No.00287 南国の風 |
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『南国の風』 |
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これはその中でも最高級で、鮮やかなトルコ石や上質なステップカット・ダイヤモンドの使い方、金細工で優美な葉を造形するなど、一般的なジャルディネッティでは見られない特徴を持っており、王侯貴族の中でも通常ではないレベルの莫大な財力と、抜群に優れた美意識とセンスを持っていた人物のオーダー品と言えます。 |
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この宝物のポイント
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1. ジャルディネッティ・ジュエリー 2. 珍しいタイプのジャルディネッティ・リング 3. 最高級の作り |
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1. ジャルディネッティ・ジュエリー
1-1. 大流行の証 -スタイルに名称のあるジュエリー-
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このリングはジャルディネッティ・リングと言います。 アンティークの時代には様々な種類のリングが作られていますが、このように名称が付けられているリングはあまり多くありません。 その多くはエンゲージリングやマリッジリング系です。 |
| エンゲージ&マリッジ・リング系 | ||
| ダブルハート | トワエモア | エタニティ |
『愛の誓い』ダブルハート リング イギリス 1870年頃 SOLD |
『Toi et Moi』トワエモア リング フランス or イギリス 1910年頃 SOLD |
エタニティ・リングイギリス 1803年 SOLD |
| フェデ | リングは男女の固い絆の証として使われることも多いので、結婚関連のものが多いのは当然と言えば当然ですね。 普段ジュエリーを気軽に買うことはできない身分の人たちでも、結婚のタイミングだと一生で一度の大イベントとしてリングを買うものです。 だから総合的に見ると数多く作られていますし、ある程度スタイルが決まっていて名称が付けられるのも自然の流れです。 デザインの制約が多く、なかなかヘリテイジで扱えるクラスのものはありません。特にフェデ・リングはGenのお眼鏡に叶うものがなかったのか、扱ったことがないようです。 |
フェデのゴールド・リング(イギリス 16-17世紀頃)大英博物館【引用】Brirish Museum © The Trustees of the British Museum/Adapted |
『フェデ』古代ローマのガーネット・カメオ 古代ローマ 1〜2世紀頃 SOLD |
後年に数多く作られたフェデリングとは比べ物にならないほど貴重な、フェデリングの原型とみられる古代ローマのガーネットのフェデ・カメオだけは扱っている所がGenらしいですが・・(笑) これは確かに面白いです。芸術的な意味でも、歴史的、学術的な意味でも。 |
アール・デコ ボンブリングイギリス 1920年代 SOLD |
結婚関係以外で名称があるリングは、20世紀に入ってから登場する『ボンブリング』と18世紀中期から19世紀初期にかけて大流行した『ジャルディネッティ・リング』くらいしか思い当たりません。 この、結婚関係以外のスタイルというのがとても面白いのです! |
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ダブルハート リング |
『結婚』はどの時代にも存在し得る、普遍の概念です。基本的には男女2人がいて成立するものであり、結婚関連のスタイルは永遠を表すエタニティ・リング以外は、結婚して2人が1つになることを象徴するような表現です。表現方法としては至ってシンプル、誰にでもすごく分かりやすいです。 |
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普遍かつ大抵の人々にとって重要なテーマと言える、結婚にまつわるリングに於いては特定のスタイルが大流行し、一般化して名称が生まれることはごく自然な流れです。 |
| 天然真珠&ダイヤモンド トワエモア リング フランス 1900-1910年頃 SOLD |
『甘い誘惑』天然真珠 ボンブリング イギリス 1920年頃 SOLD |
しかしながらそれ以外のテーマが元となって大流行が起こり、一般化し、定番スタイルとして名称が付くのは滅多に起きない凄いことです。 その背景には、当時万人を虜にした強い魅力を放つ何らかの存在や文化があります。 ボンブリングの場合は当時最先端のスイーツ、『ボンブグラッセ』の大流行でした。 |
テムズ川から見たサヴォイ・ホテル(1890年代) |
それまでのロンドンにはなかった高級ホテルが建てられた結果、上流階級や富裕層の間で、市内の劇場で演劇などを楽しんだ後、ホテル内の高級レストランで最先端の美味しいフランス料理のフルコースに舌鼓を打つという新しいスタイルが誕生しました。 |
サヴォイ・ホテルの日曜の晩餐会(1910年頃) |
上流階級の女性たちが夜に外出し、ロンドンの王侯貴族の邸宅『タウンハウス』ではなく高級ホテルでディナーを楽しむというのは、以前のヨーロッパにはなかったスタイルでした。 高級ホテルは電動エレベーターを始め当時最先端のテクノロジーが詰め込まれ、文化的にも新しい流行を作り出し発信する最先端の場所でした。 その中心地だったサヴォイ・ホテルのレストランはイヴニングドレスの着用が義務付けられていました。 高級感ただよう最先端のオシャレなレストラン内で、人気ミュージシャンたちが生演奏する中、着飾ってフレンチ・フルコースを戴くなんて最高に楽しいに決まっていますよね♪ |
サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年) |
このフランス料理はたくさんのメニューが楽しめてどれも美味しいですが、真のメイン料理はデザートと言っても過言ではありません。 |
ボンブ・グラッセ "Bombe glacee 2014-07-29" ©Whatamldoing(29 July 2014)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
様々な種類が存在するデザートメニューの中でも、目や舌が肥えた教養ある上流階級の人々をビジュアル、美味しさ、知的好奇心の全ての面で大満足させたのがボンブ・グラッセです。 |
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時代が大きく移り変わる20世紀初期。最高のオシャレをして最先端のスーパーカーに乗り、流行の最先端の高級ホテルで生演奏を楽しみながらフレンチ・フルコースを戴く。その主役となるボンブ・グラッセを元にしてボンブリングが生まれ、女性たちが憧れ、虜になった新しい遊びのスタイルを象徴するオシャレでセンス抜群のリングとして大流行し、定番化した・・・。 |
サヴォイ・ホテルの大きなレストラン(1900年頃) |
それは、高級ホテルで贅沢で優雅なひと時を楽しむというスタイルが新しい文化として、当時の上流階級や富裕層の女性たちをいかに虜にしていたかの現れでもあるのです。 |
天然真珠 ボンブリングフランス 1920年頃 SOLD |
100年ほどの時の流れの中で、遊びのスタイルとしては最先端ではなくなり、その記憶も人々からは消え去ってしまいました。 しかしながらこの『ボンブリング』というスタイルが、在りし日の流行や文化を生き証人として伝えてくれるのです。 |
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もう1つの結婚にまつわらないスタイル、『ジャルディネッティ・リング』。 こちらにも同じように、在りし日の上流階級の女性たちの流行や文化が隠されています♪ もっと古い古い時代の記憶です・・。 |
1-2. 富と権力の象徴 -温室-
ダンモア伯爵ジョン・マレーによるダンモア・パイナップル(1761年) |
富と権力、そして知性を独占していたヨーロッパの王侯貴族は珍しいもの、新しいもの、優れたものが大・大・大好きです。知的好奇心を満足させるためであったり、富と権力を誇示するためであればどれだけお金がかかっても手に入れます。古い時代はパイナップルがそうでした。 |
パイナップルの油絵(Theodorus Netscher 1720年) |
南国フルーツであるパイナップルは珍しさ満点、ビジュアル的にも面白く、しかも独特の酸味と甘さと香りが他にはない魅力を放ち、何度食べても美味しい。 |
航海中の帆船 |
パイナップルを手に入れるには莫大なお金をかけ、大きなリスクを負って危険な海を渡り、遠い南国から運んで来るしかありませんでした。 |
ゼウスとして描かれたフランス国王ルイ14世(1638-1715年) |
ルイ14世の晩餐会 |
だからこそ、贅を尽くしたことで有名な太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿での饗宴では、特に重要視されていたデザートの主役としてパイナップルが使われていました。 |
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イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年) |
ジョージ4世の戴冠式(1821年) |
お金を使いまくって放蕩王として有名なジョージ4世の、イギリス至上最も豪華だったと言われる戴冠式の晩餐でもパイナップルが饗されています。 |
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王の富と権力の象徴『パイナップル』ジョージアン スリーカラー・ゴールド フォブシール イギリス 1820年頃 SOLD |
