No.00280 ヴェルサイユの幻 |
『ヴェルサイユの幻』 揺れる構造のデザインも独創的で、アクアマリンの海面のような煌めき、上質なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、繊細なミルやグレインワーク、磨き上げられたフレーム、彫金の繊細な輝きのハーモニーは小さな宝物ながらも非常にインパクトがあります。 主役のアクアマリンもファイアが出る極上の石で、品良く日常で使える最高級品というのも魅力です。 |
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この宝物のポイント
1. 白い金属だけで表現されたエドワーディアンの色石ジュエリー 2. ガーランドスタイルの進化系デザイン 3. ホワイトゴールドを駆使した極上の細工物 4. 素晴らしい構造 5. 極上の宝石 |
1. 白い金属だけで表現されたエドワーディアンの色石ジュエリー
1-1. 色石のセッティングはイエロー・ゴールドという慣例
最初にこのペンダントを見たとき、とても不思議な印象を受けました。作りに関しては、現代ジュエリーでは有りえないアンティークのハイジュエリーならではの素晴らしいものです。しかしながら雰囲気的には、通常のアンティークジュエリーとは一線を画す、とてもモダンな印象を感じるのです。 |
アンティークジュエリー・ディーラーとしての買い付けは時間勝負です。 個人的に、自分用の物を買い物をする場合はじっくりと1つだけ、多くても数点をよ〜く見て考えて決めれば良いのですが、買い付けではそれができません。 買い付けではコンディションチェックは入念に行いますが、デザインを詳細に見て作者の意図を推測したり、顕微鏡レベルでチェックして神技的な技術を理解するなどの時間はありません。 そういうのは買い付けた後です。 この宝物と改めてじっくり向き合うことで、受ける不思議な感覚の理由に気づきました。 色石を使っているにも関わらず、正面から見える金属が全てが白い金属だけなのです。 |
パンテール ドゥ カルティエ リング(カルティエ 現代)¥20,064,000-(税込)2019.12.5現在 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER | 高度な技術を持つ職人が1点1点、心を込めて手作りしていたアンティークの時代のハイジュエリーと、現代ジュエリーの制作では全くその思想が異なります。 現代ジュエリーはコスト最優先で、美しさなんて二の次です。 自分たちが売りたい"ボロ儲けできる商品"を、「これが美です!これぞ高級ジュエリーです!!」と言い切って売るのが彼らにとっての正しいビジネス・スタイルですし、それで流行を作っているつもりです。 これで2千万円・・。商売上手っ! やり方は理解できますが、私は魂を売りたくないのでやりませんし、やれません・・。 |
『エメラルド・グリーン』 アールヌーヴォー ブローチ&ペンダント フランス 1905〜1910年頃 SOLD |
ベルエポック ルビー リング フランス 1910年頃 SOLD |
ダイヤモンドはゴールドの色味を反映して黄ばんで見えぬよう、白い金属でセッティングします。一方で、色石は金の色味を反映してより鮮やかで美しく見せるようゴールドでセッティングします。当該箇所だけ金属の種類を変えるのは、技術と手間の両方がかかります。石ころの価値だけでしか判断できない現代ジュエリーや宝石マニアには到底理解できないことですが、ジュエリー制作にかかるコストは宝石などの材料費だけではありません。ヘリテイジで扱うようなアンティークのハイジュエリーの場合、技術料や人件費の方が材料費よりはるかにかかったであろうものの方が多いくらいです。 |
『Blue Impulse』 ビルマ産サファイア&ダイヤモンド リング イギリス 1880〜1900年頃 SOLD |
トップクラスの美しいサファイアを使ったこのリングもダイヤモンドはシルバー、サファイアはゴールドというように、セッティングする金属が使い分けられています。 |
『ラティスの水滴』 ラティスワーク アクアマリン ネックレス フランス or ヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
でも、色石にゴールドをセッティングしたジュエリーは、ハイクラスのものでもアール・デコ初期くらいまでしか見ることはありません。 エドワーディアン期の第一次世界大戦を契機に世界は大きく変わりました。ヨーロッパの王侯貴族が主導する古い時代から、アメリカや益々力を付けた中産階級などの新興勢力が主導する新しい時代へと移ったのです。 |
カリブレカット・サファイア バー・ブローチ |
これはレイト・ヴィクトリアンとエドワーディアン初期のトランジション・ジュエリーです。 トランジション・ジュエリーは傑出したデザインや、特に優れた作りのジュエリーであることが多いのですが、このバー・ブローチも例に漏れません。 |
この宝物には優れたポイントはいくつもあるのですが、その1つが金属の使い分けです。バー・ブローチでサファイア・エリアとダイヤモンド・エリアでわざわざ金属を変えるだなんてビックリです。 実物サイズを想像するとお分かりいただける通り、肉眼では気づかないような細かいことです。それでもこのような細部に至るまでの気遣いがあるのは、オーダーした人物と作者がそれだけ高い美意識を持っていた証です。 |
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←↑等倍 |
【参考】ヘリテイジでは扱わないクラスのエドワーディアンのリング |
一方で、このセッティングは金属を使い分ける技術や手間もかからず、職人的には楽でした。高い技術を持たない職人的にはシメシメです。さらに時代は新興勢力の力が増し、そういう人たちも高価なジュエリーの購買意欲が高まっていた頃です。 |
教養や美的感覚のない新興成金は、このような優れた細工の価値は理解できません。 |
【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER RING ©CARTIER | 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER BRACELET ©CARTIER |
【参考】ホワイトゴールドのリング&ゴールド・ブレスレット(カルティエ 現代) | |
そうして現代まで続き、ダイヤモンドも色石も全て土台の金属と同じ金属でセッティングするのが当たり前となりました。私たちはこの感覚に慣らされてしまっているのです。 |
【参考】ジュエリー用の樹脂の型 | まあ、現代ジュエリーの場合はそもそもがオールハンドメイドではありません。 地金を叩いて鍛えるところから始まるアンティークジュエリーと違って、現代ジュエリーはどんなに高級なものでも基本的には量産の鋳造品です。 |
【参考】樹脂を石膏の中で蒸発させて型を作り、鋳金を流し込んでジュエリーを制作する工程 | ||
ジュエリーの型に鋳金を流し込んで成型する、楽なやり方です。高度な手の技術を持つ職人は不要です。 |
【参考】ダイヤモンドをセットした青い樹脂の型と出来上がった量産リング |
この通り、早く・安く・簡単にジュエリーを作ることはできるのですが、二種類以上の金属を使う余地がないのは明白ですね。 |
現代ではそもそもが、色石をセッティングする部分だけ使う金属を変えるということが製造技法の観点から無理なのです。 高級ブランドの中でも、特に高い値段が付いたシリーズでも作りは変わりません。 どうでも良いですが、パンサー・シリーズのこのブレスレットのまるで蛇のような造形が気になります。豹蛇みたいな伝説の生き物でしょうか。存在するのか未確認ですが・・(笑) |
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ブレスレット(カルティエ 現代) 【引用】Cartier / PANTHERE DE CARTIER HITH JEWELRY BRACELET ©CARTIER |
『The Beginning』 |
エドワーディアンのハイエンドのリングである『The Beginning』に至っては、プラチナ、ホワイトゴールド、イエローゴールドという、なんと3種類の金属を使いこなしていました。 中央のイエローゴールドは、極上のエメラルドの色をより美しく見せるためのものですが、美意識と気遣い、そして技術レベルの高さに驚かされます。 エドワーディアンの時代でも、これは当たり前ではありません。おそらくは才能豊かな職人がコンテストジュエリーとしてプライドをかけて制作した、ハイエンドの作品だからこそです。 |
