No.00291 桜色の輝き |
『桜色の輝き』 市場に出てくることは滅多にない、大きなサイズの天然真珠を使ったネックレスです。サイズと優れた形状、整ったサイズグラデーションもさることながら、桜色の干渉光を放つ天然真珠ネックレスは初めて見る美しいものです。クラスプはさらに大きな天然真珠を使った抜群の作りで、最高級の天然真珠ネックレスと称するに相応しい宝物です♪ |
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この宝物のポイント
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1. 夢のように美しいピンク系の輝き
この宝物を買い付けで初めて見た時は非常に驚きました。 |
1-1. 日本人好みの桜色の輝きを持つ真珠
みなさんはピンク色はお好きですか? 好みの色に関しては人種や文化などお国柄がありますが、特に日本人女性は本能的に淡いピンク色が好きな方が多いと思います。 |
『愛の誓い』 ダブルハート・リング(エンゲージメント・リング) イギリス 1870年頃 SOLD |
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『心の扉の鍵』 アメジスト プチ フォブシール イギリス 1880年頃 SOLD |
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ルビーのような情熱的な濃いピンク色も魅力がありますが、女性らしさを感じる優しいピンク色には、他の色では感じ難い特別な魅力があるのです。 |
『透過光の桜』Genと小元太のフォト日記より | 特に日本人は古くから桜を愛でる習慣があったこともあり、ほのかにピンク色を帯びただけの淡い桜色も繊細に感じ取り、美しいと感じる歴史がありました。 蕾はピンク色でも、咲くとピンク色はどこかへ行ってしまったかのように白く見える桜の花・・。 |
岡山工場にいたサラリーマン時代に敷地内から見上げた夕空(2014.4) | でも、間違いなく私たちの眼には桜のピンク色を感じることができます。 華やかな梅ではなく、儚い美しさを持つ桜に特に魅了されてきた日本人の美意識・・。 不思議に思えるほど、琴線に触れる美しさを持つのが、桜の花ような淡いピンク色なのです。 |
まさにそのような桜色の輝きを持つ、市場稀に見る天然真珠の宝物が、今回のネックレスです。 |
1-2.着色した養殖真珠の人工的な輝き
1-2-1. 生物由来の個性を持つ『真珠』という宝石
日本人にとって、淡くピンク色を帯びた真珠はまさに理想と言える美しいものです。 しかしながらそのままでピンク色を帯びた天然真珠は滅多にあるものではありません。 |
『初期の養殖真珠ネックレス』 1930年代? 養殖真珠:直径8mm SOLD |
それは生き物を使って作る養殖真珠も同じです。 |
アコヤガイ(浅虫水族館) | 人間が一人一人個性を持つように、真珠貝もそれぞれ個性を持ちます。 養殖真珠は同じ大きさの球体の核を入れて作るので、サイズこそ揃っています。 |
しかしながら色や照り艶などの表面の質感は、同じ種類の母貝が同じ環境で作ったとしても、かなり個性が出ます。しかも大半はクリーム色系であり、日本人好みのピンク色を帯びたものは殆どありません。 |
1-2-2. 現代の真珠ジュエリーの主要購買層
【出典】農中総研 調査と情報 第36号「輸出産業から輸入産業に転化した養殖産業」出村雅晴 | かつては限られた王侯貴族のためだけのものだった天然真珠ジュエリーですが、今では養殖真珠を世界で一番買っているのは日本人の庶民です。 輸入してまでも、養殖真珠ジュエリーを着けているのが日本人という状況です。 |
1-2-3. 初期の養殖真珠
御木本幸吉(1858-1954年) | 養殖真珠産業自体は、うどんの製造・販売を代々行う家に生まれた御木本幸吉が身代を築くために作り上げたものでした。 賢いので1杯8厘のうどんでは身代を築くのは無理と分かっていたそうです。 創業精神がそもそも「女性に喜んでもらいたい」、「美しいものを生み出したい」のではなく、金儲けしたい、偉くなりたいという漢らしい考え方によって成り立っている残念な会社です(笑) |
明治天皇(1852-1912年) | そうは言っても日本は開国して明治政府が発足し、折しも殖産興業、富国強兵が叫ばれる時代にありました。 外貨を稼ぐ手立てが限られている中で、史上最も天然真珠の評価が高まった時代に於いて、養殖真珠産業の確立は日本国にとっても重要事と言えました。 1905年、日露戦争の戦勝御報告で伊勢神宮を訪れた明治天皇に、御木本幸吉は「世界中の女の首を真珠でしめてご覧に入れます。」と言上しています。 |
『初期の養殖真珠ネックレス』 1930年代? 養殖真珠:直径8mm SOLD |
1918年に十分な品質を持つ養殖真珠が採算割れせずに量産できる体制が整い、1919年にはロンドンのジュエリー市場への供給体制が整いました。 当初、天然真珠より25%も安い養殖真珠の出現にヨーロッパ市場では大混乱が起きました。 |
『矢車』(ミキモト 1937年) 【引用】MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD / Yaguruma ©MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD. |
詐欺騒ぎもありましたが、その後、穴をあけるなどしないと真贋判定は不可とされ、1927年にフランスの裁判所から"天然のものと変わらない"というお墨付きを得て、養殖真珠は安価な価格によって天然真珠を市場から駆逐してしまいました。 |
天然のものと見分けがつかないと判断された初期の養殖真珠は、3〜5年の年月をかけて作られていました。7mmの養殖真珠には4mmの核が入っていたと言われており、真珠層は1.5mmあったと推定できます。また、現代のように脱色や染色などのおかしな人工処理もしていません。だから100年ほど経過した今でも美しい状態を保っていますし、当時の目の肥えたヨーロッパ人たちにも受け入れられたのです。 |
1-2-4. 現代の養殖真珠
業界は過去の栄光を利用し、楽して儲ける気しかありません。だから現代の養殖真珠がさも昔と同じか、もしくはより進化して良くなったと消費者が誤解するような言い方しかしません。 しかしながら現代の養殖真珠は初期の養殖真珠とは全く別物で、劣化しかしていません。今では95%以上の養殖真珠が僅か6〜8ヶ月の養殖期間で出荷され、真珠層はメッキのような厚さしかありません。 高級品の"越物"(こしもの:1年以上)と呼ばれるものでも、僅か1年ほどで出荷してしまいます。越物でも真珠層の厚みは0.4-0.6mm程度です。 0.25mm以上の真珠層があれば現代では花珠認定されます。数百万円の価格が付いていても、価格相当の価値はないのです。 また、「一生もの」なんて宣伝文句を掲げながら、「真珠は劣化するのが当たり前で、20年くらいしかもちません。」と平気で言うのが養殖真珠業界です。 真珠層が薄い養殖真珠は、ジュエリーに加工するため穴を開けた瞬間から変色が始まります。核と真珠層の隙間に大気中の汚染物質や、使用者の皮脂や化粧汚れなどが侵入し、内側から変色していきます。 お祖母様やお母様の養殖真珠ネックレスを見たら変色していたという話を、最近ではよく聞くようになりました。買った当初は良くても、メッキはいずれ剥がれます。それでも一代と持たずに変色するなんて、最悪です。 |
【参考】養殖真珠ネックレス(現代) | 養殖真珠は価値は無くともそれなりの値段がしますし、「財産価値がある」、「一生物」、「母からお嬢様に託していける」なんて業者の宣伝文句を鵜呑みにして買ったならば、騙された感が満載でしょう。 |
『キラキラ・クロス』 天然真珠 バーブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
最近はクレーム防止のために真珠は劣化するのが当たり前だと堂々とPRするようになったのでしょうけれど、詐欺同然で最悪です。 天然真珠であれば140年ほど経過しても変色などしませんし、輝きが鈍るなんてこともありません。 |
『永久の天然真珠』 ジョージアン 天然真珠&ガーネット ペンダント&ブローチ イギリス 19世紀初期 SOLD |
天然真珠と養殖真珠は全く別物です。 永遠に美しさを保ち続けられる性質。 稀少性。 そしてあらゆる宝石の中で、他の宝石には表現できない独特の魅力ある美しさを持っていたからこそ、高い財産性を有し、王侯貴族のためのハイジュエリーの至高の宝石として長年歴史の中で君臨してきたのです。 |
1-2-5. 劣化しかしてこなかった養殖真珠の歴史
サラリーマン時代の居酒屋での飲み会(笑) | 今でこそアンティークジュエリー・ディーラーをやっている私ですが、3年前はまだサラリーマンで、しかもサラリーマン経験の方が12年ほどと圧倒的に長いです。 売上高は毎年1兆4千億円を超える(笑)世界最大規模の総合印刷会社の中央研究所で働いていたので、多岐に渡る種々の製品の最先端の研究開発を知ることができました。 そこで感じたのは、新しく市場に出た製品はその後さらにブラッシュアップされ、品質や機能が向上することです。 機能や品質が最高点に達すると後は価格競争となり、コストダウンに注力されることになるので品質的には維持か徐々に落ちていくことになります。 |
金被覆ワイヤーのイメージ "Gold filled-en" ©KDS4444(31 March 2017)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | 電子デバイス系の製品でよくあるのが、材料費がかかる金メッキの厚みを薄くすることです。 開発時は"とにかく要求される性能をクリアすること"が至上命題です・だから採算割れしない範囲で、とにかく耐性試験をクリアできる十分な厚みで設計されます。 コストダウン段階になると、"要求性能を満たす範囲でいかにコストカットするか"が至上命題となります。 こういう時、金メッキは性能を満たす範囲でギリギリまで薄くされます。 |
