No.00369 フランボワーズ |
美麗なグリーン・ゴールド&天然真珠の瑞々しい果実♪
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見事な立体造形がなせる豊かな表情の変化♪ |
生き生きとしたリアルな葉や棘、枝ぶりの表現!♪
フランボワーズのガクまで表現する驚異的なこだわり!!
神技の造形&神技の彫金!♪
背後まで隙がない贅沢な最高級ネックレスです!!
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『フランボワーズ』 アールヌーヴォー 天然真珠ネックレス フランス 1890〜1900年頃 天然真珠、18ctゴールド(イーグルヘッドの刻印) ペンダント:3.3×2.9cm ネックレスの長さ:41.2cm 重量:11.3g ¥2,200,000-(税込10%) |
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初夏の甘酸っぱさを想わせる、身近な自然をモチーフにした、とても珍しいフランボワーズのネックレスです。アールヌーヴォーの最高傑作の1つと断言できるアーティスティックな宝物で、よほど美意識の高い貴婦人のオーダー品か、もしくはコンテストジュエリーの可能性が高いです。 |
この宝物のポイント
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1. 非常に珍しいフランボワーズのモチーフ
1-1. アールヌーヴォーの植物モチーフ
48年間で初めて見る、フランボワーズのアールヌーヴォー・ネックレスです。アールヌーヴォーは植物モチーフが流行しましたが、大半はお花がモチーフです。ヨーロッパで定番の葡萄でもなく、当時流行したヤドリギでもない、フランボワーズという他にないモチーフが、この宝物の特別さを示しています♪ |
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1-1-1. アールヌーヴォーで植物モチーフが流行した背景
広い範囲の時代や地域を一緒くたに見られがちな結果、一般的には誤解が多いですが、フランスが世界の王侯貴族の中心地として発展・繁栄したのはヴェルサイユ宮廷時代です。つまりフランス革命以前までのことです。19世紀以降は戦争や度重なる革命など政治や国体的な混乱が続き、不安定な環境にあった王侯貴族が文化的に最先端を生み出すのは難しい状況でした。そもそも王侯貴族の存在しない、共和政時代も何度も挟んでいます。 |
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普仏戦争で捕虜となったフランス皇帝ナポレオン3世が1870年に廃位され、フランスは第三共和政に移行しました。敗戦したフランスは遅れをとっていた産業革命を経験することで、驚異的な戦後復興を果たしました。19世紀末から第一次世界大戦が勃発するまでの平和な期間、『ベルエポック』と呼ばれる繁栄期を謳歌しました。 王侯貴族などの身分が廃止されたベルエポックの時代、経済活動を牽引したのは大衆の若い女性です。教養や責任意識をスパルタ教育で詰め込まれる上流階級と異なり、十分な教養のない殆どの大衆女性は、何を選んで買ったら良いのか自分では分かりません。そこで大挙して押し寄せることになったのが百貨店でした。日本の場合は高度経済成長期やバブル期にかけてをイメージするのが妥当です。 |
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『百貨店』に高級なイメージを持つのはアメリカ人や日本人くらいで、ヨーロッパでは低いイメージがあるとされます。 ベルエポックのフランスで、現代まで通ずる百貨店商法が生み出されました。フランス最古の百貨店ボン・マルシェの意味は、「安い」です。このことからもご想像いただける通り、「安い!」、「お得!」、「限定!」などの煽りの文言で感覚を麻痺させ、中身が空っぽな商品を割高で販売するノウハウです。 当時、既に上流階級や知的階級からは、この虚栄の大量消費活動が白い目で見られていました。エミール・ゾラの小説としても描かれています。 |
そのような、ある意味で迷走していたとも言えるベルエポックのフランスで流行したのが『アールヌーヴォー』でした。一言でアールヌーヴォーと言っても、どのようなものなのか具体的に説明するのは困難です。様式やモチーフが定まっていないからです。アールヌーヴォーの意味は「新しい芸術」です。とりあえず『アールヌーヴォー』と称していれば高値で売れるため、目新しいものや流行したものはとにかく十把一絡げにそう呼ばれました。 |
19世紀後期から20世紀初期の世界のファッションリーダー | |
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皇帝夫妻が存在しなくなったフランスで、普通の人々がゼロから発想するのは難しいです。そこでインスピレーションの元となったが大英帝国での流行でした。依然として有力な王侯貴族が存在し、パクス・ブリタニカと呼ばれる大英帝国最盛期を迎え、世界の中心として君臨していました。 当時、紳士のファッションリーダーだったイギリス王太子バーティ(後のエドワード7世)はフランス語も堪能で、フランス皇帝ナポレオン3世を父の様に慕っていました。フランスが大好きで、ナポレオン3世が廃位された後もフランスで買い物し、経済活動に大きく貢献しています。このためフランス人からも好かれており、即位した際はフランス人からも大いに祝福され、パリにはエドワード7世の名前をつけた広場やホテルもあるほどです。 バーティの妻アレクサンドラ・オブ・デンマーク王太子妃も、仲良しの妹でロシア皇太子妃のマリア・マリア・フョードロヴナとパリで落ち合い、買い物を楽しみました。揃いで仕立てたドレスや小物による、美人姉妹の双子ファッションは社交界の華として大いに評判でした。 |
19世紀後期の大英帝国の最先端デザイン | ||
ジャポニズム | アーツ&クラフツ | 各国のナショナリズム系 |
![]() 両面・赤銅高肉彫り象嵌 ロケット・ペンダント 日本×イギリス 1870年頃 ¥3,800,000-(税込10%) |
![]() 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
![]() シェルカメオ ブローチ&ペンダント カメオ:イタリア 19世紀後期 フレーム:イギリス? 19世紀後期 ¥1,330,000-(税込10%) |
王侯貴族がいなくなったフランス人が、当時の大英帝国の王侯貴族を参考にしたのは自然な流れです。目覚ましい交通網の発達もあり、インターナショナルな世界に向けてイギリスでも様々なスタイルが流行していました。ジャンルとしては、日本が開国したことによるアングロ・ジャパニーズ・スタイル(英和スタイル)、ウィリアム・モリスが提唱したアーツ&クラフツ、ナショナリズムによる古代ローマ・ギリシャや各国の影響が挙げられます。この3つが特に、アールヌーヴォーのデザインに反映されています。 |
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アーツ&クラフツ運動は、ウィリアム・モリスが産業革命によるモノづくり品質のあまりの劣化を問題視したことがきっかけとされます。高度な職人の手仕事によって、日常の隅々にまで美しい美術工芸品が存在し、文化的に豊かな生活をしていた中世のモノづくりに立ち帰ろうというものです。 モチーフは中世の騎士の時代の他、身近に存在する"自然界のありのままの姿"に求められました。どう考えても、当時イギリスに大量に輸出された日本の美術品や日常の工芸品が大きく影響しています。 世界に先駆けて産業革命を経験し、大量生産の粗造品が既に日常となったイギリスでは、世界一器用な日本の職人による日本製品は衝撃だったに違いありません。 モチーフ対象も日本は独特です。『雑草』とされる名もなき草花に至るまで、むしろそのような草花をこよなく愛でたり、小さな金魚や水草、虫の音まで楽しむのが日本人の感性です。お金がかかるものを顕示することがラグジュアリーという意識のヨーロッパ文化とは一線を画します。日本独特の武家文化の担い手であった武士の多くが赤貧だったことも一因かもしれません。お金がなくてもプライドだけは物凄く高かったと言われる武家ですが、プライドはお金以上に大事なのかもしれませんね。 |
ありのままの自然をモチーフにしたアーツ&クラフツの宝物 | |
