No.00323 Royal Memories

英国王室の紋章デザインのスコティッシュアゲートのブローチ

 

 

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

『Royal Memories』
スコティッシュアゲート クラウン ブローチ

イギリス 1868年頃(レジスターマーク有)
アゲート、シルバー
サイズ:5.7×3.5cm
重量:13.6g
¥250,000-(税込10%)

トップクラスの技術による極上の作りと王冠のデザインから、当時ヴィクトリア女王がプロモーションのため知人や臣下に贈っていたスコティッシュアゲートのジュエリーの1つという可能性が考えられる特別な宝物です。
王冠の見事な造形や一流の職人による技術と手間がかけられた銀細工、選び抜かれた石、磨き上げられた石の見事な光沢など、特別なスコティッシュアゲートとして製作されたことは間違いありません!!

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 

 

この宝物のポイント

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ
  1. 英国王室の紋章がモチーフ
    1. 王冠のデザイン
    2. 王室の紋章の意匠
  2. 古い年代のスコティッシュアゲート
    1. ヴィクトリア女王によるスコットランド・ブーム
    2. 登録年月日が分かる特別なジュエリー
  3. センスの良い色使い
    1. カラフルなものが多いスコティッシュアゲート
    2. 石の模様を生かしたデザイン
  4. 古い年代ならではの高級品
    1. 王冠の作りの良さ
    2. 立体的な構造
    3. 素晴らしい彫金

 

 

1. 英国王室の紋章がモチーフ

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

これは英国王室の紋章が表現された、とってもオシャレなスコティッシュ・アゲートの宝物です♪

紋章の各パーツ
 【引用】『From Wikipedia, the free encyclopedia』Heraldry 23 April 2021, at 14:50 UTC

紋章の構成要素はたくさんあります。

必ずしもフルセットでデザインされるとは限らず、時と場合に合わせて一部だけ、或いは一部の組み合わせで表現されることも多いです。

要所を押さえていれば、どこの誰の紋章なのかは伝えることができます。

もちろん読み解く方も知識が必要です。

1-1. 王冠のデザイン

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

この宝物のモチーフが英国王室の紋章であるというのは、一番上に掲げられた冠のデザインで判断できます。

1-1-1. 王侯貴族が着用する冠

戴冠時のエリザベス2世(1926年-)27歳 " H.M. Queen Elizabeth II wearing her Coronation robes and regalia - S.M. la Reine Elizabeth II portant sa robe de couronnement et les insignes royaux " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(14 May 2012, 09:32)/Adapted/CC BY 2.0

一部の特殊な立場の人を除き、現代日本人の殆どはヨーロッパの冠に馴染みがありません。

庶民が目にするのは、ほぼ君主が着用した姿だけです。

故に冠、イコール王冠だと捉えがちですが、実は冠には想像以上に種類があります。

王冠はその名の通り王様が付ける冠ですが、君主以外の王室メンバー、爵位貴族たちもコロネットと呼ばれるそれぞれの地位に合わせた冠を所有しています。

デヴォン伯爵のコロネット
"Coronet EarlOfDevon PowderhamCastle" ©Lobsterthermidor(2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

但し、それらを着用するシーンは極めて限定されます。

同じヨーロッパでも、大陸貴族と異なり、イギリス貴族は爵位を継ぐ条件が極めて厳しいです。

大陸貴族は兄弟全員が爵位を継ぐことができますが、イギリス貴族は男性の長子のみが爵位を継ぐことができ、しかもそれは先代が亡くなった後です。

革命前のフランスは宮廷貴族だけで約4000家、貴族階級の第二身分は40万人もいたことに対し、時代が下った1880年時点でもイギリスの爵位貴族は580人しかいなかった理由です。

エリザベス女王の戴冠式(1953年) "Coronation of Queen Elizabeth II Couronnement de la Reine Elizabeth II " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(2 June 1953)/Adapted/CC BY 2.0

この特殊な立場のイギリス貴族がコロネットを着用するのは基本的には人生で一度、正式に爵位を継ぐ時のみです。

それ以外は、国王や女王の戴冠式などの正式な儀式において着用します。

貴族がコロネットを着用した姿を、庶民が見る機会はほぼないわけですね〜。

1-1-2. 冠のデザインで分かる身分

イギリスの爵位貴族のコロネット
公爵

"Coronet of a British Duke" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
侯爵

"Coronet of a British MARQUESS" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
伯爵

"Coronet of a British EARL" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
子爵

"Coronet of a British Viscount" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
男爵

"Coronet of a British Baron" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

イギリスには5つの爵位が存在し、それぞれコロネットのデザインも異なります。葉っぱのデザインは苺の葉、白い珠は天然真珠を表現しています。公爵については、王太子を含む王族メンバーも存在する極めて高い身分になります。

イギリス王族メンバーのコロネット
皇太子
(法定推定相続人)"Coronet of the British Heir Apparent" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王子・王女
(君主の子供、君主の兄弟姉妹)"Coronet of a Child of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王子・王女
(皇太子の子)"Coronet of a Child of the Heir Apparent" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王子・王女
(皇太子以外の君主の息子の子)"Coronet of a Grandchild of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
君主の娘の子
 "Coronet of a Child of a Daughter of the Sovereign" ©Sodacan(20 July 2010, 14:17)/Adapted/CC BY-SA 3.0

王室メンバーのコロネットも、それぞれの立場によって異なります。見慣れないと全部同じに見えそうですね。王室メンバーのコロネットには、通常の爵位貴族のコロネットには無かったクロスやフルール・ド・リスのデザインが見られます。

イギリス君主の王冠
クラウン(王冠)
"Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

王冠はクロスとフルール・ド・リスで構成され、中央にはコロネットには無かったアーチが架けられています。見比べてみると、この宝物にデザインされているのは王冠であることが分かります。

1-2. 王室の紋章の意匠

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

この宝物が作られたのは1868年で、イギリスの君主はヴィクトリア女王でした。

大英帝国君主としてのヴィクトリア女王の紋章
"Coat of arms on the United Kingdom (1837-1952)" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

大英帝国君主としてのヴィクトリア女王の正式な紋章はこのようになります。

1-2-1. 紋章表現のバリエーション

【参考】スチール or シルバーの安物フォブシール 【参考】シルバーの安物のフォブシール

アンティークジュエリーで、最も紋章が見られるアイテムがフォブシールです。仕事用の印鑑として使う、実用的な面もあったからです。ジュエリーの部類には入らない、完全に実用品として作られたスチールやシルバー製の安物も多く存在します。

【参考】安物での紋章の表現例
シール 拡大

これらは石を使った、一応ジュエリーとして製作された部類には入るものの、ヘリテイジでは扱わない安物です。石の質も良くないですし、彫りのレベルも稚拙で酷いです。ただ、技術の低い職人だからと言って、必ずしも楽してエスカッシャン(盾)しか表現しないというわけでもありません。どの要素を表現するかは自由なのです。

フォブシールでの紋章の表現例
イギリスの伯爵家のジョージアンの紋章シール『アンズリー家の伯爵紋章』
イギリス 19世紀初期
¥1,230,000-(税込10%)

スコットランド氏族ガスリー家のモットーが描かれた紋章シール『真実の支持者』
イギリス 19世紀初期
SOLD
イギリス貴族の紋章シール 『英国貴族の紋章』
イギリス 1820年頃
SOLD
スモーキークォーツの美しい紋章シール『魔法のクリスタル』
イギリス 1780年頃
SOLD

上流階級の中でも特に高位の身分の人しか持てない、最高級品として作られたものを見てもこれだけバリエーションがあります。教養と美意識を必要不可欠とする王侯貴族の持ち物には、それぞれのセンスが反映されます。

フォブシールという小さな面積に、どういう石と紋章デザインを組み合わせてセンスの良さを感じる宝物にするのか、綿密に計算して作られています。それぞれバランス良く作られており、美しいと感じられる芸術作品に仕上がっています。

1-2-2. 珍しいブローチでの紋章表現

大英帝国君主としてのヴィクトリア女王の紋章
"Coat of arms on the United Kingdom (1837-1952)" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

