No.00281 ウラルの秘宝 |
多くの人を魅了してやまない魅惑の宝石ながら、大きな石はほとんど採れることのないデマントイドガーネット。 採掘された期間もたったの数十年ほどと他の宝石と比べて圧倒的に短く、幻の宝石とも言われます。今回はこの世にあるデマントイドガーネットの中で一番良い石を使ったリングに違いないと感じる、これまでの44年間で過去最大の大きさ、かつ鮮やかな色彩を持つデマントイドガーネットの宝物です。 |
『ウラルの秘宝』 |
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1ctを超える石は滅多にないと言われるほど大きな石が採れないデマントイドガーネットに於いて、1.71ctもの大きさと鮮やかで美しい色彩を両立した最上級のデマントイドを使ったリングです。 |
この宝物のポイント
1. ウラル山脈ならではの宝石の強い魅力 2. デマントイドガーネットならではの魅力 3. 最上級のデマントイド 4. 魅力ある古いカットの脇石のダイヤモンド 5. 丁寧な作り |
1. ウラル山脈ならではの宝石の強い魅力
1-1. ウラル山脈の魅力ある宝石
人間だけが作り出すことのできる、魂のこもった芸術作品と呼べるジュエリーは古のアンティークジュエリーにしか存在し得ません。Genも私もそのような宝物に高い価値を見出し、積極的にご紹介してきました。 アンティークジュエリーには細工物と宝石主体の物があります。大して価値はないもののパッと見ると高そうな宝石を使い、現代でも作ることができるような作りの宝石物は、Genも石物は嫌いと言って扱ってきませんでした。しかし、宝石主体のものでも、アンティークジュエリーならでは且つ当時も希少価値の高かった宝石を使ったジュエリーは、石自体に強い魅力があり、作りに関しても当然の如く宝石の価値に相応しいものです。 |
『神秘の光』 大珠天然真珠リング イギリス 1920年頃 天然真珠:10.0mm×10.5mm 高さ9.2mm SOLD |
そのようなジュエリーは細工物とは別に、アンティークジュエリーならではの魅力ある宝物として積極的にご紹介してきました。 その最たるものが天然真珠です。 |
古代エジプトのファラオ クレオパトラ7世(紀元前69-紀元前30年) | カットなど人の手を加えなくても、そのままで美しい天然真珠は人類との関わり合いも長く、遥か古代の時代から王侯貴族の富と権力の象徴として長く愛されてきました。 |
今回の宝物のメインストーンもアンティークジュエリーならではの石と言える、極上のウラル産デマントイドガーネットです。 |
石の多いウラル山脈 "Landscape view in Circumpolar Urals" ©ugraland from Moscow, Russia(5 July 2006)/Adapted/CC BY 2.0 |
ウラル山脈はヨーロッパ側とアジア側を分断する、ロシアを縦断する巨大山脈です。現存する最も古い山脈で、人類はまだ誕生していない、石炭紀後期に形成された古期造山帯です。新しい山脈ばかりの日本と違い、鉱物資源がたくさん眠っています。羨ましいですね〜。 ウラル山脈は、ありとあらゆる宝石が採れると言われるほどの宝石の宝庫として有名ですが、開発が始まったのは比較的新しい年代からです。 |
ロシア皇帝ピョートル1世(1672-1725年) | 古い時代のロシアは、「辺境の田舎くさい国」というイメージが国内外にありました。 現代人がイメージする大帝国となる礎を作ったのが、大帝と言われるロシア皇帝ピョートル1世です。 ウラル山脈の開発は、このピョートル大帝によって17世紀頃から推進されました。 ピョートル大帝はイギリス貴族に負けず劣らずチート的な能力を持つ人物で、wikipediaでも『活動的な筋肉労働者的な職人皇帝』と訳の分からない呼ばれ方をしています(笑) |
オランダで船大工と共に働くピョートル大帝 |
約250名の使節団を結成し、1697年3月から翌1698年8月まで、軍事・科学の専門技術などヨーロッパ文明の吸収を主な目的としてヨーロッパ各地を巡っています。ピョートル大帝本人も偽名を使って使節団員の一人として参加したそうです。2m13cmという、ロシア人の中でも飛び抜けて大男だったのでバレバレだったそうですが(笑) |
ピョートル大帝の手形 "Tsar peter's hand" ©shakko(2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 生まれつき膂力が強く、常に斧やハンマーを振るっていたために銀の皿をくるくる巻いて管にできるほどの怪力の持ち主だったそうです。 強い大男と聞くといかにも不器用で頭も弱そうそうですが(ただの偏見ですゴメンなさい!)、手先が器用でものづくりを愛好し、いろいろな物を作っています。 幅広い技術的知識を持ち、どのような技術でも素早く習得したそうです。 外科手術なんかも得意だったようです。 |
サンクトペテルブルク建設を視察するピョートル大帝 | とりあえず何でもまずは自分でやってみるタイプであり、体力・知力・感覚などにも自信があっただろうピョートル大帝は、1725年に52歳の若さで亡くなりました。 1724年11月頃、ネヴァ川河口の砂州に乗り上げた船の救出作業に参加し、真冬の海に入って以降、体調を崩して重い膀胱炎を患ってしまいました。 翌年1月28日に、泌尿系感染症から壊疽を併発したことが原因で亡くなりました。 真冬の海に入って乗り上げた船を救出だなんて、一般的に日本人が想像しそうな"キャッキャウフフなチャラい王侯貴族"や、"偉そうにして安全な場所から命令だけする王侯貴族"とは全くイメージが違いますね〜。 早めに亡くなったのは残念ですが、カッコいい!! |
即位100年を記念してサンクトペテルブルクに建立されたピョートル大帝の像(1782年) "Bronze Horseman IMG 2908" ©Deror_avu(19 June 2013, 08:17:42)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
政治や外交、ウラル山脈開発などの産業、あらゆる面でその功績は大きく、ロシアを東方の辺境国家から脱皮させました。「ロシア史は全てピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評されています。「王座の革命家」とも言われるほど大きな改革を強力に推進したため、既得権益を持っていた旧勢力からはかなり嫌われもし、その功績は今でも賛否両論がありますが、その後のロシア史に多大なる貢献をしていることは間違いありません。 |
1-1-1.ウラル山脈の資源
飛行機から撮影したウラル山脈(左側:アジア、右側:ヨーロッパ) "ウラル山脈" ©衛兵隊衛士(2006年5月)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | |
ウラル山脈に眠る資源の種類は多種多様です。あらゆる宝石が眠ると言われ、金、プラチナ、鉄、銅、ダイヤモンド、エメラルドなどのベリル系の宝石、ペリドット、雲母などの他、ウラル山脈ならではの魅力溢れる石も多々存在します。 |
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『ロシアン・ルナ』 ロシアン ムーンストーン ブローチ ロシア 1880〜1890年頃 SOLD |
ロシアの天才プロテューサーとして、アーティスティックな作品を多々生み出したファベルジェも好んで使用した、ロシア独特のムーンストーンもそうです。 まるで朧月のような、シラーが出ず幻想的な雰囲気を醸し出す独特のムーンストーンです。 |
サイベリアン・アメジスト ブローチ&ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
ウラル山脈の東麓で採れたサイベリアン・アメジストも非常に魅力の強い石です。 真夜中に、燃え上がる炎のような赤い色が石の中から輝くという伝説を持ちます。 伝説も全く違和感なくすんなりと納得できるほど、魅力のある色彩を放っています。 |
そしてウラル産の魅惑の宝石として特に有名なのが、デマントイドガーネットです。 |
1-1-2.デマントイドガーネットの発見
ウラル産デマントイドガーネット(ボン鉱物博物館) "Demantoid bobrowa mineralogisches museum bonn" ©Elke Wetzig(Elya)(15 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1819-1821年頃という早い時期、ボブロフカ川で、金やプラチナを含む砂利と共に発見された緑色の石に注目が集まっていました。ただ、デマントイドガーネットは原石の状態でも5mmを超えるような大きさは珍しい石です。 |
ペリドット&天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
小さすぎて判別が難しかったせいか、エメラルドやペリドット、もしくはクリソライトなどと思われていたようです。 |
ロシアの帝国鉱物学学会のロゴ "Rmslogo" ©Mikaxa(13:36, 22 November 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1853年、子供たちがボブロフカ川で拾った緑色の原石をフィンランドの鉱物学者ニルス・ヴォン・ノーデンシェルドが入手し、それが新種の鉱物であることが判明しました。 1864年2月、ノーデンシェルドはサンクトペテルブルク鉱物学会(現:ロシア鉱物学会)でこの新種の鉱物を報告しました。 1868年にはパリ、ニューヨークそしてサンクトペテルブルグなどの高級宝石店のショーウインドウにこの魅惑の宝石が飾られ、世界中の宝石愛好家に衝撃を与え、虜にしたのです。 |