ジョージ4世は父王ジョージ3世が晩年、精神疾患によって政治ができない状態に陥っていたため、王太子時代から摂政としてイギリスを治めていました。 イギリス一のジェントルマンと言われ、知性の高さ、センスの良さ、教養の高さも随一でした。 そんなジョージ4世が国のトップになり、ファッションリーダーとして君臨していた時代は建築や家具、ジュエリーも特に強い魅力を放つセンスの良いものが多く、それらは『リージェンシー・スタイル』と呼ばれています。 当時からヨーロッパでも格段に評価が高かった、センスと教養、気品溢れる高級感あるスタイルです。 左のパイナップルのフォブもそんな貴重なリージェンシー・ジュエリーなのですが、作られた時代にちょうど王様の戴冠式の晩餐でパイナップルが富と権力の象徴として振舞われていただなんて、まさにアンティークのハイジュエリーは時代を映す鏡であり、貴重な生き証人と言えますね。 親切に喋って教えてはくれないので、こちらが読み解く必要はありますが・・(笑) |
1-2-1. 温室の技術の進化
パイナップル畑 "Ghana pineapple field" ©hiyori13(2005年3月6日)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
そんなパイナップル、お金があれば南国から運んでくれば良いだけなのですが、各国で温室栽培がトライされるようになりました。 |
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英国王室の庭師ジョン・ローズから初めて温室栽培に成功したパイナップルを献上される国王チャールズ2世(1675年) |
温室という概念は17世紀にオランダ、そしてイギリスに現れました。初期の温室は技術的に洗練されているものではなかったため、特に冬の時期は適度な温度を保つために膨大なお金と手間がかかったそうです。温めるのも燃料費が膨大にかかるでしょうけれど、燃料費をケチらずとにかく温めればOKというものではなく、暑くなりすぎると植物は死んでしまいますしね。 |
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イングランド王/スコットランド王 チャールズ2世(1630-1685年) |
イギリスでは1675年に初めてパイナップルの栽培に成功していますが、南国からの輸送コストカットというよりは、高い技術力を顕示するという意図の方が強かったのかもしれません。 テクノロジーの進化は国全体を強くすることにもつながっていきますしね。 お金や労力はかかりますが、やって損はありません。 |
チェルシー薬草園(設立1673年)"II Chelsea Physic Garden, London, UK" ©Elosa.rolle(16 May 2013, 01:42:04)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
イギリスでは1621年にオックスフォード大学植物園、1670年にエディンバラ植物園、次いで1673年に薬剤師名誉協会によって薬草栽培のためにチェルシー薬草園が設立されています。古くからの長い歴史がありますね。1681年までに、このチェルシー薬草園でイギリス初のストーブ加温式の温室が完成しています。 |
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)"Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これはヴェルサイユ宮殿の世界最大のオランジェリーです。オランジェリーは温室の原型とされ、屋根で囲った"部屋"の場合もありますが、ヴェルサイユ宮殿のオランジェリーのように壁で囲んだだけで屋根はない場合もあります。柑橘類やオリーブ、ザクロやヤシ、キョウチクトウなどが育てられました。特にオレンジの樹は3,000本もあったそうです。 |
オレンジの花と実 "OrangeBloss wb" ©Ellen Levy Finch (Elf)(23 March 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このタイプの温室がなぜオランジェリーと呼ばれたのかというと、主にオレンジを育てるために作られていたからです。 香りの良く美味しいオレンジの実は人気が高く、高価な贅沢品でした。 中世の料理本には訪れた高官がいくつオレンジスライスを食べる権利を与えられたか、精確にその数が記載されていたほどでした。 また、白い花が美しく観賞に適していたこともあります。 |
二女アリス 19歳(1862年)ヘッセン大公妃 |
アレクサンドラ妃と王太子バーティ(1863年) |
『オレンジ・ブロッサム』と言えば結婚式の披露宴のアペリティフとして出されることもある美味しいカクテルですが、『純粋』、『花嫁の喜び』という花言葉があり、花嫁を飾る白い花としてもオレンジは定番です。ヨーロッパではとてもメジャーかつ愛される花の1つです。 |
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ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)"Versailles - panoramio - Patrick Nouhailler's... (197)" ©Patrick Nouhailler's...(1 May 2016)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
さて、このヴェルサイユ宮殿のオランジェリーは初めて見た時は、「広い庭なのに樹が鉢植え?ちょっとダサいなぁ。」と感じました。でも、寒さに弱い樹々を冬は大聖堂のような広い室内に収容し、最も寒い時期は庭師たちが火を燃やして直接室内を温めて凍結から守っていたそうです。気合いと根性というか、かなり人力的な作業ですね。 |
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)"Orangerie du château de Versailles le 11 septembre 2015 - 78 " ©Lionel Allorge(11 September 2015, 15:46:53)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
まあでもだからこそ偉大なるフランス国王の富と権力の象徴たりえたとも言えるでしょう。経験のある方や余程頭の良い方でなければ想像するのは難しいですが、目につく材料にかかった費用以上に、背景にある様々な人件費の方が高くついているのはよくあることです。維持するためのランニングコストも初期費用以上にかかったりしますよね。 |
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(1695年) |
| 当時の王侯貴族たちは間違いなく詳細に分かります。自分たちもオランジェリーを造って楽しんだりしていたからこそ、他のオランジェリーを見ればそれがどれくらい費用がかかっているのか、どれくらい腕の良い庭師がいるのか、財力だけでなく教養やセンスまでも分かってしまいます。そういうわけで膨大な建設コストと莫大な維持費がかかるオランジェリーは、教養の高さやセンスまでも誇示する富と権力の象徴としてヨーロッパの王侯貴族に浸透し、発展していったのです。 |
1-2-2. ジャルディネッティの誕生
ハンベリー・ホールのオランジェリー(建設1750年頃)"Hanbury Hall Orangery andMushroom House 2016" ©DeFacto(11 September 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
オランジェリーは透明な板ガラスの発展と共に進化していきました。太陽の光を最大限に活用するために南向きで建設され、日光を取り込むための大きな窓を備えました。北側の壁は非常に重い厚い煉瓦だけで窓なしで断熱設計され、熱が逃げないように保たれました。中では様々な南国のフルーツや草花が育てられました。 |
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| パイナップルとフルーツバスケットの装飾(1750年頃)"Hanbury Hall Orangery andMushroom House 2016" ©DeFacto(11 September 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | |||
それを象徴するようにパイナップルや、南国のフルーツと草花のフルーツバスケットの装飾がハンベリー・ホールのオランジェリーには施されています。 |
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第4代ダンモア伯爵ジョン・マレー(1730-1809年) |
ダンモア伯爵のパイナップル温室(建設1761年) |
パイナップルは別格扱いなので、様々な場所でその特徴的な姿を見ることができます。 今でこそこのパイナップルの温室は『スコットランドで最もヘンテコな建物』扱いされていますが、当時は真面目です。 オーダー主のダンモア伯爵ジョン・マレーも奇人変人の類だったわけではなく、ニューヨーク州知事、バージニア州知事、バハマ英総督など海外で重要な役目を歴任した人物です。 |
ロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナー(フォト日記『貴族のさりげない自慢の仕方』より) |
ロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナーのエントランスを飾る2つの巨大オブジェもパイナップル・モチーフでした。 |
ロスチャイルドのワインボトルで構成されたパイナップル・オブジェ(フォト日記『貴族のさりげない自慢の仕方』より) |
ロスチャイルドと言えばワインが有名ですが、邸宅の正面にあるパイナップルのオブジェはそのワインボトルで作られています。 |
『宝石のパイナップル』(フランス 18世紀中期)ワデズドンマナー |
ワデズドンマナー内部には宝石でできたパイナップルのオブジェもありました。 オレンジも愛されてはいましたが、地中海で育ち陸路から輸送可能なオレンジよりもパイナップルは遥かにコストがかかりますし、ヨーロッパの寒い地域における栽培難易度も高いです。 |
『REGARD』-パイナップル-ジョージアン REGARD ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