紋章を表現したブローチは、46年間で初めてご紹介するほど珍しいものです。シグネット・リングやフォブシールより大きく、自由にデザインしやすいブローチに於いて、どういうデザインにするのかはセンスの見せ所です。

エスカッシャン(盾)があれば紋章だとひと目で分かりますし、王冠があれば英国王室を示すものだとすぐに判断できます。さらに、ガーター騎士団を象徴するガーターベルトがバランス良くデザインされています。日本人には馴染みが薄いですが、イギリス人にとってはひと目で分かるロイヤル・モチーフなのです。

2. 古い年代のスコティッシュアゲート

スコットランドの瑪瑙 "Scotland007" ©峠武宏(29 April 2014, 14:52:52)/Adapted/CC BY-SA 3.0

スコットランドでは面白い魅力的な石が採れます。

ジョージアンの「キューピッドと鷲(ゼウス)」モチーフのスケルトンのストーンカメオのアンティーク・ブローチ『キューピッドと鷲(ゼウスの使い)』
ジョージアン ストーンカメオ
フランス? 19世紀初期
SOLD

加工された後の石の産地は分からないものの、古い時代でも面白い石を使ったハイジュエリーは時折見ることができます。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

しかしながら、『スコティッシュアゲートのジュエリー』に分類されるジュエリーはヴィクトリアン中期以降にしか見られません。

これにはロイヤルファミリーに起因する理由があります。

2-1. ヴィクトリア女王によるスコットランド・ブーム

2-1-1. イギリスの王侯貴族の邸宅

デヴォン伯爵のコロネット
"Coronet EarlOfDevon PowderhamCastle" ©Lobsterthermidor(2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

大陸には土地を持たない貴族も存在しますが、イギリスの爵位貴族は所領を統治する領主であり、それぞれが小国の王とも呼べる存在です。

PDデボンシャー公爵のタウンハウスだったデヴォンシャー・ハウス正面玄関(1906年)

彼らは所領には本宅となるカントリーハウスがありますが、社交のシーズンや仕事などの用事で使用するためのタウンハウスもロンドンに所有します。

左はデボンシャー公爵のタウンハウスだったでデボンシャー・ハウスです。

初代デボンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1640-1707年)

男性の長子のみが相続でき、養子も許されないイギリス貴族は途絶えてしまう家が少なくありません。

だからこそ同じ爵位であっても、古い時代から続く家ほど特別視されます。

デボンシャー公爵は、元々第4代デボンシャー伯爵だったウィリアム・キャヴェンディッシュが1694年に叙爵して以降、現代まで続く名門家です。

PDデヴォンシャー・ハウスの舞踏会場(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1850年)Public Domain

1740年頃に完成したデボンシャー・ハウスは、残念ながら第一次世界大戦で被災して1924年に取り壊されましたが、数百名もの上流階級を集めて大仮面舞踏会を催すことができるほど豪華なタウンハウスでした。

PDチャッツワース・ハウスと第11代デボンシャー公爵アンドルー・キャヴェンディッシュ(1985年)
"The Duke of Devonshire at Chatsworth" ©Allan warren(1985)/Adapted/CC BY-SA 3.0

しかしながらイギリス貴族が最も愛し、手をかけるのがカントリーハウスです。デボンシャー公爵の本宅がチャッツワース・ハウスです。チャッツワース・ハウスは数々のカントリーハウスを取材し、イギリス貴族の邸宅に関する様々な書籍を著した田中亮三氏が最も好きだと言うカントリー・ハウスです。田中氏がハワード城の晩餐会で出会った某上流階級の紳士もこの城が一番好きだということで、意気投合したこともあるそうです。

PDデボンシャー公爵のアイルランドの邸宅リズモア城(2006年)"Lismore Castle 2" ©Dermot(23 October 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5

そのような凄い本宅とタウンハウスを所有していますが、それだけに留まりません。デボンシャー公爵は他にもボルトン・アビーやリズモア城を所有しています。旧邸宅としてはロズデンスバラ・ホール、ハードウィック・ホール、チジック・ハウス、バーリントン・ハウスも所有していました。維持費だけでも凄いことになりそうですね。

ヘリテイジがお取り扱いするアンティークのハイジュエリーは、信じられないほどお金をかけて作られたものばかりですが、邸宅にこれだけのお金をかけられる人たちのものだったと考えれば納得できるのです。

PD国王エドワード7世とデボンシャー公爵の家族たち(リズモア城 1904年5月)Public Domain

ちなみにデボンシャー公爵のアイルランドの邸宅、リズモア城で撮影された国王エドワード7世とデボンシャー公爵の家族たちの写真が残っています。普段着に近い装いなので、王侯貴族といえどもジュエリーはシンプルですね。

PD国王エドワード7世とデボンシャー公爵の家族たち(リズモア城 1904年5月)

エドワード7世の後ろにアレクサンドラ王妃、前列左にヴィクトリア王女の姿もあります。正装した姿しか見る機会がない一般庶民は、往々にして"王侯貴族はいつでもドレスを着て綺羅びやかな宝石を着けている"と思いがちですが、実際はこういう感じなのです。

これが想像で分かる方には、ヘリテイジがお取り扱いする宝物が王侯貴族のものであると理解できるのですが、大体の人は大きな宝石が付いていないと王侯貴族のジュエリーと思えないようです。それで成金みたいなジュエリーに走るのです。分かる人と、説明しても理解できない人がいるのが興味深いです(笑)

ガーターをデザインした第11代デボンシャー公爵アンドルー・キャヴェンディッシュの紋章 "Coat of Arms of Andrew Cavendish, 11th Duke of Devonshire, KG, MC, PC, DL " ©Rs-nourse(26 June 2018)/Adapted/CC BY-SA 4.0 王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ英国王室の紋章をモチーフにした宝物

ちなみにチャッツワース・ハウスを背にして立っていた第11代デボンシャー公爵アンドルー・キャヴェンディッシュの紋章は左になります。1996年からガーター騎士団のメンバーとなっていたため、エスカッシャンを囲むようにガーターがデザインされています。今回のブローチとそっくりですが、冠の意匠が公爵と君主で違います。

公爵でも信じられないほど凄いですが、君主はより凄いです。

2-1-2. 英国王室の別荘

貧富の差が激しかったヨーロッパの古い時代は、人口の大半を占める庶民はお金を持っておらず、旅行などの娯楽を楽しむ余裕はありませんでした。だからこそ現代のように、誰もが利用できる中途半端な高級価格のラグジュアリーホテルのようなものはビジネスとして成立し得ず、余程の有名観光地など例外を除いて存在しませんでした。

旅行やバカンスを楽しむことができる、当時の限られた王侯貴族はどうしていたのかと言うと、現地の知り合いなどの家に滞在したり、借りたり、いっそのこと別荘を購入してしまうという選択をしていました。

2-1-2-1. 国王ジョージ4世が愛した別荘
ブライトンの位置 ©google map

競馬が大好き、新しいもの、センスが良いものをこよなく愛するジョージ4世が虜になったのがブライトンでした。

ブリテン島の海に面した南端の地域です。

医師リチャード・ラッセル(1687-1759年)1755年頃

当時は鄙びた漁村でしかなかったブライトンですが、リチャード・ラッセル医師が自身が考案した海水を使った治療・健康法を実践するためにこの地を選び、1747年頃に移り住みました。

海水に浸かったり、飲んだりする海水治療です。

現代人の感覚では大したことなさそうに思えますが、当時はかなり画期的に感じられるものだったようで、海水療法は国内外の上流階級から人気を博し、ラッセル医師の診療所にはたくさんの人々が集まりました。

ラッセル医師の保養所(現:ロイヤル・アルビオン・ホテル)  カンバーランド公ヘンリー・フレデリック王子(1745-1790年)20歳頃

海の目の前に立てられた保養所は1759年にラッセル医師が亡くなって以降、季節ごとの来訪者に貸し出されました。その一人が国王ジョージ3世の弟、カンバーランド公ヘンリー・フレデリック王子です。