1-2. ウラル産デマントイドガーネットの特徴
1-2-1.緑色のガーネットの種類と特徴
様々な色を示すガーネットのグループ "Garnets 1920x1920 ccby nc lina jakaite strike dip com" ©Lina Jakait?(22 April 2019)/Adapted/CC BY 4.0 |
別格の扱いを受ける希少価値の高いデマントイドガーネットですが、カテゴリーとしてはガーネット・グループに属します。 赤のイメージが強いガーネットですが、ちょっとした組成の違いで様々な色を示します。 無い色はないと言われるくらい、ガーネットはカラー・バリエーションが豊富です。デマントイドガーネットはアンドラダイトに属しますが、ガーネットグループで見ると他にも緑色を呈するガーネットはいくつか存在します。 それなのになぜ、デマントイドガーネットだけが特別扱いされるのでしょうか。 |
『Demantoid Flower』 デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド バーブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
目の肥えた当時のヨーロッパの上流階級たちを虜にしたデマントイドガーネットは、独自の強い魅力を持っていました。 それがダイヤモンドに見劣りしない強い煌めきと、ダイヤモンド以上のファイア、そして独特のネオンカラーのグリーンです。煌めきとファイアは、通常の屈折計では計測が不可能なほどのガーネットグループ最高の屈折率と、ダイヤモンド以上の分散度によるものです。 |
緑色のガーネットの一種ウバロバイトの原石 Public Domain by Elade53 |
デマントイドガーネット同様、ウラル山脈で発見された緑色のガーネットにウバロバイトがあります。1832年、ロシアの化学者ジェルマン・アンリ・ヘスによって発見されました。新種の鉱物として確認されたのはデマントイドより先ですね。 |
ロシアの化学者ジェルマン・アンリ・ヘス(1802-1850年) | ちなみにジェルマン・アンリ・ヘスは"ヘスの法則"の人です。 熱力学第一法則の化学的言い換えではありますが、熱力学第一法則の提唱以前に発見されており、別名は"総熱量不変の法則"です。 理系で大学受験された方なら、高校化学で習った覚えがあるでしょうか。 センター試験の化学は100点だったので、当時は私もきちんと理解していたはずなのですが、今となっては何だったっけという感じです。と言いつつ、他人に敵わないのは気にならなくても、10代の自分に負けるのは何となく嫌なので調べてインプットし直しました(笑) それにしても1832年に新種の鉱物ウバロバイトを発見した後、1840年に理論化学の範疇にあるヘスの法則を論文発表するなんて、昔の知識階級や上流階級の人たちは本当にテリトリー範囲が広いですね。 |
緑色のガーネットの一種ウバロバイトの原石 | さて、そんな緑色のガーネット"ウバロバイト"ですが、微細結晶の群集体として存在します。 先ほどの超拡大画像で見ると綺麗そうな宝石に見えなくもないのですが、実際は現実的なジュエリーサイズではありません。 だからウバロバイトを使ったアンティークのハイジュエリーは45年間で一度も扱ったことがありません。 |
ウバロバイトのペンダント(現代) | まともな宝石はとうの昔に枯渇し、奇をてらったりしないと売れなくなった現代ジュエリーではウバロバイトでジュエリーを作ることもあるようです。 でも、ちょっとびっくりするくらい美しくありませんね・・。 ヘンテコです。 |
【参考】ウバロバイトのリングとピアス(現代) | |
19世紀の人たちが、ウバロバイトをジュエリーの宝石と見なさなかったのは納得です。 |
ツァボライトの原石(タンザニア) "Grossular-50000" ©Rob Lavinsly, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
もう1つの緑色のガーネットは、グロッシュラーのツァボライトです。 発見されたのは1967年と、比較的新しい年代です。 だからアンティークジュエリーでは存在しません。 |
ツァボライトの原石(タンザニア) "Grossular-176382" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | イギリスの宝石・鉱物学者キャンベル・ブリッジズが発見した新種の宝石は各地の宝石バイヤーたちから興味を集めたものの、海外に輸出することはタンザニア政府によって禁じられていました。 ケニアにも鉱山が繋がっていると確信したブリッジズは根気よく交渉を重ね、ついに採掘許可を得ました。 |
ツァボライト&ダイヤモンド リング(ティファニー 現代) 【引用】Sotheby's / TRAVORITE GARTEN AND DIAMOND RING< TIFFANY & CO. ©Sotheby's |
そして1974年、ティファニーが大々的に宣伝したことでツァボライトは一気に世界中の注目を浴びることになりました。 アンティークジュエリーと違って、1970年代以降の中古〜現代ジュエリーなので、デザインも作りもかなりヤバいですが・・。 わざわざ球体にしなくてもと失笑してしまいます。 リングとして着けると見えない部分にまで石が入っているので、ある意味、美意識が高い人がデザインしたのでしょうか。 |
ツァボライト&ダイヤモンド リング(ティファニー 現代) 【引用】Sotheby's / TRAVORITE GARTEN AND DIAMOND RING< TIFFANY & CO. ©Sotheby's |
でも、実際に着けたら絶対こうなると想像していました。 指に巨大な球体がポコンと乗っている感じで変です。 美意識が高い人がデザインしたかもしれませんが、センスが全然ダメです。 安っぽい子供のオモチャにしか見えません。 さて、ツァボライトはグリーン系の様々な色を呈するガーネットですが、デマントイドガーネットとは色味が異なります。 ツァボライトが属するグロッシュラーは色となる元素を元々持っておらず、無色です。そこに微量のクロムとバナジウムが入ることで緑色のグリーン・グロッシュラー、つまりツァボライトと呼ばれるガーネットになります。 |
様々な色を示すガーネットのグループ "Garnets 1920x1920 ccby nc lina jakaite strike dip com" ©Lina Jakait?(22 April 2019)/Adapted/CC BY 4.0 |
デマントイドはアンドラダイトに属し、アンドラダイトは化学組成上、鉄元素を含むため元から黄色や褐色の色相を持っています。 そこにクロムが入ることで、黄緑から緑色の色相となります。 ツァボライトよりもデマントイドの方が屈折率も分散度も高く、煌めきや照り、ファイアの魅力もデマントイドの方が上です。 |
この宝物が作られた当時は、ツァボライトは発見されていませんでした。 しかし、もし仮に両方が同時に発見されていたら、デマントイドの方が圧倒的に支持されたと確信できる、強い魅力がこの宝石にはあるのです。 |
但し、これだけの特別な魅力を持っていたのはウラル産の石だけでした。 |
1-2-2.ウラル産と他地域のデマントイドとの違い
【参考】ナミビアのグリーンドラゴン鉱山産デマントイドガーネット | 長いことロシア独特の石と考えられていたデマントイドですが、1996年にナミビアでグリーンドラゴン鉱山が発見され、商業採掘が行われています。 その後イタリア、イラン、アフガニスタンなどでも発見されており、2009年にはマダガスカルでも発見されています。 ナミビアのグリーンドラゴン鉱山では最盛期には年間5千〜1万カラットのデマントイドが生産されていましたが、ほとんどが2〜3mmの小さな石で、1カラットを超えるような石は滅多にありません。 |
マダガスカル産のデマントイド・ガーネットの原石 "Andradite-271591" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
マダガスカルはナミビア同等の品質を持つ石が採掘されていますが、2019年2月にアメリカのツーソンで開催された世界最大の宝石展示会の市場分析レポートによるとマダガスカル産は出回っておらず、現在は生産されていないようです。 それ以外の地域は品質が不十分だったり、商業的に成立するほどの量は採れていません。 1917年の革命によって1920年に採掘が終了していたウラル山脈でも、1970年代に新たにデマントイド・ガーネットの鉱脈が発見され、その後もいくつかの鉱脈が発見されています。 但しビジネスとして成立するほどの生産量はなく、調査レベルの採掘が細々と行われている程度です。 |
そのように一瞬だけ現代の宝石業界に出回り、再び幻の宝石となりつつあるデマントイドですが、現代でもウラル産が別格扱いを受けるのは理由があります。 宝石展示会のレポートによると、販売されていたデマントイドの約60〜70%がロシア産、約25〜30%がナミビア産だったそうです。 |
マダガスカル産のデマントイド・ガーネットの原石 "Andradite-271591" ©Rob Lavinsky, iRocks.com(before March 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