そのような存在だったので、もちろん当時のハイジュエリーのモチーフとしても見ることができます。 |
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| パイナップルとフルーツバスケットの装飾(1750年頃) "Hanbury Hall Orangery andMushroom House 2016" ©DeFacto(11 September 2016)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
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一方で南国の色とりどりの花や果実、それをを詰め込んだフルーツバスケットや花瓶などが『ジャルディネッティ』という形でジュエリーへと昇華したのです。 |
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パイナップルだと小さなジュエリーのデザインに応用するのはなかなか難しいですが、南国の花々や実ということであれば、表現のバリエーションをかなり広げることができますね。 |
ジャルディネッティ ダイヤモンド リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
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これは裏から見るとフルーツ・バスケットであることが分かりやすいですね。 たわわに実るローズカット・ダイヤモンドのゴージャス具合が、当時のオランジェリーのステータスの高さを感じさせてくれます。 |
1-2-3. コンサバトリーへの進化
ウィリアム・ブラスウェイト(1649-1717年) |
1692年から1704年にかけて、イギリスの外交官、公務員、政治家として活躍したウィリアム・ブラスウェイトが古代の鹿公園の中にバロック様式のカントリーハウス『ダイラムパーク』を建てました。 |
ダイラムパークの邸宅とオランジェリーの東正面(建設1692-1704年)"Dyrham Park lower park" ©Rwendland(26 August 2007, 12:27)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
この時にオランジェリーも建築され、その屋根はスレート(粘板岩)でできていました。 |
イギリスのスレート鉱山 |
スレートの屋根 "St Fagans Tannery 7" ©Zureks(August 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
防水性や耐久性の高いスレートは屋根の定番素材の1つです。 但し光は通しません。 |
造園家ハンフリー・レプトン(1752-1818年)"Portrait of Humphry Repton" ©Northmetpi at the English Wikipedia(10 January 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ダイラムパークが建てられておよそ100年後の1800年頃、18世紀最後の偉大な造園家として有名なハンフリー・レプトンが、オランジェリーがとても暗いことを問題視しました。 |
ダイラムパークのオランジェリー(建設:1702年頃、屋根のリフォーム:1800年頃)"Orangery at Dyrham House - geograph.org.uk - 933031" ©Sarah Charlesworth(25 July 2008)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
その結果、スレート屋根をガラスの屋根に取り替えてしまったのです。さすが摂政王太子ジョージ4世を始め、ポートランド公爵やベッドフォード公爵などそうそうたる顧客のために仕事をしていた偉大な造園家ですね。ジョージ4世は特にお気に入りだったブライトンの超豪華別荘ロイヤルパビリオンの造園を依頼していますし、ポートランド公爵は古代ローマの傑作『ポートランドの壷』を購入した超大金持ちです。 屋根をガラスにしたのは大成功で、明るい温室は19世紀初期に一気に人気に火がつき、19世紀末までにはティー・パーティなど様々な社交の用途に使われるようになったのです。 |
1-3. 優雅で贅沢な時間を楽しむコンサバトリー
1-3-1. コンサバトリーのイメージ
現代でもコンサバトリーはラグジュアリーで憧れの空間と見なされており、イギリス人でも成功したらコンサバトリーを持ちたいと思っている人が多いそうです。 コンサバトリーもオランジェリーも温室ですが、その違いはガラスの面積にあります。イギリスにおける法的な定義では、コンサバトリーは側壁面積の50%以上がガラス張りで、屋根の75%以上がポリカーボネート樹脂やガラスなどの半透明の素材となっていることです。 |
ホーニマン博物館の伝統的なスタイルのコンサバトリー(1894年)"Horniman Museum - geograph.org.uk - 1160684" ©Peter Trimming(23 October 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
現代では、一般の人たちは『サンルーム』や『温室』、『コンサバトリー』という言葉を同じ意味で使ったりしています。 しかし、上流階級や知識階層にとってはコンサバトリーと聞くと、ヴィクトリア時代のコンサバトリーのイメージを反映したラグジュアリーな建物を想像します。 |
1-3-2. グレート・コンサバトリー
シオンハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)"Syon House Conservatory, London" ©Penny Hamer(31 May 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これは1820年代にチャールズ・ファウラーによって設計され、1827年に完成したシオンハウスの『グレート・コンサバトリー』です。金属とガラスでできた最初の大規模建築物です。あまりのゴージャスぶりに、Genはこれが人が住む家かと思ったようです。でも、これはあくまでもコンサバトリーです。 |
第3代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1785-1847年) |
建てたのは第3代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシーです。 |
グレート・コンサバトリーの前に立つ第10代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1983年)"10th Duke of Northumberland 6 Allan Warren" ©Allan warren(1983)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
7代後のノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシーがグレート・コンサバトリーの前で撮った写真が日本語のwikipediaのページにも掲載されていましたが、「ノーサンバーランド公爵家邸宅シオン・ハウスをバックに立つ第10代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー」と説明されていました。邸宅ではなくコンサバトリーなんですけどね。記載した方もコンサバトリーが立派すぎて、Gen同様、これが住居かと思ったようです。 |
シオンハウスの東側面 "Syon House East Aspect" ©Russ Hamer(31 May 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
実際の居住する邸宅シオンハウスはこちらです。グレート・コンサバトリーは、あくまでも公爵家の楽しみのための付帯施設です。本当に、庶民では想像もつかない世界ですね。 |
ノーサンバーランド公爵の邸宅シオンハウス(1700-1750年頃) |
ノーサンバーランド公爵は初代公が領地で鉱山開発に励み、子孫たちが鉱山を賃借してお金を稼いだのでイギリス貴族の中でも特に裕福な貴族でした。 だからこそそれだけの豪華な建物を建てることができたわけですね。 それにしてもイギリス人の発想力や技術力は恐るべきで、こうして貴族階級がどんどん新しい取り組みを莫大な財力を投入してやってきたからこそ新しい技術が生まれ、進化し、国が富み、新しい文化も次々に生み出されていったのです。 |
1-3-3. 画期的だったガラス屋根
温室で植物の手入れをする様子 |
ガラスの透明な屋根は非常に画期的でした。 初期の温室は、冒険家が持ち帰った南国の植物を保管するためのものでした。 オランジェリーも初期は南国のフルーツや花を栽培するためのもので、鑑賞という意図が組み込まれていったのはもっと後の時代です。 |
オランジェリーで植物を鑑賞する様子 |
徐々に観賞用の意図が加わり、アフタヌーンティーなど社交として使われるようにもなってきましたが、ガラス屋根のコンサバトリーほど室内に明るさがなく、雰囲気は全く異なります。 |
結婚式などのパーティも開催されるグレート・コンサバトリー内部(完成 1827年)"Syon House, Great Conservatory interior" ©AndyScott(2 Septeber 2018, 13:45:20)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
屋根をガラスにしてしまうという画期的な進化によって、コンサバトリーではオランジェリーの時代にはなかった楽しみ方ができるようになりました。 ヨーロッパ人の大好きな陽射しを室内にいながら存分に浴びながら、様々なパーティを楽しめるようになりました。 こんな空間でパーティだなんて、とってもラグジュアリーです。 それが既に1820年代のことだったなんて、ヨーロッパの王侯貴族は凄いですね。庶民とは発想も財力も、何もかも違いすぎます! |
東海道五十三次之内 日本橋(歌川広重 1833年頃) |
