No.00282 コルヌコピア

豊穣や富のシンボルであるコルヌコピアのジョージアンのステップカット・ダイヤモンド・ブローチ


コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

『コルヌコピア』
コルヌコピア ダイヤモンド ブローチ

イギリス 18世紀後期
ステップカット・ダイヤモンド、ローズカット・ダイヤモンド、シルバー&ゴールド
2,9cm×1,9cm
重量 4,3g(本体のみ)
※セーフティーチェーンは後の時代につけられた物
SOLD

ジョージアンでも19世紀初期に比べて18世紀はジュエリーの現存数が極端に少なくなるのですが、普通のジョージアンよりも古い18世紀後期くらいのダイヤモンド・ジュエリーならではの魅力がたっぷりと詰まったブローチです。

モチーフは古代ギリシャで豊穣のシンボルだったコルヌコピアで、古代遺跡の発掘が相次いだ時代に作られた、いかにも教養に優れた貴族らしいモチーフです。山羊の角と、そこから溢れ出る植物の生命力あふれる表現も素晴らしいです。

実物大
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

箔が変色して分かりにくくなっているものの、ダイヤモンドはとてもクリーンで上質な石が使われており、石留めも非常にしっかりした丁寧な作りです。透かしの多い作りは大いに手間が掛かるだけに、特に小型のブローチでは珍しく、幸運のアイテムとしてオーダーされた特別な宝物だったに違いありません。

 

 

この宝物のポイント

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

1. 豊穣の角"コルヌコピア"のモチーフ
 1-1. コルヌコピアとは?
 1-2. コルヌコピアの誕生の秘密
 1-3. コルヌコピアの誕生の背景

2. 古代ギリシャ&ローマの教養とコルヌコピア
 2-1. キリスト教に取り込まれたコルヌコピア
 2-2. 古代遺跡の発見と考古学フィーバー
 2-3. 豊かさの象徴コルヌコピア

3. 古い時代のダイヤモンドの魅力
 3-1. 古い時代のステップカット・ダイヤモンド
 3-2. 古い時代らしいローズカット・ダイヤモンド
 3-3. この時代としてはかなりのクリーンな石

4. 小さいのに優れた作り
 4-1. 美しい造形
 4-2. ダイヤモンドの丁寧な留め方

 

 

1. 豊穣の角"コルヌコピア"のモチーフ

1-1. コルヌコピアとは?

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この宝物のモチーフはコルヌコピアです。

コルヌコピア ブローチカリフォルニアのコルヌコピアのポスターカリフォルニアのコルヌコピアのポスター

コルヌコピアは『豊穣の角』、『アマルテイアの角』、『収穫の円錐』とも呼ばれ、食べ物と豊かさ、巨万の富の象徴とされ、欧米では親しまれている縁起モチーフです。

山羊の角に果物や花が満たされた表現がなされるのですが、この角には食べ物も飲み物も無限に生み出す力があるのだそうです。

日本ではあまり馴染みがないコルヌコピアですが、北米でも殆どの地域で収穫や感謝祭と関連づけられており、一般的なモチーフとなっています。

イギリスのハンプトンシャーの紋章
"Hunts CoA" ©Zacwill16(11 September 2014, 23:53:45)/Adapted/CC BY-SA 4.0

また、豊穣のシンボル"コルヌコピア"は様々な国や地域の紋章のモチーフにも用いられるほどメジャーです。

チリのコピアポの紋章
"Escudo de Copiapo" ©B1mbo(8 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0
ペルーの紋章 ウクライナのハルキウの紋章
フィリピン・ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロのシール

このフィリピン・ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロのシールはコルヌコピアの知識がない状態で見たら、私は絶対に巻貝だと思っていた自信があります(笑)

海ですし、一緒に椰子やパイナップルは船がが描かれていますし・・。

フード&ワイン感謝祭『コルヌコピア』が開催されるウィスラー "View of whistler" ©DarkLoki(09:53, 11 March 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

カナダのブリティッシュ・コロンビア州ウィスラーで毎年11月に開催されるフード&ワイン感謝祭の名前も『コルヌコピア』だったりします。巌しい冬がある地域だからこそ、収穫物への感謝の念もより強いでしょう。それにしてもコルヌコピアは結構メジャーな感じですね。

1-2. コルヌコピアの誕生の秘密

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

世界で見るとわりと一般常識っぽいコルヌコピアですが、元々はどうやって生まれたものなのでしょうか。

紀元前500年以上昔、古代ギリシャ神話まで遡ることができます。

『幼児ユピテル(ゼウス)を育てるアマルテイア』(ヤーコブ・ヨルダーンス 1630年代初期)

赤子だったゼウスはアマルテイアの乳で育てられたそうです。アマルテイアはゼウスの母親ではありません。山羊そのものでもある栄養の女神、もしくは山羊飼いのニンフとされています。

1630年代に描かれたヤーコブ・ヨルダーンスによる絵画では、アマルテイアは山羊そのものとして描かれています。色白の美女はニンフのアンドレステアです。山羊アマルテイアの乳房から乳を絞り出して受け皿に溜めています。アンドレアの後ろに、空の哺乳瓶を握りしめてお乳を求めるゼウスがいます。一番右にいるのは半獣サテュロスで、泣いているゼウスの気をそらそうと木の枝であやしています。

ゼウス&ヘラ&ヘルメス&鷲がモチーフの神々しい天空のシェルカメオ『ゼウス&ヘラ』
シェルカメオ ブローチ&ペンダント
イギリス 1860年頃
¥885,000-(税込10%)

ゼウスは後に神々の王となる存在です。

幼少期から尋常ではない能力と怪力を持っていました。

ある時、幼いゼウスがアマルテイアと遊んでいると、誤ってアマルテイアの片方の角を折ってしまいました。

幸運の女神フォルチュナのアレゴリー幸運の女神フォルチュナのアレゴリー(寓意画)(サルバトール・ローザ 1658年)

すると、その時折れたアマルテイアの角は無限に食べ物を湧き出すことのできる神の力を持つようになったのです。

それはまるで乳母アマルテイアがゼウスに無限にお乳を与えたように・・。

飽食の時代となった現代では想像しにくいですが、ひと昔前までは食べ物は生命を左右するほどの大切なものであり、多く持つ者は富を持つに等しいと言えました。

無限の食べ物、つまり幸せや富を与えてくれるコルヌコピアは縁起物モチーフとして独立し、ゼウスやアマルテイアだけでなく古代ギリシャや古代ローマの様々な神の象徴となり、人々に親しまれるようになりました。

1-3. コルヌコピアの誕生の背景

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

コルヌコピアがどういうもので何故誕生したのかは分かりましたが、ゼウスがなぜ乳母に育てられたのかは少し気になりませんか?

余談の部分ではありますが、こういう知的好奇心と実際に調べてみるという実行の部分も大事だと思うので、ご紹介しておきます。

大地の女神レアもしくはキュベレの大理石像の模写大地の女神レアもしくはキュベレの大理石像の模写(1888年)

ゼウスは全宇宙を統べる神々の王だった大地および農耕の神クロノスと、大地の女神レアの末っ子として生まれました。

母レアは生まれたゼウスをニンフたちとアマルテイア、護衛らに託し、クレタ島のイデ山で育てさせました。

なぜ一切自分で育てなかったのでしょうか。

大地および農耕の神クロノス

クロノスは子供が生まれるたびに飲み込んでしまったからです。

ヘスティア、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン、生まれた子全員が飲み込まれてしまいました。

大地および農耕の神クロノス
石を産着でくるんでクロノスに渡すレア石を産着でくるんでクロノスに渡すレア

このため、レアは末っ子のゼウスだけは絶対に助けたいとアマルテイアたちに託し、クロノスには産着でくるんだ石を飲み込ませたのです。

なぜクロノスはわざわざ生まれた子供達を飲み込んだのでしょうか。

彼は腹ペコだったのでしょうか。

でも、仮に腹ペコだったとしても、食べるのは子供でなくてもと思いますよね。

クロノスに去勢されるウラノス『クロノスに去勢されるウラノス』(16世紀)

クロノスは最初から全宇宙を統べる神々の王ではありませんでした。父ウラノスがその座にいました。しかしながらクロノスは父ウラノスを魔法の金属アダマントの鎌で去勢して追放し、父の代わりに神々の王の座に就いたのでした。しかしながらクロノス自身も父親同様、子供にその権力を奪われるという予言を受けたため子供たちが生まれるたびに飲み込んでしまったのです。
クロノスが子供たちを飲み込んだ理由に関しては納得しましたが、なぜ彼は父を去勢しちゃったんでしょうかね。

アイオン-ウラノスとガイアのローマンモザイクアイオン-ウラノスとガイアのローマンモザイク(古代ローマ 200-250年)