マダガスカルはナミビア同等の品質を持つ石が採掘されていますが、2019年2月にアメリカのツーソンで開催された世界最大の宝石展示会の市場分析レポートによるとマダガスカル産は出回っておらず、現在は生産されていないようです。 それ以外の地域は品質が不十分だったり、商業的に成立するほどの量は採れていません。 1917年の革命によって1920年に採掘が終了していたウラル山脈でも、1970年代に新たにデマントイド・ガーネットの鉱脈が発見され、その後もいくつかの鉱脈が発見されています。 但しビジネスとして成立するほどの生産量はなく、調査レベルの採掘が細々と行われている程度です。 |
【参考】産地別デマントイドガーネット 上段:ロシア産(左:Bashenovskoe,中:Bobrovka/Tagil,右:Ufaley)、下段:ナミビア産 "Determination of demantoid garnet origin by chemikcal fingerprinting, Fig 1" ©Clemens Schwarzinger, Johannes Kepler University Linz(April 2019)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
上段がロシア産、下段がナミビア産ですが、色の違いにお気づきいただけるでしょうか。 |
ナミビアの位置 ©google map | アフリカ起源のデマントイドは鉄の濃度が高いため、黄緑色やオリーブ色、または茶色がかった傾向にあります。 一方でロシア産は色がクロムに起因しており、鮮やかな緑になる傾向があるのです。 |
【参考】ナミビアのグリーンドラゴン鉱山産デマントイドガーネット | 鉱物学的には同じ"デマントイド"にカテゴライズされても、魅力には明確な違いがあります。 高い屈折率や分散度を持つので煌めきや照り、ファイアの魅力はありますが、さらに色の美しさが加わらないと、古の王侯貴族を惹きつけたほどの強い魅力は出てきません。 デマントイドだから良い、価値があるという単純なことではないのです。 |
【参考】ロシア産デマントイドガーネットの14Kリング(現代) | かと言って、現代ではロシア産のデマントイドガーネットも100%は信用できません。2003年頃からロシア産デマントイドガーネットは色を改善するために、日常的に加熱処理されているそうです。 この処理はロシア産独特のホーステール・インクリョージョンが無くならない程度の、比較的低い温度で行われているとみられ、加熱の有無の鑑別は不可能とされています。 ロシアではデマントイドの加熱処理の研究者もいて、その研究者によるとパキスタン産は加熱しても殆ど色の改善が見られないそうです。何だか、「石ころはとりあえず加熱しとけ!」という世の中なんですかね〜(失笑) |
【参考】ナミビア産デマントイドの9Kリング(現代) | まあでも、そもそも現代では魅力ある宝石が新しく採れたとしても、ろくでもない作りやデザインのジュエリーしか作ることはできません。 |
【参考】ナミビア産デマントイドの9Kリング(現代) | 【参考】ナミビア産デマントイドの9Kリング(現代) |
ジュエリーにとって宝石は大事ですが、宝石だけで成立するものではありません。こんな外観で良いならばアクセサリーで十分です。鉱物と金属で作ったただのオモチャに過ぎず、美しいとは感じられませんし高そうにも見えません。 現代に自然界から素晴らしい宝石が与えられても、どう考えても宝の持ち腐れになります。優れたジュエリーを作ることのできる時代はとうに終わっており、最大限に活かすのは無理です。 |
【参考】ロシア産デマントイドの14Kリング(現代) | 嫌ですね〜、ボテっとしたデザインでしか作れない鋳造(キャスト)の量産リング。 現代ジュエリーは宝石も、作りとデザインも終わっています。ジュエリーと呼ぶべきではないレベルです。 |
ウラル産デマントイドの宝物(1880年頃) | 【参考】ナミビア産デマントイドの9Kリング(現代) |
これらが同じ、"デマントイドガーネット&ダイヤモンドのリング"なのが笑えます。ウラル産デマントイドガーネットの美しい最高級リングは、絶対にアンティークジュエリーにしかない貴重な宝物なのです。 |
2. デマントイドガーネットならではの魅力
ウラル産デマントイドガーネットは古の王侯貴族、そしてアーティスティックな才能を持つジュエラーたちを強く惹きつけてきました。 |
ピーター・カール・ファベルジェ(1846-1920年) | ロシア皇帝お気に入りの天才プロデューサー、ファベルジェが好んで使ったことは有名です。 デマントイドガーネットは"皇帝の宝石"とも言われるほどです。 |
ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) | ティファニーの発展に多大なる貢献をした鉱物学と宝石学の権威、クンツ博士もデマントイドに魅了された一人です。 デマントイドを入手するためにロシアに足を運んだことは有名です。 1879から1932年に亡くなるまでティファニーの副社長でもあったクンツは、手に入るデマントイドの原石は全て購入していたそうです。 当時、他にもエメラルドやペリドット、翡翠などのグリーンの宝石はあったのに、なぜデマントイドはこれほど強く人々を魅了したのでしょうか。 |
2-1. 脇役としてのデマントイド
『Rainbow World』 オパール ネグリジェ・ネックレス イギリス 1890年頃 SOLD |
デマントイドは大きな石が殆ど採れない宝石です。 通常は0.5ctに満たない石しか採れません。 しかしながら小さくても特別な魅力を持つこの石は、名脇役として時には主役を食ってしまうくらいの抜群の存在感を放つことができます。 『Rainbow World』もオパールだけだったり、ダイヤモンドやルビーなどの別の石が使われていたら全く違うイメージになっていたことでしょう。 思わずハッとする、広大な極寒のロシアをイメージさせるような凛とした色と強い輝き。 デマントイドガーネットはジュエリーのデザインに革新をもたらしたと言って良いくらい、画期的な宝石だったのです。 |
『春の花々』(ファベルジェ 1899年)ファベルジェ美術館 | アーティスティックな才能を持つジュエラーは、好んでデマントイドガーネットを使いました。 ファベルジェも、白い春の花の花芯をデマントイドガーネットで美しく表現しています。 ウラル産デマントイドガーネットでも、これほど小さな使い方をする場合はかなり上質な石を使わなければ、美意識の高い人たちに感動を与えられるほどの美しさは出せません。 適当なクズ石ではなく、丹念に選びカットした極上のデマントイドガーネット。それを使って、驚くべき技術で作り上げた神技の宝物。 いかにも当時の王侯貴族たちから高く評価された、ファベルジェらしい作品です。 |
ティファニーの『アイリス』のデザイン(ジョージ・パウルディング・ファーナム 1900年頃)ウォルターズ美術館 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Sketch for the Tiffany Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted |
そしてティファニー黄金期と言える天才デザイナー、ジョージ・パウルディング・ファーナムとクンツが揃った1900年のパリ万博で、最高賞グランプリを受賞した作品にもデマントイドガーネットが効果的に使われていました。 |
アイリス(ティファニー 1900年頃)ウォルターズ美術館 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted |
アイリス(ティファニー 1900-1901年頃)プリマヴェラ・ギャラリー 【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted. |
左がデザイン画を具現化した『アイリス』です。当時最先端の宝石であるアメリカのモンタナサファイアと、ウラル産デマントイドガーネットを使った、高さ24.1cmの大作です。眩いばかりの宝石を使ってはいますが、作りも神技的に素晴らしい作品です。 |
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | ティファニーは1837年に、25歳頃のチャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングによって前進となる会社、ティファニー&ヤング』が設立されました。
現代では宝飾店のイメージが強いですが、一番初めは高級な文房具や装飾品などを扱っていました。 なんだかGenとの関連性を彷彿とさせました。 |
6歳頃のGenと家族(左:父、中:Gen、右:継母)1953年 | Genは元々は米沢の骨董屋の3代目として生まれ、小さい頃から古き良き物に囲まれて暮らしてきました。 学校を卒業後は家業の骨董屋と米沢箪笥の企画・製造・販売に携わっていましたが、父親の仕事をただ手伝うだけでなく、自分で何かやりたいと思い新しいビジネスを探しました。 なんとなく何か貿易に関係するビジネスをしたいと考えていたため、当時米沢の商工会で企画された欧州視察に参加したのです。 |
ロンドンのGen(1975年頃)28歳頃 |