イギリス国王ジョージ4世(1762-1830年)18-20歳頃 カンバーランド公ヘンリー・フレデリック王子(1745-1790年)20歳頃

ヘンリー・フレデリック王子はジョージ4世の叔父に当たります。1779年にヘンリー・フレデリック王子がラッセル医師の建物を借り始め、1783年に叔父を訪ねてプリンス・オブ・ウェールズだったジョージ4世がやってきました。

競馬好きも共通する2人ですが、ジョージ4世もブライトンを大層気に入り、すぐ近くの農園の館を別荘として借り始めました。

ヘンリー・ホランドによって改装されたロイヤル・パビリオン(1788年頃)

ただ、そのままでは稀代のセンスを持ち、王室の財政を破綻させかけるほど好きなもののためにお金を使いまくったプリンス・オブ・ウェールズが満足できるわけはありません。1787年に建築家ヘンリー・ホランドに改装を命じ、ジョージ4世らしい離宮として完成させました。その後も内装を変えたり、敷地周辺の土地をさらに購入して好みの場所にしていきました。

ロンドンから離れたこの地で、その身分故に結婚を許されなかった人生最愛の女性マリア・フィッツハーバードとの楽しい時間も過ごしたそうです。

現在のロイヤル・パビリオン "Brighton - Royal Pavilion Panorama" ©flamenc(13 April 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0

摂政王太子となったジョージ4世はさらに大改修を行うことにし、1815年から7年をかけて現在の荘厳なロイヤル・パビリオンを完成させました。

ブライトンの砂浜 "Brighton from the pier" ©Angerey(21 August 2019, 14:07:27)/Adapted/CC BY-SA 4.0

ただのお金持ちのレベルならば、個人の別荘が豪華になって終わりです。しかしながらジョージ4世は大英帝国の君主です。別荘以外にもブライトンの様々な場所に超強力なパトロンとして投資し、王様の元へとたくさんの上流階級も集まってきました。その人達を満足させるためのサービスができる優秀な人材も集まり、鄙びた漁村だったブライトンは国内屈指のリゾートへと変貌しました。アンティークの時代は君主が新しい文化を作っていた、その典型です。

2-1-2-2. ヴィクトリア女王が愛した別荘
2-1-2-2-1. ヴィクトリア女王の好み
ヴィクトリア女王一家(1846年)ロイヤル・コレクション

最愛の人がいるのに立場故に結婚できず、遊び人として散財しまくった国王ジョージ4世を反面教師とし、ヴィクトリア女王夫妻は超が付くほど真面目でした。生来の性格や育った環境もあってか、好むものもジョージ4世とは異なりました。

どういうものが好きで、どういうものが好きではないのか。これは、自身の中に絶対的な感覚を持っていなければ判断できません。教養やセンス、高い美意識を持つ人にとっては判断は容易で、且つ揺るぎないものです。しかしながら王侯貴族だからと言って、必ずしもそれを持っていたわけではありません。

母ヴィクトリアとヴィクトリア女王(1824-1825年頃)

ジョージ4世は高い教養とセンスを持ち、魅力に満ち溢れ、イギリス一のジェントルマンと言われるほど上流階級の間でも評価の高い人物でした。明るく聡明で物知りで、貴族院でも「同時代の誰よりも上流階級のたしなみを身に付けている。」として、その知識と才能を称賛されるほどでした。

一方で生後8ヶ月で父ケント公エドワード・オーガスタス王子を亡くし、英語が話せなかった母ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールドの元で育ったヴィクトリア女王の育つ環境は、教養を身に付ける点では良いものではありませんでした。

ヴィクトリア女王(1819-1901年)14歳頃 ルイーゼ・レーツェン(1784-1870年)58歳頃

ヴィクトリア女王には教育係としてドイツ出身のルイーゼ・レーツェンがいたのですが、ヴィクトリア女王の教養は、結婚後のアルバート王配が自身の高い教養に比べて問題に感じるほど浅薄なものでした。結局ヴィクトリア女王の猛反対を押し切り、1842年にアルバート王配はレーツェンを宮廷から追放しています。

幼少期に素地が育成できていれば良いのですが、大人になって一から教養とセンスを磨くのは極めて困難です。ただ、アルバート王配には王族としての教養もセンスもありました。

アンティークの時代、王族は王族と結婚するのが当たり前でした。故に配偶者を他国の王室から迎えるのは普通で、アルバート王配もドイツ(ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国)から迎え入れられた外国人でした。

メルバーン子爵ウィリアム・ラム(1779-1848年)65歳頃

「女王を傀儡にして、ドイツ人がイギリスを乗っ取る気では?」などの疑念も持たれていた婚姻当初ですが、ヴィクトリア女王即位時の首相で、女王の寵愛を受けていたメルバーン子爵は早くからアルバート王配の非凡な才能を見抜きました。

そしてヴィクトリア女王に対して、「アルバート公は実に頭の切れるお方です。どうかアルバート公の仰ることをよくお聞きなさいますように」と進言したのです。

ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート(1819-1861年)21歳頃、1840年頃 ヴィクトリア女王(1819-1901年)20歳、1840年

元々ヴィクトリア女王は19歳の頃、メルバーン子爵に「私は当面いかなる結婚もしたくない。」と語っていました。しかしながらそれを翻してしまうほど、美男子で教養あふれるアルバート公子に女王が惚れ込んで成立した結婚です。

メルバーン子爵のお墨付きももらい、ヴィクトリア女王は思う存分、安心して好きなだけ"あなた色に染まる"ことができました。

アルバート王配がヴィクトリア女王のためにデザインしたサファイアのティアラ(1842年)
V&A美術館 【引用】V&A museum © Victoria and Albert Museum, London/Adapted

アルバート王配がデザインしたティアラは、ヴィクトリア女王にとって一生の宝物です。

サファイアのティアラを着けたヴィクトリア女王

新婚時代の22歳頃にアルバート王配がデザインしたものですが、自分を想って作ってくれた宝物は飽きることがなく、それどころか日を増すごとに夫への愛とともに愛着が増していくものです♪

アルバート王配が好きだった宝石、オパールのティアラを着けたヴィクトリア女王(1819-1901年)

アルバート王配がオパールが好きと聞けば、ヴィクトリア女王の好きな宝石もオパールとなります。

そして皆にもアルバート王配が大好きなオパールの魅力を知ってもらいたくて、絶賛プロモーションして流行させたりします。

そういうわけで、ヴィクトリア女王の場合は好きなものを選ぶ際、アルバート王配の好みが重要となってきます。

アルバート王配が好むものはヴィクトリア女王も無条件に好むようなので、これはこれでベストな組み合わせの夫婦ですね〜♪

2-1-2-2-2. ヴィクトリア女王夫妻が好んだ場所
ドイツのチューリンゲン "WAK SEEB INSELSBG" ©Metilseiner(3 October 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

ヴィクトリア女王夫妻がお気に召したのは、スコットランド・アバディーンシャーにあるバルモラル城でした。即位したばかりの国王ジョージ4世も1822年に訪れていますが、特に好みではなかったようです。

何故ヴィクトリア女王夫妻がこの地を好んだのかと言うと、城の周りの丘陵の景色がアルバート王配の故郷であるドイツのチューリンゲンを彷彿とされるものだったからです。1848年9月8日にバルモラル城を初めて訪れたヴィクトリア女王は、日記に「この場所は全てが自由で穏やかで、世界と悲しい騒動を忘れさせてくれる。」と記しています。

生まれながらに大英帝国の王位継承者として重圧を負い、真面目すぎる性格故に一時も心から休まる時間がないヴィクトリア女王にとっては、こういう場所が必要だったのでしょうね。

建設中のバルモラル城(ヴィクトリア女王 1854年)

1848年当初は賃貸契約でしたが、1852年の秋にアルバート王配が32,000ポンドで正式に城の所有権を獲得しました。

ヴィクトリア女王が「小さいけれど綺麗。」と気に入っていたバルモラル城ですが、ロイヤルファミリーで使用するには小さすぎることが分かり、1853年の夏から新しい城が建設されることになりました。

