No.00268 ロイヤル・コロネット |
『ロイヤル・コロネット』 宝冠型リング イギリス 1880年頃 ルビー、ローズカット・ダイヤモンド、シャンルベ・エナメル、18ctゴールド サイズ8,5号(変更不可能) 重量2,2g SOLD イギリスの王族を示すフルール・ド・リスがデザインされた、極上の作りのリングです。360度に施された透かし細工、シャンルベ・エナメル、彫金、宝石のセッティングの組み合わせは異例のもので、44年間で初めて見る特別な宝物です。 |
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この宝物のポイント
この宝物は360度すべてに細工が施されているだけでなく、宝石までセットされた、44年間でこれまでに見たこともない珍しいコロネット型のリングです。 | |
<この宝物のポイント> 1. 360度が見所のデザイン 1-1. 360度がデザインされたリングの珍しさ 1-2. リングのモチーフ 1-3. コロネットとは? 2. イギリスでは王室メンバーのコロネットにしか使用されないフルール・ド・リスの飾り 2-1. 厳密に階級で分けられるイギリス貴族のコロネット 2-2. 王族のコロネットの特徴 2-3. イギリスの王冠を飾るフルール・ド・リス 2-4. イギリス王家の象徴フルール・ド・リス 3. センスの良いデザインと手間をかけた極上の作り 3-1. 王族のジュエリーの特徴 3-2. 小さくても目立つ鮮やかなルビーの使い方 3-3. 小さくても140年以上の使用に耐える驚異の石留 3-4. 透かしデザインとエナメルの効果的な組み合わせ 3-5. 小さくても手間をかけた彫金細工 |
1. 360度が見所のデザイン
1-1. 360度がデザインされたリングの珍しさ
『The Beginning』 エドワーディアン ダイヤモンド&エメラルド リング イギリス 1910年頃 SOLD |
リングは着けた際に人目につく、手の甲側から見える部分が主役です。 だから見所となるフェイスとシャンクは最大限に華やかなデザインを施し、指に装着するためのアーム部分はシンプルなデザインで作られるのが通常です。 |
ローズカット・ダイヤモンド エタニティリング イギリス 1920年代 SOLD |
360度に同じデザインと作りが施されたリングもゼロではありませんが、エタニティリングのように何かよほど意味がある場合にしか作られることはありません。 |
『イリュージョンリング』 ツェルナー錯視のゴールド・リング イギリス(バーミンガム) 20世紀初頭 SOLD |
錯視を利用した遊び心満点の『イリュージョンリング』も、錯視の面白い効果を最大限には発揮するには必要だからこそ360度の作りにしてありました。 永遠を意味し、婚約に使われるエタニティリングは一生で一度の特別なものだからこそアンティークでもある程度の数が作られていますが、それ以外の目的で360度のデザインと作りが施されたリングは例外的な存在と言えます。 ゴールドをたっぷり使った、イリュージョンリングの中でも特にハイクラスのこのリングはイギリス紳士らしい宝物です。 |
エタニティ・リング |
なぜ360度が同じデザインと作りのリングが滅多に作られることがないのかと言うと、作る手間に加えて宝石を使う場合、倍以上の数の宝石が必要となるからです。 つまりオーダーした場合はお金を出す王侯貴族にとって、倍以上のお金がかかる超贅沢品になってしまいます。 |
今回の宝物はルビーとダイヤモンドが全周にセットされ、透かしとエナメル細工が美しい、360度のデザインと作りが施された異例のリングと言えます。 |
1-2. リングのモチーフ
この宝物はエタニティリングのように、ダイヤモンドを360度にセットすることで永遠を示すためのものもでありませんし、ツェルナー錯視などの視覚効果を発揮させるものでもありません。 裏側となる片面は宝石をセットしなかったり、エナメルを施さなくてもリングとしては成立する気がします。 それなのに360度の作りになっているのはなぜなのでしょうか。 |
それは、このリングがコロネット(宝冠)を表現しているからです。 |
1-3. コロネットとは?
8.5号という比較的小さいサイズと、濃いピンクのルビーがあしらわれたデザインからこのリングの持ち主は女性だったと推測します。 |
『アルテミスの月光』 ブルー・ムーンストーン メアンダー ネックレス&ティアラ イギリス 1910年頃 SOLD |
王侯貴族の女性のヘッドドレスとしては、ティアラや王冠を思う浮かべる方が多いと思います。 |
オリジナルのオリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王 | ティアラは既婚の王侯貴族の女性が身に着けるジュエリーです。 左は夫アルバートが愛する妻のためにデザインした、オリエンタル・サークレット・ティアラを着けたヴィクトリア女王です。 このように女王が身に着けることもあります。 |
オリエンタル・サークレット・ティアラ(1853年、20世紀にリメイク) 【出典】Royal Collection Trust / The oriental tiara © Her Majesty Queen Elizabeth II 2021 |
後頭部にあたるティアラの奥側をご覧いただくと、360度の閉じた作りにはなっていないことがお分かりいただけると思います。 |
【引用】Wartski /One Hundred Tiaras, An Evolution of Style, 1800-1990. | |
アルバート王配が妻のためにデザインしたサファイア・コロネット・ティアラ(1842年)V&A美術館 | |
なぜこのような構造になっているのかと言うと、頭の大きさや着け方によってある程度サイズが調整できるようにするためです。このサファイア・コロネット・ティアラもアルバート王配がヴィクトリア女王のためにデザインしたものですが、左のヴィクトリア女王の着け方はかなり変わっています。 |
イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)23歳頃 | 肖像画は結婚して2年目くらいに描かれたものです。 アルバート王配は政治面にかなり有能なだけでなく、ジュエリーデザインもできるほどセンスと教養に溢れる人物だったようなので、新しいスタイルの着け方すらも愛する妻に提案したのかもしれませんね。 |
メアリー王女(イギリス国王ジョージ5世の第1王女)(1897-1965年)1922年、25歳頃 | 広げた状態で着用すると、このようになります。 1922年、いかにもアールデコ全盛期らしい着け方ですね。 同じティアラでも、着用者だけでなく着け方1つでイメージが変わってくるのが面白いところです。 |
サファイアのティアラを着けたヴィクトリア女王 | |
ヴィクトリア女王の別の着けこなしはこのようになります。まるで小さな王冠のように、ちょこんと乗っているのが可愛らしいですね。一般的に欧米人の女性は日本人から見ると大人っぽくて綺麗な印象の方が多く、ヴィクトリア女王の次の国王エドワード7世の妻アレクサンドラも大人っぽい美人です。ヴィクトリア女王は欧米人としては珍しく、身体が小さくて(身長は145cmとも152cmとも記載があります)可愛らしい系の女性なので、このような着け方はしっくりきて似合いますね。 |
