No.00303 ヒッポカンポス |
『ヒッポカンポス』 地中海を中心に栄えた古代のヨーロッパで、神々を運ぶ高貴で美しい生き物として人気のあった、半馬半魚の伝説の生き物ヒッポカンポスのインタリオです。 ニコロは古代ギリシャやローマで人気が高かった石ですが、その中でも特に青みを強く感じる上質なニコロを使い、幻想的な海霧の中を優美に飛び行くような実に素晴らしい構図でヒッポカンポスが表現されています。 小さな石ながら彫りも抜群に優れており、古代ローマのヒッポカンポスの最高傑作と言える、稀少価値だけでなく芸術的にも非常に価値の高い古代ローマの宝物です。 |
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この宝物のポイント
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1. 古代世界を感じる魅力的なモチーフ
1-1. ヒッポカンポスとは?
幽玄の美を感じる、古代ローマのニコロに彫刻されたモチーフは『ヒッポカンポス』です。 |
『海馬』とも呼ばれ、上半身は馬、下半身は魚とされる生き物です。 |
『海馬に乗るアリオン』(ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1855年)クリーブランド美術館 |
かなり後の時代では、前脚に水掻きが付いた姿で描かれている作品もありますが、古代世界の作品では蹄のままで描かれているものしか見たことはありません。 |
黒絵式アンフォラ(古代エトルリア 紀元前500-紀元前470年頃) 【引用】The British Museum / amphora © The Trustees of the British Museum/Adapted |
ヒッポカンポスは特徴的かつ、古代世界でも人気のモチーフだったため、大英博物館だけでも関連する所蔵品は145点以上存在します。 これは古代エトルリアのアルカイック期に作られた黒絵式のアンフォラで、ヒッポカンポスが描かれています。 前脚は蹄の形状です。 |
赤絵式のベル・クラテール(古代ギリシャ 紀元前350年頃)【引用】The British Museum / bell Krater © The Trustees of the British Museum/Adapted |
これは古代ギリシャのクラテールで、水とワインを混ぜるのに用いられた広口の甕です。当時、ワインを原酒で飲むことは野蛮と考えられていたこと、醸造技術が未発達でアルコール度数が低く甘かったことが、ワインの水割りの理由です。 このクラテールの中央に、白馬の上半身を持つヒッポカンポスに乗る海の女神テティスが描かれています。これも水掻きではなく蹄です。 |
ネレイドとエロスとヒッポカンポス(紀元前2世紀後期)グリュプトテーク Public Domain by Bibi Saint-Pol |
彫刻を見ると、かなりガッシリとした脚に蹄が付いていますね。海で高貴な神々を乗せたカドリガや戦車などを牽く生き物なので、逞ましいのは当然と言えるでしょう。 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1855年)の作品 |
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『海馬に乗るアリオン』 | 『バッカンテと豹』 |
ウィリアム・アドルフ・ブグローは19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家で、絵画のテクニックなどには問題ないと思うのですが、想像力はイマイチな気が・・。海馬の頭が馬ではなくネコ科の動物みたいですし、実際、同年に描かれた豹と同じような描かれ方です。前脚も水掻きにする必要があったのか・・。 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825-1905年) | まあでも「ヒッポカンポスは半馬半魚」と聞いて、どうやって海上で推進するのだろうと考えたとき、蹄で水を蹴ることは想像しにくいため水掻きにしたというのは、何でも科学的かつ論理的に考えたがる欧米人らしい発想ではあったかもしれませんね。 |
『ヒッポカンポス』 古代ギリシャ インタリオ付きシール インタリオ :紀元前2世紀(ヘレニズム) シール(フォブ):18世紀 SOLD |
神の馬車を牽く伝説の生き物なので、沈むことなく蹄で力強く海面を蹴って走れるとか、下半身のニョロニョロと長い魚の下半身で推進できると考えても良さそうなものです。 |
ソニー・アクアリウム(銀座 2016.8.4) | これは2016年お夏に銀座で飲んだ帰り道、偶然通りかかったソニー・アクアリム(ソニーの移動水族館)です。 バカな酔っ払い(私)の目を引く、ニョロニョロとした姿が水底に・・。 |
ソニー・アクアリウムのウツボ(銀座 2016.8.4) |
「あ、目が合ってしまった・・。それはそうと、この斑点模様がカッコいい!!」、なんて見惚れていたのですが・・・。 |
ソニー・アクアリウムのウツボ(銀座 2016.8.4) |
で・・、出てきた!どんどん出てきた!!(目は合ったまま、笑) |
ソニー・アクアリウムのウツボ(銀座 2016.8.4) |
身体をくねらせてスルスルと出てきました。水を掻くようなパーツは見当たらないのに、このニョロニョロ・ボディで素早く水中を動くのがバカな酔っ払い(私)には不思議でしょうがありません。 |
ソニー・アクアリウムのウツボ(銀座 2016.8.4) |
「あぁっ。行ってしまった・・。」 ヒッポカンポスも下半身は『魚』とは言われているものの、ウツボのようにニョロニョロした表現なんですよね。こういうボディだったら、前脚に水掻きなどなくとも海上を素早く移動できそうです。ウツボは食べることもできますし、古代の人々がまとめて『魚』とカテゴライズしていてもおかしくはないような・・。 |
合金のコイン(古代ギリシャ 紀元前345-紀元前317年頃)【引用】The British Museum / coin © The Trustees of the British Museum/Adapted |
もしくは翼が表現されているヒッポカンポスもあり、羽ばたいて前進することもできそうです。 |
ゴールド・インタリオ・リング(古代ギリシャ 紀元前400-紀元前300年頃)【引用】The British Museum / finger-ring © The Trustees of the British Museum/Adapted | ご紹介のインタリオ(古代ローマ 1世紀頃) |
翼を羽ばたかせ、力強く蹄で駆けるヒッポカンポスの姿は紀元前の古い時代から見ることができます。今回の古代ローマのニコロ・インタリオも、そのような神々しく美しい姿で彫刻されています。 |
ヒッポカンポスのオブジェ(マイセン 1770-1775年頃)【引用】The British Museum / figure © The Trustees of the British Museum/Adapted | |
