No.00304 クリスタル・オーブ |
『クリスタル・オーブ』 ロッククリスタル ペンダント
フランス 19世紀後期(イーグルヘッドの刻印) 19世紀の第一級の職人による繊細で美しい金細工と、複雑な多面体カットを施されたロッククリスタルを組み合わせた、極めて珍しいオーブ状のペンダントです。 格調高い雰囲気の中に華やかさと軽やかさを感じるデザインはイギリス・ジュエリーにはない、フランスならではのもので、金細工と石のカットという細工の魅力に加えてデザインも楽しめる、小さいのにアンティークの魅力満点の宝物です♪ |
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この宝物のポイント
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1. 気品あふれるオーブ型のペンダント
1-1. ペンダントとしては珍しい360度の作り
この宝物はペンダントとしては珍しく、360度の作りになっています。 |
ヘリテイジでお取り扱いするアンティークのハイジュエリーの場合、両面にデザインと細工が施されているペンダントもわりと存在します。 見えない裏側にまでコストを度外視して施された細工は、高い美意識を持つ上流階級のために作られた本当の高級品の証でもあります。 |
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『WILDLIFES』 アーツ&クラフツ×モダンスタイル ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
でもそれらは通常、ペンダントとしておさまりが良いよう球体ではなく、ある程度フラットな形状で作られます。 |
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『真心』 オーダーメイドのロケット・ペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
360度の球体のデザインは表裏が存在せず、全面に細工を施す必要があるため、作るのに余計に材料コストや加工費がかかり、正面だけデザインと細工を施すよりも倍以上に高くつきます。 明らかに意図して作らないと、このような球体デザインのペンダントは生まれません。 |
1-2. 君主を示すオーブのような形
球体の宝物は滅多にあるものではありません。 しかしながら、どこかで見たことがあるような・・。 この高貴な雰囲気と特別感は・・・? |
1-2-1. 王権を示すレガリア
戴冠時のエリザベス1世(1533-1603)25歳 | 戴冠時のエリザベス2世(1926年-)27歳 " H.M. Queen Elizabeth II wearing her Coronation robes and regalia - S.M. la Reine Elizabeth II portant sa robe de couronnement et les insignes royaux " ©BiblioArchives / LibraryArchives from Canada(14 May 2012, 09:32)/Adapted/CC BY 2.0 |
このイギリスの女王の戴冠式の肖像は2年半ほど前に『慈愛の心』でご紹介しましたが、これを思い出された方は素晴らしいです♪2人とも王権を示すレガリアとして王冠、王笏、宝珠の3種の宝物を身につけています。 |
日本の三種の神器の想像図(実物は非公開) Public Domain |
『レガリア』はそれを持つことで正統な王、君主であるとを認めさせる"象徴となる物"です。 日本だと八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣:くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器が相当します。 タイ王国では『五種の神器』がありますし、各国で様々なレガリアが存在します。 |
ポーランド王、ザクセン選帝候アウグスト3世(1696-1763年) | アウグスト3世のレガリア |
ヨーロッパ諸国では王冠、王笏、宝珠の3種のレガリアが一般的です。 |
レガリアを持つノルウェー王妃モードと国王ホーコン7世(1906年) "King Haakon VII and Queen Maud" ©National Library of Norway c/o: Peder O. Aune(1906)/Adapted/CC BY 2.0 |
冠や笏は日本人にとって、いかにも身分の高い人の持ち物というイメージがあります。特に王冠は正式なイベントで時折着用されることがあるため、王権を示すレガリアとしてメジャーです。一方で宝珠はあまり見る機会もなくマイナーですし、一見しただけでは何のための物なのかよく分かりませんよね。でも、一度見ると球体という独特の形状はとても印象的で、記憶に残ります。 |
オーストリアのクラウン・ジュエルの宝珠 "Wien - Schatzkammer - Orb" ©Andrew Bossi(30 June 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
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この"球体"という珍しい形状、それに加えて金銀財宝を使ったゴージャスなデザインと作りは、まさに宝珠を彷彿とさせるのです。でも、「実際の宝珠には上に十字架が付いているのでは?」と思われたでしょうか。 |
1-2-2. キリスト教にとってのモチーフ
『平和のしるし』 ローマンモザイク デミパリュール イタリア 1860年頃 ¥2,030,000-(税込10%) |
しかしながらキリスト教の場合はそれぞれのモチーフに明確な意味があり、肉体の死後の再生を強く求め、教えを厳密に守る一神教なので、異教のモチーフをむやみに使うことはまずあり得ません。 |
デンマーク王室のレガリアの宝珠 "Denmark gloubus cruciger" ©Ikiwaner(14. Juli 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
だから宝珠にセットされた十字架にも当然明確な意味があり、これはキリストによる世界支配を意味します。 つまり、球体は世界そのものを表します。 この、世界(地球)が球体であるという概念は、実は古代から存在します。 |
1-2-3. 近代に生まれた『地球平面説神話』
「あれっ?昔の人は地球が平面であると信じていて、端っこがどうなっているのか偉い学者の間でも議論になっていたのでは?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。 |
クリストファー・コロンブス(1451年頃-1506年) | 「コロンブスの時代は教養人であっても地球が平らであると信じており、それがコロンブスの障害になっていたが、コロンブスはそれに打ち勝って大航海を成功させた。」と聞いたことがあるかもしれません。 |
フェルディナンド・マゼラン(1480年頃-1521年) | マゼラン艦隊の航路 "Magellan-Map-En" ©Knutux/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