まだ"アンティークジュエリー"という市場も明確には存在しない時代です。何しろ44年も前です。100年以上経っていることが"アンティーク"の条件であるならば1875年以前のジュエリー、つまりヴィクトリアン後期ですらまだアンティークではなくヴィンテージだった時代です。 当然ながら”アンティークジュエリー”には絞っていなかったどころか、存在も知りませんでした。移動時間の方が遥かに長い弾丸ツアーの中、新旧のもの含めて何を輸入販売するか色々な物を見て回りました。そして、やっぱりヨーロッパも古い物は優れていることを実感し、西洋骨董を扱おうと感じたのです。ただし、その時に買い集めたものは専門外のジュエリーはまだ無くて、小物がメインだったそうです。 |
『黄金の羽根ペン』 イギリス 1830年頃 SOLD |
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女性はジュエリーにはいくらでもお金を出しますが、分かりにくい小物にはあまりお金をかけたがりません。他人に褒められることに喜びを感じる女性と、自分自身が楽しんで満足感を得られればそれが一番の幸せと思う男性との性差かもしれません。あくまでも"傾向"ですが・・。ちなみにGen曰く、私の好みはかなり女性らしくなく、男性らしいそうです。 |
カーブドアイボリー ペーパーナイフ フランス 1860年頃 |
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文具などの小物は男性嗜好ではありますが、新たな持ち主となってくださる方は女性である場合も実は結構多いです。素晴らしい方ばかりで、そのような方々にGenの時から引き続きご支持いただけるよう頑張りたいと思っています。 |
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | こんな感じで、私たちも優れた小物は積極的にお取り扱いしているのですが、現代では宝飾店のイメージが強いティファニーも元々は高級な文房具や装飾品などを扱うお店として始まったのが意外でした。 創業者が亡くなると、もはや"別の店"と言った方が良いでしょう。 でも、1902年までは少なくともティファニーも優れた美意識を持つ経営者が率いる、良いお店だったはずです。 |
エドワード・C・ムーア(1827-1891年) | ティファニーの優れたデザイン力の礎を作ったのは、1851年から1891年までジュエリーデザイナー兼シルバー部門の責任者だったエドワード・C・ムーアです。 美術コレクターでメトロポリタン美術館の後援者でもあり、保有していたたくさんのコレクションや図書を寄贈し、アメリカの芸術文化の向上に貢献しています。 ムーアは統率するアーティスト達に、世界中の様々な年代のジュエリーや工芸品から勉強するように指導しました。 |
エドワード・C・ムーアによる銀器(ティファニー 1878年) " Edward c. moore per tiffany & co., brocca in argento, oro e rame, new york 1878 " ©Sailko(28 October 2016, 22:05:06)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | そんなエドワードの最も重要な作品として有名なのがジャパネスクと考古学風の、ジュエリーとシルバーの作品です。 ジャポニズムも考古学風も、ヨーロッパの上流階級にとって超重要な教養です。 |
ムーアが活動した19世紀後半はアメリカが力をつけてきた時代です。 また、イギリスは台頭してきた中産階級によるジュエリーの購買意欲も高まり、ジュエリーが貴族のためだけのもの時代だったジョージアンではあり得ないような成金ジュエリーや、かなりの安物もかなり多く作られました。 本来ならば彼らはこういうものを作った方が、楽で儲かったかもしれません。 |
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【参考】ヴィクトリアンの成金ジュエリー |
アウトロー、盗賊のビリー・ザ・キッド(1859-1881年) | 国家として歴史が浅く、無法地帯も多々あり、民衆の手本となるべき王侯貴族も存在しないアメリカは当時、ヨーロッパの王侯貴族たちからは下に見られていました。 文化レベルが低く粗野な人々というのが当時の"アメリカ人"の印象です。 ちょうど1860年代から1890年の西部開拓時代に相当しますから、まあそうでしょうね。 |
ワイアット・アープら保安官たち(1883年) | アメリカ人に美意識なんて無いし、繊細で優れたものなんて作れるわけがない。 それがヨーロッパの上流階級のアメリカ人に対するイメージでした。 |
チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | しかしながら、ティファニーのメンバーはそれぞれにアメリカ人としてのプライドを持っていました。 世界に認められる最高級店となるべく、偉大なる創業者チャールズ・ルイス・ティファニーに才能とやる気に満ち溢れる人々が吸い寄せられ、皆がプライドをかけて頑張ったのです。 デザインに関しては、当時の上流階級の中でも特に格調高いジャパネスクと考古学風様式に力を入れたのは当然の流れです。 |
『白鷺の舞』 舞踏会の手帳(兼名刺入れ)&コインパース セット イギリス 1870年 SOLD |
『古代の太陽』 エトラスカン・スタイル ブローチ イタリア(FASORI) 1850〜1870年代 SOLD |
最高に美意識の高いヨーロッパの王侯貴族に認められてこそ、世界に誇れる最高級店と言えます。だからティファニーのモノづくりは彼らを意識して行われたのです。ジャパネスクも考古学風も、教養も美意識もないと真の価値は理解できません。その点では芸術的にも優れ、相当なお金や技術をかけて作られたハイエンドの作品が、他のジャンルより多いです。 |
ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) | 宝石に関してはクンツ博士です。
1879年に入社した当時、23歳のクンツは創業者チャールズ・ルイス・ティファニーに、「アメリカにはまだ発見されていない宝石がたくさんある」と情熱を込めて語りました。 少年時代から鉱物への興味が高く、独学とフィールドワークで既にかなりの知見を持っていたクンツに、ティファニーは「費用は気にせず美しい宝石を集めてきなさい。」と言いました。 |
アイリス(ティファニー 1900年頃)ウォルターズ美術館 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted |
そこにジュエリーデザイナー部門の統括者だったエドワード・C・ムーアの教え子にして、天才デザイナーとの呼び声高いジョージ・パウルディング・ファーナムが新たなトップデザイナーとして加わり、集大成となったのが『アイリス』でした。 宝石にはアメリカで発見された新しい石『モンタナサファイア』が使われています。 美意識と教養を持たない人は、これを見てもよく分からないので単純にモンタナサファイアという石を褒めるでしょう。 「パリ万博でグランプリを獲った作品なので、よほど宝石が素晴らしい石なんだろう。」、程度の思考です。 石はもちろん素晴らしいですが、当時のヨーロッパの上流階級が圧倒されたのは作りとデザインです。 |
【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted | ヨーロッパのトップクラスの職人に勝るとも劣らない、神の技の如き繊細な細工をあのアメリカ人がやっただなんて・・!! 美意識が高く教養もあり、目も肥え、アメリカ人に対して先入観があったヨーロッパの王侯貴族たちを有無を言わさず納得させたこの『アイリス』はティファニー史上最高の作品と言って良いでしょう。 これが単なる宝石の価値だけの作品だったら、絶対にヨーロッパの上流階級からは「nouveau riche(ヌーヴォー・リーシュ、成金)! いかにもアメリカっぽいね(笑)」と馬鹿にされていたでしょう。 |
創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | 天才デザイナー ジョージ・パウルディング・ファーナム(1859-1927年) | 鉱物学の権威 ジョージ・フレデリック・クンツ(1856-1932年) |
創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは、経営者としての才能だけでなくプロデジューサーとしての特別な才能や、人としてのカリスマ的な魅力も持っていたのでしょう。さらに並みのヨーロッパの貴族たち以上に、高い美意識も持っていたに違いありません。だからこそ各分野の当時最高の人たちがティファニーに集まり、最終的には『アイリス』という作品に昇華したのだと感じます。グランプリを受賞したのは創業者が亡くなる2年前のことです。感無量だったでしょうね。 高級ブランドとして一大帝国を築いただけあって、ティファニーには実績も残していますし素晴らしい人たちもいたのです。でも、現代では宝石学者のクンツ博士だけがフォーカスされ、PRされているのが違和感しかありません。 創業者は確固たる信念があり、ビジョンを描くことができます。それがなければ創業者にはなれません。でも、大抵次の世代は先代の遺産で続けるだけです。次世代くらいまでは創業者のやり方を見て知っているので、まだ保つくらいはできるでしょう。 でも、世代を重ねることに見るも無残に変容していきます。基本的には劣化しかしません。誰が率いても、劣化のスピードが異なるだけです。 |