ヴィクトリア女王(1819-1901年) | メアリー王女(1897-1965年)1922年 |
さて、右の画像でサファイア・コロネット・ティアラを着けているのはイギリス国王ジョージ5世の第一王女メアリーです。ヴィクトリア女王のひ孫にあたります。頭のサイズに対するティアラの大きさが全然違うように見えますが、もちろんヴィクトリア女王の頭がひ孫たちと比べて超巨大だったというわけではありません。 実はこのアルバート王配がデザインしたティアラは、完全に閉じて360度のデザインで使えるようにもなっているのです。さすが王室がオーダーした、アーリー・ヴィクトリアン・ジュエリーなだけあって、可動部分に関しても素晴らしい作りなのです。 |
サファイア・コロネット・ティアラを着用したヴィクトリア女王 | ところでこのティアラは『サファイア・コロネット・ティアラ』と呼ばれています。 これはヴィクトリア女王が実践しているように閉じて360度の作りにし、冠のように使うことができる特徴によって"コロネット"の名が付けられているのです。 |
クラウン(王冠) "Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
コロネット(宝冠) "Coronet of a British Duke" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
クラウン(王冠)のようにアーチ状構造物を持たず、ティアラのように開いた構造ではない環状の冠を『コロネット(宝冠)』と言います。 |
この宝物はコロネットを表現するために、360度すべてにデザインと細工、宝石が施された作りである必要があったのです。 |
2. 王室メンバーを示すフルール・ド・リスの飾り
2-1. 厳密に階級で分けられるイギリス貴族のコロネット
クラウン(王冠) "Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
クラウンを着用できるのは君主である国王もしくは女王だけです。 左はイギリスの戴冠用王冠として用いられる聖エドワード王冠を模したものです。 君主以外はコロネットを着用します。そのデザインは、階級ごとに厳密に決まっています。 |
イギリスの爵位貴族のコロネット | ||||
公爵 "Coronet of a British Duke" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 侯爵 "Coronet of a British MARQUESS" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 伯爵 "Coronet of a British EARL" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ||
子爵 "Coronet of a British Viscount" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 男爵 "Coronet of a British Baron" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 公爵は苺の葉8枚の飾り、侯爵は苺の葉とパールを4つずつと言うように、ルールさえ分かっていれば一目で所有者の階級が分かるデザインになっています。 |
『アンズリー家の伯爵紋章』 ジョージアン レッドジャスパー フォブシール イギリス 19世紀初期 ¥1,230,000-(税込10%) |
『アンズリー家の伯爵紋章』などでもお話している通り、子供たち全員が爵位を継ぐことができる大陸貴族と違ってイギリス貴族は嫡流の年長男子だけが継ぐことができます。 |
『アンズリー家の伯爵紋章』の最後の正統な持ち主であったと推測されるジョージ・アンズリーもそうであったように、代々続く貴族は爵位を複数持つ場合があります。 ジョージ・アンズリーの場合はマウントノリス伯爵とヴァレンティア子爵でした。 このように複数保有していた場合も、子供たちで分け合うことはなく一人だけが相続します。 だから厳密に言うと、貴族の家に生まれたとしても当主以外は爵位を持ちません。 次期当主の場合は父親の2つ目の爵位を名乗ることは可能ですが、実際に爵位を持ち貴族と認められるのは父親が亡くなって爵位を継いでからです。 |
サザーランド伯爵の邸宅ダンロビン城 "Dunrobin Castle -Sutherland -Scotland-26May2008(2)" ©jack_spellingbacon, Snowmanradio(30 November 2009, 15:38)/Adapted/CC BY 2.0 |
イギリス貴族はそれぞれ領地を持ち、だからこそ地元に住むためのカントリーハウスと、政治や社交などのために必要なロンドンのタウンハウスを持ちます。ハウスと言うと大した事なさそうに聞こえますが、実際は"お城"です。 大地主であり、土地からの収入で主に財を成し領民を統治するイギリス貴族は、それぞれの地域の君主たちであり一国一城の主と捉えて問題ない存在です。 大陸貴族のように爵位、財産、領地を子供たち全員で分け合うと貴族の数は時代が下るごとに激増します。1880年にはドイツで推定2万人、ロシアは1858年の時点で60万人も貴族がいました。当然、土地領地がなかったり財力を持たぬ者も多くいます。 |
アンシャンレジームを風刺した絵(1789年) | フランスなんかは1789年の革命前に、お金で爵位を乱発しまくって貧乏人に毛が生えた程度の名ばかり貴族も大量発生していました。 革命は起こるべくして起こっているのです。 なぜ同じくらい贅沢をしているのにフランスだけで革命が起こり、イギリスでは発生していないのかと不思議がる人もいるのですが、考察が薄っぺらいと答えは出ません。 国民性などではなく、イギリスは貴族の数が圧倒的に少なく、民衆1人1人の負担は多くはなかったからです。 ドイツで2万人もの貴族がいた1880年時点でも、イギリス貴族は僅か580人しかいませんでした。その下の准男爵でも856人です。 |
初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリー(1614-1686年) | イギリス貴族は数が極端に少ない上に、ノブレス・オブリージュの精神に基づいて行動します。 「持たざる者に対する持つ者の責任」です。 領地もこれに基づく温情主義(バターナリズム)で治めており、国家が中心となって農業改革を進めようとしても、貴族たちが温情主義を貫こうとした結果遅々として進まなかったと言われているくらいです。 自腹で領民を呼んで祭りを開くこともあったそうで、この優しい支配があったからこそ、領民に尊敬される領主として長年の信頼関係が保たれて来たのです。 |