この頃の日本と言えば、江戸時代後期の文化文政時代(1804-1830年)を最盛期として、江戸を中心として発展した町人文化『化政文化』が花開いていた時代でした。庶民が作り出し、万人が享受していた日本の文化と、限られた王侯貴族だけが楽しむヨーロッパの貴族文化とではかなり趣が違いますね。 |
1-3-4. コンサバトリーでの優雅な楽しみ
シオンハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)"File-observatory syonpark" ©Extraordinary at English Wikipedia(5 May 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
現代の庶民だと結婚式などの特別なタイミングでの使用しか思いつかなかったりしますが、ヨーロッパの文化を牽引してきた王侯貴族たちは新しい優雅な楽しみ方を思いつくのも大得意です。 ヨーロッパ、特にイギリスの王侯貴族の歴史を見ていくと、リミットレスでお金を使えるというのは上手く行けばとても意味のあることだと思い知らされます。 |
グレート・コンサバトリー内部の睡蓮の池 "Lily Pond, The Great Conservatory, Syon Park, London" ©Jim Linwood(July 26, 2009)/Adapted/CC BY 2.0 |
リミットレスでお金を使えても、ただお金を稼ぐことだけにしか喜びを感じられない人はさらにお金を増やすための使い方しかできません。教養やセンスを持たなければ自ら新しい楽しみ方を創造するのは不可能で、既製の超高級品を買ったり、誰かの真似をするしかありません。イギリス貴族であろうとも全員が優れたいたわけではありません。傑出した教養やセンスを持つ者は少数派です。 しかし、それを優れた教養やセンスを持つのは非常にカッコ良いことで、羨望の的となることはイギリス貴族ならば皆分かっていることでした。だからこぞって勉強し、新しいものを吸収し、試行錯誤、皆があっと驚き羨ましがる何かを作り出すことに莫大な財力と労力を投入していたのです。私もあっと驚かされました。これはグレート・コンサバトリーの内部にある池です。 |
コンサバトリーでのティー・パーティ(The ILLUSTRATED LONDON NEWS 1881.8.20号) |
これは世界で初めてイラストでニュースを見せることに主眼を置いた週刊新聞、『The ILLUSTRATED LONDON NEWS』の1881年8月20日号です。 これくらいの時代はイギリスであっても男性の3割、女性は5割近くがまだ文字が読めませんでした。 識字率が高くない時代には、新聞をイラストで表現するのは効果的ですね。 このイラストにはコンサバトリーでティー・パーティを楽しむ様子が詳細に描かれています。 手前には睡蓮の池、奥には様々な南国の植物、そして南国の鳥オウムまで描かれています。 お茶を待つマダムが、扇を片手に佇む姿も優雅ですね。 家の外、非日常のラグジュアリーな空間で優雅にお茶を楽しむ。このような贅沢に庶民も憧れ、上流階級と同じにはならなくても可能なレベルで真似したはずです。 |
上流階級の間で生み出された新しいスタイルが上流階級の間で流行し、それが徐々に庶民にも浸透し、定番化していくわけです。 現代だと庶民でもちょっと頑張ってお金を出せば、昔の王侯貴族たちがやっていたような楽しみ方ができますよね。今ある様々な文化や娯楽などは案外、古のヨーロッパの王侯貴族の遺産だったりするのです。でも、庶民にも広まり過ぎるとコストカットに伴う品質低下が進み、陳腐化して原型が分からなくなることも少なくないのが残念です。 |
1-3-5. コンサバトリーと社交
コンサバトリーでのアフタヌーンティ(ハリー・ブラウン 1890年頃) |
昔はコンサバトリーを持てるのは一定以上のお金を持つ王侯貴族や富裕層だけでした。 コンサバトリー自体が高級で特別な空間だったので、そこで身なりを整えないことは有り得ません。 コンサバトリーができてから結構後の時代なので、この絵の女性たちはリラックスした様子になっていますが、それでも右の女性のジャケットの襟には花飾りが見られるように、貴族の普段着レベルの身だしなみがしっかり整えられています。 |
コンサバトリーでのアフタヌーンティ(ジャンヌ・サムソン 1893年頃) |
こちらは同じくらいの年代ですが、若い女性たちがしっかりオシャレをして優雅なお茶を楽しんでいる感じですね。 右の女性の手元には扇が描かれています。 |
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| 『紳士と淑女』 扇 フランス 1870年頃 ¥ 387,000-(税込10%) |
女性らしく優雅な扇はレディの必須アイテムです。扇を使うような場では、間違いなく相応しいジュエリーも身に着けていたでしょう。 |
コンサバトリーで読書する女性(フランシズ・バナーマン 1883年) |
肖像画はその人物をプロモーションするために描かれます。だからPRしたい方向性に合わせてモチーフや構図が選ばれます。 この女性の場合、莫大な財力を象徴する『コンサバトリー』、そして高い知性と教養を象徴する『読書』をする姿で描かれています。リラックスして読書する様子なので着飾ってはいません。いかにも高そうなジュエリーを身に着けていなくてもコンサバトリーの中で描かれているだけで、当時の人たちであればお金持ちと分かりますしね。 |
In the Conservatory(ジェームズ・ティソ 1878年) |
でも、ひとたび社交の場ともなれば、王侯貴族たちは男女共にしっかりと着飾って身なりを整えます。 |
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ジャルディネッティ クラバットピンフランス 19世紀初期 SOLD |
だからこそ、男性用の上質なジャルディネッティのクラバットピンが存在するのです。 |
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女性も美しいジュエリーは必須ですが、男女共にそれだけでは不十分です。 |
| ジャルディネッティ ダイヤモンド・ブローチ フランス or イギリス 1780〜1820年頃 SOLD |
『ライバルたち』(ジェームズ・ティソ 1878〜1879年頃) |
どちらも社交の場で上質な会話ができないと、モテることはできません。 現代の庶民だと「別にモテなくても良いじゃない。」という方向性でも許されますが、昔の王侯貴族たちは優秀な子孫を残すことが至上命題だったので、まずは優れた人たちにモテないと始まりません。 "優秀"というのは見た目の良さもありますが、それ以上に王侯貴族にとって大切なのが、家を続けていくための優れた頭脳と健康な身体を持つ遺伝子です。 優れた頭脳を持つか否かは会話の中で分かります。 高い教養と知識を持つかどうかは、見る目がある者にとっては一目瞭然に分かります。 |
コンサバトリーの女性たち(19世紀) |
南国の植物に関する知識も教養の1つです。 コンサバトリーで開かれる社交の場では、確実に話題になります。 だから知識も相当インプットしておきます。 |
『コンサバトリーの若いレディ』(ジェーン・マリア・ボウケット 1870-1880年頃) |
実際に自身で取り扱って経験値を高めておくことも重要ですね。 珍しい花を咲かせたり、実をならせたりすることに成功した話ができれば、モテるのは確実です!(笑) |
1-3-6. 王侯貴族を虜にしたコンサバトリー
アイスクリームを食べる上流階級の女性たちのカリカチュア(フランス 1801年) |
皆様は、真冬にアイスを召し上がるのはお好きですか? 日本でも、夏より冬の方がアイスクリームの売上が大きいことは割と有名な話だったりします。 真冬に暖房のきいた暖かい部屋で、外の寒い景色を想像しながら冷た〜いアイスクリームを食べるのは何とも言えない贅沢感があって美味しいですよね。同じ味だったとしても、夏より暖房をきかせて冬に食べる方が満足感が高く、楽しいのです♪ |
『Lily of the valley』スズラン ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
冬が厳しいヨーロッパの地域では、春の訪れを告げる鈴蘭などの花々が、日本人には想像もできないほど愛されてきました。 このような地域では冬はどれだけ花を見たいと思っても、摘んだ花を運ばせるか自ら暖かい地域に足を運ばなければ花は見ることができないのです。 |
『ライラック』(ジェームズ・ティソ 1875年) |
それが温室技術の進化によって、南国の花をヨーロッパで見ることができるようになっただけでなく、寒い時期でも春の花を見ることすらできるようになったのです。 温室の外は身体の芯から震え上がる極寒の世界。 ガラスのしきりで隔てられた温室の中は色とりどりの草花が咲き乱れ、色鮮やかな南国の果実がたわわに実る極楽の世界。 これは真冬にアイスを食べる以上に贅沢で優雅な気分になれること間違いなしです。 |
グレート・コンサバトリーの俯瞰図(完成1827年)©google map |
シオンハウスのグレート・コンサバリーができたのはジョージアンの時代です。そんな古い時代に、これだけラグジュエリーな空間を王侯貴族たちは楽しんでいたわけですね。 1820年代に設計されたこのグレート・コンサバトリーですが、設計者が天才だと思うのは上から見るとお分かりいただける通り、長く延長された両サイドにかなり曲率が付けてあることです。 |
グレート・コンサバトリーの内部(完成1827年) "syon house great conservatory" ©stu smith(July 19, 2014)/Adapted/CC BY-ND 2.0 |
この曲がった通路設計のお陰で一番奥まで見渡すことができず、実際の長さ以上に奥行きを感じることができます。 冬の寒い時期、透明なガラスに囲まれた明るく開放的な暖かい空間で様々な珍しい植物を愛でながら進んでいくと・・。 古の王侯貴族たちは、ここで一体どんな社交を楽しんでいたのでしょうね。 |
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1800年頃に屋根をガラスにして室内を明るくするという発想が生まれ、この画期的なアイデアは優れていたからこそ19世紀初期に一気に王侯貴族たちの間に広まりました。 夢のようなコンサバトリーのために、この贅沢なジャルディネッティの宝物は生み出されたのです。 |