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ヨーロッパ文化に於ける理想の美は、完璧主義を基礎としました。お花なら満開であり、全てが正面を向き、葉っぱも虫食いなどあってはなりません。太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿に象徴される通り、高度に人工的で、ありのままの自然とは真逆の『不自然』が理想とされていました。 王侯貴族のために作られたアーツ&クラフツの高級品を見ると、従来の表現法ではなく、ありのままの美しい自然の姿を愛する、以前にはなかった表現であることが分かります。生き物も植物もです。 |
![]() 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 SOLD |
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ハイエンドの傑作ともなれば、バスケットすらも修復しながら愛用された姿を、神技の金細工で再現します。付喪神(九十九神)を愛する日本人ならば、深く共感できると思います。布の継ぎはぎ、金継ぎなど、修理しながら良いものを長く愛用するのが日本人でした。 |
![]() "CStourhead Bridge A" ©Hamburg 103a(1 November 2015, 10:44:02)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
もともとイギリスでは自然の景観美を追求した庭園が、1730年代に『イギリス式庭園様式』と名付けられ、最先端の新しい様式として各国に広まりました。フランスでもいち早く取り入れたのが、『王妃の村里』に情熱を燃やしたフランス王妃マリー・アントワネットです。 イギリス上流階級にはこのような素地があったからこそ、新しく入ってきた日本の美術様式を高度に理解し、取り入れやすかったのでしょう。また、国や民族を問わず、どの国の人であっても優れた感性を持つ人は垣根なく理解できたと言えます。 |
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さて、エドワード7世は『宝石王子』と呼ばれるほどパリでジュエリーも買いまくっていました。 貴族制がなくなった後も、パリには高度な技術を持つ職人の街として、世界中から上流階級が買い物に訪れました。 |
【参考】ベルエポックのココット向け量産ジュエリー | ||
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ベルエポックのパリで数多く販売されたのは、ココット(売春婦)向けの安物です。アンティークジュエリー市場に出回っている殆どは、大量生産されたこの大衆向けジュエリーです。 フランス革命後の女性蔑視の傾向は顕著で、現代でもフランスでは深刻なDVが問題視されています。3日に1人の女性が夫や同居人、元彼などからDV(家庭内暴力)を受けて殺されています。毎年100人を超えるペースです。怪我ではなく、死に至るほどの暴力というのが恐ろしいです。 19世紀のフランスはさらに酷く、女性の地位は低い状況でした。 職業制限もあり、多くの女性は主婦として家事や育児に専念しました。産業革命によって工場の雇用が激増し、工場で働く女性は増えたものの、低賃金の長時間労働で、危険な環境での労働が一般的でした。結婚できず自力で稼ぐしかない女性が、誰でもできる仕事にしか就けなければ買い叩かれるのは必然です。 |
【参考】ベルエポックのココット向け量産ジュエリー | ||
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ベルエポックのパリで経済活動を牽引した、消費意欲旺盛な若い女性とはココット(売春婦)以外にありません。日本では売春婦は日陰者ののイメージですが、フランスは女性の一般的かつごく身近な職業でした。財力を持ち、自由に自分のためにお金を持つ若い女性と言えば、当時のフランスでは売春婦のみです。 高級売春婦から低級までピンキリでした。体(心)を売ったお金で頑張ってシルバー・ジュエリーを買った売春婦を、ゴールド・ジュエリーを持つ売春婦が下に見て悦に浸る、そのような空虚さや困難な時代環境が伝わってきます。このような物はいくつ持とうが、決して心が満たされることはありません。それでも「類は友を呼ぶ。」で、波長が同調する女性の手元に、今後も一定数はこの呪物が受け継がれていくのでしょう・・。 |
植物モチーフのアールヌーヴォーの高級品 | ||
![]() フランス 1890年頃 SOLD |
![]() フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
![]() フランス 1900〜1910年頃 SOLD |
ベルエポックのフランスでは、世界の上流階級を満足させることができる最高品質のジュエリーと、売春婦の心の闇を喰い物にしてボロ儲けするための安物の両方が制作されました。数としては後者が大半で、王侯貴族のためのハイジュエリーはごく僅かです。 才能あるアーティスト兼職人が自発的に他国の最先端デザインを取り入れることもあれば、世界中からやって来る貴族のオーダーによって、フランスに最先端デザインが入ってくることもあったでしょう。このような経済活動が、イギリスのアーツ&クラフツ運動の流れを汲むアールヌーヴォー・デザインにつながっていくのです。以前までの格式ばった対称デザインとは一線を画す、ありのままの自然を元にした非対称デザインと、流れのあるフォルムが特徴となりました。 |
1-1-2. 主流モチーフとなったバラ
19世紀末のフランスでは植物モチーフのアールヌーヴォーと共に、ガーランドスタイル(ルイ16世様式/マリーアントワネット様式/花手綱様式)の18ctゴールド・ネックレスが流行しました。現代の日本人には同じジャンルに見えますが、教養を持つ当時のヨーロッパ上流階級にとっては全くの別物です。 |
アールヌーヴォー | ガーランドスタイル |
![]() フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
![]() ガーランドスタイル ゴールド・ ネックレス フランス 1900年頃 SOLD |
ガーランドスタイルは別名を『花手綱様式』と言います。ヨーロッパ上流階級にとって、西洋美術や叡智の原点とされる古代ローマ・ギリシャの教養は特に重要な必須科目です。そのような上流階級にとって、ガーランド(花手綱/花綱)のモチーフはすぐに古代ローマ由来のモチーフと分かります。ローマ帝国の格調高いモチーフだからこそ、対称性の高いデザインも特徴です。 今回はアールヌーヴォーのフランス製ゴールド・ネックレスの、特に植物モチーフに絞って見ていきましょう。 |
![]() フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
これは15年前にGenがご紹介した宝物です。 アンティークジュエリー市場は20年前くらいが最盛期でした。市場の黎明期からピンキリを目にしてきたGen曰く、このタイプはバラのモチーフが圧倒的に多いそうです。 だから、左のようなデザインは新鮮だそうです。葉っぱがメインで、下がった花束が個性的です。こっそりとウロボロス的な蛇もデザインされており、意味深です。かなり知的な女性の特注品でしょう♪ |
上流階級のための高級品といえども、一般的なデザインが大半です。Genも私も好みがほぼ完璧に一致しているのですが、バラの場合はよほど面白みがなければ選びませんし、植物モチーフの場合は珍しいお花であったり、葉や実を選ぶ傾向が強いです。凡庸なジュエリーを着けた社交界の華などあり得ず、社交界で一目置かれるような人は、良い意味で個性がしっかりあるものを着けます。オーダー・ジュエリーは持ち主そのものを反映します。凡庸なものを着けた凡庸な人など、ほぼ記憶に残りません。 |
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Genが厳選したアールヌーヴォーの宝物はこちらをご参照ください。 眺めていただくと確かにお花のモチーフ、特にバラが多い傾向にあることがお分かりいただけるはずです。 |
1-1-3. 玄人が好む葉や果実のモチーフ
宿木や葡萄は定番化しているので除外しますが、精神的に成熟している人ほど葉や果実などのモチーフを好む傾向にあります。あくまでも傾向であり、当てはまらないことも多々ありますが、精神的にまだ幼いとどうしても分かりやすい花を選びがちです。 |
![]() アールヌーヴォー プリカジュールエナメル ペンダント オーストリア or フランス 1890〜1900年頃 SOLD |
![]() アールヌーヴォー ブローチ フランス 1900〜1910年頃 SOLD |
![]() フランス 1900年頃 SOLD |