『貴族』という名称だけで、ヨーロッパのどこの国も同じようなものだと捉えてしまう人が多いようです。 宮廷に引き籠もって自分たちだけ快楽を貪り、第三身分の平民たちの苦しみを見ても何とも思わず、さらに自分たちの欲望のために増税で苦しめていたようなフランス貴族などと同じレベルでイギリス貴族を見ても、真にヨーロッパの歴史・文化は絶対に見えてこないのです。 |
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社交を楽しむフランス貴族たち(1778年) |
フランスでは本土出身の貴族たちが、同じフランス人の貴族でも植民地出身というだけで下に見て馬鹿にしていたことを『CHIC』でお話しました。 これもフランス貴族の多くは領地を持たないことに起因します。 イギリス貴族は田舎に領地を持つことが貴族の証であり、誇りと責任を持って治めていました。タウンハウスよりカントリーハウスを好み、自然や乗馬、狩猟を楽しみ、時には長靴を履いて農園に出向くことも楽しむ人たちです。だからこそ、田舎を馬鹿にするわけがありません。 パリに引き籠もり、他者を馬鹿にすることでしか自身の誇りを保てない人たちが多かった、それがフランス貴族の実情です。お金も領地も領民も持たない人たちにとってはしょうがないことでしょう。 |
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『CHIC』 コーネリアン ドロップ型イヤリング イギリス 19世紀後期 SOLD |
伯爵のコロネット "Coronet of a British EARL" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | イギリスの爵位貴族は、小国の王と言える立場でした。 だからこそこのように立派な宝冠を持つのです。 使用するのは大体は人生で1回、正式に爵位を継ぐ時です。 |
エリザベス女王の戴冠式(1953年) "Coronation of Queen Elizabeth II Couronnement de la Reine Elizabeth II " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(2 June 1953)/Adapted/CC BY 2.0 | それ以外では、国王や女王の戴冠式などの正式な儀式において着用します。 貴族たちは爵位を表すこのコロネットとガウンという正装で戴冠式に参加します。 小国の王たちが見守る中、そのトップたる大英帝国の王が戴冠する、大英帝国の戴冠式とはそういう式典なのです。 |
デヴォン伯爵のコロネット "Coronet EarlOfDevon PowderhamCastle" ©Lobsterthermidor(2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
当時のデヴォン伯爵チャールズ・コートニーも、このコロネットを着けてエリザベス女王の戴冠式に出席しています。 |
デヴォン伯爵のパウダーハム城 "Powderham Castle, 2009" ©raymond cocks(13 April 2009, 10:26)/Adapted/CC BY 2.0 |
この伯爵家のコロネットは、現在パウダーハム城に展示されています。それにしても立派な城です。改めてイギリスの場合は"貴族=一国の王"ということをイメージさせられます。 |
2-2. 王族のコロネットの特徴
カンバーランド公ヘンリー・フレデリック(1745-1790年)20歳頃 | ケント公エドワード・オーガスタス(1767-1820年)51歳頃 |
上の二人は王族ですが、公爵の爵位を持っています。左のカンバーランド公爵ヘンリー・フレデリックは『ダイヤモンドの原石』でもご紹介した通り、イギリス国王ジョージ3世の弟です。ブライトンに別荘を借り、その後イギリス国王となる甥のジョージ4世と競馬三昧、遊び呆けた人物でしたね。 右はイギリス国王ジョージ3世の第4王子エドワード・オーガスタスです。こちらは『黄金の花畑を舞う蝶』でご紹介した通り、借金まみれでお金欲しさに27年同棲していたフランス人女性をあっさり捨てたものの、援助の対価として至上命題とされたイギリス国王の跡継を誕生させることに成功したグッジョブなクズです(笑)ヴィクトリア女王のお父上ですね。初代ケント公爵に加えて、初代ストラーサン公爵と初代ダブリン伯爵の爵位も所有していました。 |
ヘンリー王子(1984-年) "Ceremony of Welcome for TRH The Duke (cropped)"©Office of the Governor-General(28 October 2018)/Adapted/CC BY 4.0 | ヘンリー王子も2018年の結婚にあたってサセックス公爵の称号が与えられたことは記憶がある方も多いのではないでしょうか。 ちなみにこの時、従属爵位としてダンバートン伯爵とキルキール男爵の爵位も与えられています。 |
ヘンリー王子の紋章 "Coat od Arms of Harry, Duke of Sussex" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
公爵のコロネット "Coronet of a British Duke" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
公爵、伯爵、男爵などのように複数の爵位を保有する場合、一番上の爵位を名乗ることになります。しかしながらヘンリー王子の紋章を見てみると、どの貴族の爵位にも当てはまらないコロネットが使われています。実は王室には専用の特別なコロネット・デザインが存在します。 |
イギリス王室のコロネット | ||||
皇太子(法定推定相続人) "Coronet of the British Heir Apparent" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
王子・王女(君主の子供、君主の兄弟姉妹)"Coronet of a Child of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 王子・王女(皇太子の子) "Coronet of a Child of the Heir Apparent" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
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王子・王女(皇太子以外の君主の息子の子) "Coronet of a Grandchild of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 君主の娘の子 "Coronet of a Child of a Daughter of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