【参考】Bird on a Rock(1995年にリメイク) "Tiffany Diamond2" ©Shipguy(3 May 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
創業者となれるほどの才能ある人物ならば、絶対に自分で一から始めたいと思いますからね。 ティファニーはある時期から、石ころでPRするだけのつまらないブランドになってしまいました。 戦後は世の中が変わり、高級ジュエリーの顧客が美意識と教養のあるヨーロッパの王侯貴族から、それらを持たぬ成金庶民となった結果、ジュエリーの価値が石ころだけで評価されるようになったのが一番の理由です。 そんな時、広告宣伝に役立つのが宝石の権威たるクンツ博士だったのです。 |
ティファニーは何度も身売りして、完全に創業者の手からは離れており、ただブランドの名前で儲けられれば良いという経営方針の会社となっています。 創業者の偉大さを語っても、デザイン部門を成長させたエドワード・C・ムーアの貢献を語っても、ファーナムの傑出したデザインの才能を語っても意味がありません。儲からないですから(笑) |
【参考】モンタナサファイアのリング(ティファニー 現代) | これは現代のティファニーのモンタナサファイアを使った量産シルバー・リングです。 衝撃的にダサくて驚きますが、"925"はティファニーのスターリングシルバーの基準がアメリカの基準として採用されたことに由来します。 1837年は創業年です。歴史の浅いアメリカは古さや伝統への憧れがあるので、1837年というのは大きなアピール・ポイントです。 モンタナサファイアについては合計0.05ctの小ささですが、そもそもがアンティークと同じ品質はありません。 |
モンタナサファイア ペンダント アメリカ 1900年頃 SOLD |
ホースシュー ブローチ アメリカ 1910年頃 SOLD |
一時はパリ万博でグランプリを受賞した魅惑のサファイアとして人気となり、様々なハイジュエリーが作られました。しかしながら1923年には閉山となり、モンタナサファイアは忘れられた存在となってしまいました。 しかしながら1970年代後半からサファイアの加熱処理が可能になると、透明度が高いという特徴を持つこの石に再び注目が集まりました。加熱で効率良く色を改善できるモンタナサファイアは人気が出て、1990年代には百万カラット超が出荷されました。 しかしながら加熱が必要な低品質な石すら、世界中の中産階級の旺盛な需要によりあっという間に採り尽くされ、何度も閉山と再開発が繰り返されています。 |
『天空のオルゴールメリー』 アールデコ 天然真珠&サファイア ネックレス イギリス 1920年頃 ¥1,230,000-(税込10%) |
ヨーゴ峡谷でしか採ることのできなかった天然非加熱の美しいブルー・モンタナサファイアは、本来は稀少性の高い高価な石でした。 だから高価な石に相応しい作りが施され、唯一無二のハイジュエリーとなるのです。 |
【参考】モンタナ・サファイアのシルバー・リング(ティファニー 現代) | 本当に価値ある石ならば、今の時代にシルバーでセッティングするなんてあり得ません。 鋳造で大量生産していることがバレバレの作りですが、本当に貴重な石ならば数量が確保できないので量産は不可能なはずです。 デザインと作り、そして販売方法が、「私は安物です。」ということを如実に証明しています。 |
【参考】モンタナ・サファイアのシルバー・リング(ティファニー 現代) | ティファニー・のブランド力だけでガッポリ儲けようとする意思が見え見えです。 そんな時、「1900年のパリ万博でモンタナサファイアのジュエリーがグランプリを獲りました。ティファニーの宝石学の権威、クンツ博士が見出した素晴らしい宝石です。それを使ったジュエリーですよ。」というお墨付きは良いPRになるのです。 |
アイリス(ティファニー 1900年頃)ウォルターズ美術館 【引用】THE WALTERS ART MUSEUM / Iris Corsage Ornament ©The Walters Art Museum /Adapted |
これとは比較されたら困るのか、アイリスの画像どころか名前すらティファニーのHPの目につく場所にはありません。 どこかにある可能性はゼロではありませんが、しつこく調べてみたので多分掲載されていません。 黄金期に確立されたブランドのネームバリューで儲けているくせに、全くリスペクトはないようです。 利用価値がある時だけ利用する、道具や駒くらいにしか思っていないのでしょう。 今は少し『アイリス』が切なく見えます・・。 |
2-2. 主役としてのデマントイド
さて、脇役として抜群の魅力があるデマントイドですが、主役にもなれる石です。 |
ウラル産デマントイドガーネット(ボン鉱物博物館) "Demantoid bobrowa mineralogisches museum bonn" ©Elke Wetzig(Elya)(15 March 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
但しデマントイドには大きな石が殆どないという、ジュエリーを制作する上での大きな特徴があります。 原石の状態で5mmを超えるような大きな石は非常に稀で、1ctを超えるような石は滅多にありません。カット後は、大体はどれも0.5ctより小さなサイズとなってしまうのです。 |
『夢叶う青いバラとアクアマリン』 アクアマリン ゴールド ブローチ ヨーロッパ 1880年頃 SOLD |
ジュエリーとしてある程度、見栄えする大きさの美しい石が入手できるのであれば、その一石をメインストーンにしてデザインすることができます。 |
『財宝の守り神』 ダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 SOLD |
ある程度の大きさがあって、しかも上質な石はどの種類の宝石でもとても貴重で高価です。 それでも、古のごく少数の王侯貴族や富裕層の需要を満たす程度の量であれば、自然界から入手することは可能でした。 |
セイロン・サファイア リング フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
『蝶々』 トレンブラン ブローチ&髪飾り イギリス 1880年頃 中央のルビー:1ctオーバー SOLD |
ジョージアン ブローチ&ペンダント イギリス 1830年前頃 中央のエメラルドの直径:6mm弱 SOLD |
ルビーは大きな石があまり採れないことでも有名ですが、それでも全然採れないというほどでもありません。ルビーの大きくて上質な石は大半がリングに使われるものの、『蝶々』のトレンブランのような作品もごく稀に存在します。 |
デマントイド・ガーネット ブローチ ロシア 1900年頃 SOLD |
あるいは小さなデマントイドガーネットだけをたくさん使って、存分にデマントイドの魅力を楽しむためのデザインも存在します。 |
3. 最上級のデマントイド
3-1. 稀少性が極めて高い1.71ctの大きな石
1キャラットオーバーの上質の石は滅多に出会うものではありませんが、このデマントイド・ガーネットは1,71ctもあります。44年間でサイズ、質共に過去最高のデマントイドです!Genも仰天しつつ、私の宝物運の強さに改めて感心していました♪ |
デマントイドガーネット リング イギリス 1900年頃 SOLD |
天然真珠&デマントイドガーネット クラスター リング イギリス 1905年 SOLD |
通常の宝石だと、大きな石が得られた場合はリングにされることが多いです。全てのジュエリーのアイテムの中で、リングに一番お金をかけるべきと考えている人も多いからです。大きさのある石を手に入れるのが極めて難しいデマントイドは、石の質が良いことが前提ですが、かなり小さな石を使ったものでもハイジュエリーとして作られた作りの良いリングの割合が多いのも特徴です。 |
デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド リング イギリス? 1880年頃 SOLD |
ルビー 5ストーンリング イギリス 1870年頃 SOLD |
サファイア&ダイヤモンド 一文字リング イギリス 1910年頃 SOLD |
例えば、指を覆うようなデザインの一文字系のデザインのリングがあります。石を一列に並べてセットします。一般的なのは同じ石を5つ並べた中央のタイプ、そして右のように色石をダイヤモンドと組み合わせて交互に並べたタイプです。 |
貴重とは言え、ルビーやサファイアは一文字リングの縦幅を1石でカバーできる石を得ることができます。しかしながらデマントイドではそれが困難なため、左のようにダイヤモンドとの市松模様のようなデザインが考案され、このような宝物へと昇華したのでしょう。サイドの彫金や石のセッティングなどを見ても、かなりの高級品として丁寧に作られていることが分かります。お金がないから大きな石が手に入らないのではなく、デマントイドは大きな石が滅多に存在せず手に入らなかったことの現れです。 |
デマントイドガーネット リング イギリス 1910年頃 SOLD |
デマントイドガーネット リング イギリス 1920年頃 SOLD |
これまでの44年間でお取り扱いした、デマントイドガーネットのこのタイプのリングは本当に数が少ないです。右のデマントイドは約1ctあり、お取り扱いした当時Genも「1キャラットもある大きなデマントイドガーネットは、僕も40年間で初めてです!!!」と驚いていました。石の質もかなり良く、当時の最高級品に相応しい作りが施されています。 |