クロノスはウラノスと母なる女神ガイアの息子です。ガイアは大地の女神とは呼ばれますが、文字通りの大地ではなく、天をも内包したこの世(世界)そのものであり、カオス(混沌)から生まれた世界の始まりの時から存在する原初神です。自らの力で天の神ウラノス、海の神ポントスなどを生み、ウラノスと親子婚したためウラノスが神々の王となりました。

単眼の巨人サイクロプス 五十頭百腕の巨人ヘカトンケイル三兄弟の1人

ウラノスとガイアの間に、クロノスらティターン12神が生まれましたが、それ以外にサイクロプスやヘカトンケイルも生まれました。サイクロプスは単眼の巨人、ヘカトンケイルは五十頭百腕の巨人の三兄弟です。ウラノスは彼らの醜怪さを嫌い、タルタロスに幽閉してしまいました。

冥界の王ハデスと妻ペルセポネ
"Locri Pinax Of Persephone And Hades" ©AkMare(September 2002)/Adapted/CC BY-SA 4.0

タルタロスはハデスが住む冥界よりさらに下にあり、天と地の間の距離と同じだけ大地からさらに低い所にあります。

天から青銅の台を落とした場合は地球に到達するのに9日間かかりますが、地上からタルタロスに青銅の台を落とした場合も丸々9日かかって10日目にようやく底に辿り着くのだそうです。

霧が立ち込め、神々ですら忌み嫌う澱んだ世界。青銅の壁で閉ざされ、何者も逃げおおすことのできぬタルタロス。

ガイアの可愛い息子サイクロプス(紀元前2世紀)古代ギリシャのオリジナルもしくは古代ローマの複製

巨大な体躯を持つ神々と違い、人間であれば中に入っても一年がかりでも底に辿り着けぬ深淵。神々が怖れるほどの苛烈な暴風で返って吹き飛ばされるような世界。タルタロスは神々の奈落であり牢獄なのです。

可愛い息子たちをタルタロスに幽閉されたためガイアは激怒し、末子クロノスに命じてウラノスを去勢させたのです。

これで納得です!

他人から見ればどんなに醜かろうとも、母にとっては可愛い我が子。

父親に対してなぜ去勢という手段に出たのかも理解できます。

こういう神話は単発で見ていくと行動論理が理解できなくて、荒唐無稽で意味不明な話に思えたりするのですが、こうして話を追っていくと人間感情的にも理解ができますね。

祖父の代から続く因縁。
母レアの御加護を受け、アマルティアたちの保護の元で生き延び成長したゼウス。

ゼウスが治める時代が、人間も存在する今の時代です。それ以前は宇宙誕生と、今の時代ができるまでのお話。天と地を含む宇宙そのものであるガイアはカオスから誕生しました。

宇宙の歴史のタイムライン(NASAの資料)

宇宙はビッグバンから始まったわけではありません。137億年前のビッグバン以前の研究も進んでおり、その前はビッグバン膨張よりももっと急激な膨張、インフレーションがあったとされています。そしてその前・・。宇宙は無から生まれたと考えられています。無から有が生まれるなんて一見意味が分かりませんが、"真空"も何もないわけではなく、無も量子のレベルでは絶えず揺らぎがあります。量子とは原子よりも小さな世界です。その小さな無の揺らぎの中から突如宇宙が生まれ、インフレーションを起こして最終的には今の姿になったと考えられています。

アレキサンダー・ビレンキン所長(1949年-)
"AlexanderVilenkin" ©Lumidek at English Wikipedia(2005)/Adapted/CC BY 3.0

物質だけではなく空間や時間さえもない完全な"無(nothing)"から極小宇宙が自発的に発生したという『ビレンキン仮説』は、1982年にアレキサンダー・ビレンキンによって発表されました。

無から誕生するという理論はかなり画期的で、驚きをもって知られるようになりました。

観測不可能な理論的予想なので証明のしようがないのですが、現在では有力な仮説とみなされています。

カオスから生まれたという古代ギリシャの神話との共通点を感じて、私は思わず楽しくなってしまいました。

科学雑誌Newton ©ニュートンプレス

中学時代は科学雑誌Newtonがめちゃくちゃ好きで、所属した新聞クラブでは、各自テーマを選べた際に『宇宙新聞』にしたほどなのです。

この時ビレンキン仮説やインフレーション宇宙論などを取り上げました。

一方で同級生は星座とギリシャ神話を題材として新聞を作っていました。

その頃は星座やギリシャ神話には全く興味がなく、「何が楽しいんだろう。でも、女子ってなぜか星座や神話が好きな人が多いよね。」なんて思っていたのですが、今ようやく私も興味が持てるようになりました。

彼女たちには何十年も遅れをとってしまっています。ダメだなぁ(笑)

古代ギリシャの『神統記』の作者ヘシオドス(紀元前700年頃)

そんなおバカな私は置いておくとして、凡人でも現代の天才レベルのIQを持っていたとされる古代の人たち。

その古代人の中の天才はどれだけ凄かったのか想像もできません。

現代人がようやく到達した、無から生まれたという理論をカオス(混沌)から誕生したという形で既に分かっていてもおかしくないように感じます。

赤絵式の皿に描かれた青年の姿のエロス(古代ギリシャ 紀元前470-紀元前450年頃)

原初の神にはガイアの他にエロスもいました。

恋心と性愛を司る神エロスがいたからこそ神も人間も繁栄していきました。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

そして食べることもとても重要です。

死なぬ神は食べなくても辛いだけかもしれませんが、人間は食べなければ死んでしまいます。

人間的な生活、楽しく幸せな暮らしは食べ物の悩みがなくなってこそ得られるものです。

無限の食べ物の恵みをもたらしてくれるコルヌコピアは、富も幸せな暮らしももたらしてくれる、人間にとって大いなる幸福のシンボルと言えるのです。

2. 古代ギリシャ&ローマの教養とコルヌコピア

2-1. キリスト教に取り込まれたコルヌコピア

幸運の女神フォルチュナと海神ポントス(古代ローマ 2世紀頃) "TomisFortuna2" ©CristianChirita/Adapted/CC BY-SA 3.0

ギリシャ神話はローマ神話など各地の伝承と混ざり合い、神々は習合したり変容したりしながらも、神々は古代ローマで信仰されてきました。

しかしながら古代ローマ領内でキリスト教が興り、徐々に勢力を拡大し、392年にローマ皇帝テオドシウス1世によって国教化されると、多神教である古代ギリシャや古代ローマ神話は"異端"とされ、迫害されていくことになりました。

テオドシウスの銀皿 "Disco de Teodosio" ©Angel M.Felicimo(1 April 2015)/Adapted/CC BY-SA 3.0

テオドシウス1世はアレクサンドリアのキリスト教司教テオフィロスの求めに応じて、非キリスト教の宗教施設や神殿を破壊する許可を与えており、キリスト教のテロリスト達によって暴力的な破壊行為や殺害行為も多々行われました。

キリスト教の総司教キュリロス指示のもと修道士らに惨殺されるヒュパティア(415年)
【世界遺産】フィラエ神殿(イシス神殿) "Philae Temple R03" ©Marc Ryckaert(MJJR)(13 March 2012)/Adapted/CC BY 3.0

完全に破壊されたものもありますし、建物などはキリスト教の教会として再利用される場合もありました。いずれにせよかなり徹底的に迫害が行われ、古代ローマにあった人類の『知』はペルシャからイスラム世界に移動し、ヨーロッパは文化的にも長い中世の暗黒時代に突入していくのです。

こうやって全てが破壊されたり迫害されたかのように見えた古代ギリシャ・古代ローマの文化でしたが、キリスト教に取り込まれてそのまま受け継がれたものもありました。その1つがコルヌコピアです。

豊かな実りを祝うためのヨーロッパ各地の感謝祭で頻繁に使用され、通貨、紋章、教会の装飾など広く採用されたのです。

戦争や流行病だけでなく、深刻な飢饉で多数の人々が死ぬことも少なくなかった時代。心から収穫の恵みに感謝し、大切に戴くことができたでしょう。

【参考】キリスト教の教会のステンドグラス
ピル状のサプリメント

加工食品が氾濫する現代では、とても食べ物には思えないものが身近な存在となりました。原材料が何なのか、何からできているのかすら分からない食べ物が当たり前となり、そればかりを食べるようになってしまったら「実りの感謝する気持ち」なんて、想像もできないかもしれません。

原材料が何かも考えずに、ただの栄養として食べる。チャールストン・へストン主演の1973年のアメリカのディストピア系SF映画『ソイレント・グリーン』を思い出してしまいます。

2022年、とどまることを知らない人口増加により世界は食住を失った人間が路上に溢れ、一部の特権階級と多くの貧民という格差の激しい社会となっていました。野菜や肉といった"本物の食料品"は宝石以上に稀少で高価なものとなり、特権階級だけのものとなりました。それ以外の多くの貧民達はソイレント社が製造する合成食品の配給を受けて生き延びるという状況なのだそうです。