必要があってのことですが、王族のコロネットはかなり詳細に分類がなされています。 皇太子の冠にはアーチ構造が付いており、クラウンプリンスと呼ばれることもあるのですが、冠はクラウンと呼ばれたりコロネットと呼ばれたり、統一されていないようです。 |
ヘンリー王子の紋章 "Coat od Arms of Harry, Duke of Sussex" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
王子・王女(皇太子の子) "Coronet of a Child of the Heir Apparent" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
王族のコロネットを理解すると、ヘンリー王子の紋章も指定通りのコロネットが使用されていることが分かります。中央には十字の紋章の1つであるクロスパティー、その両側にはアヤメの紋章フルール・ド・リス、その横には苺の葉が配されています。 |
イギリス王室の冠 | |||
クラウン(王冠) "Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
こうして並べてみるとお分かりいただける通り、一目見て分かる特徴として、フルール・ド・リスが冠にあるということは王室メンバーであることを示します。 |
2-3. イギリスの王冠を飾るフルール・ド・リス
フルール・ド・リス "Fleur-de-lis-fill" ©Frater5(5 June 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | フルール・ド・リスはアヤメ(アイリス)の花を様式化した意匠を指し、紋章に使われる場合は政治的、王権的、芸術的、表象的、象徴的な意味を持ちます。 |
キショウブ | fleur-de-lisの直訳は『ユリの花』ですが、ここで言う『ユリ』は一般的な『ユリ』ではなくアヤメ科アヤメ属のキショウブやニオイイリスと言った花を指すとされています。 |
フルール・ド・リスと言えば、アンティークジュエリーが好きな方にとってはフランス王家のイメージが強いかもしれません。 青の背景に黄色のフルール・ド・リスはお馴染みですよね。 私はなぜフルール・ド・リスが黄色なのか不思議だったのですが、キショウブを模したものと分かれば納得ですね。 |
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フランス王ルイ15世(1710-1774年) |
1376年以前のフランスの紋章 "Arms of the Kingdom of France(Ancien)" ©Sodacan(31 March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このフルール・ド・リスの起源は不明ですが、古い時代からフランスに限らずヨーロッパ各地で紋章や旗に、何世紀にも渡って見ることができます。 |
フィレンツェの紋章 "FlorenceCiA" ©Connormah(12:36, 8 <arch 2021)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | イタリアではフルール・ド・リスはジリオと呼ばれており、主にフィレンツェの紋章で知られています。 元々フィレンツェの紋章ではフルール・ド・リスが銀色もしくは白で、背景色が赤でした。 長い歴史の中で、反体制派を示す必要があった時代に色が反転したそうです。 ここまで来るとキショウブがどうこうと言うより、もはや象徴的なデザインとして昇華していると言えますね。 フルール・ド・リスはヨーロッパの長い長い歴史に息づいているのです。 |
聖エドワード王冠を図版表現したクラウンの紋章 "Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
聖エドワード王冠の複製 "St. Edwards Krone(Nachbilding auf den Bahamas)" ©dbking(30 July 2009)/Adapted/CC BY 2.0 |
さて、イギリスに話を戻すと、このクラウンの紋章は聖エドワード王冠が元となっています。かつてはイングランド王室祭具であり、イングランド、イギリス、そして英連邦王国の戴冠式で使われていた戴冠用王冠でした。2kg以上というあまりの重さに耐えかねて、ヴィクトリア女王とエドワード7世は聖エドワード王冠を敢えて用いませんでした。確かに2kg以上の冠は辛そうですね(笑) |
低くされる前の大英帝国王冠 | 聖エドワード王冠の複製 "St. Edwards Krone(Nachbilding auf den Bahamas)" ©dbking(30 July 2009)/Adapted/CC BY 2.0 |
現在イギリス君主の戴冠式で使用されているのは大英帝国王冠で、ヴィクトリア女王のために制作された大英帝国王冠の正確な複製です。1937年のジョージ6世の戴冠式で用いるために、軽量化と装着感の改善が図られながらガラードにて制作されました。 |
低くされる前の大英帝国王冠 | 現在の大英帝国王冠の左側面 |
エリザベス2世の戴冠式にあわせてこの王冠も改修が施され、見栄えがやや女性的になり、高さも1インチほど低くなっています。この王冠ですら910gあるため、エリザベス女王はイギリス議会開会式の朝2時間の臨席に備えて慣れるためのトレーニングをしたりするそうです。よく耐えられますよね。さらに威厳ある姿勢を保ち続けるのですから、それだけでも尊敬します。 |
イングランド王チャールズ2世の戴冠式(1661年) | 聖エドワード王冠の複製 "St. Edwards Krone(Nachbilding auf den Bahamas)" ©dbking(30 July 2009)/Adapted/CC BY 2.0 |
現在の聖エドワード王冠はイングランド王チャールズ2世の戴冠式のために1661年に制作された王冠と、イングランド王エリザベス1世が所有していた天然真珠からその多くが構成されています。純金製なのでめちゃくちゃ重かったようです。 |
パイナップルを献上されるチャールズ2世(Hendrick Danckerts作 1625-1680年頃) | |
チャールズ2世は『パイナップル』でご紹介した通り、1675年にお抱え庭師が初めてイギリス産のパイナップルの栽培に成功し、ファーストパイナップルを献上された王様ですね。 |
イングランド、スコットランドおよびアイルランド王に戴冠したチャールズ2世(1661年) | 1651年のスコットランド王戴冠記念のチャールズ2世の金貨 "Cast gold medal of Charles II Stuart" ©LouisAragon, Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com(31 July 2018)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
肖像画だとちょっと分かりにくいですが、右の記念金貨では聖エドワード王冠の特徴であるクロスパティーとフルール・ド・リスがはっきり分かりますね。 |
