No.00380 梅花の宴

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

シャンルヴェ・エナメルの至高!フランスの特許取得!
遊び心あふれる透かしロケットです!♪

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

リアルな提灯を再現するために薄い和紙を挟める構造♪

 

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

明るい光源を背にすれば提灯の優しい灯りが再現♪

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

 本体の厚み僅か1.2mmで実現した驚異の透かしロケット構造!
 盛り上げた紅梅エナメルの美しい光沢♪

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←等倍↑

【エナメルの一番の見どころ】紅梅の奥行き感を強調するため、黒で縁取りされています。物理的に盛り上げたエナメルに、縁取りによる陰影が加わることで、驚くほど印象的な紅梅に仕上がっています。前代未聞のシャンルヴェ・エナメルです!アイデア、技術ともにあっぱれです♪♪

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←等倍↑

最も細いシャンルヴェ・エナメルは、1mmの半分にも満たない僅か0.4mm幅のゴールドにさらに細く溝を彫り、気泡もムラもなく均一に施しています。この神技は、まさにシャンルヴェ・エナメルの至高です!♪

 

 

シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑
しかしてマルチ・ユースのロケット・ペンダントです。透かしのジュエリーとして美しいですし、挟む和紙の色柄や厚みで透け感を変えたり、思い入れのある布などでも楽しめます。和紙や布に薫りを含ませればヴィネグレットにもなります♪
シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑
梅のシーズン以外は、黄金でシルエットを表現した華やかな透かしのジュエリーとして、裏側で着用しても面白いかもしれません♪
シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ

 

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

『梅花の宴』
ジャパネスク 提灯ロケット・ペンダント

フランス 1900年頃
シャンルヴェ・エナメル、18ctゴールド(イーグルヘッド&フランス特許BTÉ S.D.G.Dの刻印)
本体サイズ:2.0×1.5cm
重量:2.2g
SOLD

 高級アンティーク・ジュエリーでも滅多に見ることのない、小さくて遊び心あふれる最高に贅沢な宝物です。透かしのロケットという前代未聞の構造は、薄い和紙を挟んでリアルな提灯を再現するためのもので、フランスの特許まで取得しています。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

 ジャパネスクの中で梅モチーフは珍しいですが、1873年のウィーン万博で展示された尾形光琳の紅白梅図屏風にインスピレーションを受けて制作された可能性が高いです。このウィーン万博で越前和紙が進歩賞牌を獲得し、ヨーロッパでますます日本美術の人気が高まっていきました。クリムトもここで見た紅白梅図屏風に感銘を受け、今回の宝物と同時代に、金箔の作品群『黄金時代』として開花させています。
 神技とアイデアを詰め込めた、かなり高価な作りでありながら全く宝石を使っていないのも特徴です。通常は名脇役どまりのシャンルヴェ・エナメルを主役にデザインしているのも印象的で、それに値するエナメルとして仕上がっています。陰影をつけて紅梅を印象付ける黒の縁取りは他に見たことがない細工で、意図的に表面張力ギリギリまで盛り上げた花びらと相まって、ドラマティックな紅梅となっています。驚異的に細いホワイト・エナメル部分もまさに神技です。
 梅の枝独特のシュッとしたデザインはアールデコを先取りしたようなスタイリッシュさがありながら、武家でなく公家を彷彿とさせる雅さも漂わせる、稀有なジャパネスク・ジュエリーです。挟む和紙に薫りを含ませ、ヴィネグレットのように使っても素敵です。小さくて極上の作りはまさにヨーロッパ王侯貴族のアンティークジュエリーならではで、手元で眺めても、身につけても心満たされる至高の宝物です♪

 

 

この宝物のポイント

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
  1. 和紙のための透かし細工のロケット
    1. フランスの特許取得の独創的なロケット構造
    2. ヨーロッパで高く評価された和紙
    3. 日本人からも忘れ去られた本物の『和紙』の魅力
  2. シャンルヴェ・エナメルの『紅梅』の傑作
    1. 清少納言好みの美しい紅梅モチーフ
    2. 高度な彫金と組み合わせる難易度の高いエナメル
    3. 縁取りで陰影を表現した独創性と芸術性
  3. 贅沢な作りの美意識の高いさりげない宝物
    1. 精密さを要求する神技の透かし細工のロケット
    2. 薄い紙を固定できる精緻な作り

 

 

1. 和紙のための透かし細工のロケット

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 ロケットはアンティークジュエリーの定番です。肖像画や写真を入れたり、愛する人の見立てや象徴、その一部として想い出のある布や押し花、美しく編んだ髪の毛などを入れることもあります。

ロケットの宝物
透かし 完全に封印 裏側から視認可 正面から視認可
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
今回の宝物
フランス 1900年頃
夜桜を舞う梟の赤銅ロケット・ペンダント『夜桜を舞う梟』
両面・赤銅高肉彫り象嵌 ロケット・ペンダント
日英合作 1870年頃
¥3,800,000-(税込10%)
ローマンモザイク ペンダント&ブローチ ピアス セットローマンモザイク ペンダント&ブローチ ピアス セット
『平和のしるし』
ローマンモザイク デミパリュール
イタリア 1860年頃
¥2,030,000-(税込10%)
リージェンシー フォーカラー・ゴールド 回転式フォブシール アンティークジュエリー 『大切な想い人』
回転式フォブシール
英国 1811~1820年頃
¥1,200,000-(税込10%)

しかし今回の宝物の透かしロケット構造は異例です。単に『美しい透かし細工のジュエリー』ならば、わざわざ技術とお金をかけてロケットにする必要はありません。何かを挟む目的はありますが、両面共に透かしなので写真を入れるのは違和感があります。薄い布ならば入りますし、柔らかくても保持はできると思いますが・・。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

これは当時の時代背景と社交界の流行を想像すると、すぐに答えが分かります。この提灯の特別な設計は、『和紙』を挟むためのものです!♪

1-1. フランスの特許取得の独創的なロケット構造

和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

 裏側にフランスの特許『BTÉ S.D.G.D』の刻印があります。1844年に法律で設定され、1968年まで存在した簡易特許です。事前審査を必要とせず、申請者の責任で取得できます。

日本の知的財産制度に於ける、『実用新案』に相当するイメージです。

サラリーマン時代は大企業の研究開発職だったので、知的財産研修はしっかり受けました。私自身、依頼されて講義したこともありますし、1つだけですが特許も取得しています。本格的な特許は『新規性』と『進歩性』が重要で、厳密に審査されます。手間がかかる上に、個人レベルでは躊躇するほど取得や維持費がかかります。

具体的には、出願・登録時の弁理士費用は別途で、フルに権利期間(最大20年)を維持すると特許庁費用と弁理士費用で100万〜200万円以上かかるのが一般的とされます。研究開発費は別途かかります。業態によっては、企業が弁理士をお抱えにすることもあります。

ちなみに私が所属した企業では、毎年20億円以上稼げなければ新規事業として検討に値しないという見方でした。グループ合わせて1兆4千億円以上を毎年売り上げている規模だからこそです。所変われば常識も変わるわけですね。サラリーマンを辞めた後、某企業の社長から10億円だか20億円だかを売り上げたと言われたことがあり、自慢だと気づかず普通に「ふうん。」としか反応しなかったのですが、ご期待いただいた反応ではなかったようです。次回があれば、多少は演技してヨイショしてあげようと思います。凄いと思っていないことはバレるかもしれませんが・・(笑)

初期アールデコのガーランドスタイルのトロフィー・ダイヤモンド・ネックレス『勝利の女神』
ガーランドスタイル ダイヤモンド ネックレス
イギリス or フランス 1920年頃
¥6,500,000-(税込10%)

HERITAGEでお取り扱いするアンティークジュエリーは王侯貴族やビリオネア・クラスが特注していたものです。

大企業を経験することで、そのような層に合わせて物事を見たり発想できるようになったのは、良い経験だったと思っています。

実用新案の例
 【引用】JPAA日本弁理士会 / 実用新案権と実用新案登録出願 © Japan Patent Attorneys Association

実用新案は物品の形状、構造、組み合わせによる『ちょっとした工夫』の考案を権利化できます。

無審査主義で、形式的な要件を満たすことで早期登録が可能です。費用も抑えられますし、ライフサイクルが短い製品にも気軽に権利が獲得できます。

個人レベルでも、ちょっとした良いアイデアが閃けば検討できそうですね。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

日本美術が社交界で大いに持て囃され、日本の提灯や和紙が美しく高尚で、憧れの存在だった時代ならではの宝物です。開閉機構としての新規性はありませんが、和紙を挟んでリアルな提灯を再現できるというのは、画期的なアイデアだったと想像できます。だからこそ、閃いた人がわざわざ特許化したのです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

このアイデアは素晴らしいですし、自慢したくなりますよね。作行から、オーダー主がアイデアを閃いた人物の可能性は高いように感じます。時代背景や持ち主の気持ちが伝わってくる、アンティークジュエリーの魅力あふれる楽しい宝物です♪

1-2. ヨーロッパ高く評価された和紙

1-2-1. 開国前の限られた日本製品

 鎖国政策中も正規貿易は『四つの口』を通して行われており、日本の物品が手に入らないわけではありませんでした。

良家の子女 フランス 糸車 若い女性 18th糸車と若い女性(フランス 1762年) 髪の毛 糸車 蒔絵 フランス ヴィクトリア&アルバート美術館 18th髪の毛を紡ぐための日本の蒔絵の糸車(フランス 1750-1770年)ヴィクトリア&アルバート美術館

日本の職人にオーダー制作してもらうこともありましたが、それができるのは財力やコネクションを持つ王族やそれに準ずる高位貴族のみに限られました。

ハプスブルク皇家の母娘2代による蒔絵コレクション
女帝マリア・テレジア(1717-1780年)1762年、45歳頃  【参考】娘マリー・アントワネットの日本の蒔絵コレクション(江戸中期 17世紀後半-18世紀半ば)

マリー・アントワネットの日本の蒔絵コレクションは、当時ヨーロッパで最も優れた蒔絵コレクションとして知られていました。女帝マリア・テレジアの50点のコレクションを受け継ぎ、さらに8年間をかけて約30点を追加したものです。コレクションを個人的に楽しむために、ヴェルサイユ宮殿内のプライベートなリビングルームのキャビネットを、専用スペースとしてわざわざ改装したほどです。美術館で見るというのは大衆向けの楽しみ方であり、個人蔵にして、分かる人たちだけでプライベートに好きなだけ楽しむのが、王侯貴族が好む最高のラグジュアリーです。

フランス王妃マリー・アントワネットのキャビネット(メトロポリタン美術館)
漆器:日本 17世紀、キャビネット:ジャン=アンリ・リーゼナー 1783年

鎖国中の日本の美術品を使った調度品は、今でもフランスやイギリスの貴族の邸宅や欧米の美術館で見ることができます。ヨーロッパ王侯貴族がお金に糸目をつけずオーダーしたものばかりですから、当時の日本人でも高位の身分でなければ手に入らないものばかりです。当然ながら、庶民は一生目にすることはないようなものです。

1-2-2. 開国に伴う日本ブーム

 出島・三学者による日本の紹介などもあり、開国前から既に欧米では日本のこと全般への興味が高まっていました。開国によって期待が高まる中、1862年の第2回ロンドン万博で満を持して初紹介されたのが、イギリスの初代駐日総領事ラザフォード・オールコックが滞在中に蒐集した日本コレクションでした。

第2回ロンドン万博の日本ブース(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862年)

開国して間もない江戸幕府はまだ万博に出展できるような状態になく、日本の展示品はオールコック総領事の蒐集品、約1,500点のみでした。展示品は漆器や刀剣、版画と言った日本の美術品や、蓑笠や提灯、草履などの庶民の日用品です。王侯貴族ではなくビジネス・エリートでも手に入るもの、イギリス人外交官の視点で面白いと思ったものが展示品です。

柴田剛中(着席)他使節一行(1862年)

ロンドン万博にはオールコック総領事の支援で文久遣欧使節が招待され、開会式にも参加しています。江戸幕府として初めてヨーロッパに派遣した使節で、通訳2名を合わせて総勢38名の使節は身分の高い人やエリートで構成されました。庶民でなく高位の身分の日本人の感覚だと、オールコック総領事の展示物は「古めかしい雑具ばかりで、粗末なものばかりを紹介している。」と感じたようです。まあ無理はないですね(笑)

文久遣欧使節団(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1862.5.24号)

しかしながら見たことのない異文化の物品は、日常の雑具でさえ面白いものです。オールコックのコレクションはヨーロッパで大絶賛で、日本人の国民性を見事に表現したものだと評価されました。勉強熱心な使節一行は万博会場を何度も訪れて見学し、その姿が人目を引いた一方、礼儀正しい態度や振る舞いは感心されたそうです。この時のロンドン万博は来場者数610万人にものぼり、その様子は世界に発信され、その後のジャポニズム・ブームの契機になりました。

1-2-3. 展示販売場『万博』

 万博は回を重ねるごとに、商業イベントとしても充実していきました。展示販売場としての色も濃くなり、『売れ筋』を見極めながら様々な物品が販売されました。

多岐に渡る日本の万博展示販売品
『澳国博覧会参同記要』ウィーン万博の日本パヴィリオン(1873年) 『日本村』アレクサンドラ・パークに移設された1873年ウィーン万博展示品(1875年)

ニュースになるのは金のシャチホコのような客寄せパンダ、巨大だったり高価で目立つものです。大富豪などが、日本庭園をお買い上げすることすらもあります。1873年のウィーン万博ではイギリスのアレクサンドラ・パーク社が神社社殿や鳥居、庭園などを買い上げ、イギリス国民が気軽に文化教育として日本文化に親しめるよう、ロンドンに移設しています。

『蘭のブローチ』(1889年パリ万博のティファニー出品作品)ジョージ・パウルディング・ファーナムのデザイン
【引用】Alchetron / Paulding Farnham ©Alchetron/Adapted.