或いはマゼラン艦隊の世界一周によって、世界が球体と分かったと聞いたかもしれません。 確かにこの世界一周によって世界が球体であることが実践的に証明されはしましたが、それ以前から世界は球体であるという考えが一般的でした。 |
平面上の大地の端まで到達して天盤から顔を突き出している旅行者 (フランスの天文学者、天文普及家、作家カミーユ・フラマリオンの著書 1888年) |
「中世ヨーロッパでは地球球体説ではなく、地球平面説が上流階級や教養人の間でもはびこっていた。」というのは、実は近代に生まれた謬説です。20世紀前半に広範に流布されたとみられており、イギリスの歴史学教会は1945年の会報誌でこの説を「歴史教育に於いて最も強固な間違いである。」と述べています。 優れた人間でありたいと思うのは、一般的に存在する"人間の性"です。これがなければ1人1人に向上心が生まれ、人類全体で進化することもありませんから、必須の性です。昔の自分と比べて向上を感じられれば十分という人がいる一方で、自身が"優れている"と認識するためには、相対的に自分より"優れていない"者の存在が必要な人もいます。十分に頭の良い人たちは同時代の人たちと比べて自分が"優れている"と感じることができますが、そうではない大半の人たちにとっては、昔の人に自分よりも"優れていない"役割を見出し、優越感に浸るのが一番楽なのです。だから"最も強固"にこのような謬説が、真実よりもはるかに早く、強い信憑を得て強固に浸透してしまうわけです。 昔の人を馬鹿にしないとプライドを保てないのは情けない話ですし、真実が見えなくなるのでマイナスだと思うのですが、これも含めて『人間』と言えるでしょう。アンティークジュエリーやエンシェントジュエリーも、一般的には同じように見られがちです。たくさんある中から一番レベルの低いものだけにフォーカスし、「昔の人が作ったジュエリーは、下手くそで汚らしい。でも、思いは詰まっていてほっこりするね。」と、上から目線的に"昔の物はレベルが低い"と思い込む人が世の中では大半です。 現代宝飾業界も、人々に昔の優れたジュエリーの存在を知られると自分たちの首が締まるので、たとえ真に優れたアンティークジュエリーの存在を知っていても、一般の方に教えるようなことはあり得ません。ヘリテイジのHPをご覧くださる皆様は偏見を持たない上に、通常ならば知られることのない情報に到達できた、ほんの一握りの特別な方たちです。昔の人を馬鹿にするという情けない振る舞いをしないで良い、ごく一部の人たちによって、真実は完全には消されることなくいつか露見します。1000年後の未来、今の私たちは"現代人"によってどう評価されているでしょうね。 |
1-2-4. キリスト教以前の世界観とオーブ
古代ギリシャの数学者・哲学者ピタゴラス(紀元前582-紀元前496年) "Kapitolinischer Pythagoras adjusted" ©Galilea at German Wikipedia(7 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
地球球体説は古代ギリシャの数学者・哲学者のピタゴラスによって生み出されたとみられています。 紀元前6世紀に生まれたこの説が、古代ギリシャ天文学で発展しました。 日本の大学では、哲学は文系にカテゴライズされることが一般的で、理系的なイメージがあまりないのですが、近代以前は探究活動全般・学問全般でした。 だから学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれました。 |
プラトン時代のアカデミアを描いたモザイク(古代ローマ 1世紀) | 古代ギリシャの哲学者プラトンが紀元前387年にアテネに開設した学園アカデミアでは算術、幾何学、天文学等を学び、一定の予備的訓練を経てから理想的な統治者が受けるべき哲学を教授していました。 特に幾何学は、感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものと位置づけられ、学園入口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたそうです。 |
英雄アカデモスの聖林に囲む神域にあったアカデミア跡 "Athens Plato Academy Archaeological Site 2" ©Tomisti(2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
こういう人たちであれば、鋭い洞察力と高度な論理的思考によって地球が球形であると導き出しても違和感は全くないですね。古代人は現代人より遥かにIQが高く、そこらへんの一般人を現代に連れてきたらその頭の良さがちょっとした話題になるくらい、平均値の人でも頭が良かったと考えられています。その中での賢者と言えば、きっと私たちにとっては異次元の神レベルでしょう。 |
古代ギリシャの哲学者パルメニデス(紀元前515年頃?-?) "Parmenides" ©BjörnF~commonswiki/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ピタゴラスの後、紀元前5世紀の偉大な哲学者パルメニデスも同様に地球は球体であると洞観し、以降この地球球体説は古代ギリシャ世界に急速に広まりました。 |
古代ギリシャの有名な哲学者 | ||
ソクラテス(紀元前469-紀元前399年) | プラトン(紀元前427-紀元前347年) | アリストテレス(紀元前384-紀元前322年) |
依然として地球平面説を支持する者もいましたが、アレクサンダー大王の家庭教師アリストテレス(「無知の知」で有名なソクラテスの弟子プラトンの弟子)が紀元前330年頃に自然学的理論と観察的根拠から地球球体説を採用し、以降さらに地球球体説が広がりました。 |
古代ギリシャの学者&ムセイオン館長エラトステネス(紀元前275-紀元前194年) | なんと紀元前240年頃にはエラトステネスによって地球の周長が算出されています。 エラトステネスは世界中の優秀な学者が集まるアレクサンドリアの学術の殿堂、ムセイオンの館長も務めた人物で、紀元前255年には弱冠20歳という年齢で世界初の天球儀も作成しています。 |
エラトステネスによる地球の半径と円周の測定の理論イメージ "Eratosthenes measure of Earth circumference" ©cmglee, David Monniaux, jimht at shaw dot ca(26 May 2005)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
1世紀頃の古代ギリシャの天文学者クレオメデスの著書『天体の回転運動について』に拠れば、エラトステネスはシエネのエレファンティン島とアレクサンドリアとでの、夏至の正午の太陽高度の知識を元に地球の全周を計算したそうです。シエネ(S)で太陽が真上に来る日の同緯度のアレクサンドリア(A)でのお影が作る角度φは、地球上での緯度の差に等しく、両地点の距離δが分かれば地球の大きさが求められるというもので、地球が球体で太陽光が平行線であるという前提の下で、幾何学的に正しい推論でした。 |