イングランドのエドワード懺悔王(1004-1066年) | ここで気になるのが聖エドワード王冠の名前の由来ですね。 由来は11世紀のイングランド王であるエドワード懺悔王で、オリジナルの王冠は1065年のクリスマスに懺悔王が用いたものです。 左は『バイユーのタペストリー』の一部です。 リネンの布に毛糸で刺繍が施された物語の刺繍画で、11世紀の歴史を伝える貴重な史料です。すごい宝物ですね。 エドワード懺悔王の王冠の装飾は3つのフルール・ド・リスに見えます。 |
ウェセックスのアルフレッド大王(849-899年) | 実はこのエドワード懺悔王の王冠には、アルフレッド大王の王冠の一部が使われた可能性があるとされています。
アルフレッド大王は『春の花々』でも少しご紹介した通り、ローマ人が去って以降、廃れていたバースの地に街を造り直した人物ですね。 アルフレッド大王はアングロ・サクソン時代最大の王とも言われ、イギリスの歴史において『大王』と称されて様々な伝説的逸話も多く残る、イギリスでも人気が高い王様です。 左は当時の絵ではありませんが、イギリス人が描いたと見られる大王の王冠にもフルール・ド・リスが飾られています。 |
そんな、フルール・ド・リスで飾られていたであろうエドワード懺悔王が1065年のクリスマスで着用した王冠を、次に着けたのがウィリアム1世です。 伝えられる所では1066年のクリスマスの日、ウィリアム1世の戴冠式で聖エドワード王冠が着用されたそうです。 1年以内に王様交代?と思った方もいらっしゃると思います。 ウィリアム1世は通称、征服王あるいは庶子王とも呼ばれています。
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イングランド王ウィリアム1世(1027-1087年) |
ノルマンディー公ロベール1世(1000頃-1035年) "Robert magnificent statue in falaise" ©Michael Shea, imars(12:05, 25 March 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
ウィリアム1世は、ノルマン人の支配するノルマンディー地方の君主であるノルマンディー公ロベール1世の庶子としてフランスのファレーズで生まれました。 ロベール1世は愛人との間に一男一女をもうけました。 他に子供がいなかったため、唯一の息子で後継者指名されていたウィリアム1世がノルマンディー公を継ぐことになりました。 その後、ウィリアム1世はイングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となったのです。 |
懺悔王エドワード(1004-1066年) | 征服王あるいは庶子王ウィリアム1世(1027-1087年) |
ウィリアム1世はイングランドの王位継承が征服ではなく正当な資格に拠ることを示すために、戴冠式で前王エドワードの王冠を用いたのです。その後は正当な王位継承を示すものとして、代々イギリス君主の戴冠式で着用されるようになったのです。 |
イングランド共和国初代護国卿オリバー・クロムウェル(1599-1658年) | 使わない王様もいたりはしたものの、17世紀半ばまではオリジナルの聖エドワード王冠は受け継がれていました。 しかしながら1642年から1651年に起こった清教徒革命におけるイングランドの騎士党(王党派)と円頂党(議会派)の間の軍事衝突、イングランド内戦の際にオリバー・クロムウェルが王冠を破壊してしまいました。 |
イングランド王チャールズ2世の戴冠式(1661年) | このため、1661年のチャールズ1世の戴冠の際に聖エドワード王冠が再作成されたのです。 |
ウェセックスのアルフレッド大王(849-899年) | イングランドのエドワード懺悔王(1004-1066年) |
フルール・ド・リスは非常に古い時代からイギリス国王の王冠を飾り、正当な王位継承者を示す重要な王冠の大切な要素して現代に至るまで君臨してきた紋章なのです。 |
西ローマ皇帝&フランク王カール大帝(742-814年) | 王政フランスの戴冠式で使用されていたカール大帝冠 |
フランスにも古の偉大な王カール大帝の名をとってカール大帝冠と名付けられた王冠が、王政時代の戴冠式で使用されていました。 もともとはカール大帝の孫で875年から神聖ローマ皇帝となったチャールズ・ザ・ボールドのために作られたもので、フルール・ド・リスの飾りはないシンプルなものでした。 |
イングランド王ヘンリー2世が見守る中で戴冠するフランス王フィリップ2世(1179年) |
それがおそらく1179年頃にフランス王フィリップ2世によって、4つのフルール・ド・リスが追加されたと考えられています。 この時点で、他のデザインの王冠や王妃の王冠なども存在していました。 |
『パリでのカトリック同盟の武装行進』(1590年)カルナヴァレ博物館 |
しかしながら1590年、カトリック同盟によるパリ包囲中の混乱の中で、『カール大帝冠』と呼ばれていた冠群の中のいずれかが炎の中で溶けてしまいました。 |
『クラシック・ハート』 ピケ ハート型ロケット・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
ユグノー戦争の一部である『パリでのカトリック同盟の武装行進』は、『クラシック・ハート』でもご紹介しています。 おびただしい数のユグノーと呼ばれるプロテスタントの人々が虐殺されましたが、王冠にも大事件があったわけですね。 |
カール大帝冠 | 残ったカール大帝冠は無事で、ルイ16世の代まで使用されました。 これが875年からのものかどうかは分からないようですが、このカール大帝冠は875年もしくは1590年から1775年までフランスの戴冠式用の王冠として使われていたのです。 |
ルイ15世の王冠(フランス 1722年) "Crowns, Musee du Louvre, April 2011bladkened" ©CSvBibra(29 April 2011, 13:55:29)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ただしルイ15世は左の王冠を戴冠式で使用しています。 アンシャンレジーム時代は20の王冠が存在したと記録に残っていますが、これが1590年のカトリック同盟や1793年のフランス革命での破壊行為を経て生き残った唯一の王冠です。 仰々しくて成金丸出し、センスのかけらも感じさせない王冠ですが、唯一生き残るなんて成金パワー恐るべし!(笑) ただし宝石はフランス第三共和国時代の1885年に取り外され、ガラスに置き換えられています。 こんなの作っておきながら国民は飢えているなら、そりゃ革命も起きるはずですね。 |
フランス国王ルイ16世(1754-1793年) | 愛人も作らず趣味は狩猟と錠前作りに日曜大工、戴冠式でもルイ15世のハデハデ王冠ではなく従来のカール大帝冠を使ったルイ16世。 王位を継ぐ時にはフランス王室の財政や貴族たちの腐敗はどれだけ優れた者が王になったとしても立て直し不可能と言われるほどの状態に陥っていました。 汚名を着せられるは処刑されるは、ルイ16世一家はつくづく悲しく気の毒なイメージしかありません。 |