ゴールド・ネックレス以外のジャンルを見ても、最高級品として作られた特別な宝物は葉や果実のモチーフが多いです。 しかも、それぞれ表現方法も植物の種類も異なるのが魅力的です。どれも唯一無二の個性を持つからこそ、甲乙をつける領域を超越した所に在ります。 |
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黄金の果実がたわわに実ったフランボワーズの宝物は、初めて見るほど珍しいものです。ややグリーンを帯びたマットゴールドで、お花は1つもデザインされていません。瑞々しいフランボワーズに、しなりのあるリアルな葉の表現。こんな宝物があっただなんて、驚きと共に大歓喜してしまうアールヌーヴォー・ネックレスです!!♪ |
1-2. ヨーロッパで定番人気の果実フランボワーズ
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日本では木苺(キイチゴ)、フランス語ではフランボワーズ、英語ではラズベリーと呼ばれます。 |
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日本人にも木苺は身近な存在です。山野はもちろん、都会の真ん中に位置する市ヶ谷ですら目にできる果実です。これは新見附橋から、外堀を見下ろした眺めです。3月から4月にかけて、白い花が目を楽しませてくれます。 |
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桜と同じバラ科で同時期に咲きますが、外堀沿いの桜が華やか過ぎて、この白い花に足を留める人は少ないようです。 でも、とっても綺麗ですよね。 |
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土地が痩せているようで、人間が食べられるほど大きくは実りません。外堀は鳥の楽園なので、鳥たちが啄んでいるのかもしれません。山に行けば子供たちでも簡単に見つけられ、そのまま食べることができる気軽な果実です。そうは言っても、日本でそれほど木苺は身近なイメージはありません。ヨーロッパではどうでしょうか。 |
1-2-1. フランボワーズの起源の伝承
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フランボワーズやラズベリーと呼ばれる大本の種はヨーロッパキイチゴで、アナトリア半島(小アジア)が原産です。 |
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紀元前1世紀に古代ギリシャ人が、イダ山の斜面で発見したのが起源であると伝承されています。イデ山やカズ山とも呼ばれるイダ山は、大地母神キュベレー(クババ)崇拝の地でした。名前の意味は『知恵の保護者』で、古代ローマでは紀元前205年に受容され、ラテン語で『イダ山の神々の大いなる母』という意味のマグナ・マーテルとして継承されています。 |
イダ山にまつわる神話 | |
ガニュメデス王子の誘拐 | パリス王子の審判 |
![]() ![]() インタリオ ルース フランス 18世紀後期 SOLD |
![]() インタリオ:古代ローマ 1世紀 シャンク:ヨーロッパ 1670年頃 SOLD |
トロイア遺跡の南東にあるイダ山は、ギリシャ神話でも度々登場する重要な山でした。ゼウスが鷲に化身し、トロイア王子ガニュメデスを誘拐したのはイダ山でした。トロイア戦争の発端となった『パリスの審判』の、トロイア王子パリスも当時イデ山で羊飼いをしていました。 |
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![]() リュミエール ペンダント&ブローチ フランス or イギリス 1820年頃 ¥880,000-(税込10%) |
トロイア遺跡もイデ山も現在のギリシャではなく、トルコにあります。好奇心旺盛でアクティブなモンタギュー夫人が、外交官の夫のコンスタンティノープル(現:トルコのイスタンブール)派遣に帯同したり、アヤソフィア大聖堂を背景にして肖像画を描かせたり、知恵の女神ソフィアをペンネームとして名乗ったりした意味が分かってきますね。蛮族が群雄割拠した西欧ではなく、ビザンチン帝国こそが古代ギリシャ・ローマから続く叡智の継承国と見做されてきました。西ヨーロッパ人にとっての憧れである古代ギリシャは、現在のギリシャと言うよりはトルコと結びつくイメージがあり、高貴な青としてのトルコ石にも特別な意味があったわけです。 |
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ギリシャ神話ではイダ山の名を持つ女神イダが、ゼウスの養母としてフランボワーズを摘むエピソードが残っています。 古代ギリシャの人々のみならず、神々の神話の世界にまで想いを馳せることができる、知的で高貴な果実でもあるのです♪ |
1-2-2. 栽培品種となったフランボワーズ
キイチゴは栽培が比較的簡単で、ベランダの鉢植えでも育てやすいとされます。日本でも古代から室町時代くらいまでは栽培されていましたが、その系統は途絶えています。そこまで美味しいと思われなかったか、カロリー効率的な面もあるかもしれませんね。 |
![]() "Roman Baths in Bath Spa, England - July 2006" ©Photo by DAVID ILIFF(2 July 2006)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ヨーロッパでは4世紀に古代ローマ人がヨーロッパキイチゴの栽培を始め、ブリテン島を含めヨーロッパ各地に広まりました。ローマ帝国の領域は広大で、ブリテン島の一部も属州ブリタンニアとして40年から410年までの370年間に及ぶ支配を受けています。イギリス唯一の温泉地バースもローマ帝国の支配の元、2世紀頃から温泉の街として発展しました。街道も流通も整備し、人流も物流も活発だったでしょうから、良いものは瞬く間に広がっていったのでしょう。 |
1-2-3. 品種改良されるほど愛されたフランボワーズ
キイチゴは世界各地で食されましたが、特にヨーロッパ人の嗜好に合い、進出した地域でも栽培したり、盛んに交配や品種改良がなされました。18世紀後半にはいくつかの品種が北米にも導入されました。19世紀には北米の原種が栽培化され、ヨーロッパに移入されたり交配されたりもしています。 |
ロンドンの高級スーパーのラズベリー(フランボワーズ) |
![]() ![]() 初めてのロンドン渡航記(2018年5月)『ベリー系フルーツ』より |
初めてのロンドン渡航記でもご紹介した通り、ベリー系のフルーツはヨーロッパでとても身近です。日本ではパックに少ししか入っておらず、値段も高い印象ですが、ロンドンだと驚くほど量が多いのに手頃な価格でした。それだけ多くの人たちに愛されているということでしょう。日本人はフルーツは生で食べる印象が強いです。また、デザートのイメージが強く、食事とは別の位置付けです。 |
フランボワーズのスイーツ | ||
日本人好み | ヨーロッパ好み | |
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基本的に海外は大味ですね。右の2つは恣意的に集めた画像ではなく、フランス語版wikipediaの『フランボワーズ』から参照しました。懐石料理のような食べ方が好きな方にとっては、美味しくてもこんなにたくさん同じ味は要らないですね(笑) 2022年時点で世界全体でのフランボワーズの生産量は約95万トンに及びます。ロシアが最も多くて21万トン、アメリカが7万6千トンです。2018年時点のデータだと、イギリスは1万5千トン、フランスが5千トンです。日本は欧米品種が気候に合わず、2021年時点での生産量は僅か5.4トンで殆どが輸入に頼っています。フレッシュなものは痛みやすさもあって、国内で高級フルーツとなるのはやむを得ないですね。 |
![]() 初ロンドンでのベリー盛り(2018年5月) |
ちなみに初ロンドン渡航記でご紹介したオランダ産の白い『パインベリー』ですが、1750年代頃までに北米原産のキイチゴとチリの苺をヨーロッパで掛け合わせた品種だそうです。日本でも最近、白い苺が販売されていますが別品種です。2003年に強い品種が開発されたことで、2010年頃からオランダやベルギーで本格的に商業栽培されるようになりました。小ぶりで、白い果肉に赤い種(痩果)が特徴です。 |
![]() ![]() 英国王室御用達ウェイト・ローズで購入した『パインベリー』(2018年5月) |
栽培規模が小さく、果実サイズも小さくて産出量が少ないため高価です。アメリカのほか、ヨーロッパやドバイで販売されているそうで、やはり高級品のようです。英国王室御用達の高級スーパーだからこそ手に入ったのかもしれません。パイナップルのようなジューシーな芳香と甘味が美味しかったのですが、まさかキイチゴと掛け合わせた品種とは想像もしませんでした。ヨーロッパ人のキイチゴへの情熱を感じますね♪ |