マロスのクラテスの地球儀(紀元前150年頃) | 紀元前150年頃には世界最古の地球儀が、マロス出身のクラテスによって生み出されています。 クラテスはアナトリア半島(現トルコ)にあったヘレニズム国家の1つ、アッタロス朝ペルガモンで国王の庇護を受け、文芸学校長及び図書館長を務めた学者でした。 |
古代ローマの学者クラウディオス・プトレマイオス(83年頃-168年頃) | 古代ギリシャの貴族が支配者となった古代エジプトのプトレマイオス朝時代開設された学術研究所ムセイオンや付属のアレクサンドリア図書館、そして古代ギリシャの叡智はそのまま古代ローマに引き継がれました。 左は1584年に描かれた想像図で、数学、天文学、占星術、音楽学、光学、地理学、地図制作学など幅広い分野で業績を残した古代ローマの偉大な学者クラウディオス・プトレマイオスです。 |
150年頃のプトレマイオスの地図 (15世紀の複製品) |
後世に名が語られるほど、プトレマイオスが学問の中心都市アレクサンドリアで活躍して残した実績の1つが地図です。曲がった球から地図を制作し、緯度・経度・気候の理論を発展させています。2世紀までには緯度・経度の概念やそれに伴う気候の変化の理論が生み出されていたというわけです。 |
天動説に基づく天球図(1660年頃) |
古代ギリシャの天文学の集大成として、地球は球体で宇宙の中心にあり、太陽やその他の惑星が地球の周りを回るという天動説ができました。 |
天空を担ぐアトラス神(古代ローマ 2世紀頃)ナポリ国立考古学博物館 "MAN Atlante fronte 1040572" ©Lalupa/Adapted/CC BY-SA 4.0 | これは古代ギリシャ、古代ローマの天文学が十分に発展した2世紀頃の大理石像です。 世界の果てで天空を背負う役目を負う、ティターン神族の巨神アトラスが天空を担ぐ姿です。 ごく短い期間、英雄ヘラクレスが担いだことがありますが、天空が球体で表現されていることに、古代ローマの当時の世界観が現れていますね。 天球の内側に地球が存在するので、人間もひっくるめて、世界を丸ごと担いでいます。 |
古代ローマの博物学者プリニウス(23-79年) | ちなみに古代ローマの偉大な博物学者であり、ヨーロッパの上流階級や知識人の教養のバイブルとして長年君臨した『博物誌』を著したプリニウスによると、1世紀当時までに皆が地球球体説に同意していたそうです。 細部に関する議論はまだまだたくさんありましたが、球体というのはもはや一般常識レベルだったようです。 現代人が想像する古代とは、全くイメージが異なるでしょうか。 |
ポンペイ遺跡の壁画に描かれた最高神ユピテルと鷲と球体(古代ローマ 61-79年頃)ナポリ考古学博物館 | 古代世界はこのような高度な学術的知識に並行して、古代の神々に対する信仰も存在するから面白いんですよね。 左は当時ローマ西部艦隊の司令長官だったプリニウスの死の原因となった、79年のヴェスヴィオ火山の噴火で、長い年月埋もれていたポンペイ遺跡の壁画です。 古代ギリシャの神ゼウスと習合した、古代ローマ神話の最高神ユピテル像です。 右手には雷霆を持ち、足下には使い鳥の鷲がいます。 その右に球体があります。人間の住む地球、もしくは天空をも包括した世界全体を表す天球を表し、ユピテルがこの世の支配者であることを示しています。 |
ユピテル像(古代ローマ 100年頃)※ブロンズ部分は現代 "Giove, I sec dc, con parti simulanti il bronzo moderne 02" ©I, Sailko(31 August 2011, 11:21:25)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
これは100年頃に制作された古代ローマの大理石像で、ブロンズ部分は現代です。 どれくらい忠実に再現しているか分かりませんが、右手に持つ球体は世界を表します。 最高神ユピテルに対して球体(世界)はとても小さく、支配者たるユピテルの偉大さを示しています。 |
古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・カリヌス(在位:283-285年) "Montemartini - Carino cropped" ©Lalupa, TcfkaPanairjdde(10 March 2009, 01:07)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ピルムと宝珠を持つ皇帝カリヌスを描いたアントニニアヌス貨(古代ローマ 283-285年頃) "RV Antoniniano Carinus - transparent background" ©Medium69/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
古代世界では、君主は神と同一視させることによって支配を正当化したり、支配力を強める政策が採られていました。このコインには、支配者であるローマ皇帝カリヌスが世界を表す宝珠と、ピルムを持つ姿で表現されています。ピルムは古代エトルリア人が開発したとみられる投槍で、主に古代ローマ軍団(レギオン)の兵士たちが使用していた武器です。 |
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位:西方副帝306-312年、西方正帝312-324年、全ローマ皇帝:324-337年) " 0 Constantinus I - Palazzo dei Conservatori (1) " ©Jean-Pol GRANDMONT(07:39, 24 April 2013)/Adapted/CC BY 3.0 |
ローマ副帝クリスプスのコイン(古代ローマ 317-326年頃) |
古代ローマ副帝クリスプスのコインにも、宝珠とピルムが表現されています。クリスプスはローマ皇帝コンスタンティヌス1世の長男です。 コンスタンティヌス帝らが313年にキリスト教を公認して以降、キリスト教はローマ帝国の統治システムと結合していきましたが、この時代の宝珠はまだ単独の球体で表現されています。 |
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483-565年) | ユスティニアヌス1世のコイン(483-565年) "Half follis-Justinian I-sb0165" ©Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ローマ帝国内でキリスト教の影響力が増し、西ローマ帝国滅亡後、宗教を利用した強固な支配を目指した東ローマ(ビザンティン)帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の時代のコインには、宝珠に十字架が乗っています。 異教徒は上流階級ですら『異端』として厳しく迫害した皇帝でした。武器は持たずとも威圧感タップリですね。 |
アテネのアカデミア(ラファエロ・サンティ 1511年)バチカン美術館 |
「何も考えず、ただ信じろ。」というキリスト教の教えと、その教えを広めたいキリスト教徒の思惑と、「何も考えず、ただ信じて支配されろ。」という支配者の思惑は、非常に親和性が良いものでした。民衆は"思考停止の馬鹿"であるほど望ましく、思考を重ねる学者たちは邪魔でしかありませんでした。 |