フランス皇帝ナポレオンの帝冠(1804年) ©David Liuzzo | フランス皇帝の紋章(1804-1815年) "Imperial coat of Arms of France(1804-1815)" ©Sodacan, Katepanomegas(18:48, 9 January 2021)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
アンシャンレジームのフランスでは、王家の紋章には全てフルール・ド・リスが使用されていました。フランス革命後は王家を連想させるものとして使用されることはなく、帝政時代は皇帝の紋章にも、皇太子や貴族の紋章にも使われることはありませんでした。でも、ナポレオンは戴冠のために作らせた左の帝冠のことは『カール大帝冠』と呼んでいたそうです。古い時代はOKで、ブルボン家によるアンシャンレジームの時代はダメという感じだったのでしょうかね。 |
復古王政のブルボン朝最後のフランス王シャルル10世(1757-1836年) | その後、一時的にブルボン家による王政が復活すると、やっぱり象徴的にフルール・ド・リスが使われています。 |
復古王政のブルボン朝最後のフランス王太子ルイ・アントワーヌ(1775-1844年)1796年頃、21歳頃 | シャルル10世の戴冠式で用いられた『ドーファン(王太子)の王冠』 |
王族の象徴として、やはり王太子の王冠にもフルール・ド・リスが飾られています。 |
フランス皇帝ナポレオン三世の帝冠(1855年)の複製 "Reproduction displayed at the Abeler collection of crowns and regalia in Wuppertal." ©Jürgen Abeler; Bild hochgeladen von David Liuzzo | フランス皇后ウジェニーの皇后冠(1855年頃) "1-Crown of Empress EugenieDSC 0247bladken" ©Wouter Engler(14 June 2014, 09:57:18)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
復古王政が終わって以後、フルール・ド・リスは王政を連想させるものとして使用されていません。ナポレオン三世による帝政時代、その後の共和制時代を通してそうです。ちなみに左の帝冠はナポレオン三世が戴冠式用の冠を持っていなかったため、1855年のパリ万博に合わせて作られました。オリジナルは右のウジェニー皇后の冠と同じように豪華な宝石で彩られていたようですが、1885年に第三共和国によってフランスの王冠の宝石が殆ど売却された際に販売されてしまったそうです。 このような歴史背景があったため、フランス王家のフルール・ド・リスの歴史はとうに終わってしまっているのです。イギリスと比較すると、王家がずっと続くことによる歴史や文化への影響がいかに大きいかが分かりますね。 |
2-4. イギリス王家の象徴フルール・ド・リス
エリザベス王妃とマーガレット王女(エリザベス女王の母と妹) | 左はエリザベス王妃とマーガレット王女が冠を着けた姿です。 エリザベス王妃の王冠には『財宝の守り神』でご紹介した通り、アルバート王配がムガルカットからブリリアンカットにリカットしたコ・イ・ヌールが付いています。 この王冠は上のアーチを取り外してオープン・クラウンやサークレットとしても使えるそうです。 王太合として娘であるエリザベス女王の戴冠式に出席した際は、敢えてこのアーチを取り外した状態で着用し、臨席したそうです。 マーガレット王女は君主の子供であることを示すコロネットを着用しています。 フルール・ド・リスがあることによって、二人が王族であることがはっきりと分かります。 |
ロータス・ティアラを着用したマーガレット王女(1930-2002年) | マーガレット王女は『アルテミスの月光』でもご紹介した通り、大人になると女優さんを凌ぐほどの美女になりますが、どんな女性にも少女時代があります。 |
今回ご紹介しているフルール・ド・リスがあしらわれた360度のデザインの特別なリングは、王族の少女のために作られたものではないかと推測します。 |
8.5号という少し小さめのサイズ、そして豪華な宝石に頼らないデザイン、品の良さ、控えめな雰囲気ながらも相当な手間と技術をかけて作られた作り。 そして何よりもイギリス王族を示すフルール・ド・リスの存在。 |
アラジンのパントマイムを演じるエリザベス王女(17歳頃)とマーガレット王女(13歳頃)(ウィンザー城 1943年) ©National Media Museum drom UK /Adapted/National Media Museum @Flickr Commons | 少女とは言っても、これくらいに成長している可能性はあります。 画像の左の女性は現在のエリザベス女王が16か17歳頃、右はマーガレット王女が12か13歳頃です。 マーガレット王女はまだ二次成長が終わっていない時期だから、エリザベス女王とこれだけ身長差があると思うのですが、日本人からすると顔だちは既に大人の女性のように完成されているように見えます。 |
そんな、社交界にデビューするには少し前の、少女と大人の女性の間くらいの歳の王女様。 そんな王女様の指を飾っていたのではないかと考えます。 |
3. センスの良いデザインと手間をかけた極上の作り
3-1. 王族のジュエリーの特徴
さて、この宝物が作られたレイト・ヴィクトリアンの王女様たちについて、ファッションを見ていきましょう。 |
アレクサンドラ王太子妃と3人の娘たち |
エドワード7世の妻、美しいアレクサンドラ王太子妃と3人の娘たちです。 まだ少し幼い感じも残る王女様3人も、正装するとまさにお姫様という感じですね。 |
アレクサンドラ王太子妃と3人の娘たち |
でも、普段は当然ドレスを着て過ごすわけではありません。このようにみんなで写真撮影をする際の服装でもこんなものだったりします。良家のお嬢様という感じには見えるかもしれませんが、あからさまに王族という風には見えないと思います。 |
アレクサンドラ王太子妃と3人の娘たち | こちらの写真でも服装は地味です。 スカートは上の写真と同じように見えるので、使い回しかもしれません。 王族と言うと目立つ人や派手な話はどうしても大きく取り上げられやすいため、フランス王妃マリー・アントワネットやフランス皇后ウジェニーなどが365日、異なるオートクチュールのドレスに身を包んでいたことは有名です。 でもそれは市民が怒って政権を転覆させる歴史を繰り返すフランスらしい極端な話であって、イギリスの王侯貴族まで不必要に派手すぎる生活を送っていたわけではありません。 アレクサンドラ妃は年子で6人の子供を産んでおり、3人娘は連続して生まれているので姉と一番下の妹で2歳しか変わりません。 3人同じ服、3つ子の姉妹のようで可愛いですね。それはそうとアレクサンドラ妃のウエストは6人も産んだ後とはにわかに信じられない細さです。気品溢れる美人でその上スタイルも抜群、羨ましいです! |