これは酷いですね。"できそこないのUMA(未確認生物)が浜に打ち上げられ、息も絶え絶え"、みたいな気味の悪さを感じます。やはり水掻きがありますが、全体的に表現力も稚拙です。考古学の知識が浅薄、かつ芸術家としても才能のない職人が「半馬半魚」と聞き、適当に想像して作った感が満載です。 考古学が上流階級の間で大流行していた時代にマイセン工房で作られたもので、資料的価値があって大英博物館に所蔵されているのでしょうけれど、美術品としての価値は全く感じません。気持ち悪い・・(笑) |
比較的新しい時代の作品を見ると混乱するのですが、本来のヒッポカンポスは上半身が馬で前脚は蹄、下半身はウツボのような推進力を持つ長い胴体の魚で、時にペガサスのような大きな翼を持つ生き物です。 |
1-2. 海が重要だった時代の人気モチーフ
ヒッポカンポスは古代世界で、かなり古い時代から様々な地域でその存在が信じられていました。 フェニキア、エトルリア、ピクト、ギリシャ、ローマなどの神話に出てきます。 ピクトは古くからスコットランドのハイランド地方を支配していた強大な部族で、ケルト語を話していたとされますが、実態はよく分かっていません。 |
1-2-1. 海の交易で発展した古代ヨーロッパ世界
1-2-1-1. 古代エトルリアと王政ローマ
イタリア半島におけるエトルリアの領域(濃い草色:紀元前750年、薄い草色:紀元前750-紀元前500年にかけての拡張、二重丸:12の都市国家) "Etruscan civilization map" ©NormanEinstein(26 July 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
古代エトルリアは、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群です。 その起源ははっきりしておらず、海からやってきて海に消えていったとも言われますが、建築技術や造船技術に優れた海洋民族でした。 古代ギリシャや古代エジプト、古代オリエント世界とも海上貿易などを通じて活発な交流がありました。 |
テラコッタの女性像(古代エトルリア 紀元前4世紀後期-紀元前3世紀初期)
メトロポリタン美術館 "Femme étrusque (Terracotta) " ©AlkakiSoaps(5 August 2011)/Adapted/CC BY 2.0 |
トスカーナのエトルリア遺跡からは、貴族の女性のものと思われる化粧箱が見つかっています。 中には毛抜き、何種類もの櫛、ブロンズの指輪、その他用途が分からないものまで多数ありました。 化粧箱の中には、エジプトのアレクサンドリアからの輸入されたアラバスター製品の小瓶も存在しました。 中には特別に調合された美容クリームも入っていました。 |
テラコッタの石棺(古代エトルリア 紀元前150-紀元前130年頃)大英博物館 "British Museum Etruscan 8-2" ©Ophelia.summers(28 March 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
エトルリア人は温厚で宴会と音楽を好み、贅沢を愛し、裕福で文化的にも豊かな生活を送っていたとされ、高度な文字文明も持っていたそうです。豊かな生活は海上貿易によって経済発展したこと、各地の先進的で高度な技術や文化を取り入れたことも大きいようです。 |
『シレヌスの顔のついたネックレス』(エトルリア 紀元前6-紀元前5世紀)国立博物館(ナポリ) 【引用】ジュウリーアート(グイド=グレゴリエッティ著、菱田 安彦 監修、庫田 永子 訳 1975年発行)講談社 ©GUIDO GREGORIETTI, Y.HISHIDA, N.KURATA p.54, 27 |
それにより古代エトルリアは文化レベルが技術レベルの高い、独自の高度な文明を築き上げていきました。古代ローマに征服された後は、古代ローマに同化してその存在は歴史から忘れ去られていきますが、初期の古代ローマはエトルリアの高度な文化や、土木建築も含めた様々な技術を取り入れたとされています。 |
王政ローマ第5代ローマ王タルクィニウス・プリスクス(在位:紀元前616-紀元前579年) | 初期の王政ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、王政ローマの最後の3人もエトルリア系でした。 古風王とも呼ばれた第5代ローマ王、タルクィニウス・プリスクスもエトルリア人の都市タルクィニア出身のエトルリア人でした。 |
1-2-1-2. フェニキアと古代ギリシャ
フェニキア "Phoenician Language" ©MalkiShamash(22 July 2019)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
『フェニキア人』という名称は、彼らがそう名乗っていたものではありません。 |
フェニキアの時代まで遡るとされるデザインのマルタの漁船 "Malta 13 dhajsa" ©-jkb-(1985)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | フェニキア人の交易路 "PhoenicianTrade" ©Yom(2006-07-11 07:02)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
交易などを目的に東から来た人々のことを、古代ギリシャ人が『フェニキア人』と呼んでいました。 | |
左はマルタの伝統的な漁船です。現代の船ですが、デザインはフェニキアの時代まで遡るとされ、頑丈で悪天候でも安定した航行ができるそうです。船首に描かれた瞳が何だか可愛らしいですが、これは魔除けを目的として描かれた目です。 |
黄:フェニキア人の都市、赤:ギリシャ人の都市、灰:その他 "AntikeGriechen1" ©Maksim, Nihil scimus(15:14, 21 April 2019)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
フェニキア人は優れた商人でもあり、各地との活発な海上交易により繁栄しました。 |
1-2-2. 古代世界の文化の交流と共有
サルコファガスに彫刻されたフェニキア人の交易船(2世紀) "Phoenician ship" ©NMB(25 March 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
理解しやすくするために、人はどうしても複雑な物事を単純化して考えがちです。それがうまく行く時もありますが、時には正確な理解や、具体的にイメージすることを阻むこともあります。古代世界は、多くの現代人が想像する以上に各地で人や物、文化、技術の交流が行われていました。このため、共通するものも多々あります。 |
例1. スフィンクス
偉大なる雰囲気を放つスフィンクス座りの小元太(2017.11.28) |
スフィンクス・・・。 あっ!画像を間違えました(笑) |
ギザの大スフィンクス(エジプト古王国 紀元前2686頃-紀元前2185年前後) "Great Sphinx of Giza - 20080716a" ©w:es:Usuario:Barcex(16 July 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