実際のところ、アールデコになると、色石のセッティングはほぼ白い金属で行われています。 色石にはゴールド、ダイヤモンドには白い金属という、細やかな心遣いが行われていた最後の時代がエドワーディアンと言えます。 『シャンパーニュ』も、一番上のシャンパンカラーのダイヤモンドだけゴールドでセッティングしてあります。 |
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『シャンパーニュ』 雫型オパール ネックレス イギリス 1910年頃 SOLD |
1-2. 通常のアクアマリン・ジュエリーの比較
今回の宝物はアール・デコ初期よりも少し古い、ゴールドバックのエドワーディアンのジュエリーであるにも関わらず、デザイン的にはより進んだ印象すら受けるのです。 |
左はどちらもエドワーディアンのアクアマリン・ペンダントです。 |
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アクアマリン&天然真珠 ペンダント イギリス 1910年頃 SOLD |
このペンダントもアクアマリンは白い金属でセッティングされています。 さらにエドワーディアンながらも正方形と円を組み合わせた、大胆で未来的なデザインになっており、プラチナはミルによる繊細な輝きだけでなく、フラットにして強く面で輝く部分も作られており、まさにトランジション・ジュエリーといえる作風です。 |
この宝物は先進的な要素と、クラシカルな時代を彷彿とさせるようなガーランドスタイル的なデザイン、そして通常ならばプラチナが主流となる20世紀に入ると見られなくなって行く彫金という、相反する要素が複雑に混じり合っているからこそ、独特の不思議な魅力を感じるのです。 それがこの宝物だけの特徴であり、唯一無二の魅力を放つ原因です。 |
2. ガーランドスタイルの進化系デザイン
2-1. 1900年前後に流行したガーランドスタイル
『いっぱいの花手綱』 ガーランドスタイル ゴールド ネックレス フランス 1900年頃 SOLD |
ガーランドスタイルは、ルイ16世の時代に流行したルイ16世様式(マリー・アントワネット様式)のリバイバル様式になります。 19世紀末から20世紀初頭にかけて流行しました。 |
フランス国王ルイ16世(1754-1793年) | ルイ16世様式はルイ16世が統治した1774から1793年までの約19年間、フランス革命直前のフランスで発展した建築、家具、装飾、芸術のスタイルです。 当時はイタリアでヘルクラネウム(1738年)、続いてポンペイ遺跡(1748年)が発見され、古代遺物の発掘が相次いだ時期でもありました。 |
ポンペイの想像図(フリードリヒ・フェデラー 1850年) |
古代ヨーロッパ世界の想像を遥かに超えた豊かな生活に驚き、純粋な西洋美術と言える、荘厳な古代ローマ&ギリシャ美術をベースとした新しい理想美(Beau idéal)を創造しようとしたのがルイ16世様式です。故に、古代ローマや古代ギリシャの美術からの影響が強く見られます。 |
ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778年) | また、哲学者ルソーにインスピレーションを受けた"ありのままの自然"と、"理想化された自然"の表現なども見られます。 |
メゾン城のダイニングルーム(フランソワ・ジョゼフ・ベランジェ作 1777-1782年) "ChateauDeMaisonsSalleAMangerDuComteDArtois" ©O.Taris(September 2013)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
対称的なデザインが特徴で、モチーフとしてはオークやオリーブの葉のガーランド(花手綱、花綱)、花やリボン、蔓の装飾、薔薇の冠、燃える松明、古代の壺、コルヌコピア、花や蔓で満たされた花瓶、イルカ、雄羊やライオンの頭部、キメラやグリフィンなどが人気でした。 |
フランス王妃マリー・アントワネットの部屋の再現(18世紀後期)ルーブル美術館 |
【参考】マリー・アントワネットのテーブル | ルイ16世様式の主人公とも言える、マリー・アントワネットの部屋は空間全部が豪華です。 優しい色使いなので装飾の量の割にはケバケバしさを感じませんが、現代のシンプル好きなイメージがあるフランス人とは全く異なりますね。まあ、彼女は名門ハプスブルク家出身のオーストリア人ですが。 左のテーブルにはガーランド(花手綱、花綱)の装飾が見られます。 |
フォンテーヌブロー城のマリー・アントワネットの寝室(1787年) "P1290875 Fontainebleau chateau rwk" ©Mbzt(7 December 2014, 12:21:10)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | "P1290875 Fontainebleau chateau rwk" ©Mbzt(7 December 2014, 12:21:10)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
マリー・アントワネットの寝室もかなりゴージャスです。 天使たちに見守られて、幸せな夢が見られそうなベットですね。 ベッドの装飾も、優雅でゴージャスな黄金のガーランドが印象的です。 |
ベルエポックの精神を表現したポスター(1894年)ジュール・シェレ | フランス革命後、混乱期を経てイタリア人ナポレオンが皇帝になったり、ルイ16世の弟ルイ18世の復古王政になったり、また共和政になったり、ナポレオン3世による帝政になったりと、フランスは絶えず民衆の不満渦巻くネガティブな時代が長く続きました。 そして1871年に普仏戦争で敗北して第二帝政が終わりを遂げ、他国に遅れをなしていた産業革命が到来すると、戦争がない平和な期間に大きく発展を遂げました。 ベルエポック(良き時代)と呼ばれる、共和政下の若くエネルギーに満ち溢れた中産階級の女性たちの、旺盛な消費マインドが経済活動を牽引した時代です。 |
ボン・マルシェ(安い)百貨店(1887年) |
古い時代、ヨーロッパのファッションリーダーは王族を始めとする王侯貴族たちでした。しかしながら、共和政となったフランスでは手本とすべき王侯貴族が存在しません。旺盛な消費意欲はあるものの、それまでまともにオシャレをしたこともなく、教養や美的センスを磨いて育つ環境もなかった中産階級の女性たちは何を選んで良いか分かりませんでした。
だから、派手なショーウィンドウと大安売りの季節物で客を呼び込む当時の百貨店の手法が大ヒットし、巨大で立派な店舗には毎日たくさんの中産階級の若い女性たちが押し寄せたのです。 |
かつては自分たちの国にもあった、教養を持つ王侯貴族たちの優雅で煌びやかな世界・・。 今の時代にはもう存在しない世界。
フランス革命前の、本当のヨーロッパの貴族文化らしい貴族文化の世界。 それに憧れて、ベルエポックの時代にルイ16世(マリー・アントワネット)様式がガーランドスタイルとして脚光を浴び、リヴァイバルされて流行したのかもしれません。 |
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ハープを奏でる王妃マリー・アントワネット(1777年) |
『いっぱいの花手綱』 |
調度品だけでなく、ジュエリー・デザインにも取り入れられました。 マリー・アントワネットの時代は、ガーランド(花手綱、花綱)がモチーフのこのタイプのジュエリーは作られていないので、新たな解釈で生まれたものと言えるでしょう。 |
マリー・アントワネットのテーブル | マリー・アントワネットのベッド "P1290875 Fontainebleau chateau rwk" ©Mbzt(7 December 2014, 12:21:10)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
マリー・アントワネットの時代に流行した、ガーランドのインテリア装飾そのものです♪ |
『庭園のバラと雫』 |
リボンやたくさんのバラの花のモチーフは、まさにマリー・アントワネットの時代を彷彿とさせるものです。 ゴールドをふんだんに使い、優れた金細工を施し、ダイヤモンドや天然真珠などを使えば相応の値段がするハイジュエリーになります。 |
【参考】ベルエポックの安物のフランス製ゴールド・ジュエリー | ||
ガーランドスタイルのゴールド・ネックレスでも本当に作りが優れた高級品は多くはなく、金が薄っぺらくて作りが雑な安物の方が多く作られていますが、ある程度は教養を持つお金持ちのためのものだったようです。この時代のフランスの本当の安物はかなりチャチな作りとデザインですし、これらはまだマシな方で、さらに安物だとゴールドすら使用せずシルバーやメタルで作られます。 |
エナメル・ミニアチュール ペンダント&ブローチ フランス 1905〜1920年頃 SOLD |