エリザベス王妃とマーガレット王女 | コ・イ・ヌール、英国王室蔵(ロンドン塔に展示) |
さて、以前宝石主体のジュエリーと細工物のジュエリーの違いを比較形式でご説明しました。ジュエリーを着ける目的は人によく見られたいからです。但し、よく見られたい対象によってどういうジュエリーを着けるべきかは変わります。人によって価値観も美意識も違うため、いかにも高そうなものを着けていれば羨ましがる人もいれば、成金的と軽蔑する人もいるでしょう。或いはそもそもジュエリーやオシャレに対して興味を持たない人もいると思います。 王族の場合、国のトップたる王族として国民全体に権威を示す必要がある場合と、政治・外交や社交など王族にとって重要な世界を形成する上流階級に対して権威を示す必要がある場合があります。前者の場合は知識や教養が無い庶民階級でもいかにも凄そうなことが分かる、派手なデザインに大きな宝石が付いたジュエリーが適切です。一方で後者の場合、一見高そうには見えないけれど、教養がある人が見れば明らかにお金や手間がかかっていたり希少価値が高いものであったり、センスの良いデザインと作りのジュエリーであることが重要になってきます。 |
イギリス皇太子エドワード7世とアレクサンドラ妃の3人娘(1883年) |
これは、子供である王女様たちが着けるジュエリーについても同様です。1869年頃からの南アフリカのダイヤモンドラッシュによる供給の激増によってダイヤモンドの価値が低下し、天然真珠の価値が相対的に高騰したことは『月の雫』で詳しくご説明しました。王侯貴族の肖像画は国民に広くPRするために用いられたりするため、作りたい印象によって構図やポーズ、服装や小物などを変えます。王女様たちもこの肖像画では照り艶の良い美しい天然真珠のネックレスがはっきり分かる構図ですね。 |
モード王女(14歳頃)、ルイーズ王女(16歳頃)、ヴィクトリア王女(15歳頃)(1883年) |
肖像画と同じ年に撮影された写真では、このように比較的地味な服装です。お金はあっても、普段からゴージャスなファッションばかりするのは教養や美意識のある人にとってはナンセンスです。控えめで清楚な服装、それでも醸し出される王族たる気品。ジュエリーも着けていないわけではありません。3王女とも首もとに小さなブローチを着けています。 |
ヴィクトリア王女の首もとを拡大してみると、ハーフパールを使った小さなホースシュー(馬蹄)のブローチであることが分かります。 デザインだけ見ると、一見そこら辺でいくらでも見つかる安物アンティークジュエリーにすら見えます。 |
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15歳頃のヴィクトリア王女(1868-1935年) |
ヴィクトリア王女 | 【参考】ミドルクラスA | 【参考】ミドルクラスB |
一見似たデザインだったとしても、王族ジュエリーと普通のジュエリーでは作りが絶対的に異なります。例えばヴィクトリア王女のホースシュー・ブローチはハープパールの大きさがグラデーションになっていますが、ミドルクラスAは全て同じサイズなので単純でつまらない印象です。一応ハーフパールは色や照り艶が揃っており、18ctゴールドで丁寧に作られてるのである程度のものとして作られたはずですが、ハイジュエリーと比べればその違いは明らかです。 ミドルクラスBのハーフパールはサイズはグラデーションになっていますが、全体的に真珠が小さすぎます。作りは丁寧ですが、材料にあまりお金がかかっていません。 とは言え、絶対感覚を持たないと王族クラスのハイジュエリーと右の2つジュエリーの違いは分からないかもしれません。だからこういうものを着けるのは普段、気心の知れた王侯貴族の人たちとしか会わなかったり、あからさまに高そうに見せる必要ない場合です。 |
一見高そうに見えなくても、見る人が見れば明らかに手の込んだ高価な作りと、センスの良さ。 貴族クラスでも大英帝国の場合は一国の王と言えるクラスの存在なので、そのようなジュエリーはオーダーしており、そういう宝物をヘリテイジでは専門的に扱っています。 私たちは44年間そのような宝物を扱ってきましたが、数ある上流階級のハイジュエリーの中でも、この宝物の作りはただ者ではないと感じます。 上流階級の中でも群を抜いた、お金と手間のかかった作り。それこそが王族ジュエリーの特徴です。 |
3-2. 小さくても目立つ鮮やかなルビーの使い方
このリングのセンスの良さの1つが、小さくても濃く鮮やかな色を放つルビーの効果的な使い方です。 |
ローズカットダイヤモンドと交互にセットされているのが良いです。 すべてがルビーだとちょっとクドい印象になっていたでしょう。 一方で無色のダイヤモンドだけだとちょっと物足りないです。 |
モード王女(14歳頃)、ルイーズ王女(16歳頃)、ヴィクトリア王女(15歳頃)(1883年) |
肖像画と同じ年に撮影された写真では、このように比較的地味な服装です。お金はあっても、普段からゴージャスなファッションばかりするのは教養や美意識のある人にとってはナンセンスです。控えめで清楚な服装、それでも醸し出される王族たる気品。ジュエリーも着けていないわけではありません。3王女とも首もとに小さなブローチを着けています。 |
3-3. 小さくても140年以上の使用に耐える驚異の石留
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実際のサイズを想像するとお分かりいただける通り、ルビーもダイヤもとても小さな石です。 |
これだけ小さいと平面にセットした場合でも大変なはずですが、曲面にセットする必要があるためかなり高度な技術が必要だったはずです。 ペンダントなど違ってリングは着脱の際に少し力がかかってしまったり、着けている間にどこかにぶつけたり摩耗してしまうことも少なくなく、あらゆるアイテムの中で、コンディションが良いものを見つけるのが一番難しかったりします。 それにも関わらずこのリングは140年ほどの使用に耐え、石が1つも落ちていないことにも驚きます。かなり高度な技術を持つ職人が作ったからこそであり、王族のジュエリーを作るトップクラスの職人だからこそなせる技なのだと思います。 |
3-4. 透かしデザインとエナメルの効果的な組み合わせ
このリングは透かし細工の効果で、まるでレースのようなオシャレで繊細な美しさを感じます。 |
リング全体のゴールドの作りは薄く、石をセッティングする中央部分だけが一段厚みを持たせて制作されています。 まず叩いて鍛えた鍛造の薄い金の板を蝋付けして輪っか状にし、それから鏨(タガネ)で透かしの形状を作り、鑢(ヤスリ)で丹念に磨いてこのレースのような透かし細工を完成させています。 |
鑢で丹念に磨いて仕上げる行程 |
透かし細工は見た目は地味ですが、高い技術と集中力、そして根気を要する最高に贅沢な細工です。だからこそハイクラスのジュエリーの中でも、素晴らしい透かし細工は特に良いものとして作られた作品でしか見られません。透かし細工の難しさは、Genがかつて携わった米沢箪笥の透かし細工を参照にしながら『SUKASHI』でご説明した通りです。 |
透かし金具を作る道具 |