【参考】『矢車』(ミキモト 1937年) 【引用】MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD / Yaguruma ©MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD. |
しかしながら市場に出た後、劣化の一途しか辿らなかったのが養殖真珠です。 エレクトロニクス製品のように"要求性能"による品質の定義がなく、どこまでコストダウンするか指標となるものが存在しなかったことがまず最悪でした。 |
養殖真珠が市場に受け入れられたのは、当時X線による鑑別技術がなく、破壊分析以外では天然真珠か否かの真贋判定が不可能とされたからです。つまり、プロが見ても外観からは見分けがつかないということです。 外観で見分けがつかない範囲であれば、何をやってもバレないしOKだと解釈したのが日本の養殖真珠業界でした。 |
当初は目の肥えた欧米の宝石商、上流階級や富裕層に受け入れられるよう、全精力をかけて養殖真珠は作られました。1919年の初期の養殖真珠は7mmの珠に4mmの核が入っており、3〜5年かけて真珠層を形成させていました。それが1945年の時点では、18ヶ月以上という具合に短くなっていたのです。第二次世界大戦後ではなく、戦時中までで既に半分以下の年月まで養殖期間が短くされ、それに伴い真珠層の巻き厚も減っていたのです。 |
1-2-6. 1945年までに養殖真珠の品質が低下した理由
ココ・シャネル(1883-1971年) | 詐欺騒ぎがあったため、養殖真珠が裁判所からのお墨付きを得て(パリ裁判)、堂々と"本物の真珠"の顔をして普及できるようになったのは1924年のことでした。 これによって天然真珠が市場から駆逐されることになるのですが、1924年にココ・シャネルがコスチュームジュエリーを提案するというエポックメイキングな出来事がありました。 |
イギリス王妃アレクサンドラと娘ヴィクトリア王女 | 美しい宝石をふんだんに使ったジュエリーは、限られた王侯貴族や富裕層だけが身につけることができたものでした。 庶民にも強い憧れはありますが、本物のジュエリーはどれだけ頑張ったとしても到底手が出るような価格のものではありません。 王侯貴族にとってのジュエリーには、以下の重要な3つのポイントがあります。 1. 財産性(稀少価値があるので価値が下がらず、インフレにも強い。金塊などより持ち運びやすい。) 2. ステータス・シンボル 3. ファッションとして楽しめる |
ファッション界をリードした稀代の才能を持つシャネルが画期的だったのが、ジュエリーの「ファッションとして楽しめる」というポイントだけを切り取り、コスチューム・ジュエリーとして新たなジャンルを作り上げたことでした。 「財産性はないけれど、ファッションを楽しみたい人には存分に楽しんで欲しい。」 そんな思いを込め、自分と同じ、ジュエリーは持てない立場だった中産階級の女性のためにコスチュームジュエリーを提案したのです。 |
1920年代後期のアールデコ・ファッション | |
王侯 | 庶民 |
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1927年、27歳頃) | 最先端のアールデコ・ファッションに身を包む庶民の女性たち |
王侯貴族は庶民の憧れでありファッションリーダーです。天然真珠ネックレスは買えなくてもコスチュームジュエリーならば庶民でも手が出ますし、ファッションだけは王族のようになれた気分になって、自己満足に浸ることもできます。本物をしっかりと見たことのない庶民には天然真珠と模造品の違いなんて分かりませんし、パッと見て良い感じだったら何でも良いというのが一般的な庶民です。 |
シャネルのコスチュームジュエリー | 庶民でも手が出る金額の範囲内で、ゴージャスなお姫様気分になれるコスチュームジュエリーは爆発的に流行しました。 みんながジャラジャラとパール・ネックレスを着ける中、さほど大きくもない1連ネックレスを着けるなんてみすぼらしい気分になっちゃうと嫌がられてしまうのは想像に難くありません。 大きくて派手なパールをお姫様達のようにジャラジャラ着けたい庶民にとって、養殖真珠は中途半端な価格でした。 |
コスチュームジュエリーを着けたアールデコの時代のフラッパー | 大流行すると、ファッションとしては陳腐化するのが世の常です。 コスチュームジュエリーの出現によって、最終的に真珠自体には安っぽく有りふれたイメージが付いてしまいました。 天然真珠、養殖真珠、模造真珠の違いが分からない庶民には、流行後はその全てが流行遅れのイケてないものとして記憶されることになったのです。 |
アールデコ期の王族の肖像画 | |
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1925年、25歳頃) | カリスブルック侯爵夫人アイリーン・マウントバッテン(1930年頃、40歳頃) |
王侯貴族にとって肖像画は自身のプロモーション・ツールの一種です。だから描かせる際にはプロモーションの方向性に合わせてファッションや構図などに非常にこだわります。身に着けるジュエリーや持ち物、背景には自身の財力や教養をズバリ象徴するようなものを選択して描かせます。1930年頃までは天然真珠は至高の宝石として、確かにヨーロッパの王侯貴族の中で君臨していました。 |
第二次世界大戦後の王族の肖像画 | |
エリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1938-1945年) | エリザベス女王(1952年頃、26歳頃) |
しかし第二次世界大戦後は天然真珠のネックレスは富と権力の象徴ではなくなってしまいました。長い年月、王族の富と権力として君臨し、富と権力の象徴として肖像画と共に描かれてきた天然真珠ネックレスの至高のジュエリーとしての歴史は、表舞台では終わりを迎えたのです。 |
エドワーディアン期とヴィンテージ期のイギリス王妃 | |
アレクサンドラ王妃(エドワード7世の妻)(1905年、59歳頃) | エリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1938-1945年、38-45歳頃) |
何だかとっても切ない話です・・。 しかしながら切ないだけで終われなかったのが養殖真珠業者です。天然真珠を駆逐するほど売れたのは良かったのですが、コスチュームジュエリーの大流行によって期待していたほどは売上が上がらず、今度は模造真珠との価格競争になってしまいました。 製造業者が消費者を欺く手口は、昔も今もそう変わりません。現代だと食品のステルス値上げなんかが有名です。 「同じような外観を保てば、品質を低下させたり、内容量を減らしても客は愚かだから気づかないだろう。」 「全体の価値は低下していても、同じ価格で売ることができる。もしくはめちゃくちゃ品質を低下させて少〜しだけ値下げしたら、安くなったと大喜びしてもっとたくさん買うようになるかも♪♪」 |
そういうわけで3〜5年間はかけていた養殖期間を、1年半くらいにまで半減させてしまったのです。 真珠層の巻き厚は半分以下に低下してしまいましたが、バレずに済んで養殖真珠業界は味をしめたようです。 |
1-2-7. 戦後の過剰生産による養殖真珠不況
ところで最初は欧米の上流階級や富裕層が養殖真珠の購買層としてのターゲットでしたが、なぜいつのまにか中産階級の日本人女性に移行したのでしょうか。これにもきちんと歴史的な理由があります。 |
米飯獲得人民大会(食糧メーデー)(有楽町日劇前 1946.5.19) | 説明するまでもありませんが、戦後に日本はめちゃくちゃ大変でした。 資源国家でなく、今のように製造国でもなかったため、外貨を稼ぐ手段は限られていました。 そんな中で、外貨を稼ぐ手段の1つとして期待されたのが養殖真珠でした。 |
【引用】水産増殖 臨時号4 「真珠養殖漁場における密殖および漁場老化の問題」国立真珠研究所 澤田保夫(1965.6) |
そういうわけで養殖真珠産業には新規参入が相次ぎ、1950(昭和25)年からわずか数年間で、養殖真珠産業は何倍にも規模が拡大しました。生産量に至っては1962年の時点で、1950年と比べて21倍にもなっています! |
【引用】水産増殖 Vol.3, No.4 「国立真珠研究所の紹介」国立真珠研究所所長 高山活夫(1957.8) | 1952(昭和27)年には真珠養殖事業法が成立し、国によって養殖真珠産業は保護と支援を受けながら、外貨獲得のために官民一体となって動くことになりました。 |
【引用】水産増殖 Vol.3, No.4 「国立真珠研究所の紹介」国立真珠研究所所長 高山活夫(1957.8) | 輸出検査機関として『真珠検査所(東京、神戸)』、研究指導部門として『国立真珠研究所』を設置するための予算が組まれ、1955(昭和30)年から業務が開始されました。 |
【参考】水産増殖 臨時号4 「真珠養殖漁場における密殖および漁場老化の問題」国立真珠研究所 澤田保夫(1965.6)、水産庁データ、参議院事務局企画調整室編集・発行 立法と調査 No.379 「真珠産業の振興 -真珠振興法制定までの経緯と取組について-」農林水産委員会調査室 喰代伸之(2016.8) |
1950(昭和25)年には3トン程度だった生産量が、1967(昭和42)年度にはピークの125トンに達しました。宝石は稀少性が保たれるからこそ価値があり、価格も保たれるわけです。これを見てゴールドやダイヤモンドの話を思い出した方は正解です。養殖真珠産業は儲かると、欲に目が眩んだ金の亡者たちが次々と新規参入したわけです。 競合が少ない時期は楽して旨みも多かった養殖真珠産業ですが、新規参入によって競合が増えると競争が激化し、すぐに市場はレッド・オーシャンと化しました。こうなると、基本的には皆が単純な価格競争に走ります。 欲に目が眩んで新規参入した人たちは金儲けが目的なので、当然ながら品質は二の次です。あらゆる箇所が試行錯誤して手抜きされ、品質も落ちていきました。 需給バランスを無視した過剰生産と市場への過剰投入、さらに品質の低下によって、養殖真珠は海外市場で買ってもらえなくなってしまいました。養殖真珠業界は生産自粛や低品質品の廃棄、調整保管を余儀なくされました。政府が「真珠養殖等調整暫定措置法」(1969年施行)を制定して生産調整をバックアップしたものの、生産量は約4分の1、経営体は約2分の1まで縮小しました。 花形産業だった養殖真珠業界に起こったこの不況は真珠不況と呼ばれ、一般には1967〜1972年を指します。 |