それなのに、何でしょうね。 私はヘリテイジをオープンしてまだ2年経たないのですが、天然非加熱のウラル産、1.71ctでしかも質も極上という奇跡クラスの宝物と出会ってしまいました♪ 当然Genにとっても過去最高の大きさです。 それぞれのジャンルの一番良いものがヘリテイジに集まっているのではと、自分の引きの強さにちょっと前までは驚いていたのですが、今は確信に変わり始めました♪♪ |
実際の大きさの比較 | ||||
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実際のサイズを比較すると、このような比率になります。上段の一番左にあるスノードロップは革命前のロシアの最高級品として作られた特別な作品なので、1石でも主役になれるクラスのデマントイドが複数使われています。また、下段の左から2つ目と3つ目のリングのデマントイドも、滅多に採れない大きさの石が使われたかなりの高級品です。それでも今回の宝物の大きさは群を抜いていることがお分かりいただけたでしょうか。 |
3-2. 極上の色と透明感
宝石を議論する上で大きさは重要な要素ですが、大きいだけで良いというわけではありません。 大きさだけを気にするのは、教養も美的センスもない成金的な思考を持つ庶民です。 ジュエリーが好きな一般女性の殆どはそういう感じですが・・。 (そもそも現代ジュエリーに魅力がないため、多少なりとも美的センスを持つ人の場合、ジュエリー自体に価値を感じられず興味を持たない人も少なくないです。ヘリテイジでアンティークジュエリーを買う前は、1度もジュエリーを買ったことがない方が結構いらっしゃる理由です。) |
【参考】10カラット以上の天然ダイヤモンド(税込600万円) |
カラット数のみを気にする人は日本女性でも結構多くて、そういう人は何故か透明感や煌めきなどの話は全くしません。当然、そういう人たちからは"美しい"や"綺麗"という単語も出てきません。そういう人はこういうゴミみたいな石ころにも600万円の価値を感じるのでしょう。スペックだけは10.213カラットの天然ダイヤモンドです(笑) |
アルバート王配(1819-1861年) | 古の王侯貴族たちは自分たちの美意識や感覚で判断していました。 大きかろうと美しくないと感じるものには価値などありません。 どこぞの誰かが決めた数値でしか判断できないなんて恥です。 人々を主導する立場にある王侯貴族が、他人の物差しに従って判断するなんて有りえないですからね。 古の王侯貴族は、「私がルールだ!」という立場にある人たちです。 そういうわけで、巨大ダイヤモンド"コ・イ・ヌール"も輝きが美しくないという理由でリカットされています。 王侯貴族が文化の中心にいた時代は、宝石は大きさだけで判断するのではなく、総合的な美しさで判断することが当然だったことがよく分かるエピソードです。 |
『財宝の守り神』 ダイヤモンド ブローチ フランス 1870年頃 約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド(厳密には1,98カラット、カラー:Aクラス)、ローズカット・ダイヤモンド、天然真珠、18ctゴールド、シルバー SOLD |
宝石はインクリュージョンが少ない石ほど綺麗に見えます。 中が汚くても表面反射はしますが、内部を複雑に反射して底面から戻ってくる光や透明感、美しいファイアは上質でクリアな石でなければ楽しむことはできません。 |
約10ctの低品質ダイヤモンド | 約2ctの低品質ダイヤモンド | 約0.3ctの処理済ダイヤモンド |
これらは大きさが全然違うので内包物も単純比較はできませんが、同じようにラウンドブリリアンカットが施されたダイヤモンドです。内包物があると"数学的に計算された底面から全ての光が反射する理想的なカット"が施されていても、その底面からの光がよく分からないことがお分かりいただけるでしょうか。透明感も感じられず、美しくありません。でも、大きな石になればなるほど、内包物のない上質さを両立させることは指数関数的に困難になっていきます。 デマントイドも同様で、内包物が多いとせっかくの煌めきや照り、ファイアという魅力を楽しむことができません。フワッとした線状の内包物をホーステール・インクリュージョンと言います。デマントイド独特のインクリュージョンです。 同じ緑色のガーネットであるツァボライトは、針状や液体のインクリュージョンになります。 |
馬に乗るイギリス皇太子妃アレクサンドラ(1844-1925年) | 車が当たり前となった現代では馬は身近ではありませんが、古の王侯貴族にとって馬は身近な生き物でした。 |
ホースシュー ロケット ペンダント イギリス 1890年頃 SOLD |
ホースシュー ブローチ ロシア 1900年頃 SOLD |
ホースシュー ブローチ アメリカ 1910年頃 SOLD |
ホースシュー(馬蹄)は幸運のシンボルとされ、ジュエリーのモチーフとしてもよく見かけます。この宝物は製造国が異なるのですが、それぞれイギリスらしい繊細なゴールドの彫金、ロシアらしいカラフルなエナメル、アメリカ産のモンタナサファイアを使ったホースシューと、お国柄が出ていて楽しいですね。 |
モード王女(14歳頃)、ルイーズ王女(16歳頃)、ヴィクトリア王女(15歳頃)(1883年) |
15歳頃のヴィクトリア王女(1868-1935年) | ちなみに先ほど騎乗していたアレクサンドラ妃とイギリス国王エドワード7世の3人娘の一人、ヴィクトリア王女も首元にホースシュー(馬蹄)のブローチを付けた写真が残っています。 このような文化的背景もあったためか、デマントイドだけに見られるこのフワッとした内包物は"ホーステール・インクリュージョン"、つまり馬の尻尾と呼ばれ、ホースシュー同様に当時の上流階級から幸運のシンボルとみなされたようです。 |
ホーステール・インクリュージョンはウラル山脈以外の、新しく見つかった地域のデマントイドには見られませんでした。このため、ウラル産の証としてホーステールは現代の石ころマニアから珍重されたようです。 ただ、最近はウラル産以外の石からもホーステールが発見されたという報告が入っています。 スペックでしか判断できない、美的感覚のない石ころマニアにはホーステールは大事ですが、ジュエリーにした時は極端にインクリュージョンがあると美しくありません。このため、ジュエリーに使う場合はなるべくインクリュージョンの少ない、透明で色の良い石が良いとされています。これは現代でもそうです。 石ころマニアの価値観は否定しませんし、尊重したいと思っています。 でも、石ころマニアの中には自分たちの基準で話したがり、価値観を押し付けようとする人も少なく有りません。スペックだけを重要視する石ころマニアと、美しさを重要視する私とでは求めるものが違うのです。 そういう人たちと議論したり意見を聞いたりしてもかみ合いませんし、意味がなくて時間の無駄です。お互いに価値観を押し付けちゃダメです(笑) |
さて、このデマントイドは1.71ctというかなり大きな石であるにも関わらず、極めて透明度が高いです。しかも色も鮮やかで濃い上に、色ムラもありません。 |
顕微鏡で拡大して見るとウラル産デマントイドガーネット独特のホーステール・インクリュージョンは見えるのですが、肉眼では透明にしか見えませんし、撮影用のライトをあてて拡大した画像でも本当にクリーンです。右の画像だとホーステール・インクリュージョンに起因する、少しメラメラっとした質感が感じられるでしょうか。 |
大きさだけでなく質も両立した見事な石です。質は無視したとしても1ctを超える石は極めて少なく、2ctは奇跡的な存在と言われるデマントイドガーネットにおいて、1.71ctという大きさとこれだけの質を兼ね備えた石。この世にあるデマントイドガーネットの中で、最も素晴らしいデマントイドガーネットを使った宝物ではないかと感じます。 |
3-3. デマントイドならではの輝りとファイア
このデマントイドはインクリュージョンが少なく透明度の高いからこそ、ファイアや照りの美しさを存分に楽しむことができます。デマントイドは石の色のグリーンに隠れて、虹色のファイアは見えにくいと一般的には言われています。しかしながらこの画像では、石の中央右あたりに何重にもなったファイアが出ていることがお分かりいただけると思います。 |
この画像だと、中央付近に赤い色が見えますね。底面からの複雑で強い輝きも、クリーンなデマントイドならではのものです。照りも良いですね。上質な石が見せてくれる世界はまるで夢のようです♪ |
この画像でも、不思議な虹のファイアが見えます。グリーンの補色となる赤が一番目立ちますが、連続する青や黄色もなんとなく見えます。石に浮かび上がる虹色のファイアは、幻想的なオーロラのようでもあります。 |
本来ダイヤモンド以上にファイアを出せるポテンシャルを持つとされるデマントイドガーネット。 上質で大きな石だからこそ、様々な角度からの煌めき、照り、ファイアが複雑に絡み合うことで放たれる独特の美しさを感じることができます。 それは人の心をとらえて放しません・・。 脇石として活躍する小さなデマントイドにも独特の魅力がありますが、大きくないと感じられないデマントイドの魅力もあるのです。 デマントイドガーネットは、物凄いポテンシャルを秘めたロシアの宝石ですね♪ |
4. 魅力ある古いカットの脇石のダイヤモンド
4-1. より新しい年代のデマントイド・リングとの違い
今回の宝物は、他の2つのデマントイドのリングと比べてより古い年代となる1880年頃に作られています。 デマントイドとダイヤモンドを使っただけの単純なデザインなので年代なんて一見どうでも良いように思えますが、実はダイヤモンドに大きな変化があります。 |
デマントイドガーネット リング イギリス 1910年頃 SOLD |