ハリイ・ハリスン(1925-2012年)
"Harry Harrison 2005" ©Szymon Sokó?(August 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0

この映画は1966年のSF作家ハリイ・ハリスンの小説が元となっているのですが、特権階級のための食料が、テクノロジーによって新しく生み出された画期的な栄養食側ではなく、本物の食料品だったことに感銘を受けます。

50年以上も前に書かれたものとは・・。

コーンフレークの食事

現代では「一食につきこれ一種類でOK!」と謳う、栄養バーやゼリー、フレーク類、サプリメントなどの類が世の中に溢れています。

ジュエリーも現代では劣化しきっていますが、食べ物に関しても同様に思えます。

メイフラワー号(ウィリアム・ハルソール 1882年)
アメリカの感謝祭の始まりはイングランド王ジェームズ1世による弾圧を恐れてアメリカに渡った、イギリスのピューリタン(清教徒)たち"ピルグリム・ファーザーズ"まで遡ります。1620年11月、ピルグリム・ファーザーズ102名を乗せたメイフラワー号がアメリカのプリマス植民地に到着しました。しかしながらイギリスから持ち込んだ種子などが現地の土壌に合わず、その年の1620年の冬は大変厳しいものとなりました。餓死や壊血病、肺炎、結核などでその冬を生き延びることができたのは約半数の53人だけでした。

絶体絶命にも見えたピルグリム・ファーザーズでしたが、土地の先住民だったワンパノアグ族から食料や物資の支援を受けました。

さらにワンパノアグ族の中にはイギリスに奴隷として連れて行かれた経験があって英語が話せるスクアントがいたため、彼から狩猟やトウモロコシの栽培を教えてもらうことができました。

ワンパノアグ族のスクアント(?-1622年)
1621年の初めての感謝祭(ジーン・レオン・ジェローム・フェリス 1899年)

その結果、1621年には収穫を得ることができ、ピルグリム・ファーザーズは収穫を感謝するお祝いを行ったのです。ピルグリム・ファーアーズの生き残り53名に加えて、ワンパノアグ族90名も招いて祝宴は3日間に及びました。料理が不足すると、ワンパノアグ族の酋長マサソイトは部族から追加の食料を運ばせて皆で祝いました。この祝宴が感謝祭の元になったとされています。

半数の人が食べ物が不足して亡くなるような状況下、人々は心から収穫に感謝したことでしょう。食べ物はいつの時代も変わることのない、人間が生きる上で大事な存在なのです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

それを充足するまで無限にもたらしてくれる、豊穣の角コルヌコピア。

時代や文化、宗教も超越して残ることも自然なことなのです。

2-2. 古代遺跡の発見と考古学フィーバー

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

ある意味、古代ギリシャや古代ローマとは離れて"豊穣のシンボル"として定着していたコルヌコピアですが、それではなぜ18世紀後期という時代にこの宝物が生まれたのでしょうか。

発掘されたエルコラーノ
"Herculaneum12" ©Zentuk at Turkish Wikipedia(26 November 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0

18世紀は1738年にヘルクラネウム、1748年にポンペイが発見されるという、古代ローマ遺跡の発見が相次いだ時代です。

発掘されたポンペイの街 "Ruins of Pompeii with the Vesuvius" ©ElfQrin(28 November 2015, 10:14:05)/Adapted/CC BY-SA 4.0

遺跡のあったイタリアのローマは、古代ローマそのままを残し保っているものと当時の人々は考えていました。しかしながら79年のベスヴィオ火山で埋もれてしまった古代ローマの街が、1600年以上に及ぶ長い眠りから覚めた時、人々は想像を遥かに超える古代の高度な技術や芸術文化、豊かな生活に非常に驚きました。

古代ローマの120年頃の領土"Roman Empire 120" ©Andrei nacu(5 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

全ての道はローマに通ずる超大国だった古代ローマ。各地で発掘フィーバーが起きました。

現代だと大掛かりな発掘・調査活動は公的機関が主体となるイメージがありますが、18世紀はヨーロッパの王侯貴族たちがパトロンでした。

潤沢な財力で発掘品を蒐集し、研究者達の研究をパトロンとして支援したり、好きならば自身で研究したりもします。

さらに古代の芸術にインスピレーションを受けて、現代に於いて新たなクリエーションを行うための芸術家の支援なども行っていました。

イギリスではそれらを推進するための紳士クラブ、『ディレッタンティ協会』が結成されたほどです。

ディレッタンティ協会(1777-1779年頃)
古代ギリシャ紀元前5世紀のエレクトラムのヘラクレス・リング『英雄ヘラクレス』
エレクトラム インタリオ・リング
古代ギリシャ 紀元前5世紀
SOLD
古代ローマのバンデッドアゲートを使った魔除けのアイ・アゲート・リング『魔除けの瞳』
古代ローマの魔除けのアゲートリング
古代ローマ 2〜3世紀
SOLD

古代のオリジナルの宝物はそれ自身に強い魅力があり、歴史的背景や隠された意味を探り、古代についての研究を進めることも非常に楽しいことです。

ジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795年)

でも、それだけではなく古代の偉大な芸術家たちを超えるような、新たな優れた芸術を生み出すのは、豊かな教養を持ち好奇心旺盛な王侯貴族や才能ある芸術家たちにとって非常に楽しいことです。

自分たちの祖先が1600年以上も昔にこんな優れた芸術を作っていたのだという誇り。

そして、先祖達にできていたことが、自分たちにできないわけがないというプライド。

『ポートランドの壺』(古代ローマ 5-25年頃)大英博物館
"Portland Vase BM Gem4036 n5" © Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2007)/Adapted/CC BY 2.5
ポートランドの壺の再現(ウェッジウッド 1790年)V&A美術館
"Portland Vase V&A" ©V&A Museum(11 August 2008)/Adapted/GNU FDL

1748年にポンペイ遺跡が発見され、発掘が始まってからそれをきかっけに芸術的成果として花開くには少しタイムラグがあります。18世紀後期から、このような活動が特に目立つ成果として現れるようになってきました。オリジナルを別の技法で再現する試みは新しい技術を生み出し、発展させました。イギリスで生まれた、ウェッジウッドのジャスパーウェアもその1つです。

『ヘリオス神』ストーンカメオ(ジュゼッペ・ジロメッティ作 1836年頃)7.4cm×5.1cm×2.6cm、 バチカン美術館 【出典】Musei Vaticani HP ©MVSEIVATICANI 『ヘリオス(セラピス・ゼウス)神』(紀元前4世紀後期にブリアキスが制作したオリジナルを古代ローマで複製)バチカン美術館所蔵(Inv.No.245) (сс) 2005. Photo: Sergey Sosnovskiy (CC BY-SA 4.0).© 1986 Text: Chubova A.P., Konkova G.I., Davydova L.I. Antichnie mastera. Skulptory i zhivopiscy. — L.: Iskusstvo, 1986. S. 33./Adapted
1777年にローマのアッピア街道で発見されたヘリオス像も、19世紀初期にイタリアの第一級のカメオ作家ジュゼッペ・ジロメッティによって新たな芸術に昇華しています。この作品はローマ教皇に献上されました。
知性と美貌を兼ね備えた公娼ポンパドゥール夫人(1721-1764年) フランスの18世紀のヴィーナスとマルスをモチーフにした「愛は暴力に勝つ」ことを表現したガーネット・インタリオ ペンダント『ヴィーナスとマルス』
ガーネット インタリオ ペンダント
フランス 18世紀
SOLD

フランスでは国王ルイ15世の公娼ポンパドゥール夫人がインタリオやカメオに強い興味を持ち、先生を雇って自分で作ってみたりするほどだったそうです。

次の国王ルイ16世の趣味が錠前作りで、オタクで地味だとも言われているのですが、この趣味も似たり寄ったりな気がしますね。女性にしてはかなり珍しい趣味ですが、知的なポンパドゥール夫人らしいとも感じます。

フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793年)

その少し後の時代、革命前の最後のフランス王妃であり稀代の美的センスを持つマリー・アントワネットも様々なジャンルで新しい流行と文化を生み出しています。

マリー・アントワネットが活躍した18世紀後期、厳密にはルイ16世が統治した1774-1793年までの19年間に、革命直前のフランスで発展した建築、家具、装飾、芸術のスタイルをルイ16世(マリー・アントワネット)様式と言います。

メゾン城のダイニングルーム(フランソワ・ジョゼフ・ベランジェ作 1777-1782年)
"ChateauDeMaisonsSalleAMangerDuComteDArtois" ©O.Taris(September 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0