ブラジルと南アフリカのダイヤモンド産出量の推移 【参考】2017年の鉱山資源局の資料 |
稀少価値がなくなれば価格が下落するのは当たり前のことです。ずっと天然真珠並みの価格で養殖真珠が売れて、楽してぼろ儲けし続けられるわけがありません。その点では南アフリカのダイヤモンドラッシュで、ダイヤモンド業界はうまく生産・供給コントロールをしたものだと思います。未だにダイヤモンドが稀少価値の高い宝石だと思い込む一般人は多いですからね。 |
セシル・ローズ(1853-1902年)1900年、47歳頃 | これは南アフリカに渡ったイギリス人、セシル・ローズがいち早く生産・供給調整の必要性に気づいたからですが、天才だから閃いたというわけではありません。 アメリカのカリフォルニアで起きたゴールドラッシュで、やはり金価格が大幅に下落し、殆どの人が夢破れて終わった顛末を知っていたからこその対応でした。 イギリス人って本当に失敗からきちんと教訓を得て、次につなげる国民性があるなと感じます。 |
1666年のロンドン大火 |
世界三大火事の話もその例です。 イギリスでは1666年、4日間に渡る『ロンドン大火』によって中世都市ロンドンが消失しています。当時ロンドン市内の家屋は殆どが木造で、街路も狭かったそうです。市内の家屋のおよそ85%となる、1万3200戸が消失しました。燃え上がる火を前に市民はなすすべもありませんでしたが、記録された死者数は意外にも僅か5名でした。 イギリスではその後、木造建築の禁止や道路の幅員についての規定などの建築規制が布かれ、世界初の火災保険も生まれました。このような失敗に対する的確な分析や対応力の凄さが、偉大なる大英帝国の所以かなとも感じます。 |
『江戸火事図鑑』1657年の明暦の大火(田代幸春 1814年)江戸東京博物館 |
三大火事のもう1つが、江戸で起きた『明暦の大火』です。「火事と喧嘩は江戸の花」と言われ、『火災都市』とも呼ばれるお江戸はこの火事で江戸の大半を焼失し、最大10万人とも言われる死者を出したにも関わらず、その後もろくに火事の対策をせず定期的に大火事を起こしています。学ばないですね〜。日本人の国民性なのでしょうか。 |
衆議院のHP | 有象無象が取り組み始めると質の低下は必至です。 業者任せで品質を落とさないために、1952(昭和27)年に成立した真珠養殖事業法で質の悪い製品を排除し、制度面からも品質と信頼を保ってきました。 |
国で予算をかけて輸出検査機関も作っていました。まさに売るものがない厳しい時代に、国策として力を入れていたことが分かります。それでも時代と共に質は低下していきました。 残念ながら1998(平成10)年、規制緩和の中でこの法律も撤廃されてしまい、養殖真珠の輸出前検査が無くなりました。2000年代からの養殖真珠の質の低下はさらに酷いものです。養殖真珠事業法も無いよりはマシだったと言えるでしょう。 |
1-2-8. 購買層のターゲットを変えて復活した養殖真珠
第一次鳩山一郎内閣(1954年) | 経済学苦手、世界の先例にも学ばない日本人の養殖真珠は過剰供給と品質低下によって海外で嫌われましたが、折しもタイミング良く日本は高度経済期に入り、中産階級の購買力と購買意欲が増し始めた頃でした。 1950年に勃発した朝鮮戦争による特需景気で戦後不況から脱却した日本は、1954(昭和29)年12月の第1次鳩山一郎内閣の時代から高度経済成長を迎えました。 |
佐藤栄作 内閣総理大臣とアメリカのニクソン大統領(1972年) | それから第3次佐藤内閣の1970(昭和45)年7月までの約16年間が、日本が飛躍的に成長を遂げた高度経済成長期にあたります。 この間に『神武景気』、『岩戸景気』、『オリンピック景気』、『いざなぎ景気』と、好景気が立て続けに発生しました。 |
都電が走る銀座通り(1955年、昭和30年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 | 1954〜1957年の神武景気で日本経済は戦前の最高水準を上回るまでに回復しました。 1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と記載され、戦後復興の完了が宣言されました。 |
神武景気のテレビ "Amberley TV" ©Les Chatfield from Brighton, England(2 April 2005, 01:41:57)/Adapted/CC BY 2.0 | また、耐久消費財ブームが発生し、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビの三種の神器も出現しました。 |
自動車で混雑する祝田橋交差点(1960年、昭和35年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 | 昭和30年代にはマイカーブームを迎え、自動車の台数は驚異的に増加しました。 1958〜1961年の岩戸景気では好景気によって若年サラリーマンや労働者の収入が急激に増加し、国民の間に『中流意識』が広がっていきました。 |
終戦後の闇市(東京・新橋 1945.12)【引用】時事通信社 / 昭和20年、終戦後の東京・新橋の闇市 ©JIJI PRESS LTD. | 米飯獲得人民大会(食糧メーデー)(有楽町日劇前 1946.5.19) |
60年間あまり、殆どの日本人が"中流階級"として生きてきたため、現代では皆が中流階級で当たり前という意識が根付いています。しかしながらその前は皆がその日に食べる物にも困るような、皆が貧しくて当たり前の状況にありました。 |
終戦直後の食糧難の時代の買い出し列車。サツマイモなどを買い終えた人たちを乗せて東京に向かう列車は、貨車や客車の屋根まで鈴なりだった(1945.11.28)【引用】朝日新聞 DIGITAL/ (あのとき)1945 買い出し列車 ©朝日新聞社 | 食糧難で、お金も物もないことが当たり前だったので、当然今と意識も違います。 今は「食べ物が美味しくないと不満、美味しいと幸せ。」ですが、この頃は「食べられなくても当たり前。食べるものがあればそれだけで幸せ。」でした。 |
戦後の戦災孤児・浮浪児たち | 現代人にはこのような子供達を見て「かわいそう」と思うこともあるでしょう。 でも、この子供達は親や親族がいないのは自分だけではなく、自分が哀れだなんて思っていなかったはずです。 身近な人たちをたくさん失くした経験をしているからこそ、自分が生きていることに感謝し、当たり前のように助け合って力強く生きていけるのです。 |
食糧難の時代の買い出し列車(1945年) 【引用】朝日新聞 DIGITAL/ (あのとき)1945 買い出し列車 ©朝日新聞社 |
自動車で混雑する祝田橋交差点(1960年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 |
そんな皆が貧しくて当たり前の時代が終わり、一家に一台自家用車、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビがあって当たり前という皆が中産階級という時代への変化は日本にとって相当なインパクトがありました。 |
上野駅13番線ホーム(1962年、昭和37年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 | 発展する都市には地方から続々と労働者が集まりました。 企業は規模拡大に乗り出し、ホワイトカラー層の増加と賃金の大幅な上昇が大企業のサラリーマンを中産階級へと押し上げていきました。 |
全国初 歩行者天国始まる(銀座通り 1970年、昭和45年8月2日) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 | この新たに激増した中産階級が、日本の大量消費社会の需要を主導することになりました。 まず三種の神器などの、日常生活に直結するものから買われていきます。 衣食住に関する需要が満たされると、次にようやく買われ始めるのが贅沢品です。 |
トヨタ自動車の高級乗用車 初代クラウン RS型(1955年1月発売型) "Toyota-crown-1st-generation01" ©Taisyo(August 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | 世界初の市販クォーツ式腕時計『セイコー クォーツ アストロン35SQ』(1969年) "Seiko Astron" ©Deutsches-uhrenmuseum(6 June 2016, 16:20:09)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
男性だと車や時計などでしょう。一方、女性だと高価な服飾品やバッグ、お化粧品などがありますが、一番高価なお買い物と言えば何と言ってもジュエリーでしょう。しかしながら身近で良いものに触れ、美意識や教養を養う機会がなかった中産階級がジュエリーを買うようになると、毎回ろくなことがありません(笑) |
【参考】作りの良くないデミ・パリュール(ヴィクトリアン中期) | 例えば世界に先駆けて産業革命を迎えたイギリスだと、産業革命によって台頭してきた中産階級の身の回りの物の需要が一巡し、ジュエリーなどの贅沢品の需要が活気付いたのがヴィクトリアン中期以降です。 ヴィクトリアン中期以降は王侯貴族のハイジュエリーだけでなく、消費意欲旺盛な庶民向けのジュエリーが大量に作られています。 |