ガーランドスタイルで特に優れた宝物と言えば、このエナメルミニアチュールのペンダント&ブローチです。 花手綱モチーフの典型的なガーランドスタイルのネックレスとは異なるので、パッと見ただけではこれがガーランドスタイルとは思わない方も多いかもしれません。 |
ルイ16世の織物のタペストリー(ゴブラン工房 1774年頃) "Gobelin Manufactory - Portrait of Louis XVI (1745-93) - Walters 8227 " ©Walters Art Museum/Adapted/CC BY-SA 3.0 | エナメル・ミニアチュール ペンダント&ブローチ(フランス 1905〜1920年頃) |
でも、ルイ16世様式のタペストリーの装飾と比較すれば、当時の装飾様式にインスピレーションを受けて作られたことは一目瞭然だと思います。知的好奇心を持たず、教養のない女性たちがこういうものに興味を持ったとは思えないので、ポンパドゥール夫人のように、貴族階級ではないものの知性と教養を持つブルジョワジーの女性がオーダーしたのかもしれませんね。 |
2-2. アール・デコに続くようなスタイリッシュさも兼ねたデザイン
エドワーディアンに入ってからも、引き続きガーランドスタイルは人気がありました。ガーランドスタイルで有名なのはカルティエです。 技術的・産出量的な課題がクリアされ、ジュエリーの一般市場にプラチナが本格的に出始めたのが1905年頃からです。そのプラチナを使ったガーランドスタイルは当時の人々にとって大変目新しいもので、だからこそいち早くこのスタイルを取り入れたカルティエは名声を大きなものとしました。 ただ、有名ブランドとして名声が上がるほどに成金御用達となっていきました。美的センスがある人はブランド名に関係なく自身の美意識を頼りにジュエリーを選ぶものですが、感覚を持たない成金はブランド名で選ぶしかないのです。 エドワーディアンは、台頭してきたアメリカや庶民の成金が益々力をつけ、幅を利かせ始めた時代です。そういう人たちは自己顕示欲が丸出しの、一目見ていかにも高そうに見える、大きくて分かりやすいものを欲しがります。そういう需要に対応したためか、エドワーディアンの時代でも、センスの欠片も感じないゴチャゴチャしたガーランドスタイルのジュエリーも多く作られています。 |
これもダイヤモンドが大きいことがポイントの、いかにも成金向けのガーランドスタイルのジュエリーです。 当時も高価なジュエリーだったとは思うのですが、デザインがいまいちダサいですね。 |
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【参考】ガーランドスタイル ブローチ(カルティエ 1910年頃) |
ガーランドスタイル ブローチ&ペンダント フランス 1910年頃 SOLD |
初期アールデコ ガーランドスタイル ペンダント ヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
Genがお取り扱いした、プラチナを使ったガーランドスタイルのジュエリーはこのような2点があります。どちらもメアンダー模様がデザインされています。ルイ16世様式のリバイバルであるガーランドスタイルに、古代ギリシャ芸術の象徴とも言えるメアンダー模様がデザインされているのは、ルイ16世様式について先ほどご説明した通りの知識があればすぐに納得できると思います。 ゴチャゴチャとしたセンスのないデザインが特徴の成金趣味のガーランドスタイル・ジュエリーとは明らかに異なる、教養がある人のためのガーランドスタイル・ジュエリーと言えます。新興成金は基本的にはこの手の教養は持っていませんから、明らかにGenがお取り扱いしたこれらの宝物は王侯貴族がオーダーした特別なガーランドスタイルのジュエリーだったと判断できます。 |
イギリス 1910年頃 今回の宝物 |
『ラティスの水滴』 フランスまたはヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
この2つは偶然にも類似点が多いデザインです。 下に下がったパーツはどちらもV字型で、葉がデザインされて一番下には雫型のアクアマリンがセットされています。 『ラティスの水滴』はリボンも付いており、よりガーランドスタイルに忠実な印象です。 一方で今回のエドワーディアンの宝物は、アール・デコの作りである『ラティスの水滴』よりも前の時代に作られているにも関わらず、よりアール・デコ的にガーランドスタイルを進化させたようなデザインです。 |
優美な曲線を組み合わせた上部デザインと、下部の潔いほどシャープな直線デザインの組み合わせは、まさにエドワーディアンからアール・デコへと時代が移り変わる過渡期のジュエリーらしい、傑出したデザインです。 傑出したデザインは常に時代の一歩先をいくものですが、『ラティスの水滴』と比べて見ても、この宝物は時代を一歩先に行っていたと言える作品です。 |
3. ホワイトゴールドを駆使した極上の細工物
3-1. 彫金による植物の葉のリアルで美しい表現
この宝物はホワイトゴールドだからこそ可能となる、素晴らしい細工が施されています。 特別美しいアクアマリンや、煌びやかなダイヤモンドの煌めきも非常に目を引くのですが、私はこの宝物に関しては"特に優れた細工物"として惚れ込み、買い付けています。 詳細は以前ご説明しましたが、ホワイトゴールドはプラチナの代用品として開発された金属です。 |
金-銀-銅の三相系の色を表した図 "Ag-Au-Cy-colours-english.svg" ©Metallos(14 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | ゴールドに割金をして白くした合金をさすのですが、ホワイトゴールドを作るための合金のレシピは無限に存在します。
だからホワイトゴールドの組成に厳密な定義はありません。 |
アメリカ化学会事務局長チャールズ・L・パーソンズ博士(1867-1954年)69歳頃 | ホワイトゴールドの開発が力を入れて進められた理由はズバリ戦争です。 プラチナは、1918年1月にパーソンズ博士がアメリカの主婦向け雑誌の中で、「プラチナなくして戦争には勝てない。」と寄稿し、一般女性にジュエリーとしてのプラチナの使用を控えるよう呼びかけたほどの、国の存亡を左右するほどの超重要戦略物資でした。 帝国主義が渦巻く世界情勢下、爆薬や化学兵器などの触媒としてプラチナが必要でした。 |
エドワーディアン 2カラー天然真珠 ネグリジェネックレス イギリス 1909年 SOLD |
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当時ゴールドよりプラチナが高かったのは事実ですが、お金持ちであれば高くても気にせず買えます。実際のところ、プラチナは国民全員にとって重要な金属だったからこそ、ホワイトゴールドの開発が急がれたのです。 |
『The Beginning』 エドワーディアン ダイヤモンド&エメラルド リング イギリス 1910年頃 SOLD |
1912年にドイツでカール・リヒター、1917年にアメリカでデヴィッド・ベレーによって、相次いで発明されたホワイトゴールドはプラチナにはない特性を持っていました。 |
『OPEN THE DOORS』 マルチロケット ペンダント イギリス 1862年頃 SOLD |
『清流』 アールデコ ジャポニズム ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
粘り気があり柔らかさもあるプラチナは、それまでにない細工を可能としました。驚異的に繊細な透かし細工や、非常に細かい石留です。一方で、粘り気がある故に19世紀の優れたゴールドジュエリーに施されていたような細かい彫金には向きませんでした。このため、20世紀に入りプラチナ主流の時代になると、優れた金細工技術が失われていくことになったのです。 |
ホワイトゴールドはもっと後の時代になると、プラチナの安価な代替品として安物ジュエリーに広く使用されるようになります。 このため、知識がない人の中ではホワイトゴールドがイコールすなわち安物という思い込みにつながるわけですが、開発直後のホワイトゴールドはそうではありませんでした。 |
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【参考】アールデコ後期の14Kホワイトゴールドの安物ボンブリング |
『至高のレースワーク』 エドワーディアン リボン ブローチ イギリス 1910年頃 ローズカット・ダイヤモンド、ホワイトゴールド&イエローゴールド SOLD |
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開発直後のホワイトゴールドも非常に高価な金属だったので、イエロー・ゴールドバックの作りになっています。 |
