No.00283 摩天楼 |
『摩天楼』 イギリス 1930年頃 |
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バウハウスによって旧来のクラシカルなヨーロッパ・デザインに革新が起き、インターナショナル・デザインが生み出された後の時代ならではの、モダン・アート的な美しさを持つブローチです。 かつて見たこともない、大型の透明なロッククリスタルの独創的な使い方、建築家がデザインしたかのようなアーキテクチャ的な構造デザイン、驚くほど魅力的なシンチレーションと虹色のファイアを放つオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、20世紀の革新的素材プラチナを使ってのジョージアンを彷彿とさせるようなオールドスタイルのダイヤモンドのセッティング。 |
この宝物のポイント
1. ロッククリスタルを使った異例のデザイン 2. 摩天楼フィーバーに生まれた特別な作品 3. 見事な造形 4. アンティークジュエリーの最終形 |
1. ロッククリスタルを使った異例のデザイン
1-1. 稀少性が高い大型で美しい天然水晶
この宝物は大型のロッククリスタル(天然水晶)を使った、これまでに見たことのない感動的な作品です。 もしかすると一般の方には分かりにくいかもしれません。 アンティークの宝物の価値を分かっている人ほど、驚き感動する作品なのです。 現在では世界で見ても最長クラスの経験年数を誇る、この道44年のGenもこの宝物を一目見て心を撃ち抜かれていました。 |
『情愛の鳥』 卵形天然真珠 ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
実は今回の宝物も、『情愛の鳥』と同じディーラーさんから買い付けました。特別クラスの作品はここからしか出てこないとGenも信頼する、ロンドンの最高のディーラーさんです。 |
イギリスには様々なディーラーがおり、それぞれ得意な分野が異なります。ジャンクまがいの安物専門ディーラーもいれば、派手で高く売りやすい成金的なものが専門だったり、一般性が高くて売りやすいけどつまらないデザインのものが専門だったり、実に多種多様です。 そのようないくらでも存在する、特別ではないジュエリーはある意味誰でも扱うことができると言えます。しかしながらごく僅かしか存在しない、コンテストジュエリー・クラスの芸術作品としても第一級と言える作品を扱えるディーラーは世界的に見ても殆どいません。 |
フォト日記『ロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナー』(2018.5) |
そんなプライドを持って仕事をするイギリス人ディーラーだからこそ、私が初めてディーラーとしてロンドンに渡航した際、「この仕事をするならば、まずは王侯貴族がどのようなものなのか文化に触れないと!」と、わざわざ車をとばしてロスチャイルドの邸宅まで連れて行ってくれたのです。当時はまだ文化について知識は薄く、必要性も強くは感じていなかったのですが、今思うと本当に良い体験をさせていただきました。私のマニアックすぎる内容のカタログは、このディーラーさんの影響が強いです。 |
『ライア(竪琴)』 天然真珠 ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
なぜこのディーラーさんがここまでイギリスの貴族文化を大切に想い、プライドを持って仕事をしているかと言うと、やはり出自がバックグラウンドにあるようです。 髪の毛には見えない美しく編まれたブロンドヘアが印象的だった『ライア』もそこから出たものでした。 髪の毛を編むヘアワークについて説明してくれたのですが、そのディーラーの母親も良家の子女が通う学校で実際に編んでいたそうです。 |
糸車とフランスの若い女性(Juste Chevillet&Johann Casper Heilmann 1762年) | 裁縫やヘアワークなどの手習いは、貴族の若い女性の教育における重要な要素の1つでした。 ヘアワークでは櫛でとかした髪を使うそうです。 |
こういう驚くほど豪華な裁縫箱などの道具を見ると、王侯貴族の女性たちにとっての手習いの大切さが伝わってきますね。 |
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ドイツ?(1760年頃) | ドイツ?(1740-1750年頃) | |
ロスチャイルド家が所蔵していたマザーオブパールと黄金の裁縫箱 |
髪の毛を糸に紡ぐための糸車 (イタリアのサルディーニャ国王御用達の糸車メーカーPietro Piffeti製 1740-1750年) V&A美術館 |
糸紡ぎ体験(岡山高島屋 2014.8) | 私も岡山高島屋の伝統工芸展で、絹の糸紡ぎ体験をやったことがあります。 体験中の、海から上がって来た妖怪みたいなのが私です。天然パーマなので髪の毛オバケみたいになっています(笑) この糸紡ぎはヨーロッパのものと似た原理だと思うのでが、均一に紡ぐのはかなり難しかったです。 ちなみに私が扱っているのは庶民が商業的に生産するための糸紡ぎ機なので、デザインは簡素ですね。 |
髪の毛を紡ぐための蒔絵の糸車(フランス 1750-1770年) ヴィクトリア&アルバート美術館 | ヨーロッパの王侯貴族が手習いで使用するための糸紡ぎ機は本当に豪華です。 ヨーロッパの王侯貴族の持ち物は、ジュエリーのみならず小物のすべてに到るまで美意識が行き届き、お金と技術がかけられています。 |
6歳頃のGenと家族(左:父、中:Gen、右:継母)1953年 | 米沢の骨董屋の3代目として生まれ、小さい頃から古き良き物に囲まれて暮らしていたGenにとって、日常で使う道具にすら行き届く美意識は至極当然のものでした。 お手伝いさんたちがいて、皆で御膳で食事するのが当たり前で育ったそうです。 そのイギリス人ディーラーも国は違えど、Genと同じように美意識がごく当たり前に育つ環境で育ったのでしょう。 類は友を呼ぶのか、いずれにせよ同じレベルで仕事ができるディーラーがイギリスにいるのはとてもラッキーなことですね。 イギリスの上流階級らしく、フランス語にも精通しているそうです。 |
『音楽の捧げ物』 エナメルの楽譜のゴールド ペン イギリス 1820年頃 SOLD |
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だからジュエリーだけでなく、『音楽の捧げ物』のように素晴らしい小物も扱うことができます。これはコンテストが活発に開催されるようになる以前、ジョージアンの宝物なので貴族のオーダー品と推測しますが、コンテスト出展品レベルの傑出した作品です。 |