当時の万博には様々な階層の人が訪れていました。

目玉商品や受賞作ともなれば、どこの誰が買い上げたか大いに話題になります。


【ウィーン万博出展品】染付花籠文大皿(明治初期 1873年頃)
ハウステンボス内ポルセレインミュージアム

しかし庶民に至るまで、誰もが高価な物品に手が出せるわけではありません。しかし、せっかく来たのだからお金を出せる範囲で、普段は手に入らぬ何か良いものを買いたいと思うものです。

浮世絵、陶磁器、漆器、七宝や象嵌細工、金銀細工などの美術工芸品、各種オモチャ、繭や生糸、西陣織などのテキスタイル、和紙、熊の革、鳥や魚などの標本、稲などの穀類、海藻や様々な植物など多岐に渡る品々が出品されました。

ラ・ジャポネーズ(クロード・モネ 1875年)ボストン美術館

ダントツ人気を誇ったのは、庶民も含め来場者が気軽に購入できる扇子や団扇でした。1873年のウィーン万博で、扇子は1日に3,000本も売れた日もあったそうです。

あまりにも売れすぎるため、当初の倍に値上げしてもその勢いは止まらず、一週間で数千本を売り尽くしたと記録が残っています。

ウィーン中が日本の扇だらけになったと言われるほど日本の扇は大流行し、欧米全体でのジャポニズム・ブームへとつながっていきました。

日本らしさを感じられる日本のものというわけですね。

1-2-4. 1873年ウィーン万博で進歩賞牌を獲得した越前和紙

ウィーン万博に於ける越前和紙の進歩賞牌の日本語のメダル証書(1873/明治6年)

 明治政府として初参加した1873年のウィーン万博には新政府として威信をかけ、日本の地位向上や輸出産業の拡充も目論み、様々な物品が出展されました。

そのような中で、『進歩賞牌』を獲得したのが『越前和紙』でした。

2017年2月に越前市内の蔵で、当時の賞状とメダルが発見されたそうです。

ウィーン万博出展の大提灯(1873/明治6年)
 【引用】佐野常民と三重津海軍所跡の歴史観 / 修行時代 © Sano Tunetami museum 

明治政府はオーストリア外交官ハインリヒ・フォン・シーボルトや、その推薦によるお雇い外国人ゴットフリード・ワグネルなどに助言を仰ぎ、出展物などを選定しました。

派手で目立つもので目を引く方が良いという意見により、高さが2間(3.6m)もある大提灯も制作しています。

日本の素材の良さや技術力をPRする目的もありました。

この大提灯は和紙だから実現できました。

手紙を書く女性(日下部金兵衛 1933年以前)

木材パルプが原料の洋紙と、日本古来の和紙は同じ『紙』でも、全くと言って良いほど別物です。

現代の『紙』のイメージだと、障子も脆そうで紙を使うことに違和感が感じられますが、現代の"和紙"の殆どは当時の和紙とは違います。

灯りに使い、障子や襖、衝立や屏風、扇子に団扇、懐紙やたとう紙、様々なものの補強、さらには傘や笠、合羽などの雨具にも使用され、着物や寝具にも使用されていました。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

現代の日本人が知らない、昔の本物の和紙は素材として極めて上質で、日常の至る所に必需品として活用されていました。

その質の良さに欧米人も感激し、万博で賞が贈られるほど評価され、商品としても人気を博したのです。

1-3. 日本人からも忘れ去られた本物の『和紙』の魅力

1-3-1. 実は1000年以上もつとされる和紙

 皆様は『紙』について、どのようなイメージがあるでしょうか。『常識』や『人格』を形成する子供時代、私たちは多くの紙に触れます。書籍や学校のプリントです。プリント用紙もいくつか種類がありますが、1年も持たずに変色したり、パリパリになってしまうのが当たり前だったりします。長く取っておくことはできません。

明治期の賞状やポスター(旧片山家住宅)明治期の賞状やポスター(旧片山家住宅)

アンティークジュエリーの世界をまだ知らなかったサラリーマン時代、岡山の成羽で見た明治時代の『紙』は衝撃でした。

100年以上経っているとはとても思えないほど、美しい状態が保たれていました。1886年、140年ほど前のポスターは未だ色彩鮮やかで、特に上等な紙を使った賞状は真っ白です。

私が通った大学は古い専門書も充実していました。特に古い書籍は劣化せぬよう、陽の光が当たらぬ地下図書館に保管されていました。旧字体で書かれた戦前の書籍もありましたが、本を開くと独特の嫌な臭いがあり、やはり紙や印刷は劣化するイメージが強くありました。

ウィーン万博に於ける越前和紙の進歩賞牌の日本語のメダル証書(1873/明治6年)

しかし、この紙も150年以上前の古いものです。

正倉院(奈良)
"Shosin-Shouso" ©あずきごはん(22 June 2020, 10:00:36)/Adapted/CC BY-SA 4.0

実は和紙は1000年以上もつとされ、現存する日本最古の和紙は702年の美濃国の戸籍用紙の美濃和紙で、正倉院に保管されています。本来、日本人にとって『紙』は数ヶ月やそこらで変色してボロボロになるようなものではありませんでしたし、気軽に使い捨てするような安い存在ではなかったのです。

1-3-2. 安価な木材パルプの洋紙

 「悪貨は良貨を駆逐する」。どの業界でも同じです。質の良さを誇った和紙も、安価で大量生産が可能な洋紙に駆逐されました。質の良さや長く愛用できることより、目先の安さを求める人の方がいつの時代も大多数です。当たり前に在った良いものは、最終的にはどんなにお金を出しても二度と手に入らなくなります。材料と技術まるごとが完全に失われるからです。

紙パルプ原料となる木材チップ備蓄(カナダ東部ニューブランズウィック州)
"Paper mill wood-chip stockpile" ©Quintin Soloviev(23 July 2025, 17:00:22)/Adapted/CC BY 4.0

開国以前、『紙』と言えば和紙でした。明治に入り、洋紙が普及したことで日本古来の紙としての『和紙』が認識されるようになりました。用紙は木材パルプが原料です。安価で大量生産できますが、簡単に手で破けますしチャチな質感もご存知の通りです。

1-3-3. 薄くても強靭な繊維が長い和紙

 和紙の原料には麻、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、檀(まゆみ)、苦参(くじん)、フキなどが使用されてきました。洋紙と比較して格段に繊維が長いため、薄くても強靭で寿命が長く、独特の風合いを持つのが和紙の特徴とされます。

Natrij麻の茎の繊維

麻もそうですが、これらの原料は紙だけでなく布やロープの原料としても使用されました。

Daderot麻の浴衣(江戸時代 1746-1841年) 麻縄  "Cordage en chanvre" ©Ju-Elle(May 2009)/Adapted/CC BY-SA 2.0
麻袋  "Hemp-sack, Asabukuro, Japan" ©Katorisi/Adapted/CC BY-SA 3.0

麻織物は丈夫ですし、麻縄や麻袋の耐久力はご存知の通りです。

麻紙による法隆寺献物帳(756年7月8日)

製法が異なるだけで、紙も丈夫なことはご想像いただけると思います。

1-3-4. 紙幣からも分かる和紙の高い品質

 岡山では広報を担当したり、東京に出向して農林水産事業を担当するほど地場産業や伝統産業に精通した県庁職員のエリート女性と知り合い、意気投合して仲良くなりました。知識もコネクションも豊富な友人が、県北・津山の横野和紙工房さんに連れて行ってくれたことがありました。

津山城(岡山 1872-1873年)

津山藩・松平家の御用紙作りを代々担ってきた工房で、御当主の職人さんから詳しくお話を聞くことができました。岡山自体が歴史の古い土地で、源流を辿ると欽明天皇の時代、555年に吉備五郡(現在の津山地方)に白猪屯倉(しらいのみやけ)が置かれ、住民の戸籍や田籍を作るために紙が作られ始めたとされます。これら戸籍作りが国内和紙製造の始まりとされており、この美作(みまさか)紙は正倉院文書で727(神亀5)年頃、紙名のついた十一カ国に入っています。これほど面白い土地は多くありませんから、岡山に住めたのは幸運でした♪

三椏(みつまた)
"Edgeaorthia chrysantha at Akita Prefectural Museum ofo Agricultural Science" ©掬茶(3 October 2021, 11:09:32)/Adapted/CC BY-SA 4.0

お話を拝聴してなるほどと思ったのが、紙幣は和紙でできているから強靭ということです。すぐボロボロになるイメージがあった『紙』ですが、考えてみれば紙幣の耐久性は驚異的です。明治になり政府は雁皮製の紙幣を試みましたが、栽培が困難であったことから、栽培が容易な同じジンチョウゲ科の三椏を原料として研究しました。

改造紙幣 五圓券(1880/明治13年)
"5 Yen Mpdified banknote in Japan - obverse" ©Heavy Frisker(24 October 2021, 11:36:05)/Adapted/CC BY-SA 4.0

三椏は樹皮の繊維質が強く、漉いた和紙はこすれや折り曲げに強い特徴がありました。1879(明治12)年に紙幣に使用できる品質が成功し、日本の紙幣に使用されるようになりました。これは大日本帝国政府が1881(明治14)年から1899(明治32)年まで発行した改造紙幣です。

明治通宝 一圓券(1871/明治4年)
"First Meiji one yen banknote 1871" ©PHGCOM(2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0

実は先行して明治時代初期に、政府紙幣『明治通宝』が発行されていました。日本で初めての西洋式印刷術による紙幣で、ドイツのフランクフルトにあった民間工場に発注して製造されました。『ゲルマン札』の別名があります。当初、日本政府は新紙幣をイギリスに発注予定でしたが、偽造防止に効果があるなどの売り込みもあってドイツに発注したそうです。しかしながら洋紙製のこの紙幣は損傷しやすく、偽造も多発したそうです。

改造紙幣 拾圓券(1881/明治14年)
"10 Yen Mpdified banknote in Japan - obverse" ©Heavy Frisker(16 January 2023, 01:46:18)/Adapted/CC BY-SA 4.0

問題ある洋紙製の明治通宝と交換するために開発されたのが、和紙製の改造紙幣だったわけです。三椏は現代でも使用されており、国立印刷局に納める『局納みつまた』は2005年時点で岡山県、島根県、高知県、徳島県、愛媛県、山口県の6県が契約して生産していました。しかし産地の過疎化や農家の高齢化、後継者不足によって生産量が激減し、2016年の時点で使用量の約9割がネパールや中国からの輸入三椏となり、岡山県、島根県、徳島県の3県のみの生産となっています。

改造紙幣 壹圓券(1881/明治14年)

余談ですが、改造紙幣は十円から二十銭までの5種類が発行されました。少額の五十銭と二十銭は菊花紋章デザインで、高額の残り十円、五円、一円券は全て神功皇后がデザインされています。応神天皇の母ですが、聖徳太子(厩戸王)同様に実在不明とされます。現代の3種類のお札は全員違う人物ですが、大日本帝国の初となる国産紙幣の肖像が全て男性ではなく女性、かつ一人の人物だったのは意外な方もいらっしゃるでしょうか。当時の情勢を想像しても面白いですし、調べると違う日本の一面が見えて来るので、興味ある方は探ってみてください。

1-3-5. 別物となってしまった和紙

 横野和紙工房さんで紙漉き体験ができるそうですが、岡山高島屋で岡山の伝統工芸を特集したイベントがあり、私はその時に体験させて頂きました。人が多すぎる都心のデパートでは無理そうですが、地方だと人が極端に殺到することもなく、地域の特色を生かした体験イベントをゆったりと開催してくれるのが良いですよね。"どこに行っても同じ"だと百貨店として魅力を感じませんが、岡山高島屋は裏側に住んでいたこともあり、足繁く通っていました♪

和紙漉き体験
和紙を漉く道具和紙を漉く道具(2014年8月) 和紙漉き和紙漉き(2014年8月)

和紙漉きは想像以上に難しく、均一になりませんでした。想像よりすぐ繊維がまとまってしまうため、職人技で瞬間的にならさなければ品質の整った紙に仕上がりません。ムラになっても、個人で楽しむには"味"と見ることができますけどね。

横野和紙さんの代名詞は高級和紙『津山箔合紙』で、全国で唯一の生産者です。箔合紙として日本一とも言われるこの和紙は薄くかさばらず表面が滑らかで、金箔や銀箔を傷つけず保管できるとのことで、京都や金沢の金箔工芸に欠かせいないそうです。ドイツやカナダのエッチングや絵画、古書の修復にも使用されます。美作地方は三椏の産地で、材料の専門的な扱いもあっての品質です。特殊用途にはどうしても職人技とこの和紙が必須だからこそ、唯一となった今でも続いているわけです。

そのような工房の和紙なので、仕上がりは薄かったのですが驚くほど滑らかでしなやかさがありました。素朴なイメージがある和紙とはまるで別物でツヤとハリがあり、簡単に手で破ける感じがしませんでした。

明治期の賞状やポスター(旧片山家住宅)明治期の賞状やポスター(旧片山家住宅)

美作は三椏の一大産地として局納ミツマタを財務省印刷局に納めているので、御当主はもちろん紙幣にも精通しています。

原料の多くを外国産が占めるようになったこともありますが、化学漂白によって繊維が痛み、紙が弱くなったことを心から嘆かれていました。

特に上等な紙は『白』です。他と比較して、100年以上が経過しても白さを保ち続けています。同じ生体由来の養殖真珠や髪の毛もそうですが、化学処理で漂白して一時的に白くすることはできますが、時の経過と共に醜く変色していきます。痛みが激しいため、質感もボロボロです。100年以上経過してもこれだけ白く保てるのは、理由があります。

越後上布の雪さらし体験(上十日町 2015年3月7日)
【引用】南魚沼市HP / 越後上布の雪さらし体験講座が開催されました ©Minamiuonuma City.