【参考】ヴィクトリアン中期以降の庶民向けのジュエリー | ||
そういうものは概して成金臭が強いです。高そうに見えるよう見た目だけは派手ですが、宝石も作りも質が良くありませんし、モチーフやデザインに知性や教養を感じるポイントもありません。 |
1870年に投降したナポレオン三世とビスマルクの会見 | フランスの場合はベルエポックがそのような時代に相当します。 1871年にフランスがドイツに破れ、普仏戦争は終結しました。 ナポレオン三世の廃位によって再び共和政に移行したフランスは敗戦後、他国に遅れていた産業革命がようやく到来し、フランスは驚異的な復興を遂げました。 |
ベルエポックの精神を表現したポスター(1894年)ジュール・シェレ | この19世紀末から苛烈を極めた第一次世界大戦が勃発するまでの、パリが繁栄した期間をベルエポックと言います。 ベルエポックの大量消費経済を牽引したのが、若い中産階級の女性たちでした。 フランス語で"安い"を意味する"ボン・マルシェ"の名を持つ世界最初の百貨店ボン・マルシェを始め、パリの百貨店には連日のように旺盛な消費意欲を持つ若い女性たちが押し寄せました。 |
ボン・マルシェ百貨店(1887年) |
派手なショーウィンドウと大安売りの季節物で客を呼び込む手法は、エミール・ゾラの小説『ボヌール・デ・ダム百貨店』にもある通り、買い物依存症や窃盗症などの発症によって身を滅ぼす人が出るほど中産階級の女性たちを虜にしました。 |
『エレガント・サーベル』 王室御用達 EDWARD & SONS社製 天然真珠クロークピン(ジャボットピン) イギリス 1880年頃 SOLD |
教養があり、どこで何を選ぶべきか分かっている上流階級は百貨店には行きません。 上質な知識を持ち、特別なオーダーにも期待以上に応えてくれる、最高の専門店で買い物をするのです。 |
ルーブル百貨店(1877年) | 大衆が百貨店に行くのは、何を選べば良いのか自身ではよく分からないからです。 何を買ったら良いのか分からないから、百貨店様が勧めて下さるものをありがたく買わせて頂くわけです。 この頃の大衆の女性たちは知識も経験もない、まっさらの生まれたてのヒヨコちゃん状態です。 信じている百貨店様や自称専門家の話は素直にスポンジのように吸収し、その洗脳下で素直に動いてくれます。 |
【参考】大衆向けベルエポック18Kゴールド・ピアス | ベルポックのフランスの大衆向けジュエリーはただのゴールド・ジュエリーの割合が高いです。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ペンダント | 【参考】大衆向けベルエポック18Kゴールド・ピアス(偽物の可能性あり) |
もしくは宝石は使っていたとしても小さくて質の良くないダイヤモンドや真珠です。右のピアスは石留の爪に変形が認められるため、石を取り替えた可能性があります。作りが悪く、100年の使用に耐えられずに石が落ち、それを修理した痕跡かもしれません。いずれにせよ、これらベルエポックの遺物から言えるのは、当時の大衆に「金だから高価なジュエリーですよ。」とPRしていた可能性が高いということです。 |
地金相場 【引用】田中貴金属工業HP |
ご存知の通り、金は高価ですが銀は大して高価な金属ではありません。時代や地域などの特殊な条件によっては金より銀の方が高価な場合もありますが、19世紀以降は確実に金の方が圧倒的に銀よりも高価です。2020年3月16日時点の相場だと、銀は金の10分の1の価格です。『シルバーアクセ』と言う通り、シルバーだけの作りだとジュエリーではなくアクセサリーです。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・リング | |
ゴールド | シルバー |
アンティークジュエリーの中でも王侯貴族のためのハイクラスのものしか扱わないので、普段は左の大衆向け高級品を安物としてご紹介していますが、大衆向けジュエリーにフォーカスすると一応高級品の部類に入ります。大衆向けの中級品がシルバー、もっと安物だとその他のさらに安いメタル素材になります。 |
【参考】大衆向けフレンチ・ロングチェーン | |
ゴールド | シルバー |
19世紀後期は既にカリフォルニアのゴールドラッシュによって金価格が暴落した後なので、金というだけでは王侯貴族のステータスにはなり得ません。しかしながら知識がない大衆にとっては未だ金イコールそれだけで自慢できる高価なものというイメージがあり、それを強調することによってゴールド・ジュエリーを売ることは、業界にとってとても都合が良かったのです。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ペンダント | |
ゴールド | シルバー |
「シルバーのジュエリーは安物ですよ。ゴールドは高級ですよ。」 ただそれだけでありがたがって大衆は大金を出してくれるのですから、これほど楽で儲かる商売はありません。シルバーより高価とは言え、暴落して以前ほど高価ではなくなった割安を使い、高価なイメージのまま割高な価格をつけて売ることがことができるのです。 |
【参考】大衆向けアールヌーヴォー・ブローチ | |
ゴールド | シルバー |
ゴールドという素材だけで一般大衆には訴求できるのです。 そこに小さくて低品質でも良いからダイヤモンドが付いていたり、無名でも作家名が入っていたらサインドピースとして大喜びで買ってくれます。もうお気づきの方も多いでしょうか。高度経済成長期からバブル期にかけての日本で、全く同じことが起こっています。 過剰供給と品質低下によって欧米市場で買ってもらえなくなり、真珠不況(1967〜1972年)に陥った養殖真珠業界ですが、復興を遂げ、景気に沸く国内の大衆向けに販売ターゲットを移すことで活路を見出したのです。 |
1-2-9. 悪化していく養殖真珠の質
養殖真珠が欧米で売れなくなった一因は、質を落とし過ぎたせいでした。だからせめて真珠不況のタイミングで質を戻すか、以前よりもっと良質な養殖真珠作りに取り組めば良かったのですが、そうはなりませんでした。質が落としたのは楽して儲けるためです。手間や時間を惜しみ、それらを省略してコストカットした結果、質が落ちたのです。 再び欧米市場で売ろうとするならば最低でも質を戻す必要があります。しかしながら天然真珠もジュエリーについてもろくに知識のない日本の大衆女性たちは、ベルエポックのフランスの大衆女性たちと同じ生まれてのヒヨコのようなものです。 |
『矢車』(ミキモト 1937年) 【引用】MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD / Yaguruma ©MIKIMOTO JEWELRY MFG. CO.,LTD. |
「欧米人の上流階級たちが虜になった、世界で認められた真珠を貴方も・・」 既に認められた頃のような品質はないのですが、何が美しい真珠か見たこともなく、日本人自身が自分たちを欺いて暴利を貪ろうとするなんて、普通の女性たちは思いもしません。 |
朝見の儀を終えた皇太子・明仁親王殿下(当時)と美智子妃殿下(1959年) |
高度経済成長期の岩戸景気(1958〜1961年)の間には皇太子・明仁親王殿下(当時)のご成婚があり、"庶民が見初められてお姫様になった"という、まさに庶民の女性たちが憧れる夢のような出来事が起こりました。民間ご出身とは言え、美智子妃殿下(当時)は日清製粉の社長のご令嬢であり、明仁親王殿下と知り合ったのも軽井沢のテニストーナメントと言うことで、庶民の女性にとっては同じ立場というよりも憧れの存在という感じでした。さらにこれだけの美人なので、当然メディアからも多く取り上げられました。 |
ミッチー・ブーム(1958-1959年)、 婚約期間中の美智子妃殿下(1958年10月) |
芸能界やメディアも現代ほど発達しておらず、女性たちから美智子妃殿下はファッションリーダーとして注目の的でした。 そこには当然様々な業界が儲けのチャンスと目をつけました。ブライダル業界、宝飾業界など様々です。 その1つが養殖真珠業界です。皇室を利用して未だに養殖真珠を絶賛プロモーション中です。一般国民からボロ儲けするために、選択権を持たされていない皇室を利用するのはどうなんでしょうね・・。 |
さらに「冠婚葬祭には必須」と、以前はなかった暗黙のルールを勝手に作って押し付け、絶対に日本人女性は1人1本は養殖真珠ネックレスを持たないといけない雰囲気を作り上げてしまいました。雰囲気と言うよりは、もはや同調圧力の域にありますが・・。 |
【参考】水産増殖 臨時号4 「真珠養殖漁場における密殖および漁場老化の問題」国立真珠研究所 澤田保夫(1965.6)、水産庁データ、参議院事務局企画調整室編集・発行 立法と調査 No.379 「真珠産業の振興 -真珠振興法制定までの経緯と取組について-」農林水産委員会調査室 喰代伸之(2016.8) |
こうして欧米では見向きもされなくなった低品質の養殖真珠を、そのまま消費意欲旺盛な日本の庶民が買ってくれるようになったため、養殖真珠業界は真珠不況を脱出し、再び増産に転じることができました。低品質でも日本女性はありがたがって買ってくれるので養殖真珠業界が品質を良くしていくことはあり得ず、さらなるコストカットが進むことになったのです。 |
1-2-10. 失われる日本のアコヤ養殖真珠
味をしめた養殖真珠業界はどうせ違いは分からないと消費者をなめまくり、様々な方法でコストカットしていきました。 分かりやすいのは養殖期間を短くすることで、それに伴い真珠層は薄くなります。現代では95%以上が6〜8ヶ月の養殖期間で出荷してしまい、薄いものだと僅か0.2mmの真珠層しかない養殖真珠まで流通しているそうです。 |
【引用】水産増殖 臨時号4 「真珠養殖漁場における密殖および漁場老化の問題」国立真珠研究所 澤田保夫(1965.6) |
さらに、同じ広さでもたくさん養殖した方が生産効率が良いので、密します。いわゆる『密殖』です。母貝にとって良い環境であるわけがありません。密殖したエリアは海流が鈍くなり、新鮮な海水が得られず、貝からの排泄物が溜まり淀んでいきます。母貝が苦しむことで一番影響が出るのは真珠層の巻き厚だそうです。 |