スフィンクスは古代エジプトの古王国時代に作られた『ギザの大スフィンクス』が特に有名で、古代エジプトのイメージが強いです。 |
古代エトルリア | 古代ギリシャ |
スフィンクスが乗ったピュクシス(古代エトルリア 紀元前650-紀元前625年頃) "Etruscan - Pyxis and lid with sphinx-shaped handle - Walters 71489 - Three Quarter " ©Walters Art Museum(18:24, 23 March 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | アルカイック期のスフィンクス(紀元前8世紀-紀元前480年頃) "20100409 korinthos16 b crop retouch" ©Jean Housen, JMCC1(15 August 2011, 14:53)/Adapted/CC BY 3.0 |
しかしながら海や陸を介した、各地との活発な交易や文化的な交流を裏付けるかのように、スフィンクスもエトルリアやギリシャなど他の地域で見ることができます。 |
例2. スカラベ
『エジプトのスカラベ』 スティアタイトのスカラベ:古代エジプト 紀元前 リング:19世紀 SOLD |
日本ではフンコロガシの名で有名なスカラベもその1つです。 球状の糞を転がす姿が、再生や復活を象徴する太陽の運行を司る神ケプリと同一視され、古代エジプトでは聖なる甲虫として崇拝されました。 このため、数千年にも及ぶ長い古代エジプトの歴史の中で、かなりたくさんのスカラベのオブジェなどが作られています。 |
1-2-3. 古代世界共通の大人気モチーフ『ヒッポカンポス』
ヒッポカンポスは日本ではマイナーですが、古代世界ではとても人気がありました。 今でも、ヨーロッパではある程度知られている存在です。 |
1-2-3-1. 日本で有名な伝説上の馬の生き物
1-2-3-2. ヨーロッパに浸透したヒッポカンポス
ヒッポカンポスもペガサスも古代ギリシャや古代ローマ神話に登場する伝説の生き物です。 古代ギリシャや古代ローマ関連はヨーロッパの上流階級にとって、特に重要とされる教養でした。 教養がないと、正確には理解できません。キリスト教など、旧約聖書を源流とするアブラハムの宗教に関連してるユニコーンとは別ジャンルと言えます。 |
古代ローマの120年頃の領土"Roman Empire 120" ©Andrei nacu(5 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ヒッポカンポスは古代ローマ神話にも引き継がれました。 |
陸と違い、海は本当に怖いです。突然嵐に巻き込まれることもあれば、方向を失ってどうしようもなくなることだってあります。 ベタ凪に遭遇すればろくに進むこともできません。船の下、深く暗い海の中には何が潜んでいるのかも分かりません。 陸は自分の力でどうにかできる屈強な男たちでも、海は御加護を受けないと打ち克てないこともある、本当に恐ろしい場所です。 |
中世のヒッポカンポスの紋章 A Complete Guide to Heraldry (1909年) Fig.364 より |
そういうわけでヒッポカンポスは特にルネサンス以降、ヨーロッパで最も広く使用される紋章モチーフの1つとなりました。 これも前脚が水掻きになっていますね〜。 古代のオリジナルは誰も確認しなかったのでしょうかね。 誰かが空想し、この姿がたまたまスタンダードとなって後の時代まで伝わったということでしょうけれど、歴史や文化の変遷はいつの時代にもあることですね。 |
イギリスのワイト島の紋章 | |
イギリスのワイト島 "Isle of Woght UK locator map 2010" ©Nilfanion(16 November 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ワイト島の紋章 "Arms of Isle of Wight Councl" ©Fenn-O-maniC(18 April 2020)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
イギリスでもワイト島の紋章にヒッポカンポスが見られます。錨や波のモチーフもあって、いかにも島の紋章らしいデザインですね。 |
イギリスのニューカッスル・アポン・タインの紋章 | |
イギリスのニューカッスル・アポン・タイン "Tyne and Wear UK location map" Contains Ordnance Survey data © Crown copyright and database right(26 September 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ニューカッスル・アポン・タインの市章 "Coat of arms of Newcastle upon Tyne City Council" ©Jummy44, Sodacan, Brieg, The Flag Insitute, Bruno Vallette, * Pbrocks13, Gaeser,Bárður Jákupsson, John Gerrard Keulemans, Jza84(8 January 2011, 00:31)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
122年頃にローマ人が到達し、ローマ皇帝ハドリアヌス(在位:117-138年)の命によってブリテン島を横断するハドリアヌスの長城が作られたニューカッスル・アポン・タインの市章にもヒッポカンポスの姿が見られます。ニューカッスルは長城の東端に位置する、軍事上の重要な拠点であり、交通・通商の拠点として商業・貿易の街として発展しました。日本もそうですが、飛行機が存在せず海運が重要だった時代は、海に面した港町が今では想像できないくらい栄えていたものですよね。 |
トレヴィの泉のバロック時代後期の彫刻 "Piazza di Trevi-fontana di trevi" ©Alexander Audst(2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
その他でも、ヨーロッパの様々な場所でヒッポカンポスの姿を見ることができます。世界でも最も有名な噴水の1つ、トレヴィの泉もです。トレヴィの泉はローマにある、最も巨大なバロック時代の噴水です。中央がティターン神族であり、オケアノス川に由来する水の神(海の神)オケアノスです。オケアノスが乗った貝殻の馬車を、ヒッポカンポスたちが牽引しています。 |
1£のイングランド銀行券の試作デザイン(イギリス 19世紀)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
イングランド銀行券の試作デザインにも見ることができます。中央にデザインされているのが貝殻の馬車に乗る海神ネプチューン(ポセイドン)と、馬車を牽くヒッポカンポスです。 |
アメリカのカンザスシティにあるアールデコの噴水(1937年) | アイルランドのダブリンのオブジェ |
