が成長する速度以上に採取量が多いと、いずれは枯渇してしまいます。 案の定、19世紀中に地中海珊瑚は枯渇してしまいました。 |
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【参考】19世紀中期の珊瑚カメオのブレスレット |
-日本での白珊瑚の発見-
一方で1812年、徳川幕府時代の日本の土佐で、偶然一人の漁師の網に見事な白珊瑚がかかりました。 元々その地方には、偶然折れた枝が浜辺に打ち上げられるなどして珊瑚の存在は噂されていました。 その後、相次いでアカサンゴ、モモイロサンゴなども発見されました。 輸入品以上に美しく、高値で売れることが分かりました。 |
-土佐藩による禁漁措置-
珊瑚を手に入れるにはシルクロードを渡ってくる高価な『胡渡珊瑚』しかなく、まさに特権階級だけが持てる富と権力の象徴であった珊瑚が領地から採れるとなると一大事です。江戸時代は基本的に領地は藩が自由に治めており、それぞれが独立した国のような存在でもありました。土佐藩が領地から珊瑚を採取し、資源貿易で栄えることもできそうですが、話はそう簡単ではありません。 徳川幕府下の各藩は様々なタイミングごとに献上品を差し上げなければなりませんでした。単純にお金の場合もあります。地方の特産品の場合もあります。 手工業製品ならば手がかかっても作れば良いのですが、地産品となると当然ながら採れる時、採れない時があります。強制的に献上品として指定されることを懸念した土佐藩は、1838年に珊瑚の採取・所持・販売を禁止しました。幕府に知られぬよう、珊瑚の話をすることすらも禁止したそうで、次のような土佐に伝わるわらべ唄も残っています。 お月さん ももいろ 怖い〜(><) |
そうは言っても命懸けで密漁する漁師もいました。 また、人の口に戸は立てられぬ、日本の珊瑚の噂はすぐにインドに駐留していたイタリア商人の耳にも入り、中国商人を通じて買い付け、イタリアに送っていました。 商魂たくましい商人には国境など存在しないという所でしょうか。 |
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【参考】19世紀中期の珊瑚カメオのブローチ |
-開国と珊瑚漁の解禁-
地中海珊瑚が乱獲によって絶滅に近い状況に陥っていたイタリアの珊瑚商人にとって、日本の珊瑚資源は新たな希望の光でした。 1853年の黒船来航によって日本が開国を決めると、イタリアの珊瑚商人自らが買い付けのために土佐に乗り込みました。 1867年、大政奉還されたことで各藩は江戸幕府を意識する必要がなくなりました。 |
これを受けて1871年(明治4年)、土佐の珊瑚漁も解禁され、外貨獲得のために積極的に採られるようになりました。 いまでこそ産業大国の日本ですが、鎖国で産業革命もまだだったこの時代、開国して貿易赤字が嵩む状況下、外貨を稼ぐ手段としての選択肢が必須だったのです。 そこで目を付けられたのが、島国としての海洋資源でした。 |
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土佐藩の第16代(最後)藩主、侯爵 山内豊範(1846-1886年) |
御木本幸吉(1858-1954年) | 詳細は『月の雫』でご説明していますが御木本幸吉が養殖真珠の実現に取り組んだのも、この流れの一環でした。 日本のアコヤ貝の天然真珠は美しく、貴重な宝石としてヨーロッパに高値で輸出されていました。 海女がたった1粒の天然真珠を見つけただけでも儲けている状況を見て、御木本も養殖真珠の研究を始めたのです。 海女のパワー恐るべし、採りすぎて日本のアコヤ貝はこの時に絶滅しかかったほどだそうです。 |
明治天皇(1852-1912年) | 御木本が1905年に明治天皇へ「世界中の女の首を真珠でしめてご覧に入れます。」と言上した言葉も有名ですね。 開国後、ダイナミックに移り変わる時代の荒波に飲まれぬよう、日本人が殖産興業、富国強兵のために一丸となり、それぞれができることを頑張った時代でした。 真円養殖真珠の夢は、日本という国にとっても達成すべき悲願だったのです。 |
-珊瑚の輸出大国 明治の日本-
日本の珊瑚は地中海珊瑚と比べて深い海底にあったため捕獲が難しく、このため発見が遅れ、この時代まで産業化しなかったようです。 地中海のベニサンゴは比較的水深が浅い20〜90mで漁ができるため、採取はさほど難しくありませんでした。一方、日本の宝飾用クラスで比較的欠点の少ない珊瑚は水深80m以上、上質な珊瑚になると主に100m以上の深海で採取されます。 日本や中国、台湾などで人気の高い、赤珊瑚の最高級品とされるものだと水深300mまで潜らなければなりません。光は届きませんし、素潜りでは無理ですね。 |