バルモラル城(1890-1900年頃)

設計はウィリアム・スミスに依頼されましたが、タレット(小塔)や窓など細部に強い関心を示したアルバートはスミスの設計に修正を加えるなど、アルバート王配の好みを大いに反映した城となりました。

しかしながら新しい城の完成前から2人はこの場所がお気に入りで、日記係のチャールズ・グレヴィルの1849年の記録によれば、バルモラルでの2人の生活は王族ではなく貴族のようだったそうです。

長女ヴィッキーとヴィクトリア女王夫妻(ウィンザー城 1840-1843年頃)

おじいさんは山へ芝刈りへ、おばあさんは川へ洗濯へ・・。すみません、言ってみたかっただけです(笑)

ヴィクトリア女王は1日最大4時間もの長い散歩を楽しみ、アルバート王配は何日も鹿狩りなどの狩猟に費やしたそうです。やっぱり王侯貴族の男性は狩猟を好む人が多いですね。日本人の感覚からすると、長女ヴィッキーが鳥さんの亡骸を手にする姿がどうしてもシュールに見えますが、魚に置き換えればそんなものですかね。無益な殺生を楽しんでいるのではなく、これらの鳥さんたちも有り難い食事として皆で分かち合うわけですしね。

散歩に4時間というのも凄いです。ロンドンから離れ、大自然に囲まれたバルモラルは、ヴィクトリア女王にとっても気張ることなく本来の自分に戻れる貴重な場所だったのかもしれませんね。全世界が注目する立場、その気苦労は想像を絶します。

2-1-3. 英国王室によるスコットランド文化のプロモーション

2-1-3-1. スコットランドの伝統文化の衰退
『カロデンの戦い』ジャコバイト軍 vs. グレートブリテン軍(1746年)

現代でも独立の機運が高まるほど、連合王国の中でもスコットランドは特殊です。特にハイランドの人々は1746年のカロデンの戦いで惨敗した後、強い遺恨が残っています。

この戦いの後、英国政府は反乱の再発防止のため禁止法を制定しました。ハイランドに軍を駐留して監視し、武装解除させ、軍隊などの例外を除いてキルト、タータン、バグパイプ、ハイランド・ゲーム、ゲール語の使用まで禁止しました。文化の蹂躙です。スコットランドへの強い愛国心と誇りを持つハイランドの人々にとっては、単純に戦って殺される以上に腹わたが煮えくり返ることですね。

伝統復興のために禁止令の撤廃を求める運動が起こり、1782年にこの禁止法は解かれました。でも、約35年に渡る禁止法によって失われた伝統文化も少なくないでしょう。とても長い期間です。当然、遺恨も残ります。

2-1-3-2. スコットランド政策として行われた文化のプロモーション
キルト着用のイギリス王ジョージ4世(1822年)

そういう微妙な関係だったため、融和を図るためにの施策が行われたりしています。

左はスコットランド旅行中に、イギリス王ジョージ4世が描かせた肖像画です。

スコットランドの伝統衣装を身に纏い、スコットランドの最高勲章であるシッスル勲章を佩用しています。

現代のようにメディアが発達しておらず、識字率も十分ではない時代は、意図を伝えるためにファッションは極めて重要な手段でした。

バルモラル城

個人的にバルモラル城を気に入ったヴィクトリア女王夫妻ですが、君主としての仕事も必要です。

建物にスコットランドの建築様式を採用したり、城をスコットランドの伝統柄であるタータンで装飾するなどしました。

ハイランド・ゲーム "ColorGuard 001" ©JFPerry~commonswuju(2005)/Adapted/CC BY-SA 2.0

ハイランド・ゲームにも参加し、ヴィクトリア女王はスコットランドへの親近感を表明し、自身をジャコバイトであると宣言したりしています。

キルト着用のイギリス王ジョージ4世(1822年) ヴィクトリア女王とその母が着用したタータンのドレス(1835-1837年頃)【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020

ファッションに関しては国王ジョージ4世のプロモーションもあって、1825−1840年頃にはイングランドとフランスで上流階級の間にタータン柄が普及しました。

右のシルク・ベルベットのドレスはヴィクトリア女王の母、ケント公爵夫人ヴィクトリアのために製作されたもので、受け継がれてヴィクトリア女王も着用しています。

ハイランドの衣装を纏ったアルバート王配(1819-1861年)1852年、33歳頃
【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020
ヴィクトリア女王の息子アルバート王子(エドワード7世)とアルフレッド王子(1849年頃)Public Domain

ヴィクトリア女王はタータン柄をさらに普及させるべく、ロイヤルファミリーでタータン柄のファッションを纏いプロモーションしました。全世界が注目する世界初の万博、1851年のロンドン万博のオープニングの舞踏会では子供たちにタータン柄の衣装を着せ、お披露目しています。

1855年のヴェルサイユでの祝賀の席では、プリンス・オブ・ウェールズだったエドワード7世がハイランドの衣装を身に纏って出席しています。

アレクサンドラ王妃のドレス(1870年)25歳頃
【出典】Fashion Museum Bath / Royal Woman ©Bath & North East Somerset Council 2021
プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世一家(1876年)【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020

一過性の流行ではなく、定着させるためにその後もロイヤル・ファミリーによるスコットランド文化のプロモーションは継続されました。老若男女は問わず、様々な場面でタータン柄がプロモーションされました。

プリンス・オブ・ウェールズ時代のエドワード7世(1876年)、35歳頃 【出典】Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020

上の肖像画では分かりにくいですが、拡大するとエドワード7世もタータン柄のネクタイを着用していることが分かります。

ヴィクトリア女王は家族や友人、臣下にハイランドスタイルの様々な贈り物をし、身に着けてもらうことで、流行と文化を創り出すファッションリーダーとしての役目を果たしました。

禁止法によって衰退していたタータン・メーカーにとっても良いパトロンとなり、伝統文化の復活にも大いに貢献しました。

このバラマキ政策(笑)と言うか、プレゼント政策は植民地オーストラリアで発見されたオパールの時と同じですね。

2-1-4. スコティッシュアゲートの流行

アメジストと非加熱シトリンのアザミのブローチアザミ ブローチ
イギリス 1880年頃
SOLD

ファッションは布地を使った衣服だけではありません。

より高価なものとしてジュエリーが存在します。

スコットランドは面白い模様を持つ固有のアゲート、花崗岩、ロッククリスタル、アメジスト、シトリンなどが産出されました。

これらを使った様々なジュエリーも新しく生み出され、流行することとなったのです。

PD『ハイランドの朝:ロイヤルファミリーのロッホナガー登山』(カール・ハーグ 1853年)

写真や画像が普及していなかった時代、肖像画は有力なプロモーション・ツールでした。故にヴィクトリア女王はチャールズとエドウィン・ランドシーア兄弟、カール・ハーグ、ウィリアム・ワイルド、ヘンリー・フィクスなど名だたる画家たちを宮廷画家としてバルモラル城に招聘し、様々な作品を描かせました。

こうして絶賛PRしたことで、「ロイヤルファミリーがお気に入りのバルモラルはどのような場所なのだろう、行ってみたい!」と上流階級、さらには庶民たちも思うようになりました。こうしてバルモラルも19世紀中後期にかけて、メジャーな旅先の1つとなったのです。

当時は今ほど旅行が気軽なものではありませんでした。また、インターネット販売が当たり前になった現代では、現地に行かないと買えない物は少なくなりました。しかしながら当時はそうではありません。旅行がまだ特別な時代だったからこそ、旅の想い出に何かその地を思い出させてくれるような特別な物が欲しいと皆が思いました。

スコティッシュアゲート 葉っぱ ブローチ アンティークジュエリー
『スコットランドの秋』
スコティッシュ リーフ ブローチ
イギリス(スコットランド) 1860年代
スコットランド産アゲート、シルバー
SOLD