古代の遺跡から相次いで発掘品が発見され、古代美術に注目が集まっていた時代だったため、ルイ16世様式は古代ローマや古代ギリシャからの影響も一部に見られます。対称的なデザインが特徴で、モチーフとしてはオークやオリーブの葉のガーランド(花手綱、花綱)、花やリボン、蔓の装飾、薔薇の冠、燃える松明、たくさんの角、花や蔓で満たされた花瓶などが人気でした。
ルイ16世様式のメゾン城のダイニングルームも真っ直ぐでシンプルな太い柱や、アーキトレーブ(柱の頭部にのる"まぐさ石"、あるいは梁となる帯状部品)のような水平の装飾は、いかにも古代ギリシャを思わせるデザインです。

フォルチュナ(テュケ)像(紀元前4世紀の古代ギリシャのオリジナルを古代ローマで複製)ヴァチカン美術館 " Fortuna, rielaborazione romana da originale greco del IV secolo ac. con testa non pertinente, da tor bovicciana (ostia), inv. 2244 " ©sailko(3 April 2010, 09:02:50)/Adapted/CC BY-SA 3.0

18世紀はこのような時代でした。

当然ながらコルヌコピアがモチーフとなった発掘品も見つかったはずです。

収穫を祝うための定番モチーフとして文化に根付いてはいても、古代の発掘品を見て「古代のオリジナルはこうだったのか!」と当時の人々が感動したことは想像に難くありません。

2-3. 豊かさの象徴コルヌコピア

ルイ15世のコルヌコピアの像(フランス 1765年頃)
"Corne d'Abondance Statue Louis XV Reims 270608 1 " ©Vassil(27 June 2007)/Adapted/CC BY 3.0

古代遺跡から発掘されたコルヌコピアは、当然ながら当時の人々にインスピレーションを与え、新たなクリエーションへと繋がっていきました。

充足するまで無限に食べ物を提供してくれるコルヌコピアは、豊穣のシンボルだけでなく富を持つ者の証でもあります。

収穫した小麦(古代エジプト)

貧富の差は人類の食料の確保が狩猟から農耕に以降してから発生しました。狩猟では皆で協力し合い、必要な分だけ取りに行き、必要な量を分かち合うというスタイルだったため、蓄財の概念すらなく平等でした。しかしながら狩猟から農耕に移行すると、好きな時に好きなだけ食べ物を得ることはできなくなりました。

収穫の様子(古代エジプト 紀元前13世紀-紀元前11世紀)

食べ物を得られるのは1年のうちで決まった時期だけです。

後はその時に得た収穫物で翌年まで食いつながなくてはなりません。

墓に描かれた絵(古代エジプト 紀元前15世紀)
これにより蓄財という概念が生まれました。食いつなぐことができなければ余裕がある誰かから借りるしかなく、借りれば返さなければならなくなり、それができないと奴隷の身分に転落します。こうして貧富の差が生まれ、その差が大きくなって行きました。人間のコミュニティに貧富の差が生まれるのは当たり前ではなく、狩猟から農耕に移行したことで生まれた、人類の歴史から見れば比較的新しいものなのです。
土地を耕す様子を描いた古代エジプトの壁画土地を耕す様子(古代エジプト 紀元前1200年頃)
毎日の長時間労働も必須となりました。土地を耕し種を蒔き、雑草を取ったり肥料を与えたり収穫したり・・。好きな時に好きなだけ獲って食べていた時代をは大違いです。狩猟だけでは滅びるかと言えば、別に人類は滅んでなんていません。人間は食物連鎖の頂点として別格だと思い込んでいる節はありますが、実際のところ野菜や家畜などの動植物が楽して子孫を残すために働かされているような気がしなくもないですね。実は支配されている側は人間だったりとも思ってしまいます。
コルヌコピアがモチーフの古いノース・カリフォルニアのシールノース・カリフォルニアのシール(1876年) コルヌコピアがモチーフの現代のノース・カリフォルニアのシールノース・カリフォルニアのシール(現代)

こうして農耕が食料調達のメインとなって以降の時代は、人間にとって必要不可欠な"食料"を多く持つ者が富める者となっていきました。"お金"は物々交換が大変になったことから便宜上生まれた存在に過ぎません。

コルヌコピアが描かれたコロンビアの紋章コロンビアの紋章

そういうわけで、食べ物=お金=富という構図が成り立ちます。

無限の食べ物をもたらしてくれるコルヌコピアは、無限に富をもたらしてくれる富のシンボルと等しいとも言えるのです。

マイセン工房によるコルヌコピアを持つアメリカの擬人化像アメリカの擬人化(マイセン工房 1760年頃)Public Domain

これは新しい国アメリカを擬人化したポーセレン像です。

アリゲーター、オウム、コルヌコピアはそれぞれが新しい国のシンボルです。

コルヌコピアから溢れる食べ物は、アメリカからもたらされる新しい食料を象徴しています。

開拓時代のように皆が助け合わなければ生きてすらいけない時代は、コルヌコピアは純粋に生きる糧となる豊かな食べ物の恵みをあらわすでしょう。

ルイ15世のコルヌコピアの像(フランス 1765年頃)
"Corne d'Abondance Statue Louis XV Reims 270608 1 " ©Vassil(27 June 2007)/Adapted/CC BY 3.0

一方で、フランス革命が起きる素地を固めるほどお金を使いまくったルイ15世のコルヌコピアは、いかにも無限の富と権力を象徴している感じです。

なんだか同じコルヌコピアでもそれぞれに込められた想いがあって面白いですね。

古代ローマのコルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナコルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナ(古代ローマ)

コルヌコピアは古代ローマでも大人気のモチーフでした。

コルヌコピアの山羊の角は比較的新しい時代になると、羊の角かと思うほどグルンと巻いて表現される場合もあるのですが、この古代の像ではいかにも山羊の角らしいシュッとした表現です。

チリのコピアポの紋章
"Escudo de Copiapo" ©B1mbo(8 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0
ペルーの紋章 イギリスのハンプトンシャーの紋章 "Hunts CoA" ©Zacwill16(11 September 2014, 23:53:45)/Adapted/CC BY-SA 4.0

巻きの加減は好みといったところでしょうか(笑)
古代ローマでは、コルヌコピアはジュエリーのモチーフとしても人気でした。過去44年間でいくつかお取り扱いしているので、少しご覧いただきましょう。

古代ローマのコルヌコピアがモチーフの宝物
コルヌコピアをモチーフとした古代ローマのニコロ・インタリオ『神々の御加護』
古代ローマ 1世紀
SOLD
豊穣の女神ケレスをモチーフとした古代ローマのカルセドニー・インタリオ『豊穣の女神ケレス』
古代ローマ 2世紀
SOLD
幸運の女神イシス・フォルチュナをモチーフとした古代ローマの黄金の像『幸運の女イシス・フォルチュナ』
古代ローマ 350年頃
SOLD
コルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナの古代ローマのシルバー・インタリオ・リング『幸運の女神フォルチュナ』
古代ローマ 2世紀
SOLD

持つ神々も様々です。

特定の神以上に、コルヌコピアが単独として特別 視されていたのかが伝わってきます。

左上の『神々の御加護』は、様々な神を象徴するモチーフが彫られているのですが、その中心にコルヌコピアが表現されています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

古代の遺跡からの発掘品にヨーロッパの上流階級や知識階級の人々が驚き、熱狂した時代。

この宝物はそのような時代に、古代の宝物に感動した人々によって特別な想いを込めて生み出されたに違いありません♪

3. 古い時代のダイヤモンドの魅力

ロバーツ織機を使う工場

18世紀後半に産業革命がイギリスで始まりました。

これによって、中産階級も徐々に豊かになっていきました。

衣食住が足りてくると、ようやくジュエリーなどの、生活必需品ではなく人生にプラスアルファで喜びや豊かさやをもたらしてくれるものへの需要が出てきます。

ロバーツ織機を使う工場(1835年)
【参考】ミッド・ヴィクトリアンの中級品
それがヴィクトリアンになって少ししてからくらいのことです。ビクトリアン中期ともなると、台頭してきた中産階級の旺盛な需要によって成金趣味の激しい、見栄えだけはする安物がたくさん作られるようになりました。見栄えすらしない酷い安物もたくさん存在します。それらは庶民向けです。つまり、ヴィクトリアン中期以降のアンティークジュエリーには、王侯貴族のためのハイジュエリーと庶民向けのミドルクラス以下のジュエリーが存在するようになるのです。中産階級は数も多いので、総数としてはヴィクトリアンのアンティークジュエリーは非常に数も多いです。
ヨーロッパの「王の富と権力の象徴」だったパイナップル・モチーフのジョージアンのシトリンを使ったアンティーク・フォブシール王の富と権力の象徴『パイナップル』
ジョージアン スリーカラー・ゴールド フォブシール
イギリス 1820年頃
SOLD