そして今回の宝物・・。 これも間違いなくコンテストジュエリーです。 この宝物を紹介してくれたディーラーはアンティークジュエリーの中心地ロンドンで、長年世界中のディーラーを相手にしているディーラーです。 これまでに見て来た数、扱って来た数は、最終顧客の皆さまを相手にする私たちの比ではありません。 |
そのディーラーが、あまりにも感動してしばらく誰にも見せずに隠し持っていたというのがこの宝物です。普通、特にディーラーのためのディーラーは扱う数が多いので品物を回転させないといけないので、これは異例中の異例のことです。でも、その気持ちはよ〜く理解できます。真に芸術を理解し、アンティークジュエリーとしての稀少価値も正確に理解できる人ほど心を奪われる宝物。それがこのロッククリスタルの作品です。 |
私たちが驚くポイントはいくつかあるのですが、まずは素材としては二度と手に入らないのではと思える、大型で美しい極上のロッククリスタルです。 天然水晶であるロッククリスタルは、天然では六角柱状の自形結晶として美しい結晶は得られます。 つまりこの作品を作ろうとすると、どういう切り出し方をするかには依りますが、直径5.6cm以上の天然水晶、もしくは直径3.4cmで透明な領域の長さが4.4cm以上、或いは直径4.4cmで透明な領域の長さが3.4cm以上という、かなり大型で上質な石が必要となるのです。 |
『アール・クレール』 ハート型ロッククリスタル ロケット・ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
現代では溶錬水晶などの結晶化すらしていないガラス質の"水晶もどき"が広く出回っているため、天然水晶であるロッククリスタルの価値が分かりにくくなっています。 しかしながら本来、ある程度大きさのあるロッククリスタルは王侯貴族のための高価なジュエリーのメインストーンされるくらい、稀少で高価な宝石です。 大地の奥底で、長い年月をかけて少しずつ結晶が成長してできるロッククリスタルは、2cm以上の大きさになると極端に少なくなるからです。 |
石英の結晶(ブラジル産) " Quartz Brésil " ©Didier Descouens(23 January 2010)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | ロッククリスタルの成長は非常にゆっくりなもので、早くても100年かかって1mm程度しか成長しません。 しかも結晶の先端は不純物が少なく透明ですが、根元の方は不純物が多く宝石品質にはなりません。 日本でも古い時代は玻璃(はり)と呼ばれて珍重されていたのは、稀少性が高かったからです。 |
数センチもある、この大型で美しいロッククリスタルができるまでに一体どれくらいの時間がかかったことか・・。 |
1-2. ロッククリスタルを使った宝物
石英の結晶(ブラジル産)18×15×13cm " Quartz Brésil " ©Didier Descouens(2010)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ある程度サイズのあるロッククリスタルは、稀少で美しい価値ある宝石として様々な年代でハイジュエリーに用いられてきました。透明な宝石であるが故に、その活かし方も様々です。 |
1-2-1. 水晶玉(笑)
エリザベス1世(1533-1603年) | ジョン・ディー(1527年-1608または1609年) | ジョン・ディーが使用していた水晶玉(1527-1608年) " John Dee's crystal, used for clairvoyance and for curing dis Wellcome L0057562 " ©Sience Museum Group, in the United Kingdom(09:31, 17 October 2014)/Adapted/CC BY- 4.0 |
水晶玉占いが好きだったエリザベス1世の寵愛を受けていた宮廷学者・宮廷占星術師、ジョン・ディーの水晶玉です。ジュエリーというより道具ですね。水晶玉の中に見える景色で占うので、完全に透明ではなくインクリュージョンがある石を使ったようです。 |
1-2-2. 風防
『The Heneage Jewel(The Armada Jewel)』 |
『忘れな草』 ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント フランス? 18世紀後期 SOLD |
『湖の畔で』 ミニアチュール(細密画)ブローチ イギリス 1780年頃 SOLD |
同じくイングランド女王エリザベス一世の時代のジュエリーにも、ロッククリスタルの風防を使った作品があります。非晶質のガラスと異なり、結晶であるロッククリスタルはモース硬度も高く傷がつきにくいという特徴や、結晶の上質な部分であれば透明度が高く歪みもないという利点があります。非常に高価な中身を守るための、高価な風防として古くからロッククリスタルが使用されていました。19世紀中期以降の比較的新しい時代になると、見られなくなっていきます。 |
1-2-3.ロケット
『アールクレール(透明な芸術)』 イギリス 1870年頃 SOLD |
ロッククリスタル ロケットペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
『アール・クレール』 イギリス 1900年頃 SOLD |
王侯貴族の気品とセンスを特徴付けるジュエリーとして、透明感を楽しむロッククリスタルのロケットが上流階級の中で流行した時代もありました。台頭して来た中産階級が成金的なジュエリーを好んで着けた反動として、教養やセンスがないと価値が理解できない"分かりにくい良いもの"を、王侯貴族が特に日常で好んで身に着けたレイト・ヴィクトリアンのハイジュエリーらしい宝物です。 |
1-2-4.彫り物系
1-2-4-1.リバースインタリオ×金箔工芸
1-2-4-2.フォブシール
1-2-4-3. エセックスクリスタル
1-2-4-4. リバースインタリオ
1-2-5. フロステッドクリスタル
1-2-6.透明なロッククリスタルの造形を楽しむジュエリー
長いアンティークジュエリーの歴史を見ても、このようにロッククリスタルの透明な造形自体を純粋に楽しむジュエリーは他にはありません。 |
風防 | ロケット | フォブシール | エセックスクリスタル |
どの使い方も、ロッククリスタルは"材料"や"素材"として使用されています。 | |||
リバースインタリオ | フロステッドクリスタル |