『惨殺されるヒュパティア』(作者不明 1865年) |
故に、司教率いるキリスト教テロリストらによってムセイオンやアレクサンドリア図書館は集中的に破壊を繰り返され、415年にはアレクサンドリア図書館の最後の館長テオンの娘にして美しい女性哲学者ヒュパティアが斬殺される事件まで起きました。 |
古代ローマの数学者、哲学者ヒュパティア(350〜370年頃-415年) | 「考えるあなたの権利を保有して下さい。なぜなら、全く考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです。」 「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです。」 このような言動を繰り返していたらしく、新プラトン主義哲学校の校長として影響力もあったヒュパティアの存在は、キリスト教徒の"憎悪の対象"かつ"悪の象徴"となったのです。 でも、修道士たちが寄ってたかって女性を馬車から引き摺り下ろし、教会に引きずり込んで野蛮な方法で斬殺するだなんて恐怖です。 |
アレクサンドリア図書館の内部(O・フォン・コルヴェンによる想像図 19世紀) | 当時の学者たちの叡智を考慮すれば、野蛮なキリスト教テロリストに武力で対応する手段も容易に編み出せたと想像しますが、まともに相手にするのは時間の無駄です。 古来より学問の中心地であったアレクサンドリアから、多数の学者たちがローマ帝国の外の安全なペルシャへと逃れました。 |
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483-565年) | その後、529年にはアテナイのアカデミアが東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖され、職にあぶれた学者たちが多数ペルシャに移動しました。 |
ホスロー1世に援助を求めるラクミドの支配者(作者不明 1700年以前) |
ちょうどササン朝ペルシャは、『哲人王』とも呼ばれた教養溢れる君主ホスロー1世が学問の保護政策を行っており、古代ギリシャから古代ローマに受け継がれていた古来よりの叡智は、学者たちごとペルシャに移ったのです。 |
1-2-5. キリスト教による支配後の宝珠
『太陽の使い』 ニコロ・インタリオ リング インタリオ:ササン朝ペルシャ 7世紀頃 シャンク:フランス 1830年頃 ¥1,880,000-(税込10%) |
古代ギリシャやローマの知識人を多数迎えたササン朝ペルシャは研究所を設置し、古代ギリシャの学術をシリア語に翻訳させて活用したこともあり、学術面でも文化面でも大いに栄えました。 |
『イエスから天国の鍵を授けられるペテロ』 (ペルジーノ作 1481-1482年)システィーナ礼拝堂 |
一方で、ギリシャ語で書かれた古典古代の学問的論文の殆どが利用不可能になり、単純化された概論や抜粋集のみに頼るしかなくなった中世ヨーロッパは文化や学術面で暗黒時代に突入し、研究活動は大いに難儀したようです。しかしながら初期のキリスト教徒の殆どが地球球体説を支持しており、もはや常識となっていたため、中世に入っても世界は球体であると認識されていました。 |
東ローマ皇帝レオンティオス(在位:695-698年) "Solodus-Leontinus-sb1330" ©Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
故に君主は球体(世界)を持ち、その上にキリスト教の象徴である十字架を掲げることでキリスト教による支配権を誇示しました。 |
神聖ローマ皇帝カール4世(在位:1346-1378年)と最初の妻ブランシュ・ド・ヴァロワ | カール4世の1356年の金印勅書の金の印章 "Goldene-bulle 1c-480x475" ©de:Benutzer:Wolpertinger/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
キリスト教以前の古代から受け継がれてきた、世界の支配権を示す球体(オーブ)の図像は、こうしてキリスト教による支配後のヨーロッパでも定着し、今に至るのです。 |
宝珠を持つキリスト(救世主) "Ellwangen St Vitus 3851" ©AlexanderRahm(30 March 2008)/Adapted/CC BY 3.0 |
最高神ユピテルと鷲と球体(古代ローマ 61-79年頃) |
君主ではなく、キリストが宝珠を持つバージョンもあります。 古代の最高神ゼウスやユピテルを彷彿とさせる構図ですね。 |
聖ウルバヌス(ジェイコブ・ラス作 1500年頃) | 『アンティノウスのディオニュソス』(古代ローマの複製、オリジナルはブリアキス 紀元前4世紀後期) | |
古代美術との相関は、"キリスト教美術あるある"です。 上は古代ギリシャにおける葡萄酒の神ディオニュソスで、左はキリスト教における葡萄酒の守護聖人、聖ウルバヌスです。キリスト教にとって葡萄酒は非常に重要なものなので、守護聖人は50名ほどいます。 |
キリスト像 | 神聖ローマ皇帝像 |
王としてのキリスト(ハンス・メムリンク 1485年頃) | 神聖ローマ皇帝ジギスムント(在位:1410-1437年)アルブレヒト・デューラー 16世紀初期 |
本来のキリストはこういう感じではなかったと思うのですが、豪華な王冠のようなものを被り、高価な衣装に最高級の宝石である天然真珠とルビーがセットされたクロスと宝珠まで持つ姿は完全に支配者です。皇帝や王とそっくりで俗っぽさ満載ですが、まさかこんなことになるとは本人も想像していたのかどうか、それともこれが望みだったのか・・。 |
『王としてのキリスト』(フェルナンド・ガレゴ作 1494-1496年頃)プラド美術館 |
このような、威厳を持った王としての姿で描かれたキリスト像が現れるのは1000年頃からです。ところで宝珠を見ると水晶玉のように透明で、しかも中に何か球体が見えます。 |
『サルヴァトール・ムンディ(救世主)』(1750-1775年頃) | もうピンと来た方もいらっしゃると思いますが、これだとより明確に分かりますでしょうか。 天球、つまり地球と天空を含んだ世界全体ですね。 |
ルネサンスのサルヴァトーレ・ムンディ(救世主)像 | |
レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1500年頃 | アンドレア・プレヴィターリ作 1519年 |
キリストが持つ宝珠の上には十字架が掲げられていないものもいくつか存在します。レオナルド・ダ・ヴィンチのような描き方だと、キリストが水晶玉占いでもやってくれそうに見えますね。このタイプのサルヴァトール・ムンディ像は、15世紀から16世紀にかけてのルネサンス期に数多く描かれています。 |
『サルヴァトール・ムンディ(救世主)』(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 1570年)エルミタージュ美術館 | ルネサンスは、古代ローマから古代ペルシャやイスラム世界へ移動した『古代の叡智』がヨーロッパへ再輸入されることで起こりました。 サルヴァトール・ムンディ像にもそれが大きく影響していることは間違いなく、歴史の皮肉とも言うべきか、なんだか興味深い流れではあります。 |