2. 珍しいタイプのジャルディネッティ・リング
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これほどコンサバトリーは画期的で魅力の強いものだったため、ジャルディネッティ・リングも王侯貴族の間で大流行し、数多く作られました。 だからこそヴィクトリアン以降に比べて圧倒的に数が少ないジョージアンのジュエリーの中でも、比較的ジャルディネッティ・リングは残っていたりします。 |
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その中でも、このリングはかなり珍しいタイプのデザインです。 とびっきりオシャレをして、最先端の贅沢で優雅な空間を楽しむ。 そのためにジャルディネッティ・リングは誕生しました。 |
天然真珠 ボンブリングイギリス 1920年頃 SOLD |
ボンブリングと全くと言って良いほど同じような誕生背景ですね。 ただし時代の状況は全く異なります。ボンブリングが誕生した19世紀初期はヨーロッパの王侯貴族の力がかなり弱体化し、一方でアメリカなどの新興富裕層がかなり台頭してきた時代でした |
サヴォイ・ホテルのゴンドラ・パーティ(1905年) |
この時代はどこが一番ホットな場所だったかと言うと、アメリカ人にとって憧れで世界の中心だった大英帝国の首都ロンドンの高級ホテルでした。 歴史が浅く、"王侯貴族"というものが存在しないアメリカ人にとっては王侯貴族は憧れの存在です。 その憧れの場所でありったけお金が使える新興成金が何をするかと言うと、中庭にゴンドラを浮かべて船上パーティとかです(笑) 昔のヨーロッパの王侯貴族はハチャメチャやっていたので、彼らにとっては貴族のように振舞っているつもりで至極真面目なのですが、貴族というよりはかなり成金臭が満載です(笑) |
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| 【参考】アールデコ後期の出来の悪いボンブリング | ||
そのような時代なので、成金的で全くセンスや教養が感じられないボンブリングも多いです。また、貧富の差が小さくなってきた結果中産階級の小金持ちなどでもジュエリーを買うようになっているため、安物もかなり多いです。 ヴィクトリアン中期は産業革命によって力を付けてきた中産階級が台頭し始めるのですが、ジョージアンまでは王侯貴族と庶民で貧富の差が極端にあり、ジュエリーを持つことができるのは限られた王侯貴族だけでした。だからジョージアンは建物や調度品、娯楽やジュエリーに至るまで古き良きヨーロッパ貴族を反映した、貴族らしい気品と教養に満ちた高級品ばかりなのです。 |
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だから当然ながら、基本的に本物のジョージアンのジャルディネッティ・ジュエリーには安物は存在しません。 大人気モチーフ故に偽物もたくさん作られてはいますが、それらはデザインがオーソドックスでつまらなく、作りも悪くてすぐに分かるのでどうでも良いです。 |
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| ジャルディネッティ リング フランス 18世紀後期 SOLD |
ヘリテイジは高級アンティークジュエリー専門店ですが、高級であれば全て扱うわけではありません。 |
2-1. 色使い
2-1-1.ジャルディネッティの通常の色使い
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今回のジャルディネッティ・リングの珍しい特徴の1つが色使いです。 鮮やかなペルシャ産トルコ石がとても印象的です。 |
ジャルディネッティ クラバットピンフランス 19世紀初期 SOLD |
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
"小さな庭"、ジャルディネッティのジュエリーで表現されるのは南国らしい色とりどりの色彩鮮やかで面白い形の草花や果実です。 だからジャルディネッティ・ジュエリーは、鮮やかな色彩の色石を組み合わせてデザインしたものが多いです。 |
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『シャンパーニュ』雫型オパール ネックレス イギリス 1910年頃 SOLD |
色石はゴールド、ダイヤモンドをシルバーでセッティングするのがアンティークジュエリーの慣例のようなものだったので、セットする金属の使い分け自体は珍しくありませんが、シャンパンカラーのダイヤモンドとクリアカラーのダイヤモンドの使い分けというのはハイジュエリーでも滅多にありません。 構造デザインに気を使ったハイジュエリー以上に珍しいのが、これほどまでに色デザインにこだわったハイジュエリーです。 『シャンパーニュ』もそのような、色使いに特別気を使って作られた最高級品でしたが、異なる時代に同じような美意識と強いこだわりを持つ人が存在していることが楽しいですね♪ |
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| 【参考】ジャルディネッティ・ブローチ(20世紀) | ||
ジャルディネッティの流行は次第に落ち着き定番化していきましたが、1920〜1930年頃にかけては再び流行しています。後年に流行したジャルディネッティは、庶民が古の王侯貴族に憧れて作られたもの言えます。 だから作りが安物で、しかもセンスが感じられない定番デザインのジュエリーが殆どです。全部同じようにしか見えない、つまらないデザインばかりです。基本的にはジャルディネッティはこの通り、色とりどりでデザインされます。 |
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ジャルディネッティ ダイヤモンド リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
ジョージアンのジャルディネッティは、ダイヤモンドだけの煌めきを重要視した無色のデザインと、色石を使った色とりどりのデザインとに二分できます。 |
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この宝物は後者の色石を使ったデザインにカテゴライズできますが、トルコ石を使ったジャルディネッティ・ジュエリーは44年間で初めて見る珍しいものです。 |
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しかも他に色石を使わず、唯一の色石としてトルコ石を使うなんて当時はかなり画期的だったはずです。 |
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色使いが多すぎるとゴチャゴチャに見えることもあるのですが、この潔くセンスの良い色使いのお陰で200年ほども前という古臭さを感じさせず、むしろモダンな印象まで感じさせる特別なジャルディネッティ・リングとなっているのです! |
2-1-2.トルコ石のジュエリー
現代ではアメリカやメキシコ産の樹脂や着色加工されたトルコ石や、ハウライトという別の石を着色した偽物のトルコ石が無尽蔵に市場に氾濫した結果、トルコ石ジュエリーには高級ではないイメージが付いてしまいました。スタビライズド処理が始まった1950年代以降は本当に酷い状況だと、本場のアメリカ人からも聞いています。 しかしながらアンティークの時代に使われていたペルシャ産の上質なトルコ石は本当に稀少で美しく、それこそ王族のジュエリーにも使われるような宝石でした。古い時代から富と権力を示すための王族や皇族のティアラに使われるほど、評価の高かった宝石です。 |
『ターコイズ・ブルー』ターコイズ&パール ブレスレット フランス 1880年頃 SOLD |
独特の鮮やかな色が印象的なペルシャのトルコ石は小さくても存在感を示すので、このようなデザイン的な利かせ方もセンスが良くて大好きです。 |
ペルジャンターコイズ リングフランス 1880年頃 SOLD |
それがメインストーンとしてリングになるとかなり迫力がありますね。 |
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| 【参考】現代のトルコ石のリング | ||
現代ジュエリーはもはや石の価値だけで売ろうとする、ジュエリーとは言い難い代物なので、デザイン性を語ることは不可能です。いかにコストカットして量産するかに合わせてデザインするので、工業デザインでしかないです。複雑な形状のデザインは、高度な技術を持つ職人の手作りでしか具現化できません。耐久性を無視すれば別ですが・・。 |
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一文字リングイギリス 1870年頃 SOLD |
ターコイズ リングフランス 1880年頃 SOLD |
クラスター リングチェスター 1908年頃 SOLD |
アンティークのハイジュエリーは高度な技術を持つ職人が手作りするので、耐久性を保ちつつも様々なデザインで作ることが可能です。ただ、リングは他のアイテムと比べるとデザインの制約が多く、どんなに高級品であっても複雑で気の利いた珍しいデザインにするのは難しいです。 |
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トルコ石 ジャルディネッティ・リングフランス 1800-1820年頃 |
その観点からすると、今回の宝物はトルコ石をメインストーンにしたリングの中でもデザイン性の高いとても珍しいものと言えます。 しかも一番古いものなのにクラシックさがなく、一番モダンに見えます! |
結婚式などのパーティも開催されるグレート・コンサバトリー内部(完成 1827年)"Syon House, Great Conservatory interior" ©AndyScott(2 Septeber 2018, 13:45:20)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
まあ、今見ても驚きの超モダンな空間で、当時の優雅で気品あふれるジョージアン貴族が使っていたリングなのですから、当然と言えば当然なのかもしれません。 |