右のタイプのジュエリーはロッククリスタルの造形自体を楽しむスタイルですが、潔いほど純粋にロッククリスタルの透明感を生かしている今回の宝物とは全く思想が異なっています。半透明なフロステッドクリスタルにすることで、ロッククリスタルに"明らかな存在感"が生まれ、全く別物となっているのです。それぞれに魅力があるのですが、今回の宝物のあまりにも潔い、飛び抜けた唯一無二の美しさには驚きと感動を隠せません!! |
1-3. ロッククリスタル産業とジュエリーの関係
前項では様々なロッククリスタルの宝物をご紹介しましたが、20世紀に入ってから比較的大型のロッククリスタルを使ったジュエリーが花開いています。実はこれは産業界と関係があります。 |
1-3-1.ジュエリー業界と産業界の関連
『ウラルの秘宝』 1.71ctのウラル産デマントイドガーネット リング イギリス 1880年頃 SOLD |
アンティークジュエリー好きの方には有名かつ人気の高いデマントイドガーネットですが、実はデマントイドガーネットを採掘しようとして採取されていたわけではありません。 |
ウラル山脈から採掘されたプラチナ "Platinum-41654" ©Robert M. Lavinsky, iRoks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ウラル産デマントイドガーネット(ボン鉱物博物館) "Demantoid bobrowa mineralogisches museum bonn" ©Elke Wetzig(Elya)(15 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
それによって1745年に金鉱床が発見され、1747年以来採掘が行われています。 また、1819年には『新しいシベリアの金属』としてプラチナが発見されました。この時に発見されたプラチナは岩石中に少量が含まれるだけでしたが、1824年末に大きな鉱床が発見されると1825年から本格的に採掘が開始されました。 デマントイドガーネットは、この金やプラチナを採掘する際のオマケ的に得られていました。 |
希少性を保ちつつ、金になる大きな石がそこそこ採れればビジネスとしては美味しく、継続が可能です。 でも、稀少過ぎたり採掘コストがかかり過ぎて赤字だと、専門的に採掘活動をするのは不可能です。 故にデマントイドは金やプラチナを採掘する時のオマケとして得られていたのです。 |
実はロッククリスタルにも同じようなことが当てはまります。 |
1-3-2.圧電性の発見とロッククリスタルの産業利用
世界初の市販クォーツ式腕時計『アストロン』(1969年) "Seiko Astron" ©Deutsches-uhrenmuseum(6 June 2016, 16:20:09)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | 現代では百均でも販売されているので、一定の年齢以下の方には『クォーツ式腕時計』に高級なイメージは全くないでしょう。 しかしながら、少し前までクォーツ式腕時計は憧れの高級品であり、ステータス・アイテムの1つでした。 このクォーツ時計の"正確に時を刻む"メカニズムの元となっているのが『水晶振動子』です。 |
水晶振動子の中身 | 水晶振動子は水晶の圧電効果を利用し、高い周波数精度の発振を起こす際に用いる受容素子の1つです。 水晶は圧電体で、結晶に電圧を加えると変形するという性質があります。 この性質を利用したものが水晶振動子です。 |
後ろ左:ポール・ジャック・キュリー(1855-1941年)、後ろ右:弟のピエール・キュリー(1859-1906年)、手前は両親 | 1880年にフランスの物理学者ポール・ジャック・キュリーとピエール・キュリー兄弟によって水晶の圧電効果が発見されました。 弟のピエールは、1903年に妻のキュリー夫人とアントワーヌ・アンリ・ベクレルと共に放射能の研究でノーベル物理学賞も受賞した有名人ですね。 この圧電性の発見も、人類の歴史に大きな影響を与えた大発見でした。 |
中央:ポール・ランジュバン(1872-1946年)撮影1920年 | ピエール・キュリーは1906年に交通事故で亡くなりますが、彼の研究室で博士号を取得したポール・ランジュバンが圧電性を応用する研究を進めました。 第一次世界大戦中も研究が進められ、1916年と1917年に静電法と薄いロッククリスタルを使用した超音波潜水探知機の特許をアメリカで申請しました。 ちなみに左の写真の中央がランジュバンですが、一番左にいるのはアルバート・アインシュタインです。 科学と戦争が結びつきを強めた、帝国主義から世界大戦にかけての時代を感じますね。 |
初代ネルソンのラザフォード男爵アーネスト・ラザフォード(1871-1937年)撮影1905年 "Ernest Rutherford 1905" ©Unknown, published in 1939 in Rutherford : being the life and letters of the Rt. Hon. Lord Rutherford, O. M(1905)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
そんな時代なので世界の中心、大英帝国でももちろん同様の研究が秘密裏に行われていました。1916年に、アーネスト・ラザフォード卿が潜水艦を検出するための水晶の圧電検出器を開発中であることを明らかにしています。 『原子物理学の父』と言われる物理学者・化学者であるラザフォードもかなり有名人なので、高校で物理を学んだ方ならば名前は聞いたことがあるでしょうか。1908年にノーベル化学賞を受賞し、1914年にジョージ5世からナイトの勲位を授与され、1931年には初代ネルソンのラザフォード男爵に叙せられた人物です。 |
ニュージーランドのブライトウォーターにある若いラザフォード像 | そう聞くとエリートのように聞こえますが、元々は農家出身でした。 父はスコットランド出身の農夫で、移住先のニュージーランドのネルソンに近いブライトウォーターで、12人兄弟の第4子として生まれています。 そこから初代男爵に至るなんて、いかに優秀な実績を残したのかが伝わってきますね。 中学校に通い、1882年に奨学金審査に合格して名門ネルソン・カレッジに進学したそうです・ |
21歳のアーネスト・ラザフォード(1871-1937年) "Ernest Rutherford 1892" ©Unknown, published in 1939 in Rutherford : being the life and letters of the Rt. Hon. Lord Rutherford, O. M(1892)/Adapted/CC BY 4.0 |
