No.00272 バッカスのワイン樽 |
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『バッカスのワイン樽』 リージェンシー ゴールドスライダー・ペンダント イギリス 摂政王太子時代(1811年〜1820年) 2カラーゴールド(15ct) 1,8cm×2cm 重量3,3g SOLD |
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リージェンシー(摂政王太子)時代に人気のあったスライダーですが、現代まで残っているこの時代のスライダーは非常に珍しいです。リージェンシーならではの抜群のセンスのデザインと作りの良さがあり、オシャレなペンダントとしても楽しめます。巻き付いた葡萄の蔓や、樽を思わせる独特の形状はまさにワイン樽を彷彿とさせてくれます。イギリスで金価格が特に高騰した時代ならではの、ゴールドという単一素材だけで作られているとは思えない、豊かな表現が見事な宝物です。 |
この宝物のポイント
1. ワインのモチーフ 2. リージェンシーならではの優れたデザイン 3. リージェンシーの優れた金細工 |
1. 楽しいワインのモチーフ
この宝物の胴部分には、葡萄の蔓が巻き付いています。 |
蔓はグルリと一周してつながっており、永遠に続くものとして表現されています。 |
『秋の景色』 赤銅高肉彫り象嵌 日本 19世紀後期(フレームはイギリス?) SOLD |
撓わに実る葡萄は日本でも縁起物モチーフですが、ヨーロッパでは日本以上に縁起物として広く認識されています。 元々、蔓が伸びる植物自体が生命力の象徴とみなされているのですが、たくさんの実をつける葡萄は特にパワフルな植物です。 たくさんの実は豊穣、多産、生命力の縁起物とされました。 |
『REGARD』 ジョージアン REGARD ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
このため葡萄は子孫繁栄だけでなく、縁結びや夫婦円満の縁起物として、ジュエリーのモチーフにも広く用いられてきたのです。 左の『REGARD』は6つの宝石で愛のメッセージを込めた上に、全面に撓わに実る葡萄があしらわれています。 お互いに尊敬できる最愛の人と夫婦として心豊かに暮らし、子孫繁栄、末代までこの幸せが続いていきますように。葡萄のモチーフからはそんな幸せな願いが伝わってきます。 |
アールヌーヴォー ゴールド・バングル サインドピース(J&K) フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
見た目が面白く美しく、縁起物でもあり、愛のメッセージを込めることもできるのが葡萄です。 |
トルコ石 ロケット・リング フランス 1830年頃 SOLD |
だからこそ、ヨーロッパのあらゆる時代で普遍のモチーフとして、愛のジュエリーで葡萄のモチーフを見ることができます。 |
1-1. 愛され続ける普遍のお酒ワイン
ハムステッドヒースでのピクニック用ワイン(ロンドン 2018.5) | みなさんはワインはお好きですか? 私は大好きです。 こだわりのない飲んべえなので美味しいお酒であればどんなものでも飲むのですが(笑)、ワインは気軽なものから高級レストランで上質なお食事をいただく場合まで、さまざまな楽しみ方ができるのが良いですよね♪ フォト日記でもご紹介した通り、アンティークジュエリー・ディーラーになって初めて買い付けのためにロンドンに渡航した際、Genにとっての始まりの地ハムステッドの商店街に立ち寄り、ついでにハムステッドヒースでピクニックした時のお供が赤ワインです。 |
ロンドンの高台に位置するハムステッドヒースの素晴らしい眺めはフォト日記でもお伝えした通りです。 左の画像でご想像いただける通り、原野なので750mlのフルボトルサイズのワインボトルが草に埋もれています。その草原に埋もれながら、ワイン片手にヨーロッパの大空を眺める楽しさ・・♪♪これは遙か昔の時代から、多くのヨーロッパの人々に楽しまれてきた楽しみ方です。 |
ジョージアの古代のワイン容器『クヴェヴリ』 "Georgian „Kvevri“ " ©А.Мухранов(27 january 2014, 21:22:20)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ワインは極めて歴史の古いお酒の1つであり、新石器時代に醸造が始まったとされています。 現在の所、ジョージアの領土で紀元前6000年〜紀元前5800年頃のワインと葡萄栽培に関する考古学的な証拠が最古のものとなります。 |
ジョージアの位置 ©google map |
フェニキア人の交易路 "PhoenicianTrade" ©Yom(2006-07-11 07:02)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ワイン文化はフェニキア人の交易路によって西方に伝わったと考えられています。 ワインは地中海全域に輸出され、旧王国時代のエジプトにも伝わっています。 |
フェニキアの時代まで遡るとされるデザインのマルタの漁船 "Malta 13 dhajsa" ©-jkb-(1985)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
その証拠は紀元前750年のフェニキアの難破船からも発見されているそうです。 左はマルタの伝統的な漁船で現代の船ですが、デザインはフェニキアの時代まで遡るとされています。頑丈で悪天候でも安定した航行ができるそうです。 なぜ船首に目が描かれているのかは『魔除けの瞳』でご説明した通りですが、神のご加護があってもたまには難破しちゃうこともありますよね。 |
ワイン杯を与えるディオニュソス(古代ギリシャ 紀元前6世紀後期) | そんな多少の苦難はものともせず、西方から伝えられたワインは各地に浸透していきました。 古代ギリシャでは葡萄酒の神様として、ディオニュソスという神も誕生しています。 |
オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある豊穣と葡萄酒、酩酊、さらに演劇の神ディオニュソスは、ゼウスの浮気で生まれた子です。 浮気相手はテーバイの王女セメレで、ヘラの嫉妬による奸計に陥り、人間は見てはならない最高神ゼウスの真の姿を目の当たりにし、まばゆい灼熱の閃光に焼かれて絶命しました。 セメレはディオニュソスを妊娠中で、まだ6ヶ月目だったそうです。恐ろしい(><) |
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ゼウスの雷光に打たれるセメレ(ギュスターヴ・モロー作 1895年) |
『ゼウス&ヘラ』 シェルカメオ ブローチ&ペンダント イギリス 1860年頃 ¥885,000-(税込10%) |
黒こげになってしまったセメレの遺体から、エルメスが胎児を取り上げ、ゼウスの大腿の中に縫い込みました。 |
『ディオニュソスの誕生』子供用とみられる小さな石棺(古代ローマ 150-160年頃)ウォルターズ美術館 "Roman - Sarcophagus Depinting the Birth og Dionysus - Walters 2333" ©Walters Art Museum(25 mars 2012 12:56)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