透かし細工は透かしが細かくなるほどに難易度が上がります。 あまり細かいと市販のヤスリではサイズが合うものがないので、そういう場合はヤスリ自体を作るところから始まります。 磨き上げる作業ではまず粗いヤスリで磨き、徐々に細かな番手のヤスリにしていくことで滑らかな仕上がりに完成させます。 |
鑢で丹念に磨いて仕上げる行程 |
だからヤスリの種類自体いくつか必要です。さらに金属を物理的に磨くという作業の性質上、ヤスリはどうしても消耗品となってしまいます。途中で折れてしまうこともありますし、摩耗して磨けなくなったら新しく用意しなければなりません。 |
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特に王家の象徴たるフルール・ド・リスの透かしは驚くほど細かく、どうやって実現したのか不思議なくらいです。 |
また、フルール・ド・リスの間にある透かし細工に、さらにシャンルベエナメルが施された技術にも驚きます。 金属部分を彫り、その溝にエナメルを施す技法ですが、土台となるゴールドが薄い上に360度にエナメルが施されているのです。 |
エナメル細工については『忘れな草』で詳細をご説明しました。 エナメルはガラスを粉末状に砕き、水と混ぜた『釉薬』で作ります。釉薬を乗せ、それを高温の炉で焼いてエナメルを完成させるのですが、均一に塗ったり気泡が入らないように完成させるのは至難の業です。 現代の超高級時計のエナメル文字盤作りでも、経験値を持つ超一流の職人でも75%くらいは不良品となってしまうくらい困難な作業です。 |
ルネサンス ルビー&エナメル リング フランス 16世紀後期〜17世紀初期 SOLD |
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ただでさえ難しいエナメルですが、溝を彫って磨き上げてからエナメルを施すシャンルベはさらに高度な技術と手間がかかります。 だからこそ、いつの時代もハイジュエリーの中でもさらに特別なオーダーで作られた超高級品でしか見ることはありません。 |
現代の時計は”超高級品”とは言っても世界でただ1つだけということは殆どなく数十、数百、数千なりの"限定生産"を語っただけの量産品です。量産品なので、アンティークのハイジュエリーのような本物の1点物のようには手間はかかっていません。失敗しても「また作れば良いや。」というレベルです。 |
『アートな骨壺』 ローズカット・ダイヤモンド 骨壺ブローチ イギリス 1849年 SOLD |
このような作品をエナメルの行程で失敗した場合、エナメルを施すための溝をもう一度同じように彫るなんて最悪ですよね。 エナメルの行程で75%も不良品を出すなんて絶対にできません! |
『古からの贈り物』 シャンルベエナメルとカンティーユ&粒金のデミ・パリュール フランス 19世紀初期 SOLD |
そのように、様々な難しさがあるシャンルベエナメルなので、360度の作りに施されたものはこれまでに『古からの贈り物』でしか見たことがありません。 |
画像は拡大しているので少し粗い仕事に見えるかもしれません。 でも、小さくて薄いこの透かし細工にシャンルベエナメルを360度施すというのは驚くべきことで、トライしただけでもビックリですが、見事に実現させた古のトップクラスの職人の技術には感動するばかりです。 |
そして、金が薄くても細工をする作業や長年の使用に強度的に耐えられるのは、十分に金属を叩いて鍛えた鍛造だからこそなのです。 |
【参考】現代の透かしのリング | |
宝石をセットしたりエナメルを施そうとすると普通はどうしても厚みが必要ですし、型に溶解させた金属を流し込んで作る鋳造の場合、金属自体に強度がないため全体の作りを厚くして強度を上げざるを得ません。ある程度美的感覚がある方だと、現代ジュエリーにはゴツさを感じると思うのですが、それは必要があって実際に厚く太く作っているためです。 上の透かしリング2つも女性用のリングなはずですが、ゴツすぎて女性らしい美しさは微塵も感じられません。 |
このリングの女性らしい繊細な美しさは、アンティークの特別なオーダーメイドジュエリーだからこそのものなのです。 |
3-5. 小さくても手間をかけた彫金細工
このリングは宝石をセットする中央部分が一段高くなっていますが、その上下にドットが均一に打たれています。 |
ちょっとしたことですが、これがあるだけでデザインが単調にならず、黄金の輝きに変化がもたらされることによって全体として高級感が増しています。 |
均等な間隔で同じ深さのドットを打つのは職人芸だからこそ成せる技で、このようなデザイン上の細かい気遣い1つにも高い技術が感じられます。 |
圧巻なのはフルール・ド・リスの彫金です。フルール・ド・リスの両側部分は均一な横線が彫金されており、中央部分は敢えて彫金が施されていません。 彫金は肉眼では見えないくらい細かいのですが、磨かれて艶のある中央部分は特定の角度で美しい黄金の輝きを放ち、両側の彫金が施された部分は高級感あるマットな輝きを絶えず放っています。 このリングのフルール・ド・リスが王族の証として、いかに最重要な要素であるかを示したものと言えるでしょう |
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等倍 |
ヴィクトリア女王とロイヤルファミリー(1877年) |
子だくさんのヴィクトリア女王は孫もたくさん。この時代のロイヤルファミリーは何十人も存在し、王女様も何人もいます。 |
どんな有名人の物だったとしても持ち主が亡くなった後、人の手に渡ることを繰り返すうちに歴史の中で所在不明になるものも多々あります。 |
この宝物も今となっては持ち主は分かりません。 でも、王族のために作られたトップクラスの職人による特別なリングであることは作りとデザインを見れば分かります。 歴史を感じる、時を超えた小さな宝物。 |
「王室の誰それが使っていた。」 そんなブランドのようなものは無くても、この宝物の価値を理解できていた当時の王侯のような教養と美的センスがある人であれば、十分に宝物の価値は理解できるのです。 そんなブランドのようなものが分かった状態だと価格は何倍にも跳ね上がってしまいますし、この宝物の真の価値ではなく、王族というブランドだけで飛びつく人の手に渡ってしまいかねません。 この宝物は、真に価値が理解できる人にこれからも愛されたら良いなと思っています。 |
現代ジュエリーで作れないのはもちろんのこと、アンティークジュエリーでも見たことのない特別な美しさを放つリングです。 |
でも、このリングの特別さが分かりやすいのは、やはりこういう角度で見たときでしょうか。 サイドまで隙のない作りがチラリと見えたり、握手や手を差し出したりされた時に見える裏側の細工は、見た人をあっと驚かせるに間違いありません。 サイズは8.5号でサイズ変更はできませんが、軽くて幅もあるので実際のサイズより細い指に着けても抜けにくいと思います。着用イメージに使用した私の左の人差し指は7号ですが、ピッタリとフィットした感覚がありました。私は若干、節が太いこともあるかもしれませんが、6号の薬指でも大丈夫な感じでした。お気に召していただけた場合は、人差し指なり小指なり、合うお指に着けて楽しんでいただければと思います。 |