その他、各地に各年代のヒッポカンポスのオブジェなども見ることができます。ヒッポカンポスはコルヌコピア同様、"日本人は知らないけれどヨーロッパでは案外メジャーな、古代ギリシャ神話に由来する教養モチーフ"の1つと言えます。 |
なぜヒッポカンポスがこれだけ浸透しているかと言えば、それはこの生き物にしかない、傑出した魅力があるからに他なりません。 |
1-2-3-3. 高貴な神々を安全に運ぶヒッポカンポス
飲物用カップ(古代ギリシャ 紀元前520-紀元前500年)【引用】The British Museum / drinking-cup © The Trustees of the British Museum/Adapted |
これは古代ギリシャの飲物用のカップで、中央にヒッポカンポスに乗った海神ポセイドン、もしくは海神ネレウスが描かれています。古い時代ほど神々は習合・統合されておらず、同じ属性の類似の神が存在します。 |
青銅のシスタ(古代エトルリア) 【引用】The British Museum / cista © The Trustees of the British Museum/Adapted |
ヒッポカンポスの起源は非常に古く、よく分かっていません。 海と人の関わりは人類が生まれてからずっとあったはずで、ヒッポカンポスは有史以前から存在したということでしょう。 古代ギリシャ神話の伝説の生物とも言わますが、古代ギリシャに限らず広い地域で古くから見られます。 |
青銅のシスタの蓋(古代エトルリア)【引用】The British Museum / cista © The Trustees of the British Museum/Adapted |
古代世界のヒッポカンポスに共通して言えるのは、高貴な身分の神々を乗せていることです。 |
レリーフ(古代エジプト・プトレマイオス朝 紀元前190ー紀元前180年頃)【引用】The British Museum / block © The Trustees of the British Museum/Adapted | 「自分で飛べば良いのに。」とつい思ってしまいますが(笑)、キューピッドが乗っていることもあります。 |
1-2-3-4. 海洋貿易が活発な時代のコインのモチーフ
合金のコイン(シラクサで発行 紀元前345-紀元前317年頃) 【引用】The British Museum / coin © The Trustees of the British Museum/Adapted |
海洋貿易が重要だった時代、ヒッポカンポスはコインのモチーフとしても非常に人気がありました。 |
シルバーコイン(ターラントで発行 紀元前500-紀元前400年頃)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted | シルバーコイン(エトルリア、ルッカ?、ピサ?で発行 紀元前300-紀元前200年頃) 【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
アカエア発行の銅合金のコイン(古代ローマ 紀元前38-紀元前37年)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
4頭を描いた、馬車タイプのコインもあります。 |
アカエア発行の銅合金のコイン(古代ローマ 紀元前36-紀元前35年)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
左で向かい合っている男女は、共和政ローマで三頭政治の一頭として権力を握っていたマルクス・アントニウスとその妻オクタヴィアです。アントニウスはクレオパトラ7世との劇的な最期が有名ですが、紀元前40年から紀元前32年まではオクタヴィアが4番目の妻でした。右は4頭のヒッポカンポスが馬車を牽いており、馬車には向かい合う2人の姿が表現されています。 |
銅合金のコイン(サラキアで発行 紀元前1世紀?)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted | 何百年間にも渡って、地中海を中心とした古代世界でヒッポカンポスはコインのモチーフとして親しまれてきました。 それくらい重要なモチーフだったのです。 |
1-3. ポセイドンの戦車を牽くヒッポカンポス
このインタリオが作られたのは古代ローマ1世紀頃です。 これくらいの時代になると、ヒッポカンポスは海神ポセイドンのカドリガを牽く生き物としても強く認識されるようになっています。
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1-3-1. ポセイドンとは?
ポセイドン(紀元前2世紀) "0036MAN Poseidon" ©Ricardo André Frantz(2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ポセイドンはギリシャ神話の中でも特に有名な神の1柱ですが、意外とポセイドンとはどういう存在なのか、詳しく正確に把握している人は少ないかもしれません。 海神とは呼ばれますが、それは代表的なものであって、実際には嵐の神でもあり、地震の神でもあり、馬の神でもあります。 そもそも『海の神』という括りも、"海だけ"と考えると正確ではありません。 |
1-3-1-1. ギリシャ神話の世界観
トレヴィの泉の水の神オケアノス(ポセイドンとされることもある) "Piazza di Trevi-fontana di trevi" ©Alexander Audst(2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
全宇宙を最初に総べた原初の神々の王であり天空神ウラノスと、宇宙そのものであるガイアの長兄として生まれた、ティターン神族のオケアノスも海の神とされています。 |
女神テテュスと水の神オケアノス(古代ローマ 3世紀) "Antakya Arkeoloji Muzesi 02366 nevit" ©Nevit Dilmen(30 April 2005)/Adapted/CC BY 2.5 |
オケアノスは同じくティターン神族の女神テテュスとの間に3,000の息子と、3,000の娘をもうけました。3,000というのは、"無数の"という意味です。息子とは、河神のことです。娘たちはオケアニス(大洋の娘)と呼ばれ、それぞれが海や泉、地下水の女神です。 |
『牛若丸僧正坊隋武術覚図』(歌川国芳 1851年) 鞍馬山にて大天狗の鞍馬山僧正坊(中央)から武術の手ほどきを受ける牛若丸(右上) |
日本も山ごとに山神様、河ごとに水神様がいますよね。神と妖怪の境界も曖昧だったりして、山ならば天狗、河ならば河童だったりします。天狗は鞍馬山ならば『僧正坊(鞍馬天狗)』、愛宕山ならば『太郎坊』、筑波山ならば『法印坊』など、それぞれの山に固有の天狗がいるとされています。 |
享和元年(1801年)に水戸藩東浜で網にかかった河童の姿 「身長三尺五寸、重さ十二貫目。胸が隆起し、猪首。背が曲がっている。」 |
河童も河ごとにそれぞれ名前の違う河童いて、水神であったり、その依代とされたりすることもあり、神社を造って"河童大明神"として拝まれる信仰の対象だったりもします。 |