こうして生まれたのが、スコットランド固有の石を使った、独特の魅力を持つスコティッシュアゲートのジュエリーだったのです。

2-2. 登録年月日が分かる特別なジュエリー

2-2-1. 大半は安物のスコテッシュアゲート・ジュエリー

【参考】安物のスコティッシュアゲート・ブローチ(19世紀後期)

スコティッシュアゲートは20世紀に入ってからも膨大な数が制作されており、今でも市場でたくさん見ることができます。

但しその殆どはヘリテイジではお取り扱わないレベルの安物です。

大量生産された安物はデザイン、石、作り全てに魅力がありません。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

故にヘリテイジがオープンしてから3年5ヶ月間、スコティッシュアゲートのご紹介ができなかったのです。

ルネサンスでも数点しかお取り扱いがありません。

2-2-2. 中産階級の需要の増大

バンデッドアゲートとゴールドで格調高い太陽を表現した、大英帝国を象徴するアンティーク・ブローチ『太陽の沈まぬ帝国』
バンデッドアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD

ヴィクトリア女王がハイランド文化を絶賛PRし始めたミッド・ヴィクトリアンは、パクス・ブリタニカと呼ばれる時代でした。

世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、植民地政策も上手くいっていたイギリスは、ちょうど世界の工場として最盛期を迎えていたのです。

大英帝国(1886年)

イギリスとフランスでは最大7倍の経済格差があったと言われており、この時代のイギリスは世界的に見れば庶民もお金持ちでした。庶民に至るまで衣食住が満ちたり、余裕が出てきて贅沢品にも目が向いてきた頃です。

アーリー・ヴィクトリアンまでは経済を回すのは王侯貴族でしたが、ミッド・ヴィクトリアン頃から、力をつけた中産階級が経済活動に大きな影響を持つようになってきました。新興富裕層(成金庶民)向けのゴテゴテしたハリボテ・ジュエリーが出回り始めるのもこの頃からです。

1840年のロンドンからの鉄道網

余力で楽しむ贅沢はジュエリーに限りません。

国王ジョージ4世によって開発が進み、上流階級の社交の中心地として有名リゾート化していったブライトンですが、1841年にロンドンからブライトンまでの鉄道が開通すると日帰りでもアクセスが可能となり、毎年10万人を送客できるようになりました。

近代ツーリズムの祖トーマス・クック(1808-1892年) "Thomas.Cook" ©Unknown author(before 1892)/Adapted/CC BY-SA 3.0
イギリス人実業家トーマス・クックにより発明された"団体旅行" ©Thomas Cook

鉄道チケットは庶民にとって決して安いものではありませんでしたが、イギリス人実業家トーマス・クックが大勢で貸し切って一人あたりの運賃を安く抑えることを思いつき、団体旅行を発明しました。

1841年に570名という規模で世界初の団体旅行が開催され、1851年にロンドンで開催された世界初の万博では団体旅行で16万人も送客し、成功を収めました。折しも、イギリス人が庶民に至るまで最も裕福な時代でした。こうして19世紀後半は、中産階級をターゲットとした団体旅行が大ブームとなりました。

ブライトン・ピアと砂浜 "Brighton Pier, Brighton, East Sussex, England-2Oct2011 (1) " ©Ian Stannard from Southsea, England(2 October 2011, 15:14)/Adapted/CC BY-SA 2.0

ブライトンは1841年の鉄道開通以降、グランド・ホテル(1864年)、ウェスト・ピア(1866年)、ブライトン・ピア(1899年)などの象徴的建築物が建設され、人口も1801年の7,000人程度から1901年には12万人を突破するに至りました。

国王ジョージ4世が英国王室の財政を破綻させかけるほどお金をかけまくったブライトンの離宮ロイヤル・パビリオンですが、ヴィクトリア女王夫妻は好みではなかったこともあって、実は1850年にブライトン市に売却してしまっています。

それでも地域の発展には、君主が弾込めして火を付けてくれれば十分だったということですね。桟橋であるブライトン・ピアにはゲームセンターや遊園地があり、ジェットコースターも楽しむことができます。いかにも中産階級ファミリー向けの楽しい娯楽という感じです。

SFの父 ジュール・ベルヌSFの父ジュール・ベルヌ(フランス 1828-1905年) PD『八十日間世界一周』(ジュール・ベルヌ 1872年刊行、1873年版)

19世紀後半は移動手段の発達が目覚ましい時代でした。蒸気船や蒸気機関車の登場によって行き先はさらに拡大され、上流階級やお金持ちの行き先は国内や周辺諸国にとどまらず、開国した日本であったり世界一周へとなっていきました。

そこまでのお金を持たない庶民が、ささやかな贅沢として国内旅行を楽しめるようになったのです。でも、それまでは旅行すら行ったことがなかった人たちにとって、とても楽しいことだったに違いありません。当然、旅先では財布の紐も緩みます。

【参考】庶民向けの安物のスコティッシュアゲート

上流階級は人数が少なく、一人あたりがジュエリーにかけるお金も数桁は違います。

庶民は上流階級とは何桁も異なる膨大な人数が存在し、一人ひとりがジュエリーにかけられるお金は微々たるものです。メーカーは薄利多売となり、物凄い数を作らなくてはなりません。手作りであっても1つずつにデザインを考えたり、特別な材料を揃えたり、手間をかけて作るのは不可能です。

こうしてたくさんの低品質の安物が作られるようになりました。あまりの人気ぶりにスコットランドだけでは生産が追いつかず、バーミンガムに外注されるようになったほどです。さらに、石のカットもその技術で世界的に定評のあったドイツのイダー=オーバーシュタインに外注するようになりました。完全に流れ作業です。やっていることは大量生産の工業製品と同じで、心の籠もりようがありませんね(笑)安物は見た目にもそれが現れています。

さらに1870年頃には石の採掘も追いつかなくなってしまったようで、ロシアから緑色に独特の縞模様を持つシベリア産マラカイトをわざわざ輸入して使用された物まで出てくる始末でした。それほどまでに庶民レベルで大ブームとなったため、安物のスコティッシュアゲートが市場に溢れかえっているのです。

それにしても、現地で購入したお土産品が別の場所で作られた物だったというのは"有名観光地あるある"ですが、100年以上前の時代でも既にあったことなんですね(笑)

2-2-3. 初期ならではのハイクラスのスコティッシュアゲート

スコティッシュアゲート バングル アンティークジュエリースコティッシュアゲート バングル
イギリス 1860年頃
SOLD

これまでにお取り扱いしたスコティッシュアゲートは全て流行初期のものです。

ファッションリーダーである君主が新しいスタイルを提案し、それが社交界で浸透することで上流階級での流行となります。

現代と違い、数年から数十年単位の長い年月をかけて、上流階級の流行が庶民へと降りてきて桁違いの大流行となります。

初期のものは特に、ファッションへの感度が高い上流階級のために作られた上質なものとなるのです。

ケアンゴルムス産シトリンが美しいスコティッシュアゲートのブローチスコティッシュアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD

庶民のための量産品と異なり、王侯貴族のために特別に作られたものはデザインもこだわりが伝わってくるものですし、使ってある宝石も簡単には手に入らない稀少価値の高いものです。

意匠を凝らしたデザインは高度な技術がないと作れませんから、もちろん作りも良いです。

【参考】庶民向けの安物のスコティッシュアゲート
19世紀後期 1900年前後

興味深いのが、成金思考の庶民は石コロさえ付いていれば満足することです。デザインや作りの良さには驚くほど興味がありません。ただ大きな石さえ付いていれば良く、石コロの質さえも殆ど興味はないのです。

それを示すかのように、安物は時代が下るごとに細工が無くなっていきます。安物メーカーはその分だけ高く売れるならば細工を施しますが、同じ値段で売れるならば手抜きしてコストカットします。細工は技術と手間がかかります。それは技術料や人件費というコストになりますし、時間がかかるとたくさん作ることができません。

安物でも、古い時代は簡単なものながらも彫金が施されていますが、だんだんと彫金が省略され、単純なものになっていくのです。大きな石が付いていて安い方が庶民は喜ぶからです。流通する物の質の低下は、全て購買者側の原因です。