1-3. 持ち主の高貴な身分と特別な感性を示すモチーフ
フランボワーズはヨーロッパ人にとって非常に身近な果物ですが、長くジュエリーのモチーフとは見做されませんでした。 |
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身近な自然の中にデザインを求めたアーツ&クラフツ運動の流れを汲む、アールヌーヴォーだからこその宝物と言えます。しかし、その中でもフランボワーズに目をつける人は殆どいませんでした。無二の宝物は誰かのマネではないからこそ、持ち主自身の感性や日常の環境を如実に反映していると言えます。 |
1-3-1. 地産地消が当たり前だった時代
持ち主は、どのようなフランボワーズをジュエリーにしたのでしょう。いくつか想像することができます。現代と昔では、食材への意識も環境もまるで違います。なぜかご自身(現代の日本人)の常識で100年以上前のヨーロッパのジュエリーを理解できていると考える人もいますが、そのような考え方では頓珍漢な答えしか出ません。より正確に想像できるよう、多少なりとも具体的に見てみましょう。 |
流通のグローバル化 | |
農業の機械化と大規模化 | 鉄道網の構築 |
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輸出入で食材が流通するようになったのは近代以降です。昔は地産地消が当たり前で、自分たちが消費する以上に生産することはありませんでした。鉄道網が構築され、大型の蒸気船も使えるようになり、安価で大量に輸送できるようになったことで食物のグローバルな流通が始まりました。自分たちが消費する以上に生産し、他の地域や国に販売して儲けられるようになりました。 |
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豊かな国土を持つアメリカからの安価な農産物が大量に輸入されるようになったことで、イギリスの農業は価格競争に勝てず衰退しました。これが大地主としての側面が強かったイギリス貴族の衰退と、アメリカの新興成金の台頭へとつながっています。 |
中世の地産地消の暮らし | |
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現代の日本は他国、他県産や旬ではない食材が当たり前となっていますが、昔はヨーロッパも地産地消が当たり前でした。王侯貴族が住む場所と田畑は離れた場所にあるわけではなく、ごく身近に存在しました。 馬車や牛車、人力では速度も運べる量も限られます。人間は毎日食事します。たまにならまだしも、日々の食材を遠い場所で買って運んで来るなんてあり得ません。上流階級も含めて地産地消が当たり前でした。作り手の顔も分かります。 |
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Genが幼少期の頃の米沢は、冬はトンネルが閉鎖されて完全に陸の孤島となったそうです。 海が遠く刺身は高級品でしたが、不味いので炙って食べていたそうです。 元士族の家系で、米沢藩の城下町として骨董商が全盛期の時代もあり、街の中心に住む裕福な家でした。女中さんなどもいて、江戸時代の上等な食器を使い、御膳で食事する家庭でしたが、それでも刺身は美味しいものが食べられませんでした。 流通網が発達し、世界の何もかもがつながったのは本当に最近です。"意識"もまるで変わりましたね。 |
1-3-2. 太陽王ルイ14世の食材へのこだわり
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フランスの太陽王ルイ14世のヴェルサイユ宮殿の整備内容は以前ご紹介しましたが、全てではありません。今回は食の観点で見てみましょう。ルイ14世のヴェルサイユ宮殿での饗宴は、贅を尽くしたことでも有名です。デザートは特に重視され、貴重な砂糖と果物を使ったスイーツは贅沢の象徴でした。 |
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その中でも、パイナップルは最も稀少で費用のかさむ『富と権力の象徴』としてデザートのコースに組み込まれました。 カットしてあしらうだけでなくアイスクリームにしても提供され、まさにフランス王に相応しい完璧なデザートとして振る舞われました。 遠い南国から運んでくるしかないパイナップルは、まさに王の象徴でした。 |
![]() "Azores-Day4-16(33766683744)" ©Ajay Suresh from New York, NY, USA(7 April 2017, 15:02)/Adapted/CC BY 2.0 |
ただ、そこで終わらないのが学術やテクノロジーの発展も担ってきた王侯貴族です。自分の庭園で、ヨーロッパの気候では不可能な果物を育てることを望んだのです。各国の王室が威信をかけ、湯水のように莫大な費用をかけてパイナップルの栽培成功を目指しました。 植物学の知識のみならず、温室の設計技術も必須です。お抱えの庭師や技術者の優秀さと共に、どれだけ研究開発費用を出せるかも重要となってきます。まさに王室同士の威信をかけた戦いでした。イギリスでは1675年に英国王チャールズ2世のお抱え庭師が栽培に成功し、英国産のファースト・パイナップルを王に献上しています。 |
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フランスでは1733年のヴェルサイユ宮殿にて、栽培に成功したパイナップルがルイ15世に献上された記録が残っています。ルイ15世とポンパドゥール夫人の出会いにもパイナップルが一役買ったエピソードが残っています。1745年の仮面舞踏会で2人は出会うのですが、その時のルイ15世の仮装がパイナップルの形に整えられたイチイの木だったと言われています。顔が分からない仮面舞踏会。知性と教養があれば、顔が分からずともパイナップルの仮装でそれが王だと容易に気づきます。全てに説明が必要なのは陳腐で、いかにエレガントに、言語を排除した高度な意思疎通ができるかが重要なのが社交界です。そのために教養と知性、経験値が必須なわけです。 |
![]() "Potager du Roi Versailles" ©Akarikurosaki(23 October 2016, 12:58:57)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
『身土不二』という言葉がありますが、生まれ育ったのと同じ場所で採れた旬の食材は、体も心も満たしてくれます。新鮮な食材と鮮度が落ちてしまった食材とでは、香りも食感もまるで違います。穢れは気枯れとも言う通り、気(エネルギー)が枯れた食材と元気な食材とでは美味しさは段違いですし、栄養価も違うでしょう。 ルイ14世はヴェルサイユ宮殿の食卓のために、お抱えの第一造園家ジュール・アルドゥアン=マンサールに『王の菜園』を造園させています。当時、世界の王侯貴族が集まったヴェルサイユ宮殿は大都会の中心と言えますが、採れたての旬の新鮮野菜を食すのは当たり前だったのです。 |
![]() "Potager du Roi" ©Paris Histoire(5 October 2013, 16:34:03)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
監督したのはルイ14世の庭師で農学者でもあった、ジャン=バティスト・ドゥ・ラ・カンティニーです。インテリジェンスも駆使し、最先端の技術で農業も進めていたわけです。人と比較すると広大さが分かりますね。 配下となる貴族や世界からやってくる王侯貴族に、フランス王としての絶対王権の威信を顕示するために設計された宮殿なので、菜園も美観と共に、中身も優れたものを産出しなければなりません。提供する食事の質は心を掴むと共に、権威や知識、技術力、財力を示すものでもあります。最重要事項の1つなのです。 |
![]() "Le Potager du Roy - panoramio" ©franek2(14 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
ヴェルサイユ宮殿は1.8kmに及び船も運行できる大運河グランド・カナルや、いくつもの趣向をこらした噴水も見どころでした。治水技術は高度な設計技術あってこそです。大量の水を必要とする菜園も、それらの技術が生かされました。人工池ピエス・ドー・デ・スイスも新たに造営しています。 |
