No.00317 ダイヤモンド・ダスト |
その無数の極小ローズカット・ダイヤモンドの輝きは、天使の囁きとも言われるダイヤモンド・ダストのように美しい!! |
その輝きは、広大な夜空に輝く無数の星々のように美しくもあり・・・ |
そして、悠久の時を刻み続ける夢のようにも美しい・・・!! |
←↑実物大 ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります |
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【時を奏でる小さな宝物】 『ダイヤモンド・ダスト』 エドワーディアン ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント・ウォッチ フランス(パリ) 1910年頃 ローズカット・ダイヤモンド、天然真珠、ブルー・ギロッシュエナメル、ホワイト・シャンルベエナメル、プラチナ&ゴールドムーヴメントは同時代のスイス製(オーバーホール済) 直径 2,9cm 総重量 46,2g 厚み 6mm 英国王室御用達ガラード社のヴィンテージのフィッティング革ケース付 ¥15,000,000-(税込10%) |
「僕はこの仕事を45年間やっていますが、これほど美しい時計は見た事がありません!!!」 |
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当時の最高級品の中でも間違いなく別次元の作りとデザインを誇る、エドワーディアン最高峰のペンダント・ウォッチでありジュエリーです。 作品としての出来もさることながら、リューズや文字盤、針、チェーンに到るまで全てオリジナルの物が残っているのも素晴らしいです(文字盤を描き直してあったり、リューズが取れて別の物が付いていることも多いです)。 最高級時計として、通常のハイジュエリー以上にジュエリーとして贅沢に作られている上に、今でも100年前と変わらぬリズムで時を奏で知らせてくれる、アンティークならではの最高に魅力ある宝物です。 |
←実物大 ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります |
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小ささと、そこに詰まった人類最高の技術と美意識が魅力!!!♪ |
この宝物のポイント
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1. 稀少性が高い女性用ペンダント・ウォッチの最高級品
1-1. 男性向けが殆どの懐中時計
Genが時計好きなこともあって、これまでの45年間で時折、女性向けの高級なアンティーク時計をご紹介しています。 故に、アンティークの時代にも女性向けの時計がある程度の数、作られていると認識している方もいらっしゃるかもしれません。 しかしながら実際には極めて数が少なく、アンティーク・ウォッチの大半は男性用です。 |
懐中時計(ラッセル&サン 1920年代) "Pocket Watch(Savonette)" ©ElooKoN(20 April 2019)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
知り合いに懐中時計のコレクターがいる方も、結構いらっしゃるのではないでしょうか。現代に於いて一定数のコレクターが存在するというのは、ある程度市場に数が存在することを意味します。少なすぎず、でも簡単に手に入るほど少なすぎず・・。 |
『ミステリー・ウォッチ』(1890年頃) "Montre mysterieuse-IMG 4639" Photograph by Ludo29 & Rama, Wikimedia Commons/Adapted/Cc-by-sa-2.0-fr |
バージョンやバリエーションにいくつか違いがあったり、レア物などがあるとよりコレクター心をくすぐります。 かと言って高くてはダメです。 コレクターの目的は一生に一度の宝物を手に入れるのではなく、品質は関係なくとにかく該当する種類のものをとにかくたくさん集めることです。 高いと庶民には蒐集が難しくなりますから、ジュエリーなどのように高すぎても、やたらめったらコレクションするのは不可能となり、市場が成立しなくなります。 |
懐中時計(フランチシェク・チャペック 1876年頃) | 安すぎたり、あまりにも簡単に手に入るほど市場にたくさん出回っていると、集めてやろうと言う気分にもなりません。 程よく高価、程よく頑張って手に入るのが男性用の一般的なアンティーク懐中時計なのです。 そのイメージで女性用のアンティーク・ウォッチを見ると、事実を見誤ります。 男性用と女性用では、歴史や文化的に見ると全く別物なのです。 |
1-2. 歴史に見る懐中時計の目的
1-2-1. ヨーロッパで時計が発達した背景
デジタル腕時計(CASIO 1987年頃) "DBA-800" ©U1Quattro(9 January 2020, 20:18:17)/Adapted/CC-BY 3.0 |
分刻みでスケジュールが動く現代社会では、秒単位まで気にして生きていますが、時間や暦は人間が作った概念です。 元々、時間に単位などはありません。 |
ストーンヘンジは夏至の日の出が中央から昇るように作られている (イギリス 紀元前2500-紀元前2000年頃) "Summer Solstice over Stonehenge 2005" ©Andrew Dunn(21 June 2005)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
暦が使われるようになったのは最終氷期の狩猟採集社会で、月の位置と満ち欠けを観察したのが始まりとされています。先史ヨーロッパを中心に、ストーンヘンジなどストーンサークルも多く使われており、春分、夏至、秋分、冬至の見極めに用いられていました。ゆる〜いスケジュール管理ですね〜。 |
『カプリコーンと戦うライオン』 円筒型印章 メソポタミア(シュメール) 紀元前2900年頃 SOLD |
多くの古代文明で太陽や月などの天体観測が行われ、それを元に時間や日付、季節が定められるようになりました。 現在使用されている六十進法の時間単位は紀元前2000年頃のシュメールで考えられたものです。 4000年ほども昔に生み出され、定番化して現在に至るまで使い続けられているということですね。歴史が長いです! |
ルクソール神殿の第一塔門とオベリスク (古代エジプト 着工:第18王朝時代:紀元前1570-紀元前1293年頃) "Pylons and obelisk Luxor temple" ©Ad Meskens / Wikimedia Commons(10 August 2011)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1日の時刻測定に使用された初めての時計は日時計で、最も古いタイプの日時計は古代エジプトで作られています。紀元前3500年頃に造られたオベリスクも、影を利用して日時計の役割を果たしていました。1日を12時間、昼と夜の2組に分けたのも古代エジプト人です。 |
玄武岩の水時計の破片
(古代エジプト 第30王朝時代末期:紀元前380-紀元前343年頃) "Fragment of a basalt water-clock with evaporation time markers on interior as dots on djed and was hieroglyphs. Late period, 30th Dynasty. From Egypt. The Petrie Museum of Egyptian Archaeology, London" ©Osama Shukir Muhammad Amin FRCP)Glasg)(10 March 2016, 17:50:38)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
ただ、日時計は夜や曇り、雨の日などは使うことができません。当然の流れとして、水時計や砂時計、天体図を使うなどして時刻を知る試みがなされました。水時計に関しては紀元前16世紀に発明されたと考えられています。 |
蝋燭時計(18世紀頃)"Kerzenuhr" ©de:Benutzer:Flyout(7 November 2004)/Adapted/CC-BY-SA 3.0 | ウェセックスのアルフレッド大王(849-899年) |
その後、蝋燭や油が燃える時間を利用する火時計も開発されました。初期の火時計として有名なのは、9世紀のイギリスにおけるアルフレッド大王によるものです。ただ、どれもかなりザックリとした時間ですね。 |
腹時計を持っている小元太(1歳頃)、Genと小元太のフォト日記 2008年4月『リラックス♪』より |
腹時計で生きているような者にとってはそれでも十分なのですが、それではダメな人々もいました。 |
ベネディクト16世によるミサの司式 "BentoXVI-51-11052007 (frag)" ©Fabio Pozzebom/ABr(11 May 2007)/Adapted/CC BY 3.0 BR |
それがキリスト教の人々でした。 キリスト教(カトリック)では宗教行事の作法が厳格に定められており、祈祷時間等も正確に決められていました。 このため、キリスト教に支配されていた中世ヨーロッパでは、正確な時計とタイマーを必要としたのです。 この宗教上の必要性により、ヨーロッパで時計が大きく進歩することになったのです。 |
1-2-2. 初期のヨーロッパの機械式時計
第139代ローマ教皇シルウェステル2世(在位:999-1003年)と悪魔(1460年頃) | ローマ教皇シルウェステル2世は10世紀のヨーロッパ世界に於いて、数学者・天文学者として傑出した人物として知られています。 生涯に渡り古代ローマ時代の著作の写本を各地から熱心に収集し、学んでいました。 古典著作への熱愛は教父の著作より深く、まだ教皇になる前の時期には、先代の教皇の使節から「プラトンやウェルギリウスなどの古代の哲学者を師として仰ぐべきではない。」と指摘されるほどでした。 |
古代世界の学術の中心地だったムセイオン附属のアレクサンドリア図書館の内部(想像図) | 古代ローマの博物学者プリニウスや、五賢帝時代の歴史家・政治家スエトニウスの写本を、ランスの司教座附属学校の図書館の蔵書に加えたりもしています。 |
『惨殺されるヒュパティア』(作者不明 1865年) |
修道士らキリスト教徒を率いてアレクサンドリア図書館やムセイオンなどの破壊活動や、学者の斬殺などを行った総司教キュリロスたちとはえらい違いですね。 |
ウォリンフォードのリチャードがセントアーバンス大聖堂に作った天文時計(1380年頃) | ウォリンフォードのリチャード(1292-1336年) |
セントアーバンス大聖堂の修道院長ウォリンフォードのリチャードも時計学、数学、天文学者、そして聖職者として、特に時計と天文学に於ける実績で知られています。現代だと職人は高い地位に就けるイメージがありませんが、分野に依るのでしょうけれど、昔は優れた職人や学者が高い地位に就くこともできたということですね。 ウォリンフォードのリチャードも元々特別な身分ではなく、鍛冶屋の息子として生まれています。オックスフォード大学で6年学んだ後、セントアーバンス大聖堂の修道士となり、その後再びオックスフォード大学で9年間学んでいます。最終的には1327年にセントアーバンス大聖堂の修道院長となっています。 |
パドヴァの天文時計(1364年) | こうして機械式時計はキリスト教の中で改良を繰り返され、進化していきました。 その中で、精確性の向上や小型化が図られました。 |
天文時計の前に座るルイ・ド・ブルージュ(1470-1480年) | そうは言っても、まだまだ携帯するのは難しいサイズでした。 |
1-2-3. ペンダント・ウォッチの誕生
ドイツの錠前職人(1451年) | より時代が降ると時計専門の職人も現れますが、古い時代は聖職者以外では錠前職人や宝飾職人が時計職人も兼ねていました。 時計作りは非常に特殊な技術が必要で、これらの職種はそのための技術や道具を備えた数少ない職種でした。 16世紀初頭に世界で初めて携帯可能な小型の時計が誕生したのですが、それを発明したのがドイツの初期ルネサンスの錠前職人、兼時計職人ピーター・ヘンラインでした。 |
懐中時計の発明者ピーター・ヘンライン(1479 or 1480-1542年) "Peter Henlein+" ©Vitold Muratov(4 April 2010)/Adapted/CC-BY 3.0 | 元々はニュルンベルクで錠前屋で見習いをしていたのですが、1504年(25歳頃)に錠前職人仲間であるゲオルク・グレイザーが殺される乱闘に巻き込まれました。 共犯者とされたヘンラインはフランシスコ会修道院に助けを求めました。 保護されていた1504年から1508年までの期間、ヘンラインは同修道院にて同時代の優れた知識人たちから、東洋を経由して入ってきた中世から初期ルネサンスにかけての天文学、数学、時計製造、文化などに関する様々な知識を得ました。 特に時計製造の技術に関して、深い知識を得たようです。 |
世界最初のペンダント・ウォッチ『Watch 1505』
(ピーター・ヘンライン 1505年) "PHN - Watch 1505" ©LBEAS(12:39, 19 December 2018, 17:50:38)/Adapted/CC BY-SA 4.0 |
そうしてヘンラインによって1505年に生み出されたのが、ゼンマイバネを使用した円筒型のペンダント・ウォッチでした。剥き出しではなくケースに収納され、ペンダントとして首や手首から下げて使うポマンダー型でした。東洋の影響を受けたドイツの技術で制作された、東洋スタイルのポマンダーとされています。 ケースの直径が4.15×4.25cmで、収納されているムーヴメントの直径は3.60cm×3.55cmだそうです。今でも機能する世界最古のペンダント・ウォッチでもあり、2014年5月時点でのオークションにおける初期の見積もり価格は5000万〜8000万ドルだそうです。最低でも50億円から80億円・・。ヘリテイジで100万円の宝物を800個手に入れる方がよっぽどオシャレで心豊か、さらに知識も豊富になれると思うのですが、まあこういうのは成金的な虚栄心を満たすことと投機目的でしかないので、そういうものでしょう(笑) |
初期のペンダント・ウォッチ(ピーター・ヘンライン 1510年頃) "Henlein Taschenuhr" ©Pirkheimer(8 May 2011)/Adapted/CC-by-SA 3.0 | 初期のペンダント・ウォッチは3つのタイプがありました。 1. 首や手首に下げて使うポマンダー型 2. 首から下げて使う円筒型 3. 卓上時計として使用したり財布に入れて持ち運ぶ高円筒型 左はチェーンで首からかけるタイプです。小型化されたとは言え、まだまだゴツいですね。 |
1-2-4. ペンダント・ウオッチの進化
『ニュルンベルクの卵』懐中時計(16世紀後期) | ヘンラインが1542年に亡くなった後も、起こった技術革新により、ニュルンベルクの新たな時計職人たちによってペンダント・ウォッチは進化していきました。 16世紀中後期くらいから作られ始めた楕円型(卵形)のペンダント・ウォッチは、特に1580年頃から『ニュルンベルクの卵』として人気を博しました。 |
1-2-5. 王侯貴族の富と権力の象徴としての進化
ガーター勲章デザインのペンダント・ウォッチ
ガーター勲章デザインのペンダント・ウォッチ (ムーヴメント:ニコラス・ヴァラン、イギリス 1600年頃)メトロポリタン美術館 |
イギリスの時計職人ニコラス・ヴァランによって制作された懐中時計も、『ニュルンベルクの卵』と同じようなスタイルです。ニコラス・ヴァランはフランドルの時計職人だったジョン・ヴァランの息子で、ユグノーの移民でした。カトリック教徒による大量虐殺等、度重なる迫害によってユグノーが移民となり、それと共にユグノーの職人によって様々な技術がヨーロッパ各地に伝わっています。実は時計技術もその1つです。 このペンダント・ウォッチには聖ジョージの竜退治と、青いガーターがデザインされています。 |
すなわちガーター勲章のデザインとなっており、元々の持ち主は不明ですが、ガーター騎士団の1人だったとみられます。 ガーター騎士団はイギリスの騎士勲章の最高位で、王族を除き臣民の勲爵士は常時24名までという、通常の爵位貴族より人数が限定される、超特別な身分の人たちです。 |
超モダンなスケルトンのペンダント・ウオッチ
【参考】寿命が短い樹脂製品 | ||
変色前 | 黄変後 | |
ただ、それはこの400年近くも前のロッククリスタルの宝物のように永久性を持つことはありません。例えば樹脂は柔らかいので懐中時計として使用するには耐久性が低すぎる上に、すぐに変色します。環境によっては1年も持ちません。 黄変しても構わず使い続けられる程度の美意識の人もいるでしょうけれど、それなりの人としか周囲には認識されませんし、通常の美意識を持っていればこんな黄変したものは恥ずかしくて人前では使えないはずです。こういう寿命が短い消耗品を買うことを、「安物買いの銭失い」と言うのです。 |
結晶構造を持たないガラスも、ロッククリスタルほどの硬度がなく摩耗しやすいため、ペンダント・ウォッチとして使用して400年近くも傷がなく、エッジがシャープに保たれたままということはあり得ません。 大切に使えば100年どころか半永久的に私たちを楽しませるのは、アンティークの特別な宝物だけができることです。 |
アゲートのペンダント・ウォッチ
男性が身に付けるものではありましたが、まだまだ厚みがあってゴツい印象ですね。 |
1-2-6. 隠して身に付けるようになったペンダント・ウォッチ
イングランド王/スコットランド王 チャールズ2世(1630-1685年) | 男性用のステータス・アイテムとして、17世紀には装飾的にも大きく進化したペンダント・ウォッチですが、イギリスのチャールズ2世の治世下でファッションの面に於いて大きな変化がありました。 |
王政復古期のイングランド・スコットランド・アイルランド王チャールズ2世(1630-1685年) 1661年のウェストミンスター寺院での戴冠式、30歳 |
この肖像画を見ると、とっても偉そうに見えますが、1642年からの清教徒革命(イングランド内戦)によって1649年に父王チャールズ1世が処刑され、空位期間を経て1660年に王政復古の王となった時の絵です。地位、財政、政治的にも盤石の状態にはありませんでした。 |
お抱え庭師ジョン・ローズから温室栽培に成功したファースト・パイナップルを 献上されるチャールズ2世(ヘンドリック・ダンケルツ作 1675年) |
これもあって、チャールズ2世は王としての多岐に渡る義務を熱心に務めました。ロイヤルタッチなどもその1つですが、ファッションリーダーとしても強いリーダーシップを発揮しました。それがファースト・パイナップルを献上されたのと同時期に発表されたチョッキです。 |