1890年に受験した奨学金審査では惜しくも2位だったそうですが、1位の人物が奨学金の受け取りを辞退したため、繰り上げでラザフォードが合格しました。 この時ラザフォードは実家で芋掘りをしており、合格の知らせを聞いて「これが生涯最後の芋掘りだ!」と叫んだとも言われています。 その後はニュージーランド大学カンタベリー・カレッジに進学し、在学中に電波検知器も作っています。 様々な実績を重ねて農家出身の彼が男爵位の授与に至るのですが、慈愛に満ちたラザフォードによって教え子たちも大きな成果を上げていきました。 |
初代ネルソンのラザフォード男爵アーネスト・ラザフォード(1871-1937年) | ラザフォードは長身で風格があり、夏のビーチでもジャケットを脱がない英国紳士でした。 自分で財界から寄付を募って研究所の予算を四倍にまで伸ばし、若い研究所員たちを「息子たち(Boys)」と呼び、日本物理学会初代委員長となった清水武雄教授も含めて世界中から逸材が集まりました。 教え子の1人、チャドウィックもラザフォードが1920年に存在を予言した中性子を1932年に発見し、ノーベル物理学賞を受賞しています。 ラザフォード男爵、写真で見ても、いかにもイギリス紳士らしいカッコいい感じですね。 |
物理学者ヘンリー・モーズリー(1887-1915年)26歳頃 | ただ、イギリス紳士たちがカッコ良すぎるのも考えもので、ラザフォードお気に入りの教え子の1人だったヘンリー・モーズリーは第一次世界大戦が始まると家族や友人の反対を押し切って出征し、オスマン帝国の狙撃兵に頭部を撃ち抜かれて戦死しています。 まだ27歳でした。 周期表を発明し、未発見の原子を予測した業績は大きく、早すぎる死がなければノーベル賞の受賞は間違いなかったと言われています(ノーベル賞が受賞できるのは生者のみ)。 |
物理学者ヘンリー・モーズリー(1887-1915年) | モーズリーの死を受けて以降、イギリスや他国の政府は自国の科学者が戦闘に従事することを禁ずるようになったと言われています。 また、この死によってイギリスは原子物理の一線から退いたとも言われています。 |
第一次世界大戦にはイギリス貴族も多数出征して犠牲になっています。イギリス貴族は死を恐れず勇敢に最前線に出てしまうので、割合で見ると庶民以上に多く犠牲になったと言われています。 ノブレス・オブリージュの精神と勇敢なのは素晴らしいことですが、イギリス貴族は男系長子の一子相伝です。大戦によって爵位を持つ貴族本人のみならず、家督を継ぐはずの息子たちも全員戦死し、爵位を継ぐ者がいなくなってしまった家も少なくありませんでした。あまりにも多いので特例で叔父や従兄弟が継ぐなどで爵位は継承されはしたのですが、爵位を継ぐことを前提で育てられた者とそうでない者にはれっきとした違いがあります。 |
アンシャンレジームを風刺した絵(1789年) | フランスの貴族文化は庶民を顧みず身勝手な贅沢のしすぎで、市民の革命によって18世紀末に終わりを遂げました。 一方でイギリスの貴族文化は遅れて20世紀初頭、ノブレスオブリージュの精神によって衰退し、第二次世界大戦後には終わりを遂げてしまいました。 なんだか国ごとの特徴がすごく反映されていて興味深いですね。 イギリス貴族がその素晴らしい精神が原因で衰退してしまったのは寂しく感じますが、きっと本望だったでしょうね。もう一度同じ歴史に向き合った場合でも、彼らはきっと同じ道を選ぶだろうなと思います。 フランスは相変わらずイエローベストやら年金改革で騒いでいて、お国柄や国民性ってあるんですね。とりあえず日本人の私としては、「他人の振り見て我が振り直せ」と自戒するのみです。 |
ピエール・キュリーが初代ケルヴィン男爵に贈ったキュリー圧電バランス装置(1893年) "Piezoelectric balance presented by Pierre Curie to Lord Kelvin, Hunterian Museum, Glasgow " ©Stephencdickson(16 March 2018, 15:39:10)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | さて、このように1880年にキュリー兄弟によってロッククリスタルの圧電性が発見されて以降、各国の優秀な頭脳によって様々な研究開発が進みました。 圧電性はクォーツ時計のみならず、無線通信技術や計測機器など様々なエレクトロニクス分野で応用される性質です。 帝国主義うずまく世界情勢の中で、各国が競うように研究開発したのは当然の流れです。 |
100kHzの水晶振動子(アメリカ 1929年)国立標準局(現在はアメリカ国立標準技術研究所 NIST) | 1921年にはアメリカの物理学者であり電気技術者のウォルター・ガイトン・キャディによって最初の水晶振動子が開発されました。 |
左:古いクォーツ時計(スイス 第二次世界大戦後) "MIH-film27jpg whitebalance" ©Rama, Bajsejohannes(20 June 2009, 21:25)/Adapted/CC BY-SA 2.0 FR |
1923年にイギリス国立物理学研究所のデヴィッド・ウィリアム・ダイとベル研究所のウォーレン・マリソンによって水晶振動子を使った精確な時間測定が行われ、1927年にはベル研究所で最初のクォーツ時計が作成されました。 ただし当時は技術的な制約のため、タンス並みのサイズがありました。 このため、利用は研究期間や放送局に限られていました。 しかしながら原子時計に取って代わられるまでの1930年代から1960年代の間、アメリカ国立標準局が標準時を定める際に、水晶振動子を使った時計が使用されていました。 |
ベル研究所の初期の水晶振動子モデル "Crystal Units Frequency Standard Oscillator XO VCXO OCXO TCXO Bell Labs AT&T Vectron " ©Winstrol(2 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1920年代から1930年代にかけて高周波数安定性基準用の水晶振動子が開発され、1926年までには多くのラジオ局で水晶振動子が周波数を制御するために使用されました。同時にアマチュア無線でも人気が出ました。多くの企業がエレクトロニクス用途の水晶振動子の生産に参入し、1939年にはアメリカだけで約10万個の水晶振動子が生産されています。 |