プファルツ選帝侯、ボヘミア王フリードリヒ5世(1596-1632年) | それはそうと、古代ギリシャや古代ローマから続く宝珠は、ヨーロッパがキリスト教に支配された後、十字架が掲げられた形で、世界の支配者たる君主権の象徴として確固たる地位を築いたのです。 |
ロシア皇帝の王冠、王笏、宝珠(1627-1628年頃)"Russian regalia" ©Stan Shebs(2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
富と権力を誇示するアイテムなので、装飾もド派手です。ジュエリーとして身に着けるとバランスが悪くなりヘンテコに見える巨大すぎる宝石なども、ここでは大活躍です。デザイン的に美しいかどうかは関係なく、レガリアの場合はとにかく思いっきり高そうに、万人に凄そうに見えればOKです(笑) |
大英帝国王冠(1919年画) | 大英帝国は宝珠を持つだけでは飽き足らず、王笏や王冠の上にも宝珠をデザインしています。 宝珠の意味を知らないと"単なるオシャレのためのデザイン"と認識しそうですが、世界の支配権をこれでもかと主張しています(笑) |
世界を表すような、球体という特殊な形状。 そしてロッククリスタルという宝石や、金銀で作られた特別な宝物。 高貴な雰囲気と特別感を醸し出すのは、レガリアの宝珠に似ているからかもしれません。 |
上に十字架はデザインされていませんが、これはキリスト教以前の古代の世界観を意識して作られたからなのかどうか・・。 装飾が成金主義の派手なデザインではなく、教養の高い知識階層好みの、古代エトルリアを彷彿とさせるエトラスカンスタイルのような繊細な金細工であることにも、何か特別なこだわりが込められているように感じます。 単なるオシャレなジュエリーの域を超えて、高い知性や、世界平和を願う純粋な想いすらも感じるような気高く美しいペンダントなのです。 |
『マルティン・ルター』 開閉レンズ付き ゴールド リング ドイツ? 1817年 SOLD |
配慮しておきたいのは、キリスト教イコール支配欲に満ちた宗教というわけではないことです。 支配者が支配するための道具として利用した際に"支配的な宗教"となるだけで、原点に立ち帰ろうと、ギリシャ語やヘブライ語にまで遡って聖書を読み、聖書の解釈や神学の命題の研鑽に励む『マルティン・ルター』の存在もありました。 宗教革命によって生まれたプロテスタントはカトリックのように組織立っておらず、教会に行く義務があるカトリックと異なり、聖書さえあれば神に通じることができるという穏やかなものです。 |
『キリストの復活』(ポーランド 18世紀) | 宗教が心の拠り所となり、自己を研鑽し、人に優しくするための駆動力になるのならば素晴らしいものだと思います。 周りの人たちも自分自身も、皆が幸せになれるよう生きたいですね。 |
2. フランスらしいデザインのジュエリー
2-1. ロッククリスタルが流行した時期のならではの透明なジュエリー
クリアなロッククリスタルを使った軽やかな美しさが魅力のジュエリーは、19世紀後期から流行しています。 |
水晶振動子の中身 | 1880年にフランスの物理学者キュリー兄弟によってロッククリスタル(水晶)の圧電効果が発見され、水晶振動子などの産業利用の需要が高まったことでロッククリスタルの採掘が活発になり、その上質なロッククリスタルの一部がジュエリーに使われたためです。 |
2-1-1. 時代ごとに異なるロッククリスタルのジュエリー
レイト・ヴィクトリアン | エドワーディアン〜アールデコ | アールデコ後期 | |
『アール・クレール』 ロケット・ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
フロステッド・クリスタル ヨーロッパ 1920〜1930年頃 SOLD |
リバースインタリオ イギリス 1920年代 SOLD |
『摩天楼』 ブローチ イギリス 1930年頃 SOLD |
同じ素材を使っていても、時代ごとに最先端のデザインや技法は異なります。今回の宝物は、19世紀後期のレイト・ヴィクトリアンに相当する時代に作られたものです。 |
2-2. 良い意味でフランスらしい華やかなデザイン
2-2-1. レイト・ヴィクトリアンのロッククリスタルのジュエリー
『アールクレール(透明な芸術)』 イギリス 1870年頃 SOLD |
ロケットペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
『アール・クレール』 イギリス 1900年頃 SOLD |
現代では合成水晶が開発されていますが、天然で大きくて上質なロッククリスタルは稀少性が高く、45年間アンティークのハイジュエリーをお取り扱いしていてもそんなに数はありません。これらはその貴重なロッククリスタルのジュエリーです。いずれもイギリス製とみられます。 |
このオーブは本体にイーグルヘッドの刻印があり、18ctゴールドのフランス製であることが分かります。 |
2-2-2. フランスらしいデザイン
2-2-2-1. ミッド・ヴィクトリアンのイギリス・デザイン
ファッションリーダーたる女王に合わせて、上流階級の間でもミッド・ヴィクトリアンはゴテゴテで成金趣味のジュエリーが流行しています。 これらは嫌いですし、一般的な日本人に似合うとも思えないので、ルネサンスやヘリテイジでお取り扱いするミッド・ヴィクトリアンのジュエリーは極端に少ないです。 |
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【参考】ミッドヴィクトリアンのジュエリー |
2-2-2-2. ナポレオン三世時代のフランス・デザイン
イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901年)とフランス皇后ウジェニー(1826-1920年) | 「ミッド・ヴィクトリアンのイギリスのジュエリーがダメならば、その時代はフランスのジュエリーを買い付ければ良いのでは?」 ナポレオン三世時代に相当し、上流階級用のものは作りは悪くないのですが、どうしてもデザインが成金的で主張し過ぎて、私たち好みではないのです。 |
2-2-2-3. レイト・ヴィクトリアンのイギリス・デザインの進化
"モダンデザインの父" ウィリアム・モリス(1834-1896年) | ||
『妖精のささやき』 ダイヤモンド・ピアス イギリス 1880年頃 SOLD |
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イギリスではその後、ウィリアム・モリスが提唱した1880年頃からの美術工芸運動アーツ&クラフツ運動によって、デザインの進化を遂げました。 |
2-2-2-4. 共和政に移行してファッションリーダーとしての王侯貴族を失ったフランス
1870年に投稿したナポレオン三世とビスマルクの会見を描いた絵 | しかしながら、フランスは1870年に勃発した普仏戦争で皇帝ナポレオン三世が捕虜となったため共和政府が樹立し、1871年には正式に皇帝が廃位され第三共和政へと移行しました。 |
帝政から共和政に移行したことによるファッションリーダーの変化 | |
王侯貴族 | 女優や歌手などの大衆のスター |
フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年) 1854年、28歳頃 | フランスの舞台女優サラ・ベルナール(1844-1923年)1876年、32歳頃 |
その結果、それまでフランスのファッションリーダーだった"王侯貴族"が存在しなくなりました。故に、共和政以降、女優や歌手などが大衆のファッションリーダーとなったのです。女優や歌手は通常の上流階級と違い、成り上がるために娼婦同様のこともやっていましたし、きちんとした教育を受けておらず、殆どの者は教養もありません。 |
クレオパトラに扮する同時代の上流階級と舞台女優 | |
イギリスの上流階級 | 舞台女優(フランスの大衆のスター) |
アーサー・パゲット夫人(1897年) | サラ・ベルナール(1899年) |
イギリスの上流階級のように莫大なお金を持っているわけでもなく、事細かにオーダーしてジュエリーやドレスをカスタムメイドする上質なモノづくりや、新しいファッションを編み出す経験もありませんから、ファッションリーダーとしては荷が重過ぎますし限界があります。 |
2-2-2-5. 共和政になってからのフランスのデザイン
19世紀後期から20世紀初期にかけてのフランス・デザイン | |||
ガーランドスタイル (ルイ16世様式) |
アーツ&クラフツの流れを汲むアールヌーヴォー | ジャパネスク (ジャポニズム) |
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生き物系モチーフ | 植物モチーフ | ||
『いっぱいの花手綱』 ゴールド ネックレス 1900年頃 SOLD |
グリフィン ブローチ&ペンダント 1890〜1900年頃 SOLD |
ゴールド ペンダント 1890年頃 SOLD |
『提灯』 ロケット ペンダント 1900年頃 SOLD |
故に19世紀後期から20世紀初期にかけてのフランスでは、王侯貴族がいた時代のような新規性を感じる優れたデザインは確立されていません。後進国がまずやるのは他者の真似です。高度経済成長やバブル期を経て技術大国へと躍進した戦後の日本も、まずは他国の真似から始まりました。 さて、19世紀後期から流行したガーランドスタイル(ルイ16世様式)はマリー・アントワネット様式とも呼ばれます。自分たち自身の手で処刑した国王夫婦でしたが、貴族文化が最も優雅で、流行の発信地として世界の最先端を行っていた100年前の時代に憧れを抱いた結果の流行とも言えるでしょう。 『アールヌーヴォー』は19世紀後期から20世紀初期にかけて大流行した美術様式全体を指し、その中には様々なジャンルがあります。その1つはイギリスのアーツ&クラフツ運動の流れを汲んでおり、モリスの中世の騎士への憧れによる世界観や、ありのままの自然にデザインを求めた思想がデザインに反映されています。 また、この時代にはポンパドゥール夫人や王妃マリー・アントワネットらの時代に持て囃された、日本美術を取り込んだデザインも流行しています。 アンティークジュエリーを知らない現代日本人が見たら目新しく、面白みを感じられる可能性がありますが、当時のフランスのこれらのデザインはイギリス人や日本人にとって新規性があるものではなく、ガーランドスタイルも昔をリバイバルしただけとも言えます。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ペンダント | |
ゴールド | シルバー |
この時代によく見るフランス独自のオリジナル・デザインと言えば、このような少女趣味の稚拙なデザインです。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ブローチ | |
ゴールド | シルバー |
これらは消費意欲に湧く若い女性たち向けの安物で、庶民向けの大量生産品なので今でも市場にゴロゴロ存在します。 |
美術商サミュエル・ビング(1838-1905年) | 建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ(1863-1957年) |
「アールヌーヴォーと言えばこの人たち」というほど有名人になった美術商サミュエルビングと建築家ヴァン・デ・ヴェルデが、「はびこる粗製濫造の装飾品」と告発されるほど市場にはびこっていました。 |
ボン・マルシェ百貨店(1887年) |
パリに複数ある超巨大百貨店に連日おびただしい数の庶民の女性たちが押し寄せて買い物をしていくぐらいなので、相応の数が作られたことでしょう。大多数の庶民の女性が求めるのは『安さ』です。ボン・マルシェ百貨店の名前は"安い"を意味します。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ペンダント | 【参考】大衆向けベルエポック18Kゴールド・ピアス(偽物の可能性あり) |
費用より品質を重視したモノづくりは製品の質を進化させます。これが王侯貴族の時代のモノづくりです。 しかしながら安さを重要視した庶民のためのモノづくりは、品質を低下しかさせません。右のピアスもベルエポックのピアスとして某所で販売されていますが、この程度のデザインだと現代でも作成可能で、作りでは判断できません。イーグルヘッドの刻印は年代を示すものではなく、刻印自体がその気になればいくらでも偽造可能なので、アンティークの安物と現代の偽物は判別不可能なことも少なくありません。 |
【参考】大衆向けフレンチ・ロングチェーン | |
ゴールド | シルバー |
ゴールドというだけで高級品だと認識して満足する、大衆のための作りは大したことのない安物ジュエリーが大半です。それらは当然ながらデザインもつまらないものだらけです。 |
2-2-2-6. 職人による優れたモノづくりが残ったフランス
この高級感がありながらも、重厚感ではなく軽やかな美しさを放つオーブも、いかにもイギリスにはないフランスらしいデザインのペンダントと言えるのです。 |
3. ロッククリスタル&金細工の見事な共演
3-1. 極めて珍しい組み合わせ
エトラスカンスタイルのジュエリーを彷彿とさせる繊細な金細工と、ロッククリスタルを組み合わせたジュエリーは、これまでの45年間で初めて見るほど珍しいものです。 |
『エトルリアの知性』 エトラスカンスタイル アクアマリン ネックレス オーストリア? 1870年代 SOLD |
『エトルリアに想いを馳せて』 エトラスカン・スタイル ブレスレット イギリス 1870年頃 SOLD |
そもそもエトラスカンスタイルの繊細な金細工は淡い色の透明な宝石との組み合わせ自体が極めて珍しく、過去45年間でアクアマリンとの組み合わせが2点存在したのみでした。 |
『RAMS HEAD』 ラムズヘッド プチ・ペンダント イギリス 1870年頃 SOLD |
ラムズヘッド ブローチ イギリス 1870年頃 SOLD |
『真珠の花』 天然真珠ブローチ イギリス 1870年〜1880年頃 SOLD |
スカラベ スカーフリング イギリス 1870年頃 SOLD |
【参考】ヴィクトリアンの安物ブローチ | 左は今回の宝物と同様、撚り線細工で装飾されたゴールド・ブローチです。 ヘリテイジで扱うレベルにはない安物(庶民にとっては高級品)で、金細工に繊細さが全く感じられません。 故に宝石も、繊細さではなく存在感がないとバランスが取れないのです。 |