イギリス王チャールズ1世とクロムウェルの兵士たち |
16世紀のイギリスは大陸から見れば完璧な田舎で、文化的にもかなり遅れていました。戦いの時代には男らしさが最重要視されるもので、上流階級であっても所謂"イギリス紳士らしさ"はゼロです。 「先進国に追いつけ追い越せ!」と言うことで、17〜18世紀にかけてイギリス貴族の師弟によるグランドツアーが行われることになり、イギリス上流階級は見事にイギリス紳士という言葉を確立するほど洗練されていきましたが、チャールズ2世の治世はその始まりの時期と言えます。 |
ルイ13世の小城館を改築した造営初期のヴェルサイユ宮殿(1668年頃) |
当時、彫刻や絵画など芸術の中心地と言えばイタリア、音楽と言えばオーストリアでしたが、ファッションやマナーなど文化の中心地と言えばヴェルサイユ宮殿で宮廷文化が花開いたフランスでした。17世紀から18世紀にかけての上流階級やエリートの主要言語として使用されたのがフランス語だったほどです。 |
イギリスの官僚サミュエル・ピープス(1633-1703年) | イギリスの官僚サミュエル・ピープスによる1666年10月7日の日記によると、 「王(チャールズ2世)は昨日の議会で、評議会として新しいファッションを制定すると宣言した。それは『チョッキ』となるようだが、私にはそれをどのように使うのかがよく分からない。」 とあります。 政治や外交などの政策を議論する場で、このように王が新しいファッションを発表したりもするのですね。 |
グランドツアー中のハミルトン公爵と弟と引率の師(1774年) | チャールズ2世は理想的なメンズウェア3点セットとして宮廷用コート、チョッキ、ブリーチの組み合わせを定めました。 ブリーチは膝下、場合によっては足首までのズボンです。 |
男性用の宮廷用コート&チョッキ(イギリス or フランス 1800年頃)"BLW Man's Court Coat and Waistcoat" ©Cavid Jackson(February2010)/Adapted/CC BY-SA 2.0 uk | チョッキの長さやスタイルは流行によって変化しており、チャールズ2世が発表した時はコートと同じくらいの長さがあったそうです。 この新たなファッションの出現により、ペンダント・ウォッチは前ポケットに入れて使われるようになりました。 |
1-2-7. 付属アイテムが注目されるようになった懐中時計
シルクのチョッキ(フランス 1750年)LACMA | 流行は物珍しさが無くなると共に、いずれは廃れ行くものです。 しかしながら傑出した魅力を持っていた場合は忘れ去られることなく、定番化します。 チョッキ(ベスト、ジレ)もそうでした。 現代でも着用されていますし、今では女性がオシャレなファッションとして着用することすらもあります。 |
コネチカット州の上院議員イライジャ・ボードマン(1760-1823年)1789年、29歳頃 | チョッキを使ったメンズ・ファッションが現れて以降、懐中時計はポケットに入れて見えなくするファッションが定番化しました。 これに伴い、男性のステータス・アイテムである懐中時計そのものがあからさまに人目に触れることはなくなりました。 |
懐中時計の付属アイテム | ||
フォブシール | ウォッチキー | ウォッチチェーン |
『アンズリー家の伯爵紋章』 イギリス 19世紀初期 ¥1,230,000-(税込10%) |
『4 FACES』 イギリス 1830年〜1840年頃 ¥255,000-(税込10%) |
『ステータス』 イギリス 19世紀後期 SOLD |
一方で懐中時計の付属アイテムが、最重要ファッション・アイテムとして進化していくこととなりました。これらのアイテムは、見えない懐中時計がどのくらいのレベルのものかを推定する指標となります。女性用のジュエリーと違い、男性用アイテムは数が限られています。 |
ウィリアム王子(後のイギリス国王ウィリアム4世)(1765年-1837年)1800年頃、35歳頃 | 故に、人から見られる懐中時計の付属アイテムは、特に持ち主のありったけの財力や個性を注ぎ込んで制作されたのです。 これはイギリス国王ジョージ4世と女王ヴィクトリアの間の君主、ウィリアム4世の王子時代の肖像画です。 フォブシールらしきものだけがチョッキの下からチラ見えしています。 |
『消化におびえる酒色にふけた人』王太子時代のジョージ4世のカリカチュア(1792年、30歳頃) | どうやって着用してるのか通常は分かりませんが、ウィリアム4世の兄ジョージ4世を描いたこのカリカチュアだと、ブリーチの前ポケットに懐中時計を収納してフォブシールやウォッチキーを下げた様子が分かりますね。 ジョージ4世は暴飲暴食によって1797年には体重約111kg、1824年にはウエスト約130cmまで太っており、肥満体質だったことには違いありませんが、元々は身長が高くてハンサムだったと言われています。 弟のケント公エドワード・オーガスタス(ヴィクトリア女王の父)も身長が高く、185cmで逞しい体つきだったそうで、これはカリカチュアならではの誇張された表現でしょう。本当にここまでパンパンだと、懐中時計が腹圧で壊れないか心配ですね〜(笑) |
イギリス国王エドワード7世(1841-1910年) | 時代が降ると、懐中時計はチョッキの前ポケットに入れて使用されるようになります。 |
男性のポートレート写真(19世紀後期) | 昔は写真1枚を撮るのが、特別な目的で一張羅を着て写真館で撮影する一大イベントでした。 晴れの服装をして、一番目立たせるのがステータス・アイテムである懐中時計です。 正確には、懐中時計を示唆する付属アイテムです。 |
男性のポートレート写真(19世紀後期) | 「実は付属品だけで、懐中時計は入っていない人もいたりして(笑)」 |
男性のポートレート写真(19世紀後期) | そんな私のような見方をする人を抑制すべく、わざわざ懐中時計を手に持って撮影している人もいます。 おそらく、当時も実際に付属品だけ身に付けて自慢しちゃう人がいたのだと思います(笑) それだけ時代が降っても高級品であり、男性の重要なステータスアイテムだったと言うことでしょう。 |
1-2-8. 懐中時計のステータス・アイテムとしての変化
18世紀
『紳士と淑女』(フランス 1778年) | 右の紳士のファッションは、18世紀後期に流行った懐中時計2個持ちです。チェーンと付属アイテムが左右に見えるので、分かります。 18世紀までは懐中時計は特に超超高級品で、1つ持っているだけでも超超大金持ちと分かるステータス・アイテムでした。 どういうものを持っているのかが一番重要なはずですが、いつの時代にも、上流階級の中にも成金的な発想をする人はいるもので、このように2個着用する新たなファッションを生み出した人がいたようです。 まさに『nouveau riche(ヌーヴォー・リーシュ、成金)』と言う感じです(笑) |
懐中時計2個持ちファッションの紳士(フランス 1788年) | 品の無いあからさまな自慢は格好悪いもので、初めのうちは目新しさもあって流行したようですが、さすがに定番化せず一過性に終わったようです(笑) |
懐中時計2個持ちファッションの紳士(フランス 1780年代) | とは言え、この時代の懐中時計がいかに高価だったのかの証とも言えるのです。 時計の精密な部品も高価ですし、さらに外装にはジュエリーレベルの装飾が施されるので、単純なジュエリーより遥かに高価になるのは当然です。 1つ城がくらいと言われていますが、城だって超大金持ちだと複数持っていますしね。 時刻の確認に2つは不要ですが・・(笑) |
18世紀の終わり
荒れる海で帆をたたむ船員たち(1920年代) |
技術の進化によって、18世紀の終わり頃にはある程度安価に懐中時計を作れるようになりました。船員向けの安価な懐中時計も販売されるようになりましたが、そういうものは機能性重視で外装は粗雑だったそうです。 どうでも良いですが、左の船員さんたちは凄いですね。私ならば、絶対に役に立つ前に落っこちて死んでいます(><) |
19世紀前半
鍵巻き式クロワゾネエナメル懐中時計 エナメル:スイス又はフランス 1840年頃 ムーブメント:フランス 1840年頃 SOLD |
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19世紀も、前半はまだまだ懐中時計はかなり高価なものでした。 これは驚く程の薄型化に成功した懐中時計で、手間をかけた美しい外装も、最高級ジュエリーレベルの見事さです。 |
19世紀半ば
エラリー・モデル1857(アメリカン時計会社) "Waltham Ellery Model 1857, steel" ©Waltham International SA(19 November 2013, 17:29:12)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
1857年に、1850年創業のアメリカ最古の時計ブランド、アメリカン時計会社(後のウォルサム・ウォッチ・カンパニー)によってモデル57が発表されました。 モデル57は統一規格で作られた、交換可能な部品であることが特徴でした。 |
ウォルサム・ウォッチ・カンパニー全盛期のパンフレット(1920年) | これがどう画期的なのかというと、それまでのハンドメイドの部品は1つ1つに個性があり、職人のスキルに大きく依存するため、製造や組み立てに時間や技術がかかるという問題がありました。 しかしながら互換性のある部品を採用することで職人による差が無くせる上に、製造や修理コストも抑えることに成功しました。 |
19世紀後期
アメリカン時計会社のウォルサム本社(1850-1900年) |
製造は急速に合理化され、1865年までにアメリカン時計会社は信頼性の高い懐中時計を年5万点以上製造するまでになりました。こうしてアメリカで一定以上の品質を持つ安価な懐中時計が量産できる時計産業が確立していった結果、スイスの時計業界は時計のリーディング・カンパニーとして、より精度の高い高級時計だけにターゲットを絞らざるを得なくなりました。 |
鉄道王ら資本家たちを運ぶ労働者(雑誌パック 1883.2.7号掲載の風刺画) |
1865年の南北戦争終結から1893年恐慌までの28年間、特に1870年代と1880年代はアメリカ合衆国において資本主義が急速に発展を遂げ、『金ぴか時代』或いは『金めっき時代』と呼ばれています。政治腐敗や資本家の台頭、経済格差の拡大が起きた、"拝金主義に染まった成金趣味の時代"として認識される時代です。この発展を支えたのが、広大なアメリカに張り巡らされた鉄道網でした。 |
ミシガン南部鉄道の路線図(1850年) |
19世紀後半は、台頭する鉄道業界によって広く懐中時計が使用されました。現代の日本の鉄道の時間正確性は半端ありませんが、そこまで要求しなくても鉄道業界に於ける時間管理は非常に重要です。1891年4月19日にオハイオ州でレイクショア&ミシガン南部鉄道の有名な列車事故が起きていますが、原因は技術者の時計が4分間停止したことによるものでした。 |
鉄道グレードの懐中時計ハミルトン992のムーヴメント(1914年) "992Movement" ©OGWFP(16 November 2019)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | この事故もあり、鉄道員が仕事で使う量産型の懐中時計すらも高い性能が要求され、さらに発展していったのでした。 |
ウォルサムモデル1899年のムーヴメント(アメリカン・ウォルサム時計会社) "992Movement" ©OGWFP(16 November 2019)/Adapted/CC BY-SA 4.0 | このような背景があり、19世紀後期にはもはや懐中時計というだけでは、上流階級の男性のステータス・アイテムとはみなされなくなりました。 |
男性のポートレート写真(19世紀後期) | 流行は王族など高位の上流階級から周りの上流階級へと波及し、最後は庶民へと降りてきます。 19世紀後期になり、懐中時計は裕福になった中産階級の男性が頑張って手に入れる、憧れのステータス・アイテムとなったのです。 故にこれ以降の時代は、懐中時計はステータス・アイテムと言うよりは、機能性が重視される道具になったと言えます。 |
1-3. レディース・ペンダント・ウォッチの短い歴史
女性向けの高級ペンダント・ウォッチは歴史が短い上に、極めて数が限定されています。 故に一定数のアンティークの懐中時計マニアがいる男性向けと異なり、歴史的にはほとんど知られていない存在となっています。 レディース・ウォッチの歴史を調べてみても、せいぜい今のブランド時計を売りたい人たちがステルス・マーケティング的に書かれた、ヴィンテージ以降のブランド時計のごく浅い情報しか出てこないと思います。 ここからは、女性向けのアンティークのペンダント・ウォッチを専門の1つとして長年お取り扱いしてきた私たちでしか書けない情報です。 |
ボール型ペンダント・ウォッチ ブラックスター&フロスト社 1910年頃(ムーブメントはスイス製) SOLD |
古い時代からの女性用の時計をお取り扱いしてきて分かるのは、女性用のペンダント・ウォッチに関してはエドワーディアンからアールデコ初期にかけて花開いていることです。 |
ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
特に開花初期と言えるエドワーディアンは、ジュエリーとして見ても極めて高級かつデザイン的にも優れたものが多いです。 |
これまでの45年間で最も素晴らしいとGenも感動するこの宝物も、エドワーディアンのものです。 男性用と違って、女性用はなぜこの時期にピークが来たのか、歴史を追ってみましょう。 |
1-3-1. 女性の持ち物ではなかった懐中時計
狩猟の合間に食事を楽しむ貴族と従者(15世紀)フォア伯爵ガストン三世の狩猟書のフランス語版より |
懐中時計が必要となるのは外出時です。単なるステータス・アイテムとしてだけでなく、実用的に必要なものとして上流階級の男性は狩猟や旅行などの外出時に懐中時計を持ち歩きました。 男性の場合は男性だけで外出するのは当たり前ですが、上流階級の女性の場合、女性だけで外出するということはまずあり得ないことでした。今より遥かに治安が悪かったこともあります。イギリス貴族のグランドツアーも男性のためのものでした。 |
『狩りの休憩』(シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー作 1737年)ルーブル美術館 "Charles André van Loo, fermata durante la caccia, 1737, 01 ©Sailko(16 June 2016)/Adapted/CC BY 3.0 |
上流階級の女性が外出の際には必ず男性がいますから、時計を持つ必要はなかったのです。また、小型化が進んでいない古い時代の懐中時計はゴツくてあまり女性らしくもないため、長い間、懐中時計は男性用が主流だったようです。 |
1-3-2. 小型化によって女性用が出てきたペンダント・ウォッチ
懐中時計付きシャトレーン 英国王室御用達 RUNDELL&BRIDGE社 1790年頃 SOLD |
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初期の懐中時計は厚みがあってゴツい印象でしたが、薄型化が進むと女性用も出てきました。 これは当時のメーカーの末裔から出てきた奇跡の未使品で、ミュージアムピースと言える女性用のペンダント・ウォッチです。 ランデル&ブリッジはジョージ3世時代に王室御用達になった古い時代のトップ・メーカーで、ガーター勲章の制作なども手掛けていましたね。 |
なぜ女性用と分かるかと言うと、シャトレーンに付いていたからです。 |
シャトレーンを着用した貴婦人 | シャトレーンは女性が腰から下げて使う道具および装飾品です。 屋敷で働く女中が鍵やハサミなどの仕事道具を下げて使う実用品でもありますが、ペンダント・ウォッチを持つことのできる、上流階級の中でも最上位の身分に位置する女性が時計を下げるためにも使われていました。 この絵からもお分かりいただける通り、女性の場合はポケットなどには入れず、どの時代でも時計は人から見えるように着用していました。 |
スイスの時計職人ピエール・ジャケ・ドロー(1721-1790年) | 1800年頃には腕時計も生み出されました。 1790年にスイスの時計商ジャケ・ドロー&ルショーがカタログに掲載したものが、腕時計の最古の記録とされています。 どのような物だったのかは分かっていません。 |
フランス皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年)、制作年不明 | 現存する最古の腕時計は皇帝ナポレオンの妻ジョゼフィーヌのために作られたもので、1806年にオーダーされて完成年は不明だそうです。 |
ナポリ王妃カロリーヌ・ボナパルト(1782-1839年)1807年、25歳頃 | 他、1775年にパリで時計メーカーを創業したスイス人時計職人アブラハム=ルイ・ブレゲが、ナポリ王妃カロリーヌ・ボナパルトのために腕時計を作っています。 名前からご想像いただける通り、カロリーヌはフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの妹です。 ブレゲはフランス王妃マリー・アントワネットやナポレオンにも時計を制作しています。カロリーヌの時計は1810年にオーダーされ、2年後の1812年に完成しました。 現在は行方不明ですが、金髪と金で編んだベルトで腕に装着できる、温度計付きの卵形の時計でした。多機能ですが、その分大きく重そうですね。 |
【参考】髪の毛のブレスレット(18世紀後期) | 【参考】髪の毛のブレスレット(1828年) |
当時の髪の毛を編んだベルトによるブレスレットと言えば、結構厚みがあるイメージです。当然ながら、この時代の腕時計は王族クラスのオーダーによる1点物のオーダー品となります。世界に先駆けて腕時計を商品化したのはオメガで、1900年に商品化し、1902年に広告を作っていますが、当時の腕時計は女性用ペンダント・ウォッチの竜頭の位置を横に変えて革ベルトに固定しただけのもので、デザインの無骨さから一般的には普及しませんでした。 |
【極めて珍しい最も初期の腕時計】 フランス 1890年頃(ムーブメントもフランス製) 時計の大きさ 直径2,3cm SOLD |
とは言え、量産による商品化は無理でも、莫大な費用をかけて作られた特別な一点物であれば、1890年頃の時点で現代にイメージするような細身のブレスレット・タイプの腕時計も作ることは可能だったようです。 技術的には可能であっても商品化できる、つまり複数の人たちが買えるほどコストを抑えることができず、普及はしなかったということでしょう。 |
鍵巻き式クロワゾネエナメル懐中時計 エナメル:スイス又はフランス 1840年頃 ムーブメント:フランス 1840年頃 SOLD |