淡路島東岸で発生した赤潮(1974年) © National Land Image Information (Color Aerial Photographs), Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism |
さらに大量消費活動により日本の海は汚染されていきました。赤潮などがたびたび漁場を襲うようになりました。1992年に発生したヘテロカプサ赤潮、その後の感染症などで日本の養殖真珠はさらに質と量を低下させました。 |
赤変病に罹患したアコヤ貝(上)と通常のアコヤ貝(下)の全身(a)と閉殻筋(b) 【引用】魚病研究, 52(1),11-14.2017.3 「アコヤガイ赤変病」愛媛県農林水産研究所水産研究センター 山下浩史、小田原和史 |
1996年には致命的な被害が発生しています。1996年以降、毎年全国の養殖真珠母貝を赤変病が襲い、養殖真珠産業は壊滅的な被害を受けました。赤変病に罹患したアコヤガイは閉殻筋を含む軟体部が赤色から茶褐色に変色し、その後急激に衰弱して死亡します。致死率は70%以上にも達します。未だ原因は完全には解明されていませんが、中国産のアコヤガイからもたらされた病原体が原因と有力視されています。 |
志摩の鮑取りの海女 | 1945年頃までは、養殖真珠の母貝は海女さんが海から獲ってきた天然のアコヤガイを使っていたそうです。 母の実家が佐賀県の伊万里湾にあり、たまに祖母と潮干狩りに行っていたのですが、アサリ貝と共にアコヤ貝も少し獲れたことを思い出します。 残念ながら天然真珠は入っていませんでしたが、貝殻の内側の真珠光沢がとても綺麗でした。 しかしながら海から天然物を獲ってくるのは効率が悪いということで、稚貝も養殖するようになりました。 技術の国外流出を防ぐ目的もあって、1952年に真珠養殖事業法が制定され、養殖真珠事業は厳しく制限されてきたのですが、1970年代に入ると法をかいくぐる者が出始め、養殖技術が海外に流出していきました。 |
三重県志摩市で養殖されたアコヤガイ | そして次第に海外に流出した養殖技術は日本人の手を離れ、現地資本・現地技術によって現地人主体で発展していきました。 1990年代くらいまでは「日本のアコヤガイは他の国のものに比べて上質で美しい!」と、養殖真珠業界はPRしていたと私は記憶しています。 最近、そういう話を全く聞きません。これにもウラがあります。 |
東京大学大学院農学生命科学研究科の良永知義氏らによると、1996年の致命的な赤変病大発生の後の聞き取り調査で、1994年頃に中国産のアコヤガイが愛媛県の一部の海域に導入され、同時に赤変病が起きたことが判明しています。 コストカットのために稚貝すら中国から輸入した結果、一緒に病原菌がもたらされたのが実情のようです。日本産アコヤガイは赤変病への耐性が弱く、中国産アコヤガイの方が病に強いという性質がありました。ただ、中国産アコヤガイだと質が悪く、それはそれで問題でした。 その結果、中国産と日本産のアコヤガイをかけ合わせ、病にある程度耐性を持つ貝を作ったのです。このかけ合わせのアコヤガイは現場ではハーフ貝と呼ばれているそうです。1990年代後半の大量死で日本産アコヤガイが大量死し、その後も病への耐性が低く死に続けるとなると、中国産アコヤガイに頼らざるを得ず、純粋な日本産アコヤガイは絶望的に少なくなってしまったのです。 その結果、それまでは日本産アコヤ真珠を讃え、中国産を貶めていた養殖真珠業界は、ピタリと日本産アコヤガイの話をすることを止めたのです。 |
【参考】南洋養殖真珠14mm珠14Kリング | 一方でアコヤガイに見切りをつけ、シロチョウ、クロチョウなどの他の母貝真珠の養殖にシフトする業者も多数出ました。 最近、巨大さだけをウリにした、趣味の悪い真珠のジュエリーが大量に出回るようになったのもそのせいです。 |
1952年に制定された真珠養殖事業法の廃止(1999年施行) | 1952年に制定された真珠養殖事業法は、1998年に廃止が決まりました。 表向きは規制緩和し、グローバル化に対応するためでしたが、1996年以降の赤変病に法律の元では対応できず、撤廃せざるを得なくなったのが実情と言えるでしょう。 |
1-2-11. 無法地帯となり低品質化が進む養殖真珠
法律による規制が撤廃され、グローバル化が急激に進み競争が激化した養殖真珠市場は2000年以降、さらなる品質の低下が進みました。 情報が限られ、贅沢品がありがたがられた高度経済成長期やバブル期などと違い、今の若い世代は豊かで当たり前なので物欲も低く、画一的な価値観の押し付けには反応しない傾向にあります。 ブランドだから買う、流行だから買うという人もかなり少なくなり、自分が感覚的に本当に良いと思えるものしか買わなくなりました。 |
【参考】養殖真珠リング | 養殖真珠はやり過ぎた結果、どれだけ美辞麗句で脚色してプロモーションしても、感覚的に美しいと思えない人が多くなったのです。 そのために売れなくなり、より競争が激化し、コストカットに走り品質が低下し、余計に売れなくなるという、側から見たら滑稽過ぎる悪循環に陥っています。 とにかく状況に合わせて言い訳ばかりの業界です。真珠層が薄っぺらであることに加えて、脱色・染色も当たり前です。 |
「天然のものだからシミがあるのは当然で、だから漂白して当然。でも、色が完全になくなってしまうのでそのままだと薄っぺらい印象。だから本来の色に戻すために染色をする(一連を『調色』と言います)。法的に認められているのだから、調色するのは悪いことではない。」と強気です。 |
【参考】養殖真珠リング | 法というものは遵守すべき最低限の決まりごとであり、守っていれば他はどうでも良いというわけではないはずなんですけどね。 こういう業者からは、より良くしようという発想はまるで感じられません。 |
【引用】水産庁データ、参議院事務局企画調整室編集・発行 立法と調査 No.379 「真珠産業の振興 -真珠振興法制定までの経緯と取組について-」農林水産委員会調査室 喰代伸之(2016.8) | 品質低下と過剰供給による1967(昭和42)〜1972(昭和47)年の真珠不況により、養殖真珠業者は急減しました。 1996(平成8)年以降に相次いだ赤変病による稚貝の大量死と、養殖真珠の質がさらに保てなくなったことで、さらに養殖真珠の数は減りました。 養殖真珠業者と言えばミキモトなど大手資本が有名ですが、意外とたくさんの事業者がいたことが、左図からもお分かりいただけると思います。 |
アールデコ 天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1920年頃 SOLD |
GenがルネサンスHPで公開している「天然真珠と養殖真珠の違い」は、もはや伝説のページと言っても過言でないほど重要なことが書いてあります。 このページは、とある養殖真珠業者がルネサンスに訪れたのがきっかけで作ったものです。 時間をかけて養殖した後、取り出してから2年間寝かせて色を落ち着かせる、調色をしない昔ながらのやり方をしているという真面目な養殖真珠業者が、本物の天然真珠を見せてほしいとやってきたのでした。 そしてGenは、現代の養殖真珠産業の酷さを当事者から色々と聞いたのです。 |
『銀杏』 天然真珠&ダイヤモンド ブローチ イギリス 1890年頃 SOLD |
2008(平成20)年くらいまでは1,000を超える養殖真珠業者が存在しましたが、その多くは名前も知られていない小さな事業者です。 それぞれの方針で取り組んでおり、利益追求だけの低品質品に特化する事業者もいれば、わざわざ勉強したいとルネサンスに来るような真面目な業者もいます。 |
あこや養殖真珠 "Akoya peari" ©MASAYUKI KATO(17 February 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
小さな事業者にはブランド力がなく、プロモーションをする力もありません。養殖真珠のイメージをコントロールしたり、どのような養殖真珠が良いもので悪いものなのか購買層に知識を植え付けることができるのは、広告宣伝費にお金をかけて大規模プロモーションできる大手資本だけです。政商として国に働きかけ、自分たちの都合の良いように法を作ったり無くしたり、補助金やプロモーションなどの国家戦略を実現させられるのも、力のある大手資本だけです。業界の歩む道は、大手資本次第とも言えます。 |
『初期の養殖真珠ネックレス』 1930年代? 養殖真珠:直径8mm SOLD |
残念ながら大手資本が金儲けの道しか考えていないため、消費者も知識の得ようがなく、養殖真珠の違いが分かりません。 昔ながらの作り方はコストも時間もかかり、高価なものとなります。 |
「あれもこれもお付けしてイチキュッパ」という売り方がスタンダードとなってしまったため、消費者には真珠自体が安物イメージが植えつけられてしまいました。 「あれもこれもお付けして」だなんて、あれの価値もこれの価値もタダということですからね〜。実際、タダのような無価値同然の養殖真珠で作ったアクセサリーだから可能なビジネスです。 赤字ならば事業継続は不可能ですが、十分儲けられるのでしょう。いかに低品質の養殖真珠なのかが分かります。 |
養殖真珠に大きな価値の違いがあるだなんて、ほとんどの消費者は知りません。養殖真珠業界がそれを教えてこなかったからです。なぜ消費者に教えてこなかったのかと言えば、知られない方が楽して儲けやすいからです。日本人の文化レベル向上のために、積極的に良い養殖真珠を作って教育活動とプロモーションに力を入れるべき大手自体が、一番楽して儲けたがっているので消費者には無知でいて欲しいのです。 |
製造した米沢箪笥の上にアンティークジュエリーを並べて、米沢のとある蔵で展示会を開くGen(着席した人物、29歳頃)1976年 | このジレンマが一番分かるのが実はGenです。 今はやっていませんが、アンティークジュエリーの仕事をするために米沢箪笥の製造をやめたわけではありません。 東京に出てきた後、ベルビー赤坂のお店でも、アンティークジュエリーと共に米沢箪笥を販売していました。 |