和紙だけでなく反物でも行われる、『雪さらし』という漂白技法があります。雪面に広げた原料に太陽光の紫外線が当たると、雪の水分からオゾンが発生します。このオゾンが水蒸気と結びついて過酸化水素水が発生し、その酸化力によってえ繊維の色素が分解・漂白されます。化学薬品を使用しないため原料の繊維が傷付かず、和紙本来の丈夫さとしなやかさが保たれます。

一瞬で漂白される化学処理と異なり、3〜5日ほどかかります。自然な条件下でじっくり漂白されるため、ふっくらとした美しい白さを持った仕上がりも特徴です。化学物質は使わないため、環境負荷も少ないです。時間と手間だけはかかります。つまりこの製法はコストはかかります。化学処理した、表面的には安いけれど長持ちしない低品質なものを選ぶのか、環境にも優しく長持ちし、長期的な目で見れば割安と言える上質なものを選ぶのかです。その時だけ安ければ良いという、短期的にしか物事を見られない人が圧倒的大多数を占めるからこそ伝統産業は追いやられましたが、長期的な目線で物事を俯瞰して見られる人が守り続けています。

ところで雪さらしは雪国の厳しい自然条件を利用した工程なので、越後上布の様子も超寒そうですよね。

【津山瓦版】美作国・津山市の阿波の雪景色(2020年12月19日)
【引用】津山瓦版 / 2020年阿波の雪景色 ©サイト運営者 岡山県のデザイン会社 (有)アド・デザイン

『晴れの国おかやま』のキャッチコピーに豊かな果物の恵み、オリーブ園もあって日本のエーゲ海と言われる牛窓を誇る岡山ですが、南と北では驚くほど気候が異なります。県北の津山市は、豪雪地帯対策特別措置法で『豪雪地帯』に指定されています。この阿波地区にも友人に連れて行ってもらったことがありますが、冬季は陸の孤島になるようです。これはその阿波の冬の景色ですが、なんだか似た景色を見た記憶が・・・。

福島から米沢に向かう電車の車窓から見た猛吹雪Genとアローのフォト日記『美しくて、悲しくて・・・』(2005.1~2)

これは2005年の冬に、Genが福島から米沢に向かう電車の車窓から撮影したものです。Genの故郷の米沢も豪雪地帯の指定地域ですが、岡山に豪雪地帯があるのは意外でした。北部と西部は中国山地、東部は美作台地、南部は吉備高原に囲まれた津山盆地を形成しており、雪さらしには適した場所なのです。この工程は高級和紙に必須なので、他の産地もやはり冬が厳しい場所にあります。

鶴山公園の津山城と満開の桜岡山県津山市の鶴山公園/津山城跡(2014.4)

春は夢のように美しい桜も見られるんですけどね♪

和紙づくりは冬が本場です。漉く際のネリを出すためのトロロアオイは11月頃に収穫され、原料の三椏も雪が降る前、11月から1月にまで一気に収穫します。

高級和紙づくりは豪雪となる地域で、冬場に水を扱う作業となります。雪さらしは雪の中での作業です。手がかじかんで動かないなんて言ってられません。

寒いと言うよりもはや痛いというか、痛覚すら感じないかもしれません。私は福岡ですら手足の指だけでなく耳まで霜焼けなる体質なので、凍傷になるかその前に凍死しそうです・・。

現代では国産以外の原材料が使用されたり、伝統的ではない原料が使われる"現代の和紙"も多くなりました。大量生産が可能な機械漉きの和紙も多く、見た目は和紙っぽくて、需要の多い障子紙や半紙を中心に使用されています。安い"和紙"は、本来の意味ではもはや和紙と呼ぶべきものではなかったりします。化学処理や従来とは異なるナンチャッテ製品が和紙を名乗ることで、この低品質な紙が『和紙』の指標となるのは由々しきことです。まさに10年や20年で寿命と言う『養殖真珠(本真珠)』と同じです。本物を名乗るべきでない詐欺同然の偽物によって、多くの人が本来の価値を知る機会を奪われ、本物の真価が穢されているのです。

1-3-6. 本物を知る機会がない現代社会

 新聞紙など安価な紙はそもそも質の悪い原料を使う上、製造過程で硫酸アルミニウムを使用します。これが空気中の水分と反応し、酸を発生させます。酸が紙の主成分であるセルロース繊維を分解し、紙が脆くなってパリパリと割れるようになります。乾燥や紫外線も劣化の一因ですが、そうではないおかしな劣化は化学処理による酸性劣化(加水分解)によるものです。

『今昔百鬼拾遺』「目目連」(鳥山石燕 1781/安永10年)

そこまでの安紙でなくても、紙は簡単に破ける脆いイメージがあります。

障子紙も子供のいたずらや、猫ちゃんの気まぐれで破くイメージがある方も多いと思います。

大量生産・大量消費が当たり前となり、紙に安いイメージがある現代ならばまだしも、そこまで容易にダメになるものを昔の人は住居に使用したのでしょうか。

美濃和紙のウェディングドレス
 【引用】みの紙舞 / 強度と耐久性を高める現代の特殊加工 © 2009 みの紙舞

先にご説明した通り、長い繊維を利用する和紙と布の境界は曖昧です。不織布と見ることもでき、実際の機能的にも布として扱えるため、衣類や寝具にも使用されました。

世界的には珍しい使用例とのことで、繊維が長い和紙だからこその性能と言えるでしょう。

現代でもウェディングドレスへの応用例は、聞いたことがある方もいらっしゃると思います。

美濃和紙の衣類商品
 【引用】みの紙舞 / みの紙舞の商品 © minoshimai

繊細なドレスだけでなく、耐久性を必要とする靴下などにも応用できるほどです。だから本来の障子紙は、子供がちょっとやそっと指でつついたくらいでは穴は開かないものだったと想像します。頑丈な不織布でご想像いただければ良いと思います。

『今昔百鬼拾遺』「隠れ里」(鳥山石燕 1781/安永10年)

日本人が紙の仕切を使い、驚かれたというはエピソードは有名です。影を写し、光を透過し、気配をセンシティブに伝えてくれるものではありますが、だから脆くてすぐ壊れるというのとは違います。

青蓮院門跡 華頂殿の襖(木村秀輝 2005年)

透明なガラス、レンガ、ただの板の壁などと異なり、紙は自由に絵を描きやすいです。配置や周囲にあるものとの調和を考えてデザインすることができますし、季節によって変えたりもしやすく、季節を愛でる日本人には理に適っていたでしょう。これは2014年に京都旅行の際に訪れた、青蓮院門跡の華頂殿です。天井の灯りもやっぱり紙です。

青蓮院門跡 華頂殿の襖(木村秀輝 2005年)

大胆は構図の蓮の絵は現代の絵師によるものですが、木村秀輝氏はGenより年上で1942年、戦時中の生まれです。元ロック音楽プロデューサーで、60歳から画家になることを宣言した変わり種です。もともと京都市立美術大学を卒業しており、まだ自然豊かだった時代に幼少期を過ごされたこともあってか、蜻蛉や蛙なども一緒に描かれているのが印象的でした。

雪の中で和傘をさす女性(1914年) "Man with Karakasa in the Snow, in Japan(1914 by Elstner Hilton)" ©A.Davey from Portland, Oregon, EE UU(1 September 1914, 00:00)/Adapted/CC BY 2.0

和紙は庶民にとっても日用品として必須でした。室内だけでなく、和傘や合などの雨具にも使用されました。

柿渋、亜麻仁油、荏油、桐油などを塗って防水加工した油紙は、防水性に大変優れていたそうです。

松下村塾の講義室(山口、長州萩城下にあった幕末の私塾)
"松下村塾講義室" ©ぽこるん(27 December 2020, 15:13:32)/Adapted/CC BY-SA 4.0

障子や襖、衝立などの仕切、行燈や提灯などの照明、傘や笠、合羽などの雨具、扇や団扇などの道具、懐紙などの消耗品、通常の文房具その他、昔の日本は見渡せば紙で溢れていました。

錦画製造之図(1879年頃)

献上用の高級和紙のみならず、庶民に至るまでの莫大な需要がありました。

1901(明治34)年の統計で和紙の生産業者は7万戸、生産従事者は20万人だったそうです。

安価に大量生産できる洋紙に押されながらも、質の高さを要求する障子紙や傘紙の需要は維持され、戦時中となる1941(昭和16)年でも1万3千戸の生産業者が存在しました。

米沢箪笥の透かし金具細工の作業場と職人米沢箪笥の透かし金具細工師の兄弟(Gen撮影 1970年代)

和紙産業についても、壊滅に向かったのは戦後の高度経済成長期です。

サラリーマンが持て囃され、高度な手仕事や顔が見える仕事をしていた家族経営・個人事業主の店や職人が存続できない立場へと追いやられた時期です。

戦後復興期、団塊世代との関連で語られることが多い、地方の若者たちの都会への集団就職がありました。いわゆる『金の卵』です。

若者がいなくなったことで、地方の和紙産地は人口減少による後継者不足に陥りました。サラリーマンが安定した高給を保証される中、職人は下に見られ、子供には跡を継がせられないという状況となりました。

目先のことばかり考え、自分さえ良ければの行動をしていると、必ずこうなります。職人を買い叩いた結果、高度なモノづくりは失われ、上質なものはお金を出しても買えなくなりました。自分の能力と勘違いしていた雇われサラリーマンの高給は幻想に過ぎず、個人事業主が駆逐され、生殺与奪を雇用主に渡していたサラリーマンは手のひらを返したように、今度は自身が雇用主から買い叩かれても安月給の文句を言えない立場となりました。いくらでも替えのいる社畜扱いは、時間をかけてブーメランが戻ってきたに過ぎません。

全国初 歩行者天国始まる(銀座通り 1970年、昭和45年8月2日) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都

地方から後継者となる若者が失われ、産業の存続が難しくなってきた所へさらに洋傘への移行、洋風建築への生活スタイルの変化もあり、和紙産業はあっという間に衰退しました。

和紙を漉く技術の衰退だけでなく、原料産地の衰退と減少にも歯止めが掛からず、今では文化財修復の文化で要求される、江戸期以前に近いレベルの、強い薬剤を使わない伝統的な製法で作られた和紙は供給自体が難しくなっている状況です。

上野駅13番線ホーム(1962年、昭和37年) 【引用】東京都WEB写真館 ©東京都

お話を聞かせていただいた津山の横野和紙工房さんのある上横野地区でも、昭和30年代(1955-1964年)までは殆どの家が紙に関する仕事に携わっていたそうです。今ではただ一軒のみとなってしまいました。京都や金沢の金箔工芸や文化財修復など、特殊用途に応じられるからこそ存続しています。

"和紙っぽいもの"は今もたくさんありますが、その殆どは、伝統的な製法で作られた従来の和紙でないのが実情です。和紙だと思い込んでいるものは、恐らくもう本物の和紙ではありません。

アンティークの本物の伝統的な和紙
『萬寳全書』(菊木嘉保 江戸時代)初版は1694/元禄7年、HERITAGEコレクション 『陶器考』(田内米三郎 1883/明治16年)HERITAGEコレクション

これはGenと同い年の友人が譲ってくれた古書です。電電公社の時代から開発に携わっていたシステム・エンジニアで、皆様もお使いであろう各種システムも設計したエリート技術者でした。そんな最先端を仕事にする人物でしたが、焼き物が盛んだった佐賀の士族家系だったこともあり、このような古書も趣味で集めていました。私も母方が佐賀の士族家系で、陶磁器は割れない限り代々使い続けられるため、祖母の家では本場の良いものを日常で使っていました。私なら美術品や茶器、陶器を扱う古書も価値を理解して楽しめるだろうと、ご厚意で譲ってくれました。和綴で本物の和紙製です。右は少し新しくて明治期のものです。保管状況の履歴もあると思いますが、左の江戸時代の『萬寳全書(ばんぽうぜんしょ)』の方が状態が良いのが印象的です。

『萬寳全書』(菊木嘉保 江戸時代)初版は1694/元禄7年、HERITAGEコレクション

「味がある」風の和紙がいかにも和紙っぽく感じる現代ですが、昔の上質な和紙は材料の繊維も均質に揃えられていますし、古のプロの職人さんの手漉きはムラなく均質です。

世界最古の遊戯折り紙本『秘傳千羽鶴折形』(1797年)

『萬寳全書(ばんぽうぜんしょ)』は全ての宝、高価な美術品や茶器を愛好する上流階級向けのマニアックな書物ですが、子供向けと思われる遊戯折り紙の本『秘傳千羽鶴折形』(1797/寛政9年)の和紙もムラなく均質です。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

ヨーロッパでは1854年にドイツ人フリードリッヒ・ゴットロープ・ケラーがパルプを製造する砕木機を開発し、紙を大量生産できるようになりました。この宝物が制作された1900年頃は、安かろう悪かろうの紙がヨーロッパで当たり前となっていた時代です。職人の高度な手仕事に基づく見事な手漉き和紙に感動し、日本人の職人技と美的感性に深く共感したからこそ、この美しい宝物が生み出されたと言えるのです。