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ルイ14世はピエス・ドー・デ・スイスから菜園を行き来しやすいよう、豪勢な『王のゲート』を設けました。宮殿のオランジェリーの階段を降り、ピエス・ドー・デ・スイス側から王のゲートから菜園に入り、果樹に触れて様子などを見ていたそうです。 |
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現代人は肉は切り身の状態しか分からない、野菜や果物もどのように実っているのか分からないということが少なくないようです。 古の王侯貴族は書籍や伝聞による知識のみならず、経験を元に熟知した上で庭師や料理人とも会話できていました。 だからこそ、より優れた新しい宮廷料理も生み出せました。「都会っ子だから知らない。」というのは現代人の貧相な発想でしかないのです。 |
![]() "Potager du Roi (Legumes divers)40.50 CL J Weber01 (23568707992) " ©INRA DIST from France(3 October 2009, 15:57)/Adapted/CC BY 2.0 |
お抱え庭師/農学者カンティニーは優秀で、一年を通して野菜や果物を途切れることなく宮廷に届けられるよう栽培技術を研究し続けました。種類や収穫量のみならず質の向上にも成果を上げ、名声を高めると共にルイ14世から貴族の称号も授かっています。現代でも収穫されていますが、土壌の良さが伝わってきますね。 |
![]() "Potager du Roi " ©Yann at French Wikipedia(2 August 2004)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
オレンジ色の巨大カボチャも実っています。物凄い人数の食卓を毎日満たさなくてはならないため広大です。作業者も数多くいたでしょう。『作り手が見える野菜』も『採れたての新鮮な旬野菜』も、ルイ14世の宮廷では当たり前でした。今と昔で、一体どちらが便利で幸せなのでしょうね。 |
![]() "Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 094 " ©ToucanWings(19 August 2013, 21:02:33)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
菜園では林檎、梨、桃、イチジクなどの果樹も栽培され、世界最大のオランジェリーでは暖かい場所でしか育たない柑橘類やオリーブ、ザクロやヤシ、キョウチクトウなどが育てられました。特にオレンジの樹は3,000本もあったそうです。フルーツもその場でもいで食べられますね。どのような花が咲き、実っていくのかも分かります。 どれだけ環境の良い田舎に住んでいても、そのような植物たちや昆虫の息遣いに全く意識がいかない人も少なくありませんが、繊細で豊かな感性を持つ人の心は大きく育んだに違いありません。 |
![]() "Voute sous la terrasse au Potager du Roi " ©Akarikurosaki(27 May 2014, 17:15:41)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
続く時代にはコーヒーの木も導入し、ルイ15世から大変喜ばれたそうです。カンティニーの後継として庭師ル=ノルマン一家も優秀で、熱心に研究を進めました。頻繁に旅に出ては優れた種を持ち帰り、菜園に根付かせる努力を重ねました。アスパラ、いちじく、メロンの栽培でも大きく貢献しています。 本当に豊かな食文化が伺えますね。フランス料理はテクニックも重要ですが、上質な食材は必須です。そして、食材の調達も財力と共に知識や教養が効いてきます。表面的な理解で楽しめる人もいますが、ヴェルサイユ宮廷時代は知的好奇心が旺盛な人ほど深掘りできて面白い時代かもしれませんね。 |
1-3-3. マリー・アントワネットの王妃の村里
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食材へのこだわりはルイ14世や男性に限った話ではありません。 今回の宝物は貴婦人のネックレスなので、オーストリアのハプスブルク家から嫁いできたフランス王妃マリー・アントワネットの例も見ておきましょう。 |
![]() "Vue aérienne du domaine de Versailles par ToucanWings - Creative Commons By Sa 3.0 - 037 " ©ToucanWings(19 August 2013, 19:25:10)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
城は1つも新築しなかったマリー・アントワネットですが、自分の心地の良い『理想の場所』を実現するため、ポンパドゥール夫人の離宮として建設されたプチ・トリアノン宮殿を手に入れ、その整備に情熱を燃やしました。 軽佻浮薄なパリピ的イメージを植え付けられている王妃ですが、目指したのは『理想の農村集落』の実現です。一角では様々な家畜を飼い、農場、製粉所、漁業、酪農場、見張り塔なども備えた集落を造り上げ、『王妃の村里(ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ)』と呼ばれました。 |
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無責任な遊びではなく本気の取り組みだったため、村里では野菜、果物、穀物、家畜などそれぞれが最高品種で集められ、信頼できる農夫たちによって完璧に管理されました。 マリー・アントワネットも農民服の姿で作業し、細かな指示を出すなど村里を楽しんでいました。 同じフランス貴族であっても植民地生まれをバカにする、パリしか知らないパリ貴族の多くは理解に苦しんだようですが、マリー・アントワネットは家族や気が置けない友人たちのみを招待し、この場所を楽しみました。 |
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今で言う子供たちへの『食育』も大きな目的の1つで、家畜小屋も清潔に保たれ、身近に触れ合わせたそうです。雌牛に関しては特にスイス産が好まれ、マリー・アントワネット自ら乳搾りにも立会い、農場でとれた良質な食べ物を食していました。村里には乳製品の加工場もあり、チーズやバター、フレッシュクリーム、アイスクリームなども作って食べていたそうです。 |
ルイ16世一家で唯一生き残った長女マリー・テレーズ王女 | ||
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このような原体験は重要です。フランス革命で唯一生き残った長女マリー・テレーズ王女は復古王政で落ち着いた後、パリ西部にある緑豊かなヴィルヌーヴ・レタンの屋敷を購入しています。甥と姪のために動物を集め、農場も作っています。成長期の過酷な体験もあってか、自身の子宝には恵まれませんでしたが、そこでとれた新鮮なミルクや生クリームを甥や姪に食べさせたりしたそうです。農場でとれた乳製品はマリー・テレーズにとって自慢の出来だったようで、パリに持ち帰っては友人たちと楽しんだりもしたそうです。 亡くなった母がしてくれたこと。今は会えない家族との楽しい想い出。それをいかに大切に想っていたのかが分かると共に、次世代の子供たちにとっても心の財産になると考えてのことでしょう。繊細な感性と優しい心が伝わってきますね。 |
1-3-4. ガーデンパーティの社交の全盛期
王族が創り出した新しいスタイルは高位貴族の中で流行し、時間をかけて上流階級全体に浸透していきます。優れた流行はやがて定番化し、文化として根付きます。そこからさらに新しいスタイルに発展することもあります。 |
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この宝物が創られた19世紀後期はピクニックの他、園芸(ガーデニング)やガーデンパーティが上流階級に流行しました。産業革命を経験し、帝国主義が渦巻く背景の中で科学の時代となった反動で、人々が心地よさを求めて"自然"に意識を向けるようになったタイミングです。 |
ガーデニング(19世紀後期) | |
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1840年代から、肖像画の安価な代用として写真技術がヨーロッパに普及していきました。それでも一般庶民にとっては、写真すら特別な時のための高級品でした。既に写真が存在する時代、腕の良い画家にオーダーする肖像画は上流階級のための高級品です。描かれているのは絶対に一般人ではありません。 数多くのガーデニングの絵画が描かれており、19世紀後期にいかに上流階級の趣味としてガーデニングが流行したかが分かります。 |