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腕時計は女性らしい物であり、男性は懐中時計を持つべきという認識が強かったため、男性にはファッション用の腕時計は長く普及しませんでした。 女性用の時計として19世紀に主流だったのは、ブローチやシャトレーンに下げたりできるペンダント型でした。 |
1-3-3. ファッションリーダーの女性用ペンダント・ウォッチ
ヴィクトリア女王(在位:1837-1901年)1859年、40歳頃 | 1861年に最愛の夫アルバート王配を失って以降は2度と華やかなファッションを纏うことはなくなったヴィクトリア女王でしたが、それまでは大好きなアルバート王配に少しでも可愛いと思ってもらうために、オシャレにも熱心でした。 大英帝国の君主なので、イギリスのみならず世界のファッションリーダーでもありました。 |
第1回万博開幕をクリスタル・パレス内で宣言するヴィクトリア女王(1851年) |
大英帝国はヴィクトリア女王の治世下で、『パクス・ブリタニカ』と呼ばれる最盛期を迎えました。そんな世界の中心だったイギリスで1851年に華々しく開催されたのが、第1回万国博覧会でした。 |
アルバート王配(1819-1861年) | 大英帝国の威信をかけ、アルバート王配が中心かつ最大のパトロンとなって開催されたこのロンドン万博では様々な分野の最先端のもの、最高のものが世界中から集められました。 鉄とガラスの建物『クリスタルパレス(水晶宮)』然り、巨大ダイヤモンド『コ・イ・ヌール』然りです。 |
アントニ・パテック(1811-1877年) | この特別な祭典でヴィクトリア女王がお求めになった1つが、パテック・フィリップ製のペンダント・ウォッチでした。 有名な高級時計メーカーとして、世界5大時計と呼ばれるパテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲ、ランゲ・アンド・ゾーネ、ブレゲがあります。 さらに厳選して3大メーカーとされるのがパテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲですが、その中でもパテック・フィリップは頭1つ抜け出た存在であり、世界一の時計ブランドと称されています。 |
ジャン・アドリアン・フィリップ(1815-1894年)1880年頃、65歳頃 | 1839年からパテックとチャペックで共同事業を開始した『パテック・チャペック社』でしたが、1845年5月1日にフィリップが入社し、社名を『パテック社』に変更しました。 その16日後に、創業者チャペックがパテック社を去りました。 さらに6年後の1851年1月11日に社名を『パテック・フィリップ社』とし、同年5月1日から10月15日まで開催されたロンドン万博にはパテック・フィリップ社として出展しました。 |
ヴィクトリア女王のペンダント・ウォッチ | |
【引用】QUILL & PAD KEEPING WATCH ON TIME / Bringing Patek Philippe’s Universe To New York City For 11 Days In July 2017 With ‘The Art Of Watches Grand Exhibition’ by Elizabeth Doerr/ADAPTED | ←↓ パテック・フィリップ 1851年 【引用】THE HOUR GLASS / Patek Philippe Rare Handcrafts by David Chan(16 Aug 2019) © The Hour Glass Limited/ADAPTED |
ヴィクトリア女王はロンドン万博で献上されたスイスのパテック・フィリップのペンダント・ウォッチをとても気に入り、もう1点ご購入されたそうです。その後、パテック・フィリップ社はヴィクトリア女王によって英国王室御用達の時計メーカーとされました。 |
1-3-4. 社交スタイルの変化に伴う女性用ペンダント・ウォッチの発展
オーストリア皇后エリーザベト(1837-1898年)1867年、29歳頃 | パテック・フィリップ社の顧客にはオーストリア皇后エリーザベトなどもいましたが、まだこの時代は、ペンダント・ウォッチは上流階級の女性にはあまり流行らなかったようです。 そもそも1人で外出することのない上流階級の女性には必要がありませんし、時計以外にも富と権力、教養や美しさを象徴するためのアイテムは他にもたくさんあったからでしょう。 しかしながら19世紀の終わり頃、上流階級の女性の社交スタイルに大きな変化が起きました。 |
旧時代の社交スタイル
ロスチャイルドの邸宅ワデズドン・マナー敷地内にある南国の鳥用のバードケージ フォト日記『豪華な南国の鳥の楽園』より |
上流階級の女性が出歩いて社交する必要がなかったのは、上流階級が所有する敷地内や邸宅が主な社交の場だったからです。ヨーロッパの王侯貴族の所有する敷地や邸宅は、現代の日本人が想像する以上に広く大きく、様々なものが揃っています。 |
ダラムのウィンヤード・パーク(1880年頃) |
上流階級の社交と言えば舞踏会でダンスをして、豪華な食事をしてというイメージが強いです。舞踏会場は邸宅内にあります。食事を提供するあらゆる召使も邸宅で働いています。 これはイギリス国王エドワード7世もお気に入りだったロンドンデリー侯爵のカントリーハウス、ウィンヤード・パークです。皇太子時代はアレクサンドラ妃と共に、狩り(シューティング・パーティー)を楽しむために夫妻でよく訪れていたそうです。狩りができる場所はもちろん、邸宅内には広大な舞踏会場もありました。 |
英国王室の狩猟場だった王立公園ハイドパーク(手前)とケンジントンガーデン "Aerial view of Hyde Park" ©Ben Leto, BaldBoris(6 August 2011, 14:58)/Adapted/CC BY 2.0 | 君主クラスになると中心地であるロンドンにすら広大な狩猟場を持っており、激務をこなしながらも遊ぶことが可能でした。 ぜ〜んぶ所領内でできちゃうのです。 現代庶民が公共施設として皆でシェアして使っているクラスのものが、古い時代は特権階級だけが独占して悠々自適に使用されていたということですね。 "大金持ち"のスケールが、今とはまるで違います! |
ピカデリー通りから見たデヴォンシャー・ハウス正面玄関(1906年) | イギリスの王侯貴族は、邸宅を複数所有しています。 所領にあるカントリーハウスがメインですが、仕事や社交のために必要な邸宅として、ロンドンにタウンハウスも持っています。 |
デヴォンシャー・ハウスの舞踏会場(イラストレイテド・ロンドン・ニュース 1850年) |
タウンハウスですらも、数百名もの上流階級を集めて大仮面舞踏会を催すことができるほど規模が大きいものもあります。上流階級たちはどこであっても、敷地内で社交を楽しむことができてしまうため、特に夜は単独で女性が外出するようなことはなかったのです。社交の後はそれぞれのタウンハウスに戻れば良いだけだったので、ロンドンには19世紀末まで高級ホテルすら必要なく、存在しなかったのです。 |
ロンドンに高級ホテルができたことによる社交スタイルの変化
避寒地 リヴィエラ "Nice-seafront" ©Ioan Sameli(14 August 2006)/Adapted/CC BY-SA 2.0 |
避暑地 ルツェルン "Luzern pilatus" ©Roland Zumbühl of Picswiss(18:41, 25 July 2005)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
19世紀後期に大きな変化が生まれました。 ヨーロッパ各地のリゾートは、ヨーロッパの王侯貴族が避寒地や避暑地などとして訪れることで発展してきました。 |
リチャード・ドイリー・カート(1844-1901年) | そこに目をつけたのが、実業家リチャード・ドイリー・カートでした。 1881年に、自らがプロデューサーとなってオペラを製作・上演するためにロンドンにサヴォイ・シアターが開業していたのですが、観劇に来た観光客、特にアメリカ人富裕層をターゲットにしてロンドン初の高級ホテルを開業したのです。 |
テムズ川から見たサヴォイ・ホテル(1890年代) | 1889年8月6日にオープンしたサヴォイ・ホテルは、当時の様々な最先端技術が取り入れられた高級ホテルでした。 しかしながらロンドン初だっただけあって、高級ホテルとしてのノウハウがなく、半年以内にホテルから客足は遠のいていき、赤字が続くようになりました。 需要が無いわけではないのです。 |
セザール・リッツ(1850-1918年) | オーギュスト・エスコフィエ(1846-1935年) | サヴォイ・ホテルの取締役会は経営陣、支配人、料理長を含む料理人たちを刷新することにしました。 そこで白羽の矢が立ったのが、後のホテル王セザール・リッツでした。 リッツは料理人としてオーギュスト・エスコフィエを呼びました。現代では『近代フランス料理の父』とも呼ばれる、フランス料理界の有名人です。 |
モナコ大公宮殿のあるモナコ側から見たモンテカルロ "Monaco pano" ©Flyer84 at English Wikipedia, Joseph Plotz.(27 May 2009)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
リッツとエスコフィエは、ヨーロッパの上流階級が集まるモンテカルロなどのリゾート高級ホテルで既にタッグを組んだ経験と実績があり、上流階級を喜ばせるノウハウやアイデアをたくさん持っていました。リッツにはパトロンとして、プリンス・オブ・ウェールズ(後のイギリス王エドワード7世)もいたほど才能に溢れていました。 |
サヴォイ・ホテルの大晦日のパーティのディナー・メニュー(1908年) | リッツとエスコフィエのタッグが始まると、サヴォイ・ホテルのレストランではイヴニングドレスの着用が義務付けられました。 リッツはディナー中に生演奏が聴けるよう、人気ミュージシャンを雇い、日替わりメニューを毎日印刷するなど、革新的な取り組みを続けました。 上流階級の心を掴むイベントも多々開催しています。 飽きさせない工夫はリピーターにつながりますし、宿泊しなくともレストランで高級フランス料理を食べたり、一流のアーティストによる音楽を聞いたり、楽しいイベントに参加したり、皆が着飾る場で自分も華やかにオシャレをして社交を楽しみたくなります。 |
オペラのポスター(1894年頃) |
サヴォイ・シアター(1881年) | サヴォイ・シアターでオペラを観劇した後は、隣のサヴォイ・ホテルのレストランで料理や音楽、様々なイベントを楽しむ。 そういう、上流階級にとっての新たな社交スタイルが19世紀末に誕生したのです。 |
サヴォイ・ホテルの大きなレストラン(1900年頃) |
それまでの『ホテル』は旅先での宿泊施設に過ぎず、外食も男性だけのものとされていました。それがサヴォイ・ホテルの成功によって、『都会の高級ホテル』イコール上流階級にとって最先端の社交の場となったわけです。上流階級の女性たちが夜も外出するようになったのは、この大きなスタイルの変化に拠ります。 |
外出するようになったことで、上流階級の女性たちが時計を携帯する"明確な"意味が生まれました。 |
時間を気にするシンデレラ | |
サラ・ノーブル・アイヴス画 1912年頃 | アン・アンデルセン画 1910-1930年頃 |
男性と楽しくデートしつつも時間を気にするなんて、女性が大好きなおとぎ話『シンデレラ』のようですね♪ |
そんな時に必要なのは、清楚で高貴な女性が持つに相応しい、エレガントで美しいペンダント・ウォッチです。 こんなペンダント・ウォッチで時間を確認できるなんて、持ち主の女性自身も楽しいでしょうし、その美しい仕草を見る男性も切なさと愛おしさを感じたことでしょう!♪ ようやく上流階級の女性用のための高級ペンダント・ウォッチが花開くこととなったのです。 残念なことに、この上質なレディース・ペンダント・ウォッチ制作はごく僅かな期間で終わります。 |
1-3-5. 腕時計の時代となったアールデコ以降
【参考】腕時計(パテック・フィリップ 1920-1930年代) | 女性用のペンダント・ウォッチは、1930年頃までには腕時計に取って替わられることとなりました。 先述の通り、元々1800年頃には女性用の腕時計が生み出されていました。 しかしながら小型化が進んでおらず、無骨さもあって流行しなかったという技術面での課題がありました。 |
発明家・飛行家アルベルト・サントス・デュモン(1873-1932年)1918年、45歳頃 | 腕時計は女性用というイメージが強く、オシャレ用途としては20世紀まで男性にも普及していませんでした。 1904年、ブラジル出身の発明家・飛行家で富豪のアルベルト・サントス・デュモンが友人のルイ・カルティエに、飛行機を操縦中にも操縦桿から手を離さず見ることのできる腕時計をオーダーしました。 デュモンのファッション・センスは社交界でも有名で、その腕時計が評判となり、男性にも腕時計が流行したのです。 |
これを受けて、1911年にカルティエから世界初の一般用量産腕時計『サントス』が販売されました。デュモンのために作られた腕時計が原型になっています。 ただ、それでも腕時計は女性用のイメージが強く、軍事用途など特別な場合を除いては、依然として男性には懐中時計が支持されていました。 |
【参考】1920年代以降の女性用腕時計(カルティエ) | |||
一方で、小型化によって無骨さが無くなった腕時計は女性用に普及することになったのです。アールデコの時代になると女性用は腕時計が多くなり、1930年頃までには腕時計が一般的となりました。せいぜいバリエーション違いで作られる、機能性重視の量産ばかりなので、高級時計が一気につまらなくなるのです。 |
【参考】腕時計(ティファニー 1930年頃) | ジュエリー制作は、アールデコ後期になるとハイブランドであっても手抜きが進み、第二次世界大戦後は、王侯貴族のための優れたジュエリー制作の歴史自体が終わってしまいます。 当然、ジュエリー制作の技術も必要とする、高級レディース・ウォッチも作ることができなくなります。 |
腕時計(ショーメ 2021.1.9現在)£69,796.90-(約1千万円)【引用】WW watchesworld / Chaumet Hortensia Aube Rose Secret Large Model | 高級時計業界も高級ジュエリー業界も同じです。 現代のモノづくりは終わっています。 大人が付けるためのものとは思えない、女児用のオモチャのような物体が約1千万円で販売されていて引いてしまいます。 もっと高そうなものだと「価格はお問い合わせ下さい」とされていて値段が分からないのですが、数千万円するレベルの時計でも安っぽさしか感じられません。 お金を持っていても、知性と美的感覚のある大人の女性は買いたいとは思えないでしょう。 成金さんが、このド派手なデザインによって誰が見ても"それ"と分かりやすいことに魅力を感じて買うのかなと想像します。 |
アールデコ ラペル&ペンダント・ウォッチ フランス? 1920年頃 SOLD |
この通り、女性用の高級時計は男性用懐中時計の発展の歴史と比較するとかなりタイムラグがある上に、女性用ペンダント・ウォッチの流行期間自体が極めて短く、制作数が本当に少ないため、本場だった欧米ですらも知られざる世界となっています。 そもそも当時の欧米人であっても、庶民は知らない世界です。でも、こうしてヨーロッパの上流階級の歴史と文化をきちんと理解すると、ご納得いただけるのではないでしょうか。 ニッチ過ぎる世界なので、Genと私で研究して新たな真実を導き出していく他ありません。どうりでいつでも忙しいわけです!(笑) |
1-4. 洗練されたエドワーディアンの最高級品
1-4-1. 流行初期が傑出した最高級品が最も作られる時期
ファッションの流行にはサイクルがあります。 流行して廃れて、また新しいスタイルが流行して廃れての繰り返しですが、1つの流行を見ると各ステージがあります。 |
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いつの時代も、基本的にはこの繰り返しです。 私はオシャレな洋服が大好きで、ジュエリーの魅力を知る以前はよく様々なお店を回っていたのですが、買うのに良いタイミングとそうでないタイミングがあることに気付きました。 バーゲンの終わり頃が私にとってのベストタイミングです。買うのはバーゲンの売れ残りではなく、新しく出てきたばかりの次のシーズンの定価品です。 優れているのに割安感があることを不思議に思い、プロデュースしている方に尋ねてみたら、良く気付いてくれたと教えてくれました。シーズン初期は、市場でどういう物がウケが良いのか探索する期間です。故に、多少手間やお金をかけてでもチャレンジングな物を作って様子を見ます。デザイナーもまだまだアイデアが豊富にあり、個性的で上質な物が最も出る時期です。流行初期に相当します。 |
売れ筋が見えてくると、後はそのデータに従って同じような物をたくさん作り、売るだけです。大流行期はオシャレか否か、或いは品質が優れているのかではなく、そもそも安いかどうかだけで買う人が殆どです。絶対感覚がなく、値引率だけで判断するような頭デッカチな行動パターンは業界に見透かされており、バーゲン直前の頃には値引きを前提に物を作り、割高な定価を設定しつつバーゲンで高い値引率をPRして売る、値引き前提の商売をします。値引き後の価格が定価と見るべきで、安物は安物なりの品質しかありません。 バーゲンの終わり頃のタイミングはシーズン初期の最も優れたものと、終焉を迎えた酷いレベルのものの両方が同時に比較できるので、私にとっては面白いのです。デザインはもちろんですが、バーゲン前提で作られた終焉期のものは生地の質もかなり違います。バーゲン品が得だというのは幻想です。むしろ使えないものが多くて、総合的に見ると損です。 あからさま過ぎて大丈夫なのかなと思いましたが、そもそもバーゲン目当てでお買い物する人たちは定価品には目もくれませんし、基本的にバーゲン期間以外は買い物に来ないので気づかないのでしょう。それどころか、見ても分からないという可能性の方が高いくらいです。人間が持つ様々な感覚は、想像以上に感度が違いますから・・。 |
そういうわけで、傑出したデザインや作りのファッション・アイテムは、流行初期が最も生み出される確率が高いです。 特にヨーロッパの王侯貴族が文化を作り出していたアンティークの時代は、流行は上流階級の中でも特に身分の高い人たちから下の方の身分の上流階級へ、さらには庶民へという流れがありました。 流行初期は感度と美意識が高い上に、莫大な財力と教養を持つ人々が、取り入れたスタイルを互いに切磋琢磨しながらブラッシュアップしていくので、現代では考えられないほど流行初期とそれ以外では差が出ます。 女性用の懐中時計は、エドワーディアンからアールデコ最初期くらいが該当期間です。 |