ジョージアン、せいぜいアーリー・ヴィクトリアンくらいまでは、ジュエリーは王侯貴族のためだけのものでした。

だからこの時代までのジュエリーは絶対数が圧倒的に少ないですし、安物は基本的には存在しません。

18世紀の美しいブルー・ギロッシュエナメルが印象的な勿忘草のペンダント『忘れな草』
ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント
フランス? 18世紀後期(1780〜1800年頃)
¥1,400,000-(税込10%)

そんな中でも、18世紀以前となると現存するアンティークジュエリーの数は極端に少なくなります。

豊穣のシンボル・コルヌコピア

このダイヤモンド・ブローチも18世紀の古い宝物です。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー ヘアジュエリー メモリアルブローチ アンティークジュエリー『木の葉』
ヘアジュエリー メモリアル ブローチ
イギリス or フランス 1820年頃
SOLD

ヘリテイジでいつもご覧いただいている、もっと新しい年代のダイヤモンド・ジュエリーとはかなり印象が違うように感じられるのではないでしょうか。

同じ"ダイヤモンドという宝石"を使った小さなブローチであってもこれだけ印象が異なるのは、カットが一番の理由です。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この宝物に使われているダイヤモンドのカットは、ステップカットとローズカットの2種類です。

3-1. 古い時代のステップカット・ダイヤモンド

ポイントカット・ダイヤモンド ルネサンス 古代ギリシャ ミュージアムピース エナメル アンティークジュエリールネサンス ポイントカット・ダイヤモンド リング
イタリア 15世紀
SOLD

宝石の中で最も硬いダイヤモンドは、手作業によるカットが非常に困難でした。

このため、初期のダイヤモンドのカットは現代と違い、面数の少ない簡単なカットでした。

左はヨーロッパにおける一番古いタイプのカットである、ポイントカットのダイヤモンド・リングです。

ルネサンス期のステップカット・ダイヤモンドのジュエリー

15世紀末にかけて、現在の『エメラルドカット』や『スクエアカット』につながる『テーブルカット』の技術が発展したと言われています。

八面体のポイントカットの頭をカットしたタイプのカットです。

ステップカットは外周が正方形もしくは長方形で、各ファセット(カット面)がそれに対して平行にカットされているカットです。

オーストリアの公爵夫人アンナ(1528-1590年)の宝石コレクション
17世紀フランスのケルトのダイヤモンド・クロス アンティークジュエリー ゴルコンダ・ダイヤモンド『ケルトのダイヤモンド・クロス』
フランス 17世紀
SOLD
アールデコの天然真珠&ステップカット・ダイヤモンドのネックレス天然真珠&ステップカット・ダイヤモンド ネックレス
オーストリアorドイツ 1920年代
SOLD

ステップカットが見られるのは例外を除き、18世紀以前の古い時代と1920年代以降のアール・デコに入ってからのジュエリーだけです。これには理由があります。

ダイヤモンドのカットにはブリリアンカット系とステップカット系があります。

ブリリアンカットはとにかく煌めかせるためのカットなので、多少内包物があっても、ジュエリーにして肉眼で見ている分にはほぼ気になることはありません。

【参考】現代のブリリアンカット・ダイヤモンドのルース
【参考】現代のステップカット系のカットが施されたダイヤモンド・ルース
しかしながらダイヤモンドならではの煌めきに加えて透明感を楽しむステップカット系のカットでは、内包物があるとすぐに目立ってしまいます。まあ、この程度であればジュエリーとして肉眼で見ている分には全く気にならないレベルなので、インクリュージョンを除去するような処理はせずに普通に販売されています。
アールデコのステップカット・ダイヤモンドのリングアールデコ ステップカット・ダイヤモンド リング
アメリカ 1930年代
SOLD

でも、当然ですがクリアであるに越したことはありません。

ブラジス ミナス鉱山 ダイヤモンドラッシュ 奴隷ブラジルのミナスの鉱山における労働の様子(1770年代頃)

ダイヤモンド鉱山は各時代で変遷しており、古代から18世紀前半まではインドの特にゴルコンダ鉱山、1730年代後半から1860年代まではブラジル鉱山が世界最大の産地でした。

ブラジル鉱山のダイヤモンドは、インドに比べるとあまり質が良くなかったと言われています。

それでもある程度の量が得られれば、その中から特に上質な物を選べば良いのですが、地表を人力で探す程度でしかなく産出量は年に平均十万カラット程度でした。

チューダー朝のステップカット・ダイヤモンド・リング ゴルコンダ・ダイヤモンド アンティークジュエリーチューダー朝 ステップカット・ダイヤモンド リング
イングランド王国およびアイルランド王国 1485-1603年
SOLD

インド鉱山ほどクリアなダイヤモンドが殆ど得られなかったからこそ、透明な美しさに魅力のあるステップカットはブラジル鉱山の時代には姿を消していき、代わりに煌めきが魅力となるローズカットが発展していったのです。

夜のロウソクの炎に合わせて煌めきが映えるローズカットが人気となり、発展したというのも間違いはないのですが、実は時代ごとの手に入るダイヤモンドの質という背景もあるのです。

ダイヤモンドの供給の空白期ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移【出典】2017年の鉱山資源局の資料

こうして一旦姿を消してしまったステップカット・ダイヤモンドでしたが、アール・デコの時代に復活します。南アフリカのダイヤモンドラッシュによって以前では考えられないような量のダイヤモンドが得られるようになると、ステップカットをして見栄えするような上質な石も手に入るようになりました。

アールデコのエメラルドカット・ダイヤモンド&ルビーのリング後期アールデコ・リング
フランス 1930〜1940年頃
SOLD
そして、アール・デコのスタイリッシュな雰囲気にベストマッチしたステップカットは、ジュエリーの歴史の表舞台に返り咲いたのです。
18世紀のステップカット・ダイヤモンドのクロス・ペンダント アンティークジュエリー『古のモダン・クロス』
ステップカット・ダイヤモンド クロス
フランス 18世紀初期
SOLD

アンティークジュエリーの数が最も多いのはヴィクトリアンです。

でも、それ以外の特に古い時代と、最も新しく且つアンティークジュエリーにとっては最後のアール・デコ時代以降にしか見ることのできないステップカット・ダイヤモンド。

だからこそ、特に古い時代のステップカット・ダイヤモンドを使ったジュエリーには特別な魅力があるのです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この宝物には大小いくつかのステップカット・ダイヤモンドが使われています。ダイヤモンドのカットが近代化されて以降の、アール・デコの対称性や再現性の高いステップカットとは異なる、ラフなカットのステップカット・ダイヤモンドには古い時代ならではの魅力があります。

裏
古い時代なのでクローズドセッティングになっています。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

ダイヤモンドの下に敷いた箔が反射することで全ての光が底から漏れず、煌めきが強調されるように箔が敷いてあるのですが、200年を遥かに超える時の経過によって箔は変色しています。

当時はきっとブローチ全体が今とは別物に見えるほど光り輝いていたことでしょう。

ダイヤモンドは時を経ても劣化しませんが、シルバーは経年変化があります。

この時代に作られた、箔に変色のないジュエリーは存在しないので想像する他ありません。

でも、フレームや箔のシルバーの自然な変化は、時が経過することでしか表現することができない、人工的には不可能な特別な魅力を獲得しているとも言えるのです。

それは今の時代だからこそ楽しめる魅力であり美しさなのです。

ステップカット・ダイヤモンド

箔の変色があって少し分かりにくいのですが、ローズカットより透明感を感じやすいステップカットのダイヤモンドは、特にとてもクリーンな石が使われています。この時代にダイヤモンドのカットは本当に大変です。

まず1つ1つ異なるダイヤモンドの原石を熟練の技術と勘を持つ職人が見極め、劈開性を利用してラフカットします。誰でもできることではありませんし、結晶系が揃っておらず劈開の方向が定まっていない原石の場合は割ることすらできません。でも、本当に大変なのはラフカットした後の磨きの工程です。

原石の状態のカリナン(1908年)

大変と言っても具体的にイメージしにくいと思うので、記録が残っている、1908年にカットされた3,106.75カラットの宝石品質のダイヤモンド『カリナン』の例をご紹介しましょう。

当時世界トップクラスのダイヤモンド・カットの実力と実績を持っていた、アムステルダムのアッシャー・ダイヤモンド社でカットされた石です。

カリナン最も大きな9つのラフカットされたカリナン

かなり特殊な石なので割るのに一度失敗していますし(金属の刃の方が折れた)、追加で数週間も計画を練った後、作業を開始してから9つにラフカットするまでにも4日かかっています。