臨月を迎える3ヶ月後に、ゼウスの大腿から誕生したのがディオニュソスです。このためディオニュソスは『二度生まれた者』と呼ばれたりするそうですが、ツッコミどころが多い話というか何というか・・。さすがに出産直後の上のゼウスは、ちょっと大変そうです(笑) |
『エルメス』 シルバー インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前4世紀 SOLD |
エルメスがゼウスの大切な伝令神であり、腹心の部下であることは『ゼウス&ヘラ』でもご説明しましたが、ディオニュソスの誕生に際してこんなこともやっていたわけですね。 何でもできないと、一人で腹心の部下は務まらないということでしょうか。 面白いですね。 |
『英雄ヘラクレス』 エレクトラム インタリオ・リング 古代ギリシャ 紀元前5世紀 SOLD |
さて、このディオニュソスも日本での知名度は『英雄ヘラクレス』と比べると劣りますが、ゼウスと人間の子供だったヘラクレス同様、半神半人の存在として苦難の道を歩むことになります。 それは神と認められるための苦難の道でした。 |
幼児バッカス(ジョヴァンニ・ベリーニ 1505-1510年頃) | ヘラクレス同様、ヘラに妨害されながらも成長したディオニュソスは葡萄栽培やワインの製法を発見し、身に付けました。 しかしながらヘラから狂気を吹き込まれて追い出され、外の世界を狂い彷徨うことになりました。 |
女神キュベレ(古代ローマ 紀元前60年頃) "Cybele formiae" ©ChrisO(26 August 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
彷徨い歩く中、アナトリア半島のプリュギアで崇拝されていた大地母神キュベレにより狂気を解かれ、その後は自らの神性を認めさせるための信者獲得のため、世界各地を旅することになりました。 |
ディオニュソス(古代ローマ 2世紀)ルーブル美術館 "Dionysos Louvre Ma87 n2" ©Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons(2009)/Adapted/CC BY 2.5 | ギリシャやエジプト、シリアなどを放浪する中で、ディオニュソスは葡萄の栽培やワイン醸造などに関する知識を人々に伝授し、信者獲得に励みました。 |
バッカスとレオパード(ヨハン・ウィルヘルム・シュッツ作 1878年) | 地道な布教活動の結果、信者は次第に増えていきました。 ディオニュソスには踊り狂う信者や、半人半獣の自然の精霊サテュロスが付き従い、その宗教的権威と魔術・呪術によりインドに至るまで征服しました。 |
インドから勝利の凱旋で戻るディオニュソスを描いた石棺:上蓋はディオニュソスの誕生シーン (古代ローマ 190年頃) "Roman - Sarcophagus with the Triumph of Dionysus - Walters 2331 (2) " ©Walters Art Museum(20:03, 25 March 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
熱狂的な信者を獲得し、世界中にディオニュソスは自らの神性を認めさせました。さらに冥界に通じる底無しの湖に飛び込み、死んだ母セメレを冥界から救い出し、晴れて神々の仲間入りを果たしました。神となった後はヘラクレス同様、ヘラとも和解しています。 |
バッカスのフレスコ画(古代ローマ 30年頃) | この古代ギリシャの神ディオニュソスは、古代ローマの神バッカスと習合しました。 引き続きバッカスは豊穣と葡萄神、酩酊、そして演劇の神として信仰されたのです。 |
『ディオニュソスの悟り』(古代ローマ 2世紀)ディオンのディオニュソスの別荘のモザイク |
お酒好きなら容易にご想像がつく通り、ワインと演劇の神様であるディオニュソスはバッカスとして、引き続き古代ローマでも人気の神でした。だからこそ、古代ローマのモザイクやフレスコ画のモチーフとしても多々見ることができます。古代ローマの人々も、きっとたくさんワインを飲んでいたのでしょうね〜♪ |
宴の様子を描いたフレスコ画(ポンペイ遺跡) | 何しろ『ディアナ』の通史でもご紹介した通り、古代ローマには居酒屋までありましたからね〜。 時を超えて発見されたポンペイ遺跡の居酒屋のメニューには、「お客様へ、私どもはキッチンに鶏、魚、豚、孔雀などを用意してあります」と残っていました。 現代人以上に豊かな生活を送っていたのかなと、羨ましく感じます。 |
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483-565年) | そんな古代ローマの豊かな文化や暮らしも、同じく『ディアナ』の通史でご紹介した通りキリスト教の普及と共に終わりを遂げました。 古来の多神教であるギリシャ神話やローマ神話は、キリスト教から『異端』として迫害されていったのです。 |
『最後の晩餐』(ホアン・ド・ヨアネス 1562年頃) |
でも、葡萄酒を飲む習慣はなくなりませんでした。最後の晩餐でイエスが賛美の祈りの後、パンを"自分の体"、葡萄酒を"自分の血"として弟子たちに与え、「これを私の記念として行え」と命じたのです。最後の晩餐を描いた上の絵でイエスが手に持つ、ペラペラの円盤状の物体はパンです。 |
正教会の聖体礼儀で使われる聖パン(プロスフォラ) "29-prosphore" ©Waelsch(09:14, 4 January 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
カトリック教会、聖公会、および一部プロテスタントで用いられる無発酵パン(ホスチア) "Hostia i komunikanty" ©Patnac(27 July 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ご存じの通りキリスト教も一枚岩ではなく様々な教派に分かれており、細かい部分にはそれぞれ違いがありますが、イエスの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式ではパンや葡萄酒が用いられます。『聖餐』、『聖体の秘跡』、『聖体祭儀』、『聖餐式』、『聖体礼儀』などと呼ばれ、時代や教派によってその捉え方に違いはあるものの、キリスト教の中では聖餐は常に礼拝儀式の核となるものでした。 |
ベネディクト16世によるミサの司式 "BentoXVI-51-11052007 (frag)" ©Fabio Pozzebom/ABr(11 May 2007)/Adapted/CC BY 3.0 BR |
カトリック教会では、古代から現代に至るまで毎日絶えることなくミサが続けられています。 聖体の秘跡、つまりパンと葡萄酒がイエスの体と血に変わること(聖体変化)と、それを信徒が分かち合うこと(聖体拝領)こそがミサの中心です。 |
ワインのテイスティングをする食料保管係の修道士(フランス 13世紀後期) | このように、キリスト教で葡萄酒は聖餐式の重要な道具となったため、中世ヨーロッパでブドウ栽培とワイン醸造をキリスト教の僧院が主導するようになったのです。 但しこの時代はまだワインは儀礼として飲むものとされ、むやみやたらに飲んで酩酊することは罪とされていました。 |