隠岐の島の壇鏡の滝と壇鏡神社の奥の院(2015.11.21) | 日本は到る場所にに神社があり、その数はコンビニの比ではありません。 一神教であるキリスト教に支配された中世以降の欧米人には、古代ギリシャの"河ごとに神が存在する"という概念は理解しにくいかもしれません。 でも、古来より"万物に神が宿る"という意識がごく当たり前のようにあった日本人にとっては、オケアノスと子供たちの話は何となく、直感的に理解しやすいのではないでしょうか。 |
古代ギリシャにおける世界観 Public Domain | 河の水は、最終的には海洋に注がれます。 古代ギリシャの世界観では世界は円盤状になっており、大陸の周りを海が囲み、海流(=オケアノス)がグルグルと回っているのだと考えられていました。 |
水循環のモデル図 Public Domain |
オケアノス(ラテン語:Oceanus)は英語ocean(大洋)の語源となっており、オケアノスは大洋神とも、水の神とも、海の神とも呼ばれます。陸にあった無数のあらゆる河川の水(息子)や地下水など(娘)は、再び大洋(オケアノス)の元に還ります。 |
水の神オケアノス(古代ローマ 2世紀頃) "Oceanus IstArchMu764c" ©QuartierLatin1968(22 May 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
現代人は何となく海の水や川の水を分けて考えていますが、古代世界では大局的な物事の見方をし、あらゆる水を司る存在としての"神"を意識していたということです。 |
1-3-1-2. ティターノマキアー後の水の神
打ち負かされるティターン神族(コルネリス・ファン・ハールレム 1588年頃)Public Domain |
大いなる水の神だったティターン神族オケアノスでしたが、ある時ゼウス率いるオリュンポスの神々と、ゼウスの父クロノス率いる巨神族ティターンとの覇権をかけた戦いが始まります。全宇宙を崩壊させる10年にも及ぶ戦いの結果、ティターンは破れオリュンポスの神々が覇権を握ることとなりました。オケアノスの代わりになったと言えるのがポセイドンでした。 |
1-3-1-3. 地上の神
オリュンポス十二神の祭壇(古代ローマ 1世紀) "Altar twelve gods cast" ©shakko(2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ゼウスらが勝利した後、ティターン神族は神々も恐れるタルタロスの深淵に封印され、世界はオリュンポスの神々によって支配されることになりました。 |
ポセイドンの青銅像(雷霆を投げるゼウスとも言われる)アテネ国立考古学博物館 "ポセイドーン像" ©Ryunpos(20 December 2013, 16:29:00)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
実は古い時代、元々ポセイドンは大地を司る神でした。特に地震を司る神で、『大地を揺らす神』とも呼ばれています。全物質を支配し、怒り狂うと強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶるとされます。 |
ネプチューン(ポセイドン)とアンピトリテのモザイク(古代ローマ 315-325年)ルーブル美術館 | ポセイドンはオケアノスの孫娘であり、海の女神の一人だったアンピトリテと結婚します。 アンピトリテはとても美しい姿をしており、海そのものの化身であり、大波を起こし、海の巨大な海魚や海獣を数知れず飼っていたとされました。 このアンピトリテとの結婚により、ポセイドンは大地と共に海も司るようになったと言われています。 |
醜怪だからとタルタロスに幽閉された可哀想なウラノスの息子サイクロプス(紀元前2世紀)古代ギリシャのオリジナルもしくは古代ローマの複製 | ところで巨神族との戦い『ティターノマキアー』の際、ガイアの助言によってゼウスらはタルタロスに幽閉されていたサイクロプスを助けました。 原初の神ガイアとウラノスの息子であり、単眼の巨神であるサイクロプスは卓越した鍛冶技術を持っており、お礼としてゼウスらに強力な武器を作って献上しました。 ゼウスには万物を破壊し燃やし尽くす雷霆、ハデスには姿を見えなくすることができる隠れ帽でした。 |
ネプチューン(ポセイドン)に扮するジェノヴァ提督アンドレア・ドリア(アンジェロ・ブロンズィーノ 1530-1540年代) | そして、ポセイドンが献上されたのが大海と大陸を支配する三叉の矛トリアイナでした。 全物質界に支配力を及ぼすポセイドンは大海と大陸を自由に支配し、容易く嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませ、万物を木っ端微塵に砕くこともできました。 |
スニオン岬のポセイドン神殿(古代ギリシャ 紀元前440年頃) "Greece, Temple of Poseidon at Cape Sounion" ©Berthold Werner(2017)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
世界そのものを揺さぶることのできる強大な地震を引き起こす力は、あまりの凄まじさに地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではとハデスが危惧したほどでした。山脈を真っ二つに切り裂いて河の通り道を造ったり、山々と大地を深く切り裂いて海中へと投げ、島を造ったこともあるそうです。 |
1-3-2. ヒッポカンポスがポセイドンの馬車を牽く理由
天空の神 実力No.1 ゼウス |
地上の神 No.2 ポセイドン |
冥界の神 No.3 ハデス |
ここまでインプットするとご想像いただける通り、最高神ゼウスは神々を司る天空神であり、ポセイドンは海だけでなかう地上全体を司る神と理解するのがより正確です。オケアノス同様、ポセイドンは地下水も支配しており、泉の守護者ともされています。 |
『ポセイドン&アンピトリテ』 |
人間が営みを行う地上の全てを支配する偉大な神。古代世界に於いて、特に重要だった海をも支配する神がポセイドンだったのです。 そして、その偉大な神ポセイドンを運ぶ高貴な生き物が海と陸の生物を合体させた、半馬半魚のヒッポカンポスなのです。 |
古代ローマの120年頃の領土"Roman Empire 120" ©Andrei nacu(5 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ギリシャ神話の神々は、ローマ人の支配後はローマ神話に取り込まれ、習合しました。ポセイドンはネプチューンとなり、引き続き古代ローマの人々に信仰されたのです。 |
より古い時代だと神話もそれほど体系的に固まっておらず、ヒッポカンポスが描かれていても属性をはっきりと推察できません。 でも、このインタリオが作られた1世紀頃はギリシャ劇場を使った上質な市民教育も熱心に行われており、高貴な身分の人がしっかりとポセイドンを意識して作らせた可能性が高いでしょう。 |
2. 幽玄の美を感じさせる見事なニコロ
2-1. ニコロとは?