安物は、早く安く大量に作れることが最優先でデザインされます。だからデザインに魅力がありません。同じようなデザインが多いのもこれが理由です。

天然の非加熱シトリンを使ったアザミのスコティッシュアゲートのブローチ『アザミ』
スコティッシュ・アゲート ブローチ
イギリス 1870年頃
SOLD
ブルー・グレーのアゲートがカッコいいスコティッシュアゲートの斧のブローチ『斧』
スコティッシュ・アゲート ブローチ
イギリス 1875年頃
SOLD

せっかくのスコットランド由来のジュエリーなのですから、高級品として作られたものはデザインもきちんとしています。アザミはスコットランドの国花ですし、戦斧と盾もハイランドの伝統的なモチーフです。

ところで『斧』の制作年代を1875年頃と推定していますが、他の宝物と違ってそこまで細かく推定できるのは理由があります。

2-2-4. レジスターマークがあるジュエリー

アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(ダイヤモンドマーク、会とマーク)

この宝物にはレジスターマークがあります。

ダイヤモンドマークやカイトマークとも呼ばれ、意匠が登録された年月日を示します。

同じものは作れない、王侯貴族のための特別オーダー品は意匠登録なんてしませんから、もちろんそういう物にはレジスターマークはありません。かと言って、安物のどうでも良いデザインも登録はされません。

庶民よりはもっと上の人達、例えば上流階級が気軽なお土産品として購入するような、高級なお土産品として一定の数を作るようなものが登録されたようです。

レジスターマークは1842-1883年の期間に運用されました。ダイヤモンドの隅に記載されたアルファベットと数字によって、登録された日にちまで分かります。アルファベットが一巡すると重複してしまうため、1842-1867年までのバージョンと1868-1883年のバージョンがあります。

アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク)

今回の宝物も、裏側の一番下にレジスターマークがあります。

英国王室の紋章が意匠化されたデザインは、1868年1月21日に意匠登録されたことが分かります。

レイトヴィクトリアンまでいかない、スコティッシュアゲートが流行する比較的初期の時代に考案されたデザインと言えます。

2-2-5. 可能性として考えられる宝物の来歴

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ レジスターマークがあるスコティッシュアゲートはとても珍しいです。
アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(ダイヤモンドマーク、会とマーク)

よくこんな面倒くさいことをしたものだと思うのですが、このレジスターマークは1点1点手彫りなのです。

フランスのイーグルヘッドの刻印

アンティークジュエリー好きにはフランスの18ctゴールドを示すイーグルヘッド信仰を持つ人も少なくありませんが、こんなものはポンポンと早く簡単に刻印できるので、ベルエポックの庶民向けの安物にも当たり前のように打たれています。

工房マークも同様です。

Genがこの仕事を始めた1970年代には、既に刻印のある偽物も出回っており、イギリス人ディーラーの間では刻印は参考程度にしかならないことは常識でした。仕事を始めたばかりのGenも、現地のディーラーから気をつけた方が良いよと教えてもらったそうです。

例え本物の刻印だったとしても、材料の質は分かるものの、アンティークの証明やジュエリーとしての品質の証明にはならないので、今でも私達は参考程度にしか見ていません。

アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク)

レジスターマークは毎日変わるため、マスターとなる刻印を作るより1点1点手彫した方が効率が良かったのでしょうけれど、よくやったものですよね。

折しも大量生産による粗造乱造の製品が生活の中に浸透していった時代でした。

第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年)

職人がプライドを持って手仕事の美しい美術工芸品を作っていた時代のモノづくりに立ち返ろうと1880年頃からアーツ&クラフツ運動が提唱されたのも、16歳の頃にウィリアム・モリスが1851年のロンドン万博で産業革命による大量生産品を見たことがきっかけでした。

アーツ&クラフツを提唱した「モダンデザインの父」ウィリアム・モリス"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年)

結局は高度な技術を持つ職人による、心を込めた手仕事は高く付き、モリスが目指した世界はうまく行きませんでした。

本来モリスが目指していたものは殆どの人にはきちんと理解されず、勘違いされてデザインだけはアーツ&クラフツとして残っていますが・・(泣)

英国王室の紋章(1868年) 『斧』(1875年)
アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク) 1875年のレジスターマーク(カイトマーク、ダイヤモンドマーク、意匠登録)

そういうわけで、大量生産には全く向かないこの手彫りの面倒なマークは、1883年には終わってしまいました。

ところで手彫りというのは共有しているのですが、英国王室の紋章を表現した今回の宝物は、『斧』と比較してより面倒なことをやっています。カメオのような凸状の陽刻になっているのです。高級感はありますが、所詮は裏側のレジスターマークです。『斧』のように線状で刻印した方が遥かに楽です。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

英国王室の紋章が意匠ということで、上流階級のオーダー品とも違います。

意匠と、いくつか作られる高級品の中でも格の違う作りと言い、もしかするとこの宝物はヴィクトリア女王が臣下にプレゼントするためにオーダーした可能性が考えられます。

そこまでは調べきれませんでしたが、その分、プレミアムが付かない価格でのご紹介です(笑)

気になる方はご自身で調べてみて下さい。アンティークのハイジュエリーの面白さの1つです♪

3. センスの良い色使い

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

今回の宝物は、色使いのセンスの良さも特長です。

安くてもセンスの良いデザインというものはたまにあるのですが、スコティッシュアゲートは全体的にカラフルなものが多いです。

3-1. カラフルなものが多いスコティッシュアゲート

スコティッシュアゲート 葉っぱ ブローチ アンティークジュエリー
『スコットランドの秋』
スコティッシュ リーフ ブローチ
イギリス(スコットランド) 1860年代
スコットランド産アゲート、シルバー
SOLD

スコティッシュアゲートはカラフルな色彩と独特の模様が魅力です。ただ、それらを生かしてうまくまとめ上げるのは至難の業で、相当な色彩センスが必要です。

殆どは心地よく調和することなく、ゴチャゴチャした失敗作に終わります。色の数が増えるほど難易度が増し、私達の基準に合う確率は少なくなります。但しうまくいくと、他にはない唯一無二の魅力を放つことができます。

スコティッシュアゲート バングル アンティークジュエリースコティッシュアゲート バングル
イギリス 1860年頃
SOLD

"これが正解"という理論的なものはありません。

そもそも天然の石の色模様を使うため、理論があったとしても、その通りの石が手に入るわけではありません。

美しい石を手に入れる運の良さ、財力、そしてそれらを美しく調和させる、天賦の才能を持つ職人兼アーティストが必要となってくるわけです。

そうやって生み出される唯一無二の芸術的な美しさが、スコティッシュアゲートの最大の魅力と言えます。

【参考】庶民向けの安物のスコティッシュアゲート

スコティッシュアゲートの場合、石そのものに高い価値があるというわけではありませんから、単純に大きいものを使ったり数をたくさん使うだけでは意味がないのです。それぞれの個性ある天然石が調和していなければ、ただゴチャゴチャしたセンスのない安物としか言えません。

3-2. 石の模様を生かしたデザイン

高級品 【参考】量産の安物
ケアンゴルムス産シトリンを使ったアザミのスコティッシュアゲートのブローチ

色の数は少ないほうがセンス良くまとめやすいです。このため、私達がセンスよ感じる高級品は色の数を極力抑えたものが多いです。

ただ、色数が少ないものにも高級品と安物があります。安物はただの手抜きです。デザインも手抜き、石を選ぶ手間も手抜きした結果の少ない色数です。故に見てもセンスが良いとは感じられませんし、使ってある石自体も質が良くありません。