デマントイドガーネット リング イギリス 1920年頃 SOLD |
【参考】サファイアリング(現代) | アンティークジュエリーを知る前はダイヤモンドには全く興味がありませんでした。 全然美しくないからです。 「ダイヤモンド!ダイヤモンド!」と騒ぐ女子が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。 こういう物のどこが美しいんだろう、私がおかしいのだろうかくらいに思っていました。 |
『煌めきの青』 サファイア リング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
そんな中で、私のダイヤモンドの印象に大きな変革をもたらした宝物があります。 『煌めきの青』です。 ダイヤモンドが驚くほど魅力的に輝いて、ずっと見ていたいと思うほど綺麗だったのです。 「ダイヤモンドって本来こんなに輝けるものなの?!」と驚きました。 ヘリテイジを初めて2ヶ月、まだ宝石についてもあまり知識を持っていなかった頃のことです。 |
非加熱の天然サファイアのリング(1880〜1900年頃) | 【参考】加熱サファイアのリング(現代) |
アンティークの非加熱の天然サファイアの中でも特に色の美しい上質な石だったため、それに相応しいダイヤモンドが取り巻きの脇石に使われた結果なのですが、チラチラとした弱い輝きしか出すことのできないブリリアンカットの輝きがダイヤモンドの限界と思っていたため、古いカットのダイヤモンドのダイナミックなチンチレーションと虹色のファイアは衝撃的でした。 そんな魅力あるアンティークジュエリーのダイヤモンドですが、実は同じ"アンティークジュエリーに使われている古いダイヤモンド"でも、年代によってダイヤモンドのカットは明確に異なります。 同じ"オールドヨーロピアンカット"でも、です。 |
トルコフスキー考案のアイデアルカット |
アイデアルカットはダイヤモンドに侵入した全ての光が底面から反射して戻ってくるように計算されたカットです。ダイヤモンドの屈折率を考慮し、全てのファセットの角度や比率が全て決められています。 そこから逸脱することは微塵も許されません。決められた規格通りでなければならないのです。別にそこまで合わせ込む必要なんてないと思うんですけどね。均一にライトをあてて撮影した拡大画像で見れば違いは分かりますが、ジュエリーにセットすれば違いはまず分かりません。 でも、4Cという基準でしかダイヤモンドが評価されなくなったため、現代は大きくても小さくても全て相似形の無個性なダイヤモンドしか作られなくなってしまいました。これが人間だったら大変気持ちが悪いですね〜(笑)規格通りの大量生産品は工業製品としては優秀ですが、芸術性はゼロです。 ダイヤモンドの原石は均一な形や大きさではありません。ダイヤモンドが本当に貴重ならば、本来は規格に合わせこもうとするのではなく、美しさは保ちつつもなるべく無駄なく大きくカットしようとするのが当然なはずです。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移【出典】2017年の鉱山資源局の資料を元に作成 |
しかしながらダイヤモンドが稀少な宝石だったのは昔の話です。上のグラフの青線が南アフリカのダイヤモンドの年間産出量ですが、アンティークの時代とは桁違いに人類はダイヤモンドを手に入れています。枯渇する気配はなく、保有量は増え続ける一方です。 21世紀半ば以降は世界各地で相次いでダイヤモンド鉱山が発見され、現代では世界全体で毎年7,120万カラットの規模で産出され、南アフリカのシェアはわずか8%です。 1869年頃に南アフリカのダイヤモンドラッシュが始まる以前、ダイヤモンド主要供給地がブラジル鉱山しかなかった時代は年間産出量は10万カラット程度しかありませんでした。その時代と単純計算で比較すると、現代のダイヤモンドの価値は712分の1になってしまいました。 だから稀少なダイヤモンドの原石から、なるべく無駄なく大きくカットしようという方向にはならないのです。材料費が高ければ加工にもそれなりにお金をかけますが、現代のダイヤモンドはいくらでも手に入る安い材料なので、加工にコストをかけるくらいなら無駄が出ても、同じオペレーションでどんどんカットしていった方が安上がりなのです。だから現代のダイヤモンドは同じ大きさ、同じ形のカットで管理されるのです。 |
一方で、ダイヤモンドに本当に稀少価値があった時代は原石1つ1つを高度な技術を持つ職人が見極め、それぞれなるべく無駄の出ないカットが施されていました。 |
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アムステルダムのダイヤモンドカットの加工場(19世紀) |
左:オールドヨーロピアンカット、右:ラウンドブリリアンカット | コストではなく最大限の美しさを重要視するオールドヨーロピアンカットは、ブリリアンカットより厚みがありキューレット(底の部分)がカットされているという特徴はありますが、アイデアルカットのように数値的に決まった規格はありません。 |
『幸せのメロディ』 ダイヤモンド ブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
稀少な上質のダイヤモンドをなるべく無駄なくカットする。 だからこそ天然の石であり、それぞれ個性があるダイヤモンド原石を最大限生かそうとすれば形や大きさは絶対に同じにはなりません。 1つ1つの石が技術と手間をかけてカットされた宝物なのです。 『幸せのメロディ』も、それぞれの石の形や厚みに違いがあります。 『幸せのメロディ』を見て芸術的な美しさすらも感じられるのは、現代ジュエリーのような単なる無個性で価値のないダイヤモンドの寄せ集めではなく、1粒1粒が丁寧にカットされたダイヤモンドを想いを込めてブローチの形に作り上げられた宝物だからです。 |
これほど個性に富むカットのダイヤモンドは、カットが近代化される以前までの宝物です。 ダイヤモンドは劈開を使ってカットした後、ダイヤモンドの粉末を敷いた回転盤に押しつけて少しずつ削っていきます。 回転盤を回すのは動物の場合もありますが、基本的には人力で2人1組みの作業となります。 ダイヤモンドは少しずつしか削れていかないので、気の遠くなるような時間と手間がかかります。 2人分の人件費もかかりますから、材料費と加工費を考えるとダイヤモンドは当然かなりの高級品でした。 |
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ダイヤモンドの切削加工場(1710年頃) |
ヘンリー・モース | 1860年代に入るとブラジル鉱山が急激に枯渇し、ヨーロッパのダイヤモンド産業は廃業や規模縮小などの危機に陥りました。 しかし、1869年頃から南アフリカのダイヤモンドラッシュが始まると、ビジネスチャンスに目をつけた人物らによってカット技術に関する研究開発が活気付きました。 1870年代初めにヘンリー・モースとチャールズ・フィールドに蒸気機関を使った研磨機を発明し、1874年にイギリス、1876年にアメリカで特許を取得しました。 1891年には電動の研磨機も発明され、回転盤を回す人足が不要となり、1人でそれまでよりも早く楽にカットができるようになりました。 |
さらに1900年には電動のダイヤモンド・ソウが発明され、劈開の方向すらも無視したカットが可能となりました。 これにより、劈開を見極める職人が不要となっていきました。 天然の石であるダイヤモンドの結晶は理想的な配列をしているとは限りません。 結晶が不定形で、劈開を利用したカットができない原石はそれまで加工できませんでしたが、そのような以前ならばジュエリーに加工できなかった原石も使えるようになったのです。 |
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ダイヤモンド・ソウ(1903年頃) |
『清流』 アールデコ ジャポニズム ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
ダイヤモンドソウの発明によって、ラウンドブリリアンカットの時代が到来したと言われています。 より早く正確にダイヤモンドをカットできるようになりました。 『清流』を初めて見たとき、大きなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは5石が全て同じように見える精密なカットであることに驚き、感動したことを覚えています。 静謐な美しさをたたえた笹の葉の透かし細工と、それをより美しく見せるための瑞々しい小さなローズカット・ダイヤモンドとグレインワークの輝き。 5つの大きなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドは、この作品では脇役です。 だから脇役に徹することができるよう、5石とも個性を主張しない均一なカットが意図的に施されているのです。 |
【参考】無個性なブリリアンカット・ダイヤモンドの寄せ集めジュエリー(現代) | ハイジュエリーには限りますが、アール・デコの時代くらいまでは、作りたいデザインに合わせてダイヤモンドのカットをコントロールしていたことが伝わってきます。 しかしながら現代ではただダイヤモンドを何も考えずに寄せ集めるだけです。 総カラット数を稼ぐことで高く売り、買う側も美しさではなくカラット数の多さだけで大喜びする妙な時代です。 |
イギリス 1880年頃 |
イギリス 1910年頃 | イギリス 1920年頃 |