このインタリオに使われている石はニコロです。 ニコロとは、白を含む複数の層から成る天然のままのオニキスです。 白い層は青みを帯びたものや、若干茶色を帯びたものもあります。 |
2-2. ニコロの特徴
"天然のままのオニキス"という表現がどういうことなのか分からないという方もいらっしゃると思います。 これは加熱処理をしていないということです。 |
"宝石の加熱処理"と聞くと、1960年代に発見され、1970年代以降に当たり前のように行われるようになったサファイアなどを始めとした加熱処理を思い浮かべると思います。しかしながら、現代の加熱処理とは用いる温度帯どころか、行う目的も全く異なるものです。現代の加熱処理は、アンティークの時代であれば見向きもされなかった稀少価値も美しさもない屑石を尤もらしく見せて高値で売るためのもので、天然の石が持つ自然の美しい景色(インクリュージョン)も消失させてしまう"おマヌケ"なものです。 |
【参考】オニキス | オニキスを加熱する目的は、天然のままでは曖昧だった層の境目をはっきりさせることです。 |
『Gemma Augustea』アラビア産オニキスのカメオ(古代ローマ 20-30年)22,8cm×19,6cm×2.54cm "Gemma Augustea" ©James Steakley(October 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
例えば、こういうタイプのカメオであれば、層ははっきり分かれていた方が良いでしょう。 |
『魔除けの瞳』 古代ローマの魔除けのアゲートリング 古代ローマ 2〜3世紀 SOLD |
『魔除けの瞳』の場合も、層ははっきりと分かれている方が良いです。 この石が加熱されているか定かではありませんが、層の境目がボヤけていると目が濁っている感じになって、邪視から守ってくれる雰囲気が全くない作品となっていたことでしょう。 古代に於けるオニキスの加熱処理は、芸術的観点から行われていました。 |
非加熱のオニキスの特徴は、層の境界がはっきりし過ぎておらず、連続的に徐々に変化する石の層から"幽玄の美"を感じられることです。 |
2-3. 古代世界でも人気の高かったニコロ
2-3-1. 幽玄の美を好む感性
キリスト教の総司教キュリロスら修道士により 415年のアレキサンドリアで斬殺される学者ヒュパティア |
一神教であり、他者の存在を一切認めないキリスト教に支配された中世以降のヨーロッパでは、美術作品に関しても白黒はっきりしたものが好まれる傾向にある印象があります。 |
『夢でみた花』 オパールセント・エナメル ブローチ アメリカ 1900年頃 SOLD |
しかしながら、自然の中のありとあらゆるも物に神が宿るととらえ、古来からあらゆる他国の神々も排除することなく取り込んで来た日本人は、繊細な変化を敏感に認識し、美しい、愛おしいと思える美的感覚を持っています。 はっきりし過ぎたものよりも、"繊細な美"や"幽玄の美"をこよなく愛するのが日本人です。 |
この宝物が作られた時代は、まだ古代ローマの多神教でした。 彼らは古代ギリシャや古代エジプトの神々を取り込む、日本人と同じようなおおらかさを持っていました。 私もそうですが、Genはニコロが特に好きです。 きっと、キリスト教に支配される以前の古代の人々は、私たちと同じような美的感覚を持っていたと思っています。 |
2-3-2. 古代のニコロ・インタリオ
『エウロペの乗った牛』 古代ギリシャ 紀元前4-紀元前1世紀頃 SOLD |
とにかくGenが大好きな石なので、これまでの45年間で様々なニコロ・インタリオをお取り扱いしていますが、一言で「古代のニコロ・インタリオ」と言っても、芸術的な表現の仕方は非常にバリエーションに富んでいます。 |
2-3-2-1. 多層ニコロ
『キューピッド』 古代ギリシャ 紀元前3世紀頃 SOLD |
『古代ローマの黄金の輝き』 古代ローマ 1世紀頃 SOLD |
薄い層がいくつか重なった多層ニコロも面白いです。彫刻するモチーフだけでなく、白と黒どちらを最表面にするのかでも大きく印象が変わることが分かります。石だけでも、彫刻だけでも成立しない、自然と人間の力が組み合わさって完成する"総合芸術"ならではの面白さです♪ |
2-3-2-2. 背景を表現したニコロ
『幻想の美』 古代ギリシャ 紀元前2-紀元前1世紀頃 SOLD |
『キューピッドと星』 古代ローマ 紀元前2-紀元前1世紀頃 SOLD |
黒い層の上の白い層をギリギリまで薄くし、幻想的な背景を表現したニコロ作品もあります。自然の石ならではの、偶然に得られた質感がとても美しいですね。インタリオのモチーフもより魅力的に見え、素晴らしい表現力を感じます。 |
2-3-2-3. 彫刻の厚みで色による陰影も表現したニコロ
『古代ギリシャの尊貴』 古代ギリシャ 紀元前 SOLD |
『横顔の女性』 古代ローマ 4世紀頃 SOLD |
層の色が全く異なるからこそ、彫り込みの深さで微妙な色の変化を表現することも可能なのがニコロの特徴です。人の顔を描くと、霧の中に浮かび上がったような幻想的な雰囲気も出て美しいですね。 |
2-3-2-4. モチーフがはっきり分かりやすいニコロ
2-3-2-5. ササン朝ペルシャのニコロ・インタリオ
『太陽の使い』 ニコロ・インタリオ リング インタリオ:ササン朝ペルシャ 7世紀頃 シャンク:フランス 1830年頃 ¥1,880,000-(税込10%) |
キリスト教が古代ローマ帝国から多神教を駆逐し、学者や教養人など、人や文化、知もペルシャ世界に移動した結果、移動先のペルシャで素晴らしいニコロ・インタリオも生み出されています。 ペルシャ文字や足下の花は白だけのインタリオで表現され、太陽の使いである鶏は、瞳やボディに少しだけ黒の背景が透けて見える表現になっています。 この絶妙な表現は古代ギリシャやローマ、日本人と共通する、"幽玄の美"を理解する美的感覚を持っていたからこそなし得たものでしょう。 |
2-3-3. ガラスを用いられるほど人気のあった石