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でも、ジョージアン貴族の中でも只者ではない人物がオーダーしたものだからこそ、ジャルディネッティ・リングの中でも他にはない特徴をいくつも持っているのです。 |
2-2. ステップカット・ダイヤモンド
2-2-1. ステップカットが消えていった時代のリング
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このジャルディネッティ・リングはステップカット・ダイヤモンドが使われているのも、珍しい特徴の1つです。一番大きなダイヤモンドと、左下のダイヤモンドがステップカットです。 |
ジャルディネッティ ダイヤモンド リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
ジャルディネッティ リングフランス 18世紀後期 SOLD |
ジョージアンのジャルディネッティ・リングに使われるダイヤモンドのカットは、ローズカットが殆どです。ロウソクの炎に煌めきが映えるローズカットが好まれた時代ということが1つあります。それ以外に、以前まで世界のダイヤモンドの主要産地だったインドの鉱山がほぼ枯渇し、新しく見つかったブラジル鉱山に頼らねばならなくなったことも背景にあります。 |
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アールデコ ステップカット・ダイヤモンド リングアメリカ 1930年代 SOLD |
ステップカットはダイヤモンドの煌めきと共に、透明感が楽しめる魅力的なカットの1つです。 |
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| 【参考】インクリュージョンの目立つステップカット・ダイヤモンドのルース(現代) | |
| ただ、このカットには難点があって、それはインクリュージョンが目立つことです。現代ではダイヤモンドにも様々な改質処理が存在し、内部のインクリュージョンであっても肉眼では分からないレベルにしてしまうことも可能です。しかしながらアンティークの時代はそのような処理は存在しません。 | |
チューダー朝 ステップカット・ダイヤモンド リングイングランド王国およびアイルランド王国 1485-1603年 SOLD |
インドのゴルコンダ鉱山のダイヤモンドは白い輝きで名高く、とても上質な石が採れたことで有名です。 だから透明感を楽しむステップカットで、ダイヤモンドの魅力を十分に楽しむことができました。 |
ブラジルのミナスの鉱山における労働の様子(1770年代頃) |
しかしながら1730年代後半から1860年代まで世界のダイヤモンドの主要産地となったブラジル鉱山のダイヤモンドは、インドに比べるとあまり質が良くなかったと言われています。 |
【参考】現代のブリリアンカット・ダイヤモンドのルース |
あまり質の良くないダイヤモンドでも、なるべくファセットが煌めくようにすればインクリュージョンが目立たなくできます。 それもあってダイヤモンドのカットは煌めきがより重要視され、ローズカットやオールドヨーロピアンカットが進化していったのです。 |
『古のモダン・クロス』ステップカット・ダイヤモンド クロス フランス 1700年〜1750年頃 SOLD |
アールデコ ダイヤモンド ブローチイギリス 1920年頃 SOLD |
一方でステップカットは次第に施されなくなり、19世紀中は滅多に見ることのない幻のカットとなりました。このためステップカット・ダイヤモンドはかなり古い時代か、南アフリカのダイヤモンドラッシュによってステップカットが再び流行した20世紀以降にしか見ることがありません。 |
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この年代にステップカット・ダイヤモンドが使われているのは珍しく、2石使っている上に、一番大きなダイヤモンドがステップカットであることからも、かなり意識してステップカット・ダイヤモンドが使用されていることが分かります。 |
トルコ石 ジャルディネッティ・リングフランス 1800〜1820年頃 |
アールデコ ステップカット・ダイヤモンド リングアメリカ 1930年代 SOLD |
後期アールデコ・リングフランス 1930〜1940年頃 SOLD |
このジャルディネッティ・リングがどこかモダンな印象を受けるのは、トルコ石に次ぐもう1つのメインストーンがステップカット・ダイヤモンドであることも大きいと言えるでしょう。 |
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2-2-2. 特別なステップカット・ダイヤモンド
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
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| 実はこのジャルディネッティ・リングも相当気を使って作られた上質なものなので、右下のダイヤモンドがステップカットです。 |
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ただしステップカット・ダイヤモンドにあまり厚みはありません。 一方で、イエロー・ダイヤモンドはより色を鮮やかにする意図があって、かなり石に厚みがありますね。 |
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石が厚いほどインクリュージョンが入る確率が上がります。 透明感を楽しむためのステップカットで厚みを持たせるのは、よほど選び抜かれた上質中の上質、トップクラスの石でなければこの時代には不可能なのです。 |
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| このステップカット・ダイヤモンドが特徴的なのは、石にかなり厚みがあることです。 | |
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アール・デコの時代でも滅多に見ることがないような大きさと厚みがあります。この時代では異例中の異例と言えます! |
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クローズド・セッティングで石の後ろに箔が敷いてあり、200年ほどの時の経過でどうしてもこの箔の変色は避けられません。しかしながら大きなステップカット・ダイヤモンドも、小さなステップカット・ダイヤモンドも、どちらも厚みがありながら驚くほどクリーンな石です。 |
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これほどのステップカット・ダイヤモンドを手に入れることができる財力、そしてステップカット・ダイヤモンドとトルコ石の2石をメインストーンにするセンスの良さ。これこそ最強貴族ばかりのジョージアンの時代に於いて、その中でも一目置かれる特別なジャルディネッティ・リングと言えるでしょう!!♪ |
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ちなみに撮影用のライトは光がとても強いので、右のように箔が反映してモヤが懸かったように写っている場合があります。しかしながら太陽光でも室内光でも、肉眼で見た場合、かなり大きさのあるダイヤモンドにも関わらず左のように非常にクリアな石にしか見えません。実物を見ると驚かれると思います(私も驚きました!)。 |
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ステップカット・ダイヤモンドは透明感と共に、長方形のファセットならではの力強い面反射の煌めきも楽しめます。ローズカット・ダイヤモンドもそれぞれがキラキラと美しく煌めきます。このように輝きに個性とバリエーションがあるからこそ、予期することができないハッとする美しさを見ることができます。 |
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2-3. 宝石と金細工の絶妙なバランス
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このジャルディネッティ・リングが別格に素晴らしい理由は、宝石にこれだけ気を使っているにも関わらず、宝石主体のジュエリーに終わっていないことです。 彫金細工も驚くほど意識してデザインしてあります。 |
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しかしながらこのジャルディネッティ・リングは宝石がセットされているのは花や果実の部分だけで、葉っぱは美しい金細工のみで表現されています。センスの良いオシャレは引き算とも言います。 |
日本の書院造の民家 "Takagike Kashihara JPN 001" ©ignis(5/Nov./2006)/Adapted/GFDL,CC BY-SA 2.5,2.0,1.0 |
日本の住宅は書院造に強い影響を受けています。書院造は書院を建物の中心とした武家屋敷の様式で、無駄のなさと美しさが両立したまさにシンプル・イズ・ベストですよね。1490年に創建の慈照寺(銀閣寺)が書院造の原型と言われています。金閣寺より銀閣寺の方が好きという日本人が多いことからも分かる通り、他の国と比べて日本人は一般的に研ぎ澄まされた美意識がある人が多いのです。 |
ロイヤルパビリオンのシノワズリーの宴会室(1826年) |
かなり古い時代からシンプル・イズ・ベストに慣れ親しみ、"研ぎ澄まされた美"が当たり前という感覚を持つ日本人にとっては今回の宝物の特異性が分かりにくいかもしれません。しかし、ながらヨーロッパはこの時代はまだまだ装飾過多が当たり前の時代です。特にヴィクトリア時代中期ともなれば装飾過多は一層激しくなり、Genも「ゴチャゴチャしていて落ち着かない。嫌い。」というほどです。 |
マッキントッシュ家のリビングルーム(マッキントッシュ夫妻のデザイン 1906年)の再現 【引用】University of Grasgow HP ©University of Grasgow. |