カリナン宝石として仕上げられた9つのカリナン

3人で1日14時間、8ヶ月作業してようやく宝石としてのルースの形に磨き上げられました。機械やコンピュータを使った現代のモノづくりが当たり前となった現代の感覚からすると、かなり長く感じるのではないでしょうか。でも、ダイヤモンドのカットが近代化される以前の時代から見るとこれでもかなり早いです。

ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) ラフカットされたカリナン

1900年にダイヤモンド・ソウが発明される以前は、ラフカットは劈開を利用した方法でしかできませんでした。

カリナンがカットされた時代はダイヤモンド・ソウが使えたからこそ、劈開の方向を無視してここまで自由度の高いカットが施せたのです。

宝石として仕上げられた9つのカリナン

磨いて形を整えていく作業に関しては、まだ蒸気機関や電動モーターの動力が発明されておらず、人や家畜による動力に頼っていた時代でした。

回転盤を回す係と、回転する研磨盤にダイヤモンドを押しつけて磨く係の二人一組での作業でした。

電動モーターを使って3人で1日14時間、8ヶ月もかかる作業をこのやり方でやったとしたら一体どれだけの年月がかかるのか、想像もできません。

ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃)
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
そのような恐ろしいまでの手間のかかる作業を、本当に限られた王侯貴族のための極少数の最高級ジュエリーを作るために集中してやっていたのがこの宝物が作られた時代なのです。テーブルが面反射した一番大きなテーブルカット・ダイヤモンドをご覧になるとお分かりいただける通り、正確な長方形にはなっていません。でも、ダイヤモンド・ソウや電動の研磨機がない時代はこれは十分に手間も技術もかけた出来であり、クリアで上質なダイヤモンドに相応しい最高のカットが施された石と言えるのです。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

これは自然光の元、スマートフォンで撮った自然な姿です。

仔細をご説明するために、基本的にはカメラも照明も専用の機器を使って撮影していますが、実物のイメージはこちらの方が近いと思います。

ファセットが光を反射していない状態では、これだけ透明感が美しいです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

テーブルのファセットが面反射する瞬間もありますが、この一番大きなテーブルカット・ダイヤモンドのご注目いただくと・・。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
石の中に光を取り込み、ダイヤモンドの下に敷いた箔が光を反射しているのではと思われる輝きを放つタイミングがあるのです。先ほどのファセットからの煌めきとは明らかに異なる輝き方なのです。腐っても鯛、多少変色していても箔ということでしょうか。クリアで光を通すことのできる上質なテーブルカット・ダイヤモンドだからこそ底に敷かれた箔まで光が集中して到達できるわけですし、箔が敷かれた古いダイヤモンドジュエリーならではの輝きと言えるのです。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

一体どこが光っているのだろうと疑問にも思いますが、綺麗なのだからそれはどうでもいいやと思ってしまいます。

適当ですみません。

ブルース・リー先生の永遠の教え、人生は「Don't think. Feel !!」に従えば良いのだと思っています(笑)

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
ブローチのちょうど中央付近にある2番目に大きなステップカット・ダイヤモンドもテーブルが面で反射するタイミングの他に、やはり内部の箔が光を放っていると考えられる瞬間があります。一番右の画像では黄色の光が見えますが、黄色以外の色で光るタイミングもあり、ファイアだと推測します。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
光が放たれるのは一瞬で、それが連続することでキラキラ輝く美しさとなります。大体は太陽光や照明の光をそのまま反射した白い煌めきなのですが、時折色が混ざるのがダイヤモンドの魅力でもあります。
高い分散率でファイアが発生するイメージ "Prism-rainbow-black-2" ©Suidroot, Sceptre(30 May 2009, 00:23)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ダイヤモンドのファイアはプリズムと同じ原理で放たれます。屈折率と分散度の高いダイヤモンドの中を無数の色が混ざった光が通過し、出てきた光を見るとファイアとして視認できます。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この画像では単色光ではなく太陽光で撮影したので、よりはっきりと色が見えているのでしょう。

但しそれだけではありません。もっと特殊な要因があります。

ファセットからの表面反射ではなく、ダイヤモンドの内部から放たれた光でなければ色は付きません。

表面反射する場合、入射角と反射角は等しいです。混ざり合った色がそれぞれ異なる角度で反射されるということはないので、反射光が虹色のファイアのように見えることはありません。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

即ち、この光はダイヤモンドの中から放たれた光なのです。

しかしながらステップカット・ダイヤモンドから放たれるファイアというのはかなり特殊で、18世紀以前の古い超高級ダイヤモンド・ジュエリーならではと言えます。

アールデコのステップカット・ダイヤモンドのリングアールデコ ステップカット・ダイヤモンド リング
アメリカ 1930年代
SOLD

ステップカット・ダイヤモンドは透明感が魅力です。

これはつまり侵入した光が底面から抜けるということです。

侵入した光が底面のファセットで反射し、再び表面から出てきてファイアとして視認されることがほぼないのです。

背面から光を当てればダイヤモンドを通過して光が出てくるので分散された光がファイアとして見えるのかもしれませんが、実際に使う時にそんな状況はあり得ません。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

これはステップカット・ダイヤモンド表面から入った太陽光が内部を一旦通過し、底に敷かれた箔に反射して再びダイヤモンド内部を通過して出てきたから起こる現象です。

底に箔が敷かれたクローズドセッティングならではの現象と言えます。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

また、ダイヤモンドの質が高いことも重要なポイントです。

インクリュージョンが多いと内部で散乱して、往復する間に光が弱まってしまい、ファイアを伴う強い反射光にはならなくなります。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー 虹色に光り輝くコルヌコピア

透明感、ファセットの煌めき、箔からの反射光とファイア。

これらのコラボレーションが生み出す複雑な美しさは、古い超高級ダイヤモンド・ジュエリーにしかない特別な魅力なのです♪♪

3-2. 古い時代らしいローズカット・ダイヤモンド

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この宝物に使われてたローズカット・ダイヤモンドは、もっと新しい時代のローズカット・ダイヤモンドと比較するとカットがラフなのも特徴です。ファセットの面数が少ないので、煌めく時はより大きな面積で強く煌めきますし、透明感を感じる瞬間も多いのです。

ブラジル産ダッチローズカット・ダイヤモンドの1860年代の最高級ピアス アンティーク・ジュエリー『ミラーボール』
魅惑のローズカット・ダイヤモンド ピアス
ヨーロッパ 1860〜1870年頃
SOLD

『ミラーボール』はダイヤモンドが枯渇しかけていた時代に、最高級品として作られたローズカット・ダイヤモンドのピアスです。

こちらもダイヤモンドのカットが近代化される以前の宝物ですが、それでも今回のブローチと比べれば何十年も後に作られたものなので、カットはかなり洗練されています。

厚みのあるダイヤモンドに作られた三角形の無数のファセットが煌めきを放つ姿は、まるでミラーボールのような未来的な美しさがありました。

本物のブルー・ムーンストーンのティアラ
最上級のティアラに使用されたローズカット・ダイヤモンド『アルテミスの月光』
ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ
イギリス 1910年頃
SOLD

青白く光り輝くムーンストーンがメインに使われた『アルテミスの月光』は、ダイヤモンドは全てローズカットです。

オールドヨーロピアンカットのように存在感を主張するようなダイナミックな輝きではなく、時折、夜空に輝く星のような鋭さのある繊細な閃光を放つのが魅力です。

小さな石だとファセットの面数は多くできませんが、繊細な輝きを放つ名脇役として使うことができるのも、ローズカット・ダイヤモンドの魅力です。

ダッチローズカットで骨壺を描いたシャンルベエナメルの唐草模様が美しいモーニング・ブローチ『アートな骨壺』
ローズカット・ダイヤモンド 骨壺ブローチ
イギリス 1849年
SOLD
ハイクラスのダッチローズカット・ダイヤモンドの側面

そういうわけで、アンティークジュエリーの中でも古くない年代になってくると、ハイジュエリーのローズカット・ダイヤモンドのカットは正確性が上がる以外に、下記が当たり前のようになります。

大きな石(メインの石)→ファセットの面数が多い、厚みがある

小さな石(脇石)→ファセットの面数が少ない

18世紀後期のフレミッシュ(オランダ)・ローズカットダイヤモンド・クロスフレミッシュ(オランダ) ローズカットダイヤモンド クロス
オランダ 18世紀後期
SOLD
18世紀後期のフレミッシュ(オランダ)・ローズカットダイヤモンド・クロス

メインストーン、もしくはそれに順ずるクラスの大きなダイヤモンドでも、あまり厚みがなくファセットの面数が少ないローズカット・ダイヤモンドを使ったハイジュエリーというのは、古い年代ならではのアンティークジュエリーの特徴です。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

ステップカットだけでなくローズカットもかなり透明感を感じるカットなので、箔の変色は感じるのですが、やはりクローズドセッティングのクリアな石ならではの特徴が見られます。