Genプロデュースの米沢箪笥 | まだ職人と技術が残っていて、昔ながらの伝統的なやり方で真面目な作り方ができた時代です。 高島屋などの百貨店でも要請されて販売し、その企画展でトップセールスを上げたほどGenの米沢箪笥は人気を博しました。 しかしながら、そうすると真似をする業者が出てきます。 そういう業者は「儲かりそう」という理由でしか参入していないので、作るのは当然コストダウンしか考えていない粗末なものです。 外観だけ似せた作りの酷い安物ですが、高度経済成長に沸く庶民の大半は違いが分かりません。 |
最高級の米沢箪笥 | 市場は価格競争になりました。 良いものを作っても理解してもらえず、高いと批難される。 まさに真面目な養殖真珠業者と同じです。 どちらにしても木材、漆、金属、全ての材料がどんどん質が悪くなり良いものが手に入らなくなり、どんなに腕の良い職人でも、戦前の高級品と同じレベルの優れた米沢箪笥は作ることが不可能とGenは気づいていました。 だから質を落としてでも作り続けるのではなく、潔く辞めたのです・・。 |
【引用】水産庁データ、参議院事務局企画調整室編集・発行 立法と調査 No.379 「真珠産業の振興 -真珠振興法制定までの経緯と取組について-」農林水産委員会調査室 喰代伸之(2016.8) | 辞めないで続ける大半の業者はプライドなんて持っておらず、魂を売っています。 養殖真珠製造の質の低下は歯止めがきかず、内部崩壊に近い状況です。 |
1-2-12. 養殖真珠の後処理
養殖真珠には様々な加工処理方法があります。過酸化水素などで化学的に脱色するので、まずそれで真珠層が痛みます。大気中、もしくは有機溶剤に浸漬して加温することで脱色したり、光沢の改良をしたりもします。 |
「最高峰の花珠真珠」 | 天然真珠 | 異様にピカピカな養殖真珠も多いですが、研磨処理して表面凹凸を取り、光沢が増すようにしているからです。 逆に安っぽくなっている気がします(笑) |
あこや養殖真珠 "Akoya peari" ©MASAYUKI KATO(17 February 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
染色処理もあります。漂白すると色が抜けすぎて違和感があるため、着色剤に浸けるなどして人工的に色を付けます。女子ウケ狙いでピンク系にされることが多いようです。色水のような濃いピンクの染料にドブ漬けされた真珠の姿を見ると、普通は買う気が失せると思います。 本来、真珠は真珠層そのものの色だけでなく、真珠ならではの干渉光が魅力です。天然真珠は、半透明の薄い真珠層が何層にも重なってできています。内部に侵入した光が各真珠層で反射し、それらが複雑に干渉することで発生する独特の干渉光が魅力です。 |
内部から滲み出るような柔らかい輝きと、はっきり何色とは言えない複雑な色合いの干渉光が何とも美しく、真珠という宝石ならではの魅力と言えます。 特に天然でこれだけピンク色を感じる真珠は珍しく、見る者を強く惹きつける魅力があります。 |
【参考】養殖真珠ネックレス | それを狙った養殖真珠も存在しますが、それぞれが無個性で味気ありません。 養殖真珠は品質を揃えられるのみならず、色すらも選べる時代となりました。でも、均質すぎるものは感覚的に美しいと感じられないのです。 |
最近、ピンク色に染められた違和感のある養殖真珠が増えたように感じます。天然真珠が栄華を誇っていた時代、確かに日本産アコヤガイの天然真珠は美しいと評価が高かったそうです。1996年以降の赤変病による大量死をきっかけに、美しい干渉縞を出せる純粋な日本産アコヤガイの養殖真珠が失われ、干渉光っぽいものを人工的に補おうとした結果なのかもしれません。こうなっては2度と、純粋な日本産アコヤガイの美しい真珠を作り出せることはないでしょう。 |
愛媛新聞(2019.9.4) |
昨年もアコヤガイの稚貝の大量死が発生したそうです。もう日本の養殖真珠産業も限界を迎えているようにも感じます。 |
愛媛新聞(2019.9.4) |
23年前、1996年の赤変病による大量死の悪夢。改めず、悪化しかしないこの業界に海は怒り、貝も怒っている。そのようにも感じます・・。別に養殖真珠のジュエリーなんて生活に必須ではありません。冠婚葬祭に必須なんて押し付けもやめて、本当に欲しい人のためだけに高品質なものを真面目に作り、妥当な価格で販売してくれればまだ存在意味があるのにと感じます。あくまで私個人の感想ですが・・。 |
6歳頃のGenと家族(左:父、中:Gen、右:継母)1953年 | ここまでご説明してきましたが、ご存知ないこともありましたでしょうか? Genの感覚からすると、戦後いろいろな物の質が悪くなって行き、戦前に作られた物の方が優れているのは当たり前で、みんなもそれは知っている思っているようなのです。 でも、戦後と1954年から始まる高度経済成長以降を実際に経験した人でないと、感覚的に理解するのは難しいと思います。 1947年生まれ、現在72歳のGenは、高度経済成長が始まる1954年だと7歳です。 |
在りし日の数寄屋橋(1955年、昭和30年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 |
・・・・・。 Genがアンティークジュエリーを始めた1970年代であれば、説明しなくても優れた和骨董の価値を知識だけでなく感覚的に理解できる人も多く、そういう人たちはアンティークジュエリーの価値もあまり説明する必要もなく、すんなりと分かってくれたことでしょう。 |
楽しい給食の時間(1961年、昭和36年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都 |
しかしながら今のヘリテイジのお客様のほとんどの方は70歳未満だと思います。70歳以上でもジュエリーを楽しまれる方は多いですが、ヘリテイジは路面店はやっておらずインターネット専門店なので、インターネットをやらない人はヘリテイジの存在すらご存知なく、70代でインターネットを使いこなす方は少数派です。 近代史は学校であまり重点的に習うことはなく、親や祖父母世代から話を聞くくらいだと思います。学校のコッペパンや脱脂粉乳が死ぬほど不味かったという話はよく聞きますが、当時の経済活動や文化、流行などの具体的な話については知る機会はほぼありません。 |
今回知って残念だったのは、母や祖母世代のある程度古いものでも、養殖真珠は主要を国内販売に移した時点でもうダメだったことです。 |
【参考】変色したヴィンテージの養殖真珠ネックレス(室内光と太陽光で撮影) | 時の経過が全てを露わにします。 価値なきものは、永遠の存在にはなれません。 長い年月で淘汰され、やがては無くなります。 こんな風になったら捨てるしかありません。 |
この天然真珠の方が最低でも数十年は古いものだなんて、失笑するしかありません。 |
1-3. 天然の魅力あふれる干渉光
一言で『真珠貝』と言っても、その種類は様々です。 このため、天然の貝が育んだ真珠でもそれぞれに輝きや質感に個性があります。 でも、この天然真珠ネックレスはダントツで干渉光の美しさに優れています。 |
天然真珠 ネックレス イギリス 1910年頃 天然真珠(直径3.7mm〜1.9mm) SOLD |
これまでに様々な天然真珠のシンプルな一連ネックレスをご紹介してきました。 ヘリテイジ基準を満たすハイクラスのものだけなので、どれもそれぞれに美しさと魅力があります。 |
『プレシャス・パール』 エドワーディアン 天然真珠 ネックレス イギリス 1910年頃 天然真珠:直径6.6mm〜2.5mm SOLD |
『エメラルド・リボン』 天然真珠 ネックレス イギリス 1920年頃 真珠の直径 4.7mm〜1.5mm SOLD |
その中でも特にハイクオリティだったのがこの2つです。左の『プレシャス・パール』は最大6.6mmという、天然真珠ネックレスとしてはかなり大きな珠が使われています。一方、右の『エメラルド・リボン』は珠の大きさは特別大きくはありませんが、驚くほど照り艶が良く、小さな珠まで形も揃えられた超上質な天然真珠で揃えられていました。 |
『プレシャス・パール』の天然真珠は内側から光が滲み出てくるような、セミマットな質感の柔らかく明るい輝きが美しい真珠でした。 |
『エメラルド・リボン』は「お見事!!」と言うしかないほど、強い照りと光沢を持つ素晴らしい天然真珠です。 |
『愛の松明を持つエンジェル』 ネオ・ルネサンス 天然真珠&ルビー ブローチ カルロ・ジュリアーノ作 1880年頃 SOLD |
その他、有名作家カルロ・ジュリアーノの作品に使われた高級な天然真珠なども見てきました。 でも、色を強く感じる干渉光を放つ天然真珠は今までほとんどなかったように感じます。 |
三重県志摩市で養殖されたアコヤガイ | 天然真珠は各地で採られていましたが、ペルシャ湾のアラビア半島側には日本のアコヤガイと類似した真珠貝が生息していたそうです。1900年代初期の最盛期にはたくさんの天然真珠が採取されました。 一方で日本も開国後、天然真珠は一攫千金ということで海女さんが採りまくりました。全国的にアコヤ貝が乱獲され、絶滅の危機に瀕したほどだそうです。 |
桜色の干渉光を放つ特別美しい天然真珠。 産地や母貝の種類を知る術はありませんが、日本人の琴線に触れるこの美しい輝きは、アコヤガイが母なる海の中で優しく育んだ天然真珠だからなのかもしれませんね。 |
2. 大珠の天然真珠ネックレス
2-1. 見事な大きさの天然真珠