ブルゴーニュワインの葡萄園 "Weinberg Cote de Nuits" ©Steefan Bauer, http://www.ferras.at(7 August 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
中世後期になるとワインは日常の飲み物として広まるようになっていました。12世紀のイタリアでは良いワインの選び方や、ワインと健康に関する考察がなされた医学書『サレルノ養生訓』も著されています。ブルゴーニュワインが銘酒として有名になったのもこの頃からです。 |
『ワイングラスを持つ幸せなバイオリン奏者』(ヘラルト・ファン・ホントホルスト作 1624年頃) | ルネサンスの時代以降は、娯楽としての飲酒が発展しました。 17世紀後半には醸造や保存の技術、瓶の製造技術も向上し、ワインの生産と流通が飛躍的に拡大しました。 |
大量のワインのコルク | 醸造が始まって以降、古代から絶えることなく現代まで愛され続ける普遍のお酒。 それがワインなのです。 |
1-2. エレガントなお酒ワインと王侯貴族
『カプリコーンと戦うライオン』 メソポタミア文明のシリンダー型インタリオ シュメール 紀元前2900年頃 SOLD |
ヨーロッパで古くから愛飲されてきたお酒として、ビールもあります。 紀元前5000年頃に、シュメールで世界初となるビール醸造技術が確立されました。 紀元前3000年代初期に、ビールはワインと共に古代エジプトに伝わったとされています。 |
ビールを受け取った旨を記した粘土板(シュメール 紀元前2050年) | ビールの方が醸造が比較的簡単だったため、この古代エジプト、古代メソポタミア、古代ペルシャを含む古代オリエント地域ではビールは日常消費用、ワインは高級品として飲み分けられていました。 |
『シグネット・リング』 エジプト-フェニキア様式 リング フェニキア 紀元前8世紀頃 SOLD |
その後、フェニキア人によってワインは古代ギリシャにも伝わるのですが、この頃は水割りにして飲まれていました。 |
『草原の芸術』 ゴールド イヤリング スキタイ 紀元前8世紀〜紀元前3世紀 SOLD |
原酒のまま飲む行為は野蛮とされていたからです。 これは当時の古代ギリシャの上流階級が、ギリシャ北方に住むスラヴ系の祖先であるスキタイの原酒を飲む習慣を忌み嫌っていたからだとされています。 |
古代ギリシャ彫刻 | |
ミラノのクーロス(古代ギリシャ 紀元前530年頃)フィレンツェの考古学博物館 "Museo archeologico di Firenze, Kouros di Milani 530 a.c. 2" ©Sailko(2006)/Adapted/CC BY 2.5 |
ミロのヴィーナス(アンティオキアのアレクサンドロス 紀元前130-紀元前100年頃)ルーブル美術館 |
ちなみに古代ギリシャと言えば、古い年代の彫刻では『アルカイックスマイル』と言われる独特の表情があります。しかしながら、ヘレニズム後期は表情が無くなっていきます。「人間的感情を公で出すのは野蛮である。」と考えるようになったからです。 |
『古代ギリシャの尊貴』 インタリオ:古代ギリシャ ヘレニズム シャンク:18世紀 SOLD |
原酒飲酒も野蛮、感情を表に出すのも野蛮。 "野蛮"なことが嫌いではない私としては「ちょっと厳し過ぎやしませんか?(笑)」と思いつつも、この野蛮を嫌う古代ギリシャの上流階級の圧倒的な美意識の高さが、ヨーロッパ美術の原点とも言える優れた芸術文化を生み出したのかもしれませんね。 |
『黄金の輝きの中に浮かび上がるディオニュソスの杖』 ガーネット インタリオリング 古代ローマ 200年頃 SOLD |
さらに地中海沿岸から古代ローマに伝えられたワインは、帝国の拡大に伴い内陸部などにも水割り文化と共に伝わっていきました。 |
『葡萄酒を作るバッカス』 ストーンカメオ ルース 古代ローマ 1世紀 or イタリア 17世紀 SOLD |
実はこの時代のワインはまだ醸造技術が高くなく、葡萄果汁が濃縮されてかなり甘い上にアルコール度数はそれほど高くありませんでした。 それが古代ローマに於いて製造技術が格段に進歩し、現代の製法の基礎が確立されました。 |
『無限の飲酒を可能にする壺』 アメジスト インタリオ ルース 古代ローマ 1世紀 SOLD |
葡萄果汁に含まれる糖分がかなりの割合でアルコールに転化され、これによってワインをストレートで飲む大酒飲みが増えていったのです。 |
イギリス王チャールズ1世とクロムウェルの兵士たち |
遺伝的にお酒に弱い人が一定の割合で存在する日本人と異なり、欧米人はアルコールをたくさん飲むことができますが、酔っ払わないわけではありませんし、アルコール依存症になる人も存在します。アルコールはカッコ良くいただくことができればエレガントですし、お酒に飲まれてしまえばただの下品な人ですね。 |
グランドツアー | 大陸に馬鹿にされぬよう、エレガントなマナーと教養を身に付けるために17世紀から始まったイギリス貴族の子弟によるグランドツアーですが、もちろんお酒についてもいろいろ学んできたようです。 |
フランスの娼婦の誘惑から逃げるイギリス貴族の若者 【引用】『グランド・ツアー』(本城靖久著 1983年)中央新書688, p95 |
十代かせいぜい二十代前半の若者が、イギリス貴族の莫大な財力を持っての海外長期旅行なのでやることも派手です。 特にまず最初に訪れるメインの目的地パリでやることはハチャメチャです。 1770年に60万人と推定されたパリ人口のうち、売春婦は2万とも4万とも推定されており、18世紀のフランスは『売春婦の黄金時代』と称されています。 ここで女性を学び、さらに大酒も飲んでお酒も学ぶのです。 まだまだお酒の飲み方を知らない若者なので、食卓では最後にはグデングデンになるまで酔っ払い、下品に底抜けに騒ぎ、窓ガラスを壊し、しかも非常にしばしば、当然のむくいのように骨折してしまいます。 |
イギリス紳士のクラブ『ディレッタンティ協会』 | 旅の恥はかき捨て(笑) こうして海外でお酒の限度や女性を知った若者たちは、イギリスに帰国後、紳士としてエレガントにふるまうのです。 お酒はコミュニケーションツールにもなります。 社交界で生きる王侯貴族にとって、お酒のたしなみや教養は必須なのです。 |
シャトー・ラフィット・ロートシルト 1999年 | ちなみにワイン好きの方だと、このシャトー・ラフィット・ロートシルトもご存じでしょうか。 ボルドーワインで、メドック地区に4つある第一級格付けワインの中でもしばしばその筆頭に挙げられるくらい著名なワインです。 ロートシルトは、ロスチャイルドのドイツ語風の読みです。このワインも古くから王侯貴族とのかかわりがあります。 |
太陽王ルイ14世(1638-1715年)の晩餐会 |
ヨーロッパの辺境の田舎だったイギリスから、貴族の子弟たちがエレガントなマナーを身につけるために赴いていたのが、革命前の大都会パリでした。世界の貴族の流行・文化の中心地だったフランス宮廷では、当時ギュイエンヌ(ボルドーの旧州名)は田舎というイメージがあり、専らブルゴーニュワインが愛飲されていたそうです。 |
フランス1の美男と言われていたルイ15世(1710-1774年) | 知性と美貌を兼ね備えた公娼ポンパドゥール夫人(1721-1764年) | |