豊穣のシンボル・コルヌコピア

例えば右から2番目の大きなローズカット・ダイヤモンドにご注目ください。この画像では三角形のファセットの1つが強く煌めきを放っています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

しかしながらそれだけでなく、下に敷いた箔からの反射光と推測される輝きも放たれたりするのです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
同じ石から黄、緑、青、赤、様々な色が放たれる瞬間もあります。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

完全に虹色のファイアとなる瞬間もあります。

この瞬間は紫色も見えますね〜♪

市ヶ谷のアトリエで仕事中に突然、冬の明るい陽射しが射し込んできて、コルヌコピアがこのように美しく光輝き始めたのです。

思わず「うわ〜、今の陽射しが変化しないうちに画像を撮らなくては!みなさんとこの興奮と喜びを共有したいっ!!」と慌ててスマホを取り出した次第です(笑)

すごいのはメインの石だけではありません。虹色に輝く石の上にある、山羊の角の螺旋を表現した3つ並べられた一番左の石にご注目ください。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

ピカッと鋭く小さな光が見えます。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

それが突然このように輝きに満ちた姿になる瞬間もあります。まさに神々しい姿です。特に黄金の実りを彷彿とさせる黄色の輝きは、豊穣の女神を連想させるような偉大さや暖かさをも感じさせてくれます。一見ただの脇石に見える石ですらこれだけのポテンシャルを持っていることに、非常に驚きました。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

山羊の角から垂れ下がる植物の葉にセットされた、ブローチの中央の一番左にあるダイヤモンドにもご注目ください。ローズカット・ダイヤモンドのファセットに様々な色のファイアが見えます。朱色&ターコイズブルーの組み合わせであったり、青&白、オレンジ&黄色であったり・・。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

一番大きなステップカット・ダイヤモンドの右側にセットされたローズカット・ダイヤモンドも多様な輝きを放ちます。また、中央の画像ではその下にある、山羊の角の螺旋の一番右にセットされたローズカット・ダイヤモンドも赤と白の輝きを放っています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー 箔の強い反射らしき輝きが見えることもあります。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

最後に、その下の石。

2番目に大きなステップカット・ダイヤモンドの右にある、小さくてちょっとオマケのようにも見えるローズカット・ダイヤモンドにご注目ください。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

一番左のように光っている瞬間、どこが光っているのか最初は分かりませんでした。

まさかこれだけ強く光るようにはとても見えない、小さなローズカット・ダイヤモンドが目が眩むような一番強い閃光を放っていたからです。

この宝物には、"オマケ程度の脇石"なんてものは使われていないのです。

実物大

3-3. この時代としてはかなりのクリーンな石

ダイヤモンドの供給の空白期ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移【出典】2017年の鉱山資源局の資料

南アフリカのダイヤモンド・ラッシュ以降は、たくさんの石の中から上質な石を選んで使えるようになりました。お金さえあればより美しい石を、たくさんの数手に入れられるようになったのです。現代ではさらにダイヤモンドの改質処理も進化したため、ダイヤモンドは無色透明、インクリュージョンは全くなくて当たり前のようなイメージが、あまり知識を持たない一般人には付いてしまいました。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

しかしながら、下に敷いた箔の変色によって分かりにくくなっているものの、驚くほど美しい輝きを出せるほど、この宝物には上質なダイヤモンドが使われています。

しかもメインストーンやそれに順ずるいくつかの石だけならばまだしも、一見すると脇石程度にしか見えない小さな石ですらかなり上質なのです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
この時代は産出されるダイヤモンドの量自体がかなり限定されていました。ジュエリーをオーダーし、持つことができたのは数少ない王侯貴族だけだったとは言っても、上質な石をある程度の数手に入れるのは容易なことではありませんでした。それでいて脇石まで全てこれだけ上質な石が使われているというのは、この宝物がいかに莫大なお金をかけて特別に作られたものであるかを示しています。

4. 小さいのに優れた作り

4-1. 美しい造形

18世紀ロココ時代のフランスのダイヤモンド・ネックレス
『幻のネックレス』
ダイヤモンド ネックレス

フランス 1750年頃
ローズカット・ダイヤモンド、ステップカット・ダイヤモンド、シルバー
SOLD

古い時代のある程度大きさのあるジュエリーは、王侯貴族が富と権力を示すために特にお金をかけて作られるものなので、作りも優れている場合が多いです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

しかしながら小さくて作りが優れているものは本当に少ないです。

小さいものはあまりお金がかけられなくて小さく作られるケースの方が多く、お金がかけられていないと、材料と技術の両方の観点から作りも良くなりようがないのです。

44年の経験値を誇るGenでも、このように小さくて作りの優れた古い宝物は滅多にないと言っていました。

注目すべきポイントの1つが造形です。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

右は鋳造で作られたヴィンテージなので作りも全然ダメで安っぽいですが、造形もダメです。

まず、角の先端が巻き過ぎです。

イギリス 18世紀後期 【参考】ヴィンテージ
山羊(アイリッシュ・ゴート)
"A white irish goat" ©photorasa.com(9 July 2013, 11:28:38)/Adapted/CC BY-SA 4.0
羊(フィニッシュ・ランドレース種) "Finnsheep ram close-up" ©Andrei Niemimäki from Turku, Finland(14 March 2010, 11:44)/Adapted/CC BY-SA 2.0

山羊も羊も様々な種類があり、角の形も多種多様ではありますが、一般的にはこのようなイメージでしょう。羊の角は右のフィニッシュ・ランドレース種のアモン角のように渦巻き状のイメージがあります。

野生の山羊が描かれたオイノコエ(古代ギリシャ 紀元前625-紀元前600年頃)ルーブル美術館
"Oinochoe Wikd Goat Louvre A311" ©Marie-Lan Nguyen(2011)/Adapted/CC BY 2.5
ギリシャの黄金の羊毛の伝説(古代ギリシャ 紀元前330-紀元前240年頃)ルーブル美術館

古代ギリシャの人々にとっても同じイメージだったようです。左のオイノコエに描かれた野生の山羊は、デフォルメされて多少角はカーブがあるものの、右の黄金の羊毛に付いた羊の角はもっとクルリンと巻いています。

カステラーニ エトラスカンスタイル アンティークジュエリー 珊瑚 ブローチカステラーニ作 イタリア考古学風ジュエリー
イタリア 1860年頃
SOLD
イタリア考古学風ジュエリー 
ラムズヘッド プチ・ペンダント『RAMS HEAD』
ラムズヘッド プチ・ペンダント
イギリス 1870年頃
SOLD

古代の優れた芸術作品にインスピレーションを受けて作られた新たなジュエリーは、教養のある王侯貴族がオーダーし、作られた特別なジュエリーです。

社交界で財力のみならず、自身の教養をも示すためのものでもあります。

イタリア考古学風ジュエリー 古代エジプトのアメン神の化身「雄羊」を表現したエトラスカンスタイルのラムズヘッドのアンティークのゴールド・プチ・ペンダント 実物大
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

だからこそ学術的な考察が入念に行われ、相当なお金や技術、手間をかけてジュエリーに仕立てられるのです。

例に漏れず、この『RAMS HEAD』もかなり小さなペンダントだったにも関わらず、雄羊の角も一目でラムズヘッドと分かるクルンと巻かれた造形でしたし、デザインだけでなく非常に優れた作りのペンダントになっていたわけです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

今回のコルヌコピアも考古学風のジュエリーの範疇に入ると言えなくもないです。

そのような教養ある王侯貴族のための知的なジュエリーだからこそ、小さくても作りが良いのでしょう♪

コルヌコピアは古代からコインにもよく用いられるモチーフです。ローマ皇帝クラウディウス2世(在位:268-270年)のコインにも、皇帝の神性を擬人化したエキタス・オーガスティという女神が天秤とコルヌコピアを持つ姿が表現されています。このコインでは、螺旋を巻いたコルヌコピアはシュッとした形状で表現されています。

コルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナの古代ローマのシルバー・インタリオ・リング『幸運の女神フォルチュナ』
シルバー インタリオ リング
古代ローマ 2世紀
SOLD
コルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナの古代ローマのシルバー・インタリオ・リング コルヌコピアを持つ幸運の女神フォルチュナ

コインより少し前の時代に作られた古代ローマのインタリオでも、やはりコルヌコピアは羊のように極端に巻いた形状ではなく、また螺旋状で表現されています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

このコルヌコピアも古代の芸術作品を参考に、山羊の角を忠実にジュエリーとして再現した形状になっています。

山羊の角ように緩いカーブが付いた形状、そして螺旋で表現された角の成長痕。

【参考】ヴィンテージのコルヌコピア・ブローチ
コルヌコピア自体が欧米人にとっては身近な縁起物モチーフなので、ヴィンテージ以降の新しい時代だと結構いろいろなものが作られているようなのですが、作りだけでなくデザイン的にも安っぽいものが多いです。まるで羊の角ように、極端にデフォルメされた角の形状がその原因の1つでしょう。