『甘い誘惑』 天然真珠 ボンブリング イギリス 1920年頃 SOLD |
興味深いのは、同じく都会の高級ホテルで楽しむ新しい社交スタイルができたことがきっかけで生まれた『ボンブリング』も、同じ頃にピークがあることです。 高級ホテルのフランス料理レストランで提供された流行の最先端デザート、ボンブグラッセが元になったリングですね。 ボンブリングも流行の最初期に作られたと推測される物ほどデザインはもちろん、作り、材料の面からも傑出した特徴を持っていました。 |
詳細は後でご説明しますが、このエドワーディアンの宝物も、世界最高クラスの45年もの経験を持つGenが「過去最高!」と断言する素晴らしい懐中時計です。 |
1-4-2. エドワーディアンのファッションに合う懐中時計
この懐中時計は小型化が進んでおり、直径2.9cmで、セットのチェーンと共に美しいネックレスとして着用できるのが魅力です。残念なことに、このような最高級品であっても100年以上の時の中で、チェーンなどの付属品は失われていることが少なくありません。 |
本来ならば、このように着用されていたはずです。 ここで注目すべきは、このエドワーディアンの懐中時計がブローチではなく、優美に揺れるセミ・ロングのネックレス・タイプであることです。 |
各時代のイヴニング・ドレス | ||
ミッド・ヴィクトリアン | レイト・ヴィクトリアン | エドワーディアン |
"1912 evening dress" ©VAwebteam at English Wikipedia(6 August 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 | ||
これはファッションの変化が理由でした。並べてみるとミッド・ヴィクトリアンからレイト・ヴィクトリアンにかけての変化が大きいですが、これはファッションリーダー自体が変わったことが原因です。 ふくよかで可愛らしいヴィクトリア女王がファッションリーダーだった時代はドレスにボリュームがあり、ジュエリーも迫力あるものでないと合わないため、大きさのあるブローチが重宝されました。ドレス自体の生地がしっかりしていたため、重さのあるブローチでも問題ありませんでした。 ヨーロッパの社交界でも評判の美貌とスリムな体型、王族らしい気品で有名だったアレクサンドラ妃がファッションリーダーになってからは、スリムでなければ着こなせない細身のラインのドレスとなり、生地も軽やかで洗練されたものになっていきました。 |
イギリス製のイヴニング・ドレス(ルシル 1912年頃)V&A美術館 "1912 evening dress" ©VAwebteam at English Wikipedia(6 August 2008)/Adapted/CC BY-SA 3.0 |
この軽やかな生地のドレスに、ミッドヴィクトリアンに流行したようなボリュームあるブローチを付けると、バランスが悪いだけでなく生地も痛んでしまいます。 高度な技術を持つ職人が最高級素材を使って、1点物としてハンドメイドする有名メゾンのオートクチュール・ドレスは、現代でも最低2000万円はかかると言われています。 そういうものなので、現代の量産の既製品ドレスのように「重たいジュエリーで破けてしまっても構わないわ。」とはならないのです。 |
『Shining White』 エドワーディアン ダイヤモンド ネックレス イギリス or オーストリア 1910年頃 SOLD |
このような軽やかで細身のファッションが流行したため、エドワーディアンは洗練された雰囲気かつ服を痛めることのないネックレスやペンダントが主流となったのです。 |
懐中時計に関しても同じことが起こったというわけですね。 |
2. 内部ムーヴメントに見る最高級品の証
2-1. パテック・フィリップ・レベルのムーヴメント
2-1-1. ムーヴメントの重要性
ジュエリーとして見ても最高に美しいですが、時計として作られたものですから、時計として使えなければ価値はないと私たちは考えています。 |
でも、アンティークジュエリーを扱う殆どのディーラーは時計機能には興味を持ちません。 動いていなくても平気で販売しますし、必要なオーバーホールなどのメンテナンスもやりません。 そこにお金と労力と時間をかける価値を感じないのです。「見た目が綺麗ならば良いじゃないか。ジュエリーとしての性能は高度に満たしている。」、そういう考え方です。 |
ステータス・アイテムの懐中時計をPRする男性の写真 | |
お金や労力をかければ精度良く動くのに、動かない懐中時計を身に着けるだなんて最高に格好悪いことだと感じます。それならば普通に通常のジュエリーを着ければ良いだけです。 実は懐に懐中時計を入れていないのに付属品だけ見せびらかす、或いは動かないハリボテを尤もらしく見せびらかすの同じレベルでダサいことです。この紳士たちはきちんと動く懐中時計を持っていると思います、多分。こういうものは本人の醸し出す雰囲気や仕草、表情、さらには顔つきにまで現れるものです。 偽ブランドと分かっていても安いことに喜び、平気で持ち「高級ブランド品よ!」と誇らしげに自慢する人もいます。案の定、「あれって本物なのかしら。」と陰で疑われるわけですが、人としての"格"が高級ブランドに対して足りていないから疑われるのです。高級な洋服に関しても、服に着られるのではなく着こなすべきで、ブランド品であっても「あの人が持っている物ならば間違いなく本物ね。」と判断されて然るべきです。ただ、そもそもそういうレベルの人は高級ブランドごときの威信になど頼る必要がなく、「私自身がブランドよ。」と何でも素敵に着こなして、自慢せずとも憧れの対象となるものです。 |
ブシュロンの高級レディース時計 | ||
アンティークの1点物の最高級品 | 現代の量産品 | |
腕時計 ¥6,336,000-(2021.5.27現在)【引用】BOUCHERON / SERPENT BOHEME ©BOUCHERON |
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ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
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ちなみに、同じ品質の偽物を安価で作ることができるような、現代の高級ブランドは買う意味がありません。同じ品質ならば安い方が喜ばれるのは当たり前のことです。高級ブランドのオシャレな店舗でチヤホヤされることに価値を感じる人ならば、チヤホヤ代や広告宣伝費が乗った価格で買うことに意味を感じるでしょうけれど、単純に"モノ"が欲しいだけならば偽物で十分となってしまうんですよね。 業界は偽ブランドを取り締まりではなく、技術的に真似ができなかったり、偽物を作ってもペイしないお金と労力をかけたモノづくりに注力すべきなのです。 |
腕時計 ¥42,768,000-(ブシュロン 2021.5.27現在) 【引用】BOUCHERON / PLUME DE PAON ©BOUCHERON |
4000万円以上もする腕時計に、この程度の宝石と作り(デザイン)にしかコストをかけないなんて驚きです。 安く簡単にマネできてしまうからこそ、偽物が出てくるのです。 |
現代の安っぽい量産の高級ブランド時計を着けても全くテンションは上がりませんが、どんなに美しいアンティークの時計でも、動かなければ着けても豊かな気分にはなれません。 しかしながら人種を問わずオシャレ好きの女性はメカニックに興味がない割合が多く、動かない時計を売っても売買が成立してしまうので、間違いなくきちんと動く懐中時計を買付けるのは本当に大変です。 |
尋ねても「修理すれば動くんじゃない?」と、適当な受け答えしかできないディーラーが殆どです。時計に関する知識がない上に、修理師に頼んだ経験すらないまま平気で販売していたりします。 下手な修理によって修復不可能なレベルに壊れていたり、部品自体が失われていることすらもあったりします。迂闊に手を出すことはできません。 |
ヘリテイジはアンティークの時計でも安心して使える状態にするために、メンテナンスを完璧にしてからお客様に納品しています。 この懐中時計はGenが長年やりとりをしている、信頼できるディーラーからのもので、ロンドンの時計師によってオーバーホール済みということで安心して買付けることができました。 ただ、懐中時計に詳しいGenが再度確認した所、置き回りという不具合が判明したので、日本の優秀な時計師に再度オーバーホールしてもらいました。 ヘリテイジはペンダント・ウォッチに関しても世界一、品質基準が厳しいです。そういうお客様が対象だからです。 |
ここまでできるのは、Genが何度も痛い目に遭ってきた経験があるからです。
サラリーマン時代に、様々な人と共同で仕事をする機会があったので分かりますが、摺り合わせと定義って大事なんですよね。「良い」というのはどういう状態を言うのか、何を以って「ダメ」と判断するのか。「阿吽の呼吸」、「以心伝心」、「空気を読む」などの言葉がある日本人だと、相手も自分と同じ基準で判断すると思い込みがちですが、実際には想像以上に違いがあったりするものです。 海外のディーラーも悪気があってコンディションの良くない時計を『良品』として販売しているわけではないのです。ただ、この価値基準の違いが認識できていないと痛い目に遭うわけです。"良い人だから"、"真面目な人だから”という基準では判断できない難しい所です。 私も一から始めたならば、痛い目に遭いながら学んでいくしかありませんでしたが、こういう経験と知識を世界で最も優れたアンティークジュエリー・ディーラーのGenから引き継がせてもらえるので、かなりラッキーだと思っています。 |
2-1-2. 上質なムーヴメント
さて、再オーバーホールで余分な費用と時間はかかったものの、時計師に話を聞きつつ、自分の目で内部をチェックすることができました。内蓋に??PARISと刻印があるので、パリで作られたことも確認できました。時計師曰く、ムーヴメントもパテック・フィリップ同等の非常に素晴らしいもので、かなり精度も高いそうです。 |
「でもパテック・フィリップではないでしょう。」と仰る方、案外そう断定することはできません。 |
創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年) | 実はパテック・フィリップは過去にティファニー、カルティエ、ギュブラン、ゴンドーロ・ラブリオなど様々な宝飾メーカーに製品を納入していました。 ティファニーには、1849年から懐中時計を供給しています。 1837年に創業したティファニーは元々は高級な文房具や装飾品などを扱う店でしたが、1848年に起きたフランスでの二月革命に乗じて貴族から重要な宝飾品を買い入れ、宝飾事業に進出しました。 |
ティファニー創業者チャールズ・ティファニーの邸宅(1893年)マディソン通り |
この事業が大成功を収め、アメリカ第一の宝飾商という現在の地位に繋がります。ティファニーには良いタイミングで各方面の優秀な人物が集まっていますが、既に実績がある人たちをプロ・スポーツ・チームの銀河系集団のようにお金に糸目をつけず集めたのではなく、芽が出る前に見抜いて集めています。 創業者チャールズ・ルイス・ティファニー自身が優れたモノづくりをしていたわけではありませんが、経営者として真に優れた物や人の才能を見抜く眼、人が集まってくるカリスマ性、ビジネス関連の嗅覚などあらゆる優れた能力が備わっていたのでしょうね。 |
ティファニー 懐中時計 |
1878年に、ティファニーはジュネーブにあった自社の時計ムーヴメント製造工場をパテック・フィリップに売却しています。 この影響で、この年代近辺では全く同じムーヴメントでありながら、ティファニー製とパテック・フィリップ製の物が流通しているそうです。まさにこの懐中時計の頃ですね〜♪ |
そういうわけで、この宝物のムーヴメントもパテック・フィリップ製であることは否定できませんし、このクラスの懐中時計であれば間違いなく当時最高のムーヴメントが使われているはずなのです。 |
2-2. 半永久的に使い続けられるアンティークの懐中時計
2-2-1. 『永久修理』が謳える高級時計
カチカチカチカチ・・・・。 竜頭を巻いて耳元に近づけると、時を刻む精確で心地よいリズムが聞こえてきます。 本来、ジュエリーや時計は消耗品ではありませんでした。適切にメンテナンスをすればいつまでも使い続けることができる、半永久的な存在です。 人間など遥かに凌駕する寿命を持ち、何世代でも愛することができる宝物です。 |
パテック&フィリップ | |
アントニ・パテック(1811-1877年) | ジャン・アドリアン・フィリップ(1815-1894年)1880年頃、65歳頃 |
時計好きの男性が憧れ、世界一の時計ブランドと称されるパテック・フィリップの時計は『一生もの』というブランドイメージを確立しています。 |
カラトラヴァ(パテック・フィリップ 1999年頃) | このカラトラヴァは1929年の世界恐慌で経営が悪化し、1932年にスターン兄弟によって会社が買収され、創業者一族のアドリアン・フィリップが経営から退いた後に発表されたモデルです。 バウハウスに触発されてデザインされたもので、以来パテック・フィリップのフラッグシップ・モデル且つ高級腕時計の代名詞として存在しています。 1954年にティファニーで販売された後継モデルのカラトラヴァ2526は、2018年のオークションで64万2500ドル(約7千万円)の値段が付いています。時計が好きと言うよりは、もはや投機対象ですね(笑) |
パテック・フィリップの複雑時計 "Patek-Philippe ME 2584" ©Rama(15 April 2007)/Adapted/CC BY-SA 2.0 fr |
ただ、『一生もの』というブランドイメージの確立にはもう1点あって、永久修理を保証していることがあります。 パテック・フィリップはどんなに古い自社品でも修理することができる、「永久修理」を宣伝しています。 但し、オリジナルの部品の永久保持を保証するものではありません。 |
ヴィクトリア女王のパテック・フィリップ製の時計(1851年) | |
【引用】Galerie /Patek Philippe Presents The Art of Watches Grand Exhibition in New York by LAURIE BROOKINS (JULY 20, 2017) /ADAPTED | |
時計技術は時代とともに変化しています。1932年に発表されたカラトラヴァも、当時は最先端だったクォーツ・ムーヴメントが使われていましたが、今は別の方式に変わっています。 修理可能ではあっても、場合によっては一から部品を作る必要があります。部品を作るための機械や工作具一式すらも、一から用意する必要すらあり得ます。 私はサラリーマン時代に大量生産のモノづくり企業で研究開発や事業企画などの戦略的なことをやっていたのでよく分かりますが、生産設備には物凄くお金がかかります。生産する物にもよりますが、工場は初期投資で100億円、検査装置1つで数十億円なんてことも普通です。 もう1つ非常にコストがかかるのが人件費です。どんなに機械を導入しても、フルオートメーションは無理です。単純なことであってもオペレーターが必須ですし、何かあった時に対応できる高度な技術者も必要です。人の教育であったり、技術者がスキルを磨くための様々なお金が必要です。 製品は数十円どころか1つ1円にも満たない(桁が銭!)ことすらありますが、何年間にも渡り、その生産設備と構築したノウハウで膨大な数の製品を生産するからこそ、それだけ設備投資と人件費にお金をかけても利益が出せるのです。 古い時計ほど、部品すらも個性があるハンドメイドの1点ものです。ざっくりと想像した場合、例えば大量生産で1円の物を1億人に買ってもらえば、1億円の売上となります。生産に必要な設備費や研究開発費、人件費は広く薄く負担するので、1人1人にとっては微々たる物です。しかしながら1点ものの場合は全て1人が負担します。1億円を丸ごと負担する感じです。 これができないと、1点物の特殊な時計の修理はやってもらえません。パテック・フィリップの時計も、オリジナルの部品がなく代替部品を1から作る場合、代替部品を新たに製造するためのコストは個々の依頼主の負担となります。故に、時計の購入価格を大きく超える修理代金を請求されるケースも多いそうです。 |
懐中時計付きシャトレーン 英国王室御用達 RUNDELL&BRIDGE社 1790年頃 SOLD |
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まあでもパテック・フィリップは1851年、パテック・チャペックまで遡っても1839年ですし、自社品のみなので資料も保有しているはずで、永久修理ができて当然ですけどね。 Genが信頼する世界トップクラスの時計師は、他では受けてもらえない、もっと古い特殊なものでも修理できます。 |
他ではできない理由は、他の職人には技術が足りていないからというだけではありません。技術のみならず、特殊な道具や工作機械に設備投資できるか否かが大きな分かれ目です。それらを使いこなす技術費も必要なわけで、一般人が想像する以上にコストも時間もかかります。 背景にあるコストが経験で分かる経営者や、サラリーマンなどであっても想像力のある明晰な頭脳の持ち主ならばそれらを理解して、気持ちよくお金を払うことができますが、そうでないと「高い。高すぎる!」と根拠のない評価となります。 大抵の時計マニアは、ただ時計が好きなだけで背景のコストが想像できない一般人であるため、時計師が良い仕事をしようとしても無理なのです。買い叩かれ、赤字運営だと継続はできません。時計技術も磨きようがなく廃れていく一方です。時計師ではなく顧客側の問題なのは、ジュエリー業界と同じです。 王侯貴族のために作られたアンティークのハイジュエリーと同じで、アンティークの時計に関しても、真に価値を理解していくれる人は少ないですが必ず存在します。そういう人たちがいるからこそ、古い時計でも頑張って修理してくれる人が日本に存在するわけですね。 個々の資料は無い状態で修理できる頭脳と技術は、本当に凄いと思います。ちょっとした部品をたった1つ作成する場合でも、新たに設計してハンドメイドして調整するのには時間も技術もかかりますからね。年中、新しい製品を研究開発しているのと同じようなものです。研究開発は数年かかって当たり前の世界です。会社規模ではなく、個人規模の零細でやるのは本当に大変なはずです。そこは人材育成も頑張っているようで、ヘリテイジでこれからもアンティークの美しい時計を扱っていくためにも、ずっとずっと続けてもらわなければ!! |
時計の部品は摩耗がある以上、いつかは寿命が来ます。 アールデコ以前の時計の場合は、寿命が過ぎている部品があるのは当たり前で、この時計も置き回りを直すために、軸を新しく作成してもらいました。 |
19世紀の古いものだとムーヴメントも特殊で、オーバーホールにお金も時間もかかることを覚悟しなければなりませんが、この宝物はアンティークの時計としてはそんなに古いものではないため、想像より安く早くオーバーホールしてもらえました。 次の持ち主の方には、ご安心して長く愛用していただけたらと思っています♪ |