1-3-7. 高価で価値あるものとしての『和紙』

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 「たかが紙のためにそこまでする?」と感じるとしたら、それは現代人の発想です。

『舌切り雀』(河鍋暁斎 1831-1889年) 行李 "行李" ©Chiba ryo(28 February 2016, 10:15:18)/Adapted/CC BY-SA 3.0

将軍・徳川吉宗に進言できるほどの有力な和算家・中根元圭がパトロンだった、和算の天才・久留島義太(くるしまよしひろ)は行李(こうり、旅行かばん)の補強として貼るための和紙がなく、貴重な研究成果の浄書を使ってしまったエピソードがあります。この人の場合はお酒にお金を使い過ぎな部分もありますが、和紙という素材が、現代人がイメージするような安くて気軽な存在ではなかったことはご想像いただけると思います。

1-3-8. 上流階級の文化で多様に発展した『和紙』

 和紙は時代と共に原料や製法が研究開発され、洗練されていきます。紫式部の『源氏物語』には、唐の紙より上質な紙が日本で漉かれていたと記されています。

【国宝】『源氏物語絵巻』「早蕨」(1130年頃)

ほぼ同時代の清少納言の『枕草子』でも様々なジャンルであれが良い、これが良いなどの論評を行っており、紙の質も事細かに批評し拘っていたことが想像できます。

【国宝】『源氏物語絵巻』「竹河(二)」(1130年頃)

折り紙や折形の原型は平安時代にあり、御進物を和紙で包む文化が発展したものとされます。当時の和紙はかなりの高級品で、貴族の雅な感性と財力を象徴するものでした。木簡から和紙の時代へ移り、『和紙』があることで実現する雅な文化が花開いたのです。

懐紙に乗せた狭山大茶会のウサギの御饅頭狭山大茶会の御饅頭(2014年10月21日)

懐紙も平安貴族から始まりました。懐に携帯する小ぶりで二つ折りの和紙で、手にして持ち歩ける紙という意味で『手紙』、畳んで持ち歩く紙として『畳紙(たたみがみが転嫁し、たとうがみ/たとうし)』とも呼ばれます。現代では茶道で使うことが多いです。お菓子を乗せる器として使用する他、お菓子を取る際に使用した取り箸や、お茶碗などを拭って清める清掃具としても使います。懐紙は貴族の必需品で、先の用途の他、ハンカチや鼻紙として使用したり、即席の和歌を記すなど多様な使われ方をしました。美意識の高い雅な殿上人によって懐紙を含め和紙は発展し、特に和歌用には打雲、飛雲、墨流しなど様々な製紙技術、切り継ぎ、破り継ぎ、重ね継ぎなどの加工技術が考案されました。この懐紙のように透かし模様であったり、染料を使ったりして季節感を出すことで教養とセンスをアピールすることも発展しました。

美濃和紙『手漉き葉入り和紙』約39×32cm
 【引用】山形屋紙店ブログ / 美濃和紙「手漉き葉入り和紙」 © 山形屋紙店

ちょっと変わった植物の繊維を試したり、想い出のある押し花や葉を漉き混んだり、金銀箔で華やかさを出したり、器用な人は自ら絵を描いたり、無限の個性とセンスを反映できます。奈良時代には既に染色の工夫がなされており、『正倉院文書』によると彩色紙として植物で染色した10数種類の紙も記録されていますし、加工紙として金銀箔を使った紙も10数種類が言及されています。光に透かすと表情も変わるので、秘密のメッセージを込めることもあったでしょうか♪

漉返紙による伏見天皇の綸旨(治部少輔光定 1297年)

上流階級の膨大な需要に合わせて和紙は量産されましたが、以前として材料調達も手間暇のかかる貴重品でした。だから当時もリサイクル技術があり、古紙を漉き返して再利用していました。天皇の綸旨でも新品ではなく古紙を使用していたほどです。古紙ですら700年以上コンディションを保っているのは凄いですね。墨を完全に脱色することはできなかったので、漉返紙は『薄墨紙』とも呼ばれました。

1-3-9. 貴族の贈答品としての価値があった上質な高級和紙

 明治時代に紙幣の原料として雁皮が検討されましたが、生育が遅い上に栽培が困難だったが故に、同じジンチョウゲ科の三椏が選ばれたのは先にご説明した通りです。

雁皮(がんぴ)/カミノキの花(三重県・朝熊山)
"Diplomorpha sikokiana02" ©Hamachidori(16 June 2010)/Adapted/CC BY-SA 3.0

雁皮は別名カミノキと呼ばれ、奈良時代から和紙の原料として使用されました。樹皮の繊維は楮の3分の1程度と短くてきめが細かく、優美で光沢があり平滑で半透明でしかも粘性があって緻密で緊密な紙質になるとして、高級和紙の原料として愛されてきました。『紙』なら何でも良い、最低限の機能さえあれば安い方が正義という現代の庶民とは、美意識も価値観も拘りもまるで違います。

上質な和紙が量産できれば、それほど良いことはありません。しかし栽培は極めて困難で、ほぼ野生に頼るしかありませんでした。これが明治期に断念された理由です。今は乱獲のし過ぎで、野生の雁皮は収穫量が減少傾向にあるそうです。

【国宝】『伝教大師請来目録(越州録)』(最澄直筆 805年)延暦寺蔵

雁皮紙は804(延暦23)年に遣唐使と共に唐に渡った最澄が、献上品として筑紫の斐紙(雁皮紙)を200張り持参したことでも知られます。先進超大国の唐にはもちろん製紙技術がありました。それでも献上品にできるほど高い評価を得ていた証であり、源氏物語に唐の紙よりも上質な紙が漉かれていたという記述も盛った話ではないのでしょうね。それにしても、1200年以上も前のこの紙も綺麗です。

雁皮紙は美しさと風格を備えた佇まいのみならず、丈夫で虫の害にも強いということで、古来から貴重な文書や金札に用いられました。日本の羊皮紙と呼ばれることもあり、古くは『紙の王』や『鳥の子紙』として、史上最も美意識が高かったと言えるあの平安貴族の女性から「かな文字を書くのに最も相応しい紙」として愛されました。

【重要文化財】『枕草子絵詞』(鎌倉末期 14世紀初頭)
皇后・藤原定子(976-1001年)と第66代・一条天皇(980-1011年)

平安時代には御進物を包んだり、和紙そのものが贈答品として珍重されました。実は清少納言の『枕草子』の誕生にも、和紙が重要な役割を果たしています。内大臣・藤原伊周(これちか)が妹で中宮の藤原定子と、一条天皇の夫妻に和紙を献上しました。天皇への献上品として選ばれるほど価値あるものだったことが分かりますね。

中宮定子が「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか。」と尋ねると、清少納言は「枕にこそ侍らめ。」と即答しました。中宮定子は、「ではおまえに与えよう。」と和紙をそのまま下賜したそうです。これが『枕草子』のタイトルの由来ともされます。手仕事の紙や美しいもの、知的なものの価値が深く理解されていた時代と、人々ならではのエピソードですね♪

2. シャンルヴェ・エナメルの紅梅の傑作

和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

 今回の宝物はシャンルヴェ・エナメルの傑作です。ただでさえ高級品の証であるエナメル細工ですが、彫金と組み合わせるシャンルヴェ・エナメルはエナメル細工の中でも特に高度な技術を必要とし、美意識の高い人のために作られた最高級品でしか見ることはありません。宝石にしか意識がいかない成金は論外です(笑)

この時代のジャパネスク・ジュエリーというだけで、上流階級の中でも特に高尚で知的なものを好む特別な人物のオーダー品ということは確実です。そのような人物が、梅の花をモチーフに選んだのも興味深いです。

2-1. 清少納言好みの美しい紅梅モチーフ

2-1-1. 枕草子で語られる紅梅

 1001(長保3)年にほぼ完成したとされる『枕草子』は、「虫は」、「木の花は」、「すさまじきもの」、「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」が有名です。繊細で豊かな感性が伝わってくる、季節に関する主張は記憶に残っている方も多いでしょう。

"春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。"
「春は夜明けの時間が最も趣がある。次第に白くなっていく空、山際は少し明るくなり、紫がかった雲の細くたなびく様子・・。」

夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝が最も趣があるとして、それぞれ自説を主張しています。不朽の名作だけあって長い年月、日本人の感性に響き共感されてきました。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

"木の花は、濃きも薄きも紅梅。"

桜や藤などの花が、それぞれにどのような状態が良いか綴る文章はありますが、『木の花』というジャンルに関しては紅梅と評しています。圧倒的な支持です!

2-1-2. 桜をメジャーにした江戸末期の新品種ソメイヨシノ

 現代でお花見と言えば、桜という方が圧倒的に多いと思います。「梅と桜、どちらが好き?」という議論は野暮で、季節も異なるのでどちらも好んで楽しむのが日本人でしょう。桜の時期でも夜桜の時間帯はかなり寒いので、気温の観点では梅よりも桜の方が外でお花見しやすいでしょうか。

外濠公園の夜桜(市ヶ谷 2022.3.28)

現代の桜と昔の桜では、かなり印象が異なるとされます。盛り盛りでお花だけが密集して咲くソメイヨシノは、花の様子も桜吹雪もゴージャスです。新品種として誕生したのは江戸末期で、日本人に好まれたこともあり、明治以降、全国に瞬く間に広がりました。現代では、お花見の桜の8割はソメイヨシノだそうです。

山桜と黄水仙(岡山県北区 2014.4.4)

サラリーマン時代に一時期勤務していた岡山工場は、山の中腹にポツンとありました。門を出ると登山道などもある自然に恵まれた場所で、研究職の裁量労働制を有り難く活かして、よく脱走して遊んでいました。徒歩圏内に見事な桜林がありましたが、目立たない上に名も無き場所で誰もおらず、お弁当を持ってたった一人で堪能しました。同僚たちは嵌め込み窓の食堂で社食を食べていて、本当に勿体無いです。

山の中の自然の桜なので、ソメイヨシノのような華やかさとは異なる、控えめな美しさと力強さが印象的でした。同じように花びらも舞い散るのですが、山桜は桜吹雪のようにブワッとなるほど分量がなく、はらりはらりと儚さを感じさせる散り方が魅力的でした。

山桜と池(岡山県北区 2014.4.12)

これも会社のすぐ近くの池と桜です。車社会なので、こんなに良い時期でも本当に誰もいません。昔は人口も少なかったですし、昔の日本人にとっての桜の時期と言えば、現代のように賑やか過ぎず、このような落ち着いた風情をイメージすると良いかもしれませんね。このような人知れず存在する素晴らしい場所を知ってしまうと、名所とされる場所に渋滞を作ってまで殺到するのは奇妙にも感じてしまいます。

2-1-3. 和歌から分かる梅と桜の寵愛

 日本人のお花見の根底となる習慣は、奈良時代に形成されたとされます。最初は梅花を鑑賞していたそうで、貴族の庭園には高貴の象徴である梅が定番として植樹されました。その人気ぶりは、現存する日本最古の和歌集『万葉集』(奈良時代末期成立、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂)にも反映されています。

湯島天神・梅まつり(東京都・湯島 2015.2.15)

『万葉集』にて梅を詠んだ歌は110首で、桜の43首の倍以上です。ちなみにこれは、湯島天神の梅まつりの景色です。岡山から首都圏勤務になった後、秋葉原に住み、徒歩圏にある湯島天神に立ち寄った時のものです。

平安時代前期に醍醐天皇の勅命で編纂され、最初の勅撰和歌集として905年に奏上された『古今和歌集』では桜がブームだったようで、梅を詠んだのは18首程度に対し、桜は70首と逆転しています。しかし清少納言は『枕草子』(1001年頃)で、木の花と言えば濃きも薄きも紅梅と言っており、梅と桜は甲乙つけ難く"好み"と言えるでしょう。

2-1-4. 香り立つ梅の魅力

 木の花とは別に、日本では百花の王として牡丹が君臨してきました。しかし西洋からゴージャスな薔薇が入ってくると、百花の王として描かれるようになったのは薔薇となっていきました。それはアンティーク着物に如実に反映されています。

アンティーク着物
牡丹とストライプの訪問着(大正~昭和初期)
HERITAGE COLLECTION
薔薇の紋綸子のアンティーク訪問着薔薇の紋綸子の訪問着(大正~昭和初期)
HERITAGE COLLECTION

見た目は薔薇に勝るとも劣らぬ牡丹ですが、大きな違いとしてあるのが『香り』です。

ジョージアンのルビー&エメラルド&ラピスラズリの一輪挿しのバラの香水瓶ブローチ『一輪挿しの薔薇』
香水瓶 ブローチ
イギリス 1820年頃
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人間は視覚だけで判断する生き物ではありません。

五感が有名ですが、特に嗅覚は脳に直接影響し、感情を大きく揺さぶるとされます。

平安貴族の女性も顔を見せない一方で、香りを特に重視していたことは有名ですね。

菅原道真(845-903年)

湯島天神の御祭神でも知られる菅原道真は、特に梅を愛したことで知られます。

菅原道真公の飛梅(太宰府天満宮)
"Dazaifu Tenmangu Plum Tree 2004-03-07" ©David Chart(7 Maaarch 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0

道真の京の都の邸宅『紅梅殿』には、お気に入りの梅の木がありました。藤原氏の陰謀によって太宰府に左遷される際、梅の木に想いを込めた歌を詠みました。

"東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ"
「春風が吹いたら私の元へ香りを届けておくれ、梅の花。主人がいなくなっても春を忘れないで・・。」

この深い想いに寄り添い、その梅の木が道真を慕って一夜で太宰府まで飛んできたのが『飛梅』とされます。咲き誇る見た目ではなく、梅の花の香りというのが深い感情を湧き上がらせてくれますね。学問の神様とされる菅原道真ですが、漢詩も含めた芸術面での、豊かで繊細な感性と表現力が伝わってきます。