クルンクルンと巻く姿は"カワイイ好きの女子"にはウケが良いことは想像できます。

でも、バカっぽくていまいち私はこういう系は感覚的に好きではありません。私はバカなので、わざわざバカっぽいものを着けてバカをPRしたくありません。バカはバレないよう隠したいです(笑)

それにしてもこの安っぽい現代ジュエリーのコルヌコピアは、石ころがたくさん付いている上に作家物であるせいか、妙に高いです。

百歩譲ってコルヌコピアではなく花瓶を表現しているのかとも思ったのですが、イタリアの作家が作ったコルヌコピアのサインドピースのブローチということです。

【参考】現代の作家物(サインドピース)のコルヌコピア・ブローチ($49,000、約540万円)

宝石も天然や非加熱などの言及が全くなく、稀少価値のない石コロの寄せ集めジュエリーと推定できますが、見た目が派手なので成金は好きかもしれませんね。

現代ジュエリーが酷いのは当たり前ですが、昔のものでも酷いものはたくさん存在します。

これは1930年代のコルヌコピアのブローチですが、ペーストとメタルで作られており、ジュエリーではなくアクセサリーです。

"コスチューム・ジュエリー"と称して、派手な成金デザインのオモチャのようなアクセサリーが、ジュエリーを買うお金はないけれどジュエリーを着けてオシャレをしたかった中産階級の女性たちに大流行した時代ですね。

多色使いにすると一挙に安っぽさが増長されますが、色とりどりを好むのも"カワイイ好き女子"の傾向だったりします。

【参考】ペーストのコルヌコピア・ブローチ(1930年代)
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

44年間で、コルヌコピア単独モチーフのこのようなブローチはGenも初めてとのことですが、カワイイ系は安っぽくて好きじゃないというGenの琴線にひっかるものがこれまでなかっただけかもしれません。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

コルヌコピアは山羊の角からお花や果物が溢れ出るデザインで表現されます。

お花や果物がモチーフだとどうしてもカワイイ系になりがちで、このように格調高く高級感も感じられるようなジュエリーとして完成させるのは難しいのです。

だから、今回の宝物が初めてという稀少さになったということでしょう。

このコルヌコピアは螺旋に巻いた角、角から溢れ出る植物などが実に美しく表現してあります。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

シルバーで表現した、山羊の角の螺旋形状は見事です。螺旋の中央部にはダイヤモンドがライン状にセットされ、サイドにかけては螺旋の奥行を、細さを感じさせるナイフエッジのような細工で表現しています。

但し左の破線で表現したような、直線的なナイフエッジではなく実線で表現した膨らんだ形状のナイフエッジで仕上げられています。

ウラル産デマントイド・ガーネットとダイヤモンドのバー・ブローチ 直線の鋭角でシャープに仕上げられたナイフエッジとは雰囲気が全く異なることがお分かりいただけると思います。
ウラル産デマントイド・ガーネット『Demantoid Flower』 
デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド バーブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

"豊穣の角"らしくふっくらして見えるのは、この特殊なナイフエッジの視覚効果でもあるのです。

この複雑な形状で、ふっくら見えるように計算しながら磨いて形を整えていくのはかなりの技術が要ることで、優れた美的センスと高度な技術を合わせ持つ優れた職人によって作られたのかの証でもあります。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

角から溢れ出る植物も、ナイフエッジのような細工と曲線を使った表現で表現してあります。

全体として、曲線をうまく使った表現と、特殊なナイフエッジによるメリハリのある表現によって、躍動感あふれる"豊穣の角"らしい豊かなデザインになっているのです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

スパイラル。

螺旋エネルギー。

DNAに刻まれたものなのか、螺旋には躍動感あふれる生命エネルギーを感じます。

その大切さを作者も感覚的に理解していたのか、コルヌコピア先端の螺旋デザインも、不思議な心地よさを感じる美しい形で終わっています。

4-2. ダイヤモンドの丁寧な留め方

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

この宝物はしっかりと厚みがある高級な作りです。横からご覧いただくとお分かりいただける通り、完全にフラットな作りではなく少しずつ各パーツに立体感を付けた作りになっています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
古い時代は特に貴重だった、とびきり上質なダイヤモンドは全ての石が外周を覆うようにしっかりと留められており、200年以上の年月を経た現在でも脱落することなく固定されています。
コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

また、それぞれのダイヤモンドの外周には、爪のようにも見える装飾がたくさん削り出してあります。

18世紀 ステップカット・ダイヤモンド クロス ペンダント アンティークジュエリー『古のモダン・クロス』
ステップカット・ダイヤモンド クロス
フランス 18世紀初期
SOLD
18世紀のローズカット・ダイヤモンドのスパニッシュ・クロススパニッシュ・クロス
ローズカット・ダイヤモンド クロス
スペイン 18世紀
SOLD

どのような形状にし、いくつ作るのかはオーダーした人の好みや作者のセンス次第です。この装飾があると、ダイヤモンド・ジュエリーがより華やぎますね。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

今回の宝物では、プックリと高さのある形で作られており、数もかなり多めです。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

しかもそれぞれが完璧に磨き上げられているため、経年変化によってシルバーが黒く変色にも関わらずかなり輝きます。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー
この古のコルヌコピア・ブローチはダイヤモンドだけでなく、シルバーの美しい爪のような装飾や、ダイヤモンドの下に敷かれた箔までも輝きを放つことができる、古い時代のダイヤモンドのハイジュエリーならではの魅力が満載の宝物です♪

裏側

裏

裏側もしっかりした丁寧な作りです。シルバーだと黒ずんで高価な衣服を汚してしまう可能性があるためゴールド・バックになっており、ブローチのピンと金具もゴールドで作られています。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

セーフティの金具は、後の時代に追加されたものです。

山羊アマルティア

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

豊穣の角、コルヌコピア。

角の持ち主だった山羊アマルティアは亡くなった後、ゼウスによって革はアイギスにされ、天空に召し上げられ山羊座となったとも言われています。

ゼウス&ヘラ&ヘルメス&鷲がモチーフの神々しい天空のシェルカメオ『ゼウス&ヘラ』
シェルカメオ ブローチ&ペンダント
イギリス 1860年頃
¥885,000-(税込10%)

鍛治神ヘパイストスによって防具に仕立てられたアイギスはありとあらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされ、持ち主はゼウスともアテナとも言われています。

ゼウスの防具とされる場合は、天空と雷の神であるゼウスの性質から雲の象徴で表現されたりします。

 

ゴルゴンの首付のアイギスを着けた女神アテナ(古代ギリシャ 紀元前480-紀元前470年頃)バチカン美術館 "Douriscup 83d40m Athene aegisWingedLionessOwl pythonVomitsJason fleeceInTree Vatican" ©commons:User:Shii, edited by 83d40m(2006-03-20)/Adapted/CC BY-SA 3.0 『レムニア・アテナ』クラシック期の古代ギリシャの女神アテナ像(紀元前450-紀元前440年頃)の再現 "Lemnia tors004 pushkin" ©Photo: Wikipedia / Shakko(November 2007)/Adapted/CC BY 3.0

一方でゼウスが娘アテナに与えたものとも言われ、その場合の形状は肩当てや胸当てのようなものだったり、楯の形状だったりします。美術作品ではメデューサの首が嵌め込まれた姿で描かれることが多いようです。

古代ローマの山羊座をモチーフにしたカプリコーンのインタリオ・リング『カプリコーン』
インタリオ:古代ローマ 2世紀頃
シャンク:1900年頃のアール・ヌーヴォー
SOLD

山羊座については諸説あるのですが、主神ゼウスと山羊アマルティアは非常に関係性が深かったことが感じられますね。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

あらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持ち、神を守る防具となったアマルティア。そしてその角は、豊穣の角"コルヌコピア"として人間には満ち足りるまで無限に豊かな恵みをもたらしてくれます。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

古代美術に触発され、教養ある18世紀の貴族のオーダーで作られた特別なコルヌコピア。

ただの美しいダイヤモンド・ジュエリーとしてだけではなくラッキーアイテムとしても身に着けたい、パワーに満ちた永遠の宝物なのです♪♪

透かしの細工は難しく手間もかかるため、これだけ透かしが多いデザインは小さなブローチでは本当に異例です。

コルヌコピア ブローチ
 アンティーク・ジュエリー

それ故に美しく、いかに特別なものとして作られたかの証でもあるのですが、王侯貴族のラッキーアイテムとして作られたのなら納得です。

農業国イギリスで大地主でもあったイギリス貴族には、豊かな実りを象徴するコルヌコピアはまさにピッタリの宝物だったのでしょう♪