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ガーデン・パーティも皆が大好きな社交となりました。趣味の良い庭園にゲストを招き、心地よい空間を楽しみます。眺めるだけでも楽しいですし、園芸について知的な議論を深めたり、ティータイムや雑談を楽しんだりお散歩したり、風景画を描く人もいます。花や果実を摘むも良いでしょう。 |
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これはホランド・ハウスでのガーデン・パーティの様子です。戦禍で破壊されて邸宅は残っていませんが、ロンドンのケンジントンにあるタウンハウスでした。現在はホランド・パークとなっており、『ミリオネア・ロウ』と呼ばれるイギリス屈指の高級住宅地の1つです。Genもよく訪れていました。ロンドンの公園は王侯貴族の領地が解放されたもので、どれもかなり広大です。 緑に囲まれた屋外とは言っても敷地内での貴族の社交なので、参加者は身なりをしっかり整えています。紳士もシルクハットで、男女ともにデイ・ジュエリーも着用します。 |
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服装のTPOが薄れ、ぐだぐだになったのは日本でもわりと最近のことです。現代ではピクニックにスーツで出かけるなんてあり得ませんが、古い時代はしっかりしていました。自己顕示のために着飾るのではなく、礼儀を尽くしたり、自分を律したりするために身なりを整えることは当たり前だった時代です。さすがにピクニックだと正装まではしませんが、社交としての度合いによっては相応のジュエリーも身につけていたでしょう。 |
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豊かな自然は、豊かな心や感性を育んでくれます。草花が溢れる大好きな自然の中で、特にお気に入りだったフランボワーズをジュエリーにしたのでしょう。 |
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おそらくガーデン・パーティで使う、日中用の正装のためにオーダーしたのだろうと思います。普通の上流階級はハイジュエリーのモチーフとして意識に上がらなかった、フランボワーズの特別なです。 持ち主にとっての、フランボワーズの心豊かな想い出を『永遠なる宝物』にしたように感じます。ガーデンと共に、狩猟場やピクニックも敷地内で行うもので、古の王侯貴族にとって『自然』は身近なものでした。瑞々しいフランボワーズのモチーフは持ち主の、王侯貴族の中でも特別な感性を雄弁に物語っているのです・・♪ |
2. 素晴らしい金細工
2-1. ゴールドをたっぷり使った圧巻の立体造形
人間は左右の目を使って立体視しますが、2次元の画像では立体感を十分にお伝えすることは不可能です。「実物の方がより美しいです!」と仰っていただく理由ではありますが、この宝物くらい立体的だと、光でできる陰影で、ある程度は立体感を感じていただけると思います。 |
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粒だったフランボワーズの果実はもちろん、6枚の葉も実に表情豊かです♪ 立体造形を楽しむ芸術と言えば、通常はストーンやシェルを彫刻したカメオを想像します。ゴールドのジュエリーで、ここまで立体美の芸術として楽しめる宝物はなかなかあるものではありません!! |
2-1-1. フランボワーズの果実の立体美
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サイドから見ても、ゴールドにかなり厚みのある贅沢な作りと分かります。フランボワーズを本物と全く同じ球体にすると、ゴロゴロ転がってネックレスとしては収まりが悪いです。ジュエリーとしての使いやすさと、印象に残る美しさを両立する絶妙なバランスで作られています。真横から見て、これだけ厚みがあるのは驚異的です! |
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それ故に、実際に目にするあらゆる角度で、本物のフランボワーズの果実のような立体感が感じられます!♪ |
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作者の技量が低いと1粒1粒が粒だって見えず、グチャっと融着したようになりがちです。 |
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1粒1粒を別で作って蝋付したように感じられるほど美しい境界ですが、裏側を見ると一体化している鋳造の作りであると解ります。鋳造とは言っても中空構造ではないため、心地よい重量感があります。また、量産のための鋳造ではなく、蝋型鋳造(ロストワックス鋳造)という1点ものを作るための技法です。 蜜蝋や木蝋、松脂に土などを使用した、日本でも古来からある技法です。複雑で精緻な形状が表現できること、原型の流麗で柔和な風合いが鋳造物に移植できることが特徴です。鋳造の中では最も精度が高い技法とされますが、型を壊して取り出すため、1度しか使えません。高度な芸術性を望まれる、特別な最高級品にのみ使用される技法です。 |
光の角度による表情の変化 | ||
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光の角度で豊かに表情が変化します。ギリシャ神話には女神の庭に実る『黄金の林檎』も登場しますが、黄金のフランボワーズも神々しさ満点ですね♪ |
2-1-2. 葉の麗しい造形
主役のフランボワーズに意識が行きがちですが、フランボワーズに勝るとも劣らぬほど見事なのが葉の造形美です。葉に意識を集中すると、感動的に美しいことに気づきます。 |
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1枚1枚が表情豊かで、反り返り方や、正面に対する葉の角度も全て違います。個性があり、どの葉も生き生きとしています。 |
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カメラの絞りを開放して撮影しました。被写界深度(ピントが合う範囲)は狭くなりますが、立体感はこの方が感じていただけるでしょうか。 |
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手前の葉に加え、奥の葉も見事な立体感で、非常にアーティスティックです。全て同じ18ctゴールドでできているとは思えぬほど、それぞれの箇所が豊かな表情です。陰影をつけたり、奥行を感じてもらうという意味で、立体造形はとても重要なのです。 |
2-1-3. 美しい枝ぶり
アールヌーヴォーならではの枝のデザインも美しいです。リアルさと、デフォルメした曲線の美の両方を成立させた腕前は圧巻です!♪ |
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蝋型の表面が少し溶けることによる独特の質感が、枝らしい自然な質感となっています。蝋型鋳造ならではの特徴を駆使した表現です。高度な職人技である彫金とのコラボレーションによって、まるで本物の枝のように感じられます。 |
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正面からは見えないサイドも、全てにアーティスティックな彫金が施されています。規則正しい正確な彫金も難易度が高いですが、このように自然に見える彫金は特別な美的感覚も必要とします。第一級の職人の作品だからこそこれだけ違和感なく美しいですが、普通の高級品程度だと職人の迷いなど、雑念を感じる不自然さが出るものです。 |
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枝のフレームは、葉の立体感を強める役割も担っています。枝の奥側にある葉っぱと、枝からせり出すよう配置した葉っぱがあります。比較対象となる『枝』が存在することで、この奥行が際立つのです。 |
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これは全体にピントを合わせた画像ですが、それでも陰影によって、枝に対する葉の奥行を感じていただけると思います。具現化する技術もさることながら、デザインもまさに天才のみがなせるものです!! |