みなべの梅干と梅の枝(2015.2.12)

私も太宰府天満宮に行ったことはありますが、地元に約30種500本の梅の木がある梅林寺があり、小さい頃から毎年梅の季節を楽しんでいました。特に蝋梅は香り豊かですが、梅の花はどれも芳しく、空間全体が華やぎますね。

ちなみに秋葉原に住んでいた頃は、日本全国を扱うアンテナショップ『日本百貨店』に寄って帰宅していました。みなべの梅農家さんが梅干を紹介していた際、梅の枝も分けて下さりました。このような粋なサービスも日本人らしいですよね♪

みなべの梅(2015.2.12)

大喜びで頂いて帰りました。

薫り立つ梅の香りに、真心に・・。

花は枯れても、想い出として永遠に心に在り続けます。

そして記憶を想い起こす際は、あの芳しい薫りも一緒に漂ってきます。

梅と桜の選択
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント今回の宝物
フランス 1900年頃
夜桜を舞う梟の赤銅ロケット・ペンダント『夜桜を舞う梟』
両面・赤銅高肉彫り象嵌 ロケット・ペンダント
赤銅:日本 1870年頃、ロケット:イギリス 1870年頃
¥3,800,000-(税込10%)

梅と桜。実物を愛でる分には、季節を違えて両方を楽しめば良いですが、高価なジュエリーを制作するとなるとどちらか選ぶ必要が出てきます。桜はすぐ散る儚さもあって、好まない武士もいたそうです。一方で、その一瞬の美しさに無常や夢幻のような美しさを重ね、唯一無二の想いを重ねる人もいます。

梅はすぐ散る儚さではなく、凛とした高貴な佇まいや、芳しい華やかさに魅力があります。菅原道真のように漢詩にも精通する格調高い知性派の男性や、清少納言のように自分の好きなものがはっきりと分かっている、繊細で豊かな感性と強さ賢さを併せ持つ女性が似合う花です。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

万人ウケする無難な桜と違い、「何でも良いわ。」、「貴方が好きなものが好き〜♪」みたいな女性は、紅梅は選べません。

今回の宝物の持ち主は男性か女性か分かりませんが、いずれにせよ『梅』を選びました。

これは持ち主の、傑出した感性や好みを反映した宝物なのです♪

2-2. 高度な彫金と組み合わせる難易度の高いエナメル

2-2-1. 彫金とエナメルの両方の技術が必要な特殊なエナメル

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 シャンルヴェ・エナメルは地金に溝を彫り、そこに気泡が入らぬよう細心の注意を払いながら釉薬を塗っては炉で焼く繰り返しで作ります。

彫金とエナメルの両方で高度な技術を必要とするため、作ることができる職人も、その費用を出せる上流階級もかなり限定されます。

エナメルの中でも特に出逢うことは少ない貴重なエナメル技法であり、最高級の証です。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

2-2-2. シャンルヴェ・エナメルを主役にした特殊性

 高度な技術と費用を必要とするものの、主役ではなく名脇役として目にするのが同時代のシャンルヴェ・エナメルです。

パンジー エセックス・クリスタル ペンダント アンティークジュエリー『ガーデン・パンジー』
エドワーディアン エセックス・クリスタル ペンダント
イギリス 1900~1910年頃
SOLD
ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー『ダイヤモンド・ダスト』
エドワーディアン エナメル&ダイヤモンド ペンダント・ウォッチ
フランス(パリ) 1910年頃
¥15,000,000-(税込10%)

各ジャンルのエドワーディアンの最高級品で、その中でも特に美意識の高い貴婦人のために制作されたものです。宝石頼りの成金ジュエリーとは真逆で、高度な細工と芸術性を追求した作行がいかにもヨーロッパ貴族らしいです。左は白のラインの内側に、黄金のドットが規則正しく並ぶよう彫金しています。右の時計は複雑なフラワー型のデザインを、外周の白のラインで引き締めています。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 実物大 ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー

実際の大きさを考えると、彫金そのものも超難度ですし、気泡が入ることなく均一にエナメルを施していることも驚異の神技とお分かりいただけると思います。

←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー
←↑実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります

『時を奏でる小さな宝物』である時計は、単なるジュエリーとは別格の存在です。

そのようなレディース・ウォッチの中でも、この宝物はGenが扱ってきた中で別格かつダントツで素晴らしいと言います。

両面の外周にシャンルヴェ・エナメルが施されていますが、それだけでなくネックレスとして下げるパーツの1つ1つにも白いシャンルヴェ・エナメルが施されています。

シャンルヴェ・エナメルを使った宝物
主役 名脇役
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント パンジー エセックス・クリスタル ペンダント アンティークジュエリー ブルー ギロッシュエナメル ペンダントウォッチ アンティーク・ジュエリー

それほど重視される技法ですが、基本的には名脇役です。主役を惹き立てるのは得意な一方で、主役級の華やかさや、並のものには驚かない社交界の人々をあっと驚かすほどのパンチ力は通常は表現できないのです。そのような観点から、シャンルヴェ・エナメルを主役にした今回の美しい宝物は、異例中の異例と言えるのです!

2-3. 縁取りで陰影を表現した独創性と芸術性

2-3-1. シャンルヴェ・エナメルを追求する方向性

 古い時代ほど、エナメル技術の追求は顕著です。名脇役としての立ち位置であっても、主役に勝るとも劣らぬ技術が込められています。

太陽の使い 鶏 ゾロアスター教 ササン朝 ペルシャ ニコロ インタリオ 古代 アンティークジュエリーフランス シャンルベエナメル
実物大 ←等倍

ササン朝ペルシャのイメージに合うようデザインされたシャンクには、エナメルによる複数の色彩だけでなく、彫金による微細な模様も施されています。

かなり拡大していますが、実際の大きさを考えると19世紀初期の最高級品だからこそ成し得た神技とお解りいただけるでしょう♪

『太陽の使い』
ニコロ・インタリオ リング
インタリオ:ササン朝ペルシャ 7世紀頃
シャンク:フランス 1830年頃
¥1,880,000-(税込10%)

ブルー ギロッシュエナメル ペンダント 『忘れな草』『忘れな草』
エナメル&ダイヤモンド ペンダント
フランス? 18世紀後期
SOLD
ダッチローズカット モーニングブローチ アンティークジュエリー『アートな骨壺』
ローズカット・ダイヤモンド 骨壺ブローチ 
イギリス 1849年
SOLD

伝統的に、シャンルヴェ・エナメルの腕の見せ所は彫金技術に意識が置かれます。微小な文字や、複雑で美しい模様などです。左は小さすぎて解りにくいですが、ホワイト・エナメルに装飾的な文字やドットなどがデザインされています。ここでもシャンルヴェ・エナメルは名脇役です。

ルネサンスのルビー&シャンルベ・エナメルのリング
ルネサンスのルビー&シャンルベ・エナメルのリングルネサンス ルビー&エナメル リング
フランス 16世紀後期~17世紀初期
SOLD
クッションシェイプカット・イエロー・ダイヤモンドと青のシャンルベ・エナメルのアンティークのリングイエロー・ダイヤモンド リング
イギリス 1880年頃
SOLD

芸術性や細工物の価値が分からない人にとっては、この2つが解りやすいでしょう。各時代の特別な宝石のリングです。

現代ジュエリーや成金ジュエリーのように石ころをセットしただけでデザインがない、もしくはデザインに個性がないリングは、古の社交界では価値がありません。このクラスの宝石に見合うのが、極上のシャンルヴェ・エナメルです。

シャンルベ・エナメルとカンティーユ&粒金のデミ・パリュール 青のシャンルベ・エナメルのフランスのアンティーク・ピアス
『古からの贈り物』
シャンルヴェ・エナメルとカンティーユ&粒金のデミ・パリュール
フランス 19世紀初期
SOLD

これはカンティーユや粒金などの金細工と並び、ダブル主役と言えるシャンルヴェ・エナメルのHERITAGE自慢のデミ・パリュールです。

曲面に施された複雑で優美なシャンルヴェ・エナメルが見事な、まさに私たちがご紹介するに相応しい宝物でした♪

2-3-2. 色彩で立体をデザインした異例のシャンルヴェ・エナメル

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

 今回の宝物をオーダーした人物は、あっと驚く閃きが得意なアイデアマンだったと推測します。特許を取得する、和紙をセットできるリアル提灯というアイデアも素晴らしいですが、エナメルに関しても独自の閃きを具現化したとみられます。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

この宝物は、紅梅がドラマティックに際立った印象を受けます。

和紙を挟む構造上、透かし細工はフラットな作りですが、肉眼で見ると実際以上に立体的に感じます。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

その原因は、紅梅の黒い縁取りです。提灯の上下の黒い金具や、その他のホワイト・エナメルの様子を見れば、その違いは明らかです。開花した紅梅だけでなく、蕾にも黒い縁取りがあり、明らかに意図して施されています。こうして花びらのフチに陰影が付くことで、エナメルそのものの立体形状以上に奥行を感じるのです!!♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

黒エナメルが紅梅に内側に向けてややグラデーションになっている様子から、まず溝の内側に薄く黒エナメルを施し、後から真紅のエナメルを塗り重ねていったようです。何度も試作しての結果でしょう。黒エナメルが多すぎると、全体が黒っぽくなってしまいます。少なすぎると、狙った陰影が出ません。まさに良い塩梅にグラデーションになっています♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

この表現による紅梅は、非常に存在感があります。だからこそ蕾にご注目いただくと、白梅より紅梅の蕾はかなり小さくデザインされていることが解ります。小さな宝物ですが、この小ささの中にどれだけのアイデアと緻密な計算が詰め込まれているでしょう。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

梅は開花した姿も美しいですが、硬い蕾の時も魅力がある花です。花開いた際の芳香や、美しい姿を想像させてくれる蕾はとても重要です。

完璧な状態、ピークを『理想の美』とするオーソドックスな西洋美術の表現ならば、たとえあしらいに蕾をデザインしたとしても、ここまで情熱の籠ったものにはならなかったでしょう。

咲く前の状態に強い期待を寄せたり、散った後の名残に想いを寄せて理想の美を見出す、日本人の感性と美意識を実によく理解した宝物です♪

2-3-3. 物理的にも立体的なシャンルヴェ・エナメル

 通常、シャンルべ・エナメルはフラットに仕上げます。デザインに於けるフチ取りの役割であったり、彫金の装飾がメインなので、外周や内部の彫金より立体的に盛ることはないのです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

極端に盛られているわけではありませんが、釉薬を高温で溶かして焼成する工程を繰り返すという技法を考慮すると、驚くほど綺麗に立体的に仕上げています。エナメル表面の光の反射に、その凹凸形状がはっきりと現れます。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

まさに表面張力の限界まで盛っています!
花芯のフラットめに仕上げた白エナメルが対比となって、真紅のエナメルの立体感が際立ちます。見事な視覚効果の設計ですし、具現化した職人も見事です!♪

和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

印刷会社の研究開発職だったので、『見た目』に関する検査装置や分析装置も最先端のハイスペック機をいくつも扱いました。人間の眼は高性能なので、機械で数値化したり認識できないレベルの違いでもシビアに感じ取ります。考えてみると解りますが、『雰囲気』や『美しさ』などは定義が不可能で、もちろん数値化ができません。このような美術品は個々人の感性で評価したり、楽しむものです。黒の縁取りと相まって、紅梅の凹凸は物凄く印象的に感じます。2次元の静止画と、3次元の実物では全くの別物と言えますが、私の感動をここから少しでも感じていただければ嬉しいです♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

因みに厳密には白エナメルも、丸い花芯と蕾に関しては僅かに立体的に仕上げています。肉眼で見るのに近い光の描写は、スマホカメラの方が得意です。専用の一眼レフのような微細部分の描写はできませんが、光の反射具合から、ドーム状に盛り上がっていることがご想像いただけると思います。白色は白飛びしやすく陰影の描写が難しい色ですが、明るさを調整してエナメルの雰囲気が最も分かりやすい条件で撮影しました。提灯の金具を表現した上下の黒エナメルも、意図的に立体的に仕上げています。白エナメルの外周フチ取りと枝部分はフラットです。提灯らしさ、梅らしさを色彩のみならず立体的にも表現したエナメルの傑作です!♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

このお金の掛け方を見れば、オーダー主は並の財力ではなかったはずです。

普通は宝石を小さなものでも1粒2粒くらいはあしらいそうなものですが、和紙が挟める構造と、あっと驚くシャンルヴェ・エナメルによる美という部分に徹底しいています。

確かにこの神技のエナメルは宝石不要の主役として、尊敬すべき確固たる価値を備えています。美意識とセンスの極みです♪

2-3-4. ミクロの神技のエナメル

 紅梅の超絶技巧に比べるとホワイトエナメルは地味ですが、このエナメルの神技も見逃してはなりません。特に細い箇所は1mmの半分もなく、幅は0.4mmです。400ミクロン幅の硬い鍛造のゴールドに、さらに細く溝を彫っているのです!