美しい桜色の干渉光を持つ天然真珠自体が非常に稀少ですが、このネックレスは使われている天然真珠のサイズも、市場ではなかなか見ることのない大きなサイズが使われています。ネックレスの一番大きな珠は6.6mmあり、クラスプにセットされた天然真珠はなんと8mmもあります! 養殖真珠は球形に整えた貝殻の核に、真珠層を薄くメッキするだけなので仕上がりは球形で当たり前です。 さらに、養殖期間に珠の大きさによる違いはありません。このため、どの大きさの養殖真珠でも真珠層の厚さはほぼ同じです。養殖真珠の珠の大きさは、どの大きさの核を入れるかだけの違いです。でも、大きな養殖真珠の方が高いです。 核はドブガイという貝の殻を削って作ります。大きい核の方が価値が高いというわけはなく、大きな核を入れると母貝が耐えきれずに死んでしまい、養殖真珠ができない割合が増えるから価格が高くなるそうです。不良品が出る割合が高く、それがコストとして転嫁されているというわけです。 |
【参考】現代の安物ジュエリー |
現代の成金ジュエリー | ||
つまり養殖真珠の場合、大きいからと言って品質が上がるわけではないのです。しかしながら大きなものは成金思考の消費者にウケが良く、高い値段を付けて売りやすいので、業界も大きなものを売りたがる傾向にあります。 全てが真珠層であるならば大きいほど高価になるのは当然ですが、ほぼ貝殻の核でできた養殖真珠が大きいほど高価になるのかなり違和感があります。 一方で、何かをきかっけに無核もしくは砂粒のような微小の核から、長い年月をかけて少しずつ大きくなっていく天然真珠は大きくなるほど格段に稀少価値は上がります。1年で約0.4mmずつ真珠層は厚くなっていきます。1年で1mmも大きくなれないのです。 養殖真珠は半年程度で出荷される養殖真珠は、真珠層が0.2mmの厚み程度しかありません。昔の官製ハガキと同じ、0.25mm以上の厚みがあれば高級な花珠真珠と認定されます。1年以下の養殖期間でも最高級品です(笑) |
6.6mmの珠を作るのに、養殖真珠だと6.2mmの核を入れ、半年だけ養殖すればできてしまいます。 8mm珠でも7.6mmの核を入れて半年養殖すれば出来上がります。 でも、天然真珠だと6.6mm珠は8年以上、8mm珠は10年はかかります。 |
三重県志摩市で養殖されたアコヤガイ | 現代の養殖アコヤガイの寿命はおよそ12年、昔の海から採取してきた天然アコヤガイでも寿命は14〜15年だそうです。 稚貝を育て、挿核できるようになるのは2年目からです。 |
特に大きな珠は、母貝がその寿命のほとんど時間を使ってじっくりじっくりと育まれたものなのでしょう。 それにしても美しい質感を持つ上に、きちんと球形なのが驚異的です。 |
『キャニングの宝飾品』 天然真珠(バロック) ペンダント 全長10,2cm V&A美術館 V&A museum / The Canning Jewel ©Victoria and Albert Museum, London |
『古代ローマ軍の兜』 天然真珠(バロック) ペンダント イギリス 1870年頃 真珠:20mm×15mm×13mm SOLD |
『真珠のアート』 天然真珠(バロック) ペンダント ヨーロッパ 1890-1900年頃 真珠:25mm×10mm SOLD |
無核だからこそ天然真珠は大きくなるほど歪になる確率が高くなります。価値ある天然真珠は、歪でもそれぞれの個性に合わせてアーティスティックな魅力あふれるジュエリーはいくらでも作ることができます。 |
でも、天然真珠ネックレスは球形でなければ作ることはできません。よくこれだけ大きさと質、形状を全て備えた天然真珠を集めたものです! |
2-2. 大珠真珠による美しいサイズグラデーション
天然真珠ネックレスは、作るために他の天然真珠ジュエリーにはない難しさがあります。 |
『Quadrangle』 エドワーディアン 天然真珠 ネックレス オーストリア? 1910年頃 SOLD |
天然真珠が1粒だけのジュエリーであれば、ただ1粒、主役となれる優れた天然真珠を見つけてくれば十分です。 後は細工する大変さはあっても、それは高度な技術を持つ職人さえいればクリアできます。 |
ロシア大公妃アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ(1870-1891年)20歳頃 |
無個性になるように作られた養殖真珠はどれも同じ大きさ、同じ質感なので何も考えずに連結させればネックレスは完成します。 しかしながら天然真珠ネックレスは女性の首元にしなやかにそうよう、サイズがグラデーションで作られます。 だからこそエレガントに見えるわけですが、珠数はその分増えますし、いきなりサイズがとんでも違和感が出ます。 |
天然真珠の色や質感を揃えながら、サイズを徐々にグラデーションしていくのは想像以上に大変なことだったと感じます。1粒でも手に入れるのは難しいのに、これだけ集めるのです。だからこそ天然真珠ネックレスはいつの時代も王侯貴族の富と権力の象徴だったのでしょうけれど、よくやったものだと思います。 |
サイズグラデーションを作るのは、一番大きな珠が大きくなるほど難しくなっていきます。 |
なぜならば、その両側にも同等の天然真珠を揃えていかなくてはならないからです。小さければまだ集めやすいでしょうけれど、大きなサイズで作ろうとすると、1粒手に入れるだけでも難しい主役級の天然真珠をいくつも揃えなくてはならなくなるのです。 |
『プレシャス・パール』 エドワーディアン 天然真珠 ネックレス イギリス 1910年頃 天然真珠:直径6.6mm〜2.5mm SOLD |
6mmを超える大きな天然真珠を使ったネックレスは滅多に市場にも出てきませんし、あった場合は最高級品です。 それはクラスプを見れば一目瞭然です。 |
44年間ご紹介したシンプルな一連の天然真珠ネックレス中では、先ほどの『プレシャス・パール』が最も高価だったと言えるネックレスでした。しかしながら今回、それを上回るネックレスが出てきたのです。桜色の干渉光に加え、真珠の形、サイズグラデーションの揃い方、クラスプの全てが、この宝物が最高級品であることを示しています。 |
3. 最高級の見事なクラスプ
3-1. クラスプで分かる真珠の評価価値
一体どのような真珠が上質と言えるのでしょうか。 業者は自分たちが売りたいものに合わせて平気でコロコロと言うことが変わるので、聞いても意味がありません。 |
【参考】中級の天然真珠ネックレス(色ムラ) | 現代だと『マルチカラー』と称して高く売られそうなこのネックレスでも、クラスプの粗末な作りを見れば当時評価が低かったことは明らかです。 色ムラがある天然真珠は、たとえ天然真珠であっても評価は低かったのです。 |
【参考】低級の天然真珠ネックレス(ゴールデンパール:黄土色) | このような色の天然真珠も、「汚らしい色」として従来ネックレスには使われてきませんでした。 比較的最近になって、このような色の養殖真珠を『ゴールデン・パール』と名付けて業界がプロモーションに成功しているため、高級品と勘違いされる方もいらっしゃるかもしれません。 でも、クラスプの簡素な作りを見れば安物だったことは明白です。 |
【参考】シルバー・クラスプの養殖真珠ネックレス(現代) | 現代の養殖真珠ネックレスのクラスプはシルバー製だったりします。 20世紀に入りプラチナやホワイトゴールドが白い金属として一般的になる以前であれば、シルバーはハイジュエリーにも使用されています。 しかしながら現代のシルバーはアクササリーに使う金属です。 模造真珠ではなく一応養殖真珠(本真珠)なのだそうですが、養殖真珠がいかに無価値なのかを物語っているようです。もはや宝石ではありません。 |
この天然真珠ネックレスのクラスプは、通常のハイクラスの天然真珠ネックレスと比較してもお金のかけ方が別格の作りです。まず、クラスプに一番大きな天然真珠が使われていることが異例です。 |
3-2. 驚くような大きくて円形の天然真珠
およそ8mmというかなり大きな天然真珠です。しかも円形の完璧な形をしています。この天然真珠をメインストーンにして、相当高級なジュエリーが作れるレベルですが、そんな最高級の天然真珠でクラスプを作っているのです。 |
正面からは見えないクラスプにお金をかけるのは、高い美意識を持つ当時の王侯貴族にとっては当然のことであるとは言え、恐ろしく贅沢なことです。この天然真珠がいかに高価なものとして作られているかを、この最高級のクラスプは物語っています。 |
3-3. プラチナを贅沢に使った作り
クラスプはオールプラチナで、1920年前後に作られたと推定できます。 |
1910〜1970年のプラチナとパラジウム価格の推移 |
産出量的・技術的な課題がクリアされ、プラチナがジュエリーの一般市場に出始めたのが1905年頃で、画期的な新素材として人気を博しました。しかしながら1914年に第一次世界大戦が勃発すると、爆薬や化学兵器の触媒として需要が高まり高騰し、国家の存亡に関わる重要な戦略物資としてジュエリーへの使用が制限されるなどしました。帝国主義で各国がしのぎを削る世界情勢下、1920年頃には何と金の8倍近い価格まで跳ね上がっています。 |
『ホワイト・レディ』 アールデコ 天然真珠&プラチナ スーパーロング・チェーン イギリス 1920年代 SOLD |
そうなると、プラチナという素材自体が富と権力を示すステータスになります。 かつてはイギリスで金価格が爆騰した時代に、ジョージアンのゴールド・ロングチェーンが王侯貴族の富と権力の象徴として生み出されたように、プラチナと天然真珠のスーパー・ロングチェーンが生み出されています。 |
このような特にプラチナが高価だった時代に、これだけ贅沢にプラチナを使ってこのクラスプは作られています。それだけこの天然真珠ネックレスは最高級のジュエリーとして作られているのです。 |
3-4. ダイヤモンドが付いた留め金
煌めく上質なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、そして完成度の高いグレインワークはハイクラスのアンティークジュエリーならではのものですが、もはや最高級の天然真珠ネックレスには当たり前にも感じます。私が特に驚いたのは、大きな天然真珠の上下に配された小さなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドと、さらには引き金にまでセットされたダイヤモンドです。 |