1910〜1970年のプラチナとパラジウム価格の推移 | |
ゴールドバックは、プラチナの軍事需要が一段落したアール・デコ以降はプラチナが依然として高価だったにも関わらず施されなかった、技術も手間も必要とするエドワーディアンだけの特別な細工です。 |
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エドワーディアンの時代はプラチナ、ホワイトゴールド共に高価な白い金属でした。どちらもジュエリー業界にとっては画期的な新素材だったのですが、ホワイトゴールドはプラチナでは困難だった、特殊な金細工が可能でした。その1つが、地金を彫り出して粒金のように整えるグレインワークです。 | |
ダイヤモンド&サファイヤ ブレスレット イギリス 1920年代 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド、カボッションカット・サファイヤ、18ctホワイトゴールド SOLD |
さらに、プラチナほど粘り気がなく、ある程度の硬さが出せるホワイトゴールドはプラチナ以上に繊細緻密なミルグレーションを可能としました。 |
また、繊細な彫金細工もホワイトゴールドだからこそのものです。美意識のある特別な人たちのために作られた本当の高級品は、普通の人ならば気にしないような側面にまで、当然のごとく彫金が施されていたりします。こういう細工は技術と手間がかかるので、その分は当然ブレスレットの価格に転化されます。こういう細工の価値が理解できない場合、やらずに値段を低くする方が喜ばれますし、むしろ無意味なことはやらないで欲しいと嫌がられる可能性すらあります。 | |
アール・デコは旧世界を主導していたヨーロッパの王侯貴族がより力を落とし、このような美意識の高い人たちのための優れたジュエリーが作られなくなっていく時代でした。アール・デコ後期ともなると、コストカット最優先の雑な作りのジュエリーが益々増え、優れた細工のジュエリーは殆ど作られなくなります。 |
一応この酷いレベルのボンブリングも、所々彫金が施された痕跡があります。 彫りが浅い上に汚いので、見ても認識しにくいですが、一応はハンドメイドであることが分かります。 現代ジュエリーを見れば分かる通り、最終的にはハンドメイドらしい痕跡すら無くなっていきます。 |
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【参考】アールデコ後期の安物ボンブリング |
『山海の恵み』 葡萄 ペンダント イギリス 1920年頃 天然真珠、18ctホワイトゴールド&イエローゴールド SOLD |
この『山海の恵み』は、見たこともないような瑞々しい質感の天然真珠をこれだけの数、揃えて作った素晴らしい宝物でした。 この特別な天然真珠を見ただけでも、これが特別に作られたハイジュエリーであることが分かるのですが、さすがに作りも優れた宝石に相応しい素晴らしいものでした。 実は私はこの宝物は、葡萄の葉の美しい彫金にも惚れ込んで買い付けています。 |
平面ではなく、絶妙に立体感のある葉の表面には、彫金で葉脈が描かれ、魚子打ちのような技法で質感が表現されています。 20世紀に入ってからは、このように彫金に気合いの入った美しい細工のジュエリーを見ることは殆どないので、とても印象的でした。 |
←↑等倍 |
このような彫金が美しいハイジュエリーは、ジュエリーが美意識の高い王侯貴族のもの、且つゴールドが最も高価な金属だった時代ならではの美術品です。 19世紀には彫金細工の素晴らしいジュエリーが、数は多くはないものの確実に生み出されています。 カラーゴールドの技術と組み合わせた、マットなイエローゴールドとグリーンゴールドが美しい『黄金の花畑を舞う蝶』も作り出されています。 |
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『黄金の花畑を舞う蝶』 |
でも、白い金属で彫金が美しいジュエリーというのは、ホワイトゴールドが生み出された20世紀以降のジュエリーならではのものです。 ホワイトゴールドが発明され、ダイヤモンドに頼るだけの単純なジュエリーが席巻するまでの彫金技術がギリギリ残っていた、ごく僅かな期間にだけ生み出すことのできた、幻のような作品。 それが、ホワイトゴールドを使った美しい彫金細工の宝物です。 |
同じ金細工の美しい葉っぱでも、有色のゴールドなのかホワイトゴールドなのかで全く雰囲気が異なるのが面白いです。 |
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フラワーバスケット ゴールドネックレス フランス 1880年頃 SOLD |
同じような技術を使った作品でも、ホワイトゴールドという画期的な新素材のお陰で目新しさのある、特別なジュエリーとなっています。 そして、19世紀に見劣りすることのない素晴らしい彫金技術で作られているからこそ、その美しさにハッと感銘を受けることができるのです。 |
←↑等倍 |
まず、小さなペンダントなので葉っぱ自体がとても小さなものなのですが、1枚1枚がフラットではなく、僅かに凸状に形作られています。 生きた植物の葉も、平坦ではなく必ず緩やかに丸みがありますよね。 |
葉っぱは丸い上のアクアマリンの上部に2枚と、下部のV字のラインに数枚があしらわれていますが、それぞれ葉の角度にも細かな気遣いがみられます。対になった葉が、お互いに僅かに向かい合うよう、絶妙に角度が付けられてセットされています。 |
葉の彫金も、繊細さを追った浅い彫りではなく、しっかりと深さのある生き生きとした線です。 |
葉っぱ自体の立体的な造形、1枚1枚のセットする角度、手彫りならではの自然で心地よさを感じる美しい彫金模様。 それらが調和することで、この宝物の葉っぱからは生き生きとした美しい輝きが生まれるのです。 彫金が繊細過ぎると、生命力を感じるようなこのような躍動感ある輝きは出せなかったはずです。 深さはあるけれど緻密な彫り。 表現したいものによって、これだけ彫りをコントロールできる職人が20世紀にもまだいただんて、嬉しくなります♪ |
3-2. 極上のグレインワーク&ミルグレイン
この宝物の上部にある冠のようなパーツは、三日月を3つくっつけたような形状になっています。 それぞれの三日月の中央にはダイヤモンドがセットされており、その両側にグレインワークが施されています。 |
三日月の中央にセットダイヤモンドはそれぞれが両サイド2つずつ、計4つの爪でガッチリと固定されています。さらにその両脇にグレインワークがあるのですが、爪もグレインワークも完璧に頭が磨き上げられているので、ダイヤモンドに負けないくらいよく輝きます。 |
あまりにもよく輝くので、肉眼だとこの部分は小さなダイヤモンドがセットされているのかグレインワークなのか分からないほどです。 高度な職人が作ったハイクラスのジュエリーの証です。 |
三日月のフレームの溝を彫った内側は、徹底的に磨き上げられています。このため、ダイヤモンドやグレインワークがない部分もホワイトゴールドが面で反射し、強い輝きを感じることができます。 |
各所に施されたミルも見事なもので、深くタガネを打ってヤスリで半球状に磨き上げられたミルには僅かな乱れも感じられません。 また、アクアマリンやその周りのダイヤモンドはフレームの縁を僅かに倒して留めているのですが、その先端はまるでミルのようにヤスリで丸く仕上げてあります。これは最上質のジュエリーとして、高度な技術を持った職人が作った証です。石を留めた覆輪のミル状の細工と、フレームのミルは区別がつかないほどなのには本当に驚くばかりです。改めて、当時の最高ランクの仕事で作られた宝物なのだと実感します。 |
下のアクアマリンやダイヤモンドに関しても同様です。 エドワーディアンの最高水準と言える、完璧な仕事ぶりです。 |
これは同じエドワーディアンに作られた、上質なサファイアを3石も使った高級品です。 サファイアのカットも六角形と雫型が2石というスペシャルな宝物です。 これは雫型のサファイアは2石とも爪留になっています。 |
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『エレガント・ブルー』 エドワーディアン サファイア ネックレス イギリス 1910年頃 SOLD |
一番上の六角形のサファイアは、薄いゴールドの板で作ったフレームの縁を内側に倒して留めてあるのですが、今回の雫型アクアマリンを留めているホワイトゴールドほど厚みがないため、粒金細工のように見えるとまではいきません。 もちろん高価な宝石を使った『エレガント・ブルー』もかなり作りが良いもので、六角形という特殊な形状の石留は見事なものと言えますし、一見頼りなく見えても100年以上の使用に耐えられる雫型のサファイアの石留も素晴らしいものです。 |