石英の結晶(ブラジル産) " Quartz Brésil " ©Didier Descouens(2010)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | 水晶振動子には質の良いロッククリスタルが必要ですが、適合する材料の唯一の供給源がブラジルでした。 第二次世界大戦が始まると、精確な周波数の制御を必要とする軍用の無線やレーダー用途の需要が高まりましたが、ブラジルからの供給が中断したことで、各国が商業レベルでの石英合成を熱心に研究するようになりました。 |
オートクレーブで生成された合成石英結晶(ウェスタン・エレクトリック 1959年) | 大型の結晶を合成するのは困難を極め、1948年頃にようやく3.8cmほどの合成石英が成功しました。 1970年代以降は、電子産業で使用される石英はほぼ全て合成石英です。 合成とは言っても、石英ガラス(溶融ガラス)と比べればかなり高価です。 |
溶融石英は、珪砂(そこら辺でいくらでも採れる砂利)を溶かし、不純物を除去して冷やし固めるだけでできます。だから安価です。結晶構造は持っておらず、非晶質のガラスなので柔らかいです。 ホウ酸を混ぜて耐熱性や硬質性を付与することもあり、パイレックスが有名です。実験用ガラス器具の他、調理器具などにも広く使われています。現代の水晶玉も溶融石英でできた安価なものが結構出回っていますが、パワーなんてあるんですかね(笑) |
水熱合成法による人工水晶 19.2×2.8cm "Quartz synthese" ©Didier Descouens(4 August 2013)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
エレクトロニクスに使用する水晶の場合は、結晶構造を持たなければなりません。結晶構造を持つ合成水晶は、水酸化ナトリウムに天然水晶を溶かし、高温高圧の環境下1日1mm以下の成長速度で100日から200日かけて作られます。これだけ作るのに時間がかかるからこそ、原料コストは安くても高価になるわけですね。まあでも大自然の中で100年で1mm以下しか成長しないロッククリスタルと比べれば3万6500倍は成長が早いですが・・。 |
現代のクォーツ時計に使用される音叉型の水晶振動子 | この技術革新のお陰で、水晶振動子が安価に大量生産できるようになりました。 腕時計、時計、ラジオ、無線通信、コンピューター、携帯電話などの一般デバイスの他、カウンターや信号発生器、オシロスコープなどの測定機器など、現代でも広く使用されており、年間20億以上の水晶振動子が製造されています。 |
1-3-3.科学と上流階級
キュリー圧電補償器 "Top view of Curie piezo electric compensator! ©Dougsim(30 May 2019, 12:19:32)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | これらのことを踏まえると、1880年にキュリー兄弟によって圧電性が発見されて以降、研究開発のために上質なロッククリスタルの需要は高まっていったことが推測できます。 特に応用技術が確立し、戦争などによって需要が急拡大したとみられる1920年代頃からは、たくさんのロッククリスタルがブラジルで採掘されたでしょう。 現代でこそ小型化が進み、大きくなくても上質であれば事足りますが、テクノロジーが進化する以前はある程度の大きさも必要でした。 |
ピエール・キュリーが初代ケルヴィン男爵に贈ったキュリー圧電バランス装置(1893年) "Piezoelectric balance presented by Pierre Curie to Lord Kelvin, Hunterian Museum, Glasgow " ©Stephencdickson(16 March 2018, 15:39:10)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | ロッククリスタルを使用した、この圧電バランス装置はフランスのノーベル物理学賞受賞者のピエール・キュリーが、イギリスの初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソンに贈ったものです。 |
ピエール・キュリー(1859-1906年)1906年頃 | 初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン(1824-1907年) |
ウィリアム・トムソンはケルヴィン男爵の初代であることからもお分かりいただける通り、本人の功績でイギリス貴族になった人物です。父はスコットランド系アイルランド人の農家の生まれでしたが、教師として働く傍ら独学(!)でグラスゴー大学に入学し、ベルファスト大学の教授になりました。トムソンは兄と共に父から家庭で教育を受けましたが、幼い頃から神童ぶりを発揮していたトムソンはわずか10歳でグラスゴー大学への入学を許可されました。1841年からはケンブリッジ大学で学び、4年後に次席で卒業しています。1846年には22歳の若さでグラスゴー大学の教授になりました。 |
初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン像 | 神童が大人になっても凡人になることなく80代まで活躍したので、実績も無数に存在します。 1866年に大西洋横断電信ケーブルの敷設に成功し、この功績によってナイトに叙せられました。 1883年にはイギリス王立協会によって1731年に創立された、科学業績に対して贈られる最も歴史の古い賞コプリ・メダルを受賞しています。 1892年に初代ケルヴィン男爵に叙せられました。 1896年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章を授けられました。 1902年には創設時の12人の1人として、メリット勲位を授けられています。軍事での功績、または科学、芸術、文学等の文化振興、もしくは公共の福祉への後見があった人物にイギリスの君主から授けられるものです。 |
初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン(1824-1907年) | 古い時代だと武功が最も評価されるイメージですが、この時代は科学技術の功績がどれだけ高く評価されていたのか伝わってきますね。 |