パリが華やかなりし時代、愛妾ポンパドゥール夫人はワインでフランス王ルイ15世の関心を買おうと、ブルゴーニュの高名な葡萄畑を手に入れようとしました。1760年のことでした。 |
ブルゴーニュのロマネ・コンティの葡萄園 |
この畑は後にロマネ・コンティと呼ばれるのですが、残念ながらコンティ公ルイ・フランソワ1世に競り負けてしまいました。ちなみにこの畑を見るとブルゴーニュも十分に田舎に見えるのですが、田舎か都会かが重視されるなんて、当時のパリ社交界がなんとなく想像できますね。 |
シャトー・ラフィット・ロートシルトの敷地 | それはさておき、事の顛末を見ていたギュイエンヌ総督のリシュリュー男爵マレシャルが、代わりにラフィットをポンパドゥール夫人に勧めました。 |
ヴェルサイユ宮殿旧城 "Versailles Palace" ©Eric Pouhier(February 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
ラフィットを大いに気に入った夫人はヴェルサイユ宮殿での晩餐会で必ず飲むようになり、それをきっかけにボルドーワインが宮廷で脚光を浴びるようになったのです。中でもラフィットは『王のワイン』として名声を得ることになりました。 |
父マイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812年) | イギリス担当の三男ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(1777-1836年) | フランス担当の五男ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド(1792-1868年) |
時代は下り、1868年にシャトー・ラフィットはジャコブ・マイエール・ド・ロチルドの手に渡りました。フランスのロスチャイルド家の祖で、『ジョージアンの女王』で触れた通りイギリスの金価格暴騰でも活躍したネイサン・メイアー・ロスチャイルドの弟です。 |
シャトー・ラフィット・ロートシルト "Chateau Lafite-Rothschild ©PA(2 August 2014, 26:13:34)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
シャトー・ラフィットを手に入れた3ヶ月後に五男ジャコブは亡くなるのですが、シャトーは『シャトー・ラフィット・ロートシルト』と改名され、ヨーロッパでワインの需要が拡大した19世紀後半にかけてこのメドック地区は好景気に沸きました。 |
イギリスのロスチャイルドの邸宅ワデズドンマナー | フォト日記『ロスチャイルドのお城(3)』でイギリスのロスチャイルドの邸宅にあった、ワインのボトルで作られたパイナップルのオブジェがあったことをご紹介しました。 お城の正面、道の両側に見える2つの大きなオブジェです。 |
パイナップルのオブジェのワインボトル | これを見たときは最初、安っぽい廃品アートかと思いましたが(バカですみません)、ロスチャイルド家がシャトーを保有していることを知っていれば盛大にお金がかかったアートということがすぐに分かります。 これを見て、背景に潜む真の意味が理解できるかどうかを試される、貴族らしいさりげない自慢かつ分からぬ物は排除される、恐ろしいアートです(笑) |
ロスチャイルドの邸宅の地下のワインセラー |
城の地下にはワインセラーや談話室があります。ロスチャイルド家はマイアー・アムシェル・ロートシルトの5人の息子たちがヨーロッパ各国に散り、全土に強力な情報網を築き上げたことで巨大財閥へと発展しました。フランスのロスチャイルドのシャトーで作られたワインをここで存分に楽しむことも多々あったことでしょう。 |
ロスチャイルドの邸宅の地下のワインセラー |
今はこの城はナショナルトラストの管理下にあり、お土産品としてロスチャイルドのワインも買えるようになっています。そのお陰で海外の一般人に過ぎない私でも、こうして地下室まで見学することができるのですが、昔は葡萄酒の神様バッカスのご加護の中、限られた身分の人たちだけでこの場所でワインを楽しんでいたのでしょう、羨ましい(笑)このように、王侯貴族とワインは非常に密接な関係にもあったのです。 |
1-3. 教養があるとより楽しいワインの世界
古典的搾汁方法 "Must" ©Nicubunu(20 October 2012, 15:58:44)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ここまでのご説明からもご想像いただける通り、ワインに関する知識は多岐にわたります。 切り口も様々です。 だからこそソムリエの勉強も奥が深く、魅了される人が多い世界なのかもしれませんね。 知識だけでなく自然を楽しみ、その恵みに感謝しながら楽しむワインの面白さは格別です。 |
domaine tettaの葡萄園 | 岡山で植樹した葡萄の苗 | |
サラリーマン時代に岡山に赴任していた時、ご縁があって県北にあるワイナリーの植樹祭に参加させていただいたことがありました。新見市哲多町のワイナリーなのですが、この地区はワイン用の葡萄栽培に適した石灰質の土地で、寒暖差も激しいブルゴーニュに似た特徴を持つ地域なのでワイナリーに向いているのだそうです。 |
岡山のワイナリーで作業後にいただいたランチ&ワイン | 泥だらけで作業した後は広〜い青空の下、みんなで様々なワインを好きなだけ飲みながら食事と会話を楽しみます。 この時は4種類の苗を植えました。 品種だけでなく、ブレンドによってもワインとしての出来上がりが異なるので、本格的にワインをマスターしようとするとかなり大変そうだということだけは理解しました(笑) 奥深い世界だからこそ、知的好奇心が高い人たちの心をくすぐるのでしょうね。 |
山梨のワイナリーの葡萄園 | 俄然ワインに興味を持った私は「次は秋の収穫祭に行かなくては!」と意気込んでいたのですが、この年の夏に関東に戻る辞令が出てしまい、岡山のワイナリーの収穫祭には行けなくなってしまいました(TT) でも、そのことを岡山出身で東京在住のワイン大好きな友人に語ったところ、「最近ソムリエ・スクールに通っていて、先生のコネクションで10月初旬に山梨のワイナリーの収穫祭に参加するから一緒に行く?」との願ってもない提案が!♪ 引っ越しの荷物も片付けきらぬまま参加したのでした。 山梨のワイナリーの葡萄園も、撓わに実った葡萄が壮観です! |
山梨のワイナリーで収穫した葡萄 | 収穫作業後のランチ | |
緑に囲まれての心地よい労働の後は、撓わに実る葡萄の棚の下でランチです。日本だと農業を下に見る方もいらっしゃったりするのですが、実際のところは何が美味しいか、どうやったら楽しいか、人生の楽しみ方を分かってらっしゃる方も農業従事者の方には少なくありません。ソムリエ・スクールの先生が結構有力な方だったようで、このランチはワイナリーのオーナーの奥様が手作りで用意して下さったものです。オシャレでしかも美味しい♪ |
緑色のゴム長靴を着用したハディントン伯爵 【引用】田中亮三著「英国貴族の暮らし」p.59 |