これは引き金を外した状態です。わざわざこの部分に小さなオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドをセットしているのです。着脱時に力が加わる場所ですが、高い技術を持つ職人による丁寧なフレームで留めてあるので、100年ほどの使用にもびくともしていません。大きなダイヤモンドだけでなく、この小さなダイヤモンドが上品にキラキラと煌めくので、天然真珠の上品で清楚な雰囲気に加えて、しっかりと華やかさも感じることができます♪ |
クラスプは重要です。ネックレスのメインではありませんが、アップやショートのヘアスタイルの場合は、後ろにいらっしゃる方に見えるパーツです。着用者からは見えない、この部分にまで美意識が行き届いているかどうかで、着用者自身の格が分かってしまうものです。それ以上に、着け外しする際に必ず扱うことになるクラスプは、着用者がテンションが上がった状態で着けられるか否かの重要なポイントになります。 |
「私はこんなに素晴らしいものを着けている♪」 そういう自信は、身に着けた女性をより美しく輝かせてくれるものです。これこそジュエリーの醍醐味とも言えます。ジュエリーが美しく見えることよりも、着けた女性がより美しく見えることにジュエリーを着用する意味があるのです。テンションを上げる力のないジュエリーなんて、着ける意味はありません! |
【参考】5mm珠(クラスプはシルバーで4mm珠)養殖真珠ネックレス(ミキモト ヴィンテージ) |
このミキモトのヴィンテージの養殖真珠は、まだ気になるほどは変色していませんが、シルバーの簡素なクラスプは全くテンションが上がるものではありません。 |
【引用】MIKIMOTO / The Best of The Best ネックレス ©MIKIMOTO | 【引用】MIKIMOTO / ネックレス ©MIKIMOTO |
養殖真珠ネックレスの2種類の18Kクラスプ(ミキモト 現代) | |
現代では一応18Kホワイトゴールドは使ってありますが、100万円を余裕で超える高級な価格帯のジュエリーで量産金具のこのチープさは酷いです。悪目立ちしている留め金にもデザイン上の配慮が全く感じられず、恥ずかしいので後ろ姿は見せたくない感じです。 |
現代ジュエリーしか見ていない人が見たら、クラスプ左の小さなダイヤモンドを押したら留め金が外れるだなんて、ビックリしそうですね。 |
3-5. 最高級品に相応しい留め金への心遣い
クラスプの引き金のバネ部分は9ctゴールドで作られています。プラチナや高純度のゴールドではバネっ気や耐久力が出せないからです。それこそ数世代にも渡って使用することを想定した高級品ではよく見る気遣いですが、この宝物は普通の高級品ではないので、通常よりもさらに気を使った作りが認められます。 |
ダイヤモンドのフレームからバネ先に向かって、着脱の際にガイドの役目をする溝が形成されています。 およそ100年もの時を経た今でも心地よくスパっと動作するのはこの溝のお陰です。 このような細心の気遣いと、完璧な作りこそが、最高級品として作られた証なのです。 |
100年ほど経過した今でもそんな心配は不要と言えますが、万が一クラスプが外れてもセーフティが付いているので安心です。現代ジュエリーはお金さえ出せばまた同じものがいくらでも手に入りますが、稀少な宝石を使ったアンティークのハイジュエリーは一度なくすと、どんなにお金があっても2度と同じものは手に入りません。アンティークのハイジュエリーは、本当の意味で宝物ですね。 |
4. 滅多に市場には出てこない最高級の天然真珠ネックレス
養殖真珠業界が誕生後、ずっと輪転機を回し過ぎた状態なので、真珠のネックレスは一般人にとっては"いくらでも手に入るありふれたもの"というイメージになってしまいました。 |
しかしながら天然真珠のネックレスは違います。天然真珠産業はとっくの昔に終焉を迎えたため、新しく作られたものが市場に出てくることはないのですが、アンティークの天然真珠ネックレスも市場には滅多に出てきません。 |
イギリス皇太子妃時代のアレクサンドラ・オブ・デンマーク(1844-1925年) |
作られた数は一定数あるのですが、市場に出てこない理由があるからです。 |
母ヴィクトリアと5歳頃のヴィクトリア女王(1824-1825年頃) | 天然真珠ネックレスには普遍の魅力があります。 どんな時代のファッションにも合いますし、似合わない女性もいません。 王侯貴族が使っていたアンティークのハイクラスのジュエリーには財産性があります。 代々受け継がれることを想定し、耐久性を考えて作られています。 |
天然真珠とゴールドの耳飾り(古代ローマ 1世紀) メトロポリタン美術館 | 天然真珠はそれ自体が、千年を超えて美しさを保つことができる力があります。 |
適切なタイミングで糸替えなどのメンテナンスをすれば、天然真珠ネックレスは末代まで使い続けることができるジュエリーです。 |
天然真珠ネックレスは流行り廃りがないので、手放す人が滅多にいないのです。 |
クイーンズ・マザー | |
エリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1938-1945年頃) | イギリス国王ジョージ6世と王妃エリザベス(1939年) |
肖像画で富と権力を誇示する対象は王侯貴族だけはありません。庶民にも広く富と権力を示す必要があるため、誰でも高そうと感じるジュエリーを身に着ける必要があります。養殖真珠や模造真珠が普及した時代は、天然真珠では駄目です。でも、それ以外は王妃はかなり天然真珠ネックレスを愛用しています。 |
エリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1942年、42歳) | エリザベス王妃(エリザベス女王の母)(1944年、43歳) | |
どんな装いにも合わせられ、他のジュエリーとも相性が良いので天然真珠ネックレスは万能なのです。 |
ヨーク公爵夫人時代のエリザベス王妃(1927年、27歳頃) | エリザベス王太后(エリザベス女王の母) "H.M. The Queen Mother Allan Warren" ©Akkan warren/Adapted/CC BY-SA 3.0 | |
他のジュエリーと違い、若い頃でも歳を重ねた後でも楽しめます。1連で清楚に楽しむことも可能ですが、重ね付けすると華やかにもなります。 |
エリザベス女王 |
エリザベス王女とマーガレット王女姉妹(1946年) |
王侯貴族の貴重なジュエリーは大切にされ、母から娘へと受け継がれていきます。好みに合わない場合は売りに出されることもあるでしょうけれど、流行遅れになるということのない、普遍の天然真珠ネックレスにはそれがないのです。 |
エリザベス王女とマーガレット王女(1946年) | エリザベス王女とマーガレット王女(1946年) | |
この王女様たちのファッションを見て、「日本の養殖真珠を着けている。日本の皇室だけでなく英国王室も愛用しているなんて、世界に認められているのね。日本の養殖真珠ってスゴーイ!」と勘違いする日本人もいそうです。天然真珠自体が存在を知られていないので、むしろその方が大半な気もします。 |
エリザベス女王(1926年-)2019年、93歳 | イギリス国民だってどれくらいが、これが天然真珠と分かっているのかは分かりません。 日本人は身分の差があまり大きくなく、庶民でも読み書きができたり、武士より商人の方がお金持ちだったりすることもあったくらいなので、想像しにくいかもしれません。 でも、ヨーロッパでは王侯貴族と庶民ではその差は絶大でした。 お金も教養も文化も、全てを王侯貴族が占有していました。 だから当然、今のイギリスの一般庶民にアンティークのハイジュエリーの知識なんてありません。 代々続く王侯貴族の家の人たちだけが知っています。 |
即位前のエリザベス女王(1926年-)1954年、28歳頃 | 価値がわかるからこそ、余計に手放しはしません。 庶民がその価値を知る術もありません。 だから、基本的にハイクラスの天然真珠ネックレスは今でも限られた王侯貴族のためだけの知られざる宝物なのです。 こういう身分の方々は庶民に分かってもらう必要はないので、庶民が養殖真珠ネックレスを着けていると勘違いしても「違うもんっ!これは天然真珠だもんっ!!」なんて主張したりしません(笑) 同じ上流階級の身分にいる人たちだけは、その途方も無い価値を分かるでしょう。 |
そんな状況だからこそ天然真珠ネックレスは滅多に市場に出てこないのですが、本場イギリスであっても殆どの人がその価値を分かっていないからこそ、本来だったらありえない安い価格で手に入れることができるのです。庶民にとっては高いとは言え、本来ならば手が届くような値段ではありません。 |
イギリス人は謙虚なので、この宝物を見せてくれてディーラー自身が自分は天然真珠の価値をよく分かっていないし、他のイギリス人も分かっていないと言っていました。 |
ただ、そうは言ってもそのディーラーはかなり力があって、それこそ王族にもジュエリーを御用立てしたこともある有力ディーラーだからこそ、このクラスの宝物が出てきたわけです。 あまり具体的な話は秘密です(笑) |
エリザベス女王(1926年-)2014年、88歳 ©CPOA(Phot) Thomas Tam McDonald (Royal Navy)(4 July 2014)/Adapted/OGL v.3 |
美しいサイズグラデーションになった天然真珠のネックレス・・。 これからも英国王室の女性たちの首元で、永遠に輝き続けるのでしょう。 |
5. 糸替えについて
天然真珠はオールノットで組まれています。 |
コンディションチェックした所、まだ問題なかったので糸替えはしていません。糸が伸びてきたり、汚れて黒ずんできたら糸替えの時期です。天然真珠の扱いに慣れ、きちんと価値を理解し、尊敬の念を以って作業してくれる職人さんがおりますので、安心してご愛用いただけます。 |
6. 天然真珠の鑑別書
ロンドンの天然真珠の鑑別書をお付け致します。 |
滅多に出てこないサイズの珠が使われている上に、奇跡のような桜色の干渉光を放つ夢のように美しい天然真珠のネックレス。自信をもってお勧め致します♪♪ |