上質な石同士であれば、一般的にはアクアマリンよりサファイアの方が高級なのですが、アクアマリンの小ぶりなペンダントで、エドワーディアンのトップクラスと言えるこれほどまでの作りが施されているのは驚くべきことです。 |
この宝物のミルを見ていると、やはり柔らかくて粘りのあるプラチナよりもミルが施しやすいのだろうと感じます。 現代ジュエリーのように、金属の特性の限界に迫る細工を施すことがなければ違いは付かないでしょう。 でも、それぞれの金属が持つポテンシャルの限界に挑もうとすると、職人の技術差ではなく金属の特性による違いが現れてくるものだなぁと、改めて面白く感じました。 |
3-3. 抜群のデザイン・センスを感じる粒金のような細工
この宝物の独特の細工と言えるのが、三日月の両端に施された大きな粒金状の細工です。 中央の丸いアクアマリンの外周にセットされた6つのダイヤモンドと同じサイズで整えられており、同サイズながらも異なる輝きが放たれているのがデザイン上の強い魅力となっています。 |
この粒金のような部分もイエロー・ゴールドバックになっており、ホワイトゴールドを厚めに盛って、半球状に磨き上げて作られたことが分かります。 |
4. 素晴らしい構造
4-1. 立体デザインの組み合わせによる視覚効果
二次元で表現する画像では、立体構造がどうしても分かりにくくなってしまうのですが、今回の宝物は冠部分も非常に気を使って立体的に作られています。右は超絶技巧の透かし細工が施された、平面のラティスワークの冠なので、比較すると立体感の違いを少し感じていただけるでしょうか。 |
裏側の、イエローゴールドの面で見てみると少し分かりやすいかもしれません。 下部のV字はフラットな構造で作られていることが、ゴールドの光り方で分かります。 一方で上部の冠を形成する3つの三日月は、それぞれが緩やかな凸状になっています。 |
三日月の中央、ダイヤモンドがセットされた部分が最も高さのある構造です。 凸状の三日月が3つ鑞付けされた構造になっており、冠全体で複雑な立体構造となっているのです。 正面から見たときに同じデザインになるように、冠全体を1枚のフラットな板から作った方が遥かに楽なのに、わざわざ手間のかかる作り方をしています。
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だから正面から見たときに、三日月の内側はわずかにイエロー・ゴールドバックが見えます。 この特徴的な立体構造の価値が分からない人には、わざわざ技術と手間をかけてまでこんな構造にする理由が理解できないでしょう。 フラットに作っても、この程度の立体感を付けて作っても変わらないのではと思われるかもしれません。 でも、見ても凹凸形状が付けられているとは認知できないごく僅かな立体構造でも、見た人が感じる"雰囲気"や"イメージ"には確実に影響を与えるのです。 "雰囲気"や"イメージ"をシビアに知覚できる人は、そう多くはありません。 同じものを見ても、人間誰しも同じように認識できるわけではないのです。 |
知覚できない人には手間をかける意味が全く理解できなくて当然です。意味がないと思っていますから、当然コストもかけたくないでしょう。 でも、こういう部分こそが最も重要と考える、美意識の高い王侯貴族のためのアンティークのハイジュエリーは、美意識を満足させるために作りにお金をかけるものです。 コスト優先のジュエリーなんて安っぽくて、着けない方がまだ安っぽく見えないだけマシです。 |
この絶妙な立体感に、私たちは人の手仕事ならではの芸術性を感じ取り、心地よい美、そして高級感として認識するのです。 感動的に素晴らしいことではありませんか? 絵画は大勢を喜ばせるために制作されるものです。 でも、古のジュエリーはたった一人を喜ばせるためだけに、ここまでのことをするのです。 贅沢すぎる宝物・・。それがアンティークのハイジュエリーです。 |
横から見ると分かる通り、十分な厚みで作られた堅牢で贅沢な作りです。通常のハイクラスのジュエリーと比べても厚みがあります。 |
また、どのパーツも高さと角度が綿密に計算されて作られています。現代ジュエリーは立体デザインが可能なデザイナーなんてどれくらいいるでしょうね。しかも立体デザインをやったとしても、こうして具現化するなんて至難の技です。しかもアンティークのハイジュエリーでも、このクラスの立体デザインが施されたジュエリーは滅多にありません。本当に素晴らしいです。 |
4-2. 4箇所の揺れる構造
このペンダントは4箇所が揺れる構造になっています。 A. バチカンと本体の連結箇所が前後左右に揺れる構造 B. 丸いアクアマリンのパーツが、主に前後に揺れる構造 C. ナイフエッジのV字が、冠に対して前後に揺れる構造 D. 雫型のアクアマリンが前後左右に揺れる構造 |
可動部は、裏側を見た方が分かりやすいと思います。 |
4つも可動部があるので、こんな感じに折りたたまれることもできちゃいます。現代ジュエリーだと、揺れる構造になっていたとしてもせいぜいバチカン部分と一番下のアクアマリン1粒だけでしょうね。 |
スムーズで可動域の広い揺れは、アンティークのハイジュエリーならではのものです。 さらにこの宝物で特徴的なのがBの部分による揺れです。 6つのダイヤモンドが外側に配置されたアクアマリンは、左右から伸びる三日月の間を縫うようにセットされています。 アクアマリンから斜めに伸びる上下のダイヤモンドが、三日月のアゴにあたる半球状のパーツをうまくすり抜けるように揺れる、絶妙な構造です。 特別に作られたハイジュエリーなのでダイヤモンドもかなり上質で、よく輝きます。 揺れることで輝きが増幅されるのですが、どっしりと構えたホワイトゴールドの半球をの上下で、同じ大きさのダイヤモンドが揺れ動きながら光り輝く姿は感動的な美しさがあります。 また、一番下のアクアマリンはA,C,D部分の動きが重なり合って揺れるので、複雑かつ大きく揺れ動きます。 何とも優雅なペンダントです。 |
オリジナリティ溢れる揺れるデザイン然り、これだけ徹底的に揺れる構造に気を遣ったジュエリーは、エドワーディアンのハイクラスのジュエリーでもそう多くはありません。 特に珍しいのが、大きくて目立つジュエリーではなく、小ぶりなペンダントなのにこれだけ気を遣った作りであることです。 19世紀後期になると、高そうに見える大きくて派手なジュエリーが成金(庶民)に好まれた一方で、王侯貴族はこぞって小ぶりだけれど上質な作りの優れたジュエリーを好んで着けるようになりました。 このペンダントには、それら教養ある美意識の高い王侯貴族の、日常使い用のハイジュエリーに通ずる品の良さと、特別な作りの良さを感じます。 |
5. 極上の宝石
5-1. 素晴らしいアクアマリン
このペンダントは作りも素晴らしいですが、石も素晴らしいアクアマリンとダイヤモンドが使われています。 |
19世紀後期のアクアマリンの小ぶりなペンダント | ||||
小ぶりなペンダントは以下の2種類に大別できます。 1. 大きなジュエリーは買えないような庶民向けの安物 2. 自己顕示欲が丸出しの成金的なジュエリーを好まない、教養ある王侯貴族の日常使いのためのハイジュエリー |
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【参考】安物 | 高級品 |
【参考】1900年頃の安物アクアマリン・ペンダント | 市場にある大半は前者の安物です。 世界でいち早く産業革命を経験し、19世紀は世界の中心として君臨してきた大英帝国には多少ゆとりある庶民は山ほどいます。 一方で莫大な財力と、教養や美意識を持つ王侯貴族はごく僅かしかいません。 だからセンスの良いハイジュエリーも、滅多には存在しません。 |
【参考】1900年頃の安物アクアマリン・ペンダント | 安物として作られた小さなペンダントは、アンティークでハンドメイドといえども作りは雑です。 低い技術しか持たない、やる気のない職人が適当に作るジュエリーはこんなものです。 それでもゴールドが使ってあるだけまだ庶民にとっての高級品ではありますが、ゴールドの分量も少なくペラペラな作りです。 ハーフパールは汚らしく、もともと低品質のハーフパールを使ったのか、作りが悪くて石が落ち、接着剤で固定した結果汚らしく変色したのか、いづれにしてもダメです。 |
アクアマリンも当然、魅力ある石は使われていません。 屑同然の石は、たとえ大きかったとしても価値などありませんし、汚い石はたくさん寄せ集めても綺麗にはなりません。 |
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【参考】安物アクアマリン・ペンダント |
貴重でなかなか手に入らない、天然の美しい宝石で制作する本物のアンティークのハイジュエリーは、手に入った石に合わせてデザインや細工を施すのが当たり前です。 |