イギリスは基本的には農業国で、大地主である貴族にとって農地は大切な存在です。 左は緑色のゴム長靴を履いたハディントン伯爵です。 ゴム長靴を履いた姿は、今朝田舎の所領の牧草地や農地から戻ってきたという雰囲気を漂わせ、いかにも貴族という趣があります。 日本人がヨーロッパの貴族を想像する場合、革命前のフランスのキャッキャうふふな感じだけを思い浮かべる方の方が多いと思います。 でも実際の所、イギリス貴族に関してはこのように真に良いものが何かを分かった、堅実な暮らし方をしている人の方が多いのです。 民衆に尊敬され、自然を愛し、文化的にも豊かな生活を送る。 イギリスの場合はワイナリーではなくても、農地での豊かな実りをワイン片手に外で楽しむこともあったと思います。 |
山梨のワイナリーの試飲室 | 一方で、王侯貴族はお城の地下にワインセラーを持つことも普通にあったようですが、山梨のワイナリーにもオーナーが肝いりで作った特別な試飲ルームがありました。 さすがソムリエ・スクール主催の収穫祭なので、飲み比べと知識的なことを学ぶ時間がありました。 友人は大学時代にイギリスに留学し、滞在中はヨーロッパを何カ国も回り、帰国後は外資系で働くグローバルエリートの才女なので、通うソムリエ・スクールもなかなかレベルが高いようです! む、難しいっ! |
ワインのもろみ | ワインのもろみもいただきました。 加熱して発酵を止めていないものなので、ワイナリーの中でしか飲めません。 面白いのが、このワインの発酵の繊細さです。 作った年代で味や香りが異なるのは、年によって収穫される葡萄の質も違うので当然だと思えます。 しかしながら同じ年、同じ品種、同じタイミングで作って寝かせたとしても、隣り合う樽でも味や香りが微妙に異なるとオーナーは言うのです。 そしてその違いは寝かせる時間が長くなるほど大きくなっていくという・・。 |
ワインのテイスティング "Tempranillowine" ©Mick Stephenson mixpix(20:28, 2 April 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 確かに飲み比べると、わずかな違いではありますが、私のような素人でも分かるくらい味や香りに違いがあって驚きました。 単品でバラバラに出されると見分けられる自信はありませんが、優秀なソムリエの方だときっとはっきり分かるのでしょうね。 |
ディレッタンティ協会(1777-1779年頃) | 左は考古学と古美術の研究を深耕し、さらに新たな芸術を創造するためのイギリスの紳士クラブ『ディレッタンティ協会』です。 開かれた書物とワイン片手に、様々なことを談義する様子でしょうか。 彼らが興味を持つ古代でも葡萄酒は愛飲され、その神様も信仰されてきました。 ワインに関する様々な教養がきっと彼らの談義を高尚なものとし、人生をより豊かなものとしたことでしょう。 |
1-4. 楽しいワインモチーフのジュエリー
『バッカスを称える酒宴で踊るバッカンテ』 コーネリアン インタリオ フランス 18世紀後期 2,2cm×1,5cm SOLD |
古代の作品を収集するだけでなく、このように新たな作品も作られています。 これは葡萄酒の神バッカスの巫女、バッカンテを彫った18世紀のインタリオです。お酒の力による恍惚の中、薄布をまとって妖艶に踊る巫女の表現が見事です。 2,2cm×1,5cmという、リングサイズの非常に小さなインタリオとは思えない見事な表現力の彫りです。 |
『バッカンテ』 ストーンカメオ ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
これはそのバッカンテのストーンカメオです。 髪に撓わに実が実った葡萄の蔓が巻き付いているのが特徴です。 四角形という、まるでフォトフレームのような形状の、巻き付いた葡萄の蔓と葉をダイヤモンドで表現したフレームが素晴らしい作品です。 かなり高級なものとして作られたことは間違いありません。 |
収穫した葡萄のペンダント&ブローチ フランス 1910年頃 SOLD |
これは収穫した葡萄がバスケットに入れられ、運搬のための担ぎ棒まであしらわれた作品です。 これは単なるワイン好きと言うよりは、シャトーを持っていた人の物のように感じます。 |
『バッカス』 シェルカメオ ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
これはバッカスの浅黒い肌を、シェルの天然の色で見事に表現した驚くほどアーティスティックなカメオです。 頭には葡萄の蔓の冠があしらわれています。 単なる愛のモチーフと違い、ワイン関連の葡萄モチーフはアーティスティックなデザインや手の込んだ高価で上質な作りのものが多く、とっても楽しいのです。 こういう宝物を特別にオーダーし、愛した人たちの人となりが伝わってくるようです♪ |
そしてこれもおそらく、ワインモチーフの宝物なのです。 |
2. リージェンシーならではの優れたデザイン
2-1. リージェンシー・ジュエリーの特徴
これはリージェンシーらしい、魅力溢れる宝物です。 リージェンシーとは1つの年代のことですが、あまり聞いたことはないかもしれません。 ジョージアンの中にある特定の期間になります。 |
晩年のジョージ3世(1738-1820年)79歳頃 | 摂政王太子時代のジョージ4世(1762-1830年)52歳頃 | |
リージェンシーは、狭義にはイギリスでジョージ4世が摂政王太子だった時代を言います。ヴィクトリア女王に次いで長い在位期間を誇るイギリス王ジョージ三世ですが、晩年は精神疾患に煩わされて政治的には不能の状態に陥っていました。このため、摂政法が成立した1811年からジョージ3世が崩御する1820年まで、ジョージ4世が摂政王太子として統治していました。この1811〜1820年の期間をリージェンシーと言います。 |
プリンス・オブ・ウェールズ時代のイギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃 | 『ダイヤモンドの原石』でもご説明した通り、ジョージ4世は金遣いの荒い、でもイギリス1のジェントルマンと言われるほど教養と優れたセンスを持つ人物でした。 ファッションリーダーに合わせてジュエリーの流行も変化します。 古い時代のファッションリーダーは国王夫妻です。国王夫妻が主導するファッションの最先端を周りの王侯貴族が取り入れ、タイムラグを経て民衆まで伝わり、やがては流行遅れとなって廃れていくのです。 ヴィクトリア女王夫妻は非常に真面目な性格で、台頭してきた中産階級の見本となるように努めたため、芸術的な観点からはあまり面白い流行が生み出されませんでした。 しかしながらセンスの良い遊び人、ジョージ4世が国のトップとしてファッションリーダーとなったこのリージェンシーは、芸術的に見るとかなり優れたものが生み出されています。 |
もう1つのリージェンシーのジュエリーの特徴として、少ない金の量と、優れた金細工ということが挙げられます。 詳しくは『ジョージアンの女王』でご説明していますが、1789年に起こったフランス革命の影響でイギリスの金価格は18世紀末頃からじわじわ上昇をし始め、1808年からは急速に上昇し始めました。 金価格の高騰に対処するため、1810年には地金委員会が組織されたほどです。 |
ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(1777-1836年) | 「非常に高名な大陸の商人」で慎み深い某氏と記録される、おそらくネイサン・メイアー・ロスチャイルドも証人として参加しています。 その後も聴聞会や公開検討が重ねられ、決め手となる金兌換性が完全復活となったのは1821年のことです その後もすぐに金価格が下がったわけではなく、しばらくは金価格は高値にありましたが、1808〜1821年は間違いなく金が高い期間でした。 リージェンシーは1811〜1820年でほぼこの期間と重なっており、金が極端に高い時代だったのです。 |
『PEACE』 |
1814年にイギリス軍と連合軍に包囲されて、ナポレオンのフランス軍が守るパリが陥落、ナポレオンはエルバ島に追放されました。 圧倒的な勝利を収めたイギリスでは国民の喜びが最高潮に達し、ロンドンのバーリントンハウスでウォテイエ卿主催の盛大な戦勝記念の祝賀会が催されました。 そのような年に、摂政王太子ジョージ4世からウォテイエ卿に贈られたとみられるのが、宝石言葉で『PEACE』が記されたこのブローチです。秘密のメッセージや少ない金、素晴らしい金細工はまさにリージェンシージュエリーの特徴です。 この歴史的に見ても特別な宝物のページには、リージェンシーについてもGenがご説明しているので、ご興味がある方はぜひご覧ください。 |
鮮やかな濃いピンクのルビーを彫刻した一輪挿しの薔薇の蓋を開けると、香水の香りが・・。 ブローチとしてデザインが美しいだけでなく、使うシーンも美しい。 これもリージェンシーらしい宝物です。 |
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『一輪挿しの薔薇』 香水瓶 ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
これは上蓋が開く、ヴィネグレットのリングです。 ヴィクトリアン中期頃からは産業革命によって台頭してきた中産階級の需要が高まり、ヘリテイジでは扱わないクラスのジュエリーの割合も多くなってくるのですが、この時代はジュエリー自体がまだ王侯貴族のためだけのものでした。 このためお金がかかっているだけでなく、社交界で使うための優雅でセンスの良い宝物の割合が高いのです。その中でもこのように傑出して優れているものはとびきり素晴らしいのです。 |
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ヴィネグレットのリング イギリス 1820年頃 SOLD |
フランスのルイ・アントワーヌ王太子妃マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス(1778-1851年)1817年 | フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの長子マリー・テレーズは、まだ幼い10歳の時に起こったフランス革命によって苦難の人生を送った人物です。 革命下の少女時代には、フランスで筆舌し難い、精神的にもあまりにも残虐な経験を重ねたマリー・テレーズですが、その後の亡命生活ではイギリスにも渡っています。 イギリス王ジョージ3世に引き続き、ジョージ4世も亡命中のフランスの王室や延臣たちに安全な場所を提供し続け、亡命王室に多額の手当を出し、フランス亡命貴族に愛を持って接したそうです。 1812年には摂政王太子ジョージ4世は盛大なパーティを催してそのフランスの王侯貴族たちを楽しませました。 舞踏会の際には、栄誉ある王太子の右隣にはマリー・テレーズを座らせ、彼女はもちろん王太子を気に入ったそうです。 |
王の富と権力の象徴『パイナップル』 スリーカラー・ゴールド フォブシール イギリス 1820年頃 SOLD |
『南国の花々』 フォーカラー・ゴールド フォブシール イギリス 1811-1820年頃 SOLD |
ロッククリスタルの至極のフォブシール イギリス 1811-1820年頃 SOLD |
フォブシールについても、デザインセンスも独特で極めて良いものが高い割合で存在するのがリージェンシーの特徴です。基本的にはどの年代でも、王侯貴族が様々なものをオーダーするのは流行の中心地として存在したパリでした。しかしながらGenが過去にご紹介した通り、1800〜1830年にかけてイギリスで作られた家具はリージェンシー・スタイルの家具としてフランスでも大人気だったほど、エレガントで美しいデザインのものでした。 ジョージアンに作られたジュエリーは素晴らしい作りのものが多いですが、その中でもリージェンシー・ジュエリーは、デザイン的に特別な魅力を放つものが多く存在する特別な年代なのです。 左の『パイナップル』なんかは、いかにもリージェンシーらしいです。この頃のパイナップルは王の富と権力を象徴するほどの贅沢な果物で、1821年のジョージ4世の戴冠式の晩餐ではパイナップルが饗されたことも知られています。 |
少ない金と極上の金細工、そしてセンスの良さを感じる優れたデザインこそがリージェンシー・ジュエリーの特徴であり魅力です。 |
2-2. ワイン樽のモチーフ
これはクラスプとして作られたパーツと考えられます。 中にコルクなどを詰めて使っていた可能性があるようですが、コルクは劣化するので現代までは残っておらず、具体的にどのようにして使っていたのかは不明です。 |
でも、このようにチェーンやシルクコードなどを通してオシャレなペンダントとして使うことができます。組紐を使ってループタイのようにすることも可能かもしれません。 |
結局、本当はどのようにして使っていたのか謎なのですが、樽型の形状と巻き付く葡萄の蔓を見て連想するのはワイン樽です。 |
閉じた形状のワイン樽と違って、黄金だけで作られたこの特別なワイン樽からは無限のワインが出てきそうです♪♪どんな人物がこんな面白いモチーフをオーダーしたのでしょうね。 |
ソムリエ資格認定バッジ 【引用】一般社団法人日本ソムリエ協会HP |
ソムリエバッジはこのように葡萄がモチーフです。ジュエリーではないので、安い素材と安い作りです(そのせいで簡単に偽造できるため偽造品も出回って問題になっているようですが・・)。あくまでも資格認定バッジなので量産品です。これを見ればソムリエの資格を持つ人物かどうかはすぐに分かりますね。 |
ワインにまつわるジュエリーやアクセサリーだと、ソムリエバッジのような葡萄そのものより、ボトルやグラスをモチーフにしたものが現代では多いようです。 |
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【参考】ワイン好きをPRする現代のアクセサリー |
【参考】ワイン好きをPRする現代のアクセサリー | |
「I love wine.」 「ワインが好きなの」とPRして、一杯目的は分からなくもないのですが、ワインにこれは似つかわしくありません。 私が男性だったら、ちょっとこんなあからさまなPRは引いてしまいそうです。しかも安っぽいので高級なお酒は一緒に飲む気にはなれませんし、知的な会話が盛り上がる気配も感じられません。 現代ジュエリー全般に言えることですが、着けない方がまだマシと思います。安っぽいジュエリーを着けていると、着用した人物まで安っぽく見えます。 |
そして、より知的度が高いのがこのワイン樽シェイプのジュエリーです。 分かりやすい葡萄だけのモチーフより、はるかに高い教養と洞察力が試されます。 |
ロスチャイルドのワインボトル | 一般的な方だとワインと言えばボトルを思い浮かべるだけの方が多いと思います。 ワイン樽を結びつけるなんて、よほどの飲んべえかシャトー関係者、もしくは飲食業界の関係者など、ちょっと特別な人たちなはずなのです。 |