【現代】鋳造ジュエリー用のワックスツリー | 古い時代と違い、今は世の中の大半を占める庶民が本当に豊かになりました。 たくさんのモノに囲まれて暮らすことができます。 ただし庶民にまでモノを行き渡らせるためには、大量生産に頼らざるを得ません。 |
大量生産品は均一価格で販売するために同じ品質、同じ見た目である必要があります。故に宝石も見た目が同じであることが望ましく、だから余計に見た目を均質化しやすい処理石や合成石が好んで使われるのです。 インクリュージョンや色ムラなどの自然の美しい景色が一切見られない、極度に人工的で不自然な石ころで現代ジュエリー市場は溢れかえっています。 |
【参考】オニキス | 高級ジュエリーの宝石すらも、完璧に同じ見た目であることが当たり前という意識の現代人にとっては意外に感じるかもしれませんが、オニキスから美しいインタリオを彫るための材料を得るのは実はとても難しいことです。 |
【参考】様々なオニキス |
これは様々なオニキスです。下の布の繊維の大きさからもご想像いただける通り、1粒1粒がとても小さなオニキスです。この中に、ニコロ・インタリオを作れる石は1つもありません。積層がフラットではなかったり、層の厚みが適切ではなかったり、色がイマイチだったり、理由はいろいろです。 |
ニコロのインタリオは、あまり大きなサイズのものはありません。 積層構造を持つ天然の石から、フラットで均質かつ美しい石を得るには大きさの限界もあるからです。 そもそも小さな石であっても、上質なニコロは得ることが難しい、稀少性の高い石なのです。 |
ニコロ風グラス・インタリオ リング 古代ローマ(北フランス) 3世紀 22〜24K、ローマングラス SOLD |
それ故に、ガラスでニコロ風に作った古代ローマのインタリオ・リングも存在します。 これはオールオリジナルの状態で残っていた非常に貴重なもので、ニコロ風グラス・インタリオはゴールドのきちんとした作りのリングにセットされていたことが分かります。 |
ローマングラスのシールストーン(古代ローマ 紀元前3-紀元前1世紀) 【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
これは大英博物館が所蔵している、ヘレニズムスタイルのローマングラスのインタリオです。 ヘリテイジの古代美術館を眺めると感じていただける通り、古代ギリシャもヘレニズム期は独特の石の質感や模様を生かしたインタリオが多く出てきます。 |
『ヴィーナス』 ローマングラス・インタリオ リング ローマ 2〜3世紀 SOLD |
『ヴィーナス』も、バンデッドアゲートのような模様を表現したローマングラスのインタリオでした。 透明な深い赤のグラスに白い不透明なグラスでラインが入っています。 現実には存在しない石、手に入れるのが極めて困難な石を表現するために、ローマングラスの技術が使われたのかもしれませんね。 決して代替の安物材料ではなかったことは、ズッシリと重い、オールオリジナルのゴールドのリングの作りにも現れています。 |
ニコロ風グラス・インタリオ リング 古代ローマ(北フランス) 3世紀 22〜24K、ローマングラス SOLD |
そういう意味では、ニコロもローマングラスで再現されるほど、人気が高いながらも稀少で手に入らなかった石ということが言えるのです。 |
3. 素晴らしい表現力のアーティスティックなインタリオ
3-1. 小さな石への躍動感あふれる見事な表現
ヒッポカンポスは、実は表現がとても難しいモチーフです。 カンバスが小さくなるほど、その難易度は格段に上がります。 |
そんな中で、この宝物は『ヒッポカンポスの最高傑作』と確信できるほど見事な表現力で彫刻されています。 |
3-1-1. ヒッポカンポスを表現する難しさ
シルバーコイン(ターラントで発行 紀元前500-紀元前400年頃)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted | ヒッポカンポスは半馬半魚ですが、魚部分がニョロ長い(笑)ため、カンバスが狭いとこの部分の表現が特に難しいです。 |
レリーフ(古代エジプト・プトレマイオス朝 紀元前190ー紀元前180年頃)【引用】The British Museum / block © The Trustees of the British Museum/Adapted | シルバーコイン(エトルリア、ルッカ?、ピサ?で発行 紀元前300-紀元前200年頃) 【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
無理に収まらせるために、ニョロ巻きにしたり折りたたむ感じに表現するのが一般的ですが、これだと何だか狭くてきつそうな印象が否めません。 神が乗る水陸両用の偉大な生き物の、悠々とした姿には見えないのです。 |
合金のコイン(シラクサで発行 紀元前345-紀元前317年頃) 【引用】The British Museum / coin © The Trustees of the British Museum/Adapted |
魚部分だけでなく馬の前脚も重要です。 これはキツそうに丸まった魚の尾と、折れ曲がった前脚のバランスが取れておらず、何だか嫌がっている"暴れ馬"みたいです。 |
3-1-2. 悠々と駆け抜けるヒッポカンポスの美しい姿
アカエア発行の銅合金のコイン(古代ローマ 紀元前38-紀元前37年)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
どういう姿が良いのかは好みの部分もあると思いますが、ヒッポカンポスの性質を考えると、やはり悠々と駆け抜ける姿が最も美しいと感じます。例えばこのアカエア発行のコインに描かれたヒッポカンポスの姿も、とても美しいと思います。 |
西竹一(バロン西)と愛馬ウラヌス(1932年) | これは2016年のリオネジャネイロオリンピックまでで、馬術競技においてメダルを獲得した唯一の日本人であるバロン西と愛馬ウラヌスです。 『バロン西』はお笑い芸人の名前のような物ではなく、西男爵は正式な爵位を持つ日本の本物の貴族です。 花形競技の金メダリストでもあり、海外でも高い称賛を受け、憧れと尊敬の念を持ってバロン西と呼ばれていました。 |