ホーヘンホフの内装(ヴェルデのデザイン 1908年) "HAGEN Hohenhof JBU 3822" ©Jorg Bittner Unna(2014年5月24日, 13:00:15)/Adapted/CC BY-SA 3.0 DE |
ヨーロッパでシンプル・イズ・ベストの概念が生まれたのは1900年前後のことで、しかも初期は受け入れられず、左のモダンな内装をデザインしたマッキントッシュは仕事がなくて後年は建築家から水彩画家に転向してしまったほどです。 |
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故に装飾過多とは真逆を行く、この引き算のデザインがなされたジャルディネッティ・リングは非常に特異なヨーロッパのアンティークジュエリーと言えるのです。 |
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逆に言えば、シンプル・イズ・ベストの良さを小さな頃から当たり前のように感じている日本人には、感覚的に好まれるデザインだと思います。 |
3. 最高級の作り
3-1. 美しい透かし細工
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このジャルディネッティ・リングは宝石だけでなく、金細工という細工の価値もしっかりと分かっている人物がオーダーしたものです。それが随所からひしひしと伝わってきます。まず、透かし細工はその完成度の高さが圧巻です。スッキリとした、無駄のない見事な美しさです。 |
| 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジャルディネッティ・リング | ||
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これらはいづれもジョージアンのジャルディネッティ・リングです。ジョージアン・ジュエリーに基本的には全て上流階級のために作られており安物は存在しないと言えますが、高級品の中でも確実に差が存在します。これらと比較すると、今回の宝物が別格で優れた最高級品であることがお分かりいただけるはずです。 |
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| 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジョージアン・ジャルディネッティ・リング |
宝石を見ると、3つの中ではこれが一番高級品だと思います。でも、透かし細工が全く美しくありません。完成度が低いのでスッキリしておらず、グチャッとしたなんだか汚い印象です。 |
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| 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジョージアン・ジャルディネッティ・リング |
それでも一応きちんとした高級品ではあるのです。ジョージアンのジュエリー自体が貴重ですし、ジャルディネッティも大人気モチーフなので、それなりの高い値段で販売されています。ヘリテイジが扱うクラスは滅多に出てこないので、ディーラー自身がこういうものが最高級品だと信じ込み、顧客にもそう説明して販売します。もちろん悪意はなく、力がないだけです。 |
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| 最高級品 | 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラス |
最高級品を見る機会がなく、右のようなものがジョージアンの高級ジュエリーだと認識してしまった場合、「ジョージアンのジュエリーは古いから作りも稚拙だ。あまり古いジュエリーだと高級品でもいまいち美しくないし、古臭い。」と思われかねません。しかしジョージアンの本当のトップクラスの実力は当然現代ジュエリーより上ですし、ヴィクトリアンよりももちろん上なのです。 |
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| 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのジョージアン・ジャルディネッティ・リング | |
どちらも大手オークション会社に出品されていたものですが、権威やブランド名でしか判断できない人はここで扱っているものは全て高級品と思い込む傾向にあります。オークション会社はアンティークジュエリーは専門ではなく、むしろ全体で見ればマイナーな部門です。力を入れていない部門なので扱う人も知識が弱く、説明が間違っていることも多々ありますし、中途半端なものも多く販売されています。 |
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ヘリテイジはヨーロッパでもアンティークジュエリー業界が黎明期だった頃からGenがいち早く構築した特殊な仕入れルートがあるからこそ、こういう超一級クラスの宝物も手に入るのです。 こういうクラスは作られた数自体が極端に少ないので、仕入れルートがあってもなかなか出てくるものではないのですけれどね。 あればいくつでも欲しいのですが、そんなに簡単にはいきません(笑) |
3-2. センスの良い石留めデザイン
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| 最高級品 | 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラス |
最高級品は石留めに関しても、デザインへのこだわりやの細工レベルが全く異なります。右のリングは単純な留め方が目立ちます。下の小さなエメラルドは葉っぱ意識したデザインの留め方にしようとした意思が感じられますが、ゴールドがのっぺりとして完成度が低いです。その左にある、ダイヤモンドをセットしたシルバーのフレームもやはり美しく感じられません。 |
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一方でこの宝物は5石のダイヤモンド全てに、花を表現したとみられる美しいフレームがシルバーでデザインされており、その完成度も高いです。トルコ石は何かしらの果実を表現しているとみられ、対照的にシンプルなデザインながらも丁寧なフレームで固定されています。 |
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一番大きなステップカットダイヤモンドをセットしたフレームは特に完成度が高く、立体感ある見事なデザインになっています。この躍動感あふれるデザインによって、草花や果実の生き生きとした生命力と美しさを感じることができます。 |
3-3. 優雅な金細工
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1枚1枚の葉がとても丁寧にデザインされ、造形されています。葉はゴールド、宝石のセットはシルバーで、意識的に"黄金の葉"を印象的で美しく見せようとする意図が伝わってきます。 |
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ゴールドで作られた、優美な曲線の植物モチーフのジュエリーと言えばアールヌーヴォーを思い出しますが、19世紀後期のアールヌーヴォーなんて比較にならないほど優美な作りです。しかも改めて申し上げておきますが、これはリングというとても小さなものです。ブローチやペンダントなどの大きなものを造形するならばまだしも、アールヌーヴォーでこれだけ素晴らしいデザインと作りの植物デザインのリングは見たことがありません。 |
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| 大流行したアールヌーヴォーは安物の量産品が大半です。量産するために鋳造で作られたものだと、ここまで細かい彫金は不可能です。そうでなくともジョージアン、特に19世紀初期は金細工自体がヴィクトリアンと比べて桁違いのスーパーハイレベルでした。そのジョージアンでも最高級品としてトップクラスの職人の手仕事で作られているので、これだけの美しさが出せるのです。 | |
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二次元で表現する画像では凹凸や立体感が分かりにくいのですが、光の反射加減をご覧いただくと、いかに葉に凹凸があり、全体としても非常に立体感をつけたデザインになっていることが伝わりますでしょうか。 |
ジャルディネッティ リングフランス 18世紀後期 SOLD |
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
ジャルディネッティ リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
宝石をメインにすると、どうしても全体としてはフラットな面のデザインになってしまいます。 |
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| 最高級品 | ヘリテイジでは扱わないクラス |
この驚くほどの立体感、そして躍動感は、彫金細工がメインのジュエリーと言えるほど彫金に気を使い、巧みにデザインに取り入れているからこそなのです。 |
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当時の王侯貴族でもなかなかこの発想は難しかったはずです。 オーダーした人物が宝石に執着する必要が全くない程の有り余る財力を持ち、しかも傑出した美的感覚を持っていたからこそ生み出すことのできた宝物と言えるでしょう。 唯一無二のジャルディネッティ・リングであることは間違いありません。 |
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真横から見ると、トルコ石の真下の葉が美しい曲線を描いて造形されていることがよく分かります。 また、フェイスからショルダーにかけての作りも、あらゆる角度でデザインが途切れない立体的かつ美しい造形になっています。 こんな優美なリングは見たことがありません。 |
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| この彫金はリングの半分よりも奥、通常は見えない後ろ側の部分にまで施されています。 | |