第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937年)とガラパゴスゾウガメのペットロトゥマちゃん(150歳以上) | 第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドも本業であるはずの銀行業そっちのけで、動物学者として活動していました。 のめり込みすぎて、動物を養うお金を莫大なお金を用立てるために父である初代ロスチャイルド男爵に無断で保険金をかけたほどでした(笑) |
ミリアム・ロスチャイルド(1908-2005年) | 男性だけしか科学オタクにはならないのかというとそうでもなく、ウォルター・ロスチャイルドの弟チャールドとその娘ミリアムも動物学研究への造詣が深く、ノミの研究では権威です。
無知故に勘違いしている日本人も少なくありませんが、貴族の家に生まれた女性でも、少女向けのお伽話に出てくるお姫様のようにいつでもキャッキャウフフと浮かれて社交ばかり勤しんでいたわけではないのです。 |
社交界デビューのセレモニーを待つ若い王侯貴族の女性たち(イギリス 19世紀) |
女性の社交界デビューは16歳前後、おそくとも20歳までにはデビューしますが、然るべき教養とマナー、プロトコルを身に付けていなければ家の恥になるので絶対にデビューさせません。社交のシーズンも3回目ともなると、10代であっても『売れ残り』と見なされてしまう世界です。 学術の評価が特に高く、その功績で爵位を与えられる男性もいた、知的なことが特にホットだった時代。知識階級も兼ねる、この時代のホットな貴族の男性にモテることができたのは、他ならぬ一緒に知的な会話を弾ませることができた知性な女性だったはずです。ミリアムさんは知的な上に美人でもあるので、モテたでしょうね〜。 |
ロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナーのバードケージ フォト日記より |
当時、学術が王侯貴族にとって"地味な趣味"ではなく"知的でホットなもの"だったであろうことは、ロスチャイルドのカントリーハウスを見ても分かります。ロスチャイルドのワデズドンマナーは豪華なお城自体も凄いのですが、その裏にあるバードケージも実に豪華なものでした。 |
様々な南国の鳥が飼われ、ロスチャイルドの名前が付いた鳥もいました。 1911年に発見された当時、有名な動物学者だったウォルター・ロスチャイルドにちなんで学名が付けられたそうです。 当時は学術的な功績が、社交界で自慢に値するステータス・アイテムの一種だったということでしょう。 当然、それは王侯貴族が使うジュエリーにも文化として反映されたはずです。 |
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ロスチャイルドの九官鳥(カンムリシロムク) |
1-3-4.ロッククリスタルと上流階級
キュリー圧電補償器 "Top view of Curie piezo electric compensator! ©Dougsim(30 May 2019, 12:19:32)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ロッククリスタル ロケットペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
圧電性というロッククリスタルの驚くべき性質に学術界で注目が高まった19世紀後期あたりから、上流階級の間でも"驚くべき性質を秘めた、テクノロジーを進化させ未来を作る魔法のクリスタル"として注目されたであろうロッククリスタル。 この頃から、ロッククリスタルを使った王侯貴族のための、様々な透明で美しいクリスタル・ロケットが作られています。 |
SPRの主な歴代会長リスト 【引用】『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』心霊現象研究協会 2021年2月27日(土) 00:27 UTC |
19世紀後期はスピリチュアルが流行し、水晶玉占いなども再び脚光を浴びました。 この時期には『心霊現象研究協会』も創設されています。 胡散臭そうな協会ですが、この頃は歴代会長をご覧になるとお分かりいただける通り、ノーベル賞受賞の高名な学者やイギリス首相を含む有力な政治家が歴代会長に名を連ねる、上流階級らが集まるしっかりとした科学集団です。 |
『水晶玉』( トーマス・ケニントン作 1890年) | アルバート王配亡き後、ヴィクトリア女王もスピリチュアルにはまっていたというのは割と有名な話です。
だからこそ、上流階級の女性が水晶玉を持つこのような絵画も残っているわけです。 わりと大きさのある水晶玉を持っていますが、これは完全無欠の透明結晶ではなかったはずです。 |
ジョン・ディーが使用していた水晶玉(1527-1608年) " John Dee's crystal, used for clairvoyance and for curing dis Wellcome L0057562 " ©Sience Museum Group, in the United Kingdom(09:31, 17 October 2014)/Adapted/CC BY- 4.0 | 天然の結晶であるロッククリスタルだから存在する、水晶玉に見えるその水晶玉だけが持つ唯一無二のインクリュージョン。 元々はその水晶玉の中に見える景色を見て、占いを行なっていました。 |
エリザベス女王の宮廷学者・占星術士ジョン・ディー(1527年-1608または1609年) | だから個人が特別な能力を持つのではなく、特別な力を持つ特定の水晶玉を使うことで占いは成立します。 そして水晶玉が見せる景色を読み解くのは科学です。 読み解く方法を探るのは、古文書や古代の遺物などから読み解くのと同じ科学的なアプローチであり、優れた頭脳を持つ人物のみができたということです。 占いは特別な力を持つ水晶玉ありきです。それがなければ、優れた占い師がいても占いは成立しません。 |
現代はそれが逆転しています。占い師は特別な能力を持っていて、ツールはもっともらしい雰囲気が出れば何でも良いのです。 もっともらしく見せて妄信してもらい、楽して高額なお金を出させることが目的です。救いを求める人のためなんてことは全く考えていないので、ツールにお金をかけるなんて無駄なことはやりません。お金のためにやっていますから(笑) だから現代の水晶玉の大半は溶錬水晶でできています。合成水晶のように結晶化すらしていないガラス質です。だから当然ながら無色透明、景色は見えません。現代人、特に日本人は異常なほど完璧を求める傾向があるので、完全に無色透明な溶錬水晶を見ても違和感を覚えない人の方が多いかもしれません。 それに対して、「天然だからパワーあります!」と称して天然ということだけでインクリュージョンだらけの汚らしいロッククリスタルが結構な値段で販売されいる状況もあります。 |