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

白は難しい色です。はっきりムラなく白を感じさせるには、ガラスであるエナメルに相応の厚みが必要です。しかし溝が深くなるほど精緻な彫金は難易度が上がりますし、気泡が入ることなくエナメルを完成させるのも難しくなります。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

この宝物は全てが見どころなのです!♪

3. 贅沢な作りの美意識の高いさりげない宝物

3-1. 精密さを要求する透かし細工のロケット

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 透かし細工の宝物はGenも私も大好きなのでいくつもご紹介してきましたが、透かしのロケットというのはこの宝物のまさに専売特許と言える珍しい構造です。

3-1-1. 二重の透かし細工の難しさ

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

ピッタリと重ね合わせられないと、途端に不細工になります。型を使った鋳造(キャスト)ならば全く同じ形を作るのは得意ですが、この宝物は叩いて鍛えた鍛造の板を透かし細工にしています。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

バリが十分に除去できていなかったり、側面が斜めになっていると、それだけで余計に見えます。見事な出来栄えだからこそ不要なものが視界に入らず、その美しい世界に没入できます。

3-1-2. 1枚の金属板から制作する鍛造の透かし細工

米沢箪笥の透かし金具作りの、鉄板からパーツを切り出す工程1枚の鉄板からパーツの大きさに合わせて切り出す工程 米沢箪笥の透かし金具作りの、鉄板からパーツを打ち抜く行程罫書きに沿って鉄板を打ち抜く行程

 鍛造の透かし細工は、本当に1枚の金属板から作っていきます。型を使うキャストとは作り方も、出来栄えもまるで違いますが、技術的な知識がないとその価値が分かりません。

アトリエ片桐のベルビー赤坂のアンティークジュエリーを販売する店舗Atrier Katagiri店舗内の様子(ベルビー赤坂1年目、1979年)

Genはアンティークジュエリーの仕事を始める前、骨董商の延長で縁あって米沢箪笥の企画・製造・販売も行っていました。実家の米沢を出て、当時日本で流行の最先端が集うファッションビルだったベルビー赤坂の開業時に出店した際、米沢箪笥もお取り扱いしていました。

米沢箪笥の透かし金具作りの、鉄板からパーツを切り出す工程打ち抜いた鉄板から不要部分を引きはがす工程 米沢箪笥通常品の米沢箪笥

私がこの仕事を始める前に研究職を経験したのと同様、Genも天職であるこの仕事にために意味があって経験を積み重ねてきたと確信します。普通の人だと見て理解して満足して終わりだと思いますが、モノクロ写真の時代にも関わらず写真資料として保存していたことに天才性を感じずにいられません。サラリーマン経験のない20代の青年が、記録しておかねばと自費で記録保存していました。そのお陰で皆様にも、今はもうない1970年代、50年以上前の日本の職人のモノづくりの姿をご紹介できます。

3-1-3. 鍛造の鋼鉄の透かし細工から想像するジュエリー制作

 米沢箪笥は朱漆に、黒い鋼鉄の透かし細工の装飾が特徴です。独特の雰囲気と高級感は、欧米人にも高い人気があったそうです。

最高級の米沢箪笥最高級の米沢箪笥 米沢箪笥通常品の米沢箪笥

鋼鉄の透かし細工は厚いほど、指数関数的に技術難度とかかる時間が増大します。高級感と立体感は密接なので、厚みがあるほど実際に高級感や格調高い雰囲気が強くなります。キャストだと量産は容易ですが、透かし金具だからこそ、分量が少なくても強度が出せる鍛造でなければなりません。それでこそ、使う道具として100年以上の使用に耐えられる強度が出せます。新品の状態では違いが分かりにくくても、安易に作ったものは安かろう悪かろうです。

金属の硬さ
金属 プラチナ チタン 鋼鉄
ビッカース硬度 約22HV 約25HV 約50HV 約100 HV 約110HV 約150HV

鋼鉄はいかにも強いイメージがあります。「金は柔らかい。」とされますが、実は純金の鋳塊に限ります。この表の鋼鉄の硬さは一般的な値で、配合や焼入れなど処理でもかなり変化します。

金位とゴールド鋳塊(キャスト)の硬さ
金位 24K (純金) 18K 14K
ビッカース硬度 約22HV 約40~170HV 約200HV

ゴールドも驚くほど硬くできます。今回のフランス製の宝物は18Kです。18Kは鋳造(キャスト)でも、割金の種類だけで一般的な鋼鉄(約150HV)以上の硬さを出せます。鍛造にすると180~220HVの硬さが出せるとされます。ステンレス製のナイフやフォークが200HVとされるので、何と鋼鉄どころかステンレスより硬いゴールドもあり得るのです!

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

今回の宝物は大胆に空間をデザインした透かしロケットなので、一見すると頼りなく感じるかもしれません。イーグルヘッドが保証する18Kゴールド以上の金位ですが、割金や鍛造法を駆使してステンレスを超えるような強度を実現し、120年を超えるロケットとしての耐久性と美しさを実現したと推測できます。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

『細工』は見て技術や手間が分かりやすいですが、割金や鍛造など、ゴールドの物性のコントロールの技術は見た目には分かりにくいものです。これほどのアーティスティックな宝物は、材料としてのゴールドそのものもよほど工夫しなければ実現できるものではありません。想像以上に知性と努力が込められており、職人やオーダー主の天才性にもぜひご注目いただきたいです!

3-1-4. 感動的に精緻な透かし細工

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 現代でも透かしデザインの鋳造(キャスト)ジュエリーは存在しますが、この宝物の微細かつ細部までスッキリとした作りは鍛造でなければ実現できません。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
パンテール ドゥ カルティエ リング ¥2,362,800-(2026年1月現在)Cartier / パンテール ドゥ カルティエ リング©2025 カルティエ

そもそも溶かして固めるだけの鋳造のゴールドは、叩いて鍛える鍛造のような強度が出ません。だからジュエリーとしての強度を出そうとすると、分量を多く必要とします。

教養ある王侯貴族とい違い、素材しか見られない層は「ゴールドをたっぷり使用しているので高級です!」という誤魔化しを簡単に鵜呑みにします。

トータルコストとしては技術費や人件費がかかる鍛造の方が高くなるのですが、安く作れる方にむしろ大金を出してくれるのでボロい(楽してボロ儲けできる)商売です。

昔は"大阪のオバチャン"のイメージがあったヒョウの頭、私も出来栄えによっては嫌いではありませんが、成金など自己顕示欲強い系の人はヒョウの頭が好きなんですかね。カルティエは他にネタがないのか、バリエーション違いのヒョウだらけが定番化しています(笑)全世界のいくつもの店舗やHPで販売できるよう量産するので、もちろん型を使った鋳造です。それでも一応価格的には高価なので、現代の技術で商業的な量産が可能な範囲で、上限値まで綺麗に作ろうとしてこのレベルと推測します。

【参考】鋳造の量産ダイヤモンド・リング

1点を大層っぽく展示していると凄そうに見えるかもしれませんが、制作工程ではこのような感じで、ワックスツリーにヒョウの頭が鈴生りに実った感じでしょうか。

【参考】樹脂を石膏の中で蒸発させて型を作り、鋳金を流し込んでジュエリーを制作する工程
カルティエ リング
¥2,362,800-(2026年1月現在)
Cartier / パンテール ドゥ カルティエ リング©2025 カルティエ

これは宝石を爪留する工程が不要なので、カルティエのこのタイプのリングとしては安くてお買い得なのかもしれません。

もっと安物の現代ジュエリーだと鋳造のクオリティも低いので、ヌルッとした気持ち悪さを感じる外観だったり、イカつく感じるほどボテっとしていたりします。

型離れを考慮する必要があるからです。

天然真珠のフランボワーズのアールヌーヴォー・ゴールド・ネックレス『フランボワーズ』
アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス
フランス 1890~1900年頃
¥2,200,000-(税込10%)

これは同じ18ctゴールドの鋳造品ですが、量産のための鋳造ではなく、蝋型鋳造(ロストワックス鋳造)という1点ものを作るための技法で制作された宝物です。

蜜蝋や木蝋、松脂に土などを使用した、日本でも古来からある技法です。複雑で精緻な形状が表現できること、原型の流麗で柔和な風合いが鋳造物に移植できることが特徴です。鋳造の中では最も精度が高い技法とされますが、型を壊して取り出すため、1度しか使えません。

複雑な造形や独特の質感を作るのに適した、贅沢な技法です。強度の問題があるため、アンティークのハイジュエリーでは、透かし細工は鍛造で作ります。

【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1930年代)

第一次世界大戦でヨーロッパの従来の王侯貴族は力を失い、以降の高級ジュエリーの主要顧客は新興成金へと移っていきました。

鋳造でもその土台に後から職人が手を加えることでマシにできますが、1930年頃でも既にボテっとしています。

【参考】ダイヤモンド ブローチ(1940年代) 【参考】ダイヤモンド ブローチ(ブシュロン 1940年代)

高度な技術と手間をかけた線の方に細く鋭いナイフエッジも、鍛造の板を丹念に磨き上げることでしか具現化できません。鋳造(キャスト)のナイフエッジは存在感を主張しすぎて美しくありませんし、もはや「ただの線や棒で良いだろう」と言わんばかりの美意識のない怠惰なジュエリーで溢れかえるようになりました。戦後を待たずにです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

実際の大きさを考えると、いかに手仕事で凄いことをやっているのかお分かりいただけると思います。三角形の窓の角も、スッキリとした作りです。右の紅梅と、下部の白い枝は隙間が設けられています。もちろんシャープペンシルの芯(0.5mm)は全く通らないレベルの、極細の透かしです!

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

これだけ拡大しても極細です。もちろん道具から職人が自作する世界の仕事です。この枝は端部が独立しているのも印象的です。左の紅梅も、左側は1本の線でしか本体フレームに連結していません。特別に調合したこの18ctゴールドが、特別に強靭さを持つからこそできるデザインでもあるのです!

透かし金具の道具透かし金具を作る道具

ダイヤモンドのカットも磨く工程が本番で、最も時間もかかります。透かし細工も同様です。だから道具一式の中でもヤスリの種類は特に多いです。

米沢箪笥の透かし金具作りの、鑢で磨いて仕上げる工程鑢で丹念に磨いて仕上げる行程 米沢箪笥の透かし金具作りの、透かしを鑢で磨いて仕上げる工程鑢で丹念に磨いて仕上げる行程

物理的に磨くヤスリは、自身も摩耗していく消耗品です。粗い番手から細い番手に徐々に落として仕上げていくので、大きさのみならず表面粗さもバリエーションが必要です。細かい部分を磨くには、より細いヤスリが必要となります。ただ、細いほど消耗しやすく、少し調子が狂っただけで簡単に折れたりもします。

Genが米沢箪笥を辞めた理由はいくつかあります。1970年代には様々な原材料の質も、分かる人にははっきり分かるほど低下していました。材木、漆、そして鋼鉄に関してもです。私も銅板やステンレスも会社で扱っていたので、この辺りも具体的にイメージできます。同じ組成でも、介在物の混ざり方や大きさで金属の物性は変わります。突如不良品が大量発生するほど、その影響は大きいです。

同じように磨いていても、材料の質が悪くなったことで特別製の細いヤスリがすぐ折れるようになったと職人さんが嘆いていたそうです。私が経験したのは酸処理(エッチング)での溶け方への硬く溶けにくい介在物の影響でしたが、物理的な研磨でも、限界に挑むようなシビアな領域では、極小の硬い介在物がセンシティブに影響することが想像できます。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

シャープペンシルの芯より細いヤスリで限界まで削り上げ、シャープに仕上げたからこそのスッキリとした作りです。ここまで拡大してようやく、手仕事であることが伝わってきます。こんなものを手作業で作るなんて信じ難いレベルです!しかし、職人の高度な手仕事でなければ作れないものでもあるのです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

ロケットを開くと自立できます。

小さな宝物の美しい透かし細工を見ているだけで、心の底から満たされます。

どの角度からも見応えがあります♪

3-2. 薄い和紙を固定できる精緻な作り

3-2-1. 今回のロケットの特殊性

 通常のロケットは透かし細工ではなく、入れる物もある程度の厚みがあるものを想定しています。写真、布、編んだ髪の毛などです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

今回の宝物は両面が透かし細工なので、一切の誤魔化しがききません。また、薄い和紙を想定しているので通常のロケットより遥かに精密な作りを要求します。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

撮影用に、特に薄い和紙を挟んでみました。背景は昭和初期(1920〜1930年代)の日本のアンティークの古布で、宝物よりは新しいです。透け感から、かなり薄い和紙が固定できていることを感じていただけると思います。

3-2-2. 和紙を使った灯りのヨーロッパにはない魅力

ナイツブリッジの日本村でのアフタヌーンティー(ロンドン・グラフィック 1886年3月13日)
"Afternuun-Tea-at-Japanese-Village-Knightsbridge-1886" ©British Library Newspapers (March 13, 1886), London, England(13 March 1886)/Adapted/CC BY-SA 4.0

提灯は日本人にとって日常具の1つでした。これは1885年1月から1887年6月に展示された『日本村』です。約100人の日本人男女を雇用したリアルな文化紹介施設でした。来場者は100万人を突破したそうです。軒先に提灯が吊るされた光景です。

金ボタル(ヒメボタル)までの道を照らす提灯(岡山・吹屋 2014.7) 地元の子供が描いた提灯

これは岡山で金ボタルを見に出かけた際のものです。水辺でなく、山中で見られる珍しいホタルです。1年で僅か10日ほどしか見ることができない、ホタルが子孫を残すための最も重要なタイミングです。人工的な光があると自然の営みを阻害してしまうため、現場での携帯やカメラのフラッシュ、タバコなどの光は厳禁で、距離を置いた駐車場から歩けるよう道案内の提灯が灯されていました。提灯の灯りは今では見る機会が少ないですが、和紙を通した優しく温かな光が和みます。

パリのアレクサンドル3世橋の街灯(ロシア皇帝ニコライ2世により寄贈 1900年)
"Street lamp 2, Pont Alexandre-III, Paris December 2012 " ©Michel Petit from Issy-Les-Moulineaux, France(2 December 2012)/Adapted/CC BY 2.0