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リングは指に着けた時、斜めの角度から見るとシャンクの部分も目に入ります。 だからアンティークのハイジュエリーはフェイスだけでなくシャンクにも細工が施されているのは普通なのですが、確実に見えることのない、リングの半分以上奥の部分にまで彫金が施されているのは持ち主が相当美意識が高かったことの現れです。 |
3-4. 見えない裏側の美しいデザイン
ジャルディネッティ ダイヤモンド リングフランス? 18世紀後期 SOLD |
ジャルディネッティ リングイギリス 1820年頃 SOLD |
この2つもそれぞれ唯一無二の特徴を持つ、確実に最高級品と言えるジャルディネッティ・リングです。 |
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そういう最高級品は隅々まで美意識が行き渡っているので、裏側にもデザインと細工が施されているものです。持ち主以外は見ることはありません。持ち主だけが見て楽しむことができる、完全に自己満足のための細工です。これにも当然ながら高度な技術や加工などの費用がかかります。 |
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| 【参考】ヘリテイジでは扱わないクラス | |
だから"見えない裏側はどうでも良い"というレベルの美意識しかなかったり、そこまではお金をかけられないという中途半端なお金持ちのリングには見ることはできません。そうは言っても、裏側に細工がないから高級品ではないとは言えません。むしろある方が特別です。"最高級品"がたくさんあったら最高級とは言えないですから(笑) |
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でも、ヘリテイジには不思議なほど最高級のジュエリーが集まってきます。 最高級品ばかりなので、このクラスがアンティークジュエリーでは普通だと誤解されないか懸念しておりますが、普通ではないです!(笑) 角度によっては見にくい箇所もありますが、このリングはダイヤモンドをクローズド・セッティングしたフレームの裏側全てに放射状の造形がデザインされています。 |
これは花のガクを表現していると推測しますが、よく実際の花に似せて作ったものだと、その観察眼とこだわりように関心します。 尋常ではありません!!素晴らしい美意識の高さ!!!!! |
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このような洗練されたデザインが施された、立体的な構造のリングは今まで見たことがありません。地金のゴールドと、ステップカット・ダイヤモンドをセットするフレームのシルバーを貼り合わせた部分も完璧と言える美しい作りです。透かし細工も、裏側から見ても本当に完璧で美しいです。 |
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リングの後ろ側は磨り減ったような跡があり、元々は彫金で模様が彫られていたのではないかと思います。 およそ200年もの長い年月使用される間に磨耗したと考えられますが、他のどのアイテムよりも磨耗などのダメージが起きやすいリングの中ではかなりコンディションは良いと言えます。 この歳月、持ち主が代わる中でサイズ変更が一度も行われていないことはまずなく、サイズ変更をした痕跡もうっすらと見えますが、リングの両脇に彫られた溝もきちんと再現してあり、ジョージアンのリングとしてはかなりコンディションが良いです。 |
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この画像では右端に見える箇所にフランスのものらしきホールマークが見えますが、はっきりは分かりませんでした。 |
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他にはない、華やかで優美、そして知性までも感じられるリングです。 これは室内で、お昼に自然光で撮影した画像です。 市ヶ谷のアトリエも、まるでコンサバトリーのように太陽の明るい陽射しが差し込みます♪ ダイヤモンドだけでなく、ゴールドの葉が放つゴージャスな黄金の輝きも楽しめることが伝わりますでしょうか。 本当に、ため息が出るほど贅沢にお金をかけて作られた、ゴージャスなジャルディネッティ・リングです。 |
グレート・コンサバトリー内部の睡蓮の池"Lilly Pond inside Conservatory" ©Maxwell Hamilton(August 19, 2009)/Adapted/CC BY 2.0 |
持ち主はこの宝物をつけて、このコンサバトリーのような驚くほど贅沢な空間で社交を楽しんでいたのでしょうね。在りし日のイギリス貴族の莫大な富と権力、そして知性と共に高い文化レベルを宝物は見せてくれます。 |
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当時の王侯貴族の優雅な文化。 その全てが詰まった小さな宝物・・。 それは後世の私たちに、永遠に在りし日の美しい文化を語りかけてくれるのです。 |








『愛の誓い』
『Toi et Moi』
エタニティ・リング
フェデのゴールド・リング(イギリス 16-17世紀頃)大英博物館
『フェデ』



テムズ川から見たサヴォイ・ホテル(1890年代)
サヴォイ・ホテルの日曜の晩餐会(1910年頃)
サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年)
ボンブ・グラッセ
サヴォイ・ホテルの大きなレストラン(1900年頃)
ダンモア伯爵ジョン・マレーによるダンモア・パイナップル(1761年)
パイナップルの油絵(Theodorus Netscher 1720年)
航海中の帆船
ゼウスとして描かれたフランス国王ルイ14世(1638-1715年)
ルイ14世の晩餐会
イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)
ジョージ4世の戴冠式(1821年)
王の富と権力の象徴『パイナップル』
パイナップル畑
英国王室の庭師ジョン・ローズから初めて温室栽培に成功したパイナップルを献上される国王チャールズ2世(1675年)
イングランド王/スコットランド王 チャールズ2世(1630-1685年)
チェルシー薬草園(設立1673年)
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)
オレンジの花と実
二女アリス 19歳(1862年)ヘッセン大公妃
アレクサンドラ妃と王太子バーティ(1863年)
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(建設1684-1686年)
ヴェルサイユ宮殿のオランジェリー(1695年)
ハンベリー・ホールのオランジェリー(建設1750年頃)


第4代ダンモア伯爵ジョン・マレー(1730-1809年)







ウィリアム・ブラスウェイト(1649-1717年)
ダイラムパークの邸宅とオランジェリーの東正面(建設1692-1704年)
イギリスのスレート鉱山
スレートの屋根
造園家ハンフリー・レプトン(1752-1818年)
ダイラムパークのオランジェリー(建設:1702年頃、屋根のリフォーム:1800年頃)
ホーニマン博物館の伝統的なスタイルのコンサバトリー(1894年)
シオンハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)
第3代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1785-1847年)
グレート・コンサバトリーの前に立つ第10代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー(1983年)
シオンハウスの東側面
ノーサンバーランド公爵の邸宅シオンハウス(1700-1750年頃)
温室で植物の手入れをする様子
オランジェリーで植物を鑑賞する様子
結婚式などのパーティも開催されるグレート・コンサバトリー内部(完成 1827年)
東海道五十三次之内 日本橋(歌川広重 1833年頃)
シオンハウスの『グレート・コンサバトリー』(完成1827年)
グレート・コンサバトリー内部の睡蓮の池
コンサバトリーでのティー・パーティ(The ILLUSTRATED LONDON NEWS 1881.8.20号)
コンサバトリーでのアフタヌーンティ(ハリー・ブラウン 1890年頃)
コンサバトリーでのアフタヌーンティ(ジャンヌ・サムソン 1893年頃)
コンサバトリーで読書する女性(フランシズ・バナーマン 1883年)
In the Conservatory(ジェームズ・ティソ 1878年)


『ライバルたち』(ジェームズ・ティソ 1878〜1879年頃)
コンサバトリーの女性たち(19世紀)
『コンサバトリーの若いレディ』(ジェーン・マリア・ボウケット 1870-1880年頃)
アイスクリームを食べる上流階級の女性たちのカリカチュア(フランス 1801年)
『Lily of the valley』
『ライラック』(ジェームズ・ティソ 1875年)
グレート・コンサバトリーの俯瞰図(完成1827年)
グレート・コンサバトリーの内部(完成1827年)
天然真珠 ボンブリング
サヴォイ・ホテルのゴンドラ・パーティ(1905年)





ジャルディネッティ リング





『ターコイズ・ブルー』
ペルジャンターコイズ リング


一文字リング
クラスター リング





ブラジルのミナスの鉱山における労働の様子(1770年代頃)
【参考】現代のブリリアンカット・ダイヤモンドのルース










日本の書院造の民家
ロイヤルパビリオンのシノワズリーの宴会室(1826年)
マッキントッシュ家のリビングルーム(マッキントッシュ夫妻のデザイン 1906年)の再現
ホーヘンホフの内装(ヴェルデのデザイン 1908年)








ジャルディネッティ リング
ジャルディネッティ リング
ジャルディネッティ リング








グレート・コンサバトリー内部の睡蓮の池