『アール・クレール』 イギリス 1900年頃 SOLD |
ジュエリー品質ではない、インクリュージョンを含むロッククリスタルは、アンティークの時代は水晶玉などに使用されました。 天然のものであるにも関わらず、完全無欠の美しさを持つ石は、特別な能力を秘めている上に美しい石として、王侯貴族のための優れたジュエリーに好んで使われるようになったのです。 |
『キューピットとヴィーナス』 リバースインタリオ ペンダント イギリス 1920年代 SOLD |
アールデコ フロステッド・クリスタル ブローチ ヨーロッパ 1920年〜1930年頃 SOLD |
その文化が醸成し、ジュエリーの技法として大きく花開いたのがエドワーディアン頃から現れるリバースインタリオやフロステッドクリスタルと言えるでしょう。 |
1-3-5.軍事需要とロッククリスタルのジュエリー
エドワーディアン以降の宝物の等倍比 | |||
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エドワーディアン以降のロッククリスタルを使ったハイジュエリーは、ロッククリスタル自体が大型であることも特徴です。 これはひとえに産業の恩恵と言えます。 |
第一次世界大戦の重要なキーワードが科学でした。 第二次世界大戦はさらに進化し、情報が戦況を決定的に左右しています。 このため第一次世界大戦の後の時代は次に覇権を握るためにも、軍用無線機や潜水艦のソナーとしても使用される、水晶を使ったエレクトロニクス部品は超重要な戦略物資の1つでした。 |
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第二次世界大戦で米軍で使用されていた水晶発信機(アメリカ 1943年)【参照】©米軍 |
軍事利用するための水晶には高い品質が要求されます。 結晶に内部の傷や不純物は厳しくチェックされます、 結晶の方向性を見極めてからカットの方向を決めます。 |
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エレクトロニクス部材用の水晶のチェック【参照】©米軍 |
水晶の圧電効果を用いた発振回路は安定した周波数を生み出すことが可能ですが、結晶に方向性がある水晶は切り出す角度によって振動モードが大きく変化します。 このため、ただ適当に切ってそれっぽい形ができていれば良いわけではなく、水晶の結晶構造を把握した上で精密にカットする必要があるのです。 |
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水晶を切り出す様子【参照】©米軍 |
ラフカットした水晶のブロックは電位が発生するかチェックされます。 目に見えなくても、結晶レベルで欠陥がある可能性は十分にあり得ることだからです。 でも、作業はまだまだ終わりません。 |
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切り出した水晶ブロックのチェック【参照】©米軍 |
X線や調整治具を精密にカットする様子【参照】©米軍 | |
検査にパスしたら傾きを微調整できる特製の治具に固定し、X線も使って確認しながらより正確な方向性にカットしていきます。現代でもそうですが、無機質に見えても精密機器ほど、職人の勘と高度な技術を持つ特別な人がいなければ作れないものは多々あります。大企業のエレクトロニクス系の工場で研究をやっていた時代に、生産や開発の現場に携わってみて、想像以上に人間の勘や手作業に依存していたことに驚いた経験があります。ぜ〜んぶコンピューターと機械が自動で生産しているものかと思っていました。工場にはめちゃくちゃたくさん人がいます(笑) |
薄片化された水晶【参照】©米軍 | |
精密にカットしたブロックは薄片化されます。酸で化学洗浄するので、表面が侵食され白濁しています。ちなみにここでも作業終了ではありません。水晶の薄片は細かくチェックされます。偏光を当てて、部分的に結晶構造がずれていたりするものは排除されます。こういう検査も、意外と現代でも人頼りのものが多かったりするんですよね〜。 |
偏光を当てて結晶構造のズレをチェックする作業【参照】©米軍 | 大企業の新人時代の工場実習は秘匿性の高い製品を扱う工場だったので場所や内容は言えませんが、単純作業の工場のラインでは"検査"が一番辛かったです。 単純作業すぎてつまらないのに、見落とすと大変なことになるという、飽き性の私にはかなり向かない作業でした。 人間の目は未だに機械より性能が良いですし、見たものを認識して判断というのは以前として人間が有利なのです。 AIの進化は凄まじいですが、高度な判断が必要となる部分に関しては、人間が不要になるのはまだ先でしょうね。 |
薄片化された水晶【参照】©米軍 | |
合格した薄片はさらに所定の大きさにカットされます。ここまででも、めちゃくちゃ人件費がかかっていますね。しかも熟練の職人技も必要です。急にバイトで採用されたレベルではとてもできませんし、もともと一定以上の器用さを持つ人でなければ不可能な作業です。 |
カットした薄片のサイズを揃える工程【参照】©米軍 | |
一枚ずつカットした薄片を揃え、回転ノコで端部を揃えて均一なサイズにします。ネイルをしている手だったり、この作業を行なっているのはしなやかな美しい手だったり。これは1943年のアメリカ軍の記録動画からの画像ですが当時、重要な働き手として女性も軍需産業に携わっていたことが伝わってきますね。 |
厚みによって振動の周波数が変わってくるため、周波数をチェックしながらそれぞれ正しい厚さまで研磨していきます。 しっかり磨き上げては乾燥させてチェックの繰り返しです。 |
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周波数のチェック【参照】©米軍 |
厚みを微調整する工程【参照】©米軍 | |
似たような作業をやったことがありますが、忍耐強くない飽き性の私には1回だけでも難しい作業でした。パーフェクトが求められるこの作業を、集中力を保ったまま延々とやるなんて想像を絶します。でも、ここで削りすぎて微調整を失敗すればそれまでの全ての作業が水の泡です。 |
仕上げの化学洗浄を行なった後、発信機にロッククリスタルの薄片が組み込まれます。 周波数のチェックや振動テスト、落下テストが行われ、パスしたものだけが最終的に水晶発信機として完成します。 |
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耐久試験【参照】©米軍 |