初代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポール(1676-1745年)56歳頃 | 現代ではなく、もっと昔の時代に注目してみましょう。 これは『イギリス最初の首相』とされる初代オーフォード伯爵ロバート・ウォールポールです。 このイギリスの首相ウォールポールがもともと愛飲していたのが王のワイン、ボルドーのラフィットでした。 ワイン好きの首相は3ヶ月ごとにラフィット1樽を空けていたそうです。 普通サイズのワインボトルに換算すると300本、つまり単純計算で1日に3本は空けていたということです。 |
知り合いのイギリス人男性も平気で1日に2本空けたりするそうですが、毎日3本空けるのはかなりの大酒飲みですね。ディナーの1回で消費するのではなく、ランチとディナーで分けて飲むのかもしれませんが、それでも3本は多い気が・・。まあ、だから話が残っているのでしょうね(笑) お酒に弱い人が多い日本人と違って健康には影響なかったらしく、ウォルポールは65歳で第一大蔵卿を退任するまで現役でしたし、68歳まで生きています。 |
ビーヴァー城 "Belvoir Castle" ©Jerry Gunner from Lincoln, UK(18 January 2011, 13:48)/Adapted/CC BY 2.0 |
1人で1年に4つもワイン樽を空けるのもすごいですが、王侯貴族の家であればワインの大量消費はごく当たり前のことでした。上はラトランド公爵の邸宅、ビーヴァー城です。イギリス貴族の爵位は5つで、最上位である公爵は王族がなるような地位にあるのでお城も豪華ですね。 このビーヴァー城の1839年の記録が残っています。12月から翌年の2月にかけてのうち8週間で、ワイン200ダース、ビール70樽(1樽1万2,500リットル)、蝋燭2,330本、灯火用鯨油630ガロン、公爵のテーブルで食事した人数1,997名、スチュアード(執政、宮宰、家宰、家令に相当)2,421名、その他1万1,312名。パン3,333斤、肉2万2,963ポンド、公爵と友人がシューティングして食事として供された雉子2,589羽だそうです。 これだけ見ても、イギリスの王侯貴族はただのちょっとしたお金持ちなどとは全くわけが違うことがご想像いただけると思います。ワイン200ダースは2,400本。1樽300本で計算すると、8樽に相当します。約2ヶ月ですごい消費量ですね。これくらい消費するような王侯貴族の家であれば、樽買いも十分にあり得ます。 |
無類のワイン好きの貴族のものだったのか、それともシャトーをも保有するような貴族のものだったのか。 いずれにせよ、現代の安っぽいワイン・ジュエリーとは全く異なる、ワイン樽というひねりがあって面白いモチーフのワイン・ジュエリーと言えます。 それは持ち主がジョージアンという古い時代のイギリス貴族であり、さらにリージェンシーという特殊な時代に作られたからに他なりません。 |
3. リージェンシーの優れた金細工
3-1. 樽型の立体造形
この宝物は金が極端に高価だった、19世紀初期ならではの優れた金細工が見所です。 |
まず独特なのが、薄い金の板で作った曲率のある中心部分に、撚り線を駆使して造形した樽型の形状です。細いゴールドの線を撚って作る撚り線は、古代から存在する金細工です。 |
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『RAMS HEAD』 イギリス 1870年頃 |
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繊細な撚り線は単独では強度は出せず、通常は装飾の一種として使われます。 土台に蝋付けして模様を描いたり縁取りなどをし、荘厳な黄金の輝きを楽しむために使います。 |
しかしながらこの宝物は、撚り線単独で樽型のシェイプの一部を造形するという、驚くべき発想の転換で作られているのです。 |
繊細に見える細工にもかかわらず、およそ200年の時を経ても潰れたりした箇所がないことも驚きです。 これは撚り線を連結させた輪の構造的な強度に加えて、撚り線自体にも十分に強度があるからこそです。 |
ワイヤーを細くする原理 "Wiredrawing" ©Eyrian (talk I contribs)(05:32, 26 January 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
撚り線で使う金線は、まず金の板を細くカットし、それを細くするための穴に通して作ります。 |
金属の細いワイヤーを作成する道具 Public Domain |
徐々に通す穴の径を小さくしていくことでワイヤーを細くしていきます。均一な力とスピード、方向で引っ張らなくてはならないので、手作業で行うのは非常に手間はかかりますが、鋳造の金属製品と違って強度を出すことが可能です。 |
『スタイリッシュ・ゴールド』 15ctゴールド ロングチェーン イギリス 1880年頃 SOLD |
さらに金位をコントロールすることで、ゴールド自体の強度を高めていると推測します。 ゴールドについては『スタイリッシュ・ゴールド』で詳しくご説明しました。 フランスのゴールドジュエリーは基本的に18ctばかりで面白みに欠ける場合が多いのですが、イギリスは金位を自在に操り、18ct では実現不可能なジュエリーを生み出しています。 |
例えば、強度的にどうしても弱い18ctゴールドでは実現不可能な構造を持つジュエリーです。 リージェンシーのこの宝物の精密な金属検査はしていませんが、おそらく特別な割金によって強度を出していると考えられます。 構造自体は18ctでも作ることは可能ですが、200年もの使用に耐える強度は達成できず、このようなコンディションは保てなかったでしょう。 |
撚り線でこのような形状を作ろうという発想自体が驚くべきことで、だからこそこの宝物には、他の宝物にはない構造的な面白さも感じることができるのです。 |
3-2. 粒金による立体的な葡萄
胴体に巻き付いた葡萄の蔓に撓わに実る葡萄の表現も、さすがリージェンシー・ジュエリーと思える見事なものです。 |
粒金で作られたこの葡萄の房が、他の宝物で表現された葡萄よりさらに本物の葡萄らしく見えるのには理由があります。 よ〜く見ると、葡萄に使われている粒金の大きさが少しずつ異なることがお分かり頂けますでしょうか。 |
このように、土台に密着させた粒金は少し大きく、上に乗せた粒金は径が小さなものが意図的に使用されています。
大きさの違う粒金をわざわざ作って揃えるだけでも、驚くべき手間のかけようです。 |
また、葡萄の実同士がべっちょりとくっついておらず、1つ1つしっかりと粒状になっていることも驚くべきことです。 葡萄は粒金を蝋付けして作られています。 蝋付けが甘いと、1つ1つの粒は粒状に独立することができますが、一方で強度がないので200年もの使用に耐えることができず脱落してしまいます。 強度を保とうとがっつり蝋付けしてしまうと、粒が融着してのっぺりした葡萄になってしまいます。 |
トルコ石 ロケット・リング フランス 1830年頃 ペルシャ産トルコ石、18ctゴールド SOLD |