東都富士見三十六景『佃沖 晴天の不二』江戸時代末期の漁師が網漁を行う様子(歌川国芳) |
しかしながら本気になった日本人のパワーの凄さはご存じの通りです。船から錘の付いた網を投げ入れ、海底から珊瑚を引き上げる漁ですが、当時から捕獲技術はなかりのものだったようで1901年にはおよそ10トン以上もの珊瑚が水揚げされた記録が残っているそうです。 |
珊瑚のピアス イタリア? 1890年頃 SOLD |
珊瑚のピアス フランス 1900-1910年頃 SOLD |
地中海珊瑚がほぼ枯渇して上質な珊瑚が手に入らなかったヨーロッパで、久しぶりに美しい珊瑚を使えるようになったのです。19世紀末期から、それまでになかったほど贅沢な使い方の珊瑚ジュエリーが突如として多く作られているのですが、これらの珊瑚も日本からの輸入品だったのかもしれません。 |
-イギリス人好みの色-
アールデコ コーラル ピアス フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
いくつか鮮やかな色彩の珊瑚のジュエリーを並べてみましたが、いずれもイタリアやフランスのもので、イギリス以外の国です。 |
サンゴ ブローチ 英国王室御用達 Hunt&Roskel社 1870年頃 SOLD |
イギリス人とフランス人やイタリア人とでは、かなり好みに違いがあります。 イギリスでは珊瑚のジュエリー自体があまり見ないのですが、見るとしてもあまりどぎつい色ではありません。 このような最高級と言われるエンジェルスキンのような淡い色の珊瑚が、かなりの高級品に使われています。 |
『海からの贈り物』 珊瑚&天然真珠 ネックレス イギリス 1880〜1890年代 SOLD |
また、『海からの贈り物』で使われていた珊瑚も、天然真珠と一緒に使って違和感なく馴染むような、濃すぎず明るい色合いの程よい色味の珊瑚でした。 イギリスは地味好みという印象がありますが、やはり同じ珊瑚でも好みの色はヨーロッパ他国と違うようなのです。 |
-白珊瑚 コーラリウム・コーノジョイ-
純白の白珊瑚もやはりイギリス人好みです。 日本で発見されたこの美しい白珊瑚は、地中海には生息していません。 |
『月の雫』でもご紹介した通り、明治の日本は水産資源を有効に活用するため、この分野についての研究活動にも非常に力を入れていました。 その一人に動物学者・水産学者の岸上鎌吉がいます。 日本の水産学黎明期の学者であり、水産上の重要生物を中心に日本における動物分類学の基礎を築いた学者の一人として位置づけられています。 |
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動物学者・水産学者の岸上鎌吉(1867-1929年) |
箕作佳吉(1858-1909年) | 御木本に養殖真珠について提言し、教え子が養殖真珠を成功させた東京帝国大学の箕作佳吉に師事しています。 1889年に帝国大学理科大学動物学科を卒業して東京海洋大学の前進である水産伝習所の発生学の講師となりました。 1891年に農商務省水産局技師に任命され、日本各地の水産生物の分類・分布・発生調査および繁殖(養殖)技術の研究に従事しました。 |
岸上鎌吉の論文の一部(1910年) |
1895年には理学博士号を授与され、1896年から1905年までのおよそ9年間、満州、ベルゲン、樺太、サンクトペテルブルクなどを廻っています。 万国水産博覧会への出席や欧米各国の水産事情視察、日露漁業条約締結の協力などを行いました。 |
白珊瑚(学名corallium Konojoi) "Corallium konojoi" ©Masanori Nonaka, Masaru Nakamura, Makoto Tsukahara, and James Davis Reimer(2012)/Adapted/CC BY 3.0 |
その一環で1903年に岸上によって初めて発表されたのが日本の白珊瑚、コーラリウム・コーノジョイでした。 コーノジョイは白珊瑚を最初に発見した漁師、戎屋幸之丞にちなんで付けられた名前です。 |
岸上の叉骨目の分類についての著書は2018年に再び日本語から英語に翻訳され、ハードカバーが出版されています。マグロやカジキの分類についての本ですが、100年も前の時代に、現代にまで通じるいかに価値ある研究をやっていたかが分かりますね。昔のエリートは本当に凄いです。 |
-美しい白珊瑚のジュエリー-