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下部の彫金も完璧で、全く隙がありません。どこから見ても美しいです。棘がデザインされているのも素晴らしいです。フランボワーズもバラ科なので棘があります。依頼主も職人も、よく分かっている人だった証です♪ |
2-1-4. ガクまで再現した徹底ぶり
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この宝物がアールヌーヴォーの最高傑作の1つと言えるのが、ガクまで表現した徹底ぶりです。 自然の状態で実った姿を見たことがない、誰かが摘んでくれたフランボワーズしか知らない人ならば、ガクに意識はいきません。 |
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実際にフランボワーズを手摘みする際、必ず印象に残るのがガクです。ここから果実を丁寧に切り離します。楽しい瞬間です。 |
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ポロッと綺麗に離れます。 後に残ったガクの姿も印象的なのがフランボワーズです。 |
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黄金の優美なガクが、まあるいフランボワーズの実を優しく包み込んでいます。長い年月の経過による『パティナ』のお陰で、凹凸もより際立っています。溝や隙間に入り込んだゴミなどが、長い年月をかけて石のように硬化します。 |
パティナは日本で言う侘び寂びの『寂び』に対応し、長い年月が経たないと出てこない趣ある味わいはアンティークの1つの価値と見做されます。人工的に作ることができないため、アンティークの証ともされます。作りたてはもっとピカピカで、ここまで立体感は際立っていなかったはずです。130年ほどの年月をかけて今は完成した形となっており、最高に美しいです。肉眼ではほぼ視認できず、印象に効いてくるものです。 |
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裏側にガクを彫金するまでならまだ有り得ますが、ここまで丁寧に愛情を込めた表現は驚きとしか言いようがありません。もし手に入れても、言われなければ気づかない人が大半だと思います。 |
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上の果実だけでなく、下の果実にもガクが表現されています。ここまで徹底したこだわりぶりは、アンティークの最高級品でも滅多にお目にかかれるものではありません!! |
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これはヘルマン・ケーラーの著作を元に出版された『ケーラーの薬用植物』の、フランボワーズのイラストです。 19世紀後半に最も人気のあった、薬用植物に関する手引書です。学術書なので、果実のみならず全ての部位が丹念に観察して描かれています。 |
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ゴールドでここまで再現するなんて、もう笑うしかないほどあっぱれです。誰も気づかないような細工です。もはや自己満足と言える領域です。そのような、自分の心を満たすためにどれだけこだわれるかで、美意識や心の豊かさが分かります。これは『本当に良いもの』です♪ |
2-2. 渋みのある色彩と巧みな彫金による表現力
2-2-1. 植物のためのグリーン・ゴールド
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この宝物は刻印があり、フランス製の18ctゴールドです。通常イメージするゴールドよりも、グリーンを帯びたように感じます。 |
![]() "Ag-Au-Cy-colours-english.svg" ©Metallos(14 August 2009)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
成金は黄色みの強いイエローゴールドを好みます。純度999のインゴット(鋳塊)を短絡的にイメージしてのことでしょう(笑) ゴールドは本当に奥深い金属で、18ctに限定しても様々な色味が出せます。 グリーンゴールドは市場でも稀にしか見ませんが、銀を割金にした18ctはグリーンゴールドになります。 |
銀は銅より高価なので、コストだけ見るとイエロー・ゴールドより高価です。短絡思考的なイエロー・ゴールド崇拝は、自ら無知を知らせているようなものなのです。そのような人は真剣に取り合わず、アンティークジュエリーのことはよく知らないのだと優しく見守ってあげましょう。 |
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刻印があるのでX線を使った詳細な元素分析はやっていませんが、シルバーを贅沢に使用して18ctのグリーン・ゴールドにしたと推測します。果実だけならば、イエロー・ゴールドやレッド・ゴールドでも合っていたと思います。しかし依頼主は葉にも強いこだわりがあり、敢えてフランボワーズの甘酸っぱさも連想できる、グリーン・ゴールドを選択したのでしょう。 |
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ゴールドをふんだんに使用したネックレスにも関わらず、落ち着いた色味のお陰で主張の激しさが全くありません。美しい自然のモチーフと相まって、心地よい美しさのみを感じることができます♪ |
2-2-2. 第一級の職人による巧みな彫金
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蝋型が僅かに溶ける分を感覚値で計算しながらの、見事な彫金です。刃を入れる深さや間隔など、ランダムを感じる自然な模様と質感表現が見事です!♪ |
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完全に神技の領域です! いつまでも眺めていたい美しさが宿っています♪ |
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立体物への彫刻は平面とは比較にならぬ難しさがありますが、丸みを帯びた果実の粒も見事です。不自然さを全く感じず1粒1粒が際立っています。葉はマットゴールドに、果実は瑞々しく輝く表面に仕上げています。 |
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繊細で複雑な輝きを放つ枝葉に対し、黄金のフランボワーズは瑞々しい輝きを湛えます。ゴールドという金属を使いこなした見事な表現は、まさに『L'art de L'or(ゴールドの芸術、The Art of GOLD)』と呼ぶに相応しいです!♪ |
2-3. 贅沢なハンドメイド・チェーン
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アップヘアでコーディネートした際も、背後まで隙がない贅沢なネックレスです。歴代の持ち主すべてがヘビーローテーションなど不適切な使い方をせず大切に着用してきたからこそ、摩耗しやすいチェーンや引輪すら130年ほど経過した今でもコンディションが抜群で、金具まで含めアンティークのオリジナルです。 |
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同時代のゴールド・ロングチェーンと異なり、主役はあくまでもペンダントなので、主張しすぎないデザインで上質に作られています。高級品としてはシンプルなデザインのパーツですが、手間をかけて丁寧に作られています。これを正確に30個作るだけでも大変ですね。 上質なシードパールが等間隔で計10粒、配置されています。天然真珠は破損することなく正確に穴を開けるだけでも大変で、高度な技術と時間を要します。ゴールドのワイヤーを通したこのパーツ1つ見ても、この宝物がいかに高級品として丁寧に作られたのかが分かります。 |
3. 贅沢な天然真珠
3-1. 瑞々しい照り艶を持つ特別な天然真珠
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メインストーンは、瑞々しい照り艶を持つ極上の天然真珠です。フレッシュなフランボワーズの果実を意識して選んだのは確実です。 |
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養殖真珠は核が透けて見えるほど真珠層が薄いため、真珠層の奥深くから滲み出るような複雑で優しい干渉光は出せません。ドブ貝の殻を削って作る核すらも、透けるので脱色が必要という始末です。 |