1.6mの障害を越えるバロン西とウラヌス(ロサンゼルスオリンピック馬術大賞典障害飛越個人競技 1932年) | 馬は高貴な生き物で、駆け抜ける姿は本当に美しいです。 これは各国が威信をかけて送った精鋭のエリートたちでも飛び越えられぬ者が続出し、大荒れの大会となった、1.6mの障害を西らが飛び越える様子です。 愛馬ウラヌスの前脚も後ろ足も美しく伸びています。この最高に美しい姿は一瞬だけです。 |
障害を超えたバロン西とウラヌス | 跳躍した後は、巨大な体躯と騎乗する人間の全体重を支えて安全に降りるために、すぐさま着地体勢に入らなければなりません。 最高点に到達する頃には、着地に備えて前脚は曲げます。 |
上の写真を日本人画家が描いたもの | どの姿が一番美しいかと言えば、やはり前脚、後ろ足ともに伸び、スピードに乗って空中を飛ぶ姿です。 この絵もその姿を描写しており、力強さを感じるウラヌスの全身の筋肉とは対照的に、疾走する風にたなびく尾がなんとも優雅です。 |
ゴールド・インタリオ・リング(古代ギリシャ 紀元前400-紀元前300年頃)【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted | ご紹介のインタリオ(古代ローマ 1世紀頃) |
ご紹介のインタリオのヒッポカンポスは、前脚が最大まで伸びており、後ろへたなびく魚の尾も自由で優雅です。左の大英博物館所蔵の古代ギリシャのヒッポカンポスもかなり良い方ではありますが、特に魚の尾が少し狭くてきつそうです。 |
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実際のニコロの大きさは1.0×0.5cmでとても小さいのですが、細長い楕円にカットしたニコロのカンバスに、これ以上のものはないと言えるほど完璧に優美なヒッポカンポスの姿を表現しています。 |
泳いでいるのでもなく、走っているのでもなく、海とも陸とも空とも分からぬ場所を、優美に飛んでいるかの如しです。 |
3-2. ニコロを生かした色のグラデーションによる立体感
このインタリオは、下地の層が透けて見えるニコロの特徴をよく生かした、とてもアーティスティックな彫りがなされています。 |
アゲート・インタリオ(詳細不明) 【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
ご紹介のニコロ・インタリオの石のサイズは1.0×0.5cmで、大英博物館のこのインタリオは1.5×1.0cmあるそうですが、表現力のみならず彫りのレベルも全く異なります。 これはボテっとしたボディにポキっと折れそうな貧弱な前脚、翼に見えない羽根で、とても飛びそうに見えないですね(笑) 芸術的価値があるから博物館にあるわけではない見本です(笑) |
まず前脚に注目すると、蹄や関節は深く彫り込み、力強い馬の前脚をきちんと表現しています。深く彫り込むとは言っても、あくまでも黒い層にまでは到達しない深さです。 顔から首にかけては、彫る深さによって見事に色も表現し分けています。目やたてがみは黒い層まで完全に彫り込み、単なる幻想の生き物という妖精のようなものではなく、きちんとした存在感を感じさせる力強い表現になっています。ブルー・グレーのグラデーションで表現された頬や首元には、筋肉を感じさせる筋がしっかりと彫刻されています。 羽ばたくための翼の腕部分は特に深く彫り込まれており、神々を乗せた重い戦車でも悠々と牽いて飛べそうな力強さを感じます。それぞれの羽根は、彫る深さを巧みにコントロールして色を表現しており、ブルー・グレーの色ならではの軽やかさも感じさせます。 魚の尾も、ニョロニョロとどのように巻かれているのかがしっかりと分かる表現になっています。インタリオでここまで表現できるなんて、作者は彫りの技術だけでなく、アーティストとしても相当な才能を持つ人物だったことは間違いありません。 |
粘土に押してみると、いかに立体的で素晴らしい彫りなのかが分かります。 |
でも、ニコロだからこその、立体的な彫りの面白さのみならず、カラー・グラデーションの美しさには、他のインタリオにはない何とも強い魅力を感じます。 |
他のニコロよりも、白い層に青味がはっきりと感じられるのも良いです。 海や空を思い起こさせるような、とても美しいブルーグレの層を持つ特別なニコロと言えます。 |
黒の層をはっきり感じさせる部分と、前脚などのように、ある程度深く彫っていても色は感じさせない部分を作るために、このブルーグレーの層はわざと厚めに残して使っています。だからこのインタリオは面積は小さいにも関わらず、通常よりも深く彫り込んであります。 |
粘土に押さなくてもモチーフがはっきり分かりますし、角度によって見える姿も変化するので、指元で芸術作品として見ていて楽しめるインタリオです♪ |
4. 贅沢にゴールドを使ったリングの作り
このリングは古代ローマのオリジナルではなく、ヴィンテージの作りです。 |
シンプルなデザインですが、重量が10g(通常の3倍ぐらい)あることからも解るように、かなり贅沢に金を使った非常にしっかりした良い作りです。 |
数十年前にこのニコロ・インタリオを手に入れた持ち主は、その価値をとてもよく分かっていたということでしょう。 |
通常のアンティークジュエリーのリングの感覚で持ってみると、「????!!」と驚くくらい重さを感じます。 まさに、"高級感を感じる重さ"です。 |
裏側
裏側までタップリとゴールドを使った、しっかりとした作りです。 |
着用イメージ
サイズは10.5号で、男性ならば小指に、女性ならばお好きな指にお着けいただけると思います。 欧米では男性はこのようなリングは小指に着けることが多いのですが、このデザインとサイズだと、ご夫婦や恋人同士で共用しても良さそうです。 |
ブルーグレーの層が光に透けても変化するため、様々な場所でご覧になって変化する表情を楽しめると思います。 人間だと方向感覚を失ってしまいそうな、白く立ち込めた海霧の中を、泳ぐように悠々と優雅に駆け抜けていくヒッポカンポス・・。 |