どれだけ割合で不良品となっていたのか、歩留まりは分かりませんが、1つを作るためにどれだけのコストがかかっていたのか想像を絶します。 しかし無線に使用する水晶デバイスは、国の存続を左右する軍事力のキーアイテムです。 採算は度外視して生産されていたのは当然です。 |
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第二次世界大戦で米軍で使用されていた水晶発信機(アメリカ 1943年)【参照】©米軍 |
超重要鉱物だったからこそ、たくさんの原石がブラジルから採掘され、その中からエレクロトニクス部品に使用できる最高品質の石が選別されて製品化されました。 たくさんあるように見えても、この中から製品として使用できるのはごく僅かです。 このような歴史背景があり、ロッククリスタルの加工技術が格段に上がっていたこと、ジュエリーにも使えるレベルの上質な材料が調達しやすい環境にあったことがロッククリスタルのジュエリーを花開かせたのでした。 |
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ブラジルで採掘されたロッククリスタル【参照】©米軍 |
1-4. ロッククリスタルのハイエンドのアールデコ・ジュエリー
1-4-1.エドワーディアン以降のロッククリスタルのジュエリー
さて、エレクトロニクス製品のレベルに適合しなかった材料はいくらでもあるので、この時代は様々なロッククリスタルのジュエリーが作られています。 |
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ブラジルで採掘されたロッククリスタル【参照】©米軍 |
しかしその大半は作りが雑な安物か、せいぜいミドルクラス品です。 アールクレール(透明な芸術)が好きだとは言っても、Genも私もあくまでも高級品しか扱いませんから、今までこういうものは扱ったことはありません。 安物かどうかは作りで判断できますし、最終的には全ての要素を加味した総合判断が要りますが、この時代のロッククリスタルのジュエリーには関してはそのサイズも重要と言えるでしょう。 小さければ欠陥のないロッククリスタルは得やすいですし、希少価値もないので素材としては高くありません。 |
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【参考】ヴィンテージのフロステッドクリスタルのリング |
これは石コロだけを見て判断する人にはハイジュエリーに見えるかもしれませんが、ミルグレインも雑ですしフレームの作りもグチャグチャで雑です。 この時代のダイヤモンドはそこまで高級な素材ではありませんし、作りの雑さやデザインのつまらなさから言ってサファイアも時代的に天然かどうかかなり怪しいです。 加熱が当たり前のように施されるようになるのは1970年代以降ですが、合成技術は1910年に既に開発されています。 安物に相応しく、ロッククリスタルはリングサイズの小さなものです。 |
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【参考】アールデコのフロステッドクリスタルのリング |
これは特に作りが酷いので、あまり説明も必要ないでしょうか。 ロッククリスタルは小さいですし、フロスト加工も美しさがありません。 安物の特徴としては、ロッククリスタルが薄っぺらくてしかも小さいのです。 |
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【参考】アールデコのフロステッドクリスタルのリング |
エドワーディアン以降の宝物の等倍比 | ||||
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このように、同じくらいの時代のロッククリスタルを使ったジュエリーでも、安物とヘリテイジが扱うクラスの高級品とでは明らかに違います。 |
1-4-2.安物とハイジュエリーの違い
フロステッドクリスタルのジュエリー | |||||
安物 | ハイジュエリー | ||||
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まず、フロステッド加工はGenも愛する、実にアーティスティックな技法です。カクテルグラスに降りた霜の一瞬の美しさを永遠にしたかのような、心を奪われる芸術を可能とした技法です。だからハイジュエリーであれば、フロステッドクリスタルだからこそ表現できる芸術性の高いデザインが施されているものです。安物は全部同じに見えると言っても良いくらい、どれも同じようなつまらないデザインのものだらけです。しかも小さいサイズばかりです。 |
【参考】安物のフロステッドクリスタル・リング | |
面積が小さいことに加えて、安物は薄いです。 |
リングのみならず、安物はペンダントもペラペラなカットです。 | |
【参考】安物のフロステッドクリスタル・ネックレス |
アールデコ フロステッドクリスタル ブローチ ヨーロッパ 1920〜1930年頃 SOLD |
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この作品はロッククリスタルにこれだけ厚みがあります。 これだけ厚みがあるからこそ、水面に生じる波紋のような実にアーティスティックな景色を描くことができているのです。 |
『水仙』 フロステッド・クリスタル ブローチ オーストリア 1940年頃 SOLD |
このようにフロステッドクリスタルのアーティスティックなハイジュエリーは、割合的には少ないながらも稀に見ることがあるのですが、フロステッド加工のない大型のロッククリスタルを使ったエドワーディアン以降のハイジュエリーはこれまでに見たことがありません。 |
それは、フロステッド加工は結晶中の多少のアラを隠してくれますが、大型であるにも関わらず完全に透明な作品となると、材料自体が得られないからだと推測します。 だからこれ以外にはないのです。 |
ロッククリスタルのジュエリー | |||||
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これまでにお取り扱いしてきたどの宝物よりも大きなロッククリスタルを使わなければできない大きさのジュエリーを、完璧に透明なアートとして作り上げた、前代未聞の芸術作品がこのブローチなのです!!♪ |
厚みもかなりあります。 面積があり、しかもこれだけの厚みがあるロッククリスタルを手に入れるというのは相当特別なことです。 いかに特別な作品として作られたのかが、ロッククリスタルという宝石からも分かるのです。 |
2. 摩天楼フィーバーに生まれた特別な作品 → |