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『黄金の雫』 スタイリッシュなアクアマリン・ピアス イギリス 1900年頃 SOLD |
アクアマリンの原石 "Aquamarine P1000141" ©Gunnar Ries Amphibol(08. 12. 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.5 |
天然のアクアマリンは他の天然石同様、内包物があるのが当たり前です。それに加えて、通常の天然のアクアマリンは淡い色しか呈しませんし、黄ばみがある場合も多い石です。 しかしながら、加熱処理することで石から黄ばみを取り除きつつ青色を濃くすることが可能です。現代では当たり前のようにこの処理が行われているようなのですが、「加熱して当然」という状況なので、アクアマリンの鑑別書には"無処理"か否かが記されないようになっています。業界の都合によって鑑別書の基準なんて簡単に変わる、宝石業界なんてそれほどくだらない世界なのです。 鑑別機関の存在自体は否定しません。振り回されたりせず、本質を見極めて使いこなせば役立つこともあります。鑑別機関の存在は消費者を守るためのように謳われてはいますが、本当の目的は業界を守るためです。アクアマリンは無処理か否かが鑑別書に記されることがないため、結局市場の何割が加熱処理されているのかすら誰にも把握できない状況です。まあ、ほぼ100%でしょう。 |
↑等倍 | ||
【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン リング ¥1,078,000-(2019.12現在) 【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト リング | 【参考】ティファニー ソレスト アクアマリン ダイヤモンド ペンダント ¥1,001,000-(2019.12現在) 【引用】TIFFANY & CO / ティファニー ソレスト アクアマリン ダイヤモンド ペンダント |
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全世界で同じものをシリーズ化して販売し、同じものを数売って儲けるビジネスモデルのジュエリーメーカーの場合、1つ1つの天然石の個性に合わせてデザインすることはできません。量産向きで万人受けするデザインがまずあり、それに合わせて同じ石を相当数、調達せねばなりません。 |
【参考】非加熱のアクアマリンのラフカットされた石 |
そのためには、天然のありのままの石を使うのは無理です。全部同じ温度に加熱して、色を均一化する必要があります。量産ジュエリーには、色を良くするだけでなく均一化できるという点でも加熱処理は都合が良いのです。 同じデザインで同じ価格なのに、ちょっとでも色が違ったら客のクレームにつながりますからね(笑)現代はジュエリー業界だけでなく一般消費者も無知すぎるのです。分かっていなければ買わなきゃ良いのにと思うのですが、ジュエリーを着けたい人は多いですし、そもそも分かっていないこと自体を自覚できている人も殆どいません。 |
古代ギリシャの哲学者ソクラテス(紀元前469-紀元前399年) | そもそも無知の知、自分の無知を自覚していれば古代ギリシャの大賢者ソクラテスに通ずる賢さがあると言えますからね〜。 |
アクアマリンのハイジュエリー | |||||
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小ぶりなアクアマリンのジュエリー | 大振りなアクアマリンのジュエリー | ||||
そんな中で、このペンダントにはこのアクアマリンしかないと思える、とても美しいアクアマリンが使われています。アクアマリン自体が非常に魅力ある宝石なので、細工やデザインはあくまでも宝石を惹き立てるためのものである場合が多く、それらはまず宝石に目がいきます。しかしながら、右上の『夢叶う青いバラとアクアマリン』と共に、今回の宝物は非常に珍しい細工主体のアクアマリン・ジュエリーです。 |
拡大するとインクリュージョンが目立つように見えるかもしれませんが、肉眼では2石ともクリアで内包物の存在は感じません。 ホワイトゴールドの繊細な彫金に対して主張しすぎない、"聖なる青"の清らかさを感じる石です。 |
アクアマリンはその名の通り、まるで波に揺らめく海面が太陽の光を反射してキラキラと煌めくような、美しい煌めきも魅力の1つです。 |
カットも優れているため、揺れ動きながら放たれる各ファセットからの煌めきはとても美しく面白みがあります。 |
石の表面だけでなく、内部からの輝きも複雑に重なることで魅惑の煌めきを放ちます。 |
海を覗き見るような深く美しい水色と、海面のような煌めき。これぞアクアマリンの魅力ですね♪ |
さらに驚きなのが、分散度の高いダイヤモンドやデマントイドガーネットのイメージが強いファイアが、このアクアマリンからも放たれることです。 |
『Nouvelle-France』 オールドカット・ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ? 1920年頃 SOLD |
『Demantoid Flower』 デマントイド・ガーネット&ダイヤモンド バーブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
これまでにも上質なダイヤモンドやデマントイドガーネットからは、魅力あるファイアを見ることができました。デマントイドガーネットは、石が持つグリーン・カラーに隠れてファイアが見えにくいのですが、右の『Demantoid Flower』 の画像では一番上の石の中央テーブル部分に分かりやすい虹色のファイアが出ています。 |
左の画像では虹色のファイアも観測できています。最初にこの画像を見たときは、アクアマリンでもこんなにダイナミックなファイアが出せるなんてと本当に驚きました。 |
『Nouvelle-France』 オールドカット・ダイヤモンド ピアス ヨーロッパ? 1920年頃 SOLD |
最高級のダイヤモンドジュエリーからしか放たれないような美しいファイアを放つ、見事なカットのアクアマリンなのです。 |
静と動の魅力を併せ持つ魅惑のアクアマリン。揺れる構造だからこそ、最大限にその魅力を感じることができる宝物です♪ |
そして同じ色味と質感、輝きを持つ上質なアクアマリンを2石揃えているのもハイジュエリーらしい特徴です。 天然のままの石は色味や質感にかなりのバリエーションがあります。 同じアクアマリンという石でも、色味の異なる石で作ったらちぐはぐな印象になっていたことでしょう。 |
この安物はあきらかに一番上の石と、下がった石の色味や質感が異なります。 下の3石は特に質が悪いです。 中途半端なクラスのジュエリーは、裏側やサイドなどの見えない部分は手を抜いてしまうものですが、ここまでの安物だと見える部分でも手を抜いてしまうということです。 ペンダントの中央、メインストーンは多少気を使った雰囲気があるものの、「フリンジはオマケだしどうでもいいや、何か付いていれば良いよね」感が満載です。 それでもゴールドを使っているので、最低ランクの安物ではありません。 ヘリテイジが扱うハイジュエリーは本当の厳選された高級品なのです。アンティークジュエリーだから優れているわけではありません。 |
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【参考】安物アクアマリン・ペンダント |
他のハイジュエリー同様、おそらくはこのアクアマリン2石も1つの原石から切り出したからこそ、完璧に色や質感が揃っているのだと推測します。 贅沢で優雅な、王侯貴族らしいジュエリーですね。 |
5-2. 煌めきの美しいダイヤモンド
この宝物は、ダイヤモンドは脇石で大きなものは使われていませんが、小さいながらも上質で全ての石が見事な煌めきを放ちます。 |
とてもクリアな石が使われており、全てオールドヨーロピアンカットです。繊細な輝きと透明感が魅力のローズカットに対して、オールドヨーロピアンカットはダイヤミックなシンチレーションとファイアが魅力です。 |
現代ジュエリーはダイヤモンドの規格が決まっており、コンピュータ制御で量産するので無個性なダイヤモンドしかありません。 4Cという基準が市場を支配しているため、理由がない限りは全てブリリアンカットが施されます。 大きな石も小さな石も全て同じカットなので、それを寄せ集めてジュエリーを作っても芸術性なんて感じられず、工業製品的な違和感だけしかありません。 |
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【参考】現代のハイブランドのダイヤモンド・ジュエリー |
【参考】現代のハイブランドのダイヤモンド・ジュエリー | |