2-2-2. 高級時計の消費財化
【参考】ティファニーの高級腕時計 | ||
アンティーク | 現代 | |
1930年頃 | 2021.1.10現在 3万ドル(日本では358万500円で販売) 【引用】TIFFANY & CO / Atlas 2-Hand 24mm Watch ©T&CO |
2021.1.10現在 3万ドル(日本では418万円で販売)【引用】TIFFANY & CO / Tiffany Art Deco 2-Hand 15.8 x 49 mm Watch ©T&CO |
現代は腕時計すらもスマートフォン付属の時計に取って替わられた感じですが、高級腕時計の市場は一応まだ存在します。 右2つの現代のティファニーの腕時計はアメリカのサイトだとどちらも3万ドルだったのに、日本サイトだと約60万円も価格差があってその理由に興味津々なのですが、それは置いておくとして、性能的にはアンティークの時計より現代の方が進化していると認識されている方が多いのではないでしょうか。ジュエリーとしての美的価値は退化していても、テクノロジーは進化するものですから常識的に考えれば性能は上がっていると考えて当然です。 |
2021.1.10現在 13万5千ドル(約1611万円) 【引用】TIFFANY & CO / Tiffany 25 mm Squeare Watch ©T&CO |
しかしながら高級時計業界に於いても、見た目の美的な箇所のみならず、内部のムーヴメントにまでコストカットがなされるようになったのです。 これは様々な年代、様々な高級メーカーの時計の内部をいくつも見ているアンティーク・ヴィンテージの時計師だけが知っている事実と言えます。 曰く、時計は1960年代から部品の質が悪くなっており、オーバーホールすらやれなくなっている状態の物が殆どとのことでした。どこもかしこも痛んでいて、全とっかえするしかないということですね。自ら仕事を選ぶことができる、その凄腕の時計師の場合は1950年代までの時計しかオーバーホールは受け付けないようにしているそうです。 仕事を選べない時計師の場合は受けるのでしょうけれど、すぐにまたガタが来て、満身創痍のどうしようもない時計と化すのがオチです。 |
【参考】ピアジェの現代の高級腕時計 | ||
2021.1.10現在 629万2千円 【引用】PIAGET / LIMELIGHT TONNEWU-SHAPED WATCH ©Piaget |
2021.1.10現在 897万6千円 【引用】PIAGET / TRADITIONAL WATCH ©Piaget |
2021.1.10現在 価格はお問合せ下さいとのこと 【引用】PIAGET / LIMELIGHT TONNEAU-SHAPED WARCH ©Piaget |
顧客は販売時点での性能と、外観だけを頼りに選ぶのみです。ムーヴメントの品質など知る由もありません。しばらくは問題なく使えるでしょうけれど、現代の時計はどんなに高級品でも内部ムーヴメントの材質が悪くなっているので、20年ほどもすればオーバーホールすることさえ出来なくなるのです。完全に消費財ですね。 経済学に於いて、高級品市場では高いほど喜ばれる『ヴェブレン財』の存在が知られています。成金のみならず、一般人でも価格が高いほど価値あると信じて疑わない人は本当に多いです。値段=モノの真の価値を表すものと思い込んでいます。そういう人でも、値段が異なる同じメーカーのこれらの時計の内部ムーヴメントの性能がお値段分、異なるとは思わないでしょう。と言うか、右は1千万円を優に超えると思うのですが、左の時計と同じフェイスの使い回しであることからも分かるように、高いのに量産品ですね(笑) |
2021.1.15現在 価格はお問合せくださいとのこと 【引用】PIAGET / LIMELIGHT AURA WARCH ©Piaget |
先のもので1千万円台クラスと考えると、これは数千万円はするでしょうか。 これがHPで確認できる中では一番高いピアジェのレディース・ウォッチですが、女性用と思えないくらいデザインがゴツいですね。 ジュエリーを作るコストは材料費と加工費、デザイン費となります。材料費にだけお金をかけて、高い値段を付けようとするからこんな意味不明なものができるのです。加工やデザインにお金をかけたがらない考えが見え見えで、返って安っぽく見えます。 こういう高額な時計でもお値段分、内部の性能が優れていることはなく、そのうち使えなくなります。 |
日本で高度経済成長を経て、大量生産・大量消費が当たり前になったのはごく最近のことです。それまでは美術工芸品のみならず、日常で使う道具すらも消費財ではなくメンテナンスして長年大切に使い続けるものでした。日本の伝統的な妖怪、付喪神(つくもがみ)はその象徴とも言える存在でしょう。 |
路地に捨てられた古道具たち、京都大学付属図書館 | 長い年月(九十九:つくも)使われ続けた道具などには精霊が宿り、付喪神になります。 99年。ほぼアンティーク!! |
人間への復習を企てる古道具たち、京都大学付属図書館 | 付喪神は妖怪好きの私が大好きな妖怪の1つですが、今はもはや絶滅種という感じですね。 |
昔はあらゆるものを大切に、長く使い続けていました。バブル崩壊後、デフレ経済も経て、コストダウンによってモノの質は最低なレベルまで落ちました。すぐにダメになる。でも、そうしたらまた新しい安物を安く買う。 この環境を長く経験した日本人は、殆どが上質なものを長く大切に使うという意識を失い、モノはダメになって当たり前、また新しく買うだけという考えに支配されました。 |
腕時計(ショーメ 2021.1.10現在)
333万3千円 【引用】CHAUMET / HORTENSIA EDEN WATCH ©Chaumet |
少し前の日本人ならば、この価格で数十年後にまともに使えなくなったら怒ったでしょう。 でも、モノは壊れて当たり前、数年持てば十分と思い込んでいる現代では、メーカーもお金と手間をかけてまともな物を売るだけ損となるのでしょう。 壊れて当たり前と思っているので、誰もクレームなんてしません。 |
【参考】ショーメの現代のジョゼフィーヌ・シリーズ | ||
【引用】CHAUMET /JOSÉPHINE AIGRETTE IMPÉRIALE WATCH, SMALL MODEL ©Chaumet | 【引用】CHAUMET /JOSÉPHINE AIGRETTE IMPÉRIALE WATCH, SMALL MODEL ©Chaumet | 【引用】CHAUMET / JOSÉPHINE AIGRETTE IMPÉRIALE WATCH, SMALL MODEL ©Chaumet |
全て価格はお問い合わせ下さいとのことでした | ||
デザインも部品も使い回しがあからさまで、失笑してしまいます。もはや高級ブランドなんてオシャレな人が選ぶものではないのですよね。私は現代ジュエリーにも時計にも興味が湧かなかったのでろくにブランドも知らなかったのですが、Genが「成金御用達」と言ういくつかの高級ブランドの、インターネットで確認できる一番高い価格帯を見るとどれもこういう感じでした。Gen曰く、「成金御用達だからしょうがないか(笑)」とのことです。 成金は性能もオシャレさも求めておらず、ただその金額の物を持っていることを顕示することを目的に購入します。以前から高級ブランドは高価格帯のものですら同じようなものばかりでオシャレさがないことを不思議に思っていたのですが、1点モノでオリジナリティの強いデザインだと、他の人が見たときにそのブランドのものと分かってもらえず、従っていくらくらいのものかあからさまに示すことが不可能なので、唯一無二のオシャレさは求めていないのです。 こういう人たちはカネの自慢が目的であって、時間は「スマホで確認すれば良いわ。」程度にしか思っていないので性能は興味がありません。長く使えなくても、これらの高級時計は成金にとっては必要なスペックを十分に満たしているのです。 |
残念ながらヨーロッパの王侯貴族のための、このタイプの美しいペンダント・ウォッチはごく短い期間しか作られませんでした。 100年前に作られた上質な時計は、きちんと手入れすれば作られた当時の性能を保ち、これから100年後までも時を刻み続けられる物なのです。 貴重な貴重な存在です。 職人がプライドと技術と真心を込めて作ったアンティークの宝物だけは、私たちが愛し続ける限り、永遠に時を刻み教えてくれるのです。 |
3. コンテスト用に作られた可能性を強く感じる別格の作り
ヘリテイジは世界中のディーラーを相手に膨大な数のアンティークジュエリーを長年卸している、経験豊かなロンドンのディーラーからも上澄み中の上澄みしか買い付けてくれないと言われるほど選別基準が厳しいです。間違いなくダントツで世界一です。 故にどの宝物もミュージアムピースであったり、王侯貴族の特別オーダーで莫大なお金を投じて作られたハイクラスからトップクラスのものと言えるのですが、その中でも時折、誰かからのオーダーではなく特別な才能を持つ作者がプライドをかけ、魂を込めて作ったと感じるものがあります。 ヘリテイジではそれをコンテスト・ジュエリーと定義してお取り扱いしているのですが、このペンダント・ウォッチからも隅々からそのような特別な想いを感じるのです。 |
革ケースはオリジナルではなく、ヴィンテージのフィッティングケースです。 アンティークには及びませんが、イギリスでは今でも1点物のジュエリーにフィットしたこれくらいのケースはオーダーができます。 卸してくれたディーラーが、現地でオーバーホールだけでなくフィッティングケースもオーダーしていたのです。 |
フィッティングケースは英国王室御用達のガラード社の物を使っています。 古い上質なハンドメイドのジュエリーケースはそれ自体が高く評価されており、有名な高級ブランドの物となれば、市場でもアクセサリーや安物ジュエリーなどより高い価格で取引されています。 |
ペンダント・ウォッチがフィットするサイズで、しかも王室御用達ガラード社のケースを見つけて来るのはそれだけでも労力とお金がかかることです。 それでも相応しいケースをと用意したのは、Genがそのセンスの良さでも最も信頼しているイギリス人ディーラーも、この宝物から特別なものを感じたからに他なりません。 |
と言うか、そのディーラーも「今までの物でも別格で良い。」と断言していました。 買付け当時、まだ1年半程度の経験値しかなかった私は、初めて実物で見たこのタイプの宝物がこれだったので比較しようがありませんでしたが、世界トップクラスの経験を持つ人たちが見てそういうレベルの時計なのだそうです♪ |
つくづくラッキーと言えますが、まだその時点ではこの宝物の魅力をカタログで伝え切れるほど知識も経験値もなかったので、ヘリテイジの宝箱(金庫)でしばらく待っていてもらったのです。 ようやく目覚めの時が来ました!♪ |
3-1. 唯一無二の特殊なフォルムのボディ
3-1-1. 薄さを感じさせるための流線形の端部
ここからは作りについてご説明して参りますが、さすがコンテスト・ジュエリーと言うか、細部に至るまでのこだわりが凄すぎて、大項目だけで6つもあります。順番にご紹介いたしますが、まず特徴的なのが、薄さを感じる特殊なフォルムのボディです。 いくつもの高級なペンダント・ウォッチをお取り扱いしているGenが驚いたのが、このエドワーディアンの時計の薄さでした。時計の直径2.9cmに対して、厚みは0.6cmしかありません。 |
腕時計が主流となる1930年代になると、小さな時計や薄い時計は珍しくありませんが、それ以前の時計でこのような薄型の時計は非常に珍しい物です。 | ||
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それは高級な時計として作られた証でもあります。内容がスッカラカンの現代の高級時計と異なり、深い教養と高い美意識を持つ古の王侯貴族のために作られた高級品は、ムーヴメントもお金を惜しまず最先端のものが使用されます。当然、精度を確保しつつ、ジュエリーとしてより美しく魅せるために小型化に成功したムーヴメントが使われているのです。 |
ただ、この時計が当時の高級品の中でも特別薄く感じるのには別の理由があります。ムーヴメントを収める必要がある以上、時計の厚みにはムーヴメント起因の限界があります。メカニックに於ける技術的な課題と言えます。しかしながらそうではない、ジュエリーとしての技術的な面で作者は薄さの表現に成功しているのです。 時計の縁にかけてのフォルムに注目すると、かなりなだらかに造形されていることが分かります。これは錯覚を計算したフォルム・デザインです。 |
円柱状の時計 | こういう円盤状の物体を、真横から見た場合をご想像ください。 |
同じ厚みで端部が異なる円盤を横から見た図 | ||
これら3つの図形は全て同じ直径と厚みで、端部の形状のみが異なります。このような場合、実際に手に持ってみると驚くほど厚さの印象に違いが出ます。左はゴツくて厚みのある印象を受けますが、右のような緩やかな端部形状だと、実際に厚みより遥かに薄く感じられます。 |
ペンダント・ウォッチのフォルムの比較 | ||
Genが過去にお取り扱いした、個性あふれる美しい時計を特集したページがあるので、気になる方はご覧いただくとよりご納得いただけるはずですが、このように他の高級時計と比較して、今回の宝物の端部形状は明らかに特殊な形状で作られています。違和感の全くない、非常になだらかな流線型となっており、これが手に持った時に驚くほどの薄さを感じる原因です。 それならばどのペンダント・ウォッチもこの形状で作れば良いのにと思ってしまうのですが、他にないのは技術的に困難であるからに他なりません。 |
限界まで薄く、小型化するため、ムーヴメント自体もかなり工夫しているはずです。また、ジュエリーとしての装飾の面からも、技術的困難さが立ちはだかります。 |
例えばこのペンダント・ウォッチも同じ頃に制作された超高級品ですが、今回の宝物のような流線型のような端部形状にはなっていません。なだらかな流線型にする場合、厚みのあるエナメルをだれぬよう美しく均一に乗せることが難しくなります。また、ギロッシュエナメルの上に施すプラチナの透かし細工の難易度も上がります。これはフラットな中央部分にセットされてあるのみです。 |
この宝物が驚異的なのは、あえて細工がしやすいフラットな部分ではなく、曲率があって極めて細工がしにくい流線型の部分に集中してプラチナとダイヤモンドの透かし細工が施されていることです。 |
一部の隙も感じられないほど、見事に曲面にフィットしています。これこそ人間を超えた神の技です!! | ||
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時計師の才能と、ジュエリー職人の才能が最高の域でコラボレーションした、奇跡的な宝物と言えるでしょう。どちらも揃わなければ成立しません。フォルム1つ取ってみても、このペンダント・ウォッチがタダ者ではないことが分かるのです。 |
3-1-2. フラワー型の縁取り
もう1点、この時計のボディのフォルムには特徴があります。 それが、外周のフラワー型の形状です。 見落としがちですが、このような複雑な形状を施すのは恐ろしく手間と技術がかかります。 しかも等間隔で施された単純なものではなく、それぞれ幅を変えたデザイン性の高いものです。 |
過去にお取り扱いした超高級時計 | ||
超高級品として作られていても、ほぼ例外なくこのタイプのペンダント・ウォッチはシンプルな丸い形状で作られています。バリエーションとしては、せいぜい楕円形くらいです。 |
ヴィクトリア女王のペンダント・ウォッチ | |
【引用】QUILL & PAD KEEPING WATCH ON TIME / Bringing Patek Philippe’s Universe To New York City For 11 Days In July 2017 With ‘The Art Of Watches Grand Exhibition’ by Elizabeth Doerr/ADAPTED | ←↓ パテック・フィリップ 1851年 【引用】THE HOUR GLASS / Patek Philippe Rare Handcrafts by David Chan(16 Aug 2019) © The Hour Glass Limited/ADAPTED |
より古い19世紀の時計でも同じです。センスが良くデザイン的に優れているかは別として、これらはヴィクトリア女王の時計なので当時の最高級品と見て良いはずですが、これらもシンプルな円形です。 |
鍵巻き式クロワゾネエナメル懐中時計 エナメル:スイス又はフランス 1840年頃 ムーブメント:フランス 1840年頃 SOLD |
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そうは言ってもさすがGen、45年間アンティークの最高級品を扱ってきた中で、1点だけシンプルな円形ではない懐中時計もお取り扱いしていました。 19世紀初期の、時計がまだかなり高価だった時代の最高級品ならではのデザインと作りと言えます。 想像以上に手間も技術も必要なので、たとえ古い時代であっても例外的なものです。 |
時代が下るほどに、モノづくりには手間をかけられなくなっていきます。 それはウィリアム・モリスが提唱したアーツ&クラフツ運動の真の目的がうまく行かなかったことにも現れています。 このペンダント・ウォッチはこれまでに見たことのない、別格の複雑さを持つ形状で作られています。 これをオーダーで作ってもらおうとすると、とんでもない金額になったはずです。 職人が自身の才能を世に示すために、採算は度外視し、魂を込めた一世一代の作品として作ったらこそできたデザインだと推測します。 魂の籠もった作品は、同じ作者であっても同じレベルの物を作るのは無理です。何度も情熱をマックスまで燃え上がらせるのは不可能であり、これこそがコンテスト・ジュエリーにしか放つことができない魅力の源泉なのです。 |
3-1-3. デザイン上のポイントとなるシャンルベ・エナメル
この宝物は、複雑な外周形状に沿って施されたホワイトのシャンルベ・エナメルも見事です。 |
ペンダント・ウォッチ イギリス or フランス 1910年代後半(ムーヴメントはスイス) SOLD |
ベースとなる金属を彫り出してからエナメルを施すシャンルベ・エナメルは、派手には見えないながらも、彫金とエナメルという2種類の技術と手間を要するとても高度な技法です。 故にこの技法はハイジュエリーの中でも、特に高価なものとして作られたものでしか見ることはありません。 このペンダント・ウォッチのブルー・ギロッシュ・エナメルの外周にも施されています。 なかった場合を想像すると、シャンルベ・エナメルによるホワイトのラインがあるだけで全体の雰囲気が格段に引き締まり、オシャレさ増していることが分かります。 |
ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