白珊瑚の帯留(明治後期-大正初期)HERITAGEコレクション | この日本独自の宝石である新発見の白珊瑚は、日本ではこのような美しい帯留めにも加工されています。 白い色ならではの孤高の芸術らしさや清楚な雰囲気が魅力です。 この帯留の詳細については『海からの贈り物』をご参照ください。 |
日本人の好みも時代ごとに変わるもので、色が均一でなかったり、ちょっと欠点があったりするものがむしろ今では好まれたりします。 スポンジ状に穴が空いていたり、白い斑(ふ)が入ったものも昔は嫌われていたそうなのですが、現代ではその方が人気が高かったりします。素人が見ても本物だと分かりやすいからかもしれませんね。 本来は高級品ではなく品質が劣るものとして作られているので、作りは全然違います。また、稀少性のない材料を使った安物なので、骨董市でも探せば意外と安く簡単に手に入ったりします。 |
斑が入ったこの帯留めも、一見悪くなさそうに見えるでしょうか。 一番右の蕾は、フォルムも仕上げも雑です。 また、それぞれの葉っぱも厚くてのっぺりした雑な彫りです。 |
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【参考】斑が入ったの珊瑚の帯留 |
白珊瑚の帯留(明治後期-大正初期)HERITAGEコレクション | 高級品として作られたこの帯留の場合、上の帯留の蕾のように楽をして平坦に仕上げたような部分が一カ所もありません。 また、葉や花びらは先に行くほど薄く仕上げてあり、反り返るような自然な造形まで生き生きと表現していあります。 |
作りを見れば高級品、低級品、紛い物の違いは明らかなのですが、作りの違いが分からない人にとっては、珊瑚風のセルロイド製品を本物の珊瑚と思い込んで買うことも懸念材料の1つです。 |
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【参考】セルロイド製品(1930年頃) |
セルロイドは象牙の代用品として開発された、歴史上最初の人工の熱可塑性樹脂です。1856年にイギリス人が世界で初めて発明しましたが、コストの問題からビジネスは失敗に終わりました。 1870年にアメリカ人がビリヤードの玉の原料として実用化に成功し、セルロイドという名前で商標登録しています。日本では1914年(大正3年)に東京の葛飾区でセルロイド製品の生産が始まり、人形やオモチャの他、珊瑚風のアクセサリーも多数輸出されています。 |
【参考】セルロイドのブレスレット |
珊瑚と樹脂では明らかに質感が違いますし、職人が丹念に手彫りで加工する珊瑚と違って、セルロイドは型押しで作る量産品なので明らかに作りは違うのですが、作りではなく材料の価値だけで判断しようとする人にとっては欠点のない最高級の珊瑚と樹脂が見分けられないのです。だから天然素材ならではの斑や欠陥があるものが、現代では好まれてしまうような現象が起きるのです。 |
白珊瑚の帯留の裏側のホワイトゴールドの見事な透かし金具(明治後期-大正初期)HERITAGEコレクション | だからこそ、真の価値が理解されていない高級品ほどアンティークは割安なのです。 分かりやすい低級品ほど割高で売られていて笑っちゃいます。 この辺りは西洋骨董も和骨董も変わりない感じです。 |
もう1つ笑えるのが、血赤珊瑚の極端なプレミア価格です。 本来、このようなどぎつい赤は日本人が嫌った色でした。 このため昔は一番安い原木だったのに、今は最高級品として高値で取引されています。 小さなものでも採れれば船が一隻買えるくらいだそうです。 |
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【参考】88万円の血赤珊瑚ルース(12mm) |
赤珊瑚は赤黒ければ赤黒いほど値段が高くなるそうです。 中国人などが好む色で、おそらくは値段を吊り上げるため、一時期この血赤珊瑚が大々的に宣伝されていた時期がありました。 中国人富裕層ならば、本当にこの色が好きで価値を感じて買うのだから良いでしょう。美的感覚が共通する同じ民族同士での売買を考えれば値下がりすることもなく、投資にもなるのでこれに高値を出すのは理に適っています。 |
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【参考】日本の血赤珊瑚ルース |
しかしながらそれにつられて本来好まないはずの色を美しいと思い込み、高級品だからと日本人が喜んで買うのは違和感しか感じません。遺伝子のせいなのか、育つ環境なのか、色の好みには大まかな国民性のようなものが確実に存在します。 |