お花のように本来は芸術性があるモチーフでも、のっぺりとした安っぽさ満載です。これでも高級メゾンが販売する現代のハイジュエリーです。こんなので素晴らしいデザインのジュエリーと本気で思っているのか疑問です。 作りがアクセサリーと変わらないせいか、私にはガラスと卑金属で作ったアクセサリーとの違いが分かりませんし、その程度の安物にしか見えません。私にセンスや見る目がないからかもしれませんが・・(笑) |
『Shining White』 エドワーディアン ダイヤモンド ネックレス イギリス又はオーストリア 1910年頃 SOLD |
アンティークでも安物ジュエリーの場合は厚みがあって高価なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドを使わず、コストカットのためだけにローズカット・ダイヤモンドを使うこともあります。 でも、ヘリテイジが扱うクラスのハイジュエリーの場合はコストではなく、美しさが最優先にして作られているので、ダイヤモンドのカットも全体として最も美しくなるカットの石が選択されています。 『Shining White』も、大胆に煌めくオールドヨーロピアンカットのダイヤモンドと、繊細に煌めくローズカットがうまく使い分けられており、輝きの強弱が大きいからこそダイヤモンドだけで作られたジュエリーにも関わらず印象的な美しさが感じられるのです。 |
プラチナがジュエリーの一般市場に出始める以前、アクアマリンのハイジュエリーはゴールドで作っていた時代は天然真珠との組み合わせが一般的でした。 | |||
イギリス 1890年頃 SOLD |
イギリス 1900年頃 SOLD |
イギリス 1900年頃 SOLD |
ヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
イギリス 1920年頃 SOLD |
イギリス 1920年頃 SOLD |
プラチナ・ジュエリーが主流の時代はダイヤモンドとの組み合わせが主流となりましたが、大きなアクアマリンでも脇石は殆どがローズカット・ダイヤモンドです。 |
脇石の全てがオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドというアクアマリン・ジュエリーは、これ以外には見たことのない珍しいものです。 コストカットのためにオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドを使わずにローズカット・ダイヤモンドを使うことはあっても、その逆はあり得ません。 ローズカット・ダイヤモンドを使わず、全てオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドを使ったことには必ず意図があります。 |
この宝物に使われたアクアマリンは輝りに優れ、ダイヤモンド顔負けのファイアすらも出せる特別な石です。 ローズカット・ダイヤモンドでは惹き立て役にすらなれない、極上のアクアマリン。 このアクアマリンには、コストがかかったとしても高価なオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドの脇石としての輝きが必要なのです。 |
小さなダイヤモンドですが、どの石も驚くほど素晴らしい輝きを放ちます。小さな脇石で、これほどまでに輝く石は他にあっただろうかと思えるくらいの見事な輝きです。 |
ダイナミックなシンチレーションだけでなく、もちろん高さのあるクラウンからのファイアも美しいです。細工だけでなく宝石も楽しめる、これほど楽しいジュエリーは滅多にありません。 |
一番下のダイヤモンドも、きちんと上質な石が使われており、全てが完璧と言える宝物です。 |
一番下の雫型アクアマリンの上に、丸いアクアマリンの外周にセットされたダイヤモンドと同じサイズ・同じ細工のダイヤモンドがセットされているのもデザイン上の大きなポイントとなっています。 このダイヤモンドがなかったら、下部のデザインが上部のオマケのようになっていたかもしれません。 下部のデザインを引き締め、上部と下部で異なる雰囲気のデザインをうまく調和させるための重要な役割を果たしています。 小さくても魅力あるダイヤモンドだからこそ果たせる大役ですね。 |
アクアマリン、ダイヤモンド、粒金のような半球状のホワイトゴールド、グレインワーク、ミルグレイン、ミルグレインのような覆輪、葉の彫金、磨き上げられたフレーム、全てが魅惑の輝きを放ち、美しいジュエリーとして調和しています。 |
どの箇所も徹底して磨き上げられており、こんな角度で見ても至る箇所が光り輝いています。ハイジュエリーの中でも群を抜いた仕事ぶりには感動を抑えられません!♪ |
裏側の作り
裏側も思わず見せびらかしたくなってしまいそうなくらい、美しい作りです。 |
三日月の中央部にセットされた小さなダイヤモンドの裏(A.B.C)には、装飾のために溝を彫ってあります。これも今まで見たことがない珍しい装飾です。見えない裏側にまで手を抜かずに丁寧に作り上げるのは、美意識の高い王侯貴族のためのハイジュエリーであれば当然のことなのですが、さらに装飾まで施すなんて並みの美意識ではありません!! |
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不思議な感覚のジュエリー
『グランルー・ド・パリ』 ベルエポック ルビーリング フランス 1910年頃(鷲のホールマーク付) SOLD |
古代から第二次世界大戦以前までのアンティークのハイジュエリーを扱っていて、たまに不思議な感覚を受けるジュエリーがあります。 アンティークのハイジュエリーらしい作りの良さがあるものの、とてもモダンな感覚のデザインで作られた宝物がごく稀に存在します。 最初にそれを感じたのは『グランルー・ド・パリ』でした。 ルビーの覆輪がゴールドではなくプラチナで、アンティーク独特のクラシックさが感じられないのに、アンティークジュエリーらしいローズカット・ダイヤモンドをセンス良く使っているのです。 |
アールデコ カリブレカット・ルビー バー・ブローチ |
このバー・ブローチもやはり不思議な感覚を感じます。ルビーの覆輪がプラチナで、現代ジュエリー的な感覚を持つデザインなのに、作りはアンティークのハイジュエリーならではの抜群のものです。 |
もし王侯貴族が主導する世界が終わらず、素晴らしいジュエリー文化が現代まで残っていたならば、このようなジュエリーが今も作られていたのではないかしら・・。 現代でも全く古い感じがしないモダンなデザインと、アンティークならではの極上の作りを持つ特別なアンティークジュエリーには、そんな「If・・・」的な切なさも感じます。 |
ルイ16世(マリー・アントワネット)様式リバイバルであるガーランドスタイルをさらに進化させたデザインのペンダント。 マリー・アントワネットにもよく似合いそうだなと想像します。 ヨーロッパの王侯貴族の長い歴史の中でも、特別な美的センスを持っていたマリー・アントワネット。 処刑されずとも彼女が20世紀まで生きていることはなかったでしょうけれど、もし彼女が生きていたらファッションリーダーとしてこのようなジュエリーも生み出していたかしらと考えます。 |
王妃マリー・アントワネットと子供達(ヴィジェ=ルブラン 1787年) | 歴史は勝者のもの。 処刑されたフランス国王夫妻は、処刑されるに値する人物でなければなりませんでした。
実際のマリー・アントワネットは教養も気品も愛も備えた、本当に王妃に相応しい女性だったようです。 |
ギロチン台へ引き立てられるマリー・アントワネット |
夫であるルイ16世は断頭台で、「人民よ、私は無実のうちに死ぬ。私は私の死を作り出した者を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい。」と、国王としてフランスへの想いを込めた最期の言葉を残して死にました。マリー・アントワネットも最期の言葉は、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に発した「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ。」だと言われています。 |
ギロチンで処刑されたジョゼフィーヌの元夫アレクサンドル・ド・ボアルネ子爵(1760-1794年) | 国王夫妻を殺せば溜飲も下がるかと考えたフランスの庶民たちがでしたが、夫妻があまりにもあっさりと処刑を受け入れて美しく亡くなってしまったため、全然スカッとしませんでした。 その結果、異常なまでのギロチンによる大量処刑につながっていきました。 皇帝ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの元夫、ボアルネ子爵も処刑されていますし、果ては科学者なんかも何だか気に入らない的な理由でたくさん処刑されています。 皆、命乞いするでもなく静かに断頭台に上ったそうです。 |
ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人(1743-1793年) |
そんな中で、ルイ15世の公娼デュ・バリー夫人だけは民衆も狼狽するほど激しく泣き叫び、命乞いをしたそうです。 私はそれをカッコ悪いとは思えません。ある意味とても人間らしい姿だと感じます。生きることへの執着は本能ですから・・。
デュ・バリー夫人はフランスのシャンパーニュ地方の貧しい家庭に私生児として生まれた人物です。 弟が生まれてすぐに母は駆け落ちしたため、叔母に育てられました。 そのような出自ながら、美しさが目にとまりデュ・バリー子爵に囲われると貴婦人のような生活をし、上流階級の男性のお相手をすることで次第に社交界に通用する社交術を身に付けていったのです。 |
ルイ15世との初対面時の花飾りをつけたデュ・バリー夫人(1743-1793年)26歳頃 |
朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格、かつ美しいデュ・バリー夫人はルイ15世の公娼となり、宮廷の貴族達からも好かれていたそうです。 フランスの社交界は美しさだけでは通用しません。 高度な社交術は必須で、それを身に付けずにパリにやってきたジョゼフィーヌも手酷い洗礼を受けています。 従って外見的にはデュ・バリー夫人は王侯貴族並みの立ち居振る舞いや話術、教養は身に付けたいたのでしょう。 でも、生まれながらの貴族とは決定的に違ったということでしょう。 |
結婚前のマリー・アントワネット(1755-1793年)14歳頃 |
神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの娘として、生まれながらの皇族として育ったマリー・アントワネット。 育った環境や教育もあって、幼い頃から強い自覚を持っていました。 だからこそ死に直面しても、王族に相応しい振る舞いを貫いたのです。 そして、貴族達もフランス国王夫妻同様、断頭台に向かったのです。 処刑人シャルル=アンリ・サンソンは、「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすれば良かったのだ。そうすれば人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか。」と日記に書き記しています。 |
アンシャンレジームを風刺した絵(1789年) | 革命直前のフランスは金で爵位を乱発したため、貧乏人に毛が生えた程度の貴族も存在しました。 "フランス貴族"と一括りにすると実態が見えてこないのですが、ごく一部の本当に富と権力を有していた王侯貴族だけはきちんと教養や品格を持っていたということなのでしょう。 |
知性と美貌を兼ね備えた公妾ポンパドゥール夫人(1721-1764年) | 恐怖政治の時代は政治的活動に熱心な、優秀な女性もたくさん殺されたそうです。 ポンパドゥール夫人も悪の元凶の1人とみなされ、同じような女性が二度と出てこないようにするためでした。 社会的にもかなりの損失だったことでしょう。 女性が出てくるとろくなことがないということで、フランス革命後は女性蔑視をする傾向が強くなっています。 現代でもフランスのDV(ドメスティック・バイオレンス)は有名ですね。 3日に1人の女性が夫や同居人、元彼などからDVを受けて殺されています。2016年度は123人、2017年度は107人で、毎年100人以上です。暴力を振るわれた数だけだと、もっと桁違いに多いでしょう。 女性107名が殺された2017年度は子供が25人、男性が16人という数です。 非力な子供以上に大人の女性が殺されているのは、いかに女性が蔑視されているかの現れでしょう。革命前の王政のフランスと、革命後のフランスは全く社会が異なります。 |
マリー・アントワネットと子供たち(1785年) | マリー・アントワネットはフランス王妃として、しっかりと子育てしていました。 夫の高慢な未婚の叔母のようにならぬよう、しばしば低い階級の低い子供達を食事に招待してマリー・テレーズと共に食卓を囲むようにしました。 また、貧しい子供達に自分のオモチャを贈るよう、マリー・テレーズに勧めたりもしています。 1784年の元日には、マリー・テレーズの部屋に美しいオモチャをいくつか持ち込んだ後、 マリー・テレーズはこの時、たったの5歳。マリー・アントワネットは甘やかすことなく、他人の苦しみについて娘に教えようとしたのです。昔のオーソドックスな王族は、本当にこういうスパルタなイメージがあります。 |
ルイ16世の長女マリー・テレーズ王女(1778-1851年)5歳頃 | そんなマリー・テレーズ王女は、ブルボン家とハプスブルク家の血を引くことに誇りを持ち、闊達で高いプライドもある、品格のある少女だったようです。 養育係が誤って彼女の足を踏みつけました。 その時は全く養育係は気付かなかったのですが、その晩、マリー・テレーズの足が酷く負傷していることに気付きました。 なぜ負傷を訴えなかったのかと問うと、「あなたが私に怪我をさせて痛がっているとき、あなたが原因だと知ったらあなたの方が傷付いたでしょう。」と答えました。 権利には責任が伴いますが、王族としての権力に対して、子供の頃からきちんと品格を備えていたことが伺えますね。 |
10歳頃のマリー・テレーズ王女と4歳頃の弟ルイ17世(1789年) | そんなマリー・テレーズ王女ですが、フランス革命によって捕らえられ、幽閉生活を送ることになりました。 誰とも会話をすることなく2年近く過ごした彼女は発声異常を患い、ガリガリと話す発声異常は生涯治ることはなかったそうです。 この間に幼い弟も、皆と同じようにギロチンで処刑した方がどれだけマシだったかと思える、人間がやることとは思えないかなりむごい扱いを受けて亡くなっています。 想像を絶する状況下、マリー・テレーズが正気を保てたこと自体が驚異的に感じるほどですが、発育期のこの時期に酷い生活を送った影響は当然喉以外にもあったようです。 |
ルイ・アントワーヌ王太子妃となったマリー・テレーズ(1778-1851年)38歳頃 | 後に復古王政のルイ・アントワーヌ王太子と結婚するのですが、12年間も子宝に恵まれることはありませんでした。 13年目にようやく懐妊するのですが、妊娠がかなり進んだ時期に流産してしまいました。 その後、彼女が妊娠することはありませんでした。
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マリー・テレーズ王女(1778-1851年)16歳頃 | 亡命する際、マリー・テレーズはルイ16世が断頭台で着用した、血で汚れた肌着を受け取り、それを持参して亡命地のロシア領クールラントのミタウ城に向かいました。 離れ離れになる前、ルイ16世はマリー・テレーズとルイ17世に「人を恨んではいけないよ。」と遺していきました。 享年10歳のルイ17世はその意味を考えることすらもなく亡くなったかもしれません。 でも、その言葉を十分に認知できる年齢だった、賢いマリー・テレーズの心にはどう残ったでしょう・・。 生涯、父のその言葉は呪いのように残ってしまったかもしれません。 革命前まではあんなに闊達で可愛らしい肖像画ばかりだったのに、その後はどれも暗く重苦しい影を感じる表情の肖像画ばかりが遺されています。 |
王太子妃マリー・テレーズ(1778-1851年)48歳頃 | 1814年にナポレオンがロシア遠征で破れたのを機に、マリー・テレーズはイギリスからパリに帰国しました。 そこにはナポレオン時代に貴族になった新興貴族がいましたが、新興貴族たちには決して気を許さず、洗礼名で名前を読んで怒らせていたそうです。 マリー・テレーズは死の間際の父ルイ16世から、「憎しみを捨てるように。」とも諭されています。 でも、ナポレオンへの憎しみはいつまでも呪縛のように彼女に付いて回ったと言われています。 1820年、41歳の時、「やっと永遠に諦めがついたから子供がいないままでいるわ。」と友人に胸の内を語ったそうです。 |
でも、子孫はおらずとも、マリー・アントワネットの時代に生み出された芸術様式は19世紀末に再びガーランド・スタイルとして花開き、こうしてさらなる進化を遂げました。 古代ギリシャからつながってくる、この美しい宝物・・。 古のヨーロッパに生きた彼女たちとは直接血はつながっておらずとも、同じような魂、同じような美的感覚を持つ人にとっては、魂を揺さぶるような宝物だと思います。 同じ時代にはいなかったとしても、それぞれの時代に似た魂を持つ女性は地域や人種を超えて存在し、素晴らしい宝物を通してつながっていくのでしょう。 If. フランス革命が起きておらず、もっと長くフランス貴族の宮廷文化が続いていたら・・。 それはまるでヴェルサイユの幻。 |