このリングは細工も優れた高価なものとして作られたジョージアンのリングです。 今回の宝物と同じように粒金で葡萄が表現されていますが、粒金は全て同じ大きさですし、リングはジュエリーの中でも特に過酷な使用に耐える必要があるため、かなりしっかり蝋付けされています。このため、粒金は落ちてはいないものの、ややべっちょりした感じになっています。 |
もう1点、同じように粒金で葡萄を表現したペンダントがあります。 これも、REGARDペンダントの中ではかなりハイクラスのものとして作られたもので、ジョージアンならではの優れた金細工が見所でした。 葡萄を見ると、これも全て同じ大きさの粒金が使用されています。 |
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『REGARD』 ジョージアン REGARD ロケット・ペンダント イギリス 1820年頃 SOLD |
ペンダントなのでリングほど強度が必要ではなく、葡萄の実1粒1粒が際立っている造形は見事です。 蝋付けの際の熱伝導を考えると、こういう粒金細工は一体どうやって実現させたのか不思議でなりません。 それこそ職人の勘と経験など、才能に基づく神技的な技術によるものなのでしょう。 |
『REGARD』はハートシェイプの外周に規則正しい間隔で施された粒金細工もポイントです。 この外周の素晴らしい粒金細工も際立たせるために、あえて葡萄の粒も全て同じ大きさの粒金で揃えたのでしょう。 規則正しさが醸し出す雰囲気が、この宝物の魅力でもあるのです。 |
蝋付けは金と金を溶接する技術です。約1000度の熱で溶ける金よりも低い温度(約700度)で溶ける、金蝋(合金)を蝋付けする物同士の間に挟み、700度の熱を加えると金蝋だけが溶けて溶接出来ます。このような極小の粒金は1つだけでも正確な位置に付けるのは至難の技です。それをこうしていくつも付けようとしても、1つを付けてる間に周囲に熱が伝導し、先に付けた粒金がずれたり外れたりしてしまうので普通なら出来る訳が無いのです。 粒金を蝋付けして葡萄を表現する細工はそれほど難しい細工であるため、古い年代の特別なジュエリーでしか見ることがありません。それくらい難易度が高い細工なのです。その中でも、この宝物の粒金の葡萄は特に優れていると言えます。 |
3-3. 葡萄の葉を惹き立たせるカラーゴールド
葡萄の房だけでなく、カラーゴールドを駆使した葉の表現も見事です。グリーンゴールドはカラーゴールドの中でも色を出すのが難しい色とされていますが、下地のイエローゴールドとは明らかに違いを認識できるグリーンカラーが、葉っぱをより葉っぱらしく見せてくれます。 |
葉っぱの造形も見事なものです、いかにも自然の葉っぱらしい形です。丸みを帯びた下地の形状に、きちんと寄り添ってしっかり蝋付けされているのも素晴らしいです。 |
葉っぱの端の部分もなだらかな形状に整えられており、いかにも作り物のような不自然さが感じられません。この複雑なギザギザの葉の形状をなだらかに整えるのも地味に手間と高度な技術がかかるはずですが、一切の手抜きは感じられません。触ったときにもひっかかりがなく滑らかな理由です。 |
グリーンゴールドだけでも、工房や職人ごとの門外不出のレシピによる高度な技術ですが、それだけに頼らない葡萄の葉の表現がさすがリージェンシーのハイジュエリーと言えます。 |
3-4. 黄金の輝きのバリエーション
この黄金だけで作られた宝物は、ゴールドの輝きの巧みな表現分けも見事です。 |
まず胴体部分に注目すると、地の部分に地模様があります。格子模様を彫金し、滑らかに磨き上げることで格子の角をとって優雅な輝きを出せるようにしてあります。この胴体部分は丸みを帯びた環状になっているため、どの角度から見ても曲面になっており、複雑で荘厳な輝きが感じられます。 |
葉はほどよく艶のあるマットな質感に仕上げられています。一方で葡萄の実は瑞々しさを表現するように艶やかな粒金が使われています。蔓も艶やかに仕上げられており、生命の躍動感が強く感じられます。 |
撚り線やカンティーユは滑らかな金線が複雑に編まれているからこその、繊細な黄金の輝きを放ちます。 |
このカンティーユは、金線を曲げてU字型にしたパーツを1つずつ蝋付けする細工です。 葡萄の粒金ほどではないにしても、高度な蝋付けの技術と相当な手間がかかる細工です。だから19世紀中期以降になると、例外的な物を除いて姿を消していったのです。 |
樽型で360度に細工を施してあるため、こんな手間のかかるカンティーユが24個も付けられていることには驚きます。 また、カンティーユの中央にセットされた円形の金のパーツがフラットなのも特徴的で初めて見ました。 |
『エトルリアに想いを馳せて』 エトラスカン・スタイル ブレスレット イギリス 1870年頃 SOLD |
通常、カンティーユの中央にセットされるのはこのように球形の粒金です。 |
この画像をご覧いただくと、作者の意図したことが分かっていただきやすいと思います。カンティーユの中央のゴールドのパーツがフラットなので、いつでも同じような輝きを放つ球状のゴールドと異なり、特定の角度でキラッと強い黄金の輝きを放つことができるのです。これはこの宝物ならではの輝きの表現であり、撚り線で作った樽型の形状と言い、随所に独創的なアイデアが光る宝物だと感じます。 |
樽の一番上と下の金の輪の縁には、均一にミルのような細かい縦線が入っています。きめ細かな黄金の輝きが全体に高級感を添えています。 |
ミルのような繊細に輝く部分との対比も美しいです。 |
ゴールドだけでできているにも関わらず、形状の面白さとカラーゴールド、そして輝きの見事なコントロールによってこれだけアーティスティックなジュエリーに仕上げていることが素晴らしいです。 360度の造形は細工の手間が2倍どころか、3倍にも4倍にもなりますが、それを実現させているのもジョージアンのハイジュエリーならではと言えます。 |
現代ジュエリーは本当にオモチャですね。でも、オモチャのくせにジュエリーとして、ジュエリー価格で販売されているからヘンテコなのです。 同じ、「ゴールドだけを使ったジュエリー」の範疇に分類されるだなんて信じられません。悪夢です・・。 |
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【参考】現代のワインモチーフのゴールドジュエリー |
ワインは奥深い世界です。 このリージェンシーの特別な宝物は、歴史的にも、ワイン作りの技術的にも、文化的にも、あらゆる面からワインに興味を持ち、深く理解し、愛して下さる方にこそ楽しんでいただけるジュエリーだと思います♪ |
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紐に通してお使いいただくのも楽しそうです。日本の組紐なども高級感があって良いかもしれません。 撮影に使用しているのはベージュの太めのシルクコードです。ご希望の場合は、108cmの長さのものをサービス致します。 |
アトリエにあった、太めのゴールドチェーンも相性が良かったです。15ctゴールドで45.4cm、バレルクラスプとさらにセーフティ・チェーンまで付いた、作りの良いハンドメイドのチェーンです。単品でも使えるくらい存在感があるゴールド・チェーンです。ハンドメイドならではの、中空で軽い付け心地のチェーンです。スライダー・ペンダントをお求めいただける場合は、別売致します。恐れ入りますが、チェーン単体での販売は致しておりません。 |