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このペンダント・ウォッチも両面に2箇所ずつシャンルベ・エナメルでホワイト・ラインがデザインされており、メリハリの効いたオシャレな色使いの時計となっています。 |
ペンダント・ウォッチ フランス? 1900年頃 SOLD |
このように、最高級品として作られるこの時代のペンダント・ウォッチには、もはや当たり前というレベルで施されているシャンルベ・エナメルですが、どのようなデザインなのかでその難易度は極端に変わってきます。 |
この宝物の外周は複雑な形状になっており、シンプルな円形でゴールドの土台に溝を彫り出すのとはまるで難易度が違います。それを両面やるのですから、このシャンルベ・エナメルだけでも相当な集中力と忍耐力を要したはずです。よくやったものだと驚くばかりですが、その分、デザインとしては非常に清楚さ惹き立ったオシャレな時計として仕上がっています。 |
3-2. 特殊なエナメル文字盤
3-2-1. オリジナルの文字盤
このペンダント・ウォッチはフェイス(文字盤)も針も全てオリジナルで、当時のままです。 |
この文字盤が極めて特殊で、もの凄くオシャレにデザインされています。 エンジンターンで繊細な模様が描かれており、手描きの数字もエレガントさを感じる美しいフォントです。エンジンターンによる花びらのような波模様は、1周で12分割となっており、12時間の数字と綺麗に調和しています。エンジンターンの模様は幾何学的に自分で設計できますが、美しい上に12分割となるよう計算できるところが凄いです。幾何学的に明晰な頭脳とセンスの良さの両方を持つ、特別な職人がデザインした証拠です。 |
シャンルベ・エナメルがゴールドの土台に施されていることからもご想像いただける通り、水色のギロッシュエナメルも文字盤のギロッシュエナメルも、ゴールドの下地に施してあります。 これが下地のゴールドの色と模様を反映して、格調の高さと高級感を感じる独特の外観になっています。 |
3-2-2. 同時代の最高級品の一般的な文字盤
ペンダント・ウォッチ イギリス or フランス 1910年代後半(ムーヴメントはスイス) SOLD |
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これも手描きの数字がオシャレなエナメル文字盤ですが、デザインはシンプルで、ご紹介の宝物と比べると手間のかけようがまるで違います。 |
ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
ラペル・ウォッチ フランス 1910年代後半(ムーヴメントはスイス製) SOLD |
これらの文字盤もシンプルです。 |
Ch.massins社 ペンダントウォッチ |
最高級品として作られたものでも、この時代は文字盤はシンプルなのが通常なのです。 現代でも手描きのエナメル文字盤は超高級品にしか使われませんが、シンプルな物を作るだけでも大変な技術と労力を必要とするため、腕の良い一流の職人にしか作れないそうです。 |
ペンダント・ウォッチ フランス? 1900年頃 SOLD |
これは12時だけ赤い数字で描かれていますが、これだけでも特別感があって嬉しいレベルなのです。 |
3-2-3.19世紀の最高級品の文字盤
鍵巻き式 懐中時計 イギリス 1820年頃 (ムーヴメントはスイスのBautte & Miynier製) SOLD |
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19世紀は年代によって、懐中時計の高級の度合いが全く異なります。初期のジョージアンは王侯貴族でも簡単には手を出せない、超高級品でした。故に文字盤も超特別です。 |
アゲートのペンダント・ウオッチ(チャールズ・ボビネット、スイス 1655-1660年) メトロポリタン美術館 | 古い時代から、白地のエナメル文字盤は定番の如く存在しました。 |
しかしながら、この懐中時計は金価格が爆騰し、ゴールド自体が富と権力の象徴となっていた19世紀初期のイギリスらしい、金細工を駆使したデザインで制作されています。この手間と技術のかけ具合に驚くと共に、一点物の最高級品として莫大なお金をかけて作られた凄みを感じます。 |
ヴィクトリア女王のペンダント・ウォッチ(パテック・フィリップ 1851年) 【引用】QUILL & PAD KEEPING WATCH ON TIME / Bringing Patek Philippe’s Universe To New York City For 11 Days In July 2017 With ‘The Art Of Watches Grand Exhibition’ by Elizabeth Doerr/ADAPTED |
19世紀中期の最高級品と言える、ヴィクトリア女王に献上されたパテック・フィリップのペンダント・ウォッチですら文字盤はシンプルです。 パテック・フィリップは創業時にも、時計制作に関しては傑出したノウハウと技術を持っていたでしょうけれど、女性用のジュエリー制作については全く別の話です。 |
ヴィクトリア女王のペンダント・ウォッチ(パテック・フィリップ 1851年) 【引用】THE HOUR GLASS / Patek Philippe Rare Handcrafts by David Chan(16 Aug 2019) © The Hour Glass Limited/ADAPTED |
時計作り同様の細かく正確な作業を地道に行える実力はあったかもしれませんが、オシャレなデザインを生み出す能力まで期待するのは酷です。主要顧客の大半は女性ではなく男性だったはずなので、余計にそうです。まあ、このシンプルなデザインの文字盤はしょうがないと言えるでしょう。シンプルなデザインも悪くはなくて、飽きることなく時代を超越して使い続けることができる良さがありますからね。 |
そうは言っても、19世紀後期でも特別な文字盤を持つ最高級時計は存在します。 この時計の文字盤に、うっすらと模様が見えるでしょうか。 |
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鍵巻き式エナメル懐中時計 スイス 1880年頃 SOLD |
これは手彫りで優美な彫金が施してあるのです。 物凄いこだわりぶりと、美意識の高さですね。 |
どんな時代でも、強いこだわりと莫大な財力を兼ね備えたオーダー主と、それを具現化できる特別な才能を持つ職人が出逢うことができれば、文字盤にまで素晴らしい装飾が施された最高級の時計が生まれることはできます。 それは元々稀にしか発生しません。 美意識とこだわりの強い人はどんな時代でも一定の割合で存在します。しかしながら新しい時代になるほど、その中で"莫大な財力も兼ね備えた人"の割合が激減していくのです。 |
この宝物が作られた時代も、ほぼそういう人がいなくなってしまった頃です。 投資してくれる人と、作り手が同じであるコンテスト・ジュエリーとして作られたからこそ、この例外的なペンダント・ウォッチは生まれることができたのでしょう。 |
鍵巻き式クロワゾネエナメル懐中時計 エナメル:スイス又はフランス 1840年頃 ムーブメント:フランス 1840年頃 SOLD |
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実はエドワーディアンの今回の時計は、同じような特殊なフォルムで作られていた19世紀初期の時計と文字盤も類似しています。 |
偶然類似した可能性も否定はできませんが、これだけ似ていることから、古い時計が新しい時計のインスピレーションの元となった可能性も否定できないと思っています。フォルムも文字盤も、この2つ以外に類似のものを見たことがありませんから・・。 ヨーロッパでは昔から芸術の分野に於いて、より古い時代に作られた優れたものから熱心に学び、新たなクリエーションにつなげていくという伝統がありました。今回の宝物が作られた時代のティファニーのデザイナーたちや、ロシアのファべルジェなども熱心に古い優れた美術品を集め、研究していました。 たまたま同じセンスを持つ職人が異なる時代に生まれただけかもしれませんが、それはそれでロマンがあって面白いですよね♪ |
3-3. ダイヤモンド・ダストのような美の世界
3-3-1. プラチナとダイヤモンドのコラボレーション
『STYLISH PINK』 モダンスタイル ピンクトルマリン ペンダント イギリス 1900年頃 SOLD |
レイト・ヴィクトリアン以降はブローチよりもネックレスやペンダントの人気が高くなり、作りに関しても揺れる構造が大きく進化しました。 軽やかな生地で作られた動きのあるドレスには、優雅に揺れるジュエリーは最適です。 |
『Shining White』 エドワーディアン ダイヤモンド ネックレス イギリス or オーストリア 1910年頃 SOLD |
20世紀に入り、ジュエリーの一般市場にプラチナが登場したのも革命的なことでした。 粘り気と強靭さを兼ね備えたプラチナは、同じ白い金属であるシルバーに比べてより繊細に揺れる構造を実現しやすく、煌めきが魅力であるダイヤモンドのポテンシャルを最大限に引き出せました。 故に、プラチナが目新しかったエドワーディアンの時代は、プラチナとダイヤモンドのコラボレーションならではの魅力を生かそうとして作られたものが特に多いのです。 |
このエドワーディアンのペンダント・ウォッチも、まさにプラチナとダイヤモンドのコラボレーションならではの美しさを最大限に発揮させることを強く意識して作られています。 |
3-3-2. 圧巻のプラチナ・ワーク
3-3-2-1. 透かし細工
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画像だとサイズが感覚的に分かりにくいのですが、この宝物の場合は他のハイジュエリーと比較しても次元の異なる細かい細工が施されています。 Genやロンドンのディーラーたちから目が良いと驚かれる私が実物を見ても、肉眼では全容が把握しきれないほど圧倒的に細かいです。 |
この段違いの細かさだけでも驚くのですが、それでいてデザイン的にも傑出して優れていることが驚異的です。 20世紀初頭の王侯貴族のハイジュエリーに見られる美しい透かし細工は、開国によって欧米にもたらされた数多くの日本美術の影響によるものです。 それを技術的に可能としたのが、粘り気と強靭さを特徴とするプラチナの登場でした。 それまでにはなかった画期的な新素材が出てきたら、その特性を見抜き、ポテンシャルを最大限に引き出し、誰も見たことがないアーティスティックな作品を作ってやろうと思うのが才能あるアーティスト兼職人です。 |
ダイヤモンド&プラチナ・ペンダント(ティファニー 現代) 【引用】TIFFANY & CO / Elsa Peretti Opne Hert Pendant in Platinum with Diamonds ©T&CO |
現代のジュエリー制作は出来る限り美しいものを作ろうという発想ではなく、ただ楽して儲けることが目的となっています。 故に名のある高級ブランドであっても、創業者が見たら大泣き、或いは憤死してしまいそうなレベルのジュエリーも平気で陳列されています。創業者と違ってプライドはゼロです。 プラチナが出始めの20世紀初期は今より遥かに高価な貴金属で、ゴールドをも遥かに凌ぐ高級品でしたが、ただプラチナだからというだけで「良いでしょ〜!」と言わんばかりの、ただのプラチナ塊のようなジュエリーを上流階級が身に着けることは絶対にありませんでした。滑稽で恥ずかしいことです。 |
どうせ鋳造の塊なんだし、インゴット(鋳塊、地金)で良いのではと思ってしまいます。 グラム数で計算すればすぐに分かる通り、インゴットの代わりと考えるには超割高な物ですが・・(だから鋳造の量産ジュエリーは美味しい商売)。 |
この宝物は新素材プラチナを使い、トップクラスの腕を持つ職人がプライドをかけ、これ以上は絶対にないと断言できる、誰も真似できない永遠の作品を作ろうと生み出されたものです。 故に細かさもデザインへのこだわりも次元が違うのです。 内側から外に向かって広がる網状の透かしは、まるで名人の投網のようにエレガントで美しい曲線を描いています。 複雑な形状でデザインされているが故に、それぞれの透かしが均一な大きさと形ではなく、全体でバランスをとる形状となっています。 |
エドワーディアン ダイヤモンド・ブローチ&ペンダント ヨーロッパ 1910年頃 SOLD |
叩いて鍛えた金属を糸鋸で引き、鑢(ヤスリ)で丹念に磨いて仕上げあるラティスワークは、非常に手間のかかる細工です。 器用さに加えて、集中力を切らさない強靭な忍耐力も必要で、高度な技術を持つ職人だけができる細工です。 だからこそ、ある程度の面積に施された美しいラティスワークは王侯貴族のためのハイジュエリーにしか見ることがありません。 一流の職人の技術料と人件費がかなりかかるので、石ころの価値でしか判断できない成金では想像できないくらいの高級品になるのです。 |
『ラティスの水滴』 アールデコ アクアマリン ネックレス フランス又はヨーロッパ 1920年頃 SOLD |
オープン・ワーク ダイヤモンド・ブローチ フランス 1920〜1930年頃 SOLD |
そのような高級品として作られたものでも、透かしのデザインは幾何学的で均一にパターン化されている場合が多いです。 異なる形状の透かしを作ろうとする場合、それに合わせた糸鋸と鑢が必要になってきます。どんなに器用な職人であろうと、同じ道具を使いまわして全てに対処するということはできません。 |
アールデコ 天然真珠 ペンダント&ブローチ イギリス 1920年頃 SOLD |
『透かしの美の極致』 カリブレカット・エメラルド ペンダント&ブローチ イギリス 1910-1920年頃 SOLD |
透かし細工を主役にした最高級のジュエリーだと、このように複雑なデザインを施したものも存在します。 |
←実物大 ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります |
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とても見事な透かし細工と言えますが、実物大で比較するとこうなります。右の2つはラグジュアリーなペンダント&ブローチとして制作されたもので、ジュエリーとしてかなり大きさがあります。これらですら、長い経験を持つGenがこれまでに見たこともない透かし細工の最高峰として感動していたものです。 今回のコンテスト・ジュエリーとして作られたであろう宝物は、その最高峰と比べても別次元と言える、飛地に存在します。これほどの細かい透かしを細工できる道具は、ちょっと想像ができません。明らかに道具から自作する必要がありますが、一体どうやったのやら、まさに神の技です。 パーツを組み立てた可能性も考えましたが、職人が作業に使うルーペを遥かに超える倍率の実体顕微鏡で確認しても鑞付けの痕跡は見られず、確実に一枚の板から作り上げています。 |
別次元の細かさに加えて、曲線に合わせたアーティスティックなラティスワークを施すという、全てが別次元の透かし細工です。 さらに忘れてはならないのが、これはペンダント・ウォッチとして作られていることです。 |
先にご説明した通り、プラチナの装飾は緩い曲面にフィットするように作られています。 | ||
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実現できたこと自体に驚いてしまいます。才能ある作者でも、魂を込めた一世一代の作品として作ったからこそできたものでしょう。これは確かに、誰にも類似のものすら作れないでしょうし、作者自身でも同じレベルのものは作れないでしょうね。 |
3-3-2-2. バチカンまでの優美な造形
このペンダント・ウォッチは本体とバチカンをつなぐ部分にも、わざわざデザインが施されています。 |
ペンダント・ウォッチ パテック・フィリップ 1851年 ヴィクトリア女王の御買上品 【引用】THE HOUR GLASS / Patek Philippe Rare Handcrafts by David Chan(16 Aug 2019) © The Hour Glass Limited/ADAPTED |
ペンダント・ウォッチ フランス? 1900年頃 SOLD |
ペンダント・ウォッチと言えば、本体からバチカンにかけてはこのようなシンプルなデザインが定番となっています。タップリと使ったゴールドが高級感を放ちます。 |
ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
しかしながら時計というだけで珍しさがあった時代から一転して、ペンダント・ウォッチというアイテム自体が王侯貴族の女性のステータス・アイテムのメインとなったこの時代は、より優れたセンスの良い物を持つことが必要となりました。 故に、男性用の延長にあったバチカン部分は、それぞれの女性がオリジナリティを出すために工夫する部分となったのです。 これはローズカット・ダイヤモンドをライン状にセッティングした、比較的シンプルなデザインですが、最高級品として作られただけあって、ミルグレインなども含めさすがの作りです。 |
ペンダント・ウォッチ イギリス or フランス 1910年代後半 (ムーヴメントはスイス) SOLD |
このペンダント・ウォッチはバチカンとリューズがとても大胆かつ違和感なくデザインされており、一見すると時計ではなく、自由にデザインされた美しいペンダントのようです。 |
ペンダント・ウォッチ フランス or イギリス 1920年頃 (ムーヴメントはスイス製) SOLD |
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このペンダント・ウォッチのバチカンは、形状自体は定番を踏襲しながらもその装飾に驚くほどの手間と技術をかけています。ダイヤモンドだけでなく、ダイヤモンドと同サイズでプラチナのグレインワークを施してあるのが特徴的ですね。 これは大戦やロシア革命などの影響でプラチナ価格が高騰し、依然として貴金属だったゴールドの8倍もの価格が付いた1920年頃、まさにプラチナ自体が富と権力の象徴となった時代ならではのデザインと作りです。これ以外の時代ならば、ダイヤモンドで埋め尽くしたはずです。ダイヤモンドよりプラチナを強調した、まさに時代と持ち主の個性を反映したデザインです。 |
このように独創性と美しさを、王侯貴族たちが高度なレベルで競う中でデザインされたのがこのバチカンです。 時計本体に直接付けるのではなく、プラチナをエレガントなリボン状に造形し、その上に取り付けた、ありそうで絶対にないデザインになっています。 気を衒ったものではないため、違和感なく調和しています。 |
新体操の優雅に舞うリボンのような、立体的な曲線で表現されたデザインに作者の抜群のセンスと技術の高さを感じます。しかもバチカンとリボンを違和感なく一体化させるため、リボンの中央にバチカンを通したアイデアも素晴らしいです。 |