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さらに表面にできたブツを除去するために表面を均質に研磨したり、脱色して染色します。母貝も養殖による均一種なので、均質で無個性です。工業製品としては優秀ですが、芸術性の観点では魅力ゼロです。同じものがいくつも作れて、誰が作っても同じにできるようなものを『芸術』とは言いません。 |
質感が全く異なる天然真珠 | |
![]() エドワーディアン 天然真珠 ネックレス オーストリア? 1910年頃 SOLD |
![]() 葡萄 ペンダント イギリス 1920年頃 SOLD |
様々な海に生息する、天然の母貝が産出する天然真珠は個性豊かです。大きさや形、色彩はもちろん質感や輝きも驚くほど多様です。美意識の高い王侯貴族のためのハイジュエリーではそれぞれの個性を見極め、相応しいデザインで使用されます。 『山海の恵み』はこれまで見た中で、最も瑞々しさが際立つ天然真珠でした。リアルな果実を表現する場合、瑞々しい輝きを持つ天然真珠を使おうとするのは自然な発想だと感じます。 |
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天然真珠の白く瑞々しい輝きと、フランボワーズの黄金の輝きとの対比が実に印象的です♪ 天然真珠は果実よりやや大きいくらいのサイズがあり、かなり高さもあるので存在感があります。 |
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オープンセッティングの裏側から確認できますが、ハーフパールではなく1粒まるごと使っています。さらに、贅沢にゴールドを使用した厚みのある台座で高さを出しています。 |
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それ故に正面からだけではなく、どの角度から見ても強い存在感を放ちます。天然真珠が史上最も高騰していた時代であったことを思えばこのデザインは納得ですし、最高級品の証でもあるのです。 |
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ここ数年、アンティークジュエリー市場で中国人を始め富裕層が天然真珠を買い漁り、価格が高騰していると聞いています。 なぜ注目されたのか不思議でしたが、ネタ切れの現代ジュエリー業界が節操なくPRしたのも一因のようです。 撮影の仕方が分かっていないのか、画像を強烈に加工したのか分かりませんが、一応は天然真珠だそうです。漂白でもしたのでしょうか。1億4,421万円の値付です。 |
天然真珠を投機対象としたのでしょう。買ってもらうというより、天然真珠の値段を釣り上げるための価格設定です。作りやデザインには殆どお金をかけていません。売れなくてもリメイクすればOKという戦術であり、この価格で買う人がいたらラッキー程度でしょう。 |
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以前はアンティークジュエリーのダイヤモンドや天然の色石が狙われましたが、価格を釣り上げたことで天然真珠を狙う理由ができました。一番下の天然真珠は、取り外してもデザイン的には成立します。あるいはもっと小さな天然真珠や適当なダイヤモンドのパーツに取り替えることもできるでしょう。 金儲けの悪意ある業者の手を介せば、このような文化的に価値のある宝物でも容赦無く解体されます。今後は益々、上質な天然真珠を使ったオリジナルのアンティークジュエリーは手に入らなくなるでしょう。「いつか。」という思考の人は永遠に手に入れることはできません。チャンスがあるのは頑張れば手に入る間だけであり、このような素晴らしい宝物こそ頑張る価値は十分にあるのです。 |
3-2. チェーンに配したシードパールは美意識の証
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ペンダントの天然真珠の他に、チェーンにも10粒ものサイズと質感を揃えた天然真珠を使用しているのも大きな魅力です♪ |
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シードパールが良い意味でバランサーとなり、全体の美しさを何倍にも惹き上げています。逆三角形でデザインされた枝、逆三角形となる天然真珠の配置。一番上のフランボワーズを起点とした、Y字のポイントとしても効いています。何重にも計算されたデザインです。 |
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全体として見ても、等間隔で配置されたシードパールはバランスを取る役割をしています。全てがゴールドのチェーンだったならば、主役のペンダントのみに視点が集まり、やや重たい印象となってしまいます。シードパールで少しだけ視点を散らすことで、ペンダントに軽やかさが生まれます。芸術作品として見ても、完璧と言える宝物です!♪ |
裏側
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この時代は裏側まで彫金した宝物は、高級品でもかなり限られます。それほど気合いが入ったものでなくても、彫金がデザインされているだけで良いものと言えるのですが、これはかなり本格的な彫金が施されています。 |
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チェーンの金具にもイーグルヘッドの刻印がありますが、ペンダント本体の右側の棘の上にもイーグルヘッドの刻印があります。刻印は邪魔だと感じるくらい、裏側まで見事で美しいです♪ |
着用イメージ
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気品に満ちた美しいネックレスです。現代ジュエリーはゴールド派とプラチナ派という表現がありますが、落ち着いた印象のグリーン系のゴールドなので、倦厭していた方でもゴールドの真の魅力に開眼されるかもしれません♪ |
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日本人の肌に馴染む色彩ですが、濃いお召し物で重ねて、デザインや宝石を惹き立たせても素敵です。 |
余談
初のロンドンは、ロンドンっ子も「こんなに青空が続くのは初めて!」と驚くほど晴天続きでした。『霧の街ロンドン』をイメージして出掛けましたが、青空が眩しかった印象しかありません。 基本的に5月と6月は、『The SEASON』と言われる貴族の社交の季節です。普段は天候に恵まれないロンドンが1年で最も季節に恵まれ、街中に花が咲き乱れる時期です。いつもは所領のカントリーハウスで生活する貴族たちが、一斉に美しいロンドンに集まって社交を繰り広げるのです。 |
ハムステッド・ヒースでのピクニック | ||
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高台の原野、ハムステッド・ヒースでピクニックも楽しんで来ました。750mlのワインボトルが埋もれるほどフカフカの草むらに横たわり、フランボワーズやチーズなどがおつまみです。時期によっては、野生のフランボワーズをそのままパクッと食べるのも楽しそうですね。 |
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ピクニックも貴族の社交から始まった文化です。狩猟から派生した社交で、19世紀後期にはガーデン・パーティにまで発展しています。外で食べるランチや軽食はいつも以上に美味しく、自然の景色や音をゆったり楽しむのも心地よい時間です。 |
![]() (デヴィッド・ブロデリック・ウォルカット 1854-1855年) |
古のヨーロッパ社交界では、ジュエリーのTPOも厳密でした。夜用のジュエリーを日中に身につけることはありません。ダイヤモンドのような煌めく宝石はナイト・ジュエリーで、天然真珠、ゴールドやカメオなど芸術系はデイ・ジュエリーでした。ピクニックやガーデン・パーティは日中の社交です。意中の人と、二人だけで散策しながら野生のフランボワーズを目にしたり・・。このような社交シーンに最高のネックレスだったでしょうね♪ |
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自然の中で味わう、フレッシュで甘酸っぱいフランボワーズ・・。 自然の美しさを理解し、こよなく愛した心豊かな貴婦人だったでしょう。まさに社交界の華に相応しいジュエリーです。TPOが厳密ではなくなった現代では、フレンチでフランボワーズ・ソースのお料理を堪能したり、フランボワーズのスイーツを食べに行く時に着けても楽しそうですね♪ |