ヨーロッパでも日本人にとってはちょっとどぎついくらいの濃い色が好まれていたフランスやイタリアと、イギリスでは好みが違っていたようです。 | |
【参考】19世紀の珊瑚カメオのブレスレット |
スライダー ネックレス イギリス 1870年頃 トルコ石、白珊瑚、15ctゴールド SOLD |
白珊瑚は清楚で上品なものが好まれたレイト・ヴィクトリアンの時代のイギリスに(※参考)、まさにうってつけの宝石でした。 最近は市場でもさっぱりと出てこなくなってしまいましたが、昔はこのようなスライダー・ネックレスタイプの白珊瑚のジュエリーをいくつか扱ったことがあります。 長い間、東洋の神秘の芸術大国だった日本からの新発見の美しい宝石となると、優れたジュエリーに仕立てられていたのも当然です。 このネックレスもチェーンまで非常に手の込んだ、非常に素晴らしい作りでした。 |
エレガントな透かし模様に閉じ込めた白珊瑚と、トルコ石との組み合わせが今回のペンダントと共通しています。 これらは白珊瑚が特に注目された、ごく僅かな期間しか作られていない貴重な宝物であり、歴史の生き証人でもあります。 |
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先ほどご説明した通り、スライダーネックレスはいくつかあったのですが、このようなペンダントタイプの白珊瑚のジュエリーは実は初めてです。 1つだけの白珊瑚で作られており、ある程度の大きさが必要です。 枝状に成長する珊瑚は太い部分は限られますし、特に太い部分は切ってみると空洞だったということも少なくありません。 |
その観点からこのペンダントは特にお金をかけて作られた特別なジュエリーと言えますし、主役は間違いなく白珊瑚です。 |
『教会のある風景』 カーブドアイボリー ブローチ ドイツ 1840年〜1850年頃 SOLD |
『廃墟の鹿』 ペインティング・カーブドアイボリー ブローチ ドイツ 19世紀中期 ¥275,000-(税込10%) |
同じ動物由来の白系のジュエリー材料だと、ヨーロッパには象牙がありました。しかしながら海の白珊瑚は、陸の象牙とは異なる魅力があります。 |
光が届かない、深い海の底で長い年月をかけて僅かに成長していく珊瑚。 1年間で成長するのはたった0.3mmと言われています。 だからきちんと製品として使うことができる珊瑚が育つまでには150年以上はかかるようです。 時間をかけて成長した珊瑚の肌はキメが細かく緻密です。 独特の透明感と艶の美しさは何ともいえない魅力があります。 これは生きていた生木の珊瑚だからこその美しさです。 |
【参考】虫喰い珊瑚 | 珊瑚は海の中で何らかの原因で倒れると、時間が経つに連れて風化し、穴が開いて色も褪せていきます。 生きている生木に対して、このような珊瑚を『枯れ』『虫喰い』などと呼びます。 中途半端な虫喰いだと微妙なのですが、ボコボコに開いてしまえばこれはこれで面白かったりもします。 それでも高級品とはなり得ず生木に比べて評価は低いですし、あくまでも玄人向けです。 |
このしっとりした深窓の令嬢のような気品に満ちあふれた美しさは、まさに光の届かない深い海の底で母なる海に大切にじっくりと育てられてた生きた珊瑚ならではの魅力なのです。 |
2. トルコ石のデザイン
センスが良いハイジュエリーの場合、作りだけでなくデザインについても独自性が高く、細部にまで凝った計算された設計が施されているものです。 アンティークジュエリーで使われるペルシャ産トルコ石については『旅のお守り』で詳しくご説明しました。 『ターコイズ・ブルー』でご説明した通り、ペルシャ産トルコ石ならではの鮮やかなターコイズ・ブルーはとてもインパクトがありますが、この石を使って表現しているのは何だと感じますか? |
『ジョージアンの究極の美』 忘れな草 マルチーズクロス ブローチ&ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
ヴィクトリアンに於いて、トルコ石を使って表現される最も代表的なモチーフが勿忘草です。 |
『愛の賛歌』 ジョージアン ゴールド ブローチ イギリス 1834年頃 SOLD |
『勿忘草をくわえる鳩』 鳩 ゴールド ブローチ イギリス 1830年〜1840年頃 SOLD |
勿忘草の花びらが5枚なので、トルコ石も5石で表現されています。 |
この作品のトルコ石で表現されているのは明らかに勿忘草ではありません。 でも、単なる綺麗な模様とも思えないのです。 このような特別に作られた作品の場合、意味のないデザインをするとは考えにくいのです。 この作品のメインは白珊瑚です。 海底に生きるもの、5本足・・。 |