これは1900年のパリ万博に合わせ、ロシア皇帝ニコライ2世が建設・寄贈したアレクサンドル3世橋の街灯です。ロシア皇帝が威信をかけて作らせたものなので、ガラスの芸術として当時の最高級品質と言えます。装飾のないただのガラスと比べると光の屈折や拡散で美しいですが、提灯の和紙を通した光と比べると直接的です。

パリのアレクサンドル3世橋(ロシア皇帝ニコライ2世により寄贈 1900年) "Pont Alexandre III 02" ©Larry Johnson(2009)/Adapted/CC BY 2.0

透明ガラスだと、どうしても照明部分しか明るくなりません。

Jebulon permittedパリ・ルーブルのナポレオン3世様式の街灯 蝋燭式ランタン
"Weiße Kerze in Metallwindlicht " ©4028mdk09(17 January 2012)/Adapted/CC BY-SA 3.0

鉄とガラスのランタンも装飾は可能ですが、気軽にできるものではありません。街頭やある程度お金持ちの家ならまだしも、庶民の日常用の道具だと機能があるだけの簡素なものだったでしょう。まあでも、これだけ装飾されていても、鉄と透明ガラスのランタンではいまいち綺麗で明るい輝きとはなりません。

『現代美人第一輯 岐阜提灯』(伊東深水 1930/昭和5年) 地元の子供が描いた金ボタルの提灯(岡山・吹屋 2014.7)

提灯の明るさは独特です。右は昔ながらの蝋燭ではなむ電気照明ですが、それでも和紙だからこその温もりある光があります。植物由来の半透明の繊維が、複雑に絡むのが和紙です。そこに光が拡散し、独特の光の質感が生まれます。洋紙でも作れなくはありませんが、折りたたみ式の提灯だとしなやかで耐久性がある和紙の性能が日常具として必須です。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

和紙あってこその美しい提灯と言えます。日本人だと当たり前すぎて、"ありふれた材料に過ぎない和紙"に注目したこのような宝物は発想できなかったでしょう。和紙への心からの尊敬を感じられるこの宝物は、いかにもヨーロッパ上流階級らしいと感じます♪

3-2-3. 日常がアートに彩られた夢の国

 ガラスと鉄のヨーロッパのランタンにはできなくて、和紙と竹で作る提灯にできることがあります。それは、庶民の日常生活にまで思い思いの芸術を行き渡らせることです。

提灯の絵付け作業(明治 1880-1890年頃)

これは専門の絵師が提灯に絵付けする様子です。神社や店の看板として文字を入れることもありましたし、神紋や家紋を描くこともありました。『文字』と言ってもフォントであったり、視認性の良さや目立たせる工夫など無限にバリエーションがあり、実はかなり奥深いものです。

提灯の絵付け作業(日下部金兵衛の工房 1890年頃)

手間をかけて綺麗な絵を描くこともあれば、大量生産のためにササッと勢いのある絵を仕上げたり、シンプルな絵や文字で済ませることもあったでしょう。このような感じならば、庶民の日常品であっても季節ごとに絵を変えたりしやすいです。以前詳細はご紹介しましたが、日常具として美しい提灯が発展したのは江戸時代でした。

八女提灯 "Yamechouchin" ©高山朱美(20 June 2017)/Adapted/CC BY-SA 4.0

提灯は元々、盆提灯のように宗教的な祭礼や儀式に使っていました。

八女提灯(福島提灯)の産地・福岡県八女郡福島町で1850年代に、長い1本の竹ひごを螺旋状に巻いて使う割骨(一条螺旋式)と、障子紙より薄い和紙を組み合わせた提灯が考案されました。

和紙の厚みで、透過光は大きく変化します。

薄い和紙へ色彩豊かに自然界のモチーフを描いたことで、蝋燭を灯すと『幽玄の美』や『風雅な世界』が浮かび上がるようになりました。

繊細で豊かな感性と、美意識の高さを併せ持つ日本人が最も好むものですね♪

『縞揃女辨慶』(歌川国芳 1798-1861年) 『現代美人第一輯 岐阜提灯』(伊東深水 1930/昭和5年)

これが涼み提灯として大歓迎され、盛夏には軒下や楼上などに下げて納涼用として楽しまれるようなりました。夏なのに、火を使って涼やかさを感じる芸術というのも面白いですよね。

『花乃宴』(香蝶楼国貞 1786-1865年) 夜桜を舞う梟の赤銅ロケット・ペンダント『夜桜を舞う梟』
アングロジャパニーズ・スタイル 両面・赤銅高肉彫り象嵌 ロケット・ペンダント
赤銅:日本 1870年頃
ロケット:イギリス 1870年頃
¥3,800,000-(税込10%)

幽玄をこよなく愛する日本人は夜桜も大好きです。現代社会のように電気の灯りで夜もずっと明るいということはなく、月や星の灯りだけの暗闇の中、提灯の優しい光やそれで照らされた夜桜はとても美しかったでしょう♪

Genが魅了された会津若松の向瀧旅館の雪見ろうそく 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント今回の宝物
フランス 1900年頃

江戸は小氷期でしたが、現代は雪が積もる場所も減っています。豪雪地域・米沢育ちのGenが魅了された会津若松の向瀧旅館も、2026年1月4日現在、雪不足でまだ雪見ろうそくが開始できていないそうです。いつもは透かし細工の竹筒の照明が、雪原を美しく照らします。白い雪は光が映えます。涼み提灯しか目がいかないのは本当にもったいなくて、雪景色の中、温かな提灯の光や照らされた梅、椿、福寿草などを眺めるのも乙なものです。

中国の折り畳めない提灯 日本の折りたためる提灯
Silentpilot permitted中国の春節を祝う紅提灯 提灯の火袋に屋号などを書き入れる職人(1914年9月1日)
"Painting Paper Lanterns of Japan(1914 by Elstner Hilton)" ©A.Davey from Portkland, Oregon, EE UU(1 September 1914)/Adapted/CC BY 2.0

中国の提灯は布を貼ることが多く、竹ひごを縦に通す折り畳めない構造が一般的です。対して折り畳める日本の提灯は収納も容易で、季節の移ろいに合わせて気軽に代えやすいです。

『風流七小町略姿絵 かよひ小まち』(歌川豊国 1795年頃) ロンドンの夜の見回り(トマス・デッカー 1608年)

ガラスと鉄の無骨で重いランタンは男性でなければずっと持ち歩くのは辛そうですが、軽い提灯は女性や子供でも簡単に持ち歩けます。

趣味の良い装飾が施された提灯を持てば、女性の美しさもより惹き立ちますね♪

『岡場所錦絵 辰巳八景ノ内』(香蝶楼国貞 1786-1865年)
【出典】国立国会図書館貴重書画データベース

かなり巨大に見えても、提灯だからこそ高下駄の女性でも気軽に持つことができます。鉄とガラスの無骨なランタンが当たり前のヨーロッパから来日した上流階級やエリートがこの光景を見たら、驚いたに違いありません。

フランスのジャパネスクのルビー&ダイヤモンドの提灯クラバット・ピン『道を照らす黄金提灯』
ジャパネスク クラバット・ピン
フランス 1900~1910年頃
¥420,000-(税込10%)
フランスのジャパネスクのルビー&ダイヤモンドの提灯クラバット・ピン

その驚きと感動を、今回の宝物とは別の形で具現化したのがこのクラバットピンです。遊び心や作りの良さ、上流階級やエリートの中でも特に知的階層から好まれたジャパネスクというモチーフから、どちらもメンズ・ジュエリーとして作られたと推測します。

和紙を通した蝋燭の灯りは、温かみある黄金の輝きともリンクします。ステータス・ジュエリーとしてのリアルな構造と美しさは、日本と直接関係ある仕事をしていた人物の証かもしれませんね。

『子供遊五行 てうちんの火』(歌川国芳 1798-1861年)

美しい装飾が施された提灯は、子供の遊びの中にも存在しました。無骨で重たい日常用ランタンならまずあり得ない光景ですね。

これこそまさにウィリアム・モリスがアーツ&クラフツ運動で目指した理想世界でした。

ウィリアム・モリスのデザイン
『アカンサス』(1875年) 『いちご泥棒』(1883年)

モリスの名前やアーツ&クラフツ運動というブランドで楽して儲けたい人や、表面的にしか物事を見ない(しかし自分は完全に理解していると思い込んでいる)人などによって、単なるデザインだけが独り歩きしている状況にあります。これはモリスの本来の思想を軽んじ、無視し、むげにする本当に酷いことです。

ウィリアム・モリス(1834-1896年)1856年の自画像、22歳頃

モリスが生まれた時代のイギリスは産業革命が進み、粗造濫造の無個性な大量生産品で日常が溢れかえっていました。

かつての職人は存在せず、工場の単純作業のオペレーターと成り下がっていました。誰がやっても同じ、いくらでも替えがきく仕事。そこにプライドなど存在せず、作られる製品もそのような心と魂の宿らぬ、カタチだけの空虚なものばかりです。

そのようなものがどれだけ数多く存在しても、心が芯から満たされることは永遠にありません。現代を生きるHERITAGEのお客様ならば、きっと共感できるでしょう。

眼光鋭い鷲のローズカット・ダイヤモンドのゴールド・クラバットピン『EAGLE EYE』
ゴールデン・イーグル クラバットピン
フランス 1890年頃
¥1,500,000-(税込10%)

モリスの時代でも、王侯貴族のための最高級ジュエリーには優れた職人による芸術的な手仕事が存在しました。

しかし、あくまでも上流階級のためのものであり、特別なものとして作られたもの限定です。

ほうき・ざるなどの行商、Basket and broom peddler(1890年頃)
【出典】小学館『百年前の日本』モース・コレクション[写真編](2005) p.127

日本同様、産業革命によって大量生産・大量消費社会が到来する以前はヨーロッパにも優れた手仕事が当たり前に存在しました。日常の雑器に至るまでです。日本人の器用さや細部までの徹底したこだわり、美意識の高さは別格なので、ここまでではなかったにしてもです。

ホームメイドの草鞋(エルストナー・ヒルトン撮影 1914-1918年)
"Home Made Shoes in Japan (1914-09 by Elstner Hilton" ©A.Davey from Portland, Oregon, EE UU(1 Septemer 1914, 00:00)/Adapted/CC BY 2.0

庶民の日常用の雑具まで、高度な手仕事と作り手の真心が宿る暮らし。作った人への感謝を抱きながら、壊れても修理して使い、修理できなくなったら転用して最後まで使い続ける。そのような心豊かな生活は幸せです。

『今様見立士農工商』より「職人」(歌川国貞 1857年)

手描きの一点もののの高価な錦絵が存在する一方で、庶民でも気軽に買える家内工業の量産の浮世絵も存在しました。日本人にとっては緩衝材にするような扱いでしたが、欧米人が見たら凄く価値あるものと思い込むようなクオリティだったのはさすが昔の日本人という印象です。日本人にとって大した価値がなかったことを後から知り、アールヌーヴォーで活躍した美術商サミュエル・ビングがガッカリしていたエピソードも残っています。

PD『日本の市場』右:コオロギが入った虫籠の店(鳥居清広 1750年頃)

流行や季節の移ろいに合わせて飾る絵を変えたり、提灯や団扇にも季節のモチーフ。当時、世界最大の花の市場があったのも江戸です。お花を生ける豊かな暮らしが当たり前に在りました。昔はバスの中にも生花が生けられていました。記憶にある方はもう少ないでしょうか。いつしか造花となり、いつの間にかそれすら消え去りました。虫の声を愛でる文化も、上流階級だけの高尚な文化ではなく庶民の日常に浸透していました。

折形の一例 "Yamaneorigata" ©折形礼法(3 October 2014, 14:57:59)/Adapted/CC BY-SA 4.0 水引を結ぶ女

御進物を送る際の折形や水引のように、御進物も単なるモノだけでなく心と教養を込めた芸術の域に達していました。箸置き、ごま塩入れ、薬入れなど、日用品や消耗品に至るまで何もかもが芸術で満たされていました。

折り紙で遊ぶ子供たち(宮川春汀 1873-1914年) PD折り鶴

幼少期から当たり前だった時代の日本人には凄いことだと認識できなくても、そうでない欧米人や現代人が見たら、「ここまでしてくれるの?」、「自分でやったの?!」と思う感動のクオリティと心遣いだったはずです。

ウィリアム・モリスの自宅兼工房『レッド・ハウス』(完成 1860年)
 "Philip Webb's Red House in Upton" ©Ethan Doyle White(15 May 2014)/Adapted/CC BY-SA 3.0

開国した日本の美術工芸品や文化は、アングロ・ジャパニーズ・スタイルとしてイギリスを皮切りに、欧米社会に大きな影響をもたらしました。モリスは産業革命以前となる中世の暮らしを理想としました。「"芸術"は優れた手仕事によってのみ生み出される。」という考えの元、高度な手仕事による美しい日常品に囲まれていた世界を再現しようと試みたのです。その一貫が、自宅兼工房として建築家フィリップ・ウェッブと共同設計した『レッドハウス』です。

『レッド・ハウス』の窓(エドワード・バーン=ジョーンズのデザイン 1860年頃)

内装もこだわっており、だからこそモリスの壁紙のデザインは多いですし、オーダーでこのような装飾窓も作られています。ただ、これはモリスがお金持ちだったからこそできたものでした。

モリス商会の壁紙を職人が手作業で印刷する様子(メロトン・アビー1890年)

中世の手仕事に帰り、ギルドの精神を実現させ、高度な技術を持つ職人による"芸術性が高い"モノづくりを目指す。その理想は素晴らしかったのですが、時代が合わず、高価なものとなり過ぎました。職人の人件費、手間と技術を込めた丁寧なモノづくりは、価格競争には勝てませんでした。必要最低限の機能さえあれば良く、長持ちはどうでも良くて、とにかく買う時に安いことが一番という人が庶民の圧倒的大多数を占めました。庶民の日常品や消耗品に至るまでに美意識と心の豊かさをというのは、一度大衆が大量消費社会を知ってしまうと後戻りはもう無理なのです。

『カーネーション、リリー、リリー、リリーローズ』
(ジョン・シンガー・サージェント 1885年)

当時の日本にはその理想世界が存在しました。しかも、かつてヨーロッパに在ったレベルより、遥かに高い領域にです。それを象徴するのが、装飾された薄い和紙と蝋燭の光で表現する提灯の幽玄の美です。ヨーロッパ上流階級の人々はどのような想いで提灯の美しい灯火を見ていたでしょう。在りし日のヨーロッパに想いを巡らせたり、日本という異国の特異な文化に想いを馳せたり・・。

3-2-4. ハンドメイドの見事な作り

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

 障子紙より薄い和紙を使うことでより幻想的な透過光が生まれ、描いた装飾がより幽玄を醸し出すようになりました。

どうせならば、障子紙や布よりうんと薄い和紙をセットしたいものです♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
←実物大
ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

薄い構造は誤魔化しができません。研究開発に携わると、コンパクト化する方向の方が様々な技術を要し、それに伴うコスト増の甚大さも体感できます。成金のように大きくて重いほど喜ぶのは、知性と品性を重んじる上流階級にとっては恥ずかしいことです。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

本体の厚みは1.2mmで、和紙を固定する裏側の土台は0.2mm厚しかありません。200ミクロンという、完全にミクロの細工です!