蝶々結びでデザインしていたらエレガントさや大人っぽさよりも、可愛らしさと子供っぽさの方が強くなっていたことでしょう。 知的で美しい大人の女性には、このようなデザインこそ相応しいです。 リボンに上に丸カンなどでバチカンを通したら、デザインの流れがそこで止まってしまい、違和感につながっていたはずです。 強く違和感が出るわけではありませんが、作者が完璧を求めたからこそ、敢えて手間になってもこのような難しい方法を選んだのでしょう。 一体化して作っても類似の外観にはできたはずですが、この内側を通す構造によって"揺れ"を作り出すことができます。 極小ローズカット・ダイヤモンドやプラチナの超繊細なミルグレインの輝きを増幅させるために、揺れることが必須だったからこその構造デザインです。 |
3-3-3. 極小ローズカット・ダイヤモンドの繊細な煌めき
高い値段を付けて販売しようとすると、大きなダイヤモンドに頼りたくなるのが普通です。買う側を楽に納得させやすいからです。しかしながら、この最高級ペンダント・ウォッチに使用されたダイヤモンドは全てローズカット・ダイヤモンドで、しかも全て極小で、メインストーンと言えるような大きな石が1つとしてありません。 |
『至高のレースワーク』 エドワーディアン リボン ブローチ イギリス 1910年頃 SOLD |
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この超絶技巧の細工物のブローチもコンテスト・ジュエリーとみられる徹底した作りで、ダイヤモンドは全てローズカットだったことが印象的でした。 |
ダイヤモンドラッシュに伴うダイヤモンドの評価の変化 | |
ダイヤモンドラッシュ前の最高級品 | ダイヤモンドラッシュ後の最高級品 |
『ミラー・ダイヤモンド』 アーリー・ヴィクトリアン ダイヤモンド リング イギリス 1840年頃 オールドヨーロピアンカット・ダイヤモンド(クローズドセッティング)、 18ctゴールド、シルバー ¥3,700,000-(税込10%) |
『Tweet Basket』 小鳥たちとバスケットのブローチ イギリス 1880年頃 ローズカット・ダイヤモンド、ルビー、シルバー、18ctゴールド SOLD |
1869年頃から南アフリカでダイヤモンドラッシュが起こる前は、ダイヤモンドというだけで高い稀少価値がありました。その中でも大きくて上質なものほど高く評価されていたため、ダイヤモンドラッシュ以前のハイジュエリーには厚みのあるオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドが高級品の証として積極的に使われていました。 しかしながら南アフリカからかつてないほどの量の上質なダイヤモンドが入ってくるようになると稀少価値は劇的に低下し、最高級ジュエリーの主要購買層である王侯貴族にとって、ただダイヤモンドというだけでは高級品と感じられなくなっていきました。 古い時代だと、極小のローズカット・ダイヤモンドだけで作られたハイジュエリーはまず見ることがありませんが、この大きな変化によって、ダイヤモンドの価値が低下した1880年頃からローズカット・ダイヤモンドだけで作った最高級ジュエリーも現れるようになったのです。 |
ちょうど、金めっき時代を経験したアメリカの新興富裕層が、莫大な財力を元に旺盛な購買意欲で高級ジュエリーを買い漁り始めた頃です。 美意識も知識も持たぬ成金は、少し前のイメージで王侯貴族を真似して選びます。 「ダイヤモンドってお高いんでしょ!」と、ただ大きいだけで質が良くなかったり、たとえ良いルースでも、デザインや作りが悪く、ジュエリーとしては価値の低いものを好んで身に着け、ひけらかし始めた時代です。 |
"New rich"、"New money"或いは"Nouveau riche(成金)"と眉を潜めつつ、新興成金とはっきりと差別化するために、好んでこのような細工物の繊細なダイヤモンド・ジュエリーを身に着ける、美意識の高い王侯貴族がいたということでしょう。 |
そうは言っても、ダイヤモンドのカット技術も近代化され、上質なダイヤモンドをいくらでも使えるようになった時代に、このダイヤモンドの選び方はもの凄い徹底ぶりです。 |
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肉眼ではダイヤモンドとはっきり分からないくらい、極小のローズカット・ダイヤモンドです。 これだけ小さな石を正確、かつ落ちないようしっかり留めるだけでも相当なことで、作者の次元の異なる細工技術が現れています。 |
センターの少し大きめのダイヤモンドから、雪の結晶のように放射状にデザインが広がっています。 |
ちなみにこの宝物はラティスワークの部分には敢えてミルを打たず、それ以外の部分には見たこともない細かさなミルグレインを施してあります。驚異的な細かさにも関わらず、1粒1粒が綺麗に粒状になっています。通常であればあり得ないのですが、あまりにも細かすぎて撮影用のハイスペックのカメラが描写しきれていないのです。明らかに人間が手作業でできる領域を超えています。 極小ローズカット・ダイヤモンドと共に、神の領域と言える細かさのこのミルグレインから、無数の繊細な輝きが放たれます。それはまさにダイヤモンドダストのようです。 |
具現化する細工技術もさることながら、古の特別なハイジュエリーは本当にアートと言えますね。 見ていて心豊かになれますし、いつまでも飽きることがありません・・。 |
3-4. 特別なリューズ
3-4-1. 機能だけとなった現代の高級時計のリューズ
【参考】ピアジェの現代の高級腕時計 | ||
2021.1.10現在 897万6千円 【引用】PIAGET / TRADITIONAL WATCH ©Piaget |
2021.1.10現在 価格はお問合せ下さいとのこと 【引用】PIAGET / LIMELIGHT TONNEAU-SHAPED WARCH ©Piaget |
2021.1.15現在 価格はお問合せくださいとのこと 【引用】PIAGET / LIMELIGHT AURA WARCH ©Piaget |
現代は高級時計でも量産品ばかりなので、リューズも量産のチャチなデザインと作りのものばかりです。せいぜいあまり価値はない宝石を1石セットする程度でしょうか。PRする価値がないレベルを証明するかの如く、リューズ自体がはっきり分かる画像は、探した限り見当たりませんでした。 王侯貴族のために作られたアンティークのハイジュエリーは、人からは絶対に見えない部分にまで、手間と技術をかけてデザインと細工を当たり前のように施しているもので、見るたびに、いつもその美意識の高さを嬉しく思っています。現代の高級品は、見える部分にすら行き届かぬ美意識の低さを残念に思います。 |
3-4-2. 個性あふれるアンティーク・ウォッチのリューズ
ローズカット・ダイヤモンド ペンダント・ウォッチ フランス 1920年頃 SOLD |
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高級品として制作されたアンティーク・ウォッチはリューズにも個性があり、本体に相応しいデザインで作られています。 この宝物は本体はシンプル・イズ・ベストのデザインですが、リューズの鮮やかな青がポイントとなり、印象的でセンスの良いデザインに仕上がっています。 |
シンプル・イズ・ベストのグッド・デザインと、ただ手抜きしただけのつまらぬデザインとの分かれ目となっているのが、鮮やかな合成スピネルです。 合成と聞くと現代では量産の安い宝石というイメージがありますが、合成スピネルがジュエリー市場に供給されるようになったのは1920年からです。 |
シンセティック・サファイア ブローチ ヨーロッパ 1910年〜1920年頃 SOLD |
科学の時代となった19世紀後半からは、ジュエリー業界に於いても養殖真珠同様、様々な人工宝石に期待が高まり、熱心に研究が行われました。 それが続々と実ったのが20世紀初期と言えるでしょう。 1910年に量産技術が確立した合成サファイアは、出始めの頃は王侯貴族のハイジュエリーにも使用されています。 珍しい時期であればまだ数が少なく珍しさがありますし、「これは、偉大なる人類の力によって合成に成功したサファイアなのよ。」と、知的な面白さによって社交界で注目を集めることもできます。 |
【参考】ピアジェの現代の高級腕時計 | |
2021.1.10現在 629万2千円 【引用】PIAGET / LIMELIGHT TONNEWU-SHAPED WATCH ©Piaget |
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現代ではより合成宝石は安価なものとなっているので、600万円を超えるクラスの時計であれば合成サファイアくらい使っているのかなと思ったら、これはブラック・セラミックだそうです。オニキスですらなく人工の量産セラミックとは、よくこんなものに600万円を超える値段を付けるものです。高いものは値段分の価値があると思い込む人たちによって、市場が成立していることが残念です。・・・ブラック・セラミック!(笑)ちなみに色違いでホワイト・セラミックのバージョンもありました。 |
ペンダント・ウォッチ ブシュロン 1910年頃 SOLD |
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最高級のアンティーク・ウォッチならばそんなことは絶対にあり得ません。 細部に至るまで材料、デザイン、作りの三拍子が間違いなく揃っています。 「とにかくギロッシュエナメルが最高に美しい!」とGenが力を込めて語るこの時計は、確かに地模様の特殊さと美しさに見惚れてしまうのですが、ルビーを贅沢に使った宝物でもあります。 正面からは見えない、真横全体にカリブレカット・ルビーを配した美意識の高さは圧巻です。 |
そしてリューズには存在感のあるルビーが使用されています。カボションカットなどではなく、特徴的なとんがったカットになっています。女性らしく優しい色合いと模様のギロッシュエナメルとは対照的で、良い感じにバランスが取れて魅力的な個性となっています。 高価な宝石に頼るだけでなく、作りとデザインに気を抜かないのもさすが高級品で、リューズの土台部分はプラチナを細かく彫り出したデザインになっています。 |
表面を整えられたプラチナは上質なダイヤモンドと同等の輝きを放ちます。 肉眼では超極小のローズカット・ダイヤモンドをセッティングしているのかと感じるくらい、見事な細工となっています。 |
ペンダント・ウォッチ イギリス or フランス 1910年代後半 (ムーヴメントはスイス) SOLD |
このペンダント・ウォッチも、その高いデザイン性にベスト・マッチしたデザインと作りのリューズとなっています。 サイドには全周に極小のローズカット・ダイヤモンドがセットされています。 ネジを巻くたびに繰り返し力がかかる部分ですが、100年以上もの使用に耐えられる耐久性が、当時の職人の技術の高さを物語っています。 現代のように一代で使い捨てではなく、作者の寿命を遥かに超えて、何世代にも渡って愛してもらうために真心とプライドを込めて作っているからのものでしょう。 |
正面からは見えないリューズ先端には、なんとこのペンダント・ウォッチの中で一番大きなダイヤモンドがセットされています。耐久性が必要な部分なので特に念入りに作られていますが、その中でも美意識を忘れることなく、小さな面積にミルグレインを施しているのが心憎いです。アンティークの最高級品は本当に別次元だと感じます。 |
3-4-3. ベストマッチの美しいリューズ
ダイヤモンドダストのような幻想的な美の世界を描き出す、この宝物にも相応しいリューズがセットされています。 |
期待を裏切らないと申しますか、超絶技巧の細工物のペンダント・ウォッチには神技で作られたリューズが備え付けられています。なんと極小ローズカット・ダイヤモンドを複数使用した、見たこともないクラスター・ダイヤモンドのリューズになっています!! おそらく画像をご覧になるだけだと私たちの驚きと興奮が伝わりにくいでしょう。リューズの直径は3mmちょっとぐらいしかありません。中央のちょっと大きな石でもたったの1mmもあるかぐらいで、周囲にセットされた8石の極小ローズカット・ダイヤモンドは0.5mmぐらいしかないのです!!まさにマイクロ・ダイヤモンドです。綺麗にカットされているので、ただダイヤモンドが付いているのではなく、ファセットが印象的な閃光を放ちます。まさに別次元のリューズです。 |
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まさに別次元です。 |
ラペル・ウォッチ |
リューズは本当に小さなものなので、宝石を使用した最高級品でも、先端部分に使用する宝石はただ1石のみです。 それはダイヤモンド、ルビー、サファイアでも同じことで、細工による差別化が行われないのはあまりにも面積が小さすぎて、通常はトップクラスの職人であっても、複数の宝石を使って細工する発想にはならないからです。 |
成金だと「ダイヤモンドがお小さいわね!私の物の方が大きいわよ、凄いでしょ!!!」となりそうですが、当時のトップクラスの職人たちや、細工物の最高級品の価値が分かる美意識の高い王侯貴族たちが見たら、Genや私同様、あっと驚いたに違いないのです。生み出されたことが奇跡と言える神の技であり、コンテストジュエリーに相応しい宝物なのです。 コンテスト出展品でも大したことがないものもありますが、私たちはこのような別次元のものだけをコンテスト・ジュエリーと呼んでいます。一緒くたにしたら失礼すぎることが強く分かるので、当時の神技の職人への敬意を以ってそうしています。 |
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超絶技巧の透かし細工のみならず、この細かな石留めもプラチナを駆使したからこそのものと言えるでしょう。それぞれの爪も完璧に磨き上げられており、美しく輝きます。 |
ネジを巻く際スムーズに回るよう、リューズのサイドに付けられたデコボコ形状の先端も、ヤスリで完璧に磨き上げられており、プラチナの硬質な輝きが美しいです。 |
ここまでリューズがこだわって作られていることを、本当に嬉しく感じます。 ジュエリー・ウォッチは、使うための優雅な小物として作られたものです。 使う時は、まずこのリューズでネジを巻くことから始まります。ネジが巻き上がる心地よい感触を感じながら巻き終えると、耳元に近づければカチカチと時を刻む美しい音色が聞こえてきます。 |
この宝物の100年前の持ち主も同じ動作をし、同じ音色を聞き、時間を見ていたのです。 なんと感動的なことではありませんか。 だからこそリューズは時計にとって特に重要なパーツで、この部分が優れていればそれだけ豊かな気分にもなれるのです。 そして、動かない時計にはどんなに高級品でも、意味が感じられない理由です。 |
3-5. 見事な地模様を魅せる極上のギロッシュ・エナメル
3-5-1. エンジンターンの心地よく美しい地模様
文字盤から水色のギロッシュエナメル、さらには本体の外周の形状まで調和した、内から外へ徐々に広がるような模様が印象深いです。 |
こちらの面のギロッシュエナメルも、内から外へ波が徐々に波が広がっていくような、動きを感じる美しい模様都なっています。不思議な心地よさを感じるこの模様は、ハンドメイドのエンジンターンによるギロッシュエナメルならではと言えるでしょう。 |
手彫り | エンジンターン |
『真心』 オーダーメイドのロケット・ペンダント イギリス 1880年頃 SOLD |
『Geometric Art』 ゴールド ロケット・ペンダント イギリス 1840年頃 SOLD |
完全に手彫りする彫金は、職人が自身の感覚に従い、総合的にバランスを取りながら模様を描き出していきます。1つ1つのパターンは個性がありながらも、全体で調和することで完成します。人間の手作業ならではの心地よい揺らぎの存在が、手彫りの彫金の魅力の1つです。 一方で、ローズ旋盤で幾何学的に模様を施すエンジンターンは、人間の能力を超えた完璧なパターンを描き出せることが特徴です。 |
【参考】ローズエンジン旋盤を使って、時計の文字盤となるパーツに地模様を描く様子 | とは言え、やり方によってはここに人間ならではの揺らぎを生じさせることは可能です。 これは、職人が目で確認しながら模様を施すタイプのローズエンジン旋盤です。 時計の文字盤となるパーツに模様を施している様子ですが、真っ平らな面なので作業としては単純です。 |
これは独特の曲率を持った面にエンジンターンで模様を付けています。感覚で臨機応変に対処できる手彫りの方が楽だったのではないかと思うほどですが、見事にこの難易度の高い面にエンジンターンで模様を施しています。 |
何も考えずルーティンワーク的に作業してできるものではありません。一点物ならではの唯一無二の形状に合わせ、ローズ旋盤の刃の当て方を1つのパターンごとに微調整します。 |
その際、刃の当て方によって模様の深さであったり、パターン同士の間隔を微調整するととが可能です。これが全体として見た時に、人間が見て美しい、心地よいと感じる"揺らぎ"となっているわけです。 蝋燭の炎の揺れで有名な1/f揺らぎは、小川のせせらぎの音、木漏れ日、蛍の光り方などの自然界の美に宿っています。本来は人間も自然界の一部だからこそ、無意識のうちにこのような揺らぎに美や心地よさを感じられるのです。不自然なまでに整った人工的な物に溢れる現代社会ですが、人間本来の感性を持っている人ほど、このギロッシュエナメルの美しさに強く魅了されるはずです。 1/f揺らぎが人間に与える影響は、音の分野で研究が進んでいるようです。周波数fを扱うため、音は音波データとして扱いやすいというのが一因でしょう。電気信号で動く人間の体は、脳から生じる電気活動を脳波としてデータを取得できます。 1/f揺らぎを主に研究している東京工業大学名誉教授であり物理学者の武者利光氏によれば、 自然界の1/f揺らぎ音を聴くと脳内がα波の状態、すなわりリラックスした状態になるそうです。これがヒーリング・ミュージックのリラクゼーション効果の理由として説明されています。規則正しい音でもダメ、ランダムな音でもダメで、音響振動数の揺らぎが生体リズムの揺らぎと同じ音だと、人は快適感や癒しの効果を感じるようです。規則正しいサイレンの音などには不快感を感じますが、工業製品の完璧に整った模様や形状に美しさや心地よさが感じられないのと同じようなものだと思います。コンピュータで設計して、工業製品のように量産する揺らぎの介在し得ない現代ジュエリーに、美しさやアートとしての価値がまるでない理由の1つと言えるでしょう。 研究が進むに連れて、結晶の格子振動、地球の自転、自然現象、生物など多岐に及び1/f揺らぎを示すことが分かってきています。 |
実は人間の心拍の間隔にも、1/f揺らぎを見ることができるそうです。 真心を込め、神技の職人によって惜しみなく技術を注ぎ込んで作られた宝物には、人間が素直に「美しい。」、「心地よい。」と感じられる美が間違いなく宿ります。それはきっと、心地よい揺らぎと調和が生み出すものなのです・・。 |