エトラスカン・スタイル アメジスト・ブローチ(ロケット付き) イギリス 1870年頃 直径3.5cm SOLD |
これは直径がたった3.5cmの、とても繊細なブローチです。 だから金細工も驚くほど繊細ですが、色の濃い鮮やかなアメジストではなく、透明なロッククリスタルだとちょっとバランス的に違和感が生じると思います。 |
エトルスカン・スタイル ダイヤモンド・ブローチ イギリス 1880年頃 大きさ:1.8×4.5cm SOLD |
これだけが今回のオーブ以外に唯一、無色透明な宝石を使った繊細な金細工のジュエリーです。 石はダイヤモンドで、その大きさから考えても、透明感などの宝石の外観そのものを楽しむのではなく、煌めきを感じて楽しむ目的でデザインされていることが分かります。 |
透明なロッククリスタルと、金細工の組み合わせはよほどバランス良くデザインしないと美しくなりません。 ロッククリスタルが無色透明であるが故に、金細工がゴテゴテしているとバランスが取れません。 |
実物の大きさをご想像いただくと、金細工はとても繊細であることがお分かりいただけると思います。 ロッククリスタルもオーブ状で、美しい多面体カットが施されているからこそ存在感が増し、ゴールドとの組み合わせでも負けることなく魅力を放つことができるのです。 これは高度なデザイン力と技術力が組み合わされないとできないことで、だからこそこの組み合わせは他にはないのでしょう。 |
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3-2. カット・クリスタルの煌めきと透明な美しさ
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このオーブのロッククリスタルは、小さいながらも360度を非常に精緻に多面体カットしています。 |
赤道、もしくは黄道部分が最も太くなるよう、ロッククリスタルには丸みをつけてファセットがデザインされています。 |
どの角度から見ても、ロッククリスタルは360度立体的に精緻にカットされています。100年以上前に作られたものですが、歴代の持ち主がとても丁寧に使ってきたのでしょう、エッジの摩耗も見られず、ロッククリスタルのシャープなエッジがそのまま残っています。 |
このオーブのロッククリスタルは、内部に通した軸がはっきり見えるくらい透明度が高いので、軽やかな透明な美を楽しむことができます。 |
一方で、複雑にカットされたファセットがキラキラと煌く瞬間もまた美しいです。 |
ロッククリスタル&ルビーのピアス |
ある程度の大きさを持つ上質なロッククリスタルに無数のファセットを設けると、非常に美しく煌めくことができます。 |
これは10年以上も前、眩しい朝日が射し込む中、ブラインドを下ろしてGenが撮った写真です。ミラーボールのように光り輝くロッククリスタルの美しさに感激したそうです。太陽の光は一瞬で表情を変えてしまいますが、この撮影は面白かったでしょうね〜♪ |
このオーブも太陽光の元で、様々な美しい表情を見せてくれます。 撮影条件やデザインが異なるので10年以上前のピアスとは違いますが、やはり角度が変わるごとに、ミラーボールのように光の表情が変化します。 この画像だと手前に伸びた光に、淡いですが虹色が感じられるでしょうか。 美しさの魔力を目いっぱい秘めた、小さなクリスタルのオーブは、見ているだけでも楽しい宝物です♪ ちなみにゴールド部分がこの画像で黒く見えるのは、逆光で撮影したからです。 |
3-3. 古代エトルリアの金細工の研究成果
この宝物は撚り線と粒金という、繊細な金細工の魅力を楽しめるジュエリーでもあります。 |
金属の細いワイヤーを作成する道具 |
撚り線は細いワイヤーを撚って作ります。ワイヤーは穴を通して作ります。少しずつ通す穴の直径を小さくすることで細くしていきます。 |
ワイヤーを細くする原理 "Wiredrawing" ©Eyrian (talk I contribs)(05:32, 26 January 2007)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
このような原理ですが、いきなりここまで細くすることはできません。 少しずつ穴を小さくしていくのですが、集中力と根気のいる大変な作業で、一見単純に見えますが誰でもできる作業ではありません。 |
細いワイヤーを作ること以上に困難を極めるのが、2本のワイヤーを撚って均一な撚り線を作ることです。このオーブには2種類の太さの撚り線が装飾されていますが、どちらも非常に正確に作ってあります。 |
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拡大すると迫力あるように見えますが、細い撚り線は髪の毛かそれ以下と言えるくらい細く繊細です。 |
太い方の撚り線も、肉眼で見ると撚った部分の1つ1つがミルグレインに見えるくらい細かいです。ミルグレインのように繊細に光り輝く、黄金の粒子のような撚り線は、このオーブに特別な高級感を添えてくれます。 |
ポイントごとにセットした粒金も、黄金の粒子として繊細かつ高級感たっぷりに輝きます。 |
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黄金の粒が大きいと成金っぽくなりますが、小さいだけでこれほど印象が変わるのかと思うくらい、上品な美しさを放ちます。 |
ゴチャゴチャし過ぎず、バランス良く空間があります。 しかしながら寂しすぎるほど装飾がないわけでもありません。 まさに絶妙なバランス加減です♪ |
撚り線と粒金で装飾したジュエリー | ||
←↑【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのイギリスのジュエリー
今回のフランスのオーブ→ |
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これらは撚り線と粒金で装飾したジュエリーです。左と中央は、ミッドヴィクトリアンに大流行した、いかにも見た目だけは派手な成金ジュエリーです。今回のオーブの装飾と比較すると繊細さが全く感じられない上に、デザインも簡素です。オーブはとても小さいにも関わらず、デザイン的にはかなり凝っており、かなり高度な技術で作られていることが分かります。 |
鑞付けは母材の金属を熔かさずに、蝋材を熔かして金属を接着する技術です。クリスタル・オーブは一見なんてことなさそうに見えますが、撚り線の上に粒金を付けたり、3つの粒金をくっつけてデザインするなど、相当高度なことをやっています。 右の安物をご覧いただくと、一見似たデザインには見えても、粒金は割と大きめのものを土台の上にくっつけるだけの単純なことしかやっていません。それでも現代よりは技術が高いとは言えます。今ではこういう作業はレーザーでやってしまうので、職人の技術は育ちません。それでも綺麗にくっつけられるのならば『技術の勝利』と言えそうですが、鑞付けと比較してレーザーによる接着は接着力が劣ります。 |