そう、おそらくこれは珊瑚の上に横たわるヒトデでを表現しているのです。 白珊瑚が住んでいた、海の底の世界です。 立体感のあるハート型の白珊瑚の上に寄り添うように、トルコ石でヒトデが表現されています。 |
フラットではなく、緩やかな凸形状に綺麗に寄り添っており、生き物らしい躍動感ある美しさも感じられます。 |
浜や漁港で見るヒトデはいかにも硬くて動きそうに見えませんが、海底では生き生きと動き回ります。 『パラソルを持つ女』でもご説明した通り、イギリスでは19世紀に海水浴が大流行し、ブライトンビーチも大いに賑わいました。 |
実際に海に潜り、その海底世界の美しさを知っている人がその感動を伝えて職人に作らせたのかなと感じるほど、リアルに海を感じる作品です。 |
3. 海の泡のような独特のゴールドの透かし細工
完全に円だけで表現された透かし細工も、他の作品では見ることのない珍しいものです。 |
これは海の中のバブルを表現しているのかなと感じました。 スキューバダイビングなどをされたことがある方だと、陸上の空気中の世界と海中では、世界が全く異なることを体感されていると思います。静寂の海の世界。でもそこは完全な静寂ではなく、絶えず海の生き物の営みや、波に揺れ泡立つダイナミックな母なる海の音が聞こえてきます。それはとても心地よく、スキューバダイビングにはまる人が少なくない理由の1つでもあります。 |
手に入った白珊瑚で、そのような美しく心地よい海の世界を最大限に表現しようとして、この作品は作られたのだと感じます。。 |
『海からの贈り物』 珊瑚&天然真珠 ネックレス イギリス 1880〜1890年代 SOLD |
もう1つの特別な珊瑚ジュエリーである『海からの贈り物』も同じ海の恵みである天然真珠が使われているだけでなく、わざわざたくさんの可動するパーツを使い、貴重な海の宝石たちがまるで本当に母なる海に抱かれて、心地よく揺れているように見える構造にデザインされていました。 |
このようなアーティスティックな作品には、必ず手間を惜しまない、細部に至るまでの丁寧な作りが施されているものなのです。 |
上側は円が大きく、白珊瑚側は円が小さく見えるように少し斜めにくっつけてあります。 |
円柱ではなく円錐を輪切りにしたイメージです。 |
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円柱と円錐 |
海の中の気泡も、水圧が大きな海底から水面へと上がっていくにつれて大きくなります。 手前に向かって大きくなるように表現された円は、まさにこれを表現しているように感じます。 この透かし細工からダイナミックな泡立ちを感じられるのも、このような形状のパーツで表現されているからなのです。 |
この透かしのゴールドは、安っぽくなりすぎない程度に程よく磨いて光沢を出してあります。 それぞれの透かしのパーツが、様々な角度から黄金の輝きを放ちます。 それが、この作品独特の高級感にもなっています。 |
この角度から見ると、白珊瑚はふっくらと立体的なハート型にカットされていることが良く分かります。 それを敢えてやっているのは、作者がデザインの上で、立体感ある作りがいかに重要かを良く知っているからです。 |
これがもしフラットな作りだったら、特別魅力も感じない、安っぽいイメージのジュエリーになっていたでしょう。 技術や手間の観点から、簡単にできるものではないからこそ、安物にはこのような立体的な作りが施されないのです。 |
裏側
裏側もフラットではなく、ふっくらと丸みを帯びた形状です。 セットする土台も白珊瑚もフラットにして作ってしまえば簡単ですが、貴重な白珊瑚をなるべくカットせずに残した結果なのかもしれません。 |
ペンダントのデザインのコンセプトについて、実際の所は作者に聞くほかありません。 でも、白珊瑚を使ったこのペンダントからは間違いなく躍動感あふれる別世界、美しき海底世界を彷彿とさせられるのです。 |
それはまるで日本の海の楽園である竜宮城の、秘密の宝物のような・・ |
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撮影に使っているような、作りが良いアンティークのゴールドチェーンをご希望の方には別売でお付け致します。いくつかご用意がございますので、ご希望の方には価格等をお知らせ致します(チェーンのみの販売はしておりません)。現代の18ctゴールドチェーンをご希望の方には実費でお付け致します。高級シルクコード又はリボンをご希望の方にはサービスでお付け致します。 |