3-5-2. エナメル質の美しさ
このギロッシュエナメルは模様の陰影がはっきりしていることから山谷の凹凸が結構あり、それに伴ってエナメルも厚めと推測できます。エナメルは釉薬を塗って炉で焼く作業を何度も行うことで完成します。途中で気泡が入ったり、ムラができたりすると外観不良として不良品になります。 下地の模様を楽しむギロッシュエナメルは、エナメル質の透明度が高くなければなりません。しかも発色を良くし、深みを感じさせるためにはエナメル質の厚みも必要です。マットな質感のエナメルより遥かに多い回数、釉薬を塗り重ねる必要があったはずです。 |
『忘れな草』 ブルー・ギロッシュエナメル ペンダント フランス? 18世紀後期(1780〜1800年頃) SOLD |
最も高度なギロッシュエナメル技術があったとされるのは、18世紀です。 18世紀のギロッシュエナメルの鮮やかな発色と、深みのある美しさには思わず虜になります。 |
『永遠に美しいファベルジェのエナメル』 |
ロシアの天才プロデューサーとして有名なファべルジェは、18世紀の優れた作品を研究して名高いギロッシュエナメルのジュエリーを生み出しました。 結局18世紀のギロッシュエナメルには及ばなかったとされていますが、それでも6回はエナメルを塗り重ねていたそうです。 |
現代では何度くらい塗り重ねているのか分かりませんが、超高級時計の文字盤を制作する職人は、集中力を切らすことのできない細かな作業で、お尻の痛みに耐えながら作業します。そうやって超一流の職人が作っても、75%くらいは不良品となってしまうそうです。 超一流の職人の人件費をかけならがらも25%しか売り物にならないからこそ、エナメル文字盤は数が作れず高価なものとなり、限られた数の超高級時計にしか使われないということなのです。これだけ聞くと凄そうと思うのですが、実際にご覧いただくと「あれっ?」と感じてしまいます。 アンティークのハイジュエリーを見慣れていると美しいギロッシュエナメルは当たり前ですが、現代の超高級時計のエナメル文字盤はエナメル質の透明度が低いためか、いまいち模様が見えてきません。これではギロッシュエナメルならではの魅力がないです。ただ「ギロッシュエナメルで作られている。」という、成金が好むおブランド的な価値しかありません。 |
1790年頃の最高級品 | 【参考】現代の最高級品 |
同じ最高級の時計に施されたギロッシュエナメルでも、18世紀と現代ではこれだけ違います。私は18世紀の方が圧倒的に美しいと感じます。 比較するのも申し訳ないくらいで、現代の物からは美しさは微塵も感じられません。エナメルの透明度が低く、下地の模様が中途半端に透けて見えるのが原因です。 |
ファべルジェは130色ほどの色を出せたと言われています。 適当に調合すれば無限に色は出せるのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、色合いだけでなく透明度であったり、炉で焼く際の高温に耐えられる材料の安定性や、材料の安定供給など、材料開発には想像以上に手間や労力がかかります。 |
ジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795年) | ジャスパーウェアの試作品(ジョサイア・ウェッジウッド 1773-1776年) |
非常に研究熱心だったことで有名な18世紀のジョサイア・ウェッジウッドも、ジャスパーウェアを完成させるまでに数千回もの試作を繰り返したそうです。 材料を研究開発すること自体がとても難しいからこそ、現代のギロッシュエナメルはあのレベルなのです。 昔と同じように作れば良いのではと思う方は、研究開発の重要性をご理解いただけていません。これだけ労力をかけて、才能のある人物が作り出すのが秘伝のレシピです。モノづくり系の企業で言えば、重要な企業秘密となる部分です。こういうものは他社にヒントすら与えたくありませんから特許も出さず、一般社員にも教えず、限定された人だけが知るブラックボックス化されます。 故にメーカーが無くなる、或いはその職人がいなくなってしまうと秘伝のレシピは失われ、同じ物は作れなくなってしまうのです。 現代は男性のステータス・アイテムであるはずの超高級時計でも、量産品であるが故にエンジンターンの模様も単純でつまらないです。それに加えてエナメル自体の質も悪く、現代のギロッシュエナメルは全く魅力を感じられないものと成り果てているのです。 |
透明度の高さと、発色の良さを併せ持つ最上質のギロッシュ・エナメルの美しさは、他には替え難いです。 地模様と水色のエナメルがコラボレーションすることで、何とも言えない魅力的な輝きが生まれています。 このギロッシュエナメル自体も、アンティークの際高級品と比べて群を抜いています。美意識が高く、完璧主義の作者が全てに於いて最高峰を求めたからでしょう。 |
魅惑の輝きを放つ水色のギロッシュエナメルの上に、プラチナと極小ローズカット・ダイヤモンドによるダイヤモンド・ダストのような透かしの装飾が重ねてあるのですから、その美しさはこれ以上は望むべくもありません!! |
3-6. オリジナルの専用チェーンの美しさ
この宝物はオリジナルのチェーンが残っているのも魅力です。 |
3-6-1. チェーンを使った優雅な使い方
ペンダントとして見ても抜群に美しいので、通常のチェーンやリボンなどに下げて使うことはできるのですが、それでは時計としては使いにくいのです。 下げると、文字盤が下向きになっています。 |
時計を確認する際は、首元にかけたペンダントを手元でひっくり返して時間を見るからです。 |
女性らしい一連の優雅な流れこそが、このタイプのペンダント・ウォッチ最大の魅せ場であり、このタイプにしか出せない魅力です。 |
【極めて珍しい最も初期の腕時計】 フランス 1890年頃(ムーブメントもフランス製) 時計の大きさ 直径2,3cm SOLD |
ブレスレット・タイプの美しいジュエリー・ウォッチは既に存在しました。 でも、なぜエドワーディアンの時代にブレスレット・タイプではなくネックレス・タイプが社交界で流行したのかと言えば、答えは簡単です。 |
手元でペンダント・ウォッチを見るこの仕草が、あまりに優雅で美しかったからです。 踊りも含め、動作を伴う芸事は指先の表現力が極めて重要です。指先にまで意識を行き渡らせるには高い集中力が必要ですし、美しい動きとなるにはセンスも必要です。 でも、うまくできれば顔の美しさ以上に人々を魅了することができます。 |
フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793) | 当時の社交界の人々を魅了したフランス王妃マリー・アントワネットは、おそらく誰よりも上手にそれが出来た女性です。 顔立ちについては「美しくはない」、「顔つきは整っていなかった」などイマイチな評価を多く目にしますが、身のこなしの優雅さについては高く評価されていました。 ハプスブルク家の教育によってバレエをたしなみ、ハープやソネットの演奏も得意でした。どれも指先にまで注意を払うものですよね。 |
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763-1814年) | 一方で貴族ながら植民地生まれのジョゼフィーヌは、パリでの最初の結婚では「田舎臭くて、教養も無くて最悪!無理。」と、夫から別居と離婚裁判を起こされてしまいました。パリ社交界は怖すぎます!(笑) しかしながら離婚後は修道院にて、優雅で洗練された振る舞いを身に付け、並み居る強豪ひしめくパリ社交界で大の人気者となったのでした。 顔そのものの美醜ではなく、仕草や教養がいかに大切なのかが現れていますよね。綺麗な顔であるに越したことはありませんが、それ以上に磨くべきは仕草と教養なのです! |
その身に付けた美しい立ち居振る舞いを存分に演出させてくれるのが、このタイプのペンダント・ウォッチだったのです。 まさに王侯貴族らしいアイテムですよね♪♪ |
3-6-2. チェーンはペンダント・ウォッチの重要アイテム
チェーンはこのペンダント・ウォッチに相応しい、とても贅沢で優れた作りになっています。チェーンはオマケではなく、ペンダント・ウォッチの魅力を最大限に引き出すための重要アイテムです。故に、一点物の最高級品として作られたものだとチェーンにも個性が現れます。 |
例1
Ch.massins社 ペンダント・ウォッチ フランス 1900年頃 ムーブメントはスイス製 SOLD |
これは、このタイプのペンダント・ウォッチが生まれたばかりの頃に作られたとみられる、ガーランドスタイルのクラシックなデザインが魅力のやや古い時代のペンダント・ウォッチです。 |
時計の水色のギロッシュエナメルと、ゴールドのガーランド・スタイルにフィットするデザインの、手間をかけた作りのチェーンになっています。これは画像右端に見える通り、画期的な新素材として登場したプラチナのポイントとしての使い方が印象的です。 |
Ch.massins社 ペンダント・ウォッチ フランス 1900年頃 ムーブメントはスイス製 SOLD |
『ゴールド・オーガンジー』 ペリドット&ホワイト・エナメル ネックレス イギリス 1900年頃 ¥1,000,000-(税込10%) |
レイト・ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけてのトランジション・ジュエリーである『ゴールド・オーガンジー』も、同じようなプラチナの使い方をしていました。ラボレベルでうまく行った段階の、量産に成功してプラチナが一般に普及する以前に作られた特別なものだから、これだけ使用面積が少ないながら、富と権力の象徴としてデザインのポイントとなる部分に使用されているということでしょう。 |
これはペンダント・ウォッチとチェーンがバラバラになっていたら、分からなくなっていたことです。最高級品として作られたものだと、チェーン1つでもこれだけデザインと作り、素材の全てに気を遣うということですね。 |
例2
ペンダント・ウォッチ フランス? 1900年頃 SOLD |
このペンダント・ウォッチも素晴らしいチェーンが残っていました。 |
このペンダント・ウォッチは一見シンプルなデザインに見えますが、チェーンと組み合わせたトータルでの美しさを計算してのことです。 故に、チェーンのデザインと作りへのこだわりぶりは半端ありません。 |
時計を下げる部分は愛らしいリボンがデザインされています。 このような造形のリボンは通常、ピンクのギロッシュエナメルだけで済ませるはずですが、これは裏返った部分にホワイト・エナメルが施されています。 時計の外周にデザインした、ホワイトのシャンルベ・エナメルと調和させるためのものですが、その技術と手間のかけ方に驚きます。 |
ペンダント・ウォッチ フランス? 1900年頃 SOLD |
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チェーンの直方体の各パーツも、ピンクのギロッシュエナメルの面とホワイトのシャンルベ・エナメルの面があります。 ジュエリー・ウォッチは、ジュエリーの中でも別格の存在だったのだと感じます。 驚くほどかけられた手間と技術は価格として反映されたはずで、当時はそれだけの高級品とみなされ、限られた人たちだけが身に着けることのできる特別なステータス・アイテムとして人気があったということなのでしょう。 |
例3
ペンダント・ウォッチ フランス or イギリス 1920年頃 ムーヴメントはスイス製 SOLD |
プラチナが富と権力の象徴だった時代に作られた、このペンダント・ウォッチも素晴らしいチェーンが残っていました。 |
チェーンを見ても、素材としてはダイヤモンドではなくプラチナが主役であることが分かるデザインになっていますね。プラチナだけの、プラチナを強調するパーツはこの時代ならではの特殊なデザインと言えるでしょう。アンティークの最高級のペンダント・ウォッチは、チェーンに関しても魅力満載の注目アイテムなのです! |
3-6-3. 時計に相応しいデザインと作りのチェーン
チェーンは失われていることが本当に多いなかで、ラッキーなこのチェーンも当時を反映した、素材・デザイン・作りの三拍子が揃ったものとなっています。 |
素材に関してはペンダント・ウォッチ同様にローズカット・ダイヤモンド、水色のギロッシュエナメル、ホワイトのシャンルベ・エナメル、プラチナ、それに加えて小さな天然真珠も使用されています。 |
3-6-3-1. ローズカット・ダイヤモンド
まず、このY字型のチェーンがオシャレです。 縦のラインがあることでスタイリッシュさが増しますし、先端は揺れが大きくなるため、輝きが魅力のペンダント・ウォッチには最適の構造と言えます。 Y字の起点にセットされたダイヤモンドの円形のパーツもオシャレです。 大きなダイヤモンドを使うのではなく、ペンダント・ウォッチに合わせて全てローズカット・ダイヤモンドでデザインしているのはさすがです。 ダイヤモンドは小さすぎず絶妙な大きさの物が選ばれており、悪目立ちはしないながらも、デザイン上のポイントとしてしっかりと存在感があります。 |
上質な石なので、美しく煌めきます。 ペンダント・ウォッチに合わせて、同じくらい小さなローズカット・ダイヤモンドを使ってはいないのが作者のセンスですね。 同じくらい小さな物を使うと存在感が出ず、デザイン上のポイントとしては力不足となっていたはずです。 |
3-6-3-2. エナメルのパーツ
ペンダント・ウォッチと揃えて、波模様の水色のギロッシュエナメルと、ホワイトのシャンルベ・エナメルを施したパーツも完成度の高い綺麗な作りとなっており、細部まで気を抜かない作者の職人としてのプライドが現れています。 |
これを19個も作るのですから、大変なことです。創造性の高いアーティスティックなことが得意な人は、同じ物を正確に何個も作るルーティンワーク的な作業は苦手だったりしますが、この作者は両方ができる類稀な人物だったということでしょう。仮に誰かに任せたいと思っても、このレベルの仕事はこの作者以外には不可能です。 |
3-6-3-3. 天然真珠
このチェーンには極めて上質な天然真珠を使ってあることも特徴です。 |
ペンダント・ウォッチには使用されておらず、チェーンにのみ天然真珠が使用されています。 白いので色のバランスとしてデザインを邪魔しませんし、天然真珠があることで王侯貴族らし気品と清楚さが生まれています。 これはエドワーディアンからアールデコ初期にかけての、天然真珠とプラチナの双方が極めて高い価値があった時代ならではと言えます。 これ以外の時代だったならば、天然真珠は使われなかったか、ダイヤモンドがセットされていたと考えられます。 それだとスタイリッシュさや高級感は出ますが、エドワーディアンの王侯貴族らしいエレガントな雰囲気は薄れたことでしょう。 |
『ホワイト・レディ』 天然真珠&プラチナ スーパーロング・チェーン イギリス 1920年代 長さ 150cm(引き輪付き) SOLD |
『華奢×強靱』 天然真珠 ブレスレット イギリス? 1910年〜1920年頃 SOLD |
いつの時代も上質で大きな天然真珠は高い価値を持ち、ハイジュエリーに使用されてきました。 でも、天然真珠とプラチナの両方が別格の評価をされていた時代だけは、小さな天然真珠とプラチナ・ワークによる、至極上品で繊細さを感じるとびきり美しい宝物が生み出されました。 |
←↑実物大 ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小比が分かります |
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そんな時代だったからこそ、このチェーンにも、富と権力を象徴するかのように天然真珠が使用されているのです。 |
宝石は全てに共通して言えることですが、ダイヤモンドであったり、ルビーやサファイアであったり、ただその種類の宝石であるだけでは意味がありません。成金はそれだけで判断しますが、宝石の価値は質で全く評価が異なっており、古の王侯貴族は質を重要視していました。 この宝物に使用されている天然真珠は、小さいながらもはっきり最高品質のものと認識できるくらい、照り艶に優れています。変化のある海中で、母貝がその体内で年月をかけて少しずつ育む天然真珠は、様々な個性が出ます。シワシワであったり歪だったり、綺麗と感じられない質感や形のものは本当に多いです。天然真珠そのものが極めて稀少価値の高いものなので一定レベル以上の品質あれなジュエリーに使用されたりはしますが、品質すなわち美しさはピンキリで、その差はダイヤモンド以上に激しいです。 |
養殖真珠のように球体の核を使うことなく、脱色・染色(調色)をすることもなく、極上の照り艶を持つ最高品質の天然真珠をこれだけの数、大きさ・形状・色・質感の揃った状態で集めるのは相当にお金がかかったはずです。 |
ギロッシュエナメルの地模様の輝き、それに重なるダイヤモンド・ダストの美しい世界は本当に印象的です。 その最高級のペンダント・ウォッチを下げるに相応しい、素晴らしいチェーンです♪ 揺れる状態の実物を見ると本当に心引き込まれますが、静止画でも十分に魅了されてしまうのではないでしょうか♪♪ |
フィッティングケース
革ケースはアンティークではなくヴィンテージのフィッティング・ケースですが、英国王室御用達ガラード社の上等なケースを使っています。 良い作りですし、コンディションもパーフェクトです。 ペンダント・ウォッチがその形状に沿って綺麗に収まります。 |
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特別なケースを開く瞬間は心が踊りますし、綺麗にセットされた宝物を取り出して身に付けると自然と背筋が伸びるものです。それ自体が、着けた女性をより美しく魅せることにもなります。 |
メンテナンス
機械式の上質な時計は適切な使い方とメンテナンスを心掛ければ、半永久的に楽しむことができます。 この時計はオーバーホール済みで、1度ネジを巻くと21時間くらい動き続けます。秒針がないので自分で確認することはできませんでしたが、時計師曰く誤差は1日で7秒以内の性能とのことでした。 湿気や磁気の強い環境は避けてお使いいただければと思います。 オーバーホールは3〜5年に1度程度が推奨されています。長期に渡りオーバーホールを行わないと、機械に使用した潤滑油が劣化や油切れを起こし、部品が磨耗したり正常に動かなくなります。使う頻度や環境にも依りますが、御留意いただけれと思います。この時計の場合、部品交換等を必要としない通常のオーバーホールで5万円程度となります(2021.1現在。時計師の状況により、今後変わる可能性がございます。)。 |
【時を奏でる小さな宝物】ペンダント・ウォッチはジュエリーと時計のコラボレーションを楽しめる素敵な宝物。100年もの時を経てもカチカチと動き出す様子は、まさに生きているジュエリー。 100年も前の神技を持つ職人が、一世一代の魂を込めた創り上げた奇跡のような宝物。 永遠の芸術品となったこの特別なペンダント・ウォッチは、これからも優しく美しい時を奏で、現代の私たちの寿命をも遥かに超えて見る者を魅了し続けることでしょう・・・ |