左の高級品はスコットランドのケアんゴルムス産の貴重なシトリンやゴールドという高級素材が使われていますし、彫金も細部まで徹底しています。

ケアンゴルムス産シトリンが美しいスコティッシュアゲートのブローチスコティッシュアゲート ブローチ
イギリス 1860年頃
SOLD
ブルー・グレーのアゲートがカッコいいスコティッシュアゲートの斧のブローチ『斧』
スコティッシュ・アゲート ブローチ
イギリス 1875年頃
SOLD
これらは、よりスコティッシュアゲートを石の魅力をメインにデザインされた高級品です。色数は少ないですが、模様が見事に調和しており、心地よい美しさを感じます。天然の模様を使ってこのようなデザインを設計するのは、卓越したセンスを必要とします。また、これだけ綺麗な模様を持つ石を、必要なサイズと数で手に入れるのは想像以上に難しいことです。たくさんの色数を使う作品とは異なる難しさがあり、そこにかけられるセンスの良さ、技術、手間こそが高級品たる証と言えます。
王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

今回の宝物もオレンジと深緑を基調とした、極力色の数を抑えたデザインです。

そして、センスの良さを感じるのが紋章のエスカッシャン(盾)に用いられた面白い模様の石です。

適当な石でも一応ジュエリーとして成立はしますが、選び抜いてこの石が使われています。

基調とするオレンジと深緑、後はそれを邪魔しないホワイトだけで模様が構成されています。

大英帝国君主としてのヴィクトリア女王の紋章
"Coat of arms on the United Kingdom (1837-1952)" ©Sodacan(20 July 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0
王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ今回の宝物

さすがに紋章と全く同じ模様を持つ石はあるわけありませんが、ヴィクトリア女王の紋章の主な構成要素である左向きのライオンのようにも見えます。

理想とする色、模様を持つ石なんて簡単に見つかるものではありません。よく見つけてきたものだと関心します。カットする面も、絶妙な位置でコントロールしなければこのような模様にはなりません。1mmもずれれば全く別の模様になってしまいます。まさにミクロン単位での作業です!

意図しなければ、このような模様の石は使われません!!

ライオンの模様を持つスコティッシュアゲート

それぞれに個性がある面白い模様を持つスコティッシュアゲートの魅力♪

この宝物では、それを存分に楽しむことができます。想像力を掻き立ててくれる、素晴らしい大自然のアートです♪♪

4. 古い年代ならではの高級品

4-1. 王冠の作りの良さ

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

1868年に意匠登録されて作られたこの宝物は、スコティッシュアゲートの流行初期に作られたものと言えます。

実は王冠やコロネットをデザインしたものは人気があって一定数作られているのですが、安物とは作りが全く違います。

今回の宝物は王冠部分1つ見ても、上質な石を使い、立体的な造形と細かい彫金が施された見事な銀細工で作られています。

4-1-1. コロネットの一般的な作り

【参考】HERITAGEではお取り扱わないクラス

王冠デザインとは異なっており、これらはスコットランド氏族(貴族)のコロネットをデザインしたものとみられます。庶民向けの大量生産品ほど安物ではなく、一定以上の高級品として作られたものです。上流階級の中でも下の方の身分の人たちが使うような物で、ヘリテイジではこのクラスはお取り扱いしません。

コロネットの作りを見ると、シルバーだけで作られた造形は薄っぺらく、彫金も雑ではありませんが技術レベルは決して高くありません。

【参考】HERITAGEでは扱わないクラスのスコティッシュアゲート

安物は石の使い方もセンスの良さが感じられません。

花崗岩をただ使っただけです。故に、この位置でカットした意図は伝わってきません。

それでも誰かのお気に入りの宝物ではあったかもしれませんが、私はこれを見て感動できませんし、ジュエリーとして身につけてテンションが上がる物でもないので、お取り扱いしません。

自分がテンションが上がらない物を、ディーラーとして誰かにオススメするのは失礼ですから(笑)

【参考】HERITAGEではお取扱いしないクラスのピアス
正面 裏側

これはゴールド製で、庶民向けの大量生産の安物ではありませんが、ヘリテイジではお取り扱いしないクラスのピアスです。ピアスであることからご想像いただける通り、小さな物なので作りが酷いわけではありません。でも、裏側をご覧になるとお分かりいただける通り、コロネットの透かし細工がただパンチで丸く穴を開けただけのような作りが嫌です。適当過ぎると言うか、雑と言うか・・。

ルネサンスのHPでもセミナーでも、Genは裏側の作りを見るようよく言っています。このピアスも正面から見ればそれらしく見えるかもしれませんが、裏側を見れば案外そこまで丁寧に作られていないことは一目瞭然です。見えない裏側にまで気を遣うことができるものこそ、職人がコストカットを考えず、プライドをかけて仕事をさせてもらえた真の高級品なのです。

【参考】HERITAGEでは扱わないクラスのスコティッシュアゲート

このコロネットは石は使ってあるものの、石の使い方にデザイン上の明確な意図が感じられません。

ただ、石があったら喜ぶ成金的な思考の人のためだけのデザインです。当然石の質も良くありませんし、作りもチャチです。

HERITAGEでお取り扱いする宝物と、それ以下の物との大きな違いが立体造形の有無です。

安物は示し合わせたかのように作りが扁平です。

立体造形はデザインするのも、作るのも難しいことが原因ですが、立体造形こそが実物を見た時の感動の違いに大きく影響します。

こういう安物は、実物を見ても画像とそう変わりはありません。

4-1-2. 王冠の一般的な作り

【参考】HERITAGEではお取扱いしないクラス

右は厳密な王冠デザインではありませんが、クロスとアーチがあるデザインから一応王冠だと思います。コロネットがデザインされた物と比べると、さすがに王冠がデザインされた物はクラスが上です。ただ、これらもHERITAGEではお取り扱いしないクラスです。

左は王冠に石も使われていますが、全体的に色使いも造形もセンスが良いものではなく、シルバーの彫金も石の象嵌も技術が高いとは言えません。

右も、色のバランスにセンスの良さが感じられません。王冠は繊細な彫金であったり、粒金を使ったり、細部にまで一生懸命に作ろうとしたことは感じられるのですが、HERITAGEでお取り扱いする宝物のような、時を超えた圧倒的な魅力が感じられません。

高級品として作られていることは間違いないものの、職人の技術が十分ではないのです。HERITAGEがお取り扱いする宝物の感動的な美しさは、当時のトップクラスの職人だけが出せるものなのです。

4-1-3. 高級感あふれる王冠の表現

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ 王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

王冠はまるで本物のように、極めて立体的な造形で作られています。

中にセットされた石も、その造形に従って厚みのあるカットになっています。

ライオンの模様を持つスコティッシュアゲート

本来スコティッシュアゲートは面白い模様を特長とする石です。逆に、王冠に相応しい濃く鮮やかな色彩と、完璧に無地であることを両立した石は厚みがあるものほど見つけるのが難しくなります。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ 王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

王冠に使用されたスコティッシュアゲートは、間違いなく王冠に相応しい選びぬかれた石です。磨き上げられてピッカピカです。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

カメオなどもそうですが、最高級品として作られたものは仕上げも完璧です。今回の宝物も、石の表面が徹底的に磨いて仕上げられているので、格下の物と比較すると光沢がまるで違います。

英国王室の王冠デザインのスコティッシュアゲート

シルバーも厚みのある贅沢な使い方です。英国王室の威信がかかっていれば、デザインだけのチャチな作りはあり得ません。贅沢な石やシルバーの使い方、高い技術と手間をかけた贅沢な作りは、まさに王室らしい格調の高さと威厳を感じます。

4-2. 立体的な構造

英国王室の王冠デザインのスコティッシュアゲート

側面からご覧いただくと、王冠のみならず全体が厚みのある立体的な作りであることが分かります。それぞれの石はフレームに対して一段高くセットされています。また、外周のガーターベルトに対して、エスカッシャン(盾)は高い位置にセットされています。王冠も厚みがありますが、エスカッシャンも高い位置にセットされているからこそ、王冠だけが悪目立ちすることなく全体のバランスが取れているのです。

4-2-1. 立体感のある石のセット

【参考】庶民向けの安物のスコティッシュアゲート

高級品でもデザイン上の意図があってフレームと石を同じ高さにセットすることはあるので、同じ高さだから安物であると一概に言うことはできません。しかしながら安物は総じて同じ高さでセットします。流れ作業によって職人は何も考えず早く、安く、楽にセットできるからです。