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 薄く精度の高い作りによって、薄い和紙を確実に固定することを可能にしています。
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

透け感もカメラでの描写が困難な質感の1つですが、少し薄暗い日に撮影しました。影絵のような、このような姿も楽しめます。アールデコは日本美術の影響が強く出た美術様式なので当然と言えば当然ですが、アールデコのようなスタイリッシュで勢いのあるデザインも魅力的ですね。時代的にはアールヌーヴォー全盛期の1900年頃の制作なので、時代を先取りした宝物と言えます♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

明るい日だと、後ろに蝋燭などの光源がある、実際の提灯に近い雰囲気が出ます。和紙そのものが発光しているかのように明るいです。見事な変化です♪

裏側

和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

裏側も見せたいくらい美しい作りです。

フランスの特許マークすらも、在りし日を証明する美しいデザインの一部となっていますから・・♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

黄金と和紙だけの組み合わせも、実際にとても美しいです。黄金のシルエットが神々しささえ感じます♪

着用イメージ

シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑
軽量で着けやすく、とても品の良いペンダントです。
シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑
透かし細工だからこそ、お召し物の色や柄で雰囲気を変えやすいです。
コーディネートも楽しい宝物です♪
シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

単体だと透かし細工ならではの軽やかさが美しい一方で、和紙をセットすると提灯らしさや存在感が強まります。
撮影に使用したカット済みの和紙は差し上げますが、ご自身で和紙を求めて巡ったり体験したり、骨董の和紙を探してみる、知的な旅に出かけても楽しそうです。これだけの宝物が誘ってくれる人生の旅路は、良い出逢いに溢れているに違いありません♪

シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

学問の神様にあやかったり季節関係なく楽しんでいただける宝物ですが、季節感を気にされる場合は、シーズン以外は本当に裏面で着用されても良いでしょう。大きいと違和感を感じる可能性がありますが、小さいのでシルエットが美しさが際立ち、フランス語の彫金もアクセントになってくれます。色彩あるリアルな梅ではなく、心象風景を表したような黄金のシルエットだと、季節関係なく楽しみやすいと思います。

シャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かし提灯ペンダントの着用イメージ
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント ←等倍↑

和紙をセットすると華やぎます。金価格が高騰していることもあり、18ctゴールドの繊細で美しいジュエリーとして楽しむのも本当にアリだと思います。使い方は無限大、マルチユースの透かしロケット・ペンダントです♪♪

余談

 生まれた時から存在するが故に、現代の日本人は『日本』という国号がいつ成立したのか、『日本文化』はどう生まれ確立していったのか、"最初"や"過程"について意識して考えることは殆どありません。日本という国号は持統天皇の時代(在位:690-697年)から使われ始めたとされます。壬申の乱で天智系から天武系に移るまでは『倭』でした。

日本初の太上天皇となって垂簾政治を執った持統天皇(645-703年)

同時代の武則天の垂簾政治は有名ですが、持統天皇も孫の文武天皇を14歳で即位させ、自身は史上初の太上天皇として譲位後も垂簾政治を執っています。

それだけでなく、壬申の乱を主導した黒幕も持統天皇だった可能性が示唆されています。

政争を避けて夫の大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に隠棲した際は帯同し、『日本書紀』(720年完成)によると「ともに謀を定め」と記載されています。

少なくとも壬申の乱の計画に関与しており、主導的な立場だったと見る学者もいます。壬申の乱で地方豪族・尾張大隅が天皇に私邸を提供したことが『続日本紀』(737年完成)にあり、ここで言う天皇が天武天皇ではなく持統天皇に当てる説もあります。

どちらか断定するのは難しいにしても、そのような説が存在し、一定の支持があること自体が興味深いですね。『日本書紀』によれば天武天皇の在位中、皇后は常に天皇を助け、側にいて政事について助言したそうです。夫の天武朝から孫の文武朝まで、実質の最高権力者だったと見る方が自然に感じます。

同時代の実質上の最高権力者
持統天皇(645-703年)勝川春章『錦百人一首あつま織』18世紀 武則天(624-705年)唐朝

持統朝に使われ始めたとみられる『日本』の国号は、持統天皇が697年(武則天の周/武周の年号は神功)に譲位し、太上天皇として垂簾政治を執っていた701(大宝元)年に大宝律令で初めて法的に制定されました。正式採用によって対外文書での使用が定められ、702年に遣唐使が唐(当時は周/武周)の女帝・武則天に謁見し、『日本国』と名乗ったことで中国側からも正式に日本の国号が認められました。

改造紙幣 壹圓券(1881/明治14年)

日本は女帝で始まったとも言えます。大政奉還によって政権が天皇に返上され、明治新政府がお札に選んだ肖像の全てが神功皇后だったのも意味深ですね。適当ということはあり得ず、きちんと背景が存在します。読み解いたり理解には学校では習わない膨大な知識が必要ですが、ご興味がある方は調べてみると、新しい世界が見えてくるかもしれません。歴史は習うタイミングでも大きく変遷するので、今はそうなのかと意外な発見も多いと思います。

和紙を挟むための紅白梅の提灯ロケットの裏側のフランス特許の刻印

ところで現在の日本の元号『令和』の由来は、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』に収録された『梅花の宴』でした。

『日本』という国のまさに黎明期、730年に太宰府の長官である太宰師・大伴旅人の邸宅で開かれた宴です。

太宰師・大伴旅人(665-734年)

大伴旅人は公卿・歌人で、『万葉集』に78首もの和歌が選出されています。

酒をこよなく愛し、お酒を讃(ほ)むる13首が遺されていますが、『梅花の宴』では太宰府で活躍した歌人集団『筑紫歌壇(つくしかだん)』と共に梅花を題材にした32首を詠んでいます。

当時、梅は唐から渡ってきた稀少で特別な木でした。高貴な佇まいと風雅な香りが好まれ、貴族の邸宅に植えられていました。

旅人による梅花の宴の序から『令和』が発案されたとされます。

"初春の月にして 気淑く風らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす"
(初春月 氣淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香)

「時あたかも新春の好(よ)き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」
(『令和』考案者とされる中西進氏の著書『萬葉集 全訳注 原文付』(1984/昭和59年)より)

353年蘭亭曲水図 (山本若麟 1790年)

『蘭』の登場に違和感を持った方もいらしゃると思います。旅人の序文は中国・東晋の貴族で政治家の王羲之(おうぎし、303-361年)の『蘭亭序』をオマージュしたからです。王羲之は会稽山の麓にある名勝『蘭亭』で曲水の宴を催し、そこで作られた詩37編(蘭亭集)の序文として書いたものが蘭亭序です。酔って、心のまま筆を動かして描かれたものでした。後でシラフの状態で何度も清書を試みましたが、草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられています。

王羲之(おうぎし、303-361年)

長い間、中国は日本にとって憧れの先進大国であり、学びの対象でもありました。第二次世界大戦後の文化大革命は酷いものです。今の多くの世代は以後の中国しか知りませんが、そのイメージで昔の中国を考えると頓珍漢になります。

実は高校で漢文がとても面白かったので、大学で第二外国語として中国語を選択しました。文系用の講義までお邪魔して、理系には不要な単位までとったほどです(笑)

漢文は現代中国人にとっては古文なので、今の中国人が読めないようなものを日本人が高校で学ぶというのは驚きだったりするそうです。

8世紀の日本貴族が、4世紀の中国の貴族文化を教養として熟知し、引用しているのも興味深いことです。

唐の第2代皇帝・太宗 李世民(598-649年)

王羲之は『書聖』と言われるほど書家としても有名でした。

唐の皇帝・太宗(李世民)は王羲之の書を愛し、真行290紙、草書2,000紙を収集しました。死去に当たっては例の『蘭亭序』を自らの陵墓に副葬させたとされます。

自国のみならず他国についても、文化を担う王侯貴族は古今東西の教養がなければ話にならないことが感じていただけるでしょうか。

学校の勉強だけで満足し、全てを理解したと思い込んでも庶民としての日常生活には何ら問題ありませんが、王侯貴族の文化も理解していると思い込むのは酷い傲慢怠惰なのです。

持統天皇(645-703年)

日本が黎明期だった大伴旅人の時代、他の王侯貴族も同等の教養を持っていたからこそ、『蘭亭序』をオマージュした和歌が詠めました。

私は1月生まれで、1月に初和歌を詠むことに因んで和歌子と父が名付けたそうです。

現代でも宮中では皇室主催で『歌会始の儀』が催され、今なお立場によっては必須の教養です。日本の黎明期から脈々と受け継がれているからこその『令和』の命名と言えます。

周辺知識の有無で、その理解度は雲泥の差が出ます。

フラワー・オブ・ライフ
 "Flower-of-Life-small" ©Life of Riley(29 November 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0
紅梅(千里梅林 2006年)
 "Senri-Bairin Minabe Wakayama00bs1500" ©663highland(25 February 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0

1300年前の日本国の黎明期となる天平の世、『梅花の宴』に因んだ令和の元号は、英語で『Beautiful Harmony』と説明するよう外務省が推奨しています。文字通り『美しい調和』を意味するとされ、手話では花の蕾が開くような表現が採用されているそうです。

秩序ある美しく調和するシステムとしての『コスモス(宇宙)』、それを表現する神聖幾何学『フラワー・オブ・ライフ』、『天球の音楽』という概念を知っていれば、想像以上に深い意味のこもった元号であることがご想像いただけると思います。古代から限られた人々にだけ伝わってきた秘密の叡智が、ここでも顔を出すのです。導入編レベルしか触れていませんが、この概念は世界中の王侯貴族層にとって基本中の基本であり、アンティークジュエリーの理解にも必須なのです。

【国宝】『紅白梅図』(尾形光琳 1658-1716年)MOA美術館
和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

尾形光琳の『紅白梅図』は海を渡り、1873年にウィーン万博で展示されました。それに感銘を受け、クリムトは金箔作品を生み出しました。

梅はしなやかに伸びる枝ぶりも、独特の美しさがあります。クリムトと同時代のこの宝物も、日本美術で最も著名な1つとされる『紅白梅図』にインスピレーションを受けて梅がデザインされた可能性は高いでしょう。

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

しかし単なる日本美術のオマージュにとどまらず、あっと驚く工夫がなされているのがこの宝物の特別たる所以です!♪

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント 和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント

ジャパネスク・ジュエリーはヨーロッパの貴族文化とは異なる、日本特有の武家文化に影響を受けた研ぎ澄まされた美、シンプル・イズ・ベストを体現したものが一般的です。この宝物がどこか雅な雰囲気を強く感じさせるのは、日本の黎明期から受け継がれてきた公家文化を根底に備えているからなのかもしれません。

開国後、元公家や高位武家は近代日本貴族である華族として政治や外交を司りました。この宝物のオーダー主も、同等の身分である日本の華族に披露したと思います。良く出来た自慢のジャパネスクの宝物は、日本の貴族にもどう思うか聞いてみたいものです。きっと賞賛され、日本美術をヨーロッパのジュエリーに見事に融合・昇華させたことをとても喜ばれたと思います。それを120年以上も後の時代を生きる私たち日本人が評価し、美しい宝物として愛したならば、当時の貴族たちも心から喜んでくれることでしょう・・♪

 

和紙の提灯を再現するシャンルヴェ・エナメルの紅白梅の透かしペンダント
 清少納言が愛した紅梅。紅梅と白梅のそれぞれとして見ても良いですし、1本の木に紅白の両方が咲き縁起が良いとされる『源平咲き』と見ることもできます。寒い季節に咲く花ですから、雪化粧の紅梅と見ることもできます。見る人や見方によって見える情景が変わるのは、日本人がこよなく愛した『不完全の美』を体現できた証であり、最もアーティスティックな宝物と言えます。ぜひ、多様な景色を心の眼で眺めて楽しんでいただきたいです♪