さて、今回の宝物はダイヤモンドのカットが完全には近代化されていない時代のものです。右2つは近代化後のものです。時代が進むほど南アフリカから入ってきたダイヤモンドの総量が増えるので上質なダイヤモンドは手に入りやすくなっていますし、テクノロジーの進化によってカットもより精密に行うことができるようになります。 |
デマントイドガーネット リング イギリス 1920年頃 SOLD |
現代の気持ち悪いくらい無個性なコンピュータ制御のダイヤモンドほど揃ったカットではありませんが、近代化以前のダイヤモンドと比べるとかなりカットが揃っています。 カット自体は厚みのあるオールドヨーロピアンカットなので、アンティークのダイヤモンドらしいダイナミックなシンチレーションや美しいファイアはもちろん楽しむことができます。 1つ1つのダイヤモンドのカットが揃っていると、品行方正な優等生の雰囲気もあり、アンティークのどの時代のダイヤモンドが好きかは好みの領域と言えるでしょう。 |
4-2. 最高級のデマントイドに相応しい極上のダイヤモンド
この宝物が作られたのは、南アフリカからダイヤモンドが豊富に供給されるようになり、たくさんの原石の中から特に美しい石を選べるようになってきた時代です。そうは言ってもダイヤモンドラッシュは始まったばかりで、もっと後の時代に比べればまだまだ選べる数は少なく、これだけクリーンな石を選べるのは余程の高級品だけです。 |
カットに関してもダイヤモンドソウは発明されておらず、劈開性を利用したカットしかできませんでした。最先端のカット工房であれば蒸気機関を使った研磨機は持っていたかもしれませんが、電動の研磨機はまだ発明されていない時期です。 |
かなりの手間をかけて高度な技術を持つ職人がカットしたダイヤモンドは、1石1石がとても個性に富んでいます。 |
厚みがあり、個性に富むオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドが放つダイナミックなシンチレーションとファイアが、パワフルな魅力を放つ最上級のウラル産デマントイドガーネットに相応しい名脇役として美しさを惹き立てています♪ |
同じデマントイドガーネットを使っていたとしても、ダイヤモンドがもっと均一なカットだったらイメージはかなり違っていたはずです。 カットが近代化される以前、かつ南アフリカの上質なダイヤモンドが使えるようになった、この特殊なタイミングのダイヤモンドには非常に魅力があります。 個性あふれるダイヤモンドと、厳寒のロシアに太古の時代から眠っていたウラル産デマントイドガーネットの奏でるハーモニーには心を奪われてしまいます♪ |
5. 丁寧な作り
5-1. 全体の作り
アームの横部分には、両側に2本のラインが彫金されています。1.71ctという驚きの大きさと美しい色を兼ね備えた最上級のウラル産デマントイドガーネットがメインなので装飾は最小限のシンプルなものですが、控えめながらもあえて彫金を施している所にセンスの良さを感じます。 |
プラチナがジュエリーの一般市場に出てくる以前の作りなので、シルバーにゴールドバックの作りになっています。細工によるアートではなく宝石が主役のジュエリーなので、存分に宝石の魅力が発揮できるようすかし細工などを使ってより多く光を取り込める作りになっています。 |
大きくてクリーンなダイヤモンドなだけでなく、構造デザインにも気を遣ってあるからこそこれだけ魅力的に輝きを放つことができるのです。 |
宝石がメインのジュエリーとは言っても、アンティークのトップクラスのジュエリーであればデザインも作りも現代では考えられないほど入念に設計されて作られているのです。デマントイドとダイヤモンドが織りなす虹色のファイア・・。このリングは宝石のポテンシャルが最大に引き出される作りなのです!♪ |
ベゼルの裏やシャンクの後部もすべて丁寧な作りです。 |
5-2. 磨き上げられたシルバーの爪
イギリス 1880年頃のシルバーのセッティング |
イギリス 1920年頃のプラチナのセッティング |
今回のリングはデマントイドを留めるシルバーの爪も見事です。柔らかく粘り気があるプラチナはダイヤモンドのセットをするのに適しており、20世紀に入ってプラチナがジュエリーの一般市場に出てくると一挙にダイヤモンドジュエリーが増えました。硬くてそこまで粘り気がないシルバーで繊細な爪留をするのは容易ではないはずですが、一見するとプラチナで留めてあるのかと思うくらい繊細で美しい爪です。 |
高さのある爪で正確かつ頑丈に留められています。 |
爪は完璧に磨き上げられており、これまでにシルバーの爪では見たことがないほど光を反射して輝きます。 |
まさに最上級の宝石を使ったジュエリーに相応しい、最高級の作りとなっています!♪ |
ロシアの宝石の魅力
ロシアの宝石には不思議なほど、独特の強い魅力があります。 Genも強く魅了された1人で、「日本のアンティークジュエリー業界では僕が最も多くのシベリア産の宝石を扱っていると思う。」そうです。 |
リキュールグラス |
日本ではまだ誰もロシアン・ジュエリーを知らなかった、赤坂でお店をやっていた30年以上も前の時代からロシアには不思議なご縁があり、ジュエリーに加えて素晴らしい小物などもお取り扱いしてきました。 Song of Russiaという会社名でやっていたこともあるくらい、ロシアの芸術や文化、宝石に魅了されていたそうです。 |
エメラルド&ペアシェイプ・ダイヤモンド リング フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
以前からのお客様であれば、Genが昔から石好きではなく、宝石そのものの価値で評価されるアンティークジュエリーは強いて扱ってこなかったことはご存知だと思います。 宝石がメインのジュエリーは一切扱わないというわけではなく、デザインと作りも兼ね備えていればもちろん積極的にお取り扱いしています。 |
ロシアン・アールヌーヴォー リング ロシア 1900年頃 デマントイド・ガーネット、約14ctゴールド SOLD |
そんな中で、このデマントイドガーネットだけは大好きで積極的に買い付けていたのだそうです。 |
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ジョージアン サイベリアン・アメジスト ブローチ イギリス 1820年頃 SOLD |
←↑等倍 |
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ロシアの宝石にはまるで魔力とでも思えるような、不思議な魅力を感じます。 これだけの大きさがあれば、強い存在感は当然かもしれません。 |
『ロシアを象徴するような美しい指輪』 ロシア 1910年頃 サイベリアン・アメジスト、デマントイドガーネット、約14ctゴールド SOLD |
でも、真夜中に石の中から燃え上がる炎のような赤い色が輝くとの言い伝えがある伝説の宝石、サイベリアン・アメジストはこれだけ小さな石でも驚くほど存在感と魅力を放つことができるのです。 小さくても脇石として名脇役となれるデマントイド然り。 ロシアの宝石は小さくても人を魅了できるほど、不思議なくらいパワフルなエネルギーに満ち溢れているのです。 |
極小の石でも強い存在感があるデマントイドガーネット。 実物からでないと実感しにくいかもしれませんが、さすがにこれだけ大きさがあるとかなり圧倒されます。 ロシアの宝石、ウラル産デマントイドガーネットだけが持つ魅力です♪ |
ロンドンの鑑定書
1.71ctのデマントイドガーネットであることを証明する、ロンドンの鑑定書をお付け致します。 |
着用イメージ
さすがにこれだけの大きさがあると、指の上でも存在感があります。 ダイヤモンドもデマントイドのような鮮やかな色はないものの、かなりよく煌めくので存在感があり、ゴージャスです。 このリング1つで楽しんでも良いですが、シンプルなデザインなので、デマントイドガーネットを使った他のアイテムをお持ちの方は一緒にコーディネートもしやすいと思います。 いくつかのアイテムを使う場合はリングを一番良いものにすると良いそうですが、このリングならばどんなジュエリーにも負けることはでしょう♪ |
【参考】デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド バングル(ファベルジェ 1896年頃) 【引用】THE WALL STREET JOURNAL /Rocks of Ages: Heritage Jewelry by Joanna Hardy ©Dow Jones & Company, Inc. |
これは1896年にロシア皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラによって買い上げられた、ファベルジェによるデマントイドガーネットとダイヤモンドのバングルです。ファベルジェにしては、かなりシンプルなデザインです。 男性のGenは自分で女性用のジュエリーは着けないこともあって、コーディネートは全く考えずに買い付けします。ただシンプルなだけだと全然面白くないとのことで扱おうとせず、単品でも芸術品として成立するものを好んで選んでいました。でも、実際にいくつかのアイテムをコーディネートすることを考えた時は、シンプルで上質なものも必要なのです。全部が個性的で方向性が異なるものだと、コーディネートするとうるさくなります(笑) ロシア皇后ともなればたくさんのアイテムを持ち、コーディネートしていたでしょうから、このようなシンプルなジュエリーも必要だったのでしょうね。 |
シンプルで飽きがこない、普遍のデザインのリング。コーディネートもしやすい最高級のリングとして、申し分ない宝物なのです♪ |