ライオンの模様を持つスコティッシュアゲート

高さを出してセットするには、石自体により厚みが必要です。また、側面に絶妙なテーパー(先細りの傾斜)を付けなくてはなりません。フレームに合わせて絶妙なカットを施す必要があり、石のカットに関しても繊細なコントロールができる高度な技術が必要となります。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

とても大変なことですが、それができると高級感が生まれます。

扁平な作りだとチープさが漂いますが、厚みを持たせるだけで驚くほど高級感が出ます。

4-2-2. 立体感のある全体の配置

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク)

エスカッシャン(盾)の部分以外は、シルバーの板を削り出して作られています。鍛造の厚みのあるシルバーを削り出して作っているからこそ、作られてから150年以上も経過した今でもビクともしない堅牢さを備えているのです。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

エスカッシャンは金具をロウ付けして本体に固定しています。

斜め後ろから見ると、かなり高さを出してセットされていることが分かります。

4-3. 素晴らしい彫金

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

この宝物は、全体に隈なく施された彫金も素晴らしいです。精緻で、どこにも手を抜いた箇所がありません。その中でも特に素晴らしいのは王冠部分です。

英国王室の王冠のスコティッシュアゲート

クロスとフルール・ド・リスの透かし細工は、厚みがある上に曲率がきついシルバーの板に施されています。

透かし細工は厚みがあるほど難易度は指数関数的に増していきます。

透かし細工は磨いて仕上げる工程が一番の難所ですが、この作業の手間が激増するのです。

英国王室の王冠デザインのスコティッシュアゲート

相当大変だったはずですが、一切の妥協なく完璧に仕上げられており、スッキリとしたシャープで美しい造形に整えられています。これだけ厚みがあるからこそ、立体的で見た目にも高級感がありますし、高い耐久性があります。まさに一流の職人ならではの仕事です。

英国王室の王冠のスコティッシュアゲート

彫金も、正面だけでなくサイドまでしっかりと施されています。

王冠の一番下のねじり鉢巻状のトルス(リース)のようなパーツの表現も見事です。

鏨(タガネ)を打った後、磨いて形を整えているからこそ、ねじり鉢巻のような柔らかい質感となっています。

ここは君主の頭にフィットさせる部分ですから、硬くては困ります。

クラウン(王冠)
"Crown of Saint Edward(Heraldry)" ©Sodacan(20 July 2010, 14:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0
英国王室の王冠デザインのスコティッシュアゲート

ねじり鉢巻の上の部分は、見事な削り出しの彫金細工と魚子打ちのような技法によって、鏤められた豪華な宝石が表現されています。

英国王室の王冠のスコティッシュアゲート

宝石部分は非常に際立った造形で、作者のトップクラスの技術をまざまざと感じさせるものです。

完璧に磨きげられているからこその輝きが、宝石の形を再現したこの部分の高級感と美しさを惹き立てています。

宝石の周囲は、タガネで極めて細かい点を打ち、ベルベットのような質感を出しています。

実際の大きさを考えると驚くほど細かい作業で、間違いなく作者はこの宝物を作るために特別な道具を自作しています。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
ライオンの模様を持つスコティッシュアゲート

もちろん、正面からは見えない頂上部分も抜かりなく彫金してあります。シルバーの大きな粒金も、デザイン上の良いポイントとなっています。

英国王室御用達Collingwood社のエドワーディアンのクラウン・ブローチ 『ロイヤル・クラウン』
王室御用達コーリンウッド社 クラウン・ブローチ
イギリス 1910年頃
SOLD

王室から臣下などに贈られるジュエリーは、王室御用達メーカーが製作しますし、王室の威信がかかっているので作りも納得の素晴らしいものばかりです。

このブローチも、英国王室を象徴する王冠には特に気合が入っていました。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

同じシルバーの作りのスコティッシュアゲートでも、この宝物は明らかにクオリティが群を抜いています。素材的にも、手間のかかる作り的にもいくつも量産することは不可能でしょう。王室が誰かに贈る特別なスコティッシュアゲートとして、限定された数だけが作られた特別なブローチだった可能性が高いと思っています。

裏側

スコティッシュアゲートの優美な彫金 アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク)

ちなみに私がとても驚いたのが、ガーターベルトの先端に当たるこの部分です。正面と裏側の形状を見比べると、裏側は本来必要のない、凝った形状で整えられていることがお分かりいただけると思います。正面から見える形状のまま、型抜きしたような90度のテーパーで仕上げてもモノとしては成立します。しかしながら角度を付け、より美しく見える形状にキリッと整えてあるのです。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

シルバーが良い感じに色が変化しており、作られたばかりの頃よりも形状が際立って美しいです。

成金はまず気が付かない心遣いですし、そんなことに手間をかけるくらいだったらもっと安くしてくれというような部分です。

アンティークのスコティッシュアゲートのレジスターマーク(意匠登録、ダイヤモンドマーク、カイトマーク)

裏側にまで漂う高級感は、裏側まで手を抜かずデザインを行き渡らせ、丁寧に作り込まれているからなのです。

これこそ王侯貴族らしい、余裕のあるエレガントさを感じられる宝物です♪

着用イメージ

英国王室の紋章デザインのスコティッシュアゲート・ブローチの着用イメージ

いつもご紹介するブローチよりは大きめですが、綺羅びやかな宝石ではなく、石の色や模様の面白さが魅力のジュエリーなので、悪目立ちすることも成金っぽくなることもありません。

日本だと、ひと目で英国王室の紋章デザインと分かる人は一般には多くないでしょう。

王冠が付いたオシャレなデザインのブローチとして、気軽にコーディネートしていただけると思います♪

余談

バルモラル城(1890-1900年頃)

苦楽を共にした最愛の夫アルバート王配を、ヴィクトリア女王は1861年に亡くしました。夫婦ともに42歳の時でした。21年ちょっとの結婚生活。これは長いのか短いのか・・。その後1901年、81歳まで生きたヴィクトリア女王は40年近くも未亡人として過ごすことになりました。

最愛の人と暮らした時間より遥かに長い時間を、最愛の人を想いながら独りで過ごしたヴィクトリア女王。女王の悲しみは深く、異例なほど長い期間を喪に服しました。ロンドンには滅多に近寄らなくなった女王が過ごしたのがバルモラル城とオズボーン・ハウスでした。

オズボーン・ハウスは1845年から1851年にかけて、ブリテン島の南にあるワイト島に建てられた海辺の離宮です。設計者はなんとアルバート王配です。バルモラル城もアルバート王配の故郷に似た風光明媚な場所で、城には細部にまで王配の好みが行き届いていました。

最愛の人の気配を感じられる場所。そして最愛の人との楽しくて幸せな想い出が詰まった、心穏やかになれる場所。それがヴィクトリア女王にとってのバルモラル城だったに違いありません。

PD『ハイランドの朝:ロイヤルファミリーのロッホナガー登山』(カール・ハーグ 1853年)

バルモラル城は現在でも英国王室の離宮となっており、ロイヤルファミリーの夏の避暑地として毎年愛用されています。ヴィクトリア女王を超えて歴代最長の在位期間を誇るエリザベス2世も、夫エディンバラ公フィリップ王配と、子供たちと共に楽しく過ごした場所です。

現在のバルモラル城は敷地面積が65,000エーカー(260平方km)あり、超望遠レンズまで駆使するパパラッチに絶えず晒されるロイヤルファミリーとっては、心落ち着く大切な場所と言えるでしょう。

ロイヤルファミリーの楽しい想い出がたくさん詰まった場所・・。

王冠&紋章モチーフのスコティッシュアゲート・ブローチ

スコットランドの素敵な魅力を知って欲しい。

皆と幸せを分かち合いたい。

たくさんに人に幸せになって欲しい。

スコットランドの豊かな自然と、心優しく愛にあふれるヴィクトリア女王の真心が伝わってくるような、ちょっと特別な宝物です♪