驚いたのは、このペンダントの粒金はとても小さい上にかなり高度なことをやっているので、100年以上もペンダントとして使用する間に1つくらい粒金が取れていても全くおかしくないのですが、どこにもそのような痕跡がありません。 人類史上、最も高度な金細工技術を持っていたのは古代エトルリアです。1836年にエトルリアの墳墓の発掘隊顧問として発掘に参加し、その優れた宝物に触発されたカステラーニらによって金細工技術が熱心に研究され、19世紀中期から後期にかけてその技術は非常に高まりました。 この宝物は第一級の職人による、その素晴らしい成果と言えるでしょう。 |
水晶髑髏『パリ・スカル』(ドイツ 19世紀後半)高さ11cm Public Domain by Klaus-Dieter Keller |
余談ですが、クリスタル・オーブが作られた同時代に同じくパリで、アンティーク・ディーラー、ウジェーヌ・ボバンによってこういう滑稽な代物が企画・制作・販売されているのも笑えます。 |
古物商ウジェーヌ・ボバン(1834-1908年) | ボバンは19世紀後期に南米の古美術の主たるアンティーク・ディーラーとして活躍していましたが、偽物を作って本物に混ぜて販売するなどしていた人物です。 ボバンが販売した水晶髑髏は大英博物館(ブリティッシュ・スカル)とフランスのケ・ブランリ美術館(パリ・スカル)が所有し、どちらもアステカの遺跡で出土したとボバンが主張していましたが、どちらも2008年に科学分析で偽物と判明しています。 ボバンにとっては、死後100年以上経ってから偽物とバレてもどうでも良い話ですよね。やり手の詐欺師アッパレとでも言うか・・(笑) |
水晶髑髏『ブリティッシュ・スカル』(ドイツ 19世紀後半)大英博物館 "Crystal skull british museum random9834672" ©Rafal Chalgasiewicz(13 April 2009)/Adapted/CC BY 3.0 | クリスタル・スカルは高度な技術と口の堅さで有名な、ドイツのイダー=オーバーシュタインの職人に作られたとみられています。 メキシコでも店をやっていたボバンは、1886年にやはり美術館に贋作を売ったことがバレて、メキシコにはいられなくなりました。 でもその後、翌年にはちゃっかりパリに店を開いています。 素性の知れない、謎の多い人物とされていますが、そんな人物からこういう怪しげなものを買う人が意味が分かりません。 私はこんな意味不明な物は要りません(笑) |
19世紀後期のフランス企画のクリスタルの宝物 | ||
クリスタル・オーブ | パリ・スカル | ブリティッシュ・スカル "Crystal skull british museum random9834672" ©Rafal Chalgasiewicz(13 April 2009)/Adapted/CC BY 3.0 |
材料費もケチったのでしょう、水晶髑髏はどちらもインクリュージョンが多くて汚いです。こんなマヌケなオブジェを悪意を持って企画・製造・販売し、大喜びで大金を出す者もいれば、クリスタル・オーブのように小さくてもお金と技術と手間をケチることなくかけて作られ、心から持ち主に大切にされた宝物が生み出された、19世紀後期のパリはとても面白い時代とも言えますね。人それぞれ、皆が人生を自由に謳歌したのでしょう。 |
水晶髑髏はロッククリスタルだけで作られているので100年以上経っても変化がありませんが、この宝物は金属の部分が長い年月を経たことで成長しているのも魅力です。 持ち主は余程こだわりの強い人物だったのか、金細工の繊細な装飾だけに飽き足らず、シルバーの装飾まで施してあります。 |
多面体カットされた円形のシルバーのパーツが装飾されており、長い年月が経つことでシルバーが独特の魅力を放っています。 磨くことも可能ですが、古いものならではの魅力であり、古くなければ放つことができない美しさはアンティークの価値の1つでもあるので、磨かない方が良いでしょう。 |
3-4. 上流階級らしさが詰まったハイジュエリー
一見しただけでは大多数の人にとって価値が分かりにくい、小さくてもお金と技術と手間を惜しみなくかけて作られた、軽やかで品のある上質なジュエリーはいかにも19世紀後期の上流階級のハイジュエリーらしいです。 |
【参考】ヴィクトリアンのアメジストとエトラスカンスタイルのコラボ・デミパリュール | クリスタル・オーブと同じ系統の作りをしたジュエリーを1度だけ見たことがありますが、デザインも作りも今回のオーブが上です。 このデミ・パリュールは色使いが成金的で、いかにもヴィクトリアンらしい悪目立ちするジュエリーです。 |
警告色で彩られた典型的な日本の第一種踏切 "踏切警報機" ©Nekosuki600(2005/10/12)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
黄色と濃い紫色が繰り返す縞模様のデザインは、黄色と黒色と繰り返す警告色を彷彿とさせます。 自然界では、アシナガバチやスズメバチなどに見られる組み合わせです。 生物が本能的に危険を感じるため、視界に入ると、人間にも強い存在感と忌避感を感じさせることができる色です。 |
【参考】ヴィクトリアンのアメジストとエトラスカンスタイルのコラボ・デミパリュール |
黄色の補色は紫なので、この組み合わせはクリスマスカラーの赤と緑の組み合わせ並に目立ちます。 目立ちたい、凄そうに見せたい、とにかく万人から褒められたいという成金には最適の色合わせですが、そういうはしたない下心を放つジュエリーは上流階級好みでも、ヘリテイジ好みでもないのです。 |
【参考】ヴィクトリアンの成金ジュエリー | クリスタル・オーブ |
同じ太さの撚り線を無造作に散らしただけの金細工も微妙に嫌ですが、石の細工い注目すると、アメジストのカットも単純です。一応高級品として作られたものなので、360度を丁寧にカットしていますが、ファセットは菱形が連続するだけの単調なデザインです。 一方で、クリスタル・オーブのファセットは台形、菱形、三角形を組み合わせた、かなり複雑なデザインです。 |
【参考】ヴィクトリアンの成金ジュエリー | クリスタル・オーブ |
安い作りのパーツを多数寄せ集めて大きくし、目立たせて高そうに見せようとする成金ジュエリーの思想と、ただ小さな1つに最大限の技術と手間、つまりお金をかけて、芸術品と言えるレベルのジュエリーが欲しいという、上流階級のためのハイジュエリーの思想の違いが、この2つには如実に現れています。 クリスタル・オーブのようなジュエリーこそ、最高に贅沢な本物のハイジュエリーなのです。成金ジュエリーは、はっきり言って中身の伴わないハリボテです。 |
覗き込むと不思議な世界が見えてきそうなロッククリスタルのオーブ。 それは多面的な表情を持つ世界のようでもあり、金銀で装飾され、大切に包まれたオーブはさながら世界全体を表す天球のようにも見えます。 |
『ヒュパティア』(チャールズ・ウィリアム・ミッチェル画 1885年) | |
古代ローマの博識で美しい女性哲学者だったヒュパティアは、劇的な最期もあって多数の芸術家たちにインスピレーションをもたらし、19世紀にも書籍が出版されたり絵画作品のモチーフにもなっています。 そんな知性が高く美しい女性の宝物だったのかなと感じる、唯一無二の特別な魅力を放つオーブです。 |
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本体は18ctゴールドですが、シルバーも使ったデザインなので、チェーンはどちらの金属でも合うと思います。 シルクコードをご